Apr.25  「戦前にいる」

■朝から授業。昨夜は『資本論を読む』が遅くまで書けず、少し寝不足。
■二年生中心の授業は正確にいうと「舞台表現」である。ほんとは「舞台表現氈vだったと記憶するが正確な名前がなかなか覚えられない。同じ学生が履修する授業が週に二時間あり七月に発表する。去年、発表までの稽古があまりに大変だったので週に二時間にしてくれた。
■『おはようとその他の伝言』の一部を三人ずつ発表するが、残っていた4チームをやっているとたちまち一限目が終わる。二限目は各自と面談して「発表」に向け、なにがしたいか。もちろん俳優というか、舞台に立ちたい者が大半だが、それぞれ舞台に立つこととはべつに仕事を与える。去年はここで失敗した。学生たちとあまり話さないまま、スタッフと俳優をわけたので、稽古以外の舞台を作る作業が思うように進まなかった。今年はその反省をし準備をしっかりすることにした。なにより学生と対話してゆくことが一番大切だと思う。
■面談していたらもう昼過ぎ。12時40分ぐらいまでかかった。
■その後、映像コースのY君とMが研究室に来たので「発表公演」のことでさらに話をする。今回は音楽が好きな学生が多いので生演奏をしようという話になった。その相談。ただ舞台の片隅にバンドがいて劇伴をやるのも面白くない。ストリートミュージシャンという役を作ることにしようかと思った。またオリジナルな『おはようとその他の伝言』になる。

■京都に青山真治監督が来るのは5月の末だった。例の京大の学生、S君がまたメールしてくれた。ここを読んでいてくれたのがなによりうれしい。五月だったら行けそうだ。ほかにもたくさんメールをもらった。全部を紹介したいがそれもかなわない。ガルヴィのNさんは「奈良への道」というメールで、奈良へクルマで行く方法を教えてくれた。そうか、京都と奈良のあいだには高速がないのか。国道24号線を走らなければだめらしい。練馬に住むTさんは大学時代の教授のおっしゃった話を教えてくれたが、たとえばそれは、「もう、戦後じゃなくて戦前にいるんだ」という言葉。まったくだな。Tさんのメールにもあったがなんのどさくさか次々と危険な法案が国会で成立してゆく。戦前だ。戦前。
■家に戻って、PAPERSを更新しようと思ったがうまくできなかった。
■もっとWebでできるなにかがあると思えてならない。宣伝だけではないなにか。模索中。
■「コンピュータで書くということ」をまたはじめようかとも思った。

(0:15 Apr.26 2002)


Apr.24  「原稿を書く一日」

■来年の一月に「遊園地再生事業団」の公演がある。
■ずっと「女優の劇」というテーマを考えている。
■去年の夏、大学の授業が終わった時期に漁っていたのは、たとえば、そんな言葉をいまでも使うのか知らないが「少女漫画」あるいは「少女コミック」についてだが、なにから手をつけていいかわからずネットで検索などしていたし、あることがきっかけで宇多田ヒカルを聴いたがそれまであまり意識していなかった音楽やその歌詞に触発されることもあった。つい最近読んで印象に残ったのは、河野多恵子の『明くる日』という短編小説の次の一節だ。小説の中心にいる央子(なかこ)という女は過去に患った重い病気によって出産ができないからだになっている。
 所詮、子供を産むような状態から外れ続けてきた自分を顧みながら、央子は自分の下腹部の疵痕を消して、横に撫でた。妊娠さえ一度もしたことがなく、性愛の歓びだけを知り、医者の許可を見送ることにした以上、今後もそのためにのみ生き続けてゆくらしい自分の下腹部を、彼女はなにか貴重なものでも扱うような気持ちで、屡々(しばしば)やさしく撫でたものっだった。(引用者註・ルビは原文による)
 社会的な言説や、政治的な言説によって語られ、存在する女ではなく、「からだ」そのものとしての「女」がここにはある。これが書けるだろうか。劇として構成できるだろうか。その「からだ」を表現するときヒントとなるのは、たとえばかつての「ロマンチカ」の舞台であり、天野由起子さんのダンスであり、ピナ・バウシュかもしれないが、それらとも異なるべつの表現がないかと考えあぐね、考えていると、それは無理なのだ、僕にはそんなものを表現できないとあきらめてしまいそうになる。

 書かれるものの「内容」ばかりではない。どういう「表現」のスタイルが存在するかを根本から問い直す。「からだ」に根ざした劇の表現はしばしば、ねっとりとした「アングラ」のあの過剰なスタイルや、つかこうへいさんの湿潤な劇世界が思い出され、あれから逃れつつ、「からだ」、「いまのからだ」、いまここにある女たちのからだをどうとらえたらいいか、どう表現が可能なのかを考えている。だけどもう時間がない。

■一日中、『資本論を読む』の原稿を書いていた。
■タバコの量はどんどん減っている。家の外に出るとほとんど吸わなくなった。
■だけどたとえタバコをやめても喫煙者を非難するようなことをしたくない。もちろんマナーはある。僕の知っている喫煙者の多くはマナーのいい人たちだ。しかしヒステリックな喫煙非難者たちはどうなんだろう。とくにアメリカがひどい。こういう広告を出す禁煙運動家がいる。タバコの灰がべったりついた透明の灰皿をなめている女がいてそれを灰皿の裏側から撮影した写真。灰をなめる舌がこちらを向いて妙になまめかしい。そして禁煙運動のコピー。
「喫煙者とキスをするのは、灰皿をなめているようなものです」
 ふざけるなばかやろう。冷静に考えればまったく種類の異なるものだ。なにしろ灰皿と人だし。「喫煙者とキスをする」のが、「灰皿をなめているようなもの」だと想像する力はどこからやってくるのか。というか、こうしたレトリックは歴史の中で何度も繰り返し使われてきた、「排除の論理」の、例の「あの手」である。

 タバコの煙が嫌いな人もいると思うし、病気の人や子どもには遠慮する必要がある。マナーは守る。それは喫煙者の問題であってことさら騒ぎたて「禁煙禁煙」と煙をいやがる人間は、まずはクルマに乗るな。タクシーにも乗るな。バスにも乗るな。汽車もだめだ。煙が出るありとあらゆる乗り物を使ってはいけない。たき火をするな。バルサンをたくな。花火もするな。硫黄の匂いのする花火の煙が僕はすごく苦手だ。気管支が苦しくなる。

 では健康至上主義者の論はどうなのか。内田百間(ほんとは、もんがまえに月)は三歳ではじめてタバコを吸い死ぬまで吸っていた。しかも長生き。死んでもおかしくないのに生きていた。まあからだに悪いのは当然で、そんなことは知っていながらタバコを吸っている。それが喫煙者。だけどクルマに乗る喫煙非難者、または「嫌煙者」は自分の身はとりあえず安全だ。クルマという殻によって排気ガスから守られている。自転車にしか乗らないタバコ嫌いは完璧だ。だが、タバコだけじゃなくクルマの排気ガスも規制する(つまりクルマ全廃)ように呼びかけたらどうか。タバコを完全にやめたら、「喫煙者の権利を守る運動」をはじめようかとすら思っているのだ。

■夜おそくなってから外に出た。急に雨。
■三条を通って河原町に行ったが新しいマンションがいくつかできている。町は変化する。それは京都も同じだ。

(22:50 Apr.24 2002)


Apr.23  「ここではありませんではありません」

■サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアーからもう一ヶ月が過ぎた。掲示板はまだ存在し、さらに当日のことをWebにしてくれた人たちが何人もいる。それぞれのあの日。それぞれ面白い。たとえば、小説に登場する「ここではありません」と貼り紙がされた場所を探して見つからず、あるビルに入って確認する。ちがうと判断し、「ここではありませんではありません」と口にした話は声を出して笑った。近々まとめてリンク集を作ろうと思うのだ。

■朝から一年生の授業。
■以前も書いたことがあると記憶するが、一年生の授業は複雑な仕組みになっている。映像・舞台芸術学科の一年生は、「映像コース」「舞台コース」あわせて80人いる。80人をAからDまで4つのクラスにわけ、映像と舞台の基礎的な授業を全員が受けなければいけない。四月、五月は、僕の授業を、BとDのクラスが受ける。六月、七月がAとC。それぞれ、「映像コース10人」「舞台コース10人」の20人ずつ。火曜日はDクラスだ。
■で、不思議なのは、Dクラスは毎年なぜか活発である。去年は映像コースのY君、M君、Mさんなどがいて面白い発表を次々としてくれた。その三人は二年になっても舞台の発表がある僕の授業を受けている。映像コースなのになぜか四人とも俳優希望、というか、映像コースで履修している学生はみんな俳優希望。不思議である。
■そしてDクラス。謎だ。今年も面白い。
■そういえば、ようやく二年生のクラスの名簿ができた。43人履修しているとわかった。映像コースの学生もいるし、三年生もいる。なかには単位が取れないのに受けている学生もいる。去年、25人でも大変だったのにどうなるか見当がつかない。ただ去年の履修者より今年は出席率もよく、ほぼ100パーセント。わーわー楽しくやれそうだ。

■授業があったのは、東鞍馬通りに面した青窓館という建物の五階。ながめがすごくいい。京都で次に住むのはこういう場所がいいと思った。一乗寺あたりだな。というのも、学校に近く、恵文社という本屋があるからだ。ただ、いま住んでいる場所はどこに行くにも便利なのが捨てがたい。
■65番のバスで帰る。途中、百万遍で降りようと思ったのは、進々堂に寄ろうかと思ったからで、すぐ近くの京大の外壁に今年はやけに立看が目立つ。芝居の宣伝が多い。なかには教官を名指しで批判し「謝罪しろ」と書かれたものもある。そういえば、京大に『ユリイカ』の青山真治監督が来てシンポジュウムのような催しがあるらしい。いらっしゃいませんかと京大の学生からメールをもらった。打ち上げにも来てくださいという、なにをやぶからぼうにといった内容だ。うれしかったけど。東京のコンピュータのなかにメールがあって詳しい日にちがわからない。たしか東京に戻っているころではなかったか。
■少し眠かったので降りるのはやめにした。

■ユリイカで思いだしたが、雑誌「ユリイカ」のサッカー特集の原稿を書くため、出版元の青土社から資料にと「ワールドカップ公式ガイドブック」が届いた。ありがたい。読んでいたら無性にサッカーを見に行きたくなった。ワールドカップだからって騒ぐのはばかばかしい。あわててワールドカップのチケットを取るつもりはまったくないが、ただサッカーが見たい。京都パープルサンガと市原の試合とか京都でやらないだろうか。あと高原の病気が心配である。
■出版社と言えば、白水社のW君から少し前にメールがあり、サインした『月の教室』を大きな書店の「戯曲フェア」に出すとここに書いてしまったがそうではなく、「東京国際ブックフェア」用だった。と書いたはいいがもう終わっていた。しまった。
■あと筑摩書房の打越さんから子ども向けの本の話があった。「どんぶり学校」というシリーズで、名付けたのは、この学校の校長・橋本治さん。たとえば僕なら「演劇の作り方」を教える。面白そうなシリーズだ。だけど、まだ『明治の文学』の「坪内逍遙」を書いてないんだ。かと思えば、岩崎書店のHさんからもメール。しりあがり寿さんと作る予定の絵本の話がまとまってきた。来年の二月ぐらいに発売予定。締め切りはすぐだ。
■なんだか、出版社リンク集のようになってしまった。

■バスを降りると暑いほどの日ざし。京都はいまが一番いい季節だ。連休を過ぎるともう夏になる。

(22:53 Apr.23 2002)


Apr.22  「梅田で」

■天気がいいのでどこかに行こうと思った。醍醐寺にするか、兵庫県立美術館(Flash版HTML版)にするかで迷う。どちらも電車に乗る。醍醐寺は地下鉄東西線。兵庫県立美術館は阪急。
■で、とりあえず外に出たら暑いほどの気候。Tシャツだけでいいかと思った。なんだこれは。阪急に乗った。車中、小説を読んでいたがあることに気がついた。月曜日だ。美術館はたいてい休館の日である。なんだか日曜日のような気になっていたのだった。しょうがないので梅田へ。町をぶらぶらした。阪神デパートではタイガースが盛り上がっている。「がんばれタイガース」という垂れ幕。タイガースの調子がいいからというより、阪神デパートではこれがあたりまえなのかもしれない。銀座に阪急デパートはあるが、東京で阪神デパートは聞いたことがない。あるのだろうか。あてもなく駅の周辺を歩く。去年は扇町のOMSにワークショップで毎週行っていた。そっちではなく、あまり歩いたことのない道をゆく。
■ちょっと疲れたので喫茶店にでもとビルに入る。ここらあたりはオフィス街か。ビルに入るとありがちなオフィス街のショッピングモール。大阪駅前第4ビルとあった。第4ビルだけに、第1、第2、第3があるはずだ。ばかばかしいと思って探さなかったがどうも気になる。
■ふと寝屋川に行こうかと思ったがやめた。

■帰りはJRの新快速というやつで大阪駅から京都まで帰ってきた。かなり速い。
■ただ、うちから歩いてゆける四条烏丸から阪急だと梅田まで390円。阪急梅田とJR大阪駅はすぐ近く。JRの場合、大阪・京都間が540円。京都駅から地下鉄に乗って家の近くまで200円。合計740円。倍近くかかるじゃないか。京都に着いてから新福菜館のことを思いだし、河原町店ではなく京都駅近くの本店に入る。ラーメン京都系。スープが濃い。最初はこの濃さに驚いたが東京に戻ると懐かしい気分になるから不思議だ。
■夜、風呂に入りながら小説のことを考えていた。心臓に負担をかけない半身浴で30分。汗が出る。原稿も書かねばと思いつつ30分。小説のことで30分。

(23:54 Apr.22 2002)


Apr.21  「よそさん」

■先日、河原町にあるラーメン屋「新福菜館」について書いたが、店の方からメールをもらった。新福菜館サイトが新しくなったという。まさかメールをいただくとは思っていなかったのでうれしかった。メールを読んでいたらお腹がすいた。
■このところたくさんメールをもらってうれしいが、うまく返事が書けず、このページでも紹介できないでいる。「寝屋川はどんな町だ」と書いたら寝屋川のYさんが、寝屋川についていろいろ教えてくれたが、なにより寝屋川らしいのは、町に「寝屋川」の文字が多いことだそうだ、ってあたりまえじゃないか。あとアルペンスキー好きのMさんは実名を出したい。珍しい名前だからだ。出したいなあ。出していいのだろうか。しかしアルペンスキー好きな人がこのページを読んでいることに驚く。なにしろ僕はスキーとはまったく無縁だからだ。クラブキングからある政治的な事件に関して署名してくださいというメールが来たので趣旨に賛同し、署名した返事を出した。

■それはそうと、エスクァイアで「京都だけが知っている。」という特集があったことは以前も書いたが、その案内役をする入江敦彦という人は、元々『京都人だけが知っている』という本の著者だった。これもまた京都のガイドブックだ。一般的なガイドブックとは少し異なる味付けがしてある。「京都人だけが知っている」ことは「よそさん」にはわからないと繰り返し語られそれが語り手の中心にあるようだ。そうか。僕は「この町で生活するよそさん」なのだな。
■面白かったのは次の箇所。
 京都は大阪ではない。こんなことを言わねばならないのは非常にツライ。そんなのあたりまえじゃん、とあなたは笑うだろうか。
 けれど頭では「違う都市」だと判っていても本当にその区別がつくだろうか? 感覚的に混同し、情報を混合してしまっている人たちがかなりいるのではなかろうか。ネイティブならば一度や二度は心の中で「ちょっと、一緒にせんといてー!」と叫んだ経験があるはずだ。なぜ言葉にして訂正しないのかといえば、そんなの口が穢れるるからだ。
 すごいことを言っている。

 そういえば、関西では、「関東」という言葉をよく聞く。当然か。東京にいて近畿地方を「関西」というのと同じことのような気がするが、あらためてそれを音として聞くといったいその「関東」はどこのことを言っているのか疑問になる。東京と千葉はちがう。ものすごくちがうと、はっきりさせたくなる。「関西演劇シーン」とか、「関西芸人」という言葉はしばしば耳にするが、「関東芸人」という言葉はないだろう。西の方から見た「関東」という言葉と、東から見た「関西」は、似ているようでどうもちがうのではないか。関西では、静岡県の出身者まで自分の住んでいた静岡や浜松を「関東」と呼ぶ。それはぜったいにちがう。

『キッチン・カタ』のサイトの一部、ちょっと面倒なところを手直しするのに時間がないからと、アドビのGoLiveを立ち上げた。直し終えてエディタでソースを読んだらわけのわからないコードが無数に書かれていて驚いた。あるいは、この上のフレームにあるメニューバーみたいなやつ。MacのIEにしろ、Netscapeにしろきちんと意図した(現在の)位置にレイアウトされるが、なぜかWindowsでは左に寄っていた。市松生活の左のフレームにあるバックナンバーを示す数字もセンターにくるべきところが、Windowsではそうならなかった。調べたら、<table>と<td>で、<width>が同じ数値になるべきところがちがう数値だとわかった。直したらずれることがなくなったが、しばしばGoLiveはこれをやる。複雑な作業をするときなどGoLiveは楽だが、複雑にすればするほどこうした数値が乱れ、おかしなことになる。

■京都は一日中こまかい雨が降っていた。
■夕方、新風館というショッピングモールへ。ぶらぶら歩いていたらうっかり入ってしまった。雑貨屋に入らなきゃいいのに入ってついノートを二冊買う。入れば買いたくなるような仕組みになってるんだこういう店は。してやられた気分になる。
■あと中央のステージではずっとフラメンコを踊っている人たちがいた。

■やらなくちゃいけないことが山積。とりあえず部屋を片づけた。

(1:45 Apr.22 2002)


Apr.20  「得体の知れないドロッとしたもの」

■K-pac.org(京都造形芸術大学・舞台芸術センターサイト)を少し更新する仕事。六月にstudio21で公演があるインドの「ザ・カンパニー」のページ、『キッチン・カタ』を作る。
■スキャナーがないので公演のフライヤーをデジカメで撮影。細工してwebで使えるようにした。意外にできるもんだねしかし。自分で書くのもなんだが、いいアイデアだった。なんでも持ってりゃいいってものでもない。ないところでいかにアタマを使うかではなかろうか。
■ただフライヤーにある「キッチン・カタ」の文字がきれいに出ないだろうと、Illustratorのベジェ曲線でちまちまとアウトラインを起こす。カタカナの「キッチン・カタ」まで起こしたところで力尽きた。ローマ字の「Kitchen Katha」はフライヤーをデジカメで撮ったままである。アウトライン化しておくとあとあとすごく便利なのだが、だからって、このロゴをあとあと使うかはちょっと疑問だ。
■たとえば、遊園地再生事業団のマークはデザイナーの斉藤さんがアウトライン化してくれたのですごく助かっている。なにかと使える。色を変えたりサイズを変更したり自由自在だ。ベジェ曲線をもっと勉強しようと思った。もうかなり前にも書いたことがあったと思うが、『ベジェ曲線習熟ドリル』はすごくためになった。その改訂版が出ているらしい。買おうかなと考える。

■河原町にあるメディアショップで買い物。
■土曜日の河原町や三条あたりをぶらぶら歩く。きょうは部屋を片づけたりWebを作ることにあてあしたは自転車で観光しようと思っていたら天気予報によれば雨だという。雨には弱いよ自転車。この時期、京都は修学旅行の中学生が多い。朝、烏丸御池のバス停にも中学生。三条を走る中学生が今年もいた。バスで移動ならまだしも御池通りにずらっとタクシーが並んでいるので何事かと思ったら中学生の観光用タクシーだ。
■で、関係ないが、このあいだ自転車で御所の近くを走っていたら観光バスほどもある巨大な右翼の宣伝カーが走っていた。しかも色は白。それだけだったらまだしも、たいていあの方たちは軍歌を流すものだが、なぜか大音量で「般若心経」を流していた。これが京都ということなのだろうか。
■あと去年の夏に買った「爽健美茶」を飲もうとしたら、中から、得体のしれないドロッとしたものが出てきた。飲もうとすることのほうがおかしいと思うけどね。

(22:38 Apr.20 2002)


Apr.19  「はたらく週末」

■朝九時から夕方まで切れ目なく授業。
■二年生中心の授業は、40人以上学生が履修しており、ひとりひとりに何か言ってやらなければとつとめる。授業は大変だ。三人一組でなにかやらせても、三時間のあいだに一組あたり一回しか発表できない。稽古に入ればなにもしない者ももっと出てくる可能性がある。よく考えて授業を進めよう。授業を計画するのがいちばん疲れる。それが教員という仕事なのだろうな。
■本を買ったときの領収書を学校に持ってゆく。個人研究費として学校に請求するためだ。で、領収書ごとになんの本を買ったか書類に記入するのだが記憶が定かではないのだった。困った。ほかにもコンピュータのソフトやビデオなども個人研究費で買えるらしい。とはいうものの、なかなか使えない。去年も使わなくちゃなと思っているうちにまったく研究費を使わずに終わってしまった。むつかしいよ、「消費」ってやつは意外に。しかも「研究」である。悩む。
■少しずつ煙草の量が減っている。意識的に減らしているのだった。このままやめられるかもしれない。となるとこれは一大事である。煙草も吸わない。酒も飲まない。ばくちもしない。自転車に乗る。京都の町を歩く。なんて健康的なのかと思う。「演劇と健康」、「文学と健康」はまずいのではないか。
■四限が終わってから学生らと研究室で七時近くまで話しをしていた。面白かった。睡眠時間はあまり取っていない金曜日だが、やけに調子がいい。あしたは休みという気楽さだろうか。原稿を書かなければいけない。とにかく働く。

(2:02 Apr.20 2002)


Apr.18  「自転車に乗らなくてはいけない」

■自転車に乗らなくてはいけない。
■以前も書いたことだがこの国の道路はクルマに乗る者の視点でしか作られておらず、道路ばかりか、都市も、農村も、あらゆる場所がクルマを中心に考えられていると、クルマに乗るようになってはじめてわかった。輸送力を高めるためのインフラってやつの背景に公共事業における建設土木事業優先政策のゆがみを感じ、以前から「土建屋の国」としばしば口にしていたが、クルマに乗っていればいい道はいいとしかいいようがなくて、「きれいになった」と走りやすい道路にクルマを走らせ実感してしまうところに「自動車からの視点」しか存在しないことの危うさはある。
■なぜ「自転車専用道路」は川っぷちの、「サイクリングコース」ばかりなのか。「サイクリングコース」はレクレーションとかレジャーの分野だろう。「生活」から切り離されている。
■そんなことを考えていたおり、京都のKさんの「タンブリンノート」の日記で、Critical Mass (クリティカルマス)というサイトを知った。元々はサンフランシスコが発祥の市民運動らしい。そのサイトからの引用。
Critical Mass (クリティカルマス)は1992年、サンフランシスコの自転車愛好家たちが始めた市民運動です。車社会の中で行き場(職場)を失ったメッセンジャー達や自転車愛好家が多発する交通事故や自動車中心の交通社会に警鐘を鳴らし、道路を車から取り返えす為の行動を起こしました。車に依存した交通システムの現状に不満を持っている方、街中に漂う排気ガスに怒りを感じている方、環境問題に立ち上がった方など、様々な思いを持たれた方が集まり、みんなで車道を走り道路が車だけのモノではないということをアピールしています。
 これもまた各種のNGOに近いものを感じる。サンフランシスコという土地の持つニューエイジな感じもどこかする。否定はしない。ただなあ、うーん、なんというのだろうか。意見には賛同するし、よくわかるものの、「みんなで車道を走り道路が車だけのモノではないということをアピール」するのはどうなんでしょうか。

■大学では二年生中心のクラスの授業。発表へ向けた具体的な稽古は5月以降になる。4月中にやっておかなければならないのは、それぞれの役割分担だ。『おはようとその他の伝言』は男が7人出る。このクラスには男がぴったり14人。ダブルキャストでやるとぴったりおさまるときょうわかった。
■台本の一部を三人ずつ組になって稽古する。少しずつ誰がどの役にふさわしいか見えてきた。
■去年は誰もやり方を教えてくれなかったので、手探りで進めていた二年生の発表へ向けた授業だが、そういった意味では今年は少しは進歩しているのではないか。この積み重ねだな。少しはよくなってゆくだろう。

(0:23 Apr.19 2002)


Apr.17  「秘密基地」

■きのうからずっと原稿を書いていた。
■ようやく書き終えたのは午後になってから。少し眠る。目を覚まして夕食にし、テレビでサッカーを見た。食事で思いだしたが、このあいだ河原町の新福菜館というラーメン屋にいたら店にはずっと有線放送の演歌が流れていた。「噂の女」に続いて流れたのが「新宿の女」で、次になにが出てくるか楽しみになっていた。だけど次に流れたのは「女」の歌ではなくてがっかりだ。きっと演歌の世界には様々な「女」がいるのだろうな。「池袋の女」はあるのだろうか。「烏丸御池の女」はどうなのか。「百万遍の女」はなにやら意味深長である。
■「新宿の女」を歌っているのは藤圭子。言わずと知れた宇多田ヒカルの母親だが、親子は声が似るのが不思議だ。で、「新宿の女」の歌詞は「ばかだなばかだな騙されちゃって」と女の哀切が歌われるが、娘のほうはたとえば、「新しいものが大好きな私たちはすぐに飽きてしまうから」と恋愛をやけに覚めた目でみつめる。世代の異なることによって反映する恋愛観の相違のように思えるが、もっと根源的な、「からだ」に根ざすのではないかと考えれば、やはりそれぞれの音楽の持つ「リズム」が「からだ」にどう作用しているかが気になるのだった。
■そんなことをもっと追求するのも面白いと思いつつ、やらなければならない仕事に追われる。

■ある大学から入試問題に僕のエッセイを使ったとの報告。朝日に書いたある文章だ。入試問題とその設問を公開するのはまずいのではないかと思うので詳しく書けないが、「それ、そういうふうに使うか」とちょっと笑ってしまった。さらにある教科書を出版している会社から高校の教科書にやはりエッセイを掲載させてもらえないかという話。文部省の許可を得て決定とのこと。許可は得られるのだろうか。そんな冒険をしてどうするのかと思った。
■またたくさんメールをもらった。みんな紹介したいが、兵庫県のMさんからのメールは「兵庫自慢」とあって兵庫県立美術館の話をはじめいろいろ面白かった。その一部を紹介したい。
兵庫県関係の建物で、私が本当にすごいと思っているのは、実はコレです。このSpring8は世界一だそうです。ここで働いている友人がいて、世界中から研究者が来ているとききましたが、日本ではあまり知られていません。年に一回だけ一般公開があって、もうすぐなので教えてもらいました。相当「秘密基地」です。
 たしかにこれはなにかすごいことになっている。一般公開もされるのか。見ておかなければなるまい(と思ったが4月27日は東京にいるのだった。残念)。見たら「秘密基地」の全容をまたメールで報告してほしい。

■だけど神戸には行こう。関西にいるあいだにいろいろ見ておこうと思う。そもそも、よくここに書いている「寝屋川」はどんな町なんだ。

(0:37 Apr.18 2002)


Apr.16  「美術館へゆこう」

■京都のステンドグラス工房で働くKさんや、「サーチエンジン・システムクラッシュツアー」にも参加した神奈川のK君から「兵庫県立美術館」について教えてもらった。どうやら「兵庫県立近代美術館」と「兵庫県立美術館」はちがうものらしく、安藤忠雄が設計して新しくできたのは「兵庫県立美術館」のほうだ。まぎらわしい。
■で、安藤忠雄設計の新しい「兵庫県立美術館」にはちゃんとしたサイト(Flash版HTML版)があった。京都のKさんがどんなコンピュータ環境で見ているか詳しいことはわからないが、Flash版を見ようとするとフリーズするらしい。メモリの問題ではなかろうか。かなり重いのかな。でも、文字がびゅーんと動くようないかにも「Flash使ってます」といった感じではないのにとてもすぐれたデザインだ。Flash版で動く「人のようなもの」が、HTML版ではGIFアニメで実現しておりそうした手間のかけかたが好きだ。先日のこの日記で「どうなってる兵庫県」みたいなことを書いたがそれは取り消し。えらいよ、兵庫県。立派なもんだ。時間ができたら兵庫県立美術館に行こうと思っていたところ、神奈川のK君はもう足を運んだという。
■こんどは、「兵庫県立美術館ツアー」を実行しようかと思うのだ。

■で、兵庫県立美術館のサイトのソースを調べると、スタイルシートを、InternetExplorer用、Netscape用、さらにMac用と、振り分けて読み込ませるJavascriptが仕込んである。すごいな兵庫県。いや兵庫県の職員が作っているわけじゃないと思うけど。ソースを読んで勉強になった。
■以前も書いたがこのノートは、「mi」という名前の、Mac上のエディタで書いている。慣れというものはおそろしいもので手になじんできたせいか、使い勝手がどんどんよくなってゆく。漢字変換ソフトやエディタは、いわば筆記具みたいなものだ。手になじむかどうかが重要なのだな。しかも、用途によって好みも異なり、Webを作るとき、書くときは、Macにおけるmiであり、仕事の原稿はWindowsの、WZエディターじゃないと書けない。
■これは、ボールペンか、万年筆か、鉛筆かという選択、あるいは手になじむ筆記具を探すのと同じことなのではないか。

■午前中、一年生の授業。教室が変更になっていたのを知らずstudio21に行ってしまった。東鞍馬通り沿いにある青窓館という建物で授業だった。で、授業を終えて外に出るとちょうど白川通りを65番のバスが来る。せっぱつまってる原稿が二本あったのですぐ家に戻って書こうとあわてて乗ってしまった。烏丸御池に着いてから研究室のKさんから電話。スタッフワークの先生や、松田正隆さんが来て、二年生中心の授業について打ち合わせをするのだった。忘れていた。申し訳ないことをしてしまった。
■で、原稿を書く。「一冊の本」と「ガルヴィ」だ。あと「資本論を読む」もある。
■夕方、「ユリイカ」のYさんと、「一冊の本」のOさんから相次いで電話。ユリイカでサッカーを特集するとのこと。原稿を依頼された。サッカーについて書く。そういえば村上龍の『アウェーで戦うために』という本のタイトルはすごくいいな。読んでないけど。「アウェーで戦えない人間はホームでも戦えない」。まったくその通りだ。つまり他者とどう向かい合うか。サッカーについて書くにあたって読もうかと思った。

■しばしば、「このことはまた考える」とか、「これはあした書くことにしよう」と書いていながら書いていないことが多い。というのも過去のノートを読み返していないので忘れてしまうのである。いろいろあったな考えるべきことが。考えなくてはいけない。

(23:16 Apr.16 2002)


Apr.15  「また長くなってしまった」

■午後、外に出るとなまあたたかい風が吹いていた。夜になって窓を開けて仕事をする。気持ちがいい京都の4月の夜である。

■以前から何通か紹介しようと思っていたメールがあったが遅くなった。少し長くなるが紹介しようと思ったのは、昨夜、タコシェのNさん、つまりライターとしても活躍している中山亜弓さんのことだが、中山さんからメールが届き、紹介したいと思ったからだ。
■まず、ニューヨークに留学しているWさんから去年の9月11日のことを報告してもらった。
 当日、自宅前で2つ目のビルが落ちるのを見ました。

 私はBrooklynのWilliamsburgというエリアに住んでいます。ManhattanからEast riverをわたってすぐのところです。地下鉄L Trainを使っています。その日は午後3時から授業の予定だったので8時に起きて課題をしていました。早く外に出たかったくらいのよく晴れたいい日。そして普通にテレビをつけて、その時点のニュースはただWTCで追突事故か火事があったらしいという報道で、テレビを消して課題に戻りました。二度目にテレビをつけたときはもう、2つめの飛行機が突っ込んだあとでした。そのときはまだなにがなんだか分からなかったけど興奮してすぐにルームメイトを起こして一緒にテレビを見ました。外に出て写真までとりました。うちの前からWTCが見えるんです。外にでたのが9時過ぎか10時近かったのかな。よく覚えてないけど。本当に雲ひとつない秋晴れで、日が照ってて暑かった。

 その時点で一つめのビルは崩れていたけど、まだもう一つ残っていたしWTCは川向こうだし、まだ野次馬は全体的にのんきでした。でも歩いてる人々は携帯が繋がらないって言っていた。テレビもそうだけど、WTCのアンテナのせいで。それから、遠くの煙をみんなで見ていたら突然、2つ目のビルがするするっとバナナのかわでもむくようの上からゆっくり崩れて。ゆっくりに見えただけかもしれません。遠いから音もしないし変な感じですよ。いつもあるはずのものがいきなりなくなるのも妙なもので、風景がおかしいというか、何か足らない。そこには青い空しかないんです。

 家の電話もまったく繋がらなかったですが、午後からは繋がるようになりました。日本の親とニューヨークの友達全員にとりあえず電話して、あと学校の友達と授業があるのかどうか相談しあったりして。おかしいですよね、あんな状況で学校に行くことを考えるなんて。

 そしてその夜はもう不安で不安で、誰かと一緒にいたい。ルームメイトも女だし、二人ともいても立ってもいられませんでした。私はとりあえず友達の家へ、ルームメイトは元彼氏のところへ行きました。近所の友達の家で日本人の友達が集合してテレビを見ました。別に集合かけたわけではないけれど、みんな不安だったからか、勝手に集まって、ビールを飲みつつテレビを見て……。テロが怖いのはもちろんだけど、みな浮足立っているというか、地に足がついていない。友達の家に集合したあと彼氏に連絡が取れて彼の家に行きました。それからしばらくは入り浸たってました。長い夏休み(4ヵ月弱)が明けて気持ちはまだ夏の延長。で、そこにあの事件。そして学校は事件のせいで2週間閉鎖。元彼はチリの人でそのとき付き合って2ヵ月くらいだったかな。事件がきっかけで気持ちが急に冷めてしまって。だからあの事件の直後は「大事なもの・大事じゃないもの」がいきなり見えたような感じがした。彼も事件がきっかけで国に帰ってそれっきり。

 もちろんニュースはどんどんアップデートしていくけれど、心はなかなかついていきません。気持ちが曖昧だったです。それは今でも変わってないけど。インド人の友達は自分の顔がアラブ人に似ているから襲われるのを怖がっていました。とにかく、もっともっと書きたいことがあるように思うけど、うまく説明できないし、随分と長くなってしまいました。すみません。それに意外と忘れてるみたいです。この間のメールでふれたように、September 11thがあって、事件と直接関係ないとしても、いろいろなことが自分の中で変わって同じことが他の人々にも起こって関係が変ったことはやっぱり事実かなと思います。あと、止まって考えたくなくて毎日飲んで遊んでいたせいか、9月いっぱいはあんまり記憶がないんですよ。10月に入って学校にもどって、やっと9月が終った、一段落だって感じました。
 コメントを加えることはなにもない。ただ印象に残ったのは、「だからあの事件の直後は『大事なもの・大事じゃないもの』がいきなり見えたような感じがした」という部分。Wさんの言葉では「彼」との関係としてあらわれているが、ことによるとそれはまさに「あらわれ」に過ぎずもっと根本的な変化がからだのどこかに出現したのかもしれない。それをもっと見つめ、新たに発見したことをまたメールしてくれたらと思った。

■中山亜弓さんのメールは、書籍の「再販制度」や和菓子の話などいろいろ書いてくださってありがたかったが、なかでも「ニューエイジと身体とテロと……」という部分を紹介したい。
 こうした要素(引用者注・「ニューエイジ」「身体」「テロ」)の接点として私が思い浮かべるものの1つは、アーノルド・ミンデルのプロセス指向心理学です。
 ミンデルはMITで理論物理学の博士号をとったのち、臨床心理学に転向し、ユング派の流れをくむ分析を行いながら、そこにタオ思想などを融合し、独自のプロセス指向心理学を創設した人物です。(というだけでかなりニューエイジなかんじがするでしょう)ユングが、プシュケーの深みから生み出されるイメージを引き出し活性化して治癒に役立てたのに対し、ミンデルはイメージに限らず、体の痛みや病気、動き方の癖、夢など体や体をとりまく些細なことにまで観察を行いながら、そこに内臓されている可能性を引き出し治療(=ワーク:アメリカ西海岸を中心に発達したニューエイジ心理学の用語で、心理的プロセスを解放する方法や実践のこと)に用います。ワークはカウンセラー的な役割の人間と一対一のこともあれば、グループで行われることもあり、最近では大規模な集団で国際的な紛争やテロリズムなどについても取り組んでいます。関連する書籍はA・ミンデル「紛争の心理学」(講談社新書)また日本のプロセス指向心理学の第一人者藤見幸雄「痛みと身体の心理学」(新潮社)は翻訳と違ってわかりやすくワークの実例が多く紹介されています。文学だけでなく、こうしたジャンルがどう世界の紛争や事件とかかわってゆくのかも気になります。
 昨夜、NHKスペシャルでNGOの運動の拡がりについて放送していた。NGOをニューエイジのカテゴリーに入れて考えるつもりはないが(というか、「ニューエイジ」を否定的に扱うにしろ、肯定して扱うにしろ、「記号」となって流通させたらなにか大きな間違いをしてしまいそうだ)、いま世界に拡大してゆく一連の「非政府市民」による多方面にわたる運動をどうとらえたらいいか、NHKスペシャルを見てよけいわからなくなったのは、組織原則がどうなっているかもうひとつ理解できないからだ。「為替取引」に税金を課す運動をはじめ共感できることのほうが多い。むしろ、いかに「運動に参加しないか」という論理を立てることのほうが困難であるとすら感じた。「自分の現場で運動する」という論理でなにができるかを考える。小説を書くことで。舞台を作ることで。

 アーノルド・ミンデルの名前はここしばらくのあいだの僕の興味からネット上で知ったが、それほど詳しくはない。中山さんのメールを読んで「身体解放とはなにか」に書いてきたことはそのまま、いま「ニューエイジ」を考えていることにつながっていると感じ、結局、僕はずっと同じことを考えているのではないか、同じ場所をぐるぐる回っているのではないかと思った。

■あと、あれです。「ニューエイジ」に関連してgoogleをすごく使ったことはすでに書いけど、最近になって知ったのは、こういうページとか、こういうページがあったことで、なんだよって気にさせられた。ただ、ニューエイジを批評するページはほとんど見あたらず、googleも意味がなかったわけではない。
■さらに「地下鉄サリン事件」から七年にあたって村上春樹が特別寄稿した文章のあるページも中山さんから教えてもらった。これについては書くべきことがあるが長くなる。

■さらに、以前まで僕の演出助手をしていた宮森から結婚後はじめてのメールがあった。宮森はいま大阪の会社に勤めているが「阪神が好調なので、誰も近鉄のことを話題にしなくなった」という。やっぱりか。去年のあの近鉄ファンはどこからわいて出たのかと思っていたが、そういうことだったか。さらに、大阪にいる宮森と宮森のだんなさんにかかってくるワンギリは「03」だという。うーむ、これにはなにかウラがあるのだろうか。北海道や九州の人の話も聞いてみたいものだ。そしてメールにはこうあった。
 結婚の話をすると、学生時代を知っている人は皆、「よく抜け出したね」と言います。早稲田の一文に行って演劇やってたら、大抵は演劇から抜けられず、いわゆる会社員として生活できないらしいのです。どうなんでしょうか。私の中では演劇をやっていたのはつい最近のことですが、もう戻ることはないのかと思うと寂しくなることもあります。
 これだけ読むと、まるで「演劇」が悪の巣窟のようではないか。「よく抜け出したね」って、演劇は「カルト」かよ。いや、一概には否定できない部分があるな。「出家」と、「ドロップアウト」がよく似ているように演劇の世界に足を踏み入れること、あるいはある種の演劇に関わりその集団にいることは「カルト集団」に関わるのとあまりちがわないのではないか。
■つまり、「ニューエイジ」「身体」「テロ」「演劇」がぐるぐる回っている。このことは前記した村上春樹の特別寄稿にある「閉じられたサーキット」という言葉につながっておりむしろ「開かれたサーキット」などほんとうにあるのか疑わしく感じる。もっと時間をかけて考えよう。

(23:14 Apr.15 2002)


Apr.14  「和菓子を食べる」

■日曜日。天気がいい。午前中、TREKで京都を走った。鴨川は気持ちがよかった。

鴨川のTREK

 もう少し空が青かったがデジカメで映した画像は鮮明ではない。鴨川や、御所でぼんやり時間をつぶす。もっと写真をのせたいがページ全体が重くなるのでまたこんど。

 寺町二条を西にTREKを走らせ家に戻る途中、烏丸通りを渡って少し行ったところで古い町屋をそのまま残したようなたたずまいの和菓子屋さんを見つけた。私は和菓子がすごく好きだ。しかも高級和菓子というわけでもない町の和菓子屋さんがいい。よく京都名物と言われて竹筒に入った羊羹とか、まあ有名なのは八つ橋だけど、二条通りの和菓子屋さんには、かしわ餅や桜餅など素朴な菓子が並んでいる。自転車を止めいくつか買うことにした。かしわ餅の「あん」と「みそ」をそれぞれひとつ。「鬼ちヾみ」という名前の菓子をひとつ。かしわ餅の餅がおいしい。みそは、みそ田楽のようなみそだ。家に戻ったらデジカメで和菓子を撮ろうと思っていたのに気がついたら食べ終わっていた。だめである。

 気がついたらと言えば、そのあと白水社に宅急便で本を送ったがやはりだめだった。「戯曲フェア」が大きな書店であり、サインを入れるようにと、『月の教室』が50冊、箱に入って京都に届いた。箱を開けるとほぼ10冊ずつ包装されている。送り返すことを考えて包装を破らないように開け、50冊サインした。元に戻すのが大変だった。どうやっても包装紙のなかに10冊入らない。苦労してようやく箱に詰め終えた。ヤマト運輸に電話し取りに来てもらう。宅急便で送ってやれやれと思ってふと気がつくと、机の上に一冊残っていた。しまった。これ一冊送るのもなんだしなあ。

■春の交通安全週間である。町には警官。レンタカーでどこかに行こうかと思ったがやめた。インターネットで調べもの。なにかちょっとしたことを知りたければネットは有効だ。深くつっこんでものを考える手がかりはやっぱり本にある。それでもネットで検索することがずいぶん増えた。兵庫県立近代美術館(公式サイトはこちら)に行こうと思い検索。美術館なんだからもう少ししっかりした公式サイトにしたらどうか。しかも県立だし。個人が作っているサイトかと思った。おそらくパンフレットをスキャンしただけの地図が見づらい。
■京都の生活がからだになじんできた。町を歩き、自転車に乗って考える。京都でものを考える。ゆっくり考えている。

(22:30 Apr.14 2002)


Apr.13  「いま06地域があやしい」

■学生たちが作っている集団、「dots」の公演を、大学内の劇場、studio21で観た。*参照
■ダンスと映像作品を組み合わせたパフォーマンスが中心の集団だが、今回は観る環境も変えてインスタレーションの要素もある。天井から吊ったスピーカーのほかに客席にイヤフォンが設置されそこからも音楽が流れる。それをstudio21の一画に設けられた壁で仕切られた空間のなかで観る。席は壁沿いに並びぐるっと回廊状になっている。演出しているのは三年生になったばかりのK君だが、はじめてK君が演出した舞台を観たときはやりたいことが散乱し整理しきれていない感じを受けたし、パフォーマーたちも未熟で、未熟な身体のまま既成のダンスをなぞっている印象だった。全体的にシンプルになってそのぶん観る側に想像する余地を与えてくれる。パフォーマーも成長している。で、これまで踊ったのを見たことなかった三年生のYという小柄な女の子が僕には面白かった。ニブロールの矢内原さんに推薦したいとすら思った。
■空間がそういう環境だから、むろん観客数も限定。50人くらいか。いいよなあと思ったのだ。劇場を借り、これだけの機材を使ったらどれくらい予算が必要か、で観客は一回につきどれだけ入れなきゃいけないかつい考えてしまう。貧乏性だ。でも学生たちがこれだけの舞台を作っている。刺激される。
■学校から帰るのにきょうは5番のバスに乗った。京都駅行きのバス。いつも混んでいるのでめったに乗らないが、三条河原町の本屋に行きたかったので乗る。やっぱり混んでいた。また数冊、本を買う。土曜日の夕方は京都も人が多い。三条を烏丸通りに向かって歩く。気持ちのいい夕暮れ。

■このノートでスタイルシートを使っているが、Netscapeの4.xxのバージョンには全然効果がないときのうわかった。それでNetscape4.xx用にソースを書き換える。ソースが複雑に、煩雑に、要するに重くなっている。そこまで気を遣う必要があるのかよくわからないが、まあ、それで読みに来る人もいないとは限らず、ましてテキストだけを表示するブラウザの人もいるかもしれない。「テキストが読みやすいサイト」への道は困難である。
■ワンギリのことをこのあいだ書いたが、以前、ワークショップに来ていた人からメールがありやはり「06」地域からのワンギリがあったという。いま大阪でなにが起こっているのだろう。例の、出会い系サイトのサクラのバイトをしている人からメールがあり経営者とおぼしき連中がやってきたというが関西人だったらしい。しかも昼間はWebを作る会社だという。闇の世界の奥は深く、タイガースは好調。いま「06」地域が怪しい。
■でも、ワンギリもなければないでさみしいものである。

(23:37 Apr.13 2002)


Apr.12  「変な時間」

■一日中、学校にいた。朝から授業。午後も授業。夕方から会議。
■昨夜は深夜0時に眠り、7時間は眠れるだろうと思っていたら4時過ぎに目が覚めてしまった。こういうときつい「変な時間に目が覚めた」と口にしてしまうが、考えてみると「変な時間」とはいったいなにかだ。午後8時ぐらいに目が覚めて「変な時間に目が覚めた」と言うことはめったにない。いったい何時に床につくと午後8時が「変な時間」になるのか。
■もう一度眠ろうとベッドにもぐりこむが、いったん目が覚めたらだめだ。眠れない。仕方がなく仕事をする。仕方がないってことはないのだが仕事。本を読む。それから支度をして家を出た。烏丸御池のバス停から65番のバスに乗った。

■七月に予定している二年生中心の授業の発表公演は、去年使ったstudio21ではなく、歌舞伎を上演するのに作られた「春秋座」で公演することになった。パブリックシアターで公演した『おはようとその他の伝言』をやろうと思っているので、studio21をどうやって使ったら大きな空間になるか悩んでいた。春秋座の大きな舞台を使えるのはうれしい。
■ただ客席の数が多いので、おそらくぱらぱらとしか客が来ていない印象になるだろう。それがちょっとさみしい。去年は客がぎっしりという状況で上演でき出ている者らも幸福だった。
■夜は少し冷える。帰りもまた65番のバスに乗った。

(3:15 Apr.13 2002)


Apr.11  「授業」

■朝九時から二年生中心の授業。
■去年は二年生だけ受講できたが今年は三年生もいる。七月に発表のある授業だ。三年生ばかりではなく、映像コースの学生もいて、全部で38名。去年25人でも多いと思っていたが38名はただごとならず、どうやって発表にこぎつけるか悩む。ふたつのグループにわけダブルキャストということになるだろうか。
■それはそれでまた大変なことである。
■自己紹介のかわりに、よく知らない相手と二人組なり、相手を取材して紹介する。38人はやはり多い。紹介だけでも時間がかかる。実をいうとこの課題は「紹介している人」のことを見ている。相手との会話のなかで相手をどう知ろうとするか、相手になにを質問するか、どんなふうに紹介するか。それを見ている。紹介者が面白いと、紹介されたその人も面白く感じる。そもそも、質問する内容に、質問者が姿を見せるので、音楽に興味があれば相手がどんな音楽に興味があるか質問する。かつて考えられなかったことだが、最近の私は、人がどんなクルマに乗っているかが気になり、なに乗ってるんですかとつい質問したくなるのはいけない。興味がないことを人は質問しないのである。
■紹介が全員終わってからアンケートをとる。この授業で、というか発表に向けて自分はなにをしたいか。もちろん「俳優」が多かったが、「照明」もいるし「音響」もいる。「演出助手」だったらいいが、なかには「演出」という者もいた。おまえが演出するんだったら、俺はいったいなにをすればいいんだ。

■午後、研究室でWebの更新作業などする。夕方から学科会議。会議中は禁煙。禁煙と指定されると煙草を吸わなくても平気だ。たとえば映画館がそうだ。映画を見ているときなど煙草が吸えないことが苦にならない。吸っていい場所ではこれでもかと吸う。ただ最近本数を減らしている。徐々にやめる方向にむかっている。月4万円ぐらいは吸っている煙草代で、駐車場が借りられると思ったからだ。
■すべてはクルマである。
■一日中、学校にいた。この木曜日、金曜日はけっこうきつい。今年度最初の授業。まずまずのスタートである。

(23:19 Apr.11 2002)


Apr.10  「西陣を迷う」

■バスに乗って船岡山公園に行った。

 ほんとうの目的は船岡温泉だったが地図も持たずなんとなく歩いた。「船岡山公園」というバス停で降りてまず船岡山の頂上を目指す。近くに信長が祀られた建勲神社があるがそっちは登らず、というか京都の神社を全部まわっていたら百年ぐらいかかるだろう。そういう小説を書こうかな。「百年の神社」。公園を上がってゆく。頂上で休んだ。天気がよかった。エスクァイアの京都特集「京都だけが知っている。」によれば市内を見渡せるはずだが、見渡せない。見渡すとしたら京都タワーだろう。京都タワーは怖い。展望台の一部に鉄製の通路があってそれがすのこ状になっている。つまり、地上からどれほどの高さが知らないが足下にはるか果ての地上が見える。これが怖い。あとわけのわからない展示とかものすごくだめな人形とかあって怖さはさらに増す。

 山を下って、目的の船岡温泉を探した。だいたいあっちだろうと歩き出す。西陣の細い路地に入ってゆくと船岡温泉が見つかった。もう開店している時間らしく、洗面器とタオルを手にした老人が入ってゆく。そうか、温泉とはいっても銭湯だ。タオルがなければまずいじゃないか。番台で買えばいいかもしれないが、帰りにそれをどうするかだ。デジカメで撮影だけしてまた歩く。

■西陣の細い路地を歩いているうち道に迷う。どこをどう歩いているのかよくわからなくなっている。それで中上健次の小説、『天の歌』の冒頭を思いだした。
 通りから小路へ入る度に、春美は耳を澄ました。夕暮れ時の西陣の小路では、糸を紡ぐ機械の音がどの家からも流れ出て、それが一層、家並みの間に響き籠り、機械の切れ目のない単調な音の夜の隙間から歌が聞こえてくる気がするのだった。誰が歌っているのでもない、それは単なる思い過ごしにすぎない、と春美は分かっていたが、春美は幻のように耳にする歌が、もうひとりの、本当の母の歌う歌のような気がして、いつも小路に帰りつく度に、歩を緩めた。
 いくら「春美」だからといっても、うちの大学のYのことではない。この「春美」は都はるみさんのことだ。いま西陣を歩いても、「糸を紡ぐ機械の音」は小説に書かれているほど聞こえない。時折、カシャッカシャッと音がしてそれが珍しいほど西陣の織物産業は衰退している。ただ「小路」だけが続く。それを迷いながら歩いた。迷うのが心地よい町だ。そもそも目的がないのだから、迷っているというのもおかしな話だが、迷っているのだと思いながら歩く心地よさだ。気がついたら千本通りに出ていた。少し行くと「千本今出川」という交差点。近くにある「静香」という喫茶店に入って休んだ。

■そういえば、TREKがなんのことだかわからないという、最近このノートを読みはじめた人からのメールがあった。自転車である。しかしいい自転車に乗っているとむかし無印の自転車でよくもまあ二子玉川まで走ったなと感動的ですらある。走った。ものすごく走った。あきれるほど走っていたのだった。
■池山3ラン。高津の好きな言葉は「全力投球」。いい日だった。
■あしたから授業。不安である。

(22:04 Apr.10 2002)


Apr.9  「歩く京都」

■参宮橋のT君のサイトの日記にも書かれていたが、『jam 東京―ロンドン』展の音響はうるさかった。で、面白いのは、僕は二回観たが、最初より次に行ったときのほうが音が大きくなっている気がしたことだ。作家たちがほかに負けまいと音を大きくしたのではないか。最終日近くになるとどんなことになっているか、もう一度たしかめたくなった。
■京都をぶらぶら歩く。あまり変わらない町なのかと思っていたが、少し離れているあいだの変化に驚かされ、マンションの建設が進んで町屋は壊されてゆく。町屋を残せといってもそこに住んでいる人にしたら住みにくい建築なのだろうといろいろ考える。エスクァイヤの最新号は、『京都だけが知っている。』という京都特集。つい買ってしまった。しばしば言われるのが、京都は歩くにかぎるという話だが、自転車も捨てがたい。というより、自転車がいいよ、なにしろバス代が高いし。東京から
TREKが届いたのでいやがおうにも走らねばならん。
■歩きか自転車。クルマで回るのはきっとつまらないだろうな。ただ奈良に行こうと思うのだった、レンタカーを借りて。で、
TREKを積むのはどうだろう。
■関係ないけど、何人かの「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」ページを見ていて気になっていたのは、白い帽子の先がぴょんと立ったアンテナみたいな人だ。誰だろう。あと、いつもうつむいている小浜の写真。
■夜は少し冷える。

(3:04 Apr.10 2002)


Apr.8  「ダイヤモンドとプレジデント」

■今年の大学における私の授業は、週に八限ある。
■去年大学の方とお話しして、週に六限しかなく一限足りず給料が安いままだと説得されたので、すると今年から給料が上がらないとおかしい。上がっているのだろうかと不安になりつつ今週の木曜日から授業。週のうち、火、木、金が授業の日である。去年の四月は休みも袋井に通っていた。その後、扇町でのワークショップもあった。地獄の日々だ。今年はもう少し余裕が持てるだろう。余裕がなくなるのはおそらく六月の後半から。
■余裕というのは、遊ぶというのではなく、考える時間のことだ。去年はゆっくり考えることもできなかった。ただ、「考える姿」は、はたから見ると、ただぼーっとしているような姿でしかない。ただぼーっとしている人だと思われがちだ。なんだか悔しい。
■しかし、袋井、扇町、そして大学と、三つの活動はそれぞれ意味がすごくあった。あのころはやたら元気がよかったと一年前のことなのにそう思い出す。懐かしいいい思い出。先日の教員による親睦会のとき、歌舞伎の講義をなさっている先生に、「去年はぱーっと明るい感じだったのに、今年はなんだか暗くなりましたね」と言われた。そうかもしれない。去年の夏からずっとこんな感じだ。
■学生の何人かによって「dots」という集団が作られ、いま新入生歓迎の公演を週末やっている。今週ぼくは見ようと思うが親睦会の直前も公演があって、歌舞伎の講義をしている先生がべつの人から「見ますか」と誘われた。すると先生が「見なくちゃいけないの?」と答えていたのはたまらなく面白かった。僕はもちろん見るが、それと同様のケースがあって見たくなくても、「うーん、ちょーっと、きょうは……、えー、からだが、あれでー、なんかー、だもんで……、いやー」といった曖昧なことをいつも口にしている。「見なくちゃいけないの?」はすごい。こんど二年になった学生が学外の劇団に入ってノルマのチケットを売っていた。見る気はなかったが僕はチケットだけ買った。太田省吾さんはすごい。学生がやはり声を掛けたという。「こんど、こういう芝居が」言い終わらないうちに「見ない」ときっぱりおっしゃったそうだ。
■曖昧な態度はだめだ。見もしないのにチケットだけ買うのは一番始末におえない。
■見たくない人は見なくていいはずだし、たとえば僕の舞台を見に来ないからといって見ない人を悪く考えたことがない。自分だってそういうときがある。どうも見にゆく気にならないとき。それを押しつけるように見に来いよとは言いたくないからな。

三条通 京都姉小路


■京都に来たらまた一日一食ペースになってしまった。お腹がすかない。痩せたい人の町、京都。
■ダイヤモンド社という出版社のWebマガジンで「論語を読む」という連載をやるとすでに書いたが、本屋に行ったらプレジデント社から出ている『「論語」を読む』という本があるのに気がついた。「ダイヤモンド」であり、「プレジデント」である。すごいなどうも。で、岩波文庫に入っている『論語』を買う。少し読んだら面白い。『資本論』を読むのは試算によると25年かかることになっているが、『論語』は一ヶ月で読めそうだ。まいったなこれは早すぎて。ただ、「読めた」=「理解できた」ではけっしてない。「論語読みの論語知らず」とはよく言ったものだ。あるいは新たな読みかたの発見がなければ「論語」を読むことに意味がない。おやじの人生訓じゃないんだ。「論語」は革命思想であると、ある人は言った。
■それから小説における「描写」について考えようと、江戸川乱歩の『パノラマ島奇談』を買う。というのも中学生のころ読んでいてある場面の描写がすごいと驚きそれをノートに書き写した記憶があるからだ。その件については、きっとあしたあたり、「小説ノート」に書く。
■それで思いだしたが、きのうリンクした、nice web linksに飛ぼうとすると新しいウインドウが開くのではなく、フレームの中に表示されると参宮橋のT君からメールで教えてもらった。ありがたや。<target>というタグの綴りをまちがえていた。ときどきあるのがリンク先をフレーム内に出しちゃうサイトだ。腹が立つからな。「テキストの読みやすい新しいデザインのスタイル」が見つからない。やっぱり、スタイルシートの技術をもっと磨くべきか。nice web linksの、TOPページで紹介されているサイトのスタイルシートはすごい。
■こんなことばかりし、こうしてノートをまめに書いていると、人から「ヒマだねー」と言われるのは容易に想像できる。いいんだそれで。僕はもうずっとむかしから「ヒマだねー」と言われてきた。なにかに夢中になる。集中する。『パノラマ島奇談』を書き写す中学生もかなりヒマということになるだろう。生産する大人たちの目から見ればそれは「ヒマ」である。「ヒマだねー」こそが、生産主義から逃れる創造力や表現力の源泉である。だいたい「ヒマだねー」って言うやつより俺、ずっとものをたくさん作ってるし。「ヒマだねー」を口にできるのは才能のない人の特権である。

(22:13 Apr.8 2002)


Apr.7  「ベガルタの山田について」

■このノート「京都その観光と生活」が更新されなかったのは、ずっとデザインをどうしようか悩んでいたからだ。フレームを使ったデザインにももう飽きた。なにか面白いことができないかと考えあぐねているうちに更新がとどこおったので、とりあえず、これは仮のデザイン。
■そんなわけで一日中そんなことばかりしていた。
■素材を作ったり、ソースをいじったり、どこか参考になるサイトはないかと探す。nice web linksというサイトに行って探したりもした。ただ、「テキストを読ませる」というページにおいて参考になるサイトがなかなかない。テキストが読みやすくなおかつきれいなデザインはないものだろうか。
■ペタジーニ、満塁ホームラン。
■あとJリーグではベガルタ仙台が強くて面白い。ベガルタに山田という選手がいる。高校時代から期待していた選手だがその後あまり伸びず、マリノスに入団したあとどうしたのかわからなかった。ベガルタの試合をBSで見ておどろいた。そうか、がんばってたんだな。そういう選手が出てくるとうれしくなる。池山がバッターボックスに立つとそれだけでうれしいのによく似ている。

(6:17 Apr.8 2002)


Apr.6  「また京都の生活」

■朝10時前ののぞみで京都へ。いったん、京都の部屋に寄って荷物を置き、新入生のガイダンスがあるので学校にゆく。履修届けの方法などとても詳しく新入生へのレクチャーがあるが、自分が学生のとき、こんなに丁寧に教えてくれたか記憶にない。どんなふうに履修届を出したかさえ忘れてしまった。出しただろうか。
■新入生のなかに、一昨年の夏、演劇ぶっくが主催する僕のワークショップに来ていた人がいた。少し話をしたが、最近の「市松生活」など、よくわからなくて読まなくなったという。おそらく去年の九月以降のことだろう。むつかしいとかそういった話ではない。なにか事情があるらしいが詳しいことがわからぬまま僕のごく個人的な話が続いたからだ。説明が足りない。ただ説明することができないでいた。だったら精神科に通ったことなど書かなければよかったが、つい書いてしまった。
■終わってから研究室にあるMacのセッティング。
■映像・舞台芸術学科の教員の親睦会が近くの蕎麦屋である。アニメーションを教えている非常勤講師の方が「娘が『牛への道』を読んでます」というので、ずっと二十歳前後の娘さんなのだろうと想像して話していたら、いきなり小学四年生だというので驚いた。山海塾の岩下さんたちとゆっくり話ができてとてもよかった。
■京都はずっと細かい雨が降り続く。

(5:09 Apr.8 2002)