Aug.31

■あるデリバリーのピザ屋に注文したピザに髪の毛が入っていた。見事にチーズに埋まっていて、はじめ自分の髪が落ちたかと思い、取り払おうと髪の毛をつまむとピザが一緒についてくる。異物混入が問題になりがちなご時世である。すぐに電話で苦情を伝えると新しいピザに交換してくれると言うが、その時点ではすでに半分以上食べてしまったあとだ。新しいピザに交換されてもねえ。それからパックに入ったウーロン茶もお詫びの印ということでくれる。ドナルド・バーセルミの短い小説を一篇読む。少し仕事。
(1:81 Sep.1 2000)

Aug.30

■『草の上のキューブ』の直し。夕方、経堂の本屋で、建築家の隈研吾が書いた、『反オブジェクト』という本を買う。少し読む。やはり刺激的だ。ゆったりとした時間のなかで本をじっくり読みたい。大学から留守電に連絡。九月の後半、後期に向けての会議があるとのこと。そのころ僕はもう京都に住んでいる。荷物を向こうに送ったり、いくつかの手続きなど忙しいが、明日までにはやっておくべき原稿を片づけ、それから、『28』を再開しようと思う。
(1:29 Aug.31 2000)

Aug.29

■六月に早稲田でやった講演が「早稲田文学」に掲載されるので、講演の録音テープを起こした原稿をチェックする。フロッピーにデータ化されたものを入れてくれたので直すのが楽だ。楽というか、「楽しい」ということになる。で、関係ないけど、ふと私は戯曲を書こうと思った。小説はもちろん引き続き書くが、戯曲を書かねばならない。舞台の予定があるから戯曲を書くのではなく、戯曲を書いたから舞台をやるというあたりまえの上演形態にしたいのだった。夜、朝日の原稿。一週間ぶりにディスプレイを見ていたせいか目が痛い。
(2:48 Aug.30 2000)

Aug.28

■一週間、静岡と京都に行っていた。その一週間を記録しておこう。

○8/22
 静岡県掛川市の父と母の住んでいる家へ。番号を知らせておいたので、朝日のゲラ、毎日のゲラが届く。父がやけに熱心にそれを読んでいる。そういえば、『サーチエンジン・システムクラッシュ』を読んだ父の感想は、「章夫の小説にはエロがない」だ。
○8/23
 袋井市でのワークショップ初日。参加者は全員、高校生。対話のためのごく短い台本からはじめる。二人一組。はじめはやはり演劇のルールに縛られていたが、僕が話していることを少しずつ理解し、順番があとのほうになるにしたがって身体が自由になってゆく。「私が考える肉体訓練」の課題では、原田君が考えた、「原田式」がすごくよくて、それを毎日、開始の前にやることにする。ベケットの『行ったり来たり』の構造を利用してエチュードを作る宿題を出し終了。
○8/24
 ワークショップ二日目。きのう出した課題を元にそれぞれの作品を見せてもらう。三人一組で、十五組あるので見るだけですごく時間がかかる。なかに一組、やけによくできているグループがあって驚いた。終了後、市職員の人の車で建築家の長谷川逸子さんが設計した袋井市の公共施設、「月見の里」の見学に行く。まだ建築中だったがかなりいい施設になりそうだ。
○8/25
 三日目。きのうの課題をさらにやる。時間が少ない。参加者が多すぎるが、だからって来るなとも言えない。もっとやりたいこともあったが、それは次回にしよう。袋井のワークショップは九月以降も続ける。来年の五月には舞台で発表をやるつもりだ。それにしても高校生たちはとても意欲的だし、魅力を感じる者も多い。舞台が楽しみになった。ワークショップを終えてから、小学校のとき同級生だった伊地知君の家でごちそうになる。伊地知君はいま営業マンだが、取引先の忘年会に呼ばれてやったという宴会芸のビデオを見せられる。たいへんくだらない内容で、くだらないのはとてもいいが、これまでものすごい数のプロの芸を見てきたわたしに、素人の宴会芸を見せるのはちょっとあれなんじゃないかと思いつつ、芸をしている伊地知君が生き生きとしているのでなにも言えない。それにしても、妙な芸さえしなければ、伊地知はすごく面白い。なにを言っているのだこの男はということがしばしばある。『草の上のキューブ』に江口という人物が出てくる。伊地知君を見ていて創造した人物だが、こうしてゆっくり話を聞くと、江口と伊地知がどんどん同じになってゆく。
○8/26
 夕方、京都へ。ホテルに入ってから部屋探しの作戦を練る。夜、京都の町をぶらつき食事。土曜日だったせいか、先斗町あたりはものすごい数の人。
○8/27
 部屋探し。不動産屋の若い人がとても親切だった。車で、物件を渡り歩くうち、京都の話をいろいろ聞かせてくれる。五件回ったところで気に入った部屋を見つけた。そこに決める。こんなに簡単に決めていいのか少し不安になったがあたりは静かでとてもいいところだ。京都にいると仕事と勉強がしたくなる。そうした環境としては最高である。河原町三条で、「メディアショップ」という店を見つける。美術、建築、現代音楽などの書籍を扱う専門店でとてもいい品揃えだ。文学は外国文学の評論などがいくつかある程度で、もちろんエッセイなどほとんど置かれていないが、この店がすばらしいのは僕のエッセイ集の文庫だけは置いてあるところだ。なんて素晴らしい店なんだ。「メディアショップ」でバイトしたいとさえ思ったのだった。

■そんな一週間だった。で、きょうは銀閣寺から哲学の道を歩き、南禅寺まで行った。南禅寺はすごくよかった。庭園も美しかったが、滝を見ながら抹茶を飲める部屋がすごくいい。そのままぼんやり何時間でもそこにいたいと思った。
(22:49 Aug.28 2000)

Aug.21

■文學界のOさんに会って小説について話を聞く。何度か書き直し、書き足し、また削りと苦労した部分がOさんも気になるという。やっぱりそうか。そこだよな、そこが一番の問題点だろう。技術だけでは乗り越えられない気がする。もっと本質的な問題。そのあと、歯医者へ。歯を二本抜かれた。定期的な治療を続けなかったからこうなった。さて、あしたから一週間ほど東京を留守にする。静岡県の袋井市でワークショップ。さらに京都に行って部屋探し。京都はまだ暑いのだろうか。
(22:27 Aug.21 2000)

Aug.20

■歯が痛くてものが考えられない一日である。なにかしていれば気がまぎれるのかもしれないが歯のことばかり意識している。夏も終わる。小説ばかり書いていた夏だった。
(1:24 Aug.21 2000)

Aug.19

■あらためて書き出した小説、『28』には花火を見る場面がある。取材に多摩川の花火を見に行った。花火大会などに足を運ぶのはもう三十年ぶりぐらい。電車で行くと混雑がひどいと思い二子玉川まで自転車で行った。それにしても驚いたのは花火である。きれいじゃないか。きれいだとは話に聞いたことはあったがほんとうにきれいだった。花火師になりたい気持ちになった。だけど花火と花火の間隔が短すぎないだろうか。「間」を楽しむのも風流というやつだろう。わーわー騒いでいるうちに終わってしまう。まあ、どうだっていいんだけどそんなことは。行くときはほとんど下り坂で自転車も快適だが、帰りがすごい。たいへんな距離を走る。しかも登り坂。走っても走っても世田谷区だ。ものすごい距離を飛んだつもりなのにまだお釈迦様の手の中にいた孫悟空のような気分だ。世田谷は広い。
(22:26 Aug.19 2000)

Aug.18

■ワークショップ最終日。新宿を歩きそれをもとにした作品の最終発表。各班それぞれで面白かった。いろいろなやつにまた出会ってしまった。ワークショップはそのつど試行錯誤だ。まだなにかあるはずだ。ただ、技法化され、プログラミングが整ったものなどやりたくない。ある種の、「セミナー」じゃないんだから。そのあと、『Spotting』という雑誌の取材。カメラマンは、あの殴ろうとしたばかとちがってプロでした。編集者の女性がこの日記を読んでいてやけに気を遣ってくれた。で、カメラマンが撮影場所に指定したのは曙橋と四谷三丁目のあいだあたりのごちゃごちゃした住宅街。そこに大仏があったのです。驚いた。小規模な大仏。「小規模な大仏」と書くとよくわからない表現だが見てもらえば納得するはず。ちょっとした隙間にわけのわからないものがあるものだな、町というやつは。来週はまた静岡県の袋井でワークショップ。なかなか小説に気持ちが移れない。『28』を読み直すが四百四十枚は長いよしかし。京都に行くまでに書く。絶対に書く。『草の上のキューブ』を途中で邪魔が入ったから三分の一までしか読めなかったという文學界のOさんは、「文体をがらりと変えていたので驚いた」とFAXで伝えてくれたが、いや、文体は変わっていない。世界がまったく異なるので言葉の印象がちがったのではないか。「池袋」から、「ある地方の小さな町」へ。早くたくさんの人に読んでもらいたい。
(7:36 Aug.19 2000)

Aug.17

■文學界のOさんにワークショップをやっている演劇ぶっくのゼミまで来てもらった。小説を渡す。『草の上のキューブ』。一日で読むとのこと。感想が楽しみだ。十月発売か十一月発売の文學界に掲載される予定。単行本になるのはやはり来年の二月ぐらいだろう。でも少し短いから単行本になるかどうか。『28』もそろそろ再開する。調べなければいけないことが山ほどある。ワークショップは新宿へ行って発見したことをもとにエチュード作り。時間がないのに無理にいろいろ作らせたせいか精度が低い。夜、毎日新聞の連載を書いたが、このところどうしてしまったのかよくわからないほど仕事をきちんとする。原稿が遅くならない。気持ちが悪い。仕事ばかりして読書が進まず困っているのだが。
(1:07 Aug.18 2000)

Aug.16

■ワークショップが休みだったせいか身体のだるい一日。私はある年齢を境にして、「だるい」という感覚がほとんどなくなってしまったのだが、いったいどういうことだ。で、受講者たちは、「町を歩く」という課題をやっていたはず。新宿の町を徘徊しただろう。なにを発見してくるか。だるい身体のまま朝日の連載。で、電話を留守電にしていなかったし、音が鳴るようにしていなかったので『文學界』のOさんの電話に気がつかなかった。小説はあした渡すことにしよう。夜、『一冊の本』の原稿を書く。
(2:18 Aug.17 2000)

Aug.15

■美術館へ行ったことをもとに発表。表現方法は自由。なにをしてもよいという課題。最初の班がだめだったので、期待薄かと思っていたがその後の班は持ち直すというか、面白かった。最初の班がだめだったのは思いつきはよかったが雑だったからで、自分でやっていて気持ち悪くないか疑問。家に戻るとYahoo!のオークションで買ったSCSIカードが届いていたのでMacで検証を行うがどうもだめだ。困っている。そういえば、世田谷パブリックシアターで開催されていた「舞台芸術のクリティック」という教室の生徒たちが書いた論文が、『ステージ・カオス』という小雑誌にまとめられている。それが届いた。僕の舞台について書いたNさんの文章も興味深く読んだが、竹内敏晴さんのワークショップに参加しそれを論考している文章が気になった。これに関しては時間ができたらNOTEのほうに書いてみたい。
(4:11 Aug.16 2000)

Aug.14

■東京現代美術館での感想をワークショップの参加者それぞれから聞くのは面白い。ワークショップ三日目は美術館に行ったことをもとに作品を作る課題。発表は明日。本日は相談など。参加者の一人が京都造形芸術大学の彫刻科の学生だと判明。京都の話をする。そういえば、東京現代美術館のショップにあった大竹伸郎の画集はよかったなあ。刺激された。欲しかったがほかに本を二冊買ってしまったのでまた今度にしようと思ったのだった。演劇の世界では新劇に代表される保守的な潮流はあきらかに力を失っているが、美術の世界では日展だの二期だのといったくそ面白くもない保守的権威がいまだ盤石なのはやっぱり経済的に成立しているからだろう。一号いくらで換算される世界。劇は金にならない。権威が通用しない。まったくいいことだ。それにしても歯が痛い。歯が痛いと腹立たしい気持ちがよみがえるので、三日前のカメラマンをやはり殴っておくべきだったと後悔する。以前、NHKの若いディレクターからラジオドラマを書かないかという話があったとき、一緒に来たプロデューサーの権威主義的態度に腹を立て、「うるせえじじい」と言い残して帰ってきて以来の状況。NHKにいまだ権威があると思ったら大間違いだ。だいたい、打ち合わせと称して酒飲んでるのが問題で、それおまえ、受信料から金が出てるだろうと俺は言いたい。受信料なんか払うものか。
(21:30 Aug.14 2000)

Aug.13

■ワークショップの連中と東京現代美術館に行く。本日は授業のない日のはずだが予定を入れ、それでもほとんどの者らが集まった。これも授業なのだから契約している授業の時間に組入れてもいいはずだが、なぜかワークショップをやるたび課外授業ということになっており、僕もつきあっているのもどういうことなのかと思うねしかし。常設展と三宅一生展を見た。プリーツで作った三宅一生の作品は意外に面白い。インスタレーションというか空間の作り方にも刺激される。床に投射される映像がいいな。こういうことをやりたいと思った。常設のなかでは工藤なんとかいう五〇年代から六〇年代にかけハプニングと呼ばれた作品をやっていた人の、ハプニングを記録した写真は笑った。昔のコントに出てくる医者みたいな格好でなにかしている。笑うなあ。見終えてから近くの公園できのう途中になってしまった発表をやる。すごく疲れた。家に帰ったらすぐに寝た。ものすごい勢いで寝たのだった。歯の痛みが少し取れた。
(3:35 Aug.14 2000)

Aug.12

■ワークショップ二日目。三人一組でチームを作っての作業。都合、十二組。発表をひとつづつ見てゆくと二時間ぐらいかかる。疲れた。で、ひとつのチームにいた女の子が体調不良ということで欠席。急遽、去年一年間やっていたワークショップの生徒だった佐藤に授業が始まってから電話。近くに住んでるとはいえすぐに来たので驚いた。それにしても歯痛だ。痛み止めをやたら飲む。肩がこるのでそれをほぐすと少し痛みがやわらぐ。ただ、ワークショップ中は痛みを忘れるから、つくづく、稽古というか、稽古場というか、こういうものが好きなんだと思う。いろいろな人がいる。ワークショップでいったいこれまでどれだけの数の人に出会ってきたか。面白くてしょうがない。
(1:27 Aug.13 2000)

Aug.11

■演劇ぶっくのワークショップ初日。やけに朝早く目が覚め睡眠が足らない。しかも、毎日新聞の原稿を書いてしまったし、ワークショップの準備、小説の直しなど朝から仕事。ワークショップではまず講義を一時間ほど。声が枯れた。参加人数が多くて大変だ。ものすごく疲れた。終わってからNEONという雑誌の取材を受けた。最初、写真撮影。インタビューに答えるのは別に苦ではなかったが、声は枯れ気味。最後にカメラマンがバラの花を口にした写真を撮りたいというので殴ろうかと本気で考えたが疲れていたしばかを殴っても損なのでやめた。帰りその怒りが収まらずいよいよ疲れる。取材自体、掲載を断ろうかと考える。
(1:21 Aug.12 2000)

Aug.10

■小説は磨きをかける作業。それとはべつに、あしたから一週間ばかり演劇ぶっくで夏のワークショップ。準備もする。それが終わると静岡県の袋井という町でまたワークショップ。連絡が全然ない。どうしたんだいったい。小説から演劇へモードを変える。ノートのページもまた再開しよう。考えることいろいろ。あと、PAPERSも新しくしようと思う。トップページ、まだ「春」とある。誰もなにも言ってこない。みんなまだ、春だと思ってるんじゃないだろうな。
(1:05 Aug.11 2000)

Aug.9

■『文學界』の編集部に電話。小説が書けた旨を伝えると、担当のOさんは明後日からいないというが、つまり夏休みなのだろう。文學の界なのに夏休みとはなにごとだ。文学と夏休みはだめだろう。ちょうど、『新潮』のNさんからメールがあったので、Nさんに渡しちゃおうかと思ったが、結局、16日にOさんに渡すことになった。一週間あるとまたいろいろ考えてしまいそうだ。Nさんには、『28』が四百四十枚まで書けたこと、九月のなかばには渡せるのではないかと返事を書いた。『Spotting』という雑誌からインタビューの依頼。その雑誌を知らなかったが、最近、本屋に行くとわからない雑誌がたくさんあり、あったと思うとすぐに無くなっているのはどうしたことか。昔、IDという雑誌があって連載をしていたがすぐに潰れた。いまごろなぜと思った頃、CMの特集などして、世の中を後から追っているのが気になっていたら、やっぱりだめでした。そこへゆくとスタジオヴォイスはすごいね。わけのわからない特集を組む。かなり先を行く。そうだ、当時、IDの編集者にコンピュータの特集をやれと言ったがやってくれなかった。スタジオヴォイスはやったもんな、そのあとすぐ。十年ぐらい前の話。あのころコンピュータを使っているなどと言えば人は眉をひそめおたく呼ばわりさえしたが、いまや時代はIT革命である。もうだめだこうなると。また新たな刺激を求めなければ。なにか新しいものはないか。
(2:59 Aug.10 2000)

Aug.8

■ 小説の直しのあいま、小説を読んだり、『SITE』の北野武インタヴューを読む。なかでも面白かったのは、トーク番組のホスト役をするとゲストを立てなきゃならないが、それができなくて酒を飲んでしまう部分の発言。「こんなやつ五年後には消えてるくせしてなんで立てなきゃいけないんだ」といった意味のことを言う。痛快である。したたかな芸人ならそう思っても口に出さないだろうし、そんな発想のないやつもいる。あそこは奇妙な世界だ。外側から見ているのは面白い。
(0:08 Aug.9 2000)

Aug.7

■小説を読み直すが、もうひとつな気がして手直しをする。いらないと思うところはばっさり切り、書き足りない部分はさらに書く。文章の修正。表現の変更。さらに考える。おそらく全体で百九十枚ぐらいになるだろう。編集者が読めばさらに切ったほうがいいと意見されるだろうからもっと短くなる。昼間、眠っているうちに歯に激痛を感じる。痛みを感じつつ夢を見る。大勢の人が出てきたがよく覚えていない。夕方、激しい落雷。ふと思いついたことを朝日の連載に書く。雷とはなんの関係もない話。小説をひとまず書き終え精神的に落ち着いた。『SITE』のアンケートをメールし、毎日新聞の連載のゲラをFAX、朝日も送り、晴れ晴れとした一日。
(1:53 Aug.8 2000)

Aug.6

■『草の上のキューブ』脱稿。午前中、やけに筆が進みうまく書けなかった部分が書ける。それから五時間弱眠り、目が覚めてからSE/30エアコン付きマシンでさらに書く。気がついたら書き上がっていた。これから手を入れることにし、推敲、書き足し、書き直し、凝縮などして完成させる。今週いっぱいはその作業。まずは何度も読み直す。夜、NHKとBSでドキュメンタリーを三本、立て続けに見る。スウェーデンのテレビ局がロシアの産婦人科を撮った作品が面白かった。客観的にひたすらカメラを回す。ただそこで起こっていることを記録する。説明がなくても伝わってくるものはより強い。しかもロシアの産婦人科にはヒゲの看護婦がいる。
(0:01 Aug.7 2000)

Aug.5

■なにかもうひとつうまく書けず、『草の上のキューブ』に苦しんだが、夜になってなんだか勢いがつき身体があたたまった感じで一気に十枚ほど。あと少し。文學界のOさんから暑中見舞いをもらう。京都に行く前に次作をとある。このぶんならもっと早く渡せる。京都と言えば、京都在住の映画監督、松井誉志彦さんからも暑中見舞いをもらい、五年ほど前に見た松井さんの作品はすごかったと思い出せば、『SIGHT』に日本映画についてアンケートを書くのだとそれを忘れていたことに気がつく。しまった。
(6:01 Aug.6 2000)

Aug.4

■『草の上のキューブ』を書き続ける一日。あと残り僅か。SE/30にJeditの68版を入れたのだった。で、Etherで居間のSE/30 から仕事部屋にある7600に送り、それをWinowsNTで受けたいが、いままで出来ていた7600とWinNTのネットワークがうまくゆかない。仕方なくWindows98を立ち上げ7600を読み、Win98を経由してNTに送るという面倒なことになった。それだったらフロッピーでデータのやりとりをすればいい気もするが、無数にあるフロッピーのどれを使っていいか調べるのが面倒。いろいろやっかいである。毎日新聞の連載を書いてメールで送る。
(5:29 Aug.5 2000)

Aug.3

■昼間、あまりに暑いのでエアコンのある部屋でためしにSE/30を使って小説を書いた。SE/30に入っているシステムは漢字Talk7.1だ。漢字変換はことえり、エディターはYooEditという貧弱な状況だが書けないわけではなくむしろエアコンがあって快適だ。SE/30エアコン付きの威力はすごい。だが、フォントが問題だと思う。漢字Talk7.1のOSAKAというフォント、というか、SE/30で表示されるOSAKAはかわいい。どうも調子がでない。小説を書いている気分にならないのだ。先日、試写で見た映画『路地へ 中上健次の残したフィルム』には生前の生原稿が出てくる。有名な話だが中上健次は集計用紙に原稿を書いていた。文房具屋でよく売られている集計用紙だ。それにびっしり細かい文字が埋められている。『一冊の本』のOさんは海燕という文芸誌にいたころ中上さんの担当で、話を聞くと、びっしり文字で埋まった集計用紙一枚が原稿用紙にすると決まって七枚だったという。書く環境は慣れだと思う。どうもそれでないと調子が出ない感じ。かつての筆記具で、この原稿はボールペン、これは万年筆、こっちは鉛筆と変えていたのを思い出す。中上健次がもしコンピュータを使っていたら表計算ソフトに書いていたかもしれない。それでないとどうも調子が出ないと言ったかもしれない。
(1:49 Aug.3 2000)

Aug.2

■三軒茶屋のシアター・トラムへダンスを見に行った。ニブロールは桜井圭介君のおすすめである。面白かった。今回の催しはオーストラリア、台湾などのカンパニーが参加するものらしい。それらの国のカンパニーも見たが、正直、三番目に出てきたオーストラリアの人たちはだめでした。いまダンスの世界では、映像とどうコラボレートするかということになっているのだろうか。興味深かった。自分で映像を作りたくなった。それにしてもニブロールに僕の舞台によく参加する小浜が出ているので驚く。ニブロールとともにフランスまで行ったという。ダンサーとして行ったというのがよくわからない。
(1:49 Aug.3 2000)

Aug.1

■たらたらと小説を書く一日。あとは朝日新聞の連載。サンダルが欲しくて経堂に行ったが、目当ての店が休みだった。夜は涼しい。またたらたら小説。第三章になってペースが落ちる。経堂には下の写真のようなものがあった。

(22:39 Aug.1 2000)