Mar.12 「WindowsMeは不安定という話」

■午後から鍼治療。西武新宿線の都立家政までゆく。治療に余裕があったせいか、一時間半ほどみっちり鍼をうってもらった。治療の効果は確実にあるが、鍼の痛みを考えると前日から少し憂鬱にすらなる。やはり痛い。ものすごく痛い。先生は一時間半、ほぼしゃべりっぱなし。このパワーを鍼とともに注入されている気がする。それでいくら流行っていようと風邪にかからず、腰はもちろん、身体がやけに調子がよい。
■帰り、鍼のせいでふらふらしつつ電車を乗り継いで帰ってきたが、鍼は神経を刺激するせいで、なんといっていいのでしょう、ある種の薬物のような効果があるのか、終わったあとの気持ちよさはいったいなんだ。帰ったらすぐに眠った。
■夜、眼が覚めてから部屋の片づけ。京都に運ぶもの、静岡に運ぶものを分類して箱詰め。で、物質的なものともいうべき、「本」「衣類」「コンピュータのハード」以外に、「データ」というよくわからないものも運ばねばならぬ。テキスト類のデータだ。原稿はもちろん、メールのデータも運ぶ。それで思い出したが、静岡に運ぶコンピュータにWindowsMEってやつをインストールしたが、これがすこぶる不安定。腹立たしい。起動のたびに、「正しく終了しなかった」旨のメッセージが現れ、スキャンディスクをはじめる。いくら正しく終了してもそうなる。ただネットワークがすこぶる快調。Macとつなげるソフトが入っているが、ネットワーク上にある何台かのMacを次々と見つけ、勝手につなげようとする。で、キャンセルするとしばらくしてからまたつなげようとして、パスワードを求めてくる。ちょっとうるさい。じゃあよくないんじゃないか。安定して使うためにはWindows2000にすべきだな。あと、Macも、MacOSXにしたいがすると新しいMacが欲しくなる。欲望は果てがない。
■そんなおり、Adobeから、またもバージョンアップのお知らせ。Illustratorが、9.0になるとのこと。わたしは思うに、IllustratorこそがMacの心だ。Illustratorを使わずしてなんのためのMacだ。なんて面白いソフトなんだ。だけどAdobeのやつふざけるなよ。そうそうバージョンアップしていいと思ったらおおまちがいだ。
■あしたからまた一週間ほど京都。学生から届いたメールによれば京都は寒いそうだ。
(4:47 Mar.13 2001)

Mar.11 「片づけとその他のことなど」

■また買い物に。火曜日には京都に戻るのでそれまでにやっておかなければいけないことがいくつかある。静岡で使うコンピュータ、京都に運ばなければいけない本や資料を箱に詰める作業。つくづくやっかいな仕事だ。
■短い東京滞在だったが、もっと行く場所があったはずだと考える。いつでも行けると思えばそんなことを考えもしないが、限られていれば後悔する。渋谷方面にはまるで行かなかった。なぜか吉祥寺から西へ、横田基地のある福生に足を向けた。あしたもし時間があったら少し渋谷を歩いてみようかと思う。
■東京にいるあいだも小説は少ししか書けなかった。なぜこうも書けないのかと思う。『サーチエンジン・システムクラッシュ』はなぜあんなスピードで書けたかだ。むしろ、『サーチエンジン・システムクラッシュ』が異常だったのだろう。その異常の意味がわからない。
■朝日新聞の連載を片づけようと思ったが書くことが見つからない。ついさっきまでこれでゆこうときめたことがあったのに忘れてしまった。かなりくだらないことだったはずだが、そういうことはすぐ忘れる。『月の教室』の台本も構成し最初の稽古までにある程度は作っておかなければ。そして小説。大学。あちらこちらいのちがけである。
(3:16 Mar.12 2001)

Mar.10 「日記という形式」

■ためしにtotoを買ってみた。テレビで試合を見たらいきなり浦和が負けて予想は最初からつまづく。ジュビロは大勝。エスパルスは負け。マリノスまでが敗退で予想はむつかしい。やっぱりギャンブルはだめだ。
■夕方、外に出るとひどく寒い。
■インターネット上には「日記」が無数に存在するが、それはつまり、「形式」のことだ。「日記」という形式。べつに「日記の公開」ではありえない。あるはずがない。誰が日記を公開しようなどと考えるだろう。日記の形式にすると文章が書きやすいのである。だから、「日記の形式」を借りて書いているのは「日記」ではない。もっとべつのことを表現しようとしてどう書いていいかわからず、とりあえず選んだのが「日記」という形式だ。わたしのこのページを見てもわかるように、日記の形式にすると、毎日書いても苦にならないという、恐るべき事態が発生する。「日記の形式」おそるべしである。
PAPERS更新。
(1:44 Mar.11 2001)

Mar.9 「頭脳の人からメールが来る」

■必要なものがあって秋葉原までいった。買い物をすませて神保町の方向に歩き、途中、まつやという古くからあるそば屋に入る。そばはやっぱり店の雰囲気が味の何分の一かを占めているのではないか。東横線の学芸大学の駅前に古い建物のそば屋があって祐天寺に住んでいるころよく食べた。引っ越してから足が遠のき、なにかの機会に学芸大学の町に行ったのでその店を探すと、すっかり様変わりしビルになっていた。ちっともうまくない。なぜビルにしたかわからなかった.。まあ、いろいろ事情はあるのだろうが。
■神保町の古本屋を何軒かまわり本を買う。収穫かなりあり。
■夜、先日撮影した『月の教室』のチラシ用写真を届けに永井が来た。高校の屋上の写真がすごくきれいだった。
PAPERS49号に、「株式会社頭脳作戦隊」について書いた「特派員報告」があるが、その会社の社員らしき人物から、報告を送ってくれたM特派員あてにメールが届いた。かなり怒っている。うれしくなった。
■いろいろな人が読んでいるのだなあ。
■いま一日、3000アクセスぐらいだが、するとやっぱりいろいろな人が出現するのだと驚いた。
(1:31 Mar.10 2001)

Mar.8 「また横田基地へ」

■ロフトプラスワンの感想がメールでたくさん届く。返事を書かなくてはいけないと思うのだが、わたしはまた、横田基地に行ってしまったのだった。
■地図を用意し、いろいろ調査もし、準備は万端である。バスに乗ればいいのだともわかった。吉祥寺から中央線、三鷹で青梅特快に乗り換え、直通で福生まで。駅前からバスに乗る。適当なところで降りて歩く。かつてこのあたりには米軍ハウスと呼ばれる軍用の小住宅が並んでいたはずだが、いまではぽつんぽつんと見かける程度。さらに歩くと国道16号線の向こうに金網が見え、金網の向こうに広大な基地。はるか遠く米軍用の高層住宅群があり、さらにその向こう、車が走っているらしい道路があるが、どこまでが基地なのかよくわからない。あの高層住宅群が「思いやり予算」というわけのわからないもので作られた建築だろうか。
■広大な基地、16号線を疾走するトラック、近くに小さな住宅の並ぶなんの変哲もない日本の風景があり、それらを見ながらずっと歩く。小説の舞台になる土地ではないし、ほんの少し出る場所だが、来てよかったと思った。
■もっと異なる意識を刺激される。
■夕方、ひどく冷え、また冬になってしまったようだ。
(1:45 Mar.9 2001)

Mar.7 「井の頭公園」

■眠りすぎてしまった。
■といっても眼が覚めたのは午前9時で、それからあわてて朝日の連載を書く。書くことが思いつかず苦しんでいるうちに時間は過ぎ、家を出なければいけない時間になった。12時に吉祥寺で待ち合わせし、井の頭公園で『月の教室』のチラシ用の撮影がある。原稿はまだ途中。帰ってから書こうと決めたが、夜には横浜でニブロールのダンスを観なければいけないしでとにかくあせった。
■外に出るとやけにあたたかい。少し早く吉祥寺に着いたので制作の永井に連絡すると、あたたかいのにやけに長いコートを着て出現。そして、井の頭公園には、演劇ぶっくのワークショップに来ていた太田がいて、太田と永井が女子高生だった。つまりチラシ用に二人が女子高生になっていたのである。それで永井のコートも合点がいった。予算がないのでデザイナーの斉藤さんが撮影。池のほとりにふたりの高校生がいるという設定だ。
■平日の午後だというのに井の頭公園には人が多く、池ではボートをこぐ者らの姿も見える。足でこぐボートでスワンの形をしたものがあるが、スワンのあとを池のカモたちが追う。ほかのボートには興味がなさそうなのになぜかスワンには引きつけられるらしい。そして池のほとりには高校生になりすます二十代の女が二人。太田は制服姿でたばこを吸っている。撮影が終わって永井と太田と、やはり演劇ぶっくのワークショップに来ていた伊藤がバイトしている喫茶店で休憩。だが、原稿のことが気になって落ちついていられない。天気はいいというのに。
■家に戻り、急ぎ原稿を書く。いつもはメールで原稿を送るが担当のYさんが風邪で休みなのでデスク宛にFAXしなくちゃいけないというのが面倒な話である。原稿を書くのに使っているWindows2000のマシンにはワープロソフトがなく、プリントアウトするためにはWindows98のマシンにデータを移さなければいけないし、Win98 のほうは新しく作ったコンピュータなのでプリンターのドライバが入っていない。原稿を書き上げ、プリントアウトができないとわかって呆然とした。インストールしなければいけないではないか。膨大なフロッピーのなかからプリンターのドライバを探すのが面倒でメーカーのWebからダウンロード。
■結局、ニブロールは観られなかった。
(23:31 Mar.7 2001)

Mar.6 「映像のことを考える」

■日をあらためもういちど横田基地にゆこうと思っていたが眼が覚めたら身体が痛い。きのうの疲れが残っているらしい。軽い風邪もあり、薬を服用、短い睡眠をとったら快復したものの、身体の痛みはまだとれない。地図も用意し、福生の地理もかなり把握してどこを歩こうか計画していたが、あきらめた。天気もよくあたたかいのに残念だ。
■夕方、経堂にある月和茶という中国茶を飲ませるカフェに入った。花茶のうち名前を忘れた茶を飲む。感じのいい店で、茶とあいまってゆったりした気分だ。小説が書けないので少し焦り気味だったがそんな気分もすこしやわらぐ。いろいろなものを観たいし、本も読みたいし、どこかにゆきたい。小悦を完成させるのが一番の課題だが。経堂の商店街は工事中の場所が多い。かつてどんな店があったかほとんど思い出せない。
■朝日のYさんから電話。ひどい声。聞けば九度二分の熱が出たそうだ。
■コンピュータにデータを取り入れのできるビデオカメラを事務所の備品として近々買うつもりだ。コンピュータで編集をし映像を作ることに少し気がゆく。映像と音楽、美術、衣装と、まったくコンセプトの異なる舞台をやりたいとおもった。ビデオカメラを手にしたら、またべつの感覚が刺激されるかもしれない。だが、いまは小説だ。小説のことを考える。
(0:48 Mar.7 2001)

Mar.5 「横田基地を見にゆく」

■小説のことを考えていたらどうしても横田基地を見なければいけないことになったのだった。
■井の頭線で吉祥寺へ。中央線で立川。さらに青梅線に乗り換え福生まで行く。あてずっぽうでしばらく歩いたら横田基地が見えたが、ものすごくでかい。国道16号線に沿って歩くと、道を挟んで向こうが横田基地。基地のなかは壁でよく見えないが、道のこちらには基地周辺らしき店が並ぶ。むかし東府中に住んでいたがあそこにも米軍の基地があり正面のゲートから甲州街道までの通りに変な店が密集しなにやら植民地的気配が漂っていたのを思い出す。どこを見れば横田基地を見たことになるのかよくわらかないまま呆然とし、ただ歩き、そもそも、いまどのあたりにいるのか自分の位置がわからぬまま、また歩く。地図を買えばよかった。この途方にくれる感じは迷路をさまようようなめまいだ。歩いた。ものすごく歩いた。
■立川まで戻り、全線開通したというモノレールに乗った。乗り心地はいい。ながめもまたすごくいい。終点の多摩センターまでゆきそこで小田急に乗り換えて帰る。
■Javascriptのエラーを指摘するメールをもらった。それでエラーに気がついた。スクリプトがまちがっているが、なおしてもちょっとしたエラーは直らない。わからなかった。
■小説を少し書く。
(23:28 Mar.5 2001)

Mar.4 「メールをもらうのはうれしい」

■たくさんメールをもらう。なかにロフトプラスワンのイベント参加者も何人かおり、感想を書いてくれてとてもうれしかった。
■それにしてもメールの書き方だ。きまって何通かはまちがっている人がおり、名乗らない、どこの誰だかわからない、一方的に自分の言いたいことだけ書く人もいて、いったいどうすればいいんだ受け取った者としては。住所だけ書いて名乗りもせずハガキを送ることを想像すればわかるはずだが、eメールというコミュニケーションの方法がいまだ成熟していないということだろうか。あるいは、過去の通信手段にはあった相手との距離の感覚がぼやけているということか。いきなり友だちの人がいる。こちらとしてはそういうつもりはないが、いきなり友だちだ。さらに何通かやりとりしていると友だち度が増幅するので、読むのも面倒になって、「うるせえばかやろう」と書いて送ったことが、これまで三度ほどある。といってもそれはまれだ。礼儀正しい人がほとんどだ。
■そんなことを知人に話したら、「えさをやっちゃいけませんよ」と恐ろしいことを言った。
■それで思い出したが、昼間、小田急線梅ヶ丘の町をぶらぶらしていたら携帯に竹中直人から電話があった(なぜ思い出したかよくわからないが)。いま京都だという。僕が東京に帰ってきたのと入れ替わるように映画の撮影で京都にいるそうだ。会いたかったがタイミングが悪い。そういうやつだよ。
(0:58 Mar.5 2001)

Mar.3 「反省点」

■一日たってロフトプラスワンのワークショップについて少し落ちついて考えることができた。
■一番の問題は、これは「ワークショップ」なのか、それとも舞台上でなにかを見せる「パフォーマンスの類」かといった、コンセプトがあいまいだったこと。するといろいろ考えられ、「参加型イベント」「ワークショップを見せ物にしたもの」「ワークショップの形を借りた宮沢の講演」などあって、どれだか不明瞭だった。
■次に、「対象は誰か」がやはりあいまいだった点。
■ふだんのワークショップでは「俳優志望者」を前提にする場合が多く、外に出てなにかするなど遊びの要素の多い、というか、いわゆる演技術を学ぶのとは異なるワークショップはそのことを募集告知に明記し、たとえば、「俳優にならないためのワークショップ」とうたう。「俳優にならない」というだけあってほとんどごくふつうの人。そのための方法がある。
■次にヘルパー。「ヘルパー」という名前がいけなかったかもしれない。参加者を10の班にわけ、それぞれに「ヘルパー」と名付けた「お手伝い」をつけたが、ヘルパーの負担はすごく大きい。時間が短いなかでてきぱき作業しなくててはいけない。短い時間で班をまとめ、うまくガイドし、コンセプトを具体化し、説明し、ひっぱってゆくというのは、かなり力量のいることだ。人選をもっと慎重にしなければいけないというか、きちんと指導してからはじめるべきだった。
■舞台を使ってなにかするというのは、参加者にしろ、見学者にしろ、いったん「舞台を見る」という体勢にはいると、「ワークショップの受講者」ではなく、「なんらかの見せ物」を見に来た「観客」になる。ふだんのワークショップではこんなことはない。ある日とつぜん集まって、舞台のある場所でなにかするとはこういうことなのだろう。
■こうして反省点をあげてゆくと、だったら次はこうしようなどと考え、リスクを忘れまたやる気になってしまうからあきれた話だ。
■そうやってずっと仕事をしてきた。
(2:47 Mar.4 2001)

Mar.2 「ロフトプラスワン」

■ロフトプラスワンのイベント。夜のワークショップに90人ほど参加。しかも、男の比率がたいへん高い。80人は参加者、残りが見学。参加者は夜の歌舞伎町にフィールドワークへと出ていった。はじめての試みでいろいろ失敗。過去のワークショップの経験者が手伝いに来、ヘルパーとして参加したが何人かはものすごく無能。
■ひどく疲れる。終わったあと、ひとことも話をしたくなかった。打ち上げのとき、すみにいて黙っていたいと思ったら、ばかが俺の席をまんなかにしたので、また気をつかって、文学について語る若者、よくわからない女などの相手をしなくてはならず、いよいよ疲れるし、最終的にちっとも金にならないしで、家に帰ってから二度とこんなことをやるものかと思ったのだった。
■よく詩人が「詩の朗読」をやるが、「エッセイの朗読」、いわば「エッセイリーディング」というものをやってしまった。ワークショップの参加者が外に出ているあいだ見学者のためにやったのだが、なんでそんなにサービスしなくちゃいけないかと思う。で、本を読んでいるのをみな黙って聞いているというこの場の全体状況が、読でいる途中でひどくおかしいことのように思え、読みながら笑った。
■生きていれば、たまにはこういう日もある。
(12:47 Mar.3 2001)

Mar.1 「三月は雨」

■東京は雨もようの一日。
■静岡へ持ってゆくコンピュータを整備していた。手もとにあるパーツや中古品を買ったりなどして格安のコンピュータを組み立てたがトラブルが頻発。いらいらしているところへ大学から電話。理不尽な話。途中、用事で外に出、いろいろ気分が晴れる。
■このあいだ久しぶりに、近所の洋食屋に行った。朝日新聞の連載をいつも読んでいるとのことで、僕が京都に住んでいることを店の奥さんは知っていた。知っている人もいれば、まちがって認識している人もおり、「今年の○○○○(ある舞台)は宮沢さんが演出じゃないので行くのをやめました」と名古屋の人からメールをもらったがそんなのやってないとおどろく。知っているのか、知らないのかよくわからない人からもメールが届きアニメについてコメントしてほしいという。雑誌の編集者。その人のメールでは「宮澤」となっていた。きっぱり断る。
■ロフトプラスワンの準備。夜は気温が低いのだろうか。
(5:14 Mar.2 2001)