DIARY 5
. 10/20 - 10/22

 宮沢章夫『稽古の日々』5


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97/10/22(We)
 きょうは稽古が休み。いつものように朝、九時過ぎに起床。四時から竹中と東京スカパラダイスオーケストラに会うことになっている。それまでにもう少し眠っておこう思う。いくら眠くても、疲れていても、三時間から五時間の睡眠だ。午前中はメールのチェックや返事を書く。返事はまめに書かないとどんどんたまってゆく。キネマ旬報社の人から電話。北野武監督を特集したムック本の原稿依頼。少し話をして、『ソナチネ』について書くことになった。すぐに、『季刊・本とコンピュータ』の編集者から電話。原稿依頼。この二つの原稿がほぼ同じ時期にしめきりだ。両方あわせると二十七枚。きっと、迷惑をかけることになるだろう。確実に迷惑かける。いい文章を書きたいと思う。
 昼過ぎ、少し寝る。
 目が覚めたのは、二時少し前。
 小田急線の祖師ヶ谷大蔵の音楽スタジオに行く。あらかじめ地図をもらっていたが、よくわからない。住宅街の中をずいぶん歩いたような気がする。テニスコートがあり、テニスクラブの建物があって、スタジオは建物の地下だった。久しぶりに、竹中や、スカパラの青木君たちに会う。竹中の映画、『東京日和』は公開以来、連日立ち見の出る入りだそうだ。すごくうれしそうにしていた。
 打ち合わせ。
 仕事の内容は人には話せないが、とにかく打ち合わせ。
 それが終わって夕方から西武線都立家政まで行き、中田鍼灸院で鍼治療。このあいだ来たとき、かなり状態がひどかったので、もう一度、近いうちに来なさいと言われていたからだ。前よりずっと身体がほぐれている。前回、鍼を打った頃は身体中、がちがちだった。仕事がたてこんでいたし、Web作りにまだ慣れていなくて、首が痛くなるほどディスプレイを見つめていたからだろう。
 しかし、鍼は痛い。
 痛いなんてもんじゃない。それでも、鍼をうってしばらくは身体が楽だからがまんできる。鍼をうつと全身がとろーんとした感じになるのはなぜだろう。以前も書いたが、気持ちいい。このまま、すぐに眠ってしまえたらと思う。
 帰り、新宿で食事。
 通りで、やけにいい声の人が携帯電話をかけていた。
 いい声の携帯電話は面白い。
 うちに帰って少し眠り、大人計画本の原稿を書かなくてはならないと思った。

to 10/23


97/10/21{Mo}
 昨夜、Webの更新作業をしていたらずいぶん時間がかかってしまった。制作は楽しいが、更新のあの作業は面倒だ。しかも、ひとつ直すためには、リンクの関係でべつのところも直さなくちゃいけない場合があり、そんなことをしているといらいらしてくる。とはいっても、最初の頃よりだいぶ慣れた。大人計画の本のための原稿を書こうと思うが、書けない。コンピュータの前で苦しむ。
 朝の七時くらいに、睡眠薬を1ミリグラム飲んで寝る。
 目が覚めたのは二時過ぎ。予定通り七時間の睡眠。久しぶりに気持ちがいい。
 早めに準備して外へ。きょうは遅刻してはいけない。午後四時から池袋にある芸術劇場の稽古場。二十分ほど早くついた。すでに、演出助手の二人と制作の永井らは来ていた。
 きたろうさん、朴本、休み。戸田君も仕事があると聞かされていたが、休みではなかったので、稽古もある程度、できるだろう。ただ、きょうの稽古室はひどく狭かった。最初に、やはり、道具方の部分をやってみる。何度やっても安定感がない。もっと面白くなりそうだが、どうものれない。一日休んだ戸田君が、ずいぶんセリフを忘れている。佐伯になにかやらせようと考えるが、一度やって面白かったことを再現できない。きたろうさんが、「一度できたんだから、大丈夫だよ。本番はできる」と以前、佐伯を慰めるように言っていたが、それはプロの話。それができるからプロなのかもしれない。
 昔、面白くなりそうで、稽古ではどうもうまくできなかったことが、本番でいきなりばちっとできたことがあった。それ以後、二度と、それを外さなかった。一度、感覚的に把握したことはきちっと再現する。それがきたろうさんだった。プロの俳優である。
 技術なのだろうか。
 よくわからない。
 普段の生活で、面白い話をするとき、それをどう言えば、面白い話になるか人は感覚的に把握している。だから、おなじ話をしても、同じようにその話は面白くなる。それは、「面白かった」「うけた」「笑わすことができた」という感覚からくる喜びのようなものを記憶しているからだろう。つまり、「表現」が喜びになり、自分の中でその喜びを再現させようとする行為だ。「喜び」が自分の中で再現されなかったとき、「あ、話し方を失敗したな」という意識が出現する。
 ただ、その「喜び」にはセンスってものがあるのだろう。「喜び」が間違った人は、つまり、「つまらない人」だ。センスのない人。センスって言葉は使いたくないが、ほかに適当な言葉が見あたらない。
 佐伯はつい一生懸命になる。
 佐伯には佐伯なりの、「喜びの感覚」があるだろう。僕の演出する舞台では、僕のそれによって支配したいと考える。それがぴたっとくる役者とそうではない役者がいるのは仕方がないことだ。稽古場で、この人にはこういう魅力があると見抜くのが僕の仕事だ。佐伯にやらせようと思ったことを、試しに、松井(松竹生)にやらせてみた。案の定、面白い。それは最初からわかっていたことだ。だが、佐伯である。佐伯のいいところを考える。それでやってみて、面白い場合もたまにある。で、再現させると、まずつまらない。
 もしかすると、佐伯はばかなのかもしれない。
 結論はこうだ。
 佐伯はばかだからだめだ。
 なんとかして、頭をよくさせる方法はないのだろうか。
 ことによると、サルなのかもしれない。
 あいつは稽古場で一生懸命だ。いつもかんばっていて好感が持てる。もしかするとそれはサルだからだろうか。あ、そうか、それを前に出せばいいはずだ。小細工したり、芝居を上手くなろうと考えてはだめだ。サルはサルなりになにかあるはずだ。それでもだめだとしたら、それは結局、動物だからだ。
 佐伯のいいところは不器用なところだと思う。不器用だから、人とおなじことを把握するのに時間がかかる。その「時間」が貴重だ。それが彼の財産になる。
 原さんの芝居を細かく演出。もしかすると、原さんのなかでは、「うまい芝居」ということになっているような小細工を、稽古のたびに少しずつやめさせる。そのほうがきっと原さんは魅力的に見えるはずだ。村島がトラックを探しにくるごく短い部分。あたりまえのことを繰り返しやってみる。ようやくあたりまえのことができるようになっってきた。
 八時になって、宮川君が仕事で早退するので、とりあえず、そこで稽古を終了する。
 明日は稽古が休み。
 二十三日から、きたろうさんが、毎日のように来ることができる。あさってから、気持ちを入れ直してやってゆこうと、それでとりあえず解散。
 基礎は出来た。これからそれを磨いてゆく。

to 10/22


97/10/20{Mo}
 午前九時半に起床。睡眠時間は短いがやけに目覚めがいい。早速、『一冊の本』の原稿を書く。横光利一の『機械』を読みつづけるという連載。もう数ヶ月読んでいるが、遅々として先に進まない。いかにして先に進まないかというのがねらいで、いまこれが面白くてしょうがない。面白ければさっさと書けばいいが、人間、そうはいかないものである。書いていたらやけに筆が進み、予定よりずっと早く書けた。それで、大人計画の原稿を書こうと思うのだが、これが書けない。
 いま、大人計画について何を書けばいいのだろう。
 昨夜、大人計画の本を編集する伊藤さんからメールが来ていた。この日記を読んだという。まずいな。「編集者お断り」と書いておこうかと思った。それにしても、大人計画と松尾についてまた昔話を書いてもしょうがない気がしてくるし、いまの大人計画について書きたいのだが、いかんせん、ここ二年くらい、観てないじゃないか。正名や、池津など、舞台を一緒にやっている役者について書けばいいだろうか。きちんとしたものを書きたい。評論を書くほど枚数はないが、それでも、いま書くに値する大人計画についての文章だ。身体論か。それは松尾の戯曲にも関係することだ。悩んでいたら、眠くなってきたので。書くのをやめる。松尾の戯曲をあらためて読んでみようと思った。
 眼がさめたら四時過ぎだった。
 しまった。どう考えても遅刻だ。五時から池袋の芸術劇場の地下で稽古である。あわてて用意したくてもまだぼーっとしていて動きがにぶい。とりあえずいれてもらったコーヒーを飲んでから着替える。
 駅に行くとホームで松沢呉一に会った。これから仕事で「風俗」の取材で渋谷に行くそうだ。下北沢まで少し話しをする。最近の若いやつは自分の年齢をよく知らないのではないかと、いきなり松沢さん、ものすごいことを言い出した。暴論ではないか。彼の知っている若い男に年齢を質問したら、「26か、27です」と答えたという。そりゃあたしかにすごい。自分の年齢だぞ。そんなに曖昧でいいのか。だが、一般論ではないような気がする。下北沢で別れた。急行に乗るのでホームを歩いていたら小林のりかずさんに会う。軽い挨拶。こういう日は、いろいろな人に会うものだ。
 稽古場に到着したのは五時半少し前。
 きたろうさん、戸田君、朴本、休み。以前まで演出助手をしていた宮森が来ていた。
 いよいよ稽古ができない。どこをやればいいんだ。仕方がないので村島がきのう休みだったから、あらためて道具方のところをやる。少しずつ修正しながら繰り返す。村島も問題ないようだ。小沢にいろいろ教え、「それ、コントの基本だから」と口にして思うのは、コントの基本を教えられても小沢も困るだろうということで、自分で言って自分で笑いそうになる。
 定期入れから男4の身分証明書を出し、その名前を女2が読み上げるところからやる。きたろうさんの代役を演出助手の秋本、戸田君の代役を深見。だが、ここだったら、この二人が代役でもそれほど問題がない。男4の動き、芝居を中心に繰り返す。少しずつ、男4に変化をつける。細かくやっては、止め、動きを修正。きちんとそれを今林は反復してゆけるが、スピードがつい遅くなる。つまり、そこは、まわりの人物を巻き込めているかどうか、彼自身が感じ取らなければならないのだろう。形ではない。その空気を感じるかどうかだ。そうすれば、自然にスピードも一定になってくるはずだ。
 休憩の時、宮森が最近、買ったというモバイルギアを見せてもらった。小さくて軽い。しかもモデムが内蔵しているのでどこでも通信ができるそうだ。彼女の、たいへん身近な人が、IBMのアプティバを持っているという。最近、私の周辺の若い連中が、たいていWindowsなのは、どういうことだろう。安いからなのか。
 その後、芝居の中盤でお茶を飲む場面や、村島の部分などを稽古する。
 村島、少しずつよくなっている。手取り足取りという感じ。若いから進歩も早い。なかでも、村島が歌いながら入ってくる場面はきょうはじめて面白くなった。前半で、男1が客席に向かってしゃべろうとしているのに邪魔が入るあたりのことだ。で、きのう、深見がやって面白かったのは、やけにえらそうな態度で歌ってきたからではないかと本人が言うので、村島もえらそうに歌って来ることにした。面白かった。「精一杯、えらそうにやりました」と村島。笑った。
 10時少し前に稽古終了。
 片づけをして外に出ると、芸術劇場の前の広場は、もう暗くなっていたが、まだ人が大勢いる。何をしているのかわからない。池袋に来るのも久しぶりだった。

to 10/21


 


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