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*遊園地再生事業団『トーキョー/不在/ハムレット』公演(二〇〇五年一月)と、
それに先立つ「プレ公演」のお知らせはこちら。 → CLICK
*十月二十三日(土)、二十四日(日)、『be found dead』が京都で上映される。
CINEMA ENCOUNTER SPACE vol.14「自主映画の歪(いびつ)なる挑戦(仮)その1」という上映会の一環。
宮沢と丹生谷貴志さん(予定)との対談もある。詳細はこちらのページへ。
Sep.30 thurs. 「もう、ほんとは10月だが」 |
■そして稽古は順調に続いている。少し忙しすぎるかもしれない。俳優たちは疲弊していないだろうか。たとえば、笠木と伊勢が体調を崩した。で、それはたしか29日だが、二人が体調不良なので渋谷までクルマで送って行く途中、環七(という東京都内を環状に走る道路)を走っていたら、ドンキホーテという量販店を通り沿いに見つけた二人がその店のテーマソングを歌い出したのだった。すごく楽しそうだ。だんだん、腹が立ってきた。でも、まあ、あまりの二人のばかものぶりに面白かったが。
■草思社の方から原稿の確認のメールをなんどかいただいているが書けていない(10月2日脱稿)し、やらなくてはいけない仕事は次々たまってゆく。で、ここ数日、稽古場は杉並区の住宅街のなかにある公共施設だが、あたりは迷路のように道が入り組み、いちおう地図で確認していたにもかかわらず、自分がどこにいるのか途中でわからなくなる。それで、狭い道をクルマで走っているうち奇跡的に目的地に着いた。稽古はさらに、いくつかの場面を異なる演技へのアプローチでやってみる試みを続ける。そして、部分を作っているうち、こことここはつながると「パーツの連結」を発見したときの心地よさはない。
■ところで、私も体力が衰弱しているのを感じているが、先にも書いたように、笠木が体調が悪く、伊勢も以前痛めたあばら骨が再び炎症を起こし、なんだか女優たちがひ弱に感じると、演劇ではおなじみの「肉練」が必要なのかと思うものの、「からだを鍛えろ」と稽古で走らせるような気はさらさらない。稽古開始前にからだを温めるストレッチを、(たとえば)一時間みっちりやるのは怪我をしないためにも必要だが、「肉練」、いわば「肉体訓練」のようなものは各自が家でやってこいと言いたい。これは演劇観に関わるように思える。それを集団でやるとするなら、ここに生まれる集団性は表現にはっきり反映する。肉連を義務づけられた「集団性」に耐えられぬ者は、集団から離脱し、残るのは集団に順応できる俳優だけになる。こうして純粋な集団は生成されるかもしれないが、だからってそれが魅力的だとは考えられない。いや、それこそが魅力になると考える「演劇観」も存在するだろうが(たとえばそれは「見事なアンサンブル」という言葉によって代表されるものだろう)、それがいま有効なのか疑義を持つ。といったことは、九〇年代に何度も口にした。
■で、それをさらに考えると、「集団性の内実」の問題になるのではないか。ドラマツルギーは劇における「法」であり、演出家は「権力」だ。これはかなりの確率で表現の現場では絶対的な前提のひとつであり、「権力」にならない演出家というナイーブな思想は、ナイーブなだけに欺瞞ですらある。必要なのは「権力に抗う力」の存在を許容する空間だろう。それはどのようにして可能か。単に、「権力(=演出家)」の度量といったことでは曖昧すぎ、制度として確立できるかどうかだが、「制度」として確立されればされたで、今度は逆に「制度」に拘束され集団が本来的に持つ「病」からはどこまでも逃れられない。「革命」が成功したから「ボりシェビキズム」は正しいとされ、「誤謬」がひどく目立ったから「スターリニズム」はだめだった。飛躍して考えれば単にそれだけのことだ。つまり、「うまくいっていればどんな組織形態でもひとまずいい」といったところに「集団の病」がそもそもある。だめになったときに「病」は表面化する。ロシアアヴァンギャルドの中心にいた演出家のメイエルホリドが残した文章が翻訳されており(『メイエルホリド・ベストコレクション』作品社)、読んでいると、全肯定するわけではないにしても、示唆されることは数多い。スタニスラフスキーが書いたことも同様だったが、メイエルホリドにも共感する部分は数多くあるものの、言説だけ首肯できても、表現になったときに疑問に思うと想像でき、すると、単なる印象だけではなく根元を理論化する必要があり、単に、「気持ちが悪い」といった感想だけで語っても仕方のないことだ。そんなことを思いつつ、いま稽古している。時間が少ない。もっとなにか出来るはずだと思えてならない。だから、まだ稽古は続くのだ。
(1:56 Oct.3 2004)
Sep.28 tue. 「北川辺にまた行ったことなど」 |
■日曜日(26日)はまた北川辺町に行った。宣材用の写真のため男優たち数人を北川辺のローソン前で撮影する。いつもフライヤーのデザインをしてくれる斉藤さんに同行してもらい、ほかにも、北川辺のいくつかの場所、利根川など実景も撮った。男ばかりの写真はなんともがらが悪いが、それはそれでよかった。ローソンの前にただ立ってもらった。なにもしないでただ立っている。フラッシュをたくと雨粒が奇妙な円形の粒になって映像に写り込んでしまうがそれはそれで奇妙な効果を生んでいる。
雨がぱらつく。北川辺ではもう稲刈りが終わり、映画『be found dead』におさめたような青々とした田の風景はすっかり変わっていた。今年はやけに長い気がしてならいのはいくつものプレ公演があって、たとえば、リーディング公演をやったのがはるか過去のことのように感じるからだろう。そして、プレ公演のたびに北川辺に来ている気がする。本公演の前にもまた、詩人が歩く姿を撮影しに来る。一年を通じて北川辺だ。なにをそんなに夢中になっているのかよくわからない。
■そしてまた稽古。三軒茶屋にある区の公共施設を借りて27日は稽古。いまは、戯曲の部分を取り出して、リーディングや、実験公演でやったのとは異なる表現の方法があるのではないか、主に、「演技」や、「からだ」へのアプローチを模索する作業をしている。たとえば、簡単な例でいうと、相手のせりふを聞かずに芝居するとどうなるかとか。
■先週は自主稽古をしてもらったのでそこで作ったものを見せてもらう。まだ未分化だが、簡単にまとめるのは面白くないと思い、出せるだけ出す方針で、しばらくやってゆく。最終的には僕が構成し、もちろん舞台作品として提出したいと思うが、いきなり僕の考えを押しつけるのではなく、俳優のからだから発するものをまずは優先する。様々な場所で舞台をやってきた者らによるその発表を見ていると、僕のまったく知らない表現の方法もあり、もちろんそれらすべて容認できるわけではないにしても、知らない表現は、どうのようにしてそれが発生したかに興味の焦点がある。だから、容認できないものとは、それが簡単にわかってしまうときだろう。もちろん、面白いかどうかっていう、単純な基準もあるわけだが。
■ところで、映画『be found dead』の大阪での上映のスケジュールと劇場がほぼ決定したようだ。日程は、11月20日(土)〜26日(金)。場所は「第七藝術劇場」という映画館。21日は僕も行く。アフタートークのようなものをやる予定。もっと詳しい情報がわかり次第、また報告します。
■世田谷パブリックシアターで制作など劇場の運営をしている松井さんたちと話し合いをしたのは、以前も書いたことがあると思うが、パブリックシアターが新しい戯曲を発掘しそれを「リーディング」という形式で発表するという主旨の企画があるからだ。何人かの、劇作家、演出家に声をかけ話し合いの場を作って進行してゆく予定だが、それぞれ忙しいので、全員が集まることができない。すでにいろいろなコンセプト案が出ている。たとえば若い劇作家の戯曲は面白くないのでリーディングしてもしょうがないという意見が出ており、それは一面でわからなくもないが、そう言ってしまうと可能性は狭められる。ひとまず「すぐれた戯曲が書かれていない」と仮定したとき、ではなぜすぐれた戯曲が生まれないかについて現在のこの国の演劇の状況のなかで考える必要があると思えた。で、それとは関係なく僕が話したのは、なにか作品のコンセプトが生まれたときそれを試す意味で、素早くリーディング公演ができるシステムがあったらいいという提案だ。なにか思いついてもそれを公演しようとすれば様々な条件があって時間がかかる。あるいは、これまで自分がやってこなかった種類の劇を試したいと思ってもそれがいまやるにふさわしいかどうか決断が必要になるとき、ひとまずリーディングしてみることで戯曲と同時に、その試みが公演するに値するか計ることができる。そうした試みの場として世田谷パブリックシアターがあったらこれほど心強いものはない。
■その日(28日)の夜もまた稽古。きのうの続き。少しずつできてきた。
(16:49 sep.29 2004)
■あいかわらず喉が痛いのだった。今回帰郷したのは父親が老人性肺炎で入院したからだが、すっかり衰弱し老人になっている父親を見ていると、まだ大丈夫だろうとたかをくくっている自分のからだのことが不安になる。いずれきっとこうなる。しかも喉の痛みがいつまでもおさまらないように、病気からの回復が遅くなるなど体力の衰えを実感しておりなおさらいやな気分になるが、なんのために健康を保ちたいかといえば、単に病気が恐いということや、病気をして人の面倒になるのは気を遣うからいやだといった理由がないわけではないものの、なにより、まだやりたいことが数多くあるからで、自分で納得したものがいまだ作れていない思いをずっと引きずっているからだ。まあ、満足してしまったり、達成感があったらなおさらまずいとはいえ。
■三坂の日記で、「波状言論」という有料のメールマガジンのことをはじめて知った。三坂はそこで連載をしているようだ。興味を持つ。次のキャッチともいうべき言葉に煽られた。
表層と記号の10年(1985〜1995)が忘れ去られ
不安とリアルの10年(1995〜2005)が終わりつつある
2004年
新10年期の批評を求め
新雑誌創刊!
購読しようかと思った。まさにそうした時間の節点で仕事をしてきたように感じ、「表層と記号の10年」に「ラジカル・ガジベリンビンバ・システム」を活動の拠点にし、「不安とリアルの10年」に演劇にのめりこんだが、その言葉に象徴するような表現をしてきた気がする。としたら、次はなにか。「波状言論」に寄稿している人たちの顔ぶれをみるとこれまでいくつかの著書や様々なメディアでその文章を読んだ方々とはいえ、影響を受けた人は少ないし、けれど、影響を受けまいと、批判的になろうと、読むことは必要だと思えた。なにかしら刺激はきっとあるはずだ。というか、こうした言説の場所を作っていることに敬意を表する意味において読む。
■「水戸短編映像祭」で「総合司会」をしていた杉山彦々君からメールをもらった。当日、「自他共に認める総合司会」を目指していたという。僕の書いた、「総合司会のようなもの」と書いた言葉にひっかかっていたそうだが、いや、立派に「総合司会」をやっていたと思う。
■あるいは、例によって、「Mac Power」のT編集長から原稿の催促があったが今回うれしかったのは次のように書かれていたからだ。
Appleの広報の方が、是非、宮沢さんにお会いしたいとおっしゃっていましたよ。特にS広報課長は個人的にも宮沢さんのファンだそうで、「レンダリングの件も含め、食事でも是非」と言付かっています。Final Cutの担当者も紹介してくれるでしょうから、ホント、一度、どうですか?
文中、「レンダリングの件も含め、食事でも是非」の部分で大笑いした。連載原稿で以前、「レンダリング」のことを書いたからだろう。時間はあまりないが、ぜひとも会おう。会って「レンダリング」について徹底的に話したい。あと、会おう会おうと言っていながら僕のほうが忙しくて全然、会っていない「en-taxi」のTさんとも会いたい。新潮社のN君、M君とも小説の話などしたいし、青山真治監督とはサウナに行かなくてはいけない。それと、「ドキュメンタリー・ドリームショー」にも足を運びたいものの、また「準備公演」(10月14日〜17日)の稽古が詰まってくるのだった。10月には京都に二度行く。なぜこうなるのだろう。
■夜、静岡から戻る。いま秋の交通安全週間で町には警察があふれている。違反してなるものかと思いつつも、連中も手練手管で取り締まっているから油断がならぬ。さすがプロだよ。プロの仕事はなんの業種でもやはりプロなのだった。あと「不在日記」を毎日しっかり更新しよう。それがこれからの「準備公演」「本公演」にむけて、なによりの広報になる。そしてまた、「言説に責任を持たない」とはいえ、発言は続けてゆきたいのだ。
(8:31 sep.26 2004)
■事情があって22日(水)の夜から静岡の両親の住む家に帰っている。仕事のことを考えずかなり久しぶりの休養になったがなによりコンピュータを起動しないのはなんと健康的な気分に人をさせることかと感動しているのだった。だからってコンピュータを否定しているわけではない。だめだとはまったく思わず、仕事で僕もどうしてもコンピュータを使う必要があるし、その可能性はかなり高い。たまにはこうして起動しないのもいいという個人的な感想である。
■上記の通り、『be found dead』の京都での上映は決まっているが、このあと、「TAMA映画フォーラム」が決まっているし、さらにうれしいのは名古屋からも上映したいと話があったことだ。大阪は現在調整中。「TAMA映画フォーラム」の上映では森達也監督とのアフタートークが決まった。こうして「自主制作映画」を作ったことで、様々な「自主制作映画」に関連する映画祭、映画上映運動ともいうべきものに意識的になると、たくさんの人がそれに関わっているのだとはじめて知った。演劇でいうと小劇場のようなものだろうか。ある自主制作映画に関する掲示板に、「役者募集」の書き込みがあった。「30代後半以上の男性」とあるが応募してもらうのはむつかしいのではないかと、募集している方たちに同情する。「自転車を盗むおじさん」という役だそうだ。もちろんノーギャラ。これに応募する人はいるのだろうか。なにしろ、「自転車を盗むおじさん」だよ。僕も応募規定をクリアできるが「自転車を盗むおじさん」はやりたくないと思ったのだった。
■それで、からだを休め、ぼんやりしているとき、ふと『性と文化の革命二〇〇五』というタイトルを思いついたものの、タイトル以外はなにも考えていない。もちろん、『性と文化の革命』はW・ライヒの著作のタイトルだが、それと無関係というわけでもないものの、べつにライヒの思想を異なる解釈で読み直すということでもなく、いま漠然と考えている現在に対する認識が、この言葉で言い表されるように思えたからだ。で、ふとネットのニュースを読んでいたら、「性交渉に年齢制限」という記事があってなんだか笑い出しそうになった。「法」で規制しないとまずいことになるというのはつまりそれほど性の低年齢化が現実にあることを示すものの、規制すべき年齢の根拠がよくわからない。さらにテレビで、「指導力不足教員」についてのニュースを見ていやなものを感じた。
(17:34 sep.24 2004)
■思いのほか水戸は遠かった。運転で疲れるということはあまりないが、途中、まったく動かないわけではないものの軽い渋滞もあって水戸に着くころにはぐったりした。しかも駐車場にクルマを入れて外に出るとやけに暑い。東京ではきょう真夏日だったとのこと。集合時間までまだ少しあったので映画祭が開催される水戸芸術館の前でぼんやりしていると、「COW BOOKS」という中目黒にある古本屋さんの出張販売ともいうべきクルマが来ていて見れば七〇年代サブカルチャー系の本が多い。たとえばすごくよかったころの晶文社の本がかなりある。ぱぱっと選んで数冊買う。お店のオリジナルの付箋も買ったが牛の模様がデザインされたいい感じのものだった。
■それから劇場に案内され、画質などのチェック。色味など、多少変更してもらうが、どこを基準にすればいいか悩むのは、第一話の緑をきれいにしようと思うと、べつのところがどうも違うように感じることだ。演劇のために設計された劇場だけに音がやけに反響する。この劇場ではかつて、鈴木忠志さんと、太田省吾さんの作品を観たことがある。特に第五話『川』の詩人のせりふが反響して聞き取りづらいが音質を細かく調整している時間がないので、レベルだけ直してもらった。あとで見ると冨永君の第四話がやけに音量が低く感じ、これは劇場のせいというより一本化の過程できちっと音合わせが出来ていなかったからか。終わったあとできょう見に来ていた桜井君がさらに音楽を直したいと話していたのもあるし、僕もいくつか気になった箇所があるので、また編集というか、整音作業をせねばならん。やはりきょう来ていたヨミヒトシラズのT君からメールで感想をもらった。
オープニングと「欲望の旅の果てに」、音が格段に厚くなったのはよいと思いました。ただ、生徒と先生の追いかけっこのシーンでのBGMについて、打ち込みのリズムギターの音がいかにも機械的で単調なのがもったいないなと残念に思いました。あのパートだけ生のアコースティックギターでコード弾きをしたら、ずいぶん音にふくらみが出たのではないでしょうか?
そう、それはみんなそう思っているのだが、すると、オープニングの音楽もやっぱり桜井君のスコアでオーケストラにやってもらうにこしたことはないとはいえ、たとえ生ギターにするだけでもやはり我々は予算のことを考えているのだった。ただ、予算のことを考慮したとき、舞台でも、映画でも、なにに予算をどう配分するかというところで作品に対する考え方が反映する。すべて切りつめてこれでもかと低予算で作っているとはいえ、たとえば映画は「音」がいかに重要かという考えがまずあれば、撮影のとき、しっかりせりふを録音できるプロの方に来てもらうだろう(もちろん一部はプロの方にお願いしたが)。今回はそれを覚えた。極端な話、百万円の予算があって、撮影に五万円、音楽、録音、整音に九十五万円という映画があってもいいはずである。で、制作の永井にまた映画を作りたいと話したところ、「映画はお金がかかります」とあっさり却下だ。レンタカー代がやたらかかったのだ。だからってなあ、スポンサーがついてお金を出してもらうようなことになったら自由度が下がる。
そんなおり、私はアップル社のビデオ編集ソフト「Final Cut Pro」の使い方をずいぶん覚えた。去年のいまごろに行った神戸のあの町で撮影したビデオをこつこつ編集している。ただやっぱり音がうまく録音できてない。編集しているうちにいろいろアイデアも浮かびその日撮影した素材だけではなく、たとえば『14歳の国』の舞台の素材を入れたりなどいろいろすると、これは作品になるのではないかと構想はふくらむ。ふくらみついでに、またあの町にカメラを持って行きたくなった。そんな時間はないのだが。
■それはそれとして、「水戸短編映像祭」は楽しかった。たくさんのお客さんが来てくれてほぼ満員。「水戸短編映像祭」のことを僕はあまり詳しく知らなかった(というか、これまで映画についてあまり意識していなかったからだが)ものの、こんなに盛り上がっているとは想像していなかった。地元のボランティアで働くスタッフの方々の意識や熱意も高いと感じた。そういうことが大事なのだろうな。そこで上映させてもらえたことにとても感謝した。
■映画上映のあとでやったトークのゲストに松尾スズキが来てくれた。この暮れにある仕事のためにこのところ何度か松尾君に会っているとはいえ、こうしてゆっくり話をすることもめったになく、舞台上でのトークのあと、世田谷パブリックシアターが発行している『PT』という雑誌のための対談があって二時間近く話をし、久しぶりにというより、こうしてきちんと芝居の話を松尾君とする機会もこれまでなかったのではないか。ほかにも、『トーキョー/不在/ハムレット』に出演している、笠木、上村、鈴木、南波、渕野、さらにDVD用に松尾君とのトークを撮影するため浅野が来てくれたし、白水社のW君もはるばるかけつけてくれた。で、僕らが水戸をあとにするころ、冨永君がべつのプログラムのためにちょうど水戸に来たのだとあとで知った。会いたかったな。残念だ。ただ、冨永君の映画にいつも出ている俳優の杉山彦々君が総合司会のようなことをしており少し話せた。
■いい一日だった。けれど、水戸からの帰りは常磐自動車道がひどく渋滞。かなり疲れた。家に戻ったらぐったりだ。だいたい常磐自動車道はなぜ暗いんだ。ほとんど照明灯がない。早起きしたこともあってぼんやり東京まで運転したがこのあいだのこともあったから事故だけはしちゃいけないと慎重に走る。
(10:30 sep.20 2004)
■「ユリイカ」の原稿が書けなかった痛手から立ち直れず、きのうまでぐだぐだだったが、きょう眼が覚めるとやけにさえざえとしているのが不思議な気分だった。風邪もすっかり治ったのもあるが、つまり、ようやく今年前半の疲れが取れたのだと思う。だが、古田だ。古田のことを思えばこれくらいのことでねをあげている場合ではない。
■この数日、ネットニュースを閲覧することが多く、これと新聞のちがいはなにか、いま購読している紙媒体の新聞とネットで配信される新聞社の報道となにが異なるか、新聞を購読する意味を考えていたおり、プロ野球が史上はじめてのストライキに入ることを知った。ネットの各新聞サイトをめぐっていたところ、思わぬものに遭遇したのは、ネットにおける言説と少なからず関わりのある出来事だ。たとえば、産経新聞は「日本の国民的娯楽として幅広いファンから支持されてきたプロ野球が最大の危機を迎えた」と報じ、朝日新聞は「選手会は18、19日の計12試合でプロ野球史上初のストライキを行うことを決めた」と記事にある。そして読売新聞に驚いた。いま掲載されている記事では、「日本プロ野球は、70年の歴史の中で最大の危機を迎えた」となっているが、最初目を通したときには、「70年の歴史に大きな汚点を残した」となっていたのだ。数分のあいだに前述の、「最大の危機を迎えた」に書き換えられた背景にはなんの配慮があったのか。ネットはいくらでも書き換えられる。僕のこのノートも書き換えを行うことはしばしばで、よほどのことがあるときは、「ver.2」とタイトルの横に記すものの、誤字・脱字、あるいは文章がおかしいときはそれとなく書き換える。個人的なサイトとは異なり、新聞という影響力のあるメディアの文章が簡単に書き換えられるのをどう考えていいか。いや、むしろ、それが象徴する「書き換え可能なメディア」の速効性はその「言葉」の決定をどこまでも先送りできることを意味し、言説の責任を希薄にする。だから「いい側面」と、だから「だめな側面」をあわせもつとき、受信する側に判断が任せられる。判断のひとつが、「読まない」だ。なにしろ、「言説の責任が希薄」なものなどまじめに読む気にならないが、「言説に責任を持たない」ときっぱり宣言する者はそれでいい。考えてみれば私もその一人だ。新聞社はそうはいかない。新聞社が管理するニュースサイトには報道機関として「言説の責任(=信用)」を保つ義務があるはずだ(といういことに、一応、なっている)。そうでなければ、ネットのすべてが「虚」になり、ネットのあらゆるものに「信」をおけない。だが、「汚点」は、なぜ「危機」に書き換えられたか。ネットの特性を考える抽象より興味深い謎が具体的な言葉としてそのことにはある。そしてこの一連の騒動でもっとも得をしているのは「ライブドア」なんじゃないかとひそかに思うと、話がどこかでぐるっと一巡りしているのを感じるのだ。
■そして私はストライキを支持し、それを「雨天中止」だと考えることにした。
■なにを思ったか、初心に帰ろうと演劇の本を読んでいた。しかし、私の初心はどこにあるのか悩むのだし、出発点がどこだったか考えはじめるとよくわからない。中学生や高校生ぐらいまでさかのぼると、いまやっていることとはまったく異なるのは当然にしても、では二十代で「笑い」をはじめたころだろうか、あるいは、転形劇場の『水の駅』を観たあの日だったか、けれど、どれもが初心のように思える。無数にある初心。日々の初心の発見。で、太田省吾さんの『舞台の水』を再読。かつて読めなかったこと、理解していなかったことが少しわかった気がしたのは、この五年間、京都の大学で太田さんと接することが多かったからだろう。逆にあらためて『舞台の水』を読むと、太田さんが話していたことの意味がようやくわかる部分もある。
■演劇批評家の内野儀さんからメールがあり、カイロで開催される「実験演劇祭」に審査員として参加するとのこと。もっと近くでやってくれたら僕も足を運びたい。世界の「実験演劇」を観てみたいのだ。世界中でいまもなお、異なる演劇の試みをする者らの表現に触れたいと思った。ストレートプレイがだめだとは考えないが、創作するにあたって、先日の「実験公演」のようなものは単純に楽しかった。なにしろ、「レンダリング待ち」がある舞台だ。そうしたことを面白がる気持ちはずっと変わっていなかったように感じる。もし初心があるとしたらそのことだ。内野さんが教えている大学の授業で話をすることになった。「演劇論」という授業だが、以前、内野さんに呼ばれて野村萬斎さんの狂言の舞台のアフタートークでした「地図や東京の地下の話」のように、演劇とはなんの関係もないような、いま僕が単に興味を持っていることを話そうかと思った。だけど、考えてみたら俺、いま演劇に興味あるんだよ。演劇の話になるのかよ。それをまずいと思うのも変な話だが、もっと異なる話ができたらいいが。
■やはり休養は大事だった。「ユリイカ」が書けず茫然としていた数日がいい休養になったらしい。体調が悪いとなにからなにまでだめだ。それはそうとクルマが修理から戻ってきた。へこみとキズがすっかり消えており修理工場の技術にはいつも驚かされる。
■で、うれしかったのは、青山真治さんの日記が復活していたことだ。僕がここで、「さみしい」と書いたことを気にされたようで悪いことをしてしまったが、その日記がとても長い。読み応え十分というか、書き始めたら筆が止まらないかのように長い。からだからなにかがあふれてきてしまったように書かれている。青山さんが作っているドキュメンタリー映画は六時間だという。『雌鶏の中のナイフ』を翻訳した谷岡さんからエジンバラの演劇祭で上演されたという11時間の芝居の話を聞いた。いるんだな。あふれてくる人たち。表現が噴き出す人たち。11時間のその舞台では、「男女の出会い」があるが、出会うまでに五時間かかったという。あと、通し稽古はどうしたのかと、そんなことが気にかかる。
(5:46 sep.18 2004)
■いまもっともいい仕事をしているのがヤクルトの古田だが、古田のことを思うと少々のことで疲れたなどと弱音を吐いていられないばかりか、三月ぐらいからほとんど休みがないことを嘆くなどもってのほかだと思わざるをえないのは、なにしろ古田は経営者側と六時間の交渉をしたその日の夜、阪神との試合に出場して見事な完封試合を演出したのだし、球場に行かなければわからないかもしれないがキャッチャーは内野ゴロが転がるたびに一塁までバックアップに走っているのだ。オーナーたちと渡り合い、マスコミの取材にも応じ、バックアップで一塁まで走るばかりか打率のランクで上位にいる選手がほかにいるだろうか。そんな古田のことを思い、私は自分のだめぶりにひどく落ち込んだ。また今月も、「ユリイカ」の原稿が書けなかったからだ。だめだった。どうにも書けなかった。
■先週の土曜日に、井土紀州監督とトークライブをしたことはすでに書いたが、そのとき、井土さんはしきりに宅間のことを話していた。そのあと飲み屋でも宅間とあの事件について口にしていたが、なんの奇遇か、その宅間が、刑の確定からたった一年で死刑が執行されたという報道を翌々日に聞いて身震いした。おそるべし井土。そもそも名前がすごいよ。本名だというからさらに驚かされる。そして井土紀州の呪いがかかったとでもいうように、連日、殺人報道が続く。世界ではテロ。なにかのたがが外れたか、戦争というもっと大きなものが生と死の感覚を麻痺させているように感じ、それというのも、戦争が死者何人といったデータ的な報道でしか伝わってこないからだ。より精緻な数値としての死は、現実の死をより虚構性をおびた「非身体」として伝える。それは巧みに仕組まれたものだろう。
■時間があるときに、いろいろしたいと思うが、原稿が書けなかったことで落ちこみ茫然とする。悄然としたまま時間が無為に過ぎてゆく。しかも、まだ少し風邪気味だ。なにか本を読もうと手にしても集中力がない。あるいは、ビデオ編集ソフト「Final Cut Pro」の勉強をしたいと思ってもままならない。といっても、「Final Cut Pro」を覚えてどうこうしようというのではなく、それを勉強する行為そのものが楽しそうだからだ。十月の「準備公演」は新たに書き直した戯曲を作るのではなく、これまで使っていた戯曲を構成し直した舞台にするつもりだ。これからやる試行錯誤のなかでできたものから構成表を作成する程度になるが、本公演用には、「リーディング」「実験公演」「準備公演」を踏まえた決定稿にする。こうして戯曲を練り直すのもこの長い期間があったから可能なことだ。
■ところで、映画『be found dead』は、まず九月十九日(日)に、水戸短編映画祭で上映されるが、そのあと、十月二十三日(土)、二十四日(日)に京都で上映され、十一月は、TAMA映画フォーラム、さらに大阪でも上映が予定されている。それぞれ詳しいことは追って告知します。お近くの方はぜひ足を運んでいただきたい。
■以前から「CD屋のKさん」という方からよくメールをもらっていた。このあいだ渋谷のHMVに買い物に行ったことを書いたあと、「実験公演」の感想とともに「毎度ありがとうございます」とあったのでなにごとかと思ったら、HMV渋谷店のマネジャーをしている方だと知った。「CD屋」とあったときは下北沢あたりの小さな店を想像していたがまったく見当違いだった。たしかにCD屋だがかなり想像していた店より巨大である。いろいろな方からのメールに救われる。風邪を引き、喉が痛いと書けば、それは「単なる風邪ではないかもしれない」といったメールもいただいた。ありがとうございます。古田のことを思って私もまたがんばる所存です。
■あと、「実験公演」が終わってから気がついたこれはきわめて珍しい事態ではないかと思ったのはコンピュータに関わることだ。たとえばテクニカルリハーサルのとき照明の変更があったりすると、「照明待ちです」と舞台監督から俳優らに指示が出る。ほかにも、「音待ち」とか、「衣装替え待ち」などあるが、今回の「実験公演」のテクニカルリハーサル中、「レンダリング待ち」があったのが面白かった。映像をコンピュータから出したことはすでに書いたが、途中で、その映像の尺を短くしてくれと頼むと映像担当の相馬から、「少し待ってください、いまレンダリング中です」と声がかかる。演劇史上、こんなことがかつてあっただろうか。きわめて希に見る例ではなかろうか。こうして演劇は変容する。いまあたりまえだと思っている演劇の多くの技術的な側面はほとんど存在していなかった。照明ひとつとっても、こんなに進化するとかつての演劇人がどこまで想像していただろうか。
(3:09 sep.16 2004)
Sep.12 sun. 「サーバーが落ちていたのだ」 |
■一日中、u-ench.comのサーバーが落ちていてメールを受信できなかった。午後から、映画『be foound dead』の最後の編集。音楽を入れそのレベルを合わせる作業。深夜まで続く。原稿が書けない。話はさかのぼるが、11日(土)は、「ドキュメンタリー・ドリームショー」で井土紀州監督とトーク。とても刺激的だったのと、そのあと会場に来ていて、井土監督の映画『LEFT ALONE』にも出ている批評家の鎌田さん、ここにも来ていた三坂を交えて飲み屋にゆき話をしたらなんだかわからないがやけに意気投合。井土さんも、鎌田さんも面白い人だった。で、なにかの流れで、高校時代、何部に所属していたかという話になり、僕は「ギター部」なわけですけれども、井土監督は「ラグビー部」、そして、鎌田さんが「クイズ部」だと言ったときは大笑いした。いかにもだったからだ。調子にのって私は話しすぎた。めったに話さない過去のことをつい口にしてしまった。とにかく原稿が書けない。「ユリイカ」のYさんに申し訳ない思いをしつつ、『be found dead』をQuickTimeに圧縮して書き出しするのに二時間半、深夜その進行をばかのようにただ見つめていた。
(10:56 sep.13 2004)
Sep.10 fri. 「問い直しをする運動状態そのものが演劇である」 |
■夜、稽古。「実験公演」が終わったのもつかのま、もう稽古になった。永井から渡されたスケジュール表を見て、あまりの余裕のなさに途方に暮れる。そしていつも心のどこかに「チェーホフを読む」がひっかかっているのだ。書き出せばなんとかなるんだ。書き出せないんだ。書けばきっといい原稿になるはずだが、書き出せずにもたもたし、いつもそのことで憂鬱になっており、なにをしても楽しむどころか、どこかいまやっていることにうつろである。
■僕の書き方が悪かったのだろうと思うが、二日前の日記に、「もうそろそろこの連載もおしまいにしよう」といった意味のことを書いたが、それは「資本論を読む」という雑誌の連載のことで、このノート(「不在日記」)のことではないが、ある方から、「やめないでください」とメールをもらった。楽しみにしてくれるそうだ。「不在日記」はやめない。『トーキョー/不在/ハムレット』の公演が終わるまではすくなくとも続くだろう。このところ一日おきになっていたりするが、短くても書こうと思う。ただ、読んだ本の感想など、時間がなくて詳細に書けず、「面白かった」などずさんな書き方なのは誤解を生む。「面白かった」だけでは正確じゃない。「面白かった」にもいろいろな性格があるのだから、『大島渚一九六八』について青山さんが日記に書いていたのはもっともだと思ったし、僕が面白かったのはたぶんにスキャンダラスな部分のことを書いているのだろうし、六〇年代の時代の空気をおもしろがっていたのだと思う。しかも、『大島渚一九六八』は、『大島渚一九六〇』に比べて格段、緊張感に欠けるのはなぜか。
■さて、稽古だが、きょうは僕がいま考えている「演劇観」の話。そこにいたる、僕が九〇年代に考えていたこと、必然として出現した九〇年代的なるものをビデオを見せたりなどして紹介し、しかしそのことにいま有効性があるかどうか、表現としてここを乗り切っていけるかについて俳優個々に問うことに主眼があった。それで、「演技」についてのあらたな問い直しをする、ある意味では実験。むしろ、研究といっていいのだが、だからここは稽古場というより、研究室である。様々な演技法を試し、それを取捨選択してゆこうと思うのではじめはまちがってていもいいのだ。正解はまだわからないが、もしかしたら、これにはなにか可能性があるのではないかというヒントでも見つかればいい。来週も、この続きをし、さらに僕はいろいろなパフォーマンス、前衛的な演劇などのビデオを集め、みんなにヒントを与えようと思い、そのためにはどんな資料をどこから探せばいいか考える。でも、その時間もあまりない。スケジュールはぎちぎち。「チェーホフを読む」はあいかわらず悪霊である。
(5:12 sep.11 2004)
■舞台が終わると、打ち上げですべてが終了するのではなく、その翌日あたりに舞台で使った機材、小道具の返却という仕事を舞台監督らスタッフがしているのはもちろん知っていたが、スタッフを最小限にした今回の「実験公演」では、その仕事を僕がやった。舞台の演出をやるようになって二十年以上になるがはじめての経験だ。それというのも、借りていた実験公演用の機材類のほとんどが僕のクルマに乗っているからだ。八日の午後、制作の永井に案内されてまず荻窪までプロジェクターとビデオ関連のスイッチャーの返却。途中、永井の部屋へ細々としたものを返却というか保管のために運び、さらに三軒茶屋のパブリックシアターへ行く。佐藤信さんの演出、石橋蓮次の『リア王の悲劇』の公演に舞台監督の森下さんがついているので道具類を返却した。『リア王の悲劇』は、ピーター・ブルックの『ハムレットの悲劇』にタイトルを模したものだろうか。だったら、『マクベスの悲劇』などいろいろできるとどうでもいいことを考える。
■一段落ついて、パブリックシアターのある建物の地下にある店で休憩し、永井といろいろ話す。「準備公演」の構想。それから本公演までのあれこれ。さらに、その後をどうするかはしばしば永井と話すのだが、やはり、二〇〇五年一月の本公演『トーキョー/不在/ハムレット』が終わってからでないと、その先のことを僕も考えられない。それで永井と話をするといろいろ気分が落ち着くのだが、また家に戻って連載の原稿の締め切りが待っていた。「考える人」(新潮社)の連載。まだ喉の痛みを引きずり苦しみながら書く。
■九日(木曜日)、朝方、原稿を書き上げ眠る。少し休みたい気分になったが雑誌「ユリイカ」(青土社)のYさんからのメールで、うわあ、また原稿なのかと落ち着く暇もない。資料をどこかに探しに行こうと思ったが、その気力もないままぼんやりしていたし、このあいだの事故でへこんだクルマを修理工場に入れるため、係の人が引き取りに来た。しばらくクルマのない生活だ。マイケル・ムーアの『華氏911』を観に行きたいと思ったがその気力が出なかった。なにしろユリイカの連載「チェーホフを読む」もある。そして「準備公演」稽古初日のためになにをどうレクチャーしたらいいか考える。「身体論」や「演技論」の話になるだろう。それを反映し、考えるための舞台。だけど、作品として成立したものにしたい。「実験公演」は実験だったとはいえ、作品として成立していたが、もう物語はいいのじゃないか、「リーディング」「実験公演」を見た人は物語がどうなっているかある程度わかってもらったと思うし、「準備公演」はもういいんじゃないか、ストーリーや物語ではなく、本公演に向けての「準備」はどう演じるか、どう演出するか、生身のからだとどう向かい合うかだと思った。
■ユリイカの連載「チェーホフを読む」の最終章、『三人姉妹』のためにロシア史を少し調べる。のどがまだ痛く、少し熱もある。TOPページも更新し「準備公演」の告知をしなければならない時期だが、それも手をつけられず早くしなければと気ばかりあせる。簡単にここで告知しますが、「準備公演」は10月14日(木)〜17日(日)まで前6ステージ。麻布ディプラッツ。早めに予約しよう。食欲はあまりないので、少し食べるとすぐに満腹。体調を完全に戻して「チェーホフを読む」の原稿に気力を注ぎこもう。
(3:13 sep.10 2004)
■公演は連日満員で劇場に足を運んでくれた方すべてにとても感謝した。それにしても風邪は治らず喉が痛い。公演が終了してのんびりする時間もないまま直後からすぐに連載の原稿にとりかかる。ひどく苦しみつつ書き上げ公演の余韻にひたるひまもないし、書きながらもうこの連載も終わりにしたいと思ったのは、かつて、ポピュラーな経済誌でいきなり「資本論を読む」という反時代的な仕事をするから面白みもあったが、そのイロニーも希薄になり、いまはなんだかよくわからないことになっているからだ。「一冊の本」の連載は、横光利一の50枚足らずの小説を、毎月一行とか二行ずつもう七年くらい読んでいることの「ばかとしか思えぬ無謀な読み」そのものが冗談だが、「資本論を読む」には冗談の要素が欠けてきてしまったのだ。よく理解できない連載になっているのは否めない。
■それはそれとして、「実験公演」のことですが、劇場に足を運んでくれた方がまず目にするのは客席と演技空間を遮る白い壁で、そこには二つの穴があり、客席側に待機している俳優が出番が来ると穴をくぐって芝居をしに向こう側に行く。その演技はカメラで生中継をするという仕掛けだ。すべてが生中継。小浜がやってきて「東京ドームでもできますね」と言っていたが、ただこれが成立するためには、いまそこで、壁を隔てて演技をしている人がいるという空気が伝わらなくては意味がない。空間は限定される。ダメだしは、俳優の立ち位置、カメラの動きなど、きわめて技巧的なことばかりで、特にカメラ寄りに立ってアップで写される俳優は緻密な動きを要求されるという演劇ではあまりないことだ。
■で、なによりこの舞台が成立するためにはカメラマンの鈴木の力に負うところがとても多く、微妙に奥と手前でピントを合わせたりなどし、俳優が一センチでも立ち位置を間違えると微妙にフレームの位置を移動している。稽古からずっとつきあってくれた鈴木のおかげである。場面の転換を床にレールを引いてカメラを横移動することで表現するアイデアはある日、ふと思いついた。一部あったけれど僕はカメラのパンがきらいで、とにかく向こうにある壁と平行にぜったい横移動だ。ただミスったのは壁の裏表を逆に吊ってしまったことで、とにかく客席側が装置の裏に見えるようにしたかったが、舞台監督の森下さんに僕の説明がうまく伝わっていなかったらしく、きれいなフラットの布が吊られている側が客席側に来てしまったのだけが悔いが残り、すると裏で生中継している画像にはフラットの布面ではなく、ヌキの木材がむき出しになっているのは失敗だった。絵がきれいじゃない。
■そんなことを反芻しているうち「準備公演」のアイデアが浮かぶ。次の稽古は数日後の10日だが、その回は僕のレクチャーをやる。演技論、身体論についてのレクチャーになる予定。そこから「準備公演」ははじまる。公演中、首都高で事故を起こした。そのとき、ヨミヒトシラズのT君、実業之日本社のTさん、永井らを乗せていたが、なによりよかったのは、横浜方向からの高速と首都高をつなぐその途中にある料金所を出たばかりの場所で、相手もこちらもあまりスピードを出していなかったせいで、大きな事故にならなかったことだし、同乗していていた者らに怪我がなかったことだ。これ、100キロで飛ばしている時の事故だったらと思うとぞっとする。そして風邪、岸が稽古場にウイルスを持ち込んだんだろうともっぱらの噂。そういえば僕が風邪を引いたのは岸を車で送った直後で、岸はクルマでひどい咳をしていたがクルマの密室でせきをしていたのが元凶だと推測できるとはいえ、それに耐えられなかったこちらのからだの衰弱もかなりあった。
■原稿と風邪にひどく苦しむ数日。で、きょうの夕方、桜井君、岸、相馬、そして永井が来て、水戸短編映画祭で上映される映画『be found dead』のための新しい音入れ。かなりうまくゆく。深夜、ビデオで井土紀州監督の『LEFT ALONE』を観たのはこの11日、「ドキュメンタリー・ドリームショー」 で井土監督とトークをするからだ。以前、森達也監督とすると書いたことがあったあの話だ。森監督の都合が悪くて取りやめになったので井土監督と話をする。面識のない方だが、青山真治監督の『路地へ』でその姿を見たことがある。『LEFT ALONE』は興味深く、三時間半ほどまったく飽きずに観ることができたが、それは出演されている方の発言に疑問を抱くことも含めての興味だ。
■ひどい咳で眼が覚めこれを書いている。もう一度、眠ろう。ずっとつづく体調の悪さだ。もう10月のプレ公演第四弾「準備公演」の稽古がはじまる。「実験公演」はすべてが映像だったので身体性が希薄だったが、今回は、とことんからだにこだわって作る。
(10:14 sep.7 2004)
Sep.2 thurs. 「実験公演、初日だった」 |
■初日の舞台は無事にあけた。なにごともなくと言えば嘘になるが、というのも、風邪のウィルスが蔓延しており僕もやられた。喉が痛い。伊勢は肋骨にひびが入っている。京都で芝居をやっているT君という方からメールをもらったのは、T君も『特集・ハムレット』という舞台を公演したそうだが、そのあいだ怪我人やら病人が続出したそうで、日本で言ったら「四谷怪談」をやる前にお参りに行かないと舞台で事故があるという伝説があるけれど、それと同じようなことが「ハムレット」にもあるのではないかという話だ。だからってどこへお参りに行ったらいいかわからないからハムレットはやっかいだ。
■それにしてもSTスポットは狭い。席数も少なくあっというまに満員。立ち見の方も出たし、そもそも席が狭い。申し訳ない気持ちになっていたけれど、なにより気になったのは「実験公演」の仕掛けのせいで俳優の声が聞こえない部分があることだろう。それも席によってはダクトから響く機械音がやけにうるさい場所があること、音楽のレベルとうまくバランスがとれていないこともある。マイクでうまく音を拾えばいいが、さすがに私たちは音響のプロではないのでそこまで手が回らない。できる範囲でなんとかしよう。
■それにしても今回はコンピュータに負うところが多く、映像はすべてコンピュータから出している。撮影するカメラもデジタルビデオカメラで、なにからなにまでデジタルだ。ダメを出すのもどうしてもテクニカルなことが多くなり、「生身」の俳優とここからどう向かい合うかが、今後の課題だと初日があけてから思った。次の「準備公演」はそのことを考え直すことからはじめよう。いや、まだ初日であり、しかしそれは来年一月の本公演にいたるプレ公演の一環のひとつの通過点だ。正直、かなり達成感のようなものが生まれてしまいですね、これをいったんばらして、いかに新鮮さを保って次に行くかは困難ながらやらなくちゃいけないことだ。そうでなければ、そのつどやっているプレ公演の意味がない。
■きょうは白水社のW君や、いまは白夜書房にいるE君、それから「■リングス」に参加してくれている城田君らが来てくれた。E君は一番前の席で首が痛くなったそうだ。予想していたことだが一番前の席はかなり苦しい。なぜそうなのかは劇場でご確認いただきたい。まずは初日があけてよかった。終わってからなぜかリポビタンDで乾杯。また高速を使って東京に戻る。夜の首都高はすいていて気持ちのいい走りだった。
(13:36 sep.3 2004)
二〇〇四年八月のノートはこちら →
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