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謎の外国人 |
地下鉄で目撃したとの読者情報 |
東京には様々な外国人がいて、それぞれに生存権があるはずだ。いまや、アジア系外国人のことを興味本位でとりあげたり、面白いこととしてとりあげるなど、ちっとも新しくない。陳腐だ。そのことを認めつつも、読者から寄せられた情報によれば、地下鉄で、読者が発見した外国人は、一般人をおびやかすに、充分な存在であった。 |
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読者の情報をもとにして描かれた想像図。白人である。身長は、優に190センチはあった。アイパッチが印象的な謎の外国人である。 |
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アイパッチも異様だが、さらにその男はつえまでついていたという。カーボーイハットにアイパッチ、そして、つえ。そんな人が白昼堂々、地下鉄に乗っていいものだろうか。
いや、いけない。だってそうだろう。
考えてもみてほしい。
キップを買っている姿が想像できない。
やはり、アイパッチの男も、キップを買うのだろうか。カーボーイハットでも、普通の人と同様に、キップを買うのか。つえをついたアイパッチの外国人は、どんな姿で小銭を、自動販売機に投入するのだろう。
わからないよ、俺にはもう。
町でアイパッチの外国人を見つけたら、そのあとをつけてみよう。もしかしたら、きみはそこで、「つえをついた、カーボーイハットでアイパッチの外国人がキップを買う」という、珍しい光景を目撃するかもしれないのだ。 |
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宮沢、先手を打つ |
Webの更新をつづけられるのか、危ぶむ声が大きいなか、宮沢、更新できなかったときのための、おわびのページをすでに作った。u-ench.comにアクセスすると、こんなページがあなたの目の前に出現する。しかも3パターン作ったのだから手回しがいい。. |
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さらに稽古 |
その後も順調なペースで進行しているが、ある日、突然、小道具に、「豆」が必要になった。なぜ、豆かについては、舞台を見てもらうしかないが、重要なのは、そのことで村島が豆屋の息子だと発覚したことだ。
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これが豆屋の息子である村島だ。どことなく、豆のような身体。子どもの頃から豆ばかり食べていたという。豆しか食べられなかった。 |
豆のような不幸。
豆をかむような日々。
豆とともに生きる。
そんな彼も、いまでは立派な大人だ。
豆だけでも、人は成長する。
ここには、様々な教訓がある。いまわたしは、村島に、感謝したい気持ちで一杯だ。
詳しい稽古内容については、宮沢の、『稽古の日々』を読んでいただきたい。 |
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現代演劇を斬る |
なぜ
変わった名前の演劇人は
太りがちなのか
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もちろん、演劇界に変わった名前が多いのは、よく知られた事実で、そのことだけを取り出せば、なにも不思議なことはない。なかでも私が、変わってるなあ、とつくづく思うのは、次の名前だ。
J・S・シーザー
ながいあいだ私は、外国人だと思っていた。日本人だというじゃないか。どういうことになっているんだ。だが、それもいい。彼もいまは太りがちかもしれないが、それより気になっているのは、次の二人だ。
如月小春と飴屋法水
ひさしぶりにこの二人をなにかで見たとき私はがくぜんとした。太っている。かつての面影がない。変わった名前の二人が太っているのである。
私は思うのだ。
「変わった名前だけに、太るのはなにかまずいのではないか」
まだほかにも変わった名前の演劇人は数多く存在する。気おつけてほしいものである。
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写真は記事と、あまり関係がありません。 |
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見る
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Document & Art 展
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1997/10/11 - 10/19
アートミュージアム・ギンザ
様々なスタイルと質の作品に触れた。刺激的なものもいくつかある。下は大学時代の友人、塩見奈々の作品の一部。引用のしかたと、トレーシングペーパーにコピーという方法が面白い。
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SMALL WORLD
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久米宏、前回お伝えした、「へなちょこ」につづき、また新鮮な言葉を提供してくれた。
「わんさか」
たいへんによろしい。早く、「ぽんこつ」や「へっぽこ」という言葉を口にしてもらいたいものである。
大人計画の松尾スズキ、爆弾発言。苦手な役者の顔という話になったとき、彼はきっぱりと言った。
「僕は、ナイロン100℃のミヤケがだめですね」
だめなんじゃ、しょうがないなあと、私は思ったのだった。
ミヤケと言えば、元体操部だったことは有名だが、体操競技を見ていると、ミヤケ的な顔が選手に数多くいるのが奇妙だ。いま注目されている若い選手など、ほとんど、ミヤケである。
「体操部の顔」
そういうものが存在するのだろうか。それとも、体操をしていると、ああいう顔になるのだろうか。松尾の意見が聞いてみたいものだ。
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