Feb.28 夜 「うれしいメール」 |
でも、14年前の、宮沢さんをはじめて楽屋にたずねたときの可憐な(?)文学少女が私のオバはんの中に住んでいて、それはとても自分でもいとおしい存在です。もしかしたら、私は宮沢さんの小説を待ちつづけているためにこの14年の経験をしているのかもしれませんよ。和歌山の出身で大学は奈良女子だから、いまでも、ばりばりの関西弁で話すNさんの声が聞こえてくるようだ。
Feb.27 「空白、あるいはボンネットに横になる坂本龍一」 |
いちばんいい例はメルセデスとBMWで、これはどっちも性能の高いクルマですが、メルセデスはどっちかというと「運んでくれる」という走り、BMWは、ともかく車庫から出して、ローに入れてスタートしてから降りるまで、BMWの世界です。僕はBMWの世界が好きだから、ビーエムに乗ると「まあ、楽しいな」と思っちゃうんだけど、メルセデスの世界ももちろん悪くなくて、あのすべてを許してくれるというタッチが好き、というのもわかります。なにをこのおやじは言っているのだ。論理性のないこの言葉はなにか。女子高生が書いているのかと思った。
いちばんいい例っていうか、メルセデスとBMWでー、どっちもなんていうかっていうかあ、性能っていうか、言い感じってて感じだけどお、メルセデスはどっちかというと「運んでくれる」って走り? ビーエムは、車庫から出してー、ローに入れてー、スタートしてー、っていうか降りるまでー、ビーエムの世界って感じ、っていうか、ビーエムの世界が好きだからー、ビーエムに乗ると「楽しいー」って思っちゃうっていうか、メルセデスも悪くないけどー、あのすべてを許してくれるって感じ? っていうかタッチが好きっていう感じ? っていうか、それも、わかるっていうかあ……。これでもじゅうぶん通用する。これが評論家なのか。で、原文には植草甚一さんの文体に通じるところがあり、ああ、ここに生きていたかサブカルチャー的なるもの。言葉の中身がよくわからないのは当然だとしても、もっと論理性のある文章が読みたかった。「わかるやつに、わかればいい」という趣味性と曖昧さで情緒的に流れてゆく文体はある時期に顕著だった。遠い過去。橋本治さんの文章に「まどろっこしい」と感じたのとは、また異なる意味で、まどろっこしい。クルマの趣味世界ではこうした情緒性がまだ生きているのか。
Feb.26 「なによりいいもの。それは近所」ver.2・一部を書き足した |
その他にも「他者」「身体論」「二項対立」等のことばも出てきてその偶然にびっくりしていたところ宮沢さんが「偶然」について書かれてたのでメールしました。しかし、これは「偶然」ではないな。
Feb.25 「天国への階段」 |
バニョレコンクールはベルリンやパリなど数カ所にプラットフォームがありすべての審査会が終わる約一ヶ月後に賞が決定するのですが、それとは別に横浜プラットの協議員団(推薦委員)が独自に出すのがナショナル協議員賞です。○○○○(ここ一部伏せ字・審査員たち)など、オヤジ達がようやくニブロールを認めざるを得なくなったということです。ある意味、一般観客の評価、ダンス界の外の評価など「外圧」にシブシブ、という側面もあったかもしれません。いずれにせよ、ザマーミロです。まったくだ。
ところで四条畷は「しじょうなわて」と読みます。四条畷は片町線という JR の沿線にありますが、この片町線には普通では読めない「けったい」な駅名がたくさんあります。多分現在の片町線の始点が京橋(これは普通にきょうばしです)からだと思うので、そこから書くと次のようなことになります。
京橋 きょうばし
鴫野 しぎの
放出 はなてん
徳庵 とくあん
鴻池新田 こうのいけしんでん
住道 すみのどう
野崎 のざき
四条畷 しじょうなわて
以下省略しますがこの先にもいくつかおかしな駅名があります。よく話題になるのが放出と住道です。
Feb.24 「熱が出た」 |
Feb.23 「ニブロールを見て、あといろいろ」 |
Feb.22 「鍋焼きうどんで風邪を治す」 |
『鍋焼きうどんで風邪を治す』わたしはかぜをひくと、やたら厚着をして鍋焼きうどんを食べる。だーっと汗をかく。Tシャツがぐっしょりになるほど汗をかく。すぐからだをふき、新しいTシャツに着替え、さらに厚着、これで熱が下がる。ひきはじめにやるのがこつだ。いちど風邪気味かなと思って鍋焼きうどんを食べたらちっとも汗をかかなくてがっかりしたことがある。風邪気味のときに食べても汗をかかない鍋焼きうどんとはいったいなにか。「おいしい鍋焼きうどん」である。「ああ、おいしかった」で終わりだ。それはそれでいいと思うが、なぜかがっかりするから不思議である。
Feb.21 「四条畷はどう読むのか」 |
『煙草がやめられない喘息患者のための、煙草を吸い続けて喘息を克服する方法』ちょっと長いが、これが書名だ。わたしはぜんそく持ちだが、喫煙する喘息患者は煙草を吸うなと医者からも周囲からも言われる。当然だ。だが煙草はやめられない。やめればいいとわかっているがやめられない。やめられたら、喘息で苦しむことはなく人から注意されなくてもそんなことは本人がいちばんわかっているのだ。だが、私は煙草を吸い続けたまま、喘息の発作を克服した日本でただ一人の人間である。知らないけど。
Feb.20 「フィットネスとエクササイズ」 |
Feb.19 「本棚をごそごそやる」 |
鍼はとても効くけれど、効きすぎるのでいざというときにとっておいてなるべくそこまで身体を追い込まないようにしたほうがいいのだと聞きます。そうだったのか。かなりの刺激だからな。無理矢理ぐりぐりとからだに刺激をあたえる。鍼はそういう療法だ。やはり「操体法」を受けよう。実際に自分のからだで理解しなければと思った。これももちろん「小説ノート」の小説と関係している。
Feb.18 「腰痛の広場」ver.2・一部削除 |
それは「操体法」という民間療法なのですが、お聞きになったことはありますか? 整体でもマッサージでも気功でもない、んー、どちらかといえば魔術に近いかもしれません。施術者は指一本でしか触れないのですが、 触れられている場所とはぜんぜん違うところがなぜか反応するのです。すねを触れられているのに下腹が反応したり、ひざを触れられてももに激痛が走ったり…、恥ずかしながら、目を閉じてたら「治療を受けている自分が見えた」なんて幽体離脱もどきの体験をしたこともあります。これは試してみなければなるまい。なにしろ「魔術に近い」のである。その施術の状況もすごい。どこにゆけばその「操体法」の施術を受けられるのだろう。じつは「操体法」のことは巻上公一さんのサイトですでに知っていた。なにしろ巻上さんは「操体法インストラクター」らしい。巻上さんと言えば僕が戯曲の賞をいただいたとき、いまはなきシティーロードに僕の受賞に関してものすごくつまらない冗談を書いていた人だ。だいたいその舞台評がやけに高みに立っているのはなぜか、やけにえらそうな書き方だと平田君らとも話していたが、つまらない冗談を書くだけあって、巻上も、ほぼ消えている。
「腰痛の広場」広場である。腰痛である。もう見にゆくしかないだろう。「腰痛の広場」のなかに「腰痛用語集」(腰痛初心者のための用語集)というのがあってすばらしい。そもそも、「腰痛初心者」とはいったいなにか。僕の腰痛はかなり歴史があって、「初心」ではないと思っているが次のような言葉に接すれば「初心者」と思わずにいられない。
●あはき法(−ほう)さらに次の用語解説もすばらしい。「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師に関する法律」のこと。免許無く、マッサージを職業として行うことを禁じているが、マッサージそのものの定義がはっきりせず、類似の行為が資格の無い者によって行われているのが現状。
●間欠性跛行(かんけつせいはこう)えーと、これはあくまで「腰痛用語集」にあった言葉をそのまま引用させていただいているものです。脊椎管狭窄症などにより長く歩くと足のしびれなどで歩けなくなるが、休むと歩けるようになる状態。跛行とは、「びっこ」の意味。
「治療を重ねていくうちに受け手は思わぬ自分の体の感覚、声を聞いていくのですね。不調でなければふだんは無視してしまいがちな体ですが、自分の体からこんなにもいろんな情報を送ってくることにまずびっくりするはずです」興味を持ち操体法を受けてみようと思いつつ、しかしこの言葉の感じ、言葉から漂うにおいは……。「ニューエイジ」ではなかろうか。Tさんには申し訳ないが、さらに正直なことを書くと、「身体解放とはなにか」というノートを書き続けているときすでに「操体法」を知り、もっと調べようと思っているうちノートは中断してしまった。当時、「からだ」のことを考えつづけ、演劇における西洋式の身体へのアプローチとその方法、「人格改造セミナー」かと思わせるワークショップの方法に違和感を抱いていたが、それらと異なる方法を探しているとき「操体法」のことも知った。だが巻上が「操体法インストラクター」である。ほぼ消えているやつだ。関係ないけど。だけどTさんのメールで興味はさらにつのる。
Feb.17 「関西の寝屋川ではないYさんからのメール」 |
仮にテキストだけでテーブルやフレームも使わずに構成したページを作成した場合を考えてみます。盲人もそうでない人もほぼ同じ条件である、と考えられているページデザインですが、本当にそうなのでしょうか。おそらくADSLや光ファイバなどの回線に慣れたWebデザイナーたちは、アナログ回線でサイトを見る環境の感覚を忘れてしまうだろう。僕は先月それを経験して、意外にまだいけるという感覚と、どう考えても重くてうんざりする感覚を同時に味わった。「いまはもうアナログの時代じゃないよ」という傲慢さは、Aさんの言葉を借りれば「視点に欠落」のある倫理の問題になるが、ここまで話が進むと、なぜコンピュータの処理速度は高速でないといけないかといった、コンピュータそのものに対しての疑問、よく使ってしまう言葉だが「生産主義」への疑問にたどりついてしまう。
例えば同じ舞台を見ている場合でも、客席の位置によって当然見える情景が微妙に、場合によってはまったく異なっていることも考えられます。だとすると視覚に問題がないからといって一つの表現が同じ条件で提示できるかというとそれも疑問に思えてしまいます。舞台の場合、それで観客の印象が大きく違って作品の評価まで変ってしまうということがあるのかどうかは私にはわかりませんが「前の客の座高が高くてあんまりよく見えなかった」というような舞台とは無関係のところから印象、引いては評価が違ってくることは十分考えられることです。
ウェブであればそれこそユーザの環境によってダウンロードの速度、画面の広さ、色数、ブラウザそれぞれが違っているわけで、それによって同じ条件であると思っている送り手が想像できないある種の「障害」というものが視覚的に健全である人の中でもできているように思われます。
16 日の記述を読んで無意識に避けようとしていた問題に気がつきました。なぜいつも「視覚障害者」だけが対象になるのでしょうか。実際のところ視覚障害と聴覚障害を抱えている人に対してweb は一体何を提供できるというのでしょうか。(中略)。web だけですべてに対応するなどというのは無茶な話で、コンピューターの側がそこまで対応していないわけです。だから、いまこうしてしている議論は、そのことへの「ジレンマ」としてあるのだと思う。リーディングのページをすべて画像にしてしまい、さらに<alt>エレメントさえつけなかったのは僕の怠慢でしかないし、では「完全なる配慮をする完全なるWebデザインはほんとうに可能か」と書けば、自分の怠慢を棚に上げて保身するだけの話になってしまうものの、しかし、現段階では「完全なる配慮をする完全なるWebデザインは可能じゃない」という結論しか出てこない。そのことへのジレンマ。しかしジレンマを感じつつも表現したいという欲求はどのように解決したらいいか。
Aさんは「情報を提供するページで情報にバリアを張るのはいかがなものか」ということが言いたかっただけなのかもしれません。指摘のあったリーディング公演のページはどちらかというと多くの人に知ってもらうための情報告知のページであり、リーディング公演であれば視覚障害者であっても鑑賞できるのに、なぜそこで視覚障害者を疎外するのかという意図があってのことかもしれませんその通りだと思う。だからAさんのおっしゃる意見に返す言葉がなかった。
Feb.16 「議論の場は作りたいものの」 |
ここで気を付けたいのは、かっこいい Web を作るには、「Web で何をするか」を明確にする必要があるということです。Web というのは確かに色々なことができますが、何をしたいのか分からないで作っている Web は、単なる html ソースコードの羅列にすぎません。まったくだと思う。とくに、「ミニマリズム」の指摘は鋭いし、僕がしたいことのすべてを語られてしまった気さえする。Webに限らず、多くの表現に通じる話として。
何をユーザに届けるのか。そのコンテンツに最適な届け方はどんな形か。それに応じて表現方法やテクノロジーを取捨選択し、無駄のないサイトを作成する、という、そのミニマリズムこそが、一番、「かっこいい Web」に必要なものなのではないかという気がしています。
障害者に対する配慮、という視点は、社会的に見て、結構ハッとさせられるトリガーとなりやすいものなので、指摘を受ける側を動揺させやすいものだとは思います。でも、例えば、画像を避け、ブラウザ判定のソースを伴う「見た目固定」方法を選択すれば、ソースコードの量が増え、ネットワークトラフィックに負担をかけるというマイナス面だって存在するのです。議論が必要だ。もっと異なる考え方、Mさんの言葉で表現すれば、「目的に対するアプローチの方法論の違い」をぶつけあう必要がある。だけどねえ、ネット上の、掲示板、あるいはメーリングリストは議論が議論にならず、ひどく荒れるからね。以前、僕が読んでいた「Webデザイン」のメーリングリストは廃止直前、ものすごい荒れかただった。ああいったものを運営するのは正直しんどい。Webデザインの掲示板を作りたいがそれを思うと気が重くなる。そもそも僕が感情的になりやすいからな。
どちらを選択するのか、それは目的に対するアプローチの方法論の違いに過ぎません。どちらが正解かは、作る側が決定してゆくしかないことなのだと思います。
Feb.15 「腰の闘争」 |
ほんとに日本はどうなってしまうのでしょうか。雑誌も売れない時代だから、書籍はもっと大変ですね。私も本は好きです。自分では雑誌しか作る気はありませんが。インターネットって、活字の世界をおびやかしそうですか? 私が見てるサイトは、雑誌に比べたら不満だらけですが。宮沢さんの原稿で、保坂さんが宮沢さんについて語ったことをインターネットで見たとありましたが、どうやって知ったのですか? パソコンって、密室っぽくてちょっと嫌な感じありますよね。少し説明。u-ench.comにはアクセス解析用のページがある。いろいろなアクセスデータがわかるが、なかにどこからリンクして飛んできたかというデータもあり、まったく知らないページからやってきた人がいるのを見つける場合がある。それをたどったのだと思う。そこは掲示板で、僕の日記のURLと、保坂さんの発言があった。
Feb.14 「牛が踏む」 |
Feb.13 「プロはきびしい」 |
Webコンテンツを作っているなら、PCとMacの環境を保有しておくのは最低ラインでしょう(できればVirtual PCではない環境を)。PCをメインに利用されている人なら、WindowsのバージョンとInternet Explorerのバージョンを複数組み合わせた環境を構築しているケースも珍しくありません。携帯向けコンテンツデベロッパなら、個人でも10台近い携帯を契約して保有しているのさえ当たり前なんですから、こんなの甘いです。ほんとうかよ。となると、Macでも、各ヴァージョンのネットスケープ、エクスプローラ、あるいはiCab、さらにLinuxでも確認できる環境、Palmなどのモバイルで確認できる環境など、「Webデザイナーのプロ」はただごとではない。なにしろ「携帯向けコンテンツデベロッパなら、個人でも10台近い携帯を契約して保有しているのさえ当たり前」だそうだ。仕事のギャランティと環境整備にかかる経費との経済的均衡は保たれるのだろうか。
先日の宮沢さんの日記に書かれていた貨幣や偽札の話と通じるようなappleleのニュースがワイアードからきていたので、たぶん宮沢さんも見られたのではないかと思いつつもついお伝えしたくなってまたメールを書きました。wiredに書かれていた記事を読んで、それからappleleのサイトをみたら偽者が凄いことになっているのは貨幣よりもコンピューターのほうなのではないだろうか?とも思いました。いや、これはまったく異なる種類の話。「貨幣や偽札の話と通じるような」話ではないと思う。WIREDの記事は読んだけれど、たしかに「ニセモノ」ということで「ニセ札」も共通しているものの、「貨幣」はもっと複雑である。なにしろ「貨幣」には根拠がないからだ。
Feb.12 「映画のことなど」 |
Feb.11 「梅を見にゆく」 |
Feb.10 「白い指の戯れ」 |
日活ロマンポルノの印象に残った作品はなんですか? 私は全日空機が落ちたときにそれを題材にした作品(題名は忘れました。すいません)。それが驚きでした。全日空機で事故にあった家族の身よりのない人間をさらって奴隷市場みたいなことをしているという設定でした。すごい企画だなぁとびっくりでした。たしか脚本は小水ガイラという人だった気がします。その作品のことは知らなかった。「小水ガイラ」という人も詳しく知らない。日活ロマンポルノで印象に残っている作品は数多く、たとえば神代辰巳の各作品も好きだったし、田中登の名前も思い出す。で、村川透に『白い指の戯れ』という作品がある。題名が見事である。どこかエロティックなものを連想させるが、白い指の戯れ、つまり「スリの話」だとは誰も思うまい。面白かったな、あの映画。さらにSさんのメールには「宮沢さん、羽根木公園はいよいよ梅祭りです。ゆっくり復活してください」とあった。引越しをして羽根木公園もいまでは遠い。天気がよければあした行こうかと思った。
Feb.9 「ゆっくり考えながら書いてゆく」 |
解決を追求すること、そのため必然的にものごとを単純化することは、活動家の仕事です。つねに複合的で曖昧な現実をまっとうに扱うのが作家、それもすぐれた作家の仕事である。常套的な言辞や単純化と闘うのが作家の仕事だ。『写真論』をはじめとするいくつかの著作をかつて読んだが、ロラン・バルトの上品さを好み、写真家・荒木経惟を軽蔑するスーザン・ソンタグから、最近、いやな印象を受けていたものの、この言葉には共感した。こんなことはすでに五十年前、坂口安吾がどこかに書いているような気がするとはいえこの言葉以上に付け加えることはない。「常套的な言辞や単純化と闘う」ことは、「わからないこと」をわからないと考え続けることにつながる。表現することに困難を感じることにだけ、表現に値するものがある。わからないのだ。<いま>がわからない。どんなふうに表現すれば<いま>を描けるのか。ただ不器用な手つきで、どれだけ時間がかかってもいい、ゆっくり考えながら書いてゆくしかないのだと思った。
Feb.8 「瓶の妖鬼」 |
「ちょっと曲がってるそうです」気になったんだろうな。曲がっている彫刻が舟越さんにはすごく気になったにちがいない。
Feb.7 「工学系の顔、そしてまた、だらだらと思いつきで書く」 |
Feb.6 「太巻き寿司を一本まるごとむしゃむしゃ食う」 |
え‐ほう【恵方】ヱハウということらしい。
古くは正月の神の来臨する方角。のちに暦術が入って、その年の歳徳神(としとくじん)のいる方角。あきのかた。吉方(えほう)。
Feb.5 「帰ってきたよ」 |
Feb.4 「やけに眠ってしまった」 |
Feb.3 「東京に戻る日は近い」 |
Feb.2 「やけに長くなってしまったノート」 |
ピテカントロプス・エレクトスの話を書かれていましたが、高校生のころ、大阪に住んでいた僕は、宝島で記事を見たり、何かでピテカントロプス・エレクトスで開かれた「メロン」のライブの噂を聞いたり、当時ニューウェイブ好きだった僕には、なんとなく憧れの場所でした。残念ながら、実際に店へ行くことはとうとうありませんでした。とてもなつかしい。メロンというバンドがあったのだ。その後ブームになったエキゾチックミュージックを先取りしたウォーターメロンというバンドもあり、メロンは中西さんチカさん中心のO君の言葉を借りればニューウェーブだったが、ウォーターメロンは、中西さんが、なんていうんだろ、また異なるコンセプトで組んだグループで、ヤン富田さんのスティールパンははじめてそのステージで聴いた。ミュートビートを聴いたのもピテカンだったし、あるいは、ショコラータ。外国から来たミュージシャンたちの音楽もあのコンクリートのステージで数多く聴いた。そして私たちのドラマンス。誰かがピテカンのことを記録しなにか書いてくれたらいい。80年代のある側面がそこから浮き彫りにされるのではないか。
今はあの場所で、僕が通っていた京都精華大学の一年後輩の細川くんという男が、「フォンダ・デラ・マドゥルガダ」というメキシカンレストランを経営しています。もう三、四年行っていませんが、あの地下のスペースに今もメキシコ料理店があるはずです。
「もうブラジャーはいらない」いきなりなにを言い出すんだ。70年代だな。女性解放のこうした思想や行為への意識は70年代。O君やFさんのいう「宝島」が80年代だとしたらミニサイズは70年代。だけど、「もうブラジャーはいらない」をまた異なる思想で書けばいまの「宝島」でも通用するんじゃないかと思えてくるから不思議だ。そうした思想もそれはそれで面白い。あるいは「思想のない思想」。それもあたりまえの状況になりすでに凡庸だ。では次はなにか。
ところで草野球の話ですが、僕が別に所属している草野球チームの今季開幕戦がこの寒い中行われました。対戦相手のチーム名を知ってやる気が一気に失せました。こうして太野垣の高校時代の話になる。埼玉県に「大宮東」という野球の強い高校があり、あるとき練習試合をすることになった。しかし、太野垣のいた高校は高校野球の世界では無名。大宮東と練習試合をしてもらえるだけでも大変なことだ。高校生だった彼らの興奮が想像できる。
「波平」
試合前、ユニフォームの胸の当たりにこの二文字がでかでかと刺繍されていたのを見たときはこのまま帰ってやろうかと思ったものですが、負けました。「0対9」。3安打完封負け。3塁も踏ませてもらえませんでした。
「野球は名前でやるもんじゃない」
高校時代に監督に言われたことを思い出します。
神戸高専にあの大宮東がわざわざ遠征に来るということで、うちの学校にも高専の方からなぜか声がかかり合わせて3校でそれぞれ2試合ずつの練習試合をやることになりました。弱小公立校だった僕らは不安な気持ちで試合会場の高専のグラウンドに行ったのです。僕らより少し遅れてやって来たのは、よく見れば「大宮南」でした。ほんとうに弱かったんだろうな。どこまでも弱い高校だったんだろう。
大宮南戦を前にして、ベンチ前で円陣を組んだときに監督は言ったのでした。
「野球は名前でやるもんじゃない」
で、その時も負けたのですが、今になってその言葉の重みを噛みしめています。
要点がよくわからない。これから新しい仕事をはじめるらしいこと、それでイベントも開くこと、いまはそのために忙しく動いていること、友人の話などが書かれているのだが、要点がはっきりしないので、読んでいるうちに笑いたい気持ちになってくる。なにしろなにがなんだかわからないのだ。よく「要領を得ない話し手」というのがいるが、そういう人と話しをしていて面白いのは、最初話そうと思っていたことがあり、ところが話の途中でべつのことを思いだし、話がそっちの方向にそれ、結局、何を話そうとしたのか自分でもよくわからなくなってくることだ。客観的にながめているとほんとに面白い。Fさんのメールにもそれに似た部分があるが、なにか伝えようとしている気持ちは痛いほどわかる。けれど途中、伝えるべきこととはまったく関係ない話も挿入されるので、いったいなんの話なのか、僕にも仕事の一部を協力してほしいような感じはするものの、具体的になにをするのか、正直なところなにもわからないのだった。
東京はかなり寒いです(船橋だけど)。船橋はけっして東京ではない。千葉である。
さて京都は寒いですが、三月書房の隣の青葉という台湾料理屋の田中真紀子似のおばちゃんは元気です。一度行ってみて下さい。二階にあるのですが、階段の下で行こうかどうか迷っていたら『お兄さんお兄さん』と風俗店の呼び込みの如く強引に店の中に呼び入れられました。まぁでも美味だったので良かったのです。何ていう京都情報を送ってみて宮沢さんの中の京都欲を刺激してみようとしたのでした。チャンチャン。←終りの音です。最後の「チャンチャン」さえなければなあ。京都にゆくのがためらわれる。だが三月の後半からまた京都。京都の春。TREK7500FXで走る京都。まだ行っていない寺を回ろう。こんどこそ奈良にもゆく。そして新しい学生たちとの授業。地獄のような二年生の公演。京都の生活は楽しいが、大学は厳しい。生きて東京に戻ってこられるだろうか。
Feb.1 「メールはどんどん届く」 |
マルクスが『資本論』をあらかじめ「論」としてまとめようとしたのではなく、マルクス以前に存在した「経済学」という学問を批判しようと考えつづけ、考え続ける行為そのものの「形態」だとわかっただけでも読むことに意味はあったし、学ぶべきマルクスの、「批判する精神」は読む者を強く刺激する。もちろん日本語訳(大月書店版・岡崎次郎訳)でしか読めないにしろマルクスの批判する精神が放つ言葉の鋭さを味わうだけでも楽しい読書だった。たとえその読みが、反時代的であったとしてもだ。■気温は低いが快晴。気分もかなり上向きである。
「真珠やダイヤモンドのなかに交換価値を発見した化学者はまだ一人もいない。ところが、特に批判的な深慮を自称するこの科学的実体の経済学的発見者たちは、物の使用価値はその物的属性にかかわりがないのに、その価値は物としてのそれに備わっているということを見いだすのである」
この皮肉な言葉、批判の鋭さは、ときとして笑いさえ誘う。