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Published: Feb. 21, 2003
Updated: Feb. 1 2004
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 *遊園地再生事業団・新作公演(二〇〇五年一月)の俳優募集のお知らせはこちら。 → CLICK
 *戯曲を読もう。「テキスト・リーディング・ワークショップ」のお知らせ。案内はこちら。 → CLICK
  (ENBUゼミの「短期集中講座」のページに直リンクさせてもらいました)

Jan.31 sat.  「木下君に会う」

■何人かの方から、「石破情報」を寄せてもらった。防衛庁長官のその人は、意外な一面もあることを教えられる。何度かこれまでもメールをもらったことのある、(たしか)滋賀のM君によれば、「様々な週刊誌によると、『モーニング娘。』が好きだということです」とのことだが、これは意外に、意外ではないのかもしれない。「ワーグナーが好きです」と答えてくれたら面白いと思い、石破、ちょびひげを生やしてくれないだろうかと思った。似合うんじゃないか。さらにかつて特派員報告をいろいろ送ってくれたY君からもメールがあった。石破さんの個人ホームページに「石破を解剖する」というページがあり、その一部にこうあったという。
 声と言えばカラオケ。学生時代は「歩く月刊明星」と称され、アイドル歌手の歌を覚えまくったとか。今でも酔うとキャンディーズ等を歌いだし、周囲を愕然とさせる。普段はかつてのニューミュージック系が中心。場所によっては演歌もこなす。その腕前は一切不明だが、聞いた人によれば「音程だけは合っている」のだそう。
「歩く月刊明星」という言葉が世代を象徴してもいる。しかも「ニューミュージック系」が好きらしいというので小椋圭や中島みゆきを歌ってしまうのではないかと想像した。国会が茶番を演じているあいだに、様々な法案が国会を通過しているのを報道で知る。そしてこの国は戦時下に入る。かつてなにかで革命は劇的にやってくるのではなくいつのまにかそうなっているという話を読んだが、戦争もまたそうなのではないか。あるいは、まったく新しい姿で戦争が日常に侵入してくるのを予兆させる。
 ほかに、三坂から新宿西口周辺の「地下情報」をいろいろ教えてもらった。このところ僕は電車に乗っていないので、「丸の内線西新宿駅」から「大江戸線都庁前駅」まで、地下通路があるとは知らなかった。で、ヒルトンホテルに地下通路が途中つながっているとメールにあり、しかし、地図でたしかめると妙なルートだ。なぜヒルトンとつなげたんだ。ヒルトンがあった場所がかつてなんだったか、調べる必要がある。しかも「丸の内線西新宿駅」ができたのはつい最近だ。僕が知ったのはついこのあいだだ。ところが新しくできたはずの「丸の内線西新宿駅」がやけに古ぼけているのも地下の謎のひとつ。三坂からのメールを読んでいろいろ考え、小説のアイデアをひとつ思いついた。

■午後、三軒茶屋へ。世田谷パブリックシアターでフレデリック・フィスバック演出の『屏風』(ジャン・ジュネ作)を観た。二年ほど前にパリで観ているし、ついこのあいだ、リーディングワークショップで読んだばかりなので、細部のことがいろいろわかる。四時間半。パリで観たときと演出はまったく変わっていないと思うが、劇場内の観ている場所によってずいぶん見え方が異なるのを感じた。あるいは劇場の形式が、パリで上演された劇場とちがい、パブリックは「プロセニアム」だったことでまた見え方が変わる。フレデリックのアフタートークで彼は、「観客に劇を強制したくない」といった意味のことを語っており、それに大いに共感する。というか、意識的に演劇に取り組むいまの演劇人はおそらく世界中で同じことを考えているのではないか。演出に変化がないにも拘わらず、印象が異なるのはそのあらわれだ。あるいは、観る側の「意識」もまた劇に反映する。
■ところで驚いたのは、アルジェリアがフランスの植民地から独立する戦争、「アルジェリア戦争」のことを、「戦争」と言葉にすることすら長いあいだフランスではタブーだったという話だ。アルジェリアはフランスにとって、植民地ですらなく、フランスの一部だと考えられていたという。そうした時代にアルジェリア問題を書くジュネの、タブーへの容赦ないアプローチはすごい。そんなことを考え、映画『アルジェの戦い』をアマゾンに注文したのは数週間前で、届いたのにまだ観ていないのだ俺は。
■終わって楽屋にゆき、フレデリックと少し話す。もちろんパブリックシアターの松井さんに通訳してもらっていたのだが、こういうときこそ、英語でもっと表現が豊かにできればとつくづく思う。伝えたいことがダイレクトに表現できないのでもどかしいのだ。それにしてもフレデリックはすごくいいやつ。フレデリックに石破の映像を見せてどんな印象を持つか知りたかった。あ、しまった、ビデオを持っていってフレデリックにも「ハムレット」をフランス語で読んでもらうべきだった。あちらの演出家はきまって俳優出身なので、きっとうまいだろうな。っていうか、一度は演じたことがあるにちがいない。あと、パリでお世話になったパブリックシアターの石井さんと久しぶりに話せてよかった。

■テキスト・リーディング・ワークショップに来ていた相馬君とまたここでも会う。かつて関西でやったワークショップに来ていていまは東京で会社勤めをしている木下君も観に来ており、帰り、木下君を経堂の「はるばる亭」というラーメン屋に連れてゆく。そのとき、やはり関西のワークショップに来ていた人たちの話になって、貸川はどうしているだろう、しかし、実家に帰った貸川は健康的になったと木下君がしきりに言う。「それはきみ、言い過ぎではないか、たしかに少し太ったかもしれないが、そりゃあ、ちょっとね、まあ、以前の五倍にはなっているかもしれないけれど、たしかにそうだが」と僕がとがめたが、木下君は繰り返し繰り返し言うのだった。うそです。ぜんぶ僕が言ったのだが、すると木下君はきっぱり否定した。「いえ、三倍です」と言う。「はるばる亭」のラーメンはうまい。なかでも香麺は絶品である。貸川に食べさせてもっと健康的にさせたいと木下君は言った。五杯は食べさせたいと言っていた。あ、そうだ、しかも木下君は、僕のクルマの後部座席のドアの引っ張るところをぽきっと折ったのだった。いままで誰もそんなことできなかったのに、なにか異様な力が出ているのではないかと思った。

(10:30 feb.1 2004)


Jan.30 fri.  「石破はどんな音楽が好きなのだろう」

■つい二月ほど前だったか、いま使っているiBookの調子が不意に悪くなりロジックボードを交換したことはすでに書いたし、MacPowerの連載にもそのことを取り上げた。新しい機種を買うか修理するかで少し悩んだがやはり修理して正解だったのは、アップル社がこんな告知をしたからだ。修理代がまるごと返ってくる。たまにはいいこともある。
■連載している「チェーホフを読む」のために、『ワーニャ伯父さん』を読んで驚いたのは、その「伯父さん」が47歳だからだ。まあ、「おじさん」にはちがいないとしても、俺と石破と、ワーニャが同い年になる日が来るとは思いもよらなかった。まあ、この場合、ソーニャという女から血縁上、ワーニャが「伯父」にあたるという意味で「ワーニャ伯父さん」だが、それにしてもこのタイトルを読めば誰だって、いったい、どんな好々爺が出てくるか想像したくなるではないか。かつては、47歳といったらひどく年の上の人間を想像していたし、その年齢になればもう少し大人になっていると考えていたが、意外にそうでもないと我が身を振り返る。そしてまたチェーホフらしい人生のわびしさだ。こうしてチェーホフを読みつつ、「ドラマ(=劇)」ということを考えるなら、「いい戯曲を書きたい」と「いいドラマを書きたい」がイコールではつながらないと僕には思え、チェーホフのように結構の整った、整合性の高いドラマを読めばこうした種類のドラマの魅力はもちろんのことあると思うものの、そこから逃れるようとするなら、その「逃れ方」こそ考えるに値する。
■いや、しかしながら、やむにやまれぬ語りたいことをこそ、語るべきではないかという至極当然のことを小説を書きつつ思う。戯曲もまた同じことだった。「方法」や「逃れ方」はあとからついてくるのではないか。今年は五月に、二〇〇五年一月公演予定の『トーキョー/不在/ハムレット』に向けた「リーディング公演」がある。それまでに戯曲を書き上げておかなければいけない。大学が忙しいからなあ。少し不安で、すごくいいかげんな授業をしようと思ったけれど、できないんだよ、そういったことが、俺は。これまで教えた四年間で、休講したのは、パリに行っていた一週間きりだ。俺はもしかすると、ばかなのではないか。

■国会は茶番だ。法案が成立したあと石破が笑っているの見た。石破はどんな音楽が好きなのだろうとふと思った。

(10:19 jan.31 2004)


Jan.29 thurs.  「小浜が結婚するという」

■制作の永井と、小浜が家に来た。二〇〇五年一月にある公演『トーキョー/不在/ハムレット』について打ち合わせ。小浜は、フィリップ・ドゥフクレの『イリス』世界公演に参加する契約をすでにすませているので、本公演には出られないものの、今年、何度か公演する「プレ公演」(リーディングなど)に、なんらかの方法で参加するなど、いくつかのことを相談する。で、そんなことより(そんなことよりってことはないが)、書いておくべきことは、小浜が結婚することだ。実家を出るという。驚く。
■三月に式をあげるというので、では、それを「プレ公演」のひとつにしようと提案したが、「いや、親戚も来ますので」と小浜は言う。ああ、親戚な、親戚はいろいろ、あるだろうと僕も納得したが、それにしても話が急すぎないかと思い、けれど、小浜ももう三十六歳、いつまでも実家にいてはまずいのでいい機会なのだろうと凡庸なことを考えていた。
■三月からはじまる早稲田大学演劇博物館での「遊園地再生事業団と宮沢章夫展」ではこれまでの公演の資料など様々なものを展示することになっているが、『ヒネミの商人』から出演している小浜が、当時のチラシ、当日パンフなどを永井に頼まれて家から探してきてくれた。僕も久しぶりに見たし、パンフに書いてある文章もほとんど忘れていたが、いまとあまり考えていることが変わらない。小浜が僕の舞台にはじめて出た『ヒネミの商人』は一九九三年七月の公演だからもう十年以上の過去になる。あるいは観客として見たという『ヒネミ』初演時のパンフもあり、小浜の物持ちのよさにも驚いた。『イリス』公演でパリにいた小浜と、パリの話など。気がついたら深夜二時近くになっていた。

■きのう(28日)は「テキスト・リーディング・ワークショップ」だった。今月の最終日。アルフレッド・ジャリの『ユビュ王』を読む。とてつもなくでたらめな劇である。なにも考えずにうっかり書いてしまった中学生の劇かと思うほどの、いいかげんな部分がありつつ、それが面白い。「格闘」をしているト書きがあったあと、唐突に、「やられた」といったせりふがある。これ、学生とかが書いてきたら、単純にへただと感想を述べる気がするが、そういったところが面白いし、突然「熊」が出てくるのも荒唐無稽だ。主人公の「ユビュ親父」が仲間たちと謀って王を倒すのが劇のはじまりだ。その計略を練るときのユビュ親父たちの会話もまたナンセンスきまわりない。ジュネが『屏風』で示したのも、劇がそもそも持っているコード(とりすました上品さとでもいうべきもの)に抗する態度だとしたら、『ユビュ王』もまた、そうした意識に充ちており、戦争に向かうユビュ親父たちの場面は、マルクスブラザーズの『我が輩はカモである』の、「戦争だ」と宣言するあの壮大なでたらめを想起させる。しかし、こうした「でたらめ」や「無軌道」がある「強度」を持てたのはその時代を背景にしていることを理解すべきなのだろう。いまやあたりまえになっている。初演のころ(十九世紀)「ユビュ親父」を演じることができた「からだ」が持つ「強度」は、いまならどうあればいかと考える。
■『屏風』を読むのはとてつもない時間がかかったが、『ユビュ王』はわりと余裕を持って読むことができた。来週は福田善之さんの『真田風雲録』を読み、二月は「六〇年代の戯曲特集」である。清水邦夫、宮本研、唐十郎、佐藤信などを考えているが、六〇年代にだってものすごく戯曲は書かれているのだと、あたりまえながら資料をあたればわかる。終わってから今月の打ち上げ。話した。久しぶりに気持ちのいい会話ができた。俳優を対象にしたワークショップとは異なり、「テキスト・リーディング・ワークショップ」はどんな人が参加してもいいことになっているので、いろいろな人たちと会うことができる。もう三月まで定員が埋まっているという。できるだけ多くの人に受講してもらおうと、一人、二ヶ月しか受けられないことになってしまったが、また機会があったら自分の勉強のためにもやりたいと思った。黙読だけではわからないことが、声に出して読めば立体的に劇が出現し、理解できる瞬間がある。それが収穫。

■青山真治さんの日記が更新されているのに気がつき読む。そこで書かれている映画が見たくなる。言葉を読んで、それで観たい気持ちにさせるのは文章の力だ。よく映画を観ていると、食事の場面で無性にお腹がすくときがあるが、それとよく似たことを映画について青山さんの書いている日記から受けるのだった。僕は怠けてだめである。劇場に足を運ばないし(演劇ですら)、アマゾンで買ったDVDも観ないでほったらかしてあったり、最近、自分で撮影したビデオもチェックすべきものがどんどんたまってゆく。
■そうそう、神戸の須磨区の「あの事件」があった中学校まで、京都から行ったときに撮影したビデオは観、それできのう小説を少し書いたのだった。不意に思いたったように書いた。気持ちが動いたらそれを逃さないように書かなければとキーボードを叩く。「書く」もまた、きわめて「身体性」の高い行為のことだ。このあいだこのノートは「素振り」と書いたが、「からだをあたためる」という感じもあり、原稿が書き出せないときこのノートをさっと書くとそれでからだがあたたまった感じがし原稿にも取り組める。またいろいろな方からメールをいただいた。返事が書けないので、ここでお礼を。ありがとう。

(9:36 jan.30 2004)


Jan.27 tue.  「あわあわしている」

Mac Powerの編集長しているTさんからメールがあって、まあ、きのう原稿を送ったので事務的なやりとりだが、そのなかでDJについて驚くべき話を教えてもらった。T編集長はいま、ちょっとDJに憧れているという話があったあとで次のように書いている。
 でも、若い連中がターンテーブルとDJミキサーをこぞって買っていくんだけども、なかなか新しい人たちが出てこなくて、集団の意識をぐいっと鷲掴みにできるのは35〜40歳くらいのDJなんですって。なので、DJ業界では「DJはやっぱり40からだよな」という、まるで落語家のようなノリになっているとのこと。まぁよくよく考えると、DJの基本は「焦らしの長さと解放のタイミング」ですから、そのへんのテクニックはやはり大人の芸当ということでしょうか。ボクの知り合い曰く、若い連中は自分のやりたい音は出せるけれども、「集団の顔色」を見て出す音を変えることができない......と。
 この話を聞いて、わたしが本来持っている「自分でもやりたい気分」がむくむく出現したのは言うまでもない。これまでにも、ウェブデザイナーになるとか、プログラマーになる、F1レーサーになるとかいろいろあったが、そうか、DJは四十歳からだったのか。まだ遅くないぞ。

■去年の暮れ、『ヴァンダの部屋』のペドロ・コスタ監督と対談したことは何度か書いたような気がするが、その映画『ヴァンダの部屋』は三月に公開になるそうだ。対談をセッティングしたり、アテネ・フランセで催されたコスタ監督と青山真治監督とのトークセッションなどを企画していたHさんからメールで教えてもらったが、で、公開を前に青山さんと僕とで、やはりトークセッションのようなものをやらないかとの打診だ。こういうことは続くものなのか、きのう、写真家の鬼海さんたちとのシンポジュウムのような話をいただいたばかりだったし、そうかと思っていたら、二月十二日に世田谷パブリックシアター(おそらくトラムのほうで)で野村萬斎さんの狂言を見たあと、萬斎さんとアフタートークをしないかという打診もあった。
■こういうのをなんと表現していいか。「トークづく」とでも言えばいいのか。しかし、会いたい人たちと会えるのはこのうえなくうれしい。で、こちらから会いたいと積極行動に出てもひどいめにあうのがオチなので、偶然を待つというか、どこからか話が来るのをただ待っていると、不思議なもので会うことができたりするのだった。でも、大好きだけど会うのが怖い人というのは何人かいて、たとえば俳優の柄本明さんがそうだ。おそらく中上健次もそういった人の一人だが私は新宿のサウナで偶然、出会った、というか見かけた。しかし会える可能性がある限りはどこかで出会えたらいいといつも思う。中上さんとはもう会うことはできないのだな。あるいは、話す機会がいつでもあると思っている人に、突然、死なれたときの後悔をどう考えていいだろう。誰も予測などできない。
■そんなことを考えながら仕事をする。といっても部屋の片づけ。コンピュータの整理である。これといって芳しい成果のない一日。毎日、いろいろ成果が上がっていたら人間、おかしいと思う。しかし、「新潮」に渡そうと思う小説、「文學界」のOさんと約束した小説、「
en-taxi」に書く小説、「資本論を読む」の単行本のことなど、いろいろ錯綜して、あわあわしている。「のこのこ来る人」は面白い状態だが、「あわあわしている人」はかなり滑稽だ。

■その後も、下北沢スタジアムのO君からさらに「つくば情報」を教えてもらったり、「
OPEN,SESAME」のOさんからは、長野にあることで有名な一九四五年終戦の直前に建設されたといわれる大本営あとにまぎれこんだというレポートのことを教えてもらったり(しかもOさんはそのとき巨大仏も見ている)したが、それにしても古賀潤一郎のニュースなんか見ていると安っぽいテレビドラマを見ているようでなにを騒いでるんだかわからない。問題にすべきものはもっとほかにあるだろう。
■そうだ、T君の「津田沼ノート」に、「はじめにきよし」という関西のバンドのことが書かれていたのだが、もう三年ほど前、京都で一緒に仕事をしたことがあってアコースティックな演奏がとてもよかったのを記憶している。たしか、メンバーのひとり(ハヂメさんだったと思う)が「のこぎりの演奏」をし、これがすごくいいんだけど、アメリカで、「世界のこぎり演奏選手権」が存在するので参加したと、そのとき教えてもらった。もちろん「のこぎり演奏」はアメリカではじまったのだろうが、とはいえ、いまどきのこぎりを演奏するのは高齢者ばかりだ。そのせいなのか、はじめさんは、初めての参加で堂々の一位になってしまったという。つまり、いきなりの、「のこぎり演奏世界一」だ。これちょっとすごいと思うけど、どうでしょう。

(6:08 jan.28 2004)


Jan.26 mon.  「大漢和辞典」

■またいろいろメールをもらってうれしかった。なかでも、つくば市に住んでいるという方からのメールが刺激的だったのは(とはいっても本人が特定されると迷惑になりそうなのでぼかして書きますが)、たとえば、その人の彼が建設関係の仕事に従事しており、僕の日記で読んだ「地下の話」が面白いと彼に話したというくだりだ。
 宮沢さんの日記に登場した東京地下の話に興奮した私が、ドライブをしているときにその話を「すごいよね〜」という感じで披露したところ、彼の反応は期待に反して「地下通路なんてつくばにだっていっぱいあるよ」という返答でした。彼が関わった工事でも、建物の下に怪しい何かがあったり、「現場名のない工事」に派遣されたりしたこともあるそうです。(私もよく知らないのですが、工事現場というのは必ず名前がついているものらしいですね。名前がない、ということは何か秘密の匂いがします。)
 東京の地下には、関東大震災後の「首都防衛構想」から脈々とつながるこの国の闇の歴史を感じるが、「つくば市」には、(筑波大学構想からはじまる)新しい人工的な都市における「地下」の不気味さがある。あるいは、メールでは、「高エネルギー加速器研究機構(KEK)」のことも書かれていて(僕はこの施設そのものを知らなかった)、それに対しても「彼」は、「あの辺りだって地下通路はある」という意味のことを口にしたという。「現場で働く人」の生の声は聞こえてこなかったがこのメールでその一端を知った。私が想像するに、現場で働く人は全体を俯瞰して見ることを許されず、目の前にある現場の作業になにもわからぬまま従事させられるのだろう。いま自分がやっている仕事がなにかよくわからないまま作業しつつも、誰もがその奇妙さに薄々気がついているのではないか。メールにあった「現場名のない工事」は示唆的だ。地下は見えない。見えないからこそ、なにかが隠されている。現場からの表面にあらわれない小さなデータを集積してゆけば、もっといろいろなことがわかるのではないか。
 それにしても、「つくば市」はおそろしい。噂には聞いていたが、「自殺が多くてニュースにもならない」とあり、メールを書いてくださった方も、「一度目撃したことがある」という。牛久市まで「巨大仏」を見に行ったんだから少し暖かくなったら「つくば市」も見といてやらねばという気にもなったのだった。「日本全国怪しい場所ツアー」だ。

■午前中、
Mac Powerの原稿を書き上げる。メールで送信。それからさらに、単行本『資本論を読む』の直し。意外に時間がかかる。連載のほうの締め切りも近いと「Jノベル」のTさんからメール。
アテネ・フランセ文化センターでイヴェントをいくつか企画しているSさんという未知の方からもメールをいただき、僕と、写真家の鬼海弘雄さん、装丁家の間村俊一さん(間村さんは装丁の仕事が多いが装丁家と書くべきか、画家と書くべきか少し悩む)とで、「写真/装丁/演劇性」(仮)と題した「イヴェントを考えている」とのこと。どんなイヴェントなのか。シンポジュウムのようなものなのか、詳しいことはわからなかったが、とても興味深い。というか、話がしたいと思ったし、鬼海さんにはこの機会に、写真集を送っていただいたお礼をしたいと思う。ちなみに、間村さんは、スガ秀実さんの『革命的な、あまりに革命的な』(作品社)の装丁を手がけておられる。どんな話になるかわからないけれど、とても刺激的で興味のある仕事だ。
■「ユリイカ」のYさんから、またもや原稿の催促のメールがあったが、そこで、こんなサイトを教えてもらった。巨大観音である。観音で思い出すのは、『トーキョー・ボディ』にも出た三坂で、むかし三坂は、「なんとか観音」とかいうペンネームで雑誌に原稿を書いていたのではなかったか。いや、「カノン」だったかな。まあ、どっちにしろ、ふざけた名前だったわけだ。あるいは、
en-taxiのTさんからはイラン映画の試写会に行かないかと誘いがあった。

■少し風邪をひいたが、鍋焼きうどんを食べ汗をかいて強引に直す。いま本を読む勢いがないので、少し読んでは、またべつの本へ、少し読んではまたべつの本と、集中力に欠ける。それにしても「漢和辞典」は面白くて、「こんな漢字があるのかよ」と発見することしきりだ。以前、書評を頼まれた、武田雅哉さんの『新千年図像晩会』(またしても作品社)という本によれば、大修館書店『大漢和辞典』がすごい。たとえば漢字の中には「義未詳」というものがある。「義」とは意味のことで漢字の読みはわかるが意味がわからないという。さらに「音未詳」というのもあって、これは「義未詳」の逆で、意味はわかっても読み方がわからないという漢字だ。さらにすごいのが、「音義未詳」だ。読み方もわからなきゃ、意味もわからない。ただ「漢字」の形だけが残されている。
■そんな話を読んでいたら、「漢和辞典」と「地図」には同じ種類のなにかを感じる。あくまで、「漢和辞典」だ。「広辞苑」をはじめとする「国語辞典」ではない。というのも、「漢字」と「地図」には、グラフィカルな面白さという共通点を感じるのだし、それを編纂する、まとめるという行為には、「聖にして狂なるもの」を共通して感じるからだ。ちなみに「大漢和辞典」編纂の代表は諸橋轍次だが、その仕事を一緒にした鎌田正さんは、『大漢和辞典と我が九十年』(大修館書店)というすごい本を出している。大修館書店の「大漢和辞典」がほしくなったけれど、全15巻で24万円だと知ってこりゃあうかつに手が出ないと思いつつ、やっぱりほしい。

(7:36 jan.27 2004)


Jan.25 sun.  「こういった時代ですので」

■かつて筑摩書房にいた打越さんと会い、ある本についての話をする。その本を出版するのに(シリーズものの一冊で、シリーズ全体が)ややこしい事態になっているのだった。
■会ったのは品川にある御殿山ヒルズのなかにあるラウンジだが、御殿山ヒルズの手前でどこから駐車場に入ればいいかきょろきょろしていると、向こうでクソ警官が手をあげて止まれという指示を出しているのに気がついた。「そこ、一時停止しなくちゃだめなんだよ」という。違反したかもしれないとしてもだよ、その絶妙な場所で待っている警察の詐欺まがいのやり方に腹が立った。見ればそこには路駐しているクルマが何台も並んでいるがそれは取り締まらず、ひどくわかりづらい「一時停止」の違反をチェックする態度がいよいよ不愉快だが、さらに不愉快にさせるのは、しきりに「取り締まりの理由」を話すことだ。
■こいつ、どこかうしろめたさを感じているな。と私は思った。なにか後ろめたいことがある人間は、言い訳をするものである。「安全に運転してもらわなくちゃいけないんでね、事故もよくここ、あるしね、それで一時停止が、そこ、あるから、で、こうして待ってて、いま、いろいろこっちも、あれなんだけど、まあ、取り締まるっていうか、やらなくちゃね、事故、減らないし、それで、まあ、取り締まってるってわけなんだけれども、それというのも、やっぱり、交通のルールってものはさ、いわゆる、社会的な取り決めであって、こうして取り締まってるわけだけれども、とにかく、左手の人差し指を出して」とくどくど話す。うしろめたさのある人だ。また指紋を取られました。情報はまた収集されてゆく。
■打越さんといろいろ話しをする。楽しい時間だったが、直前の警察に違反切符を切られたことで気分はうつろだった。警察に対する腹立たしさで落ち着いた気分で話せなかった。

■で、関係ないけど、情報によると、中野にある「中野武蔵野ホール」が近々閉館されるそうだ。池袋の文芸座が閉館されるときも感じたノスタルジーはまちがっているとは思うものの、都内から「名画座」と呼ばれる映画館が次々に閉鎖されてゆくのはさみしい。
■中山元さんのメールマガジン「哲学クロニクル」で個人の情報が新しいテクノロジーによってどのように管理されてゆくかについて取り上げられており、興味深く読んだ。一部を引用させてもらう。
 情報家電が規格の統一に向かい、ぼくたちが日常に使う家電製品がユーザーのらないうちに、情報ネットワークに接続されるようになる日も近いだろう。中でも交通と通信手段を通じた個人情報の収集はますます確実なものとなりつつある。
 JRのスイカはかざすだけで改札をとおれるので、とても便利のようだが、購入の時点で住所と氏名の明記を求められる。ということは、スイカを使う人はだれでも、日常の移動の記録を収集され続けているということになる。ぼくがスイカを使わないのはそのためだ。私鉄のカードは個人の移動記録がすべて記載されるが、これはカードに記載されるだけで、破棄してしまえばすむ。
 携帯電話もまた個人の位置を特定する手段として効率よく使われている。宅急便のドライバーは、いまではうっかり昼寝にできないだろう。JRは携帯電話での改札通過の実験を進めているが、これもスイカと同じように(あるいはさらに確実に)個人を特定し、移動を記録できる。
 とくに個人の移動の特定のために利用されているのが自動車だ。『第三文明』の1月号ではノンフィクション作家の吉岡忍のインタビューを掲載しているが、「自動車を運転している人なら、すでにプライバシーは丸裸といってよい。幹線道路に設置されてるい自動車のナンバープレート読取り装置、Nシステムの記録を検索することで、いつどこを自動車でとおっているかが明らかになるからだ」と指摘している。
 あるいは、ビデオショップでなにを借りているかによって特定の人物の「傾向」がわかるとか、アマゾンで本を買えばその人物のやはり「傾向」がわかるなど、コンピュータとそのシステムはそういったことが得意の分野になっている。パーソナルコンピュータの創世記、かつて『2001年宇宙の旅』のHALのような巨大システムから、そのテクノロジーを個人の者にするという「ハッカー文化」の思想はここではまたべつの方向に動きだしてしまったのは皮肉だ。端末が整備されネットワークの技術が進化しむしろ個人の情報収集の技術として進化している。
 とにかく俺は、あのうしろめたそうにしていた警察官の態度に腹を立てていたこともあり、「権力」に対して断固、「否」をつきつけてやろうと決意したのだった。

■土曜日に催された「戯曲セミナー」のレクチャーにも来ていたという「下北沢スタジアム」のO君からメールがあって、茨城の筑波学園都市には「地下都市」があるという報告。これは秋庭俊さんにも伝えなくてはいけないのではないか。
 つくばの地下政府の件、もしかしたら、地下都市(何かが起こった場合、人々が暮らせるまち)が建造されている、という話だったかもしれません。つくば大で教える知人から聞いたのは、一昨年の五月のことです。
 陸の孤島というのは大げさですが、東京から簡単に行きにくい場所にするため、 最近まで鉄道を敷く話が進まなかったらしい、という話でした。 (「つくば駅」で検索したら、下記のようなサイトがいくつか見つかりました)

 ○http://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/hp/071000/tsukubaeki.html
 ○http://www.pref.ibaraki.jp/hotnews/hn030725_03.htm
 なにか作れば、「地下」に人は発想がゆくのだろうな。 あまり先の展望がないまま、とにかくこの際だから「地下になにか作っておくべきだと」、まあ、一九四五年以前であれば「首都防衛」というはっきりした目的があったと考えられるが、その後もまた、「震災」「有事」と短絡的に「地下になにか作る」。それはもしかしたらごく一般的な発想なのかも知れない。しかし作ってみたはいいけど、それほど役に立たないのでほったらかしにしておくものの、ではそれを建設した事業費はどこに消えたか。ありていに言えば、誰が「もうかったか」だ。そこにタブーはある。

■テキスト・リーディング・ワークショップにも来ていたS君が最近、池袋の「西武のリブロ・コミカレ」で行われた特別セミナーに参加したという。
特別セミナー「『屈辱』と向きあうためにー東アジアの現代性を考える」というタイトルの、東京大学社会情報研究所教授の姜尚中氏と、明治大学経済学部教員(専攻は台湾文学、東アジア文化論)の丸川哲史氏の講演を聴講してきました。
 とメールをもらった。内容を報告してくれたが、その一部を引用する。たとえば「第二次朝鮮戦争」が起こるのではないかと言う姜尚中さんがさらに語った次の言葉は印象に残る。(あくまで、姜さんが話された言葉を、S君がまとめた文章を引用)
 数ヶ月まえにイラクで外交官が殺されたことにはもうメディアは何も言及しない。であるから、今後イラクで自衛官が殺されても仕方ないととらえるのではないか。テクノロジーの支配する世界に生きていると、屈辱という言葉はなく、セキュリティに対する不安とか自己保存というメンタリティしかないのではないか。(自分にとばっちりがくるのはいや)それゆえイデオロギーも死んでるのではないか。憲法を無視している政治家はニヒリズムの極地である。ビジネスライクに戦争している。政治家は自分の言葉も信じていない。
 そうだった。先遣隊の安否より、先につい少し前に死んだ外交官殺害テロのことからまずはっきりしなくてはいけないのではないか。それを「彼らはお国のために精一杯のことをした」といった「精神論」で語る言葉は、まるごと一九四五年以前の大衆的に流れていた「心性」と同様のことになる。「北朝鮮の犯罪的拉致事件」はきわめて政治的な出来事だとすれば、それが「情緒レベル」で論議されることにはどうしても違和を感じざるを得ないが、きっぱり「政治決着」をつけるべきだ。なにが事件を発生させたか、そしてそれに対して政府はどう対処するかが」はっきりしないまま、連日流される事件被害者たちの情緒的に流れるニュースは単に「北朝鮮の政治システム」ではなく「朝鮮民族」「韓民族」への、「反感」につながるだけだ。「第二次北朝鮮戦争」を勃発させないためにできることはいくつも考えられるにちがいない。
■そうしたなかで演劇を書くこと。小説を書くこと。表現すること。ストレートな政治劇やメッセージではない、もっと異なる方法がある。遠回りをしてでも簡単な言葉で言いあらわさないことがきっと表現になる。

(4:11 jan.26 2004)


Jan.24 sat.  「戯曲セミナー」

■少し睡眠不足だったが三軒茶屋に行く。世田谷パブリックシアターのなかにあるレクチャー室で、劇作家協会が主催する「戯曲セミナー」の特別講義である。「戯曲セミナー」と名前はあるが、戯曲の書き方は誰かほかの人が教えているだろうし、僕がことさら「戯曲というものは」と語るのもなんだと思い、ただ自分がいま、興味のある話だけする。となると、それはもちろん「東京の地下」である。前半は、中沢新一さんの本などを紹介しつつ「神話的思考」に触れ、まあ、創作にかかわる話になっていたと思うが、休憩をはさんだあとは、秋庭俊さんの『帝都東京・隠された地下網の秘密』をもとにただただ趣味の話である。
■あれはなんて装置なんだろう。そこに本を置くとスクリーンにその画像が拡大されて映し出される。秋庭さんの本にある地図を見せたり、あるいは「淀橋上水場」周辺の「謎の線」についての話をするため、『地図で見る新宿区の歴史』(新宿区教育委員会)のある地図を見せる。あ、そうそう、ここにいたる伏線として、「地図」についての話はしたのだ。「地図」とはなにか。「聖にして狂なるもの」としての地図を、僕の作品『ヒネミ』をもとに話しておいて、で、話は飛躍し「東京の地下」だ。
■以前、「淀橋上水場」のなかにある「謎の線」が地区の境界線だと書いたが、ではなぜ、境界線が「上水場」のなかにあるか謎だと書いた。その後、未知の方からメールをもらい、あれは「上水場」が作られる以前にあった「道」を元に作られた境界線がそのまま残されたのではないかという指摘だ。うん。そう。そうなんだ。それは僕もそう思い、では、「淀橋上水場」(昭和40年廃止。いま都庁の建っているあたりにかつてあった)とはどういったものだったかが、だからこそ疑問になる。その歴史を調べることにした。「淀橋上水場」は資料によると、「明治26年に起工式を行い、明治31年12月1日に通水を開始しました」とある。前出の『地図で見る新宿区の歴史』に所載された古地図を見ると、まずいまの山手線が通る以前の新宿はまだ、なにもないような土地で当然ながら「淀橋上水場」のあたりもただの田園地帯である。そこを調べると、たしかに、あの「謎の線」にあたる「道」があり、これがのちの地区の境界線になったことはわかる。ただ、明治31年に「淀橋上水場」が完成してから地区の境界は改変され、それは何度か組み直されており、明治31年以降のいくつかの地図を見ると、それはほぼ、「淀橋上水場」の周囲を取り囲むように境界線が作られている。これは合理的だ。そうするのが当然である。そして、一九二三年(大正12年)に「関東大震災」が発生する。この「震災」によって「東京市」による「帝都復興計画」が大々的に実行されたことは、様々な資料に詳しい。
■そこに謎が生まれるのだ。
■関東大震災以後の地図を調べると、「淀橋上水場」の中のあの「謎の線」があらためて出現する。つまり境界線が「淀橋上水場」のなかに作られることになる。これはおかしい。それまで「淀橋上水場」の敷地に沿って地区の境界線があったのに、関東大震災後の「帝都復興計画」のあとになぜそんな、わざわざ面倒な、というか、複雑な地区の境界線を作ったか。ひどく不合理である。この「不合理」はいったいなにか。つまり、その境界線は「地上」にあるなにかによって作られたのではないという推測が成り立つ。「地下」に建設されたなにかに沿って「境界線」が改めて作られたのではないか。以前も書いたように、その「謎の線」が「地下鉄大江戸線」だ。その「地下」のなにものかは、関東大震災発生後の「帝都復興計画」時に作られたと考えたほうが、きわめて合理的である。そしてその「線」は戦後の地図からは消える。

■そんな話を「戯曲セミナー」でしてしまった。それがいったい、「戯曲の書き方」とどう関係するのかわからないが、まあ、話したかったんだからしょうがないじゃないか。セミナーには制作の永井や笠木も来ていたし、ヨミヒトシラズの高森君、
Superman Redの相馬君も来ていた。終わってから、笠木、永井らと建物の地下にあるレストランで食事をして少し話す。話しているあいだはべつに疲れなかったが、終わるとなぜかくたくたになるのだ。家に戻って食事。睡眠。そしてまた仕事。

(4:41 jan.25 2004)


Jan.23 fri.  「石破さんから目が離せない」

■あした(24日土曜日)、世田谷パブリックシアターのセミナー室で「劇作家協会」が主宰する「戯曲セミナー」のレクチャーがあるのでその予習をする。
■しかし、いまなにより注目に値するのは石破防衛庁長官だ。この写真の表情などものすごいが、この写真を選んだ朝日新聞の意図が石破長官の表情と背後にある影の描写に如実に現れ無言のメッセージになっているものの、いまや私は、石破さんから目が離せない。私と同い年である。この写真と、さらにこちらの写真は歴史に残るね、おそらく。ウェブでは小さいが新聞だともっと大きく特に石破さんの写真はすごかった。
■そんなおり、ある自衛隊に関する入門書のような本を手に入れて読んだが、そこで著者は政治的に「ニュートラル」であることを強調して叙述する。しかし、「ニュートラル」なんてものが存在するだろうか。たとえば「政治に無関心である」というのもまたひどく「政治的」だ。しかしその本が(小学生向けかと思うような)わかりやすい文章だったこともありいろいろなことを大雑把に学ぶことができた。書くまでもないが、一九五〇年、朝鮮戦争の勃発の年、警察予備隊として「自衛隊」は出発した。憲法に違反しない範囲、というか、憲法をある意図によって解釈し、それは表向き「軍隊」ではけっしてないとされてきた。それから54年の歳月のあいだに「警察予備隊」はどう変容し、自衛隊にからんだ「事件」としてなにがあり、そこで巨大な(20万人以上の)組織はどう動いたか、歴史を読んでゆくのはたいへん興味深い。いよいよ、イラクに本隊が派遣されるにあたって、世界中の誰もが「自衛隊」を「軍隊」としてとらえているのは報道で知ることができる。既成事実となってしまった「自衛隊」の変容は、つじつまをあわせるために憲法を改定する以外、これ以上つまらない議論をしてもしょうがないというのが国の考え方だろう。そのとき、歴史に名前を刻む者として石破の名前が浮かぶ。
■見逃せない、石破さんの動向。そしてあの、死んだような目。興味はつきない。

■夜、永井が家に来て、2005年の公演に向けての制作の話などする。なかでも、2004年3月1日から、8月6日まで、早稲田大学のなかにある「早稲田演劇博物館」で「遊園地再生事業団と宮沢章夫」という展示があり(六月七日に講演も予定)、その細かいつめ。台本、僕の著書などの展示品のほか、貴重な舞台写真、小道具、衣装のたぐい、フライヤー、ポスターが展示され、この10年ちょっとの「遊園地再生事業団」について様々なことがわかるというまたとない機会である。ぜひ足を運んでいただきたい。詳細はまた追って。
■「資本論を読む」のゲラのチェックの仕事をする。

(7:10 jan.24 2004)


Jan.22 thurs.  「仕事をする」

■このところメールのチェックはまめにしているが、留守番電話を再生しないのだった。きょうになってようやく、20日(火曜日の)の午前中、打越さんから電話があって、お子さんの熱がだいぶ下がったので会えると吹き込まれているのを知ったのだった。だめである。もう、いろいろなことが取りちらかってスケジュール帳も持っていない者としては、仕事の整理がつかない。
■少し身の回りをきちんとしなくてはいけないと思いたち、まずほったらかしにしてあるコンピュータの環境を整えようと、ばらばらになって床に放り出されている自作機二号を組み直すことにした。それに、
Windows98をインストールしようと思ったのは、98じゃないと動かないワープロソフトがあってそのソフトが古いからこそいい部分があり、そうすることで印刷専用マシンにする計画を立てたからだ。連載の原稿はメールでほとんど送るが、小説はさすがにプリントアウトして手渡そうと思い、そのための印刷環境がほしかった。
WindowsXPが入っているマシンはなぜかネットワーク上にあるプリンターを認識しない。いろいろ試したが面倒になったのだった。

■部屋が整理されると仕事する気にもなるというもので、このところ怠けている、「資本論を読む」の単行本のための仕事など順番に片づけてゆくことにする。実業之日本社のTさんから送られてきた原稿のチェックである。かれこれ四年近く書いたもののまとめである。自分でいうのもなんだが、わりとまともだ。意外に面白い。この仕事に手をつけなかったのはおそらくつまらないと想像し読む返すのにいやな気持ちになっていたからだ。それで少しずつ直しを入れたり、加筆する。四年書いても、一回の分量が少ないのであまり多くはない。ただ、こうして書いているノートの「資本論を読む」に関連する部分や、経済学者の岩井克人さんとの対談を入れることでだいぶ読みごたえのあるものになるのではないか。ただ、後半、最初に連載していた「JN」が休刊になったあと、「Jノベル」に連載を移動してからの原稿は、少し硬い文章になっており、前半と後半では印象が異なってしまうのではないか。
■それはそれで、「資本論を読むドキュメンタリー」という本書の醍醐味にもなるかもしれない。四年のあいだに私も変化したことを示すだろう。あした中に、作業を終えようと思うが、それをするまえに、あらためて『資本論』を読み直すという予定は無理かも知れないものの、できるところまではして、いい本にしたい。
■ことのところ、小説『28』を少しずつ進めていたが、「資本論を読む」の本の作業がすんでから本格的に徹底的に書こうと思ったが、すぐに「ユリイカ」の連載25枚があるのを思い出した。あれはいま、私の生活の中心ともいうべき困難な仕事で、きのう書いたように、
en-taxiのI編集長が、「宮沢さんは原稿を書かないのに」と言っていたが、ほかにも連載があるし書いてるよ俺は。むかし、ウェブ上で展開する雑誌のようなサイトをプロデュースする人と打ち合わせしているとき、そいつが失礼なことを言ったので「うるせいばかやろう」と言ってその仕事をやめたのを思い出し、NHKのプロデューサが劇作家は金にならないと勝手に決めつけ、「仕事したいだろ、なあ、仕事、俺としたいだろう」と言う口ぶりに権威主義を感じて腹を立て、「うるせえじじい、黙ってろこのばか、このくそはげおやじ」と言って打ち合わせしていた店を出ていったのも思い出す。
■若気のいたりである。だいぶ私も大人になった。でも、いまほかの仕事で一緒にしている編集者の方々は、なんていい人たちなんだろう。みんな文学について真摯に考えている。いや、
en-taxiのI編集長が考えていないとは一言も口にしていないが、でも、アダルトビデオとドラマ『白い巨塔』が大好きらしい。しばらくen-taxiのI編集長のことでこのノートを書くのが楽しくなりそうだ。

(7:30 jan.23 2004)


Jan.21 wed.  「ばかになってゆくI編集長のことなど」

■ジュネの『屏風』は長かった。「テキスト・リーディング・ワークショップ」の話である。先週三時間読んで終わらず、きょうは結局、11時過ぎまで読んでいた。僕が話をする時間もあったとはいえ、七時間強である。どう考えても上演が不可能なのは、その出演者数だけでもわかるが、その不可能に果敢に挑戦した初演時はかなり戯曲を構成したらしいことは「ジャン・ジュネ全集」の解説に書かれている。今月の末に世田谷パブリックシアターで公演のあるフレデリック・フィスバックの演出は、その登場人物が多いという困難を、結城座の人形でクリアするという一種の離れ業をやってのけた。そのヒントは文楽にあったという。
■この戯曲を理解しようとするのも困難は多く、背景にあるアルジェリアの独立戦争という政治的な側面を抜きには語れないだろうし、ある程度、そのあたりの歴史を知っておく必要があるとはいうものの、頻繁に繰り出されるタブーに抗するジュネの悪意ある言葉は、手っ取り早く言えば、むちゃくちゃだが、醜女とされるレイラが、終盤になって死にいたり、そうであることによってはじめて聖性を帯びてくる美しくも醜い言葉から立ち上がる姿にこそジュネの思想をもっとも感じる。あらゆるタブーへ突きつける悪意はまた、ナンセンスにも通じ、このでたらめさかげんはいったいなんだ。「うんこ」だの「おしっこ」だのがやたら出てきて、そうした言葉の使い方は子どものふるまいと、無法である。
■グロテスクなイメージを積み上げるように造形される劇の結構は、『ハムレットマシーン』のハイナー・ミュラーにも通じる。あるいはそれをさらに遡れば、アルトーになってゆくのだろうか。そこに立ち現れるのは「野蛮」だ。めまいがするほどの「過剰」な言葉だ。

■きのうは、筑摩書房に以前までいた打越さんと会う予定だったが、お子さんが熱を出されたというので延期になった。それで夜、
en-taxiのI編集長、Tさんと、浅草の近くにあるお店でふぐ料理を食べた。ものすごくうまい。その後六本木へ移動。どんどん酔ってゆくI編集長といろいろ話しているうちに、ことによったらこの人は、いま、「ばか」になっているのではないかと思いはじめ、するともう、ばかにしか見えない。そうして見ているうち、I編集長は、どんどんばかになってゆく。しきりに、「宮沢章夫はずるいよ」と言うのだが、ばかにそんなことを言われる筋合いはないものの、たしかに俺はずるい人間なので、それも一理ある。わかれぎわ、なにを思ったか僕のクルマを見て、「ゴルフかっこいいですねえ」と言った。ばかがなに言ってやがんでと思いつつ家路につく。そのころ、私の内面では、作家としてある重要なことが発生していたのである。
■あ、そうだ、打越さんと次に会う予定を立てたのは今週の土曜日だが、テキスト・リーディング・ワークショップに来た制作の永井から、土曜日(24日)は、劇作家協会が主催するおそらく戯曲教室でレクチャーをやる予定を知らされた。すっかり忘れていた。わたしは自慢ではないが、名刺とスケジュール帳を持ってないんだ。それでどうやって仕事をしているかよくわからない。そういえば、かなりばかになってしまったI編集長が、「宮沢さんは原稿を書かないのに、どうして日記はしっかり書くんですか」と、ばかになってしまった人にふさわしい質問をした。「野球選手も素振りをするでしょう。日記は素振りです」といつも答えているように返すと、「でも、あの日記、すごく完成度が高いじゃないですか」といよいよばかなことを言う。野球選手がいいかげんな気持ちで素振りをするわけがないじゃないか。私は生涯、一捕手である。
■それで家に戻って(20日)、『ヴァンダの部屋』のペドロ・コスタ監督との対談原稿を直す作業をしメールで送る。それから眠ってテキスト・リーディング・ワークショップに行くという日々。メールチェックをすると、Yさんという未知の方からメールをいただき、その方は自分のまわりにいる、僕のエッセイを読んでくれる人を集めて「チーム章夫」というのを作っているそうだ。どいつもこいつも勝手なことをしやがって。うれしかったけど。

(6:52 jan.22 2004)


Jan.18 sun.  「怒る子ども。ねずみを追う男」

■教育テレビでやっている「新日曜美術館」で今週とりあげられていたのは、版画家の「谷中安規」だった。
■知る人ぞ知るというか、「内田百間(ほんとは門構えに月・以下同)」の『王様の背中』という童話集の挿絵を描いたことで有名な画家である。いま渋谷にある「松濤美術館」回顧展が開かれているとその番組で知った。晩年は悲惨だったようだ。敗戦後、栄養失調で死んだという。評論家の海野弘さんのナビゲートで紹介されていたが、大正期の都市文化を表徴したサブカルチャーな画家、いわばいまで言うならイラストレーターであった谷中さんが残した作品が、「都市」の様々な種類の文化を描いていることで当時としては新規の傾向を生みだし、美術館や額縁におさめられた画家ばかりがアートではないのだという視点から批評しているのはうなづけた。
■会期は二月の初頭までだった。うかうかして、最近はなんでも忘れてしまう。いきそびれてしまう。で、きょうもまた小説を少し。少し乗ってきた。ある人がある場所で、まとまった単行本を読みたいと書いてくれていた。うれしかった。そういえば、このあいだ紹介したCD屋に勤めているというKさんは『レパード』の感想も送ってくれメールの前半も興味深かったが、最後にちょろっとかいてあった部分で笑った。「レパード」というタイトルは日産の古いクルマの名前からきているのだが、まあ、百間の小説『豹』を英語のローマ字表記にしただけというのはいうまでもない。
最後に蛇足で、日産レパードですが、もう10年以上も前に先輩が中古のレパードに乗っておりました。この車は、通常なら警報が鳴るところでしゃべるようになっていて、 例えば「ライトがつけっぱなしです」「キーがつけっぱなしです」というようなことを、人の言葉で言う機能がありました。よくバッテリーが上がる車で、「バッテリーの残量が少なくなりました」 と車が言うたび、「お前がしゃべらなきゃ、もっと楽なんだよ!」と怒っていた先輩を思い出します。
 さぞかしバッテリーを食ったんだろうな。わたしのクルマは絶好調である。もう13年も過去のクルマなのに調子がいい。夏までに一度、点検してもらいたいとは思っているが。まあ、どうでもいい話。

■で、わたしはめったにテレビドラマを見ないのだが、「新日曜美術館」のあと、『砂の器』という、映画化もされた松本清張原作のドラマをチャンネルを換えて見た。捜査を担当する今西という刑事を竹中直人がやりたかっただろうと想像した。ドラマでは渡辺謙が演じていた。というのも、どれだけ映画版『砂の器』の今西刑事に扮する丹波哲朗の真似をする竹中を見たかしれないからで、しかもせりふをほとんど暗記していた。竹中にはあの映画に対するかなりの思い入れがあるようだ。一度、いいから見ろ言われ、立川の映画館にかかっているのを一緒に見に行ったことがあった。その映画館にはねずみが客席を走っていた。「あ、ねずみ」と僕が声をあげると、『砂の器』のいいシーンを見せようと竹中が苛立つ。僕はねずみに夢中だ。また、ある人の話によると、子どものころ親に連れて行かれて『砂の器』を見たという。なんでこんな映画を観るのか理解できず、怒ったという。『砂の器』を見て怒る子どもを見てみたかった。
■怒る子ども。ねずみを追う男。
■それで思いだしたが、いや、それでってわけではないが、「一日百間」を開始しなくてはならないのだった。白水社のW君との約束である。約束といえば、20日は昼間に筑摩書房の打越さんに会い、そのあと、
en-taxiのTさんに会って「東京の夜・謎の探索計画」を敢行するが、Tさんの予定だとまず六本木ヒルズに行き展望台にのぼり食事などする予定が組まれていて、それ、デートコースじゃないか。東京の夜の謎を私は探りたいのだった。そういえば、秋庭俊さんのサイトの「地下の言葉」で紹介されている、営団地下鉄の仕事を引き受けたある電気工事関係者の話、「営団地下鉄は有事に備えたネットワーク」がまたすこぶる興味深い。

(6:55 jan.19 2004)


Jan.17 sat.  「くだらなさの擁護」

■映画監督の青山真治さんが、「名前のない日記」でしばらく前、姫野カオルコの『ツ、イ、ラ、ク』(角川書店)のことを書いていたのでずっと探していたが、どこにもなく、きのう(16日)ようやく六本木の青山ブックセンターで見つけた。ほかにやはりずっと読もうと思っていた小熊英二の『<民主>と<愛国>』(新曜社)など数冊まとめて買ったがどれもやけに厚くて荷物が重くなった。青山ブックセンターはやっぱり品揃えがいいし、いつまでもいるときりがないほど欲しい本があるのでいま読んでおきたいものだけ選んでさっさと帰る。それにしても、ここの六本木店は朝五時まで営業ってそれすごいなしかし。
■まったく興味のなかったことがふと気になるのは、様々な場所にある「点」が結びついたときで、たとえば最新号の「ユリイカ」は「クマのプーさん」の特集だが、これまでディズニーのアニメぐらいの認識しかなかったけれどその特集で、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが取り上げられており、「群像」に発表された青山さんの短篇小説にもブライアン・ウィルソンが登場してこの共時性はなにか考えているとき、ターンテーブルが直ったので中学生のときに買ったレコードの一枚を20数年ぶりに聞けば、「プー横町の家」という歌が入っていて、プーが連鎖しはじめる。聞くところによると「プーさん」はかなりのナンセンスである。なにしろ、プーは橋の上から棒を投げてそれが流れるのをただ楽しんでいる。クリストファー・ロビンは、「だけどぼくがいちばんしていたいことはなんにもしないでいることさ」と口にするのだし、なにもしないでぼーっとしていると、「ぼーっとしていてもしょうがないからなにかしよう」とする。ブライアン・ウィルソンも、「なんにもしないことに忙しい」という歌を書いている。
■だいたい、ディズニーのプーと、原作のイラストはかなり質が異なって、ちっともかわいくないぞ、原作のプーのやつ(だけど圧倒的に原作のほうに味がある)。これはアリスもそうだ。原作のアリスはかなり残酷だし、ナンセンスにみちている(このナンセンスはイギリスの伝統か、モンティ・パイソンまで脈々と流れるくだらなさ)。それがどこかで変容するのは、「大人の視線」が出現することを意味するだろうが、とはいえ、人はいやでも「大人」になってしまうのであれば、では、あの「くだらなさ」はどのようにして擁護されるべきか。大人になりつつも(ならなくちゃいけないしね)、それを「子ども的」と言葉にするのは簡単すぎるにしてもどのように「そうしたものたち」は正しく守られるべきか。
■寒い日が数日続いている。というわけで、いま「愛国」について長い文章を書いたが、途中で煮詰まったのでまた今度、書くことにしようと、ばっさり削除。小説を少し書いていた。『28』をなんとかまとめようと書く。いろいろそこに盛り込みたいことと、最後がどこにたどり着くか、書いているうちに浮かんできた。長い小説になりそうだ。『資本論を読む』の単行本のまとめをしなくてはいけないと、ゲラを直す作業もする。意外に忙しい。

(18:31 jan.18 2004)


2004年1月前半はこちら → 二〇〇四年一月前半バックナンバー