世田谷日記は年末年始、しばらくお休みをいただきます。年明けは1月8日から。「京都その観光と生活」を再開します。それまでお待ちください。





Dec.30 「小説を探して」

■ある作家の小説が読みたくて経堂あたりの本屋を探してもどこにもない。新宿か渋谷の大きな書店に行けばあるかもしれないが、そこまで足を延ばすのが面倒だ。大きな書店がわりと近くにある環境はどれだけ幸福か。京都の部屋はそういった意味では便利だ。なんでも近くで手に入る。経堂の商店街を久しぶりにゆっくり歩くと、ずいぶん店が入れ替わっているのに気がつく。町は生きている。家の近くに新しいマンションが建築中。おかげで東京タワーが見えなくなった■あしたの午前中、静岡にゆく。年明け、袋井市でワークショップを3日間ひらき、そのあとはまた京都。一月の京都はどんなに冷えるか、それが怖い■
(2:08 Dec.31 2000)

Dec.29 「二つの事件」

■夕方、町に出ると、年の暮れのにぎわい。暮れから年明けにかけての東京は好きだ。人の数も少なく、車の数も減る。兵庫でタクシー運転手を殺し1万数千円を奪ったという16歳の少年と少女のニュース。二人でバイトすれば一日で稼げるような金額。それで運転手は殺された。現金輸送車が襲われ四千六百万円が強奪された。輸送車を運転していた者が発砲を受け死亡。同じ日に二つの事件。皮肉な話。二つの悲劇が同時に生まれたとき「金」を支点にして喜劇が生まれる。喜劇は構造だけを見つめる唯物論だ。悲劇はディテールのなかにある■
(7:18 Dec.30 2000)

Dec.28 「佐賀町エキジビット・スペース」

■80年代の初頭から異色の美術展を開いていた佐賀町エキジビット・スペースが閉館になるそうだ。最後の展示として、建物と展示スペースだけ見せるという企画が30日まで開かれているというので足を運ぼうと思ったが、もろもろの事情でいかれなくなった。30日までにぜひとも見ておこう。この時期に来ての閉鎖にはなにか意味があるのかと考える。もちろん経済的な問題が大きかったことは容易に想像できるが、「現在」を考えるうえではもっとべつの意味があるのではないか■広告批評から原稿依頼。ほかに桜井君経由でニブロールについてスタジオヴォイスに原稿を書かないかという話。最近は批評っぽいものから遠ざかっているのでこの手の原稿をもっと書きたいと思った■アエラの「日本を動かす百人の40代」という特集(もっとちがうタイトルだったと思う)だが、アンケートの質問のひとつに、一ヶ月に休日は何日かというのがあった。僕の答えは「20日」。だが、正確じゃない。「よくわからない」か、「まったくなし」のどちらかだろう。作家をはじめてもう20年になる。20年間、ほんとうの意味で休んだことがあったか疑問である。いつだって仕事のことを考えている。休みは一日もなかった。それが作家という職業。それにしてもほかの40代の方たちがものすごく働いているので驚いた■
(1:08 Dec.29 2000)

Dec.27 「鍼治療」

■午後、西武新宿線の都立家政まで鍼治療に行く。数日前から腰の調子が悪いからだ。いつものように身体中に鍼を刺して筋肉をほぐす。それから一番痛い場所に太い鍼を打つがこれが効く。神経に電流が走ったような痛み。年明けを前にメンテナンスしておいてよかった。ずっと調子がよかったので油断していたが、腰は突然くる。あぶないところだった。演劇界には腰の弱い人が多い。ダンサーや俳優にもいる。腰が弱いとはなにを意味するのだろう。腰の強い人がいたら会ってみたい■新宿の西口から西武線の乗り場まで歩いている途中、大江戸線に通じる地下への入り口を見た。近くのビルがカメラの量販店になっていた。東京の風景はどんどん変化してゆく。また、新宿や池袋をぶらぶら歩いてみたいと思った■
(1:58 Dec.28 2000)

Dec.26 「うれしいメール」

■朝だからというのではないが、朝日新聞の連載を書いてメールで送る。1月第1週分の原稿なので、これで心おきなく正月が迎えられる■ある表現活動をなさっている方から「からだ」に関するメールをもらった。それが「我が意をえたり」という内容でうれしくなった。つまり、「きたえられたからだってかっこ悪い」ということ。僕もそう感じてはいたのだが、しかし、そうずばっと言葉にできなかった。気持ちがよくてとてもうれしい。しかし、問題なのはおそらく、なぜいま、「きたえられたからだ」がかっこ悪くなってしまうかだ。きたえるのは重要なはずなんだ。きたえてこその、俳優や、ダンサーである。それでもなおかつ、「かっこいい、いまのからだ」は存在するはずであり、すると「鍛え方」ってやつ、訓練法、そこに流れる思想にこそ注目すべきだし、俳優やダンサーがどう意識的になるかではないか■そんなことばかり考えているうちに、気がついたら、年末というやつだ。スーパーには正月用の食材が並んでいた。今年も早かった。いろいろやっているうちに、一年があっというまに過ぎた■
(23:52 Dec.26 2000)

Dec.25 「風が冷たい一日」

■筑摩書房の打越さんからメールが来た。打越さんは天王洲界隈に住んでいるという。あのあたりに住めないと思うのは、巨大な水門があるからだ。怖くてしょうがない。20年以上前、台風の日に東京湾の近くへ行きあの水門にあふれんばかりの水を見たときの恐ろしさを思い出してしまうからだ。水門は恐ろしいが、夜に見る寺の山門も恐ろしい。とにかく、でかい「門」はだめである■きのうあったガーディアン・ガーデンの催し物で、「制作」の大事さとか、「観客動員について」など話題にのぼり、まじめに発言する気にはならなかったが、やはりしっかり発言しておくべきだったかときょうになって思う。ちょっと疲れているのでそのことは次の機会に書く■極寒。夜、外は風が強かった■テレビをつけると、「21世紀」だの、「今世紀最後の」だのとうるさくてしょうがない。それで本を読む。世の中とは関係なく本を読む■
(0:42 Dec.26 2000)

Dec.24 「天王洲」

■集合時間に遅刻してスフィアタワー天王洲に到着。ガーディアン・ガーデンの催しものがスフィアメックスというホールである。一時過ぎに開演し、なんだかんだで七時間ぐらい続く。トークバトルといったようなものがあっても、気分が盛り上がらず、もっと話すべきことがあったはずだが、口にする気力が失せていたのだった。まあ、いろいろな人と話ができたのは楽しかった■それにしても、天王洲はいかがなものだろう。湾岸地帯に九〇年以降次々と開発された新しい商業地域のひとつなのだと思うが、クリスマスイブにしちゃあ人もまばらで、新しい建築がうつろに立ち並ぶ姿は、この時代のひとつの象徴ではないかと感じた。それにしても、町はイルミネーションだらけだ。まあ、遠目に見るぶんにはきれいでけっこうなことである■
(5:54 Dec.25 2000)

Dec.23 「多摩美の上野毛校舎は昔とあまり変わっていない」

■夜、ニブロールというダンスグループが出るというので、多摩美の上野毛校舎まで行った。三軒茶屋まで世田谷線。三軒茶屋から地下鉄で二子玉川へ。大井町線に乗り換え上野毛に着く。アートマネージメントを勉強している学生たちが開いた催し物の一環だという。上野毛校舎に足を運ぶのはほんとうに久しぶりで、ことによると多摩美の試験を受けて以来、25年ぶりではないか。そんな感慨に浸りつつ、ニブロールを見る。やっぱり面白かったが、あきらかにきのう見た天野由起子さんとは異なる種類のダンス。桜井圭介君に聞いた話によれば、なにかのコンテストのようなものがあってニブロールが参加したという。ダンス系の審査員にはまったく評価されず、そうでない美術系の人らには高く評価されたとのこと。ここらあたりどう考えるか。演劇も似たようなことはしょっちゅう起こっており、きっちり議論すべきだとわかっているが、議論するのもめんどうなときがある■帰り、バスで環八を小田急線の千歳船橋まで行った。京都とバスの仕組みが異なり、東京では料金先払いなのでそれにとまどう。慣れとは恐ろしいものだ■
(1:11 Dec.24 2000)

Dec.22 「新井薬師前駅横の踏切は開かない」

■身体が不調なので少し不安だったが、枇杷系スタジオまで行く。ミライクルクルというダンスグループの一人、天野由起子さんを見た。面白かったなあ。というのも、こうなるとなにを踊るかとか、どう踊っているというより、天野由起子さんが魅力的であるとしか言いようがなく、それは「いまの身体」がそこにあると思えたからだが、うまく説明できない■枇杷系スタジオは哲学堂の近くにある。中野から江古田行きのバスに乗って「哲学堂公園入口」という名前のバス停で降りるが、途中、新井薬師前の踏切がいっこうに上がらないのでいらいらした。枇杷系スタジオにははじめて行った。まだ新しくいいところだった■話は前後するが、昼間、制作の永井に会って刷りあがってきたばかりの遊園地再生事業団の年賀状を受け取る。それから今後のことなど話をする。僕の演劇活動は、一月から五月まで静岡県の袋井市でワークショップがあり、それを踏まえて市民参加の舞台をやる。それから先はあまりたしかではないが、おそらく2002年の秋に本公演をやるだろう。なにをやるかまだなにも決めていない。二年先の話だ■
(0:48 Dec.23 2000)

Dec.21 「ファンの音」

■昼間、Windows2000が動いているコンピュータの設置場所を変えた。ファンの音が異常にでかいからで、少し遠ざけるとがまんできないほどではなくなった。コンピュータはなぜファンの音がでかいのか。まあ、技術的にはいろいろあれなんだろうけど、機械ががんがん音を立てている場所でほんとうに原稿が書けるか疑問になってくる。静かな場所で原稿を書きたいと口にしても、コンピュータがなければ書けないのだとしたら、どこに行ったってファンの音はつきまとう■ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバルが10周年だというので開かれる24日のイヴェントを、代々木のフジタヴァンテでやると少し前に書いてしまった。天王洲であると知らされて驚いたのだ。メールで教えてくれた人もいてありがたいが、知らなければ代々木のフジタヴァンテに行ってしまい、閉鎖されていると呆然としていたことだろう。人間、なにより確かめることが大事である■ずいぶん寒さがきびしくなってきた。夕方、自転車で走ったらひどく冷えた。東京に戻って身体がなまっているのかもしれない■
(0:48 Dec.22 2000)

Dec.20 「テレビでサッカーを見ていた」

■朝日の原稿を書いた。きのう神保町で買った本の一節が面白かったのでそれを使う■ふと、ずいぶんまえサウナの休憩室で見た光景を思い出したのは、テレビを見ていたからだ。サウナの休憩室で食べ物を注文した人がそれがまずいと文句を言っていた。サウナで食べ物に文句を言うのは滑稽だ。フランス料理店ならわからないでもないが、サウナの食べ物など、注文するときからまずいと覚悟を決めなきゃだめだろう。つまり文句を言うくらいなら食べなければいい。サウナではサウナらしい食べ物がある。まずいと相場はきまっているのだ。テレビを見て文句を言うのも同じだ。テレビにはテレビらしい番組があればいい。つまらないと思えばスイッチを切ってどこかに行く。だが、サウナのまずいものが好きな人もいるだろうし、それが否定されるべきではないように、テレビが好きな人がそれを好むのも否定すべきじゃない。ただ、サウナの食べ物より美味しいものもあることを知ったほうがいいように、テレビよりいいものがテレビの外に数多く存在することも知るべきだ■で、日韓サッカーを見ていたのだった。ゲストでコメントしていたラモスがうるさい。いったい何様なんだあの男は。靴下をはかずに靴を履くような人の話なんか聞きたくはないのだ。つまり、そんなふうに文句を言うくらいなら競技場に行くべきという話■
(23:36 Dec.20 2000)

Dec.19 「神保町へ」

■資料を買いに神保町の古本屋街に行った。何冊かめぼしいものを見つけて購入。神保町も昔の面影は失われ古本屋街の姿は薄れつつある。ずいぶん歩いたせいか、ひどく疲れ、帰りの電車で本を読もうとすると眠くなる。本を読んで眠くなると、なぜか高校時代のバスのことを思い出し、『資本論』を読んでは眠くなったバスのなかのにおいが鼻先に漂ってくる気がする。これはいったいなにかと思うのだ■帰ってから頭痛。直らない。夜のニュースを見ていたら、如月小春さんが亡くなられたことを知った。面識はないが、あまりに若い死に驚いた。書かれたものに対して批判的だったこともあるが、冥福を祈りたい■
(0:24 Dec.20 2000)

Dec.18 「フリーター」

■いま世田谷にいるのだから、「世田谷日記」にしないとまずいと思い、そうすることにした■あっというまに東京での日常の再開。小説を書かねばいけないがどうもだめでついコンピュータ関連のWebなど見にゆきまた新しい自作機を作りたいなどと考える。柄谷行人と村上龍の対談が雑誌にあったのを京都の本屋で見つけて立ち読みすると、柄谷さんはやたらコンピュータの話をしている。しかも、Linuxのことなど。『草の上のキューブ』は、名前は出てこないがLinuxのことを書いている。なんだかうれしくなった。あと気になっているのは、MacOS Xのことで、やっぱりUNIXだそうじゃないか。使いたくなったが新しいMacを買ってからだ。いつのことになるかわからない。MacのCPU速度は、INTELや、AMDに比べるといっこうに上がらないが、どこかで劇的に上がるのではないか。MacOS Xはかなり重いらしい。上がってはじめて実用的になるにちがいなく、そのときがよく言われる「買い」だ。よくわからないけど■いくつか書いた原稿の掲載紙が届けられた。「Z−KAN」という雑誌の特集は、「フリーター」である。フリーターと呼ばれる者のインタビューや様々な角度からの分析がある。「フリーター」は英語にはない和製英語と呼ばれる言葉だといまさら説明している文章は凡庸だが、「アルバイトする者の身体」のことを演劇の問題として考えているし、アルバイトをテーマにした作品をなんらかの形で書こうと思っていたので興味深かった。いまの僕は形式的には大学に就職しているものの、そもそも劇作家とフリーターはどう異なるのか。自由業と呼ばれる仕事をずっとやってきた。自由業とフリーターはなにがどうちがうのか。厳密には説明できないはずだ。よるべない仕事である■
(23:17 Dec.18 2000)

Dec.17 「ゴドーを待ちながら」

■世田谷パブリックシアターで『ゴドーを待ちながら』を見た。演出が佐藤信さん、ウラジミールとエストラゴンに、石橋蓮司さんと柄本明さん。柄本さんの意識的にそうするいいかげんな演技に驚かされた。「行こう」「どこへ?」というやりとりを戯曲で読むと、そこに詩的な劇言語を読みだしてしまいがちなのに、柄本さんはそれを意識的にいいかげんに発するので、簡単に書けば、言葉がどんどんどうでもいいものになってゆく。すると『ゴドーを待ちながら』の構造が見事に描かれることになり、「待つ」という行為の、そこにある「ムダな時間」の「ムダ」がたしかなリアルさで浮かび上がると僕には見えた。見終わってからアフタートーク。パブリックシアターの松井さんと舞台上で話す。ベケット周辺の話を30分ほどしたあとで会場から質問を受けるが、やっぱり会場からの質問はとんでもないことをいう人がいてとても楽しい■劇場の外に出ると雨になっていた。近くの餃子屋で夕食。三軒茶屋からタクシーで帰る。道が混んでいた■
(6:37 Dec.18 2000)

Dec.16 「東京にもどる」

■午後ののぞみで東京に帰ってきた。こんなに東京を留守にしたのは外国に行っていたとき以来だ。仕事部屋に入って驚いたのがモノが多いことで、どうかと思うような数のコンピュータ、棚に入りきらなくなって積み上がる本や雑誌、こまごまとしたものなど。京都の部屋はシンプルだ。そして東京は人が多い。そういった意味では僕の仕事部屋も東京的だ。過剰にものや情報がある。それがこの町らしさ。京都の生活はゆったりしている■東京駅から中央線で新宿まで行き、小田急線に乗り換えようとしたとき、人であふれる新宿駅南口の混乱ぶりに疲れた。豪徳寺のあの小さな駅前も人が多いのでおかしいと思ったが、きょうは上町で「ボロ市」をやっているとあとで知った。「ボロ市」になると世田谷線が混み、ここら一帯がやけににぎやかになる■経堂にある「はるばる亭」の香麺を夕食に食べた。たいへん美味しい。久しぶりに世田谷らしい生活である■
(1:46 Dec.17 2000)