Feb.17 「京都とりあえず最後の夜」

■関西以外の方たちから、「ネット上のワークショップの場所」を教えてくれとメールがくる。いまやってるのは実際にワークショップを開く準備のためにある。多くを期待されると困るので全国規模で参加できる、本格的な「ネット上のワークショップ」を計画中だ。考えていたら、だんだん面白くなってきた。アイデアがふくらむ。なにかあるかもしれない。なにより、ほかで誰もこんなことを考えていないだろう。
■だが、私はいそがしい。
■誰か、がんばってくれる人はいないかと、城田あひる君や、コンピュータを持ってる役者たちのことをふと思う。
■よく僕のワークショップでは、参加者を町に放りだして徘徊させるが、あんなふうにこのネット世界を徘徊させるワークショップはどうだろう。あと、いいネーミングだな。
■中上健次論を書く。
■「論」というほどのものではない気がするが、まあ、向こうが「中上健次論を」と頼んできたのだからしょうがない。「俺に論はだめだよ」とも言えない。
■全集を開いていくつかの作品を読んでいると、小説への思いが高まる。文体、文章、もちろん作品世界、それがすごくて、もっと書かねば、もっとうまくならなくてはと思う。うまくなっても、というか、うまくなるだけじゃしょうがないけれど。越えられないものはある。ちまちまエッセイを書いていていいのかという気にさせられるが、エッセイは僕にとって大事だ。俺はそこから来た。
■「文体」とはなんだろう。一時期、問題になったのは、ほんとは漫画を描きたいが絵が描けないのでだったら小説を書くという不思議な人たちのことだ。絵が描けなかったら漫画家になれないように、文章が書けなかったら小説は書けないというのはあたりまえの話だ。問題は、その「文章」だ。誰でも書けちゃうんだよな、意外に。ちょっと読むに耐えない文章の小説がジャンルを問わずあるけれど、それでもなんとなく流通する。やっぱり「文」だろう。それ以外に表現の方法がほとんどないわけだから。
■といったことを考え、中上健次論は先に進まない。
■ともあれ東京に帰ろう。
(4:21 Feb.18 2001)

Feb.16 「まずいものを食べる」

■眠らないまま大学に提出する書類などを整理。午前中に家を出、学校へ向かう。いつものように地下鉄で北大路。そこから204系統のバス。北大路の駅は冷えるような気がする。バスターミナルに向かう改札のあたりでひゅーひゅー風が吹いている。研究室のKさんが学校の坂の下まで来てくれるというので待っていると、入試課の方に声を掛けられた。「どうしたんですか?」と質問されたがどう答えたらいいものか。いろいろKさんに渡してバスに乗る。さすがに眠い。いつもならほんやら洞に行くコースだがそのまま東山三条までバスに乗り、地下鉄に乗って帰ってきた。
■眠った。ものすごく眠った。
■それにしても、「キムチ焼きそば」には驚いた。コンビニで買ったカップ焼きそばのひとつだが、こんなにまずいものが世の中に存在するでしょうか。わたしはどんなものでもたいていがまんして食べるほうだが、一口食べて、吐き出した。韓国の人だってこれをキムチと名乗ることに怒ると思う。生活ゴミの袋に捨てるとものすごい匂い。袋に封じ込めベランダに出しておいたが、処置に困り、そんなことをしてはいけないと思いつつ、コンビニまで行ってゴミ箱に捨てた。部屋ににおいが残る。吐きそうになった。
■ネット上のワークショップ(掲示板によるワークショップ)はその後も続いている。参加希望者でまだ書き込みをしていない人もいるが、「観察者」だから観察しているのだろうか。観察の感想など書いてくれればいいのだが。
■中上健次論を書く。書き終えたら東京に戻ろう。
(0:34 Feb.17 2001)

Feb.15 「関西でのワークショップ」

■すでにワークショップははじまっている。
■というのも、ワークショップ参加希望者らだけに教えたURLの掲示板があり、ワークショップについて議論をはじめたからだ。すると、「もうワークショップがはじまっているのでは」という疑問が出た。うむ、まったくその通りだ。そして「書き込む人」もいれば、「観察する人」もいるにちがいなく、それはそれでいい。ただ、書き込んでくれるとうれしいが。
■僕にとっては奇妙な仕事を頼まれた。スケジュールもLOFT/PLUS ONEの日だったので断る。スケジュールが埋まっていてよかった。人生いろいろである。
■丸善で小説を探していたわけだが、トーマス・ピンチョンの研究書が出ていたので買い、それからべつの棚に目をやっているうちなにを探していたか忘れてもう一冊買い、ほくほくしながら家にもどってきたが、最初、読みたかったものについてよくわからなくなっているのが人間の悲しいところだ。そもそも、電話の子機の電池が消耗し、それを買おうと思って外に出たのではなかったか。木曜日は寺町電気街は休みの店が多い。それで本屋まで歩く。OPALも木曜日は休みで、そこに来たバスが御池通りを走るとわかって飛び乗る。家の近くまでバスでゆく。タイミングがたいへんいいと気分がよかったが、最初おれはなにをしようと外に出たのかもうどうでもよくなっている。
■『ハムレット』を読む課題を学期末に出した。学生たちによる読後のレポートに目を通す。とてもよく読んでいるレポートもあってよかった。これをきっかけにしてもっと戯曲に親しめばいい。ピーター・ブルックが『ハムレット』をもってもうすぐ日本に来る。それ、ちょっと楽しみだ。タイミングもいいし。学生たちを誘ってまた観にゆこう。
(4:55 Feb.16 2001)

Feb.14 「雪のなかを西へ」

■午後、寝不足のまま学校に向かうと、北大路駅で風邪の兆候。くしゃみをひとつ。まずいと思ったが研究室でKさんがいれてくれたジャスミンティーを飲むとすっかり身体が暖まった。研究室にいた学生と話をする。「演出」についての相談だ。その直前、学校の坂を登ったところで会った学生からも相談を受けたが、相談のある学生は学校に来ているらしい。これも教員の役割なのだろう。もっと学校に顔を出すべきだ。
■しかし試験も終わりほとんど学生の姿はない。
■いくつか受け取るものを手にして学校をあとにする。
■バスで銀閣寺道へ。スーパーで日用品を買う。またバスに乗って河原町今出川まで行きいつものようにほんやら洞で食事をして小説を読む。いつのまにか外は雪になっていた。河原町で探したい本があったがすぐに帰ることにした。西から雪が吹き付けてくる。今出川通りを御所に沿って歩くのは吹雪の中を進むかのようだ。雪が顔にあたる。
■部屋を片づけなくてはならないのだ。東京にもどるまえにはなんとかしておこう。
(3:06 Feb.15 2001)

Feb.13 「月の教室」

■三日間のワークショップを終えて帰ってきた。静岡県袋井市に新しい文化施設で、建築家の長谷川逸子さんが設計した「月見の里学遊館」がまもなく完成する。施設内の「劇場」を使って五月に公演をうつ計画が進行している。公演のタイトルをふと思いつく。
■『月の教室』
■高校生が中心になるので、無理のないよう、「学校の話」「教室の話」にしよう、と思ったのと、「月」を使うことにした。袋井市は東海道五三次のちょうど真ん中だという。つまり、東海道の端と端、東京と京都、そして、まんなかの袋井で仕事をしていることになる。だからなんだという気もするが。
■一月のワークショップで、「地元に残る説話・伝承」を調べるよう課題を出したところ高校生はインターネットで調べるのがあたりまえになっていて驚いた。インターネットが悪いわけではないがやはり歩くのも必要。最年長グループで、僕の小学校時代の同級生である伊地知君たちは足で稼いだ。説話に出てくる神社を探して袋井の町を歩いたが、調査報告がすごく面白い。あれをなんとか舞台で生かせないものか。年長の二人が町に残る説話・伝承を調べる役というのはどうか。調査のおり撮影した写真が面白かったのでスライドで大きなスクリーンに映すのもいいかもしれないが、問題は予算だ。ああいやだよ、お金がないってのは。それにしても、伊地知がいいなあ。いい意味で、くだらないんだ考えてることが。参加してくれて助かった。
■高校生は歌う。ゆずかなにかを、誰かがギターを弾いて、女子高生たちが合唱しはじめたのだった。ちょっと困惑しつつも、劇中歌を作ろうと思った。そんなに歌いたいんなら歌わせてやろうではないか。詩は僕が書き、作曲は桜井君に頼もう。『月の教室』という歌だろう、当然。
■京都に戻り、メールをチェックするとものすごい数が来ていた。
■関西のワークショップに対して応募が少なからずあってたいへんうれしい。
■なかにはこちらで劇団活動をしている人もいてすぐにでも動き出してくれそうな気配だ。心強い。またちょっと集まらなければと思う。みんなに返事を書かねばいかん。急がなくてはいかんのだ。忙しいよ、俺。
■大学の仕事もきちんとする。
■中上健次論20枚を今週中に書く。
■小説も持続。
■袋井や掛川のある遠州地方は風が強い。京都は冷えるが、風はそれほどでもない。
(5:08 Feb.14 2001)

Feb.9 「休み」

■10日〜12日、静岡県の袋井市でワークショップがある。このため「京都その観光と生活」は三日ばかり休みだ。13日にはまた京都。再開は13日の深夜になることだろう。袋井では、3月21日からまたワークショップをつづけ、次は期間が長く、二週間ほど。コンピュータ環境を整え、向こうでも書く。いまの状態では仕事もできないからだ。ワークショップのあと、5月5日、6日に袋井市の高校生や市民と舞台を上演。そういえば4月、火曜、水曜、木曜が大学の授業。土日が袋井で稽古。月曜、金曜が移動日。まるでプロ野球選手のように。
(18:00 Feb.9 2001)

Feb.8 「新風館と大徳寺」

■こんなときになんだが、TOPページ更新。
■風が少しあった。日は差していたので午後になって外に出る。NTTの古い建築を改装して作った「新風館」というショッピングモールに入ると、洋服屋、レストラン、雑貨屋、カフェなどあって便利だが、これでメディアショップでもあればと思ってさらに歩くと、ヴィレッジヴァンガードがあるのを見つけた。あまりいい本はないが町の本屋さんよりは、ある。なんて言えばいいのでしょうヴィレッジヴァンガードのコンセプト、雑貨と本と音楽とサブカルっていうか、そういった感じの。下北沢にある店には一回しか入ったことがない。でもまあ、家の近所だからいいか。あと、「新風館」を、「烏丸三条の」と謳っているが、「烏丸姉小路の」だと思うがいかがなものか。三条のほうがイメージがいいってことだな。夜など河原町から帰るとき姉小路をずーっと歩くのが好きだ。とても暗い。京都らしい。
■それからどうしようか考えているうち、なにげなく地下鉄に乗る。
■北大路へ。
■バスに乗って大徳寺まで足をのばす。大徳寺は、大徳寺という中心がどこにあるかわからなかった。広大な敷地内に、加賀藩主の菩提寺だの、細川家の菩提寺だのいくつもあり、どこを見ればいいかわからない。重層的な非中心とでもいうような複雑さ。その一つを拝観。国宝を見、庭をながめ、抹茶と菓子をいただく。それにしてもガイドしてくれた人が話す「禅の神髄」とかいうイデオロギーは、「処世術」のように陳腐だが、思想をわかりやすく通俗的に伝えようとするとどうしてものごとは陳腐になるのかと思った。人はあまりいない。冬の観光はなかなかにいい。
■帰り、あたりをぶらぶらする。風が吹いてひどく冷える。堀川通りに出ると、堀川鞍馬口のバス停は淡光社の前にある。淡光社が出している本がガラスの向こうに並ぶ。バスで帰る。
■あさってから静岡県の袋井市でワークショップ。そのために来週の火曜日(13日)までこのページは休み。そのあと京都にいったん戻ってくるが、また東京に帰って小説を仕上げ、編集者と会ったりなどいろいろする予定。行ったり来たり。
「コンピュータで書くということ」のころのような表記にしてみた。
(0:57 Feb.9 2001)

Feb.7 「千本日活」

■午後になってから学校に行く。あるものを提出するためだ。数日、このことで悩んでいたが、悩みつつもいろいろ思いつきがあったり、課題にすべきことも見つけた。仕事とはそういうもの。あまり詳しく書けないのには事情がある。いずれ書く■それで気分がすっきりしたが天気はひどく悪い。雨が降り出しそうななかバスに乗ってどこかに行こうと決める。すぐに来たバスは、北大路バスターミナル経由、金閣寺行きで、途中、千本北大路を経由するので乗ることにした。だんだん京都のバス路線がわかってきた。地理もずいぶん詳しくなり、どこでどう乗り換え、どのバスに乗ればどこに行けるかわかる。途中、大徳寺の前を通る。降りようかと思ったが、雨だし、寒いのでやめた。千本北大路でべつのバスに乗り換えるころになって雨が少し強くなる。傘がないのである。コンビニで買おうかと思ったがそんなことをしていると傘がどんどんたまるのでやめた。さらにバスで、千本中立売へ■近くに「千本日活」という映画館があるのは10月頃に見つけ、なんだかすごい建物だと思っていた■

■このあたりが五番町といって、かつて遊郭のあった土地だと知ったのはごく最近だ。水上勉の「五番町夕霧楼」の舞台。いまでは何の変哲もない町の一角。ただ、いかにもそれふうの木造家屋がある。残っているのが奇跡といっていいほど、いまにも崩れそうだ。雨で身体がしめってゆくような気分。天気がよければもっと歩くのに■三月いっぱいで『青空の方法』は終わるが、月一でまた新たに朝日で連載がはじまる。タイトルをどうしようかという話になった。つながりをもたせるために、「青空」か「方法」は残してほしいとのこと。「青空も方法」とか、「青空と方法」はどうかなどと考える。最新作だったか忘れたが、ポール・オースターの翻訳のタイトルがよかった。『空腹の技法』。いいな■
(21:58 Feb.7 2001)

Feb.6 「バスに乗る」

■きのうは歯だったが、目が覚めると背中が痛い。あきらかに小説を書かせまいとする力が働いている。こういうときはあきらめるしかないという結論になって、苦しまず、覚悟をきめ、仕事も放りだして外に出た。曇り空。ひどく寒い。バスに乗る■堀川御池から、堀川寺の内まで。左手に二条城を見、さらに先に進むと、丸太町通り、今出川通りを過ぎて少し先のバス停で降りた。細い路地を西に入る。このあたりが西陣と呼ばれる場所らしい。法蓮寺という寺があってなかに入る。意外に大きい。石庭があるらしいが拝観しないまま、あたりをぐるっとまわるだけにした■さらに西に歩くと大宮通り。商店街があって店が並ぶなか、京都でもう一軒の「ほんやら洞」がある。このあいだ扇町ミュージアムスクエアの人たちと会ったとき、のこぎりを弾くというミュージシャンを紹介され、「ほんやら洞でもやったんですよ」と演奏した話を聞いたが、「新しいほうの」と付け加えたのは、こちらの店のことだ。「西陣ほんやら洞」というらしい。驚いたのはこちらのほんやら洞は、フライヤーを棚に置いていることだ。吊してない。これはもしかしたらカフェではないのか。壁は羽目板、テーブルは木で、河原町今出川のほんやら洞とテイストは似ているが、入り口付近はパン屋になっており、あきらかに種類のことなる店である■で、やっぱり食事。コーヒーを飲んで本を読み、しばらくぼんやりする■外に出るとひどく冷える。こんなに寒くなければもっと歩きたいと思った。散歩にはすごくいい場所だ■
(1:42 Feb.7 2001)

Feb.5 「歯医者へ」

■なにかの力が小説を書かせまいとしているかのようだ。学校の仕事でひとつ苦しんでいることがあるが、それは仕方がないとして、今度は歯痛に悩まされた■明け方まで小説のことを考え、ちょっと書き、寝ようとしたころ痛くなる。少し眠ったがさらに痛みは増して、もう眠っていられない。昼間、思い切って歯医者に行くことにした。三条あたりでどこかないかと、ぶらぶら歩いて探し、ビルの中にある歯科を見つけた。東京では下高井戸にあるT歯科に通っているが、T歯科の先生はひとりの患者に最低でも一時間は治療する。あの丁寧な仕事ぶりに比べるとどこの歯科も乱暴に思えるから困ったものだ■こんなときになんだが、ふと「悲劇の研究」というのをやろうと思ったのだった。通俗化された悲劇の方法は陳腐だが、もっと深い悲劇の表現があるのではないか。どんな姿をしているか見たいと思った■こんなページを教えてもらいひどく驚く■昼間、少しあたたかだった。歯が痛くなければ、いろいろできることはあったはずなのだ■
(2:42 Feb.6 2001)

Feb.4 「よく眠り、人に会う」

■12時過ぎに目が覚め、あわてて準備する。京都アートセンターのカフェでワークショップをやりたいという人たちと会う約束をしていたからだ。いまのところ関西でワークショップをやる予定がないのでだったら自主的に開講するのはどうかという話になっているのだった。面倒なことや、困難はきっとあるが、ぼちぼち話を進め、いつか面白いことができるはずだ。楽しみになってきた■東京にいるときは人に会うのがいやでしょうがなかったが、京都ではやけに人に会う。この変化はどういうことだろう。よくわからない■小説は進まなかった。帰ってから食事をし、また寝る。よく眠る日々■京都市の人口を調べたところ六十一万人程度だと知った。浜松市が五十七万人だからあまり変わらない。八王子市が五十一万人。千葉市にいたっては八十九万人近く。世田谷区が七十八万人というのはちょっと驚いた。世田谷、人が多いよ。税金も高いが■
(2:21 Feb.5 2001)

Feb.3 「MONOの舞台を見に」

■少し鬱になっていたのはなんのせいか、MONOを見にゆく地下鉄のなかで考えていたが思いあたらない。MONOは京都で活動している集団だとのこと。京都駅の上にある大きな劇場。劇場で扇町ミュージアムスクエアの人たちに会い、それから舞台を見せてもらった。芝居のあと駅の近くにある飲み屋へ。たいていこういう場合、僕ひとりウーロン茶だが、八人ほどいて、二人をのぞいてみなウーロン茶というのは奇妙な事態。いろいろ話をしたせいかなんだか気が晴れた■話は前後するが、昼間はそうじをし、それから小説。うまく書けない。越えられないなにか。もうひと踏ん張りである■
(1:39 Feb.4 2001)

Feb.2 「集中できない」

■昼間、欲しかった本を三月書房で見つけた。ほんとは東京にもあるが必要があってあらためて買う。家から河原町通りまで歩いて、丸善やブックファースト、古本屋をめぐり、さらに寺町二条までまわったが、距離はともかく空気が冷たくてきつかった。三月書房を出たあたりでちらちら降ってくるものがある。雨かと思って見ればみぞれだった。西のほうは晴れているのに奇妙な天気だ■家を出ないで小説を書く予定だがなかなかそういうわけにもいかない。MONOという劇団の公演を、あした扇町ミュージアムスクエアの方と見にゆくことになった。誘っていただけたのはありがたい。ただ小説のことで頭がいっぱいだ。申し訳ない気分である■メールにも返事を書かなければと思う。ほかにもいろいろ。小説に集中したいのだが■
(3:53 Feb.3 2001)

Feb.1 「家の近所で」

■入試の採点。諸般の事情で内容は省略。あたりまえだが■帰り、学生を誘ってほんやら洞に行った。店の主人の甲斐さんに、先日写真集をもらったお礼として僕の小説を進呈。その後、学生たちの質問に答えたりなどし、二時間近く話をする。外へ出るとものすごく寒い。御所の脇、今出川通りを歩き烏丸通りから地下鉄に乗る■姉小路と烏丸通の角に新風館というショッピングモールができた。元NTTの古い建築を改造してできたようで、桑原茂一さんがやっているCLUB KINGのメールによれば、CLUB KINGが関わって開店記念かなにかでイヴェントをやっているようだ。近所なので、昼間、少し暖かだったらのぞきにゆこうと思う■朝日の集金があった。三ヶ月分たまっていて損したような気分になった■あしたからしばらく家を出ない。小説を書く■
(0:09 Feb.2 2001)