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Published: Feb. 21, 2003
Updated: Apr. 27 2004
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 *遊園地再生事業団『トーキョー/不在/ハムレット』公演(二〇〇五年一月)と、
  それに先立つ「プレ公演」のお知らせはこちら。 → CLICK


Apr.26 mon  「気前のいい人」

■京都に行かなければいけない月曜日は朝から落ち着かないが、ぎりぎりまで戯曲を書いていた。
■さすがに疲れて夕方になって休憩。予定でいうと五分の三までできたが、あくまで予定であり、これはことによると、六分の三、すなわち二分の一なのかもしれない。読み直すこともないまま、ただ、だーっと書く。小説からせりふをかなりコピーしているが、それを戯曲用に直しつつ、それで気がつくのは、「対話」が多いことで、つまり小説には多人数が一気にしゃべっている場面が少ないことに気づかされ、技術的に未熟ではないかとつくづく思いもするのは、戯曲なら10人ぐらいまで舞台上に存在しているのを書くことができるからだ。10人それぞれが、いま、このせりふのとき、どうしているかイメージしながら書く自信がある。小説にそれが少ないのは技術の未熟さだ。こうした作業を通じていろいろわかってくるのが面白い。
■書いている途中、「新潮」のM君から電話があって、またべつの小説『28』について話を聞かせてもらった。勇気づけられた。また会おうという話になったものの、戯曲はあるし、『トーキョー/不在/ハムレット』小説版の直しもあるし、そして稽古があって、なかなか次のことができない。というか、大学だよな。大学で消耗する。今年の大学の授業をいかにして、自分にとって楽しいものにするかが目下の課題だ。

■関係ないけど、ふと思い出したのは、ある人から演劇に関する「ある賞」の選評が印刷された小パンフレットを見せてもらったときの言葉で、「弟子対決だったんですよ」という意味のことをその人は言ったのだった。そんなことをまったく知らなかった僕が、「弟子対決」を考えつつ思い出したのは、『文學界』に掲載された柄谷行人さんの長編評論にあった「贈与」による支配構造のことだ。
■単純化するとマルクスが『資本論』で強調したのは、経済のシステムを「商品の交換」のメカニズムによって解き明かすことだったが、しかし経済には「交換」だけではなく、「贈与」もまたシステムを動かす大きな要素として存在しており、その一側面を柄谷さんは「気前のよさ」という言葉で表現し、「気前のよさ」によって富める者が人々を支配してゆく構造があることを指摘する。つまり「気前よくふるまわれた者」は、「気前のいい人」に対してある意味での負い目を感じそこに支配構造が発生することになる。「支配」を構成する大きな要素として「暴力」があるのはもちろんだが、それだけではなく、「気前のよさ」によっても人が支配されるのなら、その「支配」のことを、またべつの言葉で「権威」と呼ぶこともできるというのが、評論の一節で柄谷さんが論じていたことだ。
■「弟子対決」において、もし「弟子」を推す選者がいたのなら、それはすでにこの「気前のよさ」による支配構造が作動していることを意味する。その演劇の「ある賞」については何も知らないので書くことはできないが、少なくとも、こうした構造における意味での「気前のいい人」にはなりたくないと思った。つまり「権威」からいかに遠ざかるか。

■夜、十九時五〇分東京発の「のぞみ」で京都へ。いつもなら京都駅から地下鉄で北大路まで行きそこからホテルまでタクシーに乗るが疲れていたので一気に京都駅でタクシーに乗った。タクシーは川端通りを走った。鴨川をずっと左に見ながらタクシーは進む。

(18:48 apr.27 2004)


Apr.25 sun  「戯曲を書く」

■戯曲を書いていた。人が少しずつ動くようになってきた。ようやく五分の二だ。このペースだと、二十九日の稽古にはまだ完成していないだろう。俳優に申し訳ない。「リーディング」用の戯曲はできるだけ短くしようとしているが、長くなるような気がしていま五分の二のつもりだが、ほんとは五分の一だったらどうするかだ。大河ドラマかよ。ジャン・ジュネの『屏風』は長かった。「テキスト・リーディング・ワークショップ」で取り上げたとき読み終えるのに七時間だ。初演の当時、その戯曲を渡された演出家はどう考えたのだろう。そもそも、それを圧倒的なエネルギーと強度な筆致で書いたジュネに驚かされるのだが。
■小説から、戯曲にするにあたって、すると不思議なことに「戯曲」というもの、あるいは「演劇」そのものについて考えることが多く、小説で表現したことをどのように舞台化するかにあたっては、そこに演劇的手法に自覚的になるのはおもしろい体験だ。これまで意識していなかった「演劇的な手法」があらわになる。それでもやはり、いつもよりずっと長ぜりふが多くなるのは物語を進行させようとするからだ。それを「説明」にならないよう、演劇的に処理する技術こそが演劇的な、「せりふ術」ではないか。ひとつの素材をもとに、二つの表現領域を往還するのはとても貴重な経験である。
■三坂のことをまた書くのはなんだが、メールによるときょう、三坂、そして、今回の舞台に出演する片倉、渕野、そして制作の永井が北川辺町に行ったという。熱心さに感謝した。なにもなかったという。ないんだよ。ほんとうになにもない。しかし、では「真実なにもない」かといえばそうではなく、人が住んでおり、そこに人の日常は確実にあって、しかしそうした「日常」はいつだって他人から見れば「なにもない」ものでしかない(いや、当人すらなにもないと感じてさえいる)。見る者の視線によってドラマになる。「隠れキリシタン」の発見はたまたまだった。たまたまそうであったが、しかしなにもなくても、日常はあり、人の生活はあり、それは語り方によってなんらかの表現にいやでもなったはずのものだ。劇的から遠く離れて。

■これまで僕は俳優を集めると、できるだけまんべんなく出演できるように戯曲を書く傾向にあったが、今回は原作の小説があるので、途中までまったく出てこないとか、途中、まったく出てこない者がいて、それはそれで仕方がない。ただ劇化にあたってこの人物を中心にすえようという仕掛けは必要になる。だから小説ではたいして登場しない人物がやけに出てくることになるのは、「仕掛け」のせいだ。そして、原作の小説があったところで、結局、戯曲作法はあまり変わらないもので、やっぱりいつも書いている僕の戯曲なのだと感じるし、そんないきなりなにか変わるかといったこともありえない。これまでいくつも戯曲を書いてきてしかしそれには様々なスタイルがあり、これとこれ、あれとあれを組み合わせてということはあるものの、結局、こんなものだなと、まったく異なるものなど出てくるはずはない。なにしろ、同じ人間だし。それほどのものじゃないです。
■そしてそこに、ほんの少しでいい、何か異なる試みが入ればいい。結局、そんなもの。月曜日になれば、また夜、京都。そういえば、このあいだ大学の経理課に入っていったら僕の顔を見るなり、経理課の人、全員がいやな顔をした。「来ちゃったよ」という表情で僕を見る。笑いそうになった。つまり経理の処理がいつも遅くて僕が迷惑かけていることが原因。ただ、あることで経理課の人に断固抗議。「まあ、僕も今年で最後ですから、あと少しだけがまんしてください」と最後はお願いする。
■「リーディング公演」の直前、今週は全部の授業を休講したいが、それもしたくはない。というのも教員のほうに熱意がないとそれはすぐに学生に反映するだろうと思うからで、僕の実習授業ようなものは、あとあとそれが惨憺たる影響をもたらすと思えるからだ。まあ、この四年間で休稿はたった一週間だけ。ほかのある教員は実習授業だが休講が多かったという話を聞いた。できねえんだよ俺は。ただ五月六日だけは休講。というのも、その日が「リーディング公演」の初日だからだ。連休はない。公演が終わればすぐに大学。しょうがない。

■小説、戯曲と、ここんとこ「出力」ばかりしているので、リーディング公演が終わったらひとまず休み。「入力」をしたいと思う。見損なった映画は数多い。劇場に足を運びたいが、ビデオでもDVDでもいいから映画を見よう。で、意外とダンスは見てるんだな。芝居はぜんぜん観てないよ。まあ、とにかく書く。

(9:45 apr.26 2004)


Apr.24 sat  「新宿西口十二社あたり」

■心身ともに少し恢復。戯曲を書いていた。とはいえ、まだ五分の一程度だ。二十九日のリーディングの稽古開始までに書き上げようと思うときょうは五分の二まで書かなくてはいけなかったが、書けなかった。というのも、「北関東のせりふ」を書こうとすると、人物が動かないからだ。そこで筆が止まる。京都に行くとあまり書けるとは思えないので(でもiBookは復活したので書けないことはない)、この土日が勝負だった。まず「第一稿」と考えて書く意識を軽くしようとは思うが、どうも人物たちが生き生き動き出さない。SupermanRedのS君や、栃木出身のKさんのアドヴァイスをもとに「虚構の北川辺町言語」を作ろうと思うが、それをうまく操れない。
■夕方、三坂からいくつかの資料を受け取るため西新宿の「もーやんカレー」に行く。そこで驚いたのは店の人と三坂が仲がいいことだった。さらにカレーを食べたあと、西新宿十二社あたりに残された廃墟のようなアパートや、更地になっている奇妙な風景を見に行ったが、以前から気になっていた廃墟のような木造住居の住民とも知り合いだといい、勝手に戸を開けて声をかけている。どうなっているんだ、この女は。三坂から受け取った資料のひとつは『日本民族資料集成第十八巻』(三一書房)で、この巻は「民間信仰」と副題にあり、「隠れキリシタン」のことも取り上げられている。ほかに図書館で借りられるいくつか資料になりそうな本のリストも見せてくれ、なかでもある一冊がすごく興味深かった。あと関係ないけど、カレーが辛かった。
■近くで映画の撮影をしていたが、その監督とも三坂は知り合いだった。それにしても、「新宿西口十二社」あたりはとても不可解な土地だ。おそらくバブル期に地上げしたがその後の経済的破綻で、ほったらかしになった空虚が漂っている。そしてその向こうに東京都庁を代表する高層建築があり、奇妙なバランスの風景だ。興味深い。しかし近々、さらに高層建築が計画されているというから、ここらあたりも一変してしまうだろう。見るならいまのうちである。ビデオに収めておきたいと思った。

■家に戻って戯曲を書く。五月六日(木)〜九日(日)まで神楽坂ディープラッツで公演する「リーディング」はあくまで「第一稿」だ。そのあと、さらに手を入れる。小説の直しが途中になってしまったが、「小説」を参照しつつ「戯曲」を書いていると、「小説」のほうの単純なミスが多いことに気がつく。
■あ、それで思い出したが、前述した
SupermanRedのS君がその日記SupermanYellowに書いている「ある小説」とは僕の書いた、『トーキョー/不在/ハムレット』小説版だと思うが、携帯電話で長い文章を書く人間がいるかどうかという問題についていえば、私のところに、vodafonから送ってくる人のメールはすごい。最大五千字まで送れるのだそうだが、すごい長文である。コンピュータからメールを書いてくれる人より長文だったりすることもしばしばだ。引用したいが、いまその時間がない。以前書いた「死にたい」の人なのだが、その赤裸々な日常生活の文章は、これつなげていったら、短編小説ぐらいになるのではないかという代物だ。本人の希望もあるので、少し余裕があったら引用したいと思う。
■あと、携帯電話でメールを入力する学生たちの早さといったらこれがまたすごい。驚くと言うよりあきれる。いや、あきれている場合ではない。戯曲だ。

(1:22 apr.25 2004)


Apr.23 fri  「復活」

■なんのことはない、システムを入れ替えたらiBookがまったく支障なく動き出した。これ、調子が悪いときなんどかやろうと思っていながら、入れ替えの時間や面倒のことを考えてはやめていたのだった。最初からこうすればよかったんだ。ハードディスクの問題ではなく、OS9のシステムがどこかいかれていたのだとわかった。それでハードディスクを初期化し、システムを入れ替えた。無駄な時間をコンピュータにずいぶんさいてしまった。Superman RedのS君からPower Bookを貸しましょうかとありがたいメールがあった。大丈夫だった。意外にハードってやつは丈夫なのだな。このあいだコーヒーこぼしたがべつにこれといって支障はなかったし。以前、自作のビデオを送ってもらったりいろいろ情報を教えてくれるH君からもアドヴァイスをいただく。H君も同様のトラブルに見舞われたことが何度かあったそうだ。たいてい、誰かが同じようなことで困っているのがコンピュータの世界で、むかしニフティのフォーラムなどを調べるとやっぱり誰かがよく似たトラブルを相談しているのを見つけそれで何度も救われた。情報の公開というか、共有ってやつがネットにおいてはもっとも意味がある。ヨミヒトシラズのT君が日記に書いていたけれど、「匿名性」ってやつには様々な側面があるだろうが、いまはただ「負」の面ばかりが際だち、というより「負」だからこそそうした発言が目立つのだし、それを意識した「匿名性」なのだろうと思う。
■今回の出演者や、「北関東のなまり」を教えてくれたKさんたちから小説の感想もメールで届く。「ハムレット」でいえばオフィーリアにあたる少女が死に至るまでの「宗教的な意味」についてやはり疑問点がいくつかあがって、「大きな力に支配されて生きている」といった死生観の表現が曖昧なのだと教えられた。小説の直しもしたいが、さしあたって「戯曲」である。時間がない。ということで、ほんとは土曜日、稽古の予定だったが、「戯曲」がないので中止することにした。
■せっぱつまってるんだ。どうしていつもそうなるのかよくわからないが「せっぱ」ってやつは、たいてい「つまる」ものなのだった。そういえば京都からの帰り「文學界」を読んでいたが、柄谷行人さんの評論を読み終えて、さらに吉村萬壱さんの『岬行』をなにげなく読んで、この奇妙な感じはなにか、ことによったらこの人は私小説風な文体でかなりでたらめなことを書いているのではないかと興味を持った。そういえば、最近読んだ文章でよかったのは、朝日に書いていた高橋源一郎さんの「イラク人質事件」についての論評だ。共感した。で、とにかく戯曲を書く。

(4:16 apr.24 2004)


Apr.22 thurs  「とてつもないストレス」

■なぜ、更新が滞っていたかというと、月曜日からずっと、iBookの調子が悪く、それというのもハードディスクがほぼ壊れていたからだ。少しほっておくと何事もなかったかのように動き出すが、熱をおびてくると途端にだめで、カタカタカタと音をたてて、動かなくなる。で、その月曜日、いよいよこれはだめだ、京都で仕事ができない、すると戯曲も書けなけりゃなにもできない、とまず考えたのが、外付けのハードディスクで、FireWireで繋げる2.5インチの外付けハードディスクを買ってきた。OSのインストール作業などしているうち、もう京都に行く新幹線に間に合わないだろうと、翌日の朝に出発を遅らせる。
■そして、地獄のような火曜日はやってきた。朝四時起きである。寝たのは午前一時過ぎだから睡眠時間は三時間あったかないか。東京発午前六時の「のぞみ」に乗る。午前八時十五分京都着。タクシーで一路、大学へ。無事、午前九時からの授業に遅刻せずに間に合った。昼まで一年生のための身体表現基礎の授業。昼休み。授業を手伝ってくれている卒業生のYを連れて食事。午後、二年生が中心の「舞台表現」の授業がある。『ハムレット』の冒頭の部分をやってみる。四人ずつにわけても八班あって、それをひとつずつ見ては簡単なダメを出し、途中、休憩をはさみつつもう一度それをやってみる。午後四時過ぎにその日の授業は無事に終えた。できるもんだな、こういうことも。死ぬほど疲れたけど。
■ホテルに戻って
iBookを起動させると無事に動く。なんとかメールを読むことができたが、そのとき私はあることに気がついていなかった。やがて時間がたち、ハードディスクが不調になってやっぱり動かなくなる。そこで、外付けのハードディスクから再起動させようと思ったが、よくよく見れば、その外付けのハードディスクが認識されていないじゃないか。きのう買って京都にきたらもう壊れていた。なんのために買ったんだこのぼけが。で、結局iBookは一日に30分ほど動くということがわかったものの、だからなんだって話だ。メールチェックをしているうちに一日の仕事は終わっていまうという、いかんともしがたいコンピュータになってしまった。というわけで、仕事もできなきゃ、日記の更新もできない日々が続く。途中、iBookを解体してハードディスクを交換しようとも考えたが、工具がないのがいかんともしがたく、東京に戻るまでなにもできずにぼんやりしていたのだった。そして授業は続く。日々とてつもないストレスをためて東京に戻ったのが木曜日の夜八時過ぎ。もう人に会いたくないよ。

■そんなとき、助けられたのは三坂からの報せで、早稲田の図書館に『関東平野の隠れキリシタン』があるという。僕がほしかった部分をコピーしてくれた。ほかにも「隠れキリシタン」関連の資料があるとのこと。助かった。しかし、戯曲が書けねえなあ。小説の直しもしなくてはいけない。京都でぼんやりしていた時間がほんとに惜しい。で、来週のためにどうしたらいいか検討中だ。また面倒なことが増えた。コンピュータは生産性を高めているのだろうか。ことによったら下げているのかもしれず、そこにこそ、コンピュータの可能性はある。
■そういえばきょうの授業が終わって帰ろうとしたとき、一緒に歩いていた松倉が、「先生、笑っているけど、疲れは隠せませんね」と言ったのだった。たしかに授業が終わるころにはもうふらふらになっていたかもしれず、終わって松倉は五月にやる自分の舞台などいろいろ話したそうだったが、僕がもうぜんぜんだめで、それでバス停でバスを待つあいだ肩をもんでもらった。そうそう、そのとき、べつのバスに乗ろうと待っている、『阿賀に生きる』の佐藤真さんがいらっしゃって、監督協会の忘年会で僕の舞台に出たことのある女優と話をしたが、誰だったか思い出せないと言っていた。おそらく、三坂だろう。そういうことだったら、たいていが三坂なのだった。なにしろ、五人はいるわけだし。

(1:49 apr.23 2004)


Apr.18 sun.  「また引きこもり仕事をする」

■いま、Mac PowerのT編集長はラスベガスにいるという。ラスベガスからメールで原稿の催促をされた。昨夜、船橋から首都高をかっ飛ばして家に戻るとまずはメールチェックしてそれを読み、すぐに原稿を書く。送信。ラスベガスで原稿を読んでいるのかと思うと奇妙な気分にさせられる。
■いまや、コンピュータは一時代前のもののような気がしており、なによりも最強のモバイルとしての携帯電話の力におそれをないしていたが、しかし現状の通信環境にあって、外国から通信しようと思えばコンピュータの威力は大きいし、このあいだS君から送られてきた14メガ(莫大!)もあった「音声ファイル」もさすがにコンピュータじゃなければ受け取ることは不可能だ。しかも光ファイバーという条件が加わる。小さな共同体における日常的な場所では携帯電話の力はあなどれず、むしろ、仕事でどうしても必要がなければコンピュータなんてなくてもいいと思う者の数のほうが多いのではないか。『トーキョー/不在/ハムレット』のサブテーマは「携帯電話」である。いや主要なテーマといってもいいくらいだ。「関係」がテクノロジーの進化によって劇的に変容した。時計を見るのだって、みな携帯電話を使っているような時代である。なにごとがおこっているのかと思う。
■映画監督の青山真治さんはある非公式の場で、「携帯電話を使っている者のからだ」に対して否定的だという意味のことを仰っていたが、それはとてもわかる。携帯電話で話す者の姿。あれはかなりまぬけな「からだの状態」である場合が多い。映像ではそうかもしれない。小説だと、それがまた異なって表現できるような気がし、『トーキョー/不在/ハムレット』小説版ではやたらみんな携帯で連絡を取り合っているのだった。使いすぎではないか。安易ではないか。少し反省もしているのだった。書き終えてからもっと『隠れキリシタン』について深く学ぶべきだったと(まあ、いちおうはかなり詳しくなりましたが)さらに反省。というのも、吉本隆明が言う「信」の問題について考えることがあったかと、まだ少しだけ時間があるので、検討中である。

■さらに、中心人物が人の生について、「自分ではどうしようもできない、なにか大きな力によって支配されているのではないか」という思想について、これはかなり宗教的というか、ニューエージ的といったものを参照しなくてはいけないとその資料をもっと読む必要を感じた。まだ僕が直感的に感じているのは薄い。単なる通俗になるおそれがある。「大きな力に支配されて生きているという死生観」についてもっと深く考える必要があり、資料を読む必要を感じた。でも時間はない。
■それにしてもなんだなあ、柄谷行人さんは講演録で、「近代文学は終わった」と語っている。それはたとえば、「ネーション・ステート」の確立のために「文学」が果たしてきた役割はすでに終わったという側面があるが、それが経済学的にも、立証されるところに説得力があって、「いま、小説なんて誰も読まないよ」といった浅薄な論調とはあきらかにちがう。そのとき小説を書いている私はなんでしょう。ただ、今回、書いていたら、小説でなければ表現できないことも多々あり、すると書くのが面白くてしょうがないのだが、だからこそ、では「近代文学終焉」のあとの「文学」を考えなくてはいけないのだと思い、それはアニメやコミック、映画という消費型メディアとは無縁に、いや、同衾しつつも、小説だからこそ面白いことをもっと考えたいと思った。演劇もしかり。
■いま机の周りには、『新潮』があり、『文學界』『早稲田文学』『群像』『ユリイカ』と、サブカルチャーなものがなにもないし、ふつう人はあまり手にしないのではないかという雑誌が送られて来て積み上がっている。そんな世界に取り囲まれている。これでいいんでしょうか。まあ、僕ももう歳だし。そうなってゆくのは当然なのだろうか。イラクの人質事件については様々な論調が出ているが、いくつの論調には、「蟹は自分の甲羅にあわせて穴を掘る」という言葉を差し上げたい。

■小説の直しをして過ぎてく一日。文學界のOさんに指摘されてまだまだ甘いところがあると実感。完璧にしよう。面白い小説にしよう。戯曲も少しずつ進行。小説はあくまで原作。戯曲は「演劇作品」のために書かれる。夜、また気晴らしに都内をクルマで走る。また北川辺町に行こうと思ったのは、ある資料のコピーをこのあいだ取り忘れてることに気がついたからだ。コピーを取るために北川辺へ。言葉の問題もある。添削してくれたKさんの言葉は、ちょっとなまりすぎていないか気になりつつ、でも、ほんとうに役に立った。感謝。そういえばS君が録音した、「古河の駅前で待ち合わせをしているヤンキーの会話」は面白い。誰かが待ち合わせに遅れているのをリーダーらしき男が怒っている。そして、「こいつなんか、6時から来てるんだから」と口にする。笑った。
■京都では戯曲を書こう。コンピュータで映画を見、またせりふの「引用」をしようかと考える。リーディングは間近(5月6日(木)〜9日(日):「神楽坂ディプラッツ」)場所の詳しい地図は「ディプラッツ」のサイトの上にあるフレーム内、「神楽坂ディプラッツ」のボタンをクリックすると出てきます。ぜひ足を運んでほしい。そして本公演との違いをたしかめてほしい。

(5:20 apr.19 2004)


Apr.17 sat.  「首都高をかっとばして気分を変える」

■稽古である。『トーキョー/不在/ハムレット』の何回目かになる稽古だが、まだオーディションなどで集まった俳優同士のあいだがしっくりいかないところもあって、本日の稽古のテーマーは「親睦」であった。というのもほぼ全員がそろったからだ。ただ親睦だけしたのではなく、いつも使っている池尻の公共施設に集結して小説を読む。原作になっている『トーキョー/不在/ハムレット』小説版だ。みんなに渡してあるのは「第一稿」なので、読むのを聞いていると気になることが多々ある。小説はほぼ第三稿まで進んでいる。基本は変わらないが、多少の描写など変更点は多いし、まだ曖昧なところがあるのだと「第一稿」をあらためて読んでわかった。おのおのどんなふうに感じたのだろうか。忌憚のないところを聞かせてもらって今後の課題にしたい。小説としてという話だが。
■戯曲にするにあたっては、いろいろアイデアもある。繰り返すようだがもう時間はないのだ。昨夜、ほんの少しだけ書いた。来週までに半分くらいは書けているとよいと思う。だが平日は京都なのだなあ。京都で書こう。そうは思うものの、いかんせん京都ではなにもできなかったりするからやっかいだ。
■さて、親睦。いつも使っている三軒茶屋の居酒屋で。またくだらないことばかり話していたが、それは当然にしても北川辺町のことがしばしば話題にのぼる。こうして話すのはストレスの解消になる。しかし、僕があんまり言うものだから、皆、「北川辺町」に興味をもってこんど行こうなどと計画しているが、それは僕が見たその町であり、なにかあるのかといったら、ほんとうになにもない。どこにでもある町だ。でもいっぺんでも行くのはいいことだと思った。ストレス解消といえばなによりクルマだった。親睦会が終わってから、笠木と田中を新宿まで送ろうとして失敗したのは、明治通りが異常に混んでいたいことで、まったく進めない。笠木の終電に間に合わない。仕方がないので、明治通りでUターン、外苑の首都高から入りもうこうなったらしょうがないと、船橋までクルマで行く。空いている首都高は快適である。気分転換になった。気持ちのいい走りだった。京都でためたストレスを解消し、晴れ晴れとした気分になったのだった。やっぱりクルマは気持ちがいい。

■それで思い出したが、演出助手のS君はまた北川辺町に行ったとのことだが、やはりクルマが不可欠だった。電車で行ったら大変なことになっていたと思う。新たに町の会話も録音してきてくれたが、今回はCDーROMに焼いてきてくれた。助かった。
■ニブロールの矢内原充志君は、原作を読んで、「トーキョーとタイトルにあるのに、北川辺の話ばかりではないか」と言っていたと三坂から教えられた。まったくその通りだが、カタカナの「トーキョー」は「都市的なるものの記号」である。それとの対比の中に北川辺町が、というか、「北関東」があるのだった。きょう、読み終わってもあまり感想が出なかったが、ほんとのところ、みんなはどんなふうに感じたのだろうか。「土地の言葉」だけではなく、「物語」をどう受け止めたかもっと話を聞きたかった。小説版は、「文學界」の六月に発売される「七月号」に発表される予定。ぜひとも読んでいただきたい。
■戯曲を少しずつ書こう。『トーキョー・ボディ』と同様、物語のあいまに様々な引用をちらし、さらに出典ともいうべき『ハムレット』をどうモザイク状に散りばめるか、戯曲を書くのも楽しみだ。五月の「リーディング」で読む戯曲は、やはり第一稿。そこからまた、さらに書き直して本番用の戯曲へと完成させてゆくつもりだ。仕事が忙しくて、あまり本を読めないし、まして映画も見ていなけりゃ、舞台も見ていない。なにか刺激を受けるものに出会いたい。煮詰まったらどこかに何かを見に行こう。それがきっかけになったことはしばしばある。映像作品のために既存の映画における「死体発見場面」をもっと調べたいと、これ、「映像班」への伝言である。そして私は、戯曲を書き、また小説を書こう。『28』も待っている。時間を見つけ、文芸誌「新潮」に掲載されていた文芸批評家と作家の対談、スガ秀実さんの評論、さらに「早稲田文学」の「近代文学の終わり」と題された柄谷行人さんの講演録などを読む。

■きのうまでぐったりしていたが、稽古と親睦会で人に会い、話をし、そして首都高を走ることで気晴らしになった。やけに元気になる。どうしたことかと思うのだ。

(5:35 apr.18 2004)


Apr.16 fri.  「なにもできない金曜日」

■一日ずっと眠っていた。腰を中心にからだのあちこちが痛い。そろそろ戯曲を書かなくてはいけないが、小説の直しが終わらないとそっちのほうも落ち着いて取り組めないのだった。期日は迫っている。
■私が熱しやすく、そして冷めやすいのはよく知られているが、直しのために何度も小説を読んでいたら、この物語に飽きてきた。もう北川辺町にすら飽きてきているのではないかと感じたのは、きのう京都からの帰り、新幹線のなかで小説をチェックしようとして読み直しているうち、もう北川辺はいいかなという気分に不意に襲われたからだが、考えてみたら、本公演は来年の一月ではないか。それまでこの物語とつきあっていかなければならないのだった。飽きてる場合じゃないよ。
■そんなとき、演出助手で本来はウェブデザイナーのS君からメールが届き、その添付ファイルが莫大なものだった。北川辺町周辺で録音してくれた「町の人の会話」のMP3ファイルだ。僕のほうも光ファイバーだと知っているから送ってくれたのだと思うが、ただごとならない大きさのファイルで、これ光じゃなかったら受け取る側は怒ったと思う。でも、力作。そして、やっぱり北関東の女子高生の語尾も、「べ」であることがわかった。S君も日記に書いていたが、いまの「若者言葉」も含まれており、これは「なまり」か、それとも「若者言葉の変形」か、微妙なところである。というか、北関東が微妙な位置にあるのだと言葉を聞いて思った。小説もそうだが、これから戯曲を書くにあたって、言葉の問題はいよいよ重要になる。S君に感謝した。

■よく知られているように、ずっと書き続けている小説『28』は、そのタイトルが示すように「鉄人28号」が大きな要素になっている。それを描いた横山光輝さんが亡くなられたのを知って残念な思いを持ったのは、小説の『28』をぜひとも読んでもらいたかったからだ。で、考えてみると、『トーキョー/不在/ハムレット』は「ハムレット」のいない『ハムレット』であり、『28』は、鉄人が出てこない『鉄人28号』である。つまり、「欠落の物語」だ。だから、結局どちらも、『ゴドーを待ちながら』なのではないかといったことを考えていた。
■京都から戻った翌日の金曜日は、ほとんどなにもできないのだとわかった。これはたいへんにまずい。

(5:26 apr.17 2004)


二〇〇四年四月前半のノートはこちら → 二〇〇四年四月前半