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LOOKING TAKEDA
ここであいましょう
あわわアワー
ボクデス on the WEB
Superman Red
more...
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Published: Feb. 21, 2003
Updated: Nov 1, 2003
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 *戯曲を読もう。「テキスト・リーディング・ワークショップ」のお知らせ。案内はこちら。 → CLICK
  (ENBUゼミの「短期集中講座」のページに直リンクさせてもらいました)

Oct.31 fri.  「考えているうちに10月も終わる」

■桜井君からメールが届く。村上春樹の短編「神の子どもたちはみな踊る」についてだ。とても示唆的であり、すると作品の読みもまた変わってくるから不思議だが、おおむね、現代の文学はそうしたものであり、文学に限らず、映画も演劇もそうだ。
■きのう『マトリックス』について書いたようにあれを完全に読み解こうとしてもそれは不可能にちがいなく、だから面白いと感じるのであって、青山真治監督の作品にこめられた暗喩、隠喩を読み解こうとすると、これがまた、難解きわまりなく、『トーキョー・ボディ』に出ていた淵野に聞いたところによれば、ある作品のラストシーンになった野球場のような場所が神戸の「あの町」にある「タンク山」から撮影したそうで、それには驚くばかりか、すると私の中における作品の意味も変わってくる。
■ともあれ、桜井君のメールから。
 村上春樹のあの題名のオリジンはマルクス兄弟なんですね。元ジャズ喫茶のマスターとしては、ジャズのスタンダードナンバー「ALL GOD'S CHILLUN GOT RHYTHM」(CHILLUNはスラングのスペリングだと思います:つまりchildrenのスラングと、引用者註)から取った、ということなんでしょうけど、もともとは「マルクス一番乗り」の挿入曲。
 これ、じつはダンス教室で毎回見ている馬小屋の黒人たちのダンスシーンの曲なんですよ。で、それを見せながらいつも僕が言っているのは、「これは、ジッターバッグ=ジルバの初期の姿で、スイング・ジャズの演奏に熱狂した聴衆=黒人が、居ても立ってもいられなくなって、ブルブルと痙攣し始め(
Jitter Bugとは“震え虫”という意味)そしてデタラメに踊り出す、そうして出来たダンスです。だから、決まったステップはなくて、いかにデタラメに身体を動かすかを競うダンスなんですね。」と。
 で、桜井君のダンス教室でいつも教材に取り上げられる「マルクス一番乗り」のダンスシーンはここで観られる(それも桜井君に教えてもらった)。しかし、そう考えると僕の読みはある意味正しかったことになるし、いったいどれくらいの文学関係者が、ダンスの側面から、噴出する「僕自身が抱えている獣」を読みとれたかは疑問だ。
 しかし、『マトリックス』にしろ、青山監督作品にしろ、「そんなの観てる側にゃわかんないよ」とか、「だからなに」という声があがるのはもっともだが、しかし、そこで考えなければならないのは、文学や映画を規定しようとするあらゆる種類の「コード」についてだ。と、さらに書こうと思ったが、きのう長くなりすぎたのでそれはまたの機会に。肝心なところなわけだけれども。

■30枚の短編小説は20枚くらいまで書けた。
■そこまで書いたところで、これでいいのか疑問に思えてきたのは、「短編小説」のことを思い出したからで、考えてみると、短編小説には「作法」があるような気がし、村上春樹の短編はどれもうまいし、「短編小説の名手」と呼ばれる人や、「小説の神様」と呼ばれた人さえいる領域だ。たしかにその多くの作品を僕も読んできた。べつに「作法」にのっとらなくてはいけないと思わないし、あるいはむきになってあらがうのも、なんだか、あれなものの、これ、いいのかと、自分の書いたものを読み返して考える。うーん、なんでもちゃっちゃとできてしまうほど私は器用ではなかった。だから考える。
■考えているうちに10月も終わる。

(2:59 nov.1 2003)



Oct.30 thurs.  「神の子どもたちはみな踊る」

■最近会ったある人が、「村上春樹は好きじゃないけど、あれはよかった」というので、その短編がおさめられた文庫、『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)を買うために新宿へ。
■村上春樹をリアルタイムで読まなくなってどれほどになるだろう。まえにも書いたことがあった気がするが、『風の歌を聴け』が発表されたのは一九七九年の五月で、単行本になったのは七月。そのころ僕はなにもしていなかった。大学に復学し、三年に進級したのはいいが、ほとんど学校にいかずに映画を観たり、家で本ばかり読んでいた。おなじころ中上健次の『十九歳の地図』を読み、どちらの小説も映画化されている。正直なところ、柳町光男が映画化した『十九歳の地図』には強く心を動かされ、その後なんどか観たものの、映画化された『風の歌を聴け』の印象はひどく薄い。そのころ大学の友人たちには片岡義男が人気があり、たとえば、『彼のオートバイ、彼女の島』を読んでみんなバイクに乗っていた。周囲で、バイクにもクルマにも興味がなく、免許も持っていないのは、僕と竹中直人ぐらいだった。(ちなみに、片岡義男の『ロンサム・カウボーイ』(晶文社)という本がすこぶる面白いと知ったのはかなり後年になってからだ)
■それはさておき、村上春樹の短編集を読む。うまいなあと、そう感じいっていたが、短編集の表題にもなっている作品、「神の子どもたちはみな踊る」を読むと、「うまいなあ」だけでは表現できない、理解できない、過剰なものグロテスクなものが吹き出しているのを感じた。印象に残ったのは次の箇所。
 善也は眼鏡をはずしてケースに入れた。踊るのも悪くないな、と善也は思った。悪くない。目を閉じ、白い月の光を感じながら、善也は一人で踊り始めた。深く息を吸い。息を吐いた。気分に合ったうまい音楽を思いつけなかったので、草のそよぎと雲の流れにあわせて踊った。途中で、どこかから誰かに見られている気配があった。誰かの視野の中にある自分を、善也はありありと実感することができた。彼の身体が、肌が、骨がそれを感じとった。しかしそんなことはどうでもいい。それが誰であれ、見たければ見ればいい。神の子どもたちはみな踊るのだ。
 彼は地面を踏み、優雅に腕をまわした。ひとつの動きが次の動きを呼び、更に次の動きへと自律的につながっていった。体がいくつもの図形を描いた。そこにはパターンがあり、ヴァリエーションがあり、即興性があった。リズムの裏側にリズムがあり、リズムの間に見えないリズムがあった。彼は要所要所で、それらの複雑な絡み合いを見渡すことができた。様々な動物がだまし絵のように森の中にひそんでいた。中には見たこともないような恐ろしげな獣も混じっていた。彼はやがてその森を通り抜けていくことになるだろう。でも恐怖はなかった。だってそれは僕自身の中にある森なのだ。僕自身をかたちづくっている森なのだ。僕自身が抱えている獣なのだ。
 小説を書いて文芸誌に発表したころ、しばしば聞かれたのが、「演劇をするのと、小説を書く行為はどうちがうか」という質問で、なんべん質問されたかわからないが、応えようがなくてそのつど異なる返事をした。青山真治さんの『われ映画を発見せり』を読んでひとつの解答を得たと思ったのは、
 映画から構図主義が消えてしまったのはおそらく「世界のたががはずれてしまった」からだ。

 構図、またはフレームとは、映画が描くこの世界の「たが」だ。「たががはずれてしまった」世界を描くとすれば、その「たが」を、つまりフレームを捨てなければいけない。だが映画からフレームを無くすことは出来ない。

 要するに「子供たちはどこで生活したってかまわない」のだから、構図=フレームに収めようとして無理矢理そこに立たせることは、禁止しなければならないのだ。さらに我々はそこから表象不可能なものは逆説的にしか描けないということを学ぶ。
 そしてこのあと、ゴダールの『映画史』をある天才映画作家による、「世界の再フレーミング/再秩序化」と書き、さらに、
 そしていくら時代が変わろうが、映画にとって真の狂気とは、物語や主題とは一切無縁に「この世界のあること」の抽象性のみを構図化したジョン・フォードのことである、という自明の事実を、ここでもまた追認せざるをえない。
 だから、「真の天才」ではなく、「真の狂気」の持ち主でもない者にとって、「構図=フレーム」、あるいは、「演劇的制約(=劇場、舞台、俳優の身体)」に収めることのできぬもの(=子ども、あるいは、狂気、そして荒ぶる魂たち)を「表象可能」にするためには、またべつの表現の手段が必要になり、それこそが、「小説という方法」ではないかと引用した部分(かなりはしょったので本文:『われ映画を発見せり』322ページ:をあたっていただきたい)を読んで、そう僕は理解した。
 そして村上春樹の小説の引用部分が印象に残ったのも、そのこと、善也がどんなダンスを踊ったか具体的にはわからないものの、そこに「カタ」はなかったにちがいないと思え、だからこそ「僕自身が抱えている獣」という言葉でわかりやすく示された「過剰」な表現(=ダンス)をそこに感じるからだ。きわめてそれは小説的なのであり、中上健次はそれを最後まで書きつづけた、持続できた、書くことの出来る身体を持っていたという意味において、特権的な小説家だった。で、全然、関係ないけど、「神の子どもたちはみな踊る」を引用しながら、「からだ」の表記が、「身体」と「体」とふたつあるのを、誰もとがめなかったのだろうかと、わたしなんかの場合すぐに編集者からゲラにチェックが入るが、村上春樹の場合はそれでよしなのだろうか、それとも、最初の「身体」(「からだ」とルビがふられている)とあとの「体」は異なる意味で使われていると解釈すべきかと、どうでもいいことに気がつくのも、「引用」のおかげである。

en-taxiのTさんから、『マトリックス・完全分析』(グレン・イェフェス編/小川隆ほか訳/扶桑社)という本を送っていただいた。あれはねえ、ふつうわからないと思うんだ、どう考えても、やっぱり全体の世界像をはっきりさせなければね。最終作(11月6日公開)とされている「レボリューションズ」のラストシーンなんか、「なんだこれは」とか、「これで終わりなのか、どうなってるんだいったい」としか言いようがない難解さで、もういっぺん観ようと思うほど、よくわからない。ただ、そのわからない世界に足を踏み入れ分析することに、いまの私はひどく興味を持っている。

(3:34 oct.31 2003)



Oct.29 wed.  「かもめ」

■夕方から「テキスト・リーディング・ワークショップ」である。チェーホフの『かもめ』を読んだ。それというのも、前回の別役実とベケットの戯曲を読んだあと「ドラマツルギー」に話がおよび、別役さんが八〇年代に書いた『「ベケット」といじめ』(岩波書店・絶版)のなかで、新しいドラマツルギーとして考えられるものに「局所的リアリズム」があるとあり、するとどうしたって、九〇年代の、岩松了、平田オリザを思い出すわけなのだし、そこで例にあげた岩松さんについて考えれば岩松さんがチェーホフを参照先にしていたのではないかと話の流れがそうなったからだ。
■自分で書くのもあれだけど、今月のテキストを読む流れ、『ハムレット』(シェークスピア)→ 『ハムレットマシーン』(ハイナー・ミュラー)→ 『マッチ売りの少女』(別役実)→ 『行ったり来たり』(ベケット)→ 『かもめ』(チェーホフ)は、かなりコンパクトにまとまってよかったのではないか。しかも、『かもめ』のなかではしばしば『ハムレット』が引用されている。「テキスト・リーディング・ワークショップ」は一ヶ月単位で参加者を募集しており、かなり早い時期に12月分は定員に達していると最近になって知った。今月参加したウェブデザイナーのS君はうかうかしているうちに12月分に申し込めなかったそうだ。で、今月はかなりコンパクトにまとまったので、では次回はどうするか悩むところ。ジュネの『屏風』は読むと決めていたが、これをどういった流れで読もうか考える。でもちょうど来年の一月に世田谷パブリックシアターで『屏風』が公演されるとのことで(僕はパリで観た)、タイミングがいいと思いつつ、流れの問題がある。あと、『屏風』はかなり長い。役も90ぐらいあるし。
■『かもめ』はかなりよかった。まだ二〇代のはじめ文庫で読んだ記憶がある。そのころは「なんだこりゃ」と思ったが、この歳になってはじめて心にしみいる人の愚かさだ。あと、昔の女優たちが、ニーナの「わたしはかもめ、いえ、わたしは女優」というせりふが言いたくて芝居をはじめたのではないかといったことも想像しいつの時代だって似たようなことはあって、それも含め、愚かさの肯定、ばかげた人の本質への理解として『かもめ』を僕は読み(むろん、技法の読みはべつ)、そこにチェーホフ的な喜劇があるのだとしたら、岩松さんの劇はまさにそれが参照先になっている。

■いくつかメールをいただいた。いきなりなメールの書き出し。
 初めまして宮沢さん。大好きです。
 はじめましてにしては、これはちょっとやぶからぼうではなかろうか。以前、ネットラジオについて書いたことについて情報を教えてくれた。ネットラジオで仕事をしているMさんという方だ。
 しばらくぶりに富士日記チェックをしていたら、日本にもいいインターネットラジオはないものかとの記述を観て、やっと宮沢さんにメールを書くきっかけができたぁー!とうしゃうしゃと早速書いております。
 あるんですー。お気に召すかどうかはわかりませんが、よろしかったら一度、
www.samurai.fmのぞいてみてください。日本初24時間ノンストップエレクトリックミュージック専門インターネットラジオというやつなのですが、1週間ごとのプログラムが毎日違った時間に放送されているので、中には、お、いいじゃん、というのにめぐりあっていただけるかもしれません。
 私はここで翻訳や(運営しているのは日本大好きのふたりの外国人なので)、日本人アーティストのブッキングなどをやらせていただいています。
 早速聴かせてもらった。これはいい。いろいろな方がこのページを読んでいてくれる。わからないことがあると教えてくれる。ほんとうにうれしい。あとエレキコミックのヤツイ君はコンピュータを買ったそうで、
 お久しぶりです。エレキコミックのやついいちろうです。パソコンを初めて使うのでここまでうつのにすごい時間がかかりました。いままでは事務所でマネージャーに口頭で伝え、書いてもらってました。またおくります。
 短い文章だが、これだけ書くだけでもその必死さがうかがえ、書き終わったとたん倒れてしまったんではないかという文面だ。またいろいろな方からいただくメールは随時、紹介してゆこう。

■で、関係ないけど、「"■"リングス」に、「あわわアワー」「ボクデス」のほか、先に書いたウェブデザイナーのS君のサイト「
Superman Red」を追加した。で、聞けばS君のサイトはテーブルでレイアウトしているのではなく、スタイルシートでレイアウトしていると知って驚かされた。そう言われ家に戻ってからソースを読んだらほんとにそうだ。スタイルシートを呼び出して読むとかなり複雑なことになっており、スタイルシートの奥は深い。さらにJavascriptを使ってスタイルシートの読み込みを切り替える仕組みで文字の大きさを変えるなど、かなりこったデザインになっている。
■スタイルシートをもっと勉強しようかと思ったが、いや、俺は作家だと思いとどまり、また眠る前に小説のつづきを少し書く。毎日、少しでも書いてゆこうと思うが、しかし、『東京人』の原稿もあれば、連載の締め切りが続々とやってくる時期、なんだか美味しいものを食べにゆきたくなる。
■それにしても秋ですね。

(19:50 oct.30 2003)



Oct.28 tue.  「一日、五枚は書く」

■朝はやい時間に家を出る。ちょっとした仕事。その後、
en-taxiのTさん、かつて僕の芝居にも出たことがありいまは編集者をしている山崎と会って白金台で食事をかね、いろいろ話をする。面白かった。
■この「ノート」や、連載の原稿のほかに、一日少なくとも五枚、戯曲や小説を書こうと決め、それを就寝前の習慣にしようと思った。「群像」に書くべき小説の依頼された分量は30枚と短いがすでに15枚まで書き進めた。「小説ノート」にメモを書きとめた小説のもっとも重要な人物、「ルシ」がやはり出てくる小説だが、「小説ノート」の小説とはあまり関係がなく、いや関係があるとしたら小説ノートとのかかわりで、「ルシ」がある日の夢に出てきたことの不可解な気分、その世界を覆う空気を言葉にしようと思ったからだ。
■15枚までこの小説は書き進み、ことによると思いのほか早く書けてしまうかもしれないが、まだまだ、道は遠い。あと、僕は基本的には劇作家であって、いい戯曲も書こうと鋭意努力中。そのための「テキスト・リーディング・ワークショップ」だ。10年前、戯曲の賞をいただいた。それは僕にとって強い励ましになったが、その恩に報いるためにこれからも劇を続けていきたいのだし、いい戯曲を書こうと思う。

■秋は深くなり、冬が近づいているのが日に日に感じられるようになってきた。寒いときこそ、引きこもりたいが、このところ外に出ることが多く、ほっとくと外に出ないのでそれはそれとして、とてもいい。

(4:16 oct.29 2003)



Oct.27 mon.  「少し休憩」

■ほんとは仕事がひとつあったが、からだが調子が悪いと先方に無理を言って休ませてもらった。阿部君の『シンセミア』を読む。それからふと思いたったのは昨夜のことだが、「群像」のための小説を書きはじめる。でたらめなことを書こうと思いたったので、眠る直前、眠りにはいるための薬を飲んだ直後から書きはじめたが、目が覚めて読むと意外にきちんとしていて、つまらない。それでも続きを書く。
■そのためにお手本にしたのは内田百間(ほんとは門構えに月)だ。というのもきのう、青山さんとの対談のなかで百間の話が出たからで、僕がなんどかいろいろなところで話している「豹」という作品のことを話したら、ある概念について青山さんは、「それを今後、『豹』と呼びましょう」と言い、なにかあると、「それ、豹ですね」と言う。この会話の調子はもうかなりむかし、いとうせいこう君と電話で長話をしていたころとよく似ており、とてもうれしかった。文体を真似ようと思ったがそうそううまくいくものではない。百間のおさらいの読書。面白いなあ、それにしても百間は。くりかえすが、「間」は、ほんとうは、「門構えに月」である。
■これは存外、早く書けてしまうのではないかという予感、書けてしまってからとことん推敲し、完成度を高めようと思う。でもって念願の500枚以上ある小説『28』を完成させよう。この数日の濃密さが気分を昂揚させているのだった。

■笠木からメール。水戸であった映画祭で青山監督、阿部和重君に絶賛されグランプリを受賞したという冨永昌敬監督の映画『亀虫』(笠木、そして安彦麻理絵も出演している)など連続上映会が池袋のシネマロサであるという知らせ。で、その期間中、11月15日に、青山監督と富永監督のトークイヴェントがあるというのだが、その日、おれは演劇祭で韓国に行っているのだった。残念。上映会とほぼ重なっている。しょうがない。
■阪神、負けましたね。べつにどうでもいいが、阪神に勝たせたいという気持ちがなかったわけではない。

(2:20 oct.28 2003)



Oct.26 sun.  「なにかにむかって静かに感謝する」

■土曜日(25日)のことから書いておこう。
■音羽町の講談社に行くのはもう何年ぶりだったか。かつてまだ、いとうせいこう君が講談社で編集者をしていたころ何度か訪れた記憶があるが、それ以来ということになり、見れば、高層の新社屋が建っていたとはいえ、旧社屋とおぼしき古い近代建築風の建物はまだ存在し懐かしい気分になった。少し遅刻。青山真治監督はすでに来ていた。
■文芸誌「群像」の対談である。対談をもとに、小説を書くという企画だ。「群像」の、I編集長、Yさんも同席。早速、『ヴァンダの部屋』(ペドロ・コスタ監督作品)の話になったが聞くところによると、あの日、阿部和重君ばかりか、中原昌也さんなど作家もいたというし、蓮實重彦さんもいらしたというやけに濃い空気の漂う試写室だったとのこと。気がつかなかった。それから、映画のこと、演劇のこと、そして文学について、とても充実した時間だった。話は尽きない。
■それにしても、青山監督をどう形容していいか、いろいろ考えると、まあ、言葉はあれだが、「いいやつ」と書くのがいちばんふさわしく感じ、話をしていてほんとうに気持ちがいい。それに反し、某作家が作品のもっているナイーブな感じとはまったく異なる人物だという話も出て興味はつきないが、こういう席では、表には出せない様々な種類の「裏事情」が語られこれもまた、すこぶる面白いものの、けっして書くことのできない話ばかりだ。そういえば、最近、ロケハンを兼ねてハワイを観光した青山さんが言うところによれば、ハワイは新宮だったという。中上健次一家がハワイが好きでよく行っていたのがそれまで疑問だったが、ハワイが新宮にひどく似ていることからその謎が解けたと話していて興味深い。だからってハワイはどうもなあ、うーん、なんというか、ディズニーランドと同じくらい望んで行きたい場所ではないのだった。
■で、僕の舞台に出ている俳優らを青山監督に売り込もうと不意に考えたのも珍しく、「珍しい」は、つまり、「売り込む」といった発想がこれまでそもそもなかったからで、それというのも、役者たちにはいい仕事をしてもらいたいと思い、青山監督作品を見ると出ている俳優たちがそれだけでより光って見え、だからいい映画監督、いい演出家に出会ってゆくべきだと、青山さん本人を目の前にして思ったからで、「いい作品」に出会えるまでがまんして待っていろと俳優たちにはつくづく言いたい。

■青山さんの新しい小説集をいただいた。『
Helpless』(新潮社)。同名の映画スティールだろう浅野忠信が表紙になったその装丁はすごくきれいだ。で、きょう日曜日(26日)のことを書けば、夜おそく、ふと、阿部和重君の『シンセミア』(朝日新聞社)が読みたくなって六本木の青山ブックセンターだったら開いているだろうとクルマで出かけたら、店の灯りは消され、どうやら閉まっているらしい。日曜日は閉店時間が早いのだろうか。渋谷の山下書店が24時間営業なのを思い出して向かったが、この本屋はいったいなんだ。地方の本屋にいるような気分になるほどの品揃えで、『シンセミア』があったのが奇跡のようだ。上下巻というか、Vol.1 Vol.2、二巻あわせて3400円というのがお得な値段というか、やけに安く感じたのは、『ブレヒト戯曲集』が一巻だけで4500円くらいしたからか、ずいぶんむかし、前述した蓮實重彦さんが文芸批評で、ページ数で本の価格を割り1ページあたりいくらになるか、それをもとに作品の評価を書いていたが、本気なのか、冗談か、いやほとんど冗談だと思いつつ、それがかなり的確な評価でおもしろかった。まあ、そんなことはどうでもよくてですね、『シンセミア』もまた装丁がきれいな本である。
■装丁がきれいな本を出したい。いや、内容なんだけど、ほんとうは。で、どちらの小説もこれから読む。
■いろいろな人の仕事に刺激され、もっといいものを書きたいし、いい舞台を作りたい。この数日、濃密な時間を過ごしているのだった。なにかにむかって静かに感謝する。

(1:45 oct.27 2003)



Oct.24 fri.  「濃密な時間」

■青山真治さんとの対談のための予習をする。こいつあたいへんだ。でもって、そこに大学から緊急の仕事の連絡が。てんてこまいになりながら、小浜から送られてきた大仏の写真が少し暗かったので加工する。ちょっと明るくし過ぎたかもしれない。
巨大仏と小浜  そんなことをまめにやっている場合ではないが、やりたかったんだからしょうがない。これが「巨大仏」か。しかし、いくら写真に撮っても、比べるものがないからその大きさがよくわからない。写真にすると小浜が大きく見えるが、そんなわけもないのだし、それより、わたしは仕事をしなければいけないのであって、未読の青山さんの小説を読み進めたり、未見の映画作品も観なくてはいけないと、渋谷のユーロスペースに行く。で、それ以外に、『われ映画を発見せり』(青土社)という、映画批評をはじめ、映画について書かれた文章を集めた青山さんの本が面白くて、参考のために読むというのではなく、夢中になって読んでしまったが、そうだ、それより緊急の大学の仕事だと思いつつも、しかし、青山さんに会うのもあしただし、と、にっちもさっちもいかないような日、けれど、きのう、そしてきょう、さらにあしたと、充実した濃密な時間を過ごしていることに感謝しなくちゃいけないけれど、いったい、誰に感謝すればいいかわからないとはいえ、小浜に感謝しているわけではないのはもちろんにもかかわらず、こうして、小浜の写真をアップしてしまったのはどうしてくれようかと思う。

(4:34 oct.25 2003)



Oct.23 thurs.  「阿部君に会う」

Macについてきのう少し書いたところ、ある方からメールをもらって、それがもうねえ、引用ができないほどの面白さだ。なるほどなあと思う、Macintosh世界の裏面である。ほとんど引用できないのだが、一カ所だけ引けば、かなり長い話があったあとでこう書いてくれた。
ですので、宮沢さんがMac Powerで連載を始める、というお話を富士日記で知ったとき、本当にうれしくなりました。何てぴったりなんだろう、という感じで。

 と、これじゃなにがなんだかわからないと思うけれど、そこは察していただきたい。「ですので」の前に書かれた内容がすこぶる面白かったが、これだけはぜったいに引用できない。あとわからなかったコンピュータ業界の事情がわずかながら理解でき、するといろいろ見えてくる。ともあれ、とてもうれしかった。

■試写が終わって会場が明るくなったとき、前の席で立ち上がった人に見覚えがあると思い、僕にしてはめったにないことだが、いま観た映画がとてもよかったからか、「阿部君ですか?」と声をかけると、阿部君はいぶかしそうにしていたが、宮沢ですと名乗るとようやく気がついてくれた。八年ぶりに会ったのだった。あれは九五年に上演した『ヒネミ』再演におけるパンフレットのために対談して以来だ。家に戻って朝日新聞の夕刊を読むと、関川夏央の文芸時評があり、阿部和重君の近著『シンセミア』(朝日新聞社)が取り上げられていた。こんなこともあるのだな。わたしも書かねばという思いを強く持つ。
■映画は、絶望的な現実を、絶望的な眼で見ている。書きたいことがいろいろあるが、公開が来年の春だというのでまたこんどゆっくり。『ヴァンダの部屋』(ペドロ・コスタ監督作品)。とてもよかった。なにかしっかり文章として記しておきたい映画は年にいったい何本あるだろうか。舞台関連(演劇、ダンス)については必ず書くようにしているのであって、それはまあ、「からだ問題」もあるし、職業的というか、自分の勉強として。

■映画の余韻にひたるのと同時に、路駐したクルマが切符をきられていないだろうかという不安も抱え、渋谷のシネアミューズの建物を出た。クルマは無事だった。近くのコインパークがぜんぶ満車だったんだ。やむをえぬ処置。いろいろあって、やけに気分がいい。多幸感みたいなものに包まれこれもいい映画を見たからで、試写に呼んでくれたHさんのおかげだ。ほんとうにありがたい。

(3:31 oct.24 2003)



Oct.22 wed.  「三週目と、Macintosh

■午前中、といってももう昼前だったが、少し眠いと思いながら青山の髪を切ってくれる店に行き、また坊主頭にしてもらった。そのあいだ、うとうとする。
■で、以前、
relaxという雑誌の取材を受けたことを書いたが、こういった店では、relaxに出ると話題になるのだった。ほかにもいろいろ雑誌の取材は受け、『トーキョー・ボディ』のころはかなり露出したものの、演劇関係はぜんぶだめで、「東京人」もだめなら、「サイゾー」もだめらしい。relaxでなくてはいけない。豪徳寺に住んでいたころ近くの洋食店「峰」では圧倒的に朝日新聞だった。たまに食事に行くと、「京都じゃなかったの?」と声をかけられた。「峰」はオムライスがとても美味しい店だが、答えるのに困ってつい足が遠のいた。いろいろである。
■それにしても眠い。午後、食事をしてから家に戻るとすぐに眠ってしまった。夕方から「テキスト・リーディング・ワークショップ」があるので、それまで仮眠。

■あやうく寝過ごしそうになりながらぎりぎりの時間に到着。欠席者がひとりいたが、ほかは全員すでに揃っていた。あわてて必要な文献のコピーなどしてもらい、落ちついたところで、別役実さんの『マッチ売りの少女』を読む。はじめて読んでから20数年ぶりになる、僕の側の読む視線がぜんぜん変わっているのを感じたのは当然にしても、「書き手」になったいま、気になるのは、突然、話題が変わっても、それに違和を感じさせないうまさとでもいうか、「それはそうと」といった言葉で話が変わるのではなく、すっと、文脈が変わっているのが興味深い。というより、文脈を微妙にずらす者に、翻弄される側は、それと気づかず、うっかりその話にのっかってしまうので、さっきまでの話のことをつい忘れてしまうらしいものの、人の対話とはたいていそうであって、文脈が正しく会話が進むことはまずありえないが、ここではそれが戦略的に使われているのが読める。
■だから「初老の夫婦」とおぼしき二人は、「女」に翻弄されっぱなしだ。ここに別役戯曲の、「いつのまにかそういうことになっていた」という技法がある。唐突な、あるいは強引な、強権的な「力」が発生するのではない。テクスト解釈的に考えればそこに「不条理」がある。その不可解さが怖い。「いつのまにかそういうことになっていた」という状況に巻き込まれることで、一見、おだやかな夫婦の暗い部分、あるいは市民社会のウソをあばきたてる。だがこの不可解な恐怖は、べつの見方をすれば喜劇である。構造だけを取り出せば喜劇としても読める状況は、しかし、構造だけの作家ではない別役実という人がいて、はじめてリリカルな劇、あるいは「詩」になる。「マッチ売りの少女」というよく知られた哀しいお話と、またべつの「マッチ」を使った淫靡な商売を重ねあわせた「詩」が底辺にあって、その上に構造がのっかっていることで、独特な別役実の世界が生まれる。
■最初期に書かれた戯曲だが、その完成度の高さに驚かされる。

■休憩後、ベケットの『行ったり来たり』を読む。後半はこの戯曲をもとにした「ドラマツルギー」の話。戯曲の読み手としての別役さんの話をし、『行ったり来たり』を別役さんがどう分析し解釈したかが話題の中心だが、こうなると「テキストを読むワークショップ」というより講義のようになってしまい、いよいよ参加者とのやりとりがなくなる。ただ、声を出して読むというのはじつにいい。黙読だけではわからなかったことがいくつも発見できる。
■「週刊SPA!」の山崎が見学に来ていた。で、帰り食事をしながら話をする。
■家に戻ってメールチェックをすると、
Mac PowerのTさんからメールがあり、MacOS 10.3発売のイヴェント(10月25日)がオペラシティであって、そこでMac Fanの編集長と対談する企画があるという。それは見たいが、その日僕は、青山真治さんと対談する「群像」の仕事があるのだった。時間がうまく合えば、行ってみたい。で、Tさんの話によると、Mac Powerのライバル誌、Mac Fanは隔週発売が、月刊になるらしいし、さらにMac Fan Beginnersにいたっては休刊だそうだ。雑誌あやうしっていうか、特に「ビギナー」は雑誌を読まないのかもしれない。むしろ、Mac Powerがターゲットにしているハイエンド層っていうかヘビーユーザーこそがマック誌を求めているのではないか。
■それにしても、アップルの戦略としての「秋葉原敬遠作戦」はどうなんだろう。アンテナショップは銀座に出し、そしてイヴェントは東京オペラシティというわけで、秋葉原が持つ「オタク色」を可能な限り排除して、アップルというか、
Macintoshのブランドイメージを高めようとするのは、まあ、いいんだけど、どうも気持ちの悪いものを感じつつ、でもやっぱり、秋葉原の人たちのあの気配というか、着ているものひとつとっても、いかがなものかと思わざるをえないのであって、たとえば秋葉原で見た、iPodを手にしていた者のかっこ悪さがですね、アップルが喧伝するiPodのイメージからしたらぜんぜん異和があり、いかがなものかと思った。
■まあ、秋葉原のことはどうでもいいと思いつつ、しかし、考えるに値するものが、秋葉原界隈を歩く者らの姿にはあって、べつにピーコのファッションチェックじゃないけれど、演出家としては気になるっちゃあ、気になる。

(10:54 oct.23 2003)



Oct.21 tue.  「新宿を歩く」

■このページの左にある写真の下に「"■"リングス」を設置しました。
■そういえば、「"■"リングズ」をやるにあたって何人かの方から参加希望があったわけですが、そもそもの趣旨を理解されておらず(つまり日記であることや、日記の表記に「■」を入れるなど)、やぶからぼうにリングスに参加したいという内容の人が何人かいた。これがよくわからない。だって、「"■"リングス」って書いてあるし、それぞれの日記を読めばわかると思うのだ。
■しぶしぶ「■」を使ってもしょうがない。それを楽しんでくれればいいのだが。いまの参加者のなかには、最初から日記に「■」を使っていた人もいたし、僕の判断で勝手に参加させてしまった人もいる。あるいは、小浜や関西ワークショップに参加していたM君みたいに、日記に「■」を使っていても「リングス参加」と口にしない人もいる。まあ、小さな世界の話なのだけれど。

■朝からやけにからだの調子がいいものだから、つい新宿まで歩く。散歩のつもりで、気になったものをデジカメで撮りながら遠回りして歩いた。天気がよくて気持ちがいい。新宿をぶらぶらする。いろいろ発見。
TSUTAYAでビデオを何本か借りた。
■帰り、副都心循環バス(まえ、これをなにか間違って表記したら指摘してくださった方がいた。その節はどうもありがとう)に乗ろうとバス停で待っていたら、「東京ヒルトンホテル行き」というバスが来たのだった。で、「東京ヒルトンホテル」がどこにあるか知りもしないでつい乗ってしまったのは、無料だったからではけっしてないし、「東京ヒルトンホテル」という言葉に惑わされたわけでも、断じてない。バスは西口を出発。甲州街道に出るのかなと思ったら、すぐに右折し、スバルビルの手前でさらに左折。前方はつきあたりになっており、左折して、方角としては自宅方面に向かっているものの、新宿中央公園の手前で右折したものだから予定が狂う。それで少し新宿に戻るかっこうになって、ようやく東京ヒルトンに着いたが、それというのも、「東京ヒルトンホテル行き」のバスだったからだ。
■中央公園のなかを歩いて帰る。ここもずいぶん変わってしまった。ブルーシートの住居が林立。ブルーシート住居のあいだから、植え込み部分に本来は立っていたのだろう彫刻が見える風景が奇妙だ。中央公園は緑が多い。ちょっとした森のようだが、そこにブルーシート住居が無数にあって、いったいここはどこなのか奇妙な気持ちにさせられる。で、東京都としては、ブルーシートの代わりとして,景観に見合う色のシート状のなにかを支給したらどうか。振り返れば、丹下健三が設計した都庁のビル。青い空と都庁。絵ハガキみたいな図である。

■寝屋川のYさんのノートで紹介されている「サイト」の動画を、よくできていると思いつつ見ていたが、ただ、ナレーションしている人の言葉が微妙に関西風である。うちの大学の学生と舞台を作っているときのようだ。微妙に言えない「イントネーション」があるのだなあ、関西の人は。ただ、関西風の「標準語と呼ばれる言葉」は耳にここちよい。でもその人は、少し無理している感じがした。
■シュワルツェネガーが州知事に当選したとき、駆けつけたブッシュがどうかと思うようなテンションで冗談を連発していた。「彼と私は、いくつもの共通点がある。ひとつは、妻が美人であること」。どうしようかと思ったが、さらに、テンションはあがりっぱなしで、「さらに、二人とも、言葉が変だとよく言われる」には少し笑った。でも、この「変」は意味がちがうのではないか。シュワルツェネガーの言葉は少しなまっているということだろうが、ブッシュは、いわばアメリカの長島茂雄である。『ボーリング・フォー・コロンバイン』の監督、マイケル・ムーアの本にその例がいくつも出ていて面白い。長島茂雄でもっとも笑ったのは、ある選挙候補者の応援演説で発した名ぜりふだ。

「彼は、気負いもなければ、勢いもありません」

 天才だよ、やっぱり、長島さんは。そして、そんな日、関西地方は雨。野球解説者の阪神OBの山本さん、「この雨は阪神に有利」って、いきなりそうきたか。

(0:46 oct.22 2003)



Oct.20 mon.  「だめな日」

■また小浜の日記を読んだら「牛久大仏」に行ったと知って驚いた。ほんとに行ってしまったのか、あの男は。そんなに行きたかったのか、牛久に。それほどまでして巨大仏を見たいのか。
■毎日新聞の連載「日々の査察」を書く。あとは「東京人」を書けば今月の仕事はほぼ終わりだが、するとすでに来月のサイクルがやってくるのだった。「資本論を読む」と「チェーホフを読む」をまずは書かなくてはいけなくて、この二つを書いてしまえば、少し気が楽になる。で、原稿を書き終えてから、「富士日記」のこのページのデザインに飽きてきたのを感じ、なにかしようと思いつつ、どうも気力が出ない。あと、あれだ、「松倉ライブ」の特別ページを作ろうと思っているうちに日々は過ぎてしまった。いくつも頂いたメールを紹介できなくて申し訳ないのだった。
■たびたび書いていることじゃないかと思うが、わたしのような仕事をしていると、家を出なくてもあまり困らないし、まして書籍にしろ、CDにしろネットで買うことができる時代、油断していると、ほとんど家を出ないことになってしまうので、意を決し夕方ようやく買い物をしに青山まで行った。その日、はじめて外に出るのがもう日が落ちてからだ。ひどくだめな気分にさせられる。

■そういえば、なにかのCMで歌っているのは、
Tokyo No.1 Soul Setのビッケ君ではないかと思うがどうだろう。と思って調べたら、CMのナレーションなどいろいろやっているようで、言われてみるとそんな気がする。声あて名人としてはうかつだった。あれはいつだったかな、バフアウトという雑誌でビッケ君と対談したのは。下北沢の飲み屋で対談し、二人して写真におさまったが、それがまたひどくだめな風情が漂い好きな写真だったのだ。あれがほしい。

(16:59 oct.21 2003)



Oct.19 sun.  「いくつもの擁護のために」

ボクデスの小浜の日記「世界の車窓へ」を読んで笑ったのは、次の部分。

宮沢さんが自身の「富士日記」に書いた賛辞に驚く。傘泥棒がこんなになりました。「敵」が多くなりそうな発言はちょっと困りますが。

 そうだなあ、自分でも書いているように小浜はかつて泥棒だっただけに、感慨もひとしおだ。まあ、「敵」はいっぱいいるからそれはいいとして、って、ああ、俺がっていうより小浜に敵ができてしまうという意味か。それはまずい。だけど、ま、いいじゃないか、泥棒だったことを思えば。それでつらつら舞台のことなど考える日々である。

■以前なにかに書いたのは、ある批評家の言葉に笑ったことで、それは日本のアンダーグラウンド演劇が生まれた背景には一九六〇年代の経済構造の変化があり「アルバイト」という労働形態が生まれたことがあげられるといった意味の内容だった。つまり、それまで「新劇団」に所属し経済的な保証がなくては「演劇」はできなかったが、アルバイトという労働形態が生まれたことで、新たな文脈の演劇が出現する条件を生み出したということだ。アルバイトってすげえなあとそのとき思わず笑った。なにしろ、ひとつの演劇潮流を生み出したんだよ、アルバイトってやつはね。
■それから四〇年近くになろうとするが、経済構造が変化していないというべきか、それとも、演劇が生産される構造が変わっていないのか、その後の演劇もアルバイトによって支えられている部分がいまだに大きい。
■で、経済について考えていたわけですが、かつてのフォーディズム(自動車産業フォードが作った生産システムに代表されるモノを大量生産する方法を支える経済原理)の構造は絶対ではなくなり、いまでは「フリーター」と呼ばれる一群の労働者層がなければ、経済は成立しない一面があって、つまりそこには「モノを作る」のではなく、「モノではないモノを作る」といった資本の変化があり、「熟練した職工(=終身雇用される者)」より、「賃金の安い臨時雇用(=いつでも簡単に切ることができる者)」が大量に必要とされる。ある本に「コンビニエンスストアが売っているのは情報である」とあった。そういえば一九八〇年代、西武デパートの幹部クラスの人間が、「モノを売るのではなく、情報を売る」となにかで話していたのを記憶している。だからあの時代、コピーライターはもてはやされた。商品を作る当の労働者よりそれを情報としてパッケージングするコピーライターに重要な意味が担わされた。それと平行するように文化産業の分業化、下請け化が進んだのは偶然ではなく、フリーターの入りこむ余地(フリー編集者、フリーディレクター、フリーライターら)が増大した事態は、すべてポストフォーディズの構造変化によって生成されたと見るべきなのだし、「資本」はむしろ、大量のフリーターを要求している。

■がちがちな左翼的思考を(たとえばアドルノ的に)すれば、「演劇を目指す=アルバイトをする」は、このポストフォーディズムの構造のなかで「資本」に奉仕する一定の役割を果たしてしまうことになる。「現代演劇」が流通させる「俳優になる夢」を育てる「欲望装置」は大量の「フリーター」を生産する結果になって、「演劇」そのものが、(大量のフリーターを必要とする)資本に荷担するという図式が生まれる。いわば「欲望装置としての演劇」である。
■六〇年代のアンダーグラウンド演劇を生み出した一面に経済の構造変化としての「アルバイト」があったとのんきなことを言っていられないことになるが、「演劇」と「資本」による「共犯」がどのような「状況」を生み出してきたかと、あくまで旧来の左翼的な思考はその枠組を問題化しがちだが、逆に、個的な「表現欲」としての「演劇」から構造を捉えなおせばまた異なる「演劇」の意味が現れてくる。社会学者の毛利嘉孝は書く。

 われわれが批判すべき相手は、なにかをつくりだそうとする欲望を資本の流れへとすべて回収し、還元しようとするあるおぞましい制度であり、その欲望そのものではない。そして、仮にその欲望が資本と微妙な共犯関係を結んでいるからといって、欲望そのものをすべて否定してしまうのは、やはりいきすぎである。われわれが求めているのは、ロックもレイブもアニメもマンガも存在しない、知的シニシズムだけが支配するような、退屈な世界ではないのだ。

 こうして「表現欲」は擁護されるが、やはり「おぞましい制度」は確実に存在するのだし、「おぞましい制度」のなかで「表現欲」が適度に飼い慣らされたとき、議論されるべきなのは、「表現そのもの」ではないか。いわば、「知的シニシズムだけが支配するような、退屈な世界」の否定はどこまで許されるか。たとえばワークショップの隆盛はこうした文脈から見れば、「参加する意志」と「表現欲」の裏返しとして、「フリーターの生産機械」とも言えるわけで、「ワークショップ」がそのまま「作品化」されてよしとするなら、「表現」は「経済の構造的変化」にものの見事に呼応してしまう。その延長上に、この国の演劇があるとしたら、しばしば批評される八〇年代以降の演劇の脆弱さは、正しい認識になり、それはつまり「ワークショップの段階で見切り発車された表現たち」への否定だ。ここに二つの「否定」があってべつべつの方向を見ている。
 つまり、「知的シニシズムだけが支配するような、退屈な世界」の「否定」と、「ワークショップの段階で見切り発車された表現たち」への「否定」だ。それは対極をなして、批評を分断する。分断は日々大きくなっている印象を受け、たとえば、「演劇ぶっく」と「舞台芸術」という二冊の雑誌となって端的にあらわれているのを見ることができる。
 だからこそ、「表現したい欲望」や「参加したい欲望」を擁護しつつ、二つの「否定」をも同時に擁護するのは、「高度な戦術」を要求されるのであり、それは毛利の言葉を借りれば、「なにかをつくりだそうとする欲望を資本の流れへとすべて回収し、還元しようとするあるおぞましい制度」への根源的な否定へたどりつくためのいまできる可能性を追求することだ。そこでは、ちまちました、局所的になされる批判はすべて無意味になるが、だからといってぜんぶを肯定する相対主義とも異なり、制度をうち破るためにこそなされる高度な批評が表現に反映されなければ意味がない。ボクデスの小浜の日記「世界の車窓へ」で引用された、丹野賢一が自身のサイトの日記に書いたとされる、「駄目な部分を探して突き合ってる日本の状況は糞食らえだ」はそのことを言いあらわしていると読め、たいへん興味深い。

■小説を書き出そうと思いつつ、まだ書けない。時間はどんどん過ぎてゆく。

(16:13 oct.20 2003)



Oct.18 sat.   PERSONA

■少し前の新聞で、鬼海弘雄さんの写真集「
PERSONA」の広告を見、ぜひ買おうと思っていたが、きょう草思社からずっしり重くて大きな荷物が届いたので封を開けると、驚いたことに、その写真集だった。ものすごくうれしい。ただごとならないね、このよろこびは。そしてこの写真集を無条件で絶賛したい。これはすごい。素晴らしい。まだ見ていないうちから、わくわくした。こんな気分になるのもめったにあることではないのだ。そしてページを開く。各地で写真展も開かれているようだ。ぜひとも足を運ぼう。なにしろ私は、無条件で絶賛するからである。

■なんとかしなくてはいけないと思っていた当サイトのメインページ、
PAPERSを八ヶ月ぶりに更新した。少し時間があったからだ。せっせとソースを書き換えていたわけですが、そうして作りながらこのHTMLソースを生成するマークアップ言語ってやつを作った人はほんとにえらいと思った。ひかくてき簡単に、誰もが、ウェブを作ることが可能になる。Illustratorのファイルをテキストエディタで開くと、無数の文字列が出てきて驚かされるが、あれを書けと言われても不可能だし、C言語にいたっては、hello worldの段階で終わったな、俺は。
■この「簡単に作れる」が、「よいとされる」ことがなんにでもあてはまるわけではないにしても、ウェブはそうである意味が強い性格を持ったメディアではないか。というのも、なにか知りたいと思ってサーチエンジンで探せば、なんらかの情報を誰かが教えてくれるからだ。それがむだな知識であってもいっこうにかまわない。学術的な価値とか、文学的な価値、社会的な価値といったものがなくてもぜんぜんいい。ないならないなりに、面白いからだ。
■飛騨に行ったとき、途中の道で、「帰雲城埋没地」という大きな看板を目にした。クルマで走っていたので一瞬、その文字を見たが、これまで聞いたことのない名前である。東京に戻ってそのことが気になったものの、城の名前をその時点ですでに忘れていた。手がかりになる言葉、覚えているキーワードで探してみることにした。「岐阜県」「城」「埋没」の三つの言葉だ。見事に検索の結果が出た。「帰雲城と内ヶ島氏の謎」というサイトにたどり着いたのだった。「帰雲城」と書いて、「かえりくもじょう」と読む。で、これがなにかの役にたつかといえばほとんど意味はないのだが、よくわからない面白さがここにはあるのだった。そもそも「埋没しちゃった」という状態がすごいじゃないか。しかも「城」である。いまだに事実が判然としていないのがまたいい。もちろん、「ハムスター君」という、ちょっとどうかと思うようなサイトがあったとして、たしかに、いかがなものかと思いたくなるものの、なにかのおり、人は不意に、ハムスターのことが気になることがかなりの確率である。そのとき「ハムスター君」に大きな価値が出現する。よくもまあ、こんなサイトを作ってくれていたと、感心しきりだ。

■えーと、なにを書こうとしていたのだ、俺は。まあ、いいか。鬼海弘雄さんの写真集もいただいてしまったし。
■毎日新聞の連載を書けば今月の原稿仕事はもうないと思っていたら、雑誌「東京人」の依頼を引き受けていたのを思い出した。「地図」というテーマである。私にとっては格好のテーマだ。このさいだからとことん「地図」を研究したい気分になった。なぜ「地図」は面白いのか。見ていても面白いし、描いても面白い。地図に関する本をあらためて読んで考えよう。そうだ、だからこそ「地図に関するサイト」を探すのが本日のノートの文脈上、大事である。
■それはそうと、こうして書いているウェブ上の「ノート」や、「日記」について研究しているグループがあるのもサーチエンジンで発見した。「日本ウェブログ学会」である。で、あったはいいものの、活動が停滞しているようだ。これだと、「ハテナアンテナ」のほうがウェブログ研究になっているのではあるまいか。

■そんなふうにして秋は深まる。

(10:06 oct.19 2003)



Oct.17 fri.  「ドキュメンタリー」

■先日(10月3日)、新宿南口で松倉の路上ライブをやったことはもうなんども書いたが、そのとき路上ライブの模様をビデオで撮影している人がいたことにも少し触れた。あとでその方からメールをもらってわかったのは、このノートを読んでいて、松倉と僕のことを撮影しドキュメンタリーを作ろうとしたのがそもそもの目的だったという。映像を作っていらしゃるS君という方だ。「歌いたい人がいて、聴きたい人がいて、素朴な歌のはじまり」という言葉がきっかけだった。
■新宿でのライブを追った映像を編集して一本の作品にしたものを送っていただいた。面白い。これ、公開したいなあ。
Otraのライブに来られなかった方にも見てもらえば「感じ」は多少なりとも伝わるのではないか。映像に出ている僕はひじょうにだらしない格好をしていて恥ずかしいが、でも、「仕切屋のおじさん」に笠木が叱られているところなど笑う。S君の付けたタイトルがすごい。

「歌」を巡る冒険 〜路上ライブ戦争編〜

 たしかに、「その夜」の新宿南口周辺でのバンドたちの姿も映像におさめられており、まさに「戦争」で、「新宿南口のその夜」を追ったドキュメンタリーとしてもよくできている。「仕切屋のおじさん」の声が聴けたらもっと面白かったのになあ。これがもう、ほんと、どうしてこの人が「仕切屋」か、よくわからない。ちなみに、映像に映っているのは、松倉、ヨミヒトシラズのT君、ギターのTさん、笠木をはじめ、ほかにも、伊勢、島津製作所のK君(関西ワークショップに来ていた人)らもいて、まあ、ごく個人的にも面白かった。
 ただ、やっぱり音響機材の関係か、松倉の歌がきれいに録れていないのは残念。スタジオで収録した音源をS君にわたし、最後のクレジット部分とかに流してもらうとさらに作品の質は向上するのではないか。あるいは、この素材を生かしつつ、今後も撮影を続けてもらってべつの作品にするなど、いろいろ考えられる。いやあ、面白いなあ、映像。S君の作品は説明的ではなく、ほぼ映像だけで語ってゆくのもいい感じだった。ダビングして松倉に送るのはもちろんだが、ほかの人らにも見てもらいたい。やっぱ上映会かな。
 それにしても隣でやっているバンドの音はすごいね、よくあれだけの機材を路上に持ち出したもんだよ。「路上ライブ」のプロという気さえする。
■S君に感謝。

■ブロードバンドはたしかにすごいのだと、きょう実感したのは、
iBookから音響用のケーブルをオーディオ機器に接続しインターネットラジオをつないだら思いのほか音質がよく、そのまま流し続けていると、ラジオを聴いているというか、有線放送が部屋にずっと流れているようなことになったからだ。ブロードバンドのつなげっぱなしがなせるわざ。
■聴いていたのは、
iTunesに登録されているインターネット上の海外のラジオ局だが、もっといろいろあれば面白いと思った。僕はダブ専門のラジオ局が気に入ったけど、もっと細密化されるとか、あるいは音楽以外のものが聴けるなどあったら(それこそ有線放送だけど)いいのではないか。海外の局ばかりだったが国内でもこういったサービスはないのだろうか。iTunesは、Windows版もダウンロードできるようになるという話。数多くある音楽用ソフトのなかでiTunesがどれだけすぐれているか知らないけど、無償だし、ダウンロードしてもむだではなかろう。
■そんなわけで、一日、音楽ばかり聴いていた。

(6:54 oct.18 2003)



Oct.16 thurs.  「さらに夜はつづく」

■夕方から、
en-taxiのIさん、Tさんにお会いしに、霞町の交差点から少し歩いた焼肉屋に行った。とつい書いたが、八〇年代までは確実に「霞町」という言葉は残っていたはずなものの、いまでは「西麻布」と書かないと通じないのかもしれない。これも、僕にとっての八〇年代で、どれだけあのころタクシーの運転手さんに「霞町の交差点まで」と言ったかしれない。仕事で行くことの多かった場所。
■そういえば、最初、
en-taxiのIさんたちは、「八〇年代を舞台にした小説を」と提案してくださったのだった。小説として書く興味がどうもわいてこないのもあるが、なんだか「思い出ばなし」のようになってしまうのではないか、あるいは、風俗的な小説になるように感じた。それというのも、僕にとっては時間が近すぎ、リアルになることで風俗だけが描かれるおそれがあり、ある種の想像力や、神話性を構築することができないように感じる。過去を書けばすべてそうなるというわけではなく、たとえば、一九六八年について、あるいは、一九七七年について書こうという案はしまってあるが、八〇年代はどうもちがう。七七年から一気に、九〇年代半ばまで小説として書きたい世界の時間は飛ぶのは、喚起されるものが八〇年代になかったこともある。あるいは感傷的になる可能性もあるからだが、よくわからない。
■焼肉はとても美味しかった。食った食った、今週はイタリア料理といい美味しいものをたらふくいただき、ありがたい。あと夜の町に出て行く機会が最近はすっかりなく、人と会って話をする面白さを久しぶりに味わった気がする。それというのも、焼肉屋を出てからが、いよいよ長い夜になったからだ。

■Tさんに連れられ、さらに六本木へ。私は生まれてはじめてショーパブというものに足を運び入れ、1時間半ほどあるショーを見てしまった。ダンスは、まあ、想像していた種類の踊りで、なんというか、ま、あれですけど、好感を持ったのは、ダンサーたちがすごくまじめだったことだ。きちんとしたエンターテイメントをやろうと努めている。「板」を大事にしているのがわかって、ああ、「芸能」の基本に忠実だなあと思ったが、最前列の客が舞台に手を置こうものなら、「舞台に手を置くなっていってるだろ、このじじい、なんべん言ったらわかるんだ」と罵るのが面白かった。むかし、演出している私ですら、舞台上で弁当を食べようとしたら舞台監督からしかられたことがある。
■で、こうしたショーを観る側は単純に楽しめばいいのだろうけど、僕はなにか、ふつうに舞台を観に行くときと同じように、技術的なこととか、ダンスの意味とか、ダンサーの力量、この舞台がいまの時代にあることの意味など、見ているあいだずっと考えていた。そういう場所じゃないですね、これはあきらかに。あと、やっぱり「水」の匂いがして、どうも苦手だなあと思い、それは僕が酒を飲めないのとも関係しているのか、もともとの資質か、たとえば俳優でも芸人でも、「水」の匂いがした時点で一緒に仕事をしたいと思わなくなる。これはもうしょうがない感覚だな。
■だが、こういった未体験ゾーンはたいへん興味深く、こんな世界(観客席も含めて)もあったのかという、ある種の新鮮な驚きであろう。さらに夜はつづき、そのあとやはり六本木のゲイの人がやっているバーにTさんに連れられて行った。Tさんがいろいろな店を知っていることがすでにもう、この時点で面白いことになっており、次はなにを見せてくれるんだと、ショーの内容以上に興味深くなっていたのだった。

■バーではもちろん僕はウーロン茶を飲んでいたわけですが、しばらくするとかつて僕が演出した『知覚の庭』という作品に出たこともあり、いまは「週刊SPA!」の編集をしている山崎がTさんに呼ばれて来たのだった。この「感じ」が僕にはなにより面白かった。つまり、「いま、どこそこで飲んでるんだけど、来ない?」と電話すると、そこに「駆けつける人」がいる。これはたとえば、定食屋ではありえない事態で、「いま世田谷食堂で、さんま定食食べてるんだけど、来ない?」という事態はまずありえない。そんなふうに呼ばれても定食屋には誰も来ないと思うし。そして山崎は呼ばれてやってきたのだった。「のこのこ」という形容がこれほど似合う人間はいない。
■山崎はあいかわらず面白いが、さらに、ゲイの人にも好感を持ったのは、やっぱりそのまじめさである。接客業としての熱意に心を打たれる。すごく愛想のない喫茶店のウェイトレスとか、本屋の店員とかよくいるが、そいつらに彼の熱意を見せてやりたいくらいだ。だがゲイの人はカラオケを歌った。私の苦手なものが次々とやってくる。山崎も歌うんじゃないかと気が気ではない。でも、Tさんや、Iさん、山崎、そしてお店の人らといろいろな話ができて面白かった。いい夜である。

■帰り、またTさんにどこかへ連れて行ってもらう約束をして一行とわかれたが、クルマで六本木を脱出するのはたいへんだった。なんだこのタクシーの数は。六本木交差点のあたりでぜんぜん動かなくなる。夜は長い。
■ユリイカのYさんからメールが来て驚いた。宋が店長をしているイタリア料理屋につい最近、入ろうとしたところ、ランチが終わっていて入らなかったという話もそうだが、さらに、

あと、ほか奇遇的なことで言えば、大学時代のサークルの後輩が、うわさの「ニュー高田」の経営者の息子でした。意外と(というかロケーションはいいわけですが)まわりに使用経験のある人が多くてびっくりなのですが。

 笑ったなあ、これには。でもって、高田馬場では「ニュー高田」はどうやらメジャーである。そのライターを人に渡した宋のうかつさはなにごとだ。

(12:07 oct.17 2003)



Oct.15 wed.  「テキスト・リーディング・ワークショップ、第二回」

■午前中、
Mac Power(→こちらへ)の原稿を推敲してメールで送る。字数を間違えてやたら長かったのを削る作業。ほんとうは、19字×156行という分量だが、それを20字×156行で書いていたと気がつき、しかもさらに先を書こうとしていた。単純に計算すれば156文字以上多いことになる。しかし削ること、つまり「引くこと」で表現はなんでもシャープになる。僕は舞台でもなんでもつい「足しがち」になるのだ。まだ足りないんじゃないかと不安になるが、大事なのはそこをぐっとこらえること。
■さらに「一冊の本」を書くが、「一冊の本」の連載、横光利一の『機械』を読むためには、毎回、50枚程度の短いこの小説を読むことからはじめるので、これまでどれだけ『機械』を読んだかしれない。「一冊の本」のOさんに「こんなに『機械』を熟読した人はかつていなかったでしょう」と言われたが、その読書回数もこうなると日本一になっているかもしれないのだった。ということはつまり「世界一」かもしれない。これほどあまり意味の感じられない「世界一」があるだろうか。午後になって原稿も書けやはりメールで送る。
■あとは「毎日新聞」の連載を書いてしまえば今月の連載仕事は終わる。でもまだ、書く仕事は果てしなく続く。来月が不安である。なにかと忙しい。「テキスト・リーディング・ワークショップ」の第二回目が夜からあるのでその予習。ドイツの劇作家で故人のハイナー・ミュラーについて少し調べる。

■「テキスト・リーディング・ワークショップ」は第二回目である。先週読み切れなかったシェークスピアの『ハムレット』を読む。小田島雄志訳。シェークスピアの場合、誰が翻訳したものを読むかは意味が大きい。というか、ちょっと翻訳の数が多すぎるよ、シェークスピアは。とはいっても、僕は英米文学者でもなんでもないので、テクスト解釈的に読んだり、読みつつテキストを解説してもしょうがない。ただ、気になることはいろいろあり、読んでいる途中で、そのつど、話をする。それが自分では楽しい。まだ一方通行のところがあって、参加者から意見など出てくると面白いのだが、「話せ」と強制してもしょうがないし、するとどうしても質問者などが限られてくる。どうやったらもっと距離を縮められるかむつかしいところ。
■先週のつづき、第四幕、第五幕(最終幕)を読む。なんて悲惨な話なんだ。主要な登場人物がみんな死ぬのである。『ハムレット』の舞台はいろいろ見たが、最近では、ピーター・ブルックが「ハムレット」を構成して新しい姿に造りなおした『ハムレットの悲劇』が面白く、あの構成された戯曲が読みたいと思ったのは、こうしてシェークスピアの『ハムレット』を読んでいると、どこをどう、構成し直したか、こうして読んだ感触と、なにがどう異なったか知りたいと思ったからだ。
■参加者はいろいろな人がいる。持ち回りでいろいろな役を読んでもらうが、第五幕に出てくる道化をふられたウェブデザイナーのS君の読みが面白かった。さすがウェブデザイナーだけに、S君のサイトはきれいだ、関係ないけど。あと、漢字が読めない人が面白い。漢字が読める読めないは、単なる知識の問題であって、人が生きることにおいてべつにたいした問題ではないのであり、むしろ読めない人、なかでも、とんでもない読み方をしてくれる人はそれだけで面白いから貴重である。

■休憩をはさんで、ハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』を読む。シェークスピアの『ハムレット』を読んだ直後に『ハムレットマシーン』を読む経験は僕だってはじめてで、まして、どちらもはじめて読む人もいるだろうし、『ハムレットマシーン』のわけのわからなさに触れる参加者の反応が楽しみだった。そして比べながら読むのも面白い。
■『ハムレットマシーン』は「役」というか、「登場人物」が明確に指定されていない部分が多く、たとえば、『ハムレット』だったら、

ハムレット では顔は見えなかったのだな。
ホレーシオ いえ、見えました、顔当てをあげていたので。
ハムレット そうか、で、顔つきは不機嫌そうな?
ホレーシオ 怒りというよりは悲しみの表情を浮かべて。
ハムレット 蒼ざめてか、それとも紅潮した顔でか?
ホレーシオ いえ、ひどく蒼ざめて。

 といったことになる(まあ、よくある戯曲のエクリチュール)が、『ハムレットマシーン』は「ト書き」すらなくいきなりこうはじまる。

私はハムレットだった。浜辺に立ち、寄せては砕ける波に向かってああだこうだと喋っていた、ヨーロッパの廃墟を背にして。

 なにを言いだしたんだおまえは。だが「おまえは」と言いたくても、これが誰のせりふか指定すらない。ただわかるのは、「かつてハムレットだった人」らしいということで、なぜなら「私はハムレットだった」といきなり名乗っているからだ。現代詩のようにも読める言葉が続く。で、今回の読みでいくつかの発見があった。黙読するのとはまったく異なる感触が生まれたからだ。
 ひとつは、どうやってみんなで読むか、思いつきで、読点、つまり「。」ごとに順番で次々と読んだり、あるいはよくある「詩」のように書かれた部分については、一行づつ順番に読むことにした。すると、不思議なことに奇妙な「リズム」が生まれ、「音」としてすごく面白いということを発見した。黙読しているとどうしても解釈したくなる。難解なテキストの解釈をしようとするのは、人とはおしなべて「解釈する生き物」だからだ。ただ「音」として耳にすると『ハムレットマシーン』はとても興味深い言葉の群れであると読めてくる。
 さらに、「ミュラーはベケット以降とどう関係するのでしょうか」といった意味の質問に答えようとして、いまの「音」として耳にすることで発見した「言葉の豊穣さ」から気がついたことを発展させて考えると、ベケットが晩年になって「言葉の抽象化」が進行し、いわば「言葉がどこまでも不毛化(砂漠化)」(それこそがベケットの目論見)したのに比べ、ミュラーはぞれとはまったく関係なく、劇言語としてとても豊かだということの発見があった。気持ちいいほどの言葉のうねり。もちろんそれはひどくグロテスクな姿でもある。シェークスピアの豊かさとは質がまったく異なるし、それには、ミュラーがドイツが東西に分断されていた時代の「東」の劇作家であったこと、抑圧の中で言葉が生まれたこと、ブレヒトの後継者であったことなど関係するが、それでもやはり興味深い言葉であることをこうして声に出して読むことではじめて感じることができた。
 これこそが、「テキスト・リーディング・ワークショップ」の醍醐味である。こうでなくちゃいけない。というか、僕はそう感じ、個人的に発見があったが、参加者はどうだっただろう。いきなりなテキストを渡されたと感じなかっただろうか。

■参加者のなかには、群馬から毎週、通っている人がいるときょう知った。ありがたい。来週は、別役実の最初期の戯曲、『マッチ売りの少女』を読み、さらにベケットのごく短い戯曲を読もうと思う。来週は「不条理劇大会」。それをきっかけに「現代のドラマツルギー」について考えようという狙いである。時間があるかどうかだな、問題は。
■それにしても、『ハムレットマシーン』にあらためて刺激された。「言葉」を書きたくなった。「テキスト・リーディング・ワークショップ」をやってほんとによかった。

(10:42 oct.16 2003)