DIARY 2
. 10/10 - 10/13

 宮沢章夫『稽古の日々』2


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97/10/13  朝、九時に目が覚める。目覚めが悪い。原稿を書こうと思ってパソコンの前に座るがまるではかどらない。それで、Webを書き直していた。完成。すぐに更新作業をしてもいいが、いちおう火曜更新ということになっているので、そのままにしておく。朝早くから電話が鳴って、なにかいやな予感がしたが、こうしたときのいやな予感はあたるもので、シアターガイドの人からだった。いまから稽古に行かなければならないので、書き上がるのは、夜か、明日の朝だと話すと、相手の男は舌打ちをしたような気がする。あきらかに不機嫌になっている。
 まずいな。かなりまずい。
 風呂に入って目を覚まし、ひげを剃る。
 一時より、下北沢からなら二〇分ほど歩く場所にある公共施設で稽古。稽古の前にTOKYOWALKERの取材をきたろうさんと受ける。きたろうさんが、「宮沢、休まずに五時間、連続で稽古するんだから」と話すので、そんなことはないと思うが、つい集中すると、休むのを忘れるかもしれない。稽古中のあの時間の早さはなんだろう。二時間などすぐにすぎてしまう。特にきたろうさんは、休みが多いので、このときとばかり、集中したくなる。
 写真撮影。
 ほんとにこのごろ、取材が多い。
 そういえば、取材の時、「別役戯曲は読むと面白いのに上演されたものが面白くないとよく言われるが、それは考えてみると、みんなよく読んでいるということではないか。そんなに読まれる劇作家がほかにいるだろうか。よく読んでいるから、そうした感想も生まれる」と、このところ取材のたびに口にする話をして、これまでは、話す相手のほとんどがぴんとこない顔をしていたが、なぜか、きたろうさんは、僕がいわんとするところを察し、「ああ、そうだな」とやけに感心するので、これはどういったことかと思ったのだった。
 わからない。
 さて、稽古は一時半からはじめる。もちろん、きたろうさんが中心。きょうは欠席者がいない。青い風船を手にした女3の登場から、男1が殺されるところまで。きたろうさんはこのあいだやったことを忘れている。セリフも以前より曖昧になっている。きのうイベントがあって酒を飲んだせいだろうか。僕は稽古場の外で役者が何をしていようが知ったことじゃないし、ある演出家が若い俳優たちに「稽古中は芝居のことだけ考えなさい」と注意したという話を聞いてくだらないと思ったこともある。そんな、芝居のことだけ考えてる役者なんて気持ちが悪いし、きっとそんなやつ面白くないでしょう。要求する演出家こそばかなわけで、いや、べつにキノハナのことではないが、ともかく、私は、稽古場でちゃんとしていてくれれば、役者が何をしようといいと思っている。
 しかし、忘れるのは困るな。
 作業を反復しなければいけないし、時間の無駄だ。
 だが、それが俳優の価値のすべてではないから、俳優はむつかしい。でたらめな人のほうが、面白かったりするんだよな。遅刻もしない、酒もほどほど、セリフもすぐ覚え、生活態度も正しいが、欠けているのは役者としての魅力って、それ一番、だめだろう。むつかしいところである。
 女3の登場のあたりから、小刻みに、止め、再開し、それを繰り返しつつ、形にしてゆく。で、こうしてみようと言った直後は面白いのに、もう一度、やってみたとき面白くなくなるのはよくあることだ。その人の中の新鮮さが薄れるということか。
 あまりおなじ箇所ばかりやっていると、それこそ俳優たちのなかで新鮮さが消えてしまう。冒頭、道具方たちがテーブルを運んでくるところから、男1が登場し、客席に向かって話しはじめるあたりをやってみる。
 時間がない。
 あっというまに過ぎてしまう。少し面白くなってきたのだがなあ。
 五時を少し回ったところで稽古終了。
 ほんとは、『スパイ物語』を見る予定だったが、原稿を書かないと大変なことになると思ってやめることにした。それにひどく眠い。
 帰り、「峰」で食事。家に着いたらすぐに眠ってしまった。


to 10/14

 
97/10/12  稽古は夕方からなので、少し気持ちに余裕がある。午前中、『鳩よ!』の原稿を書く。三枚ほど書いたところで、煮詰まったので、べつの原稿に移る。シアターガイドだ。リレーエッセイの原稿を劇作家協会から頼まれていたのにすっかり忘れていたのだった。六枚だという。これは困った。留守番電話に入っていた編集者の声が暗かった。かん高くなかった。なにかまずい気がする。
 原稿を書くのに飽きたので、メールのチェック。ニュースステーションで天気予報を読んでいる乾さんからメールがきていた。MacのOS8をインストールして混乱した模様。バックアップを取っていなかったのでホームページをコントロールするためのIDをなくしてしまったらしい。更新できないとのこと。それはまずい。うーん、明日はわが身だ。
 稽古までまだ時間があるので、少し眠ることにした。
 目が覚めたのは、夕方の五時。しばらくぼんやりした。
 千歳船橋の公共施設で稽古。まるで流浪の民である。自転車で行く。稽古場に着いたら身体が熱くなっていた。いい運動だ。きたろうさん、休み。音響の半田君が来る。朴本の部分など稽古。
 今林君に、きのう考えていたことを伝える。「グルーチョ・マルクスなんじゃないかと思うんだよ」と言うと、「それはむつかしいなあ」との答え。たしかにあの身体を真似するのはむつかしい。まるっきりグルーチョだったらそれも変だし、そもそも、今林君の身体ともあわないが、ただそうした意識を持っていてほしいという意味だ。今林君が男4についてイメージを持ってくれたのなら、それでいい。ひとりひとりの芝居をチェックしながら注文をつける。だんだん、バランスがよくなってきた。最初は、ばらばらだったが、「関係」で動き出してきた。こうして世界ができる。その世界に、彼らが生きはじめる。で、動きなどさらに修正。よく見ると、男4が男3に質問を浴びせるあたりで、伊沢さんの動きがおかしい。宮川君もやけに落ち着きがなくて変だ。それを指示し、こうしたらどうかととりあえず言ってみるが、考えているだけでは、まったくわからない。とにかくやってみる。それで少しずつ修正。骨の折れる作業だが、きれいに動きがまとまると気持ちがいい。
 朴本は、セリフを言うたびに、にこりと笑うことにした。だが、その表情が薄気味悪い。ま、とりあえず、それでいってみよう。
 きたろうさんの代役を佐伯にやってもらったが、長いセリフがまったくだめだ。笑った。なんて下手なんだ。妙なナマリがあってそれも気になる。別役さんのセリフ、全部、なまっていたら、どうなるんだろうと想像する。
 九時四十五分になって稽古終了。
 少しずつだが、形になってきた。
 片づけを終え、外に出ると、ひどく寒かった。


to 10/13

 
97/10/11  朝、九時に目が覚め寝不足だと感じる。昨夜は三時ぐらいに眠ったのではなかったか。で、簡単な計算をし、意外に眠っているといちおう自分を納得させる。風呂に入って目を覚まそうとしたが、どうも調子が出ない。
 事務所に届いていたという『東京人』をゆっくり読む。演劇界を概観した分類図が面白かった。タテ軸の上が、「身体」、下が、「関係」、ヨコ軸は、右が、「抽象」、左に、「具象」となっている。僕は、左下らしい。なるほど、自分の位置がどういいうところにあるのかよくわかる。こういうものは、なぜ面白いんだろう。以前、地図について書いたときに触れた、「グラフィック」の魅力のようなものを感じる。地図に似ている。ある基準によって描かれた、抽象的に存在する関係、あるいは概念的な位置を視覚的に示す地図の一種だ。たしか、『地図の冒険』という本にもあったな、そういった記述が。だから地図好きにはたまらない魅力がある。あと、「笑いの相関図」もよくできている。日経新聞の中西さんの力作だ。中西さんは、劇場でしばしば顔を見かける。ほんとによく芝居を見ているので頭がさがる。
 午後から、深沢の公共施設で稽古。ほんの少し遅刻。着いたら建物の外に制作の永井がいて、いままさに、僕のところに電話しようとPHSを構えているところだった。
 きたろうさん、朴本、休み。
 きたろうさんが出番のない、ラストのあたりを細かくまとめる。机上で、ここはこうしよう決めるような、演出プランを僕はたてたことがない。とりあえず、やってみなければだめだ。しかし、演出プランなんてものをたてる演出家がほんとうに存在するのだろうか。最初から、なにもかもわかるのだろうか。僕は役者が動いてみなければなにもわからない。とりあえずやってゆくうちに、新しい考えが浮かび、それまで考えていたことなど意味がなくなる。
 稽古をしているうちに、男4が、ある種のトリックスターなのだと感じて仕方がなくなってきた。状況破壊者。もしかしたら男4は、グルーチョ・マルクスのように演じられるべきものかもしれない。アンチ・ヒーローだ。だーっとやってきて、なにかよくわからず人が戸惑っているうちに、だーっと去って行く。
 往年の萩本欽一。無責任男の植木等。そして、グルーチョ・マルクス。
 そして、受ける側は、チコ・マルクスであり、クレージーの映画でいえば、人美清や安田伸、萩本欽一だったら坂上二郎ということになるのだろうか。平凡な市民たち。ごく一般的なフラットな人物たち。戸惑っているうちに、やがて、彼らの内部に、恐怖感が出現する。
『会議』という戯曲が、いよいよ面白くなってきた。
 僕の方法のひとつは、「たとえばなし演出」である。男4に翻弄される側の者らが、どう意識を持ったらいいか、男4をどう感じたらいいかについて、宮川君から質問され、僕が答えたのは、「迷惑なおばさん」である。一方的にしゃべりまくり、だーっとやってきてあたりを混乱させ、そして満足そうに去って行く、あの「迷惑なおばさん」だ。それでぴんときたらしい。もちろん、「たとえ」にすぎないが、それで役者たちのイメージは形になる。それが、僕の「経験」から生まれてきたものだとしたら、来年あたり、この方法も変えてゆかなければと思う。「経験」だから楽なのだ。なにか、また新しい方法があるはずだ。
 五時になって終了。ほぼ、形はできた。あとは反復だ。まだ、甘い部分もあるので、繰り返しやってみなければならない。
 家に戻ったのは六時少し前。ポストにいくつかの郵便物。『牛への道』の六刷が届いていた。こうして刷りごとにたまってゆくのは嬉しい。Webを作っていたらひどく眠くなる。食事もしないまま、眠ってしまった。


to 10/12

 
97/10/10

 一時から千歳船橋の公共施設で稽古。自転車で行く。少し寝不足なので家でぼーっとしていたら遅刻しそうな時間だ。遅刻をしない演出家としてはここで失敗しては役者にしめしがつかないと、上り坂を一気に走ったら足が痛い。十五分ほどで到着。五分前にならないと稽古に使う部屋に入れないというので外で待つ。他の部屋を使う老人たちが、テレビに出ている人がいるというので、意味もなく集まってくる。笑った。
 朴本のほかは、全員そろった。朴本がいなくて全員、そろったもないもんだが、とにかくこれでほぼ完全な状態で稽古ができる。
 男3が登場するあたりから細かくやってみる。
 ついつい、深刻になりがちなのを、どうやって抑制するか。考えてみると、なぜ、「演技」は人を深刻にさせがちなのだろう。必要以上に、そこで問題になっていることを大きなこととして受けとめる。どうでもいいこととして受けとめられないのだろうか。いま話をするその人物の言葉は、嘘かもしれないではないか。そのことを繰り返し言う。そういった意味では、池津が気になる。なにか、うまくやろうとしている気配がある。あまりうまくない人がうまくやろうとして失敗しがちな、どこか気持ち悪さを感じるといった気配だ。
 経験が豊富な人の中に入ると、佐伯の下手さが際だつ。気になるなあ、なんて、下手なんだろう。でも、下手な小細工をしようにもできない不器用さが、佐伯の取り柄なのかもしれない。
 村島君は、素人が見てもはっきり下手だとわかるはずだ。それがだんだん面白いものに見えてきてしかたがない。なんて下手なんだろう。笑うなあ。
 ざっと二時間、休憩なしで男3が登場してから、お茶を飲むまでを繰り返す。五分ほど休憩して、そのあとを作る。ここからは作るというにふさわしいほど、何もできていない。それにしても、きたろうさんの、表面的に取り繕うといった風情が面白い。なんだか一生懸命で、けれど、どうもうまくゆかず、また取り繕って失敗する。そういった意味では、なんだかきたろうさんのために書かれたような本だ。あきらかにきたろうさんの言葉のような台詞もある。きたろうさん、出ずっぱり、しゃべりっぱなしなので、だんだんへろへろになってくる。へろへろだが、台詞はかなり覚えている。驚いた。
 何度も繰り返し稽古してゆくうちに、それぞれがこの世界を生きはじめているのを感じる。ようやく世界の形が見えてきた。
 五時半に終了。あっというまだ、四時間半なんて。もっと稽古したいがしょうがない。たしか明日は、きたろうさんが休みで、13日まで来ない。覚悟していたことだが、ようやく調子が出てきたのに、これは痛い。
 終わってから、美術の加藤さん、小道具の武藤と千歳船橋の喫茶店で打ち合わせ。別役作品というと、どこかモノトーンの印象があるので色を使おうということになる。たしかに僕はモノトーンが好きだが、今回は特別だ。
 家に帰ったのは七時くらい。
 少しWebを作る。十一月のレクチャーのために読んでおかなければならない本が何冊もあり、とりあえず、アルトーの『演劇とその分身』を少し読でいたら、十時になっていた。ニュースステーションを見ようとテレビをつけると、ゲストが竹中だった。『東京日和』の宣伝だろう。知らなかったが、ずいぶんいろいろなところに出ているらしい。竹中の顔を見たら、このあいだ本人から頼まれたある仕事を思い出して少しゆううつになる。ま、しょうがない。それにしても、正直なことを書くと、『東京日和』に私は不覚にも泣かされたのだった。『アンダーグラウンド』のラストのあの台詞がそうだったように、柳川で姿の見えない妻を捜す竹中が、ようやく見つけたときの、あの表情に涙が出てきて困ったのだった。いい顔だった。びっくりするほどいい顔だ。試写会を見た次の日だったか、竹中から電話があって感想を求められた。
「いい顔だったよ」
 そんな感想があるものか。


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