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Published: Feb. 21, 2003
Updated: May. 30 2004
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 *遊園地再生事業団『トーキョー/不在/ハムレット』公演(二〇〇五年一月)と、
  それに先立つ「プレ公演」のお知らせはこちら。 → CLICK

 *『トーキョー/不在/ハムレット』プレ公演第二弾・映像作品上映会
  『
be found dead』は池袋シネマ・ロサにて2004年7月17日からレイトショー。
  17日はアフタトーク「青山真治×宮沢章夫」あり。必見。


May.20 thurs.  「京都で授業」

■京都に日帰り。
■二年生を中心にした「舞台基礎(発表公演のある授業)」が午後からあり、休講が続いていたので発表公演のめどをたてなくてはと、書き直した戯曲をコピーし配布。その後、個人面談をしたのは過去の失敗があったからで、二年前のこの授業のときやはり受講者が多くて全員を把握しきれず、発表が終わったあとで役者がしたかったが名前すら覚えてもらえなかったという学生がいたからだ。その後、配役、読み合わせまでなんとか進行した。みんなに謝りつつ、夕方の五時半近くまで延長して読み合わせを終える。それから解説。これが九八年に書かれた戯曲を元にしていること、そのときのテーマが「いま、女たちが途方にくれている」だったこと。どうしてこういう戯曲を書いたか。劇の作法としてはカメラアイ(主観を排し少し視線の高い位置から客観的に人を見つめた劇)であることなど。
■書いてあることがをすぐに理解できる学生もいれば、きちんと説明しなければわからないだろうまだ経験の浅い者(ほとんど演技経験のない者)もいる。この授業を通じて芝居をすることの基礎、そして稽古を積んで学んでいけばいいと思う。だからなにも心配はいらない。きっとできるようになる。毎年、それをやってきた。ただそれは基礎。ここからが出発点といっていい。それがこの授業のいちばんの課題であり、舞台の面白さを知ってもらえれば成果があったことになる。心配はない。不安はない。なんでもこいだ。芝居が少々できなくても、やっていればわかるはずだと、この数年のこの授業でわかってきたのだ。

■あとは僕の体力。きょうも学生から「顔色が悪いですね」と言われた。そうたびたび言われると、俺、やっぱりおかしいんじゃないか、死ぬんじゃないかとそのことのほうが不安だ。体調を万全にするのがいまなによりの仕事だ。
■柏書房のHさんからも体調を心配してくれるメールをもらった。とても感謝しつつも、心配してくれたあとに仕事の話は急展開。また異なる方向に話が進んでいる。心配してくれてるんだか、なんだかわからない気分になる。でももうかなり前に約束したことなので、約束は守ろうと思いつつ、時間がなくてだめである。小説の直しも進まない。小説は今週末までには書き直しを完成させて「文學界」のOさんに渡そうと思う。こまかい部分もさることながら、「母性」のあの部分を主に書き直しだ。土曜日に稽古があるのだが、それは映像作品の一発ワンカットという短編の稽古にあてようと思った。それも明日中に考えるつもり。リーディングの成果も忘れぬうちに実験公演に向けての稽古も少しはしたいが。あ、その後の展開としては、七月の「映像作品発表」には『亀虫』の富永君が手伝ってくれることになった。感謝だ。
■そんなとき、京都から家に戻ったら、驚いたことに大学の研究費で買った新しいヴァージョンの
Final Cut Proがアップル社から届いていた。二日前ぐらいに注文したものだ。アップル、やけに対応が早くて驚く。よし、これを完全にマスターしよう。死にものぐるいでマスターだ。

■東京も雨だったが、京都も細かい雨が一日降っていた。観光なんて余裕などなにもないまま、日帰りの京都行き。そうだ、「贄田」はなんて読むのかと青山さんのメールにあった。「ニエタ」です。「生け贄」の「ニエ」に「田」です。それから、リーディングのとき、詩人が長いせりふを読み、伊勢が踊っているとき流れていたのは、ギャヴィン・ブライアーズの『
Jesus' Blood Never Faild Me Yet!』(邦題・イエスの血は決して私を見捨てたことはない)だ。

(6:19 may.21 2004)


May.18 tue.  「さらに携帯電話について」

■きのうこのノートで「携帯電話とドラマツルギー」について書いたところ、フランス演劇を研究し、いまたしかパリにいるY君からメールが届いた。Y君にはこれまでにもいろいろなことを教えてもらった。
(きのうのノートの最後の部分:引用者註)という一節を読んで、フランスではじめて舞台の上に電話を導入した作品ということになっている『電話で』(1901)という短い劇作品のことを思い出しました。これはグラン・ギニョルという、まあホラー演劇といったジャンルの作品で、「恐怖の貴公子」と呼ばれたアンドレ・ド・ロルドの作品です。ラストシーンの、主人公一人が電話の前で、家族が殺されているらしいのをただただ聞いているしかない、という情景が非常に話題を呼んで、大ヒット作になって翌年には「コメディー=フランセーズの舞台にはじめて電話を設置させた作品」として知られることになります。
 初演では自然主義演劇を代表する演出家アンドレ・アントワーヌが主役を演じたのですが、これは要するに俳優一人が電話口で聞いていること(もちろん実際には何も聞こえていないわけですが)を説明なしに観客に想像させる、という、当時としては前代未聞の役者の芸が見どころになっていているわけです。この作品を、対話を唯一の要素とするドラマというジャンルの崩壊、という話とからめて分析したことがありました。
 でも思えば映画の演技はだいたいこれですよね。眼の前に話し相手がいなくても(かわりにカメラがあっても)、対話の芝居ができないといけないわけですから。
 そうだったのか。演劇における電話の登場は百年以上前になるのか。それは意外だった。しかも「なにも語らぬ電話に向かってただ演技すること」が、「前代未聞の役者の芸」だったとあるように、ドラマツルギー以前に、演技に対してまた異なることを要求したのだとわかる。そして、「対話を唯一の要素とするドラマというジャンルの崩壊」もまた、すでに百年前には生まれていた。いまではあたりまえのことが、かつていかにそうではなかったかという事例がここにもある。で、きのうの話に続けて書くと、むしろいまでは家の電話に出ること、あるいは、家の電話からどこかにかけるのさえ不自然に感じるから困る。しかも町の中で人を探しているが、それ、携帯に電話すれば簡単にすむ話じゃないかと、また違和感がある。困ったやつだな、携帯電話め。というわけで、大学の発表公演用の戯曲を少しずつ直す。『ガレージをめぐる五つの情景』だ。しかし、携帯電話を使うのもまたいつか、コップで水を飲むくらいあたりまえのこととして、演劇でも映像作品でも、扱われてゆくのだろうと書き直しながら感じるのだ。

■で、歴史的に考えるということでもう一つ思い出したのは、青山さんが「休憩はなくていい」と言ったことだが、「休憩」とはかつて演劇において必要だった「手続き」が形骸としてスタイルだけ残されたものだと気がついた。演劇には、「幕」があるのだった。だから戯曲もまた、「第一幕」「第二幕」といった書き方がされることがあるものの、「幕」のない劇場でそれは奇妙だ。かつての「幕」は、幕が下ろされているあいだに舞台装置を変更するなどの意味(幕の向こうからトンカチの音が聞こえた)がありそれは必要な時間だった。あるいは、一日中劇場にいて芝居を楽しみ、幕間に食事をするなどの意味もあった。その意味が消え、ただスタイルとしての「休憩」だけが残ったと考えられる。とくに小劇場では「休憩」は過去の意味とはまったく異なるし、長くなったら休憩を入れることが無反省に適用されてきたのではないか。長くていいんだな。よほどの長さ、たとえばジュネの『屏風』は短く構成し直したものでも四時間半以上あったが、パリで観たときも休憩があり、あれはさすがにあってよかった(と個人的に思う。フランス語だったし)。そう考えれば、二時間半なんて短いくらいだ。
■からだはその後少しずつよくなっている。でも微妙に残るせきや喉のあたりの違和感が気持ちわるい。ある書評の仕事を頼まれているがいま書ける自信がない。体力が減退するというか、体調が悪いと、いろいろ弱くなるのだ。それでつらつら演劇のことを考えていた。ぼんやりする頭で演劇のことばかり考えている。『トーキョー/不在/ハムレット』のために一年間を費やすのはつまりこういうことだ。最初に紹介したY君のメールを読みながら、もっと勉強しようと思った。演劇のことを僕はまだなにもわかっていない。
■ぜんぜん関係ないけど、このあいだ京都府立医科大学付属病院に行ったとき、女性の看護士さんが、僕の症状について質問するとき、「めっちゃしんどいときが10やったら、いまはいくつですか?」と言ったのは面白かった。つまり呼吸困難状態についての質問で、「2か3です」と答えたのだが、ポイントは後半の「いまはいくつですか」にあって、このイントネーションが京都らしいのだった。「いまは」も、「いくつ」も、「ですか」も全部なまっている。病院はそこかしこで京都の言葉だ。呼吸が苦しいなかそれだけは面白くてしょうがなかった。

(5:11 may.19 2004)


May.17 mon.  「携帯電話とドラマツルギー」

■またやってしまった。眠るための薬を飲んだあとに、メールを何通か書いたらしい。青山さんにも出したし、『亀虫』の富永君にも出し、俳優の斉藤陽一郎君にも出した。昼過ぎになってようやくメールを送ったことに気がついたが記憶が曖昧だ。読めば、七月の映像作品で「何か作りませんか」といったような意味のことを書いている。なんでぶしつけなんだ。青山さんへのメールでは遠回しな表現だが、富永君へのメールは、もう、なかば強制するかのように、「亀虫チームで作っていただけませんか」とはっきり書いてある。「作れこのやろう」と言わんばかりの文章である。申し訳ない。ただ、シャボン玉を出したほどの人間だからそう言われるのももっともではないか。

■きのう書いた日記を読み一部の俳優は落ち込んだという。だとしたら申し訳ない。しかし、伊勢と鈴木は、あの文章をよく読めば、「なにも考えていない人」なのだし、考えないのもそれはそれで問題じゃないか。あと、柴田と田中(松田妹)は「若い」。そして佐藤(島村巻子の夫)は「でかい」。あ、そうだ、いきなりいま思い出したが、青山さんからはきのうこのノートに書いた「俳優」のことについてまた異なる意見をメールでもらった。考えるヒントをもらった。
■一日仕事。大学の発表公演のための戯曲づくりである。発表用に過去の作品を書き直す。タイトルも変えるつもりだ。書き直している戯曲は一九九八年に書いたもので、作中、携帯電話を使っている者が、「ある特別な人間」として登場するのは、当時の携帯電話の状況だった。いまは、まあ、百パーセントだろう。たった六年でずいぶん変わった。『トーキョー/不在/ハムレット』ではあえて携帯電話を頻出させた。自死する女は携帯電話を死ぬ直前、人に預かってもらう。死体が見つかったとき、女の兄は、遺留品に携帯電話がないことをひどくいぶかる。サブテーマみたいなものだった。
■過去の戯曲を書き直しながら、ここ、どう考えてもいまだったら携帯で連絡とるなということがいくつか出て、直すのが面倒だ。書き直した戯曲のタイトルは『ガレージをめぐる五つの情景』になる予定。オリジナルではいちおうドラマがあったが、こんどはほとんどないただの情景にしようと思う。恋愛があり、姉妹の確執があり、近所にいつもパジャマ姿のおかしな男がいて、いくつかのエピソードはあってもそれはただの情景に過ぎない舞台だ。どこにでもある話。ごく日常的な、どこにでもきっとあるささやかなドラマ。眠くなるような日曜日のガレージの情景だ。オリジナルではストーリーに仕掛けがあるが、その仕掛けもぼんやりしたものにし、うっかりすると見逃してしまう程度のものにしよう。ただの日常。それにしても携帯電話というものが作劇に変容を与えるとしたら、過去、様々なテクノロジー(たとえばふつうの電話でもいい)が出現したことに劇はどのように対応したのか気になる。人との距離とか、関係に変容をもたらしてもおかしくないが、それは本質的な問題ではないのだろうか。ドラマツルギーはそんなことと無縁に存在するものだろうか。

■風邪はだいぶ落ち着いたが、ぐずぐずとまだひきずっている。この引きずっている感じがたまらなく不愉快だ。

(11:30 may.18 2004)


May.16 sun.  「休むことについて」

■大学の研究室で事務を担当するKさんから、メールと電話をいただく。「休んでください」とメールにあり、それで電話で相談させてもらった結果、今週は火曜、水曜を休講にすることにした。学内にある小劇場「studio21」で松倉のライブがあった日、Kさんが僕を見て驚いたのは顔色がひどく悪かったからだという。しっかり休んで疲れをとらぬまま授業をするのは、むしろ休講するよりよくないとも考えられる。ただ二年生中心の発表公演がある授業は、発表する作品を早く学生に伝えたかった。時間ができたので、ゆっくり考えて戯曲を書き直すことにしよう。そのほうが、結果的にはきっといいはずだ。

■先週の金曜日(14日)は一日中、原稿を書いていた。書いても書いても終わらない「ユリイカ」の連載「チェーホフを読む」だ。それにしてもリーディングの公演中、いったんは治ったと感じた風邪だが、やけにしつこくぐずぐず残る。そしてリーディングに関わった何人かがその後やはり風邪をひいたらしいということを知り、ことによるとそれは、僕から伝染ったのではないかと考えると、では、俺はどこからもらってきたかだが、考えられるのは新宿南口のタワーレコードだ。あそこに行ってからおかしくなった。タワーレコードのウィルスは結構強い。
■書いても終わらない原稿に集中しているとひどくストレスを感じ、それがからだに影響するのかやたら咳が出る。ちくしょうちくしょうと呟きながら原稿を書いていた。チェーホフの作劇のうまさにほれぼれしながら、しかし内心は体調の悪化に対して呪いすらしていたのだ。丸一日、書いてそれでも終わらず、翌朝になってようやく書き上げると、少し咳がおさまっているのを感じ、この体調の悪さはストレスというやつから来ているのだと思い、しかし、こんな時期に風邪になることの奇妙さがまた人を苛立たせる。
■土曜日(15日)。目が覚めたのは午後の二時半ほど。制作の永井が来たのでまだぼんやりした頭で、今後のスケジュール、映像上映会のための日程やその後にあるプレ公演のことなど打ち合わせをする。「実験公演」は、その名にふさわしく実験的なことをしなくてはならない。やりたいことがひとつあるが、問題は予算だ。場所が横浜のSTスポットで、動員が不安なのである。しかし実験なので、リーディングとはちがうのだから「物語」というより、その「実験」を目撃してほしい。さらに10月は準備公演だ。なにがどう準備なのかなにも考えていない。だがおそらく、いかにも「準備」だと、観に来てくれた人が納得する舞台になると思う。

■その日の午後三時から映像班と七月の「映像作品上映会」のための打ち合わせ。きょうはシナリオの詰め。鈴木と浅野が用意したシナリオやプロットはだいぶまともな姿になっていた。シナリオももちろんだが、なにより不安なのは撮影がうまくゆくかだ。いろいろ面倒な手続きが多い。緊張する。それでもいいものを作りたい。短編が五本のオムニバスで、僕は五本中、確実に二本は演出。時間と気力との闘い。それと平行して大学では「発表公演」のために稽古が続く。地獄の六月。ここを乗り越えれば、『トーキョー/不在/ハムレット』に集中できる。
■このあいだ、笠木からメールが来て、自分の与えられた島村巻子はむつかしいと書いてあった。(で、ここからリーディング公演を観た方、あるいは、いま僕の周辺にいる俳優について知っている人しかよくわからないことを書きます)。『トーキョー・ボディ』のときさんざんぱらこのノートに、「笠木はうまくなるのだろうか」と書いたが、今回もことによったら書くかもしれない。しかし、俳優において「うまい」とはなんだろう。そんなものがほんとうに存在するのだろうか。わたしの感覚としては、岩崎(劇団円所属・中地)、熊谷(パパタラフマラ所属・松田兄)のことを、ひとまず、というか仮に「巧み」という言葉で表現したい。すると「うまい」と口にしたくなるのは、伊勢(歌舞伎町の女)と鈴木将一郎(イギリス大使)だ。この二人は、ことによると「なにもかんがえていないのではないか」というふしがあって、ここに「うまさ」の源泉がある。「身体性」の高さだ。からだがやわらかい。その対極にいるのが笠木と渕野で、どこか、「身体性」が薄い。「知」で動いているふしがある。あたま使ってやがんなってふしがあるのだ。まあ、そういう人もいないと困るけれど。それでも笠木はいろいろなところで芝居をしてきた経験か、あそこ、こういうふうにやってと言葉だけで伝えても、それをこなす技術を身につけてきた。南波(詩人)、上村はとにかく「いい」。青山真治さんも上村がいいと言っていたが、『トーキョー/不在/ハムレット』の登場人物の一人、島村幸森という人物にこれほどふさわしい俳優はいなかった。おどろくほどいい。贄田は片倉君しか考えられなかった。そして、三坂(卓球の強い女)、岸(小西、何も語らなくなった者)は、おそろしくまじめだ。まじめに与えられた「役」について考えすぎた結果、三坂はリーディング公演の初日、ものすごい化粧で出てきてしまった。舞台に現れた瞬間、そのままわたしはひっくりかえりそうになった。
■演出というものをはじめてもう20年になる。いろいろなことを俳優から教えられてきた。だから僕は俳優が好きだが、なにより幸福なことは、たとえば静岡県袋井市の高校生から、プロとしてテレビや映画で活躍している人まで、様々な人たちと仕事ができたことだ。それぞれの俳優たちがなにかを喚起してくれる。

■とにかくわたしは休む。体調を完璧にして大学の授業も映像作品にも取り組む。なにしろ、『トーキョー/不在/ハムレット』まで先は長い。

(0:00 may.17 2004)


May.13 thurs  「京都の病院へ」

■とてつもなく罪悪感を感じたのは授業を休講にしてしまったことで、というのも体調が悪くてだめだったからだ。体調不良で休講とはなにごとだ。
■朝、息苦しくて目が覚めた。あまり眠っていない。でもなんとかなるだろうとがまんしていたが、この状態で授業は無理だと思い、午前中、京都府立医科大学付属病院に行く。かなり待たされる。吸入の処置をしてもらえれば呼吸も楽になるだろうと思ったが、もう五年もその治療を受けなかったせいか、やけに薬が強く感じた。呼吸は楽になったがふらふらする。不意に眠くなる。気管支拡張剤によるめまいのような感覚を久しぶりに味わう。これはだめだ。治療を受けてすぐに大学に行けば授業に間に合うと思ったが無理だった。学生に申し訳ない。なにしろ発表公演の作品を決めかねており、いい戯曲がみつからないからで、シェークスピアをやるのも気がひけ(やってもいいけど女優があまり出てこない)、かつて書いた自作を大幅に直すことを検討。また忙しくなった。来週までには完成させておかなければいけない。
■東京に戻る車中はずっと眠っていた。家に戻ってすぐに「ユリイカ」の原稿を書こうと思うが頭がまわらない。それでも、あしたの朝までには書くと決意する。次は発表公演用の戯曲作り。それから小説の直し。土曜日には『トーキョー/不在/ハムレット』の映像班と七月にある映像作品上映のための打ち合わせ。その台本も書かなくてはならないが、僕の担当する部分に関してはプロットを完成させてある。プロットというか箱書き。あとは細かいせりふなどを書き込めば完成するはずだ。映像作品はもっといろいろやりたかったこともあるが、結局、劇映画になる。まあ、少し変なものだけど。浅野と鈴木も少し書いてきてくれたが、なかでもシナリオ形式になったものを読ませてもらったとき言わなかったが、正直なところ、これ、本気で書いたのか少し不安になった。夢オチがあるし。というかあきれた。大丈夫なのだろうか。まあ、しょうがないか。責任はぜんぶ僕だ。

■夕方、東京に戻ると松倉からきのうのライブについてメールが来ていたので電話で話す。説教というわけではないが、いろいろ注意。自分のことをまったく知らない誰かに向かって表現することなど伝える。松倉と同期のある学生が、ライブの批評をしてくれたという。手厳しい批評だったが、まったくその通りだと思った。まだ大学内の、観客もほとんど学内の者という環境でのライブだ。これからもっと成長するためにやるべきことなど話す。
■それからまた原稿。書けない。締め切りは明日の午前中。ぎりぎりである。せっぱつまっている。それでも納得のゆくものを書こうと決める。

(1:51 may.14 2004)


May.12 wed  「体調不良になると腹立たしいことについて」

■午前九時からきのうと同じ一回生の授業「身体表現」。映像コース・舞台コース10人ずつ計20人が受講する必修科目。ここで単位を落とすとあとで大変な目にあうものの、ぼくはよほどのことがなければ単位をあげるので出席さえすればいい。というかべつに成績つけるほどこちらも偉かないしな。
■今週は「テキストを読む」という課題だった。前回(連休前)の授業でスタジオで読んだテキストを学校のどこでもいいから場所を選んで読むという内容。今年は学内のあちこちが工事中でどうにも落ち着かないし、ある場所に行こうとするとひどく遠回りしなくてはいけなくて例年のような気持ちのよさがなかった。スタジオで読んでから時間が経ってしまったのもありみんなあまり考えていなかった。授業進行の失敗。授業の中で、探す行為のための時間を作るべきだった。自主性を信頼したかったがやはりだめでした。「まだ、考え中」とか、「まだ決めてないんです」という学生が多数。時間があったんだから、少し学内を歩いて探せばすむことだが、それを期待するのは無理だったのか。
■それでも何人かは考えており、やはり考えただけの成果は発表に如実にあらわれる。ま、そういう学生だけを相手にしていればいいという話ではあるのだな。で、学校内をくまなく歩く。風邪が完調ではなくノドが痛い。途中呼吸困難にもおそわれ、ぜんそくの発作になるのじゃないかと、不安だった。今年の風邪はしつこい。終わるころにはふらふら。

■午後いったんホテルに戻り睡眠。夕方から松倉のライブがあるので再び学校に戻る。バンドの演奏。松倉の歌。そして短いスケッチのようなドラマ。松倉は疲れていた。なにしろ、構成・演出、そして歌までする。歌にのびやかさがなかった。しかし、全体の構成は意外にまとまっていたので少し驚く。表現の原型がようやくかたちになった印象だ。なにより、やっている者らがみな楽しそうだったのがいい。
■ライブは学内にある小劇場「
studio21」で催されたがここを夜まで使用するには顧問の教員がいなくてはならず、それが僕だったことをきょうまで忘れていた。ばらしが終わるのを見届けなくてはいけないのだった。ライブ終了後、ばらし終了まで時間があったので卒業生のMや、こんど八月七日にスパイラルホールで公演のある「dots」を主宰しているやはり卒業生のKたちと食事をして舞台の話などいろいろする。その後、ばらしが終わったと連絡があったので再び、studio21へ。打ち上げに誘われたが、からだの調子が悪いし原稿もあるので断り、そのかわり松倉と話す。話しは面白かったが、そのあいだずっと気になっていたのは、かなり大勢いたはずのスタッフやバックで演奏してくれていた者らがもう打ち上げ会場で待っているのではないかということで、松倉、話に夢中になってもうそんなことは忘れている。しょうがないので、「待ってるんじゃないか」とこちらから切り出す。その後、ホテルに戻るが風邪はいっこうになおらない。せきが出る。気管支炎を軽くやっちまったかなという感じだ。エアゾール式の気管支拡張剤を持っていればよかった。数日前の笠木の日記にその薬のことが書かれていたが僕はかつて、ぜんそくがひどかったのでいつも常備していたがこの数年、まったく必要がなかった。
■からだの調子は悪いがもう一日だけ授業をやれば東京に戻れる。原稿はほとんどだめである。小説の直しも進まない。体調が悪いと集中力に欠けてだめだ。なにより風邪をひいた自分が腹立たしい。

(8:48 may.13 2004)


May.11 tue  「京都にいる」

■朝九時から授業。連休明けで欠席者が多い。からだの調子は悪いがなんとか授業することができた。原稿(ユリイカ「チェーホフを読む」の連載)を書かなくてはいけないので、午後四時に授業が終わるとすぐさま烏丸丸太町のホテルに戻る。だからといってすぐに書けるはずもなく、ホテルの椅子は固いし、風邪がまだ完治しておらず、いろいろあって仕事は進まない。
■夕方、このままではだめだと決意し風邪薬を買おうと(決意と書くほどのことじゃないものの)ホテルの外に出たが、大きな薬局がないので、少し歩いたのは烏丸御池の方向で、つまり烏丸通りを南下する。かつてそのあたりに住んでいた。熱っぽくてふらふらしつつ風邪薬とノドにスプレーする薬「フィニッシュコーワ」を買う。熱でぼーっとした頭で今後のことを考える。ひとまず七月のプレ公演第二弾・映像作品『
be found dead』のこともあるが、来年一月の本公演の先、それ(次の公演)もおそらく一年後になるが、「作り方の再考」についてだ。一年かけることでできたことはいったいどんな姿になるか本公演を経て考え直し、そこからまた再構築。来年は大学がないのでもっとゆっくり考える時間ができるはずだ。
■小説も書きたいとつくづく思って、きょうの午前中の授業のあと、授業を手伝ってくれている卒業生のYと昼食をしつつ、「授業、やる気ぜんぜん出ねえんだよ」とぐちをこぼす。何度もくりかえし。聞かされたYも迷惑だったと思う。そして、原稿は書けない。

■よくよく考えてみると『ハムレット』はひどく土着性の高い物語だ。書くまでもないが、シェークスピアはイギリスの人であり、『ハムレット』の舞台になっているデンマークはヨーロッパという地域においてイギリスから見たらひどく田舎だったのではないか。すると、『ハムレット』のように、「亡霊が出現し殺戮が次々起こる物語」とは、つまり、『八つ墓村』みたいなものだと考えれば、いろいろ理解できることが多い。「地域性」はあるにちがいなく、そこから読み解くこともまた面白いように思えて、あらためてまたそうした視点から『ハムレット』を再読したくなった。だけどいまはチェーホフだ。うんうん苦しみつつ書くがぜんぜん進まない。あしたはまた、朝早くから授業。

(2:54 may.12 2004)


May.9 sun  「リーディング公演終了」

■リーディング公演は無事終了した。連日満員だった(まあ、小さな会場ですが)。いっぱいのお客さんが来てくれた。ほんとうにありがとう。
■いろいろな意見を聞かせてもらいうれしかったが、先に書いた、桜井君や「文學界」のOさんのメールのほかにも何通もメールをいただいた。ありがとうございます。直接、終演後に話を聞かせてもらい参考になった話も数多かった。以前テレビで、僕の書いた舞台作品『14歳の国』をドラマ化してくれたO君は、「リーディング公演を観るのははじめてだったんですけど、むつかしいですね」と言っていた。それが一般的な感想のように思う。「リーディング」を上演することにはいろいろな意味があるが、「戯曲の紹介」など、かなり演劇内部の専門的な作業になるのかもしれない。それはきっと「むつかしい」ことになる。とはいうものの、「公開」することの覚悟はあって、だから観客を意識した作りになっているのは確実なのだが。
■演劇批評家の内野儀さんからいくつかアドヴァイスをもらった。なかでも、「このままでいいんじゃないか」、というのはつまり、リーディングでやったまま本公演もやるという意味になるが、そこにはたとえばニブロールとの共同作業によって世界の構築が相殺されるかもしれないという危惧が含まれると思われる。すると、ニブロールにも申し訳ないことになって悩む。というのも、「北川辺町」という東京から微妙な距離にありつつやはり土着的な世界をあつかった劇の世界と、ニブロールの都市性が相容れないかもしれないと考えられるからだが、そうしことで共同作業が失敗したらという危惧はたしかにその通りで、かなり考えて本公演に挑まなければならず、内野さんのいくつかの言葉できりりと身の引き締まる思いがする。

■そして、8日の夜の回には青山真治さんが観にきてくれた。とてもうれしかった。で、青山さんが観ていることを前提に一部せりふを変更。これが舞台のいいところだ。終演後、青山さんたち、『ユリイカ』など何本かの青山監督作品に出演している斉藤君や、『亀虫』の監督の富永君、その映画に出ている杉山君やスタッフの方たち。まず青山さんのダメ出しとしては「休憩はなくていい」があった。そうだ。青山さんの映画は平気で三時間だ。リーディングということもあり、弱気になってつい休憩を入れたが、あとでべつの人から休憩が入ったことでストーリーがわからなくなったという話も聞かされ、それはあるかもしれない。ただ、客席が狭いなど、条件のことをいろいろ考えてしまった。むつかしい。で、それはともかく、ほかにも、「母性による支配の構造の否定」についての青山さんの話が興味深く、『トーキョー/不在/ハムレット』のなかで松田鶏介が母親を否定するせりふがあるが、そこに注目していたのは青山さんならではのものだ。「ふつうの芝居だったら、あそこで終わりますよね」と言われたものの、申し訳ないが考えてもいなかった。そしてその場面で終わらず、あのラスト(って、見ている人しかわからなくてすいません)、つまりフォークナーの『アブサロム、アブサロム!』のラストとほぼ同じという、あの場面で終わってよかったとの言葉を聞き、でも、「母性による支配の構造の否定」についてはなにも考えてなかったので、なんだかつくづく申し訳ない。『ハムレット』にしろ、たとえば『オイディプス王』でもいいが、そこに流れる普遍的な父性の「血」の物語しか考えていなかった。しかし、もし鶏介のせりふに「母性による支配の構造の否定」を無自覚のうちに書いていたとしたら、それは僕にとっては大発見だ。で、実は小説版のほうでは「文學界」のOさんから、その部分について直しを要求されておりおそらく「母性による支配の構造の否定」について、もっと書き込めということだったと思う。
■さらに、阿部和重君の『シンセミア』のラストが中上健次の『枯木灘』で、僕のこの作品が『アブサロム、アブサロム!』で、「では、俺はどうしよう」と言う。そんなふうに語ってくれることが僕にはとてもうれしく、そうした会話のできる空間が存在し、つまり、阿部君がいて、青山さんがいて、その輪のなかに、どうもどうもと、少しおじゃまさせていただく感じがとてもうれしかったのだ。でも、いいのだろうか。舞台だったら「引用」ってことですまされるかも(あくまで「かも」だが)しれないが、小説でほぼ『アブサロム、アブサロム!』と同じっていうのは。
■青山さんの来た日は、結局、午前三時まで話をした。楽しかった。俳優たちは先に帰ったが、青山さんはじめ何人かが残って神楽坂の同じ店の、べつの部屋に移動するとそこに百円を入れるとシャボン玉が出てくるという機械があった。なんだろうなあ、これはいったいと思っていたら、なぜか富永君が百円入れたのだった。狭いその部屋にシャボン玉が飛んだ。なんと表現したらいいか、複雑な気持ちにさせられた。富永君もとてもおもしろいが、なにも百円入れることはないじゃないか。あ、それで、七月にあるプレ公演「映像作品上映会」のアフタートークのゲストに青山さんが来てくれることになった。

■9日は楽日。といっても単に、「リーディング公演」の楽日で、まだ『トーキョー/不在/ハムレット』は始まったばかりだ。リーディングの公演を通じて成長した俳優もいた。戯曲の欠陥もいくつかわかった。いろいろな方の意見も参考になった。それはそれとして意味のある公演だったが、まだはじまりだよ。ここからだ。
■打ち上げは朝まで続いたが、途中で、京都に行かなくちゃならないことを思い出してひどく憂鬱になる。気をとりなおす。次は映像作品だ。それもまた、緊張する。

(18:04 may.10 2004)


May.6 thurs  「初日である」

■朝、起きたらきのうからこじらした風邪がひどくなっていた。油断した。しかしこんなものは気力で直す。とはいうものの、一日熱っぽくてすっきりしない。そして昼間、テクニカルリハーサルのあとゲネという予定。なにしろ今回は予算の関係で照明を含め自分たちで作るというなにからなにまで手作りの舞台だ。僕が到着するまでに小屋の方や俳優たちで照明を吊ってくれていたがあまりに舞台が暗いのでさらに照明の数を増やし直しの作業をしてから、少し稽古したあと、ゲネ(つまり本番と同じようにする舞台での最後の通し稽古)。終わってから気になる箇所を抜きでやってみる。二カ所ほど、どうしても気になっていた場面を反復する。
■ぎりぎりまでやって、形になった。それからまだ少し時間があったので細かいダメだし。そして開演。
■「文學界」の大川さんはじめ、桜井君、白水社のW君、岩崎書店のHさん、柏書房のHさん、デヴィッド・ハロワーの『雌鶏のなかのナイフ』を訳してくれた翻訳家のTさん、早稲田のO先生、そして、あの『帝都東京・隠された地下網の秘密』の秋庭俊さんも来ていただいた。ありがとうございました。二時間半のリーディング。耐えて見てくれるだろうかと思っていたが、家に戻ると桜井君のメールに「飽きなかった」とあってうれしかった。ただ、一部でだめだし。ある部分。大川さんからも、言葉について一部、意見をもらった。考えよう。
■思ったより、初日としてはよかったのではないか。少しほっとする。『トーキョー・ボディ』のときは二日目がかなりだめで、それが不安だ。初日の緊張感と集中力を忘れないでほしい。お客さんも、思った以上に入ってくれた。立ち見も出る盛況。ほんとうに感謝すべきはお客さんだ。ほんとうにうれしい。一歩前進。ここかほんとの出発。ぼんやりした風邪の意識でさらに考える。もっとよくなる。きっとよくなる。次のはもっとよくしてみせる。

(4:11 may.7 2004)


May.4 tue  「遊園地再生事業団という場」

■直そうと思えばまだとことん追求できるし、もっと稽古時間があればまた異なる劇になるかもしれないが、「リーディング」とはつまり、「戯曲」の言葉をどう伝えるかにテーマがあるのなら、「言葉」がどのように届くか、正しく伝わるかを心がけるのと、ひとまず、この戯曲がどんな世界を描こうとしているかがもっとも大事なのではないか。
■といったことを考えつつ午後から夜10時過ぎまで稽古。東武東上線の北池袋の稽古場だった。公共施設ではなくきょうはふだんは劇場に使われているのだろう空間。少しずつ整理してゆく。ところで、今回オーディションで僕のところに応募してくれた俳優で、上村君という人がいて、いまはどこにも所属していないというのだが、なぜこの人はいままであまり注目されていなかったか不思議なほど魅力があると思えてならない。きっとこの東京にそうした俳優はすごくいっぱいいるのではないか。いや、日本中に。オーディションで発見した。今回の舞台がきっかけになって活躍の場がもっと広がればいいと思う。
■もしそうしたことがあれば、きっといい。もちろん上村に限ったことではなく、誰もがそうで、そうしたことをステップにその人の演劇の世界が広がればこんなにうれしいことはない。僕の集団には所属俳優という人はあまりいないが、遊園地再生事業団という場所は、いろいろな人、大人もいるし、経験が豊富な人も出たり、あるいはミュージシャンだったり、そうした人たちと舞台をやる機会が若い俳優を成長させる意味は大きい。技術的なことばかりではなくいろいろ。豊かになるというか。そのためにも遊園地再生事業団はある。というか、そういった意味でもいろいろ贅沢なのですね。ノルマないし。ま、ノルマはどうだっていい話だが。
■そして、僕が発見した人をまた誰かが注目してくれるのは、なにか僕もうれしくなるのだ。作品を作るのとはまた異なる芝居をやる醍醐味だ。初日までもう目前。これがほんとに長い本公演までの道の第一歩。

(10:09 may.5 2004)


May.3 mon  「ただ言葉」

■あまり時間がないので多く書けないが簡単にまとめておこう。きょうから昼から夜までの稽古になる。午後、稽古場が狭いところしかとれなかったので夜になって場所を移動する。昼間の稽古では、いくつかあまり稽古していない部分など確認の作業。それからまだ未整理なことをまとめる。夜、はじめて「通し」をやってみた。長い。やっぱり二時間半以上あった。リーディングでこの上演時間はいかがなものか。通しをやってすぐに稽古場を退出しなくちゃならなかった。細かいダメ出しもできず、ひとまず稽古場に使っている施設を出て道で簡単な話。どこが稽古が足りないかなど伝える。やはり通しを見て感じるのはそうした部分で、まあ、リーディングだから稽古時間はもともと少ないものの、比較的やっている部分とそうではない部分がはっきりする。それにしてもつくづく長ぜりふの多い舞台だ。夜、家に戻ってどこを短縮すればいいか台本を読んでチェック。ここが切れるとか、このト書きは読まなくていいなど、削ってゆく。少しはシャープになるのではないか。
■もちろん、ここはくどいなと思ってすんなり削ることのできる部分もあるが、ほんとはその長さが表現そのものだと削りたくない部分もあるものの、しょうがない。といっても、元々のシェークスピアの『ハムレット』だって、三時間半ぐらいあるんだから、やっちゃいけないはずはないが、しかしリーディングでそれはきつい。ただただ、言葉を聞くだけだからな。音楽はほとんどない。照明の変化もない。もちろん映像も。ただ言葉。
■そして、根本的に「長い」とはなんであるか。「長い」について本質的に考えるべきこともあって、ドキュメンタリー映画では平気で九時間といった作品もある。ここでさあらに論考したいが、いまはその時間がない。稽古だ。しかし劇場に足を運んでほしい。神楽坂ディプラッツでお会いしましょう。

(12:05 may.4 2004)


May.2 sun  「ノート再開である」

■といったわけで、ようやく戯曲を書き終えたのでこのノートも久しぶりに書くことができた。書きたいことはいろいろあった。月も変わっていた。
■ほんとはもっと戯曲の完成は早い予定だったが、あれほど東京で調子のよかった
iBookだが、京都に行った途端、まただめになった。いま演出助手をしているSupermaRedのS君のありがたい申し出を受け、Power Bookを借りときゃよかったものの、もうあとのまつりで、それに気がついたのは、京都に向かう新幹線のなかだった。予約できたのが車両のなかでいちばん前の席で、コンセントが目の前にあり、それでiBookを使って仕事をしようとしたところ、またハードディスクがカタカタと音をたてだめになったのだ。「のぞみ」がいやなのだろうか。それとも京都がいやなのか。
■で、ウイークデーは京都で授業。そのあいだ風邪もひいたりしたがとにかく忙しいものの、とはいえ、仕事ができないのだ。手書きに戻ればいいようなものだが、それをあとでまたコンピュータに入力し直すのがいやだ。で、構成表など作っていた。木曜日(四月二十八日)の午前中、一年生の授業を終えて教室に使っている
Studio21を出て学校の裏門から研究室に向かおうと思ったら、その裏門の壁に立ちはだかる女がいて、僕を発見すると、「あ、来た」と言って四年生のYが弾くギターで歌い出した。もうおわかりのように、松倉である。歌は続く。そこに去年、授業の発表公演のとき武道の大会で腕を骨折しギブスをつけたまま、舞台に立ったNがやってきて、松倉とNは踊る。踊りながらどんどん先へ行く。ギターのYはストラップがないので、立ったままではギターがうまく弾けず、腰を曲げ、妙な格好で無理してギターを弾く。踊る松倉とNのあとをついて行こうとするが思うように弾けない。松倉たちはどんどん先へ行く。笑った笑った。
■東京に戻ったのは二十八日。それからまた戯曲の続きを書いた。
iBookはもうあきらめた。しょうがないから次に京都に行くまでにPower Bookを買おうと決めた。

■で、翌二十九日、稽古。ようやく「リーディングの稽古」まで来ました。『トーキョー/不在/ハムレット』のプロジェクトを立ち上げてもう半年ぐらいになるでしょうか。俳優のオーディションや、準備段階の稽古があり、北川辺町の取材、そして小説の執筆、さらに戯曲を書いてこの日を迎えることができ、これで戯曲が全部書けてりゃ申し分ないが、そうはいかなかった。少しずつ読んでゆく。
■今回のなによりの「冒険」は、重要な役を田中に任せたことだろう。もう賭みたいなものだ。というか、十七歳の高校生という役なので、じゃあ、笠木でいいかといったら、それはいかがなものかという気がするし、だったら三坂の高校生はどうなんだ。ぜったいだめだ。ほっとくとセーラ服を着るような気がする、しかもへそを出して。もう徹底的に鍛える。泣くまでやる。リーディングではまだ途中段階にちがいないが、来年の本公演までにとことんトレーニングし、しかしそれが、第一歩。そこから出発。できている戯曲だけで稽古。そして五月二日、ようやく戯曲が完成。読んでみたらやたら長い。リーディングで二時間半はいかがなものか。どこを削るか考える。これに本公演はダンスや映像も加わる。三時間なのか。戯曲を読み直してどこを削り、短縮するか、場面をずぽっと抜くというより、長いせりふを短くする方向で少しずつコンパクトにしよう。
■あと、途中で話を終わりにし、このあとどう物語は進行するか、アフタートークと称して僕が説明するという手を思いついたがそれはだめだと思う。稽古は毎日いろいろな場所に移動。公共施設を使って都内をさまよう。きょうは、地下鉄・駒沢公園駅の近くだった。『トーキョー・ボディ』のとき足を痛めた小浜を運んだ駒沢病院の近くだ。狭い部屋に俳優が15人くらい。演出助手が五人ほどいる。しかも、身長一九〇センチを筆頭にでかい男が多い。ぎゅうぎゅうである。一九〇センチの佐藤は手もでかかった。携帯電話を手にすると、なにか小さなものが手の中にある気がし、というか、握るともう見えない。なんというかスケール感がおかしくなって、めまいのようなものを感じる。

■戯曲は書き終えたが、「資本論を読む」と「チェーホフを読む」の連載がある。公演が終わった翌日には、もう京都だ。しかし、公演が終了するまで、このノートは可能な限り書き続けよう。これもまた、『トーキョー/不在/ハムレット』というプロジェクトの一側面だ。これも表現。プレ公演から、本公演へ。その作業のすべてが『トーキョー/不在/ハムレット』という作品だ。

(5:28 may.3 2004)


二〇〇四年四月後半のノートはこちら → 二〇〇四年四月後半