Jul.31 「仕事をする」

■七月が終わってしまう。一年でいちばん好きな時間が終わる。この時期になるとからだの調子がすこぶるいいのは謎である。昼間、ようやく、『青空の方法』、単行本用の原稿九十二本をメールで送った。連載原稿のなかにどうしても一本つまらないものがあって削除した。白水社のW君からのメールによれば、『月の教室』に添付するCD用の録音は九月二日に行われるとのこと。また袋井にゆく。『月の教室』の台本もまとめなければいけない。池袋のワークショップは十月からだった。十一月はリーディングの稽古。
■ここ数日、誰にも会わず、家で本を読み原稿を書く生活がつづく。それもまた心地よい。「祭」はもう飽きたよ。気がつけば、早朝、ゴミを出しに外に出たきり家の中にいる一日だ。二度ほど睡眠。すぐ目が醒める。
■「i feel」という雑誌でこんど対談する保坂和志さんの『世界を肯定する哲学』が宅急便で届いた。対談のテーマは「哲学」である。なぜ対談に引っぱり出されたかわからない。なにしろ、「哲学」だ。でも面白い話になる予感がする。
■京都での生活ももう少しで一区切り。春から夏にかけての京都生活はとてもよかった。銀閣地道で桜を見たのがつい最近のようで、時間が経つのが早かった。観光ができなかった。少し観光したいと思うがこうも暑いとどうなんだろう。外に出るのがいやになる。
(2:58 Jul.31 2001)

Jul.30 「本を読む日」

■午後、『青空の方法』、単行本のための原稿チェック。だいぶ仕上がった。本を読む。次々と読めるのがおかしい。夕方、少しでも涼しくなったころ家を出、自転車で河原町の丸善へ。タブッキの小説などを買う。食事。夕方になってもまだ外は暑い。汗をかく。
■五月にトリイホールでダンスを観たとき、桜井君や小浜に会ったからだろうか、すごく東京に帰りたかった。それが七月くらいからおかしくなった。京都がからだになじんできたというか、東京に帰りたい気持ちを持ちつつ、京都もいいなあと思いはじめているのが怖い。舞台をやり、祇園祭を見、ワークショップをやって、学生たちが家に訪ねてくる生活が楽しくなってきたということか。まずいよ。あったな、こういう小説。なにかにからめとられてゆくような不気味な感覚である。
■そうだ、わたしは小説を書かなくてはいけないのだ。やるべきことはきちんと片づけ、次は小説へ。それにしても、ワークショップの最後の発表、「梅田計画」(←このworkshopをクリック)の画像がアップされているが、ほんとにばかなことをしてしまった。
■夜、また本を読む。
(1:13 Aug.1 2001)

Jul.29 「美術館へ」

■『青空の方法』を単行本にするためその原稿のまとめ。少しずつやっていたが、いよいよせっぱつまってきた。そんなときこそ、本が読みたくなって、タブッキの『レクイエム』を読んでいたら美術館が出てくる。いきなりだが、京都国立近代美術館に「ミニマルマキシマル展」を観にゆく。外に出ると灼熱。午前中、少し涼しいと思っていたがそんなことはなかった。
■京都国立近代美術館に来たのは二度目。で、今回は、「ミニマルマキシマル展」もいいけど、「建築」そのものをあらためて見る。どうしたって展示のある三階までエレベータに乗ってしまうが、入口を入ってすぐ、正面に階段があって三階まで続いているのにはじめて気がついた。左手には天井の高い意味のよくわからない空間。しかしそこで椅子に腰を降ろしているととても落ち着く。展示を観たあと、しばらくぼんやりした。常設展ははじめて観た。デュシャンの複製がたくさんあったけど、これはどういったことなのだろう。四階にある常設展コーナー前の大きな窓からの眺めはとてもいい。巨大な鳥居がちょっとじゃまだ。向こうに青々とした山。すごく近く感じる。
■京都がいいのは、町が狭いところ。自転車でほぼどこにでもいける。みなみ会館。近代美術館。その他いろいろ。美術館をあとにし、二条を走る。木屋町を左折。御池通りを渡って三条へ。暑い。汗が出る。丸善に寄ろうと思ったが、すぐにでもシャワーが浴びたくなって家に急ぐ。途中、三条で研究室のIさんとすれちがう。「宮沢せんせー」と京都風のイントネーションで声をかけられた。この「せんせー」がちょっと恥ずかしい。
■夜、選挙の結果を知る。なるほどね。
(1:27 Jul.30 2001)

Jul.28 「至福の思い」

■白水社のW君から本を送ってもらった。このところアントニオ・タブッキの小説を読んでいることをここに書いていたからだろうか、タブッキの『レクイエム』と、ジム・クレイスの『死んでいる』の二冊(ともに白水社刊)。なにやら不気味な二冊。というか、『死んでいる』という題がすごいな。とてもうれしい。至福の思いで本を開く。
■夜、コーヒーを買いに外に出る。きのうよりは涼しい気がする。きのうのワークショップで少し疲れたのだろうか。歯が痛い。疲れると歯が痛くなる。腰も少し調子が悪い。東京で鍼の治療を受けたいと思った。
■「八百屋の表記問題」でまたメールをもらった。東京近郊に住むAさんからのメールにはこうあった。●「キャ別」はうちの近所の八百屋でもごく当たり前のように以前からかかれており、子供の頃は(全てを漢字で書かないということは、「キャ」の部分は余程難しい漢字なのだろう)とか思っておりました。更にその八百屋はにんじんを「忍仁」と表記しており、すいかずらでも売ってるのかと思ってしまうこともありました●八百屋の店頭はかなりアナーキーなことになっているらしく、うちの大学の研究室のKさんから●ニンニクを人肉と書いた八百屋がありました●と、タイトルだけのメールが届く。なにごとかと思った。さらに、宮城県のUさんからはこう教えられた。●宮城県の年寄りは「き」を「ち」と発音します。「千代子さん」も「清子さん」もおなじ「ちよこさん」になります●なるほどと思ったが、なにより気になったのは、「宮城県の年寄り」という言葉だ。なんだか面白い。
■永井からメール。対談。原稿。ワークショップ。今後のスケジュールがびっしり書いてある。八月の後半に演劇ぶっくのワークショップ。定員30名のところ35人来るらしい。10月から久しぶりに池袋コミュニティカレッジでワークショップ。12月、世田谷パブリックシアターでリーディングの公演。それを京都に持ってきてstudio21でやるのが、「12/4〜7位の予定」。そのまま京都に残って2年生の公演を見なければと思う。学生がどんなふうに変わっているか楽しみだ。来年の5月はフランスでシンポジウム。そういえば、沖縄の人からメールをもらったが、来春、沖縄でワークショップをやろうという計画を進行中とのこと。大学がはじまるころなので春はむつかしいが、ぜひとも沖縄にゆきたい。全国ワークショップ行脚だ。どこにでも俺はゆく。
(2:40 Jul.29 2001)

Jul.27 「ワークショップ最終日」

■朝日の原稿を書きあげる。ここにも書いたことのある関西の人が口にした「いがむ」をとりあげた。「いがむ」を「ユガムの訛」とずばっと切り捨てた広辞苑の話。そういえば以前、Oさんという方から「朝日の掲載日はいつですか」という問い合わせのメールをいただいた。掲載日が日曜だというのはわかっているのだが、ずれたりするので、月末か、月のはじめの日曜日。だがよくわからない。締め切りがきのうだったので、今度の日曜日(29日)に掲載されると思う。
■目が醒めてから大阪へゆく準備。少し出発が遅れる。梅田に着いたのは六時近くになっていた。以前から気になっていたラーメン屋に入った。ラジオから阪神戦の中継。店にいるのはみんな中国人。店中、中国語がとびかう。どこにいるのかよくわからない。
■ワークショップ最終日。
■関西ではじめてやったワークショップは、ほとんど参加者たちによる手作りで、参加してみたい、やってみたいという者らが、参加者集め、宣伝、場所の確保などをすべて進めてくれた。その時点からワークショップがはじまっていたのかもしれない。毎週、金曜日、扇町ミュージアムスクエアのテントの稽古場。学校の公演と平行していたときは正直たいへんだったが、かつてないほど、参加者たちと関係が深くなったのはいったいなんだったのだろう。もちろんワークショップは経済的な意味でも僕には必要な部分があり、生活のためにいくつものワークショップをこなしているが、それ以上に、今回は「遊び」という要素が高い気がしたし、僕自身すごく楽しんだ。とはいうものの、桜井君のダンス教室をはじめ、見学に来ていたダンサーの方のダンスは観られるしと内容は濃かったと自負しているし、これ参加したやつそうとう得したぞ。最初の見学会などに参加し、その後、来なかったやつはばかじゃないのかと、正直なところ、思うねおれは。
■まあ、それはさておき。
■本日は最終発表、「梅田計画」だ。ほんとはこのあとに、これまでやったことを総まとめする、「大発表」を計画していたが時間の関係でこうなった。
■全体を、A、Bの二班に分け、「梅田を○○にする」というのが、「梅田計画」の全容だ。意外に単純な全容である。
■A班は、「梅田を病院にする」という計画。お初天神の商店街が病院になっており、いたるところに、「形成外科」とか、「循環器科」などの貼り紙。途中、で、A班の者らは看護婦になっていたり、医者になっていたりし、数人ずつで病院内を巡る旅へ。途中、あきらかにやくざと思われる人物が貼り紙を発見し、白衣のA班の者に、「これ、おまえ貼ったんか?」と声をかけるが、これは本気で怖い。で、バーなどが軒を連ねる古い建物に入ってゆくと、包帯に松葉杖の男がいたり、そこからウーロン茶を注いだ検尿カップを手に町を歩くはめに。ビルの裏口から外に出ると手術室の貼り紙があって血のりをつけた医者がおり、扇風機を相手に手術しているわで、おまえらはアングラか、と思わず口をつく。
■B班。それとはうってかわった計画である。「梅田をスイートにする」。
■徹底的に、「甘い」。阪急梅田駅前の、動く歩道に沿って見る側が一列に並ぶと、動く歩道の手すりに皿にのったプリンがつーっと進んでくる。それを各自手にしてプリンを食べる。さらにべつの動く歩道に乗ると今度は生クリームが置いてあるのでそれをさじですくってなめる。甘い甘い。外に出て、歩道橋の上にゆけば、飴をばらまく謎の女。ウクレレをひいてラブソングを奏でる二人の女。先に進むとシャボン玉を飛ばす者らがいるし、ずっと向こうには大きな声で女の名前を叫ぶ男。女が走る。男に飛びつく。どこまでも甘い。そして見る者の身体にハート型の色紙が貼られてしまい、いやがうえにも、甘さはましてゆく。ケーキを丸ごと食べている男のいる地下街。「最後まで食ってやる」と男。よくわからない。泉の広場の噴水に砂糖をまく女たち。そのまま、最終地点の扇町ミュージアムスクエアのテントへ。テントは電気が消され、ハート型に並べられた椅子の中央には蝋燭。蝋燭の火をたよりに椅子に腰をおろすと、椅子にはエンジェルパイ。気が狂いそうな甘さである。
■終わってから全員で扇町公園にゆく。
■池のまわりで簡単な打ち上げ。楽しかった。乾杯の時、きょうのまとめを話したが、全体のまとめのなかで話そうと思っていた、ワークショップについての話を忘れていた。ここに書いておこう。
■僕がはじめてワークショップをやったのは一九九五年だった。そのとき、「ワールドテクニック」という名前でそれをはじめようと思ったことと、その年に発生したオウム真理教事件とは無縁ではない。
■ワークショップをはじめ、劇団だの、養成所だのといった場所の、演劇のトレーニングの方法に違和を感じ、それとは異なる「場」を作ろうと考えていた。そのとき重要だと思ったのは、「教える」→「教えられる」という構造につい発生してしまう硬直したその関係性だし、無自覚に「教える」→「教えられる」の構造のなかにいることで、「なにも考えなくていい」という甘えもまた出現することだ。オウム真理教事件の陳腐な結末は、こうしたことの果てに現れたと僕には見えたが、それがサリンを撒くという狂的な事態へ進むとすれば、「子供じみた」「陳腐な」「戯画化された宗教」などといって簡単にすますわけにもいかない。むしろ、その組織の姿はこの国の「ムラ社会」の典型だと言えるのではないか。中沢新一は当時ある場所に、「この教団の特徴は信者の一人一人が修行することによって、真理であるシヴァ神と直接に一体になることをめざしたことにありました。シャーマンである教祖をあがめるのではなく、修行者一人一人が真理そのものを体験していこうとした。これはやはり、新しいことであった」と書いた。それが変質する。変質をうながすものはなにか。変質から遠ざかることは不可能なのか。「ほんとうの魂の探求者は苦しみながら社会のなかで生きようとするものです。群衆のなかにいながら、群衆には従うことなく、ただ自分の心に従って生きることこそ、自分の魂を成長させる最良の方法だからです。だから、グルからも離れ、たとえ教団からも離れたとしても、あなたの探求が終わりになるわけではなく、むしろそこから、ひとりになったあなた自身の、ほんとうの探求がはじまるのです」
■新しい演劇のトレーニングの「場」は、どんなふうに出現するか。これはまだ途上。もっとできることがあると思えてならない。いま参加者に言えるのは、ワークショップを終えた時点で、また一人になって歩き出さなければいけないということだ。僕はその作業を通じて、「ヒント」は出しても、「解答」はいっさい口にしなかった。そもそもこのワークショップに「解答」はない。「考える場・発見する場」としてのワークショップ。よりかかるものはなにもない。空虚な場所に一人で立っていなければならない。その立ち方だ。それはただ立っている姿であり、ただ立つとき、世界と差異が生じるからこそ表現が出現する。それが現時点で僕の考える「世界技法」だ。
(1:27 Jul.29 2001)

Jul.26 「ビートニク」

■東寺のすぐ近くに「京都みなみ会館」という映画館がある。夜、自転車でいった。九時過ぎからのレイトショーは『ビートニク』
■僕が飲んでいる眠るための薬に重大な副作用があるとの新聞報道。「意識障害」と「肝障害」。そうか、あの日記(六月十八日)は意識障害が書かせたのか。まずいではないか。だが、考えてみるとふつうに酒屋で売っている酒も、「意識障害」と「肝障害」を起こす確立が高い。「なんにも覚えてません」という例の言い訳は意識障害ではないのか。たしかに「意識障害」は危険だが、またべつの知覚の扉を開くとしたら、それを「肝障害」と並べて同列に扱うのはどうだろう。あの日記は笑えた。それだけでも充分だ。
■『ビートニク』にティモシー・リアリーが登場しインタビューに応じて薬物について語るのが面白かった。ドラッグもまた文化。それにしても、年をとってもバロウズはかっこよかった。ケルアックの晩年ががっかりするような姿だからよけいにそう思う。あんなふうになれたらいい。
■京都に来て学生たちから刺激を受ける。今年になって特にそう感じるのは学生たちといる時間が多かったせいだ。観光はあまりできなかったが、それと同等の、いやそれ以上の時間になった。
(3:37 Jul.27 2001)

Jul.25 「たまには贅沢をする」

■タブッキの小説を読んでいると、食事の場面がしばしばあらわれ、それがひどく食欲を誘う。
■「カルドーソ医師がウェイトレスに手で合図して、今晩私たちは、魚にします、とたのんだ。なるべくなら、網焼きか、ゆでたのを召し上がっていただきたいのですが、いや、料理法はかならずしもこだわりません。でも、網焼きの魚は、昼も食べましたから、ペレイラがいいわけをした。それに、ボイルした魚というのは、どうもきらいなんです。いかにも病院くさくて。じぶんが入院しているみたいな気持ちになりたくないんです。ホテルに来ていると思いたいんです。だからヒラメのムニエールにしたいんです。よろしいですよ、カルドーソ医師がいった。では、ヒラメのムニエールに、ニンジンのバター煮をつけて」
■で、夕方、新風館にいってイタリアレストランで食事をすることにした。コースを注文。たまの贅沢。メモしておけばタブッキみたいに書けるがメモするのもばかばかしい。記憶に頼って書けば、水とパン、トマトとモッツアレラチーズの前菜、蟹の入ったトマトソースのパスタ、鴨を蒸した料理、リンゴのシャーベット。エスプレッソコーヒー。だめだ、言葉が貧しい。というか、書いていると腹立たしい気分になる。
■演出する者であることを意識したことをきのうここに書いた。それでピーター・ブルックの本をあらためて読む。たとえば、『秘密はなにもない』。不思議なのは、以前読んだのとはまた異なる印象が出現することだ。演出する者として次になにをすればいいか。そういえば、きょう学生が集まって、『あの小説の中で集まろう』の反省会をしたという。僕のことを、「教員」と考えるか「演出家」と考えるかという議論が出た。たとえば、「教員」ならば、ばらしを最後までしっかり見届けて学校を出るべきだという。しかし、「教員」だとしたらその労働時間はどう保証されるかという問題になる。全然、保証されない。残業手当もない。きちんとした作品にするためならべつに気にならないが、それは「教員」なのか、「演出家」なのか。あと「教員」だったら、自分のやりたいようにスタッフたちが、美術プラン、照明プランを提案できたというが、すると、俳優だって「教員」に対してやりたいことを提案できたはずで、僕の演出ではまずありえない「客席に向かってせりふをまくしたてる」ような俳優も出現しかねないとすれば、これはもう、僕の作品ではない。「教員か、演出家か」という議論がそもそもまちがっているのだろうか。「大学の授業内における発表公演の教員」とはいったい何者なのだろう。
■小説のことを考える。それで、『草の上のキューブ』を少し読み返した。掲載されている「文學界」(二〇〇〇年十一月号)のほかのページに、まだ読んでいなかった坪内祐三さんの文章があり、これがたいへんな面白さだ。「インターネット書評誌の私物化を『ぶっ叩く』」というタイトルである著名な編集者を徹底的に叩く。僕は坪内さんを支持したい。
■さらに言葉の話。福島県のOさんからメールをいただいた。●福島県では「い」と「え」の発音の区別ができない(特に年輩の人)ようです。例としては「伊藤さん」が「えとうさん」、「江藤さん」が「いとうさん」と発音されたりするので、非常にまぎらわしいです。また、田舎の八百屋に行くと、「えんどうまめ」が「いんどうまめ」、「さやいんげん」が「さやえんげん」と値札に書いてあるので、力が抜けます。(ちなみに「キャベツ」を「キャ別」と書いてある八百屋をいくつか見かけるのですが、全国的にはどうなのでしょう?)●「キャ別」はかなり特殊だと思う。
■時間に余裕ができ、ようやくいろいろ考えられる。あと、映像コースの一年生、Y君とMの二人にバンドをやろうと誘われその気になっている。
(6:52 Jul.26 2001)

Jul.24 「演出という仕事」

■夕方、外を祭りの人たちの行列。背中に錦の文字の入った白い衣装を身に着けた男たち。馬がいて、それから御輿がゆく。
■二年生の発表公演が終わってからもう一週間以上が過ぎた。それで稽古から公演までのことを考えると、今回ほど、自分が「演出する者」であると意識させられたことはなかった気がする。自分が書いたのではない戯曲を演出する機会はこれまでに何度かあったが、やはり作家だと自分を規定していたし、自分が書いた戯曲を演出するには自分が一番わかっているという程度の意識で演出していたのではなかったか。
■『あの小説の中で集まろう』は自分の作品だが、なぜ今回の舞台では「演出する者」についてこんなに意識したか不思議だったし、「演出」そのものについてこれほど考えたこともない。大学という環境、授業内の発表という枠、その作業の工程、それらがひとかたまりになり凝縮された空気のなかでの仕事は、ふだんの公演とはまったく異なる刺激があったのだろう。
■だから、「演出」についてこれまで以上に自覚的になれば、自分の演出法に少し飽きがきているのも正直なところ。「こうすればこうなる」といった法則で演出していないかという疑問。もっと異なる「演出そのもの」の方法がある気がしてならない。この公演は、「演出」についてあらためて考えるいい契機だった。
■その一方で、小説を書く。小説を読む。小説について考える。八月は「小説月間」である。学校の仕事はほぼ終わったがしばらく京都にいてゆっくり考えよう。小説を書き、観光し、ゆっくり考える。
■「和歌山の人はザ行の言葉を口に出来ない話」を書いたら、何通か関連のメールをもらった。九州出身のOさんからのメールには次のようにあった。●私のいなかの九州では「ゆがむ」を「よがむ」といったりします。ただしニュアンスは「ゆがむ」と全く同じというわけではなく、垂直方向のズレのことを言うことが多い気がします。たとえば「この柱よがんどる」というように●あるいは、タコシェのNさんからも久しぶりのメールをいただいた。●ちなみに江戸っ子である、私の母は、ヒとシの区別がつかず一度「渋谷に出てから日比谷に寄って帰ってくるから」と言ったのを「ヒブヤに行ってからシビヤね」と復唱したのです●言葉もまた、いろいろである。
(7:20 Jul.25 2001)

Jul.23 「だつでんとした」

■JNの原稿を書く。「資本論を読む」というタイトルの連載。当然ながら今月も資本論を読んだ。「商品」の項は難解である。
■関西の言葉について以前も書いたが、ある人によると、和歌山県は「ざ行」の言葉が、「だ行」になる。たとえば、次のような言葉がある。「象が雑煮をこぼしたので雑巾でふくと雑然とした座敷になる」。これを和歌山県の人はこう口にするという。
■「どうがどうにをこぼしたのでどうきんでふくとだつでんとしただしきになる」
■神戸でもこうした傾向があり、べつの人の話によれば「みぞにはまった」を文字にするときさえ「みどにはまった」と書く人が神戸にはいるらしい。ワークショップの「町の会話を録音する」という課題以降、関西の言葉が気になる。それは関西の言葉であると指摘すると、「標準語だと思ってた」と平気で言う。だが、どっちが歴史的に古いかわからない。どう考えても関西のほうが歴史があるのではないか。「標準語」という言葉もまた、奇妙な概念だ。
■しかし、わたしは関西人の影響を受けない。ときどき、ぽろっと関西風のイントネーションになってしまうときがあり、それが恥ずかしい。
(3:44 Jul.24 2001)

Jul.22 「京都の夏」

■編集者のE君からメール。一昨日書いた「出会い系ワークショップ」について、「ほんとに実現するおつもりでしたら協力します」とのこと。いやいや、まさか本気で考えているつもりではないのだ。ただ、E君のメールには、「そういう『場所』をテーマにした作品を作ってもいいのではないでしょうか」ともあり、それはヒントになりそうだ。なにか書けるかもしれない。
■八月は「小説月間」と決めた。小説を読み、小説を書く。作品をものにする。
■予定では「祭」の日だった。
■何人か学生が来る予定だったが、一年生、映像コースのY君、Mさん、I君らが夜八時過ぎになるとのことなので順延した。なにしろあしたまでに原稿を書かなくちゃいけない。そんなに遅くなっては困るからだ。で、二年生のYや、立命館のH君、映像コースの三年生のTらが作ってきたり買ってきた料理で食事。とりあえずきょうは早い時間に帰るだろうと思っていたところへ、京大のKさんが来る。
■さらに食事は続く。
■昔の舞台を記録したビデオを見たりなどし、そろそろ帰るだろうと思っていたところへ舞台コースの二年生のH、K、映像コースの二年生のIなど来る。
■帰らないよ、こいつら。
■しかもKは、妙な楽器を手首からぶらさげている。なにか植物の実が房のように連なっていて、揺すると音がする。ちゃらちゃらと海のような音。
■時間はすでにNHKアーカイブがはじまるころ。ついみんなで見てしまった。しょうがねえなあと思いつつも、楽しいから困るよ。みんなが集まってくれるのもうれしい。夏の京都はやけに楽しい。
(4:49 Jul.23 2001)

Jul.21 「なにもない日」

■久しぶりに誰にも会わなかった。
■ぼーっとしたまま家にいる。『JN』の原稿を書かねばならないがきょうは休む。月曜日までだったら大丈夫らしいとのメール。なんとか月曜までにJNと朝日を書こう。本を読む。夜になってなにか食べに外に出ることにした。
■河原町で本屋に入りじっくり一時間以上本をながめる。手にとって少し読み、また棚に戻す。こんな時間も久しぶりだ。数冊買う。ようやく時間ができたのだからOPALに行こうかと思ったが、土曜日の夜、きっと店は混んでいるだろう。姉小路に以前見つけたカフェにしようと自転車を走らせると、店の前には自転車がたくさん並んでいる。やっぱり土曜日の夜だ。本屋を出て喫茶店とかカフェで本を読むほど幸福な時間はないが、にぎやかな店はいやだよ。
■観光しなければと思うが、今月中には単行本のために、『青空の方法』と『月の教室』をまとめなければならないし、学生の成績をつけたりと事務的なこともあって仕事は終わらない。八月一日から三日間、オープンキャンパスでワークショップをやりそれを終えてようやくほんとうに時間ができる。
■アントニオ・タブッキの『供述によるとペレイラは……』を読んでいたらひどく小説が書きたくなった。
(2:49 Jul.22 2001)

Jul.20 「出会い系ワークショップを妄想する」

■三時近くなって目が醒める。ワークショップの日だ。シャワーを浴びて外に出るとひどく蒸し暑い。ようやく落ち着いて本が読める時間がとれる。阪急で大阪へ。小説を読んでいるうち、気がつくと十三だった。
■信号待ちをしていると立命館のH君が来て、「いまドクター中松と握手してきました」と誇らしげに言う。「ああそうですか」そう答えると、「僕はもう手を洗いませんよ」とH君。人はわからないものだ。もっと早く着いたら梅田から扇町ミュージアム・スクエアまでの通り道にあるラーメン屋に入れるがきょうもまた食べられない。来週こそは食べよう。きっと食べる。なにがなんでも食べる。遅刻してでも人を蹴倒してでも食べる。
■ワークショップ。はじめ「町の人の会話を録音してそれを台本に起こし再現する」という課題の最終発表。各班おもしろかった。やっぱりこの課題はいいなあ。ただ、もっと時間があれば、いろいろなシチュエーションで録音ができたのだろうと思う。それが残念。喫茶店のおばさんたちの会話で、芝居の経験などないだろう大阪のYさんが、やけに生き生きしているのは面白いし、京都と無縁の場所から来たうちの大学のAが、へたな関西弁をしゃべるのもまた面白い。大阪だったらアメリカ村に集まる若い連中、女子高生、あるいは病院の老人、遊んでいる子どもなど、そんな会話が聞きたかった。ああそうか。そうやってあたりをつけてから録音に出発するべきだったのかもしれない。まず第一段階、素材の収集がこの課題の肝心な部分だということを忘れていた。「町の言葉の採集研究会」というのを発足し、まずは言葉を集める。さらに文字として定着させ台本化。そして台本を元にその再現。これだけでワークショップになると思った。
■来週で関西ワークショップも最後になる。「梅田計画」という最終発表だ。全体を二組に分けて「梅田計画」を実行する。きょうの後半は、新たな班分け。さらに準備させた企画書を読み合わせし何をやるか決定。おしまいに班ごとに面談してアドバイスする。できるだけ大勢の人に見てもらいたい。可能ならば、誰か見学に来ないだろうか。
■帰り、AとB、ふたつに分けた一方のA班が、お初天神を中心に「梅田計画」をするというので下見に。するとそこは「祭」だった。すいかをふるまわれた。すごくおいしい。それにしても、ワークショップがはじまるまで他人だった者らが、わきあいあいとし、みんな仲がよくて困るよ。で、ひとつの言葉を思いついたのだった。
■「出会い系ワークショップ」
■この打ち出しは、かなり成功するのではないか。
(5:35 Jul.21 2001)

Jul.19 「ばってらを見る」

■studio21で岩下徹さんはじめ、四人のダンサーによる『ばってら』という公演がある。四人がリングのような四角い空間で同時に踊る前半がすごく面白かった。観客はその四角を取り囲むように見る。ある時点以後、岩下さんから目がはなせなくなった。ずっと岩下さんを見ていると、突然、床に置かれた紙にプリクラをテープで貼りはじめる。それまでの踊りとはまったく異なり、それまでもよかったけれど、ただ細かい作業をしている姿がただごとならない。これはすごい。
■休憩をはさんで後半、場内から自由に観客が中央に出ていって踊る。見ていられなくて困った。途中で退場。帰ることにした。
■で、九時過ぎから一年生Dクラスの授業打ち上げがあり誘われていたので参加。気がつくと、Y君やMさんとばかり話している。もっといろいろな学生と話すべきだった。
■2003年初頭に、『あの小説の中で集まろう』を再演する計画をしていた。年齢的に、むつかしい人が出てきてしまうのを、たとえば、戸田君、正名、加地君、宋などは初演時のまま残し、あとはオーディションで探そうかと考えていたし、重要な「男」という役は鈴木慶一さんもとてもよかったが、もし柄本明さんにお願いできたらそんな幸いなことはないと構想していた。しかし、Y君と話していたらべつのことを思いつく。『あの小説の中で集まろう』は「片づける劇」だった。それを書き直し新しい劇として構築するのではなく、「片づけない」というまたべつの文脈で新しい劇が生まれるかもしれない。「片づけない」というきっぱりとした意思表明。そのための「方法」がきっとある。
(6:15 Jul.20 2001)

Jul.18 「眠い」

■睡眠不足。昨夜、家に戻ってから食事をしすぐに眠ったものの、深夜の二時頃眼がさめる。それから再び眠ろうと思ったがもうだめだ。眠れない。この日記を書き、そのまま朝まで起きて、学校へと向かう。九時から「スタッフワーク」の授業。先日の公演、『あの小説の中で集まろう』のスタッフワークを中心にした合評。照明の岩村さん、美術の池田さん、太田さんが参加。学生の出席が少ない。学生には、僕の授業を取っていて両方の授業にかぶっている者と、そうでない者がいる。いろいろな意見が出て面白かったし、あらためてこうして話をする場があるというのはすごくいい。
■デザイン的なというか、抽象的な捉え方をした美術の中に、「地下室の倉庫にある巨大な箱」という具体物が突然出現する違和について太田さんの指摘。「デザインとリアリズムの混乱」は、美術にも、照明にもあったのではないか。照明についてそのことを照明を担当した学生に少し意見したが、僕も見落としている部分がいろいろあった。
■とてもいい授業だ。寝不足じゃなければもっと頭が回ったはずなのだ。もったいないことをした。あとすごくうれしかったのは、以前、この日記に書いた「稽古から逃走するS君」の発言。「自分が芝居をしている姿は見られない。だとしたら、人が稽古をしているのをよく見る必要があるのではないか」と。この成長はすごい。稽古の中でそのことを発見した。「見ることの重要性」の発見。俳優の経験などまったくなかったS君がここまで成長しているとはほんとうに驚かされた。
■久しぶりに65番のバスで家に戻る。夕方から扇町でワークショップがあるので眠っておかなければと思っているところへ、『一冊の本』のOさんの原稿催促の電話。書き上げる。一時間ほど眠って阪急で大阪へ。
■七時からワークショップ。「町で録音した人の会話を再現する」という課題の発表。面白かった。京都班は京都以外から来ている学生が中心の班だ。うまく京都の言葉を口にしているが、その直後、神戸や大阪の参加者たちが日常のごくごく小さな断面を切り取って見せてくれると、言葉のナチュラルさはやはりこっちがネーティブな関西の言葉だと感じさせられる。ごくごく微細な差異だが確実にそれはある。身体性が高いということだろうか。からだの深いところから言葉が出てくるような印象。町の若い男女四人がどうでもいい話をしている。その再現。ふわふわ浮き上がるような日常の時間が心地よい。言葉だけで出現するその時間の空気。もちろん、京都班はじめ、各班それぞれ面白く、言葉を採集するこの課題が関西でもできたのはとてもよかった。全国各地でこれをやってみたいと思った。言葉の採集はたとえば沖縄に行きたい。
■眠い。ひどく眠い。話している途中で少しふらつく。だめだな、しっかり眠らなければいけない。調子が出なくてみんなに申し訳ない気持ちになる。
(5:39 Jul.19 2001)

Jul.17 「果てしなく仕事はつづく」

■Spottingの原稿を書きあげる。
■それでほとんど眠らないまま朝から授業。僕の授業としては今年の最後になる。後期は東京に戻る。発表公演ですべて終わったとでも思ったか、出席した学生の数は少ない。でもいい。全員出席ということにしておこう。出席した学生たちと舞台を記録したビデオをstudio21の大スクリーンに映し出して鑑賞。音が聞こえない。映りが悪い。1カメだけの映像を長時間見るのはさすがに疲れる。ただ見ていると、ここ、こうやって演出すればよかったといまになって思いつく。
■いまの二年生を演出するのは学科のシステムからこれが最後になるかもしれない。第一期生だったし、僕が大学という場所ではじめて教える学生たちだったので、思うところはいろいろあるが、まあ、さよならだけが人生だ。
■午後、いったん家に戻る。途中、御池通は「山鉾巡行」。鉾がいた。巨大である。
■二時間の睡眠。それから再び大学へ。夕方から映像舞台芸術センターの会議。ようやくセンターが正式に動き出した。配布されたレジュメを見ていたら、センターとしての公演に、11月に予定されている世田谷パブリックシアターのリーディングが入っていた。ほんとうにstudio21でも公演するのだろうか。だとしたらスケジュールが不安になる。11月以降も東京でワークショップがある。スケジュールの管理に関して僕はなんていいかげんなんだろう。だいたい手帳を持ってないよ。Palmとかああいったものを買おうかと思うのだった。
■眠い。会議後、すぐに帰る。三条河原町までバス。京都はまだ祭が続いている。『一冊の本』の原稿を書かねばならない。『JN』と朝日もある。仕事はどこまでもつづく。
(3:22 Jul.18 2001)

Jul.16 「夏は修行の季節である」

■御池通りにはあしたの「山鉾巡行」のためにパイプ椅子を並べる準備が進んでいる。雨が降ったせいか京都はやけに涼しい。
■午後、東京から、『一冊の本』のOさんの電話。これから新幹線に乗って京都に向かうという。「夕方、食事をしながら単行本の話をしましょう」とのこと。ほんとは八月に刊行予定だった『青空の方法』は九月にずれこんでしまった。学校の発表公演のためだ。待っていてくれた。Oさんに感謝する。
■Spottingの原稿が書けないのだ。ひどく苦しむ。ああ、書けない。これだけ待っていてくれたのに書けない。巻頭に掲載するとのことできっと期待してくれているのだろう。期待にこたえなければと思うとさらに苦しい。
■夕方、Oさんに会う。木屋町御池を少し上がったところにある和食の店。すごく美味しい。稽古場ではコンビニのおにぎりばかり食べていたので、久しぶりのごちそう。というか、ここんとこ、ろくろく食事もしていなかった。稽古に入ると食事することを忘れる。みんなからやつれたやつれたと言われる。たしかに体重が減った。今夜はぜいたくな食事。気持ちが豊かになる。
■単行本について少し打ち合わせしたあと、食事しつつ、文学の話など。ひさしぶりにそんな話ができてそれも楽しかった。Oさんが一冊の本の他に編集している「小説トリッパー」にも小説をとの話で、今後の日程を大雑把に頭の中で整理。単行本がまずある。『青空の方法』があり、そのあと、白水社のW君から話のあった『月の教室』。筑摩書房の打越さんから話をいただいた評論集。よーし、また働く。八月はこれらをがんがんまとめる。でもって小説。『新潮』に『28』を書く。そのあと、『文學界』に新しい小説をきっと発表する。で、トリッパー。今年中に全部やる。働く。住宅ローンもあるし。
■夏になると、どうしてこうもやる気が出るのだろう。秋ぐらいになると、もうちょっと先でもいいかという気になるのはなぜなのか。だめだなあ。だめだだめだと思いつつもう数年が経っている。
■家に帰って、またSpottingの原稿に取り組む。書けない。あした締め切り。あしたは朝から授業。夕方から舞台芸術センター関連の催し。時間がない。今晩中に書かねばと思いつつ眠くなる。寝る。で、二時間ほど眠ったらすぐ目が醒めた。この日記を書く。外は祭。一年生の授業打ち上げにも呼ばれているのだった。いつだっけな、それ。時間がないよ。呼ばれるのはうれしい。学生たちが好きだし。あと、映像コースの一年生のY君たちがうちに来たいという「祭」があるのだった。扇町のワークショップもまだ続く。
(3:28 Jul.17 2001)

Jul.15 「のんびりした一日と、祭」

■目が醒めたのは午後三時過ぎ。
■仕事のない日。久しぶりの休みだ。どこにも行かなくていい。誰にも会わなくていい。夕方になってから外に出、姉小路沿いにあるカフェに行こうと思ったらものすごい雨が降ってきたのだった。傘をさしているのに全身びっしょりだ。折しも京都は祇園祭。烏丸通りが交通規制され、道沿いに露店が出ている。雨を避けて新風館に入ると雨宿りする者らがいっぱい。浴衣姿が多い。ああ、祭りなんだ、そうか、祭りかあ、と妙に感心した。カフェにゆくのはあきらめ家に戻ろうとした途中、新町通りにあるそば屋で食事をすることにした。
■そば屋を出るころには雨が上がっていた。
■で、新町通りを四条のほうに歩いてゆくと、いくつも鉾が立っている。いわゆる、山車ってやつになるのかな、鉾というのは。通りの左右にはやっぱり露店。それから、ふだんは閉じられた町屋が公開されている。まさに京都。こりゃあもう、町中がお祭り騒ぎだ。ワークショップに来ている立命館のH君は京都生まれの京都育ちで、「祇園祭なんて面白くないでしょう」というが、外から来た者の目から見ると、こんなにいいものはない。ぶらっと散歩のつもりで外に出たら、いきなり祭だよ。なんという場所に住んでいるんだ。期せずして祇園祭のために部屋を借りたかのようだ。
■舞台が終わった翌日の、のんびりした時間。ぶらっと外に出ると祭。なぜここにいるのだろう。不思議な気持ちになりながら新町通りを歩いてゆくと、あまり歩いたつもりはないのにすぐ四条通りに着く。四条にも巨大な鉾がある。祇園囃子が聞こえる。雨が上がって気持ちのいい風が吹く。
(8:01 Jul.16 2001)

Jul.14 「長い夜」

■椅子席を三列ほどつぶして桟敷にする。余裕の出来た観客席。開演がきのうのように押すことはないだろう。
■開演前、一時間ほど稽古する。少し気になったところを直す。で、そのときひとつ発見した。こういう手があったかという技法上のちょっとした発見。ごくごく微細なこと。今後の舞台で手掛かりになるかも知れない。
■袋井のときも来てくれた東京のFさんの姿。あと、例の村山。驚くね、しかし。OMSのYさんもいる。それから、後期、この授業を受け持つ松田正隆さん。さらに山田せつ子さん、太田さん。
■開演。最後の舞台。初日よりずっと落ち着いてできている。きのうはみんな緊張したんだろうな。なにせ20分押しだ。ずっと役者も待っていた。まあ、ミスがないわけではないし、きのうより悪い部分もある。だけど、ここがなにかを目指しているその途上の、ある地点だ。もっと稽古してよくなる部分もきっとあっただろうし、僕も力不足。いろいろな意味で。だが途上。むしろ、出発点。観客にとっては関係のない話だろうが。
■終演後、学生たちがばらしをやっているあいだ、扇町のワークショップに来ている者らとカフェにゆく。こんなに関西の人たちに知り合いが出来るとは思わなかった。で、関西人は、「ゆがむ」を「いがむ」と言いはって譲らない。そんなばかな言葉があるものか。ゆがむはゆがむだ。「いがむ」ってなんだそれは。ばかも休み休み言え。
■打ち上げ。出演していた何人かが出席しなかったのはすごく残念だ。とりあえずきょうは楽しむ。反省はそれから。もう一回授業が残っているので、そこで反省会をやろうと思う。打ち上げは一乗寺の駅からほど近い店。ふだんあまりしゃべらない学生ともよく話した。
■で、その打ち上げのあとがいよいよ長いのだった。店を出たのは深夜12時過ぎ。二次会にどこかへゆこうという話になったが、こうなったらうちに来い、烏丸御池集合と号令を掛けたら、自転車組はほとんど来てしまった。タクシーで先に待っていると、ものすごいスピードでやってくる自転車組。あと、舞台芸術センターのHさんがサッカーボールを蹴りながらやってきたのには驚いた。それから学科のKさん。映像コースの学生。うちに20人以上来る。暑い。ものすごい熱気だ。呼ぶんじゃなかった。ほんとに来るとは思わなかったんだ。そのときやはり、「いがむ」の話になった。「いがむ」は標準語だと口にしてはばからない関西人のやつら。そこで広辞苑を引く。
■「ユガムの訛」
■すごいね、広辞苑、関西人の気持ちをばっさり切り捨てる。
■何人かは寝てしまい、何人かは帰り、結局、最後までいた者らは朝の10時半に帰った。外は晴天。また暑い日。それからようやく眠る。
(7:38 Jul.16 2001)

Jul.13 「緊張と弛緩、眠くなる」

■初日の朝。授業における発表という意識のせいか、いつもの公演とは少しちがう気分で目が醒める。よし、きょうも朝から授業だという感じ。ただ、その授業の内容が特別だ。この二日ぐらいはタクシーで学校にゆこうと決める。
■二時間ほど稽古。それから準備をして、ゲネ。力が抜け、ほどよい心地よさが出てきた。とはいっても初日、本番、客が目の前にいる、緊張するといったことで、芝居が変わるんじゃないかと思いつつダメだし。初日が開けるとほとんどダメを出さないので、これが最後の細かいダメだし。それが終わればもう僕の仕事はない。開演まで時間ができた。studio21の外に出るとひどく蒸し暑い。お客さんが来てくれるか心配になりつつ中国からの留学生と話をする。中国のこと、政治のこと、日本での生活のこと。面白い。
■開場。そんなに動員できないだろうと思っていたらすごく人が来てしまった。学科の学生はもちろんだが、他学科の学生、さらに外部からも。入りきらないだろうという感じになってきて、学科のKさんから「あした追加公演しますか」と言われた。授業の発表で追加公演というのも大袈裟すぎるな。余裕を持って椅子を並べた席を桟敷にすればかなり入ると計算して追加公演はやめた。お客さんにはゆったり観て欲しいのだが。結局、開演は20分押し。そのあいだ、作品上必要なタワーの上にあるブースにVJチームがいて、かわいい映像と音楽を流す。20分押しの空気をなごませてくれた。
■映像・舞台芸術コースの教員の方たちが何人も足を運んでくれたし、小暮さんの姿も。袋井高校のO先生がわざわざ来てくれた。そして『あの小説の中で集まろう』の初演で百子を演じていた朴本が来ていた。祇園祭のために実家に帰ってきているという。見れば、最前列の中央に、舞台芸術センターのHさんがいる。ああ、あんな場所になぜ。芝居がだめだからって寝ないでくれ、寝るな寝るなと念を送る。僕の舞台はよく眠れるから困るよ。
■やっぱり初日だ。芝居が過剰になっている。押さえろ押さえろとつぶやきながら客席で観る。なによりいいと思えたのは、客席でただの観客のように僕がいてもとどこおりなく舞台がはじまり劇が進行してゆくことだ。時間が来れば、舞台監督の学生が、俳優をしている学生たち、スタッフをつとめる学生にキューを出す。音楽が流れる。照明が消える。学生たちがすべて進める。よくできたなあ、よくはじまったなあと、照明が明転し、舞台上に役者が板付きになっているのを見て、ちょっとした感動があるのだった
■舞台終了後、一年生の学生で、狂言師の家に生まれすでに役者をしているS君が来て、「先生、出たい」といきなり言う。そんな学生が何人か。それがいちばんうれしかった。
■緊張から開放されたからだろうか、終わってから眠くなる。緊張しているつもりはなかったのだが、どこか緊張していたな、きっと、きょうだけではなく、この二ヶ月。
(6:03 Jul.16 2001)

Jul.12 「稽古、最後の日」

■やけに早く目が醒めてしまった。睡眠は3時間ほど。コーヒーを飲んでぼんやりする。時間があったのでこのページを更新。一年生の授業に間に合わせるため少し早めに家を出る。
■二年生の発表のことで頭が一杯だが、一年生の授業もこれが最後なのでがんばらなくてはいけない。途中休憩のとき、べつのクラスの学生が「きょう、自習なんです」といってカメラを手に学校内で撮影しているのに会った。「先生来ないの?」と質問すると、「でも、まだ二回なんですよ、自習」とすごいことを言う。「まだ」っておい。例の六回中、四回休んだ教員のクラス。「でも、授業アンケートには、先生の出席はどうでしたかに、『よく出席しているに丸してね』っていうんですよ、給料に響くから」とのこと。すごいねどうも。そこまでするかね。まあ、どうだっていいけど、人のことは。でも、俺はそいつのことを今後呼び捨てにする。
■授業を終え、学生の一人と授業内容についていろいろ話す。反省点も多い。来年のことの参考にしよう。
■午後、いつものようにいったん家に戻り睡眠。
■五時から稽古。細かい部分、気になった箇所を繰り返し稽古。少しよくなった。それから場面転換をを作る。少し前進。で、八時から通し稽古。きのうよりはだいぶいい。「小説」だな。重要なキーとなる「小説」の存在が希薄。なんかあるはずだがなあ、方法が。それから、ラスト近くももっとあるはずだ、もっと稽古したい。反復だな。反復してもっと身体にしみこませたい。時間がない。通しが終わったのは10時。それからダメ出し。
■気が付くと深夜12時。またこんな時間になってしまった。届け出してあるその時間になると見回りに来る警備員さんがとてもいい人。「がんばってくださいね」と励ましてくれる。
■studio21の外に出てもまだみんな帰らない。あした本番。なんだかわからない熱気のようなものが沸いてくる。まだ別れたくないかのようにみんな一緒にいる。とても楽しい。あした、いよいよ本番。本番でなにかが出現すればいいな。べつに変なことをしたり、わーっと盛り上がるとかじゃなく、だけど稽古では見られなかった発見があればいい。
(6:32 Jul.13 2001)

Jul.11 「集中力に欠ける」

■午前中は一年生の授業。ベケットの構造を使って簡単な劇を作る。「劇」という形式を使って遊んでくれればいいと思っていたが、なかにはそれができているところもあってよかった。いろいろあって面白かった。なんだかんだしているうちに、午後12時半をまわっている。予定より長め。なんて熱心な授業だろう、自分で書くのも何だが。
■またいったん自宅へ。睡眠。寝不足。だめだ。
■五時から舞台芸術コースの、コース会議。僕は最初の一時間ほど参加。とくに今回の、「授業内の発表における問題点」について話す。うまい展望が開けぬまま、問題点を出すだけで終わってしまった。「授業内の発表」ってなんだろう。そこをきちっと押さえて欲しい。もっと踏み込めば、これだけ教員は働かなくちゃいけないのかとか、こういう労働はどう保証されるのかまで話がしたい気がする。だって俺、毎日、朝から深夜12時過ぎまで学校にいるよ。残業手当があったらそうとうになる。いま学校で一番働いていないか、俺は。なにしろ休日返上で働いている。
■午後六時からstudio21へ。
■やり残したことを稽古。場面転換など。時間が少ない。で、通しをしてみたら、集中力がない。とくにクヌギ役のK。せりふは飛ばす。テンポは悪い。集中力はない。いいところがちっともない。まあ、全体的にとろーんとして気持ちが悪い。きのうより出来が悪いのはなんだいったい。まあ、よくなったところ、改善されたところもないではないが。あと、僕自身も、細部ばかり気になって舞台全体のこと、作品全体のことが見えてこない。なんとか最後のがんばりでいい作品にしたい。
■家に帰ってメールのチェック。返事を書いている暇がない。疲れた。さすがにへとへとだ。
(6:43 Jul.12 2001)

Jul.10 「はじめての通し稽古」

■朝七時に起きて学校へ。昨夜寝付かれず、四時間ほどの睡眠。二年生の授業。稽古。
■全員参加の稽古になった。今回の稽古がはじまって二度目。こうなると奇跡的といっていいのではないか。しかし金曜日は本番。こんなことがかつてあっただろうか。だが、がまんがまん。
■あまり来ていなかった中国からの留学生の場面など、稽古が進んでいないところを、じっくりというより、チェックする程度の稽古。もっとやればよくなるはずだが、どこかで妥協。時間がない。あきらめたくはないのだがなあ。あきらめているつもりではないが、時間に追われる。やるべきことはまだいくつもある。
■午後、いったん帰宅。睡眠。二時間ほど。自転車で学校へ。へとへと。研究室にちょっと寄り、一年生の授業のことで質問があるという学生にあって少し話す。それでようやくstudio21へ。きょうはようやく通し稽古ができる。
■確認すべきこと、どうしても稽古したかったことをやり、七時半から通し稽古。はじめての通しにしてはわりとまとまっていた。細部に気になるところはいっぱい。言い出したらきりがない。特に、クヌギ役のKがだめ。重要な役なので特に気になる。通しを終えてみると、もうすでに九時半になろうとしているところ。遠方から来ていて帰らなくてはいけない学生が何人もいる。ダメだし。11時過ぎまでかかった。それから12時までいくつか装置のチェック。映像、音楽のレベルのことなど確認。すぐに退出時間の12時過ぎになる。
■最近の僕の舞台は、本番に近づくに連れ、楽になってゆく。余裕で進行してゆくが今回はまったく逆。みんな本番が近づいてはじめてあせってきた。いやだよ、本番間近にぴりぴりするのは。
■帰りは自転車。うっかり、今出川から御所の横、寺町通りを走ってしまった。右手に御所の暗い森。怖くてしょうがない。
■家に帰ったらすぐに寝る。寝不足というより、家に帰ってもなにもすることができない。本を少し。ほんの少し読む。原稿が書けない。spottingの原稿はおそらく落とすだろう。申し訳ないことをした。
(5:42 Jul.12 2001)

Jul.9 「稽古」

■夕方から稽古。この期におよんで理花役のYが風邪で休む。ああ、これは公演ではないのだ。ふだん僕がやっている舞台とはまったく異なる種類のものなのだ。授業という枠の中の発表に過ぎないということか。ふつう役者は風邪をひかない。
■戯曲の選定や、美術のプランなど、「授業という枠の中の発表」の位置がわからないまま決めたことが多い。なにしろ経験がなかった。教えてくれる人が誰もいない。美術のプランがどこまで限界かわからず、学生が考えたとおりOKを出したが学生には困難な作業になった。六月の半ばから作りはじめてまだ完成しない。
■「発表」について考え直そう。次にやるときはきちっと「位置」「意義」「目的」など明確にしてから戯曲を選ばなければいけない。今回のことでいろいろわかった。わかったことが今回の成果といえば言える。消極的な成果だ。
■理花役のYがいないので稽古できるところが限られている。まあ、丹念にやってゆこう。できるところをきちっと流さず稽古しよう。ひどく疲れる。
■こんな劣悪な環境でものを作るのははじめてかもしれない。それは「授業内の発表」の位置が見えていなかったから起こったことだ。思わぬことが次々と発生する。
■しかし、稽古後、studio21でK君が作ってきた映像を見たり、だらだら話をする時間は楽しい。気が付くと午前〇時。また自転車で帰宅。さすがに疲れてきた。
(1:22 Jul.10 2001)

Jul.8 「琵琶湖へ」

■稽古は休み。
■午後から、びわこホールでピーター・ブルックの『ハムレットの悲劇』を見る。世田谷のパブリックシアターでやった舞台。僕のところの制作をしている永井がこの公演についており、久しぶりに会った。いろいろ話す。で、「話したいことがあります」というので身構えると、やっぱり仕事。Spottingから原稿の催促。まだ待っていてくれた。申し訳ない。8月の演劇ぶっくのワークショップ。11月、世田谷パブリックシアターでやるドラマリーディングの詳細。さらに池袋コミュニティカレッジでのワークショップについて。全部やる、というか働くよおれは。
■舞台を見ながらいろいろ考える。忙しいので一日ぐらい休みたいと思っていたが来てよかった。
■うちの学生たちもかなり来ていた。それから、岩下徹さん、照明の岩村さんなど教員も。さらに以前も書いた小暮宣雄さんもいらして、フットワークの軽さに驚かされる。天気がいい。琵琶湖を望む景色はとてもきれいだった。
■終わって京都へ。いったん家に戻ったあと自転車で再び外へ。いまやってる発表公演のために音響の仕事をしているD君の部屋に行く。音の素材を作るためだ。D君が作った音楽に、町の音をミックスする仕事。コンピュータを使って25個の音をミックスしてゆく。この作業が面白い。こんなに面白いとは思わなかった。中学生のころテレコで音を作ったのを思い出した。何度も作り直し。一度完成させては、さらに音を足し、音のレベルを変え、配置を変え、なにか面白い音はないかとCDなど探す。こういう仕事はいくらやっても飽きない。それから舞台で使う音楽を選曲。結局、働いているのだが。
■そんなことをしているうちに深夜。午前一時半を過ぎたころ映像担当のK君が来て、すでに出来上がった部分や、これから作る映像の素材を見せてくれる。「都市」というテーマで作った映像がかっこいい。夜の工場地帯の映像は『ブレードランナー』のようだ。制作のYも来ており、こうなるともう学生時代のサークルの集まりみたいだ。気がつくと朝。外は明るくなっている。
■自転車で早朝の京都を走る。鴨川でまた休憩。川からの眺めはいつ見てもいい。だけど、なぜこの町にいるのかつくづくわからない。
(6:27 Jul.9 2001)

Jul.7 「深夜まで学校にいた」

■午後から稽古。炎天下を自転車で大学まで行く。というのも、きょうは稽古ともろもろの作業で帰りが深夜になるからだ。学生の集まりが悪い。来ている学生たちは装置作りの手伝いなどし、稽古をはじめたのは午後三時過ぎ。気になっている場面をいくつかやる。計画していた稽古の半分もできない。同じ箇所を何度も繰り返す。
■まあ、稽古は流すだけじゃなく、部分を丹念にやることも大事だろうと自分をなっとくさせる。それでもだいぶよくなってきた。もっとよくなるはずだ。もっと時間があれば。
■心配がひとつある。中国からの留学生が夏バテで倒れたと連絡がありまったく稽古に来られないことだ。今回の演出上、どうしても彼女には出演してもらいたい。本番まで時間はないが、この先、なにがあるか知れたもんじゃない。きょうなど、三浦役のOがとうとう来なかった。通しをしようと思っていたのに、これじゃなにもできないではないか。でも、がまんがまん。ここは学校だ。まずは、全員がいなければ劇は成立しないこと、稽古のなかでなにかを発見することなど、あたりまえのことを今回の舞台で覚えてくれればいい。
■九時ごろ稽古を終える。それから美術組は装置を作り、僕は音響のD君と音を作る。照明のKは最初に作った照明が気に入らないとほとんど一から直す。できるんだよなあ、これほど劇場が贅沢に使えればそういうことも。深夜一時半、警備の人が来たのでstudio21を退出。学校の施設は、教員がいるという届けを出せば何時まで使ってもいいようだ。責任者は俺かよ。こうなったらこれから毎日自転車で来よう。studio21をずっと使える。泊まり込んでもいいんだ俺は。
■スタッフたち、かなりへろへろ。美術のHなどほとんど寝ていないのではないか。
■だけど大変なことばかりではない。加藤役のS君は、初演時、加藤をやった小浜が東京から見に来るという噂を聞いてなにかで小浜に勝たなければと考えている。加藤はプリンをものすごいスピードで食べる。そのスピードで勝つという。小浜はプリンを二秒くらいで食べたが、S君は同じ時間で二個食べると断言した。それに少し笑う。
■自転車組とともに深夜の京都を走る。こんな生活をするようになるとは想像もしなかった。鴨川の橋の上で少し休憩。遠くに見える夜の町がきれいだ。風が心地よい。
(4:02 Jul.8 2001)

Jul.6 「台本の一部が消えたのだった」

■きのうの日記は一部削除だ。
■昼間、こんどの舞台で使う音楽を探そうと早く家を出る。べつに京都で探してもよかったが夕方からワークショップがあるので大阪へゆくことにした。行きの阪急電車のなかで台本を読み返し音楽のことを考える。メモを取ってそろそろ梅田に着くころだと思ってばらばらになってしまった台本をまとめようと、窓のところでとんとんと、よく紙を整えるときにする仕草をした。阪急は金属製の日除けを上にスライドさせる構造になっている。窓の手前に日除けを収納してある隙間があり、隙間に台本の一部が落ちてしまった。もう取り出せない。いつかこの電車が解体されたとき、なかから僕のメモが入っている『あの小説の中で集まろう』の戯曲が出てくるのだろう。見つけた人はどう思うだろう。
■こんなことがあった日はろくなことがないに決まっている。
■で、LOFTのなかにあるWAVEに行く。HMVとか、タワーレコード、ヴァージンメガストアなど行きたかったが場所がわからない。WAVEはフロアがひとつだけ。ちょっとがっかりした。下調べをしてもっと小さな規模でも品揃えのいい店をまめに探せばよかった。やっぱりきょうはだめだ。
■六時過ぎ、扇町ミュージアムスクエアに着くと鳩がいた。どうやら飛べないらしい。手を差し出すとつつく。なにか食べたいらしい。書くのを忘れていたが、先日、稽古場に猫を拾ってきた学生がいた。全部で四匹。しょうがないなあと思っていたら、そこへ鳥のヒナを拾ったという学生が現れた。拾う日か、きょうは、と思っていたが、鳩まで拾うとはいったいなにごとが起こっているのだ。
■テキストを読むという課題の日。
■ビデオなど見せた、「声」についての簡単な講義のあと発表へ。
■大阪のS君の読みがすごくよかった。OMSの裏から歩きながら読むS君を追いかけてみなそれを聞く。テキストは、岡崎京子の『リバーズ・エッジ』のあとがき。歩いてゆくとその先は夜の扇町公園。ライトがまぶしくひかり、あたりを照らす。大きな広場。周辺にビルがならぶのを遠くに見、空はやけに広い。とても気持ちがいい。扇町公園にS君の声が響く。多分に個人的な思い入れもある。事故後の岡崎さんのこと。『リバーズ・エッジ』という作品。いま稽古している『あの小説の中で集まろう』が、『リバーズ・エッジ』からかなり引用していること。S君は淡々と読む。声もまた静かにひびく。ほんとうによかった。
■雨が少し降った夜。涼しい。
(1:38 Jul.7 2001)

Jul.5 「夏だった」

■以下一部削除。
■一年生の授業。ベケットを使う。奇妙なことに出席者がまた18人。ぴったり三人ずつ六組。どうなっているんだこれは。でも20人中、18人は立派だな、まだ一年生は。去年の秋の一年生の授業、40人中、15人くらいしか来ないことはざらだったのだからこの数字はえらい。で、作業へ。簡単な劇を作る。「劇」という形式を使って遊べるようになればいいのだがまだ窮屈そう。しょうがない。少しでもその面白さを見つけてくれればいい。
■午後、速達を出しに東鞍馬通りをずっと歩いて郵便局へ。近くで食事。そのまま叡山電車で出町柳へ。京阪電車で三条、地下鉄東西線で烏丸御池。家に戻る。
■眠りたかったが時間がない。シャワーを浴び、少ししたらまた外に出る。外は灼熱。なんという暑さだ。気持ちがいいくらいだ。新風館というショッピングモールのなかにあるBEAMSにはCDのコーナーがあるので二年生の舞台発表で使う曲を買おうといろいろ試聴。時間がなくて、音楽のことまでなかなか手が回らない。桜井圭介君に連絡し、初演時の音源を送ってもらうことにした。
■昼間、学生たちは授業。夕方から稽古。
■三章を通してみる。まだだめだ。演出があいまいなところもまだあるし、作業が中途半端。もっとできる。時間はないがもっと緻密なものに必ずなる。最初に書いた話を聞いたあと、よけい稽古に熱が入る。ばかやろう、こうなったらとことんやる。おれは。
■ワークショップに参加している者らが見学に来た。差し入れはヤクルト。なぜ?
(12:24 Jul.6 2001)

Jul.4 「ピナ」

■ユリイカの『野田秀樹特集』のために書いた文章の評判がよく連載をはじめることになった。なにより、毎月、ユリイカが届けられるのが魅力。もちろん、仕事そのものにも興味があるのだが。
■午前中は一年生の授業。例によってベケットの戯曲の構造を利用して小さな劇を作る課題。ほかになにかないかと探すがこれほど簡単な構造で、それでいて奥行きのある戯曲が思いあたらない。なぜか出席者が18人。ちょうど三人で六組。作る作業と発表。僕の意見をもとに少し直し再度やってみる。来週までに台本を書いて提出。
■気がつくと五百円ぐらいしか持っていなかった。キャッシュカードも家に忘れ、しかも寝不足。授業を終えていったん家に戻る。睡眠。二時間ほど。それでかなり回復した。
■夕方、ふたたび大学へ。稽古。オリジナルの戯曲にはない記録する者たちが三章で登場する場面を繰り返す。だいぶ形になった。さらに三章をやりたかったが、A君がいなくてできない部分がいくつかある。少しずつ前進。もっと緻密に作りたい。ところで、「解体社」って面白いのだろうか。見たことないけど、見る前からいやな気持ちになるよ。ピナバウシュの例の手をぱたぱた、顔をなぜるあのダンス、そのまま、今回ちょっとしたところで使っています。パクリではない。あくまで「引用」。
■帰り三条をまた歩く。まゆげに会わなかった。こうなると、意外にさみしいものだ。
(4:29 Jul.5 2001)

Jul.3 「朝七時起き」

■七時に目が醒めたがよく眠ったせいで調子がいい。九時から二年生の授業。稽古。ちょっとやっているとすぐに時間がなくなる。朝の三時間はやけに過ぎるのが速い。衣装の打ち合わせなどやらなくちゃいけないことはまだある。そんなことも含め、時間が少ない。ただ、役者たちにしろ、スタッフにしろ、それぞれきっちり仕事しているが、小道具のチェックなど細かい作業にYばかりが動く。次に何をすればいいか。場面ごとの道具の出し入れなど、まだぼんやり何もしないしている学生もいる。やる気がないというより、何をしていいのか戸惑っている感じだ。
■午後、Web作り。このページを更新。さらに一年生の授業のためのテキストをコピーし製本。忙しい。自分で言うのもなんだが、なんて働き者なんだおれは。仕事をしているうちにもう五時。
■夕方からまた稽古。二章を通してやってみる。形にはなっているが、まだ気になるところがあって、それを細かく直す。ちょっとしたこと。ちょっとアドバイスすればすぐによくなるし、なぜそうしなければいけないか話せば、すぐに理解し身体も楽に動くようになる。
■途中スタッフたちとの打ち合わせも含め、夜九時半まで稽古。まだだなあ。やるべきことはまだある。だけどとりあえず役者。芝居。からだがすべて。からだが世界を作る。
■帰るとひどく疲れた。すぐに寝る。深夜、電話で起こされる。いったん起きたら眠れない。こまった。眠るためのクスリを大量に飲む。で、これを書いている。きょうはちゃんと書いているはずだ。
(2:25 Jul.4 2001)

Jul.2 「稽古へ」

■夕方から稽古なので、明るい時間、どこかに行こうと思っているうちに家でだらだら時間が過ぎてゆく。観光はどうしてしまったのだ。まだ見るべきものは無数にあるはずだし奈良にだってゆきたい。時間がない。こうも学校に拘束されるとは思わなかった。
■稽古は少しずつ緻密になってゆく。せりふをちゃんと入れろときのう稽古の終わりにきつく言ったせいかだいぶ入った。それで稽古。ようやく細かいことに気がつくし、もっとよくなるはずの部分が見えてくる。すると僕も乗れる。百子役のFが倒れる場面、うまくいかないのでやってみせる。何度も倒れているうちにくらくらしてきた。こうなってはじめて稽古。稽古らしい稽古。
■帰りいつものように三条をずっと歩く。烏丸通りを渡ったスターバックスがあるあたりで、背後からなにか来るいやな予感がした。あたりが暗くなる。おかしいと思って振り返ると巨大な黒い物体が迫ってくる。見れば立命館のH君のまゆげだった。というかH君だった。バイクに乗っている。なぜ二日連続でわたしはまゆげに三条通りで会わなくてはいけないのだろう。こいつ待ち伏せしてたんじゃないのか。ワークショップに来ている京都のメンバーは学生が多いと前に書いたが、キノちゃんと自ら名乗る同志社のK君といい、いまや「肩ひもずり落ち京大生」と呼ばれているKさんといいろくなものではない。あと、京都ってもしかするとすごく狭いのではないか。油断していると誰かに会うのかこの町は。
(14:27 Jul.3 2001)

Jul.1 「モノリス」

■日曜日。昼から稽古。学生の集まりが悪くてなかなかはじめられない。
■仕方がないので照明のチェックをする。照明を担当するKが作ったあかりを場面ごとにあててみる。僕の方針をわかっているということか、それとも、本人がそれがかっこ悪いと思っているのか、照明にねたを仕込んだ「もわもわした明かり」を作るようなあかりがなくて幸いだ。もっとよくなるはず。照明を見るだけという話だったがまだ来ない学生がいるのでさらにきっかけも練習する。代役を立てつつ芝居と合わせ、こうなるともうテクニカルリハーサル。「場当たり」の必要がないかもしれない。
■結局、芝居の稽古は夕方からになった。
■流してやってみては気になるところをチェック。そこを繰り返し稽古。まだ安定感がない。せりふがなかなか入らない者もいて、せりふを必死に思い出そうとすることにばかり気を取られ、芝居にならない。シンナーを塗っていた者がちょっとおかしくなってしまったというどうかと思うような場面を繰り返す。すると新しい演出案も生まれそのことでクヌギ役のKなど生き生きとする。少しずつ前進。ほんとに少しずつだが。
■八時をまわるころになるとさすがに疲れてきた。
■「終わったよ、俺は終わった」と口にして稽古を終える。そういえば、稽古を終わることを「とる」とよくいうが、学校では口にしたことがない。そもそもなぜ「とる」なのだろう。むかし誰かが言っていたのをまねしたんだと思う。なぜ「とる」なのかいまだにわからない。
■帰り三条河原町までバス。そのまま歩いて帰る途中、三条通りの京都アートコンプレックス前に、キューブリックの『2001年宇宙の旅』に出てくるモノリスが横になって二つ並んでいるのでどうしたのかと思ったら、まゆげが太く独特で取って付けたようだと人から言われている立命館のH君のまゆげだった。というかH君がいた。まったく人騒がせな男である。アートコンプレックスでやっている舞台に出ていたそうだ。きのうワークショップの親睦会と二次会でさんざん飲んでいたくせに翌日舞台に立つとはなにごとだ。よくそのまゆげがアートコンプレックスに入ったものだ。なにしろ、このあいだうちにH君が来たとき、「まゆげを洗わせてください」と言い、そもそもまゆげを洗うというその状況が問題だが、許したのがまちがい、シャンプーを一本使いきってしまった。恐るべき男だ。
■家に戻る。シャワーを浴びると気持ちのいい季節。一日に三度はシャワーを浴びたい。学校にあればいいのに。後藤明生さんの評論集を再読。横光利一の『機械』についてその方法の分析。面白い。それにしても後藤明生さんの昔の小説が手に入りづらいのは問題だ。といっても、探す時間がそもそもないのだが。
(15:07 Jul.3 2001)