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■悪いことは重なるもので、金曜日(27日)、朝、学校にゆこうとホテルを出ると、駐輪場に停めてあった自転車のサドルが盗まれているのに気がつきいきなりテンションが下がった。といっても京都用の安いマウンテンバイクだからまだいいものの、学校にゆくのにしょうがないからタクシーを拾いひどくむだなことをしたと思っていやな気分になる。で、話は飛ぶがその夜、東京に戻るとiBookがHDDから起動できなくなっていた。クラッシュしているらしい。PowerMacG4に続いて二台目。悪いことは重なる。
■それはそれとして、金曜日の午前中は授業内における『アイスクリームマン』の稽古。やっぱり、スタッフも兼ねている学生(ほとんど全員がそうだが)は芝居に集中できない印象。むつかしいところ。なんでもやりたい年頃なのであった。しかも、ほかの授業もあり、自主公演もあり、学生たちは忙しい。僕は学生のころ映画館にばかり行っていたから学校にこんなにいなかった気がする。映画館が学校だった。どちらがいいかよくわからない。両立できたらいいが、そうはうまくいかないものだ。
■稽古はちょっとずつ進む。とにかく、せりふをしっかり覚え、その部分、せりふの覚えだけは自信をもってできるようになればと、見ているこちらが気がせく。べつに教員の僕のために発表公演をするわけではなく、自分たちのだめだ。授業に来なかったからと僕にあやまってもしょうがない。むしろ、まわりの学生にあやまったらどうか。
■金曜の夜から土曜の未明にかけて借りていたビデオを三本観る。で、土曜、朝から秋葉原にゆきiBookのメモリと、ノートンユーティリティを買った。ノートンでiBookの復旧作業。見事に復旧。日曜日(29日)から、発表公演の楽日(12日)、いや、もしかしたらそれ以上、京都でのホテル生活なので復旧してほんとに助かった。京都での通信生活ができなくなるところだった。
■そういえば京都から帰る新幹線のなかで、めったに読まない種類の作家の小説を読んだ。それはそれで「小説作法」とでもいうべきものを教えられる。もっと読まなくてはいけない。死にものぐるいで読むべきだ。小説を読む人より圧倒的に「書きたい人」が多い世の中だから、読んでいる人はそれだけでも貴重だ、っていうか、それが本来、書き手の仕事だろう。「小説を読んだから小説を書く」といった意味のことを故・後藤明生さんはどこかに書かれていた。それがどうも、そうではないという奇妙な状況。
■四回生の学生たちは進路問題を話題にすることが多くなった。「進路」かあ、これほど、アドバイスができない問題はない。なにしろ「進路」を考えた記憶がないのだった。なんとなくなってしまったのであって、たいていの表現者はなりゆきで、いまの場所にいるのではないだろうか。「なろうとした」のではなく、「なっていた」ということ。さらにいえば表現者とは「なろうとする」のではなく、「なってしまう」ということか。「まあ、なんとかなるから心配するな」と無責任にアドバイス。
■すでに自分たちの集団を作っている舞台四回生のK君は「なってしまう」のではないだろうか。そのK君とたまたま会ったので少し話をしているうち、「いつかきみたちの集団とコラボレーションしないか」と提案。不意の思いつきである。思いついたらなにかビジョンがどんどんふくらむ。むつかしいことは承知だが、でも、むつかしくても新しいことに挑戦できるかもしれないと、そのことの面白さが優先してしまうのである。K君も乗り気だった。いつかきっとそれはやってみたい。
■来週から、いよいよ本格的な発表公演体制だ。またきっと痩せる。でも七月。一年でいちばん好きな季節だ。祇園祭もあるしな。忙しいなかでもぜったい小説は読もう。もちろんチェーホフも。
(1:57 jun.29 2003)
■朝九時から一日授業のある日である。夕方からはさらに発表公演『アイスクリームマン』の稽古。
■一年生の授業は「テキストを読む」。これまでにもこの課題をやると様々なテキストが読まれたが、きょう特徴的だったのは、村上春樹と町田康を読んだ学生がいたことだ。あ、村上春樹はいたかな、かつても。町田康を読んだ学生が二人いて、なにが起こっているのかと思った。まあ、さすがにいまだかつて中上健次はいないし、大江健三郎もいない。さすがに漱石はいるわけですね。ほかに彼らがよく読んでいるだろうと思われるコミックがないのは不思議で、こういう課題だからとかまえているのかもしれない。で、いきなりジャンプし、お菓子とか清涼飲料水の成分表示を読む者はいる。課題としてはなにを読んでもかまわなく、ただ「読み方」と「声」を聞きたいのだ。
■ところで、自分で書くのもなんだが、わたしは「ナレーション当て名人」と呼ばれている。ドキュメンタリーなどを見、声だけでナレーションが誰か当てる名人である。自分で書くとまったく説得力がないが、これは一度、人に披露したい。このあいだはテレビを見ていて、声だけで、役所広司を当てた。しかしこれには伏線があって青山真治監督の映画『ユリイカ』のことを考えていたとき、テレビからドキュメンタリーのナレーションが聞こえ声だけですぐに映画に主演していた役所広司がぱっと出現したのだ。ほんと自分で書くと説得力がないものの「耳」には自信がある。学生たちがテキストを読む声にじっと耳をすます。声だけで、様々なことを教えてくれる。
■『アイスクリームマン』は全体が四場で構成されており、一場でもいいから通して稽古をしどこまで芝居ができているか、世界が形作られているか見たかった。なかなか学生が集まらず通しての稽古ができなかったのだ。きょうはようやく、一場と二場を通すことができた。せりふが出てこない学生がいたものの、そんな些末なことではなく、全体として、空間に漂う空気のようなもの、劇の世界の形成は、少しできつつあるとわかった。するときのう書いたことに反するがもっともっとよくしたくなる。クオリティを上げなければいけないが、ようやく形は見えてきたかなという感じだ。基盤ができたら、次の段階へ。もう三段階ぐらいあげたいが、いけるかどうか。
■そこまでいけたらいいな。学生たちの奮起に期待したい。あるいは突然よくなる学生、いきなり成長する学生の姿が見たい。この授業における発表は「芝居をする」ということだけが課題ではなく、スタッフワークを学ぶことにも大きな意味があって、照明、音響をはじめ、舞台監督、美術など、まるで未経験の者らがひとつの舞台を通してスキルを身につける。あと「共同作業」のめんどくささを学ぶことでもあるかな。誰かいなかったら作業は前に進まないし、一人でも欠けたら舞台はできないとか、そういった「ものを作ること」のごく基本的なこと。そして、それぞれの分野に専門の教員がいて教えてもらえるし、あるいは、上の学年の者らが協力してくれるという贅沢な環境だ。
■時間はほんとに足りないが、そのなかでよりクオリティの高いものを作ることが授業としてはいちばん意味のあることだろう。
■ホテルに戻ったらものすごく眠くてベッドに入る。変な時間に目が覚めてしまった。それでこのノートを書いている。あしたのために眠らなくては。また稽古。どこまで進められるか。
(5:00 jun.27 2003)
■このノートが書けないのだ。時間がない。
■桜井君からもらったメールなど「村上隆問題」をじっくり書きたいがそれもできず、なにより学校の発表公演の稽古がぜんぜん進まないことにあせりを感じつつ、雑誌「ユリイカ」のYさんからは「チェーホフを読む」の原稿の催促。なんども締め切りを設定してはそのたび書かないのでいよいよ申し訳ない。というか、「チェーホフを読む」は、戯曲、小説と同じくらいの位置でいまの私にとって大事な仕事だと思っているので適当にちゃっちゃと書きたくないし、書けないプレッシャーがあるのだった。
■そんなとき未知の方からメール。ある情報だ。
東京地方では日本テレビにて26日木曜日23時29分より放送予定のNNN「きょうの出来事」その特集が村上隆氏をめぐるものだとのこと。
これ見たいものの、私はまだ京都。でもあのニュースは全国ネットではなかったか。ただ関西では驚くべきローカルなテレビ番組をやっていることがあり油断がならぬ。阪神の試合をゴールデンの時間帯で巨人戦ならともかくヤクルト戦とかやっていたりする。しかしこのところ学校の稽古が忙しく帰ってくるともう10時過ぎなのでテレビを見る気にもならないほど疲れている。ノートも書けない。ホテルではただ眠るだけ。
■朝、一年生の授業。午後ホテルに戻って仮眠。夜稽古。本を読む暇もない。稽古が進まない。去年はなぜか調子よく進んだ気がする。だってまだせりふの入っていない者もいる。もともと不器用なのはべつに気にならないし、そうした人にごく基本的な芝居の仕方を教えそれでふっと出来るようになる瞬間は楽しいのだが、それには時間が必要なのであった。時間がない。時間がない。しかもなかでもかなり不器用で芝居の出来ない学生が武道の大会に参加して腕の骨を折ったというし、稽古にも来ない。手術でくっついたその腕をもう一回へし折ってやろうかと思った。
■で、問題なのは、そうした状況に対して、わたし自身が、まあ、いいかという気になっていることである。まあ、こんなもんで、とかいった、いままでの僕だったらありえない意識になっているのがまずい。だめならだめでいいかと、どこかあきらめぎみなのがいけない。
■一昨年、はじめてやった二年生の発表公演のときは死にものぐるいだった。なんとかしようと死にものぐるいで稽古していたが、あとである教員からねぎらいではなく、「余裕がないんだから」と言われたときからわたしは「だったらいいか」という気分になったのだった。後期の松田正隆さんはすごく稽古し熱心だという。頭がさがる。以前も書いたがそうした教員ほど報われない大学。研究費を使うと経理の書類を出せとうるさく言ってくる大学。そういうことにまめな人間が芝居を作れるわけがないじゃないか。俺だけかもしれないけれど。
■とにかく稽古だ。ぎりぎりまで粘ろう。なんとかしよう。でも、やっぱりわたしは、まあ、「余裕がないんだから」と言われるくらいだったら、だめでもいいかと少しそんな気分になっているのであった。
(8:15 jun.26 2003)
■ふだんは金曜日に帰ってくるがもう一泊して土曜日は学生の自主公演を見た。
■毎日新聞の連載は書けぬまま、夕方になってようやく京都をあとにした。ちょうどいい「のぞみ」がなかったので久しぶりに「ひかり」に乗るとそもそも走行音が静かなのだと感じたし、研究室のKさんからいただいたメールに「のぞみ」は電磁波の数値がすごいとあった。やはり「のぞみ」にはどこかからだをゆがませるなにかがあるのかもしれない。「のぞみ」が運行を開始してから日本は不況にあえぎだした。これは偶然ではなく、どこかでつながっているにちがいない。で、ふと感じたのは、かつて新幹線ではしばしば椅子を回転させ向かい合って乗る家族連れや友だち同士を見たが、いま目にするのはビジネスなマンばかりである。どうなっているんだこれは。誰も椅子を回さない。たまには知らない者同士、椅子を回して向かいあって座ったらどうだ。わたしはぜったいしたくはないが。
■それはそれとして、一週間、授業のほか、放課後の稽古など忙しかったが、三回生の松倉とまたゆっくり話ができてよかった。話している途中、レンタルCDを借りたと言って話してくれたのは松任谷由実、洋楽を歌うことが多い松倉だったのでそのセレクトに驚いていると不意に、「ひこうき雲」のさびの部分を歌い出した。そのとき、わたくしは、なにか、とても幸福な瞬間に出会った気分になったのです。
■ほかにも、学生のMとUのやった別役作品の上演を観るなど、やけに充実した日々だった。あと、学生の一人が学外で舞台をやっておりいまその稽古をしている話は以前から知っていたが、その舞台に、かつて僕の演出助手をやっていた宮森が出るというので驚いた。人生さまざまだ。
■さて、書くと予告したことはいろいろあったが、驚かされることが次々とあらわれ、日本代表はコロンビアに負けるし、天皇制を当面のところ廃棄しないと宣言する左翼党派があらわれたり、Bフレッツはたいして速くないと思っていたら、WindowsXPが動いているマシンはものすごく高速だと気づいたのも驚きである。回線の速度を測定するサイトは様々ある。試しに測定したところ、iBookで17Mbps程度だったところをいきなり、56Mbpsというとんでもない数字を叩き出したのだった。BフレッツにはWindowsXPだった。というか、WindowsXPはそのために開発されたんじゃないかとすら思えたのだった。
■56Mbpsは驚くべき速度だ。サイトを移動するのに雑誌のページをめくるような気分である。と、まあ、どうでもいいことにうつつをぬかしているあいだ、原稿も書かずになにをしているのだ。
■あと、デスクトップのPowerMacG4ではBフレッツの速度がどの程度か調べようとして久しぶりに起動しようとしたらなぜかHDDが初期化されていた。データがなにもなくなっているのだった。なにごとだこれは。このあいだ自作機にWindowsXPをインストールしようとして失敗し、そのHDDが自作機ではフォーマットできなくて苦肉の策としてMacでフォーマットしたがそのときなにかまちがいをしてしまったのだろうか。謎である。貴重なデータが入っていたような気がする。しかし、最近、使ってなかったし、あと二台のMacの古いデスクトップにほとんどデータは残っているからいいものの、ただ、あれだ、オンラインで買ったソフトが消えてしまった。しょうがない。
■ほんとうにどうでもいいことで日々が過ぎてゆく。むろん仕事はどうでもいいことではないので、朝、毎日新聞の原稿を書き上げてメールで送る。午後にはゲラが届いた。で、こんどは実業之日本社のTさんからメールがあり「資本論を読む」の締め切りが間近だという。もう来たのか。週末は連載を書くというパターンができつつあって、いやだなあ、パターンで生きるのは。夕方、鍼治療。からだのメンテナンス。思いっきり鍼を打たれた。深夜、思うところあって、書きかけの小説を読み直す。もちろん「舞台」が僕の基本だが、小説のことをゆっくり考える時間を作ろうと思うが、ほっといてもできるわけではなく、「作る意志」がないとだめなのだと、つくづく。
■「村上隆問題」はまた後日。
■日曜日に制作の永井が来て、ある方から舞台をやらないかという打診があったとの伝言。声をかけてもらったことがとてもうれしい。
(3:32 jun.24 2003)
■京都大学で青山真治さん、大澤真幸さんとのシンポジウムである。
■午後一時に、青山さん、コーディネイトをしてくれた京大のS君と京大前にある進々堂というカフェで落ち合い時間が来るまで小説のこと映画のことなど話す。面白かった。初対面の人と話をするのは苦手だが青山さんとはすっと会話に入ってゆけて助かった。というか、このシンポジュウムにあたって青山さんの作品をあらためて、小説、映画を再読、再見してから僕は会話にのぞんだが、おそらく青山さんは僕の作品を一切読んでいないだろう。どうして俺、こう律儀なのかとあきれた気分になる。まあ、いいけど。三時からシンポジウム開始。
■まあ、話は面白かったが、ひとつとてつもなく驚いたことがあったのだった。シンポジウム中、客席でずっとビデオカメラを回している大柄の女性がいて、ひときわ目立っていたのだった。シンポジュウム終了後、大澤さんの研究室に行くとカメラを回していた女性がやってきて、あいさつの言葉をかけてくれた。で、驚きましたね、それが男の声である。私は一瞬、かたまった。まったく気がつかなかったが男性だったのだった。黒の薄い上着、黒のタイトなスカート、黒のストキング。化粧。見た目にはまったく女性にしか見えない。声を聞くまで気がつかず、その後打ち上げで話をしたが、自分を語るとき「僕」とか「俺」というのがまた不思議だ。まあ、そういうことに私は偏見がまったくないのですんなり受け止められたというか、むしろ興味を強くいだいたが、そうだと知った瞬間の、驚きといったらなかった。京大の大学院の学生だと言うが、名前を失念。ほんとにねえ、ああた、女性にしか見えませんよ、これがまったく。名前を失念したのは申し訳なかった。メールでもしてもらえればと思った。こんど大学の授業を見学したいと言っており、それはかまわないが、いったい学生たちに「彼」をどう紹介したらいいか悩むのである。
■見学しているとき、ずっと黙っていてもらい、しばらくして自己紹介してもらおう。その時、声が男であると知ったときの、うちの学生の反応が楽しみだ。驚くだろうなあ、みんな。
■打ち上げであまり青山さんと話ができなかったのは残念だった。青山さんは背も高くからだもがっちりしており、いかにも映画監督らしいタフなものを感じた。ただ、映画について語るとき、あるいは文学について語るとき、批評家的だと思った。テクスト解釈的な視線で作品を見つめておりそれが刺激的だ。僕はどちらかというと方法論的、あるいは、技法的、構造的なところからアプローチするタイプだ。いま僕は自分の作品に対するアプローチの仕方を変えようと考えていたので青山さんの話がとても興味深かった。ただ進々堂で話しているときはリラックスしているように話してくれたがシンポジウムになるととたんに、「シンポジウムの青山真治」になるのも面白かったのであるが。
■で、まあ、楽しかった一日だったが、原稿の締め切りがやっぱりまだあるのだ。「毎日新聞」の連載。きょう締め切り。だめだ、書けなかった。週末東京に帰ると原稿を書くという日々のサイクル。さすがに疲れてきた。大学の発表公演のための稽古も佳境。シンポジウムの前も午前中授業で稽古だった。うーん、こんなことでいいのでしょうか。青山さんの作品、小説から受ける刺激から、書かねば、小説を書かねばと、すごく思う。いや、書くよ、おれは、断固、書く。
■桜井圭介君から「村上隆問題」についてメールをもらった。その紹介は長くなるのでまたあしたにしよう。とても面白い問題提起。ほかにもたくさんメールをもらっている。このノートも書かなくてはいけない。
(5:47 jun.21 2003)
■光陰矢のごとし。ワールドカップからもう一年が過ぎている。
■ワールドカップで韓国に負けたイタリアが、韓国代表で決勝のゴールを決めたアン・ジョンファンを「セリエAから追い出せ」だの「二流選手」だのと罵っていたのを聞いて、ばかだよイタリア人、なにを子供じみたことを言うと笑ったが、しばらく前の日韓戦を見ていたらイタリア人の気持ちもわからないではないと思った。アンはいま清水エスパルスに所属している。どう見ても韓国代表のときのほうがからだがきれており、むしろ、手を抜いてたんじゃないのかエスパルスでは。そう考えていたらだんだん腹立たしい気分になってイタリア人の気持ちになってきたというか、エスパルスじゃ簡単なシュートもはずしていたじゃないか、あれはなんだ、ばかやろうと、イタリア人になってしまった。
■そんでもってアルゼンチン戦は大敗。パラグアイ戦は引き分け。
■まあ、それはともかく、先々週の金曜日から怠けていると前回書いたとおり、「Bフレッツ開通問題」や「村上隆問題」、さらに演劇の批評を書いているMさんからいただいたメールのこと、あるいは渋谷をクルマで走って気がついた「渋谷の子ども化について」など、書くべきことは山ほどある。ひとまず、「東京」と「からだ」、「都市」と「Bフレッツ」、そして「村上隆現象」などについて書けるところまで書いておこう。
■Bフレッツの申し込みから四ヶ月、新聞の連載に名前こそ出さなかったがNTT−MEの悪口さえ書いてしまった開通だが、それにも関わらずぜんぜん速くない。ふつうに速いだけじゃないか。ボトルネックがなにかよくわからない。もちろん幾台かのコンピュータのうちLANが10Mbpsにしか対応していないカードが刺さっているマシンが遅いのはわかるがほかの新しい機種でもBフレッツの100Mbpsにはほど遠い。初台周辺は「光」の環境が整っているという話は噂だけだったのだろうか。あるいはこの周辺にBフレッツの回線を使用している企業が集中しビジーになっているとでもいうのか。
■これからぼちぼち研究してゆこう。開通してからようやくBフレッツ関連のサイトをいくつも発見した。事前に研究を進めるべきであった。
■しかし学生と話をしていると、「コンピュータ世代」と「携帯世代」とは異なるのではないかと感じ、こうしてBフレッツで悩む自分のおろかさはなにごとかと思う。学生が「コンピュータの時代の人だから」と口にし、ああ、それはそうかもしれず、コンピュータなんかなくても携帯電話で彼らは日常的にはこと足りている。どこでも持ち歩ける最強のモバイル「携帯電話」のすごさ。 逆に言えば携帯がなければ生活の基本がなくなってしまうほどの勢いだ。二年生中心のクラスでやっている発表公演のための『アイスクリームマン』の稽古では、稽古に来ない学生に連絡を入れ、いまどこにいるか確認してどこを稽古すればいいか考える。10年前だったら考えられないことだ。稽古のスタイルさえ一変させるし人をつなぐ装置としてコミュニケーションの姿にも変化を与える。それがあたりまえになってゆく。はじめて電話が登場したとき世の中にどんな変化がもたらされたのか残された記録はないのだろうか。あと『アイスクリームマン』は携帯電話がほとんど普及していなかった時代のドラマだ。
■さて、「村上隆問題」である。Sさんという方からメールをもらった。
村上隆の作品はオタク、サブカル系のイメージから影響を受けているのですが、そのまま取り入れたわけではなく、「グロテスクなまでに強調し、解体し、変形することで作られて」います。それだからこそ現代美術の作品たりえていると思うのですが、オタク層からの評価は高くないようです。
まず、日記の中にあった「かわいらしさ」というのが、もともとオタク、サブカル系のイメージの中にあったものなのか、それとも村上隆の「強調・解体・変形」の過程で付け加わったものなのかを考えなければいけないと思いますが、ぼくは前者のような気がします。村上隆の作品で独特なのはむしろ「グロテスクな気持ち悪さ」ではないでしょうか。まあ、その気持ち悪さがあるから「かわいらしさ」がひきたつということもいえますけど。
それが正しいとすると、現代美術というカテゴリーではなく、オタク、サブカル系のカテゴリーで「かわいらしさ」を考えなくてはいけないとおもうんですが、その中では逆に「かわいらしさ」がありふれすぎていて発散してしまうような気もします…。
まったくこの通りだと思った。で、まず考えなくてはいけないのは、「村上隆作品」と、「村上隆的現象」をわけるべきかどうか。後者の「現象」が私には気持ちが悪かったのだが、村上隆自身は、「作品」とはべつに、「現象」もまた、「作品」の一部と考えているのではないか。「グロテスクなまでに強調し、解体し、変形することで作られて」というのはある意味、オタク系サブカルチャーを「冗談として作品化する行為」があるが、現象すらも「グロテスクなまでに強調し、解体し、変形する」意志が感じられ、エルメス、だっけ、なにかのブランドに村上作品が取り入れられることは「ブランドとそれに群がる女たち」という「現象」を「グロテスクなまでに強調し、解体し、変形する」作品化だろう。つまり村上隆は意図的にグロテスクな現在を表現してみせる。六本木ヒルズのメインキャラクターに村上作品が採用されたのも同様の意味がある。
いわば、岡本太郎の言った、「なんだこれは」だ。
ではそれを現代美術の形態のひとつとして認めたとすればウォーホルやリキテンシュタインら六〇年代のポップアートとなにがどう異なるか。差異をそこに求めるなら村上隆が力点を置く場所が問われ、それはおそらく「オタク系サブカルチャー」にある。「オタク系サブカルチャー」の特異性こそがまさに「現在」になり世界的に評価される意味であると同時にこれこそが「いまの日本」を象徴する姿として現出するのだろう。Sさんが書いた「グロテスクな気持ち悪さ」は、「オタク系サブカルチャー」にそもそも存在する特異性ではないか。そこがあの「かわいらしさ」が放つある意味での力だ。村上隆はそこに着目した。
むしろ「オタク系サブカルチャー」の持つ「グロテスクな気持ち悪さ」を通じてあらゆるものを見ることが村上隆の世界観となり、「現象」を含めた作品の全体像に通じるのだとしたらその世界観を面白いと感じるかどうかが問題になる。作品そのものを評価するのではなく、この世界観と、批評する視線、村上隆の行為そのものを作品として面白がれるか、面白がれないか、そこに評価を分岐するポイントがある。あるいは、「変形」や「強調」に、いま「現代美術」として、あるいは「芸術」として強度を感じられるか。演劇や文学にも通じる問題であり、そこをどう考えてゆくべきかはこれからなにかするとき、避けて通れない場所だと思った。いまこそ。
■そんなことを考えている数日間でしたが、ほかにも予告していた演劇批評をなさっているMさんのメールは、やはり僕が書いたNHKのダンスの番組を見、西洋人と東洋人を比較して考える「身体問題」だ。考えるのがかなりむつかしい。いま検討中である。あと、人に会ったり、授業をしたりで、へとへとの日々は続くが、しかも京都から東京へ戻ればきまって原稿の催促があるのはどういうことだ。
■「一冊の本」の連載を書く。担当のOさんから、青山真治の小説の文体は中上健次に影響されているけれど、中上健次が影響されていたはずのフォークナーを読んでいる気持ちになるとここに僕が書いたことに「同感だ」とメールがあった。さらにタコシェの中山さんから、青山真治が、中上健次と同時に、間章という批評家にも影響されていると教えてもらった。その件についてはここのページに詳しい。どうやら、中上健次に関するドキュメンタリー『路地へ』につづき、間章のドキュメンタリーも作ったらしい。楽しみだ。
■大学の発表公演のことで日々は過ぎてゆくものの、むつかしいと思っていた作品だが稽古すれば形になってゆくからほんとうに不思議だ。稽古は不思議。できるかこれ、この学生たちでこの世界を形象できるだろうかと不安がなかったわけではないが、だんだんできてゆく。もう初日まで一ヶ月を切ったな。きびしい条件のなかでそれでもいまできる最高のものを作らなければいけない。というか、これは僕にとっても勉強だ。他人の戯曲を演出する機会はあまりなく、さらに岩松さんの作品を分析し研究するつもりで演出しているのであった。こんなにためになることがほかにあるだろうか。だから、突飛な演出で岩松作品をどうこうしようという気持ちはさらさらなく、むしろ、演出しつつ戯曲を熟読するような作業だ。先週の木曜日は、朝から、授業(一回生)→授業(稽古)→学科会議→稽古と、13時間学校にいた。長かった一日。
(4:05 jun.16 2003)
Jun.14 sat. 「青山真治さんと参加するシンポジュウムについてなど」 |
■先々週の金曜日から書き込みが止まってしまった。でもって金曜日に東京にまた戻る。「一冊の本」の締め切りが待っていた。
■まあ、それはともかく、先々週金曜日(6月6日)から怠けていたので書くことが大量にあるのだった。なにしろ光ファイバー、Bフレッツが開通したのである。で、まあ、それも大事だが、「村上隆問題」、さらに演劇の批評を書いているMさんからいただいたメールのこと、あるいは渋谷をクルマで走って気がついた「渋谷の子ども化について」など、問題は山積しているのであった。渋谷、もうだめだよ。町が小汚くなっていて、以前は新宿と比べるとある種のステータスが存在したがどんどんだめになっている。東急文化村の近くに「ドンキホーテ」もできておりいよいよ新宿化している。それを歓迎するむきもあるだろう。いや、もちろん、新宿はそれでいいのであって、新宿から猥雑さがなくなったら新宿ではなくなってしまうが、渋谷はそれとは異なる町であってほしかったのだ。では六本木ヒルズがいいのかといったらそうとはけっして言えず、さらに、青山のいつもの髪を坊主にしてくれる店に行ったらその近くにすごく奇妙な建築がオープンしておりプラダのショップだと知った話など、とりあえず、「東京」と「からだ」、「都市」と「Bフレッツ」などについてあれこれ考えていることをまとめて書こうと思うが時間がない。
■ひとまず取り急ぎ、青山真治さんと出席する京都大学で開講されるシンポジュウムのお知らせだけはアップしておこう。
●ワークショップ「身体・文学・映画」のお知らせ
日時:2003年6月20日(金) 15:00〜17:00
場所:京都大学総合人間学部1号館 1B05教室
ゲスト: 青山真治(映画監督・作家)
宮沢章夫(劇作家・演出家)
司会・進行:
大澤真幸・京都大学大学院人間・環境学研究科助教授
問い合わせ先:075-753-6851(大澤研究室)
来ることが可能な方はできるだけ参加しよう。きっと面白い話になるはずである。映画のことはもちろんですが、文学のことも青山さんと話をしたい。
■というわけで「村上隆問題」「渋谷だめだめ問題「Bフレッツ問題」「いまごろになってお台場に行ってしまった問題」は後日。とにかく、いまものすごく忙しい。というか疲れている。やけに疲れてくたくたなのであった。ノートを書く気力がわかないのだ。すまん。もう少し待て。
(16:34 jun.15 2003)
Jun.6 fri. 「恒例、週末の夜はクルマで東京を走る」 |
■またたくまに金曜日になったのである。
■火曜日(3日)に京都着。北大路通りの近く、高野橋東詰というバス停の近くにあるいつものホテル。
■水曜日(4日)、午前中、授業。新しいクラスの一年生の授業がはじまった。午後、二日目からべつのホテルにチェックイン。三条河原町にあるホテル。部屋に入ってすぐに原稿を書きはじめる。「資本論を読む」。眠かったが必死になって書く。その途中、空腹だったので外に出ると河原町三条は食べ物屋に事欠かない。ぶらぶらあたりを歩きブックファーストで本を幾冊か買う。六曜社という喫茶店でコーヒーを飲みながら青山真治さんの『ユリイカ』を読む。そうだとは思っていたがやっぱり同名の映画の小説版だった。それからまたホテルに戻って原稿の続き。なんとか書き上げる。
■木曜日(5日)。午前中、きのうに引きつづき一年生の授業。つまり4月から映像舞台芸術学科の一年生を四つのグループに分け、夏までの前期を二つの時期、二つづつのグループがそれぞれ受講する。先週まではBクラスとDクラスだったが、きのうがAクラス、きょうがCクラスだ。で、このAとCが女の子がやたら多い。男が珍しいくらいだ。午後、舞台表現の授業。『アイスクリームマン』の稽古。夜、九時までstudio21を押さえているというので、途中、食事休憩などはさみつつ九時少し前まで稽古。少しずつ止めながら稽古した。前回まではとにかく読むことを課題にしていたのではじめて稽古らしい稽古になった。で、学生も僕も覚悟を決め、「キスをする場面」をやってみた。形でやろうとすると失敗すると知った。それはなんでも同じことなのだろうが、形でやるなと演出するのをこんなに躊躇するのも、こういう場面ならではだろう。まだキスだからいい。もっと過激な場面だったらいかがなものかと思った。だからって躊躇しちゃいられないだろう。わりと細かく稽古し発見することも多かった。一人一人の人物のドラマが出現してきた。5番の市バスに乗ってホテルに戻る。京阪三条というバス停で降り、そこからホテルまで歩く。夜、三条大橋から見る鴨川が好きなのだった。しばらく遠くの灯りを見ていた。ホテルに戻りメールのチェックなどしているうちにもう眠くなる。本を読んでいるうち眠ってしまった。
■で、またたくまの金曜日。
■きのうに引きつづき『アイスクリームマン』の稽古を午前中し、午後、約束していた松倉と学校の近くにあるカフェで話をする。松倉に教えてもらって初めて来たカフェ「A WOMB」はとてもよかった。天井が高くゆったりとしたソファ。広々として居心地がとてもいいし、京都のカフェらしく客がほとんどいない。ただ禁煙なのが問題だ。いろいろ話す。夏休みにでも東京に来て渋谷あたりの路上で歌えとすすめる。このあいだのライブ『ヴァティストに恋して』のできがよくなかったからか、歌うことを躊躇しているみたいなのでもうこうなったら強引に歌わせてやろう思った。ひっぱたいてでも自信を持たせたいと思ったのだ。誰か、ギターが引ける人を探そう。誰かが見ていてくれるかもしれない。誰かが松倉の歌に興味を持ってくれるかもしれない。どこか、まだ、知らない、見えないほど遠くにいる、きっといるだろう誰かに出会うために歌わせたいと思ったのだ。
■帰りの新幹線、デッキで携帯電話を使っている男の言葉が気になった。
「ちょくちょく、ピンポイントで顔出してるんで」
どういう意味だ。まあいいけど。
疲れたままのぞみに乗ると、どうもからだの調子が悪くなるのだった。これがちょっとよくわからない状態で、あくびが出そうで、出ないという、出そう出そうとするが、出ないので、からだがこう、ねじれるような、じっとしていられないような気持ちの悪い状態が続く。なにかおかしいのだった。のぞみの速度にからだが異常反応を起こしているのかもしれないと思った。
■東京に戻ってメールチェックすると、僕が書いた村上隆について、あるいは「かわいらしい」について非常に的確な意見をもらった。長くなるのでそれはあした書くことにする。僕もまちがったことを書いたのではないかと反省というか、村上隆を正確に理解していなかった。というか、「村上隆の作品」そのものというより、「現象」が気になっていたのだ。六本木ヒルズになにかいやな感情を抱いていたので、現象から来るごくごく、それこそ感情的な言葉だった。考え直そう。
■疲れていながら、クルマには乗りたかったのだ。都内を意味もなく走る。それから青山真治さんの小説版『ユリイカ』を読む。奇妙なのは、中上健次に影響されている文体を感じつつ、けれど、中上健次がフォークナーに影響されていたこと以上に、『ユリイカ』を読んでフォークナーを読んでいる気持ちになったことだ。小説を書こうと刺激を受けた。
■で、6月20日の午後、京都大学で、青山真治さんらとシンポジュウムがあってそれに参加する。詳しくはまた報告。
(4:45 jun.7 2003)
■火曜日は憂鬱である。京都に行かなければいけないからだ。べつに京都がいやとか、大学の授業がいやとか、働くのがいやといったことではなく、新幹線でじっとしている二時間以上の時間が面倒になっているのだった。どんな人が隣の席に座るかわからない。こんなに間近で二時間以上、知らない人と一緒にいるというのは不思議な状態である。あと、隣の人の視点からすれば、僕こそが「知らない人」なのだが。
■本に夢中になっていればそれなりに時間をつぶすことができるものの、たとえば途中、トイレに行きたくなったりすると、窓際の席から通路に出るのも気が重くてそうしたどうでもいいことに気をつかわなくちゃいけないのが疲れるのだった。で、新幹線のなかでメールチェックしたところ実業之日本のTさんから送信があり驚くべきことに「資本論を読む」の連載の締め切りだった。「予告しましたように」とメールにはある。予告されていたことすら忘れていた。しかももう京都に発ったあとで肝心の『資本論』を持ってきていないのだった。ピンチである。こういうときこそ人はうっかり「ピンチ」と口にする。『トーキョー・ボディ』の稽古中、読めなかったことについて八枚書き「今月は読めませんでした」という手を使って連載の危機をしのいだ。いかに読めなかったかをちょっとどうかと思うような綿密さで書いた。一度やった手をまた使うのはいかがなものか。
■京都で『資本論』の第一巻を買う手があるがそのためには三条河原町あたり、丸善か、ブックファーストまで行かなければいけない。まずい。で、ホテルに着いてからわかったのは幸いにも二日目から京都ロイヤルホテルに移ることだ。近くに丸善がある。ブックファーストもある。めぐりあわせというやつだろう。
■ニブロールの矢内原さんからメールが来た。ニューヨーク滞在記だ。映画ばかり観ているとの話。で、すぐ返事を出し、数日前、NHKのETVでダンスの番組を見たこと、それで考えたことを書いた。記憶があいまいだが、なにかのダンスフェスティヴァルがモナコでありそのなかに「ファーストジョブ」といういわば「スター誕生」みたいなオーディションがあって世界中のバレエ団、ダンスカンパニーが審査する。認められるとすぐにうちに来ないかと声をかけられる。ドキュメントの映像を見ながらどうしたって参加している若いダンサーたちのなかの東洋人に目がゆく。特に日本人に。
■その「からだ」の持つ特質のようなものが印象に残った。西洋人のなかにいるからこそ、より感じたのは、「幼児性」というか、いわば「かわいい」というもので、この感覚はどう考えていいのか疑問を持った。かなり過去、僕の舞台を見に来たフランス人が内容はよくわからないがとにかく「プリティ」だと女優たちを見て言った。単にからだが小さいからそう感じたのか。一方、いま東京では、村上隆に代表されるような、フィギュアをモチーフにした現代美術にあるある種の「かわいらしさ」がもてはやされており、それは外国にも進出しているという奇妙な現象がある。僕個人の興味ではあれがどうも「かわいい」にはならないが、それはこの国にいて、この国の内部から見つめるごく小さな差異でしかないのか。ある傾向を持ったアニメや同人誌系コミックも含め、これはぜんぶ「かわいい」の範疇になるのか。うーん。かもしれない。でも、なあ、フィギュアはなあ、あと、コスプレとか、ああいったものは、どうも僕は受け入れがたく、現在性をちっとも感じないのだ。
■矢内原さんにすぐに返事を書いたのは、ニブロール公演『ノート』のアフタートークで、いま観た『ノート』におけるダンサーたちのからだを、「いまここに出現したある特別なからだ」だと僕は発言したが、発言の背後に「かわいい」があったにちがいないと思ったからだ。ダンスの番組を見て感じたこと、つまりいま書いたような内容を伝えた。日本人には、古くから「小さきものを愛でる」という感覚がある。それと同様の感覚で私は、『ノート』のダンサーたちに魅力を感じたのだろうか。僕が言葉にした「いまここに出現したある特別なからだ」などそもそも存在などしておらず、単に「小さきものを愛でる」感覚に支配され、あのダンスを、ダンサーたちを「いま」であると言葉にしたのか。だが、「いま」だと感じたのはうそではなく、過去のダンサーや俳優とは異なる「からだ」と、「ダンス」をそこに見ていたはずなのだ。
■考えはぐるぐるめぐる。
■村上隆の現象をどう考えていいのだろう。
■「いまここに出現したある特別なからだ」はほんとうに存在しただろうか。
■あと、そのテレビ番組で印象に残ったのは、振付家の多くが、「技術以上のもの」について言及していることだ。技術はもちろん必要だが、それ以上の「なにか」がなくてはいけないと言葉にする。これ、誰でも言うことなんだなあとしか言いようがなくてですね、むしろそう口にすることが凡庸にすら思えてくるのだった。
■過去の演劇人(主に七〇年代の人)はそれを「芝居は生き様だ」と言った。以前書いた、「俗流スタニスラフスキーシステム」による「説明的演技体系」とは異なる考えは、「技術」を否定し、むしろ「生き様」という言葉を使って、芝居そのものを考えた。私は「生き様」という言葉を使いたくはないのだ。だが、「技術以上のもの」を要求するとすれば、「生き様」になってしまうおそれがある。このことでも考えがぐるぐるめぐってしまうのですね、わたしは。どう考えたらいいか。「生き様」という言葉を使わず(というのも、「生き様」という言葉を使うか使わないかもまた、とても思想的だと考えるからだ)、ではなにかべつの言葉で置き換えればいいのかわからない。もっと本質的に異なる考えがあるかもしれない。
■わからないなあ、と考えているところでしたが、先日やった早稲田の講演のとき黒板に僕が、「苦悩」を、「苦脳」と書いていたと何人からか指摘のメールがあった。しまった。あと、そんなことを考えている時間があったら早く『資本論を読む』を書くべきである。
(15:10 jun.4 2003)
Jun.2 mon. 「早稲田で逍遙のことを話す」 |
■早稲田大学の演劇博物館が主催する「逍遙祭」で坪内逍遙について話をする日である。まさかこの私がですね、早稲田で逍遙について話をするとは思いもしなかった。なぜかものすごく緊張した。このあいだ世田谷文学館でやった講演は絶好調だったが、きょうは緊張したのだがそれというのも、話の前に、演劇博物館の館長さんの話があり、さらに逍遙財団の会長の話があるという雰囲気のなかでの講演だったばかりか、来ているのも年輩の方が多く、こういう場所で私が逍遙について話していいのかよくわからなくなってきた。
■話すことを決め、例によって、iBookに話すことを簡単なメモにしておいたが、緊張したせいか、iBookを開くことさえ忘れ、ただ思いつきで話をしたのだった。話は脈絡がなく、話している途中で、これでいいのかと疑問にすら思えた。申し訳なかった。だめである。きちんと脈絡を作って話すべきだがきょうはできなかった。なにしろ緊張してiBookを開くのを忘れた人間にまともなことを話せというのがどだい無理な注文である。ただこのあっちへいったりこっちへいったりの話しぶりこそ、「逍遙する」ことではなかったかと納得させる。
■たしかにいまの目で逍遙を読むのは、文語体の文章を読む力、漢文の基礎教養といった、様々なことが要求され困難なことがあるにしても、よく読めば面白いのだと伝えたかったのだ。そのことのガイドになればいい。『当世書生気質』のすごさ。なによりシェークスピアの逍遙訳の面白さが伝われば幸いである。話は一時間強で終わってしまったが、まだ時間があったので、あとはいよいよ思いつきで、逍遙とはまったく関係のない話だ。それを、「だから逍遙は」と、話を強引に逍遙に結びつける。
■終わってから、早稲田の岡室先生、白水社の和久田君、柏書房の橋口さん、翻訳家の長島さん、それから例によって三坂、『トーキョー・ボディ』にも出ていた山根らと学内にあるレストランのような場所で会食。楽しかった。大人と話をするのは落ち着けてとてもいい。そのとき、岡室さんも翻訳に関わっている大部の『ベケット伝』を和久田君からもらった。
■これはすごい。上下巻あって、まとめて買うと二万円。楽しみがまた増えた。でもなあ、学生にとってはなかなか手が出ない価格である。僕ももし、買うことになったら少し考えるような気がする。だけど、学生だって酒を飲みに行くのを10回がまんすれば買えなくもないだろう。少しがまんしろよ。
■講演のほうはかんばしくなかったが、あとでみんなと話すと楽しい。というか考えてみるとこのところ大人と話す時間が少なかったのだと思う。学生はねえ、なんというか、いいんだけど、無神経なところがあるのが疲れ、まあ、その無神経さ、傍若無人さ、大胆さこそが学生の特権でもあるが。
■ところで、早稲田に行く途中、というか少し遠回りだが、とうとう光ファイバー用のルーターを秋葉原で買った。調べたところでは一番安い店。いよいよである。近日光ファイバー開通である。どれくらいの速度が出るのか楽しみだ。ここは初台。NTTのお膝元。速度が出なかったら俺は怒るよ。家に帰ってパッケージを開くときの高揚感はいったいなんだ。まだ開通もしていないのでなんの役にも立たないが、気分がもりあがるものの、さすがに講演のあと、少し疲れた。あ、山根が第三エロチカの川村毅演出で『ハムレットクローン』に出演が決まったとのこと。驚いた。
■またあした京都。『考える人』の原稿は昨日の深夜に書き終え、写真画像とともに送った。ひとまず今週の仕事はこつこつ片づけている。でもってウイークデーは京都。忙しい。
(2:02 jun.3 2003)
■『考える人』の連載原稿を書いていた。で、この連載には毎回、「考えていない写真」を掲載するが、ふつうに町を歩いているとき、気になったものを撮影しそのなかにあきらかに「考えていないと思われる写真」があればいいが、このところ忙しくて「考えていない状態で撮影する」ことができないのだった。
■考えないこともまた大変である。
■忙しいときほど人はなにか考える。ついつい考えてしまう。撮りためたデジカメ画像のなかにいい写真がないのでなにか撮影しようと、デジカメを手に日曜日の午後の町をゆく。うちから一番近い町は初台だが、それより「考えていない写真」にふさわしいのは新宿だと思う。あのよくわからないエネルギーと熱気こそ新宿の力だ。だったら歩いて新宿まで行けばいいがどうしてもクルマに乗りたかったのだ。なぜか私は日曜日の午後の京王線・府中駅の近くにいた。かなりの過去、この町に住んでいたこともあってなじみがあり、あるいは甲州街道を新宿方向から左折、大国魂神社につづくけやき並木がきれいなのでつい府中に来てしまう。町を徘徊。いくつかのものを撮影。これじゃ考えていないことにならないがしょうがない。
■夕方、食事をしようと入った中華料理店の左右の席には競馬帰りの人がいて面白かった。というか、この日、府中競馬場は日本ダービーの日だったとあとで知ったが、とにかく競馬場帰りの人であふれていた。右隣の人は「乾杯しましょう」と言い、「おめでとう」などと言っていたところを見ると、どうやら勝ったらしいが左隣の若いカップルはもうひとつ冴えない。負けたな。この対称的な図が面白かった。休日の府中は競馬の町だ。だけどけやき並木のすぐそばに並べられたベンチでアイスコーヒーを飲んでいたら、パリのサンジェリゼ通りを思い出したというのはちょっと大げさだが、とてもいい雰囲気だった。競馬の町なのに。
■家に戻って原稿を書く。夜12時近くになってようやく書き上げる。あしたの早稲田演劇博物館でやる坪内逍遙に関する講演の内容をまとめなければいけない。まずいのである。
(14:37 jun.1 2003)
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