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その日、峠の釜飯で有名なあの横川駅が、鉄道マニアで埋め尽くされていた。長野オリンピックに向けて新幹線がこの10月から開通。在来線の一部が廃止になる。 |
それを知った鉄道マニアが黙ってるわけがない。九月二十一日、横川駅周辺には鉄道マニアたちがあふれ、なかには、線路の中やトンネルの中にまで入り込む、「命知らず」な連中もいて、彼らの勇気ある行動に、横川で釜飯を買おうとする一般旅行客も胸を熱くしていた。鉄道マニアの数はすごい。皆、手に手にカメラ。きらきらと輝く目。いったいどういうことになっているんだ連中は。
で、 |
なぜ、私はそんな場所にいたのか
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軽井沢でワークショップ
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軽井沢に向かう途中、横川駅に停車し、連中の姿をまのあたりにした。そして、鉄道マニアたちが、電車の写真を撮るのに命がけになっている頃、私たちは軽井沢のホテルに二泊三日で宿泊し、命がけのワークショップを敢行していたのである。なにしろ、二日目など朝の10時から夜10時までワークショップだ。
ちょっとばかになっているのではないか、と思われても仕方がない。なにしろ軽井沢だ。軽井沢では、あらゆることが現実性を失ってしまう。
やはり、池袋コミュニティカレッジが主催したもので、『宮沢章夫の軽井沢秘密の遊園地』と勝手に名前を付けられてしまった。恥ずかしい。だけど、ま、しょうがないか。
詳細は、WorkShopのページで
>>>
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キーファーが半分ない
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セゾン現代美術館
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軽井沢のセゾン現代美術館はよかった。それだけでも軽井沢に来たかいがあったというものだが、キーファーの作品のひとつ、『革命の女たち』が修復のためという理由で半分しかなかった。作品の一部、壁に掛けられた絵が展示されていなかったのだ。なんだか奇妙な気持ちにさせられた。 |
これが問題の作品。この壁の絵がなかったのである。床に置かれた有名な水のたまっているベッドだけでも、かなり迫力があるが、やっぱり、 |
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そりゃ、ちょっと、あれなんじゃないの、という思いはぬぐえなかった。
それはそうと、私が、目新しい清涼飲料水が好きで、コンビニで新しいものをチェックしていることがあまり知られていないように、現代美術好きだということも、あまり知られていない。清涼飲料水のほうは、比較の問題として、どうでもいいことのような気がするが、まあ、それはいい。
「現代美術好き」
それは何を意味しているだろう。かつて、劇場にひんぱんに通っていた頃は大人計画がそうであったように、新しい集団や人を見つけそれを紹介するのが好きだった。これからは、現代美術でいってみたいと思う。 |
というか、正直なことを書けば、いま演劇の世界で、刺激されるものがほとんどないと感じているのだ。美術作品からはなにかを喚起されるのも奇妙だ。
それは単なる思い過ごしだろうか。 |
来年の話をしよう1
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来年の八月、世田谷パブリックシアターの子ども劇場で、『不思議の国のアリス』が上演される。演出は、MODEの松本さん。そして、脚本が宮沢。思い切ったことを企画したものだ。大人が見ても大丈夫だと思う。 |
来年の話をしよう2
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ロマンチカの林巻子さんと、なにか一緒に舞台ができたらと考えて、そう彼女にも提案した。このところ、ロマンチカもあまり公演をしていないので、少しさみしいし。なにかうまいぐあいにできればと思う。 |
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わからない日本。見えない日本。あの日本、その日本。例の日本。
あなたのこの国
わたしのあの国
オルタナティブ・
ニッポン
--近日公開
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驚異の世界
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五月の末に出た、宮沢の新刊、『わからなくなってきました』は、相変わらず刷りを重ねているが、その効果のせいなのか、驚くべきことに、すでに文庫化されている『牛への道』の単行本が、一年以上たって突如、第六刷が出ることになった。こうなるとやはり、ある出版社のW君と企画している、『定本・彼岸からの言葉』を出さねばならないのではないか。イラストをはずし、文章だけにし、いくつかのエッセイを追加し、いちいち注釈をつけたり、なにか、本づくりそのものが、楽しそうだ。楽しそうだったら、とりあえず、やる。 |
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『会議』まもなく稽古
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ようやく稽古に入る。きたろうさんは、「稽古、あんまりしたくないなあ」と言っているが、あれでなかなかの人、きっとまじめにやるだろう。きたろうさんは芝居がうまい。若い連中に、身近で、芝居がうまい人を見せるのも、今回の目的の一つ。役者は見て育つ。見る力のない者はだめである。
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