May.31 「岩井克人さんにお会いする」

■午前中、一年生Bクラスの授業。よく眠ったあとなので快調。このクラスも最後なので授業のおわりに車座になって話をする。からだのことなど。なぜ、「身体表現」がたいせつか。からだを意識することの意味につていなど。
■午後、少し寝てからのぞみで東京へ。『JN』という雑誌で、東大の教授で経済学者の岩井克人さんと対談をするからだ。怖い人なんじゃないか、ばかなことを口にして怒られないかなど不安を抱えつつ岩井さんの本を読んで東京まで。それにしても岩井さんの本は面白い。なんという面白さだ。もちろんのぞみは速いが、それ以上に岩井さんの本を読んでいたらあっというまの京都・東京間である。
■久しぶりの東京。
■東京駅に接しているといえばいいか、中にあるといっていいのか、対談の場所に指定された東京ステーションホテルは東京駅のすぐそこ。少し早めに着くと編集者のTさんたちがもういらした。しばらくして岩井さんがやってこられ、食事をしつつ対談。面白かった。いろなことを教えられたのはもちろんだが、難しい経済の話をおだやかな語り口で話してくれる。元々、ファンだったが、いっそうファンになる。僕のほうの話と言えば演劇のことになってしまうので、演劇の話に合わせていただいて恐縮する。で、「60年代のアングラ演劇は、前近代的なからだを求める知識人の運動じゃなかったかと思うんですよ」と言うと、岩井さんはこうおっしゃった。
■「そうです。知識人の身体論ほどつまらないものはありません」
■岩井さんはイギリスの演劇に詳しいしモンティパイソンもお好きだとのこと。家でシリーウォークの真似もするらしい。
■帰り、タクシー券をもらったので豪徳寺までタクシーに乗ったが、よく見るとそのチケットが使えないタクシーだ。なにも考えずに乗ってしまった。まあ、いいか。タクシーから見る久しぶりの東京。国会議事堂が見え、赤坂の立体交差から向こうに見える青山通り。さらに渋谷。こうしてしばらく離れていると東京も捨てたもんじゃないと思う。
(14:59 Jun.1 2001)

May.30 「やめないでくださいよの無限の連鎖」

■午前中は大学の授業。一年生はぐるぐるいろいろな人の授業を受けることになっておりDクラスの最後の授業だった。終わってから、映像コースのY君、Mさん、M君、舞台コースのM君らと少し話しをする。Y君、「来年も先生の授業とりますから、学校、やめないでくださいよ」と言う。「やめないよ」と答えたが、すると「やめないでくださいよの無限の連鎖」が起こる可能性があるのではないか。つまり一生、やめられなくなったらどうすればいいのだ。
■夜、大阪に行きワークショップ。
■「歩く」をテーマにいろいろやってみる。「町で見つけた歩きの再現」はいろいろ出て面白かった。ただ、「そこで起こっている目に入りやすい出来事」ばかり見ている者も少しいる。人が見ないなにかをどう発見できるかなのだが。「面白い人はいない。人の面白さはある」ということ。少しずつ緊張もほぐれいい感じになってきた。
■帰り、また梅田まで歩き阪急を使って四条烏丸まで。いつもの京都のメンバーたちと一緒だが、立命館のH君の家は寺だと発覚。H君はなにか質問するとき、「あのねー」とまず入ってくるのが面白い。家に帰ったらすぐ眠る。あしたも授業だ。時間がない。
(14:33 Jun.1 2001)

May.29 「命がけの毎日」

■日記を更新する時間がない。それでも書いているのは、たまるとあとでさらにやっかいだし、このままだとすごく先まで書けそうにないからだ。
■朝二年生の授業。発表へむけてそれぞれの仕事が進行。終わって他学科の学生数人がが授業の課題だとのことで取材に来る。取材してそれを発表するそうだ。
■家に帰って少し眠る。
■木曜日にある岩井克人さんとの対談のために資料を読む。うまく対談になるか不安である。未読の本をちゃんと読んでいないし。読みつつ質問したいこと、きになったことなどメモ。それでも不安である。大丈夫なのか。
■あしたの授業のことを考える。眠れなくなってきた。でこの日記を書く。眠らなくてはいけないのだ。
(1:54 May.30 2001)

May.28 「さらに原稿を書く」

■一日、ずっと原稿を書いていた。ユリイカの「野田秀樹特集」のために15枚書く。『パンドラの鐘』という野田戯曲を読んで細かく分析。いろいろなことがわかって面白い。少しずつメモを取り、あとは一気に書き上げた。書き上がったときにはもう夜になっていた。へとへと。
■ユリイカの編集者は印刷所に入っている。で、そちらにメールで送るようにとのことなので教えられたアドレスに送信したが、「Returned mail:Host unknown」だと返ってきた。どうしたことだ。青土社に電話し印刷所の連絡先を教えてもらう。なんとか編集者のYさんにつながったので、べつのアドレスを伝えてもらってそちらに送信。ほんとに届いたか不安だが今度は戻っていないから大丈夫だったのだろう。メールは便利だがこういうことがあると疲れるよ。
■二日で三本原稿を書いた。もうそれだけの日々。観光どころではない。休めない。
(22:53 May.28 2001)

May.27 「茫然とする」

■原稿を書く一日。まず、共同通信から頼まれた書評。別役さんの『さんずいづくし』。さらに三田文学の「私の古典」という原稿。で、ユリイカの「野田秀樹特集」への寄稿。確認したら、ユリイカの原稿はもう締め切りが過ぎている。
■深夜、ユリイカの編集者からメール。きょうから印刷所に入るとのこと。プレッシャーだ。その原稿が書けない。
■あと、「Spotting」という雑誌の原稿があるがこれは六月上旬までとなっている。といってももうすぐではないか。さらに、二年生の発表のための上演台本を作らなければいけないのだった。それで昼間、スケジュールを整理しようと表を作ってみたが、今週は狂ったような忙しさだ。表を見ながら茫然とする。
(2:23 May.28 2001)

May.26 「一日、ほぼ家にいる」

■23日にトリイホールでやった、「ラボ20」のとき、チラシ類に挟み込まれていた「ST通信28号続報」に、監修者の丹野さんと桜井圭介君の対談があった。これが面白い。「ラボ20」は、これまで9回やっているとのことで、毎回、あるアーティストが出演者をオーディション形式で選ぶ。その選考基準について語った丹野さんの言葉。
■「あと、『自分探し』というかダンスを『駆け込み寺』にしているようなのは避けたと思う」
■これほんとによくわかるな。演劇にもぜったいある。幸いにも、僕のところには「自分探し」や「駆け込み寺」として来る人がまずいない。たまには来て欲しいと思うくらいそんなやつは寄りつかない。なぜなんだ。
■それから桜井君の発言で、「でも、踊りたいことが頭のなかになにもないから苦労しているんだと思う、いまの子供たちはね」は示唆的だし、からだに線を描く呪術的なダンスを見せてくれた天野由起子さんについて、「意外とディープなんだっていうことが分かった。ドロドロしてる。自分をデザインするという感じはないんだよ。でもポップに見える。ま、『天然』っていうことだよね」は、そうそう、それ、って感じだ。「ポップに見える」を「いまのからだ」と置き換えてもいいと思うけど、やろうとしていることの呪術性というか、ラテンアメリカ文学にあるような魔術的リアリズムなダンスとは裏腹な、その身体のもつ「いま」こそ不思議で、しかし、「魔術的リアリズム」なものと言えば、寺山修司になってしまうのにならないところが驚かされる。そうか、こういうことも可能なのか。いや、もしかすると、天野さんはそれを欲しているのかもしれない。そのようなからだ。呪術的なからだ。
■そんなことを書いている途中でメールチェックしたら天野さんからメール。しまった。感想を送ろうと思っていたのに先を越された。ほかにもうれしいメール。ここんとこどうも妙な宣伝のメールが多いのは気になる。外国からやけに届く。なんのつもりだ。
■肩から背中にかけて痛いと、一日中、苦しむ。本を買いにゆこうと思ったが、痛みのせいで出かけるのもおっくうになり、ほとんど家にいた。まあ、そういう日もあるな。
(1:29 May.27 2001)

May.25 「ワークショップ」

■午前中、朝日の原稿を書きあげる。少し疲れたので、夕方から大阪で開くワークショップのために眠ることにした。五時間ほど眠りワークショップの準備をするが、中途半端。シャワーを浴びて眠気を覚ますと出かける。
■扇町ミュージアムスクエア(以下、OMS)の屋上にあるテントの稽古場。受講者が21人。観察者が9人。声が届かないので大きな声を出さなくてはいけない。で、OMSの会議室というところで少し講義をしたわけだが、なにしろ狭い。そこに30人がぎっちりつまって話をする。なにやら奇妙な状態である。ビデオを使ったりなどしてほんとは10時間分ぐらいある話を一時間にはしょってやったので、理解してもらえたかは疑問だ。
■で、あらためてテントの稽古場に戻り、まずは、「見る」と「歩く」ということからはじめる。次回までの課題は町に出て、「歩いている人をよく見て気になった人の歩きを再現する」だ。
■当然のことだが参加者はまだ緊張気味。課題を出すと、「課題をこなすのに精一杯」とでもいった硬さがあり、これを徐々にほぐしてゆこうと思うのだが。
■よく、大阪を中心にした関西と、東京を中心にした関東ではなにか異なるか質問されるが、あまり気になったことがない。まあ、しいて言えば、「ゆがむ」を関西の人が、「いがむ」と口にするのが気になるくらい。こうしてワークショップをやってもやっぱり池袋やその他いろいろなところでやったときと、参加者に変わりはないのだ。
■帰り、阪急の梅田駅まで歩く。金曜日の夜はすごい数の人。しかもみんな関西弁。あたりまえだけど。
(15:27 May.27 2001)

May.24 「ゆっくりできないのはなぜなのか」

■ある人から、「京都にずっといると、東京でいまなにが起こっているか気になりませんか?」と言われたことがある。べつに気にならない。気にならないのも不思議だが、東京の人混みがやけに懐かしく思えることはたしかにあり、京都を歩くのとはまたべつの面白さが東京にはあるものの、「いま」という意味での「東京」は気にならない。
■一年生の授業を終えると今週も一段落。
■授業を終えて、研究室にいったん立ち寄ると、すぐに帰ることにしたのは寝不足もあってひどく疲れていたからだ。しっかり眠らなければと思う。
■少し寝てから原稿を書くもあまり進まず。朝日のKさんからメールで催促があった。申し訳ない。やっぱり朝日のってことになるが、『一冊の本』のOさんからもメールがあり、単行本の仕事も進めなければいけないのを忘れていた。『一冊の本』で連載している横光利一の『機械』を読み続ける奇妙な文章は、もう三年以上続いている。約半分まで読んだ。読み終わるのに、あと二年か、三年はかかる。松浦寿輝さんがいつも読んでくれているとOさんのメールにあった。「この連載、まとまる時には一つの事件でしょうね」ともあり、世間はこの奇妙な作品をどんなふうに読んでくれるのかそれは楽しみだ。
■やらなければいけないことがまだあるな。ワークショップの準備や、ほかにもいくつか。『月の教室』が終わって少しはゆっくりできるかと思ったが、ちっともゆっくりできないのはいったいなぜだ。
(3:03 May.25 2001)

May.23 「ハッピーという名前の喫茶店があった」

■京都は朝から雨だった。
■一年生の授業を終え、午後、やはり早く家に戻って昼寝。夕方、家を出て大阪へ。
■トリイホールでラボ20というダンスの公演を観る。何人かのダンサーたちを集め、丹野賢一さんが監修した舞台。早く大阪に着いてしまったのでトリイホールの場所を確認してからどこか休める場所はないかと喫茶店を探す。あまり落ち着けそうな店はない。しばらく歩くと、奇妙な商店街というかアーケード街があった。喫茶店を見つける。店の名前は「ハッピー」だ。トイレは二階だというので階段を上がるとポーカーゲームが並んでいた。一階はごくふつうの喫茶店なのに二階はかなり怪しい。
■時間になったのでトリイホールへ。
■二週間ほど前にもらった小浜からのメールではチケットの売り上げが0枚とのことだったが、かなりの盛況。これまで三度ここでダンスを見た。こんなに入っているのははじめて。大学で一緒に教えている岩下徹さんもいらしたし、東京から桜井圭介君、うちの大学の学生たち、こんど大阪でやるワークショップの受講者らが来ていた。
■いろいろなダンスが観られてかなり面白い公演だった。終わったあと、出演していた天野由紀子さんに感想を求められたがうまく言葉にならないのが申し訳ない。ちゃんとした感想をメールで送ろう。小浜も面白かったが、かなりばかなことをやっていたなあ。指だけのダンスなど面白いしシャープなものを感じるが、「物」を使うとどうも仮装大賞じみるのはいかがなものか。
■終わってからホールのなかで軽い打ち上げがある。少し話をすると、京都に戻らなくてはいけない時間にすぐなった。学生やワークショップを受講してくれるYさんやH君が京阪電車を使うというので一緒に乗った。京阪三条に着いたのは12時過ぎ。そこから三条をずっと歩く。もう午前一時になろうとしていた。
■あしたも授業だ。早く眠らなければいけない。
(23:26 May.24 2001)

May.22 「二時間ほどの昼寝」

■朝七時起床。九時から二年生の授業。俳優陣がストレッチをしているあいだに、美術や、I君が書いてきた台本について打ち合わせ。あとは稽古のスタイルで授業の進行。細かく進める。ちょっとずつの稽古は時間がかかる。まだ出番の場所まで行かない者らはただ待っている。授業で待たせるのは申し訳ないような気もするが、俳優は待つものだということを知るのもいいのではないか。細かく稽古していると三時間なんてあっというまだ。
■学生企画を演出したK君は、今回、映像班チーフの仕事を振ったが、美術を担当するHらと連携してなにか面白いことができそうだ。先週、欠席した学生の代役で稽古に参加してくれたのを見ていたら役者としても面白い。映像班チーフだけじゃもったいないような気がしてきた。そのK君からこの作品はどういったテーマなのですかと質問。テーマを言葉にするのは難しいが、なぜ『あの小説の中で集まろう』という作品を書こうと思ったかそのときのことを話す。
■朝日の原稿を書かねばと思いつつも、午後、家に戻ると断固として寝る。二時間ほどの昼寝。たいてい授業のあとは昼寝する。その心地よさ。それにしても書くことが思い浮かばない。金曜日からワークショップがはじまるのでその準備もしなくてはならないし、やるべきこと山積。
(20:34 May.24 2001)

May.21 「なにか見つけようと歩いたがただ買い物をして終わる」

■二年生で、僕の授業を受けているYからFAXが届いた。今後の授業について学生が自主的に考えた方針がまとめられている。美術案、あるいはI君が書いた台本の直しの部分。着々と進行している。頼もしいというか、ほんとうに助けられる。
■朝日の連載の締め切りはあしただ。あしたは授業があるので今日中にまとめようとしたが、なにを書くか思いつかない。こういうときは町を歩くに限る。寺町までゆき、このさいだから新しいGパンを買おうと店に入ると、監獄のような試着室のある店だった。
■Gパンを買っただけの散歩になってしまった。
■なにも浮かばない。書くことが思いつかない。それで授業の準備と思って戯曲を読み返す。三年ほど前に世田谷のシアタートラムで上演した『あの小説の中で集まろう』だ。どこをどうやって短くするか。このあいだビデオを見返したら、ビデオだと意外に短く感じられるものの、いや、まだ省略することのできる部分があるのではないか。むつかしい。
■あした授業なので早く眠ろうとするが、また深夜まで起きていた。風呂に入ったあと身体をほぐすストレッチ。というのも、風呂に入ると身体は温まり一時的にコリはほぐれるが、そのままにしておくとすぐ冷える。入る前より硬くなる。先週はそれでひどい目にあった。肩がこり、背中の筋が異常な痛み。歯は痛くなるしと散々だった。
■原稿は書けない。
(22:43 May.22 2001)

May.20 「夏」

■京都の気温は30度。
■歯痛で一日、調子が出ない。
■昼間、ようやく『JN』の原稿を書きあげる。それまで睡眠不足で眠かったが、書き上げメールで送信すると途端に目が醒める。いいかげんなものだな、人間は。いいかげんに作られている。
■外に出るともわっとした熱い空気に身体が包まれるような感覚。Tシャツだけでもう平気だ。近所に、「繭」という町屋を改造して作られた空間がある。洋服屋だの、カフェだのあって、カフェでアイスコーヒーを飲んだ。冷たいアイスコーヒーのせいか身体が冷える。店を出てまた歩く。御池通りを越え、押小路から、二条のあたりまで散策。このへんは歩いたことがなかった。知らない場所を歩く。通りの先に二条城が見える。
■今度の水曜日に大阪のトリイホールでラボ20というダンスの公演があり、僕の舞台によく出る小浜や天野由紀子さんが出演する。天野さんからそのことを報せるメールがあった。もうずいぶん前にもメールをもらっており返事を書かなくては思っているうちに半年近くたっているのではないか。で、少し前に小浜からもラボ20のことでメールをもらい、その時点でチケットの予約がまだ0枚だとあった。学生たちにぜひとも見るようにと声を掛けたがべつに予約が0枚だからというわけではない。単純に見せたかったからだ。
■今週は二度大阪に行く。トリイホールと、ワークショップで扇町へ。こんな生活になるとはまったく予想していなかった。
(17:12 May.21 2001)

May.19 「休めない」

■昼間、食事をしようと思ってぶらぶら歩き、いつのまにか寺町通りに出ていた。近くで食事をすませるとそのまま本屋へ。そのあいだ小説のことを考えていたが、なんというのでしょう、かーっと沸き上がってくるような小説を書く意欲のようなものが出現しないまま、本屋の棚を見、読みたい本はいっぱいあるのに棚に手が伸びず、どうも調子が出なくて、それはなにも、歯が痛いせいばかりではないだろう。ちょっとした鬱である。
■このあいだ、袋井まで『月の教室』を観に来てくれた文學界のOさんからプレッシャーをかけられたが、その前に約束している新潮に五百枚の長編を渡さなければいけない。だめだなあ。忙しいとか、時間がないとかってそれだけの問題じゃないね、こうなると。
■『JN』の原稿が書けない。『資本論を読む』という連載。毎回、どこまで読んだかよくわからなくなるので、もう一度、頭から読む。この不合理さはただごとではないが、そうでもしないと把握できないのだった。そんなことをしていて、「商品」の項をなかなか脱出できない。このあと六月の上旬まで原稿の締切がいくつもある。一難去ってまた一難。仕事、引き受けすぎ。
(4:03 May.20 2001)

May.18 「扇町へ」

■『JN』の原稿を書いていたがどうも書けず、大阪にゆく時間になってしまった。といってもべつに遊びにゆくわけではなく仕事。ワークショップの打ち合わせだ。
■扇町ミュージアムスクエアのある建物の屋上にある稽古場。すごい場所だった。テント張りの大きな空間。いったい何のために作られた場所なのかよくわからなかった。いまは稽古場に使われているらしいが、広くて天井も高く、声が届かないのが不安。夏は暑いという。外の音も響く。ただなんとなく面白い。面白い場所だ。『月の教室』で演出助手をしてくれたT君はいまは東京にいるが、元々関西出身でこっちで芝居をやっていたという。そのころ稽古に使ったという。こういう場所で稽古をしていると必然的に声を張るんだろうなあ。大きな声で叫ぶような芝居をやるんだろうなあと思ったのだった。
■大阪で劇団をやっている奈良在住のS君、扇町ミュージアムスクエアの手伝いをしているYさん。京大生のKさんが参加して、今後のワークショップについてもろもろ細かい打ち合わせ。
■三人には今後、ヘルパーという役目をやってらうが、雑事がいろいろあって迷惑をかけそうだ。結局、参加者が21名。観察者が7名。さらに、どうしても見学したいという人には、「招待見学者」という制度を思いつき、無料で来てもらうことにしようと思うが、「招待」だけに誰でもというわけにはいかないだろう。もちろん、積極的に「招待」したい人もいるのだが。
■参加者のなかに和歌山県の人がいる。10時に大阪を出ないと最終に間に合わないとのこと。それでも参加しようと思った熱意に感謝する。
■そういえば、いま僕の大学の授業に来ている京都精華大学のSさんはワークショップに参加したかったらしいが、参加費が高いと文句を言っていた。僕が池袋コミュニティカレッジや、演劇ぶっくでやっているワークショップに比べたら、時間も多く、ずっと格安だと思うのだが。だいたい大学の授業をただで受講していてなにを言っているのだ。学生の中から不満がちらほら。難しい問題。学びたいという意志はわかるが、他の学生から見れば、高い授業料を払ってる者の目から見れば、不満が出るのもいたしかたない。
■打ち合わせで細かいことの確認がいくつかできた。
■そのあと人と会い、食事。
■大阪を出たのは11時近くなっていた。扇町から地下鉄に乗り阪急の淡路まで出、そこから快速急行に乗って四条烏丸まで。あとは歩き。一時間ぐらいで家に到着。電車は空いており帰ってくるのは楽だった。
(12:34 May.19 2001)

May.17 「原稿が書けない」

■週に三日の授業を終えると晴れ晴れとした気分になったが、べつに授業するのがいやだというのではなく、無事にやった、俺はやった、休講もせず、遅刻もせずにやったとほっとしたからだ。
■きのうに引き続き一年生の授業。
■授業の途中、音の検査をする方が来た。というのもきのう観世さんに怒られたように、実習室相互の音が壁ごしに届いてしまうからで、その程度を調べるチェックだろう。どうやら、排気口を伝って音が響くらしい。前回、隣でビデオを見ているとこちらのわめくような声が響いたそうで申し訳ない次第である。
■このところ、65番のバスに乗れない。曲がり角の向こうで待っているはずなのだが、待っていてくれなくなった。家に帰ってすぐに原稿を書く。『一冊の本』を書き上げ、『JN』の仕事に取りかかる。あと「広告批評」からアンケートの依頼があり、記憶に残っているCMを何本か選ばなくてはいけない。参考資料に一九五七年からのCMが年ごとに紹介されている。あったなあこんなCMとか思い出しながらつい夢中になって見る。ビデオで送ってくれればと思った。
■原稿、煮詰まる。気分を変えようと、夜、家の周辺を散歩。近くに夜遅くまでやっているカフェがふたつあるのを発見した。御池通りを上がったところに一軒、堀川通りの方向へ少し行った通りに一軒。べつにカフェ好きというわけではないが、酒が飲めない者としては夜行ける店があるのはうれしい。
■家に戻ると、『JN』のTさんからFAX。Tさんは袋井にも来てくれた。お礼のメールを書こうと思っているうちに原稿の締め切りをとうに過ぎ、申し訳なくて出せずじまいだ。というか、ほとんどメールに返事を書いていなくて申し訳ないのだが。
(3:39 May.18 2001)

May.16 「Studio21のことなど」

■映像舞台芸術学科は、名前の通り、映像コースと舞台コースがある。で、一年時の半期はどちらも同じ授業を受ける必修科目がいくつかあり、僕の「身体表現」も映像コースの学生が受講している。で、たとえば「自分の好きなテキストを読む」という課題を与えたとき、映像コースの何人かがすごくいいので驚かされる。僕が好きな種類の「読み」というだけのことだろうか。映像コースの一年生のMは学内の芝生の生えた坂を走ったり転げたりしながらミヒャエル・エンデの『サーカス物語』を読んだ。これに驚く。演出の過剰さは多少気になるにしても、なんていうのでしょう、表現力の豊かさというか、彼女の持っている内面の魅力とでもいうか、茫然とするようなよさだった。ほかにも、映像コースのM君はいつも考えることが面白い。
■途中、発表のためにテープを大音量で流した学生がおり、隣の実習室で授業していた観世栄夫さんに怒られた。しかも、部屋の明かりを消し真っ暗な状態。ドアが開くと、更衣室の明かりが差し込み、観世さんがシルエットで登場。「なにやってるんだ」と一喝。またすごいものを見せていただいた。学生にとっても、僕にとっても、ほんとうに贅沢な授業である。
■授業を終えたあと、また数人の学生と外で立ち話。もっと長い期間、この授業を受けたいと言われてうれしくなったが、「俺はもうきみたちには会いたくないね」と冗談で返す。
■午後、二年生の授業における発表について学科長の太田さんに相談。学内にある劇場、Studio21のスケジュールがかなり厳しい。いい空間なのでみんなが使いたいのは当然だ。Studio21は常になにかをやっているという実績が生まれ、ふつふつ沸きたてばいいと思う。たしかに、「教室」という性格もあるので難しいが、うまく展開してゆけば、映像舞台芸術学科ばかりか、他学科の学生というか、外部からも人が集まってくるような、活気のある場所になるはずだ。
■しかし寝不足。四時過ぎに学校を出る頃にはもうふらふらだった。65番のバスは来ない。『一冊の本』と、『JN』の原稿が書けない。
(23:30 May.17 2001)

May.15 「一日中、働く」

■先日、京都アンデパンダンの地下にあるカフェでやった土田英生君とのトークライブのレポートができていた。興味深く読む。
■それにしても、「はじめにきよし」さんたちはよかったなあ。以前お会いしたときCDをもらったが、CDより圧倒的にライブがよかった。いい意味でのノイズがCDでは消えてしまうからだろう。音楽に限らず、あらゆる表現にそうした現象がある気がして、ノイズがあるからこそ奥行きが出現するのではないか。
■朝から二年生の授業。発表までの遠い道のり。『あの小説の中で集まろう』という僕の戯曲を元に上演台本を作るのが今月の目標。元の戯曲では「男」という登場人物がいるが、それを数人の男女によって表現しようと試みる。で、演じる者らと「男」を「数人の男女」にどうやって置き換えるかで相談。相談しているあいだ。すでに配役が決まっている者らは戯曲の読み合わせや、軽い立ち稽古を自主的にやる。それを見ようと思っているうち、しかし、スタッフの役割を与えられた者らもフォローしなければとそちらも打ち合わせ。そうこうしているうちにもう時間がなくなっていた。
■三時間の授業はあっというまである。
■だが、ひどく疲れる。この疲れがなにかよくわからない。あと、今後、授業の時間以外に稽古をしてゆこうという計画を構想しており、その際、舞台芸術学科関係の午後の授業は、稽古に出れば出席扱いにするという案があったわけだが、べつに単位がほしくて午後の授業に出るわけではなく、学びたいから出ているのだと学生から指摘された件。そのことに思い至らなかったことを反省した。それはそうだ。まったくそのとうりだ。
■夕方から学内にある劇場、「春秋座」で音響チェックをするというので、舞台に二年生の何人かを立たせ授業で使っている戯曲の一部分をやってみる。つまり、「人の声」がこの劇場でどのように聴こえるかという実験。そのため昼からずっと学校にいて時間をつぶした。京都精華大学の学生で、特別に僕の授業に出席しているSさんや、二年生のYやHが研究室に来、主に、Sさんの質問に答えているうちに四時過ぎになった。演劇のことばかり考えている。あたりまえだが。
■帰り、65番のバスは来なかった。
■朝から大学にいて夕方帰ってくる。ふつうに働いていれば、こういうペースで一日が過ぎてゆくのだろう。
(1:00 May.16 2001)

May.14 「私いま波に乗ってる、と女は言った」

■注文していた棚が届いた。床に散乱している本を並べると仕事に使っている空間がようやく部屋らしくなった。
■棚の上にスピーカーを乗せたが、ケーブルが短くて具合が悪い。寺町の電気街まで買いにゆく。はじめ、ちょっとそこまでそばを食べにゆくつもりだったが、店が閉まっており、それで思い切って寺町まで歩くことにした。近いとはいっても距離はある。歩いた。また歩いてしまった。途中、自転車に二人乗りしていた女が、「私いま、波に乗ってる」とうしろに乗った男に言い、それだけが耳に入る。いったいどんな「波」なのか気になってしょうがない。
■ケーブルを買うついでにコンピュータショップに寄り、Happy Hacking KeyboradのUSB版を買う。研究室のMacに繋ぐつもりだ。そろそろ舞台芸術センターのWebを作らなくてはいけないのではないか。そのための準備。そういえば、以前、学内のWebを作っている部署の方にお会いしたとき、大学のサーバはどこにあるのでしょうと、技術的な意味で質問した。IPアドレスとかFTPでアクセスするにはどうしたらいいのかといったことを教えてもらえると思ったが、「隣の部屋にあります」と言われ、あれも考えると面白い状況だった。隣の部屋に入って、あるある、サーバ用のコンピュータがここにあると確認してもしょうがないからなあ。
■部屋を片づけると、原稿依頼のFAXがいくつも届いていることに気がついた。『月の教室』が終わるまで落ち着かなかったのでいろいろ忘れている。メールでも何本か依頼を受けており、まずいなあと思いつつ、原稿も書かなければいけない。書かなければいけないと言えば、何通ももらった『月の教室』の感想のメールに返事を送っていない。感想はとてもうれしかった。ほんとうに申し訳ない。
■昼間は閉まっていたそば屋に夜になってからあらためてゆく。うまかった。それで近所を散歩。来たことのない道をゆっくり歩く楽しみ。夜の京都は暗い。
(0:13 May.15 2001)

May.13 「休日」

■京都は暑い一日。
■なにもないまま、ぼんやりしたのはほぼ二ヶ月ぶりではないか。ゆっくり睡眠。目が醒めて外に出、町をぶらぶらする。三条烏丸の新風館というショッピングモールでは中庭になっている広い空間でスケートボードの大会が開かれていた。スケートボーダーたちはそれぞれどこかのチームに所属しているらしく競技者紹介のコールでそのことが解説される。なかに「ニックネームは少佐」という競技者がおり同じチームに「大佐」もいると紹介されていたので笑った。研究室用にと思い、ブリキ製の灰皿をヴィレッジヴァンガードで買う。ごくシンプルでチープな感じがよろしい。
■日差しを避けて寺町通りまで歩く。そのまま御池通りを渡り、寺町二条にある三月書房で買い物。考えてみればこの二ヶ月、のんびり本屋ものぞけなかった。たとえ時間があっても気持ちに余裕がないとだめだな。本屋はなにか目的があって目的のために立ち寄るような場所ではない。そういえば、京都の府立だったか市立だかの図書館がオープンしたのだった。時間があったらのぞいてみよう。
■夕方近く、ほんやら洞で食事をすることにした。関西での初のワークショップの試み、「World Technique」のチラシはもう店のどこにもない。壁に貼ったチラシはあった。ちなみに、申し込み締め切りは14日必着ということになっているが、人があまり集まっていないので、しばらくは大丈夫とのこと。PAPERSでも大々的に宣伝するはずだったが忙しくてできなかった。しかもまだ、『月の教室』の告知があるし。
■『月の教室』の劇中歌をつい口ずさんでいる。やっぱりあれは、あの高校生たちがいたから成立したものだろう。そうとしか考えられない。ワークショップをやっているとき、高校生たちがいきなり歌い出したのだった。それはどこにでもいる高校生の「ごくごくリアルな歌」だった。それと同じものが舞台に出現したからこそ、劇のなかに歌が存在することが許され、僕自身も抵抗がなかったのだと思う。今後、僕の舞台にまず歌は出てこないだろう。なにかがあればだな。あの袋井市の人たちとの出会いのようなものがあればわからないのだが。
■夜、家の近くの立体駐車場の三階に、昇降装置の不具合で取り残された人がいると消防車出動。付近は騒然とする。このあたりの町、オフィス街だとばかり思っていたが意外に住人の数が多い。住人たちわさわさと集まる。僕もその一人。
■のんびりとした一日。久しぶりの休日。
(0:10 May.14 2001)

May.12 「京都その観光と生活、再開」

■ふと気がつくと、白髪が増えている。鏡を見なくても目の前にある髪に白いものがあって、どうしてしまったのかと思う。
■『月の教室』が終わってもう一週間になろうとしている。たいてい、舞台が終わるとぼんやりとした日々が少なくても二,三日は続き、心地よい日々とゆったりした時間を持てるはずだが、状況はそうさせてくれない。慌ただしい日々だった。
■翌日には京都に戻った。次の日の二年生の授業の準備。授業を通じて、七月に作品の発表をすることになっている。ただごとではないスケジュール。稽古と平行して五月中に上演台本を作り、それからはひたすら稽古だろう。8日の授業、役を振った学生たちは本の読み合わせ。スタッフとして関わる学生たちと、上演を予定している学内のスタジオ21に入っていろいろ調べる。それから早速、立ち稽古をしていくつかの指示。その段階で、僕の方法のあらましを学生に話す。なんとなくいい感じである。いい感じで発表までいけそうな勇気がわいてきたのだった。
■授業も大変だが、両親が京都に来たのでその世話をするのも大変。食事に連れていったり観光したり。べつの日、朝、やけに早い時間に僕の住んでいる部屋にやってくるので、朝から伏見稲荷へ。清水、南禅寺とまわってもうへとへとだ。
■10日、朝から授業のあと、両親を連れてやはり観光。その後、宿泊している旅館で一緒に食事をしたが、鴨川べりにはりだした「床」での食事は最高の気分だったものの、食事を終えると急いで三条河原町までタクシーを飛ばし、少し歩いて、京都アートコンプレックスへゆく。地下にある、カフェ・アンデパンダンで土田英生君とトークライブ。すごく楽しかったし、「はじめにきよし」という二人組のバンドの演奏はとてもよかった。うちの大学の学生も多数見に来てくれてうれしかった。終わってから、学生や扇町ミュージアムスクエアでやるワークショップの手伝いをしてくれている人たちと話しをしているうちにもう深夜だ。なんという一日だ。「授業」「観光」「親孝行」「トークライブ」と働き者ではないかおれは。
■11日は新入生を歓迎する学科主催のコンパがある。学生たちの質問にいろいろ答えるが、まわりがにぎやかなので、大きな声で話さなくてはいけない。またへとへとだ。
■そんなわけで、「京都その観光と生活」が書けなかった。両親も帰り、連休明けの授業も一段落した。ようやく落ち着いた時間が持てる。
(3:27 May.13 2001)