|
|
|
*遊園地再生事業団『トーキョー/不在/ハムレット』公演(二〇〇五年一月)と、
それに先立つ「プレ公演」のお知らせはこちら。 → CLICK
*十月二十三日(土)、二十四日(日)、『be found dead』が京都で上映される。
CINEMA ENCOUNTER SPACE vol.14「自主映画の歪(いびつ)なる挑戦(仮)その1」という上映会の一環。
宮沢と丹生谷貴志さんとの対談もある。詳細はこちらのページへ。
Oct.15 fri. 「思いのほか好評で驚かされる」 |
■「準備公演」二日目。まだ席はあります。当日でもぜひとも観に来ていただきたい。どうやらこれは、見逃すと損であるらしい。
■驚くべきことに舞台はおそろしいほど好評だ。きょうは演劇批評家の内野儀さんがいらして、「感服しました」とまで言われて恐縮。京都舞台芸術センターが出している『舞台芸術』に「時評」で取り上げてくれるという。文劇春秋のYさん、「文學界」のOさんが来てくれたが好評。からだを使ったあれこれに美しさを見いだしてくれた。内野さんは「これで終わっていいんじゃないか」とまで言っていたが、でも本公演は異なる演出と、テキストの書き直しでまたべつの舞台にしたいのだ。開演まえ、文藝春秋の Yさんとは今後の小説の話などする。短編を書いてみたいと思った。連作の短編。それが一冊の本になればいいと思うが、『秋人の不在』も最初は短いつもりだったが、思いのほか長くなった。短いものは、短いから楽ってことはけっしてないにちがいなく、その技法がきっとあるのだろう。書いてみないとわからない。『群像』に書いた『レパード』は短編だった。ああいったものを、もっと書こう。夢のような話だ。
■さて舞台。初日より少し出来が悪い。いくつかの部分でうまく流れていないと思った。それにしても、やりたいこと試したいことはまだいろいろあって、ことによると三時間の舞台になるかもしれないが、そのときはそのときだ。テキストも書き直そう。もちろん最初のテキストが基本にあるとはいえ、少し変える。かなり変える。
■麻布ディプラッツの周辺には気軽に入れる飲み屋がないので俳優たちは苦労している。酒でゆっくり芝居の疲れをとってほしい。むろんそれが翌日の舞台に悪い影響を与えると困るが、でも、劇場や稽古場を出たあとの俳優に僕は干渉しない。流行の言葉で書けば「自己責任」。舞台で結果を出してくれればいい。考えてみるに、かなり困難なパーフォーマンスを要求していると思うがそれを自分たちで考え、自主稽古をし、クオリティをあげてゆく俳優たちに感謝する。からだが少々具合が悪くても弱音を口にしてはいられない。俳優との闘いである。観客もある程度、劇場に足を運んでくれる。とても感謝する。
■家に戻り、少しテレビを観たあと眠ると、睡眠導入剤を飲まずにベッドに入ったら眠っているのかよくわからないことになった。で、こんな時間(午前四時過ぎ)に眼が覚めてしまった。もう断ち切ろうと思っているが睡眠導入剤を飲むことにした。少しずつ量を減らしてゆけばきっと体調は快復すると思われる。体調のことを書くのはもういやだよ。気合いを入れ直して最後までやり抜くことにする。それは来年の一月だ。「準備公演」はあと二日。四ステージ。最後まで集中力を切らさずいい舞台にしたい。
(4:46 oct.16 2004)
■プレ公演第四弾「準備公演」の初日だ。
■意外と評判がよかったので驚く。だってこれ、「わけがわからん」ぞ。といっても話をしたのは、「リーディング」や「実験公演」を観た人たちで、ドラマがどうなっているかをあらかじめ知っている。だから、まったく初めて見た人の話も聞きたかった。まあ、言ってみれば「テクスト解体」といったものになるのだろうが、そうした場合、テクストは「ハムレット」のようによく知られた物語であるのなら、それはそれで「解体」の意味もあろうというものだが、初見の場合、これをどう受け止めるかは微妙だと思った。だから、はじめに詩人が登場し、「では、あらすじを読みます」と語り出して物語の概要を説明する。とはいっても、わからないものはわからない。
■さて、私は体調が最悪だった。からだが重い。咳が出る。タバコをやめればいいのにやめられない。一日中、ぼーっとしていたが、それでも、ゲネをやりつつテクニカルなことなどリハーサルをしたのは、時間がなかったからだ。朝から仕込みをはじめたがやっぱり間に合わず、テクニカルリハーサル、場あたり、ゲネという進行はまず無理だった。そこでとにかくゲネ(舞台を使った通し稽古)をすることにし、そのあとでテクニカルな部分の直しをした。俳優に対する細かいダメはほとんどない。そこまで頭が回らなかった。体調が悪いと思っていたのはことによると、初日の緊張もあったのかもしれず、熱っぽい気がしていたのは単にからだが硬直していたのではないか。マイケル・ムーアの『アホでマヌケなアメリカ白人』を出している柏書房のHさん、そして、『アホでマヌケなマイケル・ムーア』を出している白夜書房のE君、そして、マイケル・ムーア関連の本は出してないと思われる白水社のW君、さらに、「en-taxi」のTさんら編集者陣が観に来てくれた。W君は『トーキョー/不在/ハムレット』の本公演で販売するパンフレットの編集をしてくれる。パンフレットでは青山真治さんと対談をすることになった。快く引き受けてくれてとてもうれしい。そういえば、W君は舞台を観て、「これはハードディスクですね」と感想を話してくれたのだが、コンピュータのハードディスクは、データがディスクにばらばらに記録されており、それを行ったり来たりしながら読み出す仕組みになっているが、今回の「準備公演」はたしかに、テキストをばらばらに刻み、そうして記録されたデータをあっちこっち読み出すような作りになっている。「ハードディスク」というたとえはその通りだと思った。あ、あと、「ジャック・デリダに捧げる」と出したらどうかという意見。なるほど。たしかに、「脱構築」だ。
■『雌鶏の中のナイフ』の翻訳以来、ずっとこのプレ公演を観に来てくれている翻訳家の谷岡さん、本公演の音楽を担当してくれる桜井君、音響が不安だと永井から連絡をしたら本公演の音響をしてくれる半田君が来てくれた。半田君がいるとなんだか頼もしい。
■終わってからほんの少しのダメ出し。いくつかの確認をするだけで終える。みんなは飲みに行ったのだろうが、僕はからだが調子悪いこともあって先に戻る。家に帰って原稿を書く。つまり、気の休まるときがないということだが、弱音を吐いている場合ではない。また次のことを考えねばならぬのだ。やるべき仕事はまだほかにもある。ただ、あれだな、九月の「実験公演」が終わったあと、もう「準備公演」でやることがないと思っていたが、こういった方法の舞台を作ることができ、ひとつのテキストをもとにまだできることはあるにちがいない。本公演はまた異なる姿をしていることだろう。あと、俳優たちにほんとに助けられている。感謝してやまない。むろん、演出助手らスタッフに負うところも大きい。
■まだ初日があけただけの話。終わっちゃいないのだ。
(10:29 oct.15 2004)
Oct.13 wed. 「準備公演、最後の稽古。だがまだ先は長い」 |
■初日前日。ふつうの公演だったら一日前、あるいは二日前には劇場に入っているものだが、プレ公演は諸般の事情で当日に小屋入り、仕込み、場あたり、ゲネという通常考えられないスケジュールで動く。で、最後の稽古。通し。杉並区の住宅街にある方南会館という場所だったがとても広いスペースだったので稽古もしやすかった。あまり細かい芝居のダメは出さなかった。それが今回の演出の基本的な方針というか、細かいことをちまちま演出してゆくことがいいのかどうか、考え方を変えているのだ。よほどだめだと思う部分だけは口を出すが、もっと大きく、基本的な考え方とか、その場から沸き立つようなものについて話すことにした。
■そして、そうすることで俳優が自主的に考え、それぞれの場面を深めてくれる。僕はただ、こっちの方向へと、ただ概要だけを話す。そのことによって俳優のからだから出てくるものを大切にしたいと思った。そうしてできた舞台は「ドラマ」というより、わけのわからないものになっているのだが、その混沌としたものが演劇だからこそ出現する「からだの舞台」になっていればいいと思っている。それを劇場に観に来てほしい。ぜひ観てほしい。ほんと、わけがわからんよ。14日から17日まで麻布ディプラッツにて。
■あしたの小屋入りが朝なのでいつもより稽古の終わりを早くした。で、嬉しい報せ。映画『be found dead』はアップリンクよりDVDの発売が決まった。各地での上映もこの秋に開かれるし、映画を作ってほんとよかった。苦労したかいがあった。暑かったな、あの北川辺の夏は。それもいまでは楽しかった記憶だ。
■深夜、携帯電話に着信。もっと早く気がついて出ればよかった。誰からかわからない電話。話がしたかった。最近は稽古場ばかりにいて、人と話をすることがあまりない。誰かからもっとべつの喚起されるものを与えられたいと思うのだ。体調はまだ完全ではないが「準備公演」が終わるまでは気力でやる。もう初日だ。天気がよければいいと思う。
(10:04 oct.14 2004)
■気がついたらもう目前だった。午前中、照明の斉藤さん、加藤さんと打ち合わせ。下北沢のZACという喫茶店。打ち合わせを終えて、クルマで駐車場を出ると下北沢の狭い道を塞いでいるクルマがあって、邪魔だなあと思っていたら、そのトラックを運転していたのが『トーキョー・ボディ』の演出助手をしていた太野垣だったのでひどく驚く。まじめに働いている様子だった。下北沢では誰かに会う。
■そして二子玉川へ。また世田谷区の西の果て、多摩川べりの稽古場だ。それでいつも通りの稽古は進み、午後は、いくつかの場面の確認と、再考の作業。そして夜になって通し稽古。きのうまで釈然としなかったが、きょうになって、ある意味においてようやく面白いと思えるようになってきた。もちろん、それが完璧というわけではないにしても、今回の「準備公演」でやろうと思っていたことが少し出来た感触がつかめたのだが、ひとことでいうと、「わけがわからない」ということだ。べつに難解といったようなものではなく、身体表現の混沌が、ある気持ちよさを伴ってかろうじて現れてきたということだ。
■ほんとはまだ、きっとあるはずなのだな。そしてそれは、工業製品のように型通りに作られるある意味での「きれいさ」ではなく、どこかごつごつしているにちがいなく、ごつごつしたものから、生み出される美しさのようなものが表出できればいいと考えるものの、それはまだ、どこにあるのかすらわからず、あそこにあるんじゃないかと行ってみると、やっぱりちがうというような、見つからないかもしれない、解答のないもののように思える。結局、それを探そうとしている行為そのもの、その探している運動状態そのものが、表現だ。とはいっても、そのひとつひとつはやはり作品である。
■からだは少し復調した。集中して稽古を見る。細かいことを演出するというより、やっている場面を、がっとつかむようにして、その印象を大事に考える。同じ箇所を何度も見せてもらい、それで漠然とした印象を伝え、もっとなにかあるのではないかと疑問をはさむ。見ることは疲れる。細かい指示を出し、自分で動いて、こうしてやってみたらとアドヴァイスしたほうがどれだけ気持ちいいかしれないが、そうではない、いつもとはまた異なる演出の仕方をしたいのだ。
■それにしても、毎日毎日、芝居のことばかり書いて申し訳ない次第だが、しょうがないだろ、舞台やってるのだし、初日は目前だ。美味しいラーメン屋の話も書きたいのだ。なにか食べようと空腹を感じるとついトンカツしか思いつかないことを書きたいけれど、いまは舞台のことしか考えていない。家に戻ってテレビをつけるとスポーツニュースだ。世界はまるでスポーツしかないかのようにスポーツばかりが報じられている気すらするものの、スポーツはやっぱり面白い。中日の落合監督はすごいよ。俺流はすごい。わたしは落合監督と誕生日が同じである。だからほんとに、なんだという話なのだが。当日パンフに掲載するコメントを書いていたらこんな時間になってしまった。あしたがまた不安だ。こうしたときに、心の安寧を生み出してくれるものはどんな力なのだろうか。穏やかな精神状態に導くのはけっして「癒し系」という簡単な言葉で要約できるものではないにちがいなく、深い部分で意識に働きかけてくれるもの、その力を自身のなかに生み出せたらと思えるのだ。
(5:09 oct.13 2004)
■「妙なメール」についてきのう書いたところ、たくさんの人から反応があってうれしかった。アドバイスのメールをありがとう。同様のメールが来たという話だった。驚いたのは、まったく同じ文面のものであり、同じ日だったということで、なにかがこの連休のあいだに起こったというか、送信者(おそらくなにかの業者)はこの連休、なにかせずにいられなかったらしい。それは次のような文面のメールである。多くの人に届いていると思われる。
彼女さんへのメールなのかな??
間違ってメールが届いてるみたいですよ…
私の携帯宛てに届いてたんですけど、パソコン
からお返事させていただきました。でわでわ〜
なにが「ではでは〜」だばかやろう。まあ、以前からこういったメールはしばしばあった。いきなり「ごめん、一ヶ月メールできなかった」といった女性名のメールもあり、誰だおまえはと思っていたが、連中があの手この手を繰り出してくるのが面白い。
■さて、そんな日、わたしたちはやはり稽古をしていた。
■久しぶりにわりと近くの稽古場だったのは、小田急線の世田谷代田駅からほど近く、あるいは下北沢から歩いて20分ほどの場所にある「代田南」という公共施設だった。むかしから何度ここを稽古に使ったかわからない。そして私はまたしても遅刻だ。朝(といっても午前11時ぐらい)、起きると咳が出て体調がきわめて悪く、体温が下がっているのか目覚めるのに時間がかかる。動けない。左手がしびれる。かつて私は「目覚め王」の異名を持つほど寝起きがよく、眼が覚めてすぐにカツ丼が食えた。だからこの、目覚めの悪さにもどかしさを感じ、いよいよ気分が落ち込む。俳優たちに迷惑をかける。
■で、僕が遅れているあいだに、俳優たちは自主的に稽古してくれる。いくつかの場面がよくなってきた。午後は、抜きで稽古。夜、また通し。二時間二〇分。「リーディング」、「実験公演」、そして今回の「準備公演」と、すべて同じ時間なのはいったいどうしたことだ。まあ、同じ戯曲ということがあってもだ、しかし特に今回の「準備公演」はその戯曲をかなり無視した作りになっているにもかかわらず同じ時間だ。こうなるとおそらく来年一月の本公演も同じ時間だろうと思われる。ところで、「準備公演」が上演される「麻布ディプラッツ」は近くに東京タワーがあり、午後五時になると「夕焼けこやけ」のチャイムが大音量で鳴るそうだ。16日の昼の回の開演が三時で、すると公演の途中にその「夕焼けこやけ」が鳴ってしまう。だからその日だけは、途中で止める。意味なく「夕焼けこやけ」を聞かなくてはならない。やむをえないとはいえ、なにも「夕焼けこやけ」ってことはないじゃないか。
■稽古は佳境。私の体力は日々衰える。というか、夏の疲れがまだ残っているように感じる。大学の疲れ。だが、初日まであとわずか。ひとまず「準備公演」に向けとにかくやる。この公演がどんなふうに受け止められるかわからないが、来年の本公演への途上であり、布石である。様々なことを試みることはべつに目的地に達するための生産主義的な行為ではなく、むしろ、いま、ここにおいてのよろこびだ。いま、ここ。ただそれだけ。
(10:19 oct.12 2004)
■もう「準備公演」の初日まで時間がない。きょうもまた夜は通し稽古をすることができ、だいぶクオリティも上がってきたがこれはひとえに俳優たちのおかげである。あまり細かい指定はしないという方針の演出。ラストシーンは誰の発案でこういう場面ができたか詳しいことはわからないのだが、どこか、アンダーグラウンドな表現で、いかにも麻布ディプラッツの感じが出ている。僕が最初に考えていたラストは、無言劇だった。すっとなにもなく終わるつもりだったが180度異なる。舞台が終わったあと舞台上が破った紙で散らかっているのがどうもいやだ。その処理を考えている。山根がマッチをすりながらゆっくり舞台奥を歩いているのはきれいだが、岸がよだれを垂らしながら熱演するのがどうもうっとおしい。よだれがいやだ。なんで垂れるのかよくわからない。同じ熱演でも上村はどこか洗練されている。これはもう、俳優の資質だな。岸にもいいところがあるはずだが、それがうまく表出できない技術の力もあるのだろう。つまり、よだれが垂れるか垂れないかだ。
■とはいうものの、少しずつできてきた。これまでとまた異なる舞台をぜひ見に来てもらいたい。10月14日(木)〜17日(日)。麻布ディプラッツにて。多数の方が劇場に来てくれることを期待している。来年1月の本公演前の、「実験公演」(九月公演)以上に、ことによると「実験」かもしれない公演。こういうものはここでしか見られない。本公演ではぜったいに岸によだれを垂らさせないようにしたいと思っている。よだれを見に来るのも一興ではなかろうか。
■妙なメールがあった。自分の携帯電話にメールがきたけれど、アドレスを間違っていないかという内容だった。出した記憶がないし、忠告してくれた方が、携帯のアドレスではなくPCのフリーメールのアドレスだったのがなんだか釈然としない。ただ、ウイルスが誰かのコンピュータに侵入し、アドレスブックから僕のアドレスを使って、またべつの誰かに勝手にメールを送っている可能性も否定できない。というか、携帯にメールを送ることもめったになく、間違いのメールを送りようがない。奇妙だ。ま、そんなことより稽古。舞台はもうすぐそこに初日が迫っている。デリダが死んだニュースを聞きながら。
(4:20 oct.11 2004)
Oct.9 sat. 「準備公演までもうすぐそこである」 |
■朝、目を覚ますと、また咳がひどい。このノドの痛みは、九月の「実験公演」からずっと続いている。咳をすると体力が消耗してゆく。からだがだるい。しばらく動き出せない。稽古に遅刻。当然、タバコをやめるべきだが、それができず、タバコがないとただいらつくばかりだ。昼間は、まだ未整理の箇所をいくつか抜きで稽古し、夜、通し稽古をする。思ったより上演時間が短かったとはいえ、二時間は優に超えている。「形よく」と思えばできないことはないが、そうではなくごつごつしたものを作りたい。
■関東地方はどこもひどい雨だった。夕方、通しの直前、必要があって乾電池を買いに永井とコンビニまでクルマで行ったが外に出たとたん、傘がだめになった。台風に傘は無意味だ。なにしろ横殴りの雨。稽古場は例によって世田谷区の西の果て。多摩川のすぐそばだったので決壊したらどうなるのか想像していた。稽古しているうち、建物ごと流されていたら面白い。それで稽古を終えて外に出ると、台風はすでに去り、夜の空がきれいだった。おそらくコンビニに買い物に行った時間がいちばん雨も風も強かったのだと思う。なんてときに外に出てしまったのだ。
■稽古をするうち、俳優それぞれが、少しずつ変化しているのを感じる。リーディングのときから比べたら芝居の変化があるのは当然にしても、わかりやすく見える変化ではなく、様々な小さな変化があると思え、それが今回の「準備公演」において特に顕著だと感じるのは、自分のからだから発するものを、様々な角度から見直し、また異なる「演じるという表現の行為」で試しているからだろう。そこから各自にとっての発見があればいい。まだ、ほんとはなにかあると思えてならないが、演劇の歴史は二千六百年。誰かが、なにかをこれまでも試してきたにちがいなく、いまやっていることが「また異なる演技と呼ばれる身体表現」になるかはわからない。演劇はその姿を記録として残せない歴史があり、たとえば、たった、百年前にもならないメイエルホリドの舞台についてすら、それがどんなものであったかわずかな資料でしか知ることができないのだ。先日書いた、「芸能」と「演劇」についての話について、ある意見をもらったが、ちゃんと演劇の歴史を調べてから発言したほうがいいと思う。わずかな知識と直感だけで書くと、小谷野敦さんに、「ばかが意見を言うようになった」と言われてしまう。
■文芸誌、『新潮』『文學界』『群像』『早稲田文学』の四誌がどかっと届く月初めだ。それをぱらぱらっと読んだことも書きたいが、ほんとにぱらぱらとしか読んでいないのでまた今度。いまはとにかく、いい舞台を作るだけだ。
(3:16 oct.10 2004)
■東京は雨だった。昼間、用事があって早稲田のほうへ行く。用事を済ませてからクルマに機材を積むためいったん家に戻るが積むものがいくつかあって重い。しかも稽古場は遠いし道は渋滞している。道は入り組み、稽古場にたどり着くまでにへとへとになっていた。思いのほか稽古場に着くのが遅くなって、稽古の進行も難渋しているが、それぞれ俳優たちが自主的に稽古していてくれたので、ある程度、よくなっている。考える時間があまりなく(というか僕の集中力がなく)、「準備公演」全体の考えがどうもまとまらない。時間が足りない。クオリティが低い。時間がなくて、あせる。稽古を見ていると少しいらつくときもあって、たとえば、芝居中に人の芝居を見て笑っている役者を見ると、ほんとは蹴ろうと思うが、蹴るエネルギーがない。体力の問題だし、まったくまとまらない場面にその俳優の集中力を感じないので、それもまたいらつくし、流してやったときに時間を計っていない演出助手にもいらつくが、ただいらつくだけで、怒る気力と体力がない。よくわからないがいまほんとにからだの調子が悪くてそれはそのまま、作品に反映するのだと思う。いやな気分で稽古場をあとにする。しかも雨はずっと降り続いている。
■関係ないが、きのうのこのノートで「国道246号線」のことを、「国道245」と書いてしまった。あれはまちがいではないかと報告を受けたが、あります青山さん。「国道245号線」。茨城県の日立のあたりを走っている。だからなんだという話だが。
(3:12 oct.9 2004)
■太田さんに会ったとき、太田さんは、「演劇をやっているというのが恥ずかしい状況になっている。演劇とくくられるのが恥ずかしいと思うときがある」という意味のことを話していた。いま流通している「演劇」を概観したとき、そう感じるのは太田さんならではのもので、「いま流通している演劇」とはその大半が「有名人」を舞台に出すことで成立している演劇や、ある有名な劇作家に代表されるよくできた喜劇などのリアリズム的な演劇をさしていると思われるが、そのことできょう思いついたことの参照先は、柄谷行人さんが最近発言した「文学は終わっている」という言葉で、二人の言葉はどこか響きあっていると考えたのだ。「文学は終わっている」かどうかはよく知らない。かつても何度となく「文学は死んだ」と言われて久しいからだ。
■おそらく、太田さんが考えている「演劇」と、いま一般的に流通している「演劇」はまったく種類の異なるものだ。しいていうなら、いま流通しているのは、「芸能」という分野、数多くある芸能の分野のうちの「舞台でなにかしているもの」のことであり、「芸能」はどん欲にあらゆるメディアに浸透するが、太田さんが考える「演劇」とはまったく種類を異にする。あれは「芸能」の一部であって「演劇」ではないとするなら、太田さんが「演劇とくくられるのが恥ずかしい」と感じ、そしてこの国の「演劇と呼ばれる状況」が粗雑に概観されたとき出現する大ざっぱなくくりとしての「演劇」が跋扈したとき、「演劇の終焉」はまさに当を得ているのだと思われた。少なくともこの国では。
■これは発見だ。演劇はすでに終わっているのだ。
■演劇の変容はいまにはじまったことではないにしても、太田さんが考える「演劇」は終焉している。ジャニーズのタレントが舞台をやるのは、「芸能」の一部であって、太田さんが六〇年代から試行し続けてきた「演劇」はすでに消えかかっている。だが、「演劇」とか「舞台」という言葉でどちらも語られるからややこしいことが生まれている。「芸能」の世界に存在する「演劇」はそれとして、「芸能の表現」として高いクオリティで成立しているのだと思う。だからこのさい、太田さんが考える「演劇」は終わっているとはっきりさせたほうがいいものの、それは過去の「演劇」の成果を否定することではなく、またべつの言葉でそれを表現すべきであることを意味する。ひとつの例としては、たとえば、「舞台芸術」がある。幅を「舞台芸術」まで広げるとダンスも含まれるし、まだほかにもパフォーマンスも含まれると想像するが、これまで「演劇」だとくくられ、だがなおかつ「芸能ではない表現」は、「舞台芸術(=パフォーマンスアート)」とカテゴライズしたほうがわかりやすくなる。こうすると、安易な相対主義からも逃れられる。相対主義が跳梁し、すべての舞台が等価で語られることの意義ももちろんあったが、その意義とはつまり、「旧態依然とした言葉としての演劇が終わっている」ことを明確にすることだった。それに自覚的になるかどうかが、これからの舞台芸術の決め手になるのだろうと、きのうからずっと考えていたのだ。「演劇は終わっている」という覚悟からはじめられるかどうか。
■そうしてわたしたちは、『トーキョー/不在/ハムレット』プレ公演第四弾、「準備公演」(10月14日(木)〜17日(日)麻布ディプラッツ)の稽古をしていた。時間はもう少ないが、やれることはやった。まだ足りない部分はあるし、これが最初に構想していた「準備公演」の完成とはとうてい思えぬが、少なからず、また異なる俳優の「からだ」へのアプローチにはなっているのではないか。「実験公演」はやけにうまくできてしまった印象がある。「準備公演」はちがう。誰もが不安を抱えて稽古している。これでいいのか。わからない。そうして出現するのはごつごつした表現だ。その「ごつごつしたもの」を作ることができれば一定の成果だ。
■稽古場は世田谷区の西の果てだ。二子多摩川の駅からバスに乗るような場所にあってすぐそばを多摩川が流れている。地理感覚が少し曖昧だが、たとえば、甲州街道で多摩川のことを考えたら調布の先ってことになり、それはけっこう遠い。きょう午前中に眼が覚めたらからだの調子がひどく悪い。申し訳ないが遅刻。雑誌「ユリイカ」のYさんと電話で相談。また今月も休載。「資本論を読む」も今月は休載。だめである。稽古を終えたのは夜10時近くだった。帰り、いまや機材車となってしまったわたしのクルマでひとり、国道245号線を渋谷方向に走る。帰りは道がすいて快適だった。ただ、一人で帰るのは寂しいので誰かを乗せたいが、油断していると、ドンキホーテの歌を歌うから始末に悪い。山手通りから初台へ。少し冷えてきた。
(3:40 oct.8 2004)
■週末は、原稿を書き、そして京都に日帰りで行ってきた。「演劇計画2004」というプロジェクトがあり、室町蛸薬師下るにある京都アートセンターで『アルマ即興』(E・イヨネスコ作、水沼健演出)という舞台を見たあと、「冒険する劇言語」というシンポジウムに出席した。
で、その直前、うちの大学内にある「舞台芸術センター」が出しているニュースレターの記事のため、太田省吾さんと対談をし演劇三昧の一日だ。太田さんとゆっくり話をすることができてよかった。来年一月に、京都造形芸術大学内にある「春秋座」で、『トーキョー/不在/ハムレット』の京都公演があるが、それを中心にした対談だった。太田さんが気を遣ってくださったのか、詳細な質問が用意されていたので話しが集中してできた。で、逆に、以前から考えていた、六〇年代の演劇や、あるいは「新劇」と呼ばれるものについて質問すると、「それは、ニュースレターの場ではなく、もっとべつの場所でゆっくり話すレベルの話だな」と太田さん。少しでも話ができたことがうれしかった。
■『アルマ即興』の舞台から示唆されることはもちろんあったものの、ただベイシティーローラーズの音楽が流れるのが釈然としなかった。なぜこの曲? 一つの演出の理念で押し通そうとする一貫性を感じ、「棒読み」に近いせりふを意図的に発話する登場人物たちがぶれないのは、整合性といった側面で評価されるべきだと思いつつ、表現が技巧的にも感じ、ではその技巧を「是」とするか、「否」とみなすかで、やはりここでもまた「演劇観」はわかれると思う。とはいえ、俳優の身体にその演技の方法に対する「確信」と同時に、「客観化する視線」を感じるからこそ、こういう言葉を使っていいかわからないが、「気持ち悪さ」がない。
■イヨネスコの戯曲を読むたび、「技巧の人」という印象を持つ。基本は不条理劇だがとても鮮やかに結構の整合があることで、「技巧」からこぼれおちる「不合理」をむしろ感じられないとするなら、ややもすればそれは、ウェルメイドな喜劇になる。寺山修司がアラバールについて、「戯曲を読めばそれでいい。面白い。上演する必要がない」という意味のことを書いていたように、こぼれ落ちる不合理こそが、演劇的なものだろう。けれど、どんな言葉も俳優のからだを通過した時点でなにものか、言葉以上か、言葉以下のなにかに変化することもまた、演劇的だ。だから僕は舞台をやっていると思うし、言葉を変化させる存在としての俳優に「信」をおく。
■日帰りの京都は少し疲れたが、ことによるとビジネスマンはこんなことあたりまえなのかと思うのは、いつも「のぞみ」はビジネスマンでいっぱいだからだ。あ、そうだ、『アルマ即興』を観たとき傘を受付の人に預かってもらい、その引き替えのための札をもらったが、東京に戻って気がついたら、手に傘がなく、引き替えの札がポケットにあった。家に戻ったのは夜十一時過ぎだったがそれから原稿を書く。どうにか間に合った。と、ここまでが10月3日(日)の話。
■4日、5日はさらに稽古だった。5日になってようやく構成表(仮)を全員に渡した。ためしに冒頭から流したが、これ全部やると三時間ぐらいになるのではないか。長いよ。少し詰めよう。物語と関係なく、面白いと思う部分を残し、緊張を感じない部分はあっさり切ろう。半分ぐらいにしたいと思うが、それはきわめて困難な作業だ。東京は雨。気温がひどく低い。稽古場もひどく寒かった。そういえば、京都に行ったとき、太田さんに報告しなくちゃいけないことがひとつどうしてもあって、それをうまいタイミングで話すことができてほっとした。七月ぐらいからずっと悩んでいたのだ。つまり京都の大学を辞めるのは、創作に集中したいからという理由だったにもかかわらず、また来年の四月から、任期二年だということ、コマ数も少ないとある大学で教えることを引き受けてしまったからだ。こんどは実技・演習のほかに、講義もやる。家から近いのも理由のひとつだったし、キャンパスが平坦だというのも大きい。講義にはこっそり忍びこんでもわからないような気がする。知らないけれど。
■準備公演まで、もう時間がない。構成は僕がやる。まとめるのは大人の仕事だ。
(4:10 oct.6 2004)
二〇〇四年九月のノートはこちら →
|
|