Mar. 31 「三月も終わるのであった」

■台本を書き直した。もうひとつ納得がゆかず、昨夜、考えているうち、高校生が作った台本でまだ使っていないものがあるのを思い出してはさみこむ。
■形になった。ベケットの『行ったり来たり』を題材にして作らせたエチュードのなかでもっともできのよかったグループの本。「女の子たちの友情の話」という、俺にはちょっと恥ずかしくて書けんのだが、やっぱりあるんだろうなあ、高校生には、と思う。でも素朴だな。いま参加している高校生たちはすれていないというか、素朴。登校拒否をはじめ、問題を抱えた高校生たちは、おそらくどこか大人びたものを持って自分の環境に違和を感じ、葛藤のなかで複雑な内面が作られてゆく。よしあしはあるが、だからこそ面白い俳優も出現する。
■ある人からメールをもらった。働いている会社の「男社会」の抑圧にひどくストレスを感じているという話。たとえばワークショップでもいいが、演劇に女たちが多く集まるのは、おそらく女たちが社会的な抑圧を意識的にしろ無自覚にしろ、感じているからにちがいなく、演劇の現場に自己を表現する場を求める。このあいだ高校生を見て、「男はばかだなあ」と書いたのは、つまり「男社会」にあぐらをかいている男らの無自覚さのことだ。「男社会」のなかで「男」として育てられそのことに疑いがないことから来る怠惰は惨憺たるものだ。私をふくめて。
■女の子がたくさんいる稽古場にいてそんなことを考える。
■このところ中断しているが、やはり、「女たちの劇」を書かねばならん。そのためにはなにが必要だろう。もうひとつ向こう側へ。来年、『あの小説の中で集まろう』を再演する予定だが、戯曲を書き直すつもりだ。あと一年ちょっとのあいだで、どこまで書けるか、やらなくちゃいけないことは無数にあるな。「文学」にしろ「演劇」にしろ、表現を強靱にするのはテクニックや小細工を越えたもっと圧倒的ななにものかのはずだが、それがわからなくて考える。前方の暗闇のなかにそれはきっとあって、飛び込む力はどこから来るか。
■稽古のあと、簡単なパーティを催す。親睦会。
■これまで経験したことのない、高校生を中心にした市民との共同作業はいろいろ発見があって面白く、ねばり強さも要求されるし、同時に「世間」とめんとむかうことになる。やってよかった。まだ終わっていないし、これから来るであろう苦労を思うといやな気持ちになるが、なにがなんでもやりきるね、俺は。
■また伊地知に送ってもらった。助けられているなあ、伊地知には、いろいろ。ほっとくと「下ネタ」になるその話や、仕事をしている伊地知の苦労ぶりは、まさに「世間」。「世間」を否定し、「世間」を尊重し、「世間」を恐れず、「世間」にのみこまれず、「世間」から遠ざかり、表現は作られるはずだが、伊地知、面白くて困るよ。そういえば、阿部謹也さんの『世間とはなにか』を途中まで読んでいたのだった。稽古に入ってから読めなくなった。やっと本が読める。小説も書かねばいかんのである。
(3:12 Apr.1 2001)

Mar. 30 「長い一日」

■朝早く家を出、父親と永井と浜松へ。
■父親が趣味で版画をやっており参考書が掛川の書店にはおいてないというので浜松の谷島書店に行く。高校時代、谷島書店にどれだけ世話になったかわからない。学校帰りのバスが、いまはもうなくなってしまった遠鉄ビルの前で止まりそこからすぐエスカレーターでビルの中にあった谷島書店に入る。いろんな本を買ったな、そこで。いろんな本を読んだ。
■地方の書店には、なんといいますか、ろくな本がない。谷島書店はまだいいほうだ。で、遠鉄ビルのなかの谷島書店はなくなっているので本店のほうに向かう。やっぱり本の種類が少なくてがっかりだが、父親はめあての本を見つけたらしい。僕も数冊買う。このあいだ書いた「小説トリッパー」を父親に見せ、ほら書いたよというと、それ買えとのこと。中上健次について書いた文章を読んでもなにがなんだかわからないと思うがこれも親孝行だろう。わからないが。
■そのあと画材屋へ。版画に使うローラーを見つけた父親はうれしそうにしている。
■そして私は、不思議なものを発見したのだった。

■午後から稽古。
■完成した台本を配って読み合わせ。これでいいかなあと悩むが、ばらばらに書かれた参加者たちの台本をよくもまあこうも強引に一本の芝居にしたものだ。少しずつ稽古。特に後半のあたらしく書いたところなど。稽古を少し早く切り上げ、『月の教室』を公演する月見の里学遊館の「うさぎホール」を見学。出発前、駅前から出ているバスに乗り遅れちゃいかんとみな大騒ぎ。
■月見の里学遊館には、設計をした建築家の長谷川逸子さんがいた。挨拶。ホール見学。とてもいいホールだ。その写真もまたアップする予定。現場に来ると高校生はまた大騒ぎ。なんだかやたら楽しい。帰り、また伊地知の車で送ってもらう。伊地知、稽古が楽しくて仕方がないという。なにより楽しいのは女子高生と一緒にいられることらしい。いつもとはちがう道を行く。ものすごくおそろしい山の中の道。周囲は真っ暗だ。想像を絶する暗闇。永井、本気でおびえる。怖いのと、面白いのとで、俺はもうユニヴァーサル・スタジオ・ジャパンに行かなくてもいいとさえ思った。
(3:00 Mar.31 2001)

Mar. 29 「台本を書き上げた」

■早く稽古場に着いた。俳優が稽古場の外でなにをしていようとかまわないが、稽古で結果が出せないやつがそういうときに遊んでいるのを見ると蹴りたくなる。ふだんなら蹴る、というか、まあ、ふだんの舞台にそういう俳優はまず参加していないが、高校生はやっぱり、高校生だ。ただ女の子たちはすごくいい。どうして男はばかなんだろう。稽古場ですぐ寝るやつもいるし。
■日芸の学生で磐田出身の足立君のできがすごくよくなっていた。台詞が入ってしっかりしてきた。あと、数人の女子高生が話をしている場面で、一人、質問しても誰にも答えてもらえない子が笑った。ずっと口を半開きにしている。その姿が笑う。稽古は少しずつだが進行。けっこうきつい稽古だがねばり強くやってゆく。みんな少しずつよくなっているし、飲み込みの早さは若いということか。
■台本はようやく完成。昨夜、書き上げていたが、もういっぺん読み返してみようと思い、きょう渡すのはやめた。帰り、また伊地知に送ってもらった。台本を書き上げたことを話し、「伊地知、最後にもういっぺん出るよ」と話すとうれしそう。それで「下半身丸裸だけど」と冗談で言ってみると、さらによろこぶ。なんだかわからない。
■夜、家に戻って「図書館の学校」という雑誌の原稿を書き上げメールで送る。台本も手を入れる。ぎりぎりまで粘る。
(23:48 Mar.29 2001)

Mar. 28 「がまんはからだにわるい」

■参加していた女性で精神的に調子が悪く芝居ができないという人がいた。まあ、仕方がない。出演ではなく、今後はスタッフとして参加してもらうことにした。高校生が多い参加者のなかでは数少ない大人だったので期待していたのだが。ふだんの稽古だったらばかやろうと怒っていたかもしれないが市民参加の劇というのでがまんする。人間、がまんはからだに悪い。あと、集団になじめない人の気持ちもよくわかる。
■気を取り直して稽古。
■冒頭の場面、開演前のまだ客席が明るいところからはじまるが、高校生がただだらだら話しているところが生き生きして面白かった。それで気が晴れる。この場面、稽古してよかった。稽古が煮詰まったらこの場面を見よう。稽古というより趣味で見たい。気晴らしに見たい。高校生と伊地知の明るさに助けられる。まあ、明るすぎるのではないかと問題がないわけでもなく、ちょっと休憩などすると稽古場はわーわーうるさくてしょうがない。
■家に帰って眠る。疲れがたまってこのところ身体のぐあいが悪かったがなぜか深夜に目が覚めたら調子がいい。台本を書く。やけに進む。
(1:37 Mar.29 2001)

Mar. 27 「稽古再開」

■新しく書き上げた台本をプリントアウトして配布。これで全体の六分の五。あと少し。読み合わせし、それから部分的に稽古。中学生に指導するのは大変だ。すごく基本的なことを話さなくちゃいけない。ちょっとずつ進行。少しずつ前へ。わりと静岡県民はのんびりしているのだろうか。台詞がのんびりしがちでそれが面白い。そこシャープにぱきっとやろうと繰り返してやってもシャープにならないので笑える。のんびりした演劇があってもいいはずだ。演劇はなぜかてきぱき動く人が出現しがちだが、そんな人ばかりだったら世界はせわしなくていけない。ちょっとずつよくなってゆく。
■台本の残りがわずかになったので精神的に少し楽になった。
■終わってから、伊地知と永井と食事にゆく。伊地知が連れていってくれた袋井のイタリアレストラン。いろいろ食べてお腹いっぱいになる。食事しながら伊地知とゆっくり話しができて面白かった。途中、伊地知の携帯に仕事関係の電話。しきりに記号をメモしているのが興味深い。人の仕事の断片だけを見ているのは面白い。断片だからこそいろいろに想像することができる。
■いま稽古に参加している全員で食事会のようなものをしたいのは、役者たちがばらばらの場所から来ているのでまだ同じ舞台の世界に存在していない感じを受けるからだ。ちょっとしたことだが必要だと思う。ばらばらだからいいこともあるし、ばらばらのままでは出てこない表現もある。四月、花見でもできたらいいのだが。
■少し小説のことを考えた。書けないことに憂鬱になる。時間がなくて書けないというか、目の前の仕事で精一杯だ。
(3:07 Mar.28 2001)

Mar. 26 「休み」

PAPERS更新。『月の教室』の情報など。
■稽古は休みでゆっくり休もうと思ったが、明け方まで原稿を書き、それから眠り、たっぷり睡眠時間をとったつもりが目が覚めたらまだ午前中だった。睡眠不足で一日中ぼんやりしている。午後、父親が言い出したので、法多山(はったさん)と地元で呼ばれている山の中の大きな寺に父親と永井と犬と行く。途中、ワールドカップが何試合か開催される競技場「エコパ」を見たがすごい工事になっている。競技場自体もすごいが、周辺の道路の整備。こんな時代にこんなものを作っていいのか人ごとながら心配である。環境を守ろう自然を守ろうとか、ゴミの分別、資源をリサイクルなんてことが声高に言われる反面、山を削ることには躊躇がない。この国におけるコンクリートの使用量はアメリカの50倍。なにがどうなっているのかよくわからない。
■山では桜が少し開きはじめている。
■夕方から少し原稿を書く。台本。連載。その他。朝日のYさんから電話。新しい連載のタイトルを明日の午前中までに決めるようにとのこと。出てこない。「青空」を入れるのが学芸部の意向。なやむ。
(0:15 Mar.27 2001)

Mar. 25 「時間が足りない」

■台本を三分の二まで書き上げた。昨夜は必死である。最後へろへろな状態で書いた部分、ちゃんと書かれているものの、朝になって読み返すと書いた記憶がなかった。こんなことを書いたのかと驚く。で、高校生たちが作った手書きの台本を制作の永井がコンピュータを使って書き起こしてくれる。それをコピーしペースト。どれだけ助けられたかわからない。まあ、なにかと助けられっぱなしだが。稽古場にゆき袋井市役所の人がノートパソコンでプリントアウトしてくれた。助かった。今月中にはなんとか仕上げなくてはいけない。全員を出演させるのはむつかしい。
■このところ台本を書くのに追われメールが書けないのだった。何通か『月の教室』について問い合わせが来ている。返事ができなくて申し訳ないことになっているのだ。上の「月の教室バナー」をクリックすると情報が出るので見てもらいたい。今回も作曲で参加してもらうとこちらが勝手に決めた桜井圭介君からもメール。この日記を読んだらしくどうするのかと問いあわせ。劇中歌の詩が書けないのだ。ゆずみたいな気分にならなければ、あのような詩は書けんのだろうなあ。
■あまり稽古は進まない。二、三のシーンに時間をかけるとすぐに稽古時間がなくなる。新しい台本の読み合わせ、少し動きを決めるが、さっさと進めようとして雑になる。雑はいかん。特に高校生や中学生にはじっくりやらせたいのだが。丁寧にやること。雑にならないように丁寧にやってこそ市民とものを作る意味がきっとある。もっと時間がほしい。四月になるとあまり稽古ができないのが心配だ。
■帰り、また伊地知に車で送ってもらった。伊地知は女子高生たちに「イジっちゃん」と呼ばれている。で、ここに名前を出すと喜ぶので困るよ。ただ、「風俗」のことは書かないでくれという。もう遅いような気がする。
■あした、稽古は休み。台本を書く作業は残っており休めない。雑誌の原稿の締め切りもある。一日中原稿を書いていると、父親が来て、「章夫は文を書くのが好きだ」という。好きとかの問題じゃないと思う。
(2:55 Mar.26 2001)

Mar. 24 「高校生はゆずを歌う」

■僕はたばこをかなり吸う。それでも高校生や中学生のいる稽古場では吸わないように心がけているがふと気がついたらたばこを吸っていた。無意識にたばこに火をつけていたのだった。そのことに自分で驚き、あわてて消しにいった。
■午後1時過ぎの電車に乗ってもじゅうぶん稽古に間に合うとわかった。
■掛川から袋井まで七分ほど。そこからタクシー。稽古場はきのうと同じ青少年ホールという場所。まず歩く練習を準備運動代わりにし、2時から台本の稽古に入る。最年長でもう五十歳を過ぎている牧野さんは仕事があってあまり来られない。そこを重点的にやるのと、少し役を変更した部分などやってみる。演劇経験がなくても人は「芝居らしきもの」をする。牧野さん、妙な芝居をするが、「芝居をする」という行為はなぜ人をゆがんだものにさせるのだろう。変なイントネーションでせりふを口にする。そのことを指摘。で、近づいて牧野さんの台本をのぞき見ると、あるせりふの場所に「敬礼」とメモ。笑った。稽古場で相手と芝居をしてはじめて何をどうすればいいかわかるもので、一人で勝手に芝居を考えたところで仕方のない話だ。すると一人で芝居をすることになる。ある特別な場合はべつだが、たいてい演劇は関係のなかで出現する。どんなふうに芝居が展開するかなんて人の身体を通じなくちゃわからない。僕は演出プランなんてものを(俳優の演技に関して)考えたことはない。
■というわけで、牧野さんと伊地知の場面で少しつまづく。
■僕にしては珍しく稽古場で黙って考える時間があった。演出する者が黙れば俳優は待たざるをえず、可能な限りそれを避けたいが、きょうはちょっと考えた。で、気分を変える。劇中歌を作ろうと思いそのための準備というか、練習というか、高校生たちが以前のワークショップで突然うたいだした「ゆず」をみんなで歌ってみる。そもそも劇中歌を作ろうと思ったのは、そのこと、突然歌い出したからで、そんなに歌いたいんなら舞台で歌わせようと思ったのだった。まあ、「ゆず」に私はほとんど興味がないものの、歌っている高校生たちが生き生きとするならそれがいいと思ったのだが、もっとも生き生きとしていたのは伊地知だった。伊地知、のりのりである。どうなっているのだこの男は。
■帰りまた伊地知の車で送ってもらった。途中、CD屋に寄って「ゆず」を資料として買う。さらにtotoも買ってしまった。
(23:48 Mar.24 2001)

Mar. 23 「サッカーと演劇」

■午後一時半から稽古。
■稽古をやっているのは、東海道線袋井市の駅からタクシーで五分ほどの場所にある市の施設。公民館とかそういった種類の建物。袋井市は来年、おそらく全国的に話題になるだろうと思うのは、エコパと呼ばれる大きなサッカー場を建設しそこでワールドカップの何試合かがあるからだ。袋井から電車で浜松方向にひとつゆくと磐田という町。ジュビロ磐田のホーム。磐田は「とんぼとサッカーの町」らしく、とにかくサッカーである。それはそれでいいが、サッカーだけじゃなく演劇もなんとかこの地に根付けばいいのだが。
■できている台本を少しずつ稽古。いま作っている台本は、ワークショップのときに出した課題をもとに参加者たちが自分たちで書き、それを構成しまとめる。演劇ぶっくのワークショップの最後の発表でやったのと同じ方法だ。ばらばらの本をまとめる、一本の筋にしてゆく。その作業が面白い。高校生の書いた台本は地元の言葉が満載。僕なんかがかくよりずっと生き生きとしている。
■帰り、伊地知に車で掛川の家まで送ってもらった。伊地知、黙ってるとすぐに「風俗関係」の話をする。
■夜、台本を書く。なかなか進まず苦しい。あと、連載だの、イレギュラーの原稿もあり、きついがしょうがない。朝日の連載はあと一回で終わり。最後に何を書くかは問題で、たいてい最終回だろうと関係なくいつもの調子で書くのが流儀だが、二年もやっていたし、新聞だし、なにか最後らしいことを書こうかと思った。それにしても毎週の原稿を二年間書き続けられるとは思っていなかった。
(2:17 Mar.24 2001)

Mar. 22 「稽古はすでにはじまっている」

■先日の関西ワークショップ見学会の模様はこちら。米倉さんが作ってくれたページです。
■二日ばかり日記を書かなかったのは、怠けていたのではなかった。いろいろ忙しいというか、静岡(掛川市)の家にきてコンピュータをセッティングしようと思ったら、京都から送った荷物がまだ届いていなかったので立往生だ。ようやく環境が整った。インターネットにも接続ができた。最近はルーターで接続していたがこちらではアナログ回線用のモデム。設定の方法をすっかり忘れていた。WindowsMeはおおばか。賢いところと、ばかなところが同居したばか。なんどもくりかえし再起動。フリーズ。セーフモード。フリーズ。
■それはそれとして。
■21日から稽古をはじめた。台本はまだ三分の一ができたところ。こっちで書きながら稽古。稽古場に高校生が三十人近くいると、わーわーうるさくてかなわない。東京から、制作として永井、以前のワークショップに来ていた岸が、「歩き方の指導者」として参加。特殊な歩き方だが高校生は飲み込みがはやくおどろくほどの上達。みなやけにきれい。そこへゆくと大人は大変だ。小学校時代の同級生である伊地知は一生懸命だがなかなかできない。で、ビデオで岸の歩き方を撮影している。なんにするつもりなのか。

■台本をやってみる。なななかうまくゆかないが、少しずつだ。少しずつ作ってゆく。
■22人ほどの高校生や中学生、それから大人をみな登場させようと思うと大変な作業だが、まあ、死んだ気になるしかないね、これは。いい舞台を作る。
(0:51 Mar.23 2001)