上の写真は『トーキョー・ボディ』のフライヤーの写真である。2003年1月上演作品(世田谷パブリックシアター/シアタートラム)。あれからもうずいぶん時間が過ぎてしまった。ここではじめて、カメラによる生中継の方法を試した。それはただひたすらに愉楽だったし、台本を元にカメラ割をし、2台のカメラでスリットの向こうに用意した小部屋での芝居をスクリーンに映し出す。あるいは、出演者を二つのチームに分け、それぞれ異なる役割を振った。俳優とパフォーマーグループだ。パフォーマーグループを作ったのは、ダンスのコレオグラファーでもなんでもない宮沢が、しかし、それに似たことがなにか出来ないか考えていたからだ。『トーキョー・ボディ』から、『トーキョー/不在/ハムレット』へとそうした方法は深まっていった。それが遊園地再生事業団ののゼロ年代からの新たな展開だった。
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