2002 7
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また京都の生活が始まります。五月から八月の初頭まで。京都の夏は暑いです。また忙しくなりますが、その日々は、「京都その観光と生活」でお読みください。



may.6  「京都へ」

■ワープロソフトをほとんど使っていない。
■というのも、このところたいていの原稿はメールで送るのでプリントアウトする必要がないからだ。舞台表現の授業の上演台本をエディタを使って作り終えプリントアウトしようと思ったが、プリントアウトができない。ほとんど使っていないWindows98が動くコンピュータにワープロソフトが入っている。ものすごく久しぶりに起動した。去年のやはり舞台表現の発表のための台本を作ったとき以来かもしれない。
■いつも台本に使う文字組がそのワープロソフトじゃないとできないし、そもそもその文字組じゃないと稽古が調子でないのである。で、Windowsがネットワーク上にあるプリンターを認識しない。なにがだめかわからない。ネットワークの設定をいろいろいじって三時間。だめだ。挫折。
■Macだったら、たとえSE30のような古い機種でもネットでつなげばプリンターを認識してくれその簡単さに驚かされるが、Windowsの、このめんどくささには、なにか理由があるのだろうか。いろいろな種類のネットワークドライバが用意されている。ひとつひとつを根本的に理解できないとこういうとき設定に苦労する。だからMacのアップルトークはすごく単純に「これひとつ」と提示されているのだろう。簡単だものな。マニュアル車みたいなものだ。

■この無駄な時間がなければ、雪舟展を観にいったのに。
■あるいは、東京都現代美術館。「ルイス・バラガン 静かなる革命」という企画展がすごく観たかった。ルイス・バラガンはメキシコの建築家。7月14日までやっている。それまでにもう一度東京に戻ろう。こうなったらぜったい戻ってやる。
■夜、京都へ。
■またあつい京都の日々がはじまるのだ。

(0:58 may.7 2002)



may.5  「せっぱつまっている2」

■柏餅を食べた。
■夏のように暑い日。
■舞台表現の授業発表用の台本を作る。『おはようと、その他の伝言』をどんどん削って上演時間を短縮する。今回上演するに際して必要がないと思われる台詞を削る作業だ。あと、登場人物をひとつなくしたが、新しい登場人物も作った。去年も同じような作業をした。ただ去年のゴールデンウイークは『月の教室』を演出していたから学校の授業の準備はどうしていたのかよく覚えていない。

■仕事の合間、食事をしにロイヤルホストへ。

国立

 甲州街道沿い、東京スタジアム脇のロイヤルホストの窓から見えるのは「折り返し地点」の記念である。せっぱつまっているが、少し気分が晴れる。六日にはもう京都に行かなければならない。短い休みだった。仕事はどんどんたまってゆく。小説のことを考える時間を作ろう。

(3:22 Mar.6 2002)



May.4  「せっぱつまっている」

■舞台表現の授業のために『おはようとその他の伝言』を書き直した台本を書き上げなければいけない。夏休みの終わり間近になって宿題がちっともできなくてあせっている小学生のような気分だ。まったく成長していない。
■で、そうは思っているのに、ふと国立に行きたくなった。「国立」はこれで「クニタチ」と読む。「コクリツ」ではない。「クニタチ」という中央線の駅のひとつ。なぜ「国立」かというと、「国分寺」と「立川」にはさまれて出来た駅だからである。

国立
一橋大学

 町の歴史に詳しくないが計画的に造成された町らしく、道が整然と作られている。一橋大学や、国立音大がある。紀伊国屋というちょっと高級なスーパーがあったり、町のステータスが中央線沿線でも高い。喫茶店に入ったら本を読んでいる者が多くて驚いた。なんだか京都にいるような気分だ。

■一橋大学のなかなど少し散歩する。気分がとてもいい。
■しかし、わたしはせっぱつまっているのである。
■いろいろメールをもらったが紹介できない。

(4:38 may.5 2002)



may.3  「自転車練習所」

■神戸のMさんから、例の、Spring8のレポートをメールでもらった。写真と文章。それをまとめ、「Spring8見学記」というページを作ったのでごらんいただきたい。文章はMさんが書かれたもの。

■学生だというS君に教えてもらった、「paperback」を探しに久しぶりに青山ブックセンター・新宿ルミネ二号店へ。
■わからない。音楽の雑誌だろうとあたりをつけて探したが見つからず、とうとう店の人に聞くはめに。本屋の店員に探しものを尋ねるほど苦手なことはないのだった。それで、わかったのは、SWITCHの増刊として出されているということだった。教えられた棚にゆくとそこにたしかに、「paperback」という雑誌があった。見たことがある。いつだったか手にしたことさえあるし、もしかしたら買ったかもしれないと思いつつ、S君に教えてもらった「レイブカルチャー10年の時を越えて」という原稿の入った第三号を買う。コーネリアスのミニCDがおまけでついていた。
■本屋に入るといろいろ買わずにいられなくなるから始末が悪い。とりあえず、「paperback」と、ようやく見つけた「BICYCLE NAVI」最新号を買ってあとはがまん。中沢新一さんの新刊に手がかかっていたのだった。どうやら『資本論』の新しい読み直しらしい内容で買わずにいられない気分になっていた。京都に戻ってからにしよう。
■で、「レイブカルチャー10年の時を越えて」を読んだ。興味深い内容だが、僕自身、レイブを身体的に理解していないことからわからない部分がいくつかあり、もちろん音楽を知識として知っていても、それだけでは把握できないもっと皮膚感覚のようなもの、核心にからだが届かない。聴かなければいけない。見なければいけない。

■ほかに辺見庸の『不安の世紀から』を読む。
■『アンダーグラウンド』のエミール・クストリッツァ監督との対話をはじめとても面白い。この対談集はNHKで放送された番組の対話を活字に起こして構成されたものだという。作家で、『サラエボ・ノート』を書いたフアン・ゴイティソーロとの対話ではスーザン・ソンタグが演出した『ゴドーを待ちながら』にふれているが、番組ではその稽古や舞台の模様が一部、放送されたとのこと。なんとか手に入らないものか。
■そういえばきのう、NHKBSで放送している「本を紹介する番組」の出演以来があった。スケジュールが合わないので断り、時間ができたらという話になったので、そこを頼りになんとかならないものだろうか。

■あと、驚いたのは、以前、『ユリイカ』の青山真治監督が大学に来るのでいらっしゃいませんかとメールをくれた京都のS君が、たまたま読もうと思った、大澤真幸、金子勝の『見たくない思想的現実を見る』の手伝いをしたと本人のメールにあったことだ。ああ、ほんとだ、あとがきにS君のことが紹介されている。驚いた。
■ガルヴィのNさんによれば、神宮外苑付近が「自転車練習場」になることがあるらしい。Nさんのメールに「なることがある」とあって、どういうことがわからなかったが、「自転車練習場」を紹介したサイトを教えてもらいそれを読んでわかった。こんなことをしていたのか。
■4連休か。しかし京都で生活していると、連休だからどこかへ行こうという気分にならないのが不思議だ。あと「休み」ってものが基本的に存在しない自由業。しかし、外国には行きたい。国内旅行よりずっと安上がりになる場合もある。なにしろ、以前行った外国のホテルは一泊800円だ。千円出せばヒルトンホテルのバイキングが食べられた。どこの国だ。
■世界は圧倒的な非対称である。

(4:18 may.4 2002)



may.2  「天気のいい五月」

■神宮外苑に行った。

外苑前 絵画館前で自転車を操る若者


 あまりに気持ちがいいのでそこらをぶらぶらする。絵画館にも久し振りに来た。それから神宮球場。東都大学野球リーグの「東洋大・駒沢大戦」があり、無料なのでバックネット裏でしばらく見た。プロ野球だったら神宮のバックネット裏で見るなんてめったにできないことだ。間近で見る野球はけっこういける。

■書くのを忘れていた。かつて全共闘世代は「連帯を求めて孤立を恐れず」と口にした。有名なフレーズだ。先日のスーザン・ソンタグや浅田彰らのシンポジュウムで田中長野県知事は浅田彰らとの共通する認識として、「孤立を求めて連帯を恐れず」と全共闘運動の心性をある種のアイロニーをこめて意図的にずらしそう言った。「連帯を恐れず」の意味を考える。
■僕の授業を履修している二年生にY君という学生がいる。ノートによく登場する映像コースのY君のことではない。Y君はまったく授業に出て来ない。どうやら「ある種の運動」をしているらしい。運動の中身はわからないが、学生の一人にY君のことを尋ねると、「あれはもうだめです。いまにヘルメットかぶって口にタオル巻いて……」と揶揄するようにY君のことを言ったので、それ、俺に言うなよと反応したくなったが、まあしょうがない。Y君とゆっくり話がしたくなった。どうやったら連絡がつくだろう。
■「集団」的なものを恐れ「劇団」とはまったく無縁な場所で舞台を作ってきた。たしかに「集団的創作」の意味はわかっているつもりだし、一回きりの俳優たちとの作品には積み上げるものがない。けれど「劇団」や「劇のための集団」ではないつもりでも、出演する俳優たちの顔ぶれはほぼ決まってきてしまうのも奇妙な話だ。かたくなに集団をこばんできたが、「孤立を求めて連帯を恐れず」という言葉がまたべつのことを考えさせてくれる。ひとりになりたいが、集団になることも恐れない。集団の肯定的な価値を認め、否定的な部分を恐れずに行動するべきなのだろうか。結論は出ないのだ。

■学生だというS君から届いたメールは「レイヴ・カルチャーとニューエイジの接点」という標題でまた新しいことを教えてもらった。「PAPERBACK」という雑誌に掲載された野田努さんという方の「レイヴ・カルチャー10年の時を超えて」という文章は、「日本でのレイヴ・カルチャーとニューエイジの接点のようなこと」が書かれているという。S君がその内容をまとめてメールに書いてくれた。全文紹介したいが、少し長い。あしたにでも「PAPERBACK」を手に入れ、野田努さんの文章を読んで僕なりにまとめてみたいと思う。そのことを教えてくれたS君にとても感謝している。

(1:41 may.3 2002)



may.1  「RUR−55」

■五月である。東京は少し雨。
■新宿の紀伊国屋書店へ。辺見庸の『不安の世紀から』、大澤真幸、金子勝の『見たくない思想的現実を見る』のほか、何冊か買う。このあいだからずっと「BICYCLE NAVI」という雑誌を探しているがどこにも見あたらない。休刊してしまったのだろうか。あれっきり見かけない。あれっきりというのは去年の秋以来だ。自転車関連の本がやけに目につく。自転車だな。やっぱりいまは自転車だ。『箱庭とピクニック計画』は「自転車教習所」という架空の場所を舞台にした作品だった。なぜかそのころ、立て続けに「自転車に乗れない人」に会い、それで『箱庭とピクニック計画』を書こうと思ったのと、新しい自転車を買ったことがきっかけだった。
■自転車に乗れない人には申し訳ないが、いまはまさに自転車のシーズンである。
■で、調べたら、「BICYCLE NAVI 2002年春号」ってやつが出ている。なぜ本屋にないのか。

■ことほどさように本もアマゾンをはじめいまではネットで買うことが簡単にできる。しかし本屋が好きだから本屋に行くとしか考えられず、棚に並んだ本に囲まれているのが心地よくてどんなに長い時間でも本屋にいられるのではないか。図書館ともちょっとちがう。本は買わずにいられない。というか、図書館で本を借りると返さなくちゃいけないのがだめなのだ。考えてみたら子どものころ僕の家では建築業のかたわら貸本屋を営んでいた。漫画もあったが、小説も数多くあった。棚に本が並ぶのが子どものころからの日常だったのを思い出す。

■『見たくない思想的現実を見る』のなかに出てくる、パレスチナの「ガッサーン・カナファーニ」という作家に興味を持ち、Googleで検索したところ、ひとつだけヒットしたサイトを見つけた。「RUR−55」というページだ。このサイトに少し驚いた。サイトを説明する文章の中にこうある。

 だれもができる範囲で誰かの役に立ちそうな情報を流す、というのがインターネットの根本精神だろうと思います。世の中の動きは逆に情報に値段をつけ、管理しようという方向にどんどん向かっているようなので、とりあえずなんか抵抗しなくては。

 こうして中野さんが作られているこの個人サイトでは、サイードなどの、仕事で翻訳した文章を無償で公開する。これはもっと多くの人に知ってもらうべきサイトだ。リンクのページを更新しなければと決意したが、それ以前にPAPERSを更新しなくちゃだめなのではないか。
■そういえば、「RUR」は、カレル・チャペックが書いた戯曲のタイトルだ。この戯曲が有名なのはある新しい言葉がこの作品のなかで生まれたからだ。「ロボット」がそれである。

■そんなわけで、PAPERSの更新作業中。あと少し待て。

(1:18 may.2 2002)



Apr.30  「ノキアの携帯電話」

■申請していたパスポートを受け取りに都庁に行った。
■10年分のパスポート。収入印紙代がやたら高い。いつまでたっても都庁周辺の地理が頭に入らないのはなぜか。きちんと整備された「新宿副都心」のはずだがやけに複雑だ。そう感じるのは俺だけか。都庁の建物にたどりついても旅券課がどこかわからない。案内カウンターで質問しようと思ったら、ほかにも質問者が列をなしている。わかりにくいってことだが、それだけ都庁が巨大だということであり、東京って都市が複雑に拡大しすぎているのを象徴してはいないか。行政もそうだが都市そのものが。その象徴。丹下健三の設計した都庁舎。
■旅券課に着いたら、受け取りはすぐにすんだ。いまのパスポートはかつてのものよりずっと小さくなっている。ずいぶん外国に行っていなかったのだな。

■京都のOさんという方からスーザン・ソンタグ情報をメールでもらう。毎日のように情報を教えてくれる人が出現し、しかもそれが毎日異なる人なのがとてもうれしい。

 日記でも以前お名前を挙げられていた辺見庸さんの『不安の世紀から』(角川文庫)という対談集の中に、スーザン・ソンタグ氏のボスニアでの『ゴドー』上演のことが記述されています。辺見さんの対談相手は『サラエヴォ・ノート』の著者ファン・ゴイティソーロ氏で、サラエヴォ滞在中に見たその劇について、詳細に語っておられます。いまちょうど読書中の本で記憶に新しかったので、ご参考までにと思い、メールさせて頂きました。ボスニア問題の他にも、オウム事件に関する歴史心理学からのアプローチ、『アンダーグラウンド』監督クストリツァとの対談など、問題意識に新しい視点を与えてくれる刺激的な、面白い本かと思います。

 スーザン・ソンタグが演出した『ゴドー』についての話があるのも興味がひかれるが、『アンダーグラウンド』を撮ったクストリツァ監督との対談もかなり面白そうだ。あした新宿の書店に買いにゆこう。ほかにも読みたい本が何冊もあり、今朝の新聞の一面の下に出ていた書籍の広告、『見たくない思想的現実を見る』(岩波書店)という書名にかなりひかれた。

■ノキアというメーカーが日本の携帯電話市場から撤退してもうけっこうなるが、聞くところによると、ネット上では古いデザインの携帯電話が高値で取り引きされ、僕がいま使っているノキアのNM502iって機種も人気があるらしい。ほかにもエリクソンとか。みんなNECのふたをぱかっと開けるタイプになってゆく携帯電話。あれに抵抗し、壊れるまでノキアを使い倒してやろうかと思う。

(0:41 may.1 2002)



Apr.29  「外から」

■「この時代に想う、共感と相克 9.11を超えて─スーザン・ソンタグ氏と語る」がどこで告知されたかわからなかったが、どうやら雑誌『批評空間』のサイトだったようだ。僕の「遠い遠い親戚」の友人らしきMさんからメールで教えていただいた。ありがとう。

■あるいは、「名前」や「言葉」にこだわるスーザン・ソンタグに共感した、というのも、僕もしばしば「言葉にこだわる」と指摘されるからで、僕としては「言葉そのもの」より、「その言葉が使われる状態」にこそ引かれ、言語遊戯にはほとんど興味がなく、たとえば「地口」の類を仮に注目したにしても、それそのものより、それを口にする人の状態にこそ興味を抱くのだし、なにかのエッセイに書いたのは、「使っています」と貼り紙のあった一見すると路上に放置された洗濯機だが、「使っています」という言葉が面白いのではないのであって、そう記した貼り紙をはらざるえなかった状況が面白い。「状況」である。「状況の面白さ」を書いているのだ。「状況」を描くのに「言葉が発せられた、あるいは書かれた状態」が多くなるのはエッセイという表現形態だからだ。エッセイにおいて「状況の面白さ」を描くのに適しているのがたまたま「言葉」だったに過ぎない。と、僕は自分の書くエッセイを分析する。「言葉にこだわる」と指摘されると、戸惑う、というより、わかってないよこの人と黙って話を聞きながら思う。まあ、大いに同意するときや反論するとき以外、黙って話を聞いているときはたいていあきらめたきだ。「言葉にこだわる」と解釈しわかったつもりになられたらたまんないわけだ。
■「解釈」にはつねに疑いを持たなくてはいけない。

■そんなことを書こうと思ったのではなかった。スーザン・ソンタグの話だ。おそらくソンタグが「名前」や「言葉」にこだわるのも、それが「意味するもの・意味されること」に中心があるのだろうと僕は理解した。
■建築家として磯崎新は、「世界貿易センタービル」を建築としてまったく価値のないと断じてそれがなぜ「資本主義の象徴」として存在しテロの標的になったかと発言したがその言葉を受けソンタグは、「名前じゃないでしょうか」と言った。「世界貿易センタービル」という名前が、「建築的に価値のないもの」に「象徴」としての価値を与える。そして「もしあのビルが、マッキントッシュビルという名前だったらどうだったでしょう」と言うのだが、ここがちょっとわからなかった。ここで使われた「マッキントッシュ」がコンピュータの「Mac」のことなのかどうか。「だとしたらでどうでしょうか」という問いかけがなにを意味するのか。それはなんの「たとえ」か。
■長いあいだ、ソンタグのことをフランス人だと思っていた。むかし読んだ『反解釈』のころソンタグはフランスに住んでいたそうだ。その印象だったのだろうか。アメリカ人である。そのアメリカ人が「わたしはアメリカという国にたいへん悲観的になっています」と政治的な意味をこめてそう口にする。ベトナム戦争当時に書かれたソンタグの著書、『ハノイで考えたこと』をいまこそ読もうと思った。

■東京は天気がいい。テレビでサッカーを見る。国立競技場は六万の観衆。ふと、10年以上前、シンガポールのホテルで目にした地元の新聞を思い出した。
■一面に大きな写真があった。空中から写したものらしくすごい数の傘が見えた。そして見出しにジャパンのエンペラーがどうしたこうしたという言葉。すぐにその意味を理解し、同時に、シンガポールの新聞がそうして大きく取り上げることを不思議な気持ちで見た。歴史がよぎる。そのホテルはかつてシンガポールを占領した日本軍が本部として使っていたのではなかったか。有名なホテルだ。日本軍によって処刑された者らの霊が出るという噂も聞いたことがあった。そして大量の傘の写真。ジャパンのエンペラーがどうしたこうしただ。この国の外からこの国を見る。
■正直なところ、フランスに行くのが面倒になっていた。それが突然、気分が変わったのはスーザン・ソンタグのボスニアでの話を聞いたからだ。この国の外からこの国を見る。5月20日からたった一週間の滞在。けれど、なにか見えるかもしれない。

(4:19 Apr.30 2002)



Apr.28  「この時代に想う、共感と相克」

■参宮橋に住むT君から、オペラシティにあるNTT関連のICCというホールできょう、スーザン・ソンタグ、浅田彰、磯崎新らによるシンポジュウム「4月28日 この時代に想う,共感と相克 9.11を超えて─スーザン・ソンタグ氏と語る」の話をメールで教えてもらった。
■すぐICCに電話すると。午後一時から当日券を売り出すとのこと。買いに行った。僕が行ったころにはチケットを購入しようともうかなりの人数が集まっていた。スーザン・ソンタグの来日にあわせて、急遽開催が決まったらしくほとんど告知はされなかったという。僕はたまたまT君に教えてもらったがここに集まった人たちはどこでこの情報を知ったのだろうか。一時まで少し時間がある。以前、なにかの映画を見に行ったときやはり開場を待っていると周りの者らが時間をつぶすのにコミックを読んでおり、そういう時代になったのだなあと、かつて僕が学生だったころこいう場合、みんなコミックではなく、なんらかの活字を読んでいたがずいぶん変わったと思っていた。きょうはちがった。みんな本を読んでいる。そのことにまず驚く。年齢層も様々だった。若い者らもかなりいる。
■シンポジュウムはかなり充実していた。
■ほぼ4時間。みんなしゃべりっぱなしである。スーザン・ソンタグさんはきのう来日したばかりとのことで、なによりタフなのがすごい。印象に残った話もたくさんあり4時間が短く感じるほどだった。

■なかでも印象に残ったのは、スーザン・ソンタグがサラエボで『ゴドーを待ちながら』を演出したいきさつだ。国連軍が旧ユーゴスラビアを空爆することをソンタグが支持したことの是非を問わないわけにはいかないが、けれど、作家の問題としてそこに彼女が足を運んだこと、ミロシェビッチの指揮する軍隊が目前に迫っているサラエボで『ゴドーを待ちながら』を上演したことの意味は大きい。まずソンタグは、病院で働きたい、看護の手伝いをしたいとサラエボに行ったという。つまりボランティアである。ごく単純にそれだけの意志だ。けれどサラエボの人たちは、そんなソンタグに対して「自分たちを人間としてあつかってくれ」という態度を示したという。ここで意味される「人間」は、戦争のなかで傷ついたからだを看護してもらうだけの「人間」ではないことを示している。彼らが求めていたものは「芸術」だった。たとえ、ぎりぎりの状況のなかにあったとしても、彼らが「人間」として生きるのに必要なものとして、「芸術」が求められたという。
■だけどそんな場合じゃないだろう向こうでミサイルが炸裂してるし、という意味ではこのエピソードはひどくアイロニカルだが、それもまた人間なのだし、それこそが人間なのだと、サラエボの人たちは訴える。
■そこで上演された『ゴドーを待ちながら』はどんな舞台になったのだろう。というより、劇場にはどんな空気が流れていたのか。書かれたものや、語られ伝えられた言葉でしか想像できないのがもどかしいのと同時に、いま、ここ、この東京という都市、あるいはこの国で、舞台を上演することの意味をもういっぺん考えたいと思った。スケジュールに組み込まれて公演することのむなしさだ。二年間の休止はそのためにあった。もしかしたら意味なんかないのかもしれない。意味がないとしたら、「意味がない」と覚悟を決め、そのための表現の方法と語られるべきものを探す必要もあるはずで、それをも含めて考える。もちろん舞台ばかりではない。
■考えるきっかけとして五月のフランス行きは僕にとって大きなものになる予感がする。T君のメールがなかったらシンポジュウムのことなど知らずにいるところだった。知らせてくれたことに感謝してやまない。

■そんなわけで、シンポジュウムのあとしばらく興奮気味だったのだ。このノートに書きたいことはやまほどある。あの長野県知事が途中で飛び入りしたとか、長野県知事がずっと白い手袋をしていたのが気になった、同時通訳を観客に伝えるのにイヤフォンを使っていたのは話を途切れさせなくて効果的だった、オペラシティが近所でよかったといろいろあるが、それはまた書く。

(5:54 Apr.29 2002)



Apr.27  「東京に一時的に戻って」

■まず26日のことを書こう。
■朝から授業があったが、午後、舞台表現の授業を履修している43人の役割を希望によって割り振り、そのあと発表が予定されている春秋座の舞台を使って授業にした。春秋座は歌舞伎の上演を前提にして作られておりたとえば「ぼん」と呼ばれている、回り舞台があったり、「せり」とか「すっぽん」と呼ばれる、下から役者が出てくる仕組みがある。それを地下に入ってどんな機構になっているか見学もした。さらに大きな舞台を使ってエチュードをやったが、何人かかなり面白い学生がいた。
■授業後、スタッフワークの教員の方たち、といっても、照明、音響、美術とそれぞれプロの人たちとの打ち合わせ。舞台表現の授業とスタッフワークをどう連動させるか。しかも今回は春秋座を使うということでいろいろ複雑だ。
■七時過ぎに学校を出ていったん烏丸御池の部屋に戻る。片づけと荷物のまとめをし新幹線に乗った。東京に向かう予定だったが、その直前、掛川に寄る。親孝行。深夜、父親のクルマを借りたときだ。国道一号線を走っていると、正面に、大型トラックが停車している。変だなと思ってスピードを落として近づく。自転車と血だらけの人が倒れていた。茫然とそれを見ているトラックの運転手。事故があったとき脇を通ったのだろうクルマが反対車線の道路脇に停められ、若い男たちの姿も何人か見える。血だらけの人はまったく動かない。警察も救急車もまだ来ていないからおそらく僕が来る直前の事故だろう。国道の信号のない場所を渡ろうとした自転車の人をトラックがはねたと想像できる。もし、数分そこに来るのが早かったら、事故を起こしたのは僕だったかもしれない。さらに走ると向こうから救急車が来るのが見えた。

■東京に戻ったのは27日の朝だった。
■一週間の休み。だけど、いくつかの原稿と、舞台表現の授業のために『おはようとその他の伝言』を書き直し、上演台本を作る仕事がある。休んでもいられない。

(23:35 Apr.28 2002)




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