DIARY 10 | |
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97/11/05(We) | 初日の朝のあの新鮮さがない。いつものような朝だ。これは、今回に限らず、ここ何度かの舞台でいつものことのように思う。演劇というか、芝居そのものが、「経験の流れ」のように感じて、こんなふうに初日を、ごくふつうの日と同じに迎えるのだとしたら、演劇をやっていることの意味がわからない。新鮮さを取り戻すにはどうしたらいいのか。などと考えながらきょうもタクシーで青山に行く。 渋谷の手前で渋滞。 集合時間の五分ほど前に到着した。 きのうダメを出したあたりをとりあえずあたる。特に女2のところ。 どうなんだろうな。ここ苦肉の策で、動きをつけた。ほんとうは、女2の芝居で見せなくちゃだめなんだ。でも、ま、しょうがない。これでゆくか。ほかには、男4の腕の傷を女2が発見してからを流す。男4が、傷のことを話すとき面白いことを話すようになトーンにした。そのほうがここは楽に見られる。あと、戸田君の、「ダンヒルです」というセリフ。あと、細かくそれぞれに、あそこはこうしろ、ああしろと、注文をつける。 二時半から二回目のゲネ。 きのうのようなばたばたした感じはなかった。劇場の舞台に慣れたということか。だが、まだ細かい部分でいくつか気になることがあり、終わってからそのダメ出し。緊張感があまりないのも奇妙だし、気持ちが悪い。そのダメ出しが終わりスタッフにいくつかの注文をつけると、あとはもう、何もすることがない。役者はこれからだが、僕はもう、なにもないのだ。 楽屋にでもいればいいが、どうも落ち着かない。 本番前のこの時間はいつだってそうだ。 舞台裏をうろうろする。うろうろするといってもそんな広さはない。 朴本をつかまえて冗談言ったり、小屋付きの裏の人たちと話をしたが、小屋付きの人はいつもより僕がぴりぴりしていないと言う。手を抜いているわけではないが、どこかもうひとつ、こう、かーっと熱くなるものがないということか。変だなあ。どうもおかしい。これが他人の戯曲を演出するってことなのだろうか。 六時半、定刻通り客入れ。いよいよだ。モニターで舞台を見ていると、円形なので客席と舞台がすぐ近くだから、舞台上を横切る不届き者がいる。舞台の高さがほんの少しで、一番前で足をかけている客もいる。いけないと、とがめるほどのことではないかもしれないが、やっぱり、一応、舞台のルールはあるだろう。 時間が来た。 開演。 想像もしないことがいくつも発生した。 きたろうさんがものすごく緊張している。舞台上を歩く回転の方向を間違えてしまった。落ち着け、落ち着け、いつもの通りにやれば大丈夫なんだからと、「祈るような気持ち」というありふれた言葉をつぶやきたくなる。 まさかというセリフで客が爆笑している。どうしてなんだ。わからない。べつにそれで芝居が壊れるわけではないし、たしかに、笑うかもしれない根拠はあるものの、稽古中、そんなことは想像もしなかった。男4のセリフになぜか客が笑うのである。ゲネの前にやった、男4の傷発見以降を変える稽古が思わぬ展開を見せた。べつに笑えるものにしようと思ったわけではないのに、笑っている。首を傾げる。 わかったのは、論理的に進行する混乱は、的確に伝わっているということか。声にださなくても稽古場で面白いなあと思っていた部分が、大勢の観客によって、声に出して笑う部分になってしまう。これは、なんど芝居を経験しても不思議な部分だ。 だが、僕の感想ではやはりもうひとつだ。 びしっと来るものがなあ。 また明日、直そう。 とりあえず、終演後、ロビーで乾杯。その後、近くの居酒屋で初日打ち上げ。 いろいろな人と話をする。 疲れた。 友人たちが見にきてくれるのはすごく嬉しいが、そうやって一人一人に対応してゆくのはたいへんだ。冗談のひとつも言わなくちゃまずいし。家に戻ったらもうぐったりだ。家の者がきょう見に来たので感想を聞く。「よかったよ」と言ってくれた。嬉しかったし、その言葉を信じないわけではないが、自分の中でもう一つ消化不良だ。本番がはじまったらめったにダメを出さないが、もしかすると、明日はかなりダメを出すかもしれない。ごく細かいこと。カットする部分も考えた。 そういえば、うちの猫がネズミを捕ってきた。床にぽとりと落としたという。これ、初日祝いじゃないのかと家の者に話したのだった。 この日記もきょうで終わりです。その後の公演については、PAPERS で報告します。では、また会いましょう。
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97/11/04{Tu} | 午後一時から照明や音響のためのテクニカルリハーサルと場当たりがあるので、十二時に集合といことになっていたが、さすがに平日になると道が混んでいて、二十分ほど遅刻してしまった。役者は全員、楽屋にいた。 で、一時から場当たり。きっかけが少ないのでおそらく二時間で終わるだろう。 これといった問題はないが、音楽がかかる箇所の照明が明るすぎると思ったので、そのことを伝える。出入りに問題があった。ソデから舞台までは階段を下りるが、階段の踏み幅が広いので、妙なリズムで下りてくることになる。結局、スロープを作ることになった。出ハケが気持ち悪いのはどうもだめだ。 明日までに間に合うだろうか。 順調に進み、予定通り二時間で終わった。 それから、照明が直しをするというので、一時間、舞台を明け渡す。 四時からどうしてもきちんとしておきたい部分を抜きで稽古。 それから準備。 五時からゲネ。 ゲネのあいだ、いろいろな人が出入りするのが気になって仕方がない。舞台に集中したいので、とりあえずゲネのあいだは動かずにいてほしいと思う。ただ、時間に余裕があるせいか、いつもなら怒鳴りつけるようなことでも、腹をたてずにすむ。こんなに怒らなかった稽古ははじめてではないか。稽古中、怒ったのは一度、くらいか。演出助手には僕がなにか腹をたてたらうしろから羽交い締めにするよう言ってある。なにをしでかすかわからないからだ。 時間に余裕があるのはいいことだ。 だが、ぴりぴりした緊張感のなかで芝居することも必要かもしれないと思う。 ゲネの印象はなにかもうひとつぴりっとしないということか。 何か足りないように感じてならない。 で、ダメ出しをしてから、そのことを考える。 足りないのは、僕ではないか。他人の戯曲を演出するということ、そのせいで、どうももうひとつ気持ちが入らないというようなもの。もちろん、手を抜くといったことではない。作品に力をあたえる情熱といった種類のものか。「これを、どうしても、いま、表現したいんだ」と切実な意識がそこにないのではないか。いまさらそんなことに気がつくなんて遅いが、それを考えていたら憂鬱になってきた。 面白くするといった技巧的なことだけでは表現は生まれない。やっぱり技術じゃないな。技術以上のものなんて書くと、ばかなロマンチシズムに陥りそうでいやだが、それだけでは作品はやせ衰えるのだろう。 技術の範囲でなら精一杯やった自信はあるのだが。 他人の戯曲を「演出」するという意味をもう一度、考え直さなければと思う。 帰り、若いスタッフたちを引き連れて表参道の喫茶店に入る。 しゃべってしまった。 しゃべっているうちになんだか憂鬱になった。 いろいろなことが意識をめぐって憂鬱になってきた。
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