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Published: Feb. 21, 2003
Updated: Dec. 16 2004
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 *遊園地再生事業団『トーキョー/不在/ハムレット』公演(二〇〇五年一月)のお知らせはこちら。 → CLICK


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Dec.15 wed.  「稽古は休みだった」

■眼が覚めたら午後三時だった。久しぶりにものすごく眠ってしまった。原稿を書く。それから本を読む。『トーキョー/不在/ハムレット』に出演している岸からメールがあり、ラストシーンについて岸の考えたことが書いてあった。稽古場で、なにか足りないと僕がずっと言っているからだ。「足りない」とはいえ、それでなにか「足す」のではなく、「準備公演」でやった方法から「引く」という稽古をしていたが、それでも、まだなにかあるように思えてずっと考えていたのだった。岸の提言はうれしかった。稽古場ではうまく言葉にできないと思ってメールに書いてくれたという。
■このあいだ、今後の稽古は「悩み」、そして「議論する」と俳優たちに告げたとき、詩人を演じる南波さんが、自分の六分以上に及ぶ独白の場面が矢内原さんの演出で「準備公演」とはずいぶんちがったものになって戸惑っているのを僕に話してくれ、だったら独白するときの考え方を、この方向にしようと整理をつけたとたん、次にその場面をやったときずいぶんよくなっていた。そのとき、南波さんは声が震え、話したいがうまく伝えられないことをようやく言葉にしてくれたのだと思う。話してくれてよかった。僕も考えることができた。こういうことが稽古なのだと思えた。技法的に磨いてゆくことばかりではない。議論することや、悩みつつひどく非合理に、迂回しつつ、とにかく動く。ある意味、だらだらしたような、生産性の低いかのような時間がきっと贅沢なのだと思える。だからこの一年があった。一年かけてひとつの作品に取り組むなんてばかのすることだ。でも、それがしたかったのだ。
■ある知人が悩んでいることを最近知ってメールを書いた。それで事の次第を正直に書いてくれた返事が来たのだが、いろいろなことがあるのだなあと思いつつ、では励ましの言葉を書いてさらにメールしたいが言葉が浮かばない。なにを書いてもわたしは第三者でしかないので、言葉がうそになるように思えるからだ。困った。さらに先日大阪で世話になったSさんからもメールをいただいた。とてもうれしいメールだった。メールはすごいね。いろいろ誤解が発生するときもあるとはいえ、たとえば、郵便がこの世にはじめて出現したときだって、こりゃあ便利だ、遠くの人と連絡が取れると人は感じたのだろうし、まして電話が出現したときの人の驚きはなかっただろう。メールもいつかきっと、あたりまえの日常になる。たしかに速度は郵便よりずっと速くてそのちがいはあるにしても、人の生活にとってあたりまえになったとき、ことさら「メールが」なんてことは誰も言い出さなくなるだろう。人のコミュニケーションはそうして変化してゆくが、「変化」なんてそれほど本質的なことではないのじゃないか。

■夜、永井が来る。パンフレットに関する打ち合わせ。できたところまでのゲラを持ってきてくれて、デザイン、内容を少しチェック。これもまた、すごく読み応えのあるおそろしいほどのパンフレットになる。プレ公演からの記録をはじめ、青山さんとの対談。ニブロールの座談会。映画日誌もぎっしり詰まっていて、これでたったの千円。お得感はかなり高い。ぜひ劇場で手に入れよう。あ、劇場では、映画「
be found dead」のDVDが売られ、さらに文藝春秋から発売される、『トーキョー/不在/ハムレット』の原作、『不在』もロビーで販売されるし、『サーチエンジン・システムクラッシュ』の文庫本も手に入る。でも、それ全部買おうと思うと、ちょっと金額的に莫大になるのじゃないだろうか。でも買ってほしい。この一年間がここにすべて詰まっている。ひとつ頼むよ。お年玉を貯めておこう。ボーナスをここに注ぎ込もう。なかでも、ほんと、パンフレットはここでしか手に入らないし、ぜったいお買い得である。
■まあ、それはともかく、舞台だ。まだ悩む。安心したらおしまいだ。

(5:40 dec.16 2004)


Dec.14 tue.  「考える」

■夕方から熊谷と上村がニブロールのスタジオに行って「鶏介独白・ダンスヴァージョン」で背後に流れる映像を撮影するため稽古場を出なくてはいけない。それまでに稽古を終わらせることにした。そのあと、矢内原充志君と衣装について打ち合わせ。いろいろ考えてくれた。充志君と話していると楽しい。いろいろプレゼンしてくれるが、その雰囲気がなんともいい感じなのだ。なぜなのかと思う。夜、熊谷と上村の撮影がどんな状況だったか、今回、演出補をしている小浜からメールで連絡があった。撮影したことの事務的な報告だったが、それを読んでいるだけでも面白そうだった。あるいは、ニブロールの映像を担当している高橋君のアイデアも添えてあり、それにも興味を持った。
■稽古そのものは、まだはっきり確認していなかった箇所について明確にする作業だった。島村家がよくなった。無名塾に所属している佐藤(身長190センチ)が面白くなった。不器用な人だが僕はこういう人が大好きだ。声がでかいし、しかも、いい声。最初は、なんていうんだろう、技でなんとかしようとしていたが、そういうことを忘れ、思いっきりからだのなかからなにか吐き出すようにせりふを発してくれと注文し、それもだいぶできてきた。で、佐藤が演じる幸彦の妻が笠木なのだが、笠木とはもう10年芝居をしているが、この夫婦の関係を作る段階で、あれ、こんな表現が笠木にできたのといったぐあいに、笠木の表現力に変化があって少し驚く。10年だからなあ。笠木は演劇生活10周年リサイタルをやりたいと言う。昼夜二回公演のあいだに、10年を記念して一人舞台をやりたいという。やりたいんならやればいいさ。止めないよ。
■きのうこのノートに書いたようなことを考え続けている。きっかけになるものはないだろうか。ゴダールの映画を観てみようか、参考にならないかもしれないが、刺激はあるかもしれないとか、メイエルホリドの遺した文章を集めた『メイエルホリド・ベストセレクション』(作品社)を読み、ロシアアヴァンギャルドの画集など観たり、あしたは稽古が休みなので美術館にでもゆこうかと、いろいろ考える。だが、考えてもほんとになんにも出てこない。作品の精度を高めるのと同時に、また異なる身体表現を『トーキョー/不在/ハムレット』で提案できればいい。とはいっても、その模索には、まだまだ時間が足りないのだな。一年やってもまだだ。
■で、メイエルホリドの書いたものを読んでいると、そこには、モスクワ芸術座が代表する「自然主義演劇」というあらがうべき対象がはっきりあった。で、かなり「壊す」という明確な意志がそこにあったと遺された文章から知ることができる。いま、「壊す」べき対象はなにかだ。そして、そもそも「壊す(=反構築する)」ことに有効性があるかも疑問だ。「壊した」として結論として出てきたもののなかには、私にとって「気持ちがわるいもの」「恥ずかしいもの」「むしろそれを壊したいもの」もかなりあった。「壊したもの(=反構築する)」をさらに壊すためといって、あたかも新鮮かのように過去(=自然主義演劇)に戻ったところでしかたのないことだ。岩松さんや、特に平田オリザだが、その表現には九〇年代の半ば、あきらかに意味があった。それがいまの「思考し模索する時代」を用意したといってもいい。もっと考える。稽古のなかで考える、俳優たちとのこれが共同作業だ。

(4:54 dec.15 2004)


Dec.13 mon.  「その後の稽古」

■この二週間ほど、精度を上げる稽古をずっとしてきたが、それが高まれば高まるほど、そのことの意味がよくわからなくなっていたのだった。精度が高いにこしたことはないものの、だからなんだという思いがする。反復し、同じ場面を何度も稽古することによって生み出されるものはきっとある。やっているうちに気がつくこと、発見することもある。だからといって、反復してもなおまだ足りないものがあるように思えてならず、だとしたら、この稽古の意味がよくわからないのだ。
■もちろん、いくつかの場面、それは主にダンスが関わる部分でまだ精度が低いところもあってその稽古は必要だが、芝居の多くの場面は、磨いて磨いてぴかぴかにする作業をしているように思え、で、それがはたして面白いか疑問だ。ぴかぴかに磨かれたものが果たしていいものになるかどうか。そんなことを俳優たちに話す。これから残り少なくなった稽古は、もちろんまだ精度の低い場面はそれを高める作業にあてるが、それ以上に、もっと悩むこと、議論することに時間を使おうと思う。単なるせりふの「発話」のひとつひとつも、試行することはまだあるだろう。この数日、稽古をしながらそんなことを考えていた。で、なにより私に時間がなくて外側から刺激を受けることが少なかったのがいけないのか、稽古を終えて家に戻ってじーっと考えてもなんにも出てきやしない。
■夏ぐらいから、あーでもないこうでもないと考えあぐねていたことをさらに深めることだ。答えが出ない。でも、実務的には、衣装のこと、映像や音楽のことなどまだやらなくちゃいけないことはある。大変なのはこれからだ。

(12:24 dec.14 2004)


Dec.12 sun.  「プレッシャー」

■ようやく、「STUDIO VOICE」の最新号を永井が用意してくれ、『トーキョー/不在/ハムレット』について批評家の内野さんが書いてくれた紹介の文章を読む。プレッシャーだ。本公演では「これまでのプレ公演でやってきたことの羅列ではないもの」を期待しているといった意味のことが書かれ、これでいきなり私は、すべてを白紙に戻したい気分になった。ニブロールが入ったことでずいぶん印象は変わるとはいえ、「プレ公演の羅列」といえば羅列だ。言い訳すれば、「準備公演」はかなり「準備」だった。本公演は「準備公演」を踏まえ、なおかつはじめて観る観客を意識し、物語がわかるように作った。そしたら2時間45分になってしまったわけだが、それを10分以上縮めて現在の上演形態になっているものの、羅列といえば羅列。ではこれまでやってきたことからさらに先へ進め、いまなにが必要になっているかだが、僕はそれを、俳優の身体に求めて稽古しているつもりだ。演出や構成の発想だけでは小さな細工でしかないと思え、根元的な俳優のからだから発するものはなにか、演技への新しいアプローチはないか探している。せりふを短くし、「対話にならない対話」や、日常的ではない「運動状態」による発話など、まだ考えることはあるのだろう。
■「実験公演」は全編生中継だったが、そのこと、カメラの移動そのものを面白がっていたが、いや、そうではなく、カメラを意識することで俳優のからだにどのような変化をもたらすかを試すことが本公演では問われるのではないか。それは「言葉」にも作用し、劇言語にも影響をもたらす。そういった試みとしてのカメラ。いま、稽古場では、ほぼできあがってしまった芝居を反復する作業をしている。そのなかで、なにか発見できるのではないか。あるいは、もちろん芝居の精度をさらに上げる意味もあるが、やはり、もっとできることがあると思えてならない。形よくできてしまったことで満足せず、残りの稽古をさらに意味のあるものにしたい。
■ラストシーンで少し悩む。もっとあるな。なにかある。構成表には、「ラストローソン前」と書かれており、これはラストにくるローソン前という場面のことをさすが、「ラストローソン前」という言葉が私は気に入り、これをなにかのタイトルにしようと思った。小説にしようかな。どんな話になるかぜんぜん考えていないが、きっとローソン前に集まる者たちの話になるのではないか。いや、ぜんぜん関係ないかもしれない。きょうから大河内君が一週間休み。そして、矢内原さんの体調は思わしくないようだ。メールをもらったが、疲労からくる神経系のヘルペスができたという。いや、少し前からからだに赤いできもののようなものがあって、ダニに食われたのではないかと言っていたが病院で診察してもらった結果、原因は疲労だった。そりゃそうだよ、ベルリンから帰って来たかと思ったらすぐに稽古。疲れないほうがおかしい。ゆっくり休んでほしい。私は最近、疲れたら無理しないことに決めた。無理がきくとつい思いがちなのだが、あとでひどい目に遭うことがしばしばだからだ。それにしてもプレッシャーを感じているのだ。初日までもう一ヶ月を切った。長い長い、稽古とプレビュー公演の果てにたどりつく本公演だ。その成果はいかなるものになるか。ぜひとも見届けていただきたい。

(1:44 dec.13 2004)


Dec.11 sat.  「うまいものを食う」

■稽古は休み。きょうは若い俳優たちに「たらふく食わせる会」を開催した。稽古も詰まってアルバイトもできず、日々彼らは、貧窮の生活をしているので食べるものにも困っているが、って書くとなんだかどん底の生活をしているかのようだが、まあ、この比較的、豊かな国にあって舞台をできているだけでも、幸福なのかもしれず、ただ、とにかくたらふく食べさせたいという思いだけで集まりを持ったがたいへん楽しい時間を過ごしてしまった。なにかの話で、映像班の鈴木、笠木と、死ぬほど笑った。たしか伊勢が自転車に乗っているときクルマにぶつけられた話からそうなったのだと思う。自転車に乗っていてもサインを出さなくちゃいけないのではないかという話で少し笑い、こう手で右に曲がるとか左に曲がるなど合図を出すべきだと話しているうち、両手放しをし、手で「Tの字」を作り、「タイム」という合図を出すべきではないかと話したが、出されたほうは、そのサインをどう考えたらいいかということになったのだな。向こうから、自転車に乗って両手で「Tの字」を作って走ってくる人がいるのだ。どうそれを受け止めたらいいというのだ。その図を想像したら笑えた。
■そのあと、前日にみんなで観た竹中の舞台で、竹中がやっていた「のーですか」というせりふを僕はなんども反復していた。だけど、竹中のやることは竹中以外の人間がやってもけっして面白くない。そもそも、「のーですか」は「どうですか」のことだが、それ、面白いでしょうか。私が「のーですか」と口にして笑えるのは「竹中がやっていた」ということの疑似体験でしかない。聞いている者は僕がそう口にするのを聞いて、竹中が「のーですか」と言っていたことの記憶を反芻しているだけだ。少し専門的なことを書くと竹中のそれはきわめて道化的なるものだ。作家が作る笑いとはまったく異なるもの。鈴木や笠木は、竹中の「ナン男」を生で観られたことに感動していた。それが笑いの王道かもしれない。
■で、とにかく、前日(10日)、竹中の舞台の初日だった。下北沢の本多劇場に行くとロビーはよくある贈り物の花で埋め尽くされており、もうそこで私は引いたのだが、ああ、これが「芸能」の世界なのだと思った。舞台はいろいろ問題を抱えつつも、まあ、無難にできていたかな。竹中の得意技の連発と歌である。歌う歌う。ものすごく歌う。終わってから竹中にだめ出し。初日乾杯のとき木村佳乃さんに話しかけられた。少し緊張する。木村さんの芝居が素直で面白いと話すと、なんにも考えていないと言い、ただ、やっているとすごく楽しいとのこと。それはなによりだと思われた。

■9日の稽古でもっとも白熱したのは、ラスト近くにある「せりふをぽんぽんとたたみ込む場面」の練習で、そのやり方について、各俳優が議論したことことだ。とても有意義な議論だ。たとえば熊谷はそそもそもそういう性格なのだろうが、「意味」がきちっとして論理的に自分のなかで整合していなくては言葉を発することができないので、ただ反射でせりふを発してゆくことにしようとべつの俳優が提案しても、そのことに釈然としない顔をしている。少し稽古をしていると、「これは、こういった意味なんですか、それとも、こうなんですか」と必ず質問をする。質問することは悪くはないのだが、質問してやってみた結果がははたして、うまくいっているか、熊谷自身が生き生きしているかといえば、そうでない場合もある。妙にこわばったからだになることもある。「なにも考えずにやってみたら」と言ってみると、そもそも、そのことの意味が熊谷のなかにはないのではないか。そこが熊谷のいいところでもあるから、ことは複雑。なにしろそうして考えて出てくるものが面白いこともかなりあるからだ。いろいろな俳優がいる。
■あと面白かったのは「円」に(つまり新劇団)に所属する岩崎にうちわを持たせると、どうしても、(前述のぽんぽんせりふを発する場面で)その人物を演じようとする。それを忘れてフラットな岩崎でやれといってもなかなかできないので、うちわを持たせなかった。「うちわ」だけでなんでそんなに芝居が変わるかよく理解できないが、これこそ、「新劇における観念で組み立てられたリアリティ」だ。なるほどなあ。議論は続く。だがその議論は、また異なる演技の模索という意味でたいへん有意義だった。
■こうして一年やっているとこれはある種の学校なんじゃないかと思え、様々な出自の俳優によって持っているものをぶつけあう作業としても面白い。たとえばほとんど演技経験のないもっとも年齢の若い田中にいたっては、この一年が養成所のようだ。金を取りたいほどの作業と訓練をしてきた。コンテンポラリーダンスもあるし。で、そのダンスだが、矢内原美邦が病気で倒れたのだった。過労による神経性のもの。やはり休まなくてはいけなかったのだ。外国から帰ってすぐにこちらの稽古に合流させてしまい申し訳ない気分になった。それというのも、数日前から矢内原さんの顔を見ていたらなんだかやつれたような感じを受けており、ぴりぴりとしたものも感じていた。心配になる。

■まあ、とにかく、久しぶりにみんなと美味しいものを食べゆっくり話ができたのは幸福な時間だった。稽古場では神経を消耗する。こう見えても私はかなり、俳優たちに気を使っており、どうやって俳優を待たせず、すぐに次のことを考え稽古を進めてゆくか、それだけでも疲れるからだ。

(9:07 dec.12 2004)


Dec.8 wed.  「ダンスは着々と」

■私がスケジュール帳といったものを一切もっていないとは誰も知るまい。毎日、勘で生きている。前日に制作の永井や、俳優たちに、あしたはなにがあるんだっけと確認するのだが、きょうはダンスの稽古がない日だと思って早めに家を出た。稽古場に着くとすでに矢内原さんが準備をしていた。午後はダンスの稽古の日だったのか。MDの音が出ないと稽古場に備え付けのPAの装置をいじっている矢内原さんの姿を見て、あれっと思ったわけだが、音が出てようやくストレッチがはじまる。バーレッスン。写真で見ると、どう考えてもバレーをやっている人の姿ではない。それからストレッチをたっぷりやって一時間。さらにダンスの稽古。クオリティを上げる作業になってきた。あと、矢内原美邦のひらめきで、いくつか変更や、動きを足してゆき、少しまた変化する。
■特に熊谷が演じる「鶏介独白・ダンスヴァージョン」はクオリティを上げるのと同時に、少し変更が加えられた。さらによくなってゆく。稽古場には桜井君も来てくれてダンスの稽古を見つつ音楽の打ち合わせ。小浜もいるし、公演の手伝いをしてくれる神戸の谷川君も参加。だんだん稽古場が活気づく。五時近くまでダンスの稽古は続いた。
■夕方からは芝居の稽古だ。きょうの成果は、後半の幸彦と巻子の場面で、新しい演出を思いついたことだが、二人で共同作業をしつつせりふを発することにしようと思うものの、共同作業をなににしたらいいか悩んだ。巨大な白い布を夫婦で畳んで片づけるのはどうかと発案。そうすると、どうしたって布を広げるとき、畳むときの力が必要になり、巻子を演じる笠木の芝居も変わってくる。これぞ演技へのまたべつのアプローチだと思った。しかもシーツをばーっと広げるときれいだ。生活を抽象化する。洋服を畳むようなちまちました動きではないのだな。生活臭が少しくどい。抽象化だ。だってありえないよ、こんな大きな白い布を二人で畳むという生活ってものは。この場面は気になっていたので少しきっかけが見えた。そしてまた卓球は苦しむ。卓球をする三坂と片倉君から話しを聞くと、ふたりのあいだに、小さな齟齬があるのだとわかった。それはやはりこうしたほうがいいのではないかと舞台表現としての卓球(って、なんだかよくわからないが)について話す。

■家に戻って「一冊の本」の原稿を書く。「ユリイカ」のYさんからメールをもらった。今月は書きたいが、うーむ、悩む。書けるだろうか。不安だ。文芸誌が何冊も届けられたが読む気力がない。入れることができない。出すばかりだ。そういえば、全然関係がないが、大阪の中之島にできた新しい国立国際美術館で、「マルセル・デュシャンと20世紀美術」という展示を11月からやっていたのをきょう知った。このあいだ大阪に行ったとき足を運べばよかった。たこ焼きも美味しかったが、M君とSさんを連れて見に行くべきだったな。そうだ、Sさんのブログの文章はすごくいい。あとこのあいだ仕事が忙しいとのことで会えなかったが寝屋川のYさんからすごく久しぶりにメールをもらったのだった。うれしいメールだった。あと、長野のT君から自作のビデオを紹介してもらってよくできてるなあと感心したわけだけれど、なんというか、書きづらいのは著作権問題で、単に個人に配信してもやはり、複製の配布はあれなんじゃなかろうかと、詳しいことがわからず、書けなかったのだ。といったわけで私も四十八歳。

(12:55 dec.9 2004)


Dec.7 tue.  「稽古場の空気が次第に重くなる」

■午後は矢内原美邦さんによるダンスの稽古。僕はある程度、稽古がすんでから確認するために三時過ぎに稽古場に行ったので見ていないが、きょうはバーレッスンをやったという。驚くべきことだ。というか、それは新鮮だ。だって考えたこともないよ、バーレッスンてものを。着々とダンスの稽古は進んでいるが、そんなにダンスシーンがあるわけではなくほぼ形はできあがった。あとはクオリティ。できたところを見せてもらったが、かなり面白い。
■芝居の稽古はただ反復。もちろんもっとよくなると思えるからそこで考えるべき部分については口を挟むが、まだ細かいことを綿密に演出していない。これからもっとひとつひとつのせりふ、動きについてチェックする時期になった。島村家の幸彦と巻子の関係はだいぶよくなった。佐藤の不器用な芝居は面白い。だが、それだけではクオリティの部分で気になるので、あと一ヶ月でさらに磨こう。きっとよくなるにちがいない。少しずつなんだよな、不器用な俳優は。時間をかければできるようになるはずだし、不器用だからこそのよさもきっとある。器用にできてしまうのは演出する側としては楽だが、獲得のために使う時間はその俳優にとってけっしてむだではないはずだ。
■芝居の稽古は重い。外側に解放するというよりある一点に向かって集中してゆく作業だからだ。ラストシーンについて上村から提案があって、そこに出ている数人と議論。結論ははっきり出ない。なにがいけないのかわからない。だが、たしかに、準備公演でやったものをほぼそのまま稽古しているが、この公演では、そうではないように思える。なにかあるはずだな。議論したあと、その場面をやってみたが、言われてみると、ラストにふさわしいなにかが欠けているように思える。あらためて最初に戻って考え直してみよう。課題はまだあるのだ。できてしまったと、安心してはいられない。これでいいとあきらめたらだめだ。もっとよくなる。そして重い稽古は続き、きょうは卓球がかなりだめだったが、その原因がわからない。片倉君と三坂はけんかしながら卓球をしている。二人のあいだで、卓球のやり方で異なる考えがあるらしくそれが対立している。僕は卓球のことはまったくわからないので、なにも言えない。もどかしい。
■稽古場の空気はさらに重くなる。朝、原稿を書いていた僕も寝不足だったので気分が低下し、なおさら空気は重くなる。だが、おそらくこの重さをひきずって最後までゆくような気がする。それがなにかべつの表現を生み出す気がする。というか、これだけ同じ戯曲につきあっていればある意味、飽きるのだが、ことによると、徹底的に飽きてからさらに新鮮さを取り戻すもう一踏ん張りがあってはじめて、本番の舞台はよりいいものになる気がする。稽古場の空気は重いのだ。あと、大河内君の芝居が、油断していると、「あしたのジョー」の段平になったり、三越劇場になったり、泣きがやけに強くなったりするのでそこをタイトにしようと意見する。単純なことを言うと、客席側を意識しすぎて芝居しているのを直すとかね。笠木は僕ともう10年舞台をやってきて、それはもう徹底的に直してきたので、あたりまえのように客席に背を向ける。よく見ると何人か、まだ客席を意識している。それが気持ち悪い。舞台上が立体的にならない。奥行きをうまく使っていかに平板にならないかだ。身体や演技に関するアプローチは変わったとはいえ、その点に関してはどうしても許せないのだ。
■そして、稽古場の空気は重いのだ。だからこそできる深い劇世界もきっとある。それを目指す。家に戻ってラストのことなど考えていたら憂鬱になる。なにかあるな。まだある。じっと考える。

(3:46 dec.8 2004)


Dec.6 mon.  「少しずつ入念に」

■まだ初日まで一ヶ月ある。だからといって油断は禁物だ。衣装が決まっていないので、いくつかの動きは衣装をつけてやってみなければわからない部分も多々あるし、スタッフワークとしては装置がまだ固まっていない。ことによると動線が変わるかもしれないものの、だからといって大幅な変更はないつもりだ。なによりいまから憂鬱なのは、「場あたり」、「テクニカルリハーサル」という作業で、こればかりは劇場に入って照明がなければできない。今回はかなりきっかけ(照明、音響、出入り)があると思われ、それが最後にどっと激務となってやってくると想像する。考えるのがいやだよ。
■ダンスの稽古は休み。冒頭から、少しずつ流し、そこでまだ未整理な部分をきちんとしてゆく稽古だ。矢内原さんのダンスや、あるいは、ダンス(あるいは俳優の動き)とせりふのコラボレーションともいうべき部分は、矢内原さんのおかげでかなり整理された。で、問題の卓球である。三坂と片倉君が毎日、これを死ぬほど稽古している。ふつうに考えると二人のラリーはスピードもあってかなりすごい。ただラリーしながらせりふを発するのはむつかしい。できるだけ、勢いがあって、そして芝居もするというかなり難しいことを要求している。なかなかうまくいかない。だが要求に応えようと二人は根気よく稽古してくれる。頭が下がる。
■それにしても、若い俳優たちの夕ご飯は悲しいほどのもので、三坂など家から白いご飯だけ持ってきてみそ汁をかけて食べていた。あるいは男たちは自分で作ったにぎりめしを食べている。今度、食事会を開き、みんなにごちそうしようと思う。ぜひやろう。稽古はかなり余裕があるので、一日ぐらい休みにし、食事会にしたいのだ。たらふく食わせたい。みんな疲れもたまっている。からだのあちこちが痛いという。だが、『トーキョー・ボディ』のとき、女優たちが、二ヶ月稽古してようやくできるようになった「背後にばたんと倒れる」は、何人かの男優が、あっさりやってしまうのに驚く。はじめてやったという岸も、なんなくできてしまった。女優たちのあの血のにじむような稽古はなんだったんでしょうか。少しずつ芝居は磨きがかかってきた。さらに僕も、なんども同じ場面を見ているうち、新しい演出のアイデアが浮かぶ。まだあるような気がする。生中継の映像で、ある試みをしたいと思った。そして台本をさらに読み、考える必要がある。なにか、まだ忘れていることがあるのではないか。もっと深く、奥行きのある舞台にしたい。
■家に帰って原稿を書く。そういえば「考える人」のN君から原稿をと催促のメールが昼頃あったのだが、朝方には送信しているはずで、届いていなかったとしたら謎だ。あらためて送った原稿を本文に直接はりつけたメールは届いたのだろうか。メールはこういうことがあるからやっかいだ。

(3:51 dec.7 2004)


Dec.5 sun.  「原稿を書いてそして稽古で」

■六日が締め切りという原稿をはじめ、仕事がたまってしまった。六日までに四本書かなくてはいけないのだな。それは無理だろう。たまるまえに少しずつ書けばいいものをそれができるような人間だったら、こんなことで苦しまずにすんでいたのだ。
■土曜日の稽古は休みだったが、僕は竹中の舞台の稽古につきあうため高田馬場に行った。クオリティはもっと上がるのじゃないかと思ったが、「通し」を見せてもらっていちばんに感じたのは、エンターテイメントとしてまとまっていることだ。いくつも笑った。竹中の歌はうまい。でたらめ感がきちんと出ていた。それは「でたらめになってしまった」ではなく、「でたらめへの意志」がしっかりできていたということだ。少しほっとする。あとはクオリティだ。「だめ出し」に参加。ただ、芝居にしろ、なんにしろ、そこに至るには、なんらかの理由がある場合が多く、途中を見た者がなにかを言う場合、それを知らずにだめを出しても的はずれだったりする。ここが「批評」と「だめ出し」のちがい。それで、あれはどうしてそうなったかこちらから逆に質問し、だったら、そこはこうではないかと客観的な意見をする。話している途中、もったいない箇所(つまり、笑いになりそうで、ならない部分とか)について芝居の基本みたいなことを話すと、横にいた木村佳乃さんが、「そうかあ」とつぶやくので、もっと木村さんを演出したくなったのだが、それというのも、木村さんの芝居がとても素直で面白かったからだ。時間があれば。
■それにしても原稿なんだ。書いても書いても終わらないような気分だ。きょうは昼間、「考える人」の連載を書いていたが、稽古場に行く時間になった。矢内原さんがダンスを作っていてくれた。それを見せてもらう。面白くなっていた。夜から芝居のほうの稽古。いくつか演出の変更を伝え、それをやってみる。あるいは、何度も稽古した場面をまたあらためてやってゆくうち、またべつの方法を思いついたり、笠木の演じる巻子が夫の幸彦に向かって語る長いせりふの場面にはこういった意味があるといったことを発見。さらに芝居をそぎ、全体をシャープにしようと試みる。あと、卓球はむつかしい。
■家に戻って原稿を書く。ようやくひとつ終える。まだある。あしたの稽古までにどこまで書けるか。眠い。

(2:55 dec.6 2004)


Dec.3 fri.  「制作の永井を、私は断固、擁護する」

■ダンスはちゃくちゃくと作られている。稽古の予定では午後五時までダンスでその後、芝居の稽古をする予定になっている。それで僕は三時過ぎに稽古場に行く。かなりできている印象を受けた。ただ少し、僕のイメージと違うところがあって、そこをもう一度、考え直してもらうことにした。あしたは稽古が休み。ただ矢内原さんは、べつの仕事で休めないという。忙しすぎるよ。少しこちらの稽古の時間を短縮し、休むように提案。俳優たちもかなり疲れているだろうし。いくつか僕がダンスの印象を話し、直してもらうことになったとはいえ、ダンスの基本テクニックのない者らに教えるのはさぞ大変だろう。やらせようと思ったことがうまくできず、もどかしい思いをしているのではないだろうか。
■そのあと、衣装の今村、そしてニブロールの矢内原充志君と衣装について打ち合わせ。矢内原美邦さんや、演出補の小浜らも参加。美邦さんがいろいろ意見をはさむが、それが僕にはとてもうれしいことで、そうすると僕の中にはない、衣装プランなりが出現してくる。衣装はもちろん、具体的には、充志君、今村の仕事になるが、しかし、こうして僕が思ってもみなかったことを発案するニブロールの、充志君、美邦さんがいることで、刺激がまた加わる。それもまた歓迎すべき状況だ。しかも、充志君もまた、どっしりとかまえ、がつがつしたところ、ぎすぎすしたところがなく、話していてもとても心が落ち着く。うまくゆきそうだ。なにかうまくゆくに決まっている。
■そして私のいまの最大の課題は、制作の永井を助けることだ。助けられてばかりいるので、ほんとうにいつも申し訳ないのだから、永井が気持ちよく仕事をしてくれる環境を作りたい。断固、俺は永井を守るぞ。誰になにを言われようと、永井の背後から俺は、永井のことをフォローする。永井になにか言ったことはすべて私の耳に届く。永井が、以前、手伝った舞台で、そこの演出家が毎晩のように永井に電話で相談してきたそうだが、永井はおめえの相談役じゃねえっての。甘えるのもいいかげんにしろよと、そのときはかちんときたが、それがどこの劇団かを書いてもいいものの、書いてもしょうがない。相手にするのもばかばかしい。この一年、『トーキョー/不在/ハムレット』のことですごくがんばってくれた。永井を困らせるようなやつは、もう一緒に仕事をしないことだけはたしか。
■さらに私は原稿を書く。編集者の方たちからメールをいただく。ほんとうに申し訳ない次第だ。書きます。ぜったい書きます。お待ち願いたい。で、永井のことを書こうとすら思った。

(4:01 dec.4 2004)


Dec.2 thurs.  「青山真治監督と話す」

■『トーキョー/不在/ハムレット』の劇場で販売されるパンフレットの巻頭に載るのが青山真治さんと僕の対談だ。もちろん対談することはわかっていたが、きょうはじめて、「巻頭」だと、編集してくれる白水社のW君から教えられた。それで午後、初台までわざわざ青山さんに来てもらい、オペラシティで落ち合う。映画の撮影が終わったばかりの青山さんは精気に充ちた顔をしているように思えたのだが、考えてみれば、七月の映画上映会のとき池袋で会って以来だから五ヶ月ぶりの再会だ。W君、制作の永井、そしてデザイナーの斉藤さんが来て、近くで写真の撮影。そのあと、僕のうちまで来てもらった。
■そのころ稽古場ではすでにダンスの練習がはじまっているはずだ。稽古の時間配分がむつかしいことになっているが、きょうはダンスを中心ということにした。矢内原さんにすべておまかせだ。演出補の小浜も稽古場にいてくれるのできっとうまくゆくはずである。そもそも俳優たちがひとりひとり自身で考え動いてくれるので、ああしろこうしろと、いちいち言わなくてもすむのはとても作業がしやすい。あと、僕がいないほうが矢内原さんもやりやすいのではなかろうか。

■そして、ゆるゆると対談ははじまったのだった。あまり対談ということを意識せず話ができた。たとえば、『群像』のときなど、青山さんを前にし「対談しなくちゃ」とかなり緊張しつつ話したが、きょうは映画のこと、演劇のこと、それぞれ表現にかかわる共通したことをゆっくり話すことができてとてもいい時間になった。W君が適切に話題を振ってくれる。でも、最初、蓮實重彦さんの話から切り出され、いきなりそこから来るかと焦ったのだが。対談の内容はパンフレットで読んでいただきたい。対談のはじまりも、ゆるゆるゆっくりしたペースだったが、終わりも、どこが終わりかよくわからぬまま、対談から雑談へと流れてゆき、子どものころの話になった。僕は野球ゲームを自分で創作し、12チーム作って(しかも二軍もあった)リーグ戦をやっていた話をしたが、青山さんは、怪獣を創作することに夢中になっていたという。怪獣の特徴などはもちろんだが、「出身地」まで綿密に作っていた話が面白い。
■あと、撮影を終えたばかりの青山さんの新作には、戸田昌宏君が出演しているが、戸田君は僕の舞台では常に、「ミウラ」という役名だったことを話すと、「ああ、かなりミウラですね。戸田さんは、けっこうミウラですよ」と言う。「けっしてタカハシじゃないでしょう」と僕。「ええ、すごくミウラです」と青山さん。戸田君もいい迷惑だと思う。それにしても青山さんの新作は楽しみだ。出演者が興味深い。早く見たい。こうして夕方まで話しがつづいた。とてもいい日だった。
■夜、稽古場に電話した。きょうの稽古の様子を聞く。小浜に電話したあたりまではかなり記憶しているのだが、そのあと、竹中の稽古場のことも気になってそちらの制作をしているNさんに様子をうかがったが、だいぶ順調に進行しているようでほっとした記憶はあるものの、じつはそのころ私は、例によって眠る前だったので、なんだかはっきりとした意識がないのだ。何人かに電話したような気がする。青山さんと話しをしたこともあって浮かれていたのだろう、かなりの電話をした気がするのだが、わからない。だめである。

(11:25 dec.3 2004)


Dec.1 wed.  「12月。ニブロール合流」

■ベルリンから帰ってきたばかりの矢内原美邦さんと、その弟の充志君の二人が稽古場に来て、いよいよ本格的にニブロールが稽古に合流してくれた。きのうの朝帰ってきたばかりだというのに、早速きょうの午後から美邦さんの指導を受けて一時間みっちりストレッチする。それがきょうの稽古はじめ。ストレッチが終わったあとおかしかったのは、パブリックシアターの施設に入るにはパスを発行してもらうがそれをなくしたと美邦さんが慌てていたからだ。僕も、なくしてしまうことが多い。何度パブリックシアターで稽古し、公演したか記憶がないが、パスを返すのを忘れて家に何枚もあるので迷惑をかけている。申し訳ない話だ。どうもすいません。
■そのあと、ひとまず全体を見てもらおうと「通し」をやる。前回より10分短縮できた。まだまだ短くする予定。どこを切るか悩む。芝居はかなりできてきたが、いくつかまだ改善すべきこと、なんというか、演技の考え方を変えるべき部分があると見ながら思っていたのは、くっきり、輪郭線がはっきりしすぎちゃいないかと思う部分も多々あるからだ。つまり俗に言うところの「芝居が大きい」ってことになるが、「どう大きくするか」の問題でもある。その「大きさ」がどこから生まれているか。抜きで稽古しているときはあまり気にならなかったが、たとえば杜李子にこみいった話しをする父親の貞治の芝居が、きょうの「通し」ではなんだか大劇場の芝居のようになっていて、ここは三越劇場かと思ったりもしたのだった。なにがどうちがうのか考える。ようやく大河内君もせりふが安定してきたので、もう少し異なる演出をしてみようと思った。まだ時間があるのでいろいろ試し、考えながら作ってゆこう。簡単に答えは出ない。というか、出さない。
■大河内君以外の俳優とは、もう一年近くそれをやってきた。少しずつ変化し、その役を通じて演技についてのアプローチに刺激を感じ、からだについて考えることができればこの長い稽古の意味はある。うまいという以上のものを大河内君から引き出せたらと思うのだ。ゆっくりやってゆこう。といった意味でも、「通し」を通じて感じるのはうまくいきすぎってことかもしれない。形は整った。整いすぎているかもしれない。もっとごつごつしたもの、もうひとつ次のものへと奥行きのある表現へと変えてゆくのがこれから続く稽古の課題。ただ、ダンスは時間がかかりそうだ。
■さて、夕方以降、矢内原さんによるダンス作り。まず前提として、俳優のほとんどは踊れないということがある。そんな前提があっていいのか。で、ダンスの創作は、踊り手になった者たちに好きなアルファベットが頭文字になる単語を五つ紙に書かせることからはじまる。紙をべつの者と交換。それを読んで、渡された者はその言葉について動きを作る。それを組み合わせてゆくうち、ダンスらしいうねりが生まれる。それを構成しつつ、動くが、そのあいだも、矢内原さんの振り付けが加えられ、どんどん変化し、時間に沿って流れるように構成されていくうちダンスになってゆく。たとえば、口立てで芝居を作るとき、僕もこうした作業をするが、それと似たものを感じた。次はこう、次はこうと、ひらめたい芝居をどんどんつけてゆく。で、やらせといて、「あ、いまのはうそ」と、うそ言ってどうするんだということはしばしばあるが、面白かったのは、ダンスを振り付けしている矢内原さんが、なにかをやらせたあと、「あ、いまのうそ、やめよう」と言ったからで、演出家や振付家ってのはみんな同じなのかもしれない。ただ、僕の場合は、かなり確信犯的にうそをつくときがあり、ただ、そのときそれを見たかったからという場合があることだ。で、あははと笑って楽しみ、「いまのはうそ」と採用しない。うそ言ってどうすんだよだ。
■三時間近くぶっとおしでダンス作りは続く。「詩人」の六分に渡って続く長い独白に関わる男たちのダンスだ。できたのは、三分の一強といったところか。これは時間がかかるぞお。でも、俳優たちにとっては贅沢だ。また異なる刺激だ。さて、ダンスを構成してゆく作業を見ながら私が考えていたのは、おそらく、なにかあるたび、「どうしてニブロールと一緒にやろうと思ったんですか」と質問されるだろうと予想しその答えをどうしようかについてだ。もっともらしい応答をするのはいやだな。でも単純に、矢内原さんの作業を見ているのが僕にとってもとても刺激になる。それはかなりある。稽古がとても楽しくなってきた。

(12:31 dec.2 2004)


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