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富士日記

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花
オートバイ
新宿ビジネスホテル・ネオン

Published: Feb. 21, 2003
Updated: Sep. 19, 2003
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  (ENBUゼミの「短期集中講座」のページに直リンクさせてもらいました)


Sep.14 sun.  「江古田へ」

■江古田の町にはじめて行ったのだった。ああ、そうだヨミヒトシラズのT君はここに住んでいるのだった。
■10月から開催される演劇フェス、「ハイナー・ミュラー/ワールド」の会議が夜からはじまり、見学させてもらうことにした。会場になった江古田ストアハウスはほんとうに駅前にあった。『トーキョー・ボディ』を上演した直後から会議に誘われていたが時間がどうしてもあわず、フェスティバル直前の最後の会議に間に合った。会議といっても、テーブルを丸く並べてといったいわゆる「会議」ではなく、「対面授業的な形態」で、フェスティバル参加者、参加団体の代表者による「プレゼンテーション」があったのち、質疑応答があるという進行。会議だから、議長というか、進行をしているのは演劇批評家の西堂行人さんだった。
■興味深いと思ったのは、こうした会議では、なにか演劇の世界での(あまり意味のない)ヒエラルキーみたいなものによって名が知られている人が前面に出てきたりするという構造(たとえば「劇作家協会」の集まり)があったりするが、ここではそうした関係がまったくなく、誰もが等距離、ハイナ・ミュラーの研究者でもある谷川道子さんがなんとなくいたり、見れば批評家の内野儀さんが遠くにいた。

■三つのプレゼンテーションがあって、どうも「理念」ばかり前に出てきてしまう印象のなか(それはそれとして興味深かったものの)、「錬肉工房」の岡本章さんの話が「表現」の問題を中心にしておりもっとも興味をひかれた。問題意識も、たとえば、他のグループがハイナー・ミュラーが「ハムレットマシーン」を書いた時代の東欧、あるいは政治状況を「実感できない」というあたりまえのことをどう自分の問題として「実感を生み出すか」といった話になるとするなら、岡本さんは「実感できないこと」をまず当然の前提にして「ハムレットマシーン」を抽象化した理念によって「表現」を組み立てるアプローチをする。これが当然である。『トーキョーボディ』で僕もさしあたって流通する「劇言語」を分節化しよう、表現のレベルでもっと異なるアプローチをしようとハイナー・ミュラーを参照先にしたが、ハイナー・ミュラーを抽象化しなければ、ミュラーの思想を根本からとらえることなどはじめから不可能に決まっていると思った。
■政治状況がちがう。いまここにある現実がまったく異なり、そこにある「からだ」がそもそも異なる。そう、なにより「からだ」こそ考えるべき中心をなす。この国でミュラーを根本から捉えること、その「実感」を仮構しようなど、そもそもそれはうそである。というかすげえ単純すぎる。ハイナー・ミュラーから受ける刺激はもっと異なるレベルの話ではないか。だから僕ももっと、「ハムレットマシーン」をはじめとするテキストをよく読んで考えようと思うのでした。
■最後の会議に参加できてよかった。刺激されることが多かった。来年はなんらかの形でフェスそのものに参加して作品を発表できればいいとはいうものの、このフェスティバルそのもの、ハイナー・ミュラーに、私の周辺の俳優たち、スタッフが呼応してくれるかは疑問で、どのような作業が必要になってくるかも検討しなくちゃならない。さしあたって10月からはじまる「テキスト・リーディング・ワークショップ」をなにかの手がかりにしようと思うのだ。

■で、その後、ヨミヒトシラズのT君から、松倉の歌をT君の友人のギターを弾く人に聞いてもらった話などメールで報告をもらった。24日以降に松倉が来るとの予定だが、なにしろこの週の僕の予定がものすごくタイトで困っているのだったっていうか、今月はどうなっているのだろう。ワークショップを引き受けなければよかったと、だだをこねる子どものような気分だ。その次の週だったらかなり時間的に余裕があるが、松倉はもう大学の授業がはじまるころだろうしな。困った。
■T君には助けられる。T君や笠木がいなかったら、このプロジェクトははじまらなかった。あ、いま気がついたことだが、
iBookとCD−RのメディアがあればどこでもCDを作ることができ、誰にも渡すことが可能だ。誰かに会ったらどんどん渡そう。で、失敗したのはこのあいだ文學界のOさんに会ったときも渡せばよかったことだ。いろいろな人に聴いてもらうのである。このあいだの『和仏辞典』のこともあるから白水社のW君にもお礼がてら送ろう。会う人ごとに渡す。あと、メディアを持ってきた人にはその場で焼く。
■ほんとはこのサイトで配信できればいいが、なにせ、カヴァー曲だから著作権問題が派生するだろう。まあとにかく少しずつ進めよう。僕はただ、松倉の歌が聴きたいし、少しでも多くの人に聴いてもらいたいとただそれだけ。

(9:25 sep.15 2003)



Sep.13 sat.  「ひとまず一段落」

■「文學界」の編集長をしているOさんにお会いした。文学のというより、むしろ演劇の話と、「健康」や「死」についてなどが話題の中心だった。文学者は若くして死ぬのだった。芥川龍之介35歳、太宰治39歳、三島由紀夫は40代前半、と、ここまでは自分の意志で死を選んだものの、中上健次40代半ば、夏目漱石は49歳。かつてそんなことを思ったことはなかったが、自分がその年齢をすでに上まわり、あるいは近づいているのを知ると、若くして死んでいることにほんとうに驚かされるのだ。
■漱石は39歳で小説を書きはじめ、49歳に死んだその10年間にあれだけの作品を書き残した。書いてない自分がなさけない。でもって、約束していながらいくつかの文芸誌に小説を書いていないことはこのあいだここに記したが、そこに「群像」の仕事を、あわあわしているうちに引き受けてしまったことについて、Oさんは、「二ヶ月に四本は無理です」と仰って了解してくれた。だから来年の二月には文學界に渡すと約束。これは断固、守ろう。誰がなんといおうとその小説を完成させようと決意したのだった。
■こうなったら年末から来年の正月、そして一月は一歩も外に出ないで執筆活動だ。集中するぞ。『サーチエンジン・システムクラッシュ』を書き上げたときのようなあのわけのわからない集中ができたらと思うのだ。

■そうこうしているうちに、『モンティ・パイソン・スピークス!』の書評を書き上げた。これで当面の仕事は一段落。笑いが止まらない。「神戸取材旅行」、そして「温泉」。そうだ、神戸に行ったら安藤忠男の「兵庫県立美術館」まで足を伸ばそう。というのも、きょうの朝日新聞に建築家の隈研吾さんが取り上げられており、東京の環状八号線、いわゆる環八沿いにある「M2」の仕事によってバブルの崩壊後、「ポストモダン建築の無批判な担い手」として隈さんは批判され、以来、東京での仕事がまったくなくなったという記事を読んだからだ。その隈さんが地方での仕事を土台にまた新たな活動を開始しているという内容だ。
■ちくま新書から出ている隈さんの『新・建築入門』からどれだけ教えられることがあったことか。それでまた、「建築鑑賞欲」というものが再燃し、いろいろ観たくなったし、かつて建築の学生だった私が当時足繁く通った神保町の建築専門の書店、「南洋堂」に行ってみたくなった。考えてみたら、フランクロイド・ライトとかル・コルヴィジェ、ミース・ファンデルローエ、ルイス・バラガンとか、実物ってやつを観てみたいもんだな。展示ってのはかつていろいろあり、図面やエスキース、写真を観ることはできたけど、実物を持ってくることができないだけに建築はやっかいだ。そういえば、パリに行ったとき、画集で観たことがある絵画が、美術館で実物を見たらどうかと思うほど巨大だったのにも驚いたが、「複製技術時代の芸術」は、複製を鑑賞することによって「観た」と錯覚しがちだ。
■実物はすごいね。金閣寺を観るとみんなが口にする。「意外に小さい」。銀閣寺を観れば、「意外に古い」と誰もが言う。奈良の大仏殿に入ってきた者が大仏を見、口々に、「でかい」と言っていたのは面白かった。僕も言いましたけどね。だって、でかいんだから、あれがまた。

■さて、「松倉東京進出大作戦」は着々と進行中である。きのう家に来てくれたT君がメールで感想を送ってくれた。示唆されることが多かった。そしてこのノートを読んだ松倉が京都からメールをくれた。報告します。
 私は嬉しいです。宮沢さん、日記に私のことを書いてくれて、そしたらライブハウスあるよなんて言ってくれる人が現れてくれて、わくわくしてしまいます。歌を、私の知らない誰かが聴いてくれているなんて嬉しいです。でも宮沢さんに一番直接聴いてほしい。だから東京行く! 今日楽譜を買ったんです。「What Wonderful World」というルイ・アームストロングの曲。これを東京に行ったら歌ってみたいです。歌詞が素晴らしいです。
 松倉の欲のなさはすごいね。ただ歌いたいんだこの人は。メジャーデビューとかそんなことは全然、考えてないよ。だからがつがつしているやつ、自分もふくめ、なにかしようとする者は恥ずかしい気分にさせられる。松倉に教えられる。なにしろ単に歌うことが好きで、はじめて人前で歌うことを意識したのは一年ほど前だ。あと、虫が好きだしね。植物も好きで、小学生と遊ぶ計画をたてていたり、よくわからない。『モンティ・パイソン・スピークス!』を書き終えたあとだったので、どうしてもパイソンズの一人、テリー・ギリアムの監督作品『12モンキーズ』を思い出しあの映画に流れていた、「
What Wonderful World」は僕もとても好きだ。ただ歌いたい人がいて、ただ聴きたい僕がいて、「歌」というものの素朴なはじまり。

(7:41 sep.14 2003)



Sep.12 fri.  「鈴木慶一さんが家に来る」

■『モンティ・パイソン・スピークス!』の書評を少し書く。
■夜、ムーンライダーズの鈴木慶一さんに松倉の歌を聴いてもらうことになっている。夜の九時半にあいだをとりもってくれた笠木と、今回いろいろな面でサポートを約束してくれたヨミヒトシラズのT君を渋谷までクルマで迎えにゆき、そこから鈴木さんがいるという白金まで行った。目黒通りと外苑西通りの交差点のあたりにクルマを止めて待っていると鈴木さんは短パン姿で信号の向こうにいた。遠くからでもすぐにわかる鈴木さん。
■三人を連れて、僕の家に。着いてすぐ松倉の歌を聴いてもらう。「うまいね」と鈴木さん。それからいろいろなアドバイスをいただき、それも具体的にこれからどうしていったらいいかという話だった。たとえばカヴァー曲ではなくオリジナルを作らなくてはいけない、松倉のオリジナルな部分をもっと作らなくてはいけないなど。でも、聴いてもらってとてもよかった。CD−Rに録音したものを三人に渡す。もっと焼こう。いろいろな人に渡そう。そういえば、『トーキョー・ボディ』のパフォーマンスグループの一人だった鈴木将一郎からも、何日か前にメールをもらい、こんな場所でもミニライブができるのではないかとアドバイスをもらったのだった。
 力になれるかわかりませんが、僕が昔DJをしていた渋谷のオルガンバー(今はスチャダラのアニさんやピチカートファイブの小西さん、常盤響さんなどがDJしています)か新宿のOTOというクラブでしたら、僕の友人が月1、2回レギュラーでイベントをしているので、その日であればいつでもミニライブが開けます。ただしオルガンは日曜日、OTOは月曜日の夜なのでお客さんは来ずらいかもしれません。一番近いところでは、10月19日(日)の渋谷オルガンバーになります。(ちなみにこの日は僕と伊勢で別役さんの「死体のある風景」を上演します)ライブハウスとまではいかなくともそれなりのものはできると思いますが。
 とてもうれしかった。僕がここに書いたことで、いろいろな人が呼応してくれる。あと、伊勢と別役さんの作品を上演するという話も驚いたけれど。場所を見るのもあるし別役作品ということもあって、それは見ようかなと思った。

■夜中の12時近くなって、鈴木さんたちをクルマで送る。鈴木さんは途中の幹線道路でタクシーを拾うというのですごく中途半端なところでおろしてしまった。大丈夫だっただろうか。それにしてもムーンライダーズとして音楽界では一定の地位にある鈴木さんだが、あの気取りのなさはいったいなんだろう。なにしろ短パンだったし、うちに来ても、僕たちとごくあたりまえに話をしてくれる。ああいう大人になりたい。僕も大人ですけどね。
■笠木を船橋まで送ると言ったが、頑なに断られ、それというのも、送ったあとで「船橋はほんとに遠かった。道がまだ砂利道だった。外灯がなかった。真っ暗だった。闇の中でヤリを構えている現地の人がいた。温泉がわいていた。熊がいた」とか、ここに書かれるに決まっているからだ。笠木とT君を新宿駅南口でおろす。ふたりともとても協力的でほんとにうれしい。
■うちに戻ってメールをチェックしたら、毎日新聞の「連載」がもう締め切りの時期だと知った。すぐに書く。勤勉である。あとは「モンティ・パイソン・スピークス!」の書評さえ書けばこころおきなく神戸に行ける。それで思い出したが、かつてやった関西ワークショップの神戸グループの一人からものすごく久しぶりにメールがあって、神戸を案内してくれるとのこと。ありがたい。とりあえず、神戸の地理感覚がわからず、当初の目的地である須磨区がどのへんにあって、たとえば三宮までどれくらいの距離か、で、ホテルをどこに取ったらいいかを悩んでいたので、それも相談しようと思う。いろいろな人に助けられる。ありがたい。

■嵐のような九月の二週間。気持ちがいいくらいだ。原稿をどんどん片づけてゆくのがこんなに気持ちがいいとは思わなかった。「チェーホフを読む」のゲラもチェックをすませFAXで送ったし、少し落ち着く。

(11:31 sep.13 2003)



Sep.11 thurs.  「九月十一日という日」

■昼ごろようやく「チェーホフを読む」を書き上げメールで送る。きのう(10日)はほぼ一日、ワークショップで忙殺されたので、ほとんど進まず、それでも残りはわりとすんなり書けた。25枚の原稿は、むろん小説の「240枚」といった量に比べたら少ないものの、それとは異なる種類の文章なのでそれなりに苦しみ、そうなるともう、5枚とか8枚といった原稿がへへんてな気分になるから不思議だ。なにしろきのうワークショップに出かける直前、神戸に出発する前に「一冊の本」の連載を片づけておかないとまずいとふと気がつき、だっと書いてしまった。
■自分でいうのもなんだが、なんて勤勉なんだ。
■「チェーホフを読む」を書き上げてからさらに、「新潮」から依頼されている『モンティ・パイソン・スピークス!』の原稿も一気に書いてしまおうととりあえず読む。読む。読む。この本はわりと活字が小さくずっと老眼鏡だよ、悲しくなるね、特に各ページの下段に添えられた「注釈」は裸眼だとまったく読めない。でも翻訳者によると思われるこの「注釈」がまたじつに丁寧でためになる。『モンティ・パイソン・スピークス!』で言及される「モンティ・パイソン・フライングサーカス」のTVシリーズをはじめ、パイソンズの映画はすべて見ているが、現場のメンバー間の確執などは読むのが苦痛になるものの、しかし裏話のいくつかを読めばあらためて、『ライフ・オブ・ブライアン』など観たくなるのだ。夜、「チェーホフを読む」のゲラがFAXで届いたのでチェック。書き直したいところがいくつかあって困る。

■で、仕事に明けくれる日、きょうが九月十一日であることを思い出した。
■もう二年になる。大きな仕事としては『トーキョー・ボディ』という舞台があったが、ほかは大学の授業、日々の雑事、毎月の連載に追われていたようでゆっくりものを考えていたかは疑問だ。「小説ノート」の小説をきちんと形にしよう。それが誠意ってものだ。ノートが中断してもう一年以上。とはいっても、あせらず時間をかけ、ゆっくり丁寧な仕事にしたい。それは全部の仕事にあてはまるけど、「遊ぶ時間がない」と書いても、考えてみれば、「遊び」がですね、僕の場合、よく思い当たらず、酒も飲まないし、その他いろいろ「遊び」ってものがあるはずなのに、なにをしたらいいかわからず、だいたい「遊び」が似合わないね、俺は。ウインドウ・サーフィンをしている私とか、芸者をあげて大騒ぎする私、河原でバーベキューをする私といったものが想像できないのであった。あと、「プラモデルに熱中する私」「鉄道写真を撮る私」「植物を育てる私」「料理にとことんこだわる私」もだめである。もっと大人な「遊び」があるはずで、「遊び上手な大人」ってものになるにはいったいどうすればいいんだ。
■「遊び」もまた人を育てるはずなのだな。おそらく。
■『モンティ・パイソン・スピークス!』を読んでいると、かつて深夜のテレビ番組を仲間たちと、わーわー言いながら作っていたころを思い出し、あれは「遊び」だったな。「他人の作ったゲームのルールのなかで、そのルールの裏をかこうとする、またべつのゲーム」としてのテレビ制作という遊びだ。いまでもテレビを見ると作ってる連中が「真剣」に遊んでると感じる番組はやっぱり面白いと思うのだ。なつかしい。しかし、そこからも遠く離れて。

■九月十一日という日である。
■一九六八年の十月。一九九五年の三月。二〇〇一年の九月。それらを通底する歴史について考えている。しかし、それがなぜ戯曲ではなく小説になるかだが、ひとつには形象化がむつかしいという問題があるし、小説でなければ書けない「部分」があって、それがきわめて観念的だからだろう。そう考えると、戯曲とはなにかを理解する手がかりにもなる。戯曲の前提として「俳優」という「からだ」がある。「上演」という手続きがある。「歴史」に通底させようとする「観念」を形象する「からだ」が僕には想像できないのだ。つまり「いまのからだ」、というか、現在性をもった演劇を形象するべき「からだ」と、「歴史」を通底する「観念」の抽象性との折り合いが悪く、ともすれば、ひどく陳腐になるように思えてならない。とすれば、「小説」によって「現在性」を保てるかどうかの担保はどこにあるか。そのことが解決できたとき、書くべき小説の「方法」が見つかるのだろうし、それがいまだ解決できていないから、小説ははじまろうとしない。
■フォークナーはなぜ、ああした実験的とも思える複雑なエクリチュールで、「アメリカ南部」を描いたのか。そうでなければ描けなかったテーマがあったから、そうしたにちがいないとすれば、たとえば、方法に意識的であることによってともすれば通俗になるおそれのあるテーマの表層を、しかしそうではないと、文学として語るに値するテーマの深層をどう書くかに腐心したにちがいない。そしてあの文体が生まれた。単なるスタイルではなかったはずだ。小説として描くべき「観念」を深いところでつかまえ、それを形象するための方法の模索。あるいはチェーホフは『桜の園』で、きわめて通俗的な悲劇になるかもしれないドラマを、「喜劇・四幕」と記すことで普遍的な物語にそれを救いあげた。学ぶべきはそうした作家たちの模索の過程だが、たとえば『モンティ・パイソン・スピークス!』にもまた、パイソンズたちが、TVシリーズの出発時からどうあの「笑いの質」や「方法」を生み出したか、どのようにして「形象化」できたか、背景にあった思想に教えられることが多かった。そしてそれは、「裏話」や「書き残されたノート」とかではなく、「作品」そのものから学ぶべきことだろう。そうでなければ薄っぺらになる。だからひたすら読む。見る。体験する。まあ、結論は出ない問題かもしれないというか、「演劇とはなにか」「文学となにか」と、簡単に答えが出ちゃったら、新しい舞台をやる必要はないし、小説を書く意味がない。考える過程が作品ではないか。考えているという運動する状態そのものが作品ではないか。

■紀伊国屋で買った白水社の『和仏辞典』に印刷の乱れがあったとここに書いたら、早速、白水社のW君から、『和仏辞典』を、しかも二種類送ってもらった。ほかに幾冊かの本。申し訳ない。かたじけない。白水社のある神保町のほうに足を向けて眠れない。あの大部の『ベケット伝』までいただいてしまったし。
■笠木からメール。鈴木慶一さんと会う段取りを整えてくれた。ありがたい。
■寝屋川のYさんの日記を読んだら、東京にしばらくいたことを知り、しかもオペラシティや西新宿など、かなりうちの近所に接近していたらしい。関西ワークショップに来ておりいまは東京に転勤になったK君や、テレビの制作会社で働くKなどとも会っていたのか。会いたかったな久しぶりに。でも時間がなかった。あと、『サーチエンジン・システムクラッシュ』に出てくる、「ハイムタナアミ」が、「あなたは無意味」のアナグラムだと気がついた人がいた。

(9:56 sep.12 2003)



Sep.9 tue.  「時間がない」

■「チェーホフを読む」は18枚まで書けた。あと少しだ。だがあしたは一日ワークショップがあるのでちゃんと眠っておこうと作業を中断したものの、それでこのノートを書いているのはいかがなものか。それにしてもこれはひどく大変な仕事で、かつてあった雑誌「しんげき」(白水社)に毎月書いた劇評、あるいは、世田谷パブリックシアターで月に一度のレクチャーをやるため様々な演劇論を読んで話をまとめる作業と同じ種類の、もうこうなると、修行である。あのふたつの仕事はほんとにためになった。おそらく「チェーホフを読む」はそれと同じ意味があるのだと思い、人間、なによりも修行である。あとは、温泉。
■「神戸取材旅行」もまた小説のための個人的な仕事だが、その帰り、わたしは温泉に行く計画だ。温泉から東京に戻ると、今度は「松倉東京進出大作戦」の開始である。24日にこっちに来るというので路上で歌うのは25日ぐらいになるだろう。その時間と場所は、またここでお知らせするので、ぜひ聴きに来ていただきたい。で、きょう松倉のデモMDを桜井君がCD−Rに焼いてくれたものが宅急便で届いた。これを編集しコピーしなくてはいけないが、その時間がなかなか取れないのだ。
■松倉からメール。事務的なことがあった最後にこう書かれていた。
明日は小学生と朝から遊ぶのでそろそろ寝ます。
 なんのことだかまったくわからないのだ。
 で、まあ、僕は一日、原稿を書いていたわけですが、途中、うちの大学にある舞台芸術センターが刊行している雑誌「舞台芸術」に目をやったら、面白かったのでついつい読みこんでしまった。桜井君の文章はもうすでに読んでいたが、こうして縦組みになるとべつのものに読めるから不思議だし、「対話形式」は人に読みやすさを感じさせつつも、こうして読むとここにはかなり難解なことが書かれているとわかり、読む者を錯覚させる桜井君の戦術がうかがえる。ほかに糸系秀実(=スガヒデミ)さんのシンポジュウムの発言、川村毅さんの文章などとても面白く、ついつい読んでしまって仕事が進まないので、これはまた時間があるときだとページを閉じる。

■また笠木からメールをもらい松倉のことでアドバイスを受けた。時間がないよそれにしても。といいつつ、これを書いている。明日はワークショップでみんなと遊ぶのでそろそろ寝ます。

(1:15 sep.10 2003)



Sep.8 mon.  「忙中、閑もなし」

■一日原稿を書いていた。書けなくなると、気晴らしのように『モンティ・パイソン・スピークス!』を読むものの、それもまた書評を書く前提があるので、気晴らしにもならない。気になる部分、興味を引かれた言葉に線を引く。さらに煮詰まればとりあえず睡眠。このノートも気晴らし。
■夕方、新宿の紀伊国屋書店でわけあって和仏辞典を買ったところ、家に戻って見ると印刷が乱れており、白紙のページがあったり、斜めに印刷されていたりする。面白い。白水社から出版されている辞書だったので、W君に連絡しようと思ったものの、部署がちがうW君も連絡されても迷惑だろうと思ってやめることにした。でもこの印刷の乱れた辞書は辞書で、珍しいものとして貴重に思えてくるから不思議だ。
■あと、ぜんぜん関係ないが、きょうの朝日新聞の夕刊(東京版)の一面の広告は、韓国のテレビドラマ『冬のソナタ』のビデオかなにかだが、NHKを見ているとたまに番組宣伝でそのドラマが取り上げられており、それを見るたびに主人公の男が、「好感度が高くなったキッチュ(=松尾貴史)」に見えてしょうがないのだがいかがなものか。

■それで思い出したが、原稿とワークショップで死にものぐるいの私は社会の動きに疎くなっていたが万景峰(マンギョンボン)号はその後どうしたのかとニュースサイトで調べたらもう帰っていたのか。だいたい、「万景峰(マンギョンボン)号」は日本人には口にしづらい音なので「マンギョンボン号、寄港反対」とその筋の人たちが声を上げたくても、うまく言えないもどかしさがあるのではないかと気になっていた。「中国」を断固「支那」と呼ぶ、「戦後民主主義否定論者」のように、そんなものは「マンケイホウ」と呼べばいいってことになるかもしれないが、「マンギョンボン」のほうが「音」として面白いと思う。だって「マンギョンボン」だよ。
■それにしても「拉致」は圧倒的な犯罪行為だが、それを取り巻く情勢には、朝鮮半島をめぐる様々な種類の「政治」を感じて考えるのがいやになる。あと、北朝鮮の「美女軍団」と呼ばれるあの女性応援団の「気持ち悪さ」は演劇の問題としてたいへん興味深い。ああした「表現」が出現してしまうとはいったいなにかということ。だからやっぱり、「身体表現」もまた、ひどく「政治性」を帯びている。
■それで11月、わたしは韓国に行く。僕の『ヒネミ』を韓国の俳優たちがリーディングしてくれるという。それからシンポジュウム。きっと刺激されるなにかがあの国にあるだろうし、単純に楽しみだとはいうものの、いまそれを思い出して、いよいよ、忙しいことになっているんじゃないかと、ひどく憂鬱だ。

(3:20 sep.9 2003)



Sep.7 sun.  「またワークショップをやっている」

■ユリイカの「チェーホフを読む」を先週中にと思って苦しんでいたが書けない。だったら先に「モンティ・パイソン・スピークス!」の書評を書いてしまおうとその本を読んでいるうち、いくつかの箇所でこの表現は原文でどうなっているか興味を持った。でもこれはすこぶるいい翻訳だ。翻訳を担当した須田康成さんの、モンティ・パイソンに対する愛情を強く感じるからだ。
■しかし、ジョン・クリーズはあの生真面目そうな表情でほんとうにくだらないことを言っているのではないかと想像でき、その言葉を原文で読みたいっていうか、自分なりに日本語に置き換えてみたかった。「原文で読む」ことと、「日本語に置き換える」は異なる作業だと思い、しばしば翻訳された外国小説を読んでいて、これはこうした日本語のほうがきっと笑えるのではないかといった言葉を目にすることがある。まあ、「笑い」に関しては英米文学者より、「専門家」に私は近いからだ。
■で、「モンティ・パイソン・スピークス!」のなかで笑ったのは次のような箇所である。モンティ・パイソン結成について、ジョン・クリーズがいきなり答えて言う。
「パイソンズの結成については、私の説明がまったく正しいと思う」
 この、いきなりな感じはなんでしょう。強引にそう結論づける。ジョン・クリーズの顔を思い浮かべるととても面白い。原文が読みたかったのだ、こういった部分の。それでアマゾンに原書を注文。8日〜10日後に到着とのこと。しまった。「神戸取材旅行」もあって、そのころはもう東京にいないし、書評の締め切りに間に合わなかった。まあ、趣味だと思ってあきらめるか。っていうか、アマゾンから来るべき「注文の確認メール」が届かない。おかしいな。

■それはそれとして、そうこうするうち「
MacPower」の原稿が先に書けてしまった。
■で、きょうはまたしてもENBUのワークショップだ。このあいだのワークショップは「サマースクール」というわけで、僕のワークショップを積極的に受講する人たちだったが、今回は一年間の「ENBUワークショップ」を受けている人たちに対するいわば特別授業ともいいうべきもので、そういった意味では、前回よりモチベーションが低いかもしれない。このあいだと同じことをしてもしょうがないと、今回はテキストをもとに芝居をすることにした。テキストは驚くべきことにシェークスピアの『ハムレット』である。そのごく一部をやる。五つの翻訳の同じ箇所だ。福田恆存、野島秀勝、小田島雄志、松岡和子、そして坪内逍遙による翻訳。
■異なる翻訳を読んでいて面白いのは、たとえば、オフィーリアの人物像がそれぞれ異なり、小田島雄志訳になってようやく「自立している女」が出現していることだ。時代がそうさせたのだろうな。松岡さんの訳になるといよいよオフィーリアが強くなる印象を受けた。そこへゆくと野島訳のオフィーリアはかよわいというか、はかない。面白いなあ。終わってから受講生の一人から「これをやるのはどういう意味があるのですか?」と質問を受けた。「逍遙の訳が面白いからだよ」とわけのわからない返事をした。面白そうだからやったわけです。ほかにあまり他意はありません。

■ワークショップは午後から夜10時まで。家に戻ってから桜井君から届いたメールを読む。きのう松倉のMDを桜井君に送りMP3にしてもらってCD−Rに焼いてもらった。電話して松倉の歌の感想を少し聞く。「声がいいね」と桜井君。それからいくつかのアドバイスを聞かせてもらった。今度は生の松倉を見てもらいたい。
■小浜からは、山口でいまやっているドゥクフレとの作業の報告。小浜も「あわあわ」しているそうだ。また足を痛めなければいいが。それで小浜によれば、「たけしさんと柄本さんの競演。1984年頃に放送してた久世光彦演出のドラマ『学問のススメ』で実現してたと思います。夏目宝石という教師役のビートたけしが柄本明をムチで叩いてたシーンが毎週あったことを覚えてます。(ちなみに、たけしの兄役はイッセー尾形でした。)」とのこと。へえ。トリビアかよ。で、小浜のサイトの「世界の車窓へ」というドゥクフレとの作業過程を綴ったノートが面白い。
■さらにある方から、「二ヶ月で四本の小説は無理です」とメールをいただいた。まったくです。うーん、悩むなあ、それにしても。とりあえず私はいま、「チェーホフを読む」を書かなければいけないのだ。そのことでさらに苦しむ。

(8:14 sep.8 2003)



Sep.5 fri.  「反時代的な観劇」

■ある雑誌を読んでいて発見したが、『レザボア・ドッグス』『パルプ・フィクション』の監督、クエンティン・タランティーノの、ファーストネーム「クエンティン」は、このあいだ書いたフォークナーの小説『アブサロム、アブサロム!』における「聞く人」=「クエンティン」と同じだなあと思っていたら、タランティーノの母親の証言によれば、タランティーノが生まれたときちょうどフォークナーの『響きと怒り』を読んでいたので、やはり『響きと怒り』にも登場する「クエンティン」にしたという。それはそうと、村上春樹作品の主人公はしばしばパスタを茹でている。全然、関係ありませんでした。
■ダンス界で権威のあるバニョレ国際ダンスコンクール(いま名前が変わったらしいが)に、横浜からノミネートされて、あの小浜が参加するという話を聞き、私は驚愕した。だって、バニョレだよ。いよいよ世界的ダンサーになってゆく小浜。『トーキョー・ボディ』の冒頭でいきなり登場するなり足を痛めた小浜、『知覚の庭』でやはり滑舌が悪くて困った小浜、僕が稽古場で暴力的な行為に出るとさっとよってきてあいだに入るよく気の利く小浜が、いまや世界的なダンサーってのはいったいどうなっているんだ。
■でも、今後の、『トーキョー・ボディ』路線を進めてゆくにあたり、踊る意志のある小浜がいてくれるのはとてもうれしい。頼もしい。いま山口県で、ドゥクフレの新作の稽古をしているという。だいたいドゥクフレの作品に呼ばれたっていうのがすごい。世界ツアーに出発するわけですよこのあと。なんて言っていいか、世界もあまりたいしたことないのかもしれないものの、そこで学んだことを生かして共同作業ができたらいい。

■きのう「あわあわしている」と書いたが、その直後、もうれつな勢いで、いろいろな人にメールを書いたのだった。
■松倉の歌をどうやって世間に知らしめるか、これをいま私は「松倉如子東京進出大作戦」と呼んでいるが、そのための戦術を考えていたのだが、なにより、松倉からもらったデモMDをどうやってダビングするかが問題だったのだ。なんて初歩的な問題だろう。それで桜井君などに相談。それから「■リングズ仲間」のT君にも。あと、笠木にもプロモーション問題で相談したが、笠木からとても適切なアドバイスのメールが来て感謝した。というかこの三人のなかで松倉の歌をMDで聴いたのはこのあいだワークショップの手伝いに来たときの笠木だけなので、話が通りやすいのであった。
■さらに松倉からメール。24日に来るとのこと。笠木がメールに書いていたが、すぐには無理とはいえいつかミニライブを開けるといいし、鈴木慶一さんに聞いてもらってアドバイスをもらうのもいい。鈴木さんといえば、関係ないけど、北野武監督の『座頭市』の音楽を担当しているのだなあ。あの映画、あたればいいなと、僕は思った。特に外国でね。パリに行ったとき、『千と千尋の神隠し』がそこらじゅうの映画館で上映されていて、いや、日本映画はアニメだけじゃないよと思ったのだが、『座頭市』はチャンバラだし、黒澤明が『七人の侍』で世界をあっと言わせた以来のものになればと思うのだ。えー、とはいえ、個人的な感想はまたべつ(試写会で見たわけですね、僕は)。あれは、僕にとっては、ビートたけし、柄本明というアイドルが共演するアイドル映画であった。二人が共演し、同じ画面に登場するのはこれがはじめてではなかったか。
■話が関係のないところにそれてしまった。そう、松倉である。「松倉如子東京進出大作戦」をとにかく敢行しようと思うのだ。でも、いま私はくりかえすようだが「あわあわしている」のだ。考えてみれば、きのう書いた以外にも、柏書房から出版する単行本の仕事がある。戯曲である。これも早急に整理しなくてはいけない。

■ところが、私は久しぶりに舞台を見た。このところ招待されることが多くて申し訳ないが(しかも見てないし)、きょう自分の意志で見に行ったのは、「面白いかどうかといういま演劇界を支配する価値コード」で言えばきっと面白くないと予感してはいたが、シアターXで開催される「ブレヒト的ブレヒト演劇祭」のオープニング作品、花田清輝の作による『首が飛んでも――眉間尺』である。この演劇祭に私はかなり期待して両国まで出かけたのだった。気分としては、「反時代的な観劇」である。
■終演後、ブレヒトの専門家、というかドイツ文学者の岩淵達治さんも出席なさるシンポジュウムがあることもあって足を運んだ。舞台の感想は長い言葉で批評しなくてはいけないので割愛。問題は、終演後のシンポジュウムだ。岩淵達治さんが来ないのだった。「遅れている」という説明でいつ来るか待っていたがとうとう来ない。で、シンポジュウムの出し物(?)のひとつに「見せ物学会」の人が大道芸を見せてくれたが、中村ゆうじ君の「芸」のほうがずっと見事であるのはいうまでもない。そこで劇場の外に出、たしか白水社のW君はこの近くに住んでいるんだなと思いつつタバコを吸っていたら向こうから岩淵さんが歩いてきた。で、そのあとを尾行するようにしてもう一度、劇場へ。だが、岩淵さんは舞台にも上がらず会はお開きになった。なんてことだ。
■あと、花田清輝の戯曲に興味があったのですね。『首が飛んでも――眉間尺』は中国の文学者、魯迅の原作を元に書かれ花田流「ナンセンスとファルス(=笑劇)」ということなわけだが、初演は一九七四年、俳優座。やっぱり、「ナンセンスとファルス(=笑劇)」とはいっても「知識人の劇」だ。と、つい感想めくが、新劇というか、まあ、ある種の演劇全般がそうだが、「知識人の劇」に「ナンセンスとファルス(=笑劇)」は困難な作業です。「からだ」がね、やっぱり、それにふさわしいものになっていないのである。だったら「知識人の劇」であることをより強固に開き直り、いまこそ俳優座が上演すべきではなかろうか。あるいは黒テント。音楽が首を傾げるすごさで、使い方とか、音楽もちょっとあれで、担当は、J・A・シーザー(日本人)、という方で、名前もすごい。
■最初に書いたとおり、「ブレヒト的ブレヒト演劇祭」というコンセプトにかなり期待していたのだ。だけどなあ。で、もっとブレヒトを研究し、さらに花田清輝のこの作品を検討し、正直なところ俺が演出したい気分になった。戯曲を探そう。

(5:05 sep.6 2003)



Sep.4 thurs.  「あわあわする」

■私は最近、ゆるやかな時間の感覚のなかで生きていたように感じ、それというのも、京都の町にいたり、大学で太田省吾さんと話をしたり、それはゆるやかな速度の土地であり人々だったが、きょう久しぶりに、かなり速度の高い人に会って、あ、あ、あ、と口をあんぐり開け、茫然とし、こちらが考える間もないうちに、仕事を引き受けることになってしまった。
■突然、猛烈な忙しさになったことに茫然を通り越し、むしろ憂鬱になっている。文芸誌「群像」の編集長Iさんである。久しぶりに会う強烈な人であった。話をしているうちに仕事をしなくてはいけないことになって、それはことによると小説ではないかと思い、けれど「会いたい人に会って対談しそれから書く小説」という企画らしく(そのへんがどうも曖昧なまま話が進んでしまった)、で、しかも、これまで文芸誌の小説執筆には締め切りがなかったがこの仕事は12月に締め切りがあるのだった。すると、その前に、「新潮」「文學界」「トリッパー」などに小説を渡さなければ申し訳ない。不義理をしてしまう。この二ヶ月ぐらいで四本は小説を書かねばと、ぎりぎりの場所に立たされた。
■とんでもないことになった。
■幸いなことには、ゼロからではなく、『28』をはじめ、ある程度の目星はついており、しかし時間をじっくりかけ丁寧な仕事をしたかったけれど「じっくり時間をかけ丁寧ないい仕事」と言っているあいだに、10年くらい経っているのでこれもまた、なにかが与えてくれた試練だと思って死んだ気にならなければいけないのではないか。ほかにも連載があるし、なにより「チェーホフを読む」が身を削る思いの仕事だ。今週中には第二回目の原稿を書く必要がある。ほかにも連載。「新潮」の書評(「モンティ・パイソン・スピークス!」)。15日からは神戸だ。東京に戻るのは22日だ。それから小説を書く。

■「あわあわしている」という表現があるが、まさにいま私は「あわあわしている」。そのあいだにも「ワークショップ」があるんだよ。いったいなんだこれは。で、あわあわしつつ、ふとした時間に『資本論』を読んでいた。『資本論』を読んでいると気分が落ち着く。このノートも途切れがちになるかもしれないが、しょうがない、なにしろ私は「あわあわしている」のだ。

(1:04 sep.5 2003)



Sep.3 wed.  「相撲と無知」

■『レイアウトの法則』(春秋社)の書評を仕上げ、さらに「資本論を読む」を書き終えてようやく夕方一段落着いたが、『レイアウトの法則』を読むのに三日、原稿(800字=原稿用紙二枚)を書くのに一時間弱という、どうなんでしょう、この仕事は。作業の比率は。思いのほか読むのに苦労した。それを800字にまとめるのはそれはそれで一苦労し、なんというか、時計の修理をする職人さんのような気分になったのだった。
■「資本論を読む」は八枚の仕事だが、そのうち三枚が『資本論』からの引用っていうのも申し訳ないものの、しかしここはどうしても一気に引用したかった。つまり「概念」を引用するのではなく、「叙述」そのものを読む。もちろん原語ではない日本語訳だが、引用した部分の「叙述」、いわばマルクスの「言葉づかい」の面白さをそのまま伝えたかったからだ。ほんとうにそこは面白かった。で、『レイアウトの法則』は生態心理学者の佐々木正人さんの著作だが、人の行為、たとえば「靴下を履く」をビデオにとって毎日くりかえし見ては行為を記述するという作業をしている。まあ、これ自体、研究者ってのはすごいと思わざるえないが、「饅頭を食べる人」の記述が面白かった。その一部。饅頭を二つに割って食べはじめ、その一方を口に運び、口を運動させ、そして、
「饅頭を食べる人はたまにその割れ口をじっと見る」
 人は見るんだな。ついつい見てしまうんだろうな。で、その論文のタイトルが「相撲と無知」である。ほかにも美術家や写真家、建築家との対談などが所載された『レイアウトの法則』はとても刺激的な内容だった。そして「身体論」としても読める。とこれ以上書くと、原稿と同じ内容をより詳しく書いたことになってしまうので省略。
 そんなわけで、読んでばかりの毎日というか「読む」のが仕事だ。で、それがすんだら今度は「チェーホフを読む」である。また読むのかよ。15日に「神戸取材旅行」に出発するのでそれまでに仕事をすませておかなくてはいけない。メールで原稿を送った夕方、東京はものすごい雷と雨だった。気晴らしにクルマで走ることにした。

■帰ってメールをチェックすると「群像」の編集者の方から連絡があった。そう思っているところへ電話。その方だ。あした会いましょうという話になった。ものすごいスピードの人である。次々に即決。巻き込まれたようにあした会うことになった。
■まったく関係のない話だが、先日、新宿の紀伊國屋書店で「ぴあ」を買ったらなかに「五百円の図書券」が挟まれており、「ぴあ」本体が350円だから、「ぴあ」を買うと150円儲かってしまうという不思議な事態に遭遇した。つまり1万冊買うと150万円儲かるという話である。だが、その一万冊の「ぴあ」をどうしたらいいかだ。そこでこれを50円で売るというのはどうだ。50万円の収入になって合計200万円の収益である。「ぴあ」としては発行部数によって広告収入に影響することもあり500円の図書券を入れてでも売りたいのではないかと推察したわけだけれど、なにがなんだかわからない気分になった。
■いまテレビでは「トリビアの泉」という番組が話題というか、視聴率を取っているという。まあ内容的に、それほど「へえ」とは言えないものの、番組の「作り方」が興味深く、この「作り方」がゴールデンで視聴率を取るということはテレビの傾向を変えると予感させる。「元気が出るテレビ」の「作り方」がその後の傾向を作って20年、ようやく異なるスタイルの発芽が出現したのではなかろうか。制作している人たちの心意気を感じる。まあ、どうでもいいんだけど。
■かと思うと、メジャーリーグではマリナーズの長谷川が好調である。長谷川を見るとどうしても松尾スズキを思い出すって言うか、似ているのだが、長谷川はかつてエンゼルスにいた。エンゼルスからマリナーズに移籍したとき、「(マリナーズについて)優勝をねらえるチーム」と答えていたのは印象的で、だが、長谷川が移籍したその年、マリナーズは地区優勝を逃し、あまつさえ、優勝をねらえないはずのエンゼルスがリーグ制覇しワールドシリーズに出たので、もうそのときから、「疫病神」と僕は呼んでいたのだった。その長谷川が好調である。長谷川が好調なのとは裏腹に、チームメイトのイチローも佐々木も調子が悪い。しかも長谷川は松尾スズキに似ているのだ。どうなんだ。

(0:35 sep.4 2003)



Sep.1 mon.  「でたらめへの意志」

■日曜日(8月31日)に今年の夏のワークショップ「サマースクール」が終わり、そのことはあらためて書くが、で、きょうになってひどく疲れたせいかからだのふしぶしが痛いしどうにも気力が出なくて仕事が進まない。
■「
MacPower」の編集長のHさんからメール。原稿を受け取ったとの確認の旨で、「面白かった」とあったものの、これまで僕が書いたエッセイより少し硬い感じがするとの感想。うーん、考えこんでしまった。硬いかなあ。ここんところユリイカの「チェーホフを読む」など演劇周辺について書くことが多かったし、「資本論を読む」も硬いっていえば硬いが、でも、「MacPower」はかなりふざけたことを書いたつもりだ。もっとでたらめに徹しなければいけないかと悩むのだった。職業的な悩みである。求められているのはさらなる「でたらめへの意志」だ。
■でも、人ってのは、日々、変化してしまうもので、「求められる同じことをやりつづける」という、ある意味におけるエンターテイメントは困難な仕事だ。人は学習してしまう生き物だし、知らず知らずのうちに成長や変容しているもので、日々の生産活動がそれを動かしているとするなら、たとえば「身体問題」など考えるにあたって、どうしても必要な文献をあたっていれば、それが「でたらめ」から意識を遠ざけたりする。『資本論』を読みつつもいつだって「でたらめ」を書ける「筆力」はこうなるともう文字通り「力」を必要とする。それを失いたくないと思いつつ、精一杯がんばっても「少し硬い感じがする」という感想がもたらされるので、いよいよ悩むのだ。

■ワークショップ最終日(8月31日)は「新宿」をテーマにした発表。全部で六組あるうち、二組目ぐらいまでちょっと苦しいかなと思っていたが、三組目から急に面白くなった。個々、班の参加者の力量、表現力もあると思うし、発想力というか、「フィールドワーク」からなにを喚起されたかという感性から生み出すものが試された。ただ、各班に共通していたのは、現象からもう一歩踏み出しさらに奥に入りこんで想像力をふるに回転させることで、僕も気がつかなかった新鮮な発見があればもっとよかったのではないかという点。表面をさらっとなでた印象。時間が少なかったし、一度発表してもらって、僕からの批評を受け、作り直してある一定の水準にいける時間があればほんとはよかったのだろうな。
■終わって打ち上げ。今回の参加者は終わってから質問をする人が多く、しかも周囲がうるさいので大きな声でそれに答えなければならなくてひどく疲れた。
■でも、勉強になったと言われれば単純にうれしい。
■ワークショップをやることで僕にとってのメリットは単に経済的なことだけではあるまい。質問に答えるとそれだけ僕も思考しなくてはいけないという刺激は少なからずあるのだった。

■少し疲れてきょう(九月一日)はだめだった。書評を頼まれている『レイアウトの法則』(春秋社)があまり読めなかった。そういえばきのう見学に三坂が来ていたので新潟でのニブロールはどうだったか聞けばよかった。桜井君からメール。「牛行列」と表題にあり、「こんなのあるんですね、御存じでしたか?」とあった。「カウパレード」のページ。こんな催しがあったのか。っていうか、ほんとは知っていたというか、他の人からメールをいただいていたが、忙しくて紹介できなかった。時間があったら行ってみたい。
■で、新潟のニブロールを見に行ったはずの桜井君の日記に、ニブロールの舞台について書かれていないかのぞきにいったら、まだアップされていなかった。そういえば京都に住む「滑舌が日本一悪い俳優」の本多君が所属するヨーロッパ企画が東京で公演をしていたので見に行ったが(うそ)、いやあ、よかった。見に行ってないので詳しくは知らないが、本多君の滑舌はひどく悪く「自治会」がうまく言えていなかった。「ヒフィクァイ」と発するので最初なにを言っているのか、見ていないからよく知らないがわからなかった。でもヨーロッパ企画はすごく面白い劇団だと思うが、あまり詳しいことはわからない。でもよかった。すばらしい舞台だった。見ていないから詳しいことはわからないがそう思う。自分でも書いていることがでたらめな気がする。そうか、これだな。「でたらめ」とはこういうことを言うのだな。
■もう九月だ。秋ですか。もうすぐ九月十一日がまたやってくる。

(1:01 sep.2 2003)