DIARY
. 10/03 - 10/09

 宮沢章夫『稽古の日々』


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最新の日記が先頭にあります。


97/10/09  二日続きで稽古が休みである。午前中、まだ早い時間に打越さんから電話をもらう。「いま書いてます」とうそをつき、それから書き始める。『ちくま』の原稿。午前中いっぱいで終わりニフティ経由で送信。電話をしたら打越さんは食事に出たところだという。なんということだ。こっちが必死で原稿を書いているというのに、のんきに食事なんかしてやがる。まったく、民謡が少しくらいうまいと思ってめしなんか食いやがってと、なんだか理不尽なことで腹がたつ。あとは、『鳩よ!』と、『一冊の本』である。とりあえず、連休明けでいいだろうと勝手に決める。連休は編集者もちゃんと休んでほしい。
 制作の永井に電話。きのうのあの仕事はなんだったか問いつめるが、明確な答えは返ってこない。誰がいけないんだ。俺かもしれない。あと、別役さんにうかがいをたてていた、台本を加える件については、わりとすんなり了解されたと聞かされほっとする。しかし、一筆なにかしたためたほうがいいとのプロデューサーの意見。書かねばならない。
 夕方、身体のメンテナンスをしようと都立家政の中田先生のところに行って鍼をうってもらうことになっている。予約は五時。少し、早めに出て新宿をぶらぶらし、コンピュータでも見ようと決める。新宿の西口にあるT‐ZONEソリューションセンターだ。Webを作るようになってから、やたら速いMacが欲しくてたまらない。9600/350というのはどういったものか見たかったが、やはり店にはなかった。ニフティのどこかで生産中止という情報を見たが、ほんとうなのだろうか。もしあったら買ってしまったかもしれない。この物欲をどうしたものだろう。我が家では五台目のMacになる。買うかもしれない。そうなったら私も、ちょっとしたばかものである。
 Windowsのフロアーにはなんとなく行かなかった。とりあえずいま使ってる、Pentium166のマシンで事足りているからだ。ただ、メモリーをもう少し乗せたい気はするが。テキストをあつかうときはやはりWindowsだ。Macで文章を書くなんてきちがいざただと私は考えている。慣れってやつが大きいが、Windowsなら、Macで書く百倍のスピードで文章ができる。Webを作るようになってから、さらにその思いは深まった。桜井君の話によると、いとうせいこうも、あまりのシステムエラーに耐えかねてMacで文章を書くのをやめたという。賢明である。でもWebは、Macだ。Macじゃなきゃ作れない。というのも、Macでしか動かないソフトで作っているからだし、Photoshopも動かない。結局、僕には、MacかWindowsかってくだらない二元論はないのだなきっと。都合のいいように使う。自分が使いやすいのが一番だ。
 中田先生のところで鍼を打つ。
 ものすごく痛い。きょうは身体が特にだめだったから鍼の痛みも強烈だ。中田先生もなぜか気合いが入っていて、時間は長いし、鍼を打つ手にも力がこもる。これで、本番まではなんとかもつだろう。
 鍼を打ったらとろーんとした気分になった。気持ちいい。
 帰り、新宿で食事。
 帰ってテレビをつけたら12チャンネルで、『羊たちの沈黙』をやっており、レクターが主人公の女から羊の話を聞き出すところだけのために、つい見てしまう。やっぱりあの場面はいい。たとえ日本語吹き替えでも。
 台本を読んで予習。
 あしたからまたしばらく稽古が続く。

to 10/10


1997/10/08  稽古は休み。昨夜、睡眠薬を飲んでベッドに入ったので、久しぶりにぐっすり眠った。目が覚めてからしばらくは薬が抜けないせいかぼんやりしていたが、メールのチェックなどし、すこしづつ頭がはっきりしてきた。午後から関西で出ているJAMCiという演劇雑誌で大人計画の松尾スズキと対談する仕事があると事務所から言われているが、それ以上のことを何も聞かされていなくて、少し不安になる。しかも、場所が六本木の写真スタジオだという。いったい何を話すのだろう。
 シャワーを浴びてようやく目が覚め、家を出た。
 渋谷の東急プラザの一階で制作の永井と待ち合わせし、バスで行ってもよかったが、面倒なのでタクシーに乗る。あっけないくらい近くだった。スタジオに着くと、スタジオの前に若い男がいて、ぼーっと椅子に座っている。スタジオの中ではカメラマンが助手を使ってスタンバイしている。まだ何を話すのか、どういう趣旨なのかわからないので戸惑っているが、若い男はただ座ったままだ。誰も何も言わないので目の前に用意されているポットのコーヒーを飲んでいいのかさえよくわからないことになっている。こういう状況は面白い。しばらく黙って待っていようと考える。
 しばらくして、松尾スズキ登場。松尾もこの仕事に関しては何も話してくれない。
 で、あのぼーっと座っている若い男は何者なのだろう。編集者なのだろうか。そうではないのだろうか。
 松尾と会うのは、岸田戯曲賞の授賞式以来だ。いろいろ話す。「きのう、精神科医の人と対談をしたんですよ」といきなり言うので、その手の話で盛り上がった。面白かったのは、いつも白衣を着ている患者がいるという話だ。で、医師に間違われるので、白衣の背中に大きく「患者」と書いているという。笑った。
 日経新聞の中西さんが来る。中西さんもこのあいだ僕が文学座に書いた芝居の話をはじめ、いっこうに説明はない。もしかすると、すでに内容を了解ずみだと思っているのではないか。どこかで話が滞ってしまっているのだろう。うちの事務所だろうか。よくわからないが、こういう状況は面白いとあらためて思う。
 若い男がようやく自己紹介し、どうやら僕は一度、会ったことがあるらしい。「JAMCiでエッセイを連載しているんですよ」という。ああ、そうですかとしか言いようがないが、それよりきょうの説明をしてほしい。
 写真撮影。松尾とならんで、スタジオで撮影するのも奇妙な話だ。このところ、取材が重なり写真を撮られることが多いが、そのことにだんだん慣れてくるのもいやだなと思う。
 撮影が終わって、スタジオの二階で松尾と対談ということになる。ようやくJAMCiで大人計画の特集があり、その中の対談だとわかってきた。しかし、何を話せばいいのかわからない。若い男もよくわからないまま、ここにいるのだと判明する。気の毒なことに、対談にあたって何を話していいのか彼もとまどい、だんだん、僕も話をする気がなくなってきたし、もしかすると、この若い男は、「かなりばかなのではないか」という気持ちが高ぶってきているので、ばかには何を話してもしょうがないと考え、めったにないことだが、こういう場所で無口になっていった。しかも若い男は、途中から、大人計画の次回公演について取材を始めた。すると、俺はいったいどうすればいいのかということになるのは当然で、早く帰りたくなった。
 家に戻ったのは夕方だ。
 メールのチェックをすると、見知らぬ名前の人からメールが来ている。で、よく読むと、筑摩書房の打越さんだ。日本一民謡のうまい編集者である。いつも原稿を送っているメールアドレスだが、打越さんの名義ではなく、会社の人の名前だからわからなかった。しかも、なにをばかなことをしているのかと思うが、自分の名前がない。文面で打越さんだとわかるからいいが、少しくらい民謡がうまいからといって名前も書かないとはなにごとだ。
 原稿の催促だった。
 文面から察すると、かなり怒っているのではないか。「ホームページ作りは面白そうですね」と、いきなりイヤミからはじまる。これはまずい。民謡のうまい女が怒っている。いきなり民謡を歌われたらかなりまずいだろうやはり。
 深夜、Webのコントロールパネルを調べたら、火曜日の訪問者の数が300人を突破していた。かなり増えたが多いのか少ないのかよくわからない。ただ、これだけ見に来てくるんだから、もうあとにはひけぬ、たとえ、打越さんが民謡を歌おうと、もうやめられぬと思った。

to 10/09


1997/10/07  朝四時に目が覚め、Webの更新をする。それからいくつかの仕事をしてからあらためて寝る。再び目が覚めたのは十時半だった。
 歯医者の予約を入れていたのを忘れていた。午後二時だが、午後からは稽古があるので行くことができない。その旨、歯医者に電話をしたら、そのうち歯が全部、抜けますよと脅かされた。困った。朝日と東京新聞を丹念に読む。それにしても、東京新聞の占いのようなコーナーが面白い。占いなんだか、説教なんだかわからないことが書いてあって、しかもそれがいつも、よく理解できないのだ。
 朝日の原稿は断ったのだが、原稿を断るのは久しぶりだ。どう考えても書けないからしょうがない。そのことで丁寧なFAXをもらった。いい人だった。
 午後から稽古。稽古場は深沢にある公共施設。バスで行こうか悩むが、地図を見たらたいした距離ではないのでやはり自転車で行くことにする。家からほぼ直線を進めばいいのだと知る。上町を抜け、ぼろ市で有名な代官通りを走り、駒沢大学の方向へ進む。246に出ると、あと少しなのだが、意外にそこまですぐだった。結局、二十分で目的の場所に着いた。一時にならないと部屋に入れないというのでロビーで待つ。みんなやけに早く着いていてそれぞれ台本を読み、せりふを覚えている。
 原さん休み。村島が遅い。
 全員がそろって稽古できるのはいったいいつのことになるのだろう。
 一時稽古開始。男3が登場するあたりから、全員でお茶を飲むまでを集中的に稽古する。一度、やってみたが、やっぱりきたろうさんの位置が変だ。「きのうはここにいましたよね」と宮川君が言う。「そうだっけ」ときたろうさん。よくよく考えてみると、完全な円形で芝居をするからと、僕が毎日、見ている場所を変え、きたろうさん、それに影響されているのだとわかる。つまり、何かを手がかりにしないとうまく動けなくて、それが僕のいる場所だったのだ。毎日変えているから、どうしたって、立ち位置が変化してしまう。ちょっと笑った。
 宮川君は、道具方という役を意識しているのか、やけにべらんめえ調なのが気になる。で、そこで思い出したのだが、いつも宮川君には稽古のはじめ、それを注意してやめさせているのではなかったか。つまり、道具方とかそういったことではなく、彼はそれが一番、楽に出来る芝居なのだろう。自分の劇団ではそういった芝居なのかもしれない。それを忘れさせなくては。池津がやけに役を作っているのが気になる。どうやら稽古の前に台本をよく読んで、決めてきたらしい。役者がそんなことを考えてもろくなことがない。どうしてそのことがわからないんだ。何人か、そういうやつがいるので、それをやめるよう指示。
「何も考えずに稽古場に来い」
 役者は、何か手がかりがないと不安になるのだろう。それで、「役作り」などといったばかなことをしはじめる。稽古場で、目の前にいる人物との関係でしかなにもできないはずではないか。せりふを覚えるだけでいい。あとは稽古の中で発見してゆけばいい。稽古場では失敗だって許されるのだから、そのなかで見つければいいはずだ。
 夕方、終了。
 まだまだだ。まだ、何もできていない。

to 10/08


1997/10/06  また早朝に目が覚めてしまった。仕方がないので仕事をする。舞台に関する思いつきを書いてみる。意外に筆が進み、というかキーボードが叩けたので、すいすい書ける。きょうは昼から稽古なので、それまでに間に合いそうだ。プリントアウト、さらに自宅でコピーもし、全員分の台本を作る。自分の家で台本をコピーして行く劇作家はほかにあまりいないと思う。11時頃、作業がおわり、ようやく落ち着く。落ち着いたら眠くなってきたが、これから稽古だ。眠っている場合ではない。
 十二時半に家を出る。自転車で稽古場へ。世田谷線、宮の坂の駅から約0分の場所。ということは家からものの三分。自転車なら一分で行ける。
 原さんが休み。きたろうさん遅刻。稽古場に入ってくるなり、「迷っちゃったよー」との声。車でここまで来たらしいが、世田谷の住宅街は一方通行のところが多いから、おそらくそれで困っていたのだろう。最初に、きょう作ってきた台本の読み合わせ。それからきのうの作業の反復。きたろうさん、動きを理解するのにかなり時間がかかる。面白いようにだめだ。円周を移動して長いせりふを言わなくちゃならないが、気がつくと、決められた場所とはちがうところにいる。ところが、台本は手にしているものの、よく見ればほとんど見ていない。もうせりふを覚えたようだ。気合いが入っているので驚いた。村島君が下手なので面白い。ひとりだけ、素人が舞台上にいる感じがする。彼も気がつくと、訳のわからない位置に立っている。決めたはずなのに、なぜ、そうなるのかよくわからないものの、あまり決めすぎて、生き生きとしていない舞台はいやだ。
 そうしているうちに、時間は刻々と過ぎてゆく。一日の稽古なんてあっというまだ。何度か繰り返し、ほぼ基本的な形を作る。これから徐々に、さらに細かい作業にはいる。きょうは朴本が来た。だが、出番がごく少ないので仕方のないことなだが、ほとんど稽古する時間がない。いったい、朴本をどうすればいいんだ。よく劇団などで、ほんの一瞬しか出てこない俳優がいるが、劇団の場合はあれでいいのだろうか。劇団だから、ほかにする仕事があるのかもしれないが、遊園地では、こういったことをどうすればいいのかと思う。
 稽古終了後、演出助手の秋本、深見、それからきょう手伝いに来た役者志望の丹羽、制作の永井を家につれてきて、一緒に食事する。秋本、深見、丹羽は180近く身長があり、三人が家に入ったら、ほんとに暑苦しい。
 でかいやつも、考えものである。

to 10/07


1997/10/05  朝、五時に目が覚める。しばらく仕事。仕事をしている途中で、舞台に関するある思いつきが浮かび、それに取り付かれる。やるか、やめるか、迷いつつ、少し、書いてみる。書かなければだめだ。身体がそうなっている。書きながら考えがまとまってゆく。
 どうも身体の調子が悪い。寝不足か。風邪か。八時頃、いったん寝ることにした。目が覚めると十一時だった。身体の調子がいよいよ悪い。寒気がする。なにかあたたかいものを食べたくて外に出、中華料理屋で食事。帰り、薬局でお湯に溶かして飲む風邪薬を買う。
 もう一度、寝ようと思って布団にはいるが寝付かれない。だが、眠気なのか、風邪のせいで身体がだるいのかよくわからない不快感が身体をおおっている。
 夕方、稽古に向かう。六時から、千歳船橋の公共施設で稽古。そんなに遠くはないので自転車で行くことにした。制作から渡された地図を見ながら走ると、そこはよく自転車で来るところだった。
 きたろうさんと、朴本が欠席。
 稽古がはじまったら、それまで調子の悪かった身体が一気に快復。広い体育館の中央に舞台の円を作る。今回の舞台もまた、完全円形にした。このところ、プロセニアムの舞台に違和感を感じてしょうがない。で、基本的な動きを決める。演出助手の深見がきたろうさんの代役。たっぷり四時間で、だいたいの動きや、位置は決まった。そうして全体を見ると、いろいろなことがわかる。本を読む。それを書き写す。実際に動いてみる。という三段階で、戯曲の構造が理解できてゆくのは面白い作業だ。もちろん、戯曲を解釈するという意味ではけっしてない。
 十時終了。自転車で夜の道を走る。快適である。

to 10/06


1997/10/04 稽古なし。朝、八時に目を覚ます。午前中は様々な仕事。月曜までに原稿を何本か上げておかなくてはいけない。一番、やっかいなのは朝日新聞の原稿か。分量はそうでもないが、内容がたいへんだ。引き受けるとはっきり返事をしたわけではないが、締め切りは来週のあたまだった。
 午後、リクルートの人に会う。来年のガーデニアン・ガーデンの審査員というものを頼まれる。面白そうなのですぐに引き受けてしまった。話を聞いたら大変そうである。で、審査員をするとフェスティバルの最後に、なにかお手本のようなものを上演させてもらえるそうだ。いい機会なので、そこでロマンチカの林さんと何か作ろうと考える。
 夕方、家に戻って仕事。Webを作る。サッカーの中継を見ようと思っていたのに、すっかりWebに夢中になって忘れてしまった。ニフティに入って、結果を調べたら引き分けだという。なぜだ。ヤクルトスワローズ優勝、ジュビロ磐田優勝と、このところいいことばかりだったのに、全日本はだめである。外は雨が強くなっている。岩波新書『裏日本』を少し読む。

to 10/05

1997/10/03  青山円形劇場のあるこどもの城の九階、以前、宣伝用に写真撮影をした会議室で第一回目の顔合わせ。開始は二時だが、一時間前に着いて、演出助手の秋本と打ち合わせ。少しづつ、役者たちが集まってくる。廊下から声がし、声から登場する人がいて、「風邪ひいちゃったよー」といちいち口に出さなくてもいいようなことを言う。あんのじょう、きたろうさんだ。
 自己紹介など型通りのことをする。
 これまで一緒に舞台をやったことのある者はいいが、初めての人はまだなじんでいないのか、おとなしい。宮川君がやけに静かだ。不気味である。本読み。別役さんの戯曲を書き起こし、僕が注釈を付けた上演用台本に、書きうつしのミスがあるので、それを役者たちに伝える。ざっと読んだら、一時間七分で終わってしまった。こんなに短い舞台をやるのははじめてだ。『会議』上演前に、「会議」をテーマにしたスケッチをやろうかと、真剣に考える。でも、そんなことをしていいかどうか、よくわからない。
 しかしながら、台本を書き換えたり、何かしたところで意味はないと思っていたし、演出する者が、「作為」を持たない、解釈しない、なにもしない、というのが基本方針である。スケッチをするのはその基本方針に反するのか。けれど、戯曲にはまったく手を付けないのだからいいのかもしれないし、そこはまだ、作品がはじまっているわけではないと考える手もある。結論が出ない。だけど、一時間七分はなあ。客に申し訳ないと思えてならない。そういうことじゃないような気もするが。
 夕方から青山の参番館というところで全員で食事。
 きたろうさん、原さんとゆっくり話しをする。
 何かものすごく疲れた。
 終わって、家までタクシーで帰る。
 家についたら、ぐったりした。久しぶりに大勢の人に会ったからか。身体を稽古用に切り替えなくてはいけない。

to 10/04






B A C K
U P
P E R F O R M E R