|
|
| PAPERS | 京都その観光と生活 | 市松生活 | からだ | トーキョー・ボディ | send mail |
May.31 sat. 「書いてもしょうがないこといろいろ」 |
■というわけで私は人に疲れてしまった。
■東京に戻ると都心をクルマで走って気分転換。週末の恒例。いや、「人に疲れた」と書くと人嫌いに思われるかもしれないが、人は好きなのだ。なんていうか、たまにはくつろげる会話がしたいが、学生は圧倒的な他者であり、他者に向かわねばと思いつつも、それに持ちこたえる体力が不足している。大学に行っても研究室にあまり足が向かない。ある学生が研究室に行って僕がいないのか研究室にいた誰かに訊ねたら、「あの人は来ません」と答えられたという。授業が終わると一人になりたくてすぐホテルに戻ってしまう。それにしても研究室の事務担当のKさんに気を遣わせて申し訳ないのは、私がなにかとものを忘れがちで、迷惑ばかりかけているからだ。だめである。ただ授業はちゃんとやっているつもりだ。やはり学生から聞いた、他学科の教員が平気で一時間ぐらい遅刻してくるという話にくらべたらなんて律儀なんだ俺は。というか、舞台の教員はみんな死にものぐるいで教えており、後期に来る劇作家の松田正隆は、舞台表現の発表公演のために、去年、ものすごく時間をさいて稽古をしたという。頭が下がる。でもそういう教員ほど報われない。一時間ぐらい平気で遅刻してきて「やあ」と明るい顔で教室に来るという教員のお気楽さがうらやましいというか、ばかやろうである。
■都心を走るのは適度な緊張感と心地よさがあっていい。きょう緊張したのは免許証を持たずに家を出てしまったことだろう。免許不携帯である。警察に止められでもしたらことだ。なにしろタバコとクルマのキー以外なにも持たずに家を出た。
■気晴らしというと、たとえば、次期PowerMacの発売時期に関する情報をネットで探し、情報を分析、予測するといったもう何年も続いている遊びがあるわけですけれど、2チャンネルの「PPC970(簡単に書けば新しい種類のCPU)スレッド」を読んでいたら、かなり高度な技術情報を書きこみながら、それでいて最後にこうまとめたポストに笑った。
「おれ、魚屋なもんで、これ以上は」
面白かったなあ。いきなりなにを言い出すんだと思った。PPC970を積んだPowerMacは6月23日に出ると一部での噂。あるいは年末だろうという話もあって情報は錯綜。買うべきか、次を待つべきかといった、このスリルがMacの最大の魅力である。で、失敗したと思ったら、持っている機種をどうやって最強にしてゆくかというのまた遊びとしては面白い。でも金はかかるよ。
金がかかるといえばクルマだが、クルマ一台一台はオンボロでいいから様々な種類のクルマを何台も乗りたいという欲求があってですね、とにかくボロでいいからマニュアル車が一台ほしい。軽トラでもいい。で、そうなると車庫が問題になるといったことが都心ではあるのだった。茨城のほうに車庫証明のいらない村があってそこでクルマを登録し都内で販売するというダークなサイドの業者がいる話をなにかで読んだ。車庫証明がいらなかったらいいよなあ。そのへんにほっとけばいいわけだろ。
免許を取って五年間無事故無違反の者にはゴールド免許が渡されるが制作の永井は驚くべきことにゴールドである。五年以上、無事故無違反。なにしろ乗ってないんだから事故も起こさなけりゃ、違反もしない。去年、そのとき三年生だった舞台コースのD君にゴールドの免許を見せてもらったのだが、考えてみると、いったいD君は何歳なんだ。
■東京に戻ってくると仕事部屋は荒れ放題。仕事をしなくちゃいけないと思いつつ、片づけのことを考えるとうんざりした気分になる。少しずつ疲れがたまってきた。「一人になりたかったの」という、なんか昔、稽古場を抜けだしたある女優の言葉を思い出す。まあ、一人になりたいとはいうものの、誰か遊びに誘ってくれたらいいと思うのは、たまには気の合う連中とばか話をしたいからだ。
(13:30 jun.1 2003)
May.30 fri. 「学校の地べたに腰を下ろしてカレーを食べる」 |
■ひとまず木曜日(27日)のことを書いておけば、このノートを書くひまもないほど忙しく、朝九時から夕方まで授業があったのはともかく、授業が四時に終わってから約束していた舞台コース一年生のS君の話を聞き、夕方からは映像コース二年生の学生たちと飲み会があったのだった。解放されたのは深夜の12時で、一日中、学生の相手でひっきりなしの忙しさだ。教員は忙しいのである。へとへと。最後は、「申し訳ない、帰らせてくれ」と頼んだくらいだ。
■救われたのは、『トーキョーボディ』の最終オーディションまで残り「演劇集団・円」に所属しているIくんが京都にきていたことで、授業を見学していった。I君は江戸川の同潤会アパートに住んでいたという。六月に取り壊されるそうだ。写真を見せてもらった。建築的な価値があるかどうかよくわからないが、単純にもったいないと思うものの、まあ、ふつうに住んでいる人にしたらただの古い建物なのかもしれない。坂口安吾だったらそんなものすぐ壊しちまえと言うだろう。ニーチェも言ったような気がする。
■映像コース二年生たちとゆっくり話をするのははじめてで、それぞれのことがよくわかって面白かった。酒を飲め酒を飲めとうるさくてしょうがない。飲めねえんだよこちとらは。そのころ映像コースの学生と僕が飲んでいると知った舞台コースの二年生たちは対抗して鴨川の河原に集まり飲み会をやっていたという。よくわからない。だけどほんとみんなよく飲むよ。
■金曜日。朝、ひどく目覚めが悪い。朝食でコーヒーを何杯も飲んで目を覚ます。九時から授業。『アイスクリームマン』の読み合わせ。三場と四場を読む。とくに四場の読みが進んでいないので集中したいが、すぐに時間は来てしまうのだった。気がつくともう昼である。午後、大学内にある歌舞伎用の劇場春秋座で『茶壺』の公演があって、茂山千之丞と板東三津五郎による、狂言と歌舞伎のそれぞれの『茶壺』だ。
■比較して見ることでいくつか気がついたことがある。もちろん歴史的にも狂言のほうが古くから存在するが、歌舞伎の持つエンターテーメント性は発生した時代と、それが熟成されていった時代の要請とも呼ぶものを感じる。華やかな舞台。音曲。謡いの響きは心地よくもあるし、役者が登場した瞬間に発生する劇場の熱気のようなものは独特だ。客席から声がかかるとあたりがぱーっと明るくなる。で、話の筋にはあまり興味がないものの、二つの『茶壺』のラストが異なるのは面白いと思った。どちらも喜劇的なオチだが、狂言のほうがナンセンス度が高い。歌舞伎は論理的に終わるが、狂言は論理をぶちやぶって終わる。ここが面白かった。というか、狂言の『茶壺』を見ている途中、こういうふうに終わったら笑うのになあと思っていたら、ほんとにそうなったことの驚きがあった。つまりでたらめなのだった。歌舞伎にそのでたらめさは薄くむしろエンターテイメントとしてのつじつまがしっかり収まっている印象を受け、こんなところにも狂言、あるいは能楽と歌舞伎のちがいがある印象を強く受けた。
■つまり歴史のどこかで「ナンセンス」を否定する動きが出現したということだ。
■話は昼に戻るが、舞台表現の授業で演出助手をやっている映像コース二年のYと一緒に大学の表玄関にあたる大階段でカレーを食べた。カレーは人間館と呼ばれている建物の前で映像コースから舞台に転コースした三年生のAがバイトで売っている。一杯二百円。安い。Yにおごっても四百円。大階段から下を走る白川通りを見ながらの食事はうまい。いつまでこうして地べたに座りながら食事をすることが許されるのかと考えるが、ほんとはもう、そんなことをしてはいけない年齢かもしれないと思いつつも、この歳になっても学生とこうしてカレーを食べていられるのは幸福なことだと自分を納得させる。
(16:27 may.31 2003)
■いろいろな方からメールをもらうが返事を書けないのがほんとうに申し訳ない。あと、連絡を取っている編集者の方々にもなかなか会う機会がないのはどうしたって京都にいる時間があるからだ。日曜日だと助かるが編集者もたまの休日だろうから申し訳ない。で、月曜日になると、あしたは京都かと僕のほうが調子が出ないわけで、「あしたは京都」というこの気分は学校に行きたくない子どもじゃないか。
■これは具体的ではないので書けないがある出版社の方からも会わないかとメールをいただいた。ありがたい。
■マガジンハウスのNさんに七月にある神宮球場のヤクルト・巨人戦に誘われた。すごくいい席だという。残念だが、七月はほとんど京都である。夏の神宮球場はすごくいいのだった。試合開始ごろはまだ日があって明るいが、それがだんだん暮れなずんでくる。ドームでは味わえない空の色の変化を感じることができ、しかも神宮はスタンドが低いので、空がとても広く感じる。空の色の変化がとてもいい。横浜球場はすり鉢状なので空があまり広くはないのだ。ヤクルトが好きでなくても、野球に興味がなくても一度は神宮球場に行ってみよう。ほんといいですよ、都心の真ん中にもこんなに気持ちのいい場所があるのだと見ておくだけでも価値があると思う。
■サッカーも生でもっと見たいと思うけれど、味の素スタジアムは遠い。っていうか、僕の場合はそうだが、近所の方はぜひともゆくべきだ。たまたま神宮は自転車で行ける距離。でもかつて一度、豪徳寺から自転車で神宮まで行ったのだから、豪徳寺もまた神宮に自転車で行ける距離だった。
■三坂からメールをもらった。ニフティを退会していたことでリンクが切れていた問題についてだ。「そのことに誰からもクレームが来なかったことから考えると、誰も読もうとも思っていなかったのか。がっかりだ」と僕が書いたことについて、
「いや、そんなことはないです」とメイルしようと思いました。たしかに、PAPARSトップページから「HFN」(すでに私にはこれが何の略かさえ分からないです)というページにとぼうとしても、リンクのアドレス<http://homepage3.nifty.com/computer/>がNot Found になってしまってつながらず、「宮沢さんお忙しそうだし、きっとアドレスがかわってリンクをはり忘れているのだろう」くらいに思っていたのです。papersには他にもいくつかリンクはり忘れ、あるいは工事中のページがたくさんありますから。(QVismのnextとか見たいのですが飛べませんし。)まさかニフティのページそのものが消滅しているなんて思いもしませんでした。
申し訳ない。もうちょっと「PAPERS」全体の整理をしなくてはと常々思っており、たとえば著作紹介のページなどあるときから停滞したままだし、そもそも、舞台の記録のページがないのもだめだ。あと「QVism」はあのページしかありません。いちばんデザインに熱心だったころに勢いで作ったページ。「next」はそもそもないのである。で、三坂のメールでもっとも注目すべきなのは、
「HFN」(すでに私にはこれが何の略かさえ分からないです)
じつは自分でもしばらく思い出せなかったのだった。なんだこれは。なんの略だ。正確には「HfNT」と表記すべきなんだと思うが、「Hacking for New Trip」の略でコンピュータ関係に特化したサイトをべつに設けそのなかに「コンピュータで書くということ」もあったのだ。近日またアップし直そう。
で、「Hacking for New Trip」は、もう10年近く前、あるフリーペーパーに書いたコンピュータに関する小説のタイトルだ。いまでこそコンピュータの、たとえばネットの掲示板を素材にしたり、舞台にした小説は存在するし社会的にも文学の世界でも認知されてきたが、当時、コンピュータについて書いたところでコンピュータや「パソコン通信」と呼ばれたものに接していた者以外は相手にもされなかっただろう。なにせ、コンピュータに関しても、ハッキング(あるいはクラッキング)という特別な世界のことを書いた『草の上のキューブ』は、コンピュータというだけでだめな人にはだめでした。
それはともかく、ウェブ運営ってのは、忙しい仕事で、もちろん内容やデザインも大事だが、どうやって目的のページにうまくたどりつけるか、あるいは、たどりついたら今度は、どうやってまたべつのページに簡単に移動できるかという仕組み、なんていうんだろう、ユーザーインターフェースとかそういうやつだったか、それこそが大事なんだろうと、ネットを利用する立場になれば感じるので、まだまだ、わたしのサイトはだめなのだった。複雑にいろいろなページがあるのはそれはそれで楽しげだが、そういった使いかってのよさこそウェブデザインなんだろう。それを考慮したサイトの作りこそプロのウェブデザイナーの腕なんだろう。僕はプロではないけれどサイトを運営している限りはなんとか努力しようと思うのだった。
■きのう(27日)、京都にまた来ました。で、今朝は授業。ホテルには修学旅行の中学生たちが同じフロアにおり廊下がうるさくてその声で六時過ぎに目が覚めた。寝不足。午前中の授業が終わるころにはひどく眠くなっていた。午後ホテルに戻ってホテル下のパン屋で買いものをし食事。眠ろうと思ったがここで眠ってしまうと夜眠られずあしたの授業に支障が出る。がまん。しばらく本を読んでいたがとうとう眠ったのは午後三時過ぎか。目が覚めたのは夜9時過ぎ。しまった。よりによってやけによく眠ってしまった。
(0:52 may.29 2003)
May.26 mon. 「いろいろ後悔する月曜日」 |
■考えてみたら、もうずいぶん以前、ニフティを退会していた。
■そのことをすっかり忘れており、おとといのノートで「コンピュータで書くということ」をリンクしようとしたがそのデータはすべてニフティのサーバに保管しそこでサイトを開いていたのだった。いつのまにか消滅していたっていうか、必然的に閉じられていた。それを知らずに「コンピュータで書くということ」のページがあると思いこんでおり読んでくれる人もいるだろうと思っていた。どれだけほっといたんだ。あと、そのことに誰からもクレームが来なかったことから考えると、誰も読もうとも思っていなかったのか。がっかりだ。
■なんでそんな面倒なことをしたかというと、<u-ench.com>のサーバーの容量に少しでも余裕を持たせようと思ったからだ。バックナンバーもどこかに移動させたいしとか、いろいろ計画はあるわけですけれど、バックナンバーの場合、するとですね、サイト内のリンクをすべて書き直さなくちゃならないというとてつもなく面倒な作業を強いられる。それを考えるとどうにもやる気にならない。
■いや、かつてだったら、そうした作業自体、楽しめていたのではないか。こつこつソースを書き直すのも案外楽しい仕事だ。たとえばこのノートは、miという名前のHTMLエディタで書いているが、ローマ字部分を半角英数字にした場合、Windowsではやけにしょぼいフォントになる可能性が高いのでいちいちスタイルシートでフォントを指定するという面倒な作業をする。それはそれで楽しい。こつこつやるのもまた楽しい。とはいうものの、何度も書くようで申し訳ないがWebデザインにすっかり飽きてしまった私は、それ以上、新しいことをしようという意欲がわかない。まあ、身辺がやけに忙しくなった事情ももちろんあるのだけれど。
■またたくさんメールをもらったが返事が書けぬまま、毎日新聞の連載原稿を書いていた。
■書き出せばそれほど時間はかからない。なにを書くかでいつも悩むというか、こうした短い分量のエッセイはそれがすべてといっていいくらいだ。それで一日が過ぎてゆく。ようやく夜11時過ぎに書き上がる。28日に掲載。まだ「考える人」の連載があるし、「ユリイカ」の「チェーホフを読む」もある。柏書房の本の作業も進めなくてはいけない。過去の「市松生活」を読み返したら、というのも、毎日新聞の連載に書けるようなことがないか探していたわけだが、で、去年の九月くらいから小説を書くとくりかえしている。なんだかすごく恥ずかしい。だめである。ほんとうにだめだめだ。
■こうして後悔と慚愧の念をいだいて私の東京生活は過ぎてゆき、また京都へ。毎週、京都に行く、と言葉にすればすごくいいことのように響くが、こうした生活のなかの京都はいかがなものか。
(11:52 may.27 2003)
■ジュビロは引き分けだったしエスパルスは負けだしで、気分の悪い日曜日になってしまった。いちいちスポーツの結果で気分が左右されるのもいかがなものかと思う。ところで次の日本代表戦のメンバーが発表されたがファンには申し訳ないけれど、ベルギーのゲンクの退団が決まった鈴木がやはり選ばれているのがどうも腑に落ちない。いや鈴木に非はないというより、結果を出して選出されるのなら鈴木も堂々と代表でいられるだろうが、Jリーグをはじめ、海外のリーグにしろ、結果を出せないまま選ばれるのは選ばれた者もすっきりしないだろう。
■セレッソの大久保が選出されたのは納得がゆき、中山とのツートップが見たいというか、欲を言えば高原とのツートップが見たいけれど、これでまた、中山と鈴木のツートップだったらいかがなものか。トルシエが代表監督だったころ、それを批判する声はしばしばあったが、ジーコになってから、批判しちゃいけないような空気がただよっていないか。端的に言えばなんでこんなにアントラーズ関係の選手が選ばれているかだ。マリノスの久保が選ばれずに、なぜ鈴木が選ばれるのか。ゲンクでほとんど出番のなかった選手と、Jリーグでひたむきに走っている選手とどっちが選ばれるべきか。
■私は圧倒的にJリーグを支持する。プロ化されてはじめて日本のサッカーは強くなった。まだプロ化されていなかったころのリーグ宣伝のために、あの釜本さんがポスターで素っ裸になったことがある。逆効果じゃなかっただろうか。ゲンクったって、ヨーロッパにあるとはいえたかがベルギーのリーグじゃないか。スペイン、イタリア、イングランド、ドイツに比べたらどうなんだ。高原はドイツで点を取っている。鈴木はベルギーで出番すらない。だったらJリーグで走る久保を出すべきだ。大久保と久保のツートップはどうだ。名前が似ていて面白いじゃないか。
■まあ、むきになって書くような問題ではないわけですけれど、腑に落ちないものは腑に落ちない。
■日曜日。原稿の締め切りがたまっている。ウイークデーは京都で大学の授業があり、東京に戻れば締め切りのことでせっぱつまっている。この循環がどうも精神的によろしくないのであった。人はこういうとき、「サウナにでも行ってくるか」と口にしがちだ。そういえばかつてあんなに行ったサウナだがこのところずいぶん足が遠のいた。
■サウナには様々な謎がひそんでいる。たとえば、新宿にはサウナが多いが、渋谷には少ないという疑問がある。新宿はほんとうに多い。びっくりするほどその数が多く、たとえば人は新宿駅に降り立つと、まず、きょうはいったい、どこのサウナに行けばいいんだと悩むのである。ここに新宿がもたらす苦悩がある。私がよく行っていたのは歌舞伎町のはずれにあるグリーンサウナと、伊勢丹会館のなかにある名前を失念してしまったサウナだ。いや、サウナの話などどうでもいいのだ。
■日々は循環し油断していると同じことのくりかえしになってゆく。それで人は日々にイヴェントを持ちこまなければいけないと様々な工夫をこらしてきた。「パーティー」がそうであり、「旅」がそうであり、「大掃除」がそうである。そこで「劇的ってやつ」が生まれるということになっているが、「大掃除」の場合、その途中、むかしの写真が出てきて懐かしい気分にならなければいけないのだし、「旅」や「パーティー」では素敵な異性に出会わなければいけないのだった。もちろん、日々の生活にとってはそれはきっと大事なことにちがいないが、だとしたら、演劇にしろ文学にしろ、「表現されたもの」がそれと同様のレベルで人の「生」を語ることに意味があるか。イヴェントがまるごと語られる必要があるだろうか。
■表現するに価するのは、「日々の循環」そのものの、裏側にかすかに流れる、人の生のずっと深い場所に存在するなにかではないかと想像する。「日々の循環」もまた様々な姿をしているにちがいないが普遍的なものはきっとある。そこをみつめる目がほしい。どうやってその深い場所までたどりつけるか。
(11:25 may.27 2003)
■ものを「書く行為」は身体的なものである。つまり「手」が書いている。
■一日このノートを怠けるといわゆる「からだが冷える」ということになってつい書けなくなる。というわけで今週はノートが停滞した。からだが冷えたのだ。こうなるとスポーツ選手のようなものだ。書いていれば持続できるのはつまりからだが暖まっているからで、暖まったからだは、なんの苦もなく書きつづけることができる。
20日 京都へ。今週の目標。京都を歩くこと。
21日 授業。午後、授業を終えてからためしに寺町二条あたり、さらに三条を歩く。カフェがやけに増えていた。久しぶりだったので、「コチ」「オパール」などのカフェをめぐる。京都カフェ観光。
22日 一日授業。この日のホテルは河原町三条の近くにある「京都ロイヤルホテル」。いいホテルだった。夜、食事をしに出、近くを歩くと、「ルゴール」「みつば」というカフェへ行ったがたいへんな距離である。歩いた。京都を歩いた。夜の京都は暗いのだった。
23日 午前中の授業を終えたあと、京都国立博物館へ『空海と高野山』という展示を見に行った。ものすごく人がいた。入場するのに45分待ち。空海というか弘法大師の「書」のグラフィカルな美しさに驚いた。夜、東京に戻る。
といった日々であったが、そのあいだ大学を歩くと学生たちから声をかけられ「のみに行きましょうよ」とか、「聞いてもらいたい話があります」とか、あるいは松倉とはゆっくり話をしようと約束をしていたが、「じゃあ来週」とそのたびに返事をしていたので、来週はまた忙しくなってしまった。
■で、きょうは世田谷文学館で講演。クルマで甲州街道を京王線・芦花公園という駅の近くまでゆく。芦花公園駅の商店街を通ったがはじめて来る町だった。駅からわりと近くに世田谷文学館はある。とてもいい施設だった。展示室では寺山修司展を開催していた。二時から講演開始。四時まで話し続けた。こうして人前で話すことはかなり増えたがまだ慣れない。特に前半がだめで、緊張するのかどうも硬くなる。それが徐々に調子があがるのは、やはり「からだがあたたまる」という状態ではないか。
■話の内容としては、かつて書きつづけた「コンピュータで書くということ」で考えていたことをベースに、このところ記している、演劇をはじめとする表現についての考えをからめ、それらをリンクさせてまとめた。で、ノートがわりにiBookを持参したが話そうと思っていたことをまとめたファイルが見つからないので、ただ持っていったことになってしまった。なんのためのiBookだ。世田谷文学館では講演している模様をビデオに記録しようと準備していた。それが中央の机の前にあって机で話すのを前提にカメラを設置したが、そこから離れ、僕はホワイトボードの前でほとんど話をしていた。ビデオには、机と、その上にあるiBookだけが映っている。この状態がなんだか笑えた。話の中心がコンピュータで書くということだから、話している声と、iBookだけは記録され、それはそれで面白いビデオ作品になっているのではないか。
■終わってからサイン会がある。たくさんの人が来てくれて単純にうれしい。で、ワイヤードの翻訳をしているT君や『トーキョー・ボディ』のときWebでインタビューを取り上げてくれたMさん、編集者のE君も来てくれたが、青山ブックセンターの方もいらして、しかも、青山ブックセンター六本木店の文庫売り上げ表のようなもの、正式には「書籍売筋一覧表」というらしいが、それをコピーして渡してくださった。4月11日から5月23日の売り上げでは、僕の『茫然とする技術』は第三位である。宮部みゆきには負けました。まあ、ね、宮部みゆきには負けるよね。勝っていたらそのほうが異常である。
■今週もまた疲れたのだった。なんかいろいろあって、ひどく疲れた。で、なにより考えているのは大学の発表公演のことで、『アイスクリームマン』はむつかしい。どこまでいけるだろう。べつに完成品でなくてもいいし、失敗すればそれはそれで勉強になる。公演を通じて学生たちが舞台の面白さを知るのが二年時における授業発表の目標だと考えているが、そのためには、やはり「いい舞台」にするのがいちばんでもあるのだ。
■家に戻ると講演を聴きに来てくれた何人もの方からメールが届いていた。とてもうれしい。返事を書かねばと思いつつも、疲れてだめである。
■次は6月2日に早稲田大学演劇博物館で開かれる「逍遙祭」という催しのひとつとして坪内逍遙について話をする。詳しくはこちらへ。
(10:45 may.25 2003)
May.19 mon. 「原稿を書き、立体視をする」 |
■『本とコンピュータ』という雑誌のために、なだいなださんと対談したことは書いたが、その対談原稿がFAXとメールで届いた。あしたまでに直してほしいとの話。昼過ぎからいろいろな原稿に手をつけては中途半端なところで中断し、どうも仕事にならぬが、学生から頼まれていた、授業公演の企画書のための、なんだろう、「企画意図」というか、そうした種類の文章を書く。うちの学科には「舞台制作」に関する授業があり、その課題で提出するという。って、それ、まあ、まとめるのは学生だし、企画書の書式を学ぶには正しいかもしれないがでもその文章も僕から話を聞いてまとめ自分で書いたほうが勉強になるのじゃないだろうか。
■しかし集中力に欠ける。企画意図はあっさり書け、書き出せばなんとかなるものの、書き出すまでがだめだ。すぐに眠くなるし。夕方、意を決して『本とコンピュータ』の対談原稿に手をつける。書き出せば面白くなってくるのだ。特に、インタビューとか対談などを、データで送ってもらいそれを直す作業は楽しい。当日の対談ではしゃべっていないことをどんどん足してゆく。ここでひとつ笑いがほしいと思うところには冗談を書くので、『トーキョー・ボディ』稽古中の話におよんだ箇所では、それを日記として公開していたエピソードとして、日記の一節、「久保はもう限界か、脳が」を入れておいた。
■夜になって、対談原稿完成。メールで送信。やれやれ。
■ところで最近しばしば書くのが、遠視に困っている話で、遠視といえば聞こえはいいが、つまり老眼である。小さな文字の文庫や雑誌の小さな文字が読めない。たとえば、写真に添えられたキャプションとか、ぎっしりつまった「ぴあ」なんかの情報を読むのに苦労している。このあいだ新たな発見をしこれは遠視だからこそできるのだと思った。
■それは「立体視」である。立体視は、平面に描かれた絵や模様が立体になって見えるというもので、方法としては焦点の位置を平面より少し遠くに合わせることだが、これがなかなかむつかしい。それが流行った当時、いくらやっても僕には出来ずあきらめていたが、数日前の新聞に、「目がよくなる」というふれこみの立体視による視力矯正本の広告があった。サンプルのグラフィックが添えられている。やってみた。ふと、遠視は近くに焦点があわないから小さな文字が読めない、だとしたら、立体視ができるのではないかとひらめいたからだ。
■それがあなた、驚きますよ。いとも簡単にできるのだ。通常よりその立体視用の絵を目に近づけなくてはいけないが、すぐに立体になる。飛び出してくる。立体視にはいわば「ものに焦点を合わせない」という訓練が必要だが、老眼の者には訓練などいらないのだ。だってそもそも、近くにあるものには焦点があわないんだから。飛び出してきた。すごく面白い。というか、視覚が錯乱されるものは、ある種の「めまい」というもので、「めまい」はどこか心地がよいのだ。
■原稿が書けぬまままた京都だ。京都にいくんだから少しは観光したいと思うがままならぬ。今週の京都は天気がいいのだろうか。
(10:13 may.20 2003)
■やらなくちゃいけないことはいろいろあるが、ひとまずBSで清水エスパルスとヴィッセル神戸の試合を見る。
■このままではJ2に落ちてしまうのではないかと思われたエスパルスだが(ここまでまだ2勝)、きょうはやけにいい点の取り方をし、それから調子が出たものの前半はどうしたものかという試合で見ているこちらは具合が悪くなりそうだった。中盤でボールが全然つながらない。三都主にボールが来ないといらいらして見ていたら、おっ、ようやく出た三都主にと思った次の展開、三都主らしい突破でゴール左の狭いスペースから中央にボールを上げ、見事、鶴見がボレーを決めた。そのあとの沢登のヘッドで決めたシュートも技あり。気持ちがよかった。
■しかしきのう試合があったジュビロは強いよ。日本代表よりジュビロは強いのではないか。うそだけど。で、勝った勝ったとめでたい気分になっていたわけだが、原稿のことなど考えるとまた暗い気分になり、すると不思議なことに眠くなるのだ。まったく不思議な家だよ、ここは。
■さて予告していたSさんからのメールを紹介しよう。
私は一時期K事務所(引用者註・あえてローマ字表記にしました)というところの俳優養成所にいたのですが(松尾スズキさんによれば、そういうところを選択した時点でそいつは役者として終わってるそうです。。。)そこでは「スタニスラフスキシステムによる外郎売」をやりました。
入所して最初に「レモン哀歌」等のテキストを渡されるのですが、その中に「外郎売」があったので、これはかつぜつ練習のためのだなと思っていました。レッスンのときに、最初の研究生が「拙者親方と〜」と言いかけたところで「それはどういう状況で、どんな人が誰に、何人くらいの人に向かって話しているのか」ということを演出家が聞いてきます。「お江戸を発って二十里上方〜」の部分では「二十里とはどれくらいの距離か」とか「今で言うと二十里上方はどこにあたるか」とか聞かれました。なかなか「そらそりゃ回って来たわ〜」までたどりつけません。なんだかコントみたいです。
で、演出家はシメに「こういうのがスタニスラフスキーシステムです」と言ってました。今思えばほんとにギャグみたいなんですけど、研究生は「へー」とかいって感心して聞いていました。
演劇の訓練では有名な「ういろううり」が、いわゆる「スタニスラフスキーシステム」によればこうして解釈されるというのは興味深い話だった。ここにはおそらく、「観念によって構成されたスタニスラフスキー」がいるのではないか。Sさんが俳優養成所にいたのはそれほど過去のことではないと考えると、いまだに、こうして訓練する機関があることに驚くが、もっと驚くべきなのは、「スタニスラフスキーシステム」を無自覚に振りかざす演出家がいまだにいるということだ。それを問い直すことでまた異なる姿をしたスタニスラフスキーが出現するかもしれないし、この「教え方」そのものが、あたかも「システム」をなしているかのような振る舞いになっていて気持ちが悪い。だって、これ、「外郎売り物知り講座」じゃないか。というか、最初の設問、「それはどういう状況で、どんな人が誰に、何人くらいの人に向かって話しているのか」は、その稽古場、その状況でしかないのであって、「ここを読んでみて」と言われた時点では、「どんな人が誰に」は「俳優養成所に来た俳優志望者が、養成所の稽古場のその場にいあわせた人に」でしかなく、「何人くらいの人に向かって話しているのか」は、だから数えればいいのである。
質問する態度がよく理解できない。おそらく演出家には「外郎売り」のテキストを渡しそう質問すれば答えられる者はまずいないという前提があるだろう。そこで矢継ぎ早に用意している質問を出す。これはもう、煙に巻くというやつで、マルチ商法まがいのやり口だ。で、最初の質問に対して「俳優養成所に来た俳優志望者が、養成所の稽古場のその場にいあわせた人に」と即座に答えれば、演出家は少しあっけにとられたあと、そんなことどこにも書いてないだろう、もっとテキストを読めというはずだが、だったらこう答えるしかない。
「しかし、読んでいる私は、いま、ここにいます」
そうだ。べつに外郎売りを出現させてもしょうがないではないか。なにしろそれを読むのは「私」であって、そこに出現させるべきなのは「外郎売りを読む私」だからだ。そのことについて竹内敏晴さんは『待つしかない、か。』でこう語っている。
たとえばハムレットならこういう環境に育ってこういう状況に追いこまれているだろうから、これこれこういう気持ちでいるだろう、だからこうこうこういう行為をやるだろうというふうに推測してやってきた。こううごくだろうと想像したしぐさや声の出し方、しゃべり方をぜんぶ計算して、肉体を精密に操作していたわけです。ところがそういうふうにやると、それは無限に近似値を追い求めることで、どこまで近づいても、ハムレットはこういうものらしいという説明に過ぎない。
この言葉にぜんぶ言い尽くされている。しかも竹内さんがそのことに気がついたのは六〇年代前半のことだ。いまだに「ハムレットの説明」をする人たちがいるのはもう退廃と呼ぶしかないし、この「答えられないのを前提にした設問形式」による訓練をしている限り「詐欺師」と呼んでもかまわないだろう。しかもその詐欺師がいまだに権威だと思っているから始末に悪い。
■だから、「テクスト・リーディング・ワークショップ」はそんなこととは無縁な存在でありたいと思うのだった。読むことの快楽、考えることの愉楽は、いきなり「それはどういう状況で、どんな人が誰に、何人くらいの人に向かって話しているのか」と質問する態度、そのような振る舞いとは無縁である。
(7:22 may.19 2003)
May.17 sat. 「チェーホフとWindowsXP」 |
■文學界のOさんから送っていただいた「チェーホフ全集」が箱にぎっしり。十六巻ある。とてもうれしかった。いくつか読んだことのある小説もあり、さらに全貌が見渡せるけれど、なかでも興味深いのは「手帖」で、個人全集にはしばしばそうした「創作ノート」が収めれられていることはあるし、それだけで一冊の本になった例も珍しくない。
■作家にとって表現するのは作品しかない。作品についてなにか語ることや、付記をつけることは無意味かもしれないが、発表を前提としていない「ノート」はのちの人にとってひどく興味深く、手の内を知ることの面白さ、創作のヒントが隠されている。僕のこのノートはなんでしょうか。『トーキョー・ボディ』の稽古前からのノートはそれ自体が作品の一部だったと、あとになって思い、というのもノートを読んで見に来る観客が大半だったからだ。しかも書いている僕は読まれることを前提にしている。ノートを読んで意見してくれたり、ヒントを多くの人がメールで送ってくれるのもまた、これまでにはなかったことだ。あるいは、俺はこんなふうに作っていますよと公開し、何かの役に立てばというオープンソース。むろんそれは無償の奉仕といったことではなくそのことによっていま書いたようなフィードバックを期待してのこと。
■それはそうと、チェーホフの代表的な戯曲は言わずと知れた、『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』の四作でもっともよく知られているし、日本で上演されるのも主にこの四作だ。ほかにもごく短い『煙草の害について』などもあるが、短い作品を入れてもこれで「ユリイカ」に一年間どうやって連載するかと、全集を手にしてあらためて考えたのだった。少し前というか、具体的に書くだんになってそのことに気がついた。一本の原稿というより、連載全体のことを考え、以前やはり、野田秀樹の『パンドラの鐘』について「ユリイカ」に書いた手法で連載ができると最初は甘く考えていたが、どうやって進めるかで悩む。で、悩んでいるうちに原稿はどんどん遅くなってゆく。申し訳ない。「ユリイカ」のYさんからメール。来年の遅くない時期には単行本化できたらとの話なので、うかうかしていられないのだった。
■というわけで書かなくてはいけない原稿がいろいろ。「考える人」の連載ももう来てしまいました。あるいは、柏書房から十月刊行予定の単行本のこともなんとかしなくてはいけない。
■人は追いつめられると逃避したくなるものだ。で、コンピュータに逃げましたね私は。懸案だったWindowsXPがインストールできない問題はごく簡単なことで解決した。CD-ROMをべつのマシンから取り外し交換するとなんの問題もなくインストールができたが、その過程でいろいろなことを試し、そういえば、Windows2000をインストールしたときもこんな感じじゃなかっただろうか。
■XPがうまくインストールできないので、試しに2000をインストールすると簡単にでき、では上書きすればいいかと思って試したが同じような場所でインストールが停止する。悩む。で、ハードディスクにパーティションをいくつも作り、2000をインストールしたあと、べつのパーティションにXPを導入しようとすると、今度はその2000のインストールができない。ハードディスクのなかがぐちゃぐちゃになってきたので、2000インストールのときも試したことのあるLinuxのインストーラーでパーティションを切り直しフォーマットする方法をやってみた。するとLinuxのインストーラーからハードディスクがなぜか認識されないのだ。これはこれで問題だが、いまはそんなことを解決している場合ではないのだった。しょうがないのでハードディスクをPowerMacにつないでフォーマットすることにした。こうすると次に自作機につなげば、なにも情報が書かれていないハードディスクになっているはずだ。厳密に言えばそうじゃないわけだけど論理的にはひとまずそうである。
■ここでようやく、CD-ROMを交換してみようと思ったのだ。考えてみればかなり古いタイプのCD-ROMである。なにしろいまや、CD-RWとか、DVD-RWといった時代ではないか。ほかの自作機からいちばん新しいCD-ROMを取り出し交換。問題はやはりここにあった。ようやくインストールに成功。
■というわけで、いま部屋には、ケースをはずして内部が見えている自作機が三台と、パーツやケーブル、CDのメディアらが散らかり荒れ果てている。片づけることを考えると憂鬱になる。さらにWindowsXPをインストールしたマシンをメインにするためにはそれ自体の環境を整えなくてはいけないので忙しいことこのうえない。いや、あくまで逃避である。ついつい逃避したくなる。
■あ、きのうSさんのメールを紹介すると書いたんだった。それは後日。
(11:46 may.18 2003)
May.16 fri. 「京都には中学生がいっぱい」 |
■午前中は七月に発表公演のある「舞台表現」の授業。
■引きつづき「読み合わせ」だが、仮の装置、つまりソファや机、カウンターを置いて動きながら読む。まだ早かったかなと思うのはまだ読むのに手一杯で、動きのことも同時に考え読むのがおろそかになる。しかも動きはまだ整理がついていなくてほとんど仮である。男役を女たちが演じるとどうも中途半端だ。はっきり女だと明確にしないと本人たちも宙ぶらりんになる。
■映像コースの二年生で一年の時の「テキストを読む」の課題、雨の中をえんえん走りながら「魔王」を読んだ男がいて、僕の授業を取ってくれた。で、なにか、いいのだった。技術的なことではなく、なにかいい。今年もまた、演技経験のあまりない男たちはそれぞれにいい味を出している。だけど、稽古に遅刻したり、来なかったりで、「役取られるぞ」とおどかしたらしんみょうな顔をしていて面白い。まだ稽古ではない。戯曲を理解してゆくための作業。読むことで理解してゆく。まだまだこれからだ。
■今週は「テキストを読む」の課題で山登りをしたせいか少しくたびれた。学校を出たのは昼過ぎ。ホテルに荷物を預けてあるので引き取りに行き、ホテルの近くにあるスターバックスのコーヒーを飲んでぼんやりした。午後から京都は天気がよくなって気持ちがいい。河原町まで行こうという気持ちにもなったがやっぱり疲れている。気力が出ない。北大路まで204番のバス。そこから地下鉄烏丸線。途中、以前まで住んでいた烏丸御池で降り、新風館にでも行こうと思ったがもうひとつ気力がわかないので京都駅まで直行。三時過ぎの新幹線に乗った。
■この時間は意外にすいている。本を読んでいるうちに東京へ。このところ竹内敏晴さんの語る言葉に影響されるのは、大学で教えていることと無関係ではないだろう。竹内さんが様々な場所で開いたワークショップや、定時制高校での演劇の経験、そこから発見したことはどれも面白い。なによりそれを自分のこととして引き受けているところがあり、かつて耳が不自由だった竹内さんは言葉もまた不自由だった。そこから出発した身体的な演劇、というか、「からだでものを表現すること」のアプローチは、知識人の身体論とは異なる地点から出発している。
■「声を出す」ということがいかにむつかしいか。それは単に、声帯が強いという生理的なことばかりではなく、意識の問題として、こわばりからどうからだをひらくか、あるいは、声をかける、声をかけられる、という、人との関係によってそれが生まれる過程は、僕もまた、しばしば考え、ワークショップでもやっているが、いくら発声練習をしたところでそれはほんとうに相手に届く声、言葉なのか疑わしいのだ。
■よくメールをくれるかつて新劇系の演劇養成所のような場所で学んでいたというSさんの「スタニスラフスキーシステムの(この国の演劇養成所における)実践」の話も興味深かったが、それはあした書くことにしよう。ただなあ、やっぱり教育者じゃないよな、俺は。というか、なりたくないよ教育者には。とはいうものの、竹内さんの表現を借りれば、「からだがひらかれる」というそのことにはとても興味がある。ある日突然、声が出るようになった学生がいた。それがその人のほんとうの声だったかもしれない。そうした瞬間に出会えたときほんとうにうれしい。それが見たいからワークショップをやり、大学で教えているのだと思う。
■きのう書いた、「戯曲研究会」はどうも名前がよくないので、いっそ「テクスト・リーディング・ワークショップ」という名前にしようと思った。カタカナにすりゃいいってもんでもないが、「戯曲研究会」はなにやらこむつかしそうだ。「ヨミヨミクラブ」でもいいんだけど、それはちょっといやだ。
■夕方、新宿に到着。荷物をがらがら引きながら家まで歩いて帰る。東京駅から中央線で新宿までゆき、そこからもし、私鉄に乗り換えることになったら俺はもう、京都に行かなくなるのではないか。京都をなにも見ていないのが残念だが、毎回、修学旅行の中学生には会う。なにしろホテルに中学生がわーわーいる。大学で教えるために京都に行っているがこうなるともう全国の中学生を見るために京都に行っているような始末だ。
(14:37 may.17 2003)
|
|