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Published: Feb. 21, 2003
Updated: Dec. 1 2003
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 *戯曲を読もう。「テキスト・リーディング・ワークショップ」のお知らせ。案内はこちら。 → CLICK
  (ENBUゼミの「短期集中講座」のページに直リンクさせてもらいました)

Nov.30 sun.  「公開審査」

■べつに、きのうノートを書かなかったのはジュビロがマリノスに負け、あろうことか、アントラーズが引き分けに終わったことで横浜マリノスの優勝が決まってすっかりやる気をなくしたからではないのである。
■そして、なんの因果か、そんなことがあった翌日、わたしは横浜に行くことになったのだった。なんども書いているように、「かながわ戯曲賞&ドラマリーディング」の公開審査があるので朝早く家を出、一路高速を使って横浜へ。睡眠時間が少ない。というのも、審査の準備として各作品について批評を文章にしていたからだし、そのための参考文献をあたったり、作品のひとつがモチーフにしたというアンジェイ・ワイダが作った、カントールの『死の教室』をビデオで見ていたからだ。先週、新宿のTSUTAYAで借りようとしたらよりにもよって貸し出し中で、こんなマニアックなビデオをいったいどんやつが借りてるんだと思ったが、返却が28日になっており、だったらもう戻っているだろうと29日の夜、借りに行くとまだ返却されていなかった。仕方なく渋谷のTSUTAYAに回る。ここで発見。渋谷のTSUTAYAはめちゃくちゃ混んでいた。
■眠ったのは午前六時。横浜までクルマでどれくらいかかるかわからないが、集合時間が昼の12時なので、少なくとも10時には起きることにしたが、とにかく眠い。しばらくぼんやりしていたが、11時過ぎに家を出て高速に入ったら思いのほか首都高がすいていて横浜まで一時間もかからず、ほぼ12時に横浜STスポットに到着した。

■審査員は、僕のほか、元黒テントでいまは神奈川芸術文化財団演劇部門プロデューサーをなさっている加藤直さん、演劇批評家の七字英輔さんである。時間があったので、かつて『
Rolling Stone』日本語版の編集長だった(七〇年代の話である)、七字さんから当時の話を聞くと、そのころ桑原茂一さんは同誌の営業部門を担当しており、「天敵だった」とのこと。いろいろな話が面白くてしょうがない。あと七字さんは外国の演劇事情に詳しくその話もとてもためになった。
■さて、午後二時からいよいよ公開審査開始。三人の審査員がそれぞれの視点から各作品について批評しそれぞれ異なる面を見ていながら、しかし、「いい」と思うのはほぼ一致しているのが興味深い。ひとつひとつ作品を順番に各自が感想を言葉にして進行。僕は、『神曲』(高野竜)というものすごいタイトルの作品を一番に推薦した。つぎが『空の駅舎』(中村賢司)。
■『神曲』はすごかった。四〇〇字詰め原稿用紙で340枚という大作。きわめて興味深く僕はこの作品を読んだ。加藤さんの指摘では、かつて黒テントの作品、『ブランキ殺し上海の春』に構造的によく似ているとあったが、僕もそれは感じその構造のダイナミズムがいま書かれる戯曲としては貴重だ。そのとき加藤さんは「10年くらい前にブランキを上演し」と言ったので、すかさず僕は、「いや、ブランキは正確には25年前です。そのときブランキを演じていたのが加藤さんです」と若い観客のために補足。当時、僕は黒テントと佐藤信さんの戯曲が大好きだった。まあ、それはそれとして、『神曲』という作品の作者は37歳だと資料にあり、そして、この戯曲を書くのに13年かかったと「作者のことば」に書かれている。ここで、おや、と思ったのは、『神曲』は言うまでもないが、「ダンテ」による古典作品のタイトルで、そのダンテが『神曲』を書いたのに費やした時間がやはり13年である。ここになにやら、応募作の『神曲』のほうの作者の戦略というか、すべてが巧みに紡がれた冗談だという推測を僕はしたのだが、すると、『神曲』というタイトルもまた、本気ではないのかもしれないし、ことごとく作者の書いていることは嘘ではないかと思えてきた。37歳という年齢が怪しい。七字さんの指摘に、作中、「中共」という言葉が使われているのが奇妙だとあり、いま「中国」のことを「中共」などと表現する人間がいるだろうかと考えれば、年齢が怪しくなり、ほかにも職業が「精肉業」という点にいろいろ想像させるものがある。なぜかは詳しく書かない。自分で考えるように。作者は去年も応募したらしいが、そのときは「料理人」と職業欄にあったというから、「精肉業」も怪しい。とはいえ、登場人物の何人かが在日コリアンであること、作中、いくどかハングルが使われたりなど、きわめて謎めいたテキストだ。作者が会場に来ていないか気になった。会ってみたかった。

■結局、受賞は審査員のあいだでほぼ一致した意見として、『空の駅舎』に決まり、『神曲』には、敬意を表するという意味の「賞」に近いものが与えられることになった。『神曲』は読むテキストとして興味をひかれるが、一致した意見として出たのは、これは上演が不可能ではないかという話だ。まず上演時間がきわめて長いだろうと想像されるし、原稿用紙にしておそらく10枚以上の「独白」がしばしば出てくる。やたら長い。できるか俳優にそんなことが。さらに、ト書きに「超絶技巧でヴァイオリンを弾く」というのがあって、そんなことが可能な俳優が存在するかといえば、まずいないわけで、ほかにも様々な条件がありたしかに上演は不可能だろう。ただ、僕は刺激された。戯曲の前半に書かれている、「北関東」の言葉に、劇言語としての可能性を感じもしたし、世界を造形する手つきのスケールの大きさもよかった。
■ほかにも、『マルチメディア』(石神夏希)という作品は、読み終えて思わず、「面白いな、これ」という言葉が出るほどよくできており、で、そのあと知ったのは、この作品の作者が去年の受賞者だということだ。コンスタントにいい作品を書いている。あるいは、『青春(あおはる)ポーズ』(桑原裕子)は、ある意味、すこぶるうまい。笑いのセンスもいい。ただ、「うまい」ことによって劇を構成する世界が「下北沢サイズ」になっている。あるいは稚拙だがある不思議な面白さをもったテキストとしての『第三世界』(ヒロイナオコ)も印象に残った。
■それぞれの作品から喚起されるものは大きかった。もちろん、これはだめだというのもなかったわけではないが、たとえばそれは、いま「演劇」がなにを問題にしているかという「問い」のない場所で、ある種のアングラ演劇的叙情感にもたれかかったまま粗雑に書かれた作品で、「問い」がないまま書かれたそれは、その「問いのない空間」にある限り、ひどく趣味的なエクリチュールにしかなりえず(しかも頻出する「言葉遊び」がことごとくつまらない。あるいはト書きに照明さんに対して「後半です、頑張れ」といった言葉があり、そんなこと言われても照明家はがんばらないというか、逆にがんばりたくなくなるだろう。作者はそんなにえらかない)、するとですね、これはつまり、カルチャースクールで主婦が描いた「油絵」みたいなことになっており、いま演劇の現場における「生政治」と様々なスタイルによる闘争をそれぞれの演劇人が行為しているのだと考えれば、その趣味性ゆえに、ふざけるなよおまえ様と、ついつい言いたくもなるのだった。あ、そういえば、「"■"リングス」に参加している「
Superman Red」のS君が公開審査を見に来てくれた。S君はどこにでも姿を現すのだった。

■きょう渋谷区では選挙があったがうっかり投票に行くのを忘れた。夕食をすませて家に戻りテレビをつけると、バレーボールの中継をやっていた。日本対ブラジル。見ていていちばん気になったのは、サッカーではなく、バレーボールをやってしまうブラジル人とはいったいなにかだ。野球の強い高校に入って、野球部ではなく、ハンドボール部に入った人間に似ている。よくわからないが。しかも、バレーボールもブラジルは強い。この一週間、ずっと演劇のことを考えていた。一段落つきました。で、12月。

(7:36 dec.1 2003)



Nov.28 fri.  「戯曲のことばかり考えている」

■また、青山真治さんや、きのう書いた斉藤陽一郎君からメールをもらって返事をせねばと思っていたが、仕事があって書きそびれてしまったので、ひとまず、ここでお礼を。読んでいてくれればと思うのだった。
■昼夜が逆転の生活だけれど、青山さんのメールを見たら未明の時間に書かれているのがわかり、すごく早起きなのか、それとも、やはり昼夜逆転なのかどちらなのだろう。30日の公開審査は昼間にあり、わりと早く家を出なければいけないので、生活を変えようと思っているうちにまたこんな時間にノートの更新だ。発行が「日本劇作家協会」となっている、『戯曲の読み方』(デヴィット・ボール・常田景子訳)という本をいつだったか送っていただき、突然、読んだのだが、これを「日本劇作家協会」の名前で出すのはいかがなものかと思った。アメリカの人のこういった書物はどうも信用のならないところがあるのが私の感想だが、それというのも、見事な「マニュアルぶり」だからだ。もちろん基本的なことはとても正しくまとめられており、基礎的な入門書としてはいい本だと思いつつ、やっぱり「演劇観」のところでひっかるのだ。これを読んで基礎的な技術を学び、それで、劇作家として、演出家として、俳優、スタッフとして、プロとして認められようという感じがあり、もっとくだけた言葉で書けば、「ぶっちゃけた話」という種類の叙述なのだった。観客の興味ははこうしてひきつけることで、戯曲はお金をもらえる作品になるといった類の「ぶっちゃけ感」である。まあ、ほんとに、ぶっちゃけた話、そうなんだろうけどさ、それだけでは納得がいかない。例証される『オイディプス王』は果たして、そうした「ぶっちゃけ感」だけで、古典としていまに残る、いまもなお読むに耐えうる物語だったかどうか。もっと「ぶっちゃけ」とは異なる普遍的な悲劇性がそうしているのではないか。
■デヴィット・ボールの『ハムレット』の読みは細密であるが、その「読み」の根本にある思想にどうもなじめなかった(ほんとは引用してそれを例証したいが時間がない)。いや、もちろん、タメになる部分もかなりあるが、それだけか、と少々疑問に思う。

■また一日、家を一歩も出なかった。演劇に関する本ばかり読んでいた。「かながわ戯曲賞&ドラマリーディング」のための仕事はあまり進まない。時間がない。もっといい仕事にしたい。それにしても、戯曲を読むことがどんどん面白くなっている。「テキスト・リーディング・ワークショップ」のラインナップで、イプセンを忘れていたのを思い出す。どこかに入れよう。モリエールや、ラ・フォンテーヌも入れるべきだと思いつつ。それにはあと一年ぐらいは時間が掛かるのだと思った。
■そういえば、斉藤君に僕は14年前、彼が出演している舞台を見ているのだとメールで知った。世間は狭いし、記憶は曖昧。どこの、どんな舞台だったか、まったく忘れている。

(6:14 nov.29 2003)



Nov.27 thurs.  「読書の連鎖」

■青山真治さんからメールが届く。とてもうれしかった。
■で、僕の舞台に出ている誰かとつい最近、知り合ったというので、そういう関係は、三坂だろうと考えていたが(って、勝手な話だが)、メールを書いている途中で思い出したらしく、「『亀虫』だ」とあって、ようやく、笠木のことだとわかった。さらに青山さんの映画作品、たとえば、『
Helpless』、『EUREKA』の秋彦を演じている、斉藤陽一郎君がこの「富士日記」をよく読んでいるとあって、気になって斉藤君を検索、自分で作っているのだろうか、公式サイトがあった。僕や岩松了さんの舞台によく出ている戸田昌宏君と下北沢で飲んだという話が日記に書かれていた。世間は狭い。下北沢は狭い。あの町を歩くと演劇人に会う可能性がかなり高い。
■眠れないので薬を飲む話をここにしばしば書くが、青山さんもそうらしい。「一冊の本」(朝日新聞社)に連載されている小林信彦さんのエッセイが、最新号でそれに関連するような話だったのを思い出す。かなり陰鬱な話である。前回は「自由業」について、それがいかに自由ではないかについて書かれ、そして今回はそのつづきのように、自由ではないどころかつねに経済的に苦しめられ、あるいは創作上で苦しむ話になり、救いのない話になる。リアリストとしての小林信彦がいる。苦しんだあげくある者は酒に溺れ、ある者はクスリに手を出す。『台詞の風景』を読むと、別役さんも同じようなことを書いている。本当に救いのない陰鬱な話だが、そうした生き方を選択してしまったのだからしょうがない。
■「一冊の本」でいつも楽しみにしているのは金井美恵子さんのエッセイでこれがまた絶好調である。青山さんの小説版『
EUREKA』の解説(文庫)を金井さんがしており、映画監督ではなく、小説家としての青山さんに贈る言葉として書かれたのが、「『競争相手は馬鹿ばかり』の世界にようこそ」だ。いきなりきたね。「競争相手は馬鹿ばかり」という言葉自体は、ある話からの引用だが、それを容赦なく使う金井さんがすごかった。新刊のエッセイ集のタイトルもそれだという。

■で、引きつづき、「かながわ戯曲賞&ドラマリーディング」の仕事をしているわけだが、それで参照しようと思い、たとえば、先にも書いたように別役さんの『台詞の風景』を読めば、これがまた面白くて困る。取り上げられ分析されている戯曲、たとえば、三島由紀夫の『サド公爵夫人』を棚から出してきてまた読み、すると、澁澤龍彦が読みたくなったりなど、きりがないのだ。いわば読書の連鎖だ。仕事があまり進まない。一日が終わる。あ、そういえば、何通かマンガを推薦してくれるメールをもらったのだった。またこんど紹介しよう。

(3:04 nov.28 2003)



Nov.26 wed.  「土木作業員系の俳優」

■夜、「BSマンガ夜話」というTV番組を見る。というのも、特集が、「永島慎二」だったからだ。いしかわじゅんさんや、夏目房之介さんの話は興味深かったが、岡田斗司夫には、自分のポジションはここであると演じているようなものを感じ、それをキープするその賢さに、なにかいやなものを見た。もうちょっとうまくやれば面白くなるポジションのはずだが、「賢さ」を見せてしまうのはちがうのではないか、って、ダメ出ししてもしょうがないっていうか、見るべきは「永島慎二」だった。
■考えてみると、最近、ぜんぜんマンガを読んでいない。なにを読んでいいかわからないのだった。しりあがり寿さんは新しい単行本が出るとたいてい送ってくれるので読むが、知っている名前を読むことはあっても、新しい作家のことはなにも知らない。「ユリイカ」の前号(11月号)は、「マンガはここにある」という特集だったが、取り上げられていた新しい人たちを、誰一人として知らなかった。
■なにか刺激してくれるものがあると、小説や映画、音楽、もちろん舞台もそうだが、それらとはまた異なり、マンガはまたべつの感覚に響いてくるように思うのだ。それを敏感に受け取れなくなっている。

■また「かながわ戯曲賞&ドラマリーディング」の仕事をしていた。ひとつひとつの戯曲について考え文章にする作業。人に読んでもらうというより自分のために書いている。
■そのとき、別役実さんの本をいくつか読みたくなったが、『台詞の風景』(白水社)が本棚のどこにも見つからず、いやどこかにあるはずだとさらに探すが、面倒になったので新宿の紀伊國屋に買いに行くことにした。ほかに演劇の雑誌をひとつ。さらに「文藝」の中上健次の特集のようなものが平積みにされていたのでなにも考えず手にとってレジへ。『台詞の風景』はこれで二冊になってしまったと思いつつ、家に戻ったら、「文藝」の中上特集もかなり以前に買ったと、家に戻ってその表紙を見て気がついた。なんの買い物だこれは。
■仕事をしつつ、ぱらぱら本を読んだりする時間だ。少し余裕がある。いや、やるべきことはまだほかにもいろいろある。のんびりもしていられない。で、きょうふと本屋であることを思いつき、さ来年の舞台に、土木作業員系の俳優を何人か出したい気分になった。もしその方向で考えると、あの人は欠かせまいなあ。韓国に行く飛行機のときは一緒だったのに、その後、まったく会わず、一緒にいた人の話によると、酒に酔ったその人はソウルの道で倒れていたという。土木作業員系というのが、さ来年の舞台のキーになるかもしれない。

(4:06 nov.27 2003)



Nov.25 tue.  「携帯電話前・後」

■昼間、タバコを買うために外に出て、細かい雨の中を近所にあるオペラシティまで歩く。恒例のクリスマスの飾り付けがなされていたが、去年より規模が小さくなっている印象だ。不況ということでしょうか。オペラシティのなかにある紀伊國屋書店に入ってもこれといって興味をひかれる本はなかった。雑誌など、ぱらぱらと目を通す。
■家に戻ってまた本を読む。少しのあいだ連載の締め切りがないので余裕の一日。ただ、「かながわ戯曲賞&ドラマリーディング」のための作業がある。どれを推薦しようかしっかり考えよう。そういえば、この賞のための戯曲の下読みをしたというOさんという方からメールをもらった。かなりの数の応募があったと思われる戯曲を下読みし、それで最終選考作品として11作に絞った仕事を想像すると、正直なところ頭が下がる。そういった方たちのためにも、いいかげんな仕事にしてはいけないと思った。
■で、ちょっとだけ感想を書くと、全体を読んだとき作品にしばしば出てくる「携帯電話」が印象に残り、「携帯電話前・携帯電話後」と、あらゆるジャンルの「表現」は区分されていくのだろうかと気になり、もちろん「電話後・電話前」という時代もあったとはいえ、携帯電話が新たに開示した「人との関係の取り方」は、「電話後・電話前」に生まれただろう「関係の変容」とも異なって、「劇」をなんらかの姿に変えているのではないか。
■以前、学生の一人が、「コンピュータの世代の人だから」と言っていたことはすでに書いたが、「コンピュータ世代」と「携帯電話世代」ですら、なにか異なるのかもしれない。で、考えてみるとですね、僕の読者がそうなのかもしれないが、たとえばこのページで呼びかけた松倉のライブにしろ、以前敢行した、「池袋サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」にしろ、来た人の年齢層が高いような気がしていたのだ。いただくメールも年齢の高い方が多い。「池袋サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」のとき少し話を聞いて驚いたが、「三十代の無職の男」がなぜあんなに多かったのか。ちょっと笑ったけど。子供連れの人もいたり、編集者は多いしで、きわめて年齢層が高かった。これが舞台になると変わる。たとえばうちの学生でもコンピュータを所有しネットに接続している者はあまり多くないし、メールといえば、やはり携帯電話だ。だからネットで呼びかけたとき集まってくれる人の年齢は高いのだろうか。「コンピュータ前・後」ともさらに異なる、「携帯電話前・後」という時代相だ。なにか興味をひかれるところである。

■「群像」のYさんからもメールがあり、このあいだ送った小説の感想が書かれていてうれしかった。自分でもまだわからないこともあるし、小説について自分で納得のいかないことが多い。とにかく書くことしかないと思いつつ、いま進行中の小説は止まったままだ。だめである。
■夜、新宿の「模索舎」に行く。ときどき行きたくなる本屋である。
Cine Lessonというシリーズの『スーパー・アヴァンギャルド映像術』(佐藤博明+西村智弘+編集部[編]・フィルムアート社)と、あと雑誌を一冊買う。「模索舎」のサイトにはこの本屋で売れているランキングがあるが、ものすごく特殊なのは、店の性格からいってしょうがないものの、八月のベストワンが、私が最近、「面白グループ」と呼んでいる集団を研究した本だ。このグループが神戸の、「あの町の事件」を冤罪だとして様々な活動をしており、しかしどう考えても妄想にしか思えず、いよいよ「面白グループ度」が高まっていると感じていた。なんだろうこの連中はと不可解だったが、ある日、ふと理由がわかった。わかったけれど、ここはひとつ、「政治的判断」ってやつで書かずにおく。
■考えてみれば、「オウム真理教」もまた、登場した当時は、すこぶる愉快な「面白グループ」だったのだ。京王線の明大前に住んでいたころ、町でポスターを見かけたり、ポストにチラシが入っていて、これはまた、おかしな連中が出てきちゃったよどうもと、笑っていたが、「面白グループ」はほっとくととんでもないことになるのだとしたら、ことによると、「面白グループ」と規定するその批評の視線そのものが無効なのかもしれない。そのことについては、大澤真幸さんの書いた、『虚構の時代の果て ――オウムと世界最終戦争』にある、マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリューメル十八日』を引いた考察がとても示唆的だが、例によって、長くなるのでまたにする。

(3:28 nov.26 2003)



Nov.24 mon.  「居酒屋メッカ」

■最終審査に残った戯曲はすべて読み終えた。
■様々な種類の作品があって、それぞれに面白く、刺激的だった。むろんだったらプロの劇作家の作品をもっと読めばいいという話になるが、それともまた異なるものがここにはあるのではないか。だからむしろ、プロの作家に近いというか、技術的にうまいものより、なんだこれはといった作品にひかれはしたが、詳しい感想は、何度も書くようだが、公開審査のときまでルールとして書かないようにする。11月30日。横浜のSTスポット。14時より。
■読み終えて、これから批評をまとめて文章化しようと思ったがこれはちょっとたいへんな作業で、そんなことはせずに、思いつきで当日話をしてもいいようなものだが、いや、きちんとそれをするのも礼儀だし、いちばんは自分の勉強である。

■そういえば、このあいだ、松倉が新宿でライブをやったとき、京都からピナ・バウシュを見に来ていた学生のYが、「宮沢さん、損しましたよ、ダンス、すごくよかったんですよ」と、卒業制作のダンスを僕が見なかったことを非難したのだが、そのことに関しては繰り返すようだが申し訳ないと強く思っているものの、ここで言うなよお、と思ったのは、周囲に、役者たちがいっぱいいたからだ。というのも、僕は役者たちが出る舞台をまったく見ていないのであって、「見てくれ」という言葉を彼らもまた、言いたいに決まっているのだ。だが彼らは僕に遠慮してそれをいっさい口にしない。言えるのは学生だからだな。
■大学で教えて悩むのはここらあたりのさじ加減がむつかしいことだ。厳しく現実をつきつけるか。学生のうちだけでも可能性に希望を与えるべきか。なにしろ、大学の外に出たらひどく厳しい現実は待っているのだ。表現を志したら直面せざるをえない、現実的な様々なやっかいなできごと。みんなそれで苦しんでいる。というか、僕自身でさえ、苦しんでいるのだ。大学は専門学校ではないので、そんな「現実的なこと」など学ぶ必要はないとは思うし、べつに、大学で演劇やダンスを学んだからといって表現者になる必要はなく、それをひとつの教養として身につけ生きることの糧のようなもの、あるいは、「表現」を通して世界を見ることを学ぶ場だと考えれば、「現実」はどうでもいいような気がする。
■悩むのですね、ここらあたりが。もっとこう、外国のように演劇教育が「演劇の専門家」を育てるというシステムが国のレベルで進んでいればまた話はべつになるし、その場合、わたしはそこで教えていないと思うというか、そもそも呼ばれない。「演劇のスタンダード」が確立されていないこの国の演劇教育について少し考えたのだった。

■戯曲を読み終えたので、またべつの読書をする。『転向とドラマツルギー 一九三〇年代の劇作家たち』(宮岸泰治・影書房)。「劇作家の転向」「劇作家の戦争責任」について過去にしっかり議論されてこなかったと、『革命的な、あまりに革命的な』で、スガ秀実さんが書いていた。そういったことを考える手がかりが本書にはある。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のつづきを少し読む。あと短編小説。
■関係ないけど、甲州街道を西の方角から家に戻る途中、笹塚あたりに「居酒屋メッカ」という店があって、以前からずっと気になっていた。「メッカ」ってその名前はどうなんだ、なぜ居酒屋なのかと疑問だったが、「無限回廊」というサイトの殺人事件の記録のなかに、「バー『メッカ』殺人事件」というのがあるのを発見して不謹慎にも笑った。
■家を一歩も出なかった。

(4:35 nov.25 2003)



Nov.23 sun.  「いくら飲んでも減らない飲み物」

■相変わらず戯曲を読み続ける日々である。で、昼間、Jリーグの中継を見てしまったわけだが、市原を応援する気持ちがなかったわけではなく、それというのも、マリノスを優勝させるくらいなら市原に勝たせたいと思ったからだ。まあ、次節、ジュビロとマリノスの直接対決があり、ジュビロが勝てばいいんだけどね。それにしても、仙台はなぜ、あんな得点差でマリノスに負けたのかだよ、問題は。あんな点差(4点)がつかなければ、市原にもチャンスが生まれ、さらに最終節は面白くなったが、仙台はそういった意味でJ2に落ちてもしょうがない。
■と、どうでもいいことを考えていたが、で、さらに戯曲を読む。「かながわ戯曲賞&ドラマリーディング」(18日のこのノート参照)に応募され、最終審査まで残った11作品中、9本まで読んだ。なかに、400字詰め原稿用紙に換算すると340枚という長尺の戯曲がひとつある。僕はふだん、240枚くらいだから、これはかなりの力の入り方だし、言葉はものすごい強度。読むのにエネルギーがいる。どの作品もそれぞれ面白い。感想は30日にある公開審査にて発表。
■で、きょうようやく発見したが、神奈川県の芸術文化財団のサイトから、「かながわ戯曲賞&ドラマリーディング」の公式サイトにはどうやってもいけない。謎だなこれは。誰がどんな方法でそこにたどりつけたのかと思う。まあ、公募を告知するフライヤーなどにURLが記載されていたかもしれないが、それにしたって、これは少し不親切ではなかろうか。

■夕方、ちょっと買い物をしにクルマで走る。都内をぐるぐる意味もなく走って気分を換える。東京には山がないと、京都の人は言うのだった。関東平野は名前の通り平地ということになっているが、しかし、山がないわけではなく、山や丘をも覆って町ができてしまったのだろう。起伏はかなりきつい。自転車で走るとその地形がよくわかるし、クルマでもそれは感じられるのだ。
■京都はどこに行っても山が見える。これから京都はきっとひどく冷える季節になるだろうが、冬の京都はそれはそれで味わい深かった。観光客があまりいない時期なので、どこの寺に行っても静かだ。あれは、大徳寺だったか、とにかく誰もいなくてしみじみとした切なさが漂っていた。大徳寺という広大な敷地のなかに、いくつかの小さな寺があることは行って初めて知った。なかに、誰もぜったい足を踏み入れないのではないかという、ほのぐらい木々に覆われた場所にある寺を見つけたとき、少し怖い心持ちにさせられた。これからいよいよ京都がいい季節になる。あ、そうか、2005年の遊園地再生事業団の公演は、もしかしたら京都でもやるかもしれないので、となるとですね、冬の京都を楽しめるかもしれない。
■あ、それで思い出したが、松倉が東京に来てカフェでエスプレッソを頼んだという。それがどんなものが知らずに頼み、出てきたカップが小さいので驚いたが、さらに驚いたのは、ひどく苦かったからだ。ミルクと砂糖を入れて飲んだ。まだ苦い。で、しょうがないので水を足したという。そのうち、いくら飲んでも減らないことに気がついた。いくら飲んでも減らない飲み物だ。とんでもない注文をしたと後悔したが、それで松倉が僕に言ったのは、「あんなに長い時間を共にする飲み物だとは思わへんかった」という言葉だ。笑ったなあ。

(6:40 nov.24 2003)



Nov.22 sat.  「山羊の世話は誰がするか」

■来年の3月1日(月)から8月6日(金)まで、早稲田大学演劇博物館で「遊園地再生事業団と宮沢章夫展」というものが開催される。夜、永井が来て、そのことについて相談していたがタイトルをどうするかまずは考える。先に書いたタイトルに決まるまで五分は考えた。これまであった演劇博物館の同じ催しのタイトルを見ると、「燐光群の20年」とか、「〜の15年」といったものが多いので、「遊園地再生事業団と宮沢章夫の47年」にしようかと思ったが、永井が、「それは一部ウソになります」というのでやめた。
■展示に伴って6月に講演会があり、授業の一環だとのことだが、誰でも聴講できるのではないかと思う。このところ講演といった種類の場所で同じ話ばかりしている。なにか新しいことを考えておこう。
■さらに永井と、二〇〇五年の公演について相談。時期と場所は決まったので今後のスケジュールなどを決め、さらに出演してもらいたい人の名前を上げてゆく。で、山羊を出したいと私は思ったのだった。動物の山羊である。なにか話をしていると、「ちょっと山羊見てくる」と立ち上がって奥に行くと、その奥の映像が生でスクーリンに流れ、それは山羊を見ている人だ。でも、舞台前方の芝居は進行しているというのはどうだと、永井に提案したが、「それは、もしかしたら、毎日わたしが山羊を家に連れて帰って世話をするということでしょうか」というので、やめることにした。「じゃあ、亀にするか」とか、「でも、牛はかわいいだろう」とさらに提案したが、「牛は暴れるかもしれません」というので、ああ、それは面白いなあ、壁をぶち破って牛が舞台に出てきたら笑うなあと思ったが、だからなんだという気がしたのでやめたのだった。

■あいかわらず、戯曲を読んでいる(18日の日記を参照してください)。いろいろ考える。刺激されることが様々にあって面白い仕事だ。ただほかの本が読めないのだった。というか、応募された作品を読んでいると、これはあの演劇の傾向に属する戯曲ではないかといったことを考え、その系統の先行する戯曲を棚から出して参照してそれはそれでつい読みこんでしまい、またべつの読書になってゆく。
■たとえば佐藤信さんの『ハロー・ヒーロー(イスメネ・控室・地下鉄)』を読み、その上演記録に、「演出・観世栄夫」とあるのを見、僕はもちろん舞台は観ていないが、どんな舞台だったか想像する。「舞台」は消えてしまうが、残された「戯曲」と「写真」には、なにかを喚起する力がある。「劇場」にどんな空気が漂っていたのか想像させるものがそこにある。
■そういえば数日前、岩崎書店のHさんから『隈取り ―歌舞伎の化粧―』という本を送ってもらった。これは図が面白いし、絵を見ながら歌舞伎の歴史の勉強にもなる。「隈取り」というのは歌舞伎を見ればすぐに目に入る役者たちの顔にほどこされた、あの独特な化粧のことですが、いろいろな種類があるのがまず興味をひかれ、なかでも私が気に入ったのは、「コンガラ童子」だ。ものすごく怖い。すごく怖いが、名前がすごい。「コンガラ」である。なんのことだかわからない。

■戯曲を読んで一日が過ぎてゆく。

(4:52 nov.23 2003)



Nov.21 fri.  「やりたいことはまだまだある」

■そうか、「演劇」と「死」の親和性ではなく、いかにして「死」を扱うかだなと、さらに応募された戯曲を読みつつ考えていたのだった。「劇的なるもの」は表現の媒体がなんであれ「死」がしばしば扱われ、けれど、演劇に独特な「死」への親和性を感じてはいたものの、それがどう表現として昇華されているかに着目すべきではないか。そのことを考える。というか、「死」そのものについてもっと考える必要がある。
■で、また原稿を書いていた。「考える人」の連載である。「無意味な写真」を添付して「考える人」のN君に送った。これでようやく一段落。書き終えたのは夕方だったが、ひどく眠くなって寝ることにした。久しぶりのゆっくりとした睡眠。韓国に行ってから睡眠が浅くてどうにも疲れが取れなかったが、目が覚めたらすっきりしていた。
■ほんとは夜9時から、池袋シネマロサで、笠木や安彦が出ている『亀虫』という映画のレイトショーがあってきょうまでだったので行こうと思っていたが、目が覚めたらもう夜の8時半だった。妙な夢を見た。芝居の夢だ。今朝も夢を見ていた。それがまた奇妙な夢だったので、メモしておこうと思ったが忘れてしまい、残念なことになったわけだが、それをもとに小説を書こうというよこしまな考えがなかったわけではない。というか、その夢の内容が小説にとって大事に思えたからだ。

■学生のFからメールをもらった。このあいだ(17日)、大学で四年生によるダンスの卒業発表公演があり、それを僕が見に行かなかったことに触れ、「すごく残念でした」とあった。これに関してはもう、ほんとに申し訳ないとしか言いようがない。えーとねえ、ほんとに俺は疲れていたのだった。死にそうだったっていうか、物理的に無理だったのもある。それで思ったのは、だから僕は大学を辞めるのだなということで、やっぱり、あのですね、自分の活動と、大学で教えることが両立できないというか、「人」に疲れた気がする。どうしても面倒みてやりたいと思うしね。できるだけ、話をしてあげたいと思うが、それがもう限界になってきた。
■そういえば、坪内逍遙についての講演で早稲田に行ったとき、講演が終わって軽い食事をしていたときのことだ。早稲田で演劇を教えているOさんに、「僕は来年で大学を辞めます」と話すと、一瞬、Oさんがなにかを考え、そこになにやら恐ろしいものを感じた。いま、この人、なにか考えているぞと思ったら、ある客員教授の名前を出して、その人の任期がそろそろ終わるという話をするのだが、それはいったいなんだと、いよいよ怖くなった。
■学生たちと接するのは楽しかったし、いろいろ教えられ、刺激されることも多かったが、辞めるのは僕の側のごく個人的な理由である。簡単に書くと、このままだと俺は死ぬ。やりたいことはまだまだあるのだった。

■先日の松倉の路上ライブに関してもいくつかメールをもらった。10月の
Otraでやったライブに来たある人から(その直後にもメールをもらったが)、またメールが来て、内容はギターのT君への批評である。僕には批評する資格がないが、T君が松倉の伴奏をする限り、松倉のライブは聞きに来ないというので、ああそうですかとしか言いようがないが、こうなったら意地でもギターはT君にやり続けてもらおうと私は思うのである。というのも、京都から松倉が出てくるのに合わせてT君がスケジュールを空けてくれ、むしろ迷惑をかけているのはこちらだからだ。その人はもう、一生、松倉の歌を聞かなくていい。ただ、「聞く側」にとっては内部の事情は関係がないし、言い訳ができないのがプロの仕事だ。批評に対して、罵倒はしても、言い訳はしない。いやあ、ついムキになって罵倒してしまうことがあってだめである。これでもかと罵倒しまくることがあって、相手がばかだったりすると(たいていばかなんだけど)、つい罵倒に力が入る。
■今回は音楽の専門的なことが正直よくわからないので、いろいろな方にそのメールを回送し読んでもらい意見を聞こうと思ったのだった。

(6:20 nov.22 2003)



Nov.20 thurs.  「鈴木慶一さんのレクチャー」

■昼間、毎日新聞の連載原稿を書いた。
■それからまた、神奈川県の芸術文化財団が主催する「第3回かながわ戯曲賞&ドラマリーディング応募作品」の戯曲を読む。読んでいるうちにこれはかなり勉強になる仕事だと思ったのは、読みつつ、演劇について思いが浮かぶことがいくつもあるからだが、きょう考えていたのは、「演劇」と「死」の親和性についてである。で、予定としては今週中に戯曲(11作)を全部読み終え、来週になって選考会まで、ひとつひとつの作品について、批評を文章にしておこう。そのためには戯曲のほかに読んでおきたい文献がいろいろある。こうなったら徹底的に分析しよう。よくわからない情熱。というのも、その作業が面白いからだ。面白くなかったらやらない。日本でいちばんの「戯曲読み」は、別役実さんだと思うが、あれだけの分析力に近づけたらと、今回の仕事をしながら思い、戯曲の読みについての研究をもっとしたくなったのだった。
■そんなとき、郵便局から代引き郵便が届く。ネットから古書店に頼んでおいた、福田善之の『真田風雲録』という戯曲が届いた。テキストリーディングワークショップで読んでみたい作品のひとつである。12月のテキストリーディング・ワークショップは「現代日本の戯曲特集」である。平田オリザ、鐘下達男、松田正隆、岩松了で、どれも重く暗い。暗い気持ちになりながら年を越そうと思っているのだった。1月は、ジャン・ジュネの『屏風』や、ゲオルク・ヴューヒナーの『ヴォイツェク』、ほかにハイナー・ミュラーの『ハムレット・マシーン』以外の戯曲、ジャリの『ユヴュ王』など特殊な戯曲特集。さらに2月にはいると、福田善之の『真田風雲録』からはじまる六〇年代の演劇、清水邦夫、佐藤信、寺山修司か唐十郎の、政治的な作品を取り上げ「時代との関わりとしてある演劇」について考えよう。そこにつかこうへいも入れ、時代についてしっかり押さえてゆくべきか悩む。三月、この月で一区切りなので、ギリシャ悲劇のなかから『オイディプス王』、近松門左衛門の『心中天の網島』など、古典を読もう。ぐるっとひとめぐり、最後にもう一度、シェークスピアを読んでもいい。あ、ブレヒトを忘れていた。あと三好十郎など新劇系の作家、八〇年代の作家が取り上げられていない。三島由紀夫、安部公房など、小説家による戯曲の線も捨てがたい。神保町の古本屋に、三一書房から出ていた「日本戯曲体系」が揃いで出ていたのであれを買ってしまおうかと思った。
■受講希望者が多く、できるだけ大勢の人に参加してもらおうと一人、二回(一回がひと月という単位)までしか受講できないことになったらしい。これ、通しで読んでゆくから面白いということがあるはずだが、まあ、仕方ないか。あと僕の勉強会という意味があるから参加者にそんなに気をつかわなくてもいいかと思いつつ、でもやっぱり、サービスしたい気分になるから困るよ。

■夕方、フランスの演出家クロード・レジのシンポジュウムに行こうか、松倉と話をするか悩んだが、結局、松倉と新宿で夕食をとることにした。そのあと、笠木も合流、鈴木慶一さんに会いに行く。慶一さんはいま、青山円形劇場で上演中の、『欲望という名の電車』に出演なさっている。10時に舞台が終わるというので、その時間に青山へ。慶一さんに無理を言って松倉の相談にのってもらった。
■外苑東通り沿い、青山霊園の近くにあるデニーズに入った。慶一さんの歌についての話というか、技術的な講義をデニーズでするという、とてもためになるばかりか、生で慶一さんの話を聞けるというものすごい贅沢。僕が聞いても勉強になる。声の出し方、歌い方、あるいは歌を続けてゆくうえでの心得など、ていねいに教えていただいた。ほんとうに贅沢だ。
■慶一さんが松倉のために、これを歌ったらどうかと選曲していただいたなかに、高田渡の、「翻訳された外国の詩」にメロディをつけた歌を集めたCDがある。その歌詞カードが興味深く、ラングストン・ヒューズの詩がいくつかあった。ラングストン・ヒューズの詩集を初めて買ったのは中学生のときだ。たしか千円で、それがすごい高いと中学生のわたしは感じたが、三十年前の中学生にとっての千円は莫大な金額だ。本屋で見つけどうしても欲しくなったが、あの詩集がいま家にないような気がするので、なくしてしまったか、両親の家のどこかにあるかもしれない。久しぶりに歌詞カードでそれを読む。やっぱりいいと思った。

■そういえば、まったく未知の、パルコ出版のYさんという方からメールをいただき、「最近、縁あって松倉さんのデモCDを聴く機会があり、是非、ライブを拝見したいと思っております」とあった。いったいどんなルートでその方のところにデモCDが渡ったか謎である。松倉の歌がどこかの誰か知らない人に届いてゆく。
■笠木と松倉を船橋までクルマで送る。帰りが速かったな。首都高はすいていた、三十分ぐらいで新宿に着いた。久しぶりに高速を走ると気持ちがいい。つくづくクルマが好きだと思う。船橋の夜は暗い。あたりまえだけど。

(11:17 nov.21 2003)



Nov.19 wed.  「新宿で松倉が歌う」

■取り急ぎな報せを受けてたくさんの人が集まってくれてありがたかった。相変わらずの調子で松倉は歌った。もう夜の10時。こんな時間にどうして人が集まるかよくわからないが、しかも、近くではいくつものバンドがライブをしており、平日の新宿南口の夜はにぎわっていた。路上ライブ界はどうやらすごいことになっているらしい。
歌う松倉 前回のライブには来られなかった桜井君も
Studio VoiceのSさんと一緒に来ていた。ほかにも、白水社のW君、柏書房のHさんもいた。歌ったのは前回とほぼ同じ曲だが、「ひこうき雲」の歌詞をちゃんと覚えたらしい。ただステージングというのでしょうか、歌はともかく、歌を見せるのがまだ未熟で、演出したくなる。桜井君から感想のメールがあり、「あとはレパートリーですね。やはり日本語の歌がもっと欲しい」とのことで、オリジナルの歌を作らなければいけないとやはり思う。ぼちぼちやっていこう。ほかにも何人かの方から早速感想をメールで送ってもらった。ありがたい。今回の写真は、『トーキョー・ボディ』に出ていた淵野が提供してくれた。
■で、驚いたのは、少し離れた位置にいたバンドの演奏が終わるのを松倉が待っているとき、すぐ隣の空いたスペースにやってきたグループがいたことで、それというのも、僕のエッセイをまめに読んでくれている人なら知っていると思うが、音楽がやりたくて地方から上京しよくある音楽雑誌のメンバー募集の欄に投稿、それでコンタクトを取った相手と会うと必ず、「彼氏いるの?」と聞かれたという、あのエッセイのモデルになった人だったからだ。世の中、どんな偶然があるかわからない。
■それから、以前、路上ライブのドキュメンタリーを撮ってくれた人もまた駆けつけてくれた。あと、淵野のほかにも、僕の舞台に拘わってくれた者が何人も来てくれたが、やはり来ていた三坂によれば、『革命的な、あまりに革命的な』の著者、スガ秀実さんが、その本の感想を書いた日(7月29日)のこのノートを読んでいてくれたとのこと。恐縮する。そして、このノートで呼びかければたちまち駆けつけてくれるみんなに感謝した。単純に楽しみで来てくれることがうれしいのだ。

■また、「第3回かながわ戯曲賞&ドラマリーディング応募作品」をいくつか読んだ。書かなくちゃいけない原稿もあって気ばかり焦る。松倉と話をする時間もあまりないのだ。あした(20日)は、アゴラでフランスの演出家クロード・レジのシンポジウムがあるが、いけるかどうか、微妙なことになっている。
■それにしても新宿駅南口だな。平日の夜遅い時間だというのに、なぜこんなにバンドがいるのかよくわからない。みんな熱心だ。それで、松倉の歌を聴いていたまったく知らない誰かが、「感動した」と言ってお金をカンパしてくれた。路上ライブではじめてお金を手にした松倉。これは大変なことなのだと思う。韓国に行き、原稿を書き、戯曲を読み、ちょっと忙しすぎて体力的にもかなり参っていたが、松倉の歌を聴いたら少し快復した。
■あした、松倉はムーン・ライダースの鈴木慶一さんに会う予定だが、慶一さんは最近、携帯電話のCMに父親の役で出ておりやけにいい味を出している。

(11:53 nov.20 2003)


Nov.18 tue.  「ピナ・バウシュ」

■もっと眠りたかったが宅急便に起こされた。
■朝九時だった。それでもう一度寝ようと思うが眠れない。韓国への飛行機では行きも帰りも『カラマーゾフの兄弟』を読み続けていたが、また少し読む。なぜこの小説は「長いのか」について「技法的」に考える。「小説内」の時間はそれほど長くはないし、『三国志』のような長大な物語といったことではない。長くする意味がわからないが、だけど面白い。様々な人の生が細密に描かれてゆく。そこにこめられた思想が様々な色合いをし、読む者にいくつもの方向から問いかけてくるのを感じる。
■午後から、不意に思いたって、神奈川県の芸術文化財団が主催する「第3回かながわ戯曲賞&ドラマリーディング応募作品」の最終選考に残った戯曲を読むことにした。というのも、その審査員をやることになっているからだ。つるつると二作ほど読んでしまった。一日で、これぜんぶ読めるんじゃないかと思いはじめていたが、それというのも、ある意味において「面白い」からだ。ただ、言葉がていねいじゃないのを感じる。強度をそこに感じることが少ない。やけにまとまったプロットというか、ストーリー展開だ。つまりは「うまい」ということになるが、読みたいのはそれを越えたものだ。あるいは「劇的なるもの」を「死」によって簡単に作りだそうとするのが気になる。「殺すな」と言いたくなるのだ。

■でもって夜、ピナ・バウシュを観る。正直なところ、ダンスを観てはじめて、簡単な言葉でいうと感動したわけだが、それはおそらく、個々のダンスとか、今回の作品とかいったことではなく、ピナ・バウシュの、あるいは、ヴッパタール舞踊団の歴史のようなものに心を動かされたせいではないか。それにしても、いちいち贅沢な感じが舞台に漂うのであった。それをどう考えるかなのだが、たとえばその贅沢さ、あるいはいま「ピナ・バウシュ」という名前から喚起されて流通するムードが、ルイ・ヴィトンだの、カルチェだのと同様のブランド品になってはいまいかと、カーテンコールで花束を渡すある日本の芸能人の姿から感じてしまうのだった。むろんダンスひとつひとつの価値とはべつのところで、それは発動している。一万二千円という料金(安い席もあった)はどうなんだ。おそらくこんなに料金が高いのは日本だけなのだと思うが、あらゆることを節約してでもこれは観ておくべきだからことは複雑であった。
■優雅さをたたえるダンサーたちは、しかし、同時にものすごい身体能力というか、身体の強度である。強度を隠しつつ、上品に踊られ、それはまるである種のトリックを観ている気分になる。上品さを保つための強度なからだだ。こんなに動けて、こんなに私のからだはすごいですと見せないことの見事さ。といっても、今回の作品はずいぶん踊っている印象を受けた。あと、作品中でよく喋るねこの人たちは。
■日本では東京だけでの数日の公演ということもあり、どうしたっていろいろな人に会ってしまうのだった。京都の大学から、学生たちが何人も来ており、松倉もいたし、研究室のKさんや、教員の八角さん、砂連尾さんもいた。八角さんは元々東京だが、Kさんはじめ学生たちは京都から来ており熱心さに頭が下がる。あるいは、ユリイカのYさん、実業之日本社のTさん、そして桜井君や、『トーキョー・ボディ』に出ていた田中夢もいた。田中は高校時代にオーストラリア留学の経験があるので、ダンサーたちが無理して日本語でしゃべるより英語で話しているときのほうが聞き取りやすかったのではないか。ほかにも、演劇関係者などかなりの人に会った。あと、僕の隣の席の数人が上演中、ずっと、しゃべりっぱなしだった、手話で。

■遊園地再生事業団の次回公演が決まった。二〇〇五年一月十日(月)から二十三日(日)まで。場所は「シアタートラム」である。京都での公演も予定されている。稽古は、二〇〇四年の二月からはじめる。約一年だ。そのあいだに試演ともいうべき舞台を何度か公演するというのがいまのところの僕の考えだ。『トーキョー・ボディ』の延長上の舞台になると思うが、今回は、オーディションではなく、これまで一緒にやってきた経験のある俳優たちの何人かに声をかけ、一年にわたる長い道である。戯曲もしっかり書くよ俺は、なにがなんでも。

(12:41 nov.19 2003)


Nov.17 mon.  「少し休憩」

■京都での学生がするダンスの発表公演を観たい気持ちはあったが、俺を殺すつもりかという日程だったのだ。もう少し若かったらそこまでタフだったかもしれないが体力がさすがにもたなかった。疲れが取れず昼間はずっとぼーっとしている一日、韓国のことというか、あの半島のことばかり考えていて、夕方になって新宿南口にある高島屋にゆきそこにある紀伊國屋書店で本を買おうと思ったのは、朝鮮・韓国関係の歴史について、在日コリアンの現状を読みたいと思ったからだ。あと、高島屋の駐車場は三千円以上買い物するとただになるし。
■政治学者の姜尚中さんと弁護士の内田雅俊さんによる『在日からの手紙』(太田出版)など数冊の、韓国・朝鮮関連の本を買う。『在日からの手紙』を開くとすぐのところに写真があり、学生とおぼしき男たち、警察がいて、一九七四年韓国大使館前で韓国学生同盟の代表として抗議文を読み感極まって泣いてしまった姜さんがすごい顔で写っている。対談の前に付された姜さんによる内田さんに宛てた手紙は、「へたな歴史教科書一冊を読むより、はるかに心に訴えるものがあり」と、姜さんの手紙への返事として内田さんが書いた言葉通りに僕も読んだ。ほかにベケットの連作短編を集めた、『蹴り損の棘もうけ』(白水社)。そうだ、ベケットも小説を書いていたっていうか、たしか小説のほうが先だったが、それで戯曲と小説の、どちらにも力を入れようときめた。
■あ、東京に松倉がまた来たのだった。19日の夜、路上ライブの予定。詳細は追ってまた。

(10:38 nov.18 2003)


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