Nov.30 「またべつの序文」

■夕方、買い物をするために自転車で町を走ったがそれほど寒くは感じなかった。欲しい本が二冊ばかりあったのだが、一冊は丸善で見つけ、もう一冊が見つからない。音楽に関するもの。あとコンピュータ関連の買い物。もらいもののプリンターを動かそうとケーブルなど買ってセットしいよいよプリントアウトしようとしたらインクがない。買い忘れた■NHKの人が事前に会って相談したいという。こっちまで来てくれるのでしょうかとメールを書いたら来るそうだ。京都までわざわざ来てもらったらいよいよ断りづらくなる。困った。その後も、『真剣10代・しゃべり場』についてはメールをたくさん頂いた。ほんとうに悩む■ところで、リニューアルされた「実業の日本」、新しい誌名は「JN」だが、それに『資本論を読む』という連載をはじめたことは以前書いた。で本屋に行ったら、筑摩の文庫にまさに『資本論を読む』があり、ルイ・アルチュセールらが書いている。翻訳は今村仁司さんだ。『資本論』にも「序文」が多いが、『資本論を読む』にもアルチュセールの序文があり、長いわ難解だわで読むのに苦労しつつ読む。なんて面白いことか。「見そこないとは、見ているものを見ないことであり、見そこないはもはや対象にかかわるのではなく、視覚にかかわる。見そこないは見るに関わる見そこないである。見ないことは見ることの内部にあり、それは見ることのひとつの形式であり、したがって見ることとの必然的関係のなかにある」と、読んでいるときはなるほどと思ってメモしたはずだが、あらためて引用すると、なにを言っているんだこれはいったい■
(22:51 Nov.30 2000)

Nov.29 「授業の日である」

■意見を求むと書いたら、『真剣10代・しゃべり場』についてすごくたくさんのメールをもらった。ありがたい。80パーセントが出るなという意見。出ろという意見に、僕のことを見てみたいとあって、俺は「珍獣」とか「秘仏」とかそういったあれじゃないと思ったのだが■さて、授業の日である。やり方を少し変えた。とにかく三人がそろい、形になっているグループだけに発表させる。遅刻してきた者、グループがそろっていない者、これまでの授業に出ていなくてどこの班にも所属していない者はただ見学。先に進める者だけを優先しじっくり時間をかけて芝居を見る。つまり民主的な運営をやめたということだ。大学は小・中学校とはちがう。自主的に授業に取り組み、主体的に関わらなければ意味がない。そういうものだと決めたとたん教える側としてはとたんに気が楽になった。少し教室の雰囲気が変わった。受け身でいた者らがなにか考えるようになった気がする。全員との対話はしたいと思う。そのへんは粘りたいし、それぞれのことを理解した上で今後も授業をするつもりだ。まじめだからいいわけでもなく、出席しないからだめってわけでもない。むつかしい話だ■朝はずいぶん冷えたが午後から天気もよくあたたかい。大学からの帰り詩仙堂まで歩いたが、近くまで行ったら観光バスが到着。こりゃあ混みそうだと思い、方向を転換、一乗寺の恵文社へ。『sumus』というミニコミを購入。本が好きな人たちによる書物への愛情に満ちた雑誌だ。いろいろ面白い。荻原魚雷という人の『尾崎一雄のいろいろ』は淡々とした文章が泣かせる。あと付録になっている『スムース流京都カルチャーマップ』がとてもいい■
(0:14 Nov.30 2000)

Nov.28 「京都アートセンター」

■驚くべきことに、PAPERSのトップページを更新した■東京から朝日のYさんが来た。京都アートセンターのカフェで会うことになっているが自転車で走るとすぐである。カフェには劇作家の松田正隆さんもいた。ちょうどきょう、京都アートセンターで三角フラスコという劇団が「試演」をやる。「現代演劇試演プログラム」の一環らしく松田さんがその企画に参加しているというか、京都アートセンターそのものに参加しているというか。来年から松田さんも京都造形芸術大学で教えることになっているので、学校のことなど少し話す。試演を見せていただいた。Yさんはカフェで飲んだココアにアルコールが入っていてそれで心臓がばくばくいうと苦しみながら東京に帰っていった■夜、交流会があるというので参加。いろいろ話ができて面白かった■
(0:14 Nov.29 2000)

Nov.27 「夜口笛を吹くと」

■関西圏の朝日新聞、特に夕刊は、関東圏の朝日新聞と内容がかなり異なる■たとえば僕の連載は関西版では掲載されていない。関東版に、「ある俳優」が連載をしているというのを京都にいる僕は知らず、その人のことを原稿に書いてしまった。俳優が怒り、僕だけを憎むならいいが、いろいろ問題があると判断して掲載をやめた。朝日には別の原稿を書いたが、未掲載になった原稿をWebにだけ発表しよう■「『青空の方法』未掲載原稿」■NHK教育テレビから出演依頼のメールが来た。『真剣10代・しゃべり場』という番組。どんな番組かわからない。10代が出ているのではないか。しゃべるのではないか。しかも真剣である。いろいろ想像する。不安だ。出ていいかどうか、広く意見を求めたい気持ちだ。見たことのある人はメールに何か書いてくれるとありがたい■あと、OPALのサイト管理をしている方からもメールをもらった。ていねいな方だった■いつも面白い話を提供してくれるFさんの最新のメールは、静岡県の温泉に行った話で、「こんな看板がありました。『ヤングライダー諸君!この先お茶どころ 無茶しないで』この説得力のなさはなんなのでしょう。理由になってません」とあって笑った■夜、自転車で町を走ったらさすがに寒かった■
(2:14 Nov.28 2000)

Nov.26 「読書とサッカー」

■午後からサッカーを見た。レイソルに勝たせたかったが、アントラーズ優勝。まあジュビロの中山が得点王になったのがせめての救い。京都パープルサンガはJ2に落ちるという。京都に住んでいると応援したくなるのも奇妙なものだ■大学のことを考えていたのだった。大学の教員には、「研究」「教育」「大学運営」という三つの仕事があると、ある本にわかりやすくまとめられていた。いま僕は、「教育」だけで手一杯だ。「教育」というか学生との関わりということになるが。まだ時間があるので「研究」する余裕はあってもこれから授業の数が増えていったらどうなるかわからない。自分が学生だったときの、あの淡々と講義する教授たちはどういう気持ちだったのだろう。受講する学生が多くても少なくても関係ないかのように講義していた。「研究」はどうだったのか■いろいろあれだが、「研究」もしっかりやらねば。その向こうに舞台がある。戯曲と小説。あといろいろ。そう考えれば、観光も研究の一環である■
(0:57 Nov.26 2000)

Nov.25 「ラーメン京都系」

■スターバックスの外の席でコーヒーを飲みながら本を読んだがあまり寒くなかった。もう午後五時を過ぎた時間■「OPAL」のWebをのぞくと、u-ench.comにリンクが貼られている(PAPERSにしてほしかったが)。単純にうれしい。OPALのことを書いたとたんリンクを貼ったということは誰かが情報を流したのだろうかとかいろいろ考える。こうなったらトップページなど更新しなければいけない■で、OPALのリンクのページに見つけた「新福菜館河原町店」というラーメン屋に行った。やはり醤油味の濃い京都系のラーメンである。これから京都のラーメンのことを「ラーメン京都系」と呼ぶことにしたいと思う。しかも、チャーハンの色も濃い。黒に近い。とはいっても、東京で一時期流行った「和歌山ラーメン」とも少し違うし、よくある「京風ラーメン」とも明らかに異なるので、これはあきらかに、「ラーメン京都系」だ。この名前で東京に店を出したい気持ちになった。それにしても、さっぱりした東京系のラーメンが食べたい。どうでもいいことだが■この一ヶ月というもの小説を一枚も書いていないと反省する■なにをしていたんだ俺は。観光である。京都を観光していた。だんだん寒くなって外に出るのがおっくうになり小説を書きたい気持ちが高まってきた。今年中に『28』を完成させ、新潮のNさんに渡さなければならないのだ■
(1:37 Nov.26 2000)

Nov.24 「河原町通りを渡る」

■天気のよい一日だが、さすがに夕方になると気温がさがる■メディアショップとブックファーストに行って何冊か本を買う。このところ河原町通りを自転車で渡るのが面倒になっていたので、メディアショップに行くのは久しぶりだ。どこか喫茶店にでも入って読もうと思ったが、照明が暗いのはかなわないし、お腹もすいた。家で食事をし、それから本をゆっくり読む■観た映画やビデオ、本の書名はめったに書かない。恥ずかしいからだ■東京に住んでいるときは紅葉などどうでもいいと思っていた。京都にいるとなんだか紅葉を観なくてはいけない気にさせられるのは困った話だ。京都新聞のWebでニュースを読むと、23日、嵐山は五万人の人出だったそうだ。行かなくてよかった■関係ないが、少し前、「■問題」に関するメールをたくさんもらった話を書いた。で、「Webを見ている環境」を教えてくれと言ったら男の反応がやたら多かったのは、「コンピュータの話になると男は黙っちゃいられない問題」があるのではないか。面白い現象だ■
(2:01 Nov.25 2000)

Nov.23 「二つの店」

■雑事いろいろ■京都で僕がよく行くのは、河原町御池のあたりにある、「OPAL」というカフェと、今出川通り同志社大学の近くにある「ほんやら洞」という喫茶店で、二軒の文化的背景はかなり異なる。あたりまえだが。まずOPALがWebを持っているのはいかにも現在的で、一方、ほんやら洞は、『ほんやら洞通信』というミニコミを発行しこれまたある時代を感じさせる。二つが同居している町が、よそ者の僕には面白いし、そのどちらも好きな自分もどうかしている■店内のインテリアや流れている音楽もかなり異なるが、ここでひとつの発見をしたのだった。「ほんやら洞」には、演劇のチラシや、講座が開かれる告知のチラシなど無数にあるが、それはたいてい、チラシに穴を開け穴にひもを通して壁や柱らに吊されている。一枚手にとってはぴしっと引っ張って手に入れる。70年代、よくこういう店はあったし、たとえば下北沢のザ・ススナリなどいまでも同様に壁に芝居のチラシが吊されている。一方、OPALはちがう。いまではクラブなんかがそうだが、棚があって棚に平積みにされているし、それらはたいてい、「チラシ」ではなく、「フライヤー」というやつ。結局、紙に印刷されたなにかだ。「吊す」か、「置く」か。この差異は何を意味するか■そう考えていたら面白くなってきた■「ほんやら洞通信」に『追っかけグラフティ』という文章がある。この文体が面白い。こういう書き方もあるのか。関西の言葉が無理なく文を作り、不思議な空気がただよっていきいきとしている。こんなふうに書けたらと思った■
(2:35 Nov.24 2000)

Nov.22 「授業に悩む」

■久しぶりの授業■出席者が少ないのではじめ学生たちに話を聞くことにした。それぞれの持つ授業に対する感想。遅刻してきた者らがある程度集まってきたところで前回の宿題にした三人の芝居の発表。稽古してきたところはそれなりの形になっているが、まったくだめなグループもいるし、そもそも三人そろわないグループが多い。授業はちっとも進まない。授業のやり方を変えるべきなのか。もっと考えないとなにも成果が生まれないまま終わってしまいそうだ。たとえば、一週間、この授業だけに集中させることが目に見える変化を学生らにもたらすかもしれない。ワークショップなどそうやって作業が進む。大学で演劇を教えるとはどういったことだろう。やはり考え方を変えるべきか■ワークショップは、「俳優」に向け、短い期間で「訓練する」という主題がある。大学はことによると、作業を通じて教える者の「考え方」を学ぶということではないか。というかそう考えないとこの授業の構成(一週間にいっぺんの授業)では、「訓練」は不可能だ。そもそも集中しない■いまのままでは、発表などまず考えられない。なにかまちがった気がする。たとえば、「発表」という目的があり、そこに向かって授業をすすめる方法もあるだろう。システム化された授業。教えるプロならきっとそうする。だが僕はそうではない■授業が終わってから何人かの学生たちと話をする。話を聞き、少し救われる思いがした■
(2:20 Nov.23 2000)

Nov.21 「歩く」

■用事があって京都近代美術館に行く。それから平安神宮の巨大な鳥居をくぐって歩くと、工事中でいまは閉館されている京都府立図書館がある。その先を東西に走っているのが二条。西へ少し歩いた位置にある細見美術館のカフェがすごくいい。CUBEという名前の落ち着いた店。また二条を歩いて木屋町通りで曲がり御池通りの方向に進むがこのあたりのたたずまいもよくて、どこを歩いても観光地なのにはいまさらながら驚かされる。三条から河原町通りへ。無印良品と丸善に寄る。さらに錦小路で買い物をして帰ってきたが、それにしてもよく歩いた。腰が痛い■
(22:24 Nov.21 2000)

Nov.20 「アスタルテ書房」

■ようやくアスタルテ書房を見つけた■看板もなにもない。御幸町通りを姉小路から少し下がったマンションの二階の一室。靴を脱いでスリッパに履きかえる。金子國義の画集、澁澤龍彦の著作など、幻想系、耽美系の書物が並ぶ。見ているだけでも面白い。ただ、店主が中央のテーブルにいる。ほかに客がいたからいいが二人だけだったら気詰まりだ。ふつうのマンションの一室だからいっそう気詰まりだと思う■雨が降ったせいか、政局が混乱しているせいなのか、やけに気温が高い■
(23:42 Nov.20 2000)

Nov.19 「東寺を見る」

■地下鉄に乗って九条まで行ったが、駅の南に初めて足を運んだ。バスで東寺まで。ふと東寺にでも行ってみようかと、朝起きたときそう思い立ったのだった■南大門から寺のなかに入るとすぐ右手に五重の塔がある。でかい。金堂などなにからなにまででかく、立体曼陀羅の大日如来像にしろとにかく大きさに驚く。立体曼陀羅はどことなくディズニーランドを思い出させる。ディズニーランドには行ったことがないが、たしかこういったアトラクションがあったのではないか。薬師如来像の前で床にぺったり腰を下ろしずっと祈るお年寄りがいた。宝物殿で様々な時代に描かれた曼陀羅を見ているうち、時間なんてものがあまり意味のないものに感じる。10年、20年なんてそれほどたいした時間じゃないと、京都にいるとそんなことを考える■デジカメで五重の塔を撮ろうとしても、京都の観光ポスターの絵にしかならないのには困るよ■北にゆくと紅葉がきれいな時期になったと新聞にあった。東寺を出て京都駅まで歩く。ひどく寒かった■
(23:09 Nov.19 2000)

Nov.18 「尹明希さんのダンスを見る」

■また大阪のトリイホールに行きダンスを見た。桜井君から、尹明希(ユン・ミョンヒ)さんのダンスを見ないかとメールをもらったからだ。桜井君は感動して涙を流したとのこと。少し早めになんばに着いたので、大黒という店でかやくごはんを食べた。このあたりの地理が少しずつよみがえる。15年ほど前、年に一度は来ていたがもうすっかり忘れていたし、町も変化している■ダンスは、四つの、グループ・個人によるもので、最初、TORII HALLのあるビルに着いたとき前に貼りだしてある公演案内のチラシを見てそれを知り、尹明希さんだけ見に来たつもりだったのでどうしようかと正直考えたのだった。だけど、いろいろ見るべきだった。考えること多々あり。そして、尹明希さんはとてもよかった。このよさをうまく言葉にできないのだが、つまり、このところ書いていたことで考えれば、若冲に見ることで感じたある種の表現者の弱さと感じていたのとは正反対の表現がそこにあるのではないか。強引に結びつけたが。あ、そうか、それでひとつ見えてきたのは、技をつきつめるとき、「つきつめることで表現が弱くなる」ものと、「つきつめることで表現の核心がより強靱になる」という二つがあるとすれば、「つきつめる」ことを問題にするんじゃなくて、なぜ弱くなるか、なぜ強靱になるかといった根本が存在する身体について考えるべきじゃないのか■京都に戻ったのは夕方。空気が冷たいと感じた■
(1:13 Nov.19 2000)

Nov.17 「なにもない一日」

■セゾンのゲラが届いた。細かい字で読むのに苦労する。先日、『資本論を読む』の第一回目の原稿のゲラも送られてきたがそれもそうだ。いつものように読んでいるうち、頭がくらくらした。「読む」ことについて、これほど身体を意識させられるようになるとは思わなかった。眼がどんどん衰えてゆく■近所のスターバックスでコーヒーを飲みながら小説を読む。もちろん煙草を吸うので通りに面した屋外の席。さすがに寒い。久しぶりになにもないおだやかな一日■
(3:06 Nov.18 2000)

Nov.16 「いろいろがまんする」

■教員会議と学科会議があって学校へ。教員会議は全学の教員や職員が集まって、「メンタルヘルス」について心理学の先生から話を聞く。で、内容を聞こうと思うが先生の話し方が演劇に関わる者としては気になる。わかりやすく言うと浜村淳ということだが、関西語圏に特有の、「語りの文化」があるのではないか。独特の語り口だった。学科会議は事務的な話が多い。大学の授業を通じてたくさんのことを勉強できると思っていたが、運営に関するもろもろの実務について学んでしまう。「世間」と向かい合う現場は大変である■きのう、若冲について書いたあと、たまたま桜井圭介君が書いた文章「明るいオブセッション」をネット上で読んだ。とても面白い。そのことで若冲のことがまたわかった気がした。あの独特な空間の認識。あるいは、立体感のない画面。精緻なレイアウト。もちろん、それが若冲の魅力だが、「現在」へとそれを繋げて考えればいわばポストモダンな表現に感じる魅力的なものが若冲に見て取れる気がする。そして、それゆえ垣間見える脆弱さも■坂口安吾が、ある文学者の死に際してその作品と作家の生き方を論じ、汚濁した世界や、面倒な世の中をはっきり見、逃げず、向かい合い、そこからはじめて純粋なものが見いだせるといった意味のことを書いて、文学者の死を悼むと同時に、作品とその死の弱さを嘆いた■「世間」はむつかしいと、複雑な思いの秋である■
(3:35 Nov.17 2000)

Nov.15 「一日、若沖のことを考える」Ver.1.2

■本日は授業がない■で、雨が降るなか京都国立博物館に「伊藤若冲」の絵を見にいった。雨だし、平日だし、空いているだろうと思ったら、若冲、大人気である。見るのに苦労する。いったいどうしてしまったのだろう■『動植物綵画』はすごいな。いろいろなことをまた考える。それにしても、資料に若冲の生家である青物問屋の場所が記されているが、錦小路と高倉通りの交差点のあたりだとあり、すると僕なんかでも、あそこあたりかとだいたい見当がつくのが京都はすごい。世事に疎く、人付き合いを避け、一人、黙々と家で絵を描く青物問屋の長男といえば、この人物像は、よく知られたいまの我々の似姿だ。出世欲にかられ人脈を広げようと奔走し政治的にふるまうことなどいっさいなく、ただ絵を描いていた京の町絵師。どこの流派から出たのでもなければ、エリートコースを歩むこともなく、独自の芸術感によってマニアックに絵を追求した。だがその執着心のねばっこさは、情念や抑圧などとは無縁で、墨で書かれた動物画の笑いさえ感じる画風には、もっとべつの姿が現れる。また別の表現をすれば、経済的に恵まれた男が、「世間」から逃れよう逃れようとし、その逃れる場所にあったのが、「絵」だったということだろう。その弱さも絵にひそんでいる気がする■というか、ほんとは、「いま」のことを考えていた。書きたいことがうまくまとまらない■
(22:03 Nov.15 2000)

Nov.14 「伽藍とバザール」

■午前中、仕事が思いのほかはかどり連載の原稿を二本書く。締め切りに間にあった■考えてみたら、学生に課題の提出を厳しく言っておきながら、自分は原稿の締切を守らないとはなにごとかって気にもなるが、まあ、課題と原稿はかなりちがう■河原町通りにあるOPALというカフェで、柄谷行人さんの『原理』を読む。Linuxについて触れていたので驚いた。柄谷さんたちが起こしたNAMという運動の原理は、考えてみると、Eric S. Raymondが書いた『伽藍とバザール』のオープンソース運動と似ている部分があると思い、『伽藍とバザール』を読みたかったが東京の家に置いてきてしまった。こういうとき二重生活は不便だ。で、よくよく考えたらインターネット上で読める。さすが、オープンソース運動である■京都は少し暖かい■山科に住むというTさんからメールで喫茶店を教えてもらいそれを探す。結局、わからなかった■
(22:23 Nov.14 2000)

Nov.13 「推薦入試の日だった」

■大学は推薦入試■試験官として学校へ行く。僕が担当したのは、構成表現という試験。受験生たちが画材や道具を並べると、20何年か前の受験を思い出す。筆を洗うバケツやそれと一緒に用意したぞうきんとか、やけに汚れているやつがいて、ほかの受験生を圧倒する。なにやら手練れの者という感じだ。そういうやつに限って美大受験予備校の仲間がいっぱいいて、休憩中も楽しそうにしている。しばし回想。受験で東京に出てきた僕は、右も左もわからぬまま、なぜか池袋に映画を見に行ったのだった■それにしても奇妙なのは、「■問題」である。僕のところにメールをくれるのはこれまで圧倒的に女性が多かったが、この問題に関してはなぜか次々と男からのメールがくるのだった■クマゴローと名乗る人はこうだ。「私は iMac+Netscape4.7 ですが、■はそんなに気になってません」■あるいは、Kさんは、「僕はPOWERBOOKG3のIE文字サイズ12で読んでますけど決して読みにくくないです。と言うよりは好きなんです『天声人語方式』」■やっぱり、Macだったら大丈夫なのかと思っていたが、O君の意見はちょっと異なる。「僕も最初は読みづらいなーと思っていたのですが、慣れてきたらそうでもないですね。ちなみに僕は、パソコンはMAC(主にPower BOOK G3/333と、PowerMAC7500/100の2台を使用)で、Internet Explorer5を使って、ホームページを見ています」■じゃあ、Windows陣営はどうか。ちょっと本人に問題があるのかもしれないが、城田あひるの意見はどうなのだろう。

●だいたい「読みにくい」という人など、ぜいたくです。仮にもっともっと読みにくいデザインがほどこされていたとしても、宮沢さんの日記が読めるのであれば私は読みます。ところどころモザイクがかかっていても読みます。むしろ「読みにくいのを無理してでも読む。そこに価値があるからな」と思うでしょう。性格の問題なのかもしれませんが。ですので「読みにくいぞ」といってくる人の気持ちがわかりません。世の中はどんどん便利に、快適になっているのです。ひとつくらい、思い通りにならないことがあっても我慢したらどうだ、と思います●

■これには笑ってしまった。なにを言っているのだ、この男は■ほかにもいろいろあって、おおむね「読みづらくない」ということだし、なかには、「■があったほうがいい」という意見もある。主観だよね。どうしようもない。で、男が多かった。今回に限ってメールが。もちろん女性のメールも歓迎しているが、男というのがまたいいじゃないか。というわけで、うるさくない程度に、今後も「■」を使わせてもらうことにした。ことによると、「▼」や、「●」になるかもしれないし、「□」や、「◇」もあるかもしれない■京都はすっかり、寒くなってきたが、例年より紅葉はずいぶん遅いそうだ。きょう、地下鉄で見たのは、「夜の清水寺拝観」という広告。だったら、「大人の清水寺拝観」もあればいいが■
(23:48 Nov.13 2000)

Nov.12 「一日、本を読んでいる」

■本を読んでいて、銀行に行かねばと思ったのは午後三時を過ぎてからだが、どこのキャッシュディスペンサーも閉まっていた。そうだったのか。日曜日はそういうことだったか。それはそうと、「■問題」についてその後、何通もメールをもらった。iモードで読んでいるという人は読みやすいとのことだが、そうでない人たちは、大半が読みづらいという。もしかすると、読む環境によってずいぶん印象が異なるのではないか。iモードを含めると、大きく五つにわかれると推測されるが(ほかにもあるが)、自分の環境と読みやすいかそうでないかを、またメールしてもらうとうれしい。僕はまず一番に、Macの、Netscapeで確認する。それからWindowsのIEで確認するのだが、正直なところ、Macではそれほど気にならず、WindowsのIEで、しかも、フォントの大きさを「中」で読むと、たしかに「■」がでかく感じ、ちょっとうるさい。「▼」にするのはどうかという説や、「●」はどうか、あるいは、小さな「■」だったらという意見もあった。いろいろな話が聞けてうれしい■
(22:28 Nov.12 2000)

Nov.11 「太陽の塔を見た」

■かつて万博会場だった土地に、国立国際美術館がある。『安斎重男の眼』展を見に行った。現代美術の現場に立ち会いそれを写真に収めた二六〇〇数枚という膨大な作品群。見たね、俺は、三時間かけて。面白くて時間を感じなかった■たとえば、七〇年代初頭の「もの派」の作品など、こうして写真に収めておかなければ消えてしまう種類の作品だし、その記録の意味は大きいにしても、それだけではないと思う。そのときの空気を感じるからだろうか。美術家たちの熱みたいなものが写真から感じ、作品が、単なる写真というより、生々しいドキュメントとして浮かび上がる。九〇年以降の写真からそれが感じられなくなっているのはなぜだろう■それにしても、美術館の外に出ていやでも目に入ってくる太陽の塔はすごいね。でかいよ、太陽のやつ■風が冷たかった。広大な土地に風がふいている。万博が開催された三十年前、ここに来たことがあるが、記憶に残るのは、太陽の塔以外ほとんどない。ただ、周辺に残された建築は当時のデザインだ。あのころの未来。それが面白い。ウルトラマンが出てくるんじゃないかと思わせる風景だ■
(22:19 Nov.11 2000)

Nov.10 「メールをもらった」

■最近、このノートでは「■」を多用しているわけだが、その件に関してメールをもらった。全文、引用する。「最近文章中で『。』の変わりに■を使っていますが、非常にみにくいです。やめていただきたい。早急に願います」とある。本文中に、自分が何者であるかなど一切なく、いきなりこうくるので、礼儀を欠いた書き方も気になるが、しかしこの依頼の内容が僕には面白かった■まあ、一言でいうと、「だったら読まなきゃいいじゃないか」ということになるが、それはひとまずおいといて、1)この人はどうやら僕の文章が読みたいらしい。2)だが、デザインが読みにくいと感じている。こう考えてゆくと、文章と同時に僕がデザインをすることがどういった意味になるのかがここに現れている気がする。読みにくかったら、無理して読まなければいいが、どうやらデザインを改変してもらってでも読みたいようだ。たとえば、「文章を書く人」と「デザインする人」がそれぞれ異なるのだったらわからないでもない。「デザインする人」に、「読みにくいからデザインを変えろ」と意見するのは正しい。もしかすると、「文章を書く人」にとってもそのデザインは意図しないものかもしれないからだ■では、「文章を書く人」と「デザインする人」が同じ人間だった場合、これをどう考えればいいのだ。「デザイン、あるいはレイアウトを含めたテキスト表現」としか言いようがない。Webは、それを簡単に可能にする。テキストの筆者がデザインすることがほかのメディアより比較的、たやすいということだ。だとしたら、ほんとはもっと実験的なことができるのではないかと、可能性をこのことから知ることができる。いま僕がこのページを作る上では、「読みやすい」ということを第一に考えており、たとえば、行の間隔をCSSを使って通常より開けているのもその一つだし(なにしろ、Windows上のNetscapeではただ表示すればぎっしり文字が並び読みにくいことこのうえない)、日付と同時に、「小見出し」のようなものを付けたのも一例だ■なぜ、こんなに親切にするのか疑問がわく。まあ、読んでもらいたいから最大限の努力をするということであろう。暗い部屋で僕の本を読んでいる人がいたら、明かりをつけましょうと、親切にすると思う。で、「■」だが、読みづらいのだろうか。これ、僕の中では、「天声人語方式」と読んでいて、これもまた、「読みやすいように」と思ってしたことだったのだ。うーん、わからない■
(8:58 Nov.11 2000)

Nov.9 「大阪には棲み分けという概念がない」

■大阪のTORII HALLで山田せつ子さんのダンスがある■TORII HALLはとてもいい空間だが、場所がすごいところにあった。大阪は「棲み分け」ということがないのだろうか。千日前商店街の途中の路地を入るとあたりには風俗店などが並びその一画にあるビルの上だ。ビルの下はなにか格闘技のジム。はじめ場所をまちがえたのかと思った■たとえば東京なら、劇場があるのはそれなりの場所で、まちがってもコンテンポラリーダンスを上演するのに歌舞伎町のなかにスペースを作らないと思う■山田さんのダンスの前半、面白い動きがあって、それをどう見ればいいのだろうと、率直に、終演後、質問した■「あれは、笑っていいのでしょうか」■で、笑っていいとの答え■やっぱりそうだったのか、っていうか、自分がそうだと思ったのだし、そう見えたという自分の感じ方にもっと正直であればよかった■ここらへん、実はむつかしいことがあるんだけど、それはまたいづれ書く■山田さんのダンスははじめて見た■ダンスを見ながらさまざまな思いが出現し、いろいろなことを考える。そこにダンサーという風景があるかのようだ。あるいは、絵画の前で立ち止まったときのような感じを受けた■山田さんのお知り合いの方か、楽屋に来た女の人と少し話をした■関西でワークショップをやりたいと話したら、参加したいが、「ある種のワークショップはどうしても受け入れられない」という■聞けば、やっぱり、例のやつ。外国人が指導し、最後に抱き合うタイプのワークショップだ■それができないと、「身体に重しが乗っている」と指摘されるらしい■僕は身体に重しが乗っているような人が好きだ。重しが乗っているような身体には、その身体が表現する特別ななにかがきっとあると思うからだ。それを、「軽く」したり、「解放」することもまたべつの表現を生みだす方法だろうが、無理に解放することはないと考える■
(3:32 Nov.10 2000)

Nov.8 「授業」

■ひとつわかったが、計画を立ててもしょうがないということだ■システマチックに授業をやらないと決めていたし、この授業を受けると誰もが俳優になれるという魔法みたいなことはありえないし、ここで奇跡は起こらない■しかし、おおまかな計画をたてそれに沿って進行するつもりでいた■当然だが学生も生きているし、それと向かい合っていないと授業は進まないとつくづく思う■前日、きょうはこういう段取りで授業をやろうと決め、朝、教室に行くと、まず出席者が思ったより少ない。この段階で、予定が崩れる■その場で、計画を変更■しかも、みな眠そうな顔をしている■で、変更して進行すると遅れて何人かやってくる■また変更■この連続でひどく疲れるのだ■こういったことがあると、システマチックにやるのは授業進行技法としてたいへすぐれたものなのだろうと考えられるが、そうでないところでなにかあるのではないか■わからない■精神的に参ったまま家に戻る■京都はやけに冷えてきた■
(8:32 Nov.9 2000)

Nov.7 「アートコンプレックスにて」

■数時間の睡眠で起床■3時からドゥクフレのワークショップが三条のアートコンプレックスで行われる。見学を申し込んであるのでその準備。気がつくともう15分前だ。自転車で5分ほど■基礎的なストレッチに二時間ほどかけるのを見て、へーと思った■そのあいだドゥクフレはほとんどなにもせず、カンパニーのダンサーが指導■しかもドゥクフレは途中で飽きているという仕草をわざとする■参加者のなかにはじまる前から足を高く上げやる気まんまんのやつがいたが、よく見たら僕のクラスの学生ではないか■えらいなしかし■カンパニーのダンサーの一人、女性はなんだかにこにこしながらストレッチをしている。ごく自然な笑顔。参加者の表情はかたい■「いいダンサーは骨のことをよく知っている」とのこと■なるほどなあ■あといろいろあるがそれはいつかNOTEに書くことにする■帰宅後、学生たちの課題をチェック■授業のある前日の夜、なんだか落ち着かないのだ■
(6:57 Nov.8 2000)

Nov.6 「原稿を書く」

■前回の授業で出した課題の最終提出日■自転車で学校まで行くことにした。丸太町通りから白川通りを抜けるコースがどれだけの時間か計るのが目的で、予定では、丸太町通りと白川通りがぶつかるあたりにある山本屋という喫茶店で休憩することになっている。おそらく山本屋までが30分。そこから先が30分と読んだ■山本屋まで時間通りだった■休憩。コーヒーを飲む■白川通りから学校までは意外なことに15分だった■都合、45分。ゆっくり走ってこの時間。ゆっくり走れば疲れない。坂も平気だ。ただ信号待ちでストレスがたまる。いろいろむつかしい■研究室で学生が提出した課題を受け取る。提出率はたいへんよろしい。提出しなかったり、遅れた者には罰ゲームがあると知らせてあったが、なかには罰ゲームをやりたいという者もいて複雑である。なにを考えているんだ■夜、セゾンの原稿を書く■書いたところまでを読み直したが、全然だめだ。一から書き直し。朝までかかって書き上げた。17枚。それでこれを書いている。次は、『資本論を読む』だ■
(7:36 Nov.7 2000)

Nov.5 「千本」

■原稿を書かなくてはいけないのである■セゾンの原稿。もう一ヶ月ぐらいこれに苦しんでいる。ほかの仕事が滞る■考えをまとめるために外に出る。喫茶店にでも行こうと自転車を走らせているうち、千本通りに出、デジカメを持っていたからWeb用に「千本日活」という映画館と「静香」って喫茶店を撮ることにした■丸太町通りを越えたあたりからすごい坂■僕の自転車は30何段だかの変速ギアつきなので疲れない。疲れないことに驚かされる。七万ぐらいするのをYahoo!のオークションで、一万五千円だかで買ったが、相手は神戸の人、車で京都まで、直接もってきてくれた。しかも新品。関西の人はなんていい人たちなんだ■坂をのぼりきると千本今出川■それにしても、「千本」という地名がなんともいえずいい響きだ■で、千本通りから住宅の並ぶ狭い道を入ってぐるぐる走っているうち、相国寺の敷地に入る■人があまりいないという理由で拝観■庭を見てしばらくぼんやりする■原稿を書くのだった■いつのまにか目的がわからなくなっている■夜、ルーペを買いに行った。河原町の文房具屋。目が衰え、小さな字を読もうとするとめまいがするようになったからだ。ルーペもいくつかあったが、ちょっとデザインのいい眼鏡の形をしたものがある。いくつかの種類。数字が記されおそらく度数なのだろうと思って店のバイトらしき若い男に質問すると、「僕にはわかりませんよ」とすごいことを言った■バイトの力である■
(4:35 Nov.6 2000)

Nov.4 「ドゥクフレ」

■驚くべきことに琵琶湖はあきない■滋賀県立劇場・びわ湖ホールでドゥクフレの『トリトン』を見た■開演時間よりかなり早くホールに着いたので琵琶湖を見ながら時間をつぶしたがあきないのだ■びわ湖ホールに一番近い石場という駅まで京都から30分ぐらいだった。東京の豪徳寺の家から横浜にダンスを見に行くよりずっと近い■地下鉄東西線で山科へ。JRに乗り換え膳所。さらに京阪線で石場までというルート■『トリトン』は面白かった。ただ、いつもより作品全体はこぢんまりしていた気がする■それにしても、「腹のダンス」と、「鞄から出ている手のダンス」だ■劇場で世田谷パブリックシアターの人たちに偶然会った。ドゥクフレと全国を回っているらしい■で、びわ湖ホールの副館長に紹介され、ありがたいが、こういった状況の、「紹介」におけるあの気まずさはいかがなものか。あちらも困ると思うのだ■びわ湖ホールのロケーションはすごい。ロビーから琵琶湖が見える■何人かの学生たちにも会った■帰り、ルートを少し変更したら、浜大津という駅から電車が途中まで路上を走っていたので驚いた■終点の京都市役所前で降りると改札の外は地下街■紀伊国屋書店があって、それとはべつに紀伊国屋書店アートグッズとかいう店があったが、これが噴飯ものの店。ろくなものがない■噴飯ものの店と書くと、なぜか中華料理店のようだ■
(7:32 Nov.5 2000)

Nov.3 「詩仙堂に行った話」

■大学に行った■自転車をぶらぶら走らせているうち気がつくと白川通り。まっすぐ北上すれば大学だ。このルートで行くとどうなのかと試すと学校まで意外に近かった。大学は学園祭で盛り上がっている。韓国人留学生たちがやっている模擬店で、ちじみと、韓国おでんを食べた。うまい。ちじみは食べたことがあるが、韓国おでんははじめてだ■珍味■あと、鉢植えの花を売っている男の学生たちがいて笑った■売るか、学園祭で、鉢植え■ほかにも、Macやターンテーブルを並べVJをやる連中などいてそれに好感を持つ■しばらく学校をぶらぶらし、油画などの作品を見る■うーん……■思い立って詩仙堂に行った■ものすごい坂を登ったね、俺は、自転車で■詩仙堂の庭はきれいだった。観光シーズン。人が多い。南禅寺の庭を楽しむような落ち着いた雰囲気はなかったがとにかくすごくいい■詩仙堂からの坂を一気に駆け抜けると、真っ直ぐ行った先が一乗寺■かつて大森一樹が足繁く通ったという京一会館という映画館があった町。いまはその映画館もない■恵文社という本屋に入り、手に入れました、『テルミン』(岳陽社)■きょうの朝日に、テルミン奏者の竹内正実さんが紹介されていて、本が出ていると知った矢先のことだった■一乗寺をあとにし、まっすぐ南へ走ると驚くべきことに百万遍の交差点に出た■近くに、「百万遍念仏根本道場」があることは以前、書いたが、そこは知恩寺というお寺■境内で古本まつりをやっていた。京都中の古本屋が一堂に会している。知らないけど。こんなに本を並べて店のほうに本は残っているのかと心配になりつつ、物色■気がつくと、七百円ぐらいしか金がない。ほしいものいっぱいだが、五百円の本を一冊■銀行へ■百万遍の交差点を銀閣寺道の方向に少し行き、そこにある進々堂という喫茶店に■ここがいい。すごくいい店だ。ただやっぱり人が多い。観光シーズン。あとうす暗いので本を読むのに目が疲れる■今出川通りを御所の方角へ走るといつものコースのほんやら洞で食事■それでもまだ午後三時過ぎだ■寺町通りを南下。二条を西へ。烏丸通りを越えると、その一画でお祭りをやっているのだった■塩神様が祀られているらしくて、「おしお祭り」という。ほんの50メートルぐらいの祭りで、出店の人たちが暇そうにしている■パチンコがあったり、スマートボールがあったり、玉入れがあったりと、このさびれた感じはただごとではない■不意に買い物をしようとしていたのを思い出し、姉小路を河原町へ。無印良品で、こまごましたもの、たとえば、爪切りとか、洗面所用のコップとか■河原町は休日に近づくもんじゃない■人が多い■たまらない■
(7:07 Nov.4 2000)

Nov.2 「資本論を読む」

■『実業の日本』という雑誌がリニューアルになり、そこで連載することになったのは以前も書いたが、その締め切りの日だと編集者のメールで知った■なにしろ、「資本論を読む」という連載である■読まなくてはいけない。ところがまだちっとも進まないのだ。なにしろ「第一版への序文」とか、「英語版への序文」など、「序文」がしばらく続いて、本文にたどり着けない。まあ、そんなことは高校時代から知っていたが、当時、クラスではちょっとした「資本論ブーム」がありみんな挫折したのだった。私も挫折した。それからかれこれ二十数年、その後も何度か挑戦したが挫折だ。どこまで読んだかも忘れた。だが、今回は仕事だからなにがなんでも読まなければいけない■朝日新聞社が出している、『一冊の本』では、横光利一の『機械』を読む連載を続けているが、あれは短い小説をいかにしてゆっくり読み進め、つまり「いかに読まないか」というコンセプトだが、『資本論』はそういうわけにはいかない。読むのである。最後まで読み進めてこその連載だ■いったいいつまで続くんだろう。もしかしたら、死ぬまでやり通さないといけないのではないかと考えていたら、気が遠くなりそうだ。でも面白いからやる。面白そうだったらなんでもやる。そのための苦労だったらなんてことはない■昼間、自転車を走らせていた。雨が降ってきたのであわてて家に帰ろうと、二条通りを走ったら、二条通りのある一角だけお祭りだった。小規模なお祭り。いったいどういうことだろう■
(3:53 Nov.3 2000)

Nov.1 「コンビニエンスストアー」

■京都は雨■大学は瓜生祭という、つまり学園祭■見たいものがあっで出かけようと思うが、その前に、世田谷パブリックシアターが出している『PT』の座談会のゲラを直さなくてはいけない。手書きで直すのは疲れる。で、へとへとになりながら完成したが、先日来、FAXが不調である。送ることができない。コンビニにでもいけばあるかと思って雨のなかを何軒か探したがどこにもなかった■仕方なしにB4で届いたその用紙をA4に縮小コピーし、試しに家のFAXで送ってみる。なぜか送ることができた。謎である■コンビニで思い出したが、ふとつけたテレビで妙なものを見つけた。ローソンのCMである。ローソンからおもちゃの電車が出てくる。先頭に乗って電車を運転しているのが駅員の格好をしたいとうせいこう君だ。そのうしろに、みうらじゅんが乗っているのはわかったが、もうひとり、弁当を食べている男がどうも怪しい。どこかで見た顔だ。いやな予感がした。比較的、大きな絵になった。やっぱりか。しりあがり寿さんである。なぜこの三人なんだ■でも楽しそうでうらやましい。かつての知人たちはみんないま楽しそうに仕事をしている■関係ないが、NHKのプロジェクトXという番組のナレーションをやっているのがやはり知人の田口トモロヲ君で、元パンクだった人だ。コンビニつながりになるが、きのうその番組では、コンビニ第一号店がとりあげられていた■開店にいたるまでの人間ドラマってやつ■日本ではじめてできたコンビニで最初に売れたもの、つまり日本のコンビニで最初に売れた商品がすごい。サングラスである。なぜなんだ■
(2:13 Nov.2 2000)