DIARY 8
. 10/29 - 10/31

 宮沢章夫『稽古の日々』8


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97/10/31(Fr)
 稽古場に向かう途中、小田急線代々木上原で地下鉄に乗り換えようとしたところ、言い争いをしている男女がホームにいて、「あんたが言ったんじゃないか」と女のほうが言うのだが、男は彼女より年上で、関係をあれこれ考えているうち、会話から、男はどうやら父親であることがわかった。親子喧嘩である。娘の口のききかたはなんだ。どっちが悪いかわからないが、娘の態度の悪さにだんだん腹がたってきた。
 いやなものを見た。
 いや、面白いものを見たと書くべきか。
 悲劇なのか。喜劇なのか。
 よくエッセイを読んだ人から、珍しい体験をいろいろなさいますねといった意味の感想を話されるが、こういった視点の位置の問題だろう。べつに僕がそれほど特殊な体験をしているのではない。特殊な体験として見ているのだ。見る力である。ある日、しりあがり寿さんが、僕の文章について、「よく読むとなんでもないことですよね」とおっしゃった。「なのにそれが面白い」と。これは痛いところをつかれたっていうか、手のうちを見られたような気分だ。『わからなくなってきました』の書評をいくつも読んだが、作家の池澤夏樹さんが書いているものもそれに近く、あ、やられた、と思ったのだった。僕はおそらく、「石が転がる」といった単純なことをもとに原稿用紙五枚、書くと思う。特殊な体験はなにもない。べつになんでもないことを僕は面白いことにしたい。
 だんだん、稽古のことを書くのに飽きてきた。
 で、この日記を読む人の中にも、「なんだよ、また稽古の話かよ」と怒る人もいるだろう。私は、そういう人たちに言いたいのだ。
「しょうがないじゃないか、稽古日記なんだから」
 昼の十二時から稽古。
 きのう懸案だった前半を返す。
 少しみんな、力を抜いてみる。それから、リズムが悪かったり、間の悪い部分を直す。いろいろ考えていると、ここはおかしいんじゃないか、つまりここは、こういう意味ではないか、だったらこうしたらいい、といったことが、きたろうさんや、原さん、宮川君から出てくるので、助かる。
 道具方の部分。僕が書き足した部分は、どうなんだろう。わからないので、若者に期待するのをやめ、とりあえず、短くし、佐伯の役割を消し、そのとき、佐伯に、「おまえがなにかしたところで面白くないのだ」ということを言った。佐伯、落ち込んだだろう。だが、これが、その後の稽古で、思わぬ展開を見せる。
 きょう一番の収穫だ。
 私は二年ぶりくらいに佐伯に笑わせてもらったのだった。
 それは後述。
 いまもっとも問題なのは男4である。
 きのうのダメ出しで、「内面の問題だ」と今林には言った。言われたほうもこれは困るだろう。気になる箇所を直し、といった細かい作業になにか意味を感じなくなっているのだった。やり方を変えたところで同じだ。まあ、きっぱり、「きみのやっている演劇がそもそも間違っている」と言いたいが、だったらなぜ俺を呼んだってことになるよな、やっぱり。呼んだのは僕だ。いろいろ事情はあったにしても、最終的な責任は僕にある。だからなんとかせねばならない。
 いろいろやったんだけどなあ。
 で、また、いろいろ試す。
 よくなってるんじゃないの?
 と思いたい。
 とりあえず、「彼」という言葉、あるいは、「あなたがた」を口にするとき、違和を感じろと言う。おまえ、なんで、「あなたがた」なんて言葉を平気で発するんだこのやろう。しかし、なんだなあ、ロジカルなアドバイスといったものに力はあるのだろうか。こういうとき、ロジカルでない方法を駆使する演出家のようにいきなり殴るとかそういったことは必要なのだろうか。
 五時までびっしり稽古。
 五時間があっというまだった。
 食事休憩を一時間、取る。僕は家から持参した弁当を食べた。
 夜、通し。
 きのうよりはよくなっている。で、佐伯だ。妙な軽さがあって、突然、面白くなった。二年、待ったよ、俺は。ああ、できたなあ、佐伯ができたよ。こういうときは興奮する。演出やってて一番、うれしいときだ。
 ダメ出しをすませ、八時半過ぎに終了。
 ダメ出しのせいで池津が落ち込んだ。池津が落ち込んでいるところへ、白水社の和久田君と宮森が、バンドの練習を終えたと言いながら、のんきな顔でやってくる。ばかもの。それからみんなで軽く居酒屋に行って和久田君や宮森の意見を聞く。やはり、男4のことだ。それから、来年の五月の公演タイトルをもう決めてしまって、その気になっていたが、和久田君から、「同じタイトルの小説がある」と教えられた。しまった。なんてことだ。でも、教えられなかったらとんだ失敗をするところだった。よかった。
 帰りの電車は佐伯と一緒だった。「うまくならなくていいよ。うまくなる前に、やっておくことはいっぱいあるんだから」と佐伯に話す。家に帰り、きょう佐伯が面白かったことを興奮して家の者に伝えた。佐伯が面白かったことがやけにうれしかったのだ。


to 11/01


97/10/30(Th)
 ルーティーンな毎日だが、きょうは寝不足。昨夜、というか今朝、五時に就寝、目が覚めたのは十時きっかり。これで稽古時間、めいっぱい集中が持続できるか心配だ。五分前に稽古場到着。
 きたろうさんが、午前中の仕事があり、少し遅れているとのこと。ラストのあたりを稽古する。
 戯曲では、女2が泣くことになっている部分、それがどうもしっくりこない。「泣く」という行為のもつ、「劇性」が時代の相と違和があるのではないか。それは、「ダンヒル」というライターの、その名前がぴんとこないことより大きい。戯曲にあったのと同様の効果を生み出すにちがいないと思って、「笑う」ことにした。笑い終えて、それから不意に出現する怖さ。そのことのほうがずっと現在的だ。
 それから、きのうの通しで気になったところなどいくつか返す。
 男4の部分がどうもだめだ。
 だんだん、だめになっている気がする。考えすぎか。スピード感もなくなったし、そこらあたりが、ひどく重く感じる。それを直してゆく。なんとかやり方でここを突破できないだろうか。
 さらに、前半の、絡み合う会話をどうかしなくてはいけない。ここが一番、楽しんでできるはずなのだが、なぜ、楽しむリズムになれないのか。道具方の、「私が司会をして話を整理しましょう」というセリフまで、絡んだ話の面白さが生まれない。考え、細かく直し、やり方を変え、すこしずつ進めていたら、もう四時過ぎだ。稽古の時間はあっというまに過ぎてゆく。桜井君が作った音を持ってくるというので、音の入る部分の稽古を五時と設定。
 とりあえず、食事休憩。
 きょうは稽古場に、白水社の和久田君と、以前まで演出助手をしていた宮森が来る。稽古場は次第に煮詰まってくるので、こういうとき、外の人間が姿を見せてくれると、うれしい。
 食事休憩後、桜井君の作った音楽でその部分を稽古する。
 音楽が鳴ると、イメージがすーっと出てきて、稽古場の雰囲気も変わる。それに支配されると、なんだか恥ずかしい気持ちもあるのだが、音楽の力というのは奇妙なものだ。
 六時半から通し稽古を開始する。
 だめだ、もう直したことにどんな意味があったのかわからない有様になっている。とくに前半。面白くしようとして変えた部分が、ことごとく、あざといだけのものになっており、見ていたら、だんだん、不愉快になってきた。で、そのごく一部、女1が姿を見せ、道具方5が、「だめですよ、そこは」というセリフがあるのだが、その制止の仕方は楽しめるはずで、昼間の稽古で変えたのだが、小沢がまるでなってなかったので、見ていたら腹が立ってきた。せっかくチャンスを与えているのに自分でなんとかしようという気持ちにならないのだろうか。面白くなかったことより、そのことに腹が立ち、ウクレレをクビにしてやろうかとさえ思ったが、だんだん冷静になって、途中で、クビにすることを忘れてしまった。
 この通しでは、とにかく、戸田君がよかった。
 ほかでは伊沢さん。
 きたろうさんが、なにか力が入っている。きたろうさんの持ち味である軽さが出てこない。まずいと思った。通しでこんなに力が入ったんじゃ、本番はどうなることか。それに影響されたのか、宮川君、原さん、池津の三人に力が入る。やけに早口だ。「とっととやっちゃおう」という感じだ。楽しめていないではないか。すると、構造としての面白さが出てこない。「変な顔」とか、「面白い仕草」、「妙な声」なんてものが僕は嫌いだ。構造をいかに的確に表現するか。それが出てこないから、前半はつまらない。さりげなく面白くしたいが、そういったところもなんだかあざとくなっているような気がする。とことんつまらない。それから、男1がライターを落としてからがだめだ。この重さを、ずらしてゆこうとやってきた稽古はなんだったのかわらなくなってしまう。
 重いまま。
 数日前、前半、後半、ばらばらに通したときの、あの心地よさがない。
 ばらばらだったからだろうか。
 だーっと、通すと、なにか重いものが役者たちを包むように感じてならない。
 ダメ出しでそういったことを話すと、きたろうさんあたりから、僕のダメに対して考えた言葉が出てくるので、こういったときはやりやすい。若い役者たちだと、いくら話しても何も出てこない。役者から出てくればそこに議論が生まれる。段取りを追うばかりで、まだそこに生きていることにならないのだろうなあと、きたろうさん。それはまったく正しい。生きていたのは、戸田君ぐらいのものではないか。
「(舞台上の)空気を作るのがむつかしいなあ」と帰り際、きたろうさんが繰り返す。
 まだ、通しがたったの二回だからできてこないのかもしれない。もっと、通したい。余裕を持ってできるまで、繰り返したいが、時間がない。
 きょうは気分を変えようと、表参道から千代田線に乗って帰る。
 だんだん、楽になる稽古は、夢なのかもしれない。
 あしたこそは、なんとか、前半を面白くしてやる。


to 10/31


97/10/29{We}
 生活がルーティーンになっている。朝、十時頃に起き、コーヒーなど飲んで目を覚ますと家を出る。十二時から稽古。それを夜の八時過ぎまでつづけ、家に戻ると九時をまわっている。食事。ニュースステーションを見、さてと腰を上げて日記を書く。更新を終えると、本を読んだり、メールのチェックをし、ぼんやりしたりで、眠るのは午前三時過ぎ。
 ルーティーンだ。
 僕のような仕事の者はふだんはゆきあたりばったりで生活しているから、それが奇妙なことのように感じてしまう。それがふつうの生活というものではないのか。
 ふつうの生活なんてものがほんとうに存在するかどうかよくわからないが。
 で、きょうも十二時から青山で稽古。
 道具方のところからはじめる。僕が書き足したところ。少しずつまとめ、ようやくできてきたが、これ、笑えるのかな。なんだか奇妙なもので終わらないだろうか。僕自身、笑えなかった。誰かを笑わすとか、客を笑わすとか、考えたことがない。僕が笑わないとだめだ。自分が笑うために、笑いを作るというのも奇妙だが、料理人や、農業の人だって、自分がおいしいと思わないものは、客に出さないだろう。
 あるいは一種の自給自足か。
 そんなことを、「笑い」について考えつつ稽古する。二十代の頃は四六時中、笑いについて考えていたが、いまはそういうことがなくなってしまった。だから、経験だけになってしまう。演出しながら、またいつもと同じことを口にしているような気がする。経験だけで続けるくらいなら、笑いをやめればいいのだが、状況がそれを許さない。経験だけで許されてしまう状況もあるから始末に悪い。
 そのへんはジレンマだな。
 いくつかの場面を稽古し、二時半からはじめての通し稽古。
 前半がだめだ。
 つまらない。
 後半も、男1がライターを落としてからどこか緊張感がない。暗い芝居だ。ひどく暗い。テーマが重いのは最初からわかっていたことだが、重いテーマを無視すれば、パロディーのような陳腐なものになる。重いテーマをべつの表現でできないものかとはじめたはずだ。べつの表現がくせもので、あれこれいじれば演出家の作為ばかりが表に出てしまう。なにもしないということ。だが、なにもしないのはむつかしい。
 四時から、子どもたちが大挙して押し寄せ、なにかのリハーサルをはじめるという。使っていた部屋を追い出され、僕らは食事に出た。
 食後、ダメ出し。
 特に前半がだめだからそこを考える。
 なにかが欠けている。混乱から、道具方1が「私が司会をして話をまとめましょう」というところに至る経過が、なぜか淡泊に思えてならないのだ。それが淡泊だから、道具方1の、このばかばかしいセリフも生きてこない。組立だ。それは世界がまだ成立していないということではないか。
 どうすればいいかわからなくて、前半には、佐伯、小沢、村島という若い連中が出ているからだめなんじゃないかと、つい原因を、そういったことにしたくなる。三人は無難に役をこなすが、眼に見えない微妙なことが原因で流れを組み立てられないことはおうおうにしてあるものだ。けれどそう口にしちゃったらおしまいだ。三人ときたろうさんたちのレベルの差はありすぎるが、僕がキャスティングしたのだからその責任は僕にある。そこをなんとかしなければならないと思って稽古を繰り返す。
 八時半、宮川君が仕事なので、そこで終了。
 終わってぼんやりする。「おつかれさまー」と声がし、みんな帰ってゆく稽古場でぼんやりしていた。
 男4を演じる今林の芝居も、よくなったと思うと、すぐそれが形になってつまらなくなる。ビスケットを食べ、それで意識を分散させ、ああ、いいかなと思うが、次の日にはビスケットを食べること自体、形になっている。ぼんやりしていると今林が来て、ダメ出しを求めるので、「きょうは家に帰っても何も考えるな」と答えた。何も考えないで稽古場に来ればいいんはずなんだ。とりあえず、舞台上に作られた世界の中に生きること。そこからしか、はじめられないはずだ。
 わからない。
 時間が足りない。
 若いやつのためにもっと稽古したいが、きたろうさんたちが、そんなことにつきあうのはいやだろう。
 帰り、井の頭線はひどく混んでいた。

to 10/30



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