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*遊園地再生事業団『トーキョー/不在/ハムレット』公演(二〇〇五年一月)と、
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*『トーキョー/不在/ハムレット』プレ公演第二弾・映像作品上映会
『be found dead』は池袋シネマ・ロサにて2004年7月17日からレイトショー。
17日はアフタトーク「青山真治×宮沢章夫」あり。必見。
■週末に連載の原稿を書いてしまおうと思うのは、京都に行くとまったく原稿を書けなくなるからで、「原稿を」というより、授業以外のことはもう、ほとんどできないのだった。ただ疲れる。観光なんて思いもよらない。何年か前のようにのんびりカフェめぐりをする気分にすらならず、寺も見ず、ただ授業をし、ホテルに戻って眠る京都生活。先週は、外付けのハードディスクに東京で取り込んでいった映像のファイルを入れ、京都でFinal Cut Proの勉強をしようと思ったが、とうとう一度もその外付けのハードディスクを鞄から出さなかった。
■それにしても暑い一日だった。汗をかきながら、まず「考える人」の原稿を書く。それからさらに「資本論を読む」だ。「資本論を読む」は、そのタイトル通り、『資本論』を読まなければいけない。こうして連載が続くと、『資本論』が読み進められるのは驚きで、「労働」が人にもたらす奇妙さは無自覚のうちに「労働」に含まれる諸要素を身体化していることだ。人は「自分の生命を維持するためだけの労働」をすればいいはずだが、それが本来的な「労働」の目的でありながら、いつのまにか「労働」のなかから「生命の維持」以上のものを獲得するから不思議で、しかしそれは、「いいことばかりではない」のだし、さらに「労働」には、「資本」によって「生命の維持」以上の「労働」をさせられるというからくりがあり、「生命の維持以上の労働=剰余労働」によって常に労働者は資本家に搾取される。資本主義が続く限りこのメカニズムは終わらない。だとしたらこの制度のなかで生きてゆく限り、「剰余労働」以上に、「労働に含まれる諸要素の身体化」によっていかに豊かになるかを私は考えたい。どんなに賃金が高くたってそれには「剰余労働」が含まれ搾取されているにきまっているのだし、ことによると、賃金が高ければ高いほど搾取の度合いは高いのかもしれず(人はきまって奪われる。あらゆるものを)、だったら豊かになるためには、いかに、「労働に含まれる諸要素の身体化」を「良質」なものにするかのほうが生き方としては楽だ。楽しい。
■それにしても、マルクスの論述を読んでいるとときどき声を出して笑いたくなるが、それというのも、この人はほんとうに見事な批評家であり、文章家だからだ。『資本論』はサブタイトルに「経済学批判」とあるように、「資本論」という「論」を書こうとしたのではなく(そうしてまとめたのはエンゲルスである)、はじめにあったのは既存の経済学を批判するプランであり、批判の手つきが辛辣だし、容赦なく、ちょっとどうなのかと思うほどの書きっぷりに笑わされる。ほかの経済学者たちが全員ばかに思えてくる。むかしある雑誌に演劇評のようなものを書いていたが、「荒くれステージレポ」とかいうタイトルで、毎回、悪口ばかり書いていた。ずいぶん敵を作りました。批評家ならいざしらず、実作者が批判を書くのはかなり勇気がいるっていうか、やっていいことなのかどうかわからない。ただ、別役実さんがかつて書いた、安部公房の戯曲を批判する手つきは見事で、あの「批判」は、それだけで作品として成立していると読めた。マルクスの批判が、単なる皮肉や悪口に終わらないのは、その丹念な資料の掘り起こしと分析の態度にある。『資本論』から学ぶべきことはおそらくそのことだ。
■と、いま思いつきで書いた前半部分を、もう少しまとめ、しっかりした文章にして「商品」にすれば、ことによると今回の「資本論を読む」はこれでいけるかもしれない。だが、「商品」にするのはむつかしい。なにしろ必要なのは、「命がけの跳躍」だとマルクスも書いている。
(0:04 may.31 2004)
■午後、映像作品『be found dead』の打ち合わせ。平日は僕が京都なので、僕の都合にあわせてどうしても土曜日に会うことになる。映像チームの鈴木と浅野、制作の永井、そして演出助手たち。ロケハンを永井や笠木、演出助手のE君らがしてくれて、ビデオに収めてあったのでその確認などしたが、今回の舞台に出演する俳優や、演出助手をしているMさんの自宅など、いろいろ見る。そのなかに、すごくいい果樹園があった。その後、『亀虫』の富永君が来て打ち合わせをしたが、打ち合わせのなかでやはりいいロケ地を発見したという話になり、映像の世界はそうしたことからインスピレーションが発せられることがあるのだと教えられる。つまり、「空間の発見」ということか。最初にドラマなり、物語があるのではなく、「空間」があってから、「物語」が生まれるとでもいうような。
■演劇にあてはめれば、「からだの発見」になるのではないか。もちろん映画や映像作品にとって「空間の発見」がすべてではないように、演劇においても「からだの発見」がすべてではないにしても、しかし、いかにしていい俳優に出会えるかは舞台にとって大きな要素になる。特に僕の集団は、所属する俳優がいないので、ワークショップやオーディションでどれだけの俳優と会うかが重要だ。で、さらに演出家としての願望は、すでにどこかの舞台で注目されている俳優ではなく、誰よりも早く発見するよろこびがそこには含まれ、一回の公演で一人でもいいから、どうだこいつを見てくれという俳優が出現するときの気持ちよさはない。
■さて、富永君との打ち合わせだが、富永君は「プロット」と「構成表」というものを用意してくれた。その「構成表」がすごい。途中まで書いてあって突然、「書きかけ」とあって終わる。なんといっていいか、そんなに無理しなくてもいいのにと思ったのだった。いつもの自分のペースで作ってくれればいい。ほかのメンバーの場合、撮影の日程、ロケ場所選びなどあってシナリオが必要だったが、富永君は別班で動くのだから、プロットだけ見せてもらえらばそれでよかったし、富永君の感覚とか技術を信頼しているのである。ただほかの各作品とのかねあいもあって、プロットを読んで気になった細部をいくつか指摘し、そこは変更してもらうことにした。
■夜になって稽古。鈴木と浅野の書いたシナリオの読み合わせなどをする。二人のシナリオもかなりよくなってきた。で、浅野の書いたホンの主役は福島から東京に就職活動で出てきた女だが、その「なまり」がすごい。ちょっとなまりすぎていないかと笑った。読んでいるせりふを耳にしていると、いったいいつの時代の話かわからなくなってくる。ただ、たとえば東京の言葉でもいいが、それをナチュラルに発することは「演技する」という人の行為においては、高度に技術的なことであり、それと同様、福島のなまりもまた、それをごく自然に発する技術があるのかもしれず、すると、なんの違和感もなく、言葉が劇のなかに出現するのではないか。
■その後、ワンカット、固定カメラの『イマニテ』の稽古。台本はない。構成表のようなもの、つまり「段取り」が示された紙が一枚。それで何度かやってみて、こここうしようと直す作業を重ねる。それにしても、きのう買ったばかりのパナソニックのビデオカメラ「AG-DVX100」の絵がきれいだ。簡単にきれいな映像が得られることが怖い気もし、それというのも、僕みたいにいろいろな仕事をしてきたような人間には、それを小器用に使ってしまうおそれを感じるからだ。
■そして、『be found dead』のことを考えているころ、イラクから、二人の日本人フリージャーナリストが殺されたニュースが伝えられた。世界でいま起こっている出来事や政治について、出来事がそのままの姿で作られるものに投影されることはないにしても、それでもやはり、そうした現実の存在する世界で生きていることを意識しているべきなのだとしたら、語るべきことと、語り方はきっとあり、おそらく表現の質へとそれは反映する。自分自身にも、自分が作る舞台のことがわからない。なにかが反映し、からだのなかから不意に生まれ出るように、いま自分にできる表現がふっとわきあがるだろう。だからわからないのだ。自分でもぜんぜんわからない。「リーディング公演」があり、映像作品を発表する。そうした作業の先にあるものの姿はまったくわからない。ごちゃごちゃ混乱しつつ、遠回りし、迷い、ぐずぐずと考え、その先に向かうしかないのだった。
(16:55 may.30 2004)
May.28 fri. 「カメラを買う。鍼をうつ」 |
■午後、秋葉原に行ったのは、パナソニックのビデオカメラ「AG-DVX100」を買うためだ。この機種としては一世代前のものになるがこれで充分だと教えられた。秋葉原のツクモに在庫があると調べてもらいその店に行く。店の前に、制作の永井と、俳優で今回の『トーキョー/不在/ハムレット』にも出演している岸がいた。ビデオのことに岸がやけに詳しくて驚かされる。いろいろ説明してくれる。話を聞いているうちにその流ちょうな話しぶりに、「こいつ店の回し者じゃないのか」という気分になってくる。でも助けられたし、今後も映画製作をいろいろ手伝ってくれそうで頼もしい。自分でも映画を作っているそうで、その編集環境なども話してくれたが、こんなにコンピュータのことに詳しい人間だとは知らなかった。カメラ本体のほか、「これ、買っておいたほうがぜったいいいですよ」と岸が言うので、だまされたように、ガンマイク、予備のバッテリーなどを買う。やっぱりこいつは店の回し者ではなかったのか。
■夕方から鍼治療で都立家政に行く。忙しくてなかなかからだのメンテナンスができなかったが、鍼をうってもらいとろんとした気分になって少しからだがゆるむ。からだは、ゆるませないとだめだな。このところどうも緊張させっぱなしだった気がする。またこれでもかと鍼をうたれる。N先生から、喉にいいという「ワンダーエース」という薬をもらう。ものすごい味だ。成分はカッコンエキスをはじめ、すべて漢方薬のエキスで、なにかを煮詰めて作ったんじゃないかという濃厚な味。しばらく口の中に漢方薬に独特なにおいが残る。
■久しぶりに時間のある金曜日は、ゆっくりからだを休ませたいが、そうも言っていられないのは原稿の締め切りがあるからだ。新潮社の「考える人」、実業之日本社の「Jノヴェル」の連載がある。京都に行って書くという計画は毎週、頓挫する。授業を終えるとへとへとになっているからだ。
■体力の低下のひとつにクルマがあるのは明らかだ。どこに行くにも最近はクルマだ。歩かない。自転車にも乗らない。つまり凡庸な言葉で表現すれば運動不足だ。
■私は四十五歳でクルマに乗りはじめたが、だとしたら十八歳ぐらいで免許を取った者はどうなっているのだろう。ずっとクルマでばかり移動していたのだろうか。田舎にゆくとほとんどの交通手段がクルマだ。とはいえ、人は労働をする。からだを使う。人があれほどスポーツに熱中するのもそうした体力維持と関係するのか。意図して体力維持でスポーツする者もいれば、単に好きだからそうする人もいるはずだが、するとそのとき、「筋肉」は異なる動きをしていると思えてならない。「単に好きだからそうする人」の筋肉は健康的にゆるむのではないか。無理してスポーツをする人はただストレスが蓄積されるのではないか。マラソンで一位になった選手はたいてい、まだ走れるとばかりにスタジアムをウイニングランなどして元気そうだが、二位以下の選手はいまにも倒れんばかりの状態になっているのがいつも気になっていた。「意識」と「からだ」がひとつながりになっているのは言うまでもないが、「よろこび」が人のからだに与えるものは想像以上に大きいはずで、だから人は、精神的にではなく、むしろ身体的に「よろこびの記憶」を再現しようとなにかがからだの内部に発生するのではないか。おそらく「演劇」とは、そのような営みである。
■稽古が好きだという話を書いたが、おそらく僕にとってはあれが、「よろこびの記憶の再現」として機能し、稽古で俳優に指示をするとき自分で演技をやってみせそれが楽しくてしょうがないから、「からだ」が維持できているのではないか。楽しみでスポーツをするのに似ている。しかし、関係ないけど、うちの大学で教えている観世栄夫さんはもうだいぶお年を召しておられるが、僕なんかがうんざりするような山の上までの階段をぐんぐん上がってゆくのにいつも驚かされる。観世さんは若い頃から、能楽の世界ばかりではなく、様々な方面で活動されていたが、おそらく面白くてそれをしていたにちがいなく、ま、「面白い」と書くと語弊があるので「刺激を求めて」と表現した方が適切だろうが、そこにやはり身体的な「よろこびの記憶の再現」があったはずだ。だからあのからだを維持しているにちがいない。観世さんは階段をぐんぐん上がる。もしかしたら、死なないのかもしれない。
(8:58 may.29 2004)
May.27 thurs. 「稽古、そして京都から帰る」 |
■さすがにきのう早く眠ったとはいえ、午前六時に目を覚ましたのは失敗で、しかし「また寝」することはできず、きょうは授業が午後からなので原稿を書くことにした。このノートをすましたあと、イラストが間に合わないというので「Mac Power」の連載を急いで書く。九時ぐらいに書き終えてメールで送る。チェックアウトまでまだ二時間あったので、さらに制作の永井から催促されていた、映像公演『be found dead』の宣伝用のコピーというか、プロットのような短い文章をさらに書きあげて送る。まだ時間があるのでいくつか仕事のメールに返信。世田谷パブリックシアターのMさんからパブリックシアターで立ち上げる新しいプロジェクトについてメールが来ていたのだった。趣旨には賛同したものの、僕のスケジュールが、この六月、七月は埋まっているのですぐに動き出すことができない。というか、来年の一月の本公演まではプレ公演がいくつもあって忙しいに決まっている。
■午前十一時にホテルをチェックアウト。荷物を預かってもらって大学へ。経理課に書類提出。私の苦手な社会性のある仕事をしてしまった。といってもたいしたことじゃないのだが。食事のあと、学内にある小劇場、「studio21」へ行き、午後から二年生中心の七月に発表公演(7月23日〜25日)のある授業。『ガレージをめぐる五つの情景』の稽古だ。きょうは「動線」を決める。つまり人物がどう動くかということ。あれほど授業が憂鬱だったわたしですが、稽古がはじまるととたんに生き生きしてくるのはなぜか。楽しくて仕方がない。舞台を作ることが好きとしかいいようがない。美術プランを作ったTという学生を中心に舞台のだいたいの形を床にバミって(舞台用語で印をつけること)、それで動線を決めてゆく。今回は受講する学生が多いのでAとBの2チームある。Aが終わったら、Bチーム。二度同じことを繰り返す。やりながら、ほんとはもっと読み合わせをし言葉をからだにしみこませたいと思っていたが時間がない。動線を作りながらそれを平行してやってゆくしかないだろう。美術チーム、舞台監督チーム、演出助手チームなど、皆、積極的に動いてくれるので助かる。
■この舞台は小道具がものすごい数あるが、美術チームのうち、小道具を担当する三人の学生に話を聞くと、どうやって集めるか、どう作るかなど考えるのが楽しいという。仕事を楽しんでくれるのはなによりだ。あっというまに四時半になっていた。全部で五景あるうちの「第二景」まで終える。次の授業で、残りの三景ができればいい。ものがだんだん形になってゆくのはなぜ楽しいかだ。しかし、ずっと立ちっぱなしだったので腰が少し痛くなる。
■帰り研究室による。映像コースの林海象さんや、やはり映像コースで『阿賀に生きる』を作った佐藤真さんがいた。事務担当のKさんから新幹線の切符など受け取る。少しコーヒーなど飲んでのんびりする。それで帰途へ。新幹線の移動が何より疲れる。おかしいな。体力が落ちているのだろうか。去年はこんなことはまったくなかったのだが、家に着くころにはへとへとになっていた。
(7:39 may.28 2004)
May.26 wed. 「パフォーマンス・アートの百年」 |
■午前中は一年生の授業だった。午後、授業を終えていったんホテルに戻って仮眠。また夕方、大学へ。
■ローズリー・ゴールドバーグの講演会「パフォーマンス・アートの100年」があったからだ。そんなことだろうとは思っていたが、話はマリネッティの「未来派」からはじまる。ちょうどこのあいだ、『トーキョー/不在/ハムレット』(リーディング公演)のなかで「未来派宣言」の一節を引用し「詩人」が読んだので、話のとっかかりとしては入りやすく、さらにマヴォの村山知義の舞台美術の写真など好きなものが次々と紹介されてゆく。で、これははじめて観ると驚いたのはオノヨーコさんのパフォーマンスのフィルムだ。六〇年代に撮影されたもの。あるいは八〇年代のローリー・アンダーソンは生で観たことがあるが、すごく懐かしい気持ちになった。
■で、途中、ロシアアヴァンギャルドの話になったとき、その先鋭的な活動を思いつつ、それと政治との関係から、「政治的な革命と、芸術の革命はどこで決裂してしまうのか」といったことを考えていたのだった。そして、その「決裂」とは「政治の保守化」になってゆくのだろうと想像すると、それこそがスターリニズムなのだと思える。ロシア革命のはじめ、政治革命と、芸術の急進生は連動していたはずなのだ。ともあれ、現代美術とか、前衛と呼ばれる傾向の芸術運動のなかでも、「パフォーマンス・アート」はいろいろな刺激を与えてくれる。きょうもちょっとしたことで喚起され、九月の「実験公演」に向け、あることをしたいというヒントを発見。しかし、「パフォーマンス・アート」の人たちは「裸になりがち」なのはいかがなものか。ま、意味はあるよな、パフォーマンスという目の前で現象する行為は「身体性」がひとつの柱になり、なかでも「裸」は、観る者に与えるインパクト、あるいは、社会性や、倫理観、道義性、そして取り澄ました「芸術」そのものに対する破壊行為になる。中国の美術家の作品では、山の上で全裸になった男女が折り重なって山を作るのだが、作品名がすごい。『山を1メートル高くする』。フィルムのなかではその寸法を測っている絵があって笑った。
■講演会には教員や学生をはじめ、いろいろな方が来ていたが眠気もあったので誰にも挨拶せずすぐに帰る。ホテルに戻ってまた眠る。ぐっすり眠る。京都に来るとなんだかやたら疲れる。授業のせいばかりではないと思う。
(6:39 may.27 2004)
■いつのまにか自分がずっと演劇人だった錯覚に陥ることがあって人の記憶なんていいかげんなものだが、はじめて舞台の演出をしたのは二十五歳のころで、しかし同時に放送をはじめ様々な仕事もしていたし、このあいだ久しぶりに映画のシナリオを書いて、俺は、まあ、映像のほうは素人だからと謙虚な気持ちではあったものの、考えてみたら映画のシナリオを書いてお金をもらったことがあったのだった。
■そのときのことをよく記憶しているのは、まだ若いプロデューサー補ともいうべき人が自宅までわざわざ足を運んでくれギャラを手渡しでいただいたからだが、その金を工面するため「クルマ、売りましたよ」と言うのでなんだか申し訳ない思いがし、あんなにメジャーなところで作られたはずの映画なのになんであなたがクルマを売るのかと疑問に思い、映画界がたいへん不可解だった。とてもいい人だった。映画のことがほんとうに好きなのだという印象を持った。その人にクルマを売らせたものはいったいなんだ。俺がいけないのかよ。
■いろいろな映像作家の仕事に立ち会ったことがあったが、スタイリッシュな映像を撮ることで有名なある映画監督とは若いときしょっちゅう仕事をした。この人の説明がすごくて、自分が撮りたい映像について、「カメラがだーっと、こう来て、それで、こっちから、人がぼーんとあらわれて、それでまたカメラがずーんと上からこういって、花がぱーっと開いて、カメラがすーっと、こうなめて、しゅわっしゅわっとこうなって」と熱意あふるる口振りで語られるがまったく話が理解できない。どうやってそれをホンにしていいか困った。ときには、作家でありながらカメラのアングルからなにからすべて演出することもあった。若いころはタフだったのでなにをするのも楽しかった。
■遊園地再生事業団の前作、『トーキョー・ボディ』を観た方はご存じのように舞台奥に作られたスリットに囲まれた部屋で俳優が演技し、かろうじてスリットのすきまから観られるがそれをカメラで生中継する手法だった。その稽古のときほとんどカメラマンたちの演出ばかりし俳優のことはほったらかしだ。せりふごとにカメラ割りしどうやって撮るか繰り返し稽古した。しかも俳優やカメラマンに対してだめ出しするとき、すぐそこにいるにも関わらず、なぜか、壁に投射された映像に向かって話しかけていた。自分のことながら笑った。
■『トーキョー/不在/ハムレット』でもこの手法をさらに深める予定。あるいは、映像と俳優をからめた遊びもまた考えたい。前回は、オリンピックセンターに行ってレスリングの稽古をしているのを撮影し上映、それとまったく同じ動きを男女の俳優が舞台上で演じたが、映像と身体の動きをぴったりシンクロさせるのにどれだけ稽古したかわからない。ふとんの上でレスリングと同じ動きを男女がするとある種のエロチシズムが生まれる。映像と人の動きをからめた遊びをまた考えよう。思いつきだけではだめ。クオリティをあげるためにただ稽古。死にものぐるいの稽古だ。
■というわけで、六月に入ると『be found dead』の撮影がはじまるが、そのために新しいカメラを買うことにした。聞くところによるとパナソニックがいいのじゃないかとの話。24コマで撮影できるという。だからなにがいいのかよくわからないが、いま研究中である。アップルの映像編集ソフト、Final Cut Proも勉強中だ。しかし、いろいろ映像効果ができるらしいことはわかったが、これ、使ったらかなりかっこ悪いだろうというものが満載だ。ただ僕は、『be found dead』の第五話では、荒涼とした利根川の河川敷と、若い女の死体が水に浮かぶシーンがきれいに撮れたらとそれだけを願うのだった。あと、もちろん笑いの要素を入れないと自分が楽しめないので入れるのだが、
■本日(五月二十五日)は朝から授業だったが、昨夜11時半ごろに京都に着いてなにかしているうちに午前一時半になっていた。目が覚めたのは午前六時だ。寝不足。しかし九時から授業がありそれまで三時間も余ってしまった。少しでも原稿を書こうと思うが朝から乗り気がしない。シャワーを浴びて目を覚ます。午前中は一年生の授業。午後から、二年生中心の七月に「発表公演」のある授業で、きょうはスタッフを固定し、スタッフごとに打ち合わせを自主的にさせる。美術スタッフのTがすでに美術プランを絵にして持ってきた、かなり考えてあったので驚く。細部の変更はあるものの、基本的にこれでゆくことにした。今年の二年生は、舞台作りに積極的で、作ることに意欲と楽しみを持っているのがなによりいい。そして学生たちに助けられる。笑ったのは、演出助手が四人いるのだが、なにかコピーしてくれるよう頼むと四人で行くことだ。誰か一人でいいと思うのに、なぜか四人そろってゆく。木曜日の授業には動線などを決め、作業をてきぱき進行させてゆこう。学生のやる気がかなりあるので頼もしい。
■ホテルに戻ると倒れるように寝た。ベッドにうつぶせになって、寝ているのかそうではないかという中途半端な状態。すっきりしない。よく眠らなくてはいけないのだ。ヨミヒトシラズのT君が、早稲田で開かれた、ローズリー・ゴールドバーグ講演会「パフォーマンスの20世紀」を聴講したと書いていたが、うちの大学でも開かれる。これはなんとしても聴講したい。
■前回のこのノートで「死者を発見したらどうしたらいいか」という話をかいたら、大阪のKさんから体験にもとづく貴重なアドヴァイスをいただいた。とても参考になった。とてもうれしかった。きょうはいい天気だった。六月、こんな天気が奇跡的に続いてくれたらいいと思う。日中はあついほどの気温。このまま夏になってくれればいいのだが。そうだ、『亀虫』の富永君からプロットが届いた。六月は目前。準備は着々と進行。気持ちが高ぶってきた。
(2:42 may.26 2004)
■やらなくてはいけない仕事はいくつかあるものの、ぼんやり過ごしてからだを休めるのも大事だし、次の仕事のために体調を万全にしようと誰に伝えるわけでもなく言い訳するように過ごす日曜日だった。らち被害者の家族が帰国したニュースを見ながらこうなるともうあの家族たちは「個人」ではないのだとぼんやり考えていたが、国家的犯罪としての「らち」によって「個人」であることを奪われた被害者といままた政治的な取引きの渦中に放り込まれて「個人」であることを否定される家族がいるが、ともあれ元凶は「らち」だとはいえ、現象ではなく構造として演劇的な「個」の存在からこの事件について考える手がかりがきっとあるのだと「テレビニュースの映像」の背後にあるドラマツルギーを解読しようと見ていた。多少なりとも演劇や文学に関わっている者としては、現象を、どのようにして演劇の問題としてとらえるか、文学の問題として考えるかしかないし、私は社会学者やジャーナリストではない、というより、そうした人たちのようには考えられないのだった。
■制作の永井から、『be found dead』の第五話に登場する、「死体発見者の娘役」の候補の女の子の写真がメールで届いた。高校生という設定なのだが、写真は制服姿でたしかに高校生に見える。だが、第五話でこの高校生は風呂に入っている場面がほとんどだ。いくら高校生だからって制服姿で風呂に入っていないだろうと思った。で、ふといま五話のオムニバスになっている映画のなかに、「死体を発見したときにどうしたらいいのか」というふつうにまじめな「教養もの」を入れたくなったのは、いろいろ考えていたら、たとえば、自分の父親が自宅で病死したのをもし発見した場合、そのあと、どうしたらいいかについてなにも知らないことに気がついたからだ。調べると基本的なことがいろいろわかる。救急車を呼んでもだめだ。救急車に「死体」は乗せられない。主治医に「死」を確認してもらうが、もし主治医が不在だった場合は、警察に連絡し、検死医に来てもらう。またなんらかの事情で死体を発見した場合、発見者は警察に連絡する義務があるという。だけど、すごく急いでいるとき発見してしまったらどうしたらいいかだ。「いま、死体を見つけたんですけどね、ちょっとわたし、これから仕事があって、いや、急いでるんですよ、午前中までに届けなくちゃならないものがあって、ええ、だから、あの、これほっときますけど、あと、ひとつよろしくお願いします」といったことが許されるかどうか。よくわからない。
■ところで、私も年金をまったく払っていないのでしばらく大学の授業を自粛したいと言いたい気分になったのだが、「それ、関係ないでしょう」とあっさり否定されるのではないか。あたりまえだけど。
(11:59 may.24 2004)
■稽古場に予定されていたのは小田急線の経堂だったが、きょう稽古する内容は、六月に撮影のある「プレ公演映像作品上映会」の一作品。ワンカット、固定カメラの作品なのでそれを稽古することにしたが、よくよく考えてみると、撮影場所は都内某所。わざわざ稽古場に行くより某所が自由に使えるからそこで稽古したほうが合理的だと気がついたのだった。
■話は前後するが、午後一時から映像作品『be found dead』の打ち合わせを我が家でした。鈴木、浅野の映像班に、『亀虫』の富永君が来てくれた。ほかに制作の永井、笠木(映像作品制作担当)、演出助手ら。シナリオの詰め。キャスティングなど相談。キャスティングを考えるのはとても楽しい。
■夕方から役者たち、演出助手らがロケ地になっている場所に集まり、稽古。カメラを据え置きにし、とにかく設定だけあって、僕が演出しつつ細部のせりふや動きは役者に任せる。きょうは休みの役者が多かったので来ている俳優でキャスティング。これで固定。はじめ、少し稽古。二度くらい稽古してからカメラを回してすぐに試し撮り。十五分を予定しているが、すぐに十五分は経ってしまうのだった。人の日常において十五分でこんなにいろいろなことが発生するだろうか。沈黙の時間てものがきっとあるにちがいないが、すると人は五分ぐらい、ただ黙っていることもあるだろう。すると三十分ぐらいすぐに経つのじゃないかと思える。何度か試し撮り。あとでみんなで観たのだが、やはり知っている者同士で観ると笑えるものの、これ、役者のこともなにも知らない誰か、どこか遠くにいる他者に伝わるかが問題だ。その視線を持たないときっと失敗する。あるいは映像はもちろん、照明、音声など、技術的なこともこれからきちんと準備しよう。夜10時解散。
■金曜日(21日)は、たった一日行ったきりの京都の疲れをとる日。以前も書いたが、小説を書き、戯曲を書き、リーディング公演をし、さらに大学の発表公演のための戯曲を書くなど「出す」ばかりで「入れるもの」がなにもないので、「入れること」で疲れをいやそうと思いつつもしかし、だからって、なにを「入れるか」は重要ではあるもののさすがに『資本論』を読む体力がなかった。断片的に本や雑誌に目を通す。青山さんに推薦された、ハーモニー・コリンの『ガンモ』(九八年)をビデオで見る。竜巻に襲われ激しい被害に見舞われたあるアメリカの地方の町のその後の日常がドラマになっているがまことにろくでもない子供たちの話だ。よく理解できないシーンや、カットに笑ったが、しばしば印象に残るのは子供たちによる自分の父親についての述懐。いろいろ刺激された。意図的と思われる文法の混乱や、ストーリーとなにが関係するのかわからないエピソードを積みあげてゆく表現が、観る者を混乱させ、難解にさせているようでいて、実はリアリティを生み出すことになっているのではないか。なにより、こういう人はいったいどうやって見つけだしてきたのだと驚くような出演者たちで、どいつもこいつも、いい顔をしている。
■それを観てから不意に小説の直しをしたのは、(やはりリーディング公演を見に来た人、すでに小説を読んだ人しかわからないことを書きますが)母親と再会する松田鶏介の部分。なにか刺激を受けて書き直したくなった。そういえば関係ないが、矢作俊彦さんが、『ららら科學の子』で三島賞を受賞したのは最近ではたいへんよろこばしいできごとだった。阿部和重君も『シンセミア』で伊藤整賞を受賞。僕ももっと小説を書こう。以前、『28』が鉄人28号から来ていると書いたところ、女性の多くからそれは意外で「月の周期」に関する数字だと思ったというメールをいくつかもらった。さらに以前、神戸のKさんから「新月」と「精神的な不安感」のような話をやはりメールで教えてもらったことがあった。それで逆に、そうした話から教えられ「月の周期」と「人のからだ」の関係について調べることにしたのだった。いろいろなことがわかって興味深い。
■また連載の催促のメールが新潮社のN君と、Mac PowerのT編集長から届く。T編集長は、ターンテーブル二台とDJ用ミキシングマシンを買って毎日練習しているという。ちょっとあきれた。『14歳の国』をテレビ用にしたドラマの演出をしたO君がスチャダラパーの新譜がよかったというので聴く。久々にいろいろ入力だ。とはいうものの、七月にあるプレ公演「映像作品上映会」のシナリオなど書いていた。先にも書いたが、その作品、『be found dead』は五話からなるオムニバスで、僕が担当するのは先に書いた「ワンカット」「固定カメラ」の第三話『イマニテ』と、第五話の『川』だ。第五話が本公演『トーキョー/不在/ハムレット』の予告編になっている。小説版の冒頭部分を映像化したもの。第五話はロケも多いし、天気のことやらなにやら、不安がつのる。
■これからいよいよ本格的に忙しくなる六月。体調はほぼ回復。油断しないようにこの六月を死んだ気になって乗り切る。
(6:19 may.23 2004)
二〇〇四年五月前半のノートはこちら →
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