Feb.28  「うれしいメール」

■人間、興味のないものは目に入ってこない。
■毎月、新潮社のPR誌『波』が送られてくるが、よく見るときのう書いた自動車雑誌『ENGIN』は、新潮社が出している雑誌だった。送られてくるときの袋にほかの雑誌とともにちゃんと誌名が印刷されている。いままで気付きもしなかった。たまたま坂本龍一の表紙に目がいってはじめて『ENGIN』という雑誌を認識し、『波』にその文字をはじめて見つける。いいかげんに出来ている、人間の認識する力というものは。
■で、新潮社に恩義はあるというものの、自動車雑誌のあのイカした様はどうもだめだ。原稿を頼まれればそりゃあ書くよ。自動車のことがわからなくたって書く。あたりまえじゃないか。あのイカした雑誌の雰囲気で、「ガイシャの正しいホメ方」と言われれば、冗談じゃない、ガイシャがなんだという気分にさせられるが、そりゃあクルマを買うとしたら外国車さ。きまってるじゃないか。まあ、なんていうか、なにもかもでたらめである。

■そんな折、「新潮45」の編集長をしているNさんから、「待っている人」というメールが来た。
■うれしかった。Nさんから小説を書けと言われてもう14年。そうして待っているあいだに、Nさんは結婚し、離婚し、編集長になり、これ以上待っていると取締役になってしまうかもしれませんと冗談でメールに書いてあって笑った。

■たしかNさんは入社してまだ間もないころだったはずだ。新宿のシアタートップスで公演しているとき楽屋に会いに来てくれた。
■その後、ラジカルをやめ、放送の仕事もやめ、何もしない時期がしばらく僕にはあったが、Nさんが僕の小説を待っていてくれるというだけで、とりあえず生きていたのではないか。ラジカル・ガジベリビンバ・システムという看板をしょっていれば人は集まってくるが、それをやめた途端、人は遠ざかる。いろいろなことが囁かれたし、悪い噂も耳に入る。接する態度がころっと変わる。
■それでもNさんは待っていた。あきれるほどの熱意で待っていてくれた。ときどき送られてくる手紙や電話でどれだけ励まされたかわからない。
■まあ、離れていった人たちの気持ちもわからないではないが、たとえば、『ヒネミ』の初演を渋谷のシードホールでやったときのスタッフたちのいいかげんな仕事はひどかった。ある日、劇場に舞台監督のHが来なかった。あとで知ったがゴルフをしにいったという。ふつう考えられない舞台監督だ。でも、それはそれで仕方がない。そういうものだ。人とはそういうものだとよくわかったし、それはそれで許せた。ところが、『ヒネミ』で賞を取ったと知るとHの態度がとたんに変わる。それがわからなかった。そんなやつとはもう二度と仕事をしない。
■まあ、そういうやつは数え切れないほどいたわけだが。
■どんなにこちらがだめな時期でもNさんは待っていた。

■たとえ、Nさんから届くのが、ディズニーのキャラクターがプリントされた絵はがきで、もういい歳をした男がそれを受け取るとき、どう考えたらいいかわからないにしても、こんなにうれしいことはない。ミッキーを手にして茫然としつつ、それでも励まされ、応援される。
でも、14年前の、宮沢さんをはじめて楽屋にたずねたときの可憐な(?)文学少女が私のオバはんの中に住んでいて、それはとても自分でもいとおしい存在です。もしかしたら、私は宮沢さんの小説を待ちつづけているためにこの14年の経験をしているのかもしれませんよ。
 和歌山の出身で大学は奈良女子だから、いまでも、ばりばりの関西弁で話すNさんの声が聞こえてくるようだ。

■また少しずつ『28』を書く。急がなければとあせりつつ、でも、Nさんはじめ、新潮社の「3N+M体制」の方々のためにも、そしてなにより、自分で納得できる小説に仕上げようと書いてゆく。
■それから文學界にも書く。きっと書く。
■で、気がついたらもう二月も終わる。
■もしかしたら、春なのか?

(1:04 Mar.1 2002)


Feb.27 「空白、あるいはボンネットに横になる坂本龍一」

■薄々気づいている人もいると思うが、私の中ではいま、「坂本龍一が静かなブーム」である。
■いまさらなんだという向きもあるかもしれないし、音楽ではなく、『非戦』をはじめとする911以降という特別な角度からの「静かなブーム」は自分でも首を傾げざる得ないが、むろん音楽も好きだ。
■べつの言葉で書けば、「911以後」ということにもなる。去年の9月11日。
■坂本龍一さんの関係した、『非戦』『反定義』、サイードの『戦争とプロパガンダ』について、「911以後」に絡めながら書きたいがもっとゆっくり書こう。政治的にも、ごくごく個人的にも、「911以後」は無視できないことになっている。

■本屋に行った。すると坂本龍一が車のボンネットの上に横になっていた。まあ許そう。坂本である。世界の坂本だ。いやべつに実物の坂本龍一がボンネットに横になっているわけではなく、雑誌の話だが、『ENGIN』という自動車雑誌だ。取材を受けていたのでぱらぱら目を通しいるうち、ふと気がつくと、横に、『NAVI』という雑誌があり表紙に車の中で本を読んでいる中沢新一さんがいた。やはり中沢さんもインタビューを受けそれが構成された文章が載っている。
■思わず二冊とも買ってしまった。二人のインタビューが読みたかったからだ。坂本さんの話はごく生な言葉で面白かったが、中沢さんのインタビューは何を言っているのか理解不能である。いや、難解な概念とかそういったことではなく、文字通りわからない。自動車雑誌を買うのはまれなこと、というか、まずそんなことはこれまでいっさいなかった。車雑誌はイカしている。いやみなくらいイカしていて車に乗るときのファッションのページもある。ENGINの特集は、「ガイシャの正しいホメ方」。その中で、車に詳しくない私でも知っている自動車評論家・徳大寺有恒さんの文章の次の一節にはうなった。外国車をほめた文のごく一部。
 いちばんいい例はメルセデスとBMWで、これはどっちも性能の高いクルマですが、メルセデスはどっちかというと「運んでくれる」という走り、BMWは、ともかく車庫から出して、ローに入れてスタートしてから降りるまで、BMWの世界です。僕はBMWの世界が好きだから、ビーエムに乗ると「まあ、楽しいな」と思っちゃうんだけど、メルセデスの世界ももちろん悪くなくて、あのすべてを許してくれるというタッチが好き、というのもわかります。
 なにをこのおやじは言っているのだ。論理性のないこの言葉はなにか。女子高生が書いているのかと思った。
 いちばんいい例っていうか、メルセデスとBMWでー、どっちもなんていうかっていうかあ、性能っていうか、言い感じってて感じだけどお、メルセデスはどっちかというと「運んでくれる」って走り? ビーエムは、車庫から出してー、ローに入れてー、スタートしてー、っていうか降りるまでー、ビーエムの世界って感じ、っていうか、ビーエムの世界が好きだからー、ビーエムに乗ると「楽しいー」って思っちゃうっていうか、メルセデスも悪くないけどー、あのすべてを許してくれるって感じ? っていうかタッチが好きっていう感じ? っていうか、それも、わかるっていうかあ……。
 これでもじゅうぶん通用する。これが評論家なのか。で、原文には植草甚一さんの文体に通じるところがあり、ああ、ここに生きていたかサブカルチャー的なるもの。言葉の中身がよくわからないのは当然だとしても、もっと論理性のある文章が読みたかった。「わかるやつに、わかればいい」という趣味性と曖昧さで情緒的に流れてゆく文体はある時期に顕著だった。遠い過去。橋本治さんの文章に「まどろっこしい」と感じたのとは、また異なる意味で、まどろっこしい。クルマの趣味世界ではこうした情緒性がまだ生きているのか。

■べつに自慢するわけではないが、というか、自慢だが、自慢話に決まっているが、自慢なので読むといやな気持ちになると思うが、これは自慢で、自慢だけにかなりの自慢だが、坂本龍一さんで思い出したことがある。
■忘れていた話。八〇年代の半ば、坂本さんと一緒に食事をしたことがあった。さらに自慢を書けば、向こうから会いたいと言ってきたのだ。ラジカル・ガジベリビンバ・システムの『スチャダラ』のビデオを見た坂本さんが、事務所を通じて会いたいとまたべつの方を介して話があった。
■青山のスパイラルの地下にあるカイという名前のレストラン。あいだに入ってくれたのは、いま幻冬社の社長をし、当時「月刊カドカワ」の編集長だったKさん。Kさんがいて、いとうせいこう君がいて、坂本さんがいた。場所がカイ。いかにも八〇年代な話。その後、ある日、僕の家に電話があり坂本さんの代理の方から、「坂本が、なんでも手伝うと言っています」との話。その「なんでも」を僕は理解できず、なんでもと言われても、舞台監督やってもらうわけにもいかず、かといって舞台に出るにしても稽古には出られないだろう。そのままこちらから連絡するのを忘れしまった。
■あとで考えると、あれは劇中で使う音楽を作ってくれるという話だったのではないか。人生は後悔の連続である。

■以前、オッホという劇団を主宰する黒川が『スチャダラ』を見たのは高校生だったと書いたことがあったが、あとで黒川からメールがあり、当時彼女は中学生だったという。驚いた。中学生のころぼくにとって東京は遠い場所。せっせと本を読み、部活でグランドを走っていた。
■で、サーチエンジン・システムクラッシュ掲示板にも書き込んでいた根本からメールがあり、根本がラジカルをはじめて見たのは高校生のころ、それが『未知の贈り物』という舞台だとあった。ライアル・ワトソンの書名をそのまま使ったタイトルの作品。根本がそういうやつだとはじめて知った。根本のメールを読むと、こいつほんとに舞台が好きだとそれがひしひし伝わってくる。年間200本以上舞台を見たことがあるという。それも驚く。
■たまにラジカル時代の僕の舞台を見た人に会う。懐かしいものにあった気分になる。時間が過ぎ、向こうも変化したろうが、もちろんこちらも変わった。その空白を埋めるのはむつかしい。たとえば学生時代の友人に会うとその空白に困惑することがある。向こうも変わっている。こちらも変わっている。だけど、つい変化を無視して接してしまうが、そのとき会った相手は、かつてのその人ではないのだ。

■しかし、自動車雑誌だよ。ほとんど理解のできない内容。登場する連中のいかしたおやじぶりはいかがなものか。そういう世界なのだな。自動車の世界とは。

(22:48 Feb.27 2002)


Feb.26 「なによりいいもの。それは近所」ver.2・一部を書き足した

■こんどはNHKのFMラジオから電話。ある番組で僕の『青空ノート』を朗読したいとのこと。毎回、俳優さんに朗読してもらうが誰がいいかと質問され、迷わず、田口トモロヲ君か大杉蓮さんにお願いしたいと伝える。もしトモロヲ君だったら、『プロジェクトX』のナレーションのように朗読してくれと注文したが、実現したら、番組用に新しく一本エッセイを書こうと思った。「これは背に腹はかえられなかった傍若無人な男たちの物語である」と、『プロジェクトX』そのままの調子でトモロヲ君に読んでもらいたい。
■「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」の参加者は105人になった。迷わずにみんな池袋を歩くことができるだろうか。
■「ニューエイジ」をキーワードにサーチエンジンで検索し、結果的にたとえば「操体法」のページにたどり着いたと書いたが、考えてみたら、小説ですでにそうした状況を書いていたのだし、ネットで僕が感じていた、リンクをたどり、リンクからリンクへ飛び、さらにリンクをさまよっているうち、いつのまにかこんな場所にいたという経験は、そのまま現在の人のありように思えて書いた。最初、なにを探していたのか途中でわからなくなる。それが根拠の希薄な、いまのわれわれの姿によく似ている。
■池袋で105人がそんな目にあわなければいいが。
■いや、それがもしかしたら、身をもって小説を体験するという、「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」の本来の目的かもしれない。これは池袋を彷徨って結局どこにも行けなかった一〇五人の人間の試練の物語である。

■えーと、どこのMさんかわからないが、From:を見てようやく、名前の頭文字だけMさんとわかった方から「偶然について」というメールをもらった。僕が「偶然」について書いているのを読んでたまたまある大学教員のサイトを見ていたら、「偶然」が重なることが気になったとある。まず、僕が読んでいる本と、その大学教員の方が日記に書いていた読んでいる本が同じということがまず一つめ、さらに、
 その他にも「他者」「身体論」「二項対立」等のことばも出てきてその偶然にびっくりしていたところ宮沢さんが「偶然」について書かれてたのでメールしました。
 しかし、これは「偶然」ではないな。
 むしろ必然。
 それでべつのことを考えた。
 つまりこれは、僕も含めてある種の人たちの「怠慢」ということかもしれない。「他者」「身体論」「二項対立」、ほかにも「脱構築」でも、「周縁」でも「ロゴス中心主義」「エクリチュール」「ディスクール」「トポス」「ネーションステート」でもなんでもいいけれど、これはつまり「術語」と呼ばれる「現代思想」に特有のタームであり、こういった言葉をもっとべつの言葉で表現する努力を怠り便利だからつい使ってしまうということかもしれない。わたしは自戒する。でも楽なんだよ、これで全部説明した気になれて。「脱構築」って言っちゃえば簡単だもんな。あらゆる現在的な現象をこれで説明しようと思えばできなくもない。
 いや、もちろん、もっと厳密に言葉の核心に迫り、深い思考ののち、その言葉でなければ表現できなかった言葉の力とそれを紡ぎ出す苦労はきっとある。研究者たち、学者や思想家とはそういった人たちだ。僕はただの作家だ。作家がこういった言葉を使うのは怠慢だ。もっと深い認識によってものごとを豊かに表現し、もっと異なる言葉で語り出すことはきっとできるはずなのだ。

■アップルから届くお知らせで、FinalCutPro3セミナーが開催されるというのは前から知っていたが、セミナーなんかに興味はなかった。よく見ると場所が家の近所だとわかって、つまりアップルがある東京オペラシティの48階なわけだが、それで参加しようと思った。近所はいいよ。なによりいいもの。それは近所。

■「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」掲示板に、あることから、「知識人の家に生まれながら、でも笑いが好きで、しかし育った環境からお笑いの世界には行けず演劇に笑いの道を求めるという、典型的な『いまの時代の演劇青年』です」とある人について書いた。ここで肝要なのは、「笑いが好きだがお笑いの世界にゆかず演劇に笑いを求める」ということだが、これがうまく理解できない。笑いが好きな俳優に質問する。そんなに笑いが好きだったら「お笑いの世界」にゆけばいいじゃないか。その答えとしてもっとも愚劣なのは次のような返事だろう。
■「もっとべつのこともしたいから」
■ばかもやすみやすみいえ。笑いをなめるのもいいかげんにしろよ。同時に、演劇のこともなめている。そんな中途半端な考えで芝居ができると思ったら大まちがいだ。ま、そんな人に、「笑いの世界」はすすめない。「お笑い」と呼ばれる世界のむごたらしくも残酷な世界で生きてゆくことなどきっとできないだろう。常に人をけたおしながら生きてゆく。上にいるやつを引きずりおろし、下から来るやつをけり落とす。誰もが敵。人のよさなどここでは評価されない。そういう場所から僕は出発した。
■『十四歳の国』をやったとき、モロ諸岡さんに出演してもらった。温水君がモロさんと気が合い、「こんど一緒になにかやりませんか」と声をかけたときのモロさんの返事が怖かった。
■「お笑いの怖さを見せてやろうか」とモロさんは淡々とした口振りで言う。
■もともとモロさんが小劇場の小さな劇団にいたことを僕は知っているし、その舞台を見たこともある。その後「お笑い」の方面にゆき、あるグループの弟子になった。そのころ上から受けた仕打ちのひどさもかいま見たことがある。底辺みたいなところをずっと歩いてきたような印象は、お笑いの人というより、もっと暗さのにじんだ表情をモロさんに与えたのではないか。いや、もともとそういう人だったのかもしれないが、一緒に舞台をやっていてもどこか屈折を感じずにはいられなかった。『キッズリターン』で主人公の少年に利尿剤を渡すシーンが印象深い。あのときのモロさんはすごくよかった。モロさんから聞いた話では、ほかのことを考えながらせりふを言うようにと指示されたという。そうした、たけしさんの演出のうまさもきっとあるが、それだけではない。
■喜劇人の系譜にはこうした暗さをたたえた人たちの一群がある。
■それをばねにして前へ出てゆけるか、それとも、そのまま消えてゆくかはなにがわかつのだろう。喜劇人ばかりの話ではない。だが、「笑い」という外から見れば明るい世界だからなおさらそれが際だって見える。
■久しぶりにそんなことを考えた。
■ものすごい数の俳優たちと仕事をしてきた。それぞれが持っている個性、明るい部分、あるいはかげり、そうした陰影からどれだけのことを教えてもらったかわからない。

■そういえば朝、「資本論を読む」の原稿を送ったが受け取ってもらったのかどうか返事がない。メールは便利だが、仕事で困るのはこういうとき。送ったか送られてないのか。ごくまれにメールは事故もあるし。しかし以前どこかの編集者に聞いたが、締め切りなので電話すると、「いま、FAXが壊れちゃって」と言い訳するライターがいたという。そのライターは毎月ある時期になるとFAXが壊れることで有名になった。いや、私はたしかに送った。確実にメールで原稿を送ったのである。

(23:53 Feb.26 2002)


Feb.25 「天国への階段」

■朝、また熱が出た。
■考えたり、集中するのが苦痛で本が読めず、眠るか、横になってテレビを見るかの一日。こういうのも久しぶりで、子どものころぜんそくの発作で学校を休み何もすることがないしやってるテレビはつまらないので仕方なく教育テレビの子ども番組を見ているような感覚になる。

■テレビをつけると70年前後の、いわゆる「ロックミュージック」ってやつが流れる。
■CMでも、ドラマでも、なんでも。これが流行りなのか。
■きのうは「情熱大陸」の特番でサッカー日本代表を取り上げていた。流れるのがほとんど中学生のころ聞いていた音楽だ。それできょう、西田敏之さんが主演する山田洋次脚本のドラマがあり、やはり、ツェッペリンの『天国への階段』だのサンタナの『ブラックマジックウーマン』だのがかかって、熱のある頭に妙にひびくのである。
■それにしても、西田敏之という人はあまり好きな俳優ではないけれど、「うまい」としかいいようがないのではないか。「好き」と「うまい」がぴったりくることはあまりなく、しかし「うまい」をどう評価したらいいか疑問に思う。「うまいとしかいいようがない」のは、俳優ばかりではなく、映画のシナリオにしろ、舞台の戯曲にしろ、演出にしろ、そうであるものは、そうであるとしかいいようがない。だがべつに好きではない。そして、うまくなりたいとも思わない。
■同じドラマに大杉蓮さんが出ていた。大杉さんは好きな俳優の一人。大杉さんが演じるやくざのせりふ、「まあ、なんていうかなあ、命は大事だからさあ」は笑った。大笑いした。

■ニブロールの矢内原さんが、バニョレ国際振付コンクール横浜プラットフォーム(アジア地区の審査会)の、「ナショナル協議賞」を受賞したそうだ。その件についてある人からのメール。
 バニョレコンクールはベルリンやパリなど数カ所にプラットフォームがありすべての審査会が終わる約一ヶ月後に賞が決定するのですが、それとは別に横浜プラットの協議員団(推薦委員)が独自に出すのがナショナル協議員賞です。○○○○(ここ一部伏せ字・審査員たち)など、オヤジ達がようやくニブロールを認めざるを得なくなったということです。ある意味、一般観客の評価、ダンス界の外の評価など「外圧」にシブシブ、という側面もあったかもしれません。いずれにせよ、ザマーミロです。
 まったくだ。

■四条畷のYさんから、「シジョウナワテ」に関するメール。
ところで四条畷は「しじょうなわて」と読みます。四条畷は片町線という JR の沿線にありますが、この片町線には普通では読めない「けったい」な駅名がたくさんあります。多分現在の片町線の始点が京橋(これは普通にきょうばしです)からだと思うので、そこから書くと次のようなことになります。

京橋   きょうばし
鴫野   しぎの
放出   はなてん
徳庵   とくあん
鴻池新田 こうのいけしんでん
住道   すみのどう
野崎   のざき
四条畷  しじょうなわて

以下省略しますがこの先にもいくつかおかしな駅名があります。よく話題になるのが放出と住道です。

 たしかに、「放出」と「住道」はすごい。言われればたしかにそう読めなくもないが、知らなければぜったいわからない。
 地名には地元の人じゃなければ読めないものはどこの地方に行ってもよくあるが、関西ではそれがいっそう頻度がましている印象がある。気のせいだろうか。たとえば東京近郊なら、「福生」がある。「福生」を、「ふっさ」とはふつう読めないだろう。村上龍の『限りなく透明に近いブルー』の舞台になってはじめて僕もその読み方を知った。いつの話だ。だけど関西はどうなのか。京都を走っている東西線という地下鉄の駅で「御陵」という駅がある。これを「みささぎ」と読ませるのはいかがなものか。自分たちだけわかればいいというこの身勝手さをどうしたものだろう。

■夜、遅くなって少し熱が下がる。原稿を書かなくてはいけない。

(23:51 Feb.25 2002)


Feb.24 「熱が出た」

■どうも調子が悪いと思って体温を計ったら8度近くある。

■頭が痛い。からだのふしぶしが痛い。下痢をした。インフルエンザかもしれない。誰かに伝染された。
■そのぼんやりした頭でいろいろ考える。ぼんやりした頭で考えていたら、僕の舞台によく出ていた朴本のわけのわからないCMを見てしまった。変なヅラをつけた朴本。妙な芝居。頭がぐらぐらする。なにもする気が起こらない。
■メールチェックをしたら、すごく大勢の人から「四条畷」は「シジョウナワテ」と読むと教えられた。音にするとそれ聞いたことがあると思い出した。そうそう、「シジョウナワテ」はよく耳にする。そんなふうに書くとは思わなかった。それに関連する話もたとえば四条畷のYさんから教えてもらったがそれはあした。頭がぼんやりしているのだ。
■一日、ほんとんど眠っていた。
■深夜になってようやく熱がさがった。

(1:26 Feb.25 2002)


Feb.23 「ニブロールを見て、あといろいろ」

■ニブロールをパークタワーホールに観にゆく。歩いてすぐの場所。今回、小浜は出ていなかった。そのかわり、『ゴー・ゴー・ガーリー』に出た関が踊っている。なぜ、踊るんだ、関が。客席は満員。ニブロールの人気はうなぎのぼり。しかし関は踊っている。

■坂本龍一と辺見庸の対談本『反定義』が送られてきた。一日ちがいだった。こうやってまた同じ本が二冊ある事態が発生してしまう。買ってないと思って買ったり、読んだことを忘れて買ったり、資料に使いたいが本棚のどこにあるかわからずあらためて買うなどしているうちに二冊なってしまう。
■オリンピック、やってたのか。冬のオリンピックってやつはなぜ五大陸を表現した「五輪のマーク」をシンボルとして使っているのだろう。ひとつかふたつくらい色を薄くしたらどうだ。あと、今回のオリンピックは一九三〇年代のベルリンオリンピックの印象を受ける。
■「四条畷のYさん」としばしば書いているが、これは「シジョウナワ」と読むのでいいのだろうか。「畷」は、「畝」に近い言葉のような予感がしていたのだが、辞書で引くとやはり「田」に関係するのだとわかった。「あぜ道」のことらしい。「畝」と「畷」はなにがちがうか。
■あるラジオ番組から「“カッコイイ”人と歩きたい?」というテーマで「面食い問題」などを語ってほしいという話。それは無理。わからない。面白いことが話せるとはとうてい思えないのでお断りした。
■ニブロールを観ているあいだも、オリンピックの中継をテレビで見ているあいだも、去年の9月11日のことを考えざるえない。あれを意識しないでいまなにかことをなすことなどできるだろうか。あれ以後の世界のことを考えずに表現を組み立てられるだろうか。べつに政治的になるということではなく、たとえば、もっと「人」の本質を知りたいとか、もっと「人」について深く考えたいというごくあたりまえのこと。蓮實重彦の著作の書名にある、『魂の唯物論的な擁護のために』という言葉がいちばんぴったりくる気がするが、「物語化」「神話化作用」からどこまでも逃れ「唯物論的」にしかし「魂」の問題をゆっくり考える。「笑い」は徹底した唯物論的視線がなければぎりぎりのところまでゆけない。だがそれだけでは深い理解に到達しない。この数年考え続けていること。
■参宮橋に住むT君からメールで、「偶然」や「シンクロニシティ」についての参考図書、サイトなど教えてもらった。コリン・ウイルソンの名前、あるいは教えてもらったサイトで読んだ文章中に、ライアル・ワトソンの『生命潮流』などなつかしい本も紹介されていた。よく読んだなある時期まで、ニューサイエンスなどって、それ、俺も結局、ニューエイジ系かよ。
■ライアル・ワトソンが書いたもので大好きなのが「イカの目」の話だ。『未知からの贈りもの』という本にある。イカの目は人間の目に匹敵するほど情報を取り込む優秀な機能を備えている。だが、イカにはそうして取り込んだ情報を処理するだけの脳がない。つまり、ばかのくせに目だけはいいというイカの哀しみ。だとしたらダーウィンの進化論的にはおかしなことになり、そこからライアル・ワトソンのほら話がはじまる。海の底にイカたちが収集した情報を集めているもっと知能が発達した生物がいて、それがイカを操作しているという推論。ほら話の天才である。じゃあ海の底にいる知能が発達した生物はいったいなにをたくらんでいるんだ。

■なんだか春めいてきた。きのうは、2002年2月22日だったのか。ちょっと2が多すぎるよ。

(0:41 Feb.24 2002)


Feb.22 「鍋焼きうどんで風邪を治す」

■新宿の青山ブックセンターで本を買う。
■少し前に書いた、坂本龍一と辺見庸の対談が本になっていた。『一冊の本』のというか、『Tripper』のOさんが送ってくれると言っていたがすぐ読みたかったので買う。ほかに、サイードの本など。青山ブックセンターはいろいろコーナーわけされて棚があるが、「精神世界」の近くに、「欲望世界」というコーナーがあって笑った。エロ系が並んでいる。たしか「欲望世界」だったと思うが記憶が曖昧。
■ぶらぶら歩く。夜になってもやけにあたたかい。
■久しぶりに歩く新宿。「京都屋台ラーメン」という店を見つけたので夕食はこれにする。さっぱりしていてなにかちがう。京都のラーメンじゃない。京都にいるときは東京のさっぱりした醤油ラーメンが食べたいと思うが、東京で「京都屋台ラーメン」と見れば、あの独特な濃い味が食べたくなる。味覚なんて勝手なものだ。
■そういえば、健康に関してもう一冊こういう本はどうだ。
『鍋焼きうどんで風邪を治す』
 わたしはかぜをひくと、やたら厚着をして鍋焼きうどんを食べる。だーっと汗をかく。Tシャツがぐっしょりになるほど汗をかく。すぐからだをふき、新しいTシャツに着替え、さらに厚着、これで熱が下がる。ひきはじめにやるのがこつだ。いちど風邪気味かなと思って鍋焼きうどんを食べたらちっとも汗をかかなくてがっかりしたことがある。風邪気味のときに食べても汗をかかない鍋焼きうどんとはいったいなにか。「おいしい鍋焼きうどん」である。「ああ、おいしかった」で終わりだ。それはそれでいいと思うが、なぜかがっかりするから不思議である。

(2:12 Feb.23 2002)


Feb.21 「四条畷はどう読むのか」

■18日分のノートに、「Tさん」と書くべきところを二カ所、「Yさん」と書いてしまった。訂正。四条畷のYさんから指摘されたのだが、それにしても「四条畷」はどう読めばいいんだ。正確な読み方もわからぬまま書いていた。
■操体法に関して教示してくれたTさんからまたメールがあった。Tさんがべつの方から聞いた話。巻上さんは10年以上前に操体法を習い、新しい「操体法」の技法は知らないだろうとのことだ。それでもインストラクター。そう名乗ればインストラクター。インストラクターってなんだ。俺もインストラクターになろうかと思った。何の?
■サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアーの参加者は100人を突破したらしい。らしいと曖昧な書きかたをするのは正確な数がわからないからだ。もう100人越えてもいいことにしようかな。数えるのがたいへんだから。

■以前まで、朝日新聞と東京新聞の二紙を購読していた。それぞれ特色があって面白いが、朝日はなにより、書籍の広告が好きだ。朝日だから載る本がある。ある種、朝日の権威主義を感じつつも書評のページも楽しみだ。
■それで思い出した、名前はけっして書けないし、本人とわかる書き方もけっしてできないが、あるパンクなごく最近芥川賞を受賞した作家が、自分の著書の広告が「朝日」ではなく「読売」に出たといってご立腹、編集者に怒ったという話を噂に聞いた。いや、ぜったいに誰のことかは書けない。「朝日」にはそういった、「権威的なるもの」がぜったいある。権威に弱いのも人の常。
■ただ、書籍の広告に最近、変化を感じる。たとえば一面の下の小さな広告枠。小出版社の地味だけど読みたい本の広告が並び、切り取ってファイルし書店で探すのが楽しみだった。最近、そうではなくなっている印象を受ける。出版はいまかなりまずいことになっているのかと思うのはそこに如実に現れている気がするし、朝日自体もまずいのではないかといういやな予感だ。とかく右よりの方々、そうでない方々にも批判されがちな朝日だが、批判的な者も朝日から原稿を頼まれれば書く。それが朝日、というか、「権威」ってのはそのような構造になっている。だから僕は朝日の連載で、とことんんくだらないことを書く。なぜなら、もう30年近く読んでいる朝日新聞が好きだからだ。

■べつの新聞らの一面の下の広告枠には、健康法とか、わけのわからない宗教がかった本の広告がならびがちだがこのところ朝日もそうなりつつあって、「アガリスクでガンを克服」といった種類の広告が出ることにいやな予感がする。京都でも朝日を購読していた。関西版の朝日は以前からそうだったが東京でもアガリスクか。こっちでもアガリスク化しているというのは、かなり深刻じゃないかと憂いているのだ。べつに「健康法」の本が悪いとは申しませんが、いくら相対主義的にすべてをまったいらな目で見るとはいっても、やはり「厳然としたヒエラルキー」は存在させなければいけない。

■しかし、「健康法」とか、「病気克服関連」の書籍が売れるのなら、俺もひとつそれであててうやろうかと思った。
『煙草がやめられない喘息患者のための、煙草を吸い続けて喘息を克服する方法』
 ちょっと長いが、これが書名だ。わたしはぜんそく持ちだが、喫煙する喘息患者は煙草を吸うなと医者からも周囲からも言われる。当然だ。だが煙草はやめられない。やめればいいとわかっているがやめられない。やめられたら、喘息で苦しむことはなく人から注意されなくてもそんなことは本人がいちばんわかっているのだ。だが、私は煙草を吸い続けたまま、喘息の発作を克服した日本でただ一人の人間である。知らないけど。

(2:54 Feb.22 2002)


Feb.20 「フィットネスとエクササイズ」

■この二日ばかり、天気がよく、暖かく、恰好の自転車日和だとTREKで町を走った。
■からだがなまっていると実感。すぐ息が切れる。とはいえ、ものすごい坂でもTREKだったら苦労はいらない。この心地よさはいったいなんだ。『箱庭とピクニック計画』という舞台をやっていたころ自転車にばかり乗っていた。あのころを思い出した。やたら遠出をし、走り、走りすぎたと後悔し、へとへとになり、ぐったりし、疲れ切ったが、その後、病院の検査で肺機能が高まっているとわかって驚いた。
■TREKのパンフレットをよく読んだら、TREK7500FXの、「FX」が、フィットネスとエクササイズからきていると知った。俺はフィットネスしエクササイズしていたのか。いよいよ肺機能は高まる。

■サーチエンジン・システム・クラッシュの参加者はとうとう90人を越えた。それに驚いている。

(2:56 Feb.21 2002)


Feb.19 「本棚をごそごそやる」

■きのうのノートは一部削除した。
■で、ブッシュ、まだいたのか。
■しかし、「悪の枢軸」はすごい言葉だな。広辞苑で「枢軸」をひくと、「(Axis) 第二次大戦の前から戦時中にかけて、連合国に対立し、日本・ドイツ・イタリア三国およびその同盟国相互間に結ばれた友好・協同の関係。一九三六年一○月のローマ‐ベルリン枢軸の呼称に始まる」とある。そういうことだったか。
■ブッシュがまだいたからというわけでもないが、歯医者の予約をすっかり忘れていた。

■ある女性作家について、「盗作するやつには盗作させておけばいい」ときのう書いたが、「盗作された側」には異議を申し立てる権利がある。だけど以前、誰かに教えられた、「盗作妄想」ともいうべき人のサイトはすごかった。売れている音楽の大半が自分の作った曲の盗作だということになっていた。笑ったなあ。本気だからなあ。そしてそこに狂人の切なさも感じた。
■色川武大の『狂人日記』に登場する分裂症の主人公がもつ深い孤独感によく似た切なさ。
■まあ、「切なさ」と書けば、やけに高い位置からその人たちのことを見ているようで言葉として適切ではない。僕もまた狂人といってもおかしくはないからな。で、『狂人日記』を探して本棚をごそごそやっていたが、なにしろ棚に入りきらず、二重、三重にして本を詰め込んであるのでどこになにがあるかもうよくわからない。

■そうやって探っていたら、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』の単行本を見つけた。奥付を見ると、「一九七九年七月二五日 第一刷発行」。定価は六九〇円。デフレの時代だが本の値段は確実にあがっている。初版を買っていたのか。どこの本屋で買ったか記憶にない。一九七九年、僕はたしか東府中に住んでいたから、府中の啓文堂書店か、あるいは新宿に出て紀伊國屋で買ったのかもしれない。中上健次の『一九歳の地図』は初版ではなく、「四版発行 昭和53年5月15日」、つまり一九七八年だ。柳町光男の映画化作品を観たあとに原作の作家に興味を持ったのだと思う。さらに村上龍の『限りなく透明に近いブルー』の奥付を見ると、「一九七六年七月十四日第一刷発行」だ。これも初版。話題作だったしな、『限りなく透明に近いブルー』は。
■作家のデビュー作を本棚から抜き出してゆくと、阿部和重君の『アメリカの夜』は「一九九四年七月二〇日 第一刷発行」、島田雅彦『優しいサヨクのための嬉遊曲』が「一九八三年八月一五日 第一刷発行」、小林恭二『電話男』は「一九八五年五月一五日 第一刷発行」。
■俺は出るとすぐ買う人間なのだろうか。あるいは、純文学と呼ばれる現代小説は売れないということか。つまり、いつも本屋に初版がある。そういうことなのか。いや、『限りなく透明に近いブルー』はかなり売れたはずだ。
■たまに本棚を調べると面白いという話。

■そういば、新潮社のN君が「小説ノート」を読んでいると言った。進めなければな。1月7日からぴたっと止まってしまった。本棚をさぐり、何冊かの小説を机に積みあげ、それを見ているうちにやはり小説を書かなくてはと思うし、どうしても書くべき作品の準備として「小説ノート」はある。自分でも何を書いたのか忘れている部分もあったので、「小説ノート」を読み返した。内容というより、書いているときの意識だ。
■おそらく、技法や技術、書かれるスキャンダラスな内容ではなく、書く者の意識がどうなっているかだ。そして、「ルシ」と呼んでいるその人との距離。
■もっとその人から話を聞いておけばよかった。
■かなり話をしたつもりだが、いま考えてみるとその人のことを僕はどれだけ知っていただろう。

■筑摩書房の打越さんのメールにこうあった。
 鍼はとても効くけれど、効きすぎるのでいざというときにとっておいてなるべくそこまで身体を追い込まないようにしたほうがいいのだと聞きます。
 そうだったのか。かなりの刺激だからな。無理矢理ぐりぐりとからだに刺激をあたえる。鍼はそういう療法だ。やはり「操体法」を受けよう。実際に自分のからだで理解しなければと思った。これももちろん「小説ノート」の小説と関係している。

■寝屋川の隣の四条畷のYさん、コンピュータのソフト会社に勤めるMさんのメールを紹介するときのう書いたが、ついつい本棚をごそごそやってしまった。しかも歯医者の予約は忘れていたし。

(23:57 Feb.19 2002)


Feb.18 「腰痛の広場」ver.2・一部削除

■ブッシュ、来てたのか。
■ネット上から出現したというある女性作家の盗作が問題になっていると人から教えられた。例によって2チャンネルで話題沸騰。でもどうだっていいんじゃないだろうか。人がなにをしていようと関係がない。盗作するやつには盗作させておけばいい。そんなやつはすぐに消える。

■うれしいメールをもらった。
■このあいだ、いとうせいこう君が腰を悪くしている話を書いた。僕も腰がだめだ。どっちが早く直すか競争するのを、「腰の闘争」と書いたところ、『本とコンピュータ』でデザインをしているTさんという方から治療に関するメール。「腰の治療の候補として、ぜひおすすめしたいものがありまして宮沢さんにメールを書く決意をいたしました」とある。
 それは「操体法」という民間療法なのですが、お聞きになったことはありますか? 整体でもマッサージでも気功でもない、んー、どちらかといえば魔術に近いかもしれません。施術者は指一本でしか触れないのですが、 触れられている場所とはぜんぜん違うところがなぜか反応するのです。すねを触れられているのに下腹が反応したり、ひざを触れられてももに激痛が走ったり…、恥ずかしながら、目を閉じてたら「治療を受けている自分が見えた」なんて幽体離脱もどきの体験をしたこともあります。
 これは試してみなければなるまい。なにしろ「魔術に近い」のである。その施術の状況もすごい。どこにゆけばその「操体法」の施術を受けられるのだろう。じつは「操体法」のことは巻上公一さんのサイトですでに知っていた。なにしろ巻上さんは「操体法インストラクター」らしい。巻上さんと言えば僕が戯曲の賞をいただいたとき、いまはなきシティーロードに僕の受賞に関してものすごくつまらない冗談を書いていた人だ。だいたいその舞台評がやけに高みに立っているのはなぜか、やけにえらそうな書き方だと平田君らとも話していたが、つまらない冗談を書くだけあって、巻上も、ほぼ消えている。

 巻上の悪口を書き出すとものすごい長さになるので中断。それはそれとして、「操体法」である。自分でも調べてみようと思いgooで検索し、「操体 TEI-ZAN」というページに注目したのは、ここのリンクページでさらに興味深いサイトを見つけたからだ。
「腰痛の広場」
 広場である。腰痛である。もう見にゆくしかないだろう。「腰痛の広場」のなかに「腰痛用語集」(腰痛初心者のための用語集)というのがあってすばらしい。そもそも、「腰痛初心者」とはいったいなにか。僕の腰痛はかなり歴史があって、「初心」ではないと思っているが次のような言葉に接すれば「初心者」と思わずにいられない。
●あはき法(−ほう)
ん摩マッサージ指圧師、り師、ゅう師に関する法律」のこと。免許無く、マッサージを職業として行うことを禁じているが、マッサージそのものの定義がはっきりせず、類似の行為が資格の無い者によって行われているのが現状。
 さらに次の用語解説もすばらしい。
●間欠性跛行(かんけつせいはこう)
脊椎管狭窄症などにより長く歩くと足のしびれなどで歩けなくなるが、休むと歩けるようになる状態。跛行とは、「びっこ」の意味。
 えーと、これはあくまで「腰痛用語集」にあった言葉をそのまま引用させていただいているものです。

 で、「操体法」の話を知って早速、Tさんにメール、どこで治療を受けられるか質問。「癒しの風」という治療室を紹介してもらった。いきなりきたか。「癒し」である。「風」である。しかし「癒しの風」を主宰なさっている淤見江里子さんがインタビューを受けているページもTさんから教えていただき、淤見さんの言葉に興味を持った。
「治療を重ねていくうちに受け手は思わぬ自分の体の感覚、声を聞いていくのですね。不調でなければふだんは無視してしまいがちな体ですが、自分の体からこんなにもいろんな情報を送ってくることにまずびっくりするはずです」
 興味を持ち操体法を受けてみようと思いつつ、しかしこの言葉の感じ、言葉から漂うにおいは……。「ニューエイジ」ではなかろうか。Tさんには申し訳ないが、さらに正直なことを書くと、「身体解放とはなにか」というノートを書き続けているときすでに「操体法」を知り、もっと調べようと思っているうちノートは中断してしまった。当時、「からだ」のことを考えつづけ、演劇における西洋式の身体へのアプローチとその方法、「人格改造セミナー」かと思わせるワークショップの方法に違和感を抱いていたが、それらと異なる方法を探しているとき「操体法」のことも知った。だが巻上が「操体法インストラクター」である。ほぼ消えているやつだ。関係ないけど。だけどTさんのメールで興味はさらにつのる。

 ところで、このインタビューをしている平野公子さんという方は、あの平野甲賀さんの奥さんだそうだ。平野甲賀さんのデザインを私がいかに好きかを書き出すとまた長くなるのでそれはまたの機会にする。

 時間を作り「操体法」を受けてみよう。楽しみになってきた。Tさんに感謝したい。

■新宿の紀伊国屋でスティーブンソンの『南海千一夜物語』を買う。
■あと、きのう紹介した関西のYさんは、「寝屋川の隣の四条畷」に住んでいるとのこと。寝屋川の隣の四条畷のYさんのサイトはこちら。さらに16日のノートで紹介したMさんからもまたメールをもらった。二人のメールも紹介したいが、また長くなってしまった。次の機会にしよう。

(23:59 Feb.18 2002)


Feb.17 「関西の寝屋川ではないYさんからのメール」

■ぶらりと、都立現代美術館に行った。ロビーの一画がショップになって美術書など並んでいるが、岡本太郎コーナーがあって「万博グッズ」がここでも売られていた。以前、寝屋川のYさんにもらった「ミニ太陽の塔」などがある。ほかの書籍の品揃えなど見ると京都のメディアショップにいるような錯覚に陥る。メディアショップには僕の文庫本があったがここにはない。あたりまえだけど。

■よくメールをいただき、そのつどいろいろなことをアドバイスをしてくれる関西のYさん、同じ関西でも寝屋川のYさんとはべつの方、えーと、関西のどこなのだろう。とりあえず、きのうも書いた「Webにおける、いわば、バリアフリー問題」についての意見。
■Yさんのサイトには「日本語」「英語」「中国語」のページがある。URLを紹介したいがYさんとは面識がないので許可をいただいてからにしようと思うものの、これまでここでサイトを紹介する場合ほとんど許可を取っていない。勝手にリンクさせてもらってすまん。Yさんのメールの一部を引用させてもらう。
 仮にテキストだけでテーブルやフレームも使わずに構成したページを作成した場合を考えてみます。盲人もそうでない人もほぼ同じ条件である、と考えられているページデザインですが、本当にそうなのでしょうか。

 例えば同じ舞台を見ている場合でも、客席の位置によって当然見える情景が微妙に、場合によってはまったく異なっていることも考えられます。だとすると視覚に問題がないからといって一つの表現が同じ条件で提示できるかというとそれも疑問に思えてしまいます。舞台の場合、それで観客の印象が大きく違って作品の評価まで変ってしまうということがあるのかどうかは私にはわかりませんが「前の客の座高が高くてあんまりよく見えなかった」というような舞台とは無関係のところから印象、引いては評価が違ってくることは十分考えられることです。

 ウェブであればそれこそユーザの環境によってダウンロードの速度、画面の広さ、色数、ブラウザそれぞれが違っているわけで、それによって同じ条件であると思っている送り手が想像できないある種の「障害」というものが視覚的に健全である人の中でもできているように思われます。
 おそらくADSLや光ファイバなどの回線に慣れたWebデザイナーたちは、アナログ回線でサイトを見る環境の感覚を忘れてしまうだろう。僕は先月それを経験して、意外にまだいけるという感覚と、どう考えても重くてうんざりする感覚を同時に味わった。「いまはもうアナログの時代じゃないよ」という傲慢さは、Aさんの言葉を借りれば「視点に欠落」のある倫理の問題になるが、ここまで話が進むと、なぜコンピュータの処理速度は高速でないといけないかといった、コンピュータそのものに対しての疑問、よく使ってしまう言葉だが「生産主義」への疑問にたどりついてしまう。

 それで常に目のかたきにされるのは「画像」だ。まあ、訪問すると聴きたくもない音楽が勝手に流れちゃうサイトもあって、あれはあれで困惑するが、まあ主に「画像」における視覚障害者への配慮、「画像」の表示速度への配慮が問題になる。Yさんのメールからさらに引用させていただく。

 16 日の記述を読んで無意識に避けようとしていた問題に気がつきました。なぜいつも「視覚障害者」だけが対象になるのでしょうか。実際のところ視覚障害と聴覚障害を抱えている人に対してweb は一体何を提供できるというのでしょうか。(中略)。web だけですべてに対応するなどというのは無茶な話で、コンピューターの側がそこまで対応していないわけです。
 だから、いまこうしてしている議論は、そのことへの「ジレンマ」としてあるのだと思う。リーディングのページをすべて画像にしてしまい、さらに<alt>エレメントさえつけなかったのは僕の怠慢でしかないし、では「完全なる配慮をする完全なるWebデザインはほんとうに可能か」と書けば、自分の怠慢を棚に上げて保身するだけの話になってしまうものの、しかし、現段階では「完全なる配慮をする完全なるWebデザインは可能じゃない」という結論しか出てこない。そのことへのジレンマ。しかしジレンマを感じつつも表現したいという欲求はどのように解決したらいいか。
 Aさんは「情報を提供するページで情報にバリアを張るのはいかがなものか」ということが言いたかっただけなのかもしれません。指摘のあったリーディング公演のページはどちらかというと多くの人に知ってもらうための情報告知のページであり、リーディング公演であれば視覚障害者であっても鑑賞できるのに、なぜそこで視覚障害者を疎外するのかという意図があってのことかもしれません
 その通りだと思う。だからAさんのおっしゃる意見に返す言葉がなかった。

 さらにYさんは、「表現者が表現するためのページであれば表現したいことをまず考える必要がありますし、表現者であっても情報提供のページであれば、閲覧性や検索性、あるいはバリアフリーなどにも考慮を払う必要があるでしょう」と書かれている。ここがなあ、「ジレンマを感じつつも表現したいという欲求」の話になってむつかしい。傲慢と言われてもしょうがないが、「表現者」は、だいたい社会性がなく人間的にだめなんだから、そんなにいろいろ考慮できるわけがないのだった。悲しい話である。俺だけかもしれないけどね。だけど表現したい。Webを使ってなにかをしたい。

 北野武さんというか、ビートたけしさんが、「インターネットは国際的な経済格差を拡大し新たな植民地主義を生み出している」となにかで発言したように、インターネットそのものへの疑問と不信はどうしたってある。その言葉を聞いてしばらくしてから、去年の九月の米国同時多発テロが起こったとき、たけしさんて人はつくづくすごいと思った。南北の経済的な格差はさらに進行し、インターネットはゆるやかで狡猾な植民地主義を象徴するかのようだ。どれだけの人間がインターネットに接続できているのか。その有効性を享受できているのか。世界人口の何パーセントの人間がコンピュータを使えているのか。格差はさらに進行している。この国だって、新たな階級差は生み出され、拡大し、あるところにはあり、ないところにはないのが現状だ。

 階級は存在する、ぜったいに。この国でも。「法のもとに平等」なんて大嘘だ。戦後民主主義が生み出した平等という幻想は、ここにきていよいよその欺瞞性を露呈している。そのウソを笑いたい。それを批評として表現するのではなく、「笑い」として、あるいは「演劇」や「小説」として表現するのが僕の仕事だ。そのウソを批評する手つきはときとして、「差別をしてはいけない」という大原則そのものを疑い、笑いとして提起することになる。それはきっと表面的には、「視点の欠落」として人の目には映るだろう。

■話が重くなったのでべつの話題にします。
■都立現代美術館のそばには大きな公園があり、広場も大きい。TREKで走りたかった。雨だったしな。そもそも自転車であの場所にゆくのはたいへんである。

■映画『アンダーグラウンド』のサントラをずっと聴いていたことや、映画のことも書きたかったが、きょうもまた、やたら長くなった。すまん。

(2:13 Feb.18 2002)


Feb.16 「議論の場は作りたいものの」

■二日ほど前に書いた京都のAさんに指摘された、ネットを閲覧しくれる方々への「配慮」、なかでも「視覚障害者への配慮」についてはその後も考えている。

■すると、やはり、「日本語を理解できない人々への配慮」についても考えざるえず、もちろんこの国の「文盲率」はきわめて少ないにしても存在しているのはたしかなのだし、あるいは「英語ページ」を併設する日本のサイトがあるのはしばしば目にするが、他の言語がほとんどないことにはまた別の問題を感じる。
■ここではなぜ「英語」なのかを問題にしたい。
■Aさんは、視覚障害者に配慮をする「視点に欠落」のない方だから、イスラム圏の人々、あるいはアジアの人々、アフリカのものすごい数の民族の人々への配慮もきっとしているのだろう。僕にはそこまで手が回らない。Aさんには頭が下がる。Aさんのサイトは世界中の言語を網羅しているにちがいない。
■それはそれとして。
■繰り返すがなぜ「英語」なのか。インターネットは「英語」主導で開発が進行し、どうしたってインターネットの「グローバリズム」、アメリカが進める「グローバリズム」が気になる。もっと端的に書けば、「文化の帝国主義」だ。インターネットにおいて、たとえばHTMLの基本を決定する機関としての「W3C」は、IBMやSUNをはじめとするアメリカの大手コンピュータ関連企業が主導しており、それに従って「正しい文法によるHTMLを書かなくてはいけない」という話はどうもうさんくさく、背後に、経済的な「グローバリズム」、文化における「帝国主義」のにおいを感じる。要するに、「W3C」の言うことなんか聞いてられるかよというアナーキーな気分にさせられるのだ。「W3C」が制度を作る。その「制度化」によってインターネットの世界に構築される秩序はいったい誰のためにあるか。誰が得をするか。
■もちろん、<alt>というエレメントがあって、そこに画像の説明をするというのはいまでは中学生でも知っている。その意義を根本的に問い直してゆくならWWWなんてものを構築する必要はない。ブラウザの開発も意味はない。テキストベースでインターネットを享受する、たとえば、Lynxさえあればいい。折衷と妥協の結果として考えられた、<alt>というエレメントは、つまり「おためごかし」というやつではないのか。「善意」を<alt>というエレメントによって示す。「私たちはあらゆる差別に反対する」と声高に語る「善意」の欺瞞性。それがうさんくさい。IBMの考えそうなことだ。あるいは、「エコロジーな車」を作るくらいなら、すべての自動車産業は即刻廃業し、地球の環境を守ればいいみたいな話だ。まあ、そこまで極端なことは言わないし、電気自動車の未来にはちょっと期待しているんだけどね、ほんとは。

■Aさんの話を書いたあと、WebプログラマーをなさっているMさんからこの件に関してメールをもらった。Webの技術的側面からの的確なアドバイスでとてもありがたく、全文、紹介したいものの、ものすごく長いし、しかもかなり専門的だ。だけどほんとうに役に立つ話ばかりだった。感謝している。
■Mさんはプログラマーとして、ローカルなコンピュータに組み込むアプリケーションや、Webアプリケーションの開発に関わっているとあって、後者のWebアプリケーションに関して、「インターネットを経由し、例えばユーザの入力などによってサーバ上に置かれたプログラムを動作させるタイプのもの。EC サイトなどでよく使用されており、通常の Web ページが.htm や .html という拡張子を持つのに対し、.asp、.php、.cfm 等という、記述言語の種類に応じた拡張子で区別される、一種のプログラムファイルです。この後者のアプリケーションは、基本的に、html ソースを『動的(dynamic)』に生成するもので、サーバ上に配置してある上記拡張子のファイルは、あくまでプログラムファイルでしかありません」とあり、このあたりまでだったらわかるが、正直、この先になると理解できない話へと進行する。だが、おっしゃりたいことは大変わかり、たとえば、見る側の環境に合わせてJavaScriptを組むことの意義などもよくわかる。そしてMさんは書く。
 ここで気を付けたいのは、かっこいい Web を作るには、「Web で何をするか」を明確にする必要があるということです。Web というのは確かに色々なことができますが、何をしたいのか分からないで作っている Web は、単なる html ソースコードの羅列にすぎません。
 何をユーザに届けるのか。そのコンテンツに最適な届け方はどんな形か。それに応じて表現方法やテクノロジーを取捨選択し、無駄のないサイトを作成する、という、そのミニマリズムこそが、一番、「かっこいい Web」に必要なものなのではないかという気がしています。
 まったくだと思う。とくに、「ミニマリズム」の指摘は鋭いし、僕がしたいことのすべてを語られてしまった気さえする。Webに限らず、多くの表現に通じる話として。
 障害者に対する配慮、という視点は、社会的に見て、結構ハッとさせられるトリガーとなりやすいものなので、指摘を受ける側を動揺させやすいものだとは思います。でも、例えば、画像を避け、ブラウザ判定のソースを伴う「見た目固定」方法を選択すれば、ソースコードの量が増え、ネットワークトラフィックに負担をかけるというマイナス面だって存在するのです。
 どちらを選択するのか、それは目的に対するアプローチの方法論の違いに過ぎません。どちらが正解かは、作る側が決定してゆくしかないことなのだと思います。
 議論が必要だ。もっと異なる考え方、Mさんの言葉で表現すれば、「目的に対するアプローチの方法論の違い」をぶつけあう必要がある。だけどねえ、ネット上の、掲示板、あるいはメーリングリストは議論が議論にならず、ひどく荒れるからね。以前、僕が読んでいた「Webデザイン」のメーリングリストは廃止直前、ものすごい荒れかただった。ああいったものを運営するのは正直しんどい。Webデザインの掲示板を作りたいがそれを思うと気が重くなる。そもそも僕が感情的になりやすいからな。
■それにしても、Mさんのメールはうれしかった。

■あと、新潮社のN君の話で面白かったべつのことを思い出したが、こんど『男の更年期』という翻訳本を出すという。女性の更年期はよく話題になるが、男にも更年期があるという話。きのう書いた、いとう君の腰もそうなのかもしれず、男だってある年齢にたっすると様々な変調を身体にきたす。
■僕の精神的な不調はその典型ではないかと思った。
■去年の夏の「身体的疲労」が、そのまま「精神の変調」として現れ、想像もしていなかったような精神状態になったのだ。まさか軽度とはいえ、「パニック障害」に僕みたいな人間がなるとは思わなかった。いままで経験したことのない「不安」は、経験したことがないだけに、なおさらその「不安感」が強かった。「男の更年期」である。N君といとう君は同い年。本厄だという。あれは単なる民間信仰ではない。経験から生み出された人の知恵だ。気を付けてもらいたい。
■さらにN君によれば、「バイアグラ」は日本ではストレートに性的な意味での精力増強剤的な受け止められ方をしたが、アメリカではちがったという。この「男の更年期」への対処のような、からだ全体のバランスを整える薬として流通したのだそうだ。
■以前、ある女性がなぜか「バイアグラ」を持っていて僕の前に差し出しだしたことがあった。あのとき飲んでおけばよかった。

(23:19 Feb.16 2002)


Feb.15 「腰の闘争」

■新宿の韓国家庭料理の店で新潮社のN君と会った。食事をしながら仕事の話など。エッセイ集の文庫化、あたらしく創刊される学芸誌について。N君は淡々とした口振りでいろいろなことを解説してくれる。学芸誌を作るN君のこころざしなどとても気持ちのいい話だった。あるいは僕の仕事に対する的確なアドバイス。
■僕も腰が弱いが、いとうせいこう君も腰が悪いとN君の情報。で、その学芸誌にいとう君が腰を治すまでを書くかもしれないという。笑ったが、それはある種の「身体論」になる。だったら僕も対抗して腰を治そう。どっちが先に腰が治るか競うという連載はどうかという話しになってまた笑った。そうなればあらゆることを試す。鍼治療はもちろんだが、マッサージだの、カイロだの、腰に効く温泉だの、魔術師だの、ありとあらゆる情報を集めて、いとう君に勝たなければなるまい。腰の闘争である。
■韓国家庭料理は美味しいがすごい辛さだ。
■ずいぶん長い時間、話しをした。こんなに人と話すのは久しぶりだ。人とは会わなくちゃいけない。会って話すこと。そのとき言葉は、メールとはまたちがうもっとべつの言葉になって伝達される。

■マガジンハウスのNさんからメール。
■世の中には「Nの人」が多いなしかし。マガジンハウスのNさんは、以前書いたアンアンの編集長だったNさんだ。10数年前、ラジカル・ガジベリビンバ・システムの『スチャダラ』という舞台をやった直後に「会いたい」と連絡してきた二人の編集者のひとりで、もう一人が、いま幻冬舎の社長をしているKさんだ。舞台が終わり打ち上げで朝まで外にいてようやく眠ったころKさんの電話があったのを思い出す。「すぐ会いたい」とKさんは言った。やぶからぼうになにを言い出すんだこの人はと思った。Kさんのおかげでエッセイを書き出した。
■Nさんは当時、『鳩よ!』の編集部にいた。取材を受けた。僕がメディアで取り上げられたはじめてのことだったと思う。『鳩よ!』の休刊の噂はほんとうだという。「昔、宮沢さんとやっていた、あの、悪い意味ではなく能天気な『鳩よ!』が懐かしいですね。時代もバブル前でのんびりしてましたね」とメールにある。
 ほんとに日本はどうなってしまうのでしょうか。雑誌も売れない時代だから、書籍はもっと大変ですね。私も本は好きです。自分では雑誌しか作る気はありませんが。インターネットって、活字の世界をおびやかしそうですか? 私が見てるサイトは、雑誌に比べたら不満だらけですが。宮沢さんの原稿で、保坂さんが宮沢さんについて語ったことをインターネットで見たとありましたが、どうやって知ったのですか? パソコンって、密室っぽくてちょっと嫌な感じありますよね。
 少し説明。u-ench.comにはアクセス解析用のページがある。いろいろなアクセスデータがわかるが、なかにどこからリンクして飛んできたかというデータもあり、まったく知らないページからやってきた人がいるのを見つける場合がある。それをたどったのだと思う。そこは掲示板で、僕の日記のURLと、保坂さんの発言があった。

 Nさんが言うネットへの印象、「密室っぽくてちょっと嫌な感じありますよね」はよくわかる。おそらく「密室っぽさ」が好きな人もいるのだろう。ネットにそれを求める人。そういった場所でこそ、生き生きとする人たち。暗い場所に自分の居場所を見つける者ら。それを僕は否定しない。誰だって同じように「暗さ」は持っている。僕もそうだ。明るさを欲しながら、暗さに包まれ、暗さを引き寄せてしまう人もいる。「小説ノート」の「ルシ」があることで、「このまま暗さに包まれてしまう」と口にしたのがとても印象に残っている。それはまたあらためて「小説ノート」に書く。

■「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」の掲示板は原則的に実名でしか参加できない。なんて脳天気なんだろう。ハンドルにする意味がないからな。怪しいことをしようというわけではないし。怪しい集まりでもない。実名でなにか支障があるだろうか。それで80人以上が池袋を歩く。
■実名の80数人が池袋を白昼堂々だ。
■たいへんなことになってきた。

(2:12 Feb.16 2002)


Feb.14 「牛が踏む」

■京都で福祉関係の仕事をなさっているAさんという方からメールをいただいた。
■Aさんの指摘はするどく手厳しい。たとえば、大学の舞台芸術研究センターのサイトに「リーディング公演」のページを作ったが、あれがすべて画像であることが疑問だという。つまり視覚障害者への配慮が足りないということだ。これはまったくその通りで返す言葉がない。
■ネットやメーリングリストでもしばしば議論になるが、もっと追求すべき話題だ。Aさんのおっしゃることはよくわかる。けれど、ソースの記述方法だけで問題は解決するだろうか。より根本的な方法があるはずで、作り手はより意識的になるべきであり、より負担のかかる作業を強いられるが、そのことと、「表現する意志」のバランスをどう調整したらよいか。
■画像は使わないにこしたことはないのだろうか。
■写真や絵画をはじめとする視覚芸術のページなどもってのほかなのか。
■デザインという表現分野は視覚障害者にとって意味のないものなのか。
■わからない。わからないから考える。単純な結論を出すのではなく、スーザン・ソンタグが言うように、「常套的な言辞や単純化と闘う」ことしか僕にはできない。
■さらにAさんはこのノートを読んで、、僕について「欠落した視点」という指摘をしてくださった。「欠落」は自覚しているつもりだ。僕には様々な「欠落」がある。「作家」だから「欠落」しているのではない。「欠落」があるから「作家」にしかなれなかった人間である。

■岩崎書店のHさんと会って絵本に関する打ち合わせ。
■『自転車牛』もよかったが、突然、『牛が踏む』というタイトルを思いついた。牛がいろいろな状況、様々な場面に出現し、よくわからないがそこにあるモノを踏み、そしてどこへともなく去ってゆく。という話。絵はしりあがり寿さん。どんな絵本になるか楽しみだが、ほんとにわけのわからない話だ。「欠落」しているのである。
■東京に戻ったとたん、今週は毎日が打ち合わせ。あしたは新潮社のN君と会う。
■さらに、三月はすでに26日から大学の仕事があるときょうわかり、東京にいる時間が短い。そのあいだにやっておくべきことはまだいくつもある。もっと人に会わなければいけない。話をしなければいけない。見るべきものを見にゆかなければいけない。

■関係ないけど、寝屋川のYさんのサイトのちょっとしたデザインのアイデアは面白い。日記にあった「万博Tシャツ」が僕もほしい。あと立命館のH君の劇団、名前の記憶が曖昧で、たしか、京都の「劇団ぽんぽん大将」だったと思うが、その劇団がいまガーディアン・ガーデン演劇フェスの一環として天王洲のスフィアメックスで公演をしているはず。15日から17日まで。時間があったらぜひ、「劇団ぽんぽん大将」の東京公演、『人間の絆、愛の真実、シャーリー・マクレーンと愛犬タロウとあとスナネズミとかハムスターとかいろいろ大航海時代における鈴木宗男』を観に行ってほしいと思う。

(23:41 Feb.14 2002)


Feb.13 「プロはきびしい」

■ガルヴィのNさんと連載の打ち合わせ。TREKから届いたカタログをいただく。すごくきれいなカタログだ。見ているだけで幸福な気分になった。あと、あしたバレンタインデーだと虎屋の羊羹をもらった。なぜ、羊羹?

■いくつかのメーリングリスト、メールマガジンを読んでいることは以前も書いたが、デジタルクリエーターのメーリングリストで、「Webデザイナーのプロ」について定義づけしている人の発言に驚かされた。
Webコンテンツを作っているなら、PCとMacの環境を保有しておくのは最低ラインでしょう(できればVirtual PCではない環境を)。PCをメインに利用されている人なら、WindowsのバージョンとInternet Explorerのバージョンを複数組み合わせた環境を構築しているケースも珍しくありません。携帯向けコンテンツデベロッパなら、個人でも10台近い携帯を契約して保有しているのさえ当たり前なんですから、こんなの甘いです。
 ほんとうかよ。となると、Macでも、各ヴァージョンのネットスケープ、エクスプローラ、あるいはiCab、さらにLinuxでも確認できる環境、Palmなどのモバイルで確認できる環境など、「Webデザイナーのプロ」はただごとではない。なにしろ「携帯向けコンテンツデベロッパなら、個人でも10台近い携帯を契約して保有しているのさえ当たり前」だそうだ。仕事のギャランティと環境整備にかかる経費との経済的均衡は保たれるのだろうか。

 まあ、うちではなんとかMacとWindowsで確認しているが、Macでも、Windowsでも、「OSのバージョンとInternet Explorerのバージョンを複数組み合わせた環境を構築」するのは大ごとである。それがプロなのか。プロの道は厳しい。会社だったらなんとかなるのだろうな。個人でやるとなると家中コンピュータだらけにしなくちゃならない。しかし、「個人でも10台近い携帯を契約して保有」はいやだよ。

■それはそれとして、以下長くなるので、もうここでいい人は読まないほうが身のためです。
■経済の話になります。
■よくメールをいただく松本のFさんから、「ニセモノ」に関しての話を送ってもらった。Fサンのメールの引用中、「applele」というのは「apple」の表記のまちがいではなくそういう名前のサイト。
 先日の宮沢さんの日記に書かれていた貨幣や偽札の話と通じるようなappleleのニュースがワイアードからきていたので、たぶん宮沢さんも見られたのではないかと思いつつもついお伝えしたくなってまたメールを書きました。wiredに書かれていた記事を読んで、それからappleleのサイトをみたら偽者が凄いことになっているのは貨幣よりもコンピューターのほうなのではないだろうか?とも思いました。
 いや、これはまったく異なる種類の話。「貨幣や偽札の話と通じるような」話ではないと思う。WIREDの記事は読んだけれど、たしかに「ニセモノ」ということで「ニセ札」も共通しているものの、「貨幣」はもっと複雑である。なにしろ「貨幣」には根拠がないからだ。

 MacはMacとして存在している。ニセモノはその「存在」をコピーし新たなデザインを創造した。では「貨幣」はどうか。そもそも「貨幣」は、「紙切れ」であり「金属片」でしかない。誰がそれによく似たものを作ろうと、「紙切れ」でしかなく「金属片」でしかないものだ。ところがそれを、「貨幣」と「ニセの貨幣」として流通させるところに「貨幣」の謎がある。簡単にいうと、「一万円札」という紙切れは、それを「一万円」という貨幣価値として信じている人がいてはじめて「一万円札」として存在し、さらにその人がなぜその「紙切れ」を「一万円札」と信じているかといえば、またべつの誰かがその「紙切れ」を「一万円札」だと信じてくれるはずだという思いこみの連鎖があるからだ。

 しかしそれは、造幣局というか日本銀行が「紙切れ」を「一万円札」として印刷したものに過ぎず、その時点では「ニセ札を作った人のニセ一万円札」とまったく同じ価値だ。日本銀行が発行した「紙切れ」だけが「一万円札」というお墨付きをもらったに過ぎないので、誰もそれを信じず、「ただの紙切れじゃないか」と言い出したらどうなるか。もう貨幣ではない。そうした事態は起こらないとも限らない。それが「ハイパーインフレーション」の極限の状態だ。

 つまり「Mac」が具体的存在なのに対して、「貨幣」はひどく抽象的存在だというところに、「Macのコピー話」と「ニセ札話」には異なる質があり、それはものすごく大きな差異になる。詳しくは岩井克人さんの『貨幣論』を読むように。

 結局、「貨幣論」が面白いのはこの「貨幣」の存在様式の無根拠性がまさに人のあり方そのものを表現しているように感じるからだ。「人がそれをそうだと信じている限りにおいて、そういうものとして存在が許される」ということの謎。天皇を信じる者だけが天皇のウソを見抜くことができるように、ただの「紙切れ」や「金属片」を「貨幣」だと信じる者だけが、「ニセ札のウソ」を見抜くことができる。

■また書いてしまった。ちょっと長い。仕事をしなければならないのだ。

(23:25 Feb.13 2002)


Feb.12 「映画のことなど」

■『資本論を読む』が新しい雑誌で継続的に連載される。
■ありがたい話だ。
■締め切りは今週中。話を聞くと原稿の枚数はこれまでよりずっと多くしかも原稿料はこれまでより安くなるという。私は「人あたり」だけはいい人間なので、「いいですよ」と明るく答えてしまったが、これまであの連載を書くのにどれだけ大変だったか、本来やるべき小説を書く作業ができなくなってしまうのではないか、しかも原稿料は安くなると自問する。しかし引き受けてしまった。断るのも申し訳ない。こういう場合どうすればいいか。
■書かなきゃいいんじゃないのか。いくら催促があっても書かない。書かなければどうしようもないだろう。だけどこんな機会でもなければ『資本論』を読めないというジレンマ。
■編集者とわかれたあと、道々そんなひどいことを考えつつ、私は歯医者へと向かったのだった。

■先月は修行中だったので新しいPowerMac G4にまったく触っていなかった。
■ふとMacOSXをいじってみた。Windowsと苦もなくデータのやりとりができるとわかって驚いた。さすがベースがUNIXである。PoweMac G4で使ってもMacOSXは全体的にちょっと重い。しかし、まだよくわからないことばかりだ。

■スーザン・ソンタグの『この時代に想うテロへの眼差し』を読む。
■大江健三郎との往復書簡では、旧ユーゴスラヴィアのコソボ紛争などに話がおよび、そうした世界の動向に対する文学者の姿勢について語られる。紛争もいったんおさまり、それ以上に強い衝撃で米国同時多発テロが発生してから世界の眼が旧ユーゴスラヴィアからさらに遠のいている印象を受けるが、たとえば、エミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』(あるいはこちらの文章も参照を)が語っていたようにわたしが理解できること以上に事態の深刻さは静かに漂っている。『アンダーグラウンド』のラスト近くで語られるせりふ、「かつてここにひとつの国があった」という言葉の背後にある民族や政治の複雑さを、複雑なものとして受け止め考え続けることが求められるが、それは遠い外国の話ばかりではない。私の身のまわりに同じように課題はいくつも存在する。
■それにしても、ラストのせりふには泣かされたよ。「……子供たちにつたえよう。かつてここにひとつの国があったことを」って。ずるいほどだ。
■あの映画をもう一度見たいと思うのは、細部にまだ謎が隠されているような気がするからだ。
■たとえば、まだ戦争は終わっていないと信じて地下で働くパルチザンたちに地上から指示を出すユーゴ共産党の幹部が俗流マルクス主義を象徴しているとすれば、あの共産党幹部のメークが、「グルーチョ・マルクス」を模しているのはエミール・クストリッツァ監督一流の冗談に思え(なにしろ役名がマコスだし)、ほかにもそれと同様の隠された冗談があるにちがいない。

■『一冊の本』のOさんから原稿催促のメール。もう締め切りかよ。一ヶ月が過ぎるのはものすごく早い。あと、『鳩よ!』も休刊だとの話。日本経済もここまで来たか。ソフトバンクの株価は最高時、五万二千円ぐらだったがいま二千円だという。すごいねITバブル。そんなこととは関係なく、私はただ本を読み、そして「例の計画」を進行中。やりたいことだけをして生きてゆく。

(23:03 Feb.12 2002)


Feb.11 「梅を見にゆく」

■実業之日本社のTさんからの指摘。8日付けのこのノートで、岩井克人さんが朝日の原稿に書いた「資本主義の論理と倫理」で取り上げていた小説を『若草物語』と書いたが、ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』のまちがいだった。

■京都のガラス工房で働くKさんのサイト、「タンブリン・ノート」の掲示板でWebにおける「フレーム」について少し前に話題になった。僕のところからリンクを飛んだというAさんの書き込みには、Web作りが好きな一介の素人には教えられるところが多かった。
■返事を書こうと思っているうちにタイミングを逸してしまった。しかもKさんのサイトだ。そこで勝手にやりとりするのも申し訳ない気がしていたのだ。
■ここはひとつ、Web作りをしっかり勉強しようと誰でも参加できる掲示板が作りたくなった。プロもそうでない人も参加できる掲示板。たとえば安易に「Webデザイン研究所」といったタイトルを思いついたがもっといい名前はないだろうか。そんなことを考えつつ、自分から自分の首を絞めるかのように、また忙しくしてどうするのかと思う。ただやりたいのだ。やりたいことはやるしかないだろう。
■先日来書いている、またべつの計画ももちろん進行中。やりたいのだ。やりたいことはとにかくやる。

■映画でも見ようかと思ったが休日の都心に出てゆくのは疲れるのでやめた。映画館は平日の昼間がいい。結局、小田急線・梅ヶ丘の羽根木公園へ。「梅祭り」を見に行ったがまだ五分咲きという感じ。来週あたりが見ごろではないか。
■知人の猫は検査の結果、眼の下あたりにやはり腫瘍があった。つまりガンである。余命は短くて半年。一年もつかどうか。「くつ」という変わった名前の猫。人はしばしば動物を、まして自分のペットを擬人化しがちで人間の尺度で「生」や「死」を考える。動物にとって「死」とはどのようなものだろう。本能として生きようと身を守るのは当然あるにしても、「生き続けること」は動物にとってほんとうに望んでいることだろうか。「死」に対して人間なんかよりずっと敏感で、「死」の世界により近い場所にいるように感じる。自分が死ぬことをあらかじめわかっているのかもしれないし、薬で生かせておくことが動物にとって幸福かどうかわからない。ただ、家族として共に生活していた人間の気持ちも痛いほどわかるのだ。

(21:54 Feb.11 2002)


Feb.10 「白い指の戯れ」

■寝屋川のYさんのサイトの日記を読んで驚いた。川村毅さんの『ニッポン・ウォーズ』が、京都造形芸術大学内にある春秋座とstudio21で上演中だと知った。
■しまった。
■まだ先だと思っていた。舞台芸術研究センターのサイトに宣伝のページをそろろそろ作ろうかと思っていたのだ。あやうく終わってから作るところだった。まあ、人間、自分に関係のないことは忘れてしまうものである。しかも私は修行中で世間のことに疎かった。自分に関係する舞台だったら三ヶ月前には作っていただろう。力一杯作っていただろう。1ページ5万円ぐらいの力の入れようで作るだろう。
■人間、そんなものである。
■まったく申し訳ない話であった。
■そのころわたしは新たな計画の実行中。
■小説と計画のことで頭がいっぱいだったし。

■日活ロマンポルノについて少し書いたらSさんという方からメール。
 日活ロマンポルノの印象に残った作品はなんですか? 私は全日空機が落ちたときにそれを題材にした作品(題名は忘れました。すいません)。それが驚きでした。全日空機で事故にあった家族の身よりのない人間をさらって奴隷市場みたいなことをしているという設定でした。すごい企画だなぁとびっくりでした。たしか脚本は小水ガイラという人だった気がします。
 その作品のことは知らなかった。「小水ガイラ」という人も詳しく知らない。日活ロマンポルノで印象に残っている作品は数多く、たとえば神代辰巳の各作品も好きだったし、田中登の名前も思い出す。で、村川透に『白い指の戯れ』という作品がある。題名が見事である。どこかエロティックなものを連想させるが、白い指の戯れ、つまり「スリの話」だとは誰も思うまい。面白かったな、あの映画。さらにSさんのメールには「宮沢さん、羽根木公園はいよいよ梅祭りです。ゆっくり復活してください」とあった。引越しをして羽根木公園もいまでは遠い。天気がよければあした行こうかと思った。

■夕方、京都のことなどすっかり忘れてのんきに散歩。
■東京オペラシティは全館、閉じられ中に入れなかった。そういうこともあるのかと驚く。少し歩いてパークタワービルへ。コンランショップで文房具などを、繰り返すようだが、のんきに見ていたのだ。パークタワーのなかにも紀伊國屋書店が入っているが岩波文庫の『南海千一夜物語』はここにもなかった。
■書くのを忘れていたが、関西ワークショップに参加していたHさんが乗っている自転車は、TREKの6000シリーズだという。たしか6000の番号がついたのはマウンテンバイクではなかったか。TREKのマウンテンバイクもさぞかしすごいだろう。マウンテンバイクで町を走るとサスペンションが振動を吸収してちょっとした段差などものともしないが、TREKだったら普通以上、すべてまったいらな道に感じるのではないか。知らないけど。
■そんなのんきなことを考えている。
■やることはいろいろあるのだが。

(0:16 Feb.11 2002)


Feb.9 「ゆっくり考えながら書いてゆく」

■ここんとこ映画館や芝居の劇場に足を運ぶのがおっくうでしょうがない。
■だめだなあと思いつつ、見ようと思わないものを無理して見ても、なんの身にもならないのではないか。かといってテレビもあまり見ない。東京に戻って久しぶりにテレビをつけると、ふと見たドラマに、たとえば「おばさん役」でかつて日活ロマンポルノで活躍した女優が出てくるのを見、時間の経過を実感する。
■映画館に行こうかな。かつてどこにもゆくあてのなかったころ映画館だけが落ち着ける場所だった。いまこの世界の状況のなかではオリンピックを見るよりずっと気晴らしになるだろう。

■坂本龍一が監修した『非戦』のことなど書こうと思っているうちずいぶん時間がたってしまった。
■ニュースを見ても、「タリバンの厳しい宗教的締め付けから解放された町の人々」なんていう、アメリカとそれを支持する周辺国家が喜びそうな報道ばかりで、去年の9月11日のテロ、その後の米軍によるアフガン空爆、難民たちの苦しい状況などまるでもう遠い時代の話のようだ。しかし、そうした一連の出来事に対して作家はどう態度を表明すればいいのかよくわからなかった。立ち上がるべきか。なにか行動を起こすべきか。それもどこか僕には違和感がある。
■スーザン・ソンタグの『この時代に想うテロへの眼差し』(NTT出版)の序文にこうあった。
 解決を追求すること、そのため必然的にものごとを単純化することは、活動家の仕事です。つねに複合的で曖昧な現実をまっとうに扱うのが作家、それもすぐれた作家の仕事である。常套的な言辞や単純化と闘うのが作家の仕事だ。
『写真論』をはじめとするいくつかの著作をかつて読んだが、ロラン・バルトの上品さを好み、写真家・荒木経惟を軽蔑するスーザン・ソンタグから、最近、いやな印象を受けていたものの、この言葉には共感した。こんなことはすでに五十年前、坂口安吾がどこかに書いているような気がするとはいえこの言葉以上に付け加えることはない。「常套的な言辞や単純化と闘う」ことは、「わからないこと」をわからないと考え続けることにつながる。表現することに困難を感じることにだけ、表現に値するものがある。わからないのだ。<いま>がわからない。どんなふうに表現すれば<いま>を描けるのか。ただ不器用な手つきで、どれだけ時間がかかってもいい、ゆっくり考えながら書いてゆくしかないのだと思った。

■コンピュータについてあまり興味がわかなくなった。Webデザインへの情熱も薄れている。大学の舞台芸術センターのサイトをなんとかしなくてはいけない。

(23:53 Feb.9 2002)


Feb.8 「瓶の妖鬼」

■二日ほど前、彫刻家の舟越保武さんが亡くなられた。豪徳寺に住んでいるころ、娘さんだろうか、女の人に車椅子を押してもらって散歩している姿をよく見た。
■北九州でワークショップをやったのはもう何年前になるだろう。そのとき思い切って長崎まで行き、舟越さんの作品、『長崎26殉教者記念像』(こっちがつながらなければこっちへ)を見た。それを見たらすぐに帰るつもりだったが、もう一度見たくなってホテルに一泊、次の日また丘の上にある作品を見に行った。丘まで行く坂道の途中、アイスクリームを売るおばさんがいて、「また来たの」と驚いていた。長崎といえばほかにも観光名所はいろいろあるが、結局、『長崎26殉教者記念像』だけでよかったのだ。カステラは買ったけど。
■晩年の舟越さんは身体がおもわしくなく、口にする言葉もこころもとなかった。娘さんだけがその言葉を理解できたという。僕の舞台の舞台監督や美術などしている武藤は多摩美の彫刻科出身で、当時、舟越さんが教えに来ていた。講評会のとき、学生の作品を見て舟越さんがなにかいう。学生たちが緊張して話を聞く。だが、なにを言っているのかわからない。娘さんが通訳してくれる。
「ちょっと曲がってるそうです」
 気になったんだろうな。曲がっている彫刻が舟越さんにはすごく気になったにちがいない。

■旅行に行って帰るのがいやになるのはしばしばありがちだ。
■仕事で鳥取に行った帰り、出雲大社まで足をのばした。出雲大社もよかったが、ローカル線で宍道湖をぐるっと回って島根の松江に寄った。温泉につかっていたら帰るのがいやになる。一週間、温泉につかりっぱなし。仕事もたいしてなかったし、ほっとくと温泉につかったままいつまでも松江にいたかもしれない。松江はよかった。小泉八雲ゆかりの土地でもあるが、松江は人をダメにする。宍道湖と温泉。夕暮れの宍道湖の美しさ。温泉につかってそれをながめる気持ちよさ。あやうくわたしは帰ってこられなくなるかと思った。

■朝日新聞の夕刊に月に一度ほど、経済学者で東大教授の岩井克人さんの文章が掲載される。
■メディアで読める文章の中でいまいちばんといっていいほど楽しみにしている。一月の修行中は土地の新聞しか手に入らず読めなかったが久し振りに読んだらやっぱり面白かった。以前、『若草物語』を使って資本主義における「論理と倫理」について書かれていたように、今回はスティーブンスンの『瓶の妖鬼』という小説を「貨幣論」として読む内容。
■悪魔が中に入った瓶がある。手にしていると不死以外のことならなんでも願いが叶う。だが、死ぬまで持っていると瓶の中の鬼によって地獄に引きずりこまれる。願いがかなったら他人に売ればいいが、条件として自分が買った値段より安く売らなくてはいけない。ただであげてもいけない。条件を守らなければ瓶は自分のところにいつのまにか戻ってくる。つまり、100円で買ったのなら99円以下で売る。とすれば、それが連鎖してゆくうち、最終的には1円で買う者にたどりつく。その買い手はもう売ることができない。なぜなら、それ以上低い貨幣が存在しないからだ。
■貨幣とはなにか。
■ただの紙切れであり、金属片だ。だが人はその紙切れや金属片に左右されて生きる経済システムのなかに存在する。人が貨幣として、価値のあるものとして受け取ってくれるから、「紙切れ」や「金属片」が貨幣としての意味を持つ。もし誰もそれを貨幣として受け取ってくれなかったらどうなるか。経済システムが破綻する。岩井さんの言葉で書けば「ハイパーインフレーション」という経済危機だ。『瓶の妖鬼』はハイパーインフレーションを象徴すると書いて、それに続き岩井さんの「貨幣論」が展開されるが、それが俗流の経済解説と一線を画しているのは「貨幣」へのアプローチに岩井さん独自の視点があることはもちろんにしろ、言葉の背後に様々な文化や芸術への理解の深さ、いわば支えるものの奥行きを感じるからだろう。つまり「読むもの」としての豊かさがある。
■偽札事件のニュースを見る。いま出回っているニセ札は専門家によればレベル3ぐらいだそうだ。レベルが最高段階の10になったらニセか本物か見分けがつかなくなり、単に貨幣の流通量が増えるだけになる。なにしろ、それはそもそも「紙切れ」だ。相手がそれを「貨幣」だと信じればそのことによってそれは「貨幣」になるのだから。
■岩井克人さんについては、『ヴェニスの商人の資本論』(筑摩書房)を参考図書にあげたいが、ちなみに僕の書いた『ヒネミの商人』という戯曲はこの本を下敷きにしている。ほかにも『貨幣論』(筑摩書房)など岩井さんの本はどれも面白い。対談したとき、「なぜ岩井さんの書かれるものは面白いんですか」とまぬけな質問をしてしまった。「自分が面白がって書いているからだろうね」とさらっと岩井さんは答えた。本人が面白がってする仕事ほど魅力的なものはない。
■いや、まあ、なかには本人が面白がっているわりにはだめなものもたしかにあるものの。

■そんなわけで、スティーブンスンの『瓶の妖鬼』を読みたくて、夜、収録されている岩波文庫の『南海千一夜物語』を買いに新宿・青山ブックセンターに行った。それで青山ブックセンターの弱点を知ったのだ。岩波文庫がほとんどない。見つからなかったのでしかたなくほかの本を買う。
■帰る途中、多幸感というか、高揚感というか、奇妙な気分になぜか包まれ、俺は小説が書ける、なんでもできる、俺は死なないとか、わけのわからない意識状態になった。修行を終えてばかになってしまったのかもしれない。あと薬のせいか。
■編集者のE君から「牛の肉を食う会」をやりましょうという誘い。上野に「極上の肉をリーズナブルな値段」で出している店があり、「肉を食って絶句するという経験」をはじめてE君はその店でしたという。メールの文面を読んでいるだけで腹が減る。食いてえ。

(0:52 Feb.9 2002)


Feb.7 「工学系の顔、そしてまた、だらだらと思いつきで書く」

■東京はやけに暖かい。自転車を少し走らせる。気持ちがいい。

■寝屋川のYさんのサイト「ここではありません」の訪問者の数を記録するカウンターがうなぎのぼりだ。いつのまにか2万を突破している。驚く。
■PAPERSにもカウンターをつけようと思ったことがあったがあまり数が少ないと恥ずかしいのでやめにした。表面には現れず、管理者だけにわかるカウンターを設置するCGIもあるが、たとえばInternet Explorerの「保存」を実行すると見えないカウンターもどういうわけか保存されるのをあるとき発見した。これじゃCGIの意味がない。もっと、JavaScriptとかPerl、CGIなど、Webプログラミングってやつを勉強をしたい気がするものの、ほかにやらねばならないことがたくさんある。
■コンピュータのことを考えていると自分はわりと理系の人間ではないかと思えてくる。高校時代、理系や工学系を嫌い、なんとか文系にゆきたいと思っていたが、家が建築業だっただけに、「文学部にゆきたい」などと言い出せばいきなりはり倒すような親だった。美術大学に建築科があると知ってこれなら親をだませると進学した。理系、工学系にゆかなくてよかったと思ったが、どうも本質的に理系のような気がしてならない。

■ただ、「文系」「理系」と単純に人が別れるものでもないだろう。
■ひとはとかく、人間を二種類に分類したがるのものなのだ。「世界には二種類の人間がいる。タマゴの殻をむく者と、殻をやぶる者だ」と、なにか意味ありげなことをいっているかのようだが、ほんとうはなんの意味もない。
■そんなとき、NHKでやっている「ロボット・コンテスト」、いわゆる「ロボコン」を見た。高専や工学系大学で機械工学など学んでいる学生たちがロボットを作り、ロボットにゲームを競わせる。出場する者らを見ていると、やはり「工学系の顔」というのを感じずにはいられなかった。その話を、関西のワークショップに来ていた同志社のK君にしたら「ありますよね、工学系の顔。みんなああいう顔になってゆくんですよ」と言う。K君は工学部だ。
■本人は否定するが、そういう先入観で見ているからK君はどうしたって「工学系の顔」だ。K君が誰かと小声で話をしているの見ていると、次の「ロボコン」のアイデアを練っているのではないかと思えてならなかった。
■以前、Mac関連のメーリングリストで、Linuxも意外に面白いという投稿をしたら、Mac信奉者のひとりが、「文系の自分にはMacしかない」といった意味の反論をされ困惑した。関係あるのだろうか。Macが文系、Linuxが理系ってほど単純なものじゃない。そもそもほんとに文系ならコンピュータなんて機械を使わないかもしれないし、じゃあどうするんだ、MacOSX以降のMacは。
■あと、関係ないけど、「体操顔」というのは確実にある。体操選手の顔はだいたい同じである。元体操部だったナイロンの舞台に出ている三宅はどうしたって「体操顔」だろう。あとヤクルトスワローズ顔とか、広島カープ顔などあるが、書き出すときりがないのでやめる。

■知人の猫が大病。もしかすると腫瘍ができているかもしれないという。つきあいで僕も病院に行ったが、待合室で順番を待っていると診察室から獣医師の声が聞こえる。それがどうも、「ロックンローラーの声」だ。診察室に、宇崎竜堂か矢沢永吉がいるのかと思った。
■「顔」や「声」には内面があらわれるにちがいない。しかも変化してゆく。環境や、その人の精神状態、いろいろな要素がそれを変えてゆく。いわゆる「二枚目」や「美人」が「いい顔」ではけっしてなく、内面の複雑さや意識の深さ、あるいは屈折が作り出した「いい顔」、あるいは「いい声」に会いたくて芝居をやっているような気がする。
■で、そういうとき、僕は身体面を軽視しがちで、特に「声」は「内面」でしか考えたことがない。「声を発生させる身体器官」、および、それを形成する「身体の全体」についてなにも意識してこなかった。だから芝居の稽古でも肉練とかそういったことはいっさいやらなかったが、それは「身体解放とはなにか」でも繰り返し書いたが、「訓練を受け入れるからだ」はすでにその時点で、ある特殊な「からだ」に思えてならず、そこから発生する「声」「からだ」に僕は魅力を感じない。だからといって身体的トレーニングを全的に否定するわけにもいかず、ヴォイストレーニングによって俳優としての基本的な声が生まれる可能性も事実だろう。ま、いわゆる、「声が出る」ってやつ。だが訓練によって作られた声の魅力とはどの程度のものだ。「自分の声」を失わず、「自分の内面」をベースにしつつ、「いい声」や「いいからだ」を作るもっといい方法はないものだろうか。

■わたしの新たな計画は進行中。
■詳細は三月になってからだ。そのためにも仕事をする。修行をゆっくり終え、いきなりというわけにもいかないが、また書く。筑摩書房の打越さんと作ろうと話した本の約束もちゃんと守ろう。絵本も作る。連載も続行し、新たな連載もはじまる。そして小説と新しい戯曲。これからである。

(23:46 Feb.7 2002)


Feb.6 「太巻き寿司を一本まるごとむしゃむしゃ食う」

■昨夜、朝早くから用事があるので急いで眠ろうとしたところ、うっかりメールチェックしてしまった。また来たよ。やたらでかい添付ファイル。読み込むのに時間がかかる。眠れなくなった。

■僕の芝居に出ていた小林令のメールではじめて知り、その後なにかのテレビで見たのだが、関西人は節分の日に「太巻き寿司をまるごと一本食う」という野蛮な人たちだ。しかも「恵方」に向かって食べるという。たしか、「初物を食べるときは西を向いて笑う」という、どうかと思うような習慣のある地域も西の方じゃなかったか。西の方の人たちはなにかとそういうことになっているのだろうか。
■そもそも「恵方」についてわたしは無知だ。広辞苑を引いた。
え‐ほう【恵方】ヱハウ
 古くは正月の神の来臨する方角。のちに暦術が入って、その年の歳徳神(としとくじん)のいる方角。あきのかた。吉方(えほう)。
 ということらしい。
 恵方を向くのはいい。
 太巻き寿司を食べるのもいい。
 だけど丸ごと一本ということはないじゃないか。
 で、小林令は、当然東京でも節分には「太巻き寿司」を恵方に向かって一本まるごとむしゃむしゃ食べるものだと思って買ってきた。包みを開いて驚いた。食べやすいように「太巻き寿司」が切ってあった。ほんとうにびっくりしたという。びっくりするのはこっちである。あと小林は「野球部」に参加希望だそうだ。「バッティングには自信があります」とある。体育大学の出身だからけっこうやるかもしれない。

■手入れをしていないTREKがかわいそうだときのう書いたが、しかし、うちに来ているTREKは走らせてやってないのがかわいそうだ。寒くてどうも走れない。いま部屋にある。スタンドがないので壁に立てかけてある。インテリア状態だ。見ているだけでもいい自転車だが走らせなきゃ意味がない。
■そんな折、春のような陽気。走らせてやりたかったが朝早くから用事があって外に出ていた。戻ってきた夕方にはまた寒くなっていた。東京に戻ってまた新たな修行というか、新しい計画を実現開始である。それから3月21日に予定されている「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」の参加者は80人近くになりたいへんなことになってきた。集合場所を小説の主人公が歩きはじめた四谷にしようかと思っている。いいのか、駅前に80人も人が集まって。

■朝日新聞の連載「青空ノート」に沖縄のMさんに教えていただいた「魂(マブイ)」を書いたとすでに報告したが、あの話がやけに評判がいいと朝日のKさんからメール。投書もたくさん届いたという。「魂(マブイ)」と「沖縄」が人のなにかを刺激したらしい。わからないものである。Mさんに感謝したい。
■精神的な状態はだいぶ元にもどった。
■仕事のことをあまり考えず、修行と休養に一ヶ月以上あてたのがよかった。ぼんやりいろいろなことを考えた。この経験は「形」にはならないかもしれないが、もっとべつのなにかとして、きっと残ると思った。

(2:11 Feb.7 2002)


Feb.5 「帰ってきたよ」

■一ヶ月ぶりに戻った東京は雨だった。降ったりやんだり。

■まっさきにしたのは歯の治療。それから夜、以前も行った青山の店で髪を坊主にしてもらう。さっぱりした。ようやく修行が終わった気分になる。終わって渋谷の方向に歩き出すと、歩道にTREKの自転車があった。TREK7000。やっぱりスタンドがないので車道と歩道を仕切る柵に立てかけ鍵でつないであった。こうすればいいのか。あまり手入れがされていないのでかわいそうになる。自分が乗っている7500FX以外のTREKを町ではじめて見た。7000にはUSAの文字。TREKはアメリカの自転車だったのか。根拠もないのにフランスだとばかり思っていた。
■坊主頭にした店で順番を待っているとき、待っている場所にファッション誌があったがそこに自転車の特集。町ではちょっとした自転車ブームか。「静かなブーム」って言葉は意味のわからない言葉だが、「ちょっとしたブーム」はどうだろう。しかし、言われて気がつけば、いわゆる「おしゃれ」な自転車が町を走っているのが目立つ。タイヤの小さな自転車とかね。どうもあれはな、どことなく頼りない気がする。どうでもいい話だった。

■それにしても東京だよ。人が多いよ。なんでこんなに人がいるのかと思う。
■僕もそのうちの一人。
■ものすごい数の人々の、そのうちのただの一人。
■で、メールチェック。メールは同じメーラーにまとめておきたいので、修業先で読んだメールはサーバに残す設定にしてあった。すると、私信、メーリングリスト、メールマガジン、あとわけのわからない宣伝メールなど、千通ちかく受信する。時間がかかった。

■またべつの日々がはじまる。またべつの修行。新しい仕事。東京での生活は三月末までの短い時間になってしまうが、短い時間でもできることはたくさんある。ひとつづつ丁寧に仕事をしよう。雑にやってもなんの意味もない。時間がかかっても納得がゆくまでやる。ちゃちゃっとこなせるような、経験だけでできるようになったらそんな仕事はもうしないほうがいい。つまらないからだ。

(23:31 Feb.5 2002)


Feb.4 「やけに眠ってしまった」

■歯が痛くてなにもする気がしない。
■鎮痛剤、風邪薬などを飲んで早めに眠ったが、そのせいかやけに長い睡眠。ノートも書かずに眠りつづけた。いつも飲む眠るためのクスリよりずっと眠れたような気がする。風邪気味のせいだからか。
■東京に戻って開始する予定の新たな修行は突然思い立ったもので、いましている修行とはまったく異なることだ。修行のあいまに小説を書く。人にもいろいろ会う。新しいことがまたはじまる。

(9:39 Feb.5 2002)


Feb.3 「東京に戻る日は近い」

■夕方ねむくなるのがクセになる。
■まずいな。深夜に目が覚めてしまう。早寝早起きの生活パターンが崩れる。
■きのうのノートは長かった。ちょっとどうかしている。
■東京に戻る日が近づいてきた。髪がのびた。もちろんかつての長いときほどではないが、坊主頭が伸びてだらしなくなった。ひげを剃っていないので、人は僕のことを「ヒゲ」と呼ぶ。うそだけど。東京に戻ったら髪をまた坊主にし、ヒゲもあるていど剃ろう。
■そして東京でまた新たな修行の開始である。こちらのほうは結果が出しだい報告する。
■きょうはそんなところで。

(1:01 Feb.4 2002)


Feb.2 「やけに長くなってしまったノート」

■ときおり快晴。ベンチに腰を下ろして本を読んでいると暑いほどだった。雲から太陽が出る短い時間。また冷たい空気がからだをきりりとさせる。早寝早起きの規則的正しい生活をしたのはもう何年もなかった。気持ちがいい。午前中がやけに長く感じる。

■コピーライターのO君のメール。サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアーの掲示板にピテカンのことを書いた直後にもらった。
 ピテカントロプス・エレクトスの話を書かれていましたが、高校生のころ、大阪に住んでいた僕は、宝島で記事を見たり、何かでピテカントロプス・エレクトスで開かれた「メロン」のライブの噂を聞いたり、当時ニューウェイブ好きだった僕には、なんとなく憧れの場所でした。残念ながら、実際に店へ行くことはとうとうありませんでした。

 今はあの場所で、僕が通っていた京都精華大学の一年後輩の細川くんという男が、「フォンダ・デラ・マドゥルガダ」というメキシカンレストランを経営しています。もう三、四年行っていませんが、あの地下のスペースに今もメキシコ料理店があるはずです。
 とてもなつかしい。メロンというバンドがあったのだ。その後ブームになったエキゾチックミュージックを先取りしたウォーターメロンというバンドもあり、メロンは中西さんチカさん中心のO君の言葉を借りればニューウェーブだったが、ウォーターメロンは、中西さんが、なんていうんだろ、また異なるコンセプトで組んだグループで、ヤン富田さんのスティールパンははじめてそのステージで聴いた。ミュートビートを聴いたのもピテカンだったし、あるいは、ショコラータ。外国から来たミュージシャンたちの音楽もあのコンクリートのステージで数多く聴いた。そして私たちのドラマンス。誰かがピテカンのことを記録しなにか書いてくれたらいい。80年代のある側面がそこから浮き彫りにされるのではないか。

■メール中にある「宝島」は、あのころだとしたら中サイズの時期だろうか。「広告批評」とか最近の「鳩よ!」、文芸誌などのサイズ。僕が以前書いた、ほとんど所有しているミニサイズの「宝島」はもっと小さかった。『ホール・アース・カタログ』の日本版、『全都市カタログ』が「宝島」の特集として発刊された時代。
■よくメールをくれるワークショップに来ていた埼玉のFさんは「宝島」に投稿したことがあるらしい。Fさんの年齢から推測するにミニサイズの時代じゃないだろう。そもそも、そのミニサイズの「宝島」があったことすら知っている者はもう少ない。ましていまの「宝島」とはまったく異なる内容だ。いまの「宝島」は詳しく知らないが、ミニサイズ時代には次のような特集が組まれたりした。
「もうブラジャーはいらない」
 いきなりなにを言い出すんだ。70年代だな。女性解放のこうした思想や行為への意識は70年代。O君やFさんのいう「宝島」が80年代だとしたらミニサイズは70年代。だけど、「もうブラジャーはいらない」をまた異なる思想で書けばいまの「宝島」でも通用するんじゃないかと思えてくるから不思議だ。そうした思想もそれはそれで面白い。あるいは「思想のない思想」。それもあたりまえの状況になりすでに凡庸だ。では次はなにか。

■太野垣のメールは笑った。じつは、ワークショップに参加してから芝居の手伝いをはじめるようになった者は多いが、何人かの男たちは元高校球児だ。高校球児と演劇。よくわからない。太野垣もその一人だ。野球部を作ろうという話になったもののメンバーはまだ三人。ちょっと足りない。僕は監督。残りの六人ぐらいをどう集めるかだ。
 ところで草野球の話ですが、僕が別に所属している草野球チームの今季開幕戦がこの寒い中行われました。対戦相手のチーム名を知ってやる気が一気に失せました。
「波平」
 試合前、ユニフォームの胸の当たりにこの二文字がでかでかと刺繍されていたのを見たときはこのまま帰ってやろうかと思ったものですが、負けました。「0対9」。3安打完封負け。3塁も踏ませてもらえませんでした。
「野球は名前でやるもんじゃない」
 高校時代に監督に言われたことを思い出します。
 こうして太野垣の高校時代の話になる。埼玉県に「大宮東」という野球の強い高校があり、あるとき練習試合をすることになった。しかし、太野垣のいた高校は高校野球の世界では無名。大宮東と練習試合をしてもらえるだけでも大変なことだ。高校生だった彼らの興奮が想像できる。
 神戸高専にあの大宮東がわざわざ遠征に来るということで、うちの学校にも高専の方からなぜか声がかかり合わせて3校でそれぞれ2試合ずつの練習試合をやることになりました。弱小公立校だった僕らは不安な気持ちで試合会場の高専のグラウンドに行ったのです。僕らより少し遅れてやって来たのは、よく見れば「大宮南」でした。
 大宮南戦を前にして、ベンチ前で円陣を組んだときに監督は言ったのでした。
「野球は名前でやるもんじゃない」
 で、その時も負けたのですが、今になってその言葉の重みを噛みしめています。
 ほんとうに弱かったんだろうな。どこまでも弱い高校だったんだろう。

■それで思い出した。ある知人は高校時代サッカー部だった。やはり弱いチームだ。ところがその弱い高校が、ある大会で、あの「清水東」と試合したという。これもすごいことだ。相手の清水東にはつい最近引退した、元日本代表の武田がいた。清水東と試合が出来ること、武田と同じフィールドに立てるというだけで感激したという。12対ゼロ。完敗である。だけど感激した。だがばかのような完敗。というか、サッカーのスコアーじゃないね、こうなるともう。
■自慢のひとつだが、京都に借りているマンションに元日本代表のゴールキーパーでいまは京都パープルサンガのコーチをしている松永さんが住んでいる。ある日の朝、生ゴミを出そうと水色の大きなゴミ袋を手に外に出ようとすると、同じように生ゴミを手にした松永さんとエレベーターで一緒になった。まさか元日本代表とお互い生ゴミを手にしてエレベーターで一緒になるとは思わなかった。人生いろいろである。

■よくメールをくれる松本のFさん、以前、『心を鍛えるインド』という本を教えてくれた方だ。いまは仕事のために東京にいらっしゃる。毎日のように長いメールを送ってくれてとてもうれしい。だがFさんのメールには一つの特徴がある。
 要点がよくわからない。
 これから新しい仕事をはじめるらしいこと、それでイベントも開くこと、いまはそのために忙しく動いていること、友人の話などが書かれているのだが、要点がはっきりしないので、読んでいるうちに笑いたい気持ちになってくる。なにしろなにがなんだかわからないのだ。よく「要領を得ない話し手」というのがいるが、そういう人と話しをしていて面白いのは、最初話そうと思っていたことがあり、ところが話の途中でべつのことを思いだし、話がそっちの方向にそれ、結局、何を話そうとしたのか自分でもよくわからなくなってくることだ。客観的にながめているとほんとに面白い。Fさんのメールにもそれに似た部分があるが、なにか伝えようとしている気持ちは痛いほどわかる。けれど途中、伝えるべきこととはまったく関係ない話も挿入されるので、いったいなんの話なのか、僕にも仕事の一部を協力してほしいような感じはするものの、具体的になにをするのか、正直なところなにもわからないのだった。
■しかし、これこそもしかするとインド的なのかもしれない。
■いやインド的って意味はよくわらんが。
■しかもインドにも「要点をはっきりさせて話す人」はいると思う。
■インド的。生産主義とは遠いところにあるもの。
■「生産主義」は合理である。要領をえた、要点が明確な、効率のいい作業の向上こそが生産主義の生命である。資本主義というか、ソ連型社会主義でもそうだったけど、ひっくるめて近代以降の経済はそのようにして動いている。Fさんのメールにはそれがないのだ。べつの言葉で表現すれば「だらだら」している。この「だらだら感」にFさんという人があらわれておりそこに興味を持ったのだった。
■メールでしか知らない人。いったいどんな方なのだろう。

■あと、僕の芝居によく出ていた小林と笠木、京都に住んでいて関西ワークショップの参加者のひとり、立命館のH君からもメールがあった。数日前に届いた笠木のメールの書き出しはこうだ。
 東京はかなり寒いです(船橋だけど)。
 船橋はけっして東京ではない。千葉である。
 立命館のH君のメールはこうだ。読むと人を悲しい気持ちにさせる。
 さて京都は寒いですが、三月書房の隣の青葉という台湾料理屋の田中真紀子似のおばちゃんは元気です。一度行ってみて下さい。二階にあるのですが、階段の下で行こうかどうか迷っていたら『お兄さんお兄さん』と風俗店の呼び込みの如く強引に店の中に呼び入れられました。まぁでも美味だったので良かったのです。何ていう京都情報を送ってみて宮沢さんの中の京都欲を刺激してみようとしたのでした。チャンチャン。←終りの音です。
 最後の「チャンチャン」さえなければなあ。京都にゆくのがためらわれる。だが三月の後半からまた京都。京都の春。TREK7500FXで走る京都。まだ行っていない寺を回ろう。こんどこそ奈良にもゆく。そして新しい学生たちとの授業。地獄のような二年生の公演。京都の生活は楽しいが、大学は厳しい。生きて東京に戻ってこられるだろうか。

■夕方、眠くなったので少し睡眠をとるつもりが目が覚めたのは深夜。久しぶりにこのノートを書くのがずいぶん遅い時間になってしまった。しかも長いよ。

(2:04 Feb.3 2002)


Feb.1 「メールはどんどん届く」

■二月である。
■今月の目標は肉を食べることだ。
■コピーライターのO君や太野垣のメールを紹介しようと思っているが、その後も紹介したいメールがどんどん届く。ありがとう。もう少し時間が出来たら紹介します。いま、ちょっと書くのがたいへんな時期なので、申し訳ないです。
■何日か前の、図書館に勤務する女性のメールに対して反論めいたことを書いたけれど、全否定ということではありません。気持ちはよくわかるのです。いわんとしていることもよくわかる。ただ、だからこそ、きちんとしておかなければならないことはあります。非難する意味ではけっしてありません。議論。議論のはじまりです。つまりそれもまた他者と出会ってゆくことなのです。

■そろそろ東京にもどれるかもしれない。
■昼間、用事で新潮社に電話しN君と話す。小説のことになり、「こちらは、3N体制プラスMで待ってます」とN君。「3N体制」にちょっと笑った。つまり、当のN君と、『新潮』のNさん、『新潮45』の編集長のNさんの3N体制、さらに、『新潮』のM君。小説を待っていてくれる。『28』。書かねば。
■『JN(実業の日本)』が休刊になり、『資本論を読む』は同じ実業之日本社から出ているべつの雑誌で継続して連載することになった。ただ、『JN』という経済誌でいまどき『資本論』を読んでいるから冗談になったのだが、経済誌ではなくわりとエンターテーメント系の文芸誌なので、冗談ではなく場違いな連載にならないか、それが心配だ。『JN(実業の日本)』から連載の話があったとき、「資本論を読む連載をやったらくだらない」という思いつきだけだった。思いつきはくだらないが『資本論』を読むのが大変だった。だけど、まだ途中とはいえ読んでよかった。連載をしてほんとによかった。最終回の原稿の最後の部分だけ、このさいだからちょっと引用する。
 マルクスが『資本論』をあらかじめ「論」としてまとめようとしたのではなく、マルクス以前に存在した「経済学」という学問を批判しようと考えつづけ、考え続ける行為そのものの「形態」だとわかっただけでも読むことに意味はあったし、学ぶべきマルクスの、「批判する精神」は読む者を強く刺激する。もちろん日本語訳(大月書店版・岡崎次郎訳)でしか読めないにしろマルクスの批判する精神が放つ言葉の鋭さを味わうだけでも楽しい読書だった。たとえその読みが、反時代的であったとしてもだ。
「真珠やダイヤモンドのなかに交換価値を発見した化学者はまだ一人もいない。ところが、特に批判的な深慮を自称するこの科学的実体の経済学的発見者たちは、物の使用価値はその物的属性にかかわりがないのに、その価値は物としてのそれに備わっているということを見いだすのである」
 この皮肉な言葉、批判の鋭さは、ときとして笑いさえ誘う。
■気温は低いが快晴。気分もかなり上向きである。

(11:19 Feb.1 2002)