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Published: Feb. 21, 2003
Updated: Apr. 16 2004
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 *遊園地再生事業団『トーキョー/不在/ハムレット』公演(二〇〇五年一月)と、
  それに先立つ「プレ公演」のお知らせはこちら。 → CLICK

Apr.15 thurs.  「からだはがたがたである」

■たった三日間の大学の授業だったが、ひどく疲れたのはからだが京都の生活に慣れないまま、すぐに授業体制に入ったからだろう。
■到着した翌日、火曜日が朝から丸一日授業。翌日(水曜日)は朝が授業で、午後、東京から永井をはじめ、舞台監督の森下さん、照明の斉藤さん、美術補佐の武藤が来て、来年の一月、大学内にある春秋座で上演される『トーキョー/不在/ハムレット』の舞台公演のための下見をしていった。その後、森下さんと斉藤さんは急ぎ東京へ戻り、武藤と永井は時間があったので、最近、ぼくもあまり行ったことのなかった姉小路にある「コチ」という名前のカフェで二人と話をする。その夜、また北白川にある大学の近くに戻り、「猫町」というカフェで大学の舞台研究センターが出している「舞台芸術」という雑誌のためのインタビューを受け、食事も含め、なんだかんだでもう深夜だ。ホテルまで歩いて戻る。翌日は午後から授業なので、ゆっくり眠れるかと思ったが、京都に来たこと、授業がはじまったことなど、妙な興奮をしていたのか、あまりしっかり眠れないし、目が覚めたら、からだががたがただった。で、授業。木曜日の午後の授業は二年生中心の「舞台基礎」。受講者が30人以上いて、発表公演でなにをやればいいかひどく悩む。
■だんだん慣れてきたせいか、授業は比較的うまいぐあいに進む。ただ大学は坂が多い。歩いた。東京ではなかったほど京都では歩く。健康にいいほど歩く。
■「舞台芸術」の次号は、「バロック的」というテーマだ。「バロック」という言葉はもちろん理解しているつもりだったが、教員で、「舞台芸術」の編集にも関わっている、森山さん、八角さんの話を聞いて、今回のこの「バロック的」の意味がようやくわかり、それでなぜ、僕がインタビューを受けるのかようやく理解できたのと、そういわれてみると自分が「バロック的」だとなにか言い当てられたような気持ちになる。で、インタビューのあと、「舞台研究センター」の人たちがいるというので、「猫町」から少し歩いた場所にある「プリンツ」というカフェに移動したが結局、この日(14日)、三軒のカフェに行ったことになってカフェめぐりをすることで京都に来たことを実感する。

■で、午後の授業を終えて夕方の新幹線で東京に戻る。くたくたになった。からだがまだ、どこかおかしい。からだのことを考えてスケジュールをたてないと、来年一月の本公演(『トーキョー/不在/ハムレット』)までのあいだにどこかで倒れるのではないかと心配になったものの、やるべきことはまだあって、まあ、しょうがない。とにかく眠れるときにはしっかり眠っておこう。プレ公演の「リーディング」までもう時間がない。

(10:22 apr.16 2004)


Apr.13 tue.  「授業開始」

■なぜか朝五時半に目が覚めてしまって、しかし昨夜どのように眠ったかわからない。ただこの日記を書いていたのはたしかで、それでたしかめると、アップされていなかったものの、リーディング公演を告知する写真があり、それらしき文章は書かれているが記憶にない。で、目が覚めてから授業まで時間があったので、メールチェックをし、このノートを直し、さらに小説のことなど考えていた。
■朝九時から授業。新しい校舎の建設中で、授業のある
Studio21(学内小劇場)にどうやってもたどりつけないのだ。これまでの道順で行こうとしたら塞がれている。べつのルートを通ろうとしても無理だった。結局、いったん学校の外に出てべつの入り口からあらためて学内に入り、坂を登らなくてはならなかった。ひどく息が切れる。午前中は一年生の授業。午後、昼休みを使って研究室でスタッフワークの教員の方たちと、僕が担当する二年生中心の「舞台基礎」と「スタッフワーク」を連携させることについて打ち合わせ。研究室に松倉がいたので、松倉も取っているという「舞台基礎」の授業に一緒に向かう。ほとんど二年生だった。これだったら授業をやるのにまだ大丈夫かという人数だ。それでも30人以上いて、これでもし三年生もいたらどうなっていたかと思うが、まだ正式な名簿ができていないので、わからない。そして、四年生は松倉が一人。
■あまり眠っていなかったので授業が不安だった。でも、人間、やればできるのだと実感したのは、無事にふたつの授業をなしとげたからだ。できるもんだなあ、なんでも。「舞台基礎」の発表公演は、七月二十四日、二十五日に決まった。今年は祇園祭はあきらめた。で、そうなるともろもろのスケジュールが変更になり、『トーキョー/不在/ハムレット』の映像作品を六月中の週末を使ってしっかり作ることができる。七月の第二週あたりから月末まで京都だ。稽古があるので祇園祭はあきらめた。ただ七月十七日に東京へいったん、もどらなくちゃならないのは、「映像作品」上映に際して、アフタートークがあるからだ。

■このノートを書いていたら、
iBookの上に缶コーヒーをぶちまけた。iBookの調子が悪い。ずっと使い続けていると熱を持ってHDDがおかしくなるのだと気がついた。少し休めると調子はまた元に戻る。面倒なやつだよ、まったく。
■といったわけで、たいへん充実した一日になってしまった。そんなに充実した日をわたしは送りたくはないのだ。久しぶりによく歩いた。夜、ホテルから少し歩いて食事に行く。歩く。夜の京都を歩く。夜の京都は暗い。

(23:55 apr.13 2004)


Apr.12 mon.  「京都に来た」



二〇〇四年五月六日〜九日。『トーキョー/不在/ハムレット』のプレ公演第一弾、「リーディング公演」は間近に迫っている。これは第一弾の試み、どのような本公演になっているかはまだわからないが、大筋の物語とやろうとしていることは理解してもらえるのではないか。詳しくは、告知ページへ。

■授業のことを考えると落ち着かず、こういった気分をどう表現したらいいのでしょう、一日なにもできずに、ただ学校に行きたくない子供のようにぼーっとしていた。夕方の新幹線で京都に来たのだった。いつものホテル。北川辺町に比べたらずっと人が多いとはいうものの、夜の京都もやっぱり静かだ。北川辺町がいかに誰もいないかは、S君の日記でご確認いただきたい。
■あしたから授業だが、まだ去年の同じルーティーンなことをしたくない気分もあるので少し異なったことをしたいが、基本的に一年生の「身体表現基礎」は「からだを使うことのおもしろさ」といったことが発見できればいい。発見できた者が、その後、なにかをはじめるだろう。そのきっかけになればと思うのだ。「舞台表現」という七月に発表公演のある授業は受講者がすごく多いと脅かされていたがその後の調べでそうでもないと教えられ、救われた。こちらもまたなにか考えなくてはいけない。すでにある戯曲を公演するか、それとも戯曲作り、作品作りからはじめるかで悩む。受講した学生の顔を見て考えよう。
■宿泊しているホリデーイン・ホテルは進化していた。カードキーになっていた。そのカードキーを早速、壁と机の隙間に落とした。もう取れない。あたらしいキーを作ってもらって難を逃れる。また、京都である。少しは観光したいがやらくちゃいけないことは山積。なんのための京都だ。鴨川はとてもいいが。きょうは早く眠る。明日の朝は早い。

(0:23 apr.13 2004)


Apr.11 sun.  「引き出物だけ手にして四谷駅にいる人」

■ある方から、イラクの邦人誘拐事件について、メールをもらっていたのを忘れていた。日本のメディアで流されている映像はかなりカットされているらしい。自主規制か。自主規制にしては皆一様に同じなのもおかしい。このニュースサイトに「ノーカット」の映像が見られる場所へのリンクが貼られている。後半部分には音声もある。驚いた。なにがこれを放送させないのか。
■それにしても、この事件をきっかけに政府の態度がやけに強気になっており、こうした邦人救出のためにも自衛隊の権限を拡大したほうがいいのではないかと、なしくずし的に法を変えようという動きがある。自衛隊派遣にあたって、おそらく政府は、こうした邦人の誘拐の可能性は充分あると想定していたのではないか。イラクでいま起こっている出来事について考えることはまだいろいろあるが、それはまた、次の機会に。

■というのも、きょうはとてもめでたい日だったからだ。
■天気のいい日曜日である。小浜の結婚式があり、その披露宴に招かれた。久しぶりにスーツを着てネクタイを締めたのでなにやら緊張した。式場のある銀座に向かう。間に合わないかと思ってあわてたが意外に早く着いてしまった。いよいよ緊張が高まる。やはり、僕の舞台によく出ていた佐伯が受付をやっていて、芳名帳を差し出されたが、緊張のあまり、うっかり、「ジャイアンツ」と書いてしまった。「まちがえちゃった」と言ったら佐伯が怒ってべつのページを開く。披露宴がはじまる前に、ニブロールの忘れ物王・矢内原充志君に会ったので、きょうはなにか忘れ物をしていないか質問すると、祝儀袋を忘れたと言う。ただそういう意味のことを言おうとして、べつの言葉とまちがえたが、それを書くのはここでは控えたいと思う。そして、披露宴がはじまった。


 左の写真は、野村萬斎さんではなく、小浜と新婦の智香さんである。右はよくわからない披露宴。余興をする新郎新婦。スプーンを曲げる二人。これも小浜のダンスのひとつだ。そして私のスピーチは、無難に終えた。あとは美味しい料理。
■小浜のお父さんと会うのははじめてだった。あたりまえだけど小浜にすごく似ているが、なにより肩の動かし方が同じだと気がつき、人の所作とか、からだそのもの、それもまた似る。DNAということか。それを見て子供は育つということだろうか。そのお父さんの挨拶はとてもよかった。話しているうち、自分でもなにを言っているかわからなくなってゆき、「えー、なにを言っているのかわからなくなってきましたが」と話していた。とてもいい結婚式だった。こちらもなにか幸福な気分になった。

■帰り、やはり列席していた、ダンス批評家の桜井君、小浜の舞台を手伝っている松本、そして佐伯をクルマに乗せて新宿方面に戻ろうと建物の外に出ようとしたら、不意に佐伯が、「やべえ」と言い出した。式場になにか忘れたらしい。ここにも忘れ物王がいたのか。忘れ物を取りに戻った佐伯を待ってようやく建物の外に出た。家にもどる途次、桜井君が四谷を通るのならそこで降ろしてくれというので、四谷で別れ、さらに佐伯と松本とは新宿で別れた。そして、家に戻る寸前のところだった。桜井君から携帯に電話。クルマの中にバッグを忘れたという。見ればうしろのシートにバッグがあった。財布もなにそこに全部入っているので帰れないと言う。ということはですね、桜井君は結婚式の引き出物だけを手にして四谷駅にいたということか。どこで気がついたかだな。切符を買おうとしたときだったのだろうな。「あ、引き出物しか持ってないよ、俺」と思わず声を上げたのではないか。Uターンして四谷へ。無事、バッグは桜井君に届けられた。
■そんなこともあっていい日だった。
■結婚式ってのはいいもんだとつくづく。

(3:16 apr.12 2004)


Apr.10 sat.  「ビ−・ファウンド・デッド」

■また小説の直しをしていたが、これがまとまらないと戯曲が書き出せない。リーディングまでもう時間がない。いくつかの戯曲化の方法があるとそれに迷う。だから、やっておくべきことはさっさと片づけることにしたので、「ユリイカ」の原稿のゲラの直し、「一冊の本」の連載原稿、『トーキョー/不在/ハムレット』の企画書のための文章など次々と仕事をこなす。なんという勤勉さだろう。自分で言うのもなんだが。で、ふと休憩だと思ってテレビをつけると、京都が出てくるのでそれがなにか憂鬱な気分を人に与えるのだった。来週からいやでも授業がはじまる。
■小説の会話部分の添削をお願いしていたKさんからメールが届く。
Jeditのファイルのまま送った小説の全文が返送されてきた。添削部分がすべて赤い文字色になっていて驚いた。どこを添削したかすごくわかりやすい。こういう手があったか。S君のアドヴァイスにかなり近いが、やはり同じ北関東でも、茨城と栃木、そのなかでもまた地域によって微妙に異なるのがよくわかる。で、北川辺町はどうなのか。こうなるともう、虚構の「北川辺町言語」を作るほかないと思えてきた。それでも可能な限りその土地の言葉に近づけたい。S君の日記によると、北川辺町に録音テープを持ってきょう(10日)取材に行っているとのことだ。人がいるかどうかわからないので心配だが、そう思っていたときふと気がついたのは、「病院」である。気がついたときにはすでに夕方だった。大きな病院だったら人が集まるはずで、しかし北川辺町にはそんなものはない。隣接している栗橋町に「埼玉県済生会栗橋病院」がある。地域的にもあまり変化はないし、おそらく、北川辺町の人たちもそこに来るはずだ。もっと早く気がつけばよかった。
■さらに、きのう映像チームと打ち合わせをしたときはまだ漠然としていたが、きょうになって思いついたのは映像作品のタイトルで、『
be found dead』だ。いつだったか書いたことのある「死体を発見するドラマ」の映像化。何話かの構成によるオムニバスを作り、最後に、原作となる小説の冒頭に出てくる「死体の発見」を映画にしようという試み。それがいわば舞台の予告編になる。といったことをつらつら考えていたが、ついつい、くだらない「死体発見のドラマ」ばかり思い浮かぶ。たとえば、場所は普通の家の居間。手前にソファがあって、男が腰をおろしているが、目を閉じ眠っているように見えるものの、ほんとうはもうすでに死んでいる。むこうに食卓が見え、家族のごく日常的な会話。みんな男の死に気がつかない。これを「死体を発見するドラマ」の三本目ぐらいに入れれば、もう最初からその男が死んでいるとわかるのではないか。あとは、いつ、なんのきっかけで家族が気づくか。

■昼間、あした結婚する小浜から電話があって、式で、まず最初に僕がスピーチするのだと教えられる。困った。なにを話していいか思い浮かばない。とんでもないことを話してしまう恐れがある。むかしある著名人の方の結婚式に出席したとき、スピーチする人(やはり著名人たち)の話がひとりひとりやたら長かった。で、僕がスピーチをする番になったとき、そばにいた年長の知人のある俳優から、「まずマイクの前に立ったら、10数えるまで一言も喋るな。それで大きく息を吸ってからたった一言、本日はおめでとうございます、と言えばいい」とアドヴァイスを受けたのだった。やってみた。とても評判がよかった。ただ、さすがに10数えるまでマイクの前で黙っていることができず、5ぐらいのところで口を開いたのは失敗だ。10がまんできるかどうか。そこなんだよ、おそらく、なにごとも。
■それで思い出したが、NHKを見ているとやたら、『冬のソナタ』という韓国のテレビドラマの番組宣伝をやっている。主人公と思しき俳優が、わたしにはどうしても、「好感度がかなり高くなった松尾貴史」にしか見えないがいかがなものか。
■ニュースでは、イラクで誘拐された日本人のその後がずっと報道されていた。誘拐された者のうち二人は「人道支援」のためにボランティアの活動をしていたという。「アメリカに荷担する日本から来た者だからといって、イラクの人を助けに行った人間をなぜ誘拐するか」という論理があるとして、それをひとまず認めたとき考えられるのは、「だからこそ誘拐する」者たちの、「憎悪の深さ」だ。つまり、「助けに来ましたよお」と豊かな国からやってきた者に対して、「べつに、おめえらなんかに助けられたかあないんだ」と感じる者のもっと深い場所にある激しい憎しみ。もしそうであるなら、「反米」というだけにおさまらないその感情は、なにによって生まれたか。そこに、「ならず者の抗い」ともいうべきものの存在を想像する。絶望的な世界だ。

■小説の直しをまだしている。もっとたくさんの小説を書こうと気分が昂まる。もっと書こう。どうかと思うほど書こう。そしてさしあたって考えるのは、あしたの結婚式のスピーチだ。まだ悩む。

(3:06 apr.11 2004)


Apr.9 fri.  「考えてみたらやけに多忙」

■文學界のOさんに会うため、昼間、ようやく外に出る。気持ちのいい天気だった。家の近くの桜はもう散っていた。桜の下で『ハムレット』を朗読するのを忘れていたが、春だから「桜」と決めるのもなんだし、また異なる季節感をなにかで見つけることができるかもしれないのだし、それよりこの時期を反映するためにニュースが流れるテレビモニターの前で音声を切って朗読している姿を撮影するのもいいのではないか。小説にあけくれていたのでそのことを忘れていた。
■Oさんから小説について意見を聞く。もっともな意見が多くて首肯しとても勉強になった。また書き直そう。こうして小説は編集者との共同作業だ。ほんとは五月発刊の「文學界」に発表し、うまくいったら五月六日から九日にある、「リーディング公演」で販売することができたら、観に来てくれた方にもいいと思ったが、どうも次の号になりそうで、それが残念。もう一ヶ月脱稿が早かったらうまくいったかと後悔してもしょうがないし、あせっても仕方のないことだ。話をしているうちもっといいものにしよう、完成度を高めようと気分がいっそうたかまった。
■永井が家に来ていくつか事務的な打ち合わせ。その後、映像班の鈴木と浅野が来、七月にある「映像作品発表」について相談する。スケジュールのことなど、細かいことも含め、しかしなにより問題は、どんな作品にするかだ。僕が描いていたイメージの一端というのは、小説中にある爆破事件の際、一キロ先まで飛んだプロパンガスのボンベが田のなかに三分の一、埋まっているという部分で、田に埋まったボンベを農民が茫然と見ているという映像だけだった。それだけじゃ作品にならないだろう。さらにいろいろ考える。鈴木から今回の映像作品の狙いはと質問されたが、いろいろ考えた結果、映像作品に興味があったってのがいちばん妥当な応えではなかったか。

■『帝都東京・隠された地下網の秘密』のビジュアル版ともいいうべきムック本、『写真と地図で読む! 帝都東京地下の謎』が届く。ビジュアル版だけにずいぶんわかりやすくなった内容。さらに対談をした『文藝』の阿部和重特集が届いた。それぞれ興味深い。
■とはいうものの、小説を完成させることであたまがいっぱいだ。さらにメールで、『牛乳の作法』(筑摩書房)を読んだが、これまでの単行本と種類がちがう文章が多いので、戸惑ったといった意味のメールをもらう。演劇について多く書かれていたし、毛色がかなりちがうし、それはしょうがない。いろいろな側面があるのだと理解してもらうしかないし、またいつか、『牛への道』のようなエッセイ集を出したいものの、ここんとこ、そういった原稿の依頼がなくてつい論文めいたというか、批評めいた文章が多くなっているのもたしかで、「チェーホフを読む」が単行本にまとめられたら、いよいよこれまでのエッセイの読者を戸惑わせるだろう。ただ言っておきたいのはわたしの一側面として演劇について考えている人間という部分があり、舞台を作る者だということだ。くだらねえことも書きたいが演劇について考えることにも興味を持っているので、それはまあ、しょうがない。軸足は演劇にあるのだし。しかも書くもののタイプが変わったのではなく、『牛乳の作法』におさめられた文章も、『牛への道』『わからなくなってきました』にあるエッセイと同時期に書かれていることにも注目してほしい。『牛乳の作法』は初出が書いてないからわからないとは思うけれど、同時期なんだよ、たいていが。
■映像作品を作るスケジュールのことなどまとめていたら、むちゃくちゃ忙しい。大学で授業を平日したあと、戯曲を書いてから「リーディング公演」の稽古がある四月、映像作品の撮影は週末になる五月、そして大学の発表公演に向けた六月。この三ヶ月は試練である。もう一本、小説を書きたいがその隙を狙って、たとえば、授業で京都に行っているあいだの時間のあるとき、こつこつ書こうかと考えるものの、それができるかどうか。でも小説に対するモチベーションてやつが高まっているいまこそが書きどきだ。大学は授業だけをまじめにやる。あとは京都で小説。連載。死にものぐるいの三ヶ月だ。

■そして、『不在日記』はつづく。多くの人が読んでくれているこのノートは欠かさず書こう。あ、小説を書くにあたってもっともっと多くの小説から学ぼうとも考える。だから、京都では授業以外はなにか書いたり読んだりしているから、邪魔されないようにする。京都で引きこもる。てこでも動かねえ。

(1:50 apr.10 2004)


Apr.8 thurs.  「岡山マスカットスタジアムでいい」

■朝九時から「ユリイカ」の原稿、「四十七歳の憂鬱・特別篇」を書き、昼食を取ったあと、さらに原稿の続きを書いて、ようやく書き終えたのが午後五時だった。
■会社で働いているような時間配分で仕事を終えたが、さらに夕食のあと、小説の推敲をする。まだ書き直せる。削る部分もある。まちがいを直す。たとえばある主要な登場人物の家の死んだ舅の名前が、二回出てくるが、前後で名前がちがうことにきょうはじめて気がついた。ほかにもいくつかあるまちがい。誤字脱字、「てにをは」のミスも直す。さらに「会話部分」も手直しをする。まだ北関東の言葉じゃないような気がしてならない。これから文學界のOさんに会って意見を聞き、手直し、さらに推敲はつづく。
■そうしているうちに、こういう作業はきわめて楽しいと思え、少しずつ形にしてゆく面白さ。今回ようやく小説を書く面白さを発見したと思えたし、ずっと書きづけたいと考えたが、それでもやっぱり、演劇のことはしていたい。かつて演劇の賞をいただいたとき、これは「励まし」なのだろうと思って、その励ましに応えようと可能な限り舞台の仕事だけはやめたくないとそのとき考えたのだ。そこに軸足を置きつつまたちがう仕事もする。エッセイも書こう。くだらないエッセイをもっと書いて、みんなっからばっかかじゃねえかって言われてえ。くっだらねえと言われてえんだべ。と、北関東風に書けばほかにも北関東出身のKさんにも原稿を添付ファイルにして送り、気になった会話を直してもらっている。みんなに助けられる。あと、「チェーホフを読む」のような仕事もまた大事で、それを書くことによって、ほかのこと(小説や戯曲)に反映しているのを強く感じる。

■夜はそんなふうに過ぎてゆき、せっせと仕事をしつつ、テレビを見ればニュースで大変なことが報道されているのを知り、イラクにやはり邦人救出特殊部隊を送るべきだと思ったものの、イラクにしろ、ガザ地区にしろ、いよいよ緊迫しているのを感じていたが、この国もまた事態の渦中にいることがはっきりした。ただ、拘束された者のうちの二人の「民間の人道支援」という活動に疑問を感じないわけではないし、そもそも、「人道復興支援」という言葉がきわめて怪しい。「軍隊の駐留」だとどうしてはっきり言えないか。ラムズフェルドのインタビューを聞くと、「おお、日本は軍を引き上げるつもりはないのか、ふむふむ感心感心」と言っているニュアンスで、世界中の誰もそれが、平和的な復興支援のために「自衛隊」という名前の集団が国家的なプロジェクトで活動しているなどと思っちゃいないっていうか、ふつうそうだろう、あの軍隊のスタイルは。
■このあいだある人物が発言しているのを聞いたのは、「戦前もそんなに悪い時代じゃなかった」という言葉だが、ああ、つまり「江戸ブーム」と構造的にはほぼ同じだなという感想である。「江戸ブーム」の背景にあったのは八〇年代の好況とその時代相だが、「戦前ブーム」の背景はもっと緊迫した世界状況だ。「戦前もそんなに悪くない」は、「戦後の謳歌」や「戦後民主主義」に対するある立場からの否定だと思うが、戦後もそんなによくなかったというか、むしろかなり悪く、それはいわば戦前の延長戦だからだ。そして、「戦前もそんなに悪い時代じゃなかった」が照射してしまうのは、「現在」である。それは「現在」を語ることになり、つまりは、「現在もそんなに悪い時代じゃない」と言っていることになる。

■相変わらず引きこもりだ。
■プロ野球の開幕戦についていくつかメールをいただいた。甲子園で開幕戦ができないのは高校野球があるからだとのこと。なるほど。だったら、関西のどこかで開幕戦をすればいいのではないか。近鉄はたしか去年Bクラスではなかったか。もしそうなら大阪ドームが空いていただろう。藤井寺球場はどうか。なんなら、岡山マスカットスタジアムでもいい。野球のことを考えているとむかつくからいやだよ。だけど神宮球場だけはべつである。神宮だけど。

(16:32 apr.9 2004)


Apr.7 wed.  「生涯、覚えられないカフェの名前」

■午後、文學界のOさんに会う。直前に電話してきたOさんは、先にメールに添付した小説をプリントアウトしようとしたらしいが、「縦書きに出来ない」と電話でそう言ったのだった。笑いだしそうになった。それですでに用意しているきれいにプリントアウトしたものをあらためて手にして待ち合わせ場所に行ったが、いつも待ち合わせに使っているのは、家の近くの東京オペラシティのなかにあるカフェだが、この名前がぜったい覚えられないんだ、俺は。「カフェなんとかで」とか、「メゾンなんとかかんとか」など、いつも電話で待ち合わせを約束するたび口ごもる。いまこうして書いていても名前が思い出せない。もう生涯覚えないでいようと思う。
■小説はこれから読んでもらって、また金曜日に会うことになったのはもっぱら僕のほうの都合というか、つまり、来週になると平日は京都だからだ。来週の火曜日から授業がはじまる。いよいよはじまる。はじまっちまうんだな。また試練の日々が。それはさておき、小説の話よりダンスの話ばかりしていた。Oさんもよく見ている。それで、ふとOさんに訊ねたところ、青山真治さんとは面識がないとのことで、じゃあ、こんど一緒に会いに押し掛けましょうと話したのだった。なんどか青山さんにメールをもらっていながらぜんぜん返事を書かないので申し訳ないことになっているが、だからっていうわけではないが、小説の中にちらっと登場する映画監督は青山さんをイメージして書いた。
■そうそう、夕方、紀伊國屋書店に行ったら「文藝」の「阿部和重特集」が平積みされていた。で、気がつくと、その横に積まれた文芸誌「すばる」に川村毅さんの小説が掲載されているので少し立ち読み。冒頭あたり、病院で父親の病状を聞く主人公らしき人物を見て医師がおびえるのは、その主人公の顔が「怖い」といった意味のことが書かれ、以前、川村さんのお父さんの病気のことをきかされていたこともあり、これは川村毅なのだろうと思うとやはり笑いそうになった。怖いんだよ、あの人の顔は。で、一緒にシンポジュウムに出たとき僕がサングラスをしており、その川村毅にサングラスの僕が「怖い」と言われ、この人だけには言われたくないと思ったのだった。

■「ユリイカ」の原稿を書いていた。まったく煮詰まる。そこへ「きょうから印刷所に入ります」と「ユリイカ」のYさんからメール。せっぱつまってるんだ。せっぱつまりながらふと思い出したが、プロ野球セリーグの開幕戦だが、なぜ昨年の優勝チーム「阪神」が東京ドームで開幕を迎えたかだ、もっかの問題は。阪神ファンは怒らなかったのか。巨人が甲子園に行くべきではないか。もう人気の低迷でプロ野球はあたふたしているが、そんな小細工をするからよけい人気がなくなるのだ。先日、東京ドームの年間シート券を一九〇万円ぐらいで買った長野の会社員が、ネットオークションで売ろうとしたら四枚しか売れずしかたがないので東京ドームまで来てダフ屋行為をし捕まったというニュースがあった。売れないんだよ、巨人の試合だからって、いまやそんなことをしても。小細工ばかりしているうちに、ファンはどんどんプロ野球にいやけがさしていることになぜ気がつかないのか。
■きのう気晴らしに都内をクルマでぐるぐる走ったことは書いたが、外苑に着いたとき、神宮球場のことを思った。神宮球場はとてもいい。くれなずむ時間のあの空の色と広さはとても気持ちがいい。秋になったらJリーグを見に行こうと思っているが、神宮球場はそれはもう、競技の種類とかそういったものとはべつだ。また行きたい。
■また小説を読み直して、まちがいなど発見。あるいは部分的に書き直す。いつまでも小説の世界から意識が抜け出せない。

(2:22 apr.8 2004)


Apr.6 tue.  「かますのはいやだよ」

■ほんとは京都にゆかなくてはならなかった日、私はやはり家に引きこもったまま原稿を書いていた。きのう書いたS君のアドヴァイスで小説の会話部分を直す。だいぶ感じがでてきた。助けられた。で、推敲もきりがないので、メールで「文學界」のOさんに小説を添付ファイルにして送った。返事があったのは、深夜で、これからあしたの午後12時までに読むという。Oさんは、渡された作品を三回読むことで知られている。それでアドヴァイスしてくれる。
■そんなとき、「新潮」のM君からメールがあり、渡してあった『28』だが、その時期が五月号の校了と重なり、さらに「新潮」百周年ということもあってばたばたし、まだ途中までしか読めなかったというのはしょうがない。しかし、いくつかアドヴァイスがあって、特に「時間軸の整理」についての指摘はもっともで、それはちゃんとしておくべきだと考え、いま書いていた小説はしっかり「時間表」のようなものを作って作業したがそれがずいぶん役に立ち、これ、あたりまえのことかもしれないけど、今度は、「登場人物表」「時間表」など作ってあらためて書き直そうと思った。『28』は長いあいだ書いているうちにまた新しいテーマ浮かび、それをしっかり書くことにする。
■でもって、『トーキョー/不在/ハムレット』の小説版から、いよいよ戯曲だ。どこをどう切り取ろうかと思う。小説とはまた異なるものにしなくては意味がない。というより、そもそも小説をそのまま舞台化するのには無理があって、なにしろ小説のなかでは大爆発事故があって、町の住人たちが火事で燃えさかる火を見つめ続ける場面があるからだが、舞台でこれ、できないだろう。なにか表現の仕方があるかもしれないとは思うものの、きっと嘘くさくなる。いろいろ画策中。考えるのは面白い。

■それにしても関係ない話で恐縮ながら、いまさら六本木ヒルズの回転ドアについて思うに、はじめて体験したとき、これは地獄への扉かと思ったほどの迫力で、大人の僕でさえ怖かった。しかし怖さと同時に面白さも感じ子どもがついはしゃいで飛び込もうとしてしまうおそれはあった。怖いというだけでなにも考えていなかったが事故に繋がるとは傷ましい。でも、なんだろうな、あのデザインは。そして「デザイン」という概念そのものが持つものは。つまり、一種の「はったり」のように感じ、迫力のある回転扉でそこに来る者を圧倒するような姿がそれにはあった。
■僕がなにがいやといってね、つまり、こうした「はったり」なんだな。と、つい、旧翻訳の『ライ麦畑でつかまえて』みたいな文体で書きたくなるのはね、そうしたはったりかます、うそつきの大人どもをいっぱい見てきたからさ。どいつもこいつもいんちきやろうなんだよ。いくつかの業界を渡り歩いてきて、いま「演劇」をやっているのは比較的、そうしたいんちきやろうが少ないという理由がある。なにより「演劇」がいいのはあまりお金にならないという美徳があり、お金にならないところに、いんちきやろうは集まらない。ところが先日、ある女優からメールが届き、かかわった芝居を作ったやつがとんでもない「インチキ野郎」だったらしい。そのインチキ野郎がほしかったのは「名声」だ。小さな、ほんとに小さな、この国の、東京の、小劇場という種類の演劇という世界での、「名声」という名前のまことに矮小なもの。くだらねえ。たまたまその舞台を観たというある編集者からメールがあって、「だめだった」という感想が届けられた直後の女優のメールで、やっぱりね。と思ったしだい。具体的に芝居の名前をあげてもいいが、ここはひとつ、大人のふるまい。
■その編集者の方に原稿を届けなければいけないのだが、いまだ書けず。すいません。

■やっぱり、ごーまんかましたり、はったりかましたりはしたくないもので、つまりは「かます」のがいやだよ、恥ずかしいから。岩松了さんや、青山真治さんが好きなのは、そういったふるまいが微塵もないのを作品に感じるからだ。いや、もっといろんな世界にそうした人たちはいる。
■そんなわけで相変わらず引きこもっている私ですが、気分をかえるために夕方、クルマで都内を無意味に走る。

(12:13 apr.7 2004)


Apr.5 mon.  「訛りすぎている土地」

■原稿を書いている一日だ。で、小説の「会話部分」の件だが、北関東の方々、あるいは、北関東出身の方からいろいろメールをもらってとても感謝した。たとえば、藤原ことりさんは、栃木の出身だとのことでやはりそこもまた北関東だから、いくつか教示してくれた。なかでも、こういうサイトの存在。音声ファイルがあって楽しめた。
■また、演出助手で北関東出身のS君には小説そのものを添付ファイルにし、会話部分を添削してくれないかとメールに書き送ったが、その途中経過として送られてくる返事がいちいち面白い。S君は茨城県下館の出身で、本人は育った環境のせいで「北関東なまり」がほとんどないが、同居している方は埼玉県の北部出身でやはり北関東人だ。しかも同居している方のお母さんが、北川辺町のすぐ隣、埼玉県栗橋町の出身だという。それでいろいろ検討してくれた。S君は、僕が書いた小説の会話部分に「なまり」があまりないことが気になって、それでここはこう話すのじゃないかと、同居人の方、そのお母さんに伝えたが、結局、結論としてこうなった。
「下館、訛りすぎ」
 これ笑ったなあ。北関東でもやはり、地域によってかなり言葉がちがい、北川辺町、栗橋町の周辺は、「なまり」はあまりなく、「イントネーションのちがい」はあるらしい。で、以前、僕たちが渡良瀬遊水池に行って会った人たちはかなりなまっていたが、あれはもしかすると、栃木のほうから来た人ではないか。しかし北川辺町役場の人は、「なんだっぺや」と口にしていたので、すると、北川辺町が接している、「埼玉」「群馬」「栃木」「茨城」それぞれの人たちが流入しているとも考えられ、言葉もいろいろになっているのではないか。
 でも、いくつかの会話部分をS君が指摘してくれ、適切にアドヴァイスしてくれたのはとても役に立った。ほんとうに感謝している。

■で、それは今朝(6日)の朝日新聞のことだが、遠藤周作の『沈黙』という小説に「自筆原稿があった」という記事が載っていて驚いた。いや、べつに「自筆原稿」が見つかったから驚いたわけじゃなく、いま書いている小説のなかに図書館みたいな場所があって、ある日、そこで老人が借りてゆく本がその『沈黙』だと書いたからだ。『沈黙』は「隠れキリシタン」を題材にした小説なので、わかる人だけわかるというか、遊びみたいにそう書いたんだけど、そんな自筆原稿が見つかるなんて、もともこうもないっていうか、『沈黙』がここにきて注目されるのは困るのだ。というか、長崎の文学館で発見されたって記事にあるけど、もっと早く見つけられなかったのか、文学館の人どもよ。タイミングがよすぎるじゃないか。
■といったわけで、さらに小説の推敲をし、原稿を書いて家にひきこもる日。『トーキョー/不在/ハムレット』への道は遠い。

(16:32 apr.6 2004)


Apr.4 sun.  「松倉と天麩羅を食う」

■午後目が覚めたのは、前夜、小説の推敲をしていたら眠ったのが朝になっていたからだ。よく眠った。目が覚めてすぐに仕事。原稿を書く。「資本論を読む」。さらに、「ユリイカ」の原稿を書こうと思ったがうまく書けない。松倉が東京にきているが、忙しくてぜんぜん会っている時間がないので、夜、食事をすることにした。きょう宿泊予定にしているのは、『トーキョー・ボディ』に出ていた伊勢の家で、伊勢も連れ東京オペラシティの53階にある天麩羅屋に入る。単純に天麩羅はうまかった。
■風邪をひいて声が出ないという松倉は今回、ライブの予定をとりやめた。そんなことではだめだ。自己管理ができないといけない。京都から来た松倉は、「鳥インフルエンザ」ではないかという噂がある。つい最近、死んでいる鳥を見つけ素手でそれを処理したとのこと。いよいよ怪しい。食事の途次、大学の研究室のKさんから電話があったので、すみません、六日のガイダンスは欠席させてくださいと頼む。天麩羅食ってる場合ではないが、松倉と少し会いたかったのだ。やはり、『トーキョー・ボディ』で生中継カメラのスイッチングをした浅野が京都に行った話を聞いたが、ものすごい日程だったという。松倉はよかれと思ってやったのだろうが、まず、大文字焼きがある山を見ようと、白河から自転車で出町柳まで行き、それから山登りをした。浅野が「太陽の塔」が見たいというので山登りでもうへとへとなのに、阪急電車でおそらく高槻か茨城まで行き、万博記念公園まで行ったらその日は閉館日で、松倉が柵を乗り越え、なかから鍵を開けて浅野を入れ、「太陽の塔」をバックに記念撮影。さらにそのあと、大阪の鶴橋で焼肉を食った。こうして書くと簡単なように読めるがこれ一日でやったかと思うと、地獄の行軍である。東京にあてはめて考えると、高尾山に登ったあと、六本木ヒルズへ村上隆を見に行き、そのあと横浜の中華街で食事をするような話だ。俺はいやだ。大文字の山に登っただけでその日はもう終わると思う。
■そして浅野は持っていた「青春18切符」を紛失。松倉の大歓迎ぶりでさんざんな目にあったという。しかもそれでもまったく疲れない松倉がすごい。どうなっているのかわからないが、「大歓迎の精神」がそうさせたとしか考えられない。

■二人を伊勢の住む京王井の頭線・三鷹台の家までクルマで送って、自宅に戻り「ユリイカ」の原稿を書こうと思うが進まず、さらに小説の推敲をしてしまった。推敲はほんとにきりがない。東京は雨だった。少し冷える。桜のシーズンはもう終わっている。いろいろ終わったら次は戯曲。『トーキョー/不在/ハムレット』のプレ公演第一弾、「リーディング公演」がもう間近だ(五月六日〜九日)。今週は映像班とも打ち合わせがある。来週から大学の授業がある。そういえば、研究室のKさんによれば、「舞台表現」という舞台の発表公演がある授業をすごく大勢の学生が受講したという。また地獄がやってくる。これまでとがらっと傾向を変え、『ハムレット』を発表公演にしようかと考えた。演出してみたい気がしたのだし、大勢の学生が出演できるのではないか。でも、あの芝居は女の登場人物が少ないのだった。シェークスピアって基本的にそうじゃないか。チェーホフにしようかなどと悩みつつも、まあ、最終的にはなんとかなる。きっとそうなる。僕にとっては最後の授業なので、しっかりやろうと思う。
■それにしても、小説では会話部分に自信がなく、北関東の言葉がうまく書けないのだ。そこへ、演出助手をしている北関東出身のS君からメールがあり、先日の稽古で小説を読んだとき、やはり会話部分が気になったという。S君に添削してくれるよう、返信。北関東の言葉が会得できたらもっと、小説全体に深みがますだろうと思いつつ、まだ推敲は続く。

(14:41 apr.5 2004)


Apr.3 sat.  「稽古だった」

■来週は、オリエンテーリングっていうか、ガイダンスと呼ばれるものがあり京都の大学に一日だけ行かなければならない。それが六日で、文學界のOさんには七日に小説を渡すと約束したのだし、その前に、「ユリイカ」の原稿と「資本論を読む」があり、さらに小説を推敲したいと思うが時間がないので、ガイダンスだったら俺、行かなくてももいいかなという気がしておりっていうか、京都行きは絶望的な状態の日々だ。再来週からはじまる授業にさえ出ればいいのではないかとずるいことを画策中。あと、『資本論を読む』の単行本のまとめがある。単行本の仕事もいくつかあった。やっぱり「鳥インフルエンザ」だ。「まだその時期ではない」とよくわからないことを口にして行かないのはどうか。
■どうやってずる休みしようとするか考える中学生か、俺は。
■あちらこちら命がけ。いまはとにかく自分にとっていちばん大事なことを優先させたい。小説を書き終えたからといって、油断はならず、連載はあるばかりか、五月にある『トーキョー/不在/ハムレット』のプレ公演第一弾「リーディング」があるので戯曲も書く。どれもほんとは優先はないが、自分にとってと考えると、やっぱり戯曲だ。小説だ。

■さて本日は、『トーキョー/不在/ハムレット』の稽古。いつも使っている池尻にある公共施設だ。書き上げたばかりの小説を読み合わせ。高校時代にやった読書会を思いだす。舞台のためのプロットのつもりで書いた小説だが、やはり小説として独立したものを書いたから戯曲とは大きく異なるとはいえ、描こうとしている世界は理解してもらえたのではないか。といっても、最後までは結局、読み切れなかった。時間がなかった。また読みたいが、次の稽古は二週間後。それまでには戯曲を書かなければもうリーディング公演に間に合わない。まだ東京にいる松倉は風邪をうつされたとのことで、今回はライブをするのがしんどそうだ。できそうにない。残念。新しく覚えた歌を聞かせてもらいたかった。いろいろな人に聞いてもらいたかった。
■俳優が声にして読みいろいろ小説のだめな部分がわかったことがあり、家に戻って忘れないうちに直す作業をする。もっとあるな。書かなくてはいけない部分。削除する部分。これを戯曲にするのは、これまでやったことのないまた異なる作業として興味がわく。時間がない。いつだって時間はない。
■そういえば、北関東出身のKさんという方からメールをいただきそのなかに気になる記述があった。
 渡良瀬のことや古河近辺のことなど北関東情報満載で初めて取材に行かれたときの日記にはどぎもをぬかれましたが、ほとんどの北関東の宮沢ファンは「あんな地味なとこそんなにおもしろいの?」と『?』だらけであろうと思われます。でもきっと職場で学校で仲間内で自慢しているはず。今回の客席は尻上がりのイントネーションの会話がそこかしこで聞こえてくるのではないかと、密かに楽しみにしています。
 このなかに書かれた、「尻上がりのイントネーションの会話」という部分が難しい。客席にそれはあふれるかもしれないが、舞台で再現できるだろうか。会得するためには、北川辺町やその周辺に行き、人の会話を録音するといった作業が必要だ。むかし町でこれをよくやった。こっそり録音した町の会話を書き起こし、それを再現する。そこそこ面白かったが、北川辺町でそれをやるのは可能だろうか。なにしろ、人があんまりいないんだよあの町は。私は北川辺町のことを「第二の故郷」と呼びたい気分になっているが、人はいくつも、「第二の故郷」を持っていたりし、「第二の故郷」という表現ほどいいかげんなものはない。僕にとっては、「ソウル」「パリ」「京都」、そして「東京」が第二の故郷だ。しかし、「いいかげんな表現」という側面とはべつに、たとえば小説を読み、あるいは映画を観て、喚起された土地があればそれもまた、「第二の故郷」になるのではないかと考えてゆくと、人をなにかに向けて動かす、「土地」「もの」「こと」、それらすべてが「第二の故郷」になるとも思われ、いわば、べつの言葉にするなら「第二の根拠」とも呼ぶべきものだ。それが人を作っているような気がしてならない。

■ずっと引きこもっていたので、稽古の時クルマを駐車した三宿のコインパークにあった桜ではじめて春を感じた。もう散りはじめている。

(13:28 apr.4 2004)


Apr.2 fri.  「いまは川である」

■いろいろ直し始めるときりがないが、最後の部分を直しつつなんとか書き終えて、これでよしと決めたのはようやく夕方になってからだ。まだまだ推敲したい部分や、書き足りない部分、あるいは、削るべき部分もあるが、ひとまず小説の完成。250枚だった。最初、「en-taxi」に書くと話したときは30枚だったのだし、その後、これはもう少し長くなるかなと思って50枚でと頼んだが、世の中わからないもので、その五倍になるとは思いもよらなかった。一息ついてしばらく茫然とする。また読み直す。いくつかの細部を手直し。きりがない。
■ところで、今回の小説はほとんど、
iBookで書いた。終わったと思った途端、そのiBookの調子がすこぶる悪くなる。疲れたのか。よく働いてくれた。ハードディスクがコツンコツンと音をたて、クラッシュ寸前の状態だ。バックアップは取ってあるので安心だが、少し休ませた。あと、僕にしては珍しく、「登場人物表」「時間」、あと、「箱書き」のようなものを用意してあったのだが、Mac OS X 10.3のなんとかいう名前の機能が便利だとはじめて知った。それぞれのファイルをデスクトップ上に開いて、たとえば小説本体を書いているとき、人物の名前がわからなくなって「登場人物表」にあたろうとすると従来であれば、そのファイルを探すのに手間がかかったが、なんとかいう機能だと「F9キー」を押すとさっと各ファイルが小さくなってすべてを概観することができ、見たいファイルの上にカーソルを持ってゆきクリックするとそのファイルが前面に出てくる。これはすごい。助けられた。ただiBookの調子が悪くて気がかりなのと、Macってのは本来、どことなくかわいらしいので、荒ぶる魂がわいてこないというか、どんなに暴力的なことを書こうとしても調子がいまいち上がらない。まあ、気分の問題。
■書いているあいだ、中上健次の『奇蹟』再読。三島由紀夫の『金閣寺』参照。シェイクスピアの『ハムレット』引用。フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』の一部を意図的にほとんど模倣。川島恂二氏の『関東平野の隠れキリシタン』に負うところがたいへん多かった。

■夜、脱稿記念に寿司を食う。「ユリイカ」のYさんから電話。原稿のこと。週明けまでに書くと約束する。来週は大学に行かなければいけないが、「鳥インフルエンザが怖くて京都には行きたくない」とでたらめなことを言って行かずにすまそうかと模索。桜の季節は終わってしまった。大阪に住むM君の「あわわアワー」にある日記で、「
en-taxi」に書いた小説を読んで笑ったとあってうれしかったが、「変態小説だった」と表現していて、そんな言い方はないじゃないかと思いはするものの、まあ、たしかにそうだからしょうがない。
■北川辺町にまた行きたくなった。渡良瀬川の河川敷がすごくいい。で、そう考えていたらもともと「川」が好きなのだといまさらながら気がつく。以前、文学座に『河をゆく』という戯曲も書いたことがあった。これからは、「川マニア」でゆこう。「地下」から「川」へ。ただ釣りはしたくないよ。カヌーをやるとかそういったアウトドアなこともしたくない。ただ川を見ていたいのだ。川の音を聞いていたい。だからいま私は、「鳥インフルエンザが怖くて京都には行きたくないが、鴨川は見たい」という複雑な気持ちになっている。鴨川はほんといいからなあ。三条大橋からのながめがすごくいい。
■家に閉じこもってるあいだに、Jリーグは開幕していたし、プロ野球もはじまっていたり、ヤンキースも来ていたのだと知る。たばこが美味しい。

(11:43 apr.3 2004)


Apr.1 thurs.  「不在日記開始」

■何度も書いているように、二〇〇五年一月『トーキョー/不在/ハムレット』という新作の舞台公演があり、それまでのほぼ十ヶ月のことをこのノートに記してゆこうと思うのは、そのあいだにも、プレ公演があり、稽古は続き、そして船はゆき、様々な人間模様があるからだ。それをつぶさに報告しようと思う。私の日常と、創作の日々である。
■で、少しのあいだ「富士日記」というか、このノートを休止しているあいだ、べつに休みをとっていたのではなく、小説を書くことに集中しており、それは、『トーキョー/不在/ハムレット』の原作となる作品だ。そのあいだに見ておかなくてはと、新宿の町を歩き、歌舞伎町を徘徊し、そしてまた、北川辺町に行った。行ってよかった。行かなければならなかったのだ。渡良瀬川の河川敷に降りたがその荒涼とした風景はとてもよかった。町のことをさらに理解することができた。京王線八幡山にある「大宅文庫」で、北川辺町で過去に起こったある事件に関する雑誌のノンフィクション記事もコピーし、ほとんどの時間を小説に集中したが、その途次、三月二十四日には「テキスト・リーディング・ワークショップ」の最終回があった。最後は僕の戯曲、『あの小説の中で集まろう』(九七年)を読んだ。そこのころ僕がなにを面白がっていたかよくわかるのは、しばしば、会話が横にずれ、最初なにを話題にしていたのか話の中途からどうでもよくなるという、人の会話にしばしば見られるあれを丹念に書いているからで、そのことにやたら熱心だった気がする。あと僕にしたらかなり「劇的」な戯曲だと思うが、受講者から「ドラマがあまりない」とあとで言われ、ということはですよ、ほかの作品はほんとにドラマがないのだと思った。
■で、ほぼ小説は書き終えた。二四〇枚ぐらい。いわゆる脱稿というやつだが、まだまだ推敲し書き直そうと思う。今週の土曜日に稽古があるので、これが原作だと読み合わせをしようと考えているのだ。声に出して読み、それでまた、直すところは直すという作業過程は正直なところ単に小説のためで俳優に申し訳がないが、どんな世界を構築しようとしているか理解してもらえるのではないか。ただ性的表現が多いので声に出して読むのは気恥ずかしい。あと、読みながら自分はどの役だろうと俳優だったら考えてしまうにちがいないと思うものの、それ、考えないでもらいたい。小説と戯曲はべつものだ。小説を終えたら、そこから私は劇作家になる。戯曲化するにあたり、その過程でずいぶん異なるものになるのは当然だが、どう切り取るか、どう劇にしてゆくかはまた楽しい作業だ。そこには「俳優」という「身体」がある。そして稽古へ。リーディングへ。まだやることは無数にある。

■「不在日記」をきょうからはじめると予告したばかりに時間がなく、デザインが「富士日記」とほぼ同じなのはいかがなものか。色だけ少し変えました。時間ができたらデザインをもっとちがうものしようと思うが、時間はいつだってないのだ。
■そういえば、松倉がいま東京に来ているのだった。またどこかでライブを予定中。すっかりヨミヒトシラズのT君に任せっきりになってしまった。申し訳ない。松倉も僕が忙しいと気をきかせてくれたのか、直前になってメールをくれた。昨夜は田中夢の家に泊まり、きょうは笠木の家に宿泊するという。なにしろ松倉が東京でライブをやる予定だと僕が知ったのは、ギターを弾いてくれたT君のサイトで、いきなりそこに告知されていたので驚いたほどだ。ギターのT君のサイトにある「ギターコレクション」は見ているだけでなにかなごむ。
■少し前まで、あることをきっかけに鬱状態が続いていたが小説を書いていたらそれもだいぶ落ち着いた。ただ小説のことを考え、それに集中したが、気鬱を晴らすためにこそ小説を書くという作業があると思えてならない。それがいまの僕にとっていちばんいい方法だ。なにしろ、北川辺町のこと以外、あんまり考えていなかったのだ俺は。気鬱さえ忘れるほど集中していた。でも、たくさんの方からメールもらって助けられた。ほんとうに感謝している。あと、あれだ、竹中直人にも会ったし、ケラにも会った。それと松尾スズキとも電話した。いろいろ相談。その話はいずれまた。

■そうこうしているうちに四月。桜のシーズンだったのか。気がつかなかった。観るべきものをずいぶん見逃したり、悲しい出来事があったり、実業之日本社のTさんに迷惑をかけっぱなしなのは、「資本論を読む」の単行本の仕事をちっともしていないからだ。来週あたりから大学がはじまっちまうんだ。また週に三日は京都だ。新幹線で往復だ。この秋、京都の大学でリーディング公演をやる予定もあって、内容はまだ未確定だが、それも楽しみだ。そんなふうにして日々は続く。そして船は行く。

(1:51 apr.2 2004)


二〇〇四年三月のノートはこちら → 二〇〇四年二月後半