.  煙草(1995・週刊文春) .
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 家の者が夕食の買い物にゆくとき、つきあってスーパーマーケットに行くことがたまにある。その日は、大量に買い物をしなくちゃならなかったり、米を十キロ買うといった事情があるわけで、私はつまり、荷物運びだ。買い物にはそれほど興味がないので私はスーパーマーケットの前で買い物が終わるのを待っている。
 すると、たいてい、スーパーの前には、買い物中の飼い主を待つ犬がいるのだ。
 私と犬のあいだには、同じ境遇にある者としての、なにやら共感が生まれる。煙草を出す。私は火をつける。犬が私のことを見ていた。「どうだい、一本吸うかい?」と煙草を差し出すが、犬はきょとんとした顔をするばかりだ。かわいそうに、犬は、そうした時間をつぶすための適当な手段がないので、ただただ、飼い主がスーパーから出てくるのを待つばかりだ。私はこれみよがしに二本目の煙草を吸う。犬が見ている。犬の目にはどことなく、うらやましそうな表情がある。
 ところが、たまに通りかかった人が、「あら、かわいいわねえ」と言って、犬の頭をなぜるので、犬は、誰かれかまわず嬉しそうに応対する。犬はちらっと私を見る。何かいいたげだ。べつに俺はそんなことされても嬉しくないよと言ってやりたいと思った。だってそうだろう、通りかかった人が、「あら、かわいいわねえ」と私の頭をなでたとしたら、それはちょっと、まずいことになっているではないか。
 やがて飼い主が戻ってきたので、犬はさっきよりずっと嬉しそうだ。飼い主に連れられ犬は帰って行く。行きながらちらっと私のことを見た。何か言いたげだがよくわからない。私は三本目の煙草を吸う。

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