京都の夏はとてもよかった。夏が終わるとともに宮沢はまた世田谷に戻る。季節労働者のような生活。それはそれで楽しい。「京都、その観光と生活」はしばらくお休みです。つづきは、「世田谷日記」をお読みください。




Aug.19 「学校へ」


■昼過ぎ、65番のバスで学校へ。烏丸御池のバス停にゆくとすぐバスが来た。研究室の机の周辺を片づける。休みの日、さすがに学校はがらんとしていた。九月に入りまた京都に戻ってから片づけをしてもよかったがさっさとすませたほうが気が楽だ。研究室にも誰もいない。しかも日曜日だからか、研究室のある建物のエレベーターは動かない。
■久しぶりにデジカメで町を写す。もっと京都を写せばよかった。祇園祭も、大文字焼きもなにも写さなかった。
■家に戻って東京に送る荷物を箱に詰め宅急便で送る。部屋の片づけ。あいまに知人のWebをのぞいたら「落ち込みモード」とあったので心配になってすぐにメールを送る。少し疲れて眠くなる。きょうじゅうに東京に戻ろうと思っていたがだめだ。睡眠。目が覚めたのは夜10時過ぎ。食事をしてからさらに片づけ。知人の「落ち込みモード」が伝染ったのか、なぜか身体がだるい。めったに身体がだるくなることはないのだが、動くのがおっくうだ。エアコンのなかで眠っていたので風邪でもひいたのかと思い薬を飲んだ。
■京都をあとにする。また戻ってくるのは一ヶ月後になる。夏の京都はほんとうによかった。
(1:39 Aug.20 2001)

Aug.18 「三月書房へ」

■早朝、『資本論を読む』の原稿を書き終えてメールで送った。
■書き終えなにやら気分が昂揚したのは、仕事が終わったことばかりではなく、『資本論』を読んで興奮したからだ。これは「経済学」の本ではない。もっと大きなことをとらえた壮大なテキストだ。とようやく気がついた。「経済学批判」というサブタイトルがあることを忘れていた。マルクスはおそらく「経済とはなにか」といった小さな疑問から出発し、それを考えつくすために「経済学批判」を書き、考えつくした果てに、『資本論』という書物としてまとめたのだろう。労働には、「抽象的人間労働」と「具体的労働」があるという二面性を、対立する項として理解し、それがどのように異なるか考えていたが、よくよく読んでいるうち、これはそうではない、「抽象的人間労働」という大きな枠の世界に、「具体的労働」があるとイメージの立て方を変えたとたん、『資本論』が問題にしているのが「経済」というカテゴリーよりもっと根源的な人間そのもののことだと見えてきて、これはただごとならないのではないか、ただごとならぬテキストだと、ひとり走り出さんばかりに興奮したのだ。
■『資本論』がやけに面白くなってきた。連載をしていなかったら読めなかったかもしれず、読むことをうながしてくれた仕事に感謝する。
■興奮したまま寝付かれず、昼近くまで起きている。そのあいだ、高校野球を見、小説を読み、ネットを徘徊、あまり『資本論』と関係のないことばかりし、興奮したんなら先を読めばいいものを興奮ばかり肥大してなにかせねば、なにかもっと考えねばと、ばたばたしているうち眠くなって昼の少し前に眠る。目が醒めたのは四時過ぎ。
■学校にゆこうと自転車で家を出る。研究室の机を後期に赴任する松田正隆さんに渡さなければならず、机の周りを片づけるつもりだった。御池通りを寺町で渡り、そのまま北進、寺町二条の三月書房で一休み。本を買う。買ったら学校にゆくのが面倒になった。あしたでいいか、でも日曜日、学校は開いているのだろうかと不安だが、まあぶらっと外に出るつもりでゆけばいいと覚悟を決め、家に戻って食事。
■Macをセッティング。これで京都でもWebを作ることができる。この日記はテキストエディタを使ってせっせと作っていた。まあ、プロはエディタで手打ちなんだろうけど、僕はもっぱらGoLive。ヴァージョンが1のときから使っているから愛着がある。なにせ英語版しかないころマニュアルが読めず、HTMLの本を参考書にしつつGoLiveを自力で覚え、それがまたHTMLの勉強にもなった。人間、ないところから出発することのよさは確実にある。
■いよいよあしたの夜、東京に戻る。
(0:13 Aug.19 2001)

Aug.17 「ほんとうに大事なこと」

■午前中からずっと、『資本論を読む』というJNの連載で苦しむ。
■東京に帰る前にどうしてもやっておかなければいけないことがあって三時過ぎに学校にゆく。学校にあるコンピュータのデータを家のMacに移す作業だ。いま京都の家のMacは動かない。なぜ動かないか説明すると面倒な話になるが、要するにHDDを認識してくれなくなったからで、新しいHDDを買って初期化、学校でデータをコピーする。家からMacを運ぶのはたいへんである。
■夏休みの学校は静まりかえっている。どこの学科の学生か、集団でビデオの撮影をしていた。人間館という建物の三階にある舞台芸術センターの部屋で作業。4時半からはじめ、終わったのは夜の10時過ぎ。正面の入口は閉じられ、地下二階、駐車場のなかにある守衛室に鍵を返して帰った。
■いま僕は小説のことばかり考えており、データをコピーしているあいだも小説を読んでいた。もちろん連載は書かなくちゃいけないけれど、なによりも小説だ。小説のことしか考えられない。待っている人がいる。ずーっと待っていてくれる人がいて、待っているあいだにその人は、「新潮45」の編集長になってしまったから驚きだ。ほんとに待っていたのだろうか。
■学校で使っているMacはG4。やっぱり速い。studio21というか、舞台芸術センターのWebを作らなくちゃいけないが、なぜ俺が人の舞台の宣伝をしなくちゃいけないんだという気にもなり、いやいやいけない、それを言ってはいけない、自分が関わった二年生の発表公演を報せるページはものすごいスピードで作ったが、人のこととなるとなあ、ちっともやる気にならず、そりゃあそうだろう、そういうもんだよ人間は、いいかげんになるのも致し方ない、って、いや、だめだ、そんなふうにわたしはちっとも思っていない、わけでもない、こともない。
■東京に帰る。小説を書く。小さなことなどどうでもいい。考えるべきことはもっとある。ほんとうに大事なことを、どこか島にでもいってゆっくり考えたい。
(0:24 Aug.18 2001)

Aug.16 「ほんやら洞へ」

■昼間から、『資本論を読む』を書いていたが進まず、「読み」もまた進んでいるとはいいがたい。
■気晴らしに、夕方自転車を走らせ、大文字の送り火を見にゆくことにした。御池通りを走り鴨川の橋に立ったが、どこにも大文字など見えない。風が吹いて気持ちがいい。鴨川の土手をおおぜいの人が歩く。あたり一帯、やけににぎやかだ。じっとりと湿度の高い夏の夕暮れ。奇妙な気配。ただ風はすごくいい。川端通りを走る。出町柳までゆくと、人の数はさらに増え、鴨川の土手にも人が並んで腰をおろす。どうやらみんな待っている。探しても見えないはずだ、まだ点火されていなかったのだ。東の方角、銀閣寺の向こうの山に火が入ったのは八時ちょうど。「大」の字が山に浮かぶ。フラッシュをたいて大文字の写真を撮る人たち。それ意味ないと思う。
■久しぶりに、ほんやら洞で食事をする。「ほんやら洞通信」の新しい号を買った。ほんとうに久しぶりだ。四月以降、忙しくて学校と家との往復だった。家の近所のカフェには行ったが、今出川にあるほんやら洞にはどうしても足が向かなかった。今出川は遠い。
■店主の甲斐さんの奥さんで、「ほんやら洞通信」に小説を書いている河合敦子さんと少し話をする。
■また家に戻って原稿の続き。これを書き終わったら『月の教室』にとりかかる。小説にじっくり取り組みたいのだが。
(23:50 Aug.16 2001)

Aug.15 「8月15日だった」

■京都は38度。気持ちがいいくらいの暑さ。「一冊の本」の原稿を書き上げメールで送る。ニュースではおなじみの8月15日。右へ右へ。さらにその先を右へ。
■スタニスラフスキーはまさに近代の人だから、俳優における「うまい」を言語として記述しようと『俳優修行』を書いたが、読めばわかるように、理解に困るようなあいまいな言葉がしばしば出現し、たとえば「霊的なインスピレーション」といったことにそれはなるが、言葉の是非はともかく、スタニスラフスキーが伝えようとしていることはわからないではない。言葉にすることに問題があるのだろうか。「うまい」は言葉にならないのか。つまり「言語化できないなにものか」だ。それはどのようにして伝えることが可能なのか。「記述の方法」についてきのう書いたが、むしろ「記述の不可能性」について考えるべきではないかと思った。不可能だからこそ書くに値する。
■『資本論』を読む。JNの締め切りだったのだ。思いだしたように『資本論』を読んでも仕方がない気がし、これからは原稿を書く時期以外でも少しずつでも読み進めようと思ったのは先月、JNの原稿を書いていたときだが、だめだ、どうも読めず、こうしてせっぱつまってから読む。思い出しながら、少しページをさかのぼれば、「商品」の項、めまいがするほどの難解さ。
■あいまに頭をほぐそうと小説を読む。あとサッカー。エコパで日本代表とオーストラリアの試合。BSで見る。エコパといえば袋井市だ。PKの場面で、急遽、中山を投入して蹴らせたのはトルシエの演出か。地元へのサービスではないか。
■池袋ツアーのことをきのう書いたが、そういえば、「新潮」という文芸誌の編集者があの小説を手に池袋を歩いたという話をいつだったか人づてに聞いた。ほんとに歩けただろうか。それ、ちょっとちがう、こっちの道と指摘してみたかった。しかし、『路地へ』という映画は中上健次の小説舞台である新宮を旅するいい作品だが、ただ、行ってしまう人がいるのだなあと感心もしたのだし、こういうこともよしあし、文学の土地とは、実際に存在する場所だとしてもけっして「実在」ではないのであって、そこにはやはり、ただの日常があるだけだろう、というようなことを、ロラン・バルトが書いていなかったか、どこかに。
(0:43 Aug.16 2001)

Aug.14 「ツアー」

■「うまい」とはなんであるかについて考えている。
■俳優にしろ、劇作家にしろ、小説家にしろ。いったい「うまい」とはなんであるのか。僕は「うまくなるな」と俳優たちに言っていたが、それには補足が必要だ。なってはいけない「うまい」と、正しい「うまい」がある。「うまい」を支えるのは、「ことばとして記述できるもの」だろう。記述する方法が科学をお手本にしているとすれば、もっぱら「近代」の産物なのだろうが、だから「うまい」を否定しようとすればいきおい反近代になり、「呪術」や「情念」といったうっとおしい世界へと遡行する。そこから遠ざかりたい。遠ざかりつつ、近代の否定面に目を配り「正しいうまい」を肯定することはできないものか。つまり「記述の方法」だ。またべつの記述の方法。
■このことを考えつくそう。とことん考えなければいけないのだ。
■夜、姉小路沿いにある「KOSCI」というカフェへ。学生のYに渡すものがあったからだ。それで学校のことなどゆっくり話をした。人と会うのは久しぶりのような気がする。Yはあしたからある舞台のボランティアの仕事で佐渡へゆくそうだ。
■関西で開かれたワークショップの参加者たちが連絡用に使っている非公開の掲示板がある。ワークショップは終了したがまだ掲示板を使って連絡を取りあっているようで、なぜかストリップを観にゆくツアーで盛り上がっている。ほかにもいくつか「ツアー」が計画されているのを読んで、ふと思い立ったのは、「池袋サーチエンジン・システムクラッシュツアー」だ。あの小説を読んだ人たちと一緒に主人公がたどった道を歩く。ガイドは俺だ。というか、久しぶりに池袋を歩いてみたいと思った。10月からまた池袋コミュニティカレッジでワークショップ。懐かしの池袋。いや、ちっとも懐かしくなんかないのだが。
(2:15 Aug.15 2001)

Aug.13 「仕事」

■『青空の方法』、単行本のあとがきを書く。なにを書いたらいいかで一日なやむ。それでネットを徘徊。逃避だ。時間がただ過ぎてゆく。
■そこで見つけたのが、MapFanWebというページ。なんだか面白い。九月に引っ越しをする。その住所を入力するとたちどころにその場所の地図が出てくる。よく見ると新宿から歩いてもそれほどたいした距離じゃないとわかった。自転車ならもっと楽だ。京都にいたので引っ越し先のことをほとんど知らない。手掛かりは東京から送ってくるメールに添付された写真だけだ。そんなことで部屋を決めていいのだろうか。
■夜になってようやく「あとがき」が書けた。だけどまた連載の催促。小説を書いている時間がない。書かなければいけない。書かなければうまくならない。そういうものだ。
■あと本を読む。そういえば、関西ワークショップ(ここのworkshopをクリック)のページがとうとう完成していた。しかもそれを作ってくれたYさんは演劇ぶっくのワークショップにも参加するとのこと。驚いたなしかし。
(1:38 Aug.14 2001)

Aug.12 「柄本さんのこと」

■洗濯をする。ずいぶんたまってしまって三回にわけた。気にいっていたTシャツにトマトソースとおぼしいしみがあるのに気がついた。いったいこれを着たのはいつだ。いつトマトソースなんか飛ばしたんだ。記憶がないのだ。町を歩いていて前から来る人がトマトソースを飛ばしているという状況はちょっと考えられないし。
■姉小路沿いにあるカフェで『青空の方法』のゲラチェックをする。まとめてやってしまおうと集中する。一心不乱だ。しかし、カフェというやつは照明が暗いとたいてい決まっているので眼が痛くなる。家で音楽を流すと仕事に集中できないが、こういう場所では気にならないのが奇妙だ。むしろ心地よい。
■夜、NHKのスポーツニュースを見ようとテレビをつけると柄本明さんが出ているドラマをやっていた。テレビドラマはまず見ないが、柄本明、樹木希林の二人がものすごくうまいのでひきこまれた。はじめて柄本さんを舞台で見たのはもう20年以上前の渋谷ジアンジアン。異常としか思えない俳優がいることに驚かされた。それ以来のファン。だけど仕事を一緒にするのは怖くて敬遠していた。ある日、竹中直人の家に電話をすると、電話の向こう、遠くでけたたましい声、ひひゃひゃひゃひゃと笑っている人がいる。柄本さんだった。あれはなんの芝居だったか、下北沢ザ・スズナリのロビーで柄本さんと偶然一緒になった。簡単に挨拶をすると関わりになるのが怖くて僕は別の人と話をしていた。横に誰かが座ったのが気配でわかった。と、その人は突然、「最近、なんか面白い芝居ある?」と僕の後頭部あたりに声をかける。ゆっくり首を動かし、恐る恐る見ると、そこに柄本さんのあの顔があった。ほんとうに恐ろしかった。世田谷パブリックシアターで上演された、『ガリレオの生涯』『ゴドーを待ちながら』の柄本さんはすごくよかった。なにかで柄本さんは「役者は順番が来たらせりふを言えばいい」と発言していたが、自信を持ってそう言えるようになるまでに俳優は、どれだけのことをしておけばいいのだろう。
■仕事をしなければいけない。京都の時間も刻々と過ぎてゆく。
(9:08 Aug.13 2001)

Aug.11 「切実さ」

■昼間、サッカーでもやっていないかとテレビをつける。
■BSで「詩のボクシング」というのをやっていた。以前、ちらっと見たときなにか気持ちの悪いものを見た印象があったのですぐに消そうとすると、高校生の女の子が詩を読む。テキストはない。暗記しているのだろう言葉がからだから出現し、演出のない淡々とした朗読にひきつけられる。声がいい。声がいいということを伝えるのはむつかしいし、たとえ伝えようとする相手がその声を聞いていたとしても、やはり、「声のよさ」はうまく伝えられない。高校生の声に、「表現したい」という切実なものを感じた。うまく表現できないことを表現したいという切実さ。それが「詩」になる。誰かの声に似ていると思った。
■河原町にある丸善で買い物をしたのは夜だ。
■ノート、本、その他。書店の棚を見ていると飽きないが、いま読むべきはなんであるか。ほんとうに読んでおくべき本はなにかと考えだすとなにも買えない。万年筆のショーケースをながめる。万年筆はすぐになくす。モンブランがほしいが、すぐなくしてしまうのではないかと、まだ買ってもいないのにショーケースを見ているだけで不安になる。
■CDショップにゆくともう閉まっていた。聞きたい音楽があったのだ。姉小路沿いにあるカフェで小説を読む。とても心地よい読書。
(22:21 Aug.11 2001)

Aug.10 「四国へゆかなければならない」

■夕刊にプロボクサーの竹地盛治が香川県琴平町の路地で自殺という記事。竹地は五月に東洋太平洋スーパーウエルター級チャンピオンになったばかりだという。突然だが、琴平町に行かなければと思ったのだった。いったいそこになにがあったのだ。交通を調べると京都駅から高松まで高速バスが出ているとわかった。行かなければならない。宿も申し込まなければだめなんだろう。あと、うどんも食べなくちゃだめなんだろうし、温泉にもつかり、金比羅様にもお参りしなくちゃいけない。忙しい話になってしまった。
■京都、あるいは奈良の観光は、九月になってまたこっちに来てからすることにした。夏はだめだ。暑くてかなわない。とりあえず、お盆の送り火を見たら東京に帰ろう。
■だが、京都は少し涼しい一日。
■昼間、パン屋で買ったパンを新風館の中庭のベンチに腰をおろして食べる。のんびりした時間。いい感じだ。どこかの店に入って食べるよりずっといい昼食である。雨が降ってくる。それでいっそう涼しくなるかと思ったが、また例によって通り雨。本降りにはならなかった。
■授業の発表公演のとき、芸名というのでしょうか、架空の名前を各自考えさせればよかったと、ふと思いつく。みんな勝手につけるんだろうな。きっとろくでもない名前ばかりにちがいない。来年はやってみようかと思った。
(23:49 Aug.10 2001)

Aug.9 「わかるということ」

■シアターアーツという演劇雑誌で企画された座談会の仕事の依頼。こういうとき、話す相手はたいてい同じような顔ぶれだが、今回は知らない人ばかりだ。またべつの流れが発生しているのだろうか。
■午後、食事をしに外に出、その後、丸善とブックファーストで買い物。保坂和志さんの小説、アレン・ギンズバーグに関する本などを買う。突然、雨。本降りになったらまずいと思って家に急ぐがすぐにやんだ。一雨くればもっと涼しくなるかもしれない。
■どうでもいいことにわずらわされず、もっと本質的なことを考えたい。だが、人の前には、「どうでもいいこと」が無数に横たわっている。「どうでもいいこと」の積み重ねが人の生かもしれないし、そのことの重要さはきっとあるだろう。それでも考えるべきことはもっとべつのことではないか。考えつくすこと。考えつづけること。「理解する」は単純な意識の状態ではない。「これはこれです」と簡単な図式で示されて「わかる」ようなものではなく、わからないことを、わからないと苦しみながら考えつづける、そのことが、その状態こそが、「わかる」ということなのだろう。
■本を読むのと、部屋の片づけ。小説はいっこうに進まない。映画でも観ようかと思うが、外に出るのがおっくうになって部屋にいる。
(2:25 Aug.10 2001)

Aug.8 「甲子園へ」

■学生に誘われて甲子園球場にいった。
■四条烏丸から阪急で梅田、阪神に乗り換え、甲子園駅まで。一時間と少しの時間で到着。意外に近い。映像コースの一年生のY君ほか学生たち。行くまではこうも暑いのになんで甲子園にゆくのかいやな気分になっていたが、いったん甲子園のスタンドで観戦をはじめたら、気持ちがよくてすっかり気に入った。生に限る。スポーツ観戦は生である。各野手の動き、ベンチ前、バックアップが遅れたときのプレイの進行など、テレビ中継では見られないものが球場では見ることができる。
■甲子園球場の周辺はまるで祭だ。おそらく、ふだん阪神の試合をやっているのとは異なるにぎわいがあるのだろう。高校野球は一種のお祭りなんだな。あるいは観光。土産物がたくさん売られている。あと、球場前に虎の像があるのが甲子園らしい。
■Y君は東京都下、町田市が実家で、日大三高が地元だからと応援していた。日大三高のペースで試合は進む。九回裏、鹿児島の樟南高校の攻撃中、八点差のリードに安心したのか日大三高応援団はもう片づけをしていた。すると、いきなり樟南、四点取る。だけど応援団は淡々と片づけを進めている。
■京都に戻ってなにか食事をしようと大丸の裏あたりをぶらぶらしていると、二年生の発表公演でクヌギを演じていたKにばったり会う。京都は狭い。その後、六日の日記にも書いた御池通新町上がるあたりの「ルゴール」という名前のカフェにゆく。あとから、ワークショップに来ていた映像コース四年のT、立命館のH君、同志社のK君が合流。こういう楽しさのことを久しぶりに思いだした。
(8:50 Aug.9 2001)

Aug.7 「眠れない日々」

■この数日、不眠がひどくなっている。二時間眠っては目が醒め、からだのぐあいが悪い。今月、演劇ぶっくのワークショップがあるがあれが不安だ。なにもできずぼーっとした意識のまま一日が過ぎてゆく。
■午後、うちの大学の情報デザイン学科の学生たちに会う。FM宇治の番組のために取材に来た。四時間ぐらい話をする。なんというのでしょうか、おまえらはちびっこインタビュアーかというほどの無計画な取材だった。次々と思いつきで質問してくる。三人いた一人は最終的に話していることに飽きたのか、テーブルクロスがわりの紙に落書きをはじめた。子どもである。ただ話を聞きたいという気持ちはよくわかったし、話を聞きにきてくれたことはうれしかった。あまり眠っていなかったので最後はへとへとだ。もう少し調子がいいときに話をしたかった。
■永井からFAX。二〇〇三年に予定されている遊園地再生事業団の公演企画書。門外不出の企画書、ってそれほど大袈裟なものじゃないけど。予定では、二〇〇三年一月一六日からの二週間。世田谷パブリックシアター・シアタートラムだ。久しぶりの舞台。楽しみだ。
■夜、眠ろうと思うが眠れない。思い切って眠るときのための薬を飲む。
(11:10 Aug.8 2001)

Aug.6 「雨が降った」

■湘南台市民シアターで藤沢の市民の方たちと舞台をやったのはやはり何年か前の夏だった。そのとき出演していたNさんからメールをもらった。出演していたS君が亡くなられたという。まだ三十歳前後ではなかったか。すごく驚いた。
■雨が降り出しそうな天気。自転車に乗って寺町の電気街にゆこうと思ったが途中で降られでもしたらたまらないと思い、地下鉄で京都駅に向かう。近くの近鉄デパートにSofmapがあるからだ。Visorを探したが、なんだか、PDAの売場は荒れていて、在庫があるのかどうかもわからない。それだけならまだしも、Visorをいじっていたら盗難防止のブザーが鳴った。なんだかいやな気持ちになって買うのをあきらめる。外に出ると雨だった。久しぶりの雨。
■夕方、雨が上がってから家の近所で食事。前から気になっていた中華料理屋で坦々麺を食べる。食後、すぐ近くのカフェへ。やけに広くて気持ちのいい店だ。壁に、レコードジャケットが並んでいる。同じレーベルのレコードばかりだなあと思って見ていると、そのレーベル、店の名前ではないか。店の名前を使った架空のレコードジャケットだ。
■激しい雷鳴。また雨がくるかと思ったが、その後、雨は降らない。本を読む。『青空の方法』のゲラチェック。『月の教室』の原稿もまとめないといけない。三日ばかりぼんやりしてしまった。
(8:24 Aug.7 2001)

Aug.5 「ゲラが届く」

■スケジュールや電話番号を管理するのにこれまでHP200LXを使っていたわけだが、このところHP200LXをあれこれする情熱がまったくなかった。スケジュール管理などきちんとしようと新しいPDAを買おうかと考えていたところ、Palm OS互換の、Visorが大幅値下げをしていると知ったのだった。こういうことはタイミングだ。買わなければいけない。なにしろ、一番安価な白黒液晶の、Visor Deluxにいたっては九千八百円である。
■そんなことばかり考えていた一日。Palm関連のWebを探したり、本屋で雑誌を探したりした。
■朝日新聞社から宅急便が届く。『青空の方法』のゲラ。さらに、デザイン見本というか、本の形になった見本が入っていた。とてもいいデザインと、本そのものの感触。これまでのエッセイ集とはまったく異なるテイスト。ゲラを少しチェック。目次のページを見ていると、よくもまあこうも書いたものだと思う。九二本だったかな。二年間ほどの週ごとの連載。一度も落としたことはなかった。目次にだーっと並ぶタイトル。ものにはほどというものがある。
■本屋に行ったとき外に出るとひどく暑い。京都は日陰が少ないのではないか。
(1:55 Aug.6 2001)

Aug.4 「暗がりから」

■東京の家は引っ越しの準備。いま東京に帰ってもなにも落ち着いてできないので、しばらく京都で仕事をすることにした。だが京都の夏は暑い。
■夕方、三条を堀川通りの近くまで歩いて、ラーメン屋で食事をする。食べ終わって堀川通りに出ると風が気持ちいい。三条商店街というアーケードがその先にあり、ずっと歩いてゆくと公園でお祭り。歩いていると夏祭りというのは、いつだったか、どこかで見たことがある。
■あれは盛岡だ。劇作家大会があり、東京から来たワークショップの参加者たちと、ぶらぶらホテルまで歩いていた日のことだ。数年前のこと。神社があって祭をやっていた。たいていそういう場合、暗がりのなかにいきなり明かるい場所が見え、近づくとあたりがぱーっとひらける。あの感じだ。盛岡の祭は、なんだかちがう世界に紛れ込んだようなめまいを感じた。暗がりから、仮構された「祭」という空間への飛躍。それがとても心地よいと感じるのは、人の心のなにを刺激するからだろう。
■今月は「小説月間」であった。書かなくてはいけない。
(2:15 Aug.5 2001)

Aug.3 「いろいろ終わる」

■沖縄でワークショップを計画している方からメール。自治体にはたらきかけて開催しようとしているとのこと。うれしい。そこまでしてくれるのか。こうなったら沖縄でワールドテクニックだ。ほんとは週一回ずつ二ヶ月かけてといったじっくり腰を据えたワークショップをやりたいが、条件と折り合いをつけ、短い期間での作業をあらためて考えてみよう。なにかもっとあると思う。
■大学での三日間のワークショップが終わった。最終日は人が多くてにぎやかだった。扇町のワークショップに来ていた者ら、一年生たち、それから九州から来てきのうまで二日間見学していたがいよいよ参加した人など、オープンキャンパスとしてはあまり意味がないのではないかと思うような人たちでなんだかもりあがる。扇町組には助けられた。彼らといるとなんだか楽しいし。あと一年生のY君から甲子園にゆきましょうと誘われる。甲子園かよ。暑いんだろうなあ。しかしY君は面白い。わりと辛辣で、教員を冷ややかに見ている。
■終わって、studio21で学生企画の公演、「CAST A NET」を観る。四月にやった作品の、時間を短くした再演。四月の舞台よりずっとよくなっていた。人はなにかものを作るとき、つい足してしまいがちだが、今回は、「引く」ことが成功していたと思う。省略することで表現しようとする像がくっきり見えていた。
■この前、ここに世田谷パブリックシアターでやるリーディングの公演をstudio21でもやると書いたが、きょう舞台芸術研究センターのHさんがきっぱり言った。「お金がありません」。
■いったん家に戻り、夕方から、扇町でやっていたワークショップの打ち上げ。木屋町の中華の店。寝不足。ものすごく眠い。結局、店を出てから近くの喫茶店にゆき、なんだかんだしていたらもう深夜の三時過ぎだ。あまりうまく話せなかった。
(9:28 Aug.4 2001)

Aug.2 「笑いながら来る人」

■午後から学校へ。オープンキャンパス。
■ワークショップはきのうに比べ、参加人数が少なかった。人前でなにかすることの緊張感があるのか、みんな妙におとなしい。というか、きのうに比べ、全体の空気が重かった。去年の夏、演劇ぶっくのワークショップに来ていた人がいる。大学に入り直そうか思案中とのこと。もう24歳だという。もともと奈良の出身で、大学は京都だったとのこと。そうだ、思いだした。彼はどことなくタイガー・ウッズに似ていると、去年の夏もそんな話になった。彼が大学に入れば、また面白くなるのだが。
■ワークショップ後、研究室で食事をしていると、情報デザイン学科の一年生が話を聞きに来る。宇治市に、FM宇治というミニFM局がありそこで番組を作っているらしい。僕の特集をするので話を聞かせてほしいという内容。音楽をいくつか選曲してくれとのこと。そういわれると悩む。
■帰り、バス停にいると、舞台コースの一年生が笑いながら向こうから来て、「先生の本、読みました」という。本を読んでくれたのはいいが、笑いながら来るのが釈然としない。
(7:27 Aug.3 2001)

Aug.1 「正義の味方引越センターのこと」

■八月。相変わらずの暑さ。オープンキャンパスの日。
■久しぶりに学校へゆく。北大路からバスに乗るのも久しぶり。近くの席に高校生くらいの二人組がいてずっとしゃべっている。おそらくうちの大学に来るのだろうと思って話を聞いているとどうも芝居をやっているらしい。あとで会うのがわかっているのも奇妙な感覚だ。このところからだの調子が悪かったが、ワークショップや稽古になるとやけに調子があがる。どうなっているんだ、このからだは。
■学校はやはりにぎわっている。
■で、ワークショップ。六月のオープンキャンパスではstudio21を使ったが、今回は春秋座。主に歌舞伎の上演を目的にした大劇場である。どういうふうに使ったらいいか来る直前まで考えていたが、劇場にはいると、ここでワークショップをやるのはかなり面白いと思った。なにせでかい。ちょうちんが吊られていたり、花道があったり、不思議な空間だ。参加者には、高校生はもちろんだが、映像舞台芸術学科の、一年生、二年生、あと日本を縦断して熊本に向かっている途中だという男もいて、人数が多いくらいだ。からだを使うこと。簡単な芝居っぽいことをやってみる。面白かった。
■九月に引っ越しをする。で、東京にいる家の者が正義の味方引越センターに問い合わせし、以前も、お願いしたことがあると話すと、「宮沢様はエッセイを書いている宮沢様ですか」と言ったという。読んでたよ、連中。どこへ書いた原稿だったか、エッセイ集にも収められているが、「正義の味方引越センター」について以前書いたのだった。「あれにはみんな驚いた。うれしかった」とのこと。よろこんでもらえてなによりだ。
■Hさんという方からメールをもらった。この日記で知ったタブッキの『供述によるとペレイラは……』を読み、面白かったというお礼のメール。それもなにより。あれ、面白かった、すごくいい小説だった。
■終わってもまだ時間があり、少しどこかをぶらぶらしたい気持ちになったが、こう暑いとどうもだめだ。家に戻る。エアコンをつける。こうして八月ははじまった。
(1:27 Aug.2 2001)