Jun.30 「扇町ダンス教室(二日目)」

■きのうに引き続き、桜井君による「扇町ダンス教室」をワークショップで開講。きょうは実技編。講義だけでも面白いが、ここはセットで実技をすることに意味がある。つまり「みんな踊れよー」だ。
■四つの班がそれぞれに作ってきたダンスを発表。モノに頼る班が多かった。アイデアは面白いが、もっと身体を使ったダンスも見たかった。
■見学に来ていた奥さんという京都在住のダンサーの方や、早稲田大学演劇博物館の助手なのに桜井君の神楽坂ダンス教室に参加した前田さんがダンスを披露してくれた。天気もよく、扇町ミュージアムスクエアの屋上は風通しもいい。とてもいい一日。
■終わってから近くの居酒屋でワークショップ参加者たちとの親睦会。あまり話しをしたことのない参加者たちと話す。立命館のH君のまゆげが濃いことに関してみんな言いたいほうだい。ひどいやつらだ。しまいにH君、「こんどまゆげのことを言ったらグーで殴る」と怒る。親睦会が終わってさらに二次会へ。六月末の土曜日の夜。梅田周辺は人が多くて蒸し暑かった。
■楽しい一日だった。あしたの稽古のことを考えると憂鬱になる。日曜日なのに大学の授業のために稽古。まあ、しょうがない。
(0:07 Jul.02 2001)

Jun.29 「桜井君が来る」

■白水社から届いたお中元はコーヒー豆とアイスコーヒーのセット。僕がコーヒー好きだからW君が選んでくれたのかもしれない。ビール好きにはビールが届くのだろうなあと、夏のことを思ったのだった。
■午後から映像舞台芸術学科の八角さんの授業がある。様々な表現者が自分の作品をビデオなどを使って学生たちに見せるという内容。97年に世田谷のシアタートラムで公演した、『あの小説の中で集まろう』を見せることにしたのは、今度の二年生の発表と比較してもらうためだ。どんなふうに戯曲を書き直したか。条件が異なる環境、劇場で、演出はどう変化したか。考えるきっかけにぴったりだと思ったからだ。
■大きなスクリーンで見るといままで気がつかなかったことがいくつかあって面白い。客席側から背中しか見えない俳優が、横からのカメラでその顔が映し出される。けっこうみんな見えないと思って好き勝手なことをしている。長谷川役の、燐光群に所属する加地君はよだれをたらしながら芝居している。女1と女2は作品中、現実感のほとんどない透明な役。カーテンコールでほかの俳優たちがいかにもカーテンコールのように生き生きとしていても、二人は階段に腰を降ろして本を読んでいるという演出。きょう気が付いたが女1をやっている川村がカーテンコールの音楽に合わせてからだをゆらゆらさせている。そんなことをしていたのか。
■終わってから大阪に急ぐ。バス停でバスを待っていると、いま見ていた一年生が次々と現れ質問される。授業でもビデオを見たあと質問の時間はあるが、そういう場所ではなかなか発言がしにくいのだろう。しかもいろいろ考えていて質問も面白い。
■扇町ミュージアムスクエアでワークショップ。東京から桜井圭介君を招いての「扇町ダンス教室」だ。でも、通りを挟んで向こうに、社交ダンスの「扇町ダンス教室」がほんとうにある。あるんだなあ。そういうものが。二時間ほどのレクチャーと、休憩をはさみあしたの補講に来られない人のための簡単な実技の発表をやっていたらすぐに時間がなくなってしまった。レクチャーのために用意された桜井君の見せてくれるダンスのビデオが面白い。もっと見ていたい気分だ。
■ちょうど東京からはベターポーヅが扇町ミュージアムスクエアで公演しており、終わってから加藤直美さんに会った。加藤さんは相変わらず、ひゃひゃひゃひゃという感じで笑っていた。
■桜井君や加藤さんが来たせいか僕はテンションが上がっていたのだろう。帰りの阪急の車中、京都までずっと冗談を言い続けていた。しゃべりっぱなしである。ちょっとどうかと思うような状態だ。四条烏丸からの帰り道、少し反省しながら歩く。
(02:20 Jun.30 2001)

Jun.28 「ここはどこの国だろう」

■先日、稽古の見学に来た大阪のYさんが自分のWebの日記にその日のことを書いている。面白かったので引用させていただく。
■「帰り、バス停の前を通って帰ろうとした学生さんたちが、宮沢さんの姿を見つけて立ち止まる。次々に現れてバス停があふれ返ってくる。ついに太鼓を叩く学生まで現れた。宮沢さんのリクエストに応えて歌も歌う。ここはどこの国だろう。バスに乗り込んだ宮沢さんを手を振りながら追いかける学生たち。宮沢さんは、『ばかだあいつら』とおっしゃっていたが、私の大学では見なかった光景。教授と学生の密な関係をうらやましく思った」
■この「ここはどこの国だろう」は笑ったなあ。
■そんな大学生活。でも、教授じゃないですわたしは。
■朝から一年生の授業。二人一組による簡単な劇を作る。studio21のすぐそばにある芝生の坂をごろごろ転がる学生がいたりで面白かった。学校中を使って劇をやりたいという寺山修司のような気分になる。
■午後、研究室でWeb作り。学食で食事。また一日中、学校にいる。夕方からstudio21で二年生の稽古。僕のからだがあたたまってきたというか、徐々に学生たちの芝居が固まってきたせいか、細かいことまで指示が出せるようになった。ちょっとずつ先へ、繰り返し同じ箇所を稽古しては先へと進む。ようやく稽古らしくなってきた。
■終わってからしばらくstudio21の前で学生たちと話をする。みんな地べたに腰を降ろしなにごとだこれは。
■『月の教室』をわざわざ東京から見に来てくれたFさんの奥さんは、古くからの知人だが、その奥さんからメールをいただいた。Fさん、どうやらまた京都に来てくれるらしい。うれしい。あと、やはり眠るための薬を飲んでメールを書いたそうだ。なんて無謀なことをしたのだろう。
(01:55 Jun.29 2001)

Jun.27 「学校にて」

PAPERS、更新。
■午前中の授業を終え、午後、Webを作ろうと思ったのは、PAPERSがいまだ『月の教室』を掲載しているからで、見に来てくれた人に申し訳ない。もうひとつ日記のページのバックナンバーを数字で左のフレームに並べているが、小さなディスプレイの人から五月はともかく六月が見えなくなっていると苦情があったからだ。家のMacはまだ復旧していない。学校で作業するしかない。ポップアップメニューを上のフレームに設置しようとするがうまくいかない。いろいろ試す。わからない。
■Web作りに飽きたので学校の近くのカフェへ。
■外に出ると異常な高温。強い日差し。なにごとだ。
■夕方から稽古。studio21。出演者がある程度そろったのでまとまって稽古ができる。五時からほとんど休憩なしで九時過ぎまで。ひどく疲れた。これはふだんの稽古とはまた異なる疲れのような気がする。それはなにか。また少しずつ進む。少しずつ少しずつ。もっと細かく、緻密に作ってゆきたいが時間がない。この時間は、単に時間がないのとはちがいほとんど舞台初経験の学生たちとの作業によるがまんのことだ。疲れもそこにある。
■今週は、金・土曜日がワークショップ。日曜日が学校の稽古。休む時間がまったくない。「時間を有効に使う」なんてことはしたくないし、これまで考えたこともなかったが、そうせざるをえない状況。
(13:09 Jun.28 2001)

Jun.26 「よく見る」

■日中の気温は高く日差しが強い。
■朝九時から二年生の授業。授業というより発表のための稽古をstudio21でやる。ほぼメンバーも揃い稽古は順調。少しずつだが確実によくなっている。照明も入り、舞台も仮設されているせいか学生たちのやる気もちがう。まだ細かい部分では気になること、もっと面白くなるはずのところが歯がゆいが、大枠はだいぶできてきた。ブロックごとに通してやってみる。ひとりひとり自覚も出てきた。確実によくなっているし、稽古の意味もわかってきたのではないか。
■午後、舞台芸術研究センターのWebための打ち合わせ。事務局長、教材開発課の方たち、センターのHさんらと話す。だいぶ先が見えてきた。
■夕方から再び稽古。ワークショップに参加している、大阪のYさん、立命館のH君、映像コースの学生たちもかなり見学に来ている。稽古をやっていると、この子はきっとよくなるにちがいないと思うのは、人が稽古をしているのをよく見ている学生で、百子役をやっているFがそうだ。よく見ている。これまでの経験上、そういう者が伸びる。それにしても初演時、百子をやっていた朴本とFはかなりちがう。朴本のあの特殊さは類を見ないので、真似しようったってそうはできないものの、FはFなりの百子になっている。稽古は九時過ぎに終える。これから毎日のようにこんな生活。
■家に戻るとひどく眠い。なにか食べるのもおっくうなくらい眠いが、食べなきゃまずいと思って無理にでも食事。きのう洗濯したがたたむのがめんどうで床に放り出している。眠い。なにもする気になれない。
(13:43 Jun.27 2001)

Jun.25 「出た、京都の夏と、セクハラ問題」

■家の中にいるとエアコンを作動さているわけではないのにそれほど暑くない。外に出る。ひどい熱。日差しが強い。日中は洗濯。天気がいいから。
■夕方から稽古。studio21では、照明のシューティグ、舞台の叩きの残り、われわれは、地下の実習室で稽古。参加者が少ないができるところを稽古。第一場をきょうは徹底的に稽古しようと決めていた。なんとなく形になってきた。これを磨く。緻密に磨かなければ。
■理花役のYが、理花になってきた。役に向かって自分を近づけるというより、理花を自分のところに持ってきて消化している印象。だんだん表現者、俳優として立てるようになってきたのは収穫。そのほかの学生たちもだんだんそうなってきている。頼もしい。ただきょう欠席した、クヌギ役のK、長谷川役のAが心配。でもきっとできるようになると信用している。
■それにしても、「セクハラ問題」はむつかしい。ふだんの稽古だったら、女優の身体に触れ、ここはこう動け、こうやって立っていろ、この手はここにこうして固定しろと演出するが、学校でそんなことをすると、「セクハラ」ってことになるのじゃないかと入らぬ心配をする。あと、僕はたいてい、芝居にはいる前、女優に「あと5キロやせろ」というが、それも「セクハラやー」と学生。どうすりゃいいんだちきしょうめ。
■稽古が終わって、studio21の前で、パン屋でバイトしている学生から差し入れの大量のパンを食べつつ、みんなとおしゃべり。だんだん稽古場とその環境が温まってきたという感じ、とてもいい雰囲気だ。
■5番のバスで帰る。三条河原町で下車。また三条を真っ直ぐ歩く。煙草を吸いつつ、しっとりした湿度の中を歩く夏の夜は気持ちがいい。
■早い時間に眠りにつく。だが深夜、二時に目が醒めてしまった。それで日記を書いている。こういうのが一番困る。眠らなくてはいけない。あしまた朝から授業時間内の稽古。学生たちはちゃんと来るだろうか。もう一度眠らなくては。眠ることにほんとうに苦労する。
(3:28 Jun.26 2001)

Jun.24 「蒸し暑い休日」

■考えてみればうちの大学の学生たちは贅沢だ。いい劇場があり、設備や機材が整っていて使い放題、照明、音響、美術などすべて現役でばりばりやっているプロたちが、出勤日でもないのにわざわざ指導に来てくれる。かと思えば観世栄夫さんが憮然としているのを間近で見られたり、山海塾の岩下徹さんが大学の裏手の森で踊る。他の授業のために来ているドラッグ・クイーンが僕の授業に乱入してくる。なんといういい環境だこれは。
■東京では都議選。選挙があることはわかっていたが投票のことをすっかり忘れていた。東京都民だった。どこにいるかその位置の感覚が希薄だ。
■昼間、台本をあらためて読み落ち着いて考えをまとめようとどこかカフェを探す。で、同志社の近くにバザール・カフェがあるのは前から知っていたがこの機会にと思って調べ、自転車で行った。探しても探しても見つからなかった。しばらくあたりを走る。あとでわかったが、バザール・カフェの定休日は、「日・月・火・水」である。すごい店だ。
■ベターポーヅに出演している加藤直美さんからメール。今週末、扇町ミュージアムスクエアで公演があるそうだ。ちょうど重なるように僕のほうはワークショップ。すぐそばにいるのに見られない。
■あるいは、ニブロールの振り付けをしている矢内原さんからもメールをもらったが、こちらは10月の初頭、京都アートコンプレックスで公演があるという。小浜も来るんだろうなあ。でも俺、10月の初頭、すでに東京に戻っているのではないか。
■spottingという雑誌から原稿依頼が来ていたことは以前ここにも書いたが、全然進まず、もう落とした(つまり原稿が最終的に書けず編集者に申し訳ないことをすること)と思っていたら、今週中までにという話。書かなければいけない。
■洗濯をする。部屋を少し片づける。ひどく蒸し暑い日。都議選の結果を知る。思った通りだ。そんなもんだろう世間は。二年生の発表公演まであと三週間を切った。いよいよ京都も夏だな。公演が終われば祇園祭。いい季節である。
(5:51 Jun.25 2001)

Jun.23 「稽古の日々」

■午後から稽古。
■studio21では、きのうから仕込みがはじまっている。スタッフワークの授業に講師で来ている先生方がついてくださり助けられた。舞台監督の仕事をしている二人の学生を中心に、照明、音響、美術、それぞれの仕事が進んでゆく。安全面のことなど心配はいくつもあるが、この発表公演をひとつの試みとして、経験を積み上げれば、今後の「授業における発表」の位置など、いくつものまだわからないことがわかってくるだろう。なぜそれに俺が当たってしまったのかだが、まあ、面白いといえばいえる。なにしろ、「授業における発表」について教科書がない。二年時における発表はどうあればいいか、なにを目標にするかなど、なにからなにまで手探りだ。手探りほど面白いことがあるだろうか。
■studio21の地下にある実習室で稽古。
■出席率は相変わらず低い。ただ、主要な男はみな揃っている。できるところから少しずつ。少しずつ少しずつと言いながらもう二ヶ月が過ぎた。
■稽古のあと俳優を振られている学生たちも仕込みの手伝いをし、とりあえずきょうの作業は夜の10時に終わる。完全退出。午後に降り出した雨はあがっていた。学校の前のバス停から5番のバスに乗る。土曜日、三条大橋のあたりはやけに人が多い。三条河原町で降りそのまま三条をまっすぐ歩いて帰る。
■小学校時代の同級生のお父さんからメールが来ていた。「パソコンを習いたてでメールというものをやたらにやりたくなりました」とのこと。75歳だという。とてもうれしかった。あと、18日の日記を読んで「ぜひ殴ってください」というメールも来た。だけど、岩松了さんがまだだと思うので、それをさしおいてはちょっとできない。
(3:08 Jun.24 2001)

Jun.22 「オプ・トランス展」

■朝日の原稿を明け方まで書いていた。
■午後、大阪へ。地下鉄の心斎橋駅で外に出て、キリンプラザを目指す。オプ・トランス展を観るためだ。ところがどう考えても次の駅で降りたほうが近い距離。アーケードになった商店街を道頓堀の方向に歩く。オプ・トランス展の感想はあとで。
■また地下鉄で梅田へ。扇町ミュージアムスクエアに行こうとするが道に迷った。地下を歩き、勘をたよりにこっちだろうと外に出たがいったい自分がいまどこにいるかよくわからない。むしろこちらのほうがトランスか。迷いの感覚はなぜこんなに心地よいのだろう。
■夕方の七時からワークショップ。まず、先週の残りの課題、「私の考える肉体訓練」を班ごとに作ったものを発表。で、引き続き本日の課題へ。「オプ・トランス展」を観に行ったことを元になにか作る。はじめに各自の感想を求めると、「期待して行ったのに、面白くなかった」というユニヴァーサルスタジオジャパンに行った家族連れかおまえらはというような感想が大半。まあ、しょうがない。僕は新しいテクノロジーを使ったオプではなく、カーテンみたいな布が揺れ、それをすかして向こうを見るとモワレが起こる作品がこんな単純なことでもトランスが生じるかとそれが好きだった。日常におけるオプトラの発見。まだなにかあるのじゃないかと、そのあとしばらく考えていた。
■で、発表。各班、いろいろなことを考えていてその点は面白かったし、仕掛けをすることに労を惜しまない班など、少しずつ、意識もからだもやわらかくなってきた感じだ。
■でも、先週やった「気持ちのいいものを探す」にしろ、今回のオプ・トランス展にしろ、感覚の幅を拡大しろというようなことを僕は口にしているのだが、それって最終的に、ドラッグ関連なことになってしまうのではないかと自分でも疑問だ。18日の日記を読んだ人からいろいろ言われたが、自分を制御できなかったあの感覚はたまらなく変だった。「変」に出会いたいのだなあ。クスリの力を使わず。それはきっと可能なはずだし、「変」は様々な姿をしているにちがいない。
(2:34 Jun.23 2001)

Jun.21 「学食」

■そういえば、きのう一年生の授業のあと数人の学生がやってきて、「ミュージカル研究会の顧問になってください」と言ったのだった。「ミュージカルにもいろいろあるなあ」ともごもご答えると、「子どもからお年寄りまで楽しめるミュージカル」だという。ちょっと困った。
■朝、八時に家を出ると少し雨だ。
■また一年生・Aクラスの授業。五時に寝て、七時に起き、睡眠時間がほとんどないが、授業がはじまってしまえば集中する。このクラスは「考えることが好きな者」が少ないのだろうか。なにか課題を出しても、考えることに苦しんでいる。やり方を変えるべきだろうか。だが、何人か、よく考え、考えることを楽しんでいる者もいるようだ。ワークショップでもそうだが、「形」にはめないようにしようと課題を与えて考えさせる。考えることを通じてからだを意識できればと思うのだが、むつかしいな、ミュージカル研究会のことを考えるよりむつかしい。
■一方で、扇町でやっているワークショップの掲示板に京都グループの一人、Kさんが書いていた。
■「京都班はまた週に2回も集まってしまいました。煮詰まりつつ。今日もこの指摘が出たのですが、わたしたちはあきらかにプロセスを楽しんでいる。発表を完成させる気はあるのか。ということ。全員が大きく頷いたとはなんとおそろしいことか。しかしとても楽しいのです。どうしたことなんでしょう」
■ワークショップと大学の授業のちがい、個人で考えるのと集団で考えることのちがいは当然だとしても、歴然と異なるなにかがある。個人の資質だけじゃないだろう。べつに場をわかせるものだけ評価しているわけではないし、それぞれの表現を尊重しているつもりだ。プロセスに対する態度かなあ。あるいは、「楽しみ方」「遊び方」を知らないというか。
■学食に行くと、映像コース一年生のY君とMさん、さらにI君、あとから舞台コースのUさん、さらに二年生のYとHがいて、少し話をする。結局、二年生の発表が終わって僕に時間ができたらうちに来て食事会という約束になり、それを「祭り」と呼んで一週間ぐらい泊まり込むという恐ろしいことを言い出した。まあ、面白かったけど。
■家に戻り少し寝る。眠ってから『JN』の原稿を書く。ようやく書き上げた。次は朝日だ。
(22:31 Jun.21 2001)

Jun.20 「稽古」

■朝から一年生の授業。午後、後期からいまの二年生の授業を引き継ぐ松田正隆さんが訪ねて来たのでいろいろ話をする。発表に向かうのはむつかしいのだとそんなネガティブな話ばかりするのはなんなので、ポジティブなことを話したいが、材料が少ない。
■『資本論』を読み、『JN』の原稿を書くのに備える。また五時から稽古だ。稽古の前に学食でカレーを食べると、一年生のY君とMさん、I君がいたので少し話す。「差別」について。急いでカレーを食べ終えると稽古場へ。三人も見学しに稽古場に来た。きょうの稽古は、学内にある劇場、studio21。映像担当のK君が待っていたので映像の参考資料を少し見せてもらう。
■やはり、少しずつだ。少しよくなったところもあるが、まだだめだ。僕が疲れたので稽古を八時半に終え、九時過ぎまで美術スタッフらとミーティング。舞台監督のFがだんだん舞台監督らしくなってきた気がする。なにしろ、いままで黒い服を一着も持っていなかったというがこの公演のためにユニクロで黒のポロシャツを買った。画期的な成長である。
■家に着いたのは10時過ぎ。
■留守電に原稿の催促。それで書きはじめる。またあした朝から授業なので眠らなければならないが、稽古がないのであまり寝なくてもいいと腹をくくる。なんとか今晩中に書こうと思いつつ、書けないので日記を更新。
(0:52 Jun.21 2001)

Jun.19 「大雨」

■朝、目が覚めるとのどの奥が痛い。気温も高かったしエアコンをつけているわけでもなく風邪をひく理由がない。こうなると誰かにうつされたとしか考えられないが、するときのういきなり訪ねてきた、H君かSさんということになり、まったく、夜、不意に訪ねてくるばかりか風邪までうつすとはなにごとだ。
■午前中、二年生の授業。発表のための稽古。午後、時間をつぶし、さらに夕方の五時から稽古。いつのまにか外は大雨になっていた。やけに学校は水はけが悪い。とくに新しくできた校舎のあたりがいけない。どういう施工をしているのだ。
■家に帰って原稿を書く。『一冊の本』を書き上げメールで送信したときにはもう深夜の12時になっていた。『資本論を読む』に手をつけるが気力が持続せず、あしたのために眠る。
(16:08ァ Jun.20 2001)

Jun.18 「哉ぷっち」ついうんんおことから やくしゃが買ってくれ宇土

■ユリイカの「野田秀樹特集別冊号」が届いた。松尾スズキと野田秀樹の対談が面白い。そのすぐあとにそれを読んで書いたかのような僕の文章が掲載されているので、ちょっと笑った。ゲラのチェックが甘くて僕の文章はいくつかミスがある。あと五枚書けばよかったとおもうことしきり。もちろんゲラチェック慎重にすべきだったが。
■昼間、久しぶりに本屋に行き、やはりユリイカの小林秀雄特集を買ったが、かなり古い「坂口安吾と小林秀雄の対談」があって面白い。本屋の帰り、姉小路を走っていたら、小さなカフェを見つけ、入口は小さいのに小さな階段を上がって二階に入ったら大きな空間。そのことに驚く。わりといい店。もっとはやく気がつけばよかった。本を読む。しかしあれだなあ、観光をしていない。どこにもゆかない。なんのための京都だ。ところで、野田秀樹が先の対談で、「ある種の劇をやっている人たちは先生にもなれるし」といった意味の発言をしているが、「先生」になるために京都に来たわけではないことははっきりしておく。教育とか、えらそうなことを言うつもりはないが、蟹は自分の甲羅にあわせて穴を掘るだ。岩松さんの例にならって、「今年の目標、野田秀樹を殴る」と書くぞなにかに。京都だよ。学生という他者に出会うんだ。今度も外国人など他者に出会う勇気を持つよ俺は。刺激が欲しくて京都に来た。観光はもちろんしたかったわけだが。かなりその比重が大きいなんて書いたら学校に怒られるが。あといつでもやめるぞ、教員にそれほど未練はないが、学生となあ、これだけ関係が濃くなるとやめられんよ、学生が好きだし。
■と、これを書いている途中で眠るための薬を飲む。以下、その薬が効いてきてから書いた部分。書いた記憶がない。アップする前に読み直してなにを書いているのかとおどろく。野田秀樹を殴るなんてことを書いた記憶もないし、そもそも、きょうのタイトルは、なんだこれは。(←と、これ目が醒めてから書いた)
■で、夜、立命館のH君と、僕の授業などにもぐりで入り込んでいた元京都精華大学のSさんが唐突に訪ねてくる。Sさん、このあいだの日記を読んでかなり落ちこんだらしく、しゅんとしている。まあ、半分冗談だから気にするなと慰める。
■いま、東京の京王線、代田橋の近くに引っ越す計画が進行中だ。すごく広い。おそらく25年ローンだろう。それまでに死なないようにしなければいけない。環境抜群。静かな住宅街。代田橋から3分。参宮橋から八分。すごくいいところだ。問題は猫。外に出してあげられない。
■部屋を買うとなると、借りるより慎重にならざるえない。いい物件なので、すsぐにでも決めたい気分だ。
■今村仁志さんが編纂した「マルクス」というムックって言うか、雑誌と表現すればいいか分からない本を読む。ああ、『JN』の原稿が書けない。あと、『一冊の本』だ。二人から催促の電話。もっともっと原稿をまとめて本にしたい。批評系の本を筑摩から出すという話はどうなってしまったのだろう。
■サッカーを持ったみたい。セエAの優勝が決まる直前はすごかった。観客がグランドに慣れ混んで試合は十三分間、中断。いいものを見せてもらった。
■みるべきことが無数にあって困るよ。いろいろ雑事があるが、とりあえずは二年生は発表の稽古。こsれだけが心配。少しすちひとちひつと、や仏閣をもっと見なければ。
■原稿のこと、賭七位。sikaku
■各位イブ対を作。美術院。
■さにに日記を片づけ土。
■と、ここから朝、読み直してから書く。おしまいのほうの数行はいったいなんだ。あと俺はほんとうにマンションを買うのだろうか。
(2:36 Jun.18 2001)

Jun.17 「オープンキャンパス」

■なにか食べたら胃が気持ちが悪くなり液キャベを飲もうと思った。冷蔵庫の奥にある。手前にたまごがあって、割っちゃいけないと慎重に手を伸ばしたが、うっかり手が触れ、たまごが落ちて割れたのだった。やっちまったとすぐに片づける。殻を捨て、床に散乱した黄身と白身をティッシュで拭き取り、さらにぞうきんで水拭きする。やれやれ。それでべつのことをしていた。ふと液キャベのことを思い出した。気がつくと胃のことなんてもうどうでもよくなっているではないか。私はそのことで知ったのだった。胃が気持ち悪くなったらたまごを落とす。
■大学のオープンキャンパスの日である。
■はじめてこういうことを経験したが、学校に着いたのは午後1時過ぎ、なにやらにぎわっている。四月にオープンした人間館のラウンジには各学科ごとに机が並び、説明を受けに来たのだろう高校生らに、在校生が話をしている。
■学内にある劇場、studio21で高校生たちのためのワークショップをする。オープンキャンパスの一環だ。円になって床に腰を降ろし、自己紹介。三周する。自己紹介は五周ぐらいすると面白いということをある日発見したのだった。一周目はたいてい名前や住んでいるところで終わる。二周目になると、少し話が細かくなり、五周目にもなると、いよいよ話すことがなくなってどうでもいいことを話し出す。時間がないので三周にした。
■参加者は高校演劇をしている者らが多いようだ。すごい芝居だなあ。やっぱりわかりやすいことがいちばん価値があるのだろうなあ。だから、なにかしなくてはいけない。なにかしているとはじめて、「なにかしている」とわかってもらえる世界なのだろう。「なにもしない人の魅力」を見極めるのはむつかしいことだろうか。
■聞くところによると関西では高校演劇がさかんだという。詳しいことはよくわからないが、全体的に東京の高校生は醒めている気がする。醒めた人の目から見たら、「なにかしている人」は、切ない人に見えるだろう。そんなにがんばらなくてもいいんですよと、つい声をかけたくなるのではないか。
■しかし考えてみれば、オープンキャンパスって、無料でワークショップが受けられるというお得な内容ではないか。で、今回は高校生ばかりだったが、どこかで情報を聞きつけた大人が来てもおかしくないのではないか。妙だろうなあ、五〇歳代の人とかなぜか受けているオープンキャンパスのワークショップ。次の開催は八月一日から三日間だ。瓜生山に集まりたまえ。
(2:36 Jun.18 2001)

Jun.16 「門上さんのお宅へ」

■昼過ぎに目が醒めたが、もうひとつ調子が出ない。原稿のことははもちろん気になるが、久しぶりの休み、ぶらっとそこらを歩きたい。その気力もなく、コンピュータを起動してメールのチェック。日記を更新。それでまた眠る。
■あらためて目が醒めたのは、夜八時を少し過ぎたところ。ほんとは稽古がある日だったが急遽、予定が変更になったのは、同じ学科の門上さんの家で軽い宴会があるからだ。どうしても参加したかったのにはある理由があるがそれはまたいつか書く。
■西陣にある門上さんの家は古い町屋だ。
■家に入ると、子どもたちが遊んでいた。料理をごちそうになる。キッシュがすごく美味しかった。舞台芸術研究センターのHさんや、映像コースの教員の方たち、それから門上さんのお知り合いなのか、建築家の方たちもいた。Hさんとサッカーの話をし、映像コースのKさんとコンピュータの話で盛り上がる。それからなぜか川島雄三の話にもなった。
■話をしようと思ったころには、もうずいぶんお酒を飲んだらしく、門上さん、ろれつがまわらず、京都の冬が寒いこと、そうした寒さを知ることも学生は大事だというような話をしていた。ふと気がつくと門上さん眠っている。時計を見るともう一時過ぎ。
■もっと門上さんと話をしたかったが、うまく話せない。「さよならだけが人生だ」とつぶやきつつ外へ。路地を一人歩く。なんだかさみしい気持ちになりながら、さよならだけが人生なんだなあとつくづく思ったのだった。
(19:16 Jun.17 2001)

Jun.15 「人がたくさん来る」

■よく眠った。
■夜、扇町でワークショップ。「気持ちのいいものを探す」という課題の発表。「ガムを人に配り、その枚数と人数がぴったりあったとき気持ちがいい」という発表が面白かった。この課題はこれまで何度かやったがこの種類の「気持ちよさ」ははじめて見た。名作「2Hの鉛筆で字を書いたあと、6Bの鉛筆で字を書くと気持ちがいい」とはまた異なる気持ちのよさ。このテイストは気がつかなかった。
■そのあと、「私の考える肉体訓練」をやり、少しずつかたさがほぐれてきた気がする。
■また京都グループと阪急で一緒に帰る。誰かがお腹が空いたと言いだしたので、じゃあうちへ来てなにか作って食べるかと口にしてしまい、結局、最終的に朝の八時過ぎまで何人かは京都の僕の家にいた。うちの大学の学生たち、立命館のH君、同志社のK君、京大のKさんって、よりによってなぜ京都グループは学生ばかりなのだろう。京都はそういう土地なのかな。それで、ご飯を炊き、カレーなど作って食事。見せるべきではないビデオを見せて少し後悔する。
■筑摩書房の打越さんからメール。考えてみるとこの日記ではたいてい人の名前はアルファベットで表記するのに打越さんだけ名前だ。このあいだ川島雄三の言葉と書いた「花に嵐のたとえもあるぞ。さよならだけが人生だ」は、「川島雄三が好きだった『厄よけ詩集』に入っている井伏鱒二の詩、というか『勧酒』という漢詩の翻訳ですね」とのこと。それ、BSで放送されていた川島雄三の『貸間あり』で数日前に知ったのだった。すごく変な映画だった。
■みんなが帰ったので眠ったが、選挙の宣伝カーに何度も起こされる。原稿を書かなくちゃいけないのだった。なぜ締め切りはすぐに来るのだろう。
(13:40 Jun.16 2001)

Jun.14 「14時間」

■14時間学校にいた。
■やけに早く大学に着いたので、学校の前のパン屋でパンを買い、研究室で食べながら日記をアップする。朝食。九時から一年生の授業。少しかたいと思っていたクラスだが、いい感じになってきた。こういう変化の理由がわからない。ごくささいなことなのだろうか。天候とか、そういった。授業が終わって一年生のI君とUさんと話をしていたが、つい、来週やることの、「こたえ」を話してしまうところだった。
■研究室に戻ると、大学の「情報システム室」からWebを開設するにあたっての細目が書かれた書類が届いていた。一週間ほど前に申請したものだ。早速、studio21のページを作り、二年生の発表公演のための告知をする。で、時間的にはずっとあとのことになるが、家に戻ってInternet Explorerで確認すると、ひとつタグを書き忘れ、フレームの境界線が出てしまった。Netscapeだと問題なし。こうなると学校にもPCを置いてあらゆる環境で不具合を確認できるようにしたいと思った。ただ、学校から繋ぐと家庭よりずっと速いので重たい画像などつい使ってしまいそうでまずいよ。
■そんなことをしながら午後を過ごす。
■夕方の五時から学科会議。議題が大量にあって、いくら話しても終わらない。結局、終わったのは10時過ぎである。朝、8時少し過ぎに来て、ずっと学校にいた。こんなに学校にいたのははじめてだ。
■家に帰り、先に書いたフレームの境界線を見つけたので手直しをしようと作業する。ところがサーバーにつながらない。これはあれなのだろうか、学校のサーバーは、学校からでないとつながらないのだろうか。でも、学校でも家でも、FTPで繋げているのだから原理的に変わらないと思うが、よくわからない。
(2:08 Jun.15 2001)

Jun.13 「S君は逃げる」

■二年生の発表用のページができているかもしれない。
■このところ空腹を感じない。ときどき忘れる。授業のあと映像コースの一年生の話を聞き、それに答えなどしているうちに食事の時間がなくなった。午後から、太田さん、照明の岩村さん、美術の池田さんという三人の教員の方たちと、二年生の発表と、スタッフワークの授業をどう連動させてゆくかで打ち合わせをする。終わったのは四時近く。
■結局、食事をするのを忘れていた。
■五時から二年生の稽古。稽古場に向かう途中、二年生のS君を目撃。こちらに気がついたとたん、S君、ものすごい勢いで走り去る。逃げたな。
■稽古は、理花役のY、三浦役のO、長谷川役のA、橡役のK、女2のY、碓氷役のT、百子役のFが参加。そして映像担当のK、美術のHや舞台監督を担当するFとKら。いわば、いつものメンバー。少しずつまた稽古。たとえば、橡役のKなど、細かくどうやればいいか基本的なことを教えるとだんだん芝居になる。大丈夫だな。きっと最終的にはうまくゆく。
■深夜、眠ろうと思ったころ、『一冊の本』のOさんから電話。うーむ、エッセイ集のまとめもしなければならないのだった。あと制作の永井から連絡があり、11月頃、世田谷のパブリックシアターでドラマリーディングの演出をすることになったらしい。出演者に、大杉蓮さんと田口トモロヲ君がいいなあというと、「ギャランティが」と永井。そうだよなあ。なにしろ、大杉さんは最近ではコンフェデカップのキャスターだし、トモロヲ君はプロジェクトXのナレーターだし。できたらすごくいいが。
(8:31 Jun.14 2001)

Jun.12 「稽古である」

■朝から二年生の発表のために授業内における稽古。キャスティングされている者がほぼ揃ったので稽古も進む。とは言ってもまだまだ。美術プラン、照明プラン、衣装のプランなど、担当者ががんばっているのだからキャスティングされた者らももっと主体的に関わったらどうなのだ。少しずつだ。少しずつ先へ。で、夕方からあらためて稽古することになっている。それまでの五時間どうやって時間をつぶすかだ。で、食事し、学生と話をし、そのへんをぶらぶらしているうちに時間は過ぎてゆく。
■五時から再び稽古。参加者は半分以下。できるところを、代役たてながらやってみるが、それにも限界がある。やりたい場面はいくらでもあるし、ひとりひとり細かく指示しなければいけないと思いつつ、まだ調子が出ない。しかも夜七時を過ぎたら眠気がピークに達していた。限界である。先のことが思いやられる。
■家に戻ったのは九時過ぎ。なにもする気にならぬまま寝ることにした。
(16:27 Jun.13 2001)

Jun.11 「本を出す」

■原稿を書こうと思っているうちに一日が終わった。それで小説を読む。ピンチョン再読。少しずつだが小説を書こうという気持ちが高まってきた。これも夏ということか。夏になると、なんだかわからないエネルギーが出てくるのだった。
■『一冊の本』のOさんに電話。朝日の連載をまとめたエッセイ集を今年の夏には出すのでその件について。あと白水社のW君にも連絡をしなければと思いつつ一ヶ月が過ぎた。『月の教室』をなんらかの形で本にするという話。そういえば、絶版になっている『彼岸からの言葉』を新装版で出す話もあったなあ。いまワークショップに来ているYさんの話によるとYahoo!のオークションで『彼岸からの言葉』に高値が付いたとのこと。高値で買った人にサインでもなんでもしてあげたいと思うが、それYさんだよ。
■小説も出せればいいが。本のことより、まず書き上げることだろう。
■あした朝から二年生の授業。授業の時間内で稽古を昼までやり、また夕方の五時から夜八時まで稽古。時間のあいた昼間の五時間、どこでなにをしていればいいのだ。
(0:49 Jun.12 2001)

Jun.10 「さよならだけが人生だ」

■休んだ。よく寝た。サッカーを見た。フランスは強い。原稿の締め切り。あしたの朝、書くことにする。
■以前この日記にStudio21で会ったKさんのことを書いたが、Kさん、つまり小暮宣雄さんからメールをいただいた。Webを開いていて、「こぐれ日記」がすごい。僕の知らない関西のアートシーンが読める。トリイホールでやった「ラボ20」のときもいらしたのになぜ僕は気がつかなかったのだろう。で、「ラボ20」について、「全体に横浜は難波に比べれば淡泊な(=知性が暴走を抑えているような)ステージのように思う」と小暮さんは書いている。東京と関西の比較としてたしかにそういうところはある。つまりそれを、「淡泊」と受け取るか、「かっこいい」と受け取るか。微妙な問題。
■ふと思いたったことを、学生たちにメールする。稽古で言えなかったこと。思いつき。その他。こういうとき便利だよ、メール。あと袋井の伊地知に電話した。夏、帰ったらバーベキューをやろう、近くの池で魚釣りをしようと伊地知。もしかするとそれはレジャーというやつではないか。これまで考えたこともないようなライフスタイルである。で、池に住む魔物に水中にひきずりこまれて伊地知が死ぬからやめたほうがいいと説得する。レジャーをしようなどとは、まったく恐ろしいことを考える男だ。
■伊地知で思い出したが、『月の教室』を上演したころ、このページのアクセスは五千を越えていたと、久しぶりにアクセスログを解析するページを見て知った。ただごとならない数字だ。これもみんな伊地知のおかげだろうか。だけど、レジャーするようなやつは池にひきずりこまれてしまうべきだ。
■時間があったので、久しぶりにいま中断している『28』という小説を読み返す。少し書きたい気分になる。
■大阪の小学校で起こった事件。いくつかひっかかるものがあるが、それはこのところずっと考えていたことにつながる。いずれなんらかの作品にしようと思う。
■深夜、ふとテレビをつけると映画監督・川島雄三のドキュメンタリーをやっていた。「花に嵐のたとえもあるぞ。さよならだけが人生だ」は故・川島雄三の有名な言葉。そうなんだなあ、きっと。さよならだけが人生なんだろうなあ。
(3:16 Jun.11 2001)

Jun.9 「稽古」

■土曜日。授業のない日だが、学校で二年生の発表のための稽古。ほんとは『月の教室』に出ていた高校生の多くが通っている袋井高校の文化祭で演劇部が公演する日だ。見に行きたかったが、二年生の稽古を優先。約束していたので申し訳なかった。
■稽古の参加者は全体の半分。少しずつ進行。ほんとうに少しずつ。加藤役のS君がいい感じになってきたのが収穫。こうして稽古をすると変化してゆく。ひとりひとりというより、全体の空気が変わる。そのこと自体、稽古の意味を知ることが二年生の課題なのかもしれない。
■稽古を終えたのは夜八時。学校の前で学生たちとわかれ、バスに乗りたかったがバスが来ない。それで東鞍馬通りをぶらぶら歩く。少し腹がへったのでラーメン屋に入ると、店に映像コースの一年生がいた。袋井まで『月の教室』を見に来てくれたMとOだ。これもなにかの縁だろうとラーメンをごちそうする。一人で食べるよりはずっと美味しかった。
■あしたは休む。ぜったいに休む。で、サッカーを見るぞ俺は。東京から『一冊の本』のOさんがエッセイ集の打ち合わせで京都まで来るかもしれないし、Spottingという雑誌の締め切りの日だときょう知った。休みの道は険しい。
(1:48 Jun.10 2001)

Jun.8 「新聞販売店の前に貼られた号外」

■岩谷宏がホットワイアードに書いている、「インターネット社会の倫理と正論を考える  ――第10回 フリーターや難民は、明日の人類のメジャーなあり方である」を読んでいると、大学にいたとしても僕はまぎれもないフリーターだという気がし、文中にあるように、「今後のフリーターは、必死に勉強し、知識と技能を向上させなければならない」気分になったものの、「必死に勉強し、知識と技能を向上」させる「帰属意識のまったくない正社員」もいいのではないか。いったいなんのための「向上」だ。方向の見えない「向上」へ。
■大阪の小学校で事件。四条烏丸の駅へ向かう途中、新聞販売店の前に貼られた号外で知った。
■夜、扇町ミュージアムスクエアのテントでワークショップ。各班ごとによる「歩きをテーマにした作品」の発表。完成度より、もっとはじけたものが見たかった。まだかたいな。いろいろかたい。
■帰り、扇町から梅田の阪急の駅まで、いつもとちがう道を歩いた。京都へ帰る連中と一緒。通りの途中にあった果物屋は、煙草を売っていたり雑誌を売っていたりでなんの店か自分でもわからなくなっているのではないか。バナナが店頭に並んでいたので一房買ってみんなで食べる。ちょうど一房に人数分。バナナを食べながら歩く夏の夜は気持ちがいい。
(1:00 Jun.10 2001)

Jun.7 「異常と思える不眠症」

■一年生・Aクラスの授業。「歩き」についていろいろ試みる。「自分で発想した見たこともない歩きをやってみる」という課題。いくつか発表したあとさらに考える時間を与えたところ、ある学生から、「これはなにを求められているのですか。面白いとはどういうことですか。この課題は次にどういったことへと発展するのですか。わからないですよ。できません」という意外な質問をされた。ただ、この課題は「課題という枠組み」を通じていかに生き生きとした身体がそこに出現するかを試すものだったので、まず質問の意味がわからない。意外だったので少し怒り気味で答える。怒り気味だったのは反省。ちゃんと答えるべきであった。
■このクラスはおしなべて身体がかたい。なにがそうさせるのか。驚くようなこちらを刺激する歩きを見たかったし、そのこと、「見たこともない歩き」という課題を通じて身体を使うことのよろこびを発見して欲しかったが、「課題」のなかでひどく窮屈そうだ。
■二年生の発表の稽古のことで悩む。人が集まらない。皆、主体的に関わる姿勢が感じられない。繰り返すが二年生は手強い。
■一年生の授業を終えてすぐに家に帰り少し眠ろうと思ったが眠れず、そのまま、サッカーをテレビで見る。考えてみると、昨夜の10時から眠っていない。異常である。夜、ノートを取りながら演劇書を読む。まだ眠れない。おかしい。
(1:39 Jun.8 2001)

Jun.6 「一年生の授業」

■何度か書いたが、映像・舞台芸術学科の一年生は、映像コース・舞台コース、合わせて80人ほどいる。それを4つのグループにわけ、半期、いろいろな人の授業を受けるシステムになっている。きょうから新しいグループの授業になった。Cクラス。いまは大学院に行っているHさんにストレッチの指導をしてもらう。ストレッチを終えて授業。やっぱり映像コースの何人かがでたらめで面白かった。
■むつかしいのは、たとえばこのあいだまで授業をしていたBクラスとDクラスを比べたときだ。Bクラスはほとんどの学生が、授業前、「動きやすい格好」に着替え、そういった意味ではまじめ。Dクラスは着替えない者が大半。で、実技の課題を出すとどっちが面白い発表をするかというと、やっぱりDクラスだ。むつかしい。
■この一年生の「身体表現」の授業は六回だが、この六回という回数が僕には面白い。ごく基礎的なからだを使った表現の試みを六回という限定されたなかでパックする感じがいい。少しずつやりながら発見をうながし六回で完結。この「完結」が「作品」のようなものだ。で、一年生に聞いたら、この六回のうち四回休んだべつの授業の教員がいるとの噂。噂だし、自分で確かめた情報ではないので申し訳ないが、それにしてもそんなことができる人がうらやましい。できないなあ、俺は。六回やってはじめて「作品」だから一回でも休んだら納得がいかない。納得のいかないことをするとからだの調子が悪くなる。
■午後、「舞台芸術センター」のWebを立ち上げる件で、大学のコンピュータの管理をしている部署の方たちと打ち合わせ。同席していた映像コースの教員のKさんがとても詳しく、そのおかげもあって話はスムーズに進んだ。ようやくいろいろなことがわかったのだった。で、Kさんと管理者の方の話を横で聞いていると、なぜ大学のサーバーのセキュリティが甘くなるかわかってたいへん勉強になる。なんの勉強かわからないが。あと、Kさんに相談して今後いろいろなことを試してみたくなった。
(0:31 Jun.7 2001)

Jun.5 「手強い」

■あまりぱっとしたことが書けない日々の記録である。大学のほうはいつものように過ぎてゆく。
■二年生の授業。きのうコピーした台本を配布。読み合わせ。なにをどうまちがえたか、ト書きの中に、「沈黙?」という一行があって笑った。妙子役のKがせりふをほとんど覚えていたので驚いた。主役である三浦役のOが欠席。連絡も取れないというので制作の仕事をする学生があわてる。ちょっとずつ進めてゆこう。ちょっとずつ進めるほかない。とにかく学生のためにもぜったいいい舞台にする。条件は厳しい。『月の教室』も最初はどうなるかと思ったがなんとかなった。で、今回はさらに手強い相手だ。学生である。平気で稽古に遅刻してくる。手強いぞこれは。
■帰り、上終町(かみはてちょう)・京都造形芸術大学前というバス停から5番のバスに乗る。三条河原町で降りてそのあたりで食事。本屋をのぞいたりといった気力もないまま家に歩いて戻る。
(23:54 Jun.6 2001)

Jun.4 「また京都へ」

■家を昼過ぎに出て、このあいだ『JN』でもらったタクシー券を使って東京駅まで向かう。だが、チケットが使えるタクシーがなかなか拾えない。世田谷線で環七まで出てようやく見つける。
■のぞみで京都へ。四時半には学生たちが研究室で待っているはずなので急ぐ。地下鉄とやはりタクシー。少し遅れた。それで二年生発表用の上演台本をコピー。何人かが手伝いをしたのだろうか、結局、こういうときいつも仕事をしてくれるYとHが最後の製本をしていた。労をねぎらおうと二人に東京から持ってきたスケッチブックとノートをあげた。
■途中、舞台芸術センターのHさんとセンターのWebについて少し話す。状況がまたいろいろ変わっているらしい。とりあえず、二年生の発表について告知というか宣伝用のページをどこかに作らなければと思う。
■Hが美術用の模型を作ってきた。とても熱心である。学生によってこの発表に対する距離の取り方がちがうので、そこらあたりが「授業の枠内における公演」てやつはむつかしい。その位置というか、規準が曖昧なままスタートしたのはまずいな。僕もしっかり把握していない。で、模型を見ながら美術の打ち合わせ。まだまだ考えることが山積。それにしても稽古のことを考えると憂鬱だ。授業時間の十倍は稽古しないとまとまらないだろう。そこまでするのか大学の教員というやつは。
■学校を出たのは夜の九時近く。首尾よく65番のバスに乗れた。
(1:27 Jun.5 2001)

Jun.3 「さらに台本を書く」

■一日中、台本を作る仕事。FAXで届いたI君の変更部分は台本になっていないとはいえ、発想は面白くそれをどうやって生かすか苦労する。全体を短くしようとオリジナルの『あの小説の中で集まろう』という戯曲をばっさり切ってゆく。切ったところをどうつないでゆくかでさらに悩む。
■夕方、気晴らしに自転車に乗る。経堂のはるばる亭で香麺をおみやげにしてもらって家で食べる。あまりのうまさに気が晴れる。
■深夜になってようやく書き上げた。プリントアウトしさらに読む。短くしたつもりだがやはり長い。ちっとも休めないまま、あしたの午後には東京を去らねばならない。また京都。京都の夏はきっと暑い。
(1:47 Jun.4 2001)

Jun.2 「台本を作る仕事」

■今日中に二年生の授業でやる発表用の上演台本を作ろうと昼から作業。元の台本をあらためて読み、どこをカットするか決める。I君が書いた変更部分の台本がFAXで届いたが、登場する数人のせりふをまったく割っていない台本といえない本だった。中途半端な仕事に腹を立てつつ書く。手間のかかる仕事だ。
■夕方、気晴らしに散歩。豪徳寺の山門の前の猫を見に行く。
■夜、サッカーを見てしまった。こんなことをしている時間はないはずなのだが。
■さらに台本を書く。
(4:25 Jun.3 2001)

Jun.1 「からだをやすめる」

■先日、鍼灸医の方からメールをもらった。以前、鍼が痛くて治療のある前日から憂鬱になると書いたからで、メールによれば、カレーの辛さの段階のように「鍼治療の痛み」にも段階があるとのこと。「激辛」「中辛」「マイルド」などあり、マイルドであっても、とろーんとした気分になったりするという。その方の治療を受けてみたい気がしたが、もう何日も前から予約していたのでやはり都立家政の鍼の先生のところに行った。
■やっぱり鍼は痛い。肩から首にかけて思い切り鍼を打たれた。この二週間、ずっと痛くて困っていた箇所。首が少し回るようになった。治療後、疲れがどーっと身体から溶けだすような感じになる。
■家にもどってすぐ寝る。気持ちよく眠れた。大阪のワークショップのことを考えなければいけない。桜井圭介君の「扇町ダンス教室」をいつどんな段取りでやるか決めなければいけないのだが。あと、二年生の授業で使う上演台本を書く仕事などいろいろある。だが、きょうは休む。からだを休める。
(3:38 Jun.2 2001)