.  ただ立つ(1995・シアターアーツ) .
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  演劇では、俳優が作品に出演することを、「舞台に立つ」と表現する。考えてみれば奇妙な言葉だ。「ベッドで横になる役」だろうと、「鉄棒にぶら下がる役」だとしても、なぜか俳優は舞台に立つ。何気なく使っていたこの言葉が重要だと考えたのは、「立つ」が、「構築」を意味する言葉だと気がついたからだ。建築家の隈研吾氏が、『新・建築入門』で書いているのは、建築における、「構築」という概念の歴史だった。「新石器時代の人々は、洞窟を出て、フラットな大地の上にさまざまな巨石をたちあげた。これらの巨石こそ、最初の構築物であり、構築という行為の本質は、すべてこれらの巨石の中に先どりされている」と書き、例として上げた、メンヒル、ストーンヘンジ、ストーンサークルなどの巨石群の相貌から、「空高く宇宙の果てを見上げて立ち上がって」いる印象を受けたという。それが、「宇宙的」「神話的」だとするなら、演劇を通じて「構築」を見るとき、〈神を主体とした演劇〉における古代の俳優が、「空高く宇宙の果てを見上げて立ち上がる、宇宙的、神話的な姿」だったことは容易に想像できる。さらに想像で語るなら、この「立ち方」が象徴的であったからこそ、ことさら「立つ」が演劇のなかで強調されたのではないか。作品に出演することが、「舞台で語る」のではなく、「舞台に立つ」ことになったのは、そうした理由によるのだろう。だが、もちろん現代の俳優は、「空高く宇宙の果てを見上げて立ち上がる、宇宙的、神話的な姿」であることを許されない。

 ギリシャから十八世紀にいたるまでの建築の最大の課題は、建築という構築物を、いかにしたら普遍的なるものたらしめることができるかという課題であった。主観と客観=普遍とを、いかにしたら一致させることができるかという課題も、実はこの大課題を言い換えたものに過ぎない。なぜなら構築とは主観によって作られ、組みたてられるものであり、主観によって体験されえるものに他ならないからである。(隈研吾 『新・建築入門』)

 つまり、現代の俳優は、「主観によって作られ、組みたてられるものであり、主観によって体験されえるもの」として、「構築(=立つこと)」を許されないのである。平田オリザが書いているのも同じことだ。まず平田は、「これは机だ」と役者が机を指していうのは可能であるとする。机は机であり、コップはコップである。だが、「私は歯が痛い」と言葉にするのは不可能だという。

 従来の演劇は、この「私は歯が痛い」という命題を観客に納得させる役者をいい役者 と呼んだ。役者はしゃかりきになって、「私は歯が痛いんだ」と叫んだ。しかし、いかにうまい役者が語ろうとも、いかに大きな声で叫ぼうとも、現代演劇の観客は決してこの台詞に納得はしない。それはこの命題そのものが、「ああそうですか」としか答えようがない類の主観的なものだからだ。(平田オリザ『現代口語演劇のために』)

 主観を排した俳優の存在とは、〈ただ立っている〉というあり方だと私は考える。普遍を信じ、強固な意志で、そこに「立つ」のではない。「構築」が解体され、「ポストモダニズム」へ、「脱構築」へと思考された現代建築の新しい流れは、そのまま、「主観的な表現」にまみれた演劇への疑いと同じ種類のものだ。俳優は、ただそこにいればいい。そこに、ただ立っていればいい。
 さて、仮に、「チーマー」が書かれた戯曲がここにあるとする。チーマーとは、渋谷のセンター街あたりにたむろする若い連中のことで、男なら、長い髪を茶色に染め、耳にピアスをしているような者たちだ。俳優Aが、「チーマー1」という役をあてられた。役を演じるために俳優Aが考えるのはどんなことか。ピアッシングすればいいのだろうか。髪をのばし、茶に染めればいいのか。だが、おそらく舞台上に登場するのは、「チーマーを主観的に演じようとしている俳優A」でしかない。チーマーはどこにも出現しない。なぜなら、演劇を志すような青年と、「一九九五年の渋谷のセンター街に漂う空気」は、およそ無縁だからだ。つまり、「チーマーは演劇を志さない」ということである。なかにはチーマーでさえ志そうと考える演劇があるかもしれないが、あいにく私はよく知らないし、そうした種類の演劇が数多くあると考えるのも困難だ。ここでいう〈演劇〉は、あくまで、演劇という言葉から生じるイメージのことだが、もう少し言葉に形を与えるとするなら、チーマーと演劇をめぐる、またべつのテーゼも浮かぶ。
「チーマーは、肉体訓練を好まない」
 たいていの演劇は、「肉体訓練」を重視するが、すすんで肉体訓練をしようというチーマーは想像できないし、肉体訓練に熱心なチーマーがいたとしたら、それはすでに、チーマーではなく、「チーマーによく似た俳優」に過ぎないのではないか。もちろん、「チーマーを演じようとしている俳優A」の、「演じ方」という部分に重点を置き、演じ方が見事だからと賞賛される演劇もある。そこでは、さっきまで肉体訓練に汗を流していた健康的な俳優が、ベッドに横たわり、瀕死の重病人を、力のこもった演技で表現するので、こうなるともう、なんだかよくわからない事態になっている。そのことを私は疑問に思うし、なんなら笑うこともできるが、それだけでは何の解決にもならない。
 チーマーを出現させたいのだ。いや、チーマーは単なるたとえに過ぎない。主観から遠ざかり、〈いま、ここ〉に、〈ただ立つ〉ための考え方を必要としている。
 やはり、「肉体訓練」ではないか。場合によっては、「身体訓練」とか、「ニクレン」と呼ばれもするそれに対して、以前から私は、なにか不可解な思いを抱いていた。なにしろ、「ニクレン」である。こんな書き方をするからといって、なにも、肉体訓練そのものを否定するのではない。肉体訓練によってはじめて成果を生み出す表現があることも知っているし、俳優にとって必要最低限の訓練はあるべきだと思う。疑問に感じるのは、なぜ集団で訓練がなされるかという一点にある。集団で走り、集団でストレッチをする。軍隊を思わせもするこうした「集団性」は、あきらかに、思想性を帯びたものだ。集団的な訓練が日常的に実施される。そこからにじみだす思想に囲まれ、俳優教育を持続的に受けるのだとしたら、彼らの身体が表現するもの、彼らの身体から発するものは、自ずとその思想を染み込ませた表出になるのではないか。「肉体訓練」がチーマーの出現を妨げるのではなく、集団のありかたが、俳優をチーマーから遠ざける。
 そして、「集団」に対する、ラジカルな問いかけがない限り、演劇は、現在を表現する方法にはなりえない。
 ある「集団の物語」が、その後、あらゆるメディアを通じて語られることになったのは、三月二十日の地下鉄の事件がきっかけだった。それは、単なる犯罪だった。単なる犯罪でありながら、数多くのコメンテーターがメディアを通じて様々に語り、場合によっては、道ばたで出会った者同士がコメンテーターになる。だが、どれがほんとうの言葉なのか、何が事実なのか、話している自分たちさえわからない始末だ。オウム真理教が関わるとされる一連の事件の本質が見極めにくいのは、事件の全体が膨大であること、「宗教」「集団」「化学」「オタク」「報道」「警察捜査」といった多面的な相のひとつひとつを読み解こうと試みても、「部分」の表面を撫でるようにもどかしく、何を発言しても不確かに感じることによるのではないか。それはまた一方で、「これが事件の本質である」と安易な解説を許さないことにもなり、どう事件を受けとめたのかという問いを、受けとめる者の深い部分につきつける。そうして、不意に立ち止まらせ、考えるよう強いることにこそ、事件の本質があるのではないかと飛躍した想像も浮かぶ。
 私もまた、立ち止まることを余儀なくされた。〈表現〉との関わりとして、〈ラジカリズム〉を考えたのもそのひとつだ。
 ここでいう、〈ラジカリズム〉を、「根本的な問い」のことだとすれば、かつてのオウム真理教に見ることのできた積極性とは、宗教本来が持つ根本的な問いを発する力、つまり、「ラジカリズム」の徹底性にあったことはまちがいない。そのあたりのことを宗教学者の中沢新一氏は、ある雑誌に寄せた、『オウム真理教信者への手紙』の中で、「この教団の特徴は信者の一人一人が修行することによって、真理であるシヴァ神と直接に一体になることをめざしたことにありました。シャーマンである教祖をあがめるのではなく、修行者一人一人が真理そのものを体験していこうとした。これはやはり、新しいことであった」と書く。それは、この国の社会を成り立たせる構造に対しての批判であり、天皇制、企業体、あるいは、既存の宗教団体に内在する、トップを頂点に下方に組織が広がるシステムのあり方や、そこにある精神性を否定することだった。もちろん、中沢氏も、その後のオウム真理教の誤りはきっぱりと指摘している。「出家」という修行の形態ひとつとっても、それが外部の社会と軋轢をもたらし、彼ら自身が硬直をきたすとき、あるべきはずの根本的な問いは変質し、むごたらしい妄想へと迷いこむことになった。かつて連合赤軍がそうであったように、左翼同士の内部的な暴力がそうであったように、暗い場所へと道を迷って結末を迎える。それをありふれた言葉で、「狂気」と口にするのではなく、「ラジカリズムの敗北」と呼ぶべきだとしたら、考えるべきことは、「敗北」から逃れつつも、「問い」を発する態度をどこに求めたらいいかということだ。さらに中沢氏は書く。

 ほんとうの魂の探求者は苦しみながら社会のなかで生きようとするものです。群衆のなかにいながら、群衆には従うことなく、ただ自分の心に従って生きることこそ、自分の魂を成長させる最良の方法だからです。だから、グルからも離れ、たとえ教団からも離れたとしても、あなたの探求が終わりになるわけではなく、むしろそこから、ひとりになったあなた自身の、ほんとうの探求がはじまるのです。

 私が立っている、「現在」というこの場所は、何かに頼ってよりかかるものさえない、殺風景で空虚な空間だ。そこに、「立つ」ことは、心細く、ひどく頼りのないものだが、空虚に耐えることでしか、この場所をはっきり見つめることはできない。グルに頼ることで、安易に「表現」を獲得したいと考えたくもなるが、ほんとうにそのことで自分を発見できるとは思えない。グルは、「身体を解放し、自由にしろ」と言う。だが、それはほんとうに、「自由な身体」なのだろうか。まず、自分が、「不自由な身体」であることを、空虚のなかで発見すべきだ。「不自由」とは、「差異」のことである。「私が、ただ、ここに立つ」とは、この場所と自分の身体との、「差異」をゆったりと感じることだ。他者を前にして何かを表現するとき、人は、当然のように、「見られている」ことを意識する。「見られている」ことを意識し、「見せる」と考えれば、システム化された身体の養成は有効だろう。美しい姿勢で立ち、ジャンプし、トンボを切り、軽快に動き、なめらかに歩く。見せるのだったら、こんなに素晴らしい身体はない。だが私は、舞台上に存在する世界に俳優が生きていればいいと考える。「見せる身体」ではなく、「生きる身体」だ。繰り返すようだが、「主観」ではなく、「客観」である。生きている身体は、どこか歪んでいるに違いなく、個々に差異を抱え、生きる身体がただそこに立っていれば、それだけで、表現が生まれる。「差異」そのものが、「表現」になる。
 八〇年代が、「ラジカリズムの敗北」を前提に、戦略的なポストモダンの空気を時代の全般に漂わせていたのは言うまでもなく、戦略性ゆえに、それもまた闘争だったのだと評価を与えたいと私は考えるが、それでもなお、そこからこぼれ落ちたものをすくいあげようとするからこそ問いは生まれる。八〇年代に出現した大半の演劇は、「ラジカリズムの敗北」を横目に、軽快に時代を疾走した。それは、「戯れ」であり、「恣意性」であり、おしなべて、「虚ろなスタイル」だが、「ラジカリズムの敗北」を生み出した土壌から遠ざかることによって、一定の有効性を持った。だからこそ強調したいのは、宗教を手がかりに、「問い」を発しようとしたオウム真理教のラジカリズムが、八〇年代に生まれたこと、そして、敗北していったことの意味を考える必要についてだ。私にはそれが、八〇年代の表面を覆った戯れや疾走感というムードの裏に生きつづけた、「暗いまなざし」だったのだと感じる。「暗いまなざし」は、いつだって硬直し、歪んだ方向へと迷い込む。はじめに持っていた輝きはすぐに陰り、息苦しさに包まれる。
 いま必要なラジカリズムは、八〇年代の反動であってはならない。反動であることは、その底辺を漂う、「暗いまなざし」にとらえられるだけのことだ。しばしば起こりがちな、硬直から注意深く遠ざかり、かといって、戦略的な戯れにも頼らない。この困難な道を行くのは至難の業だが、だからといって、「問い」を放棄すれば、八〇年代を反復するだけのことだ。それはきっと、「ただ立っている」というあり方でしかない。そのことをデリダに倣って、〈只構築〉と呼びたい気持ちもあるが、ともあれ、ただ立つことによって、世界のグルーブを素直に身体で受けとめること、それが、「現在」に対する、ラジカルな問いかけになる。


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