Feb.28 「新宿へ」

■二月が終わってしまった。
■ロフトプラスワンで打ち合わせがあるので久しぶりに新宿へ行った。小田急線の西口の出口から大ガードに向かって歩くと大江戸線の入り口あたりの空気は以前とずいぶん異なる。歌舞伎町に足を踏み入れると相変わらずの町。店は変わっているのだろうが、全体の雰囲気は変わらない。変わりようがない。この町でしか生きられない人。風俗店の看板。サウナの入口。居酒屋のごみ。パチンコ屋の音楽。コマ劇場。歩きながら携帯で話す職業不詳の男。なにをしているのかわからない女たち。
■金曜日のイヴェント「歌舞伎町・夜のワークショップ」の手伝いに来てくれる小浜と、建物の前で待ち合わせし地下のロフトプラスワンへ。お店のYさんはのりのいい人だった。でなかったら、毎日、なにかしらイヴェントをしているこの店をきりもりしていけないだろう。すごいと思った。遅れて永井が来る。僕は寝不足。それにしても当日は時間が少ない。ぎりぎりのスケジュールだ。でも、楽しくなると思う。
■パソコンショップの店頭で新しいiMacを見た。写真で見るよりひどい。どういった人をターゲットにした商品なのだろう。ただ六〇年代テーストを感じないでもない。
■夕ぐれの新宿を少しぶらつく。
■時間を作ってもっと歩けばよかった。
(0:45 Mar.1 2001)

Feb.27 「論理と倫理」

■午後、食事をしに外に出る。
■ぶらぶら経堂まで歩いたが、変化するのは商店街ばかりではなく住宅街もそうなので、木造建築の感じのいい住宅が取り壊され更地になっていたり、マンションになっていたり、新しい住居になっているが、どうしてそんなデザインにしてしまったんだと思うようなことは多いものの、まあ、他人にとやかく言われる筋合いはないだろうな、住んでいる人にとっては。
■まったく同じようなデザインの家が三軒並んでいる。迷わずによく家に戻ってこれるものだと感心する。
■工業製品的に住宅も建てられる。経済効率は高く、従来の家より安く建てられるが、それは一面の真実でしかない。建築家がきちっとデザインすることでまたべつの経済性もあがるはずで、着るもののことがわからずブランド品で身を飾りたてる者もいれば安いものをうまく選んで買いかっこよく着る人がいるのと同じ。「デザイン」とはそもそもそのようなものだ。芝居、あるいは演技でも、工業製品的なものはきっとあり、だが、そこからどうやって逃れるか。
■経済学者の岩井克人が新聞に書いていた。資本主義の論理は、「売れなくてはいけない」。では倫理はなにか。
■「売れればいいというものではない」だ。
■空前の価格破壊の時代には、スーパーやショッピングセンターに人が集まる一方で、デパートの景気は悪い。そこにあるのは文化が壊されてゆく風景の象徴ではないか。デパートが文化を代表するわけではないが端的に文化破壊はそういったところにあらわれていると見え、資本の論理が幅を利かせ倫理が忘れられてゆくこととどう向き合うかが、文化と関わっている者の課題であるはず。いわば倫理。スーパーマーケットでは万引きが多発する。あの小売りの方法の効率のよさは高度な資本主義が作った最高の形態なのだから、万引きのリスクが発生するのは当然のことで、万引きするなというほうがおかしい。むしろあの形態は万引きしたい衝動に人を駆り立てるだろう。「万引きする者」を断罪しようとするのは、倫理なき資本の論理のなかの、ねじれた倫理、うそくさい倫理だ。べつに万引きを勧めはしないし、万引きが僕はきらいだが、正義のようなつらをして万引きを断罪する資本の偽善は否定する。
■いまや、「商品」の売り方、棚の並べ方、宣伝こそが「売る」ことのスタイルになっているが、なぜ「商品」そのもので勝負はできないのか。そんなことを、『資本論』の「商品」の項の難解な分析を読みつつ考える。
(4:51 Feb.28 2001)

Feb.26 「写真日記・世田谷を歩く」


 天気がよかったので豪徳寺周辺を歩く。いつもの商店街(写真左上)といつもの小田急線豪徳寺駅(右上)、そして、元要人外国訪問支援室長・松尾克俊が、機密費を横領して愛人に買ったマンション(右下)は豪徳寺駅から三分。商店街のなか。だが、梅ヶ丘にある羽根木公園の梅はとてもきれいだった。あと、関係ないけど、太陽の塔(京都・CafeOPAL)。

(0:07 Feb.27 2001)

Feb.25 「サッドマックと地獄を見た一日」

■昨夜、というのは24日のことだが、夜11時半ぐらいに眼が覚め、日記を書き、本を読み、ネット上でやっている関西圏ワークショップ準備委員会方式掲示板に書き込み、メールをチェックし、それからMacの環境づくりの作業をはじめたが、気がついたら24時間起きていていた。三時間の睡眠でまたこの日記を書いている。
■なんというか、きちがいざた。
■Newerというアメリカの会社があった。Mac用のパーツや周辺機器を作っていた会社で、7100/66AVという古いマシンをグレードアップしようと通信販売のサイベリアンを通じてG3カードを個人輸入したのは数年前のことだ。無事に届いたのはいいが動かなかった。で、Newerと慣れない英語のメールのやりとりをしているうち、なんだかやたら親しみを感じたのは不思議で、拙い英語にていねいに答えてくれるし、担当者が変わって、以前メールを書いたのですが返事がなくてとか送ると、「realy?」と失礼なことを言う。ふざけるなアメリカ人めとか思いつつ、メールを書けば、これを向こうの担当が何時ぐらいに受信し、読んで、それから社内で話題にし「日本からメールが来てさ」とか言ってるのではないか、そこはどんな町で、どんなオフィスかと想像するのも面白く、何通かメールをやりとりしたあと新しいカードと交換になった。結果的にはいい会社である。
■Newerが去年の暮れ、倒産したのだった。噂を聞いてWebを訪ねるとサッドマックがいた。We're sad too.とある。
■7100/G3250を静岡に運ぼうと作業。G3 カードはいまだに順調に動いているが、古いNuBUS用のビデオカードを入れたりって、持っているのもどうかと思うが、あれこれの作業は大変だ。モニターの前とコンピュータの裏側と何度往復したことか。地獄を見たね、俺は。最終的にはまたなんとかなった。わたしは基本的に機械工作が好きだと再確認。
■いま目黒にある東京庭園美術館「ロシアアヴァンギャルド展--ポスター芸術に見る20世紀視覚芸術の革命」をやっている。時間を作って見に行こうと思うが、先にカタログを見た。すごくいい。
■ロフトプラスワンの「歌舞伎町・夜のワークショップ」だが、うちの学生も京都から来ると言うし、大阪の扇町ミュージアムススクエアの方もわざわざ来たり、連載の担当編集者やようこそ先輩関係者やと、これはもうへたなことはできません。
(4:11 Feb.26 2001)

Feb.24 「地図」

■とたんに冬。気温がぐっとさがる。
■ロフトプラスワンでやる「歌舞伎町・夜のワークショップ」では、きのう送った中上健次論を話そうと思う。『十九歳の地図』を中心に書いた原稿で、書いているうちに地図の話になった。「地図」そのものについても話したくて、ほんとは一時間以上話せるかもしれないが、当日は時間がない。
■コンピュータの作業をしているうちに部屋が錯乱状態になった。片づける。とりあえず、静岡でのコンピュータ環境の準備のうち、Windowマシンはほぼ完了したが、あとはMac。
■アプリケーションなど整備して向こうでもこちらと変わらない環境にしたいが、まあ最低限のものがあればいい。この日記を書いているのは、ミミカキエディットってやつで、あとJtermを補助的に使い、Netscapeで確認、たまにAdobeの諸アプリ、llustrator、Photoshop、Cyberstudio、あとマクロメディアのFireWorksを使ってグラフィック処理をするが、持ってゆくMacはメモリが少ないのできっと使えないだろう。
■そんなことをしているうち、また無為な一日が過ぎてゆく。
(3:17 Feb.25 2001)

Feb.23 「ひとつ仕事を終える」

■ひる少しまえ、ようやく中上健次論を書き上げメールで送る。
■少し疲れたが、静岡のコンピュータ環境のための整備をしようとパーツをいろいろ出してくる。部屋がとたんに混乱する。ケースがなかったので、全部むき出しのままパーツを組み立て起動実験した。
■いかにして起動するようになったかという戦いを書き出すと長くなる。インターネット上には自作機の組み立てを紹介しているページが数多くあって、あれはあれで、けっこう参考になったりもし存在の意味はあるのだろうが、それどころではない。へとへとである。紹介などしていられるものか。簡単にことは進む予定だった。なぜ動かなかったり、不具合は発生するのか。で、なんかやっているうちになんとかなるからコンピュータは不思議だ。
■中上健次の原稿を書いてほっとしている場合ではない。小説に取りかかろう。ようやく書ける。
(10:33 Feb.24 2001)

Feb.22 「とうとつな春と音声入力について」

■東京は18度。
■一日中、原稿を書いていた。中上健次論。僕にしては、ゆっくり丁寧に書いている。あと少し。
■以前から気になっていたことだが、コンピュータで書くときの「引用問題」をどうすればいいか。評論に類する文章は引用することがしばしばあり、片手に本を持つとキーボードが打てない。仕方なくあいたほうの片手で書くことになって当然ながらひどくキーが打ちづらいのだ。ふと音声入力のことを思う。音声入力では文章にならないと考えていたが、引用だったら問題なくいけるのではないか。試してみなければなるまい。しかし、うるさくないのか。オフィスでみんな音声入力だったらわーわーうるさくてしょうがないと思うがいかがなものか。あと秘密の文章といったものがだめだろう。音声入力の未来は遠い。
■関西圏でワークショップをやる準備のための掲示板になにか書かなくてはいけないが、ここ数日、書けないでいるし、ワークショップに参加を希望する人たちからもメールをもらっているのに返事が書けず、だめである。
■こんなにとうとつに春がくるとは思わなかった。
(2:28 Feb.23 2001)

Feb.21 「前方の闇に向かって」

■原稿が書けないからキーボードが気になるのか、キーボードが気になるから原稿が書けないのか。新しいものを買いに秋葉原までいった。やはり消耗品だ。キータッチが気になりはじめるとストレスがたまりいらいらする。近所の文房具屋にキーボードがないのは問題で、とくにHappy Hacking Keyboardなんてものになると新宿にあるかもしれないがもしなかったら二度手間だから秋葉原までゆく。キーボード以外にもいくつか買い物。静岡でのコンピュータ環境の準備だ。
■それにしても秋葉原には漢字の書けない店員が多い。領収書を頼むと「宮沢」という簡単な字がすらっと出てくる者が少なく、以前どこかの店では領収書にカタカナでミヤザワと書かれた。
■新しいキーボードを、i-Switchにセット。すこぶる快適。ここちよいキータッチである。
■原稿も少し書ける。締め切りはもうとうに過ぎている。時間が足りない。
■書いている原稿のこともふくめ、一日、「小説」について考えている。とにかく探求。考えつづける。前方の闇に向かってまっしぐらだ。
■いま気がついたが、「書いた時間の記録」、ぜんぶ2000年になっていた。もう直したが。
(2:29 Feb.22 2001)

Feb.20 「眠る日々」

■明け方まで起きていたせいで、眼が覚めたのは夕方だった。散歩したり、眠ったりで仕事が進まない。あと資料を読み、読んでいるうち、本来やるべき仕事以外に考えがずれていって、メモを取り、べつのことを考えているほうが楽しいのは、あきらかに逃避である。
■朝日新聞の出版局にいるOさんからメールで中上健次論の原稿催促。その号は中上健次の特集らしく、青山真治と松浦寿輝の対談が載るそうだ。あ、『小説Tripper』って雑誌。青山真治さんは、『路地へ』という映画を撮った人で、それとどっちが先かわからないが、『ユリイカ』という作品の評判がすごくいい。もう公開されてしまったのだろうか。観たいと思っているのだが。
■夜、永井から電話。ロフト・プラスワンのワークショップの件。問い合わせがとても多いとのこと。人数がたくさん来た場合、どうやって作業を進めたらいいかだ問題は。僕の舞台に出ていた者らや、これまでのワークショップ経験者が何人か手伝いに来てくれるというが、果たしてあのばかものたちに任せておいて大丈夫かが第二の問題だ。歌舞伎町を歩いてもらう前に、「地図に関する話」をしようと思うのでその原稿も作っておかなければ。楽しくなりそうである。
■あといろいろな人からメールをもらっているのに返事が書けない。この場を借りてあやまる。すまん。
■しまってあったモデムをコンピュータにつなげニフティに接続してみた。久しぶりの巡回で終わるのに時間がかかる。それにしてもモデムを探しているとき部屋のあちこちからコンピュータのパーツやらケーブルやら無数に出てくるが、なにがなんだかわからない。組み立てると一台コンピュータができるのではないか。
(1:25 Feb.21 2001)

Feb.19 「世田谷線」

■天気がよかったので昼間少し散歩した。
世田谷線に乗って下高井戸へ。世田谷線は、古い車両がすべて廃止されることが決まり、最後の日、線路沿いは鉄道マニアたちであふれていたという。いま全駅で工事をしている。車両のステップにあわせてホームを高くするからだ。これまで路面電車みたいだった世田谷線の駅が変わるので、高校生たちがふざけ、線路を渡って反対のホームまで行くような光景はもう見られないだろう。
■べつにどこに行くあてもないまま、下高井戸の日大通りを歩く。住宅街のなかに入って公園で一休み。しばらくして経堂へ。けっこうな距離を歩くが、それほど苦ではない。経堂の本屋で雑誌を買って喫茶店へ向かうと、駅からつづく農大通り商店街はずいぶん店が変わったと思った。町は変化する。ちょっと見ないうちにかつてその場所になにがあったかわからなくなる。
■原稿がとどこおる。小説を仕上げなくては。
(0:43 Feb.20 2001)

Feb.18 「世田谷に帰る」

■午前11時過ぎののぞみで東京に戻った。
■東京駅から中央線に乗り換え新宿に着いたのはまだ午後二時前。南口で駅の外に出、たばこを吸う。日曜日の午後の新宿。なにかわけのわからない者らが通り過ぎてゆく気がし、これは新宿ってことかと思えば、そばでは宗教の者らがしきりに道行く者へ話しかけている。風景がゆがんで見えるのは京都からずっと中上健次の『灰色のコカコーラ』を読んでいたせいか。
■やけにあたたかい。
■昨夜はあまり眠っていなかったので、夕方、少し睡眠。
■眼が覚めてから、とりあえずコンピュータの整備。仕事ができないからだ。NANAOのi-Switchで、MacとWindowsマシンを、ひとつのキーボード、ひとつのマウスで動かす設定をするがこれがうまくいかない。キーボードを付け替えたりしていろいろ試す。Happy Hacking Keyboardでないと書けないので困ったが、最終的にはなんとかなった。たいていのことが、最終的にはなんとかなる。「最終的」ってやつがよくわからない言葉だが。
■あしたまたあたたかだったら、少し散歩してみようかと思った。
(0:35 Feb.19 2001)