リーディング公演 12月9日、10日(下北沢スズナリ) 本公演 2003年1月22日〜2月2日 世田谷パブリックシアター・トラム 問い合わせ 03-5454-0545 ariko@kt.rim.or.jo

 BackNumber
 10 | 11 | 12 | 2

牛乳の作法・本画像

『牛乳の作法』筑摩書房刊



 Published: October 1, 2002
 Updated: Feb.1 2003
 Copyright (C)2002 by the U-ench.com


  | PAPERS | 京都その観光と生活 | 市松生活 | 小説ノートsend mail |



  *遊園地再生事業団二年ぶりの新作『トーキョー・ボディ』公演までにいたる宮沢章夫の日々の記録
   (『トーキョー・ボディ』案内はこちら→CLICK

Jan.31 fri.  「当日の方を寒い外で待たせるのが申し訳ない」

■いくらいろいろな実験的な試みを入れていようと、コンテンポラリーなダンスがあろうと、しかしハイナー・ミュラーにかなり影響されたようなテクストの舞台がですね、こんなに人が入っていいのでしょうかというくらい観客は大入り。私はちょっといい気になっている。だめだ。いい気になったら人間おしまいだ。ばかにはなりたくないのである。
■ほんとうにありがとうございます。当日券を求めてやってきた方に外で並んでいただくのが申し訳ないのだったし、しかも立ち見ということになってさらに申し訳ないことこのうえないのだ。だからあれほど永井が口をすっぱくして稽古の当初から出演者たちにチケットを売ってくれと頼んでいたのにちっとも売らず、評判を聞きつけた友人のためにこのごにおよんで「席あるでしょうか」と必死になっている連中に少々、私はおかんむりのご様子だ。売れよ、もっと早く。出演者の知り合いだからって優遇するのは、当日のチケットを求めて寒いなか並んでいる方にほんとうにすまない。ノルマがないからといい気になってやがって、いまごろチケットありませんかはないだろ。
■だから、たとえば寝屋川のYさんや、以前参宮橋に住んでいたT君、城田君など、発売直後にチケットを買ってくれたたくさんの方にはほんとうに感謝している。

■それはともかく、舞台は安定してきてはいるものの、「慣れ」のようなものを感じないではない。相手のせりふをきちんと受け止めてから自分の言葉を相手に届けるのではなく「形」としてあたかも用意されていたものを提出するような言葉になっているようでそれが気になる。
■きょうのお客さんはよく笑っていたと出演者たちは言う。僕はモニターで観ていたので客席の空気がわからなかった。おかしいな。そういった意味で面白い芝居じゃないと思うのだが。三坂のメールに、友人から受け取った感想のメールの一部が引用されていた。たいへん的確だった。西堂さんがおっしゃっていたこととほぼ同じであり、僕も感じていたこと。テクストを書き直すべきだと思ったが、まだ公演中なので内容には触れない。公演が終了してから反省として記す。もっと勉強して物語を書き直し再演したい気分になる。
■それにしても笑ったのは月蝕歌劇団を主宰する高取英さんだ。三坂関係で来たようだが、「宮沢さん、変わった」と言ったという。つまり芝居の質がすっかり変わったことをおっしゃったようだが、高取さんが最後に観た僕の舞台は『遊園地再生』で、つまり八〇年代的な表現の質を持っていたころだ。その後の10年以上はなにも知らない。そのあいだに私は「静かな」と呼ばれた種類の劇になっていた。そこを知らず、「変わった」と言われ、ほんとは「また変わった」なのにと、笑ったなあ、それにしても。

■竹中と桑原茂一さんが来る。
■やっぱり映像の話になったが、とにかく映像班がやたらうまくなっている。カメラにしろ、スイッチングにしろ、どんどん上達。このチームとは今後も一緒に仕事をしたくなったものの、それぞれの活動をしている者らなのでまた一緒に仕事できるかわからない。映像班の鈴木は仕事(シナリオ執筆)の締め切りを破りまくっているらしい。この舞台に熱心に取り組んでいてくれる。申し訳ない。
■もっと演劇についてというか、テクストについて、戯曲の構造的な話を書こうと思ったが時間がないのでまたにする。というか、もっといいテキストを書くためにさらに腕を磨こうと思った。たいてい舞台が終わるとそれを引きずってぼーっとしてしまうが、今回はきっとそんなことはなく、さらに次へと意欲がわくのではないか。そんな舞台だった。舞台はしばらくないが、とりあえず小説。もっと勉強。さらに修行。太っている暇はないと考えているうちに一月も終わる。

(10:29 feb.1 2003)


Jan.30 thurs.  「なぜ比較するのかについて」

■私の家は初台なわけですけれども、いま、うちの近所である舞台が上演されているらしい。制作の永井の話によるとアンケートに、その舞台と僕の舞台とを、肯定的にせよ否定的にせよ、比較したものが多いということで、わけがわからない。私は今年になってから27日まで風呂に入るのも忘れるような人間なので、世の中のことがよくわかっておらず、その舞台のことも最近知った。たまたま同じ時期に公演があったというだけで、比較すべき根拠がないし、これはいったいどういう意味だ。
■比較する人とはなにか。つまり「ついつい比較してしまう人」。
■人は解釈せずにおられない存在だ。まあ、解釈しないと落ち着かないのが人の常、もっとも簡単な解釈とは、ひとまず「似ているものを探す」だ。だから初めて会った人に対し、相手を知る手だてとして「○○さんに似ている」と似ていることを手がかりに相手に接近するが、同じようなレベルで「比較する」があるのではないか。
■しかし、引き合いに出された両者もいい迷惑だ。だって、僕とうちの近くで公演している方はまったく異なる種類の演劇を目指しているのだし、私はその方の演劇を尊重する。そのような演劇があってもいいと思っているし、ケラが明治座で「さくら」という商業演劇を演出してもなにも思わず、むしろそういう方向に行くのかと、ある意味でのたくましさに感心さえする。松尾が中村勘九郎と舞台をやる。いいところに目をつけたなあとそれも感心する。

■終演後、批評家の西堂行人さんに声をかけられた。いろいろ話を聞かせてもらえ、これがですね、実に的確な批評なのでとてもためになった。で、いま、「HEINER MULLER / THE WORLD」という活動をなさっているとのこと。つまりベルリンの壁崩壊以前の東ドイツで旺盛な活動をしていた劇作家ハイナー・ミュラーを手がかりに演劇をべつの角度、視点から考える人たちの運動だ。その意義もよくわかる。それも認める。ただ、論調の底にですね、「いまの演劇界はだめだ。まったくだめだ。そんなくずみたいなものは認めない」といったトーンが流れており、それがエネルギーになって動いていることが気になる。ほっておけばいいじゃないか。あなたがたが考える「だめな演劇」はほっておき、無視し、信じるものを黙々のうちにやり続け運動の幅を広げてゆけばいいではないか。いつの時代だって「いまの演劇界はだめ」で、それを憂いてなにか発言するのが定番になってしまっている、というか、「憂いていれば」なにかしていることになっているかのようでは、先はないじゃないか。
■かつて西堂さんは、そう、10数年前、ある演劇のフェスティバルのシンポジュウムを見、そこに参加している三人の「舞台をやっている人」に対して「演劇界から無視された者たちが集まり」といった意味のことを書いてシンポジュウムを強烈に批判した。三人は「無視されている」ことなどまったく考えてもいなかった、というか、「だからなに」という気持ちだったのでこの批判の言葉に唖然とした。「なにを言っているのだこの人は」と。
■そしてその後、三人が三人とも演劇界に認められたばかりか、三人とも岸田戯曲賞を取ってしまった。つまりなんと申しましょうか、叩いたら百倍にして返されたようなもので、私は西堂さんに同情した。「HEINER MULLER / THE WORLD」の運動、その活動の意義はよくわかるし、賛同もするが、西堂さんの言葉を借りれば、またべつの意味での「演劇界から無視された者たちが集まり」ということになってしまう危うさがそこにありはしないだろうか。で、その活動への参加を勧められ、「人生先のことは考えない」「成りゆきに任せる」という姿勢で僕は生きているので、まあ勧められたのなら参加させていただこうと思ったが、いま書いたような考えは崩さない。あと、その三人が誰かは文脈で推測していただきたい、っていうか書いてあるけど。

■公演は連日大入り。なにやら劇場に熱気さえはらむ。
■太田省吾さんご夫妻が来てくださった。にこにこしてやけにごきげんな太田さんが逆に怖かった。オッホの黒川も来てくれた。こんど毎日新聞で連載をはじめるのだがその担当の方が「連載のタイトルはどうしましょうか」と悲壮な表情で言う。申し訳ない。忘れていた。筑摩書房の打越さんも来てくださったがあまり話ができなくて残念だった。あとみんながお世話になった鍼灸医の中田先生も来てくれた。オーディションを受け最終審査まで残り舞台にも出てもらおうと思っていたが「円」に所属しているのでそちらの舞台に出ることになった人が来、「かっこよかった」と感想を話してくれ、繰り返して申し訳ないんだけれども、それがなによりのほめ言葉。
■きのう、劇評の見出しは「都市の不気味さ」ということになってしまうのだなあと書いたが、つまり、演劇における批評言語に「かっこいい」という言葉が存在しないということだろう。むしろ忌み嫌われているのかもしれない。なぜなのか。

■公演も残り少なくなってきた。
■大きな怪我がなく無事に終わることを願うばかり。
■あと、ちゃんと風呂に入ろうと思いますね、わたしは。

(14:55 Jan.31 2003)


Jan.29 wed.  「ほんとうにいいチームができた」

■さらに公演は続く。もうすっかり舞台は安定した。
■きのうの舞台で失敗したところなどあらためて抜きで稽古などして本番へ。
■パフォーマンスグループのリーダーであるところの小浜が足を痛めた。知らせを受け、上演中だったがもし小浜がきょうの舞台の続行が不可能になったらどう指示するか考えながら楽屋にゆく。足を痛めた経験のある人、パブリックの人らが来てすぐにテーピングをしてくれた。少しなら歩けそうだ。小浜が出る場面のことを考える。「卓球」は大丈夫だろうか。あの場面はどうか、あの場面は、と判断していたのだが、小浜、大丈夫だというので通常通りに進行することにした。
■そのあと舞台を見るとやっぱり痛々しい。「穴くぐり」がなあ。テンポをあわせて歩かなければいけないところが苦しい。

■スチャダラパーの三人、いとうせいこう君、新潮社のN君夫妻、S君、いとう君の事務所のYさんらが来てくれた。僕を見て口々に「やせたねー」。N君など舞台を見て「これはやせてもしょうがないですね」と、いい意味で言ってくれた。開演前、永井から太田省吾さん、桑原茂一さんもくると話があったのでいろいろ考えた。というのも、人とは「関係の存在」だからである。スチャダラパーの三人と接する「私」と、太田さんと接する「私」の存在にどう変化をつけたらいいというのだ。
■まあ、しょせん人はそれほど変化しないし、いくら変えようとしたってその人は出現するものの、スチャダラパーと太田さんは極端に異なる世界の人だ。スチャダラはなんせヒップホップだよ。太田さんは前衛的な演劇の人だ。どうすりゃいいんだこのあまりに不条理演劇的な状況を。
■太田さん、茂一さんはべつの日だと知ってほっとした。いとう君は家が遠いから早く帰ったというので会えなかった。でも、久しぶりにみんなと話ができてうれしかった。スチャダラのアニが結婚したという。いいのか、アニだぞ。あのアニが結婚するなんて。でもおめでとう。

■新聞にいくつか劇評が出た。また当日のお客さんが大量に来てしまうかもしれない。帰ってもらうのはしのびない。できるだけ大勢の人に見てもらいたい。なんとかならないだろうか。でもほんとうにうれしい。そういえば朝日に劇評を書いてくれた今村さんは二度見たのだなあ。劇評の最後に、都市の不気味さ、そこにあたりまえに暮らしている現実に「ぞっとした」という意味の言葉があり、二度見て二度ともぞっとしたのだろうかと妙なことを思った。でも、肯定にしろ否定にしろ取り上げてもらえたことに感謝した。
■と、そんなことを書いていたところに竹中直人から電話。チケット取れないかという連絡だ。あいつ、朝日の劇評、読んだな。まったくもう、観るなら最初から連絡してこいっていうんだ。金曜の夜に来るとのこと。
■それに比べたら、劇場のホールで声をかけてくれたS君はえらい。二度観たと言うし、さらに楽日も観に来るという。なにしろ静岡県の袋井市まで『月の教室』を観に来た人だ。それで感想のメールをくれた。観る席の位置でずいぶん印象がちがうという内容。いろいろな方からメールをもらい感想を読ませてもらった。それぞれ異なる部分を観ている。それはねらい通りだ。より多層的であること。中心のない重層的な舞台こそがねらいのひとつだ。今回の演出では、サス(照明を、ある部分に集中させる、わかりやすくいえばスポットのようなもの)を入れた場面が一カ所あって、照明家の斉藤さんが作ってきたプランを場当たりのとき見、やるかやらないかで十五分は悩んだ。「サス」は「そこを見ろ」と観客への強制になるわけですよ。この十年以上なかったことだ。やることにした。あえてそこだけはやってみた。まだ悩んでいるところなわけだが。強制したくないのだ。どこを見ていいかよくわからないような、あるいはどこを見ていようと自由なものを作りたいし、つまり「観客の想像力を信頼する」ということだ。
■ほかにも、MODEに出ていて僕の舞台にも一度出ていただいたことのある桜井さんからも長文のメール。ほかにもたくさんの方からいただきました。ほんとうにありがとうございます。

■終演後、小浜を病院までクルマで送る。以前、僕も救急でかかったことのある駒沢病院だ。レントゲンを撮ったが骨には異常がないとのこと。ほっとした。だけど無理は禁物。なにしろこの舞台のあと、ドゥクフレのダンスカンパニーとともに世界を回る。そのまま飯田橋の小浜の家まで送った。一緒に、スタッフのひとり、まだ学生の西川がついていてくれた。小浜をおんぶして運ぶ。西川はいろいろなことでほんとによく働く。それで家に向かうクルマのなか、出演者やスタッフら、ほんとに今回はいいチームを作ることができたとつくづく思った。
■あと、朝日の劇評の見出しは「都市の不気味さ立ち上がる」なのだが、その横にある音楽のステージ評の見出しが「素直に楽しむ「カッコよさ」」で、どちらかといえばこっちにしていただきたかった。でも演劇はなあ、「都市の不気味」になってしまうのだなあ。

(14:22 Jan.30 2003)


Jan.28 tue.  「いい気にならないぞけっして」

■チケットがない。立ち見が出る。どうしてしまったんだ。なにがあったんだ。しかも公演がはじまってからチケットが売れはじめ立ち見が出るほどの盛況だ。ほんとうにうれしい。素直にうれしい。動員が増えて経済的な問題で救われることのよろこびがないわけではないものの、作品への「反応」だと感じられることがうれしいのだ。
■シアターガイドでインタビューしてくれた方が終演後やってきて、「こんなことを言うと宮沢さんは気を悪くすると思いますが」と前置きをしてから、「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を思い出したと言った。僕もそれは感じていた。ただやっていることはかなりちがうと思う。ラジカルは「笑い」が中心にあった。今回の「笑い」は薄い。ラジカルは構造的に笑いを作っていたが、『トーキョー・ボディ』にはそうした種類の「笑い」はない。ラジカルにダンスはなかった。当時も映像を使っていたが方法がまるでちがう。音楽の入れ方もかなりちがう。テクストの言葉がまったくちがう。舞台上にいる者らの種類も異なる。「走る人」がいない。だとするならなにがどう似ているのか。
■考えられるのは、「同じ人間が作っている」という一点だ。

■つまり、なんらかの「テイスト」ってやつだろう。それが九〇年代をへてまた異なる姿でここにあらわれた。八〇年代的な表現のスタイルからきっぱり手を切り、またべつの種類の表現を模索をした十数年が存在し、しかし、僕のなかにある「なにか」は変化していなかった。
■同時に、ものを作る基本姿勢が似ていたかもしれない。ラジカルのころ「なにかを変えてみせる」、大げさに言うと、世の中を変えてやるという強い野心があった。あれがよみがえったのかもしれない。劇場に来る知人たちが口をそろえて僕に言うのは「やせたねー」だ。太っている暇なんてなかったのだ。今回の作品には次のようなせりふがある。「革命家とは革命をおこなう者のことではなく、むしろ革命に耐えられる者のことなんだ」(映画『戒厳令』より引用)。だから、「からだ」だ。「からだ」からすべてが発せられると今回の舞台でいやというほど知った。「耐えられる」ためには「からだ」をタイトにしなくてはいけないのであって、如実に「からだ」はそれを体現し、ぶくぶく太った四〇代の知識人はなにを発言しようとほんとうにおまえ「ぬるいよ」と言ってやらねばなるまい。
■ちょっと言い過ぎた。気を悪くしないでください。むしろ、健康に気をつけてくださいね。糖尿とか。

■また新しい観客に出会えた予感がする。
■たとえ劇場がいっぱいになり盛況になったところでたかだかワンステージ300人。たったそれだけ。いい気になっていてはいけない。だけど「新しい観客」に出会えるか、他者に向かって表現できていたかという、作品の質について謙虚に考えなくてはいけない。まだまだなんだ。これがいまできる精一杯の到達点。表現はまだ先がある。もっと深い表現がきっとあるはずだ。正しい批評は謙虚に受け止めよう。まったくその通りですとしか言いようがない批評がある。
■満足しちゃったら終わりだものな。
■まだまだあるよな。やるべきことが。いい気になっている暇はない。おだてられないぞ。ばかにはなりたくないのだ。これは単なる出発点。

(14:45 Jan.29 2003)


Jan.27 mon.  「忘れていた」

■サーバーが落ちていたらしい。夕方の五時くらいから明け方までまったく「u-ench.com」につながらなかった。メールで問い合わせたところウイルスが混入し駆除に時間がかかったとのこと。ああよかった。

■休演日。
■なにもないと落ち着かないという人は多いと思うがほんとうになにもしなかった。ぼんやり考えごとをしていた。じーっとしたまま、二時間ぐらい同じ姿勢で考えごとをする。まあ、それを「していた」ということで、「なにもしていなかった」というのはうそである。「なにもない人生でした」と口にする人はしばしば存在しがちだが、そんなことはけっしてないのであって、人は生きている以上きっとなにかをしている。歩いている。立ち上がる。眠る。トイレに行く。食事をする。スイッチを入れる。もう忙しくてしょうがない。
■しかし「劇」はそれを見逃す。「劇的」は「なにもない一生」らしきものを形象できない。という、太田省吾さんの演劇論に私がどれほど影響を受けたことだろう。日記を書く。だが「きょうはなにもなかった」と人はつい書きたくなるがそんなことはぜったいにない。だから、インターネット上の人の日記が僕は好きだ。「きょうはなにもなかった」という、かつての「劇的」から遠い場所で人々はある意味、「どうでもいい日常」を綿々とつづってくれる。それが面白くてたまらないのだ。「どうでもいい日常」に価値を見いだせるかどうか。ただそれをお金にするためには「表現」に昇華させなくてはいけないが、お金にならないと覚悟を決めたというか、そもそも最初からそんなことを考えていない人たちの文章が面白い。
■だから書くことでお金をもらうのを生業にする僕は、「石が転がっている」という状態だけで、五枚は書けるようにと文章の腕を磨いている。

■三坂のメールに、ある方の舞台への感想がまとめられてあった。きちんとした「反論」に感謝した。というのもある部分、その方の最近の発言への批判めいたせりふがあるからだ。きちんとした「反論」はすがすがしい。ただ「長い」という感想があり、それはやはり、「走る人」が「いるかいないか」だと思った。きっと「走る人」が見たかったのだろう。その種類の劇が見たいのだろう。気持ちはわからないでもないが、走らないのですね、九〇年代に入ってからの僕の劇は。まあ、もののたとえですが。
■だから「歩き方」の問題である。どのように劇の空間で人が歩くか。それを「長い」と感じさせるのならまだ「歩き方」が未成熟だということだ。表現になっていないということだ。「意図された方法としての歩き」になっていないということだ。となると、メソッドやシステムを作らなくちゃいけないってことだろ、いやだなあ、それは。
■ただ、「テルミンのダンス」は自分でも「長い」と思う。あれこそ、しっかりした表現になっていないものをだらだらやっている感がぬぐえない。そう思いつつ、つい舞台も半分まで来てしまった。どうしようかな、短くしようかな、いまさら短くするのも演出家として恥だが決断せねばならんのだ。

■ところで私はきょう驚いた。
■舞台に夢中になりすぎた。舞台のことばかり考えていた。稽古場で考え、家に帰ってからも考え、考えすぎていろいろ忘れていることがあり、たとえばときどき食事をするのを忘れる。そんななかふと思い出して口にしてみた。
「俺は今年になってから風呂に入ったか?」
 身近の者が言った。「入ってません」。忘れていた。すっかり忘れていたので、そのぶんを取り戻すように、夜、五時間ほど風呂に入った。で、風呂のなかでやはり舞台のことばかり考えていた。じっと風呂につかり舞台のことを考える五時間だ。

(13:57 Jan.28 2003)


Jan.26 sun.  「スリットの幅」

■チケットはほぼ完売になったらしい。
■まだ少しあるのかな。当日分は確保してあるはずだが、もっとたくさんの人に見てもらいたくてもトラムは消防法にうるさいので階段に座ってもらうとか劇場に来た方全員を入れることができないかもしれず、来てもらったはいいものの、帰っていただくしかないとなると申し訳ない。
■休止直前の『砂に沈む月』も楽日に帰っていただいた方がだいぶいた。あのときは「朝日」に劇評が出たとたん予約と当日が殺到したのだった。朝日すげえなあと思ったのだが、今回はまだ劇評は出ていないのでなにがどうしてそうなったかよくわからない。ただ素直にうれしい。ただただうれしい。ほんとうにありがとうございます。

■で、日曜日。かなりの客の入りだった。昼の回はそうとうできがよかった。これまでで一番だ。いい舞台を見せてくれた。出演者とスタッフに感謝だ。夜はその80パーセント。疲れてきたなあ。いいできだったとはいえ、たとえば冒頭のダンスにおける小浜たちに勢いがない。へろへろな感じだ。まだ公演期間の前半だというのに、役者たちが疲れてきていると感じる舞台をやったのは何年ぶりだろう。
■それでもうちの妹が言った「やっぱり静かな劇じゃん」なのはいったいなぜなのか。そのことを分析していたのだった。で、思い当たることが一点ある。舞台上を「走る人」がほとんどいないことだ。冒頭のダンスは走っているがそれ以外はほとんど走らない。走らせない。せいぜい早歩き。穴にくぐる人たちの場面も速度を出そうとして一度走らせたが、あんまりきれいじゃないからと、早歩きにした。すきあらば、ゆっくり歩かせる。ゆっくり歩きながら去ってゆく人が見たいのだ。
■そこなんじゃないか、妹の感想のかんどころは。で、演劇についていろいろ考えてみると「能」はものすごくゆっくり歩く。「歩き」、あるいは「所作」、「動き」が変化してゆく過程にこの国の演劇の歴史の一面があるのじゃないかと考えられもし、それを分析し考えるのは面白そうだ。

■今回の舞台に関する否定的な意見のなかに「客を飽きさせないために映像を使う」という言葉があって、それの是非はともかく、この言葉の論法から演劇について考える手がかりがあると思った。ピーター・ブルックの『なにもない空間』を思い出したからだ。なにもない空間がある。そこをひとりの人間が通り過ぎる。それだけで「演劇」が出現するとすれば、ほかにはなにも必要なものはないはずだが、「客を飽きさせないためにせりふを発することにした」とか、「客を飽きさせないために音楽を使うことにした」「客を飽きさせないために照明を使うことにした」「客を飽きさせないためにダンスを取り入れてみた」「客を飽きさせないために歌を歌う」と、演劇はそのようにして変化し進化した歴史の一面があるのかもしれない。
■というか、新しいことをやろうとすればそれがすべて「客を飽きさせないため」という論法に帰結できてしまうことになり、まあ、この論法の歴史性のなさ、分析力の甘さ、というよりゼロ、要するにばかであるということになってしまうが、考える手がかりとしては面白い。だから「実験」と「趣向」はなにがどう異なるかにやはり話は向かうべきではないか。
■今回の舞台はスリットがあり、その向こう側で芝居をしている。それを映像で生中継するが、そのことについても妹は「もう少しスリットの幅があればね」と言った。スリットの幅が広ければもっと親切だ。向こうでやっていることが見やすい。たしかにそれはそうだが、あんまり見えすぎたらスリットの意味がない。つまり「スリットの幅」にこそなにを表現しようとしているかが存在している。「幅」がゼロだったらある種の「絶対演劇」だ。そういうジャンルの演劇が一時期あったのです。完全な「芸術」になってしまう。幅がものすごく広かったら「こてこてのエンターテイメント」だ。「実験」か「趣向」か。適度な「幅」があるのではないか。
■そして重要なのは、「実験」も「趣向」も、もうどうだっていいということだ。そんなことのなかにいまの演劇は「問題」を見いだせない。極論すれば、「実験」は寺山修司で終わったのであり、「趣向」はつかこうへいで終わったのだ。二人はおそらく偉大だった。偉大だったにちがない。だからいまの演劇の問題は、「なにを問題にしたらいいかということこそが問題」なのではないか。大きな問題。課題。演劇人に突きつけられた歴史的な宿題。ああ、いやだなあ、宿題は。でもやらなくちゃな。演劇を続ける意志のある限り。スリットの幅について意識し続けなくてはいけない。

■昼の回は評論家の扇田昭彦さん、朝日の今村修さん、大杉蓮さんが差し入れを持ってわざわざ来てくれた。うれしかったなあ、大杉さん。そして夜は、川勝正幸さん、宮台真司さんが来てくださった。ほんとはもっとたくさんの方がいらしてくれたのだろうが挨拶もできなくて申し訳ない。久しぶりに川勝さんと話ができたのもうれしかった。川勝さんといえば以前まで東大で講師をしていたが川勝さんはそれを「親孝行」だと言った。まったくそうなんだよ、これがまた。僕も大学で教えることになったとき親がよろこんだ。なにしろそれまでは「なにをしているかよくわからない人」でしかなかったのだ。ほんとは、「なにをしているかよくわからない人」で居続けたいのですけどね。
■その親が昼の回を見に来てしまった。2時間以上の舞台にあの親が耐えられるかが大きな問題だったが、やっぱり耐えられなかったらしいし、近くにいた者の報告によると、テレビを見るようにいちいち疑問を口に出していたそうだ。迷惑な客だなあ。申し訳ないです。落ち着きのない、よくしゃべる老人がそばにいたらそれは私の両親と親戚の者です。この場を借りておわびいたします。
■そんなわけで、また長くなってしまった。編集者のE君のメールにあった指摘の紹介はまた後日。いろいろな方からメールをいただく。返事を書けなくて申し訳ない。舞台は安定してきたので僕の仕事はもうほとんど終わった。27日は休演日。あと半分。あっというまだな、いつでも感じるこの上演の感覚。そして一月も気がつかないうちに終わってゆく。だけど二月のことは考えない。いま、ここ、だ。たいせつなのは、いまここにあること。

(16:12 Jan.27 2003)


Jan.25 sat.  「みんなのからだが不安だ」

■土曜日。昼夜二回の公演。俳優たち、パフォーマンスグループのメンバーのからだはぼろぼろだ。心配になる。たとえば「背後にばたーん」を考えたのは僕だが、無責任な思いつきで、こんなにからだに負担があるとは想像していなかった、っていうか、ある程度、予想していたものの、ほんとにひどい有様で、腰や尾骨の痛みはそうとうだ。話を聞いて不安になった。
■顔を合わせればその話になる。
■ほかにもパフォーマンスグループの橋本が疲れている。芸大の卒業制作も重なりさらにからだは痛々しいテーピング。大丈夫なのか。橋本が演じる民族主義者にどうも力が入らない。非力な右翼はなんだかだめだ。

■それでも芝居は安定してきた。ただテクニカルな機材のトラブルが二回あった。仕掛けをいろいろするのは面白いがそのリスクはあってこうした突発的トラブルはある程度予想していた。ビデオ映像の反射光だけで動く場面がありその映像が出ないと舞台上は暗闇。よく俳優たちがぶつからず、なにごともなく、そでにはけ、立ち位置にいられたか不思議なほどだ。演劇の神様が助けてくれたとしかいいようがないね、こうなると。
■三坂が、稽古中、久保のことがうらやましかったという。なにしろ久保の場面ばかり反復して稽古したからだ。なんどもなんども納得がゆくまで久保の稽古をした。久保、きのうからよくなった。三坂の気持ちはわかるがそのときいちばんだめだと思う場面を稽古したくなるのは当然で、むしろ三坂は大丈夫だと思っていたのだが、役者にそういったことは伝わらない。同時に、「見ること」もまた、稽古だと知らなくてはいけないのではないか。人の場面をじっと見ること。なんどか書いたことがあるが、稽古をよく見ている者はうまくなる。他人の場面の稽古に興味のない者はぜったいうまくならない。だから「見る」のが稽古だ。
■つまり三坂はなにかしていないと不安なのではないか。やっていないと不安になる。見ていればいいのだ。ただ見ていることの重要さ。集中して見ることがいかに大変か。僕が稽古でなにがいちばん疲れるって、それなのであって、ダメ出しをする、ためしに僕がやってみる、話をするといった、外になにか発することはたいして疲れない。「見る」ことはほんとに疲れる。集中力がいる。
■ただ何人か、三坂に限らず、あまり稽古しなかった人は多い。反復で稽古するのではなくやったのを見て単に意見するだけの者も何人かいる。正直、久保で手一杯、どうしてもだめなシーンで手一杯だったのだ。もちろんもっと三坂の稽古をするべきなのは当然だし、本人のためにも必要だったが、僕の演出の視点と、この人の持っている魅力は異なる部分があり、それを強引に僕の側に持ってくるのもあまりいいことではないとも考えていた。むしろ三坂には僕が持っていないある種の「劇的なるもの」を要求していた。時間もなかった。やるべきことは無数にあった。三坂に手が回らなかったと書くべきか。
■まだこれは完成ではないのだろう。現時点での到達点。まだあったな。やるべきこと。考えるべきこと。まだまだできたはずだ。

■昼の回には、編集者のE君、ニブロールの矢内原さんが来た。ダンスの感想を矢内原さんに聞きたかった。忌憚のないところを話してもらいたかった。ニブロールにも出たことがある小浜に、「もっと思いっきりやったら」と冷酷に矢内原さんは言った。いまでもそうとう小浜、からだに来てるのに、からだを使うってのは並大抵のことではないし、日頃から鍛錬しなくちゃだめなのだとしたら、スポーツ選手なみだ。
■E君からは長文の感想がメールで来た。ものすごく適切なアドバイス。次に紹介したい。
■それにしても「からだ」。そういうものだよな、きっと、演劇とかダンスは。そのことを今回の舞台でいやというほど思いしらされた。
■夜、数年前にやはりトラムで上演した『あの小説の中で集まろう』の出演者たち、戸田君、朴本、小林らが見に来てくれて、終演後の飲み会には、やはりその舞台に出ていた鈴木慶一さんも来た。なにやら同窓会。京都造形芸術大学の映像舞台芸術コースで教えている天野さん、それから学生の山口が見に来てくれた。

■まだこれから。まだ公演は続く。出演者たちの「からだ」が心配だ。ほんとに「からだ」についてこんなにダイレクトに考える作品になるとは思ってもいなかった。

(10:29 Jan.26 2003)


Jan.24 fri.  「ばかはほっておけ」

■三坂の日記にあった、ある方の言葉にとても共感した。
「映像よりも舞台の芝居だと、ぐっと力をこめてしまう役者が多いけど、違うんだよ。舞台だからこそ、力を入れすぎないで、力を抜いて、観客にゆだねる。観客の想像力を信頼する」
 そうなんです。まったくその通りだと思ったのと同時に、僕が言葉にしたかったことを見事に形象していただいた思いがする。
 で、三坂からメール。あるばかが、インターネット上で今回の舞台についてたいへん非論理的な否定的「感想」を書いているらしい。メールで引用してくれた。自分が知っている範囲のことだけ得意げに書いて分析がまるでない。ばか。三坂は気にしているようだが、ばかはほっておけ。舞台を続けて20年。これまでどれほど「ばか」の「感想」に出会ってきたかわからないが、たいていばかは消えていった。私はまだ芝居を続けている。ばかはほっておけ。黙って無視していればいい。そのうち消える。感情的になると損だ。なにしろ相手はばかである。
 そういえば以前、「スチャダラ2010」をやったときあとでやはり人に教えられたが、かつて僕がやっていたラジカル・ガジベリビンバ・システムとの比較のつもりか「ラジカルのようだがラジカルではない。宮沢のようだが宮沢ではない」と書いた人がいるらしかった。ものすごくあたりまえのことを「気のきいた書き方」をしているので爆笑した。だってあたりまえだもんそれ。
 それにしても、「ばかが意見を言うようになった」だなあ。
 まあ、どんな舞台をやっても肯定もあるが、否定的な批評はある。そうでないとむしろおかしい。それが見事な分析や批評なら僕は尊重する。僕が否定的な批評を書くとしたら礼儀として少なくても30枚くらいの分析をする。「なぜだめか」について30枚書けるかどうかが、文章の技があるか分析力があるかどうかのわかれみちだ。感想や批評する側も、むしろ逆に強く批評されていることを忘れない。でも、ばかはね、ばかは論外なわけだけれど。

■三日目。すごく大きなミスはあったものの、きのうに比べたらずっとできがよかった。流れがよかったと書くべきか。俳優たちはミスが多くて「だめだあ」と落ちこんだらしいがきのうに比べたらずっとよかった。
■「文學界」のOさんが来てくれた。もう一度見たいとのこと。うちの妹が来て、いきなり「やっぱり静かな劇じゃん」と言った。ここにも的確な批評をするばかがいた。的確だな、それにしても。僕もそう思っていたのだ、じつは。いろいろやっていながらやっぱりそうなっていると感じていた。あしたはマチネがあるので劇場入りが早い。どこにもよらずに帰ることにした。家に戻ってまた舞台のことを考える。いくつか直すべきことがある。あしたのダメ出しはいよいよ言うべきことが少なくなるだろう。
■ここんところ、よく悪夢を見る。そのこと、たとえば「他人の悪夢は笑える」についても書きたかったがそれはまた。

(10:47 Jan.25 2003)


Jan.23 thurs.  「きょうは5点」

■公演二日目は雨だった。
■ものすごくできの悪い舞台。で、分析。せりふのまちがい、きっかけのまちがいは論外、と同時に個人的なできの悪さは各人に反省してもらうしかないが、一カ所、劇の流れのようなもの、うねりを止めてしまう箇所があったことに気がついた。ああ、あそこか。
■劇作家が「さてある日のことでした」とせりふを言う。するとそれまで舞台にもう二人いた片方が逃げ出し、もうひとりは簡易なターンテーブルでレコードを回す。そのきっかけ。音の出るのが遅かった。逃げていった劇作家が音が出るのを待っていた。その待つ時間が、流れを止めた。たしかレコードを出す鈴木には曲の途中でもいいからきっかけを優先させろといっていたはずだが、なぜかレコードのあたまに針をおいたので音が出るまで時間がかかったのだ。
■きのうはうまくいったこれがなぜうまくできなかったかというと、そのあと、劇作家が古本屋の書物をたとえば「アフガニスタンひとり旅」などいうたび、きゅきゅきゅきゅきゅーとスクラッチしろと指示しそれはうまくいったものの、そのことに気を取られたからだ。音の入りのきっかけを優先させること、曲の途中からでもいいから出せと指示されたのを忘れたのだと思う。

■ちょっとしたことで流れが止まる。ごくごくささいなこと。
■そこからリズムが崩れ、なにか気持ちが悪いものを引きずりながら役者は芝居を続けてなくてはいけない。それが伝播する。熊谷がおかしくなる。小田さんが稽古の時にも間違えた箇所でミス。次々とダメが発生する。きのうもミスが多かったが、きのうのミスは流れを止めるようなものではなかったからいいが、この音出しは、たとえば、これからダンスにはいるときに音響さんが音を出すっきっかけを間違え、踊るべき人が呆然と待つようなものだ。あした稽古。
■小田さん、ものすごく疲れた様子で稽古場に来る。時間があると床で眠っていた。大丈夫かなあと心配していたがミスはあったものの若い俳優たちより当然ながら存在そのものが安定している。ただ、ものすごくたいせつな箇所でなにを言っているのかわからないところがあった。まあ、しょうがない。以前大阪で、「竹中直人の会」を見に行ったとき終わって竹中らとお好み焼き屋に行った。しきりに竹中が、その時出演していた岸田今日子さんがせりふをとちったとか、出のきっかけをまちがえたと言うが、でもやっぱり、その舞台でもっとも存在感を示し面白かったのは岸田さんだった。っていうか、岸田今日子だよ、なにしろ。ものすごくうまい。

■ムーンライダーズの鈴木慶一さん、演劇ぶっくで対談したエレキコミックのヤツイ君、京都から島津製作所に就職が決まっているK君が見に来てくれた。舞台のできの悪さに落ち込んでいたのであまり明るく対応できなかったのが申し訳ない。きのうが65点だとしたらきょうは5点だ。家に帰ってからも落ち込んで寝つかれない。それで上に書いたようなことを分析していたのだ。タイトな舞台を作りたい。ただ、ヤツイ君が「かっこよかったですよ」と言ってくれたこと、城田君が日記に「ただもう、かっこいい」と書いてくれたことが救い。
■それがなによりのほめ言葉だ。
■演劇の95パーセントはかっこ悪い舞台だ。美術、映像、ダンス、演劇が複合されたぜんぜん異なる舞台を作るこれが足がかかり。その先へ行こう。ここから彼方へ。そのためには日々の舞台をタイトにすること。それがなにより必要だ。そのなかからまたなにか発見がきっとある。

(11:56 Jan.24 2003)


Jan.22 wed.  「初日である」

■初日の朝である。なぜか六時半起床。晴天。
■朝このノートを書き終えたあと舞台の空間を埋めるのにいまできるいちばんの方法としてまず本を並べることを考え、さらに「部屋」のイメージが浮かんだのですぐに永井に電話し、出演者たちに、とにかく次のようなものを少しずつでもいいから持ってくるよう連絡してほしいと頼んだ。「Tシャツ」「レコード」「本」「フライヤー」「時計」「ノート」「ビデオテープ」「CD」「箱類」「雑誌」。20人くらい出演者がいるのでひとりがちょっとでも持ってくれば大量になる。僕も家にあるモノを手あたり次第に箱に詰める。今回のテクストに引用した本をはじめ、レコードやCDやメトロノームなどがらくたみたいなものを手あたり次第だ。
■箱がものすごく重い。クルマに積むのに時間がかかったが、しかしクルマがなかったらこんなことはできなかった。便利だなクルマ。

■10時少し過ぎに劇場に着くとすでにスタッフは仕事をしている。トラムやパブリックシアターの入っている建物の地下にある駐車場にクルマを入れ、永井、本多、加瀬沢の三人に手伝ってもらって荷物を劇場に運び込む。本多、加瀬沢の二人がクルマから重い箱を降ろすのに苦労している。どうやってひとりで積んだかよくわからないほどの重さだ。
■出演者たちもいろいろ持ってきてくれた。ありがたい。照明作りが終わるのを待って「モノ」を舞台の空間に並べる。大ざっぱにならべ終えたあと、美術協力の武藤が黙々と配置を整えてくれる。きれいにならんでゆく。
■ダメ出しのあと、いくつかのどうしてもやっておかなければならない箇所を抜き稽古し、あまり時間がないまま、最後のゲネへ。ゲネが終わり最後のダメ出しを、出演者、各スタッフに伝えれば僕の仕事はほぼ終わりだ。そして開演へ。

■初日の幕があく。
■客席はほぼいっぱい。年齢層が高いと感じた。
■稽古場での到達点をしっかりやってくれればいい。少しミスが多かったがこれといって劇の流れをひどく止めてしまうようなこともなく、まあ、65点。もっとよくなる。あるいは、やりかたの変更というのではなく、本番を何度も重ねることで若い者らが成長すればいいと思った。あれは驚く。ゆるやかな傾斜ではなく階段状だ。突然、ぐっと上がってこちらを驚かせるときがある。それが見たい。
■もちろん緊張はしただろう。稽古でまったくなかった箇所でせりふのミスをする者もいた。あしたのダメはそういった話になるのと、こうして客席で見ていたことで突然、あそこはこうすればいいのかという新たな発見もありそれを伝えよう。さらに稽古とはあきらかに変わってしまった部分。うーん、なんていうんでしょうか、役者のさがでしょうか、客が入ればどうしても変わってしまうことがあり、たとえば、たっぷり芝居してしまうとか、そういったこと。でもそれほどの破綻もなく、みんなしっかり稽古場で作ったことをタイトに表現しくれた。出演者たち、スタッフに、感謝した。

■終演後、ロビーで劇場に足を運んでいただいたたくさんの人たちに会った。佐川一政さんもいらっしゃいました。文学座の小林勝也さん、朝日新聞社の大槻さん、白水社の和久田君、うちの大学の橋口さん、まだほかにも大勢いて挨拶が中途半端。しかも上演時間が長いのですぐに退出しなくてはいけない。で、家に帰ってメールチェックをして知ったが、城田君も来ていたらしい。少しでも話しがしたかった。
■その後初日打ち上げ。
■僕があまり飲まないので、考えてみると稽古中に飲みに行くようなこともなく(いや、僕が知らないだけかもしれないが)、初日打ち上げも朝までといったことはけっしてないのであって、わりと早い時間に解散。だけど片倉君はもう終電がないとカプセルホテルに泊まるという。夏だったら野宿したかもしれない。ワイルドな人である。

■作品を人がどんなふうに評価するかわからないけれど、僕としてはまた異なる表現の方法に一歩足を踏み出したこと、あるレベルまで納得がゆく舞台になったこと、舞台の創作過程を通じて「からだ」を知ることになったことなど、意味のある作品になった。そしてよく働いてくれたスタッフたちにほんとに感謝している。いや、まだ終わっていないのだ。これからだ。初日があけたばかり。これからこれから。舞台の積み重ねでなにがどう変化するか。まだはじまったばかりだ。

(14:15 Jan.23 2003)


Jan.21 tue.  「場当たり、そしてゲネ。悩むこといろいろ」

■仕込みと、舞台を使った稽古の二日目。朝10時に劇場へ。
■やはり専門の美術家、あるいは装置家をはすごいのであって、さすがにプロである。その分野で素人の僕は、今回の作品では美術も担当したが大ざっぱなプランはたてられても細かい部分で舞台を埋める工夫ができないのだと、「場当たり」をしながら考えていたのだった。舞台は奥行きがあまりなく横に長い。その長さがどうも間が抜けて感じる。これをなにかで埋めるべきだった。埋める方法があったはずだし、巨大なパネルと床との関係など、なにか工夫があったのではないか。やけにフラットなつるっとした床。たしかにダンスのこと、それと、うしろにばたーんのことを考えるとこれでないとまずいわけだが、まだなにかあったはずだ。
■そんなことを考えながら「場当たり」がはじまる。
■夜、一回目のゲネ(舞台通し稽古)ができるかどうかは、場当たり次第だ。舞台監督の橋本ができぱき進行してくれるので僕はあまりなにもしなくてよく、ただところどころ指示を出す。照明は半分だけできていた。場当たりしながら作ってゆく。見ていると改善すべきところがいくつもある。ただ時間がない。なんとか、夜、一回目のゲネをしたい。

■場当たりが終わったのは六時半過ぎ。七時半からゲネができる予定になった。細かく場当たりをするのも大事だがゲネができるかどうかは出演者たちの安心感になるだろうと思った。で、なぜかこのあたりの時間から緊張感で胃が痛い。痛くなる原因が見あたらないので緊張感としか考えられない。おかしいな。なぜこんなに緊張するのだろう。本番前ではない。一回目のゲネの前だ。
■七時半。ゲネ開始。出演者の演技では稽古場より間口が広くなったぶんややもったりするところがあるのと、出はけでいくつか改善する余地はあったがほぼ問題はなく、ただ、照明、映像、音響のきっかけがシャープにできない。稽古の余地あり。あと生中継用の三台のカメラの明度がちがうなど問題点はある。
■「とりあえず初日をあけて」といったものにしたくないのだ。初日があけてから改善すべきところは直すなんて恥ずかしいことはしたくない。できるところまでやる。ねばる。ゲネが終わったらすぐに退出時間になった。

■やはり舞台の空間だ。それは自分の仕事なのでとにかく不安になった。こんなもんでいいだろうということはなく、できる限りのことはしたい。時間がない。悩む。なにか方法があるのじゃないだろうか。照明の力も借りつつ、しかしなにかモノを使った工夫がないか。ノウハウがないな僕には。うーん、なにかある、なにかできるはずだと考えつつ、クルマを走らせ家に向かう。
■時間がない。
■緊張する。
■考える。最後まで考える。
■もうあしたは初日だ。

(7:27 Jan.22 2003)


Jan.20 mon.  「いよいよ舞台ができてきた」

■仕込みである。
■稽古は午後からだが、出演者の何人かは仕込みの手伝いをしていたので朝九時には劇場に入ったはずだ。僕は午後からだが遅刻。申し訳ない。そういえば昨夜、桑原茂一さんと会ったあと永井が家に来て打ち合わせをしたが、そのとき、帰りは永井の家まで送ると約束したのに忘れていて眠りそうになり、しかも、永井のやつ帰らないなあ、こっちは眠いのに、こいついつまでいるつもりだと、ひどいことを考えていたのだった。ほんとに永井には迷惑のかけどおしだ。いつも助けられているのに。
■で、夕方六時まで稽古。
■もっとよくなるはずの久保の場面をみっちりやった。あしたゲネができるかどうかは、「場当たり」(テクニカルリハーサルとも言う舞台用語で、つまり、照明、音響、映像、俳優たちの出入りなどのきっかけの確認作業)が計画通りにできるかどうかにかかっており、それまではみっちりやるべきことはやっておかなくてはいけない。なにより助けられるのは、今回の出演者たちは皆、自分でいろいろ考えてくれることで、僕のダメに対してもそれを理解し、さらに自分でも考える。それぞれの自覚に任せてもきちっとこなし、ストレッチなどは集団でやることはなく、各自の判断で行っている。これまで以上の大人たちだ。
■今回の舞台は、いろいろなことをしているので「きっかけ」が多い。つまり、照明の変化の場所、音の出すタイミング、映像の処理など、やることはいっぱいある。かつてほとんどなにもきっかけがない舞台を作っていたときは、場当たりが一時間ほどで終わったことがあった。あっけなかった。もう終わりかよという気分にすらなったのだ。今回はきついな。どうなるか想像もできない。なにがあるかわからない。

■稽古の途中、舞台を見に行く。だいぶできてきた。どんな装置かは見てのお楽しみである。で、自分で言うのもなんですけど、えーと、きれいですね、これは。稽古後、舞台監督の橋本の先導で出演者全員が、舞台裏など出はけの確認をするが、ぞろぞろ橋本のあとをついてゆくのは、観光客のようだ。いよいよはじまるな。気分が高まってもよさそうだが、なにか僕は緊張する。
■初日なんだ。初日をもっともいい舞台にしたいんだ。初日があけ、観客の反応を見て中身を変えるなんてことは、初日のお客さんに申し訳ないし、初日だからしょうがないってことはなく、とにかく初日に命をかけるのだ。だから、初日があけると、僕はあまりダメ出しをしない。ゲネのぎりぎりまでダメを出し、できることなら抜きで稽古することはあっても、それ以後は、あまりなにも言わない。
■もちろん、観客が入ったことで変わってしまった芝居や、緊張などで失敗した場面については指摘するが、観客の反応を見てあわてるような演出家にはなりたくないのだ。だから初日だ。初日をいちばんいい舞台にするという思いこそが舞台人のつとめなのではないか。舞台ってやつに対する誠実な態度だと考える。
■だからゲネが終わりダメを出したら僕の仕事はほとんど終わりだ。あとは出演者とスタッフたちに任せる。みんないい仕事をしてくれた。ほんとうに感謝している。

■家に戻って、永井から催促されていた当日パンフ(と呼ぶべきかどうか)に載せる原稿を書いてメールで送る。あしたは場当たり。時間がない。おそらく地獄だろう。タフでなければな。僕もニクレンをやろうかと思うこのごろ。いつまでこのタフさを持続し舞台をやり続けてゆけるかそれが心配だ。いや、先のことはいい。いま、「いまここ」のことを考える。いい舞台を作ろう。考えるのはそれだけだ。

(2:17 Jan.21 2003)


Jan.19 sun.  「ここから彼方へ」

■いよいよ初日、目前。
■あしたから劇場入りし仕込みに入る。「劇場入り」と書いても稽古している稽古場が三軒茶屋パブリックシアターの建物、その地下二階シアター・トラムは廊下を歩くとすぐしこにあるので劇場入りというより、場所移動だが、稽古場に仕込んだ仮のパネル、機材などをばらすため、稽古は12時半開始、四時から通し稽古というスケジュール。

 稽古場風景。撮影は写真記録係として稽古場に来ている小沢の作品。スキャナーで取り込んだたのであまりよくない画像になってしまったのは申し訳ない。まあ、こんな感じとわかっていただきたい。

 上からコンビニエンストアーの場面。次に、スクリーンに映し出された生中継の画面。そして最後が通し稽古を終えたあとのだめ出しの図。こんな感じの稽古場ですが、スクリーンに映し出された映像をさらに写真に写すとすごくいい。現物はもっといいのだがスキャナーの精度が悪い。

■稽古場にパネルなどを立て込んでの稽古はきょうまで。あしたから舞台監督、照明、音響、映像班たちスタッフは仕込みに入る。稽古はそうしたテクニカルなことをのぞいた俳優だけのみっちりとした稽古にしよう。もっとよくなる。もっとよくなるはずだ。最後まで粘る。粘らねばな。あきらめずに粘る。いまできるいちばんの到達点を求めよう。
■しかしテクニカルなことでいうと、照明は劇場に入らないと確認できないのがむつかしいところで、ゆっくり時間があって照明の斉藤さんと考えながら作れたらいいと思うが物理的にきびしい。斉藤さんへの注文は、アメリカの演出家「ロバート・ウィルソンみたいなやつ」という漠然としたというか、いいかげんなものだ。斉藤さんにはいつも迷惑をかける。というのも僕に照明の知識が不足しているからだ。どう言葉にしてイメージを伝えたらいいかわからないのだった。
■あと今回、驚いたのは舞台監督の橋本という女の子がものすごく成長していることだった。立派な舞台監督だ。かつてほかの舞台監督の助手で来ていたころはまだ若く子どもだったが、たたずまいからして、大人になっており、すべて任せても安心だ。人は成長する。その人の意志もあるだろうがこの変化にはかなり驚いた。きびきびと仕事をする。最後に役者たちに仕込みから初日までのスケジュールを伝達する姿など頼もしささえ感じるのだった。

■稽古場のばらしがあるので早めに稽古は終わり、僕は一路、祐天寺というか、上馬に向かった。桑原茂一さんと対談があるからだ。茂一さんの事務所に来るのは何年ぶりだろう。そもそも茂一さんに会うのも久し振りだった。「いまの笑い」というテーマ。茂一さんがこんど「コメディ・クラブキング」というのをはじめるそうでその前に、いろいろな人、たとえば、いとうせいこう君らに会って話をし、フリーペーパー「DICTIONARY」に載せるとのこと。
■楽しい話だった。茂一さんはかつて一緒に仕事をしていたころと同様、「笑い」について確固とした考えがある。「笑い」の背後にメッセージ性がないもの、たとえばまったくの「ナンセンス」に笑えないという話をしていた。スネークマンショーのころからそれは変わっていなかった。そこには「毒」があり「濃厚な笑い」があった。そのある意味での「頑固さ」が茂一さんなのだと思う。「面白いことをする人のつまらなさ」に厳しい。きちっとした批評眼があってこそスネークマンショーとその後の茂一さんの仕事があると感じる。9・11以降、政治について語ることを、単なるファッションではなく生きるための、人の根源、本質的なものとしてとらえているのを感じ、その目から見た、「単なるナンセンス」はどうしても許せず、その「毒」のないつるっとした感触、「批評の鋭さ」の欠落した軽さ。それを否定する。まさに茂一さんだ。そしてまた、茂一さんやモンティ・パイソンの「笑い」を支えている思想、あるいは技法、方法論など学ぶことなく、単に表面的になぞった笑い、浅薄な気分だけのナンセンスに対する厳しさだ。
■僕は逆に、かつてとちがって「笑い」に寛容になりすぎているのではないか。茂一さんと話してそのことを感じた。
■たとえば政治的なことを話すことが「かっこわるい」といった風潮に対して茂一さんは、外国の例を出し、それが、たとえばきのうのサッカーの試合を語り合うように外国人たち、あるいは茂一さんがよく知っている外国のミュージシャンたちが語っているその「あたりまえさ」が、なぜこの国にはないかを言う。「あたりまえ」のレベル。なぜこの国ではそれがあたりまえではないか。歴史的に考えるとそれは分析できるようにも感じるし、「あたりまえ」として語り合う者もこの国にだっているのではないか。かつて高校生だった僕はそうだった。友人たちと政治のことばかり話していたし、あるまだ若い知人とは政治のことをしばしば話したし、メールのやりとりもした。
■絶望はしていないのだ。可能性を発見し、それを広げる。どこかにいる。ばかはほっておくけど、可能性の幅を広げ、そのためになにをすべきか考える。茂一さんはたとえば、「Tシャツはメッセージだ」と呼びかけたりなど活動しているがそれに周囲がいわば「のってこない」ことに焦燥を感じているのではないか。でも方法はあるのだと思う。もっとなにか方法が。焦ることはないと思う。少しずつ前に進めたいと思うし、状況は少しずつ変わっていると僕は希望を持っている。現状を破壊することへの希望。破壊への希望。
■ただね、茂一さん、やっぱり「笑い」は手段ではないと思うんですよ。「笑い」は「目的」ではないかと。そのことに血眼になる人たちも僕は支持するんですよ。彼らの死にものぐるいの格闘のこと。だからなあ、いま音楽で困っている桜井君が音楽で「面白い音」を作ってこようとするのは、「かつて笑いに死にものぐるいで取り組んでいた者」の目から見ると、そんな安易な、と思えてしまう。笑いはねえ、きびしいよね。若い役者を見ても「笑いってこんなもんだろ」みたいな芝居を観るとほんとに腹立たしい。なめんじゃねえばかやろうという気がするのだ。

■『トーキョー・ボディ』はある意味、政治的だけど、それで思い出すのはかつて僕がやっていた「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」で、あの舞台もひどく「政治的」だった。あらゆるものを笑いのめすように政治性を持っていた。だから今回やっていて、「あらわれ」はずいぶん異なっても「ラジカル」のころを思い出してしまう。
■劇作家という登場人物の台詞に「ここから彼方へ」という言葉がある。これ、じつは、「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」の第一回公演のタイトル。べつに過去を回顧するのではないし、思い出にふけっているのではないが、ものを作る姿勢としてあのころの新鮮な気分、死にものぐるいの仕事ぶりを思い出しはした。
■「笑いってこんなもんだろ」じゃなかったなあのころ。だからいま、「演劇ってこんなもんだろ」ではけっしてない。もっと考える。いまは演劇について考える。なんに対しても姿勢は変えないようにと考えているうちに公演まであと三日。
■夜、東京は雨だった。

(10:11 Jan.20 2003)


Jan.18 sat.  「到達点はどこか」

■きょうの通しのできは75パーセントくらいか。
■とはいっても、では達成点、つまり100パーセントの場所など存在するのか疑問である。どこが達成点なのだろう。いつだってそこをめざしはするが、そこがどんな場所か見ることはまずない。いまは、いまできる範囲での達成点に至ればいいと考えている。いまできる、いまの達成点。そのためには最後までねばる。
■ただ俳優は、本番になればなにか変化する。よく見せようとするのは人だから仕方がないことだし、初日、本番という緊張感から逃れる者は、まあ、まれだがいるかもしれないし、それを気にしないのも技術と経験かもしれないのだし、あるいは客を観客とも思わぬいい意味での傲慢さでいどむ人間もいるかもしれない。だがたいていはそうはいかない。緊張する。しっかりやろうと力が入る。稽古場とはちがうことをしてしまう。
■人間だから仕方がないことだ。
■笠木ががんばりそうでこわい。負けず嫌いだからな。よく見せようとしそうで怖い。そうすると、「レンホウ」というかつていたタレントになってしまう。かつて「レンホウ」がニュース番組をやっていたことがあったが見られたものではなかった。アナウンサーは訓練を積んだ人だ。基礎的訓練も積んでいない「レンホウ」がアナウンサーのまねをする。見られたもんじゃない。アナウンサーのまねをするだめなひとがニュースをそれらしく読んでいた。笠木には笠木のよさがある。魅力がある。それを「よく見せようとする意識」が消してしまうおそれがあるのだ。きょうもちょっとそれが顔を出す部分があった。ただ、ブラジャー一枚の姿になってからの笠木がよかった。そこでなにか無防備になって笠木本来がもつよさが出る。よく見せようなんて考えている余裕がなくなるとでもいうか。人間、なにがが人を成長させるか、わからないのだ。
■あと、片倉君の、本人気がついていない新たな魅力を引き出せるような気がしつつ、考えあぐねているうちに時間がたってしまった。片倉君と真正面からぶつかるべきだった。僕も遠慮していた。もっとよくなるはずなんだ、この人は。あたらし一面が生まれるはずだ。見つけられるはずだ。それが後悔。片倉君に悪いことした。それより「ばたーんと倒れる」の指導者の仕事にものすごく貢献してくれた。感謝。

■でもみんな、少しずつ前進。吉田も軽さをふっと生み出すことでより色の濃い表現になってきた。これまでは勢いで、だーっと、叫ぶ芝居ばかりだったのが、そこにふっと脱力をいれることでまた色合いが濃くなる。文殊もそう。熊谷もそう。
■苦労しているのは山根と久保。ただ、二人の魅力を発見し最大限に引き出した。本人は気がついていない魅力を見つけだし、そこを磨く。客観的に見、引き出すことが演出家のよろこび。役者が好きなんです。それを発見しときこそ演出しているときのいちばんのよろこびがある。
■そういえば、紹介した鍼治療だが、三坂など「痛くなかったですよ」と言っていた。いちばん痛かったのは笠木らしい。僕と同じ太さの鍼を打ったという。そりゃあ痛かろう。体の調子が悪いほど治療が痛いのだ。笠木と僕は、「ぜんそく持ち」という共通項あってなんか体質が根本的に似ているではなかろうか。ただ、僕はかつて運動を死ぬほどやった経験がありそれが基礎になってタフだ。笠木もなあ、もう少し筋力を付けるといいと思うのだ。

■山根の芝居でどうしても許せない部分があって、それは「笑いをなめるな」という問題だ。多くの喜劇人と仕事をしてきた。それに比べたらまだまだ未熟、というか考えが甘い。それを見ていると悲しくなってくる。「なめるな」ということだ。こんなもんでいいだろうと思ったらだめだ。怪我するぐらいがちょうどいい。献身的に笑いを追求する。技術も要求される。むろん喜劇的なる問題だけではない。悲劇もそうであり、悲劇だって死にものぐるいだ。
■通しの前にいくつかの確認事項。桜井君から届いた新しい音楽をもとに稽古。多少異なる部分がある。もっとよくなるはずだから音楽をダメだし。再度挑戦してもらう。苦労かけるががんばってほしい。ダンスの場面でまだできていない部分があって不安。あの温厚なというか、めったに怒らない小浜が「踊れません」と怒ったそうだ。驚いた。出たな。とうとう堪忍袋の緒が切れた。ダンスもなあ12月からほぼやることは決まっていたから作っておいてくれたらこんなぎりぎりでくるしむことはなかったと思うのだ。
■あるるものの既存の音楽で稽古。とことん稽古。少しずつ稽古は進む。
■いい舞台に向かって各スタッフが熱心に力入れてくれることに感謝している。鈴木、浅野の映像班もがんばっており、要求するとすぐに作ってくる。アイデアも豊富。テクニカルなこともしっかししている。単に、場面をつなぐための映像ではなく、ドラマとつながりのある映像の使い方の実験。要求に応えてくれる。ダメが出ればすぐに直す。朝早くから夜遅くなっても撮影、編集。鈴木と浅野、それからカメラ担当の本多、服部もどんどんうまくなっている。映像班だけじゃない。スタッフの全員がそれぞれの場所で考えてくれるし、熱意を感じる。そのことにとても感謝している。これはこんなもんでいいだろうと、スタッフひとりひとりが妥協してくれないこと、いいものを作ろうとしてくれることが大きい。
■カメラマンとして京都の劇団ヨーロッパ企画の本多君が手伝っている。一カ所コンビニの場面に登場するが、きょうはものすごく面白かった。ふらーとなにげなくあらあれるのは、まさに近所のばかが、どうしようもないたたずまいでふらっと入ってきた感じがよく出ている。で、せりふは「コンビニ?」だけ。笑った。
■右翼の衣装で悩む。軍服を着せてみたら、着ている橋本にものすごく違和感がある。なんかちがう。橋本が痩せすぎなのがだめなのか。迫力がない。衣装の今村はがんばってくれているのだが。
■微調整はまだまだある。ただ、全体を見通したとき、深い舞台になっていることが大事。今回の課題。演出の課題。もうすぐ僕の仕事は終わる。初日があけたら演出家なんてそれほど仕事はないのだ。観客の反応で芝居を変えるようなことはしない。ただ、観客が存在しそれに影響されることで稽古と異なってしまうところは注意するがだからって、観客の反応を見てそれであそここう変えようといった恥ずかしいまねはしたくない。稽古場でやったことをしかりやればいいのだ。初日があけたら僕の仕事は見ること。観客がはいたことで変化してしまったことなど客観的に見、チェックするくらいの仕事。

■初日まであと少し。初日を一番いい舞台にすること。それがいまの目標。そのための積み重ね。もっとよくなる。妥協しないこと。あきらめないこと。いまの達成に可能な限り到達すること。疲れている場合じゃないのだ。

(5:12 Jan.19 2003)


Jan.17 fri.  「ゆったりと、大きく構えたいのだ」

■目標は、どんどん楽になってゆく稽古である。せっぱつまり、やることがあとまわしになり、目は血走り、稽古場がぴりぴりし、緊張感と焦燥がただようのではなく、初日にむかって稽古場の空気がゆったりと流れるようになればいい。
■でもそれがどうもできないのだ。なんだかぴりぴりしてくるのだ、演出家が。つまりわたしですけれども。まだなにかあるのではないかと最後までじたばたする。わけもわからず焦る。ちょっとしたことに腹を立てる。ひとり緊張感をかもしだしてしまう。もっと大きくゆったり構えなければとこころがけるが、だめだなあ。
■そんななか、きょうは午後三時からの稽古である。からだがぼろぼろの人、不調の者は調整や治療に、疲労のたまっている人はゆっくり休養、あるいは髪を切る人はそれをすます時間だ。僕も髪を坊主頭にしにゆきました。いつもの青山の店。

■髪を坊主にさっぱりしたあとあまり時間がなかったが、青山ブックセンターに入る。何冊か本を買う。デザイン関連の本など。これはある人へのプレゼントである。僕も一冊。写真で見るコンピュータの歴史。面白いが中身のレイアウトがものすごく読みにくい。
■かつて僕の家の近く参宮橋に住んでいたバンドをやっているT君のサイトの日記 はこのところ音楽の話が続いている。読んでいるとゆったり音楽を聞く時間を作りたいと思った。CD屋をまわって音楽を探すあの楽しみを味わいたい気分になる。やっぱり音楽はいい。このところクルマで音楽を聴くことが多くなったっていうか、まあ、クルマを運転することがこれまでなかったわけだから、ひとりになる空間として音楽を聴く空間としてのクルマってやつがあるのだと初めて知ったわけだ。音楽はいい。とてもいい。
■そんななか、いま音楽で苦しんでいる人がいる。音楽担当の桜井圭介君だ。桜井君に励ましのメールを送ろう。「がんばれ」と書くとよけいプレッシャーになるから、「期待しています」「いつものようにかっこいい音楽お願いしますぜ」「遊園地のかっこよさは音楽が支えています」といった内容がいいのではないだろうか。書こう。励まさそう。オリジナルで押し通す桜井君の頑固さととことんまで粘る姿はすごいのだ。

■午後三時から稽古。いくつか抜きで稽古。久保のところなど。あるいはパフォーマンスグループの橋本がやる壁に開いている穴を風呂に見立てて入るという芝居がまだ未成熟なのでそこを徹底してやる。ここで橋本は全裸です。全裸でどうどうとした芝居。なにしろ自分で考えたアイデアなのだから、アイデアの段階で終えれば素人芸だけで終わってしまうところをきちんと表現にするための稽古。少しよくなってきた。繰り返す。ただただ反復。よくなるまで反復し、できるようになったららそれを、さらに反復。反復することで見えてくるものがある。
■おなじパフォーマンスグループの杉村には少ししきびしい言葉でダメ出し。子どもの表現ではダメだということ。ひとうひとつ丁寧にやること。それは作品に奉仕し、作品のためにやることではなく、自分の問題。不器用な彼女は人よりできるのに時間がかかる。だけど、その時間、できない時間のなかで、学ぶことは、器用ですいすいとできてしまう人よりより学ぶ時間になるのだから、その時間を大事にしなくてはいけない。獲得までの苦労から身に付くものが人を成長させる。器用な人はそこで終わるんですね。苦悩がないのだ。苦悩の中からもっと強いものがきっと生まれる。
■だから、ひとつひとつ丁寧に、たんねんにやる。時間がかかってもいいんだ。それはとてもきちょうな時間だ。むろん本人の自覚も大事になるのだけど。丁寧に時間をかけてやればきっとうまくなる。

■食事量は日々減少。食べなくてはいけないと思うが少し食べるとつかれる。すぐにお腹一杯になっている。タフでいなければいけない。
■通しの時間は少し短縮。日々短縮。
■ところで、舞台の開演、ウイークデーは7時半だ。で、劇場は10時退出。公演時間が2時間20分。もうぎりぎりだ。きょうその稽古。だーっと片づけ。10分で衣装を着替え、すべて片づける。やってみると以外にできるのだった。
■まだやるべきことがある。衣装。音楽。それからスライドがもっと活用できると思った。ゆっくり考える時間がない。だんだんゆったりしてくる稽古場。そんなものを一度でいい作ってみたいのだ。

(5:40 Jan.17 2003)


Jan.16 thurs.  「一冊の本の原稿が書けなかった」

■このあいだ取材してくれたSTAGE・COMのMさんのサイトに早速僕のインタビューがアップされた。その素早さに感謝。インターネットの即時性に驚く。

■きのうの通しで「丸まっている人」をやった田中になぜそれが「石」ではなく「丸まっている人」であり、だとしたらなにがだめか、といった話をする。大学で学生に演出しているとき演劇について根本的な僕の考え方を話すことがたまにあるが、それと同じような時間だった。
■この何年か僕がいろいろな場所に書いてきたり、発言してきた演劇論だが、田中にわかるようにわかりやすく話したつもりだが、理解したかどうか、よくわからない。まあ、理屈などなく「だめだから、だめだ」と強権を発動してもいいわけだが、話して聞かせるのは、自分のためでもある。そうして話すことで演出について自分でも考えるのだ。話しているうちに、あらためて考えを確認する作業ということ。
■ほかは相変わらず、久保の場面の反復稽古。まだできない。窮屈そうだ。いろいろ試してみる。久保は根本的に面白い人だと思うのだが、技術が伴わないときなどなんとか克服しようと窮屈なからだになってしまう。技術はやっぱり必要だな。求められるときそれができるかどうか。しかし、技術だけでは俳優としての魅力はない。それ以上のなにかを求められるからたいへんな仕事だ。

■でもって、落ち込んだのは、『一冊の本』の仕事、「機械」を読み続けている原稿が書けなかったことだ。落ち込んだ。かなり落ち込んだ。この数日催促があったがだめだった。書けなかった。いまいちばん好きな仕事なので書き続けたかった。残念でならない。
■稽古場と家との往復。そして食事をしてすぐに眠ると、二時間後には目が覚めこのノートを書いて舞台のことなど考え事をしているうちに時間がすぎてまた眠ると昼ごろまた目が覚める二度寝の毎日。それでまた稽古場へというループする日々。食事の量が日々減ってゆく。食事する体力がない。ただ稽古場に入るとなぜかエネルギーが出て稽古開始から五時までノンストップで稽古する気力はある。
■まだじっくり稽古すべきことはあるはずなのだ。パフォーマンスグループの杉村の「歩き」「所作」「姿勢」など徹底的に直したいが手がまわらない。それより久保だったり、カメラワークのことなど、やるべきことはあるものの、杉村のちょっとした動きのような細部もまた気になる。こうして毎日通しを見ていると素人が舞台上にいる印象だ。それだけはなんとかしたい。ごまかすことはできる。それらしく見せることはできる。ほんとはそうじゃないはず。もっと初動の時点から口うるさく言うべきだったな。本人の自覚も必要だ。話を聞くと自己否定するところがない人のようだ。でモデル体型で長身。異常にスタイルのいい人なのでそれに自信を持って猫背にならないよう堂々と歩くだけでちがうと思うのだが。
■一部、カット。省略できるところはどんどん削る。そぐこと。足すのではなくそぐことが演出の課題。

■いくつか短くしたつもりだが、通し稽古をしたら時間が延びている。一部、「たっぷり」やっている者がいるからか。片倉・三坂の「心中組」があぶない。油断するとたっぷりになる。山根は表現が幼かったがどんどん面白くなっている。妙な味がありそれでいてよく見ていると技術を持っている。ただその技術がまだ深いものじゃないのは気になる。大人の劇をしてもらいたい。それをとことん教える。
■安心して見ていられるのは、小田さんと南波さん。やっぱり大人なんだと思う。南波さんにダメを出すことに苦労している。小田さんにはもっとよくなってもらおうといくつも注意するが、南波さんにはこれといって注文がないっていうか、やっていることのほとんどが僕には気持ちがいいのだ。でもなにか言ってあげたいと思って無理矢理でもダメを出す。
■熊谷、文珠の二人は、油断すると「力」が入る。深堀は稽古当初から毎日腹筋を50回やるように課題を出せばよかった。深堀はやせている。筋肉があるのかどうかよくわからない。横から見るとからだが薄い。いい声だがそれを生かせきれていない気がする。もったいない。演劇マシーンの吉田は、勢いでやるところ、抑えるところ、そのめりはりがきいてきた。それで表現が豊かになる。ちょっとしたこと、ちょっとしたことの積み重ね。だが全体を見通したときの作品のでき、作品の深さをもっと落ち着いて考えたい。そのためにはどうすればいいか。

■それにしてもみんなからだがぼろぼろ。けが人続出。淵野も肩のあたりを痛めたという。深堀も腰。笠木と久保、三坂はあした僕がいつも通う中田治療院に鍼治療に行く。さんざん「痛いぞー」と脅かす。施術後の報告が楽しみだ。
■あとある一場面、それまで既存の映画監督による映像を仮に流していた箇所があるが、それが、まったく同じじゃないかというオリジナルなものを浅野たち映像班が作ってきた。流したときは気がつかなかった。驚いた。ひとつひとつクオリティがあがっている。妥協せずみんながいいものを作ってくれる。うれしい。桜井圭介君はいま音楽作りで家で苦しんでいる様子。あと少しだ。
■僕も最後まで粘らねばな。
■原稿を一つ落としたことにショックを受けたがたちなおあってまたあしたじっくり稽古しよう。

(3:22 Jan.17 2003)


Jan.15 wed.  「ただ丸まっている人」

■それにしても驚かされるのは稽古場にコンピュータが多いことだ。
■まあ、簡易なコンピュータチップならどんな電気機器にも入っているものの、スタッフの大半がノートブックコンピュータを開いて稽古中作業する姿は数年前では考えられなかった。
■舞台監督、音響、照明とそれぞれ使い方が異なってもノートPCを開いているし、なかでも映像班はほとんどの作業がコンピュータだ。デジタルカメラで撮影してきたものをコンピュータに取り込んで編集、それをDVに落として映写する。ほかにもパフォーマンスグループの淵野など稽古中から映像をコンピュータで加工していたし、誰もかれもコンピュータを使う。コンピュータにあふれた稽古場。制作の永井からの連絡もメールだ。僕はこうして毎日、このノートを更新している。

■みんながそうしているなら意味なく僕も、iBookを稽古場に持って行こうとすら考える。台本をファイルにしコンピュータに入れて持ち歩くのもいいかもしれないが、ダメ出し用にはやっぱり紙だろうか。通し稽古中、ダメをメモするたびにキーボードを叩きかたかた音をたてていたら役者もやりにくいだろう。でも、それの利点がひとつある。通しを毎日やるたび台本にダメの部分をメモする。すると日々のメモで台本が埋められどれがきょうのダメだったかわからなくなるので、メモするペンの色を変えるが、だんだん色がなくなってゆくのだ。青、赤、緑、黒まではいいが、だからってなあ、金色でダメをメモするのはいかがなものか。あとピンクもねえ。
■コンピュータならいくらでもテキストのファイルを複製できる。そのひとつひとつにきょうのぶん、とダメをメモしてゆけばいいかもしれないし、通しを見ながら思いついたことを打ち込んでゆくと、それもまた大事な記録になるだろう。どうやって舞台を作っていったか。日々の記録。
■この場合、メモする速度が問題になる。手書きの乱雑な文字と、キーボードのどっちが速いか。いまではまったくキーボードを見ずに書くので芝居から目を離さずメモすることができるかもしれない。なにごとも慣れである。慣れればこっちのほうが楽にできる可能性が高い。というか、ダメ出し用のプログラムを開発するのはどうか。メモ部分の色が変えられるようなテキストファイルを生成するプログラム。あるいは音声や俳優の姿を感知しいまそこで演じられているのがテキストのどこか認識する仕組みになっており、そこが画面に現れるので、演出する者はただ、舞台を見ながらキーボードを打てばいいというような、そういったプログラム。しかし問題は、そんなソフトを必要とする者がそれほど多いとは考えられず、開発費から換算した単価が莫大になることだ。会計奉行を使う会社はあってもダメ出し用ソフトに需要があるはずがない。世の中にとって演劇の意味が占める比率はさして多くはないのだ。

■きょうは大幅に遅刻。申し訳ないことをした。
■それでも、俳優たちはおのおの稽古していてくれる。稽古場に着くとパフォーマンスグループがいつものようにビデオ映像の写実の稽古をしていた。俳優グループはせりふの確認やストレッチ。みんなにとても助けられる。それぞれが自立している。そうした関係のなかで劇が作られるのは幸福だ。
■一カ所、パフォーマンスグループがやることが未確定になっている。舞台奥、舞台装置としてスリットがありその向こうで劇が進行しているあいだ、前舞台でなにかすることになっているが、これまで何人かがただ立っていた。ただ立っているのもいいが、べつにも立っている場面があるので、ほかにないか提案すると、田中という女の子が「石はどうですか」という。それを聞いた淵野が「学芸会じゃないんだから」と答えた。たしかに「石」になるのはいかがなものか。やってみせてくれたが要するに床に丸まっているので、それはあきらかに、「床に丸まっている人」だ。どこが石なんだ。誰が見てもそれを「石」だとは認識しないはずである。パフォーマンスグループの誰一人、賛同する者がなかったが田中が強く主張するので田中一人でやることになった。
■通し稽古で、田中は丸まっていた。ただ丸まっていたのだった。

■少しずつよくなってきた。あとは反復。ひたすら反復。もっとよくなる。奥行きのある舞台にしたい。

(5:31 Jan.16 2003)


Jan.14 tue.  「俳優たち」

■稽古場に到着したのは一時少しすぎ。
■俳優たちはストレッチをし、パフォーマンスグループはいくつかのまだかっちりしていないビデオを写実する稽古。つまり、町で撮影したビデオを流し、それとまったく同じ動きを再現するパフォーマンス。だいぶできてきたがまだまだ。もっと完璧にしたらこりゃすごい。その後、久保の場面などの稽古。変更点の確認。それから毎日のように映像班、とくに、生中継のカメラマンのカメラワーク、スイッチングなどの練習。これは毎日やることにし、完璧にする。

■ラスト近く、片倉君と三坂が死のうと東京湾の埋め立て地に来る場面がある。昼間、稽古をしたら、ふたり、やけにたっぷりやった。「たっぷり」というのは、つまりしみじみ風呂を味わうようにゆっくり劇世界に身をひたしてしまうような感じとでも言えばいいか、簡単に言えばやけにゆっくりした芝居になっているということだ。
■稽古場では淡々とふつうの速度で芝居していたのが、劇場の舞台で照明が入ったとたん「たっぷり」になってしまう者もいる。そのたび、ああ、ばかだなあ、役者ってと思うが、だから僕は役者が好きだ。様々な人たち、ものすごく大勢の俳優たちと舞台を作ってきた。仕事を一緒にさせてもらった。こんなに大きな財産はない。だって、みんなばかものなのだから。そういう人たち、俳優を目指してしまったある意味で特別な人たちと、しかも多様な人たちと仕事ができることほど幸福はない。
■いろんな人がいる。ほんとにいろいろ。そこからどれだけ多くを教えてもらったかしれない。

■夜の通し稽古で、小田さんがとんでもないまちがいをした。台本をものすごく飛ばして、とんでもないところからせりふがはじまったのだった。
■あわてたのは、カメラマンたち映像班。どう処理したらいいか大慌て。決められていたカメラワークができずにおろおろする。で、そこ、いったん止め、やり直し。本番でこれはできないので俳優もきっちりやらなくてはいけない。あらゆるスタッフ、舞台監督、装置制作、衣装、照明、音響、映像班など、俳優たちがいい状態で芝居ができるようにお膳立てをしてくれる。それに答えるのが俳優の仕事だ。スタッフはみんな俳優をよく見せようとがんばっている。俳優がいなければ舞台はできない。舞台は圧倒的に俳優のものだが、俳優だけで舞台は成り立たないことに対しても自覚してほしいと思った。
■それぞれのスタッフががんばっている。

■稽古終わり、また衣装の今村が何人かの衣装を確認に来た。今村は昼間、衣装探しで東京のあちこちを飛び回っている。センスがいい。風俗店の客引きの久保の衣装がよくてちょっといい女になってしまいましたよ。久保はいつもジャージ姿だ。なにしろバレーボールをずっとやってきた女だから、おそらく高校時代からジャージ以外は着たことがないのではないか。三坂の下着は少し抑えめになった。「ほぼ全裸」ではなくなった。それを見て女たち、「かわいい」を連発。「かわいいかわいい」とくりかえすなばかやろう。
■パフォーマンスグループのとくに女の衣装は、シンプルでタイトなミニのワンピース。これはちょっとサービス。その衣装で激しい動き。サービス。
■衣装がそろってくると、いよいよな感じがする。舞台がはじまる。わくわくする。

■で、僕は夕食休憩中に、毎日新聞のNさんと連載に関する打ち合わせ。以前、「ワールドカップ」について単発の原稿を書いたがその流れで、社会的な事象についてエッセイを書くことになっている。いまは中島みゆきだろうという話題になった。つまりNHKの「プロジェクトX」の主題歌、「地上の星」オリコン133週目にして第一位というおどろくべき事態について。中高年の人々に勇気を与えたと評価されるあの歌。
■どう考えていいんでしょうか。
■ただ、「プロジェクトX」はきらいな番組ではないのだ。「そのとき歴史が動いた」よりよっぽど好きだ。なにしろ「そのとき歴史が動いた」は「幕末好き」という僕の大嫌いな心性がどこか流れているからだ。「プロジェクトX」は田口トモロヲ君のナレーションがいい。淡々としている。新劇の俳優のような粘りけがない。いい声。そしてどんどんうまくなっている。なぜかつて「ばちかぶり」というパンクバンドをやっていた人がこのナレーションかは疑問が残るが。

■家に戻るとぐったり。内田百間(ほんとは門構えに月)の文庫の解説のゲラが届いていた。「最後、あまりまとめる必要がないのではな」と打越さんからのアドバイス。たしかにまとめている。きれいに終わろうとしている。そして食事をしながらニュースを見る日課。でも体力がないからか、食事するのも疲れ、あまり食べない。食事するのも体力だな。若い者らがやたら食べられるのは、あれ、きっと食べる体力があるからだ。
■初日まであと少しになりました。最後までねばろう。

(5:03 Jan.15 2003)


Jan.13 mon.  「タイトな舞台を目指して」

■以前、僕の舞台に出たこともある小林令という女の子が正月から腰を痛めたという。いつも通っている鍼灸医を紹介したが、治療してもらったとメールで報告があった。

 先生はとてもパワフルですね。今までの鍼治療がウソのようです。今までの鍼治療であんなに痛い思いをしたことは無かったです。体の隅から隅までしてもらい、ぎっくり腰もずいぶんよくなりました。終わってから、何故だか分からないのですが涙が止まらず先生に迷惑を掛けてしまいました。痛かったからではないのですが自律神経の調整もしてくださったようで、緊張から開放されたからでしょうか。自分でも驚きました。

 鍼治療で泣く女がいるとは思わなかった。でもよかった。で、なぜこういうものを人は紹介したくなるか不思議であり、さらに「よかった」と報告されるとなぜうれしいかも奇妙だ。だって他人のことじゃないか。
 だから女優の何人かにその鍼を勧めた。こんど行くことになった。よくなるといいがなあ。みんなからだがぼろぼろだ。笠木は腰。久保は首。心配だ。舞台への影響もないわけではないが、舞台が終わってからどこか変調をきたさないか不安になる。

■きのう、伊勢が出るある一場面を数度稽古していて、伊勢なりに工夫したのかそのたびに芝居がちがう。最初にやった芝居がいちばんよかったので、通し稽古が終わり「あそこは稽古の最初でやった芝居がよかった」というと、「わかった」との返事。そのあいだ六時間ぐらい過ぎていると思う。ほんとに覚えているだろうか。驚いたのはきょうの通し稽古できっちりそれを演じたことだ。この勘のよさはなにごとかと思った。「勘のよさ」なのかな。なんだろう。よくわからない。
■昼間は映像のテクニカルなことのチェック、パフォーマンスグループの稽古、いくつもの場面を抜きで稽古する。少しずつの積み上げ。それと、稽古をじっくり腰を据えて見ることでいろいろなことに気がつかされる。そのための反復。岩松了さんが以前、おなじ場面をなにも言わずにただ繰り返しやらせることがあると話していた。何度もやっているうちに見えてくるものがあるという。それは必要だな。何度も反復する。それで深まってゆく表現がある。そして、演出する者もなにかに気がつく。
■そうしたどっしり構えた稽古が必要だ。同じことを飽きるほどやる。ちがうことを気まぐれにやるのは楽しいだろうが、芝居はそれだけでは成立しないものだろう。反復すること。それに耐えること。つまらないと思うようなことを繰り返すことで、俳優も、演出もなにか発見する。

■「通し稽古」のできはあまりよくなかった。せりふのミスが多い。一度でもいい、まったくミスのない通しを見てみたい。タイトな舞台にしたい。とはいうものの、人間、機械じゃないんだからそんな見事に完璧なことができるはずはないものの、意志の問題だ。ミスしないと目標にする意志の問題。それがあるとないとじゃ、舞台の印象はきっと異なる。
■ただ俳優たちの疲労もかなりたまっている。
■とくに小田さんは『→ ヤジルシ』から連続だし、どこかで休んでもらいたいと思った。
■僕はそれほどでもない。まだできる。原稿もとりあえずのところは書いた。ただ、内田百間の原稿をわりと楽に書いてしまったことを後悔しているのだ。あれよあれよというまに書けてしまった。これはなにかのまちがいだ。坪内逍遙のときは苦労した。資料も読みあさった。死ぬほど読んだ。あんなに勉強になった仕事はない。だからもっといい仕事をしよう。時間をかけ、手間を惜しまず、じっくりする仕事。

■そういえば、稽古終わりに衣装の今村が、風俗店で三坂が着るものを僕にチェックしてほしいと持ってきた。全身、すけているのだった。見ていた三坂が「着ていいですか」とすぐにみんながいる前で身につけた。ほぼ全裸である。喜々としてそれを身につける三坂をどう考えていいものやら。あと、みんなそれに平気になっているので驚きがなくなっている。そんな稽古場。

(6:30 Jan.14 2003)


Jan.12 sun.  「踊らせない」

■いよいよ公演まであと10日である。正確に書けば仕込み、場当たりなどあるから、稽古時間はもっと少ない。
■いくつかの場面をくりかえし稽古。もっとよくなると思うがまだまだだ。かつて女子バレーボール名門高校で三年間バレーボールをやりつづけた久保は、もう限界だろうか、脳が。
■せりふを間違えないよう死にものぐるいだ。だから芝居するよろこびを失っていて、見ているとこちらが苦しくなる。ところで久保は「私は死体だった」という役だ。死んでから自分の部屋が片づいていないことを思い出し、見られたくないものがいろいろあることを芝居の中で後悔する。なかに「恥ずかしい写真」があってそのせりふのとき、実際、久保の恥ずかしい写真をスライドで出そうと、自分の持っている恥ずかしい写真を持ってくるように頼んだ。恥ずかしい写真だった。ビールを瓶ごとラッパ飲みする女がいる。久保である。さんざん久保の写真で楽しんだが、結局、スライドで出すのはやめることにした。ありがとう、久保。笑わせてもらった。
■かといって、余裕の出てきた役者が、「あそこ、踊っていいですか」などと言い出すのも困りものだ。そこまで楽しまれても困る。パパタラフマラに所属する熊谷君が踊りたいという。それを聞いていた、巨漢の文珠君も踊りたいといって、かろやかに回転してみせる。踊らせてたまるか。

■このところ夕食休憩時は取材が入ることが多くなったのでほとんど休憩しないままの稽古になる。いつものように稽古にはいると胃が小さくなる。食べなくなる。
■きょうは、WEB上で演劇のサイトを開いているMさんの取材を受ける。
■WEBで演劇情報を発信し稽古風景やインタビューの映像を配信しているという。いろいろこちらのことも理解していてくれたり、事前の準備もされているので取材といっても楽しかった。太田省吾さんの『→ ヤジルシ』の影響はありませんかという質問。たしかに既存のテクストからの引用が多いなど似ているところはあっても、引用を多く使おうと決めたのは『→ ヤジルシ』を見る以前からだったので、つまり、「ヤジルシから受けた影響は、ヤジルシに影響されないようにすることです」と答えた。とはいうものの、「劇をうたがう」など、太田さんの演劇論から受けた影響は根本的にあるわけだけど、やっぱりちがう。きっぱりちがう。太田さんのようにしないわけではなく、僕にはできないのだ。

■夜、通し稽古。だいぶよくなってきた。もっとよくする。

(8:24 Jan.13 2003)


Jan.11 sat.  「夢中力」

■パフォーマンスグループは朝からずっと稽古をしていた。新しくしたところをぶっとおしで五時間。午後三時までかかる。少し形になってきた。俳優チームはそのあいだストレッチと自主稽古。
■カーテンコールのやり方を決める。いつもだったら直前になって決めるが不意に思いたった。生中継をするカメラがあるんだからそれを使うことにし、つまり寺山修司の『書を捨てよ、町に出よう』方式である。と書いてもなんのことかわからないと思うが、まあ、見てもらうことにする。カーテンコールを作るのはとても好きだが今回は出演者が21名、さらにスタッフとしてとりあえずカメラマンなど、舞台裏にいる者らを含め30人近くをカーテンコールに出そうと思う。となると生の映像だ。舞台に人がぎっしりいるのも、あまりきれいじゃないからだ。
■映像関係で少し変更点を稽古。さらにきのうの通しでうまくいかなかったパフォーマンスのつながりの部分など。ダンスも少しづつよくなってきたが、もっとよくなるはずだ。それにしても今回の舞台は「からだ」である。きのうも書いたが「からだ」の重要性を思い知らされる。よく動く人のからだ、きれのあるからだ、強度のあるからだの気持ちよさだ。

■夕食の休憩。そのあいだも「ばたんと倒れるチーム」は片倉君の指導で稽古。だからそのチームだけ休憩時間が短くなってしまう。うまく時間を使えるといいがむつかしい。夕食後は、「資本主義」と「警備員ではなかった男」の場面。あるいはラストにいたる場面の反復稽古。よくなってきた。積み重ね。
■しかし人というのは、つい「足したくなる」もので、稽古しつつ、ここ、これ入れよう、思いついてこのせりふ入れようとつい「足して」しまう。省略できなければな。省略して省略して、どんどん省略して、それでも強い表現は存在するずなものの、だからって最後期のベケットのように「唇」だけ舞台上にある作品てのも、いかがなものか。
■マイナスすること。足さず、埋めない勇気。「無」や「間」を作る勇気。無を生み出す演劇的な力。「過剰」は結局、八〇年代だ。新しいことをしよう、九〇年代演劇から遠ざかろうと考えても、八〇年代以前にけっして回帰することではない。

■きょうが土曜日であることに驚く。
■稽古の日々が続くと曜日の感覚がなくなる。家に戻って食事をするときテレビをつけそれで曜日を知る毎日。寝屋川のYさんからのメールに、このあいだ稽古場を見学に来た扇町ミュージアムスクエアの吉田さんと電話で話したことが書いてあった。吉田さんが稽古中の僕の「集中力」について話していたそうだ。「集中力」というより「夢中力」である。夢中になるとまわりのことがよく見えない。
■あとちょっとだけ読書。ハイナー・ミュラーのインタビュー集。まあ、ストレッチをするような感じ。まったく稽古に入るといろいろ見えなくなるのだが、ニュースにしばしば驚かされ、ちょっとたいへんな情勢になっているではないか。戦争ははじまるのか。

(8:00 Jan.12 2003)


Jan.10 fri.  「ケガだけが心配だ」

■通し稽古中、笠木が腰をぐきっとやってしまったそうだ。その後痛みに耐えながら芝居していたという。見ているあいだは気がつかなかった。きのうほめたとたんこれだよ。しょうがないなあ。しかし今回の舞台はかなりからだを使うのでケガが心配だ。するとやはり日常的な鍛錬をしている人は強い。からだのキレがいい。少々の酷使に耐えられる。
■しかし倒れる練習で女たちはもうみんなからだがぼろぼろだ。
■あるいはあざだらけ。
■これまで集団で肉体訓練をしたことがなかった。べつにニクレンを否定しているわけではなく各自からだを作ってくればいいと思っていたし、俳優なんだから、からだを使う人たちなんだから、作家が趣味ではなく仕事として本を読んで鍛えるように、からだを作ることは当然だ。集団のニクレンをさせてこなかったのは、その集団主義、個の消滅といったことに否定的だったからで、それでも自覚的に訓練することによって自立する俳優が生まれると考えていた。人間は弱いのだろうか。っていうか、そもそも弱いのであって、自主的にやれといってもなかなかできるものではない。そして結果は歴然と出てしまう。
■稽古を見ているとケガするんじゃないかと心配な者が何人か。今回の舞台で、肉体訓練、稽古開始前の入念なストレッチの重要さを知った。それでも集団主義からどうやって逃れるかが課題。集団主義が生まれ、中央に、劇団やユニットの中心人物、主宰者がいて、小さなグループの中で持ち上げられ、絶対的な権力を持ち、そうやってばかになってしまった人をこれまでどれだけ見てきたことだろう。
■権力は腐敗する。ばかになる。そこから逃れつつも集団的にものを作る作業と、自立した俳優の自覚的なトレーニングの場は、存在しえるのだろうか。むつかしい。

■久保の場面をじっくり稽古。反復と修正。息を殺すように細かく細かく集中する稽古はものすごく疲れる。それでも通しを見たところその場面がだいぶよくなっていた。やったかいがある。まだほかの場面、同様に細かく集中して稽古する必要がきっとある。
■ただパフォーマンスグループの、音楽が変わった場面などクオリティががたっとさがる。だめだ。映像ももっとよくなるはずで、いくつかまだ変更の余地がある。最後まで徹底的にいいものを作ろう。妥協せずに粘ろう。稽古終わり、映像班が相談に来たが疲れてきちんと対応できなかった。だめだ。しっかり僕も考えよう。彼らの熱心さにこたえよう。いいものを作ろうとがんばっていてくれる。
■疲れたといえば、久保の場面の稽古でぐったり疲れた直後、夕食の休憩時に産経新聞のEさんの取材を受け息も絶え絶えである。死にものぐるいで質問に答える。もう瀕死の状態で話をしているようなものだ。申し訳なかった。

■細かい部分だけではなく全体。作品が全体的にどうなのかもう一度冷静に考えようと思った。そぐ部分はいさぎよくそぎ、きりっとした舞台にする。

(5:55 Jan.11 2003)


Jan.9 thurs.  「朝、原稿を書き、それから稽古」

■筑摩書房から出る「内田百間集」の解説を朝書いてほぼ書き上がったところ、というか、枚数に達していたがまだ書き足らず、どうやって削ろうか、どう終わるか考えていたところ筑摩の打越さんからメールであしたまで待ってくれるとのこと、不意に緊張が解け、なんだあしたか、あしたでいいのかと油断し、こういったときの油断ほどまずいものはない。書けなくなったりするから、人間、不思議なもので、集中力をとぎれさせないことは大事だ。

■で、午後から稽古。パブリックシアターの稽古場。
■稽古場に行くまでにいろいろトラブル。まず公演までのあいだ定期で借りることにしたパブリックシアターの地下の駐車場の僕が止めるべき場所にほかのクルマがある。そばにいた係の人に問い合わせると「わからない」との一点張り。止まっているクルマのナンバーを控えて事務所に問い合わせろという。でも、それ、あなたの仕事でしょ、というと、いやうちは関係ないからという。そもそもこの人、最初入ってゆこうとし、僕が「定期で借りている者です」と話すと、「定期? ほんとに定期、あんた、定期なの」と疑ったやつだ。わからないというのもおかしいと思いつつ仕方なくナンバーを控え、僕のクルマはべつのスペースに止めた。
■もうこの時点で、稽古に遅刻。係の人のせいで思わぬ時間を食う。さらに急いでエレベーターに乗ろうとし地下3階から地上2階まで行こうとすると一階で扉が開き、大量のベビーカーを押す若い母親たちの大群。また時間がかかる。でもベビーカーの大群の光景はなんだか面白かった。
■稽古場に着いてから制作の永井に駐車場のことを話し事務所に問い合わせてくれるよう頼む。すぐ永井が問い合わせたが、やはり、「わからないから、自分で事務所に問い合わせてくれ」という係の人の話はうそだった。どう考えてもそうだろう。だって駐車場を管理している係の人なんだから。どうやらその係の人、評判のだめな人らしい。
■てなわけで、駐車場の話は解決。

■稽古場に着くとみんな熱心にストレッチをしている。
■そんななか、見知らぬ若い男がパンかなにかを平気な顔で食べている。聞くと見学者だという。ばかやろう、ここは稽古場だ。仕事場だ。しかも休憩中ではない。みんなストレッチをしているところだ。見学に来たやつの無神経さにいきなり切れ、怒鳴りつける。すぐに小浜がそばにやってくる。こういうとき僕はたいてい蹴りを五発は入れる。それを小浜が止めに入るというのが、長いあいだの慣例になっている。見事な連係プレーだ。

■きょうは通しをやらず、いくつかの場面を抜きで稽古。
■もっとよくなるだろう場面、せりふの発し方でよくない箇所など直してゆく細かな作業。細かく細かく、もっとよくなる。とくにラスト近く、笠木と小田さんの場面、なんでもないといえば、なんでもないが、けれど重要なシーン。まだなにかちがう。なにかあるはずだと、繰り返して稽古。通し稽古も大事だが細かいことの積み重ねなのだろうと思う。で、笠木が急によくなった印象があって驚く。いったいなにがあったか考えたのだが、むろん稽古の積み重ねもあるとは思うが、おとといあたりからブラジャー姿になる稽古をはじめ、それ以来ではないかと考えた。開き直ったというか、ようやく自分はもう若くてかわいいだけの女優ではなく、大人の俳優にならなければという自覚が無意識の中に発生したのかもしれない。
■夜、映像班、とくにカメラマンの稽古。同時に役者の芝居についても直してゆく。さらにきょうは午前中の稽古のなかったパフォーマンスグループの稽古をする。だいぶよくなってきたものの、まだまだ。あとビデオの写実というパフォーマンスの音楽が新しいものになったのでこれからあらためて稽古。この三ヶ月の稽古はなんだったんだろう。それでも完璧にする。納得のゆく舞台を作る。なんとかがんばろうと、パフォーマーたちと確認。

■もう時間はない。目前だ。

(8:29 Jan.10 2003)


Jan.8 wed.  「あちらこちら命がけ」

■久保と山根の場面が少しよくなってきた。風俗店の待合室。ほかにもパフォーマンス、ダンスと劇のつながりなど、だめだなあと思っていた部分が少しずつよくなってくると、全体の表面が、つまり土地になぞらえるなら、地面がならされてくるとこれまでよく見えていた部分のアラが見えてくる。
■「資本主義」という登場人物と、「警備員ではなかった」という登場人物のからみなどつまらない。演じている二人が毎回、異なる芝居をしていることにだんだん腹立たしい気分になってきた。ほかがよくなってきたことで、見えてくるだめなもの。しかも一人は面白いことをしようとし、きのうの通しなどでは、おまえは浅草芸人かというような妙な歩き方をした。ばかやろう、芸人をなめるなこのやろう、そんなことして面白いと考えるには10年早いと殴ろうかと思った。
■小劇場クラスの位置で笑いをやろうと考える者の浅薄さを私はぜったい許さない。考えが甘い。しかもつまらないし。

■全体を貫く一本の強い軸を作らなければと思い考え続ける。時間がない。まだ考える余地があり演出することはもっとある。もちろん「面白い舞台」にしたいがそれ以上に、いい舞台にしたい。いい舞台というのはおそらく、いまの時点で僕が考える劇、納得のゆく舞台なのだろうと思う。人がどう見るかといったことではないだろう。もちろんリーディングなどを見た方の意見は参考にしたが、なにより自分で納得のゆくところまで作る。
■リーディングの意見は参考になることが多かったが、「リーディング」という形式自体にあまり慣れていなかった方の意見はちょっとまちがっている部分があるものの、しょうがないと思った。リーディングはそういうものだ。ミニマルである。というか、あのリーディングはまだ、演出しすぎている。言葉を読むのである。言葉を伝えるためにある。
■本公演の印象はまったくちがうと思う。それに驚いてほしい。

■原稿が書けない。筑摩書房から出る「内田百間集」の解説が書けないが、朝から稽古をはじめ夜10時に終わって家に戻ってから、書かねばと思いたち送られてきた百間の『大貧帳』のゲラを探したが見つからなかった。探してもどこにもない。クルマのなかだったかと思いガレージまで行ったがやはりない。だめだ。もうだめだとあきらめたころ、ひょんなところから見つかる。それで読む。すごく面白い。
■だが眠い。あしたもまた稽古だ。眠っておかなければいけない。
■ぎりぎりだ。最終局面だ。あちらこちら命がけ。ユリイカから頼まれた原稿は、申し訳ないが今回だけはかんべんしてもらった。引き受けていたらほんとに迷惑をかけていたと思う。あといくつかの原稿をかんべんしてもらった。引き受けなくてほんとによかった。メールの返事もぜんぜん書けない。崖っぷち。最終局面。死にものぐるい。稽古場では休憩時間も誰かが質問や打ち合わせに来るので12時間ぐらい休みなし。もうへとへと。もうくたくた。それでもいいものを作るためには最後まで粘る。あきらめない。だが、原稿がなあ。

(7:50 Jan.9 2003)


Jan.7 tue.  「あたたまってゆく稽古場」

■いろいろな方からメールをいただく。きのう憂鬱になったと書いたからだと思うが、アドバイスしてくれたり、惜しみなく協力してくれるという内容もあった。ほかにもWebマガジンから取材の件。返事をすぐに書きたいが、稽古から帰るともうぐったりするのであった。申し訳ない。そしてとても感謝だ。
■で、稽古。また午前中からパフォーマンスグループの練習。
■ダンス、あるいはからだだけを使う表現における、男の「強度」と、女の「やわらかさ」について考える。女にも「強度」がないわけじゃないと思うが、やっぱり男の身体的強度にはかなわないところがある。と、いきおい女は、「やわらかさ」「セクシーなもの」といった画一的な表現になってどうもつまらない。稽古しながら考える。考えてゆくことで、ダンスやからだを使った表現について少しずつ理解してゆく。

■関係ないが、パフォーマンスグループの小浜がやけにいいCMに出ていた。日陰をさけて町を歩く人。小浜がメイン。どうしてしまったんだ。小浜が僕のオーディションを受けに来てから10年になるので考えてみるともう長いつきあいだ。いまではすっかりパフォーマンスグループのリーダーである。人間、成長するものだな。かつて泥棒だった男が立派な人間になっている。
■第三エロチカの片倉君が突然やってきて、「おだんごでいいですか?」と言った。なにを言い出したのかと思った。「食いたいなら食えばいいじゃないか」と思ったがどうやらそうではないらしい。「ばたーんと背後に倒れる」で、女は髪をまとめ「おだんご」を作ることで頭を保護して通し稽古をするという意味だった。それをいきなり、「おだんごでいいですか」はないじゃないか。
■で、片倉君の指導がすばらしい。基礎から徹底的に稽古させる。背後へ倒れる恐怖心をなくすこと、倒れ方、からだの保護など、順を追って練習してゆく。ものすごく優秀な指導者だ。不思議である。こういうことがしたいと思ったら、それができる人がいて、指導のうまい人に出会うことができた。ふだん口数の少ない片倉君が指導している姿はやっぱり大人だ。例の、リーディングには出ていたが途中でおろしたやつの、口数ばかり多くていやみしか言わないのに比べたら人間の大きさを感じる。

■あと、映像班ががんばっている。鈴木、浅野は、前日、こういう映像がほしいと注文すると、翌日にはもう用意し、ちょっとちがうと話すと、またちがうものを作ってくる。しかも稽古にはべったりくっついて映像出しもする。そしてカメラ班も熱心に考えだんだんうまくなってきた。
■そんなふうに書くと、まるで、音楽担当の桜井君の作業が全然進んでいなくてみんな困っているのを遠回しに言っているようだが、そんなことはけっしてなくはないのであって、もちろん、そのことを書いているのである。またぎりぎりなのだろうか。でも、ぎりぎりまで粘っていいものを作ってくれるから信頼しているのだ。こんなものでいいだろうという姿勢が桜井君にはまったくない。またきっと、いい音楽が流せるはずだ。
■俳優たちも熱心だ。せりふの入りがやけに早いし、少しの休憩の時間もせりふを返し、自主的に稽古する。稽古場があたたまってきた。

■だから、僕が落ちこんでいてはだめだな。僕が悩めばそれは稽古場に反映する。集中しよう。昼間はきのうの通しでだめだったところを集中して直してゆく。少しよくなってきた。夜の通し稽古もだいぶよくなった。少しずつの積み重ね。

(10:09 Jan.8 2003)


Jan.6 mon.  「憂鬱になる」

■夜の通し稽古を見ていたら気分が悪くなり家に戻っても立ち直れなかった。体力的ではなく精神的に。
■出演者のできが悪いということではない。作品全体を通じて、演出が一貫していないのを感じ、全体から出てくるものがどうにもいやな気分にさせられるのだ。あれもこれも、やろうとしていることがとりちらかっている印象。もっと軸を太くてくっきりしたものにしなければいけない。むろんテクニカルな部分で場面のつながりがうまくいかないといったこともあるが、それ以上に全体の整合感。どうもだめだな。
■あと二週間だ。
■で、急にある場面で伊勢がソロで踊るのをはじめそれがいい。
■小浜たち男がからだを思い切り使ってする「ダンスらしきもの」も面白い。すると、これまでやっていたテルミンのダンスなど見ていたらつまらないものに感じてきた。踊る場面の位置の設定の問題か。考える。結論としてだめなものはどんどん切る。じゃあこれまで時間をかけてやってきたことはなんだったんでしょうということになるが、結局、僕がダンスを振り付けることができないからだ。できないのに、やろうとしたからこうなった。
■つまり、作品全体をつらぬくはずの「強度」に欠ける部分は、パフォーマンスだけではなく芝居もつまらない。
■悩みつつ、もっと考える。しかも眠るとすぐに目が覚め、もう一度眠るが、からだがどうも調子が悪い。完璧な状態で稽古したいがだめだ。

(6:20 Jan.7 2003)


Jan.5 sun.  「稽古はつづく」

■朝11時からパフォーマンスグループの稽古だったが、昨夜眠ったのは午前0時くらい、目が覚めたら午前4時過ぎ。もう一度眠ることにしたが寝付かれず、このノートなど書き、それからもう一度眠ったら目が覚めたのはもう11時になっていた。遅刻である。急いで稽古場に行こうと思うがからだがいうことをきかない。パフォーマンスグループは10時から稽古場入りしてストレッチをはじめているはずだ。
■で、ようやく昼に到着。まずパフォーマンスグループの稽古。いくつか作ったものを見、さらにそこに僕のアイデアを付加しやってみる。どこが到達点かよくわからないのだった。いいといえばいいし、だめと考えればまだ稽古不足。芝居なら達成点とか限界点が見えるが、ダンス、パフォーマンスはよくわからないのだ。勉強だ。もっと見る目を鍛えよう。今後のことがある。先は長いのだった。
■しばらく稽古をつづけ、それから映像班とミーティング。俳優たち、パフォーマーたちは自主稽古。ミーティングは生中継の場面についてだ。スイッチャー、カメラマンがすべて把握していないとできない。細かくカメラ割りをし、どういった構図で撮るか決める。スタッフがみんな熱心なので助かる。
■夕方から芝居の稽古と平行してカメラの練習。まだカメラはぎこちないが少しずつできてゆくだろう。毎日練習。カメラマンの稽古。もちろん元来がカメラマンというわけではなく10月のワークショップに来た者ら。まさかカメラの稽古をさせられるとは思っていなかっただろう。京都から来ているヨーロッパ企画の本多君もカメラマンだ。本多君は一カ所出演もしている。せりふは「コンビニ?」の一言。
■まだ一部、パフォーマンスグループから出たアイデアで、ほとんど稽古していない部分があり、そこのことが心配だ。まだ決めていないこともあるし、もっと稽古が必要な場面もある。あともっと短くしてもいい場面がいくつかある。稽古はするが、さらにコンパクトにまとめ、凝縮させ、濃密な舞台にしたい。それが最終形。
■夜の10時に稽古場を出て家に戻る。ものすごく疲れた。これが初日まで続く。あしたは遅刻しないようにしなければいけない。

(5:45 Jan.6 2003)


Jan.4 sat.  「新年、稽古はじめ」

■いよいよ世田谷パブリックシアターの稽古場で本番と同じようにパネルをたてての稽古。稽古始めとはいえ、よくある振り袖のばかはいなかった。大きなスクリーンに映像を流すだけでも印象が異なる。年末年始少し長めの休みが入ってから新年最初の稽古だったせいか、芝居がぴりっとしない。
■おもに映像とのからみの稽古で時間がつぶれてゆく。
■小津安二郎作品のような映像を固定したローアングルのカメラに、カメラ移動ではなく、俳優が自ら移動することで作るという稽古を何度も繰り返す。大きな画面でわかったが、とにかく生中継場面はカメラマンの役割がとても大きいと、あたりまえのことなんだけど、途中で気がつく。もっと早く気がつけよ。どのカメラの映像を流すか変更するスイッチャーとの連動の作業。カメラ割りをしっかり台本上で決め、計算しなくてはならない。すごくたいへんな作業になりそうだが、稽古すればなんとかなるはずだ。

■そんなわけで、約束通りきょうから三坂が脱ぎました。
■満をじしてというか、三坂、もう脱ぎたくてしょうがなかったとばかりの勢い。舞台奥の小部屋での演技なので客席側、演出している僕の位置からは、スリットからかろうじて見える程度。ただ映像にばーんと出現。ただ。いきなり見せるのではなく。スリット、さらにカメラは背中ごしでしばらく写すというほうがエロチシズムはより高まるのだと思った。このカメラの位置、カメラ割りも緻密に計算しなくてはならない。
■まだ、世界が生まれないというか、どうもうまくいかない山根と久保の場面を稽古。まだできないな。これでいいというところにいたらない。繰り返す。もっとしつこく稽古すべきだ。というか、全体に休み明けの弛緩した空気が稽古場にある。休み明けはいけません。ただカメラマンの稽古、山根と久保の稽古、パフォーマンスグループと芝居とのからみで時間が過ぎてゆき、あまり稽古できなかった者が多かった。しょうがないか。稽古はそうしたものだ。役者は待つ者である。

■全体的には形になっているとはいえ、まだ甘い。もっとよくなる。パフォーマンスグループの稽古をしたいがそこの音楽がまだできていないので、これがちょっとあせる。正確な稽古ができない。これからは午前中の稽古になる。しっかりしたものを作らなくてはパフォーマンスグループの意味がない。かといって俳優グループが完全かといいうとそうでもなく、せりふが正確でない者も多いし、せりふの途中でひっっかかったりし、クオリティが低い。
■いいもの。いい舞台。もちろん全体から出てくる大きな表現の深さも大事だが、それはやはり小さなことの積み重ね。休み明けなのせいかクオリティが低い。まだあるな。やるべきこと。妥協しないで最後までねばろう。体力だな。いいものを作るための最後までのねばり。時間はない。そう考えつつ原稿のことなど気になって憂鬱だ。
■PAPERSのトップページも作り直したいとか、本も読みたいとか、まだやるべきこと山積。それにしても稽古場の人の数の多さには驚く。大所帯。役者が待機する場所すらぎりぎり。そんな稽古場。いよいよである。少しずつ稽古場の温度が高まってくる。

(6:04 Jan.5 2003)


Jan.3 fri.  「矢内原さんに会う」

■午後、ニブロールの矢内原さんに会う。ニブロールの公演で販売されるパンフレットに載せる対談。場所は初台のオペラシティの裏手にあるロイヤルホストだ。
■面白かった。対談というよりふつうの会話として楽しかった。以前、早稲田に講演しに行ったとき声をかけてくれ、その後、編集しているという雑誌に原稿も書かせてもらったY君があいだに入ってくれたので、どちらかというと初対面(初対面でもないわけだが)の人と話すのが苦手な僕としては話しやすかった。
■矢内原さんとなにかコラボレーションしたいと思った。なにかできたらいい。また異なるなにか。これまでニブロールはあまり踊れない人、というか専門的なダンサーではない人を使って独特な世界を作っており、そこにダンスの基礎からやってきた矢内原さんのダンスの教養と技術、そしていまの時代のセンスをちりばめることによって特別な位置にあったが、今年はじめる新作はダンスのできる人によってべつの世界を構築してゆく作業にはいるらしい。
■それは僕もおなじように感じていたこと。
■共時性を感じる。どこかで誰かが同じことに気がつく。同じ時期にある場所に至る。同じようなことを考える。シンクロニシティ。共同無意識といいますか、100匹の猿が同じことをはじめるとすべての猿が同じことを始めるようなシンクロニシティの謎。それはきっとどんな世界にもあるにちがいない。またゆっくり話がしたいと思った。というか、ただふつうの会話がしたいと思ったわけだけど。

■夜、永井がちょっとした用事があって家にくる。
■永井と映像班は撮影をしていたはずだ。僕もついて行けばよかったが任せた。信頼しているのである。小田さんに出演してもらう。三が日は終わっていないがもう舞台に向けた作業ははじまっている。年末年始の楽しさはあまりないまま、また稽古へ。もっともっと深い表現と新しい試みのための稽古。「こんなもんでいいか」と思いはじめたらだめだ。やるべきことはまだほかにもある。原稿。時間がない。

(5:30 Jan.5 2003)


Jan.2 thurs.  「あけましておめでとう」

賀正


■べつに今年の目標はないのだけれど、目の前にある仕事を黙々のうちに実行してゆくだけで、それしかないし、それしかできないし、それに力を尽くす。舞台のことばかり考えて日々すぎてゆく。因果な商売だ。休みはない。それでも元旦、サッカーの天皇杯の試合を見、京都パープルサンガの優勝がたいへんめでたい。
■書いたことがあると思うが、京都に部屋を借りているとき、ある日エレベーターでかつて日本代表のゴールキーパーだった松永さんに会ったことがある。同じマンションに住んでいた。いまもサンガのコーチをしているのだろうか。現役時代に足を痛めたのだろう足をひきずり、松永さんは歩くのが辛そうに見えた。プロのスポーツ選手は過酷だ。現役として寿命が短い。どこかがおかしくなってもしょうがないほど、からだを酷使する。
■このあいだ、「よろこびの記憶の再現」について書いたが、考えてみれば、「かなしみの記憶」もまた人は数多く持っているのだった。ゴールを失敗したときの記憶。それが出現したとき、人は緊張しからだが硬くなる。いきいきとしたプレーはそこから逃れることで生まれるのだろうか。人はそこから逃れられるのだろうか。「よろこびの記憶」だけでは人は生きられないし、「かなしみの記憶」だけでも生きられないとすれば、ふたつがあってはじめて人は形成されているのだから、どちらも肯定的に考えたい。「かなしみの記憶」は人を強くし、「よろこびの記憶」は人を躍動させる。つまり、より強く肯定できた者が、ロナウドになれる。
■そして、「否定」のこともまた考える必要がある。それが生み出すものはまたべつの姿をしているにちがいない。

■昨年の暮れ、東京証券市場だかなにかの納会に元巨人監督の長嶋さんが呼ばれたというニュースを見て、もし長嶋が死んだらこの国はどうなってしまうのだろうと思った。いまや「縁起物」になってしまった長嶋。長嶋に会うとなんだか元気になるおやじたち。「縁起物」がなくなったらどうなってしまうのだろう。
■戦争のことも気になっている。
■僕たちが舞台をやっているころ戦争がはじまるのじゃないかと想像すると憂鬱だ。『トーキョー・ボディ』のテクストは、リーディングのときより書き足したが、その後半、劇作家が長いせりふを語る。そこを書いた記憶があまりなくなにか勢いのようなものに書かされた気がする。こんなこと書いたっけとあとで読み直して思った。なにかが書かせるのだ。「なにか」は、どこにあるのかよくわからないから、「なにか」だ。時代や、個人的なできごとや、人が、刺激となって存在するが、やっぱり自分のなかから出現しているのにちがいない。「なにか」を生み出すための、いま、ここにある「からだ」だ。

■一日、二日と、クルマで都心を走ったが道がすいていてすこぶる気持ちがいい。
■走ったのは、なにか食べたくなってちょっとした店を探したからだが、ちょっとした店はたいてい正月は休んでいる。ちょっとしていない店ではなく、ちょっとした店で食事をしたい。そのためには少し遠くへ行かなければならず、ただクルマを走らせ開いている店を見つける。六本木のなんとかいう餃子屋に入った。適度な味だった。まずくもなく、びっくりするほどおいしくもない。西洋人が見た中国のようなデザインがほどこされた店の装飾は、ちょっとおしゃれだが、「ちょっとしたおしゃれ」は気をつけないといけない。油断しているとだまされる。というか、自分の作るものがそうした「ちょっとしたおしゃれ」になっていないか、それのほうが油断ならない。
■永井がiBookを買ったという。iBookから最初に届いたメールをWindowsで受け取ったら文字がばけばけだった。文字ばけは、もっと穏やかにばけてくれないものだろうか。あの文字を目にするとめまいを起こしそうなほど怖い。

(8:05 Jan.3 2003)