■さて、いま問題なのは、「宋ひさこ」であるが、話を聞いたら「ニュー高田」で自転車を盗まれたそうだ。ま、それはあとでゆっくり書くことにし、きょうはまた編集者の方々にお会いしたのだった。
■午後、SWITCHのIさんに会って話をした。青山の「大坊」という喫茶店である。べつに仕事の打ち合わせとかいったことではなく、ただ話をし、ただ話をするこの時間が楽しかった。もっとこちらから質問をして話を聞き出せばよかった。それというのも、この人から話を聞き出すと、いろいろ面白いことが出てくるにちがいないという、いい顔の人だったからだ。というか、予感がしたわけで、そういった予感はきっとあたる。なんていうか、演出家としての勘である。
■Iさんはつい最近、グァテマラに行ったという。聞けば、古代文明好きとのことで、南アメリカ各地の古代文明の遺跡を求めて旅をしたらしいが、まあ、その時点ですでに、これはあやしい。もっと話を聞くべきだった。さらにいろいろ聞けばなにか喚起されるものを与えてくれる人の顔である。二時間ほど話したところで、Iさんが先に店を出、僕は残って実業之日本社のTさんを待つ。
■Tさんとは、「資本論を読む」の単行本化に関する打ち合わせだ。クルマで移動し、高田馬場へ。そこに宋が、店長をつとめるイタリア料理店があるのだった。Tさんは、「宋さんといえば、ニュー高田の」というほど、僕のこのノートをよく読んでいる人で、しかし、わからない人のために解説すれば、あれはたしか京都だったと思うが、煙草の火を持っていなかった僕に宋がライターをくれた。ライターに「ニュー高田」の文字。なんの店だろうと思ってこのノートに書いたら、読んでいる人からメールをもらい、高田馬場にある、ある種のホテルだと判明した。で、宋の店で食事中、「だめな人」についてTさんと話をしていたら、宋が黙っていられないとばかりに、話をはじめ、「ニュー高田」で自転車を盗まれたというのだが、それより僕が驚いたのは、Tさんが意外な話をはじめたことだ。携帯電話が普及しはじめたころ、その仕組みについて詳しくなかったTさんは、仕事の相手か誰かの携帯に電話したそうだが、電話した場所がその手のホテルだったという。相手に発信番号が通知されてしまって、あいたたた、なことになってしまったそうだ。
■Tさんがそんな話をするとは思いもよらなかったのでほんとうに驚いた。
■それはそれとして、宋が店長をつとめるイタリア料理店「イル・キャステロ」はとても落ち着けるいい店で、料理も美味しい。なぜ宋が店長なのか不思議なほどだ。高田馬場にお寄りのさいは、ぜひともご賞味いただきたい。で、単行本の話。来年の四月か五月に発売予定だが、連載分の原稿に加え、これまでこのノートに書いた「資本論を読む」にまつわる部分を入れるというTさんのアイデアが面白いと思った。で、宋の話も、Tさんの話も面白く、お腹もいっぱいになったし、SWITCHのIさんにも会えて、とてもいい一日だった。
■で、僕がクルマを運転していることを知らなかった宋がひどく驚く。帰りクルマを見に雨の中を宋がついてきて、しきりに感心している。あと、関係ないけど、「ニュー高田」のことを思い出そうと過去のこのノート(「市松生活」の二〇〇二年一月ぐらい)を読んでいたら、精神的にかなりだめな時期だったことを思い出した。その時期のノートの文章にはどこか無理がある。苦しい。苦しい文章を読んでいたら、また苦しくなる。
(4:16 oct.15 2003)
■さすがに一日ぐらいは休もうと思ったが、ふと原稿を書いてしまおうと思いたち、まずはMac Powerの原稿を書き上げる。字数のことを考えずにだーっと書いていたらやけに長くなる。この連載は、Macを使っているうちに感じる「ばかあれこれ」について書く内容で、この雑誌にこれでいいのかとは思うものの、T編集長はとても正しいマックユーザーでものごとを冷静に見ている印象があり、そんな私の原稿を寛大に許してくれる。さらに、「一冊の本」を書きはじめる。
■で、PAPERSというか、当サイトのTOPページを更新しようと思いたち、そのためには、いま使っているiBookではなく、Power Macのほうで作業しようとマシンを整備。というのも、以前書いたことだが、なぜかHDDが初期化されてしまってからというもの、元に戻すとか、またソフトをインストールするといった作業をするのが面倒でならなかったのでこれを機会にやってしまおうと思ったからだ。そしたら、Final Cut Proが動かないんだ。いろいろ試行錯誤しつつ、なんとか元の環境になったが、それで今度は、u-ench.comサーバーのバックアップをこの際だからし、もっと中身をすっきりさせたいという気持ちになってきたが、つまりは部屋の片づけのような作業である。なにやらサーバーに膨大な数のファイルがあって、それがぐちゃぐちゃになっている。いいかげんな思いつきで次々とページを作りサイトを構築したからだな。こういったところが素人のだめなゆえんというか、「素人」と一般化するより個人的なものだ。
■それにしても、Webの力ともうしましょうか、ネットはいまや、油断のならぬメディアになってきて影響力が想像以上にあるのだとこのあいだの松倉のライブのあと、あらためて感じた。これはちょっとすごい。そのためにもPAPERSはしっかり更新しよう。「富士日記」を読む人は比較的、定期的に読んでくださる方たちという前提があるが、僕のことを知らず、さらに遊園地再生事業団についてなにも知らない人が、なにかのきっかけで検索してここにやってきたことを考えれば、PAPERSがまず窓口になる。もっと親切に、わかりやすく、サイト内をもっと理解しやすいようにといろいろ考える。だいたい、更新が滞っているページが多く、たとえば、「著書」を紹介する欄が不親切というか、新しいものがなにも掲載されていないのであれでどれだけの読者が僕の著作を知らずにいるかだ。まあ、自分のことを宣伝するのは少し照れるが、なにも知らない誰か(=他者)に向かった表現に意味があるのだな。というか、まずは遊園地再生事業団についてもっと記録をしっかりしなくちゃいけないのであって、過去の公演の記録など、なにもないのはどうなっているんだ。
■そんなコンピュータの作業のあいだに本も読んでいた。そういえばヨミヒトシラズのT君も同じ日にドゥフクレを見に行っていたとT君の日記を読んでしった。見なかったなあ、コンタクトレンズを入れるのに苦労している人は。誰かの日記を読んでいて面白いのは照らし合わせるとわりと近くに同じころいたことがわかったときだ。京都にいた日、寝屋川のYさんも京都にいたのだった。会いたかったな。
■で、関係ないが、いわゆるスパムメールというやつだよ、なにが腹立たしいといって。アドレスを公開しているとものすごい数のスパムメールが来る。で、ばかなんじゃないかと思うのは、それになんの効果があるかわからないというか、逆効果としか考えられないことだ。「おまえ、ばかじゃねえの」と返信してやりたいが、ただごとならぬ数のメールなので、そんなことをするのもばかに思える。そんなとき、ごくふつうにメールをいただくとほんとにうれしい。松倉ライブの感想も紹介しなくては。返事を書いていないメールも多数ある。申し訳ない。
(3:40 oct.14 2003)
■クルマで横浜に行ったが、思いのほか早く着いて驚いた。首都高から横羽高速道。横浜市内に入ってから道が混む。目指すは神奈川県民ホールである。フィリップ・ドゥフクレの新作『イリス』を観る。開演までまだ時間があったので県民ホール前の庭でタバコを吸っていると、そこから公園が見え、その向こうは海である。公園の広場では音楽の演奏などやっていたが、松倉の路上ライブ以来、町で生の音楽をやっている人を見ると気になってしょうがない。
■さて、七時開演。開演直前、小浜が妙な格好で、僕の少し前の席にいたので声をかけてやろうかと思ったが迷惑だろうからやめた。開演前の客席を走る小浜。あとで聞くと、開演直後、観客が少し硬いのでそれをほぐすためにこういった演出になったという。なるほど。
■作品はすごく面白かった。前作を観たのがいつだったか忘れたが、前作の圧倒的ともいうべき完成度に比べると、今回はまだ初演ということもあり、今後、変更が加えられてゆき、さらに洗練されてゆくのだろうが、小浜の日記にあった、初日直前まで構成の変更などしていたばたばたさを感じさせないところは、さすがにプロフェッショナルな振付家・演出家としての手腕だ。
■これまで以上にダンスの要素が強い。途中、小浜が考えたとおぼしきウルトラマンの影絵ショーがあり会場では笑いと拍手が盛んに起こるが、これ、ふつうに笑いの舞台でやったらあまりの単純さに俺は怒るね、おそらく。と思いつつも、素直に楽しめた。ドゥフクレがこれをやっていることの面白さ。外国人がバルタン星人をやっていることの面白さ。処理のきれいさ(これがもっとも重要)。ほかが正統なコンテンポラリーダンスだったことからくる異物としての面白さ(だけ、っていえばだけだが、まあ、面白かったものの、あれ僕の舞台で小浜が提案したら即座に却下したな)。でも、小浜がこの舞台に出ているのは、もう10年なんだかんだで舞台を一緒にやってきた者としては感慨深かった。
■あいかわらず、映像の使い方がうまい。舞台と映像の洗練されたからみはそうとう熟練したスタッフワーク。終演後、客席最後方にあるスタッフの席を見ればコンピュータを駆使して映像出しをしているのを知る。研究の余地あり。ロバート・ウィルソンのことを書いたときも触れたような、背後の巨大な白いスクリーンはやっぱりきれいだ。幕などを駆使してそのサイズを変える巧みさ。きれいだということにおいて、それだけで目の快楽がある。で、それをスクリーンにしたときの映像の投射における精緻さは見事。単純にあれは、むつかしいと思う。
■これまでドゥクフレのダンスっていうとアクロバティックな要素が多かったが今回はかなりダンスの正統に近いっていうか、端的に言えば「踊って」いた。むしろそのことが『イリス』にあって僕は興味深いものを感じたのはなぜかについて考えていたのだが、ドゥフクレが少し大人になったってことじゃないかと思いもし、けれど、ではそれを単純な演出で見せていたかといえばそうではなく、映像などで巧みに処理をしつつ、子どもの無邪気さはまだ残されている。単純によく動くからだは気持ちがいい。ただ、そこで、さらに強い表現、ダンスとしての身体の強度、表現の強度によって、観る者に訴えてくるものがもっとあってしかるべきではないか。というのも、世界はいま、それを要求してはいないか。表現者はそれを試されてはいないだろうか。ま、ある意味、政治的にね。
■で、そのことを考えていたら、ニブロールの『ノート』(東京公演)で観たダンサーのからだの、「いまここに出現したある特別なからだ」という思いはやはりある意味において正しかったと感じ、あれはあれで、「強度」だったよ、村上隆の美術作品がいま、世界的に評価されることに呼応するかのように。
■珍しいキノコの伊藤さん、それから小浜が出ているだけで、くりかえすようだがなにかうれしい気分になった。カーテンコールに出てくる小浜に誇らしさをかんじましたね、わたしは。ざまあみろという気分になった、いろいろな方面に対してさ。小浜はそれほど踊らせてもらえなかったけど、小浜がもっている、白水社のW君が松倉についてコメントした言葉を使えば「特権っぶり」はやっぱり魅力的である。ドゥクフレにもそれは伝わったな。数多い、踊れる日本のダンサーより、ドゥフクレは小浜を選んだ。日本の若いダンサーはそのことの意味をもっと考えるべきである。ざまあみろ。
■終演後、僕の舞台によく出ていた佐伯や関、『トーキョーボディ』に出た関本、南波さん、それから以前ワークショップに来ていたFさん、Tさん、大人計画の池津に会う。池津に会うのもいったい何年ぶりでしょうか。で、伊勢も来ていたのでクルマで東京まで送る。伊勢を乗せて高速を走ると、去年のどしゃぶりの高速を走った船橋から帰った日のあの地獄を思い出してまたなにが起こるか不安だったがそれほどのこともなく無事帰還。
■伊勢を明大前の駅で降ろしたあと、家の近くで中華料理を食べたのだが、食べている途中で、横浜中華街の近くにいたにもかかわらず、なぜこんな場所で中華料理を食べているのか不可解な気分になった。ともあれ、また舞台をやりたくなったという意味でも久しぶりに面白い舞台だった。きのう京都で、dotsを観てもそれを感じていたが、やりますね、わたしは、新しい舞台を。しかも、でかいところでやりたい。でかい舞台の背後にある巨大なスクリーンを駆使したきれいな舞台と、「強度」を目指してまた精進したいのである。
(3:04 oct.13 2003)
■寝不足のまま、ホテルから大学へゆくと、大学の施設のひとつ、青窓館という建物の一階で松倉の「熱烈歓迎ライブ」があった。歓迎されているのは私である。今回は、ショウちゃんのキーボードと、村川という学生のドラム、村上のダンス(へたなところに味がある)とボンゴという編成である。ギターでやったときのほうがいい歌と、ピアノのほうがいい歌があるのだと感じた。で、また松倉なりに考えた演出がほどこされているのだが、それがあまりはかばかしくないというか、何かするんだったらすごく稽古しなくちゃだめなのだということを教えなくてはいけない。
■午後、dotsによる卒業制作公演を観る。K君の演出は、映像とダンス、あるいは、パフォーマンスといった表現がいつもなら中心だが、「せりふ」を主体とした舞台で、けれど、古い意味での「ドラマ」があるというのではなく、太田省吾さんの戯曲から引用した言葉を構成した内容になっている。それが意外だった。照明がロバート・ウィルソンになっていたものの、丁寧な明かり作りで好感がもてた。そして舞台造形というか、空間の演出が精緻で洗練されている。気持ちがいい。太田さんの言葉をまだ消化できていない印象を受けたのは、若いということでしょうか。牛尾と荒木という僕が好きな「脱力系」ともいうべき俳優が、しっかり芝居をしていて驚いたとか、升谷がなあ、僕は好きな俳優だがもっと生きていればとかいろいろ思ったものの、結局ですね、小劇場に見られがちな妙なかっこわるさのない舞台は心地よいのだ。刺激されるものも充分あった。
■終わってから、演出のK君、出演した学生らと話す。ほかにも、松倉はじめ、いろいろな学生と会って話をした。話しているあいだは楽しいが、でも少し疲れた。そのあと「猫町」というカフェで松倉と話す。11月に、ピナ・バウシュのダンスを観に東京に来るというのでそのとき、うまくいったらまたライブをやろうと相談した。それまでにもう少し日本語の歌をはじめレパートリーを増やそうと松倉。ちょうど一年前、松倉がはじめてやったライブのビデオを受け取る。夕方、京都をあとにする。僕にしては珍しく新幹線で眠った。「チェーホフを読む」の原稿で精も根も尽き果てた直後の京都行きで、ほんとにハードだった。というか、先月からいろいろやっており、活躍し過ぎたのだ。からだがついてゆかない。働きすぎて死んじゃうかもしれないが、もうちょっとがんばる。
(7:07 oct.12 2003)
■あまり眠らぬまま、原稿が書けたのは、昨夜の深夜というか、きょうの未明で、推敲はいったん仮眠し意識がしっかりしてからにしようと思ったものの、そんなにうかうか眠っていられないのは、京都に行くからだ。
■きのうも書いたが今回の京都行きはK君たち「dots」による卒業制作公演(うちの大学の映像・舞台芸術学科の舞台コース)を観るのが目的。ほんとはきょうの夜の回を観ようと思っていたが、余裕を持とうと、土曜日(11日)の昼の回にした。で、「dots」の公演を観る前に、学内で松倉が「熱烈歓迎ライブ」というのをやってくれるとのこと。松倉に関して「2003年10月2日」というページを作ろうと思っていたがなかなかできず、しかし感想のメールをいくつも送ってもらっているのでページ未完成だが、感想のうち、いくつかあらかじめ、紹介したいと思う。「えんげきのページ」を主宰しているNさんからの感想。あのサイトに関してはそうとう僕は悪口を書いているのではなかったか。それでもライブに足を運んでくれ、感想を送ってくれたNさんの懐の深さに感謝。
こんばんわ、にしかどと申します。
富士日記を拝見し、松倉さんのライブに参加しました。(客席にいただけですけれど、参加した、という感じがします)松倉さんの声の美しさにも、佇まいの独特さにも感銘を受けました。自分の日記にもそのことを書きましたのでよろしければご覧ください。今後の展開楽しみにしております。
あるいは、津田沼に住むTさんという方から。
松倉さんはとても魅力のあるかたですね。子供っぽい部分も含めて。そして、私は、好きでときどきライブなどに足を運びますが、正直言ってこんなのにお金払って損した、と思うようなライブも、時にはあります。それというのは、必ずしも演奏のうまい・へた、ということではない気がしていました。表現者として必要な力、それは、宮沢さんの言葉をお借りすると「他者」に対して自分の持っている力を発する能力、というか、うまく言葉にできませんが、そういう種類の力というものがあるように思えるんです。今回、松倉さんが歌うのを聴いていて思ったのはそのことで、松倉さんは、たとえばミュージシャンが、手に入れたい、どうにかして身につけたい、とおもう種類の才能というか、力というのか、そういったものを既に持っている印象を受けました。
そしてあののびやかな声は宝ですね。歌もとてもうまいと思います。 ポピュラーミュージックでは、声がとても重要だと思うわけです。インストというのもありますが、ここではそれは置いておくとして、どうしても好きになれない声というのはひとそれぞれあるのではないかと。その点、松倉さんの声は、とてもいいですね。好みの問題があるのですけど。
伊勢さんのダンスまでみることができてなんだか得した気持ちになりましたが、踊るにはあの場所は少しせまかったかもしれないですね。でもいいロケーションでしたね。すぐそばには恵比寿の高いビル、遠くに東京タワー。下からはガーデンプレイスの光。電車がひんぱんに走っていましたがそれほど気になりませんでした。
ほんとうにありがとう。勇気づけられた。白水社のW君は端的な言葉で表現してくれた。
松倉さんの“特権っぷり”、いいですね。なごみや、いやし、てのとは別の部分で、ひかれます。ひきこまれます。ほほえましい、というのとは違うのですが、口元をゆるませてくれる感じがあって。声はもちろん、たたずまいがいいんですね。
ほかにも感想多数。また紹介する。 まだまだ歌はもっと鍛えなくてはいけないが松倉の魅力の一端は伝わったのではないかという印象。よかった。
■夕方、推敲も終え、メールでユリイカのYさんに送信。一段落。準備をして京都に向かう。のぞみはひどく混んでいた。京都に着いて地下鉄で北大路駅まで。空腹を感じたので北大路の近くのラーメン屋で食事。この時期、京都は紅葉のシーズンだが、今回は仕事。観光などどうでもいい。卒業制作公演を観る仕事。観たらすぐ東京に戻るというせわしなさ。まだ今月分の原稿もある。ま、気に入っているカフェには少し寄るだろう。
■ホテルに到着したのは夜11時過ぎ。憂鬱はいったん忘れ、仕事を次々とこなして創作活動に邁進しよう。やるべきことはいくらでもある。いや、野心ではない。楽しいから。「いま、ここ」を懸命に生きるのだ、チェーホフがそうであったように、笑いをともなって。京都のホテルに到着して一段落。仕事の一環とはいうものの、少しは京都を楽しもうと思っているが。
(4:41 oct.11 2003)
■一日中、ユリイカの連載「チェーホフを読む」を書いていた。
■途中、神戸のあの町を一緒に歩いた彼とも電話で少し話をした。もっとたくさの人から話を聞いたほうがいいのではないかという。ああ、そうだなあ、彼の友だちにも会いたい。また時間を見つけて「あの町」に行こう。神戸でお世話になった、MさんやKさんにもメールを書こうと思いつつ、松倉のことやらなにやらで、それも怠っているのだった。あしたはまた京都に行き、学生の卒業制作公演を観る。以前ここに書いたこともあるK君がひきいる「dots」だ。いつかコラボレーションができたらいいと以前書いたら、K君から、「できたらいいじゃなく、絶対やりましょう」というメールをもらってうれしかった。よし、それもやろう。「dots」もみんなに観てもらいたい。
■そんなことを考えつつ、私はひたすら原稿を書いている。『桜の園』について書く最終回だ。まとめなくちゃいけない。21枚まで書いたところでいよいよ大詰め。少なくとも4枚は「まとめ」を書かなくては『桜の園』を読んだことにならないと、そこで私は、大人の仕事をしようと決心したのである。この連載で私はしばしば、「チェーホフのイロニー」という言葉を使って、『桜の園』を「不動産の劇」と表現した。そのことをはっきりさせなくてはいけない。それは「人をどのように見つめるか」という、以前、岩松さんについて書いたのとよく似た意味で、チェーホフの目はどんな位置から人を見ているかになるのではないか。
■しかし、それとはべつにチェーホフにはどこか、メランコリーの病、いわば「憂鬱」ってやつが意識に流れていると作品を読みつつ感じるのだ。人は誰でもそうなのだろうか。僕もやはり、どうもだめだな、いろいろなことをしつつ、このところ、どうも本気で楽しんだ気分にならないことがどこかあって、年齢的なことなのか、それとももっと異なるなにか、たとえば、二年前の事件がそうさせるのか、なにかひっかかるのだ。劇を支配するのはその憂鬱かもしれない。だからこそ、チェーホフはそれを笑おうとした。懸命に笑おうとした。そうしつつも、やはり、「不動産の劇」にはいまわしさや、くらさがつきまとうのだ。
■それでも、「チェーホフ的な喜劇」は確実に存在する。そしてそれを顕在化させる「不動産(=桜の咲きほこる土地)」が、劇の、いわば「趣向」のひとつとして背後に常に存在するが、それを媒介にしつつ、様々な人の運命が皮肉に描かれる。悲しかったり、切なかったり、人の生はそもそも悲劇的であり、けれど『桜の園』は、なぜか「喜劇・四幕」である。それこそ痛烈なイロニーだが、なにより奇術を披露する家庭教師の女がきわめて謎だけど、いや、そんなことはどうでもいいんだ。
■そういえば、『群像』で対談していただく相手は、青山真治さんに決まった。お願いしたところ快諾していただいたとのこと。話をしてそれをもとに小説を書くが、そこからなにが生まれるか、いまからとても楽しみだ。
■あと、Mac OS X 10.3(Panther)がまもなく発売される。それでいよいよ、PowerMac G5を買おうかと思ったのは、10.3(Panther)がようやくバンドルされるだろうと思ったからだが、するとですね、もろもろのソフトもヴァージョンアップしなくちゃならない気にさせられ、まったく、厄介な話である。
■原稿を書こう。
(6:33 oct.10 2003)
■明け方まで「チェーホフを読む」の原稿を書こうともがいていたものの、ほとんど書けず、あらためてもういっぺん『桜の園』を読んだりなどしていた。そのうち眠くなって少し仮眠するつもりが、目が覚めたら夕方の五時である。しかも、ベッドから落ちて目が覚めた。すごい音。ものすごい衝撃だったが、ぼんやりしてなにが起こったのかしばらく自分でも理解できなかった。どうもその直前から、いやな夢を見ていた気がしており、それというのもベッドのはし、ひどく不安定な格好で眠っていたからだろう。
■このところ、やけに夢をよく見る。はっきり記憶していることが多い。最近会っている人はまったく姿を現さず、ずっと会っていない誰かだ。ひどく懐かしい感情が起こり、目を覚ましてしばらく不思議な心持ちにさせられる。
■ベッドから落ちたときはそれとはまったく異なるなにか不可解ないやな夢だったように記憶しているが、そんなことに構っていられないのは、夜から「テキスト・リーディング・ワークショップ」の第一回目がはじまるからだ。原稿は帰ってから死んだ気になって書こう。
参加者はこれ以上の人数になるとあまり濃い授業ができないだろうと20人にしぼったが、見れば、ヨミヒトシラズのT君もいれば、顔見知りが何人か、あるいは、かつてのワークショップに来た人もいて懐かしい。「テキスト・リーディング・ワークショップ」は戯曲を読もうという試みである。きょうの課題は、シェークスピアの『ハムレット』(小田島雄志訳・白水社)だ。それを読み終えたあとに、ハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』を読もうと予定していたが、思いのほか時間がかかり、『ハムレット』の第三幕を読んだところで終了。時計を見れば、もうすぐ11時になろうとしている。
毎回一つの戯曲を読もうという目論見は最初にしてもろくも崩れた。来週、別役実の『マッチ売りの少女』を読もうと思っていたのに、だめでした。やってみてわかったこといろいろ。まだはじめての試みなので、未分化であり、もう少し、テキスト解読にあたって受講者が参加できる方法がないだろうか。たしかに、役を振り分け声に出して「読む」のも参加だが、もっと何かあると思えてならない。ただ、戯曲を読むのはやはり面白いのだと再確認。黙読だけではなく、こうして読み合わせ形式だからわかることもある。
■家に戻り、原稿を書こうと思うと、眠くなる。まずいな。かなりまずい。その後もさらに「松倉ライブ」の感想は届く。笠木の日記に「松倉滞在記」があって、それが読ませる。あと、関係ないけど、ナビスコカップの結果についてはぜったいに触れないでくれ。
(6:45 oct.9 2003)
■たとえば、「鬱々する」の、「々」だけ変換するのに、どう入力したらいいかだが、それがあなた、「おなじ」と入力すると候補一覧が表示され変換されると知って驚いた。よく考えてみればそりゃそうなんだけど、びっくりだ。やってみてください。このページにほかにも詳しく書いてある。偶然、発見。驚いたね、ほんとにどうも。さらに「々」の読みはなにかを考察してあるこのページから示唆されることも多かった。
■きのう「だめな人」について書いてふと思い出したのは僕の舞台によく出ていた宋ひさこのことだ。それというのも、こんどある雑誌の編集者とお会いするにあたって食事をする場所として、宋が働いているイタリアン料理の店はどうかと思い連絡しようと思ったからだが、まあ、なんといっても、「だめな人じゃないと、だめ」という人の代表としての宋がぱっと浮かんだからである。
■もう二年ぶりぐらいで宋と電話で話をしたが、ほんとに面白かった。宋はネットを見る環境にないからこのページでなにを書いても大丈夫だと思っていたが、人からプリントアウトしたものを見せてもらったというので、「ニュー高田」の話を書いたことも知っており(まあ、知らない人はそういう話があったと理解していただきたい)、開き直って、今後も「ニュー高田」のライターを使い続けると宣言していた。つい最近、自分より十歳も若く会計事務所に勤める若いのに優秀な男に告白されたという。ふつうに考えればその男とつきあうほうがぜったいに幸福である。だが、宋はいまつきあっている「だめな人」を選んだ。そこにはもちろん、僕が軽々しく口を挟めないような宋の苦悩があり、事情があるとは思うが、でもやっぱり、「だめな人じゃなきゃ、だめ」な人としてすごい。立派である。話しを聞いて少し悲しい気持ちになりつつ、こんど宋と、どこかで会ってお茶でも飲もうということになったので、とことん「だめな人」の話を聞こうと思う。面白いからね、話をすると。なんていうか、宋はほんと、幾つになってもチャーミングっていうか、味がある。
■で、イタリア料理屋で店長をしている宋だが、最近は友だちの舞台は見ないようにしているという。見てしまうと、どうしても舞台をやりたくなってしまうからだ。気持ちはよくわかる。一度、舞台に立ってしまい、その後、演劇の世界から立ち去ってしまった人は数多くいるはずで、舞台に対する「よろこびの記憶」は少なからずあるにちがいなく、それを断ち切るのはむつかしいのだろう。舞台を続けられるのは幸福な話だ。そういって、何年も舞台をやらない私は、演劇の神様に申し訳ないと思う。それでふと、かつて一緒に舞台をやったことのある人の顔がいくつも浮かび、どうしているのかな、芝居は続けているのだろうか、やめてしまったのだろうか、いい役者になった者もいたはずなのにとしみじみ思う。
■「チェーホフを読む」を少し書き、松倉ライブのことを記録する「2003年10月2日」のページの素材作りなどしていた。「2003年10月2日」はもう少しまってくれ。一歩も外に出ていないと夜になって気がついたが、どうやら町はもう秋が深まっている。
■「文學界」「新潮」などが郵便で届き、「文學界」の、柄谷行人「カントとフロイト」が興味深い。さらに特集で「内田百間(ほんとは門構えに月)」が取り上げらており、松倉ライブのときの「雑談」で百間のことを話したのでシンクロニシティを感じたのだ。松浦寿輝さんらの座談会で、松浦さんが、「百間とカフカ」という比較文学研究を誰かやるべきだと発言しており、それはかつて池内紀さんがどこかに書いていたこととはいえ、まったく同感であり、九〇年に公演した『遊園地再生』という舞台で僕は、百間とカフカを登場させたのだった。二人と、ケンジという名前の少年が、廃墟になった遊園地で、「その人」が来るのを待っているというお話だ。
■「新潮」には僕の書いた「モンティ・パイソン・スピークス」の書評が掲載されています。お読みいただきたい。あ、そういえば、「百間特集」で、たくさんの方が百間について書いているなか長谷部日出雄さんが「Word」は「内田百間(ほんとは門構えに月)」を一発で変換したと書いており、それで「Word」を使うとのことだが、漢字変換の、「Atok」か、Windowsに付属している漢字変換ソフトがそうしているのだが、まあ、それはいいとして、ただ、それはつまり「機種依存文字」だと進言したかった。プリントアウトするぶんにはいいが、メールした場合、相手がMacだと読めないし、ネットで公開した場合もMacでは読めない、というか、文字化けするのである。実証済みだからこれはたしかな話。というか、Macでは、なぜあれが変換できないか、読めないかだ、問題は。
■その後も、松倉ライブに関するメールをいくつももらう。早くページを作らなくては意味がない。「感想を書きこむ掲示板」を作ればとも思うが、荒れるのがいやだった。原則的に「実名」という、例の「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」方式だったらよかったかもしれない。でも、やっぱり、忙しいよ、私は。今週は京都にも行くし。
(2:58 oct.8 2003)
■むかし、ある人の4コマ漫画に笑ったことがある。ジョギングしている人がいて、会う人ごとに「ジョギングですか?」と声をかけられ、「いえ」と答えるのだが、家に戻って辞書でその言葉を調べ、「あ、俺、ジョギングしてたのか」とつぶやく。ある場所で、松倉に関する一連のぼくの行動を「プロデュース」と表現している人がおり、「え、俺、プロデュースしていたのか」という気持ちになった。というのも、ただ楽しくてやっていたし、ぜいたくな遊びの気分だったので、プロデュースだとはつゆほども思わなかったというか、そもそも、「プロデュース」という言葉の意味がよくわからない。
■ある関西の演劇人と対談のようなことをしたことがあった。僕が八〇年代の舞台をやめ、しばらくなにもしていなかった時期があったことについて、その方は、なにもしないでも平気だった僕に関して「その根拠のない自信はなんだったんですか」と質問した。それも意味がわからなかったのだが、考えてみると、どうも「発想の基本(あるいは思想そのもの)」がちがうらしいとあとになって思った。つまり、前方に「目的地」があるかどうかという考え方のちがい。「なにもしていない」の先には、確実に「目的地」があり、そこに向かうには、なんらかの「自信」がなければいけないと、その方は考えるのだろう。いや、僕は、「ただなにもしていなかった」だけだ。その後、好きなことを書いていたらたまたまそのエッセイが評判になったり、ただ自分がやりたい芝居をやっていただけで、「目的地」などどこにもなかった。
■「プロデュース」という言葉にも、「目的地」があるような気がする。というか、その言葉を使ってしまうことには、「目的地的なるもの」がどうもにおうのだ。つまりは生産主義ですな。そういうことに私は、ぜんぜんむいていないのである。
■最新号の「早稲田文学」が届き、「フォークナーと中上健次」というシンポジュウムが特集されている。読んでいるうちに小説を書こうという気分が高まる。そういえばこのあいだ、ヨミヒトシラズのT君が来たとき、書きかけの『28』のプリントアウトした分厚い原稿を見せてしまったのだった。完成するまで誰にもぜったいに見せないつもりだったが、ついそこにあったのと、話すことがなにかないか、つまり「間を埋める」ために、うっかり「これ、いま書きかけの小説」と話し出してしまったのだった。
■小説については、とにかく書かなければならない状況になっているので書くのだが、それと同時に連載や、頼まれた原稿をひとつひとつ書いている。共同通信社から頼まれた書評。とりあげた、ジョルジュ・ペレックの『さまざまな空間』(水声社)はすごく面白かった。いきなりある部分で、こんなことが書かれている。
ぼくの記憶力は並はずれていて、自分では驚異的だと思っているのだが、今までに眠ったことのある場所を全部覚えている。
ほんとうなのか。あ、面白かったといえば、先日の松倉ライブに来てくれた扶桑社のTさんが、「だめな人についての資料をください」と僕が頼んだところ『だめんずうぉーかー』というコミックを持ってきてくれたのだが、「だめな男」の一人として、一緒に舞台をやったことのあるI君(今林かもしれない)が実名で出ていた。ものすごくだめである。あいつ、だめだったのか。そんなにだめだったとは知らなかった。もう演劇の王道。「演劇だめ」の王道である。
■ま、ともかく、いま、テーマのひとつとして「だめな人」を書こうというプランがあり、これは「マイノリティーの政治」とも関わることなのであった。で、このコミックを読んでいると男はたいてい「だめ」なのではないかと思わせられ、そんなことを考えていたところ、十六歳の少女と入籍しその少女を殺した男が逮捕されたというニュースを見、ああ、ここまで「だめ」を極められるとある意味すごいとすら思え、堂々と報道のインタビューに答えている犯人の顔がテレビモニターに映し出されれば、なにやら、ありがたいものを見ている気分にさせられるが、早く死んじまえとも思う。しかし世の中には、「だめな男」だからこそ好きだという女性も多いからことは複雑だ。「だめじゃないと、だめ」という、よくわからないことになっており、そこが面白いし、さらに、「だめな人」に苦労させられながらも、次にやっぱり「だめな人」とつきあってしまう「だめの連鎖」もまたすこぶる興味深い。「だめ」の奥は深い。
■「ハイナー・ミュラー/ワールド」のパンフレットに文章を寄せたことは書いたが、演劇批評家の西堂行人さんから受け取った旨を確認するメールがあった。メールの最後に、「ところで、8日は清水と浦和の準決勝ですね。明後日は、勝たせてもらいますよ」と、いきなりサッカーの話になっていて面白かった。これ、ナビスコカップのことだ。西堂さんがサッカー好きなのは知っていたが、レッズのサポーターだったのか。いや、ナビスコカップは、決勝でエスパルスとジュビロが対戦する「静岡ダービー」になるはずである。そう決めたんだ、俺は。柏書房のHさんもレッズを応援していたな。このあいだ会ったとき、そのことも話せばよかった。
■埼玉と静岡といえば、むかしからサッカーのライバル県だ。たとえばかつて高校サッカーの決勝ではいくども埼玉と静岡の代表が対戦し、私もどれだけ国立競技場に足を運んだかしれない。正月のあいだずっと入院していたある年、医師に頼み込んで退院させてもらい、病院からタクシーで国立競技場に向かったことがある。あれは、静岡学園と武南の決勝だったかな、とにかく、静岡代表が負けたことだけははっきり記憶している。最近、高校サッカー界は、千葉の市立船橋とか、長崎の国見が強いが、特に長崎なんか、国見しか出てこないってのはどうなんだ。静岡を見ろ。清水市商が出てきたかと思えば、藤枝東が出たり、東海大一高、静岡学園、清水東と、どこが出てきても強い。
■『トーキョー・ボディ』でカメラを担当した(と書いてもなんのことかわからないでしょうが)Hは、神奈川県の高校でサッカー部にいたという。藤枝東が練習試合をしてくれるというのでよろこんで静岡県の藤枝まで行ったそうだが、レギュラークラスが一軍だとするなら、相手をしてくれたのは五軍だったという。で、試合中、その五軍の選手に、「へたくそ」と言われたそうだ。そう考えると、日本代表ってのはあれなんだな、ものすごいレベルのところにいる人たちなんですね。ドイツにいる高原が試合中、目に怪我。なんてついてないんだ、高原。そういえば、岩手の大船渡高校出身の伊勢は、同じクラスにアントラーズの小笠原がいたそうだ。「小笠原君」と呼んでいた。
■原稿にあまり苦労しないまま、きょうは昼間、八時間以上眠った。久しぶりによく睡眠をとった。借りているビデオをものすごく延滞。いやな気分になったが、よく眠れたからいいとしよう。
(4:17 oct.7 2003)
Oct.5 sun. 「またワークショップをやっていた」 |
■10月のこのページの左サイドの写真は、以前も紹介した武山君の作品を使わせてもらいました。とてもきれいです。モデルは子どもだが、ともかく写真がね。
■夕べ、眠いのにもかかわらず、本サイトのTOPページであるところの「PAPERS」を更新しようと試みていたが素材作りの段階で挫折。眠ってしまったわけだが、目が覚めて「テキスト・リーディング・ワークショップ」の素材がとんでもないまちがいをしているのを自分で発見して大笑いした。
まず、左の「誤」では、「テイスト」になっており、「味わいを読むワークショップ」ということになっているのだし、しかも、場所を示すのに「ENBU」と書くべきところを、「ENBi」になっている。なんだよ「エンビ」。だいたい「誤」のほうでは10月8日を二度繰り返しているのが不可解だ。というわけで今週からまた、「テキスト・リーディング・ワークショップ」といった企画を実行することになった。また忙しくなるものの、戯曲を読むのはいまから楽しみだし、ぜひともやりたかった。20人で募集打ち切りにしたらそれ以上、応募者数がおり、「待ち」の人がいるということで申し訳ない次第である。で、11月は僕が死ぬほど忙しいので休み。12月から再開。募集は月ごとにあるので、そのつど応募してくれるとうれしい。
■そして、「松倉東京進出大作戦」が終わって一息つくひまもなくまたワークショップをやり、きょうは一日中、仕事である。曙橋でいつものように、ENBUの通年の受講生に対する特別授業。『アイスクリームマン』の戯曲を使った簡単な稽古。昼間はまだ人が少なくてよかったが、夜の回になると人が多すぎて、全員に対して細かい演出ができなかった。打ち上げの席でも何人かの受講生からそのことを指摘された。また質問に答える。質問に答えるのが仕事だ。
■そして原稿も書く。以前書いた、「ハイナー・ミュラー/ワールド」の劇場で配られるパンフレット用の原稿を送る。もうほとんど書いてあったのに送るのを忘れていた。あといくつか書かなくてはいけないものがある。そして、「チェーホフを読む」だ。
■それにしても、「松倉ライブ」の告知はこのノートと、T君のヨミヒトシラズのサイト、あと笠木の日記しかなかったにも関わらず(しかも、詳細が明らかになったのは二日前とかだったし)、それで、あれだけの人が来てくれたのは、インターネットおそるべしであり、さらに10月3日の新宿南口ライブにもこのノートに書いた「緊急告知」で知ってかけつけてくれた人もいる。ほんとにありがたいものの、これはいったい、なにごとかと考えているのだった。それでふと思ったのは、深夜ラジオに似ているのではないかということで、10数年前の、たとえば、「オールナイトニッポン・第二部」という感じではなかろうか。っていっても、なんのことかわからない人もいると思うけれど。
■T君のヨミヒトシラズのサイトの日記に記されているように、いろいろな人が日記にライブの感想を書いてくれているので、T君のサイト経由で読んでください。きのう松陰神社前のうなぎ屋に行ったことは書いたが、その近くにある本屋で、「Setagaya 私の散歩道」(あんじゅ社)という本を買ってしまったのだった。長いこと世田谷に住んでいたのでなにか美味しいものを食べようと思うと、豪徳寺、経堂、梅ヶ丘、下高井戸近辺の店に行ってしまう。というか、他をよく知らないのだった。よかったなあ、世田谷。
■それはともかく、私は日常に戻らなくてはいけない。読書と執筆の日々。考える日常。でも、あの数日間は、ほんとうに楽しかった。
(7:11 oct.6 2003)
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