『月の教室通信』は、公演終了にともない閉鎖します。ながいあいお読みいただきありがとうございました。またたくさんのメールにも感謝してやみません。今後は、京都における大学の日々と、観光する生活を記録した、「京都その観光と生活」をお読みください。ご愛読ありがとうございました。




May.6 「楽日と池山300号」

■いろいろな人が遠方から来てくれた。あるいは、うちの大学の学生たち。白水社のW君。翔泳社にいたE君。コンピュータ関係のライターをなさっているFさん。文學界のOさん。例の村山。大学で舞台芸術研究センターの仕事をしているHさん。以前まで僕の演出助手をしていてきのうまで浜松祭りに出ていたというF君。ワークショップに来ていた者らの姿も多く見かけ、わざわざ足を運んでくれて申し訳ないような気持ちだ。天気がよくてなにより。両親と妹も来てしまった。終演後、「歌がよかった」と父親。意外な感想に驚く。
■二回しかない上演の最後の舞台。そのせいだろう、伊地知ががんばりすぎ。いやらしいほど力が入る。あれほど言ったのにがんばってしまった。がまんできず、舞台のそでで上演中、伊地知にダメだし。たとえ市民の劇でもだめなものはだめとはいうものの、しょんぼりしてしまった伊地知を見て、申し訳なくなった。そもそも上演中だし。
■そでから舞台を観る。
■恥ずかしい話だが、感慨深いものがあるよ、やっぱり、この九カ月ほどのことを思い起こせば。で、いろいろなことを考えながらそでから舞台の役者たちの姿を観る。ほんとにいい人たちに会えたと幸福な気分にひたる。
■終演。そでの暗がりのなかで役者たちに「おつかれさま」と声を掛ける。高校生たち号泣。まいったなあ。そのままいたら、僕まで泣いてしまいそうなので、すぐに外に出た。
■一日のことを全部書くと、たいへんな長さになるので割愛。打ち上げは月見の里学遊館のなかで立食パーティのような感じ。高校生は相変わらずわーわーにぎやかだし、泣いたり、笑ったりで忙しくてしょうがない。みんなとずっと一緒にいたい気分だがもう帰る時間だ。さらばさらばと袋井をあとにする。
■その後、白水社のW君は新幹線の最終に乗り遅れ、掛川の僕の家で朝まで時間を潰した。演出助手のT君、制作の永井、そして伊地知らとずっと話をする。伊地知は翌日仕事のはず。寝なければまずいのに朝までいる。伊地知には助けられた。いろいろな意味で助けられた。ほんとうにうれしかった。妹が二日前に作ったというモツの煮込みをみんなで食べたのだが、どうもすっぱい。W君はさっぱりした味だと言うし、T君は二杯もたいらげる。伊地知も美味しそうにたべている。僕が、「これすっぱくない?」と言うと、みんな口を揃えて、「すっぱいすっぱい」と応えた。「なんでも腐りかけがうまいんだよ」とわけのわからないことを伊地知が口にしたので笑った。結局、モツはすべて食べてしまった。胃は大丈夫なのか。あははあははと夜は明けたのだった。
■朝になってみんな帰る。
■少し茫然とした。いろいろなことを考え、寝付かれない。
■とにかく、面白かった。面白い仕事だった。
■朝の新聞で、ヤクルトの池山が300号ホームランを打ったと知った。神宮で打ってほしかった。神宮での池山のホームラン、ジュビロの中山のゴール。こんなに幸福なことはない。いろいろな思いが交錯する朝だったのである。
(1:58 May.9 2001)

May.5 「初日」

■初日は無事あけた。開場後、建物の二階にある劇場の大きな窓から入口あたりを見ると、ぞくぞくと人がやってくる。アキ・カウリスマキの『浮雲』を思い出す。動員はほんとうに不安だったがかなり埋まった。制作の永井や市の関係者もほっとする。遠方から見に来てくれ方も多いし、京都から来た学生もいる。『JN』の編集者のTさんがわざわざ足を運んでくれたし、僕の舞台によく出ている佐伯はバイクで駆けつけてくれた。とてもうれしい。
■そして開演。舞台監督の武藤が、「初日から、初日が出た」と言ったとのこと。ある種の緊張感と新鮮さを持って舞台ができた。面白かったのは、劇場に足を運んでくれた地元の人たちがよくしゃべることだった。「あ、弁当食べてる」とか、「あの人、さっき旦那さんやった人だよ」と小声でささやきあう。それはそれで面白い。
■見れば、照明の数が増えている。少しはわかってもらえたかなと思う。音響、照明について書く気がしなくなったのでその話はとりあえず終わり。袋井から静岡寄りに位置する藤枝市で演劇をやっているという方からメールをもらった。同じようなことが藤枝でもあったとのこと。この「構造」をなんとかしなくては、地方の、演劇ばかりかあらゆることがだめになるのではないか。
■もちろん、「東京」のほうが先進的なものは多いだろう。問題はそうした先進性をどうやって地方に伝えてゆくか、あるいは、「東京」から来て仕事する者らがどんな態度で仕事をするか。「東京」だけがえらいわけじゃないし、「東京」という言葉を出せばなにか語ったことになると思ったらおおまちがいだ。僕もまたその一人。自分もなにかまちがいをおかしていないかと考える。あと、こうした文化に関わる行政の問題もいろいろあるのではないか。抽象的な議論だけじゃなく、もっと具体的な話が必要になる。つまりお金のことだけどね。なににお金を使うべきかだ。文化のためにはなににお金が使われるべきか。それを理解してもらわなければいけない。スタッフだってぎりぎりでやってるんだろうな。
■劇中歌を作曲してくれた桜井君が来て歌唱指導。とたんに歌がよくなる。すごいねしかし。スタジオヴォイスのSさんや、ロッキング・オンの編集者でかつて僕のワークショップに来ていたF君とも終演後ロビーで会う。あるいは、僕と伊地知の小学校時代の同級生たち。出演している高校生は、学校の友達が来たのかロビーは阿鼻叫喚。高校の教師はこういったことを毎日経験しているのだろうか。たいへんだなこれは。
■高校生たちに、「他者」を意識することを話さなくてはいけないと思った。わーわー騒いでいるその姿を「他者」はいつだって醒めた目で見ている。その「他者」に向かってどのように表現を作るか。
(0:42 May.8 2001)

May.4 「激突」

■テクニカルリハ、つまり舞台用語で「場あたり」が午後からある。いきなり劇場付きのスタッフと激突。30分近く激論。で、気になったのは、なにかのことで議論していたらスタッフの中心人物が、「東京ではそうなんですよ」と言った言葉。で、僕が、「俺も東京で芝居やってんだよ」とあたりまえのことを言い返す。すると相手の声が急に小さくなる。つまり、劇場の付きのスタッフたちは、僕も含めこの舞台は袋井でやっているアマチュアの劇団程度のものだと、つまり、「なめていた」わけだ。なにしろ打ち合わせのとき音楽を出すのにMDや、テープに録音し直す手間さえいやがり「CDで出せばいいですよね」とわけのわからないことを言っていたのだ。そこですでにわたしはかちんときていたが、まだ我慢していた。しかし稽古を一度も見に来なかったんだよ、あいつらは。なめてんだよ。こんなもんでいいだろうという程度の仕事ぶり。音響のやつは仕事中、不謹慎に調光室で笑っている。
■しかし、この激論はすごく演劇的だった。ああ、こんなに面白い劇があるだろうか。
■この件については、もっと詳しくあした書く。
■激論のあと、場当たりでなにか言う気持ちが萎える。こんなスタッフと仕事するのはいやな気持ち。ずっしり重いものが身体に残る。
■あとで聞いたが、そのあと高校生の何人かが、調光室に、「お願いします。僕たちもがんばっているので協力してください」と泣きながら頼みに言ったという。なんだかわからない空気が劇場を包む。一気に本番に向けて奇妙なエネルギーが高まる。実は、あのスタッフにもわれわれが去年の夏からやってきたことの意味を理解してもらおうと思って、わざと喧嘩を売ったのだった。ぶつかりあいは必要だな。とたんに関係が濃くなる。激論の時、舞台監督の武藤は僕とスタッフを外に出して喧嘩させようと思ったらしいが、いや、これはみんなに見てもらおうと、そのまま黙っていたという。武藤の機転。
■いろいろなことがある。
(10:55 May.5 2001)

May.3 「はーるちゃーん」

■昼から抜き稽古。気になっていた場面を細かくやる。ほんとは伊地知の場面で大事なところをやりたかったが、あとまわしになってしまった。しっかり稽古して伊地知に自信をもたせたかったが。リラックスしてやれば伊地知すごくいいのにな。稽古はいよいよ佳境。公演まであと二日。あっというまだ。あっというまに楽しい時間は過ぎてゆく。ワークショップからはじめて九ヶ月。積み上げたものを舞台にのせる。演出は僕だが、「作者」は参加している者、全員。長い時間をかけ、ちょっとずつ作り、台本にする方法を試す。
■しかし、舞台での稽古はこれほどいいものはなく、稽古場から劇場入りしたときの違和感がない。声、動き、あれやこれや。それがあたりまえのことになり、その空間に身体が慣れてゆく。こんな贅沢な話はない。自分の劇場が持てたらと思うことしきり。その空間で考え、いろいろ試し、作業し、いまとはまったく異なる演劇との関係が生まれると思った。
■合宿し、集団生活、なんてのは僕の性に合わないが、「実験室」みたいなのがあれば、単純に楽しいだろうと思った。明るい、というか、どこかふざけたというか、脱力の寺山修司のようなものかな。ダンス、パフォーマンス、また異なる表現のための場、あればいいな、どこかに。
■稽古の帰り、うちの大学のYと伊地知がうちに来て、深夜まで食事したり、お茶を飲んだり、話をした。話は尽きず、結局、Y、うちの実家に泊まってゆく。京都から来て、いまはこの近くに実家のあるべつの学生、Fのところにいたのだが、Yの携帯にFから心配するメールが届いていた。さらにHも京都から深夜バスで到着という。Hも心配し、そもそもHはのんびりした女なのだが、メールの文面が、「はーるちゃーん、わたしー、きーたーよー。どーこにいるのー」(はるちゃんというのはYのこと)と、文体自体がのんびりしていて笑った。あははあははと夜は過ぎてゆく。
■あしたゲネ。日記の更新できず。日記の日付が、「Mar.になっている」というメール多数。May.だった。
(10:55 May.5 2001)

May.2 「希望と不安」

■きょうもまた平日のスケジュール。稽古は夕方から。月見の里学遊館うさぎホール。学校から大あわてで走ってきた高校生。伊地知は仕事を片づけ、やっぱり疲れた顔。ある人のメールによれば伊地知のことを高橋源一郎のような風貌と予測していた。はっきり書く。それはまちがってます。
■時間がないので、いくつかやっておくべきこと、歌の練習などをして通し稽古に。開場からずっと女子高生が椅子に座っている。まだ開演していないが芝居はなんとなくはじまる。「はじまりますよ」という演出はない。いつのまにかはじまる。で、高校生がどうでもいいことをだらだら話している。彼女たちがワークショップの時見せてくれたとき、もうこのままずっと見ていたいと思ったほどなにもなくて好きだったが、舞台の上でやるとどうも芝居になるのは残念だ。
■市民の参加者たちが、去年の8月から少しずつ作りあげて来た舞台がはじまる。まあ、よく一本の芝居にしたと思うね、われながら。ばらばらで出てきた参加者のつくった台本を構成一本の芝居にする作業がいま面白くてしょうがない。よくこれ、一本になった。ラジカル・ガジベリビンバ・システムのころも近いものがあったが、こうはうまくまとまらなかった。
■夜、「通し」。まだまだ。気になるところいくつかあり。もっともっと磨きをかけねば。通しが終わってから、高校生を帰さなくてはいけない時間だが重要な若い夫婦の場面を特別に稽古。よくなってきた。
■それにしてもですね、照明、音響が、舞台付きの人たちとはいえ、稽古を全然、見に来ないことにだんだん腹立たしくなっていて、って当然の話だが、場当たり、ゲネのあたりで、怒鳴ったり、蹴ったりと暴れそうな予感があって、ばかやろうおまえらなめてんのかふざけるなこのくそばかがと大声を上げている自分の状況が想像できていやだよ俺は。東京からやり慣れているスタッフを呼びたかった。予算がなあ。予算が問題だよ。
■一生懸命やってる参加者たちのためにもすべてきちっとしていなくちゃ俺はいやだ。
(10:51 May.3 2001)

May.1 「突然のおそろしさについて」

■稽古は夕方から。ゴールデンウイークとはいえ平日。仕事のある人もいれば、中学生、高校生は学校である。昼間、ずっと寝ていた。僕の疲れはとれたが、学校や仕事、さらに稽古という参加者たちはどうなのか気になる。静岡新聞に今回の舞台が大きく取り上げられていた。参加者の励みになればと思う。このところ月見の里学遊館で稽古していたが、諸般の事情で青少年センターという場所。3月のころずっと稽古していた施設だ。
■ぼくのクラスの学生がふたり、稽古の見学に来た。で、いつも授業でやっているストレッチを指導してもらう。ぴょんぴょん跳ねる運動で伊地知の動きがなんだか変だった。
■若い夫婦の場面を稽古。あまり稽古していなかったのでまとめてやる。ただ、「通し」で何度か見ているうちにわかったことがいくつかあり、こういう方法もあるのだなあと思った。何も言わず、ただ見る。見ているうちに、演出も、俳優も、なにか気がつく。こうしろ、ああしろと、細かく注意するだけではないなにか。ふと時計を見ると稽古時間が終わりに近づいている。まずい。やるべきことはまだいろいろあるのだ。無駄だと思うところをシャープにし、気になっている場面をあらためてやってみる。まだなにかあるはずだ、きっと。
■最後は歌の稽古。高校生たち、突然、大きな声で生き生きと歌い出す。この、「突然」というやつがおそろしい。きのうの「通し」では中学生の朗読が突然うまくなっていた。なにしろ、「突然」である。もっと稽古したくなる。何度も、「突然」に出会うのではないか。
(3:55 May.2 2001)