リーディング公演 12月9日、10日(下北沢スズナリ) 本公演 2003年1月22日〜2月2日 世田谷パブリックシアター・トラム 問い合わせ 03-5454-0545 ariko@kt.rim.or.jo

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牛乳の作法・本画像

『牛乳の作法』筑摩書房刊



 Published: October 1, 2002
 Updated: Dec. 1, 2002
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  *遊園地再生事業団二年ぶりの新作『トーキョー・ボディ』公演までにいたる宮沢章夫の日々の記録
   (『トーキョー・ボディ』案内はこちら→Click

Nov.30 sat.  「金はない」

■美術プランを突然、思いつき、なにかひと仕事やり終えた感じがしたのだった。やれやれと思いはするものの、テキストは進まない。少し書く。あくまでリーディング用のテキストなのだが、これを、いわば原作にして本公演になる。ということは本公演用の「台本」が必要になるわけだが、リーディングが終わっても稽古と平行して「台本作り」をすることになるだろう。
■劇とパーフォーミングをどうつなげるかなど、まだやるべきことはあり、稽古の段階でそれを作る。稽古場は実験室のように取り散らかった空間になるはずだが、あらかじめ完成した戯曲があってそれを舞台上に俳優のからだを使って「再現」するだけが「舞台」ではないのだろう。休止までの何回かの作品は、そこらあたりが効率的だった。生産主義的だったというか、合理的に進行し、演出も楽になっていたのは、いろいろな意味でうまくなってしまったからだ。ごつごつしたものがなくなる。初日までの手探りが舞台を膨らませるのではないか。
■そんなときユリイカのYさんから、「チェーホフを読む」とはべつの原稿の依頼。締め切りが1月20日だという。依頼されたのはうれしいが無理だなこればかりは。22日が初日である。なんと申しますか、このところ安請け合いをしすぎて迷惑ばかりかけている。書けないときは、書けない。あたりまえなのだが。

■午後、スタッフとの打ち合わせ。
■新宿まで自転車だ。土曜日の新宿はたいへんな人の数で、そのなかを自転車で走るのはただごとならなかった。場所は「らんざん」という昔からある喫茶店で、舞台監督グループの、森下さん、武藤、橋本たち、そして照明の斉藤さん、演出助手の太野垣、足立、そして永井たちに会う。着いてすぐいきなり美術プランを発表。映像などいろいろアイデアを出すが永井がそんなに金はないという。遅れて映像班の鈴木が来る。映像について、これまでパフォーミンググループで出てきたアイデアなどを鈴木に報告。鈴木もメールでアイデアを送ってくれたのだが、僕がテキストのことで手一杯になりフォローできていない。仕事の進行を早めにしたいが僕がだめだ。
■さらに永井が「金はない」ときっぱり断言する。ビデオのプロジェクターを最低三台使いたいと申し出たが永井は言う。
■「金はない」
■ほっとくと「美術」や「衣装」「道具」は舞台の制作においてたいへんな経済的負担になる。金をかければいいってものではないが、どうやってうまく使うかで、それもまた演出家の「技術」と「機転」だ。劇団など、集団がしっかりあるところは人海戦術が使えるが僕のところはそうはいかない。なにをするにも資金がいる。それでもいい舞台にしたい。美術も「なにもない空間」を目指したいが、「なにもない」の「なにも」が問題だ。大学の二年生の発表公演『おはようと、その他の伝言』ではひどくリアルなキヨスク以外、ほかはなにもなかった。幕もつらない。コンクリート壁や天井、舞台裏がむきだしの春秋座という歌舞伎用の劇場。あれはあれで気持ちがよかった。「意味性」の強い劇場だからこそ、なにもなくしてしまったことに意味があった。トラムではいろいろな人が様々な実験をしていることだろう。なにをしたって新鮮味はない。
■少し考える。「大胆にして、なにもない空間」だ。しかし永井はきっと言うだろう。
■「金はない」

■だけど永井のような制作がいないと舞台は成り立たない。というか、たとえ舞台がよくできてもあとに残るのは借金だ。わたしが何百万という借金を何年もかけて返済していたとは誰も知るまい。「借金返済王」と人は言う。うそ。今月も終わる。あっというまの11月。勉強していた11月。芝居のことばかり考えていた11月。いつのまにか冬になっていた。町はもうクリスマス気分だ。ばかやろう。俺はそれどころではないんだ。またテキストを書く。きょう書いたのは次の一行。
■「私は資本主義だった」
■これまでと、「劇言語」についてまったく異なるアプローチだ。だって、これ、ハイナー・ミュラーの「私はハムレットだった」の換骨奪胎だ。ほかにもいろいろ「〜だった」を書こうと思う。「私はドミノピザだった」「私はファイナルファンタジーだった」なんでも応用がきく。そしてそれは過去形。なぜ過去形なのか。ミュラーが「私はハムレットだった」と書くとき、シェークスピアを、むしろ劇作家そのものを過去のものとして葬り去る儀式だったと、なにかの本で読んだ。「ドミノピザ」を過去のものにして何の意味があるのだ。「資本主義」は「いま」だ。「戦争」は「いま」だ。「いまのからだ」にとって語られるべきことはいくつもある。「私はセックスワーカーだった」。
■そして永井は言うのだろう。「金なら、ない」。

(6:51 Dec.1 2002)


Nov.29 fri.  「書けない日」

■午前中、『トーキョー・ボディ』を書いていたわけだが、ふと思いだして、実業之日本社のTさんに「資本論を読む」の連載について「奇跡が起こるのをお待ちください」とメールを書いた。もう奇跡にたよるしかないだろう。ほんとに奇跡は起こるのだろうか。
■テキストは少し進む。だけど時間がない。あせる。
■夕方から恒例の鍼治療。からだのメンテナンスだ。腰の左がこっていると思ったが、右側に鍼を打つとかなりくる。意外だ。そういえばあぐらをかこうと思うと下半身の右側が痛かったが、そうとう腰の右から足にかけてだめになっていたのかもしれない。関係ないが、去年、急激に痩せたころ座ると骨盤が床にあたって痛い思いをした。肉がないことをそれで実感したが最初気がつかず、なんか座りづらいと思っていた。もともと痩せている人は痛いまま生きているのだろうか。どうでもいいことを書いてしまった。
アマゾンから注文していたハイナー・ミュラーの本が四冊ようやく届いた。注文して三週間以上もかかったのは小さな出版社から出ている本もあり取り寄せるのに時間が必要だったからだろう。こうした出版社の存在を知ると本屋が信用できなくなる。棚に並ぶのは売れる本ばかりだ。というか、アマゾンすごいな。
■それで少し読書。いや、もう、読んでいる場合ではないのだ。書かなくてはいけない。考えている場合でもなければ、書けないと苦しんでいる場合でもないものの、書けないんだからしょうがないじゃないか。考えてみれば、休止前の数回の公演ではやけに戯曲が早く書けた。あれがまちがっていたのだ。簡単に書けるようなものはだめにきまっている。リーディングの公演はすぐそこに迫っている。稽古も始まる。苦しむ。

(4:35 Nov.30 2002)


Nov.28 thurs.  「そういったものに僕はなりたいんだよ」

■以前参宮橋に住んでいていまは江古田に住んでるT君のサイトの日記にもあったが、村上春樹さんがサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の新しい翻訳を出すニュースは新聞で知った。十代のころに読んで素直に感動してしまったわけだし、三十代で再読したらやっぱり次の部分にまた感動してしまい、なにか恥ずかしい気分になるのだった。
「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているところが目に見えてくるんだよ。何千って子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その手をつかまえることなんだ――つまり子供たちは走っているときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう、そんなときに僕は、どっからか、さっと飛び出して来て、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げていることは知っているよ。でも、僕がほんとうになりたいものといったら、それしかないね、馬鹿げていることは知ってるけどさ」(野崎孝訳)
 だから十代だったころの僕も「ライ麦畑のつかまえ役」になりたかったけれど、冷静になって考えてみるとこれはいったいなんの隠喩かよくわからず、小説全体に漂う十代の純粋な気分は素直に「ライ麦畑のつかまえ役」になることを欲したけれど、大人になってしまったとき、少しはその意味を理解し、「馬鹿げていることは知ってる」それをすることにどうしても照れてしまうように思えてならなかった。村上訳はそれをどう表現するか。
 で、「一冊の本」が届き楽しみにしている連載のほかに今回は、法政大学教授の稲増龍夫さんによる「若者ことばの底にあるもの」という講演の記録が興味深かった。「きもい」や「やばい」についての分析、あるいは稲増さんによれば「知的な言語ゲーム」であるところの「駄洒落」に若者が、「おやじギャグ」として軽蔑することの意味を分析するのはいかにも「おやじ的」だが面白く、かつて若者にとって時代を引っ張る「オピニオンリーダー」「文化的なりーダー」が存在し、尊敬され、ああいうふうになりたいとリーダーたちのやっていることが若者に伝播していった構造がいまは崩れ、人は人、自分は自分と、「個」に閉じこもる傾向が生まれていることを指摘している。そこで重要なのは六〇年代のいわば団塊の世代、全共闘世代あたりから生まれある時代の傾向を作った心情、「三十歳以上の大人は信じるな」という「大人への敵視が」なくなったことがあげられる。
 それを「若者の消滅」と稲増さんは書く。
 サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』は、「大人への不信」が小説全体の基調にある。いわばテーマ。「若者が消滅」したいま、『ライ麦畑でつかまえて』はどのような小説として受け止められるだろう。村上春樹というまさに団塊の世代、全共闘世代の作家が、いまこれを新たな翻訳として再生させるのはどんな日本語なのだろうか。

 それにしても村上春樹さんはよく読まれているのだな。なにが人をひきつけるのか。

 さて、村上春樹翻訳版『ライ麦畑でつかまえて』は白水社から出るのだろうけれど、同じ白水社から出ている『カフカ小説全集』の池内紀さんの新訳はとてつもなく重要な仕事で、白水社はえらいねしかし。事件になるべきは池内さんの仕事ですよほんとは。で、「カフカ」でアマゾンを検索したら出てくるのは『海辺のカフカ』ばかりだ。いやになる。

■夕方から「東京人」の取材があった。
■下北沢の喫茶店。僕の本、小説も含めてよく読んでおられる編集者だったのでうれしかった。今回の『トーキョー・ボディ』について、『サーチエンジン・システムクラッシュ』にある畝西という登場人物の言葉、「歩き方と歩行の速度をこそ問題にすべきで、どこに向かっているかなど、人にとってはとるに足らないことだ」が印象に残ったと言い、今回の舞台にその言葉はつながりがあるのでしょうかといった意味の質問をされた。僕は答えた。「忘れてた」。だめである。
■話が一段落すると近くの稽古場に移動して写真撮影。カメラマンの方は和歌山県の熊野の出身で、熊野の火祭りを題材にした写真集で木村伊兵衛賞を受賞した方とのこと。まだパフォーミンググループの稽古でストレッチや歩きの練習などしておりあまり絵にならないし、僕も演出らしいことをなにもしていない。写真になるだろうか。撮影が終わってからも稽古。ダンスを作ろうということにする。いろいろな動きを考える。倒れたまま、手に喫茶店のボーイのようにお盆を持ちそれを落とさないように立ち上がるとか、いろいろ試す。

■いつもより早く稽古場を出る。テキストを書きたかったのだ。テキストだなあ。テキスト。家に戻ってメールのチェックをしたら新潮社のN君から近松門左衛門の入っている新潮社の古典全集の一巻を送ってくれるとあった。うれしかった。

(5:18 Nov.29 2002)


Nov.27 wed.  「戯曲ではなくテキスト」

■午後から「シアターガイド」の取材を受ける。いつものとおりオペラシティのなかにあるカフェだ。
■また風邪をひいたらしい。取材中、くしゃみをしたりずっと鼻をかんでいた。同席した永井や、インタビュアーの方からティッシュをもらったがすぐになくなってしまう。それでもしゃべる。テープをずっと回していたが録音されているのは鼻水をすする音ばかりではないか。インタビュアーの方もシアターガイドの方も演劇についてよく知っているので話がしやすく、理解してもらうのにあまり手続きがいらない。そのあとNHKのディレクターがやってきた。こんどなにかのラジオ番組で『トーキョー・ボディ』を紹介してくれる。そのための事前の取材だが、演劇のことをなにも知らないのでひとつひとつ言葉の説明からしなくちゃいけないのは死ぬほど疲れた。
■しかも風邪である。頭がぼーっとする。話しているといよいよ風邪がひどくなってゆくのを感じる。ものすごく疲れた。ただNHKまでタクシーを使わずバスで帰るというのでえらいと思ったわけですが、まあ、あたりまえっていえばあたりまえだ。

■帰って風邪薬とスタミナドリンクのようなものを飲んで寝ることにした。やけによく眠った。目が覚めたのは深夜だが風邪はすっかり回復していた。今年はおかしい。やけに風邪をひく。きのう「せりふの時代」のインタビュアーの方とも話していたのは、まだ自分では平気だと思って無理をするとかつて若いときのようには無理のきかないからだになっていると、なにかあって思い知らされることについてだ。思い知らされました。
■風邪をひいている場合ではなかった。
■テキストを書かなくてはいけない。そうは思うが風邪である。しかし、ふと、「リーディング」について本公演ではできないことのできる場だと考え方を変化させたら、急に面白い気分になった。そうだ。これはできないことをする場だ。本公演のように長い稽古が必要というのではなくしかしその枠組みのなかで、本公演ではできないことができる。テキストの書き方も自由だ。じつは、「シアターガイド」の取材では話したが、今回のテキストにはよくある戯曲の、ト書きがあって、
    男がドアを開けて入ってくる。
男1 あ、ここに出るのか。
男2 どうしたんです?
男1 いや、ここに出たなあって、
 といった書き方ではなく、まずト書きなどないまま、
あ、ここに出るのか。
どうしたんです?
いや、ここに出たなあって、
 といった書き方をしたいと思っていたのだった。つまり誰のせりふか指定がない。なんだかわからないだろう。自分のせりふがどれかよくわからないだろうし、でもよく読めばどれが誰のせりふかわかる。せりふだけでだいたいの状況がわかるにちがいないと思ったのだった。あと、わからなかったら、マーカーで印をつけるとかしておけばいい。とにかく、これまでとちがうことがしたいのだ。

■そんなことを考えていた。
■「リーディング公演」を自由な場と考え「試み」のために存分に使おう。できないことをしようと思った。もちろん本公演だからこそできることも多い。規模が小さいからこそできる実験的なことを「リーディング公演」でやる。たとえば音楽はぜんぶターンテーブルから出すことにした。パフォーミンググループにDJをやっていた者がいて彼にそれをまかせよう。ターンテーブルといっても例のおもちゃみたいなポータブルなやつ。それで音を出す。リーディング公演だからこそできること。
■そういえば「ワールドビジネスサテライト」という番組でDJ御用達で有名なテクニクスのターンテーブルについて取り上げていたのは何日か前のことだ。需要はすごいらしい。面白かったのはアームの調整は工場にいる一人の熟練した初老の女性が、つまりおばちゃんがやっていることで、取材するレポーターの質問に「まあ、勘ですわ」と大阪弁で話していたのがよかった。世界中のDJが信頼して使うテクニクスのターンテーブルのアームの調整は大阪のおばちゃんがやっている。笑った。

■というわけで、「戯曲」ではなく「テキスト」。本公演用にはわかりやすい台本を作るが、というのもスタッフが困るからだ。ともあれ時間がない。少し気分が上昇。リーディングが楽しみになってきた。あと、イラン映画のこと近松のことなど、いろいろな方からメールをもらって励まされたのも大きい。とにかく書く。

(4:29 Nov.28 2002)


Nov.26 tue.  「牛乳の作法」

■とても忙しい一日だった。
■しかも最近では珍しく寝不足で、午前中やけに早く目が覚めてしまいもう一度眠ろうと思ったがそんな時間はなく準備して家を出る。オペラシティのカフェで筑摩書房の打越さんに会い、単行本『牛乳の作法』の見本を受け取る。(左上の画像を参照のこと)。牛である。常盤響さんの写真。とてもきれいな装丁でうれしかった。打越さんによると常盤さんは写真家なので装丁のことはあまりわかっておられない様子で「紙は何を使いましょうか」と質問すると、「つるつるしたやつ」といったとのこと。面白かった。今週中には店頭に並ぶ。すぐに買いたまえ。今後、文庫本にはサインしないことにしようかと思ったのは、単行本にしかサインしないと吉行淳之介さんがどこかに書いていたのを読んだからで、僕もそうしようと決めたのである。

■同じオペラシティのなかにあるべつのカフェに移動。続いて『せりふの時代』の取材を受ける。いろいろな劇作家を取り上げる巻頭のページだ。写真とインタヴューで構成されるボリュームのある企画。ゆっくり話しを聞いてもらえること。さらっとした情報ではなく話が中心なので安心できる。あちらの指定でiBookを持ってきてほしいとのことだったが、これがまた重いよしかし。
■二時間ぐらいの取材とよもやま話。寝不足だったのであまりきちんと話せなくて申し訳なかった。それから写真の撮影。終わってから稽古場を撮影したいというのでインタビュアーの方をクルマに乗せて曙橋にある稽古場まで移動した。運転しているあいだもテープを回してインタビューされているのだが、運転に気を取られて話しがうつろになる。逆に話しに夢中になって運転がうつろになる。危険だ。

■夕方六時から稽古がはじまるが、カメラマンの方はそのあいだずっと撮影している。しかも、僕が車庫入れしているところ、iBookで文章を書いているところも撮影。撮影三昧。
■さらに稽古前、「東京」というテーマで「演劇ぶっく」の取材を受けた。ぼーっとした頭でさらに話をする。こういう受け答えも慣れだなあと思いつつ、どんどんしゃべる。「東京で、こここそが東京と宮沢さんが考える場所はどこですか」とのこと。「新宿」と思いつきで答え、理由についてさらに思いつきで答えたのだが、こういうときのすかさず「思いつき」を話すのも一種の技術だろうか。
■さて稽古は、僕の舞台にも何度か出た佐藤を呼んで、佐藤に「歩く」お手本を示してもらい、それをみんなで学ぶ。特殊な歩き。歩き方にルールがあってルールにのっとっていながらしかしからだを柔らかくするという訓練。べつにこれを舞台でやろうと思わないが練習することで表現の軸を作ろうということ。稽古のはじまる前にストレッチとこの歩きをやることにする。それにしても佐藤の歩きがきれいだ。なんでかわからないが柔らかい。そこへゆくと、もう何年も練習しているはずの小浜はあいかわらずどこか硬い。あとルールがマスターできず下手な人は面白い。ルールがマスターできたらその枠組みの中でいかに自由になれるか。演技にしろ、表現はたいて枠組みがあり枠組みに縛られるとからだは硬くなる。枠組みがありつついかに柔らかく生きることができるか。
■舞台の作曲を担当してくれる桜井圭介君が来て、音楽の打ち合わせをするが、いまだテキストもできていないのでどう話したらいいか困る。なにも考えていないのだ。ただ、これまでとはまた異なる音楽の使い方を考えようという話しなる。まだイメージがなにも浮かばない。テキストのことで手一杯。パフォーマンスグループのことも考えなくちゃならないしで忙しすぎる。

■稽古は、町で撮ってきたビデオの写実の、現段階での達成を発表してもらったが、けっこう出来てきた。練習するとなんでもできるようになるものだ。あと、映像を担当してくれることになっている鈴木からのメールにいくつか映像のアイデアがあり、それを少し僕なりにアレンジして今度ためしてみようかと思う。そのためには撮影が必要だ。
■夜10時になって稽古が終わった。疲れる。
■わざわざ「歩き」の指導に来てくれた佐藤をねぎらおうと、クルマで送るよと言ってしまった。驚くべきことに佐藤の家は江戸川区だった。千葉とのぎりぎりの場所。遠い。で、佐藤が一家で住んでいるマンションに着いたところで「コーヒーでも飲みませんか」と言う。クルマを停めて待っていたらお盆にコーヒーを乗せた佐藤が来る。ちょっと笑った。クルマのなかでコーヒーを飲む。
■帰りは首都高。疲れていたのであまりスピードは出さず安全運転。首都高はすごいよ。あっというまに新宿に到着。家へ。忙しい一日だった。しゃべり続けていた。首都高も走った。

(7:14 Nov.27 2002)


Nov.25 mon.  「パンと植木鉢」

■あれはなんだろうと思うのは、イラン映画の「演技」だ。すべてのイラン映画を見たわけではないので申し訳ないが、たとえば、キアロスタミの『友だちの家はどこ』もそうだが、ごく自然な、というかあたかもドキュメンタリーを見ているかのような自然な演技は、どこからそれが生まれたのか。演出法という話ではなく、その考え方、つまり「演技観」のことだ。
■マフマルバフ監督の『パンと植木鉢』のなかで、「もっと自然に」といった演技指導をするせりふがあり、あきらかに演出としてそれがなされていると想像することができる。かといって、「自然を演じる」といったいやらしさがない。自然風にふるまっている演技は気持ちが悪いだけだ。なにしろ、人は、不自然なときもあるからで、不自然に声を荒げたり、意識しないでも不自然で窮屈そうに生きることもある。
■キアロスタミの映画に出てくる子どもたちはなんだろう。どうしちゃったんだあのうまさは。というか、イラン映画の子どもはやけにうまい。不思議な気分にすらなる。『パンと植木鉢』は少年たちもよかった。少女もいい。演出のなせるわざか。で、関係ないけど、『パンと植木鉢』はすごく面白くて、現実と虚構の境界の曖昧さ、時間軸のずれ、一瞬にして世界が変化する瞬間の劇性に驚かされもし、けれどそれが、ごく自然な姿で映像に定着している演出が見事だ。
■そんなことを考えたのは、つい先日の眠れない深夜、BSで『OKINAWAN BOY オキナワの少年』という映画をやっており、演出といい、映像といい、七〇年代半ばごろの映画だと思って観ていたら、あとで調べて八三年の作品だと知って驚いたからだ。いま観て「古い」と感じる映画は、やはり当時からすでに古かったはずで、しかし、過去の映画はなにもかも「古い」のかといったら、そうでもなく、いま観てもなにも「古さ」を感じないものだって当然あり、ここにあるのはなにかという疑問が残る。

■新宿の高島屋に入っているベスト電器に買い物に行ったついでに紀伊國屋書店に寄って、以前書いた、学藝書林の「現代小説の発見」シリーズが新しい装丁、活字も大きくなって再刊されているのを知った。講談社文庫の「現代短編小説の再発見」シリーズが学藝書林版をお手本にしているにちがいないと思っていたので、これはタイムリー。かなり貴重な小説が読める。
■筑摩書房の打越さんから電話があり『牛乳の作法』の見本ができたという。楽しみだ。紀伊國屋書店で近松門左衛門の作品集を探したが見つからず、おそらく新潮社から出ている古典全集のシリーズにはあると思うが、とりあえず棚にはなかった。岩波で『曽根崎心中』のほか、いくつかの作品の入った文庫が出ている。筑摩文庫も、かなり古典を入れているんだから近松を入れてくれたらいいのにと、打越さんに提言しようかと思った。

(4:44 Nov.26 2002)


Nov.24 sun.  「豪徳寺に行く」

■食事をしようと、夕方、クルマで走り以前まで住んでいた豪徳寺に行った。なぜ豪徳寺かってことに意味はないのであって、ただふらっと行ったのだった。
■町の中華屋で夕食。
■壁に小さな水彩画が額に入って飾ってある。見ていたら店の人が、「お客さんが描いたんですよ」と言う。その日に頼んだものを絵にした客がいたという意味だ。たしかに、ビールがあり、餃子があり、ほかになにかよくわからない皿の上の料理が描かれている。注文したものを描いてしまう人の気持ちがよくわからないが、もうひとつわからないのは、その絵を飾ってしまう店である。

■小さな町にはたいて古本屋がある。豪徳寺に二軒ある古本屋まで少し歩いた。坪内祐三さんは豪徳寺の古本屋が巡回コースに入っているそうだが、隣の駅の経堂にも古本屋が何軒かあり、かつてはよくのぞいた。
■目的を持って古本屋に入るほどばかばかしいことはなく、何か本を探すとその本のことにばかり気を取られ、大事なものを見落とす。だから古本屋にはなにも考えずに入らなければいけない。なにも考えず棚に並んだ本たちと向き合う。最初に入った店で『トーキョーボディ』の資料にしようと二冊買い、さらにもう一件の店に行くと、定価なら八千五百円ぐらいするはずの晶文社から出ている『スタニスラフスキー伝』が千円になっており、おかしいと思ったらかなりの箇所、マーカーで線が引かれていた。本を読むとき僕もよく線を引くけどマーカってことはないじゃないか。古本屋に売るんだったらあとで消せる鉛筆にしてくれよと言いたい。というか僕は鉛筆だ。少し悩む。マーカーを前にして悩むなよと思うが悩んだのだった。なにしろ千円だ。
■やめた。マーカーで線が引かれている。

■いろいろな方からメールをもらうが返事ができなくて申し訳ないのだった。
■夏のワークショップに参加したS君は『東京国際自転車展』に行った報告を送ってくれた。S君は折り畳み自転車に乗っているそうだ。タイヤが小さくて疲れそうな気がするんだけどどうなんだろう。
■そういえば、今年の三月、「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」を敢行した日はとても風が強かった。集合場所の四谷駅前に並んだ自転車が風でみんな倒れていたのはすごかった。自転車は倒れる。倒れるものだ。そもそも、僕の乗っているTREKは、えーと、なんだっけ、あれ、倒れないための、あの、そう、スタンドがない。あらかじめ倒しておくか、ガードレールとかにしばりつけておくしかないのだった。そんなことを書いていたら自転車に乗りたくなった。

(3:43 Nov.25 2002)


Nov.23 sat.  「ジュビロ完全優勝を記念して」

■きのうは長く書きすぎた。ページが重くなってしょうがない。写真まで貼ったし、「佐伯」の話まで書いてしまった。
■突然、うむ、書き出せるという「感じ」が発生したのだった。テキストが書き出せるという「感じ」。だが、そこでまた立ち止まったのは、気が変わったからで、書こうとしたことがなにかちがう。「劇作家」という登場人物を設定し「劇作家」がすでに存在するテキストを書き直そうとするという全体の構造をまず考えた。そこに、サブストーリーとして、音信不通になった娘を探しに東京に出てきた盲目の元教師の話がある。サブストーリーはサブストーリーとして自立しておりむしろそちらがメインのドラマとして進行するが、劇の全体は、劇作家の意識の内側に存在する。
■それはそれとしてまた書くことにする。
■というか、そのためにはもっと勉強しておく必要がある。思いつきはいけない。けれどもう時間もない。とは言え、まったく書いていないわけではなく「音信不通になった娘を探しに東京に出てきた盲目の元教師の話」は少し書いた。ノートの書き込みはたまってゆく。ノートだけじゃだめだ。惜しいシュートがいくらあってもだめなように。
■で、ジュビロ磐田優勝。
■『トーキョー・ボディ』のフライヤーとポスターに「ジュビロ磐田完全優勝記念公演」と入れたくなったがやめた。

(7:21 Nov.24 2002)


Nov.22 fri.  「長い話になってしまった」

■ノートを取りつつフランスの映画、『新七つの大罪』を見ていたが、作品について調べようとサーチエンジンで検索して出てきたページの「映画評」らしきものを読むと、ネットについて小谷野敦さんが書いていた「ばかが意見を言うようになった」を思いだし、なにか意見を書くのなら少しは調べて書いたほうがいいのじゃないかと感じる。
■直感と狭い見識だけで言葉にするより、調べて書けばためになるだろう。単純にそう思う。しかも、「……はクソだね」といった言葉を使った文体で、そこまで堂々と書くのなら、おまえの文章はなんだ、おまえの無知はいったいなんだと言ってやりたくもなるが、まあ、ほっておく。
■ガルヴィのNさんから、『東京国際自転車展』が今週末(11月22日〜24日)にあるとメール。行かないかというお誘いであったが、うーん、今週末はむつかしい。原稿を書かなくちゃいけないというか、せっぱつまっている。リーディングの公演は目前だ。せっかく誘ってもらったが、残念ながら無理だろう。

■夕方からパフォーマンスグループの稽古があった。穴をくぐる稽古からはじめる。「穴をくぐる」と書いてもなんのことだかわからないと思うがとにかく壁に人ひとりがやっと通れる小さな穴を開けそこをくぐる。穴をくぐるとき、人のからだが、様々な形になるのではないかという試みだ。

稽古中1

 想像ではいろいろ「くぐり方」があるはずだった。簡単にできると思ったが意外にむつかしい。やっている者らも頭ではくぐれると考えるが、いざやってみるとできない。なんとかくぐれるようになったがそれが精一杯。サーカスや新体操の選手、あるいは京劇の俳優のようにものすごく訓練を積んだ人じゃなければだめではないか。いろいろな「くぐり方」を試したが、とりあえず稽古前、入念にストレッチをしないとからだを痛めるというあたりまえの結論になる。

稽古中2

 穴をくぐる稽古のあとは、各グループにわかれ、撮影してきたビデオを写実する練習。女を押し倒す男。この人がでかい。190センチくらいある。パフォーマンスグループの稽古は少しずつ前へ。まだやるべきことはある。基礎的なことを積み重ねることで表現の軸を作らなくてはいけない。まだ中途半端だ。もっと考える。

■「くだらない」という言葉が「ほめ言葉」になる世界がある。
■それを理解してもらえない人と話しをすると、突然、コミュニケーションが不全になり理解しあえないとはいえ、それもまた「他者」、なんとか出会っていかなくてはいけないが決定的に「話しにならない」場合があって、どうしたらいいか困惑する。というか、そもそも「くだらない」が「ほめ言葉」っていうのもどうかしているのだが。
■で、「Quick Japan」の方からコメントがほしいと言われたテレビ番組のビデオを送ってもらった。「はねるのトびら」という番組だ。くだらなかった。見事なほどのくだらなさだ。出演者のなかでは、板倉、秋山、塚地という三人が抜きん出ていた。いまでは恣意的なテレビ視聴者でしかない僕は、三人がからむコントに素直に笑った。
■塚地という人がオタクを演じたときのオタクらしさはなにごとだ。あと、板倉のナレーションも面白かったが、感心したのは「東京スタイル」というコントにおける彼のいんちきくさい若者向け洋服屋の店員だ。さらに秋山が演じる「マルチ商法の勧誘者」はちょっとどうなんでしょうというくらい濃厚である。ネットアイドルに熱狂する塚地と秋山もすごかった。
■三人ともひどくマニアックだ。この「濃さ」が一般性を持てるかはわからない。僕の目から見ればひどくつまらない人たちがテレビで売れており、それが大衆性ってやつなのだろうが、大衆性を持つためには「濃さ」をなにかによって薄めることになって、それはきっとつまらない。しかし「濃さ」を残したまま一般性を持てたとき、ほんとうに面白い喜劇人として出現できるのではないか。
■いまだったら、ダウンタウンの松本がそうだろうし、たけしさんやタモリさんもそうだった。逆にいえば、「いかに嫌われるか」だ。「嫌われる賢い方法」があるのではないか。誰にも好かれるような喜劇人はつまらない。まあ、誰とは言わないが、どうして人気があるのかよくわからない「誰からも好かれる喜劇人」が数多くいてうんざりするが、それより始末に悪いのは中途半端に存在する人たちだ。いないと困るんだろうな、ああいった人たちも。するとそれは、「便利」というやつになってしまう。「便利な人」にはぜったいなってはいけないし、人のことを「便利」と見るような作り手とは仕事をしないほうがいい。
■書きはじめると長くなるのでこのへんでやめるが、番組の作り方にも興味があった。ほんとはもっとかっこよくできると思う。だけどほどほどがいい。でないと、僕がむかし、いとうせいこう君や竹中たちと作っていた番組のように、ぜったい一般性を持てない。テレビはきっとそういうメディアだ。

■テレビで思い出したが、このあいだ「プロジェクトX」という番組で、遭難した登山者を救出する富山県警に作られた特別な警備隊の話をやっていた。
■警察に協力する山岳ガイドという人たちが謎だった。富山県のなんとかいう村の人たちだ。「伝説の山男」と呼ばれる人もなかにいて、南極観測隊の基地作りの協力もしたというし、吹雪のなかで、仲間が谷底に落ちたときするすると猛吹雪のなか谷を下って助けたという。その人たちの名前がみんな「佐伯」である。これはなにか特殊な一族なのではないか。忍者の末裔とかそういった人たちじゃないかと考えていたが、そこで思い出したのが僕の舞台によく出ていた佐伯だ。佐伯も富山県の出身だ。番組の最後、たしか資料協力のクレジットのなかだと記憶するが、そこにもやはり、「佐伯」という姓の人がいて、いよいよ怪しいと思った。
■そこで、佐伯の結婚式のとき引き出物として配られた、「佐伯のお父さんが作った山の写真集」を探した。佐伯のお父さんもまた登山家である。山の写真を撮り、エッセイも書いているという。お父さんの写真集をたしかめた。佐伯邦夫さんだ。たしかこの名前だった。クレジットに出てきたのはこの名前だ。結婚式で、佐伯のお父さんの写真集をもらったときは「なんだこれは」と驚いたが、いまになると佐伯一族を考える資料として重要であり、貴重である。怪しいぞ、佐伯一族。単に富山県に多い名前なのかもしれないけれど。

(8:23 Nov.23 2002)


Nov.21 thurs.  「病院の中庭にて」

■朝日の夕刊にフォーサイスのダンス公演『カンマー/カンマー』について紹介する記事が出ていた。
■そこに書かれた言葉でしか知ることができないが、舞台の使い方、映像の大胆な表現といい、想像するにとても面白そうだ。観られたらいいのに。こういうとき、たーっとパリとかに行っちゃう人がいるのだろうな。距離感覚のすごい人。安田静さん(舞踊史研究家)の書かれた記事の一部を引用させてもらう。
 舞台上では、関節が外れ骨が折れているのでは、と思えるような動きが次々に繰り広げられる。しかし、タイトル(ドイツ語で「部屋」)の通り、舞台空間はベニヤ板のような可動式の壁で仕切られて、肝心のダンスはかなり見づらい。そのうえ、観客の頭上には七つの薄型モニターが下がっており、俳優兼ダンサーの顔がしばしば大写しになる。
 台詞が耳に入り、顔が写ると、観客の視線はモニターに集中しがち。「見づらい」「何を見せたいのか」という不満も耳にした。
 あ、そうなのか。六年前に上演した舞台で、やはり僕も舞台上でカメラを使い生中継してそのまま楽屋に行くという技法を使い、それがやけに楽しくて同様の技法をべつのやり方で『トーキョー・ボディ』でも試したいと思っていたのと、うちの大学に教えに来ているアメリカの演出家、ジョン・ジェスランさんの作品は、そうした映像の使い方だけで作られた舞台だった。かつての経験、ジェスランさんの作品に刺激されたことなどを元に何か作りたいと思っていたのだ。文中、「見づらい」「何を見せたいのか」について安田さんは、そこにこそフォーサイスの非中心的なよさがあるとして評価している。
 そこだな。「重層的な非中心」とは吉本隆明の言葉だが、中心をずらすこと、微妙にずらすことによって現在を描く。といった話は10数年前によく書いた。そしていまはどうなのか。「ずらす」を確立された手法のひとつとして確認したのちに来るのは、「なに」を、「なに」から、「どうずらすか」ではないか。「脱構築」はいまどんなふうに問い直されるているか。考える。あるいは参考文献にあたってみる。いや、舞台を作ってゆく過程でそれを考えよう。そのために作るのかもしれない。

■といったようなことを考えていたら、パフォーミンググループにもっと基礎的な訓練をさせたくなった。なんだかわからないが訓練させなければいいものはできないと思い立ったのだが、気がつくのが遅いじゃないか。まだ未熟だ。動きが曖昧だ。未経験者も多い。きちんとした表現にしなくてはいけない。時間がない。といったわけで、いろいろ刺激を受けつつテキストは書けない。
■そんなとき、非情にもまた原稿の催促。『資本論を読む』だ。今月だけ『資本論を読まない』にしたくなった。だけど大事な仕事なんだこれは。仕事でなければ、くじけて読まないだろう。

■午後、僕は精神科のある大きな病院の中庭にいた。
■少し冷えるが空気が気持ちがよかったのと、中庭の向こう、少し森のようになった場所の木々の葉がすっかり赤くなってとてもきれいで、ベンチに腰を下ろすとしばらくそこにいた。入院病棟からピアノの音が聞こえる。目の前をゆっくり通り過ぎてゆく患者さんたちの姿からいろいろなことを想像させられる。かつてならもっと傲慢な「見る視線」を持ってそれらに目を向け、それを批評をしていたにちがいないが、いま自分はどんな眼でそれを見ているのか、そうした自分をまた、べつの位置から客観化する。
■結局、『トーキョー・ボディ』のことになってしまうわけだけど、なにをその作品で書こうとしているのか、様々な人の姿、からだを見ることで、手探りをしているのだと思った。

(4:27 Nov.22 2002)


Nov.20 wed.  「芸術にご注意ください」

■Mさんに送ってもらったロバート・ウィルソンの『ハムレット』と、イタリアの演出家による『ハムレットマシーン』のビデオを見ていた。
■ノートを取りながらの観劇。しかもビデオで。いろいろ刺激された。ロバート・ウィルソンはポストモダン演劇の人と呼ばれているように、たしかにポストモダンだった。全体にどこか冗談を感じるものの、とても端正な舞台だ。演出・美術・俳優ばかりか、照明もやっている。驚いた。で、舞台上のロバート・ウィルソンはやけに濃いメークをしているがそれも冗談に感じる。
■イタリアの演出家とその集団による『ハムレットマシーン』は実験的な舞台だ。面白かった。面白かったものの、こういう実験は、いろいろあったのではないかと思い、実験が、予定調和になっていると思えた。

■ハイナー・ミュラーのテキストは、いかようにも解釈可能であり、演出家によって様々な姿に変幻するのだろうと想像する。もちろん、当のシェークスピアもまた様々に解釈され、多様な演出を生んできたのは古典の古典たるゆえんであり、現在にも生き続ける意味だが、それらとも異なる生命を持つテキストだからこそ注目されたのだろう。壁が崩れる以前の東ドイツという政治状況のなかにあって、一見、状況の渦中に生きたテキストのようだが、もっと普遍的なものを感じるのは、言葉にちりばめられたまがまがしさに言葉の強度を演出家が見いだすからだろう。状況の根底にある暗さ。人の根底に横たわる闇を引きずり出すような言葉。それもひどく現在的な。それが演出家を刺激し、強度な言葉によってあらゆる閉塞状況から逃れる力になると試みられた。だから、現代における普遍。とはいえ、「強度な演劇言語」は、わかりやすい「強度」とは限らない。べつの言い方をすれば、平田オリザの口語演劇の言葉にもまた「強度」は確実にあった。
■あるいは、シェークスピアやチェーホフが持つのとは異なる現在的普遍と、過去の政治言語では語られぬ「政治」がやはり隠されているのではないか。僕の勝手な解釈としては、あらゆる意味、領域での「ラジカリズム」についてラジカルに問いかけているように思えそれもまた現在の普遍ではないか。ミュラーはベケットについて「ピル普及によって出産率も急落した時代にそれ以降の新しいドラマ、ベケットの『ゴドーを待ちながら』の何と無害なことか」と書いた。ラジカリズムはきまってニヒリズムへの陥穽にはまり、そのときニヒリズムは無害なのだきっと。現在では。
■ベケットはもう遠い過去のテキストになってしまった。そりゃあそうか、50年前のテキストだ。
■で、ふと「芸術にご注意ください」というフレーズを思いついた。べつに意味はない。「芸術にご注意ください」という芸術をやりたいと思ったのだ。それとはまったく関係ないが、近松門左衛門について調べる。うちに近松門左衛門の戯曲があったんじゃないかと探すが見つからない。『心中天の網島』が読みたかったのだ。あしたにでも探しに出かけよう。

■原稿を書く。筑摩書房の打越さんに頼まれているふたつの原稿を書こうと思うが書けず、では、「考える人」の原稿はどうだとじたばたするが、どちらも書けぬまま、あせるのだが、まるで数学の試験で、ひとつの問題が解けないからべつの問題にとりかかるが、やっぱりそっちも解けず、あせっているうちに時間切れになるような、あの悪夢のような現実を思い出す。
■あせっているうちにサッカーを観た。観るなよ。せっぱつまってるときになにをしているんだ。アルゼンチンはやっぱり強かった。高原がチームとして機能していなかった。後半になって中山が入ったらようやくいい動きになって、そこに藤田がいればいいパスが出ると思ったりし、それじゃジュビロだよ。
■深夜、「考える人」の原稿を仕上げた。まだあるぞ。『トーキョー・ボディ』の道は遠い。

(4:06 Nov.21 2002)


Nov.19 tue.  「ことばを通じて世界を見る」

■原稿を書こうとするがどうも面白くならない。
■パフォーマンスグループの稽古の進行をどうするか考えていたが、思うに、生産主義的ではだめだということで、あれは実験室だ。様々な試みをやってみて、失敗したらそれは捨て、面白い発見があったらそれを発展させ、そうした作業の連続のなかから、これまでとは異なる、ダンスやパフォーマンスが生まれたらと思う。実験室だ。実験を楽しもうと考えたら少し気分が楽になる。
■ ロバート・ウィルソンのビデオを送ってもらった。湘南台市民シアターで『千年の夏』を上演したときに一緒に舞台をやったMさんが送ってくれた。ほんとうにうれしい。ただ、そのビデオだが、ロバート・ウィルソンが演出した『ハムレット』と、イタリアの演出家による『ハムレットマシーン』が収録されているのはいいとして、なぜか「フォーク大全集」というテレビ番組が入っていて面白い。チューリップが入っているようだが、じつはこのあいだ書いたグラフィックデザイナーのHさんが送ってくれたHさん作のビデオ『ブルースカイ』の音楽がチューリップだ。面白い符合である。

■夕方、気晴らしに新宿へ。南口にある高島屋の東急ハンズのあたりにある、なんていうんだろう、テラスっていうか、オープンな通路っていうかそういった場所にはすでに、どうかと思うようなクリスマス用のイルミネーションが飾られている。たいへんな光景である。紀伊國屋書店で買い物。
■中学生二年生のころ宮沢賢治が好きだった同級生の大塚君は、たしか「詩人になる」と言っていたのではなかったか。僕には、「詩人になる」ということそのものがわからなくて、そもそも職業とは、生産に携わる人たち、つまり自分の周囲にいる大人たちのことしか知らなかったので、職業としての「詩人」が理解できず、けれど「なる」というからには、「なる」にふさわしく、「職業としての詩を書く人」の「社会」が存在するのだろうと思い、それはどういう場所か、そして「詩人」にはどんなふうにして「なる」のかよくわからなかった。
■その年、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で自決した。
■驚いた。思想で死ぬ人がいる。そんな人が存在することがもうよくわからない。さらに連合赤軍事件があった。自分が知っている身近にある世界とはまた異なる世界がどこかにあるのを知ることになる。そして「詩人になる」と口にした大塚君の言葉を思い出した。

■紀伊國屋書店で友部正人さんのエッセイ集『耳をすます旅人』(水声社)を買った。「詩人」としてたとえば教科書に載っている宮沢賢治や中原中也のことはきっと知っていただろうけど、高校に入って「詩」に対して意識的になったのは、友部正人さんの歌であり、友部さんを通じて、ボブ・ディランを知り、金子光晴を読むようになった。で、人は「ことば」を通じて世界を見ているのではないだろうか。友部さん、ディラン、金子光晴の言葉を通じて、高校生のころの僕は世界を見ていたように感じる。もちろん、マルクスもいたし、三島もいたし、漱石もいたし、数え切れない人たちの言葉にあのころ出会ったけれど、「詩」は「言葉を通じて世界を見る」とき、とても強い力、強制力のようなものを人に与えるように思えた。
■『トーキョー・ボディ』のノートには様々な言葉が引用されメモされている。最近はめったにエッセイを読まないし現代詩は読んでも友部さんの詩からも遠ざかっていた。友部さんの本に自然に手が伸びてまるで高校生にもどったような気分になる。一緒に買ったのは、バタイユの小説だったからずいぶん異なる種類の書物の選択だけれど、どちらもいまの僕には、感情に触れてくる言葉だ。『耳をすます旅人』のなかで友部さんは、友部さんらしい表現で北海道の雪の中に立ちつくしているときのことを書いている。
雪はまだまだ降りつづいていたが、もう怖いものでもつらいものでもなく、あれからぼくが旅した数十年間が空からはがれ落ちてくるようだった。
 レジに、友部さんのエッセイと、バタイユの小説を持ってゆく。なんだこの選択はと思われてもしかたがないが、紀伊國屋書店の「見習い」の札を付けた女の子は、なんでもないことのように応対していた。

■バタイユは読みたかった。『エロスの涙』はすごい書物だったし、『眼球譚』に流れているのはねとっとした感触の、それでいて無邪気なエロチシズムだ。友部さんの叙情とはまったく異なる。『トーキョー・ボディ』のテキストを書く作業はそんなふうにして様々な感情を喚起してくれる。
■夜、永井が来る。打ち合わせ。来週は、取材がいくつも入っているとスケジュールを教えてもらった。永井がいなかったら僕はすべてのスケジュールがでたらめになっていると思う。ほんとに助かる。

(3:44 Nov.20 2002)


Nov.18 mon.  「監視カメラの映像のよさ」

■久しぶりにやけに鮮明な夢を見た。
■『ヤジルシ』のなかに、「怖い夢から覚めたときほど幸福なことはない」という意味の台詞があったが、きょうの夢は、「小説ノート」の小説を書いているところだった。「怖い夢から覚めたときほど幸福なことはない」が引き金になったのかもしれないが、「怖い夢」「いやな夢」ではなかった。目が覚めて、「小説ノート」を書かなくては、その小説を完成させなくてはと思いもし、まして懸案の『28』をまず完成させることだと思った。
■だけど舞台がある。平行してふたつの仕事をやってゆくのは不可能だ。ただ考えていよう。「小説ノート」は中断したままだし、『28』はあと少しだ。書く。ぜったいに書く。

■デザイナーの斉藤さんからフライヤーに使う画像がメールで届いた。
■すぐにもTOPページを作り直し画像を大々的に使いたいが時間がないのでこのページの左上に使ったわけである。TOPページを早く更新したいものの差し迫った原稿がある。筑摩書房の打越さんと新潮社のN君に渡す原稿を書かなくてはいけないのだ。
■そんななか、午前中は、またゴダールのビデオをノートを取りながら観る。そういえばこのあいだ、新宿のTSUTAYAにいったさい『アンダーグランド』のクストリッツア監督の棚を観ていて、『ジプシーのとき』があり、あれもクストリッツア監督の作品だと思い出した。切なかったなああの映画。ラストシーンのあの切なさ。

■映画といえば、BSでこのところアメリカ映画のベスト100を紹介する番組が何日か続きそれぞれジャンルにわかれているのだが、喜劇映画の上位30位ぐらいの映画はほとんど観ていると知って自分であきれた。
■アメリカでは権威のある映画機関が選出したらしいが、ああ、アメリカはこうなっていたかと思ったのは、チャップリンより、断固マルクスブラザーズの『我が輩はカモである』が上位にランクされていたことだ。日本じゃこうはいかない。『街の灯』あたりが上位に入ってしまうのではないか。ただ第一位は予想通り、ビリー・ワイルダーの『お熱いのがお好き』で、べつに悪くないけどマルクスブラザーズより上にランクされるというのは、わかりやすく書くと、松尾スズキより、三谷幸喜が上にあるということだ。
■そういうものだな。
■最近ではめったになかったことだが、きのうも「笑い」について書き、それを読んだ「QuickJapan」という雑誌の方からメールがあった。ある「笑い」についてのコメントがほしいという。よくわからないのでコメントできるか自信がない。

■夕方からパフォーミンググループの稽古。また町で撮影してきたビデオを観る。前回注意したいくつかの点を守っていたので使えそうなビデオがいくつもあった。なかでもあるバイト先にある監視カメラの映像をS君が録画してきてそれがリアルだった。監視カメラの映像は構図といいカメラの側に主観がないのがやっぱり面白い。それを見てグループ分けしそれぞれ稽古。まだ先は長い。この稽古はたいへんそうだ。パフォーマンスグループはまだやるべきことがいくつもある。ちょっと踊らさせたいしな。歩くことによる表現など、もっとなにかあるはずだ。考える。考えつくす。妥協しないでとことん集中しよう。
■稽古の時間はすぐにすぎてしまう。稽古進行の方法で悩む。やりたいことがいろいろあって困るのだ。しかも僕は、テキストを書かなくてはいけない。リーディングは目前に迫っている。書けないとはいっても、メモはだいぶたまり、構想もかなり固まっており、あとは書き出すだけだが、まだ足りない。なにか足りない。ほんとうに書きたいことがのどもとあたりに引っかかっている。もどかしい気分。
■もっと読むべきもの。観るべきものがあったはずだ。

■「ロバート・ウィルソンの演出した舞台のビデオってのはどこかにないのだろうか」とここに書いたら、湘南台市民シアターで以前、太田さんの『千年の夏』を演出したとき出演したMさんから、「ビデオがあります」とメール。送ってくれるという。ありがたい。ハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』をロバート・ウィルソンが演出した映像もあるそうだ。ほんとうにうれしい。
■関係ないけど、このところ、知人たちの日記が更新されていないのでさみしい。
■忙しいんだろうな。僕も忙しいが、なんだこの毎日の更新の熱心さは。だけどオープンソース。『トーキョー・ボディ』までの記録だ。書くことが舞台に向かう作業の一環でもある。

(4:16 Nov.19 2002)


Nov.17 sun.  「ヤジルシ」

■なによりいいもの、それは近所、というわけで、新国立劇場小ホールに太田省吾さんの『→ ヤジルシ』を観にゆく。
■すごくよかった。様々なテキストからの引用によって成り立っている10の場面によって構成されているが、10の場面につながりがあるとすれば、大杉蓮さんと金久美子さんの夫婦がそこになんらかの姿で関わるということだが、かといって一貫したドラマがあるわけではなく、イメージの連なりのような構造が面白かった。後ろの席の人が「意味がわからない」と言っていて、イメージの積み重ねによって成立した劇に意味を問おうとするならたとえば風景を見て風景の意味を問うことはなく、ただ「いいながめだねえ」と感動するのを考えれば、そうして観る劇だってあるはずだ。『ゴダールのリア王』のなかでゴダールはつぶやく。
 イメージだけでなにか表現できるとする。それはもはやイメージと言うより実体といっていい。各イメージは固有のものとなり完全に独立した存在になる。


■金久美子さんは、考えてみれば20年以上前に黒テントで観、その後新宿梁山泊に出ていたのも観たけれどすごくよくなっている印象を受けた。あと、安藤さんが鞄を手にし遠くからゆっくり歩いてくるのを観ていると『水の駅』を思い出して涙が出そうだ。それから太田さんらしい白い巨大な布によって、劇中、舞台が覆われてゆくのは、元々の舞台がジャンクなものたちであふれているので、とてもきれいだった。
■終わって楽屋にまわり小田豊さんに挨拶をする。少し話しをする。稽古がとても楽しみだ。大杉さんと品川さんのいる楽屋にも挨拶。出演者の大半が大人で、とても大人の舞台だった。引用部分について舞台上に設置されたテレビモニターに「○○より盗用」と場面ごとに出る。太田さんに会って「あれは、なんで引用ではなくて、盗用なんですか」と質問。「まあ、ちょっとした、ユーモアだな」と太田さん。劇の全体に、太田さんらしい冗談が漂っており、だからどんなに過剰に演技されてもいやな感じを受けない。どこか客観化する知性があってそれが気持ち悪さから逃れている。こういう演技の手法があるのかと思ったのだ。
■おそらく、いま東京の多くの舞台はたいてい面白いのだと思う。面白いにきまっており、「面白い」が制度化され、予定調和になっているのなら、みんな同じように面白いんだからあまり見てもしょうがない気がする。『→ ヤジルシ』は久しぶりに「見てよかった」という舞台だった。
■そういえば終演後、席を立って出てゆこうとしたら「あきおちゃーん」という女の声。どこのばかだろうと見れば、うちの大学の一年生だった。何人か京都から来たらしい。えらいな。えらいけどその呼び方はやめろ。

■昨夜、眠れないのでテレビを付けると「お笑いオンエアバトル」という番組をやっており、小劇場なんかで「笑い」をやろうとする連中より、お笑いの世界の人たちを僕は支持したい。なかでも「ドランクドラゴン」が面白かった。というか、あとは全然、つまらない。笑いが好きだという人が僕のワークショップにもよく来るがなぜお笑いの世界にゆかないのかわからない。すごく厳しいぞ。いやになるほど哀しみが漂っている。
■最近僕はことさら笑いを書こうと思わず、というのも、豪速球を投げる気力が失せているからだ。経験と変化球で投げてしまう。エッセイもそうだ。またべつの種類の豪速球を投げたいと思うし、過去のものを壊してでも先へ行きたい。
■『トーキョー・ボディ』のためにノートに思いついたことを書く日々。ハイナー・ミュラーの本など読む。ロバート・ウィルソンの演出した舞台のビデオってのはどこかにないのだろうか。

(4:26 Nov.17 2002)


Nov.16 sat.  「稽古場のドアはいつでも開いている」

■午後、「BARFOUT!」の取材を受けた。
■オペラシティにあるカフェだったが、歩いて三分だろうと直前まで眠っていた。ずいぶん眠そうな顔をしていのたのではないか。『トーキョー・ボディ』の話をする。取材はそんなに長くなかったが、そのあとやっぱり雑談になって楽しかった。取材してくれたライターの女性は、「京都その観光と生活」を読んで京都生活がうらやましくなったというが、あれは京都に住む者以外の読者をうらやましがらせるように書いていたのだから、うらやましくなるのは当然である。しめしめという気分だ。
■でも、いいよ京都。ほんとにいい。というか短い期間の観光だとせわしないが、住んでみると町の空気をより味わえる。ただ完全な生活者になるとまたちがうだろう。僕はそこに住む観光する者だった。外側から町を見る者だった。

■話の中で、このノートで手の内を公開しているというか、どんな稽古をしているか、作り方など全部書いてしまうのはどういうことかという質問があった。それはつまり、インターネットにおける「オープンソース」という考え方だ。「伽藍とバザール」である。
■なぜ、VHSは、ソニーのBataに勝ったか。あれもオープンソースだった。開発したビクターが技術を他企業に公開したことがVHSの圧倒的な広がりにつながった。そういえば新聞の記事で読んだが、政府がより安全性を高めるため電子政府の基本OSをLinuxにするとのこと。驚いた。
■しかし演劇においてオープンソースでなにか見返りがあるだろうか。ない。ないに決まってるじゃないか。見返りを求めてオープンソースなんかするものか。だけど手の内はどんどん公開してゆく。それで少しでも演劇に興味を持った人、そこからなにかはじめようとする人が、今後、僕の舞台に刺激を与えてくれるかもしれない。稽古場をのぞきに来てくれればいい。ドアはいつでも開いている。

■舞台のテキストほか、原稿を書かねばと苦しんだ一日だが、書けないのだ。書けないのにこのノートは欠かさず書く。オープンソースである。

(5:09 Nov.17 2002)


Nov.15 fri.  「ブルースカイ」

■10月からワークショップ形式のオーディションを開始し作品づくりはすでにはじまっていたが、そうして舞台への意識が高まってからというもの、この数年なかったほど、作品づくりに集中し、すると、見るもの、聞くもの、読むものから受ける刺激をやけに敏感に受け止められるような気がし、感覚がぴりぴりしている。最近ではなかったことだ。
■ただごとではない毎日。
■このあいだ書いたグラフィックデザイナーのHさんから映像作品のビデオを送ってもらった。三作品入っておりどれも面白かったが、なかでも『ブルースカイ』という作品がよかった。手元にある材料を編集し加工し、ソースは、言葉は適切ではないかもしれないが、なんでもないスナップ写真、ホームビデオのような映像、無造作に撮られた8ミリフィルムで、けれどそれをリミックスすることで日常を新しい視点で再構築する。奇をてらったようないやらしさなどどこにもない。出現するのはごくあたりまえの日常。けれど、「あたりまえの日常」が映像の再構築によって新鮮な姿で映像に定着する。といっても「日常が変化する」わけではなく、日常は日常としてごくふつうにあり、そのフラットな感覚が気持ちよかった。単純な感想になるが、じつにすがすがしい。
■三つの作品、どれにも刺激を受けた。連絡してくれたこと、ビデオを送ってもらったこと、Hさんにとても感謝している。

■渋谷で「サイゾー」という雑誌の取材を受けた。
■担当の編集者のKさんは掛川市の出身とのことで同郷であった。やたらローカルな地名などが出、ついついサッカーの話に夢中になる。楽しかった。で、本来の取材の内容になって『トーキョー・ボディ』の話などする。インタビューが終わって撮影。カメラマンさんが用意したのは、なんという種類のカメラかうまく書けないが、昔よく観光地などで記念撮影するときにそこにいるカメラマンが使っていたような巨大なカメラでそれが興味深かった。こういう取材のときたいていカメラマンは何枚も写真を撮影するが、巨大なカメラで数枚しか撮影しないのもそのカメラマンさんの意図を感じてとてもいい印象を受けた。いい仕事をする人を見るのはうれしくなる。
■そういえば、編集のKさんと話しているとき、大学を中心としたアカデミズムの閉鎖性や硬直性の話になったが、それで思い出したのが、ここにしばしば登場するE君が「最近、東大、がんばってるんですよ」と言っていた言葉だ。というのも東大が発行している雑誌のコピーを先日送ってくれそこにあった「言語態」という概念に関する座談会が興味深く、E君は東大の出身だが彼が在学していたころにくらべ大学が開かれたことを意味してそう口にしたのだろう。蓮見重彦さんが学長だったことが大きいのでないかとも。
■で、またサッカーの話になるが、ワールドカップのころ雑誌「ユリイカ」で「フットボール宣言」というサッカー特集が組まれ、蓮見さんがサッカーについての座談会をしていた。ほんとうに面白かった。対談の基調として「サッカー選手は動物でなくてはならない」があり、そこで蓮見さんは、ワールドカップはあまり重視していないという意味の発言をする。国単位の大会に意味がないという理由がすごかった。「動物には国籍がないでしょう」。笑ったなあ。蓮見さんはほんとうに面白い。ただその対談、K君によればサッカー批評家には評判が悪かったという。だってでたらめだもん。

■夕方から三宿という町にある公民館のような場所でパフォーミンググループの稽古がある。こういった公民館で稽古するのも久しぶりだ。
■前回宿題に出した「町でビデオを撮る」の鑑賞会。鑑賞会ってこともないが、町で動く人のからだをビデオにおさめそれを舞台上に流しつつビデオの中の人物とまったく同じ動きをパフォーマーが舞台上でするという課題。みんないろいろな映像を撮ってきて面白かった。わかったのは、カメラの側に主観があってはいけないということで、カメラを固定し、主観を排し、「ただ撮る」ときの映像がこの課題においては面白いことだ。だから監視カメラの映像がよかった。コンビニのレジを撮った監視カメラのビデオが手に入らないかという話になる。
■ビデオを流しつつ、その動きをまねる。で、ビデオにはいないはずの劇のなかの登場人物がその動きの中にまぎれこむという場面を作りたいが、すごくむつかしい。こりゃ稽古しなくちゃならんだろう。映像と、パフォーマーとの融合のための試みのひとつ。まだあるな。ほかにもなにかあるはずだ。

■ちょっとずつ前進。パフォーミンググループの演出はかなり大事でそこから新しいことをもっと生み出したいが、同時にテキストも書かなくてはいけない。リーディングのチケットはかなり売れてしまったと永井から聞いた。テキストだ。テキストのことで頭がいっぱいになる。

(10:16 Nov.16 2002)


Nov.14 thurs.  「菅付君」

■新聞に、「ぴあ」から新しく出た「Invitation」という雑誌の広告があった。
■情報誌ではなく、文化誌といった趣でいまこういうものが「ぴあ」から出るのは珍しいというか、かつて、「ぴあ」と同様の位置にあった「シティーロード」は情報だけではなく様々な文化記事を載せいてああいったものもなくてはいけないと思っていたのでいい企画だと広告だけ見て感じた。
■寝屋川のYさんの日記にそのことが触れられていた。それで菅付君が編集長だと知ったのだが、彼らしい活動だ。京都のH君は、「イ段」の音が出せず、「いきしちに」はまず音にすることができないので、たとえば「きりぎりす」などお手上げだが、菅付君もなにかの音が苦手そうだった。電話してくると「ウガツケです」としか聞き取れなかったのを思い出す。ときとして「ガツケです」としか聞こえないこともあって、だから、いとうせいこう君など「ガツケ」と呼んでいたのではなかったか。

■はじめて僕がエッセイを書いたのは「月刊カドカワ」の『彼岸からの言葉』だが、その最初の担当編集者が菅付君だ。まだ若かった。やけに早口だった。切れ者の感じがした。
■思い出すのは西麻布というか、霞町のイタリアレストランのことだ。『彼岸からの言葉』のイラストを誰に頼むか菅付君と相談の結果、しりあがり寿さんに決まり、まだキリンビールに勤めていたしりあがりさんと霞町のその店ではじめて会った。いとう君もいた。菅付君もいて、四人でパスタを食べたが、しばしばしりあがりさんが当時を思い出してイカスミのパスタを食べたいとう君の口が黒くなっていたと話す。
■その後、しりあがりさんと、こんなに長く仕事を続けるとは思わなかった。しりあがりさんが、朝日の夕刊の四コマ漫画を書くようになるとも想像できなかったし、それを機に僕もこんなにエッセイを書くようになるとは思ってもいなかった。なんの拍子でこうなったのだろう。それにしても思い出すなあ、「ウガツケです」。

■新潮社のN君から「考える人」の連載のことでメール。しまった。まだそんなにあるのか原稿が。
■N君の奥さんは今年の六月に自動車免許を取ったそうで、僕のクルマを運転したいとの話。驚くな、きっと、日本車しか乗ってないとこのステアリングの重さは。あともうひとつ日本車とちがうところがあってそれを教えないで運転させてあげようと思うのだが、なぜかというと、それがすごく笑えるからだ。ゴルフ2のステアリング、つまりハンドルだけど、あの重さは慣れてしまうとどうってことはないが、慣れてから久し振りに父親のトヨタを運転したらトヨタのステアリングは怖いほど軽かった。ちょっと動かすだけでクルマが簡単に曲がる。怖かった。
■午前中、ようやく『トーキョー・ボディ』のプレス用企画書にのせるコンセプトのような文章を書き上げた。制作の永井にメールで送る。で、『トーキョー・ボディ』の出演者全員に、太田省吾さんの『→ ヤジルシ』を見るように伝えてくれと連絡。あとでわかったが、ほとんどの者がすでにチケットを買っているとのこと。えらいなみんな。
■ひとつひとつ仕事を片づける。筑摩書房の打越さんに頼まれている原稿を書かなければならないが、午後はやっぱり眠くなったのだ。

(3:13 Nov.15 2002)


Nov.13 wed.  「餃子を食べる」

■午前中、 『ゴダールのリア王』のビデオを、ノートをつけながら見る。印象に残った台詞。ふと思い立ったアイデア。考えたことをノートにメモしてゆく。ゴダールの作品としてはけっして成功作とは思えないが刺激されることはとても多い。いや、べつに勉強というわけではなく、むろん、『トーキョー・ボディ』のテキストのための作業。
■袋井の伊地知から「僕も見ましたよ」というメールがあった。なんで見てるんだばかやろう。しかも家族で見ていたという。子どもに見せちゃだめじゃないか。
■で、原稿を書かねばと思うが、どうも書けない。特に『トーキョー・ボディ』の企画書用のコンセプトができないのだ。まずいな。もうリーディング公演まで時間がないのに戯曲もさっぱりだ。『砂に沈む月』のときは飯田橋にあるホテルにこもったのだった。一週間こもりきりで死にものぐるいになって書いた。ホテルはよく眠れる。あれはどうかと思うような眠りぐあいで、静かなせいだろうか、ほっとくといつまでも眠ってしまう。今回もホテルにこもろうかと思案中だが、眠ってばかりいるのでは問題だ。
■三軒茶屋にある「東京餃子楼」で夕食。餃子の味で言いますと、豪徳寺にある二軒の中華屋のほうが僕は好きだが、ここの店の雰囲気が味を美味しくさせている。店員のユニフォームがいい。なんだか気分がいい。雰囲気で食べさせる店というのはきっとあり、以前も書いたことがあったと思うが、かつて東横線の学芸大前駅の近くにあった蕎麦屋の木造の古い建物がすごくよかった。蕎麦はそれほどでもないが雰囲気がいいからよく行っていた。ある日、改築してしまった。かつてのよさがまったくなくなった。あれきり行かなくなった。
■夜、とりあえず書けるところからと「一冊の本」の原稿を仕上げる。原稿がひとつ書き上がるとなぜか眠気がなくなるから、いよいよ不思議な家だ。風邪ももう大丈夫だ。そういえば、今週は舞台の関連でいくつかの雑誌の取材を受けるが、驚いたのは「せりふの時代」で、車庫入れしているところの写真を撮りたいという。それが演劇となんの関係があるんだいったいと思いつつ、なんだかうれしいから困る。

(13:50 Nov.14 2002)


Nov.12 tue.  「からだ復調、いよいよ佳境である」

■朝、ようやく原稿をひとつ書き上げた。
■さらに打越さんに頼まれている原稿、「一冊の本」の連載、それと、永井から早急にと言われている『トーキョー・ボディ』のプレス用企画書のコンセプトの部分を書かなくてはいけないが、午後、眠くなる。ほんとうに不思議な部屋だ。仕事をしようとすると眠くなる。
■夜になって、四谷の丸正で買い物をしたあと、新宿のTUTAYAでゴダールのビデオを借りる。さらになにか借りようかと店内を歩いているとき、ふと中上健次に関するテレビ番組があったのを思い出しあわてて帰ることにした。ぎりぎり間に合う。中上健次の妻である作家の紀和鏡さんが語り手になって中上作品を追う内容。なにかで読んでよく知っている話が多いが、妻が語るというのは新鮮だった。
■中上健次が死んだのは10年前だが、ちょうどそのとき僕の書いた『インスタント・ジャパニーズ』を大人計画が新宿TOPSで上演していた。舞台がはね、松尾スズキたちと飲み屋にいた。そのとき中上健次が死んだのを知ったのではなかったか。で、そのことを松尾君に言ったのを覚えている。あれから10年。そんなになるのか。まさか、京都に住むなんて思いもしなかったころだ。

■原稿をひとつ書き上げ、ゴダールを借り、中上健次のテレビ番組を見、なかなかに充実した一日。といってもそれほど大げさな内容ではないが、風邪が治り、気力が充実したということだろう。それだけで、わけのわからない高揚感があるので、人なんてばかな仕組みで出来ている。
■そういえば、グラフィックデザイナーをしているHさんという方からメールをいただいた。Hさんは映像にも興味があって作品を制作しているとのこと。

 宮沢さんに、私の「東京の人」と「東京の街」の映像を観ていただきたくてメールを送らせていただきました。作品のテーマは「ぬるくて美しい青春」と「太陽と東京」です。

 と、メールにあった。Hさんの作品は、BSでやっている「デジタルスタジアム」、略して「デジスタ」で紹介されたという。『ブルースカイ』という作品だ。ビデオを送ってくれるという。ありがたい。なにかコラボレートできそれが舞台に反映したらなおうれしい。こうしていろいろな方がこのページを見てメールしてくれる。とても感謝している。
■永井によれば、『トーキョー・ボディ』のチケットは発売初日からまずまずの出だしで、どうやらネットで買う人が多いという。やっぱりサイトの効果が大きいのではないかと思いノートの更新は毎日やろうと決意した。PAPERSのTOPページも作り直したいんだほんとは。時間がない。ただ、フライヤーに使う写真のデータがもうすぐデザイナーの斉藤さんから送られてくるはずなので、そのときはTOPページを派手に更新しよう。
■からだも復調。僕のなかで舞台はいよいよ佳境である。

(2:37 Nov.13 2002)


Nov.11 mon.  「稽古」

■からだがだいぶ回復したので夜からパフォーミンググループの稽古に参加することができた。
■「携帯電話」「東京」「非日常的な恋愛」というテーマを使いまずひとりひとりが考えたことを表現にして発表してもらう。いろいろな発表があった。おもちゃみたいな小型のターンテーブルでアナログのレコードから音楽を流す。その姿が面白い。アナログからその場で音楽を流し、しかもレコードを逆回転させ同じフレーズを何度もくりかえすのは、なんらかの形で使えそうだ。あるいは、腕を頭の上あたりでくねくねさせる奇妙な踊り。かつて僕のワークショップに来ていた伊勢もパフォーミンググループだが、見ていると独特の味わいがあって面白い。ダンスを見ると、ダンスそのもの、どう踊っているかを言葉にしようとしても、僕にはうまくそれができないが、以前、枇杷系の天野由起子さんのダンスを見ていてこれは天野さんという人に魅力があるとしか言いようがないと思った。それと同様なものを伊勢に感じ、表現力というか、たとえば芝居をさせるとまだ未熟だが、伊勢にしかない魅力はぜったいある。
■パフォーミンググループはそれぞれみんな魅力的だが、「若さ」のせいで表現に到達していない部分もあり、それはたとえば、宴会芸と、舞台でなにかを見せることが決定的に異なるのだという話になるが、稽古のなかで自分で差異を発見してゆくしかないだろう。そのための稽古。いまはまだ、アイデアを出し合う段階だが、これから少しずつ作って形にしてゆく。形にし、磨く。磨いてはじめて舞台に乗せることができる。

■また稽古がはじまった。
■一年中、なにかしら「演出」しているような気分になる。大学の授業で。ワークショップで。ルーティーンになったらつまらない。期限切れになった演出の考え方から、もっと先へ進まなくてはいけない。それがどんなものかわからないが、今回の舞台はその試みのためにもある。
■家に戻って編集者のE君に頼まれた原稿を書く。昼間、そのE君から電話があったのだった。もちろん原稿の催促だが、いきなり、「見ました」と言うのでその意味がすぐにわかった。しまった。見たのか。見たやつがいるのか。見られたくないと思ってここにはいっさい書かなかったのだが、日曜のあるテレビ番組に竹中がらみで取材されたのだった。終わって、メールも来ないし、やれやれ誰にも気づかれなかったと思っていたのにE君は見たという。がっかりである。

(1:07 Nov.13 2002)


Nov.10 sun.  「舞台までにやっておくべきこと」

■いいかげん風邪に飽きてきた。
■なんとかしてほしいよこのだるさ。日本では過去から現在までダウン系のドラッグは流行らずハイになる覚醒剤ばかり流行ってきたという話があって、しゃきっとしないでいられない国民性のくだらない国だと思っていたが、しゃきっとしたいのもわからないでもない気分になる。
■結局、ジュビロの試合を衛星放送で見ただけの一日。

■夕方、買い物に出たおり本屋に寄ると建築家のル・コルビジエを特集した雑誌が二冊あった。学生のころからどうしてもガウディがだめで、コルビジェの直線的に構成された建築を美しいと感じていた。それで思い出したのは、ルドルフ・シュタイナーがデザインした「ゲーテアヌム」という建築で、この曲線のおぞましさはなにごとだと思いつつ、だからこそ、ひかれたのは怖いものみたさか。学生のときに手に入れた『世界観としての建築 ルドルフ・シュタイナー論』を何年かぶりに本棚から引っ張り出すと、驚くのは一九七四年に出版されおそらく七五年に買ったのだろうその本の定価が2800円で、当時、名画座で映画を三本見ると250円だった時代、定食屋で一番安い定食は250円、よくまあ、学生がそんな高価なものを買ってしまったとつくづく思うが、そのころから本を買い出すと止まらなくなるのはいまと変わらない。おそらく神保町にある建築専門の古書店で買ったのではないかと本を調べるとどうも古書ではない。古書店に特有の貼り紙や、鉛筆で書かれた値段もない。「ゲーテアヌム」のおぞましさについついひかれて買ってしまったのだと思う。
■磯崎新の『建築の解体』を大学内にある書店で買い少し読んだところでトイレに置き忘れたのもたしかそのころだ。気がついて取りに戻ったらもうなかった。忘れもしない。2500円だった。それを失ったショックといったらない。たしか前書きのような部分を読んだだけだった、という話はエッセイに書いたことがある。それから20年以上して水戸芸術館のなかにある主に美術書を売っている店で新装版になっている『建築の解体』を買った。5000円だった。私は思った。「倍になってる」。
■なんの話を書こうと思ったんだっけ。そうそう、コルビジェだ。特集のあった雑誌は一般誌だったので、それほど面白いと思わず、だけどコルビジェのことが気になり家に戻ってコルビジェの作品集に目を通したくなったのは『トーキョー・ボディ』の美術のことを考えていたからだ。最近の僕の舞台装置は具象が多いが、今回は抽象的な、抽象と言うよりむしろ「なにもない空間」にしたいと思っていた。コルビジェにヒントがあるかもしれない。

■フランスに交換留学で行っているというMさんという方や、女優の西山水木さん、三月に敢行された『サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー』にも参加し12月のリーディングのチケットを買ってくれたというMさんらからメールをいただく。ありがたい。
■そういえば五月にパリに行ったのだったといまさらながら思い出す。西山さんもフランスで芝居をしていたのではなかったか。あ、そうだ、以前、西山さんに紹介されたフランス人の若い俳優にパリで会い、どこかで見たことあるやつだなあと見ていたがガジラの鐘下君が教えてくれた。そんなことを考えていたらヨーロッパにまた行きたくなった。次は東ヨーロッパに行きたい。
■それはともかく、舞台だ。舞台美術はこれといってこったことをしようと考えているわけではないし、「なにもない空間」にするにしても、ちょっとした工夫で気のきいたことができるように思う。やはり白い紙にスケッチする。テキスト、美術、パフォーミンググループへの演出、映像のことなど、やることは無数にある。まずは体調を完全にする。

(13:14 Nov.11 2002)


Nov.9 sat.  「いま語るべきことなど」

■ぼんやりした意識で本を読む一日。
■まだからだが本調子ではない。で、竹内敏晴さんの『思想する「からだ」』を読んでいたのだが、竹内さんの書かれるものはとてもためになる。「からだ」へのアプローチと思索の深さや熱心な研究に頭が下がる。教えられることも多いし、発見を促されるが、どこか本質的なところで受け入れがたいものを感じるのはなぜだろう。たとえば、ワークショップでの実例など、正直なところ違和感をいだかざるをえないのだ。
■不思議な読書だ。多くを教えられつつ批評して読む。油断がならんと身構える。けれどためになる。よくわからない。
■ぼんやりしているうちに、アメリカでは共和党が選挙で勝利。ブッシュ体制は盤石。戦争だ。また戦争。なにからなにまで戦争。北朝鮮は来年の二月に崩壊という噂。南へなだれこむ難民。経済は混乱する。日本だって人ごとではない。アジアはどうなってゆくのか。
■そんなことを気にしつつも、リーディング本番までの時間がなくなってゆくことに焦燥感。というか、演劇人として、ものを作る人間として、僕にできることは作品で語ってゆくことしかないのだな。べつに「なにを語る」かではなく、「どう表現するか」が表現者にとっての課題だと思いつつ、けれどいまだから、「語るべきこと」が求められているのではないか。時代とアクチャルに関わること。「いま、語るべきこと」がおのずと、「どう語るべきか」につながってゆけばいいと考える。思想は方法に出現する。
■戯曲を書こうと努力。原稿もあるけれど。

(11:18 Nov.10 2002)


Nov.8 fri.  「風邪だった」

■毎年11月になると風邪をひくが今年はやけに長引く。このノートの更新が滞った。ノートの更新が止まるのはつまり舞台へ向かう作業が停滞していることを意味する。ほとんどなにもできなかった。
■そんななか、死にものぐるいで『トーキョーボディ』の公演の詳細を告知するページを作った。 もっときれいなページにしたかった。
■この数日のことを記録しておこう。

○11月4日(月)
 原稿を書く。『資本論を読む』を片づけ、E君に頼まれている原稿に取りかかる。どうもうまく書けない。コンピュータに関する原稿だが、テーマは「むだなものを買ってしまう」だ。コンピュータに関してこれまで私はどれほどむだなものを買っただろうか。といった内容。もちろんハードもそうだし、コンピュータソフトもそうだが、考えてみると「解説書」の類をものすごく買っている。Linuxの本が大量に積まれ、一時期プログラマーになろうというばかな時期があったのでC言語の本もかなりある。ほんとうにむだである。で原稿に苦しんでいるところへ、ユリイカのYさんから「チェーホフを読む」の進行具合はどうですかというメール。次々襲い来る原稿の嵐。求められているのはなんて幸福なことか。あと絵本。それから「論語」。めまいがする。

○11月5日(火)
 夜、パフォーマンスグループと桜井圭介君が家に来る。講義である。いわば「初台ダンス教室」だ。ワークショップでなんどか桜井君に講義をしてもらっている。僕はもう数回受講しているが、そのたびに面白い。桜井君の話もずいぶんうまくなっている印象。とてもわかりやすい。『パルプ・フィクション』でユマ・サーマンと踊るジョン・トラヴォルタと、『サターデーナイト・フィーバー』のトラボルタの比較がまず面白い。『サターデーナイト・フィーバー』の時期のトラボルタはまだ若く、これでもかとばかりに踊ってみせる。どこか伊藤キムさんに似ている。超絶技巧というやつではないか。そして『パルプ・フィクション』のトラボルタは年齢とともに力が抜け、柔らかに踊る、というかいいかげんなからだ。そのほうがずっとダンサブルだ。ほかにも、黒人のダンス、グルーチョ・マルクス、様々なダンス的なるもの、そしてピナ・バウシュの振り付けたダンスなど様々な「踊るからだ」を桜井君の話を聞きながら見る。なんて贅沢な授業だろう。パフォーマンスグループはかなりお得だ。正直なところ、僕はピナ・バウシュ的なものが好きだ。ちょっとしたアイデアと選曲のよさ。上品さ。こういうものができたらと思うのだ。

○11月6日(水)
 一日中、からだがだるい。やけに眠る。ほとんど眠ってばかりいた。原稿を書かなくてはと思うが頭がぼんやりしている。コンピュータを起動するのさえおっくうだ。突然、読みたい雑誌があったのでオペラシティのなかの紀伊國屋書店にゆく。目当ての雑誌はなかった。で、場所柄というのでしょうか、なぜかここの紀伊國屋には演劇関連の書籍が多く並んでいる。竹内敏晴さんの『思想する「からだ」』(晶文社)を買う。そのあと、オペラシティ内のギャラリーに併設されたようにある美術書などが置かれたショップにダンスとかパフォーマンスのビデオが置かれていると推測し行こうと思うが、からだがうまく動かない。気力が出ないのである。風邪を完全に治さないと創作にも支障が出る。それでも、早急にと言われている永井から頼まれた『トーキョー・ボディ』のプロットを書いてメールで送る。様々なメディアに向けて企画書を送らなくてはいけないとのこと。

○11月7日(木)
 パーフォーマンスグループの稽古が予定されていたがどうしても今日中に体調を完璧にしようと休ませてもらった。申し訳ない。この数日、少しよくなっては外に出、ぐずぐず引きずっていたのだ。夕食に鍋焼きうどんを食べる。汗をかく。体温が上がり少し楽になる。で、夜、永井が家に来る。斉藤さんがデザインしたフライヤーが何パターンか出来たと僕の確認を取りに来た。少し悩む。どれも使いたい。決断。いいフライヤーになりそうでとても楽しみだ。公演に関していくつか取材も入っているという。公演関連の取材だったらなんでもやるね、俺は。風邪を治そう。なにもできない。

 こうして記録するとかなり活動しているようだがどこか意識はぼんやりしていた。ぼんやりしたままの数日。このノートを書くことができなかった。

■8日になって少し回復。だが完調ではない。ただパフォーマンスグループに試させたいアイデアをふたつ思いついた。これはいける。ひとつはワークショップや大学の授業でもやっっている「歩く表現」から考えたこと。もうひとつは映像とパフォーマーの有機的結びつき。早く試したくなった。
■夕方、また鍋焼きうどんを食べる。汗をかく。調子が少しよくなる。久し振りにメールチェックをすると、編集者のE君、学生のY、打越さん、毎日新聞のNさんからメールが来ていたことに気がつく。Yは、山田せつこさんが主宰する枇杷系のダンスを見に東京に来ているという。枇杷系のダンスも見たかったが、からだがだめだ。天野由起子さんのダンスが見たかった。
■戯曲というか、テキストを書かねばならない。考えてみればもうリーディング公演まで一ヶ月だ。アマゾンで、ハイナ・ミュラーに関する本で家にないものをごっそり注文した。いまさら読んだからってなにになるわけでもないが、読まないよりはましだしなにか発見があるかも知れない。『ハムレットマシーン』は以前も読んだが、なんてわけのわからないテキストなんだろう。テキストの書き方についてもこれまでとは異なる試みをしてみたい。

■朝日の夕刊に、このあいだ書いた、僕のワークショップに来ていた鈴木がシナリオを書いて金子修介が監督したミュージカル映画についての記事があった。竹中がすごい衣装だ。その隣に太田省吾さんの『→ ヤジルシ』に出演する大杉蓮さんのインタビューも載っていた。期待は高まる。
■からだを治そう。いま一番の仕事はそれだ。

(13:26 Nov.9 2002)


Nov.3 sun.  「渋滞」

■午後、筑摩書房の打越さんが家に来る。
■常盤響さんによる装丁案が出来たので家まで持ってきてくれるとのこと。で、家の近所の誰でもわかる目立つ場所の前で待っていたわけだが、打越さんが少し遅れている。日をまちがえたか、時間を間違えたかといろいろ考えているところに、『トーキョー・ボディ』に出演するTという女の子が信号を渡って向こうから来るので驚いた。パーフォーマンスグループのひとりだ。「こんにちは」となんとなく近づいて来るのでもしかしたら桜井圭介君によるパフォーマンスグループに向けたダンスの講義がきょうだったかと一瞬、思った。というのも講義するための場所の条件、「ある程度広い空間」「ビデオが見られる」に合う場所がないというのでうちでやることになっており、Tがここに出現すること、偶然会ってしまったことが奇妙で、そんな偶然があるものか、それで桜井君の講義の日だと思った。聞くと、近くでバイトだという。単なる偶然だ。「なにしてるんですか?」とT。「人を待ってるんだ」と僕。あたりまえの会話である。そこへ信号をあわててやってくる人の姿。打越さんだった。Tとはそこで別れ、打越さんを家まで案内する。
■ちなみにTの下の名前は、こともあろうに「夢」である。本名だ。

■やっぱりかと思ったが、装丁のカバーは、牧場にいる牛の写真であった。
■『牛乳の作法』という書名なので牛で来るだろうことはある程度、予測していたが、常盤さんなので、女の子の写真も少し期待していたのだった。牛乳を飲んでいる女の子の写真も撮ったそうだがあざといというので却下になったらしい。でも見てみたかったな。あと、本の内容と関係なく女の子の写真でもよかった気もする。また牛か。どこまでも牛から逃れられないな。で、いつのまにか僕は牛好きということになっており、みんなからよく「牛グッズ」をもらう。家中、牛のグッズであふれている。牛はきらいではないし、むしろ好きなのでいいけれどこれだけ牛が続くとたまにはカピパラを見たい気分にもなる。
■しばし、打越さんのお子さんの話になる。大道芸を親子で見に行ったとき、ジャグラーなどいろいろな芸が披露されているなか、打越さんのお子さんはなぜか「金粉ショー」に興味を持ったという。家でも「金粉ショーごっこ」をやっているらしいが、いったい「金粉ショー」のなにがそんなに子どもの興味をかきたてたかわからない。むかし発表した文章で僕は、「舞踏」は、ことによると子どもが興味を持つのではないかと書いた。というのもあれはどう考えても「変」だからだ。「変」な動き、「変」な表情、「変」な「からだ」に子どもが興味を持つのではないかと考えた。それが素直な人の感じ方だとしたら子どもはストレートに反応するにちがいないと思い、そしていま、ここに舞踏手たちがしばしばやってしまう「金粉ショー」に興味を持つ子どもがいる。貴重なデータである。

■打越さんが帰ったあと三鷹のJマートまでクルマで買い物にゆく。
■体調がまだ完全ではないのと寝不足、さらに渋滞が追い打ちをかけてひどいことになってしまった。体調がどんどんひどくなる。甲州街道はまだよかったが、甲州街道を右折してから東八道路までが渋滞。ここでかなりきた。到着するころには体調がさらに悪化。追い打ちをかけるように、帰り、車線変更を間違え吉祥寺方面に左折する羽目になってからの渋滞がさらにすごい。まったく進まない。疲れた。クルマを運転しているあいだはいいが、クルマから降りるとふらふらだ。
■家に戻って風邪薬を飲み食事をしてすぐに寝る。だめだ。こんなことではいけない。強引にでも風邪を直す。11月に風邪をひくのは恒例でしかしすぐに治ってその冬は一切、風邪をひかないが、今回は少し長い。油断だ。油断なんかしているひまはないはずなのだ。ぼんやりした頭で『トーキョー・ボディ』のことを考える。少しずつ前進。今回の戯曲、というか、リーディングで読む予定のテキストの書き方をこれまでとは変えるという話を書こうと思っていたが、それはまた、あしたにする。体調が完全になったら書く。

(3:06 Nov.4 2002)


Nov.2 sat.  「朝の渋谷」

■フライヤーのための撮影二日目である。きのうは表のヌードを撮ったがきょうはフライヤーの裏に使う町の風景と人。
■朝5時に起きて30分には家を出る。渋谷に着いたのは5時45分ぐらいだった。家から近いのもそうだが、土曜日の早朝は道がやたらすいている。駅前に路駐。僕が着いたときには、センター街の入り口あたりでカメラマンさんとフライヤーのデザイナーをする斉藤さん、モデルをしてくれるMさんがすでに撮影をはじめていた。ほかに永井と、今回の舞台の出演者である文殊君と淵野がいる。文殊君は警備員の衣装。淵野は普段着で、やはりモデルをしてくれる。
■早朝だというのに人の数は多い。昨夜は金曜の夜だからと遊んでいた者が多いせいだろうか。タクシーもやはりいる。センター街から人がどっと出てくるがそれにも波があって、来るときと来ないときの数が激しく変動。波の意味がよくわからない。渋谷駅前の巨大スクランブル交差点の歩行者用信号が青のとき、さっと出ていって撮影。僕や永井が信号を確認し、「赤になる、赤になる」と叫ぶがカメラマンさんは夢中でシャッターを押している。クルマやバイクが信号が変わるのを待ちかまえている。怖くてしょうがない。

■6時頃はまだ町が青かったが、時間が経つにつれ日が差して色が変化するのがわかる。スターバックスコーヒーの前には店が開くのを待つ人たちがいる。無事に撮影を終え、きのうやり残したパフォーマンス部門の小浜との打ち合わせをこのあとすることになっている。7時に来ると永井が言う。小浜は現れない。電話すると、出た途端、「あ」と言ったそうだ。寝ていたらしい。
■近くに相談できるような店がないので南青山のデニーズに移動することにした。永井と淵野が打ち合わせに参加。二人はバイクなので僕のクルマのあとについてくる。淵野は大きなバイクだが、永井は自分のからだのサイズに合わせたのか50CCだ。淵野はすぐうしろを走っているのがわかるが、永井がときどき姿を消す。表参道の交差点を右折するとき50CCのバイクは直接右折できず、いったん道を渡り、向こう側で直進方向の信号を待たなければならないと、教習所で教えられたのを思い出す。青山霊園の脇を抜けデニーズへ。
■小浜は直接、やはりバイクでやってきた。
■バイクで思い出したが、戸井十月という作家は、30歳のころ暴走族の取材を通じてバイクに興味を持ちそれから免許を取ったという。いまでは世界中をバイクで走っている。人間、どんな生き方をするようになるかわからないものだ。なにが人を変えるわからない。僕もちょっとバイクに興味がないわけではないものの、冬、寒いのがいけない。到着したデニーズで、永井も淵野も、小浜も、三人とも寒そうに震えている。そういう季節だ。
■しっかりした考えがないまま、パフォーマンスグループを作ってしまったので、小浜と淵野に説明しようとしても、漠然としたイメージはあってもうまく言葉にならない。ただ二人が積極的に関わってくれるので助かる。いろいろ考えてくれる。パフォーマンスグループは11月から俳優グループに先立って稽古をはじめる。まず桜井圭介君の講義をメンバー全員に受講してもらうことからはじめることになった。なにしろ、きのうヌードのモデルをやってくれたSさんもパフォーマンスグループのメンバーだが、「パフォーマンス」がなにか意味がわからず、俳優のうしろでラインダンスするのをイメージしていたという。まずはイメージを作ってもらうために桜井君の講義がいちばんいいのじゃないかと思った。まだ先は見えないが、でもなにかできそうな予感がする。

■昼間はずっと眠っていた。
■夜は映像の打ち合わせ。演出助手の太野垣と足立、映像を作ってくれる、鈴木と浅野が家に来る。珍しく永井が寝坊したという連絡。鈴木と浅野も僕のワークショップにかつて来た人だ。二人が作った映像を見せてもらった。それぞれ異なる作風。それにしても、浅野の映画でブラジャー姿の笠木なんか見たくはなかったんだ俺は。そして、撮影と出演のみとはいえ、鈴木が関わった映画のでたらめさはなんだろう。鈴木は「たこ揚げ名人」として出ている。両手、両足、口を使って「たこ揚げ」をしていた。
■いま鈴木は脚本家をしており、金子修介が監督し、竹中が出るミュージカル映画の本を書いたそうだ。日本版『踊るマハラジャ』だという。いったいどんな映画になっているのだろう。
■映像は、なにを撮るかということではなく、どうやって舞台上で使うかという話からはじめる。テクニカルなことを含め、映像でなにができるか。単に場面の転換で使うのは面白くない。もう10数年前、ラジカルのころ、すでに僕もその方法を使っていた。映像と舞台上の人との調和。もっとうまいやり方があるはずだ。もっと資料を集めたり、アイデアを今後も出し合おうということになる。
■少しずつ舞台作りが進む。ひとつひとつ積み上げるように作ってゆく。いろいろな人が関わってくれる。こうしたコラボレーションがうまくいけばなによりいい。

(7:59 Nov.3 2002)


Nov.1 fri.  「風邪いよいよひどくなる」

■朝から調子が悪い。ワークショップが終わり気が抜けたせいか油断していた。風邪なんかひいている場合ではなかった。昼、味噌煮込みうどんを食べからだを温め汗をかく。こうするとたいてい風邪はなおるが、まだ本調子ではない。永井に連絡し夕方からの打ち合わせを延期してもらう。ただ、午後の写真撮影だけはなんとか立ち会えそうだ。
■永井の家にゆく。デザイナーの斉藤さんと、モデルをしてくれるSさんがすでに来て準備していた。部屋と台所のあいだをカーテンで仕切り、僕は台所で待つ。ポラロイドで撮影したものを見せてもらう。驚くべきことに、当初使おうと思っていたアメリカの有名写真家が撮影した作品とほぼ同じである。少し説明すればその作品の一部をトリミングしラフ案として斉藤さんが作ってくれたが、ほんとうの作品は顔を含め全身が映っている。今回のフライヤーとポスターに使う写真は顔が映らない。からだの一部。体型が近いというか、だいたい同じで、こりゃすごい。永井が「そっくりそっくり」と騒いでいる。
■ただ、元のモデルのようなかっこうをしようとすると、すごく無理な体勢をしなくてはいけないということが撮影中にわかったらしい。Sさんはそんなにからだが柔らかくなかった。あとワークショップ中に作ったあざがからだにあったのでファンデーションで消したという。
■早く完成品が見たいと思った。

■Sさんを新宿まで送って家に戻る。風邪はまだ治らない。頭がぼんやりする。だめである。

(4:36 Nov.2 2002)