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Published: Feb. 21, 2003
Updated: Nov. 18 2003
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 *戯曲を読もう。「テキスト・リーディング・ワークショップ」のお知らせ。案内はこちら。 → CLICK
  (ENBUゼミの「短期集中講座」のページに直リンクさせてもらいました)

Nov.16 sun.  「へウォンとソウルで話したこと」

■土曜日の午後、ソウル市内にあるパゴダ公園にいた。一九一九年、韓国の独立を宣言する文書がその運動を代表する宗教家らの有志によって読み上げられ、市内に向けてデモ行進がはじまったのがこの公園だ。「三一独立運動」と呼ばれて韓国では毎年記念の行事が行われる重要な歴史的な出来事としてある。二百万人以上が参加したとされるデモは独立のための「暴力革命的」な示威行動はいっさいなく一貫して平和的にふるまわれたが、それを弾圧しようとする者によって、七千人以上の韓国人が殺され、七万人以上の者が検挙されたと手にした資料にはある。
■パゴダ公園には、「三一独立運動」を記念したモニュメントがいくつが点在するが、なかに、石で造られた塔、「円覚寺址十層石塔」がある。うちの大学に留学しているソウル生まれのヘウォンから石塔の説明を聞いているとき、「円覚寺はどうなったの?」とまぬけな質問をすると、「焼かれたんですよ」と言い、笑いながらさらに、「誰が焼いたのかなあ」とヘウォンは言う。それで僕も笑いながら、「俺たちかあ」と言ったのだった。二人でまた笑った。
■おそらく、その「笑い」を不謹慎だと感じる者もいるだろうし、また逆に、「自虐史観」としてべつの感じ方をする者もいるだろう。だからその「笑い」はそのとき奇妙な「笑い」になる。笑っているのは、韓国人の若い女と、日本から来た人間だ。僕は不思議に気持ちのいい瞬間を味わった。もちろん本質をもっと考え、議論するべき日韓の歴史はあるが、笑いはもっとべつの関係を生みだすように思う。公園のべつの場所に、「三一独立運動」を描いたレリーフがあって、そのとき一緒に、青年団の平田オリザ、ガジラの鐘下達男、劇作家の松田正隆の三氏がいて、特に詳しい平田君による「三一独立運動」の説明をレリーフを見ながら聞いているとき、へウォンが、「友だちと来ると面白いのに、日本人と一緒だと、なんか変だなー」と若い世代の韓国人としてはそれがふつうの感覚なのか、ぽつりともらしたのが印象的だった。彼女が面白いと言ったのは、たとえば「韓国のジャンヌダルク」と呼ばれる「三一独立運動」のとき活躍した女性を描いたレリーフが記録として残された写真よりずっときれいに描かれていることを友だちと笑うという意味で、つまり、「美化」に対する韓国人自身の批評である。「新しい教科書を作る会」的なる日本側の歴史の改ざん、と同時に、韓国にもこうした歴史の「美化」はおそらくあるのだ。そこを曖昧にしてきたから「新しい教科書を作る会」的なるものがいま問題になる。誰がそれを曖昧にしてしまったか。

■ドイツとポーランドは、一九四五年の戦争終結後、お互いの国で同じ歴史教科書を作成する議論がはじまり、その後の作業によって統一の教科書が作られた。そんなことをここに来て考えているときソウルの小さな劇場で、平田君の書いた『ソウル市民1919』を観ることができたのは貴重な経験だった。まず僕が10年前に観た『ソウル市民』は「日韓併合」がなされる一年前のソウルに住む日本人家庭のとある午後の一時間半を描いたもので、その歴史的背景が設定されていることにより「劇的なもの」がなにもないかに見えて、きわめて政治的な劇になっていた。『ソウル市民1919』はその10年後を描いている。つまり「三一独立運動」の年だ。
■僕はきっぱり言っておくが、「新しい教科書を作る会的なるもの」に対してはきわめて否定的だ。「日韓併合」にも、「三一独立運動」の際の日本による韓国人虐殺にも、日本への韓国人に対する「強制連行」にも、あるいは「南京大虐殺」についてもそれなりに「新しい教科書を作る会的なるもの」は「日本側」からの歴史の解釈をするのはわかっているが、たしかに「自虐史観」と呼ばれるような「戦後民主主義的」な一面的な歴史の読みはあったにしても、へウォンが口にした韓国における「美化」への批評も、堂々と笑える環境がないのがわからないのだ。まあ、「笑い」は常に不謹慎で、ふまじめなものとされてきたが、事実そうであり、「そうであること」によって鋭い批評になる。とはいっても、「笑い」をなにより上にもってくるという「笑い原理主義」的主張にも僕は与しない。「武器」としての「笑い」は、そのごく「一部」である。というか、「武器としての」と大上段に構えるのは、そもそも「笑い」としては質が低い。
■たとえば、「戦後民主主義」的になされた歴史観は、左翼勢力による「運動」として党派拡大のような「政治プログラム」になってしまったとき、やはりゆがみは生じただろう。「政治プログラム」になった時点でやはり「歴史」は自分たちに都合のいい一面的な解釈になる。だが、それをも上まわる勢いで「新しい教科書を作る会的なるもの」が、いまこの国を政治的に覆っている。とはいっても、アメリカ合衆国の首脳の一人がイラクの戦後処理に絡めて「日本は軍事的にまったくあてにならない」と口にしその歴史性を欠いた発言がひどくばかに思え、「おまえらが作った憲法で日本は軍事力を廃棄したんだろうが」と言いたくなるのであれば、「新しい教科書を作る会」的になってしまうわけだが、ここで政治はひどくねじれて奇妙なぐあいになる。

■韓国に来てなによりよかったのは、へウォンとゆっくり話ができたことだ。いろいろなことを喚起された。その日(15日)は松田正隆さんの作品のリーディング公演があり、松田さんにしろ、鐘下君、平田君も、みんないい戯曲を書いてると素直に感じ刺激を受ける。私は最近、ちょっとね、平田君に言わせれば「さぼってる」ってことになって、だめである。小説のことばかり考えてるし。私は劇作家だった。もっと勉強していい戯曲を書こう。あと関係ないけど、つぶれてしまった「三一書房」の、「三一」は、「三一独立運動」から来ているのだろうかと、ふと思った。リーディングのあと、韓国の大衆演劇というか、キダムみたいなテントで公演されるエンターテイメントの舞台を観る。すごいよ、このエンターテイメントぶりが。関西風に言えば「べた」な感じが。
■16日帰国。韓国でいろいろ考えた。とてもよかった。もちろん外国に行けばどこでも刺激されるが、いちばん近くにある外国でありながら、知らないこと、あるいは意識的に目を向けていないことを実感する。あと、ヘウォンがたとえば、当時の政治状況下にあって反政府的だった前大統領・金大中が日本から拉致され韓国に連れていかれた事件についてもよく知っており、って、向こうでは当然かもしれないが、事件の当事者の一画であるはずの日本では学生なんかおそらくそんな事件があったことすら知らないだろう。さらにヘウォンは事件をいろいろ推理する。そのずれを強く感じた。
■あと「ずれ」について考えてみれば、日本と韓国はいろいろな点でよく似ており、だからこそ、差異をより大きなものとして受けることになって、それが興味深い。

■で、ちょっと疲れたな。なんでこんなに忙しいのか。東京に戻ってまた原稿だ。小説だ。演劇にももちろんまじめに取り組むのである。

(14:03 nov.17 2003)



Nov.14 fri.  「ソウルで考える」

■パリに行ったときは時間にやけに余裕があった気がするが、ソウルに来て何もする時間がなく、日々、芝居を観て、人と話し、そうこうしているうちに眠くなると、翌日はまた早いというのが変だと思っていたのだった。ふと気がつくと、毎日の催しが午後早い時間からはじまるのが妙である。
■きのうの僕の『ヒネミ』のリーディングは午後三時からで、平日なのにいったいどういった人が観にくるのかわからなかったし、きょうのシンポジウムは午後二時からである。この時間設定はいったいなんだろう。聞けばふつうの舞台の開演は午後七時半だそうで、それは日本と変わらない。フランスでもそうだったが、今回もまた、われわれを招聘してくれるのは、国の機関で、これはある意味かなり特殊な環境にいるのだと自覚していないと外国の演劇環境に対してまちがった見方をしがちになるし、自分が置かれている立場を誤解する恐れがある。
■たとえば、きょうシンポジウムのあとの食事会には、韓国の演劇界の重鎮がいらしたが、これは日本で考えると、千田是也がいて、宇野重吉がいて、浅利慶太がいてといった状況だが、だとしたら、もしそういった場所に自分がいることを日本におきかえ、本来は自分の立場がどういったことになっているか慎重に考えないといけない。外国にいると状況がのみこめずわからなくなる。でも、そのなかで、比較的若い国立劇場の芸術監督をなさっている演出家のKさんの話はいろいろなことを喚起してくれた。

■うちの大学の留学生でソウル出身のPとまたお昼ご飯を食べに行った。案内されて入ったのは大衆食堂という感じの店だ。出てきたのは大きな皿に盛られた豚足である。日本でイメージする豚足とは少し異なる。大きな皿に肉がどっさりだ。山盛りの肉である。豚足だけで十分なはずなのにさらにごはんを注文したのは、ごはんがないとどうにも食事をした気分になれないからで、これが日本人というものか。さすがに食べきれなかった。で、東京にいる演劇をしている若い者どもをソウルに連れてきてたらふく食わせたいと思ったのは、かなり注文したと思ってもやたら安いからだ。
■食事のあと、コーヒーが飲みたくなって入ったカフェは、静かな雰囲気のいい店だ。店に入ってすぐに聞こえてきた音楽が、『
Don't Know Why』だった。松倉が聞かせてくれたあの歌である。それでまたPからいろいろ韓国の話を聞かせてもらう。パリでヨーロッパのことを考えたように、ソウルではアジアをまたべつの視点から考える。
■午後、シンポジュウム。日本の戦後演劇史を、劇作家と作品の紹介を通じて語った評論家の大笹吉雄さんの話が興味深かった。だいたいのところはもちろんよく知っている話だったものの、韓国との関係で特につかこうへいさんについて語るその劇作のアウトライン(在日コーリアンの目から見た日本、時代との関係)がその後の日本の演劇シーンにどう影響をもたらしたか、しかし、「在日コーリアンの目から見た日本」に対する「悪意」ある笑いは、いつのまにか「悪意」ではなく、簡単に消費の対象になってしまったのはなぜかについてどうしたって、考えざるをえない。

■で、夜、また歓迎の食事会になったが、昼間食べた豚足の店のすぐ近くにある店で、やっぱりそこでも豚足だった。一日中、豚足の日。韓国の演出家のKさんの話で示唆的だったのは、平田君が、「この人はバブルがいやで逃げ出した人です」と八〇年代の終わりに日本を脱出した僕について紹介した話を聞いて、「逃げられる国の人はいいよ」とKさんが口にしたことだ。韓国は政治的にとてもぎりぎりの地点にあるのだと強く感じた。たとえばチェーホフの影響を口にすれば、「おまえはロシア的なのか」と批判されるという。常に作品は政治的に判断される。唐十郎の舞台や新宿梁山泊の舞台で、ラスト近く、テントの幕があがって人々が遠くへ去ってゆく演出(このふたつのアングラ演劇はしばしばそうした演出をする)を観てKさんが感じたのは、どこかに遠ざかることのできる国の演劇だということだった。「自分たちはここ以外、どこにも行く場所がない」とKさんはその閉塞感を語った。
■日本にいて感じる閉塞感以上のものがそこにあるのを感じたし、韓国は(と簡単にまとめられはしないが)、「北」との緊張はつねにあるのはもちろんだが、同時に、国全体が沖縄によく似た基地問題を抱えている。反米感情が起こるのも当然であり、いま演劇にしろ文化全般がなにより批判の対象になるのは「アメリカ的」なものというのが、知識層に浸透した感情ではないか。そのあと、Kさんは、ハイナー・ミュラーについても語っておりそれを通訳してもらえなかったのが残念だった。ミューラーが生きていた時代の「東ドイツ」という国と、韓国では、政治的な状況の性格は異なるにしても、少なくとも日本に比べたらずっと緊張した空気が張りつめている。
■ソウルでいろいろ考える。ソウルから日本のことを考える。

(1:43 nov.15 2003)



Nov.13 thurs.  「リーディングと美味しいもの」

韓国の料理店昼、うちの大学(京都造形芸術大学)の留学生のPに案内され、鐘下君、ガジラの制作をしているWさんとで、昼食に行くことにした。ホテルはミョンドンのごく近くだが、そこから少し歩いて映画館など並ぶ、どういったらいいんだろ、渋谷みたいなという表現が適切かわからないが、飲食店の多い通りまで歩いた。
 そこの近くにある料理店に入るが、なんの店と言っていいか形容できないというか、よくわからない。
鳥丸ごと鍋  Pに料理の名前を聞いたが、正式な名前がないというので、ひとまず「鳥丸ごと鍋」とわれわれが名付けた料理を食べる。美味しかった。韓国はなにを食べてもうまい。
 昼食のあとコーヒーを飲みに喫茶店へ。古いたたずまいの店は、むかしそういえば喫茶店といえばこうだったと懐かしい気分にさせられる。Pと、韓国のことについていろいろ話していると、日本が韓国を侵略した話になって、途中、どうも話があわないと思っていたら、Pが話している侵略が、「百済」「新羅」の時代の話で、僕や鐘下君が考えていたのが、日韓併合のあたりで、日本はなにかっていうと朝鮮半島を侵略しているのだと歴史を思い出されるというか、彼女たちはかなり長いスパンで歴史を考えているのに、こちらはそうした歴史的思考が薄いのだと気づく。

■ホテルに戻りタクシーでまた国立劇場の、といっても、広い国立劇場の敷地があってそこにいくつかの劇場があるのですね、そのひとつ、いわば小劇場で、今回のリーディングの催しが開かれている。
■午後三時から僕の『ヒネミ』のリーディング。12人ほどの俳優によって一人二役は演じている。僕が公演したときもそうだった。たとえばなにも説明していないのに、前半、ハーモニカを吹いている「説森さん」と、一番最後に出てくる「倉橋」を同じ俳優が演じており、こればまったく同じだったので、戯曲を読んでそう感じるものがどこかあるのだろうか。リーディングしながら俳優たちが、本気で笑いながら演じていて、それがうれしかった。韓国語になっていながら笑いは僕の演出のときとほぼ同じ位置で起こる。アフタートークで、リーディングを演出した韓国の方は、「最初、戯曲を読んだときは、わけがわからなかった」という。そう思います、僕も。
■夜、大学路という町にある小さな劇場で平田オリザ君の『ソウル市民1919』が韓国の劇団によって公演されているのを観る。満員の盛況。平田君の演出とは異なってコメディのように演じられ、笑いもかなり起こるものの、日韓併合後、ソウルに住む日本人の家庭を舞台に、日本人、そこで働く韓国人たちの姿が淡々と描かれた作品だ。この重いテーマをどう韓国の観客は観るのだろうと思ったが、素直にコメディのように受け止めている印象を受けるのは、観客の層が若いからだろうか。

■終演後、みんなで食事に行く。焼肉がとても美味しい。

(11:21 nov.14 2003)



Nov.12 wed.  「こちらソウル。そちらはいかがですか」

■朝五時に起床し新宿駅へ。睡眠は二時間半。韓日演劇交流協議会が主宰する演劇祭が韓国であり、僕の『ヒネミ』をはじめ日本の劇作家の何作品かがリーディングされる。ほかにもシンポジュウムなど予定されており、かなり眠かったが午前六時七分発の成田エクスプレスで成田空港に向かう。途中、渋谷でたまたま、ガジラの鐘下君と、かつて燐光群にいて僕の舞台にも何度か出てもらった加地君と乗り合わせた。鐘下君の作品もやはりリーディングされるので来るのはわかっていたが、加地君は予想していなかったので驚いた。
■飛行機は10時に出発だが、なぜこんなに朝早く家を出なきゃいけないかよくわからない。朝からすでにぼーっとしているのだ。ソウルに着いたのは午後12時過ぎ。いったんホテルに荷物を置いて、しばらく休憩。眠い。それから場所の名前がよくわからないのだが、ホテルからコーディネートしてくれるKさんに案内されてタクシーで国立の劇場に到着。韓国のクルマが強引だ。強引に割り込んできたりなど町にわけのわからない勢いがある。
■夕方から鐘下君の『ルート64』のリーディングを聞く。もちろん韓国語である。しかもストーリーがわからないのだが、閉鎖された空間にいる者たちが殺人に拘わっているらしいということが劇全体から伝わってきており、するとなにか、カルトの匂いがすると思ったら、アフタートークで鐘下君が言うには「オウム真理教」のことが描かれているらしい。パリに行ったときなど六日連続でフランス語の劇を字幕も何もない状態で見るという経験をしたが、意味がわからないなりに、音としての言語はそれはそれで面白いのだ。

■プログラム終了後、歓迎会のようなものがあって食事。韓国の宮廷料理のフルコースである。リーディングのころには到着していた青年団の平田オリザ君からいろいろ韓国のことを教えてもらう。平田君はソウルに留学していたので、様々なことに詳しい。食事の作法が韓国と日本では微妙に異なるのが興味深く、ごはんはスプーンで食べ、それについているおかずを箸で食べるのがこちらの作法だ。しかもお茶碗を手で持つのもいけないことになっている。つまりスープを飲む要領でごはんを食べる。
■ほんとはもっと書きたいこともあるが、たとえばうちの大学の韓国からの留学生Pが帰国しており、リーディングを見に来たこと。あした昼ご飯を食べようと約束をすることにしたこととか、韓国の演劇人がすごくいい人ばかりで大好きになったなど、でも疲れたのでまた後日。「パリノート」のときは向こうから通信ができなかったが、韓国からは通信ができるとわかった。「韓国通信事情」についてはいろいろアドバイスのメールも届いていたと、韓国で知った。ありがたい。てなわけで、きょうは疲れたのでもう眠る。あしたは僕の『ヒネミ』のリーディングがあるが、みんな「よくわからない」と言う。わからないよなあ、日本人だってわからないんだから。
■それにしても僕は、なにもわからずに韓国に来てしまったのだ。観光ガイドブックなど持っていないし、なにをすればいいかもわかっていない。「考えていない」のである。というか、そうきっぱりとした意志ではなく、「考えていなかった」ということだ。韓国の夜はひどく冷える。

(22:38 nov.12 2003)



Nov.11 tue.  「この秋」

■韓国へ行く準備をなにもしていないのだった。で、韓国行きのまえに新潮社のN君からメールで「考える人」の連載が締め切りだと知らされたが、季刊雑誌だというのに、なぜか「考える人」の締め切は早く感じる。もう少し早くわかっていたら書いてしまったのだが、韓国でその連載、「考えない」ということをしようと思う。
■「考える」のはわりあい簡単だが、「考えない」をするのは意外にむつかしいのであった。で、
iBookを持参し向こうからこの日記をアップしようと思うが、すでにそこで、考えている。どうやったら通信が可能か考えてしまった。しかもあちらでは韓国の演劇人とシンポジュウムのようなことがあるらしいので、これはやっぱり考えざるをえないが、そこで考えないと、いかれたやつが日本から来ちゃったよと思われやしないかと不安な心持ちにさせられる。そういえば、フランス演劇を研究しているY君から(以前、サブライムについて教えてもらった)メールがあり、僕が韓国に行っているころどうやらフランスの演劇人が何人も来日するらしい。
 来週あたりから、フランスの奇矯な演劇人が続々来日します。とりわけ、テクストの演劇の両極を代表する二人、オリヴィエ・カディオという若い作家と、クロード・レジという今年80の演出家には、 ぜひお会いしていただきたかったのですが。
 カディオはもしかすると、2000年の世田谷パブリックシアターのシンポジウムのときに、お会いになったかもしれません。やたらと早口で音楽的なテクストを読み上げた伊達男です。今回は『愛する人の決定的で永続的な帰還』という、去年舞台になった作品の紹介のようです。これもヴォーカル・パフォーマンスではかなりの傑作でした。ただ、東京日仏学院での講演が17日なので、ご予定があわなそうなのが残念です。
 もう一人のレジは、デュラスの劇作品をほとんど任されていた人で、フランスの演劇界ではほとんど伝説的な人物ですが、日本ではほとんど知られていないでしょう。1月に太田省吾さんがやる『だれか、来る』のフランス初演もこの人です。今、舞台芸術用にレジのそれについての文章を訳しています。同時に紹介記事も書いているのですが、来日には間に合わなそうなのが残念です。この人の舞台は、カディオとは対象的に、とにかく遅くて暗くて動かない、大変な舞台なのです。途中で逃げ出す人もいっぱいいますが、もしこの人がいなくなってしまうと、フランスの舞台もかなりさびしくなるでしょう。これから日本公演があるとは考えにくいので、せめてこの機会にこの人の顔だけでも拝んでおくと、きっといいことがあると思うのですが。11/20にアゴラでシンポジウムがあります。
 とのことで、そういえば、太田さんが以前マルグリット・デュラスが翻訳したチェーホフを面白いと言っていたのを思い出すが、それをさらに、邦訳したものを読むと、言葉をとことん削いだ、太田さん的なテキストだったばかりか、Y君の言う、クロード・レジの「とにかく遅くて暗くて動かない」は、やっぱり太田さん的だ。
■たいへん興味深いしぜひ「顔だけでも」見に行こう。ダンスもいろいろ来ているし、この秋はやけに面白い。それにしても、韓国の気温が不安である。

(1:38 nov.12 2003)



Nov.10 mon.  「ウェブのことなど考えていた」

■わたしの韓国行きも目前だが、ピナ・バウシュ公演も目前、それを観に京都から松倉が来るが、こっちに来るのは16日だという。わたしは16日まで韓国なので会えるかどうか微妙だ。しかも、京都の大学ではダンスの卒業制作が、16、17日とあってこれが観たいとなるとですね、16日の「成田着」を「関空着」にしてもらおうかとか、これって変更できるのか自腹でもいいから関空行きの飛行機に乗ってダンスを観ようかなど、悩むことしきりだし、するとですね、松倉と会うことが出来ないっていうか、またよりによって予定がどうしてこうかぶるんだ。18日は僕も、ピナ・バウシュを観るし。
■そんな松倉のことなど笠木がメールで報せてくれたのだが、メールの最後に、
MacをやっとADSLに繋げまして、これから様々なことをMacで作業しようと思っています。宮沢さんはMacでホームページを作成する場合何のソフトがよいとお考えですか? といいますか、宮沢さんはどういう方法でホームページを作っているのですか?」
 とあった。僕は、Macでサイトを構築しているが、この日記などの更新は、ほとんど、miというテキストエディタである。原稿を書くときや、スタイルシートの編集は、Jeditを使うものの、Jeditは起動が遅い。ファイルを開くのが遅い。Windwsのテキストエディタはファイルオープンが異常な速さなので、もたつかれると調子が出ないのだ。だからたまに、Windowsのエディタでも書く(ここのサイトにいろいろ載っていますが、わたしは、慣れとしか言いようがないが、WZエディタ。原稿はほとんどこれで書く)。Macだったら、miがいいと思う。いろいろ便利だし。実質的にはフリーソフトでもあるし。あと、いいなと思ったサイトのソースを真似するがそれをやっているうちに、いろいろ覚えた。そういえば、笠木の日記のページから、トップページに行くボタンがわかりづらい位置にあって面倒だと思っていたが、ようやく気がついたらしい。ページの上にそれがきていた。

■以前は、
Adobe GoLiveを使っていたが、これがまた起動がものすごくおそくていらいらする。いまでもたまに使うし、私はこのソフトのかなりの使い手だと自負するものの、ソースをよーく調べるとテーブル幅とか、いろいろ細かい数値がおかしなことになっているので、どっちみちあとでエディタで直すことになり、最近は面倒だからテキストエディタで最初から書いちゃったほうが早い。慣れればこういう作業も簡単だとわかったし、たとえば、レイアウトのパーツをGoLiveで作り、ファイルに保存、その部分のソースをテキストエディタに貼り付けるといったこともする。あと、あれだ、日記のページはいかに更新が楽になるか考えたのだ。楽じゃなくちゃ続けられない。でも、Superman RedのS君のようにプロの技はすごい。あれはやっぱり知的好奇心において真似したくなる。で、結局ですね、簡単なホームページ作成ソフトを使ってもいいから、文章を勉強するほうが大事ではなかろうか。
■文章は誰でも書けるような気にさせるのがやっかいで、だが、そうはいかんのだ。マンガ家になりたかったが絵が描けないので小説を書くというばかものが世の中にはいるそうだが、簡単に見えるからこそ、文章の世界はむつかしい。俺だって、こんなに文章を書いていてもまだうまくなりたいと思うし、日本語で文章を書くなら漢文の教養をもっと身につけようと鋭意努力中だ。拙い文章はそれはそれとしてかなり面白いときがあるけど、だからってお金をとらないほうが幸福である。でも、面白いけどね、いろいろな人の日記は。それぞれの生活というものは。
■それで思い出すのが、城田あひる君の文章で、あの人の面白さはただごとならないね。ただ、このあいだ
STUDIO VOICEに載った文章は少し硬く城田君のよさが出ていないと正直思ったものの、お金を取る文章を書くためには、サイトの文章でもまだ足りないなにかがあって、そこを乗り越えねばならぬのだな、きっと。ネット上で少し面白いからとコンピュータ雑誌の編集者に発見され雑誌に書いたはいいものの、その後、消えてしまう人が無数にいる世界だが、城田君ならできる。あの類い希な、ネーミングのセンスはなにごとだ。「雰囲気が清水ミチコに似ている通称水気先生」とか、塾に来る子どもたちの名前がいちいち面白い。寝屋川のYさんも、あれは人柄であろうか、文章に人柄というか語り口のよさが出ている。ヨミヒトシラズのT君はまじめさが文章から伝わるし、「"■"リングス」はそれぞれ面白いのだった。

■あと、テクニカルなこととはべつに、「デザインのよさ」ってのはどう考えていいのだろう。「写真」とか、「イラスト」もね。たとえば宮先君の「ここで会いましょう」はきれいだなあ。あと、以前も書いた、原美術館も。プロにはかなわない。デザインがいいところはそれだけでやっぱりすぐれていると思う。言いたいことはわかるが映像の拙い映画って観たくないしね。逆もある。まあ僕は、
Webに関して素人だから、そこそこのところでぼちぼちやってゆきます。
■「群像」の対談のゲラチェック、「チェーホフを読む」のゲラチェックを韓国に行くまでにやっておかなくてはいけない。それがお金をもらう仕事である。

(5:45 nov.11 2003)



Nov.9 sun.  「特別な人たち」

■夜、選挙速報のテレビ番組を見ていたが気分が悪くなるのでバレーボール中継にチャンネルを換える。いやだいやだ、選挙に勝って万歳しているばかどもを見るのはいやだ。スキャンダルを起こした者をまた当選させてしまうこの国の「政治風土」がいやだ。で、バレーボール女子。思ったのは、特殊な人を見るのはやはり人を興奮させるということで身長が190センチある人はそれだけですごい。
■以前なにかに、「競技人口」について書いた。Jリーグが発足した当時、サッカーの競技人口のほうが、野球の競技人口より圧倒的に多いので、これからはサッカーの人気が高まるという話だ。そのとき思ったのは、「大相撲」はどうなのかということだった。わたしは思うに、相撲の競技人口は、いまも、過去も、あるいは今後も、ぜったいに少ない。けれど大相撲の人気は高い。これをどう考えるか。
■つまり、「プロフェッショナル」なスポーツにとって「競技人口の数字」なんかまったく意味がないということで、相撲にしろ、バレーボールにしろ、
K-1にしろ「すごい人」がいれば充分だということだ。

■いま、小説の「競技人口」は多い。だからといって小説は読まれているだろうか。質の高い作品は量産されているだろうか。あれもまた競技人口ではなく、「特権的な作家」によってしか為されない人の営みである。フォークナーは特殊である。中上健次も特権的だ。トーマス・ピンチョンは不可解だ。あれだけの小説を書いてしまったドストエフスキーも特別だ。
■それにしても、このあいだオリンピック代表決定のための野球の大会があって日本対中国戦に関連して聞いた話はすごかった。中国の監督は日本でも指揮をしたことがあるラフィーバーだが、中国で野球を指導するにあたって、「15歳以下で、身長が190センチ以上ある男」をとりあえず練習している地域で募ったところ、驚くべきことに200人来たという。15歳以下だけでだよ。すごいよ中国。アメリカのバスケットのプロリーグNBAにも中国の選手が何人かいるが、国が広く、人口が多いと、そういったことになってしまうのだろうか。おそらく中国全土から募れば2メートル以上の身長の者が一万人は集まるだろう。北京オリンピックもあるしこれからの中国はたいへんなことになる。
■そしてバレーボールの日本女子。なかでも大山選手の顔がいい。仏像顔だ。いっぺんでファンになったが、もしどこかで会ったらまちがいなく私は、「でかいな」というと思う。なにしろ190センチぐらいある。で、あのスポーツ中継にアイドルをゲストに呼ぶのがまた、不可解で、いやだいやだ、なにからなにまで、世の中は。

(3:30 nov.10 2003)



Nov.8 sat.  「点数が減ってゆく」

■時間的にやや余裕があるのも考えもので、「チェーホフを読む」を書き終えほぼ推敲も終えたが、まだ書き直せるのではないか、もっとよくなるのではないかと考えはじめたらきりがない。ユリイカのYさんからメール。「待ってます」とのことだが、まだ推敲したくなる。
■青山真治監督との対談のゲラが「群像」からメールで送られてきた。これから直しを入れ、送り返すが、それと一緒に小説も添えてあったら(小説の締め切りは12月の初頭)さぞかしびっくりするであろう。びっくりさせるのが好きなのでそれはぜひやりたい。対談のゲラを直すのもかなり好きな作業で、笑わせる箇所に無駄に力をいれる。で、意見を聞いて、小説の直すべきところは直し、それもまた勉強。勉強と修行の日々である。『カラマーゾフの兄弟』を読む。淡々と読書する秋は深まる。
■だが、夕方クルマで走っていたら、Uターン禁止の場所でつかまった。いままでも何度かそこでUターンしていたが禁止だとは知らなかったのである。また指紋押捺。点数が引かれて、あやうく免許停止だ。警察官によると三ヶ月で減点はちゃらになるとの話だが、それがほんとかどうかわからないものの、警察官がこんなときにうそをつくだろうか。まあ、警察だからうそをつかないってことはまずないっていうか、あいつらはかなりうそつきで、それが商売ってところもあるが、しかし、これはついても仕方のないうそだ。

■このところ、仕事の大半を、
iBookでやっている。二世代前のiBookだが、使用に耐えられるというか、僕みたいな仕事はこれで充分なのだが、物欲ってやつはですね、新しいiBookを買おうか、それとも、Power Mac G5を買ってしまおうか、それがある意味、ストレス解消にならないわけではないのが困りものだ。
■そういえば、少し前の笠木の日記が読めなかった。いったいどこをどうすればあんなに読めないページが作れるのかよくわからないので、ソースを調べたが、ああ、そうかこういうことだったかと納得。その後作り直したらしい。
■読むべき本は無数にあって、勉強したいことは限りない。一生は短すぎるっていうか、いままでそんなふうに考えてこなかったことを後悔する。

(2:44 nov.9 2003)



Nov.7 fri.  「ニーナとか、マーシャとか」

■「チェーホフを読む」は明け方までに21枚まで書き、いったん眠ってから夜になって書き終えた。
■あとは推敲。もっと「フェミニズム」について勉強してから書けばよかった。来月分にその課題は残しておこう。さらに大澤真幸さんの『戦後の思想空間』(ちくま新書)を読んだと書いたが、引用すべきは大澤さんがオウム真理教について分析を試みた『虚構の時代の果て』(ちくま新書)のほうだった。どうも引用したいと考えていた言葉が見つからない、おかしいと感じつつ、『戦後の思想空間』を読んでいたが、原稿を書き終えてから思いだし、本棚から出して読む。来月分に回すことにしよう。
■それでさらに思い出したが、京大のS君からメールが少し前にあり、大澤さんが最近書いたものを京都の大学の僕宛に送ってくれたとのことだが、大学から連絡がない。研究室のほうも、卒業制作の公演のことやらなにやらで忙しそうで、催促するのも気が引ける。

■きのう紹介した「論座」のNさんのメールにあったこの日記を読んだ感想の「混沌」は、これを書くにあたって僕が、かなり「読み手」を意識している現れではないかと思うが、それというのも、毎日、その日思いついたことを好きに書いているようでいて、けっこう面白がらせようと話題を多方面にふっているからだ。とはいっても、「きらいなもの」については書かない。
■実業之日本社のTさんから「資本論を読む」の単行本化にむけてのメールがあって、日記上に書いた僕の文章と連載の原稿を構成したものが届けられた。日記の部分はそれはそれで面白いものの、やはり書き足したいことが出てくるのと同時に、連載分のコピーを読んで思ったのは、もういっぺん、『資本論』第一巻を読み直したほうがいいということだ。べつに「解説本」を書こうとしているわけじゃないけど、これでよしにしたら自分の気持ちがおさまらない。連載は常にせっぱつまっていたのでだめな部分が多い。あらためて通読しておこう。通読した上で連載分の原稿に手を入れよう。
■チェーホフといい、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』といい、このところ ロシアづいているので、作品に登場するロシア人の名前がやけに親しいものになってくる。若い女の名前が、「ニーナ」とか「マーシャ」、あるいは「ミーシャ」と、やけに「かわいらしい」のは、若い女の愛称みたいなものなのだろうか。ロシア文学の常識だろうか。ちょっと気になったが、さらに、『カラマーゾフの兄弟』で気になったのは次の一節である。
『殉教者列伝』のどこかに、何とかいう奇蹟の聖者について書いたところがございまして、その聖者が信仰のために迫害を受け、最後に首をはねられたところ、立ちあがって、自分の首を拾いあげ、「やさしく接吻した」、それも、首を両手に抱えて永いこと歩きつづけ、「やさしく接吻した」とあるのですが、長老さま、あれは本当でございましょうか?
 私は思うに、それはうそだろう、きっと。以前なにかで「首持ち聖人」について知りエッセイに書いたことがあったが、引用した話はさらに変だ。自分の首を切られ、その首にキスをするというのは、どうやったら可能なのか。どことどこがキスするのか。まったくわからない。結局、『殉教者列伝』のどこにもそんな話は載っていないという話になるが、まあ、話がある人物の描写とかかわっているとはいえ、「小説」という文学ジャンルはどんなふうになにを書いてもいいとはこのことか。というわけで、原稿は一段落。韓国に行くまで少し余裕ができた。

(4:39 nov.8 2003)



Nov.6 thurs.  「資料と格闘する」

■明け方までに、「チェーホフを読む」を10枚書く。残り15枚。
■いくつかメールをもらったが、岩波書店のHさんからかつて岩波のPR誌「図書」に書いた、「動詞的人生」(様々な人がそれぞれ選んだ動詞をもとにエッセイを書くシリーズ)をまとめて単行本化するにあたって手紙を書いたとのことだが、どうも届いていない。で、FAXの番号を伝え送ってもらうことにしたが「送れない」とさらにメールがあった。調べてみたがどうもFAXの調子が悪い。どうなっているのかよくわからない。
「論座」という雑誌から原稿の依頼。「日記形式で読書のことを書く」という内容。それでしばらくこのノートを読書ノートということにしようかと思ったのだが、それというのも、それを元にすれば原稿が書きやすいというか、メモとして使えるからだ。もちろん雑誌に掲載するのはいわば「製品版」である。依頼してくれた「論座」のNさんのメールにこうあった。
 手前の話で恐縮ですが、私(30代)も、私の母(60代)も、私の知人(50代女性)も、「青空の方法」「青空ノート」『茫然とする技術』が好きで、宮沢さんの文章、その間合いや独特の感覚ににしびれておりました。このような文章を繰り出す方は、ひごろ、どのような本を読んでおられるのだろう? かねて、うかがってみたいと思っており、このたび、依頼させていただいた次第だったのですが、正直申して、メールに書かれてありましたwebページ「富士日記」を拝見し、その期待がますますますます膨らみました! ユリイカでのチェーホフ論や、一冊の本での連載などハードな文章世界も拝見していたつもりでしたが、硬派なだけでは済まない、何か混沌とした凄みのようなものを感じました。どのような読書日記をいただけるか! 今から大変楽しみにしております。
 三〇代の方にも、五〇代の方にも、そして六〇代の方にも喜んでもらえると知って単純にうれしいが、最近、一〇代、二〇代にはあまり読んでもらっていないのではないか。というか、そうした層に読まれるメディアに書いていないのだった。まあ、僕がもうすでに四〇代だしね。「毎日中学生新聞」というのはいまでもあるだろうか。ああいったものにこそ書いてみたい。

■それはそれとして、チェーホフの戯曲を読む。というか、最近はもう仕事の読書が圧倒的に多く、「チェーホフを読む」の関係で、大塚英志の『「彼女たち」の連合赤軍事件』(文藝春秋社)、大澤真幸の『戦後の思想空間』(ちくま新書)を読む。『かもめ』について書くのになぜ「連合赤軍」か「戦後思想」かは、「ユリイカ」の掲載される原稿を読んでいただきたい。で、ちらちら、『マトリックス・完全分析』を読み、さらに『カラマーゾフの兄弟』をあいまに読みつつ、原稿の続きを書き、そのために演劇に関する本などいくつか資料として読むといったぐあいで、Nさんのメールにあったように混沌としているのだ。で、また原稿を少し。

(2:10 nov.7 2003)



Nov5. wed.  「原稿を次々と書く毎日」

■明け方、
Mac Powerの原稿を書き上げた。今回はほんとうにでたらめだ。Mac Powerなのに、Macについてほとんど書いてない。『Matrix』のことが中心という、どうなんだ。
■で、次は雑誌「ユリイカ」の、「チェーホフを読む」である。『桜の園』が前回で終わって次は、『かもめ』を読む。ほとんど外に出ないで原稿を書く日々になってしまった。韓国に行くまでにはというか、今週の金曜日までには書き上げる予定。あいまに『カラマーゾフの兄弟』を読むが、「馬」はことによると、ここか、という場面があったが、忘れるもんだね、読書ってやつは。しかも30年近く前だし。高校の時、政経の教師が『カラマーゾフの兄弟』を読んでいる僕を見つけ、「読んでるのか?」と驚いたように言ったのはなぜかよく覚えている。どこで、どんなシチュエーションでそう言われたか忘れたが、その政経の教師のことも忘れられない。ある夏の日の授業だった。うだるような暑さだった。教師はうんざりしたような顔で言った。
「僕も義務で授業をやるので、みんなも義理で聞いてください」
 いっぺんでこの人が好きになった。学校にはまったくいいい記憶がないが、唯一の救いはあの教師と、いつも重いリュックを背負って学校中を歩いて練習する山岳部だ。面白かった。わたしはギター部。どうなんでしょうか。

■毎日、「"■"リングス」に参加している人の日記はたいてい読んでいるが、T君の、
LOOKING TAKEDAのなかにある「津田沼ノート」に京都のことが少し書かれていた。その「裏」のこと、というのは、つまり、「被差別部落」のことだと思うが、それをもう少し奥まで踏み込むにはやはり「天皇」について考えなければいけないと思った。以前、「昭和天皇」が死んだときのことを書いた中上健次の文章を引用したが、この国の構造を天皇を頂点にしたツリー状とイメージするのではなく、天皇と、被差別民とが、ブックバインドのようにはさみこんでいる構造だと中上健次は書いた。
京都御所 ■経済学者の今村仁司さんの言葉にならえば、「排除される第三項」になるのだろうと思うが、京都にはそうした構造が如実にあらわれており、ほんとうは階級差や、闇や、暗がりのある社会のくせに、なにもありませんよとばかりにつるんとした表面をした東京とは異なり、あそこは、どこかごつごつした町だ。東京の中心に位置する皇居はロラン・バルトが言うように「空虚な中心」だが、だから京都の「御所」はちがう。夜、「御所」の近くを自転車で走って家に帰るときの怖さといったらない。「御所」の闇は深い。天皇は京都にもどったほうが幸福ではないか。
■そんなことを考えつつ、雑誌「ユリイカ」の「チェーホフを読む」を書く準備。『桜の園』のサブタイトルは「『桜の園』と不動産業者の普遍性」だったが、『かもめ』はこうなる。
『かもめ』に見る「女優」という生き方
 ご期待いただきたい。そういえば、ロラン・バルトについて調べようと
googleで検索したら、WWW哲学掲示板ガイドというのを見つけた。だからなんだという話だが。

(3:06 nov.6 2003)



Nov.4 tue.  「馬が出てこない」

Mac Powerの連載にイラストを描いてくださる宮本ジジさんからメールがあり、『ジジのかつおぶし』という自身のサイトを紹介してもらった。味のあるイラストと、手書きの文字だ。面白い。きのう、画像が見られないとメールをくれたのは、絵日記風コラム、下北沢スタジアムのO君だが、イラストにその人らしさってのは出るもので、しかし、宮本さんには会ったことがない。イラストを見てもどう想像したらいいか悩むというか、悩ませるイラストだ。
■あるいは『
MATRIX』について、Mさんという未知の方から『攻殻機動隊』からあの映画が受けた影響についても教えてもらったが、しばしばそれは人から指摘されたことで、たしか三坂からも、『アニマトリックス』は観ましたかというメールを以前もらった。そのあたりをどうも観る気にならんのはなぜだろう。とはいうものの、話題のアクションではなく、その背景にある世界観ともいうべきものを中心に私はいま、『MATRIX』に夢中である。
■いま失業中とメールをくれたのは、編集者のE君だ。どこかでまた面白い仕事をしてもらいたい。僕が「新潮」に書評を書いた『モンティ・パイソン・スピークス』も元はといえば、E君の企画だ。そのE君のメールにはさらに、「一日百間(ほんとは門構えに月)」を本にしましょうとあったが、残念、白水社のW君からじつは10年も前からこの企画は出されていたのだった。ただ、漠然とそれはあったが、「一日百間」というタイトルを思いついた途端、ぱーっといきなり具体化された。W君のメールにもそれは書かれていた。
 数日ぶりに富士日記を読んで、感激しました。「一日百間(ほんとは門構えに月)」の連載、ものすごく楽しみです。ぜひ、単行本にまとめましょう! 10年越しの、まさに待望の1冊です。個人的には。なんでしたら、白水社ホームページでの月イチ連載というのも、ご検討いただければ幸いです。
 ぜひやりたい。単行本も作りたい。それは楽しみだが、しかし考えてみると、タイトルの思いつきだけでほんとにできるかとなると、話はべつであり、一日に小説をひとつ読むのはともかく、それを原稿にすることが可能か、ただごとならないことを思いついてしまったと思う。
 そんな日、わたしは、「資本論を読む」と「一冊の本」の連載を書き上げた。だいたい「資本論を読む」だって実業之日本社のTさんと話をしているとき、「JN」という経済誌の連載だったものだから、うっかり「資本論」を読むのはどうかと思いつきで提案していまひどい目に遭っているというか、こんなに勉強になる連載があるだろうか。人間、思いつきで出発というのは大事である。ひとまずそこからはじめる。だんだん、それは大変であると気がつき大人の仕事になってゆくわけだが、だからこその成長だ。考えていてもなにもはじまらん。とにかくはじめる。
 で、「一日百間」は僕のサイトからはじめ少し様子を見、うまくいきそうなら単行本化に向けて大人の仕事にしよう。それがいいような気がするけれど、「チェーホフを読む」がもうせっぱつまった締め切りを与えられてはじめて書き出せたように、ぎりぎりのところに立たされないとだめなことも、もちろんあるのだった。

■「群像」に発表する予定の30枚の小説は手直しもほぼ終え、完成してしまった。青山さんとの対談のゲラがまだ届いていないというのに書けてしまったことに驚く。短編小説について少しわかってきた気がするものの、道はまだ遠い。で、なにを思ったか『カラマーゾフの兄弟』を再読。高校時代以来の再読。かすかな記憶では、誰かが荒野を馬で疾走しているはずだが、まだ馬が出てこない。おかしい。
■このあいだ、
en-taxiのTさんから『マトリックス・完全分析』を送ってもらったことは書いた。僕はまだ読んでいないが、それを読んだ人の感想がすごかった。
「ナノテクはおそろしい」
 それに続いて、「タバコの害なんてへみたいなものだよ」になるが、それがいったい、『
MATRIX』とどう関係するのかよくわからない。とにかく、「ナノテクはおそろしい」のだろうなあとしか言いようがないのだ。

(1:53 nov.5 2003)



Nov.3 mon.  「新宿のTSUTAYAでCDを三枚ほど」 ver.2

■えー、眠る直前にこれをアップしたらしいが、記憶が定かではなく、表題「新宿の〜」が「心中の」になっていたばかりか、下の画像のアップを忘れていたので見えないとのメール。見えないはずだよ、アップしてないんだから。てなわけで、訂正。こんな時間に。

一日百間(ほんとは門構えに月) ■突然だが、こういう連載を思いたったが、これはべつに、「一日駅長」とか、「一日消防署長」のように私が一日だけ、内田百間(ほんとは門構えに月)になるということではないのだった。毎日、百間の小説をひとつずつ読むという連載である。それで本サイトのトップページ
PAPERSも作り直そうと思ったのだった。しかし、連載の原稿もあるし、韓国に行かなくてはいけないしで、韓国から帰ってから心おきなく、心機一転、新しいページを作ろう。そこには、「富士日記」の冒頭を予告のように毎日、掲載し、そこからこのページまで飛べる仕組みにしようと思った。あと、「門構えに月」の文字がMacじゃ出てこないのをIlustratorでせっせと作っている自分がいじらしい。
■サイト活性化のためにやりたいことが多い。S君のサイトのように、スタイルシートでレイアウトする勉強をしようと思ったが、それもまた、韓国から帰ってゆっくり考えよう。とはいえ、私は作家であった。東京人の原稿を書く。「地図」についての話。「資本論を読む」「チェーホフを読む」「一冊の本」の連載を韓国に行くまでに書こうっていうか、書かないとまずい。韓国から送る手があるが、それはきっとできないにちがない。
■で、また小説を書く。少し手直し。決められた枚数より長くなってしまった。そんなところへ、小説を期待してくれるという新潟の学生、I君からメールを頂いた。以前、観たいと書いた井上紀州監督の『
LEFT ALONE』が学内で上映され、ゲストに井上監督、スガ秀実さんを迎えアフタートークのようなものがあったという。興味深いメールの内容。
 冒頭からして濃い映画で、モーニング娘。の『LOVE REVORUTION 21』に合わせてスガさんが踊り狂っていました。このあまりの激しさに寒くもないのに鳥肌が立ってしまうほどでした。これは、早稲田大学のサークルスペース移転に反対するために、レイブによって学生を煽っていたそうです。その後、柄谷さんや西部さん、津村さんとの対談は、話しの中身はもちろんですがなんだか対談の場所がものすごく印象的でした。柄谷さんとは、法政大学の学生会館の地下で話し、並んでエレベータに乗り込んでいきます。津村さんとの対談は、滋賀県にある一軒家にスガさんが訪ねていきます。
 上映後のトークでは、「運動は、おもしろくなくちゃ意味がない」と言っていました。学生から、早稲田大学のサークルスペース移転反対運動の政治的な意味を聞かれて、「別に酒のんで、騒ごうと思っていただけだよ」との答えには、モーニング娘。で踊り狂っていただけに妙に納得させられました。でも、井土監督なども言っていたのですが、石原都知事や小林よしのりさんに人気があつまるのは、今のニューレフトの人に比べて明らかにおもしろいことをやっているという意識が多くの人にあるからだと確かに感じます。スガさんは、笑いながら何度も、本来だったら左翼の方がカゲキでなくちゃいけないんだよと仰っていました。
 まったくだなあ。ただ小林よしのり程度で、わかった気になってるやつを見ると、単純に腹立たしい。もっと読むものがあるだろうと言いたい。三島を読め、保田與重郎を読め、北一輝を読め、サイードを読め、ドゥルース/ガタリを読め、って関係ないけど。『LEFT ALONE』は来年の一月、二月ぐらいに完全版の公開が予定されているらしい。ぜひ観に行こう。で、関係なくタランティーノの『KILL BILL』も観ようと思う。ともあれ、情報をありがとう。

■小玉和史さんの情報を「テキスト・リーディング・ワークショップ」に参加しているKさんからメール。
 3年ほど前に出されたスカタライツのトリュビュートアルバム『Ska Stock』というのがあるんですが、こだまさんが参加されています。これがかなりかっこいい。トリュビュートなのに小玉さんのオリジナル曲、というところが素敵です。スカパラのレーベルJUSTA RECORDから出ていて、スカパラはもちろんスティールパンの音が美しいLitte Tempoやエゴラッピンなども参加してます。なかなかオススメの一枚です。
 それは期待できそうだ。スカパラも小玉さんも大好きなミュージシャンたちだ。と考えつつ、原稿を書く。これから「資本論を読む」をてはじめに書きだそう。

(5:40 nov.4 2003)



Nov.2 sun.  「無為と修行の日」

■15年以上も前の話だからずいぶん古いが、そのころ舞台で使った音楽について、なにかの拍子で知りたくなり、
googleで調べ情報をたどってゆくようなことをする、いわば、無為な日である。
「Baby I Love You So」ジャケットけれど、興味深いことも発見した。それは「
COLOURBOX」というバンドの「Baby I Love You So」という曲だが、まず検索して見つけたのがこちらのページだった。オーガスタス・パブロが死んだのも知らなかったし、「オーガスタス・パブロ追悼集会」についてもまったく知らなかったが(音楽につてこのごろすっかり耳が遠のいている)、書かれたものをよむと、当日、様々なDJやミュージシャンが出演しそれぞれの選曲でオーガスタス・パブロの死を悼んだことのようだ。では、「Baby I Love You So」を誰が使ったかさらに本文を読むと、それが小玉和文さんだと知って驚く。あの12インチのシングルは日本に五枚くらいしかないと思うが(知らないけど)、それをやはり小玉さんが選んでいるので、なにか通じるものがあるのだと(僕の舞台『砂の楽園』に出てもらった)、奇妙な気分になる。
■さらに、「
COLOURBOX」の情報は、「4AD」というレーベルのサイトにあった。懐かしい。

■そしてまた修行。短編小説について考え、書き終えた小説を直したり、読んだことのある小説にあらためて目を通す。ほかのことをあまり考えられない。

(1:16 nov.3 2003)



Nov.1 sat.  「ダンスのことを考える」

■三軒茶屋のシアタートラムで、カンパニー・ラ・メゾンのダンス公演、『ネバーランド』を観る。
■とても演劇的なダンス作品だが、ダンスは、「作品」としてはなにをしてもいいような制約のなさを感じる。というのも、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』から想をえて作られた『ネバーランド』はそうした意味では物語性が強いが、かといって、その形式に縛られることなくイメージの集積によって作品が構成され、構造が生まれているとするなら、「劇」よりはるかに自由度が高いのではないか。むろん、「劇」にもそうした作品があるが、「劇(=ドラマ)」には、舞台作品として表出される以前に、「戯曲」というテキストがあって、文学の世界では「小説」よりずっと制約があり、明確に示された「作劇の法則」、あるいは、「ドラマツルギー」が問われる領域だ。(むろん、そうしたテキスト中心主義に対抗する演劇もある。たとえば寺山修司)
■だからあらためて問いたいのは、基本的な、ダンスそのもの、動きや、からだとはべつに、ダンスは「作品」としてどうあろうとするものなのか。『ネバーランド』で興味深かったのは、その言葉が示すように大人になろうとしない者の「子ども性」とは裏腹な、暗さや陰りを内包していたことだ。子どもっぽさでは、ドゥクフレに似たものを感じつつも、天性の明るさのようなものをドゥクフレが作品に感じさせるのとは異なる感触があり、それは子どもの二面性の裏にある残酷さが「作品」に流れているからだろう。だが、そうして「作品」と書くと、それはダンスを観るのとは異なった印象を言葉にしている気になる。いわば、「テクスト解釈的な感想」とでもいうべき、そういった、あれなもの。

■とはいえ、ダンスもまた面白かった。二人で対になって踊るとき、この動きと、この動きと、こういう動きの連続と、と分解して見ているうち、これは面白い、このダンスの方法なら俺も振り付けがしてみたくなるといった無謀なことを考えてしまったわけだが、そのことと、作品は、どうつながってゆくか。
■小説なら「文体」、映画なら「映像」、あるいは、演劇なら「俳優」のようにして、「ダンス」は「作品」と関わってくるのかといったことを考えながら一時間十五分ほどの作品を見ていた。最近のダンスの多くは映像を作品中に多用する。そこには映像を作る技術的な条件が整ったという理由があるとはいえ(演劇も同様)、「作品」におけるイメージの創出にあたって、その意味性が高くなってしまうのなら、すると見えてくるのは、ダンスがダンスとして表現されるのではなく、「作品」に奉仕するかのようにダンスが存在してしまう全体像だ。
■これをどう考えればいいのだろう。そういえば、バレエには物語性の強いものがあるな。たとえば「白鳥の湖」とか。あれは物語を踊りによって表現する。だとしたら、ダンスによる「作品」はべつに新しい問題ではないということになるわけで、こうして考えているのもばかばかしいが、バレエにおけるテキストはどういったことになっているか知りたくなるのだし、バレエから、コンテンポラリーダンスにいたるまでの、西洋舞踊界における「作品」の意味の変遷といったことをもっと学びたくなる。つまり歴史的に考えなければいけないという意味で。

■で、なんでそんなことを思ったかですけどね、まあ、結局、「短編小説」についてずっと考えていたからダンスを見ても、そこにつながってしまうのだった。えーと、なんだっけ、短編小説を書くことのなにがそうさせていたかだ。つまり「小説」というジャンルは文学のなかで、「詩」や「戯曲」より、ずっと新しい形式として出現し、そしてなにをどんなふうに書いてもいい文学の一ジャンルだ。それで、「作品の自由さ」について考えていたのだな。ダンスを観てもそのことに意識が向く。「なにをどんなふうに書いてもいい」とはいえ、やはりいい作品と、だめな作品があって、だめなものは、やっぱりだめだ。
■だからってなあ、「いいものを書くぞお」とがんばるようなものじゃないだろう、なんでも、そうだけど、作るってことはね。しかも、そんなに器用ではないわたしに、そもそも、そんなことができるわけがない。
■そんなことをしているうちに、小説はほぼ書き終えてしまった。うーん、どうなんだろうと思いつつ、締め切りは十二月の初頭だから、まだ一ヶ月手を入れる時間がある。そのあいだにもっと考えよう。好きな短編小説をまた読み返してみよう。たとえば、ポール・ボウルズの「遠い木霊」はなぜあの奇妙な話が面白いのか。あるいは、『千年の愉楽』(中上健次)という連作短編のうち、「カンナカムイの翼」にどうしてあんなに興奮したのか。いや、もっと無数にあったはずだ。ゴーゴリの「外套」とか、カフカの作品群。チェーホフの小説、ボルヘス、ドストエフスキー……。考えていたらきりがない。

(6:45 nov.2 2003)