京都その観光と生活は、しばらくお休みです。「世田谷日記」になるのではなく、また新たなページが生まれました。「月の教室通信」です。5月5日・6日の公演までの限定ページ。しばらくのあいだ、そちらをごらんください。




Mar.19 「片づけと準備」

■いよいよ京都をいったん離れ、袋井の舞台、『月の教室』に向けての準備に入らねばならないのだった。二週間ほど袋井。そのあと東京に戻り、4月6日には京都造形芸術大学・舞台芸術研究センターを開くにあたって、それを広く知らしめるための記者会見がシアターXである。また資料などを箱に詰めて宅急便で送る作業。このところ片づけばかりしている。
■『月の教室』の台本が進まない。小説も書けないと落ちこみつつ、『JN(実業の日本)』の、『資本論を読む』の連載原稿を苦しみながら書いた。さらに朝日の連載。朝日の連載はあと二回ぐらいのはずだ。4月からは月にいっぺんの連載になるが、タイトルを決めなくてはいけない。
■一週間の滞在だったが部屋が散らかる。掃除もして行かねばならないし、買い忘れたものもいくつかある。今週はやけに忙しい。なにをしていたんだ。あまり京都を歩けなかった。四月も忙しいので、京都の春を楽しめないのではないか。
(2:55 Mar.19 2001)

Mar.18 「大阪へ」

■大阪にゆく。
■とてもあたたかい。ジャンパーがいらなかった。
■関西でワークショップをやる手がかりとして、呼びかけに応じてくれた人たちと大阪の施設をいろいろ見学する。「芸術創造館」「プラネットホール」「青少年館」など、大阪で芝居をやっている人たちはそうした場所を稽古場に使っているらしい。東京も似たようなもので、最近、僕のところは、セゾンの稽古場(これは無料)、世田谷パブリックシアターの稽古場をはじめ有料のところを使うのは、稽古のときから仮舞台を組むからだが、かつては公共の施設を使って稽古し、その日その日、稽古場を渡り歩く流れ者の生活だった。ちょっと懐かしい気分になる。東京とちがうのは、プラネットホールなど、小さな劇団や集団がそこに集中し奇妙な熱気を感じるところだ。こうした場は東京にはないのではないか。
■いろいろまわって面白かった。そのあいだビデオを撮影。動画は撮れていたが、家に戻って調べるとなぜか静止画が記録されていない。失敗した。面白い絵もあったはずなのだ。途中、大阪城の近くにある、「難波宮跡(なにわのみやあと)」という広大でなにもない場所に立ち寄った。歴史の教科書的に大化改新のあとの都と理解できてもこんな場所があるなんてまったく知らず、だいたい、「なにわのみやあと」という名前がすごいじゃないか。
■いろいろまわって最後は心斎橋のアメリカ村にある、TANK GALLERYという店で参加者たちと話をする。アメリカ村には怪しいアフリカ系アメリカ人が多い。原宿と六本木がひとつになったような印象。というか、まあセンター街。何年も前に来たときとも印象が異なる。たこ焼き屋の前には行列。アメリカ村なのになぜそんなにたこ焼きが食べたいかよくわからない。
■また歩いてしまった。帰り、ひとりJRで京都に戻ったのは、京都駅のコインロッカーに上着をいれてあるからだ。京都駅まで来たところで、暑いと判断して脱いだのだった。京都駅から地下鉄。烏丸三条の新風館というショッピングモールでは、もんたよしのりがダンシングオールナイトを歌っていた。興味がないのですぐに外に出たら、近くの中年の女性がおそらく新風館の関係者だろう人にうるさいとクレーム。それが面白い。家に戻ってきょう撮ったビデオを見る。見ているうちに眠くなった。さすがに疲れた。
■きのうのノートは下に。
(4:05 Mar.19 2001)

Mar.17 「会議といろいろ」

■いろいろあって、久しぶりにアップできぬまま一日が過ぎる。
■午後から学科会議。映像・舞台芸術学科のほとんどの教員が集まった。
■会議のあと、夕方から全員で食事にゆく。白川通りを北に少し歩き、細い道を右手に入った場所にある店。食べるものがすごくおいしい。畳敷きの部屋で、こうした食事会というか、親睦会というか、飲み会をやるとき、ひとつの席からまったく動かない人と、常に移動している人がいるのは面白い。僕は動かない。いったん落ち着くと動くのが面倒になる。周辺にいる人が変わってゆきいろいろなことを話した。映画の話をやけにしたような気がする。
■北白川から電車を乗り継いで帰ってきた。
■京阪三条の駅から三条大橋を渡る。夜の鴨川はすごくいいけれど、土曜日のせいか、川にも、橋の上にも、若い者らの姿が多く、大声でなにか叫んだりし、なぜああいうことを若いとしてしまうのかと思う。よく「子どもはばか」という話を書いて、「なぜか走ってしまう」とか「息を止めると心臓も止まると思っている」とかあげたが、若い者の、「集団になると大声をあげる」とか「すぐ上半身裸になる」も同じような種類のものだろう。結局、「子ども」の身体が大きくなっただけではないか。僕もあまり変わらないが。
(1:55 Mar.19 2001)

Mar.16 「のんびりもしていられい」

■ビデオカメラが届いた。
■デジタルビデオ用のテープを買いに河原町まで自転車でゆくと、とてもあたたかい空気。姉小路沿いの民家に分譲マンション建設に反対する貼り紙がある。京都のこのあたりではよく見る光景だが、少し変だったのは、「高松伸さん、そんなに大きなマンションは必要ないのでは」といった言葉が貼り紙にあることで、「高松伸」て、建築家の高松伸のことではないか。名指しで書かれるとはなにごとだろうと面白い気分になる。
■『小説Tripper』が届いた。『一番はじめの「中上健次」』という特集。奥さんで小説家である紀和鏡さんのインタビューが面白い。小説を書く気分が高まったところへ文學界のOさんからメール。ものごとはシンクロする。だがビデオカメラを手にして外に出てゆきたい気分だ。なにしろ春だし。JNの『資本論を読む』は締め切りを過ぎている。『月の教室』の台本が目前に迫っている。ただ書く。
■春だが、のんびりもしていられない。
(5:37 Mar.17 2001)

Mar.15 「映画のことを書く」

■ある映画の一場面、竹中直人、大杉漣、田口トモロヲが、ならんで弁当を食べている場面に笑いそうになった。最近の日本映画にやたら三人が出現するのが面白く、出るんじゃないだろうなあと思うと、大杉さんなど、ちらっとタクシーの運転手で出現したりし、なんだろう、ヒッチコックの映画にヒッチコック自身がどこかにちらっと出るのを楽しむようなそんな感じ。
■竹中とは昔からあまり映画の趣味があわず、一緒に映画を見にゆき、劇場の前で、俺、あっち見るからといってべつべつの映画館に入ったことが何度かあった。だったら一緒に見にゆかなければいいじゃないか。俳優のなかで竹中ほどの映画好きはあまり知らない。ずいぶんまえ、ニューヨークでカードを使ってビデオを買いあさり、日本に帰って決済したら100万円になっていたという。わけがわからない。一時期、竹中はやたらカサベテスにいれこんでいたが、好きなんだなあこういったものがと思うのは岩松さんの劇に近いものを感じるからだろう。
■そういえば、トモロヲ君に『七人の侍』のサントラを貸してそのままだ。10年以上前の話。
■このあいだテレビに『ユリイカ』の青山真治監督が出ていた。青山監督の映画の話が中心で、興味があってしばらく観ていたが、番組中、「日本映画ブーム」という言葉が出たので驚いた。たしかに都市圏ではミニシアターがにぎわい若い者らが日本映画をよく見ているし、外国の映画賞でも日本の若い監督の作品が健闘している。だからってブームという言葉はいかがなものか。「ブーム」には違和を感じる。「ブームはやめろよ」とも言いたい。
■三条にあるビデオ屋に入った。わりと地味なものも揃っている。
■エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』とタルコフスキーを借りようかと思ったのは、早稲田に講演にいったとき、文学部の先生と映画の話になったのを思いだしたからだ。タルコフスキーがやろうとしていたのがエイゼンシュテイン以来のモンタージュ論への批評だと先生が話していた。『戦艦ポチョムキン』を観たのは学生のころ。有名な階段のシーンしか覚えてないが、たまたま三条のビデオ屋にあったので観たくなった。
■ビデオはなんらかのテーマを決めて借りると面白い。「イラン映画特集」とか、「アキ・カウリスマキの映画に出てくるあの変な女優特集」「その後のヌーベルバーグ特集」「六〇年代サイケ特集」「ばかな子ども特集」「殿山泰司特集」「チェビー・チェイス爆笑特集」など。だから、「モンタージュ・反モンタージュ特集」だ。タルコフスキーの映画はたしかにモンタージュ的ではない。ものすごい長回し。太田省吾さんの演劇論につながるものを感じる。
■大島渚の『儀式』で、殿山泰司は葬式の場面にただ椅子に腰を下ろして出演していた。あれすごかったな。出したほうも出したほうだが、せりふもなく、ただ座っているのに画面に独特な空気が生まれる。大島渚の映画にはインテリな俳優ばかりが集められ、『悦楽』にやくざで出てくる江守徹と渡辺文雄がぜんぜんやくざらしくなくて笑ったが、殿山泰司は大島作品のなかでは特別な存在だ。殿山泰司が「俳優とは待つ仕事だ」とどこかに書いていた。たしかに映画は待つ。撮影の現場にゆくと照明を変えるだけでやたら時間がかかり、ワンカット、ひとことのせりふを撮るのに、照明を変えるだけで二時間なんてざらなんだろう。俳優は待つ。どんなふうに待っていたかが俳優を作るのかもしれない。
(5:21 Mar.16 2001)

Mar.14 「空が広い」

■朝から入試の仕事で学校に行く。きのうに比べると京都はあたたかい。
■学校で、久しぶりに松田正隆さんに会った。ゆっくり話をしたかったが時間がない。試験のあと、大学にできる新しい劇場や、実習室などの施設を見学。劇場は、大劇場と小劇場の二つあり、それぞれ、質の異なるのが面白いと思った。Studio21と名付けられた小劇場もすごくいいが、歌舞伎の上演を中心に設計された大劇場には驚いた。学校の持ち物としてこういう劇場があるというのはすごい。ただごとではないねこれは。
■帰り、山の斜面の、かなり上にある舞台芸術科の研究室を出、西の方角を見る。ちょうど夕日が沈むところで、それがものすごくきれいだった。空が広い。東京ではちょっと見られない風景。
(1:22 Mar.15 2001)

Mar.13 「学校へ行く」

■朝、10時少し前ののぞみで京都に戻った。片づけなどであまり眠っていないが新幹線のなかでは眠れないたちだ。ずっと本を読む。京都の部屋に着いたらさすがにだめで二時間ほど睡眠。それから夕方近く大学へ。学長の芳賀さんと大学院長の山折さん、学部長さんたちとの面接。部屋に入ると、いきなり芳賀さんが、「芥川賞を取っちゃいなさい」と言った。なにを言い出すんだ。取っちゃえと言われてもなんとも答えられず、唐突すぎて驚いたが、なんだかとても面白い面接だった。皮肉とか冗談ではなく、芳賀・山折ファンになろうかとすら思ったね俺は。
■帰り、叡山電車の茶山の駅に向かって歩く途中、ポストカードの店を見つけた。ちょうど店が入っている建物の前にバス停があり、ポストカードを買おうとしたところへバスが来る。また今度にしよう。北大路までバス。それから地下鉄。
■京都もまだ冷える。
(2:43 Mar.14 2001)