■一日、雨模様。だいぶ生活が落ち着き、これでようやく仕事ができる。来月の五日には仕事で東京に戻らなくてはいけないので、それまでに原稿を何本か書く予定。デザイナーをやっているOさんという未知の方から、「音楽と身体」についてメールをもらった。ニューヨークで芝居をやっているという方のメールも含めて、NOTEのページにまたなにか書こうと思うが、このところ町を歩いてばかりで更新が滞っている。やらなくては。10月1日からこの日記を京都日記に変更しよう。それからTOPページも作り直す。授業も始まるし、10月から活動を本格化しようと思う。
(3:44 Oct.1 2000)
■午後から学科会議。大学の急な上り坂もだいぶ慣れた。いくつかの伝達事項。十月からの授業が不安だったのでその相談などする。建設中の劇場の見学。ようやく構造が組み上げられたところで、まだよくわからない。夕方から舞台芸術科の人たちと太田省吾さんの家で食事。わーわー話しをしているうちに、深夜の二時近くになっていた。部屋に戻ると文學界のOさんから留守電が入っており、編集部に電話するとOさんはまだ仕事をしていた。小説の最後の確認。
(12:44 Sep.30 2000)
■家の近所をぶらぶらしていたら、「京都アートセンター」という施設があった。名前は知っていたがこんなに近くにあるとは思わなかった。廃校になった町の中の小学校を改装した建築で、建築もいいが、こういった施設を作るという取り組みが面白い。美術展もいろいろ開かれるようだし、カフェも中にあるし、これからちょくちょく来ようと思った。それから錦小路市場を抜け、河原町へ出て、スターバックスで買ったアイスコーヒーを鴨川べりで飲む。京都市役所の脇をさらに歩き寺町二条のあたりへ。三月書房をちょっとのぞく。夷川通りは家具屋さんばかりが並んでめまいがしそうだ。ずっと歩いてようやく烏丸通りに出、気がつけばぐるっと一周、ようやく部屋に戻る。へとへとである。
(0:18 Sep.29 2000)
■朝晩、ずいぶん冷えてきた。東京からもらうメールにも同様のことが書かれているので、どうやら全国的に秋のようだ。朝日の原稿に苦しんだ。いまだこちらでは、仕事をする体制が不完全で、だいたい意識が観光気分なのがいけない。つい、観光客のような目で京都の町を見ている。午後、ようやく書き上げて朝日の原稿をメールで送る。夕方、ゲラがFAXで送られてきた。東京で原稿のやりとりをするのとほとんど変わりのない状態。全く世の中、距離はどんどん関係なくなってゆく。中上健次の『重力の都』再読。谷崎潤一郎の『春琴抄』があってはじめて成立している作品だが、京都に移り住んで新しい小説に取り組んだ谷崎のことを思い、あんなふうに書けたらと夢想するが、あまりに資質が異なるので僕には無理だろう。そう考えつつ、けれど、京都に移り住んだことでなにか作品に変化があるかもしれないとも思う。どこか古本屋を探して、谷崎潤一郎全集を買おうと考える。だが、書きかけの『28』を仕上げることがいま一番の仕事だ。そうは思いつつ、きょうもまた町を散策。バスで、陰陽家・安倍晴明を祀った晴明神社に行ったり、そこからさらに歩き、千本今出川にある、「静香」という喫茶店に行く。観光気分だ。またものすごく歩いて部屋まで戻る。疲れた。
(23:27 Sep.27 2000)
■以前、取材を受けたSpottingという雑誌のインタビューの原稿をチェックしてメールで送る。締め切りを延ばすだけ延ばして申し訳なかった。とてもいいインタビュアーだったのでできた原稿もすごくいい。多摩美からこのあいだのインタビュー記事が送られてきたが、だめでした。このところインタビューを受ける仕事がすごく多いがこちらから話を聞く仕事もひとつあった。京都にいるので引き受けられなかった。どうしてもやりたかったのは、いま一番、話を聞きたい人だったからだ。北野武さんである。『草の上のキューブ』は、きのうゲラを直して東京へ速達で送り、夕方、Oさんから無事に到着したと電話があった。速いもんだね、速達は。10月発売の、文學界11月号に掲載。さて、『28』に取りかかろう。
(22:49 Sep.26 2000)
■自転車で大学まで走る。出町柳までは地図を見て考えていた通りに走ることができたが、そのあとがどうもいけない。道に迷う。出町柳にさえ着けばこちらのものだと思っていると先はまだ長いのだった。京都は南から北に向かってゆるやかな上り坂になっているらしく大学に向かうのはつらい。舞台芸術学科の研究室に寄り、Kさんから事務的なことなどいくつか説明を受ける。映像のクラスなのに、演劇クラスの必修科目である僕の授業を受けたいという学生の話を聞いた。気持ちはよくわかるが、どうしたらいいのか判断に困った。帰り、遠回りして一乗寺にある恵文社という本屋に入る。おそるべき品揃えの店だ。ポストカードや文房具が並んでいるあたりは青山のオンサンデーズに似ている。いい本屋を教えてもらった。帰り道は、逆に下り坂で快適だ。寺町通にある三月書房に行く。ここも独特な品揃え。十数年前に来たとき土方巽の本を買ったのを思い出す。それで気になったが、三月書房にしろ、一乗寺の本屋にしろ、メディアショップにしろ、寺山修司は必ず置かれていることで、いま京都は寺山修司なのだろうか。どうも釈然としない。寺町通にはいい本屋がもう一軒あるはずだが、名前を忘れて探すことができなかった。そういえば、「裏寺町通」というのがあると知って驚いた。「裏」ってことはないじゃないか。部屋に戻ると仕事机が届いていた。組み立てが大変だったがこれでようやく仕事ができる。
(0:23 Sep.26 2000)
■晴明神社に行こうとぶらぶらしているうち、どこをどう歩いたのか御所のなかに入り、どうせならと同志社大学のあたりまで行った。たしかこのあたりに、「ほんやら洞」という店があったはずだが、もういまはないのだろうかと探すと、かつて来たのはもう十五年ほど前だが、記憶の通りの場所にあった。喫茶店と言えばいいのか、それだけでは表現できない気がするが、とにかくそこでカレーを食べる。以前、この日記を読んだというある方からメールをもらった。八〇年代について書いた部分を読み懐かしい気分になったとあるが、僕は八〇年代のことを懐かしいと思ったことは一度もなく、だが、七〇年代的なものはひどく懐かしい気分にさせられる。「ほんやら洞」は懐かしい。この店の主人が撮った写真と、京都新聞の記者が書いた文章で構成されている、『ほんやら洞と歩く京都いきあたりばったり』という本が店にあったので買う。食事を終えてまた歩く。下鴨神社へ。毎日、歩いてばかりいる。
(1:17 Sep.25 2000)
■テーブルが届いてようやく部屋らしくなった。まだ仕事部屋には仕事机がなく、段ボールに乗せたコンピュータでこれを書くのはひどく疲れる。毎日新聞の原稿を書くが身体が痛い。いくらコンピュータ環境が整ったところでこれでは仕事にならないではないか。夜、サッカーを見る。日本のPKによる負けでへなへなと力が抜けた。気分を晴らそうと河原町まで歩き、やけになってブックファーストで本を買ったが、土曜の夜、河原町はひどい有様だ。いろんな人にメールの返事を送りたいがそれもうまく書けず、肩がこり、腰に疲労がたまるのだった。
(22:34 Sep.23 2000)
■食事用のテーブルを買おうと河原町に行く。メディアショップという美術書などを扱っている品揃えのいい本屋の横に、インテリアや家具などの店があって改装セールをやっているからだ。たしかに安い。デザインのいいものがある。テーブルといえば、仕事用の机がまだとどかないので、まだ開けてない本の入った段ボール箱にディスプレイやキーボードを乗せてこの文章を書いている。ひどく疲れる。コンピュータの環境は整ったがこれでは仕事にならないのだ。やっかいな話である。メディアショップはどうしてだか絶版になっているはずの本が置かれているので、『寺山修司演劇論集』や、深沢七郎の本がある。『牛への道』『わからなくなってきました』と、僕のエッセイも相変わらず並んでいる。ほかにエッセイはほとんど置いていないのにまったくいい店だ。で、二冊ばかり購入。夜、天ぷらを食べにタクシーで千本今出川まで行く。板前さんたちが奥の方でなにか盛り上がっているのでどうしたのか奇妙だったが、オリンピックの柔道を見ているらしい。「よし、一本」などと声がする。『コンピュータで書くということ』を書き続けていた頃、何度かメールをもらったSさんから、きのう書いた、「Macでしか解凍できないファイル」についてメールがある。「StuffItExpanderだったら、Windows用の解凍ソフトがあり、解凍できる」とのこと。そうだ、以前、それをやったことがあったな。かすかな記憶を頼りに、WinZipでできたんだったか、ほかの解凍ソフトでできたんだか、持っている解凍ソフトで次々と試したが、本家本元、StuffItExpanderのWindows版のことは考えもしなかった。かつてできたはずだが、それっきり試す機会がなくて忘れていることはしばしばある。
(21:24 Sep.22 2000)
■袋井のワークショップを終えて京都入り。京都での生活も二日目に入った。こうなると、世田谷日記ってことはないわけで、近々、「京都日記」に変更しようと思っている。部屋の片づけや、買い物に忙しい。コンピュータの環境を整えるのが大変だ。大阪の心斎橋にある東急ハンズに椅子などを選びに行った帰り、日本橋の電気街に寄る。それから通天閣までさらに歩き、じゃんじゃん横町を抜け地下鉄と阪急を乗り継いで京都の部屋に帰ってきた。ものすごく疲れた。Macの調子が悪い。というか、ディスプレイを繋ぐコードを買い忘れ、使えない。そこへもってきてインタビューを起こした原稿をメールで送ってもらったが、Macでしか解凍できない添付ファイルだ。困った。以前も、誰も持っていないような画像ソフトのファイルをそのまま送ってきたやつがいて、ダウンロードに時間がかかるわ、開けないわで腹立たしかった。受け取る側のことを考えないで巨大なファイルを送りあまりの大きさにフリーズさせ、しかもいくら受信しようとしてもそのたびフリーズ、ほかのメールが受信できない場合もあって、こういうことはほんとうに困った話だ。人は、相手がどんな環境でコンピュータを使っているか考えないのだろうか。Yahoo!のオークションで自転車を買った。何段式だかわからないが快適である。朝、六時過ぎに眼が醒め、しょうがないので自転車に乗って京都の町をぶらぶらしているうちに、気がついたら十月から授業をする大学の前にいた。自転車で問題なく通える。
(23:30 Sep.21 2000)
■田舎に帰る予定だったが片づけが長引く。16日の朝、東京を出、そのまま袋井のワークショップに行くことにした。残っている原稿を片づける。テレビをつけるとオリンピックの開会式。バミューダ諸島の選手たちが、バミューダをはいて入場行進しているのに驚いた。で、この日記はしばらく中断する。再開は20日の予定。そのころ僕は、京都に住んでいる。
(1:02 Sep.16 2000)
■八王子にある多摩美術大学に行った。芸術祭(繰り返すようだが、学園祭のこと)のパンフレット用にインタビューをしたいというからだ。さすがに学生がやることだけあって段取りが悪い。インタビュアーはただひたすらあたふたしている。多摩美の変化に驚いた。校舎が増えている。昔の面影はほとんどなく、ごく一部の建物が二十年前を思い出させる。大学のキャンパスらしい作りで中庭もある。全体的に規模が大きくなっているのはどうしたことだ。クラブハウスという建物があってサークルが部屋を持っているが、周辺はごみためのような荒廃だ。かなりだめである。ロリータ男爵という多摩美の演劇部を母体にした劇団があり、演出をしている人が演劇ぶっくの表紙になったというのでサイン会を学内でやっていた。それもひとつの冗談だと思うが、どこまでもふざけていてたいへんよろしいものの、冗談だったらもっと大きく多摩美じゃない場所でやったらどうかと思った。二十年ぶりの懐かしさなどなにもないのも不思議だ。学生たちを見ていると、おそらく自分もこんなふうにだめだったんだろうと、いやな気持ちにすらなる。
(1:21 Sep.15 2000)
■朝、眼が覚めたのは六時過ぎだった。本を読んでいるうちに首が異常に痛くなる。午後から鍼治療。中国から来ている先生のマッサージと鍼とで二時間。身体がすっかりほぐれた。ひどく眠い。寝不足もあるが身体がほぐれたからだろう。治療中、エアコンがやけにきいていたので風邪気味。家に戻ってまたコンピュータの環境整備。
(1:04 Sep.14 2000)
■多摩美術大学の芸術祭(つまり、学園祭)のパンフレットのための取材があり八王子のキャンパスまで行くことになっていた。ニュースで大雨が降る可能性があるというので、別の日にしてもらったが、午後になって晴れてくる。なんだったんだあのニュースは。で、引っ越しのためにコンピュータの環境を整える一日。手間がかかる。一日かかって、ようやくMacが終わり、あしたはWindowsにとりかかる。CD-ROMからPhotoshopをインストールすると、勝手にQuicTimeを古いものに書き換える。以前も同じことをして失敗したがそのときどうやって元に戻したか忘れた。Photoshopもヴァージョンアップすればいいが、次々と新しいヴァージョンが出るのはほんとうに腹立たしい。
(1:17 Sep.13 2000)
■『草の上のキューブ』の直しを文學界のOさんに渡す。それで少し京都の話をする。Oさんは以前、京都に住んでいたというからだ。帰宅後、また引っ越しの準備。コンピュータの整備をする。向こうに到着したらすぐに仕事ができる環境にしなくてはいけない。メールに、「大阪の学生」としか書いてない人から京都情報をいただく。京都には無人の古道具屋があるそうだ。田舎に行くと無人の野菜売り場が畑の横にあるが、ああいった感じらしい。自分で価値を判断してお金を置いてゆく。京都らしい話。わからないが。いつも鍼治療をしてもらうN先生から、「中国から指圧の先生が来てる」と電話をいただく。引っ越す前に鍼治療を受けなくてはいけないと思っていたところだったので、タイミングがたいへんよろしい。
(4:06 Sep.12 2000)
■これからは、人と会って仕事の打ち合わせをしたことなどあまり書かないようにしようと思っていたが、きょうのことは書かずにはいられない。新潮45のNさん、そしてWebマガジンをこれから立ち上げる準備をしているMさんと新宿で会ったわけだが、待ち合わせは食事も兼ねてというわけでパークタワーホテルの「梢」という日本料理の店だった。遅れて僕が行くと、「お客様、短パンは困ります」と店の人に言われたのだ。ドレスコードがあったわけだよ。以前、新潮社の編集者と来たときはたしかGパンだったはずで、Gパンがよくて短パンがだめというのはどういう論理だ。仕方がないので店をあとにしたが、二人は待っているあいだワインを飲んでいたという。で、ワイン代を払おうとしたら、「けっこうです」と店の者が言ったそうだ。新宿パークタワーホテルの「梢」でワインをただで飲もうと思ったらこの手を使おう。打ち合わせ終了後、秋葉原へ。京都でのコンピュータ環境を整えるための買い物。歩き回って疲れた。秋葉原はなぜか疲れる。帰ってから熟睡した。
(5:48 Sep.11 2000)
■必要があって、わりと朝早く目を覚まし、その後、また眠ったが、すぐ速達の人に起こされた。眠れなくなる。ぼんやりしたまま一日が過ぎる。眠れないので本を読んだりするがどうも調子が出ない。小説の直し、ぎりぎりのところまで粘らなくては。
(2:45 Sep.10 2000)
■いまは、『新潮45』にいるNさんからメール。新たに立ち上がる予定のWebマガジンの人が会いたいとのこと。元パンクだそうだ。14日までだったら大丈夫だと思いそう連絡すると、指定されたのは、新宿パークタワーホテルにある「梢」という名前の日本料理の店だ。元パンクが「梢」はいかがなものかと思った。朝日の原稿を早ばやと書いたが来週の金曜日は休日で夕刊がないという。このぶんでは、あと二週分のストックができる。かつてあれほど締め切りを守らなかった私が変わった。改心したといってもいい。引っ越しのためにいろいろ考える。コンピュータ環境のことなど。どれを運ぶべきか。プリンターはどうしたらいいか。向こうに着いたらすぐに仕事ができる状態にしなければ。悩む。
(0:01 Sep.9 2000)
■とつぜんなにを思ったか朝日と毎日新聞の連載を書いてしまった。勤勉ぶりに驚く。朝日は朝日と書いても意味不明にならないが、毎日は、新聞とつけないとよくわからない言葉になるのはちょっと面倒だ。以前もどこかに書いたが、サンデー毎日の創刊時、誌名が問題になったという。「週刊毎日」ではなにがなんだかわからないからだ。あと、毎日新聞というのに休刊日があるのはいかがなものか。いま産休している筑摩書房の打越さんからメール。文字がばけばけだった。HTML形式で送ったからだろう。テキスト形式に設定を変える方法を返事に書いたが、同じものをどれだけの人に書いただろう。引越しの準備を着々と進める。なにより荷物を運ぶ方法や準備が大変だ。演劇関係の本、ほかにもいくつかの本、コンピュータ、その他。こう書くと少量のようだが、けっこうな量になる。
(0:18 Sep.8 2000)
■ニューヨークの演劇学校で「演技」を勉強し、いまは俳優をしている方からメールをもらった。やはり、例の「あなたは水に浮かぶ木の葉です」といった訓練をやったことがあるそうだ。それで急に、以前、読んだ、『現代アメリカ演劇 オルタナティブシアターの探求』を引っ張り出してきてばらばらっと目を通す。翻訳が出たのは98年だが、元々は82年に出版されているからもうこれも古いとはいうものの、「オルタナティブシアター」という言葉が示すように大学や演劇学校などで教育されているのとは異なる、いわば「傍流」の、あるいは、「またべつ」の演劇について書かれ、刺激的だ。オルタナティブシアターがなにを問題にしてきたかがここでは重要だ。だからニューヨークで演技を勉強している人に、自分がやっている演技の訓練、そしてオルタナティブシアターのいまの状況はどうなっているのか、あるいは新しい萌芽は生まれているのかなど、質問したいことが山のようにある。それにしても、ニューヨークでこれを読んでいてくれる人がいるのはうれしい。ほかにも、「カフェ」について貴重な情報を教えてくれた香川のNさん、あるいは京都の本屋情報を送ってくれたタコシェのNさんなど、メールをたくさんもらった日である。
(23:55 Sep.6 2000)
■『草の上のキューブ』の書き直しがほぼ終わり少し気持ちが落ち着く。朝日の原稿を書き上げ、それから本を読んだ。『越境する知[1]身体:よみがえる』に所載されたある演劇人の文章は疑問だ。子どもたちとワークショップを通じて舞台を作っていることが書かれているが、ある種の、「教師」のような言葉だ。たとえ大学で教えようとも、ワークショップを開こうとも、こういう、「教師」にはなるまいと思う。そこへゆくと、安積遊歩さんという方の言葉はすごい。感服した。この本を全部、読んだら、中間報告としてNOTEのページに久しぶりになにか書こうと思う。夜、永井から電話があり、世田谷パブリックシアターが出している『PT』から座談会の話が来ているとの伝達。テーマを聞いたら是非参加したいと思った。「演技メソッドの彼方に」にといったような話らしく、それに関してはどうしても話がしたいというか、人の意見を聞きたいのだった。ただねえ、スケジュールがねえ、いま時間がないのである。14日までだったらなんとかなるのだが。
(23:35 Sep.5 2000)
■Wさんという方からメールをもらった。若い人なのだろうか、「ちかごろ、若者の街には、カフェやバーと同レベルでカフェバーという種類の店があるらしいのです」とあって驚いた。「カフェバー」は八〇年代の言葉です。いまはじまったことではありません。で、久しぶりにその言葉を思い出し、だったら、「カフェ・ピコンバー」はべつにいいのかと奇妙な気持ちになった。記憶を掘り起こすと八二年ぐらいにカフェバーは一世を風靡したはずだ。すると、どうしたって、霞町の交差点を思い出しますな。霞町というのは旧地名。つまり西麻布のことだ。そこにシリンという店があった。あれカフェバーかな。カフェバーは当時からだめな感じがあったが、シリンはもう少しまともな店だった。竹中直人と桑原茂一さんと、あと松本小雪が一緒にいて、隣の席では浅田彰と坂本龍一が話をしていた。こう並べるといかにも八〇年代な感じだ。十五年ほど前のこと。どうしてそのことをよく覚えているか。そのとき僕は鉄観音茶を飲んだのだが、それ一杯、五千円だったからだ。なんだったんでしょうあれは。そういえば、朝日新聞の夕刊の連載小説が新しくなり、高橋源一郎が書いている。問題は、添えられているイラストが松本小雪のもので、いつから彼女はイラストレーターになっていたのだろう。アイドルだったことはいまでは誰も知らないのだろうかとか、いろいろなことが思い起こされる日だ。
(0:18 Sep.5 2000)
■少し秋めいて風も気持ちいいが油断は禁物だ。本を読んでいるうちに一日が終わる。それはそうと、これまでけっして書くまいと思っていたのは、「Cafe」のことで、近頃じゃ喫茶店ではなくカフェだそうじゃないか。薄々、気がついていたがどうも納得がいかず、書かずにきょうまで来た、ってそんな大げさな話じゃないが。そろそろ書いてやらねばカフェのやつが増長する。豪徳寺に、「ピコンバー」という店があり、雰囲気がいいので打ち合わせなどに使っていたが、よく見るとその店は、「カフェ・ピコンバー」だ。なんだかわからないじゃないか。バーなのか、カフェなのか、はっきりしたらどうなんだ。そう考えていると、いつか、「カフェ・純喫茶『宝』」とか、「カフェ・喜久寿司」といったわけのわからないものが出現する予感がする。困った話だ。
(0:05 Sep.4 2000)
■昼夜が逆転している。ビデオを見ていたら明るくなり、それから睡眠。目が覚めたのは午前十一時頃。早稲田の講演録の直しを片づける。それにしても暑い。窓をあけると熱風。やはり、SE/30エアコン付の威力はすごい。『草の上のキューブ』も一気に直そうと思ったが、ついだらだらする。仕事場は灼熱。昼間は仕事にならない。仕事場じゃないと本が読めないので汗をかきつつ本を読む。夕立があって、まるで夏だ。七月のようだ。そういえば、『実業の日本』の編集者からメールが来ていた。『資本論を読む』の連載が来年からはじまるのだった。たいへんなことを引き受けてしまった。どうなることやら。
(1:01 Sep.3 2000)
■京都に住むための準備は大変だといまごろになって気がついた。半引っ越しじゃないか。生活用品の大半は京都で揃えるが、コンピュータや本、着るものなど、運ばなきゃならないものがたくさんある。腰が大丈夫か不安だ。引っ越しのたびに腰をだめにするのだった。それで思い出したが、舞台休止とともに私の事務所であるウクレレも解散状態にしたが、事務所を引っ越すとき、いま制作をしている永井がほぼひとりでやったという。誰も手伝いに来なかったというか、それまで働きに来てたやつや、事務所を利用してたやつらもなにもしなかったそうだ。劇作家のIさんがかつて所属していた劇団ともめ、以後、その劇団に関係する人間を自分の芝居に出さない話を思い出した。引っ越しは単なる一例。いろいろあったよ、いやはや。夕方、新宿へ読みたい本を探しに行く。いま住んでいる町の環境はいいが、近くに品揃えがしっかりした本屋がないのが欠点。京都では歩いても十五分ほどの場所に大きな書店があるし、メディアショップも近い。以前、僕のワークショップに来ていたコピーライターのO君は学生時代が京都だったそうで、メディアショップでよく画集など買ったとメールで報告してくれた。ほかにもメディアショップ関係のメール多数。もう九月だった。毎日新聞の原稿は書けたが、予定していたほかの仕事は進まず本など読んでいる。小説を書かねば。
(1:39 Sep.2 2000)