2011年10月、フェスティバル/トーキョー参加作品『TOTAL LIVING 1986-2011』を上演(にしすがも創造舎)。それに先がけ、いつものようにワークイン・プログレスとしてリーディング公演を八月に上演した(書き上がったばかりの戯曲を、俳優がその「テキスト」を手にしてただ読むのがリーディング公演だ)。
東京という都市に偏在する「ことば」や「からだ」を一貫して見つめ、リサーチし、演劇の構造にダウンロードする。たしかに3月11の前後に開いたワークショップで、参加者を街に出し、街の言葉を採取してもらった。あの震災の直後の東京では「電車、まだ遅れてるの」と誰かが口にしていた。その言葉たちが作品にとって大きな役割を果たした。
「3.11後」に焦点を当てた新作は、バブル前夜、日本経済のにぎわいに浮かれていた〈1986年〉──それはチェルノブイリの原発事故を遠い出来事として私たちが見つめていた年でもあった──と、経済の下降にあえぐ〈2011年〉の現在とをパラレルに配置することから出発する。舞台上に現れるのは個人的で断片的な言葉──あるいは書物からの無作為な引用──。遠くで、ごく間近で、時間を越え、〈二つの出来事〉はいやおうなく人の意識に反映する。
その事象の重なりと分断からは、私たちの生活と世界の歪みが浮かび上がる。けれど、人は生きている。生活はごく具体的に営まれる。時間は小刻みに進行する。
1986-2011。歴史の集積と分断に見る私たちの生活、現在。
「ジャパニーズ・スリーピング」(2010年10月)はこちら