また京都とはお別れです。しばらく東京での生活。そして、「京都その観光と生活」は今回を持って終わるのですが、京都の部屋を引き払うとか、京都とお別れと書くと、今年で大学をやめると学生のあいだではもっぱらの評判。そんなことはありません。来年も大学で教えています。ただ、部屋を借りず、東京と京都を行ったり来たりの生活になるでしょう。だから「京都その観光と生活」ではなく、「東京、京都、行ったり来たり」{仮題}といったノートになるでしょう。新幹線での移動にもだいぶ慣れました。それもまたよし。そのあいだたっぷり本も読める。さて、いよいよ「市松生活」の再開です。東京の生活。いかにして私はエアコンが壊れたこの部屋で夏を乗り切るか。小説は書けるのか。お楽しみください。


Aug.6 tue.  「火曜日はゴミの日である」

■早朝、ゴミを出しに行き、ついでに煙草を買った。それ以外、また一歩も外に出ていない。
■資料をあらためて読み、坪内逍遥の原稿を書いているうちに、食事をするのを忘れていた。それで書きたいことが次々あらわれ、結局50枚になってしまった。筑摩書房のHさんからメール。その直前、30枚まで書きましたという僕から送ったメールの返事で、「枚数は20枚前後ですので、あまり長くなりますと、ページ数の関係ですべては掲載させていただけないと思います。少し削る方向でお願いできませんでしょうか?」とあった。
■しかし、50枚だ。少し削るどころの話ではなくなってしまった。どうしたらいいのかまた悩む。ほんとはきょう東京に帰る予定だったが、あしたにする。あした朝早く京都を発たないとまずい。午後3時からNHKで例のラジオ番組の打ち合わせがありすぐに生放送の本番だ。よくわからないせっぱのつまりかただ。50枚だ。渾身の原稿である。こんなに勉強になった仕事も久しぶりだ。
■それにしてもですねえ、仕事でいやというほど文章を書いていながら、どうしてこのノートを毎日たんねんに書いてしまうのか自分でもよくわからないわけですよ。文章を書くのが好きだとしかいいようがない。仕事は仕事として割り切ってしまう人もいて、それを否定しないが、仕事じゃないところでも文章を書いている。好きなのである。どこかおかしいほど書くことが好きなのだ。
■以前書いた、「お金って便利でしょ」と言った人は、その「お金」のために労働していると割り切っている。グラフィックデザインの会社に勤めているという話だが、自分は「デザイナー」ではなく、上から言われた通りに作業する「オペレーター」だと自ら言うそうだ。割り切っている。なにしろ、「お金って便利」な人だ。否定はしない。ただ僕は、仕事が面白くなくては生きていけないし、面白くなくなったらさっさとやめる。収入がなくなってもいいんだ。人間、なんとかなる。なんとかなってきた。
■それにしても50枚である。ほとんど改行のない50枚。どうやって削ればいいかわからない。

(23:17 Aug.6 2002)


Aug.5 mon.  「煙草を買いに行く以外、一歩も外に出なかった」

■エアコンのきいた部屋でずっと原稿を書いていた。
■資料にしている幾冊かの本を読んでいると面白くて夢中になるのは困りものだが、なかでも正宗白鳥の『新編 作家論』(岩波文庫)をついつい読み込んでしまい、その批評眼の鋭さにまず驚き、さらに実作者でありながら、たいへんな「読む人」であることにも驚かされる。たとえば坪内逍遙について書くと、まずそれをどういった状況で読んだか、どれほど読んだかが記され、そこから批評がはじまる。どの作家についても同様で、たとえば「夏目漱石論」の書き出しは、「私はこの頃、はじめて『虞美人草』を読んだ」とあってそれはひどく率直だ。面白いなあと読んでいたが、はたと気がついて、そうだ、そんなことをいまはしている暇はない、逍遙について書かなければいけないのだとまたキーボードに手を戻す。
■30枚まで書いた。元々の依頼は20枚だったはずだが、うっかり30枚になってしまい、それでもまだ終わらない。まだ書くことがある。いったいいつ終わるのだ。
■かと思うと、気晴らしに「SIGHT」という雑誌の最新号を読む。すごくいい。「1976年――『タクシードライバー』がアメリカを撃った年」という文字が表紙にある。マーティン・スコセッシの映画はほとんど観ているが、なかでも好きなのが『タクシードライバー』だとはいうものの、微妙な役どころでスコセッシ映画にしばしば登場するハーヴェイ・カイテルが私は好きなのですね。スコセッシの映画ではないが、『ピアノレッスン』に出ていたハーヴェイ・カイテルが長髪にしており、それを観て髪を伸ばしたことはこれまでどこにも書いたことがない。しかもいまは中途半端な髪だ。坊主頭ですらない。
■そんなことはどうでもいいのだ。原稿を書かなければいけない。

(4:10 Aug.6 2002)


Aug.4 sun.  「原稿を書いていた」

■一日中、原稿を書いていた。ほんとはうちの大学で「ドキュメンタリー映画の世界」という特集が開催されておりきょうが最終日。佐藤真さんの講演を見たとき開場はほぼ満員で学外からかなりの数の人が来ていた。『エルサレム断章』という六時間の作品が上映されたが見られなかったし、ほかにも佐藤さんの作品も見たかった。しかもきょうは、『A2』の森達也監督が来て佐藤さんと対談がある日だ。
■原稿を書いていたんだちくしょうめ。
■それにしても会場の熱気がすごかった。こうしてふつふつと沸きたつものがもっと学校から生まれたらいい。うちの学生はかなりお得だ。これも佐藤さんはじめ教員が素晴らしいからだって書くと、自分も入ってしまうのであれだけど、いや、教員がいいんですよ、ぜったい。

■それで思いだしたが、学内で、ある立て看を見た。どこの大学にもある学園祭はうちの大学では「瓜生祭」というらしいが、去年の瓜生祭、急性アルコール中毒で救急車で運ばれた学生が何人かいたらしい。最後は「おたくの大学のために救急車はあるんじゃない」と出動を拒否されたとの話が書かれ、今年から瓜生祭では酒類は一切禁止となったとある。学校からのお達しなのだな、どこの大学もいまは大学の管理が厳しくなっているのだろうと読んでいて、最後まで読んだところでひっくり返りそうになった。記名者が記されている。「学生自治会」の名前である。
■ばかかこいつらは。
■学生を管理する「御用学生自治会」だったら、右派ってことで、まあ政治的には疑問を持つものの、まだ自覚があるぶんましだ。ばかじゃないかと思ったのはなんの自覚もなく「自治会」を名乗っていると読めたからで、「自治会」と名乗る以上、「大学の自治」や、学生個々が持っている「自治権」、それを代表して自治会が「自治権を擁護する義務」、さらに学生による「自治をする責任」について少しは考えたらどうだ。
■つまり、「学生個々が持つはずの自治権」「自治権を守る義務」「自治してゆく責任」すべてをあっさり放棄し、去年は急性アルコール中毒で大変でした、だから今年からは飲酒は禁止しますってことになってだね、学生自治会としては学生の側に立って自治を守る仕事をなにもしていないではないか。ばかである。ばかものである。「学生ばか会」と名前を変えるべきだ。
■いや、意外にいいな、「学生ばか会」。いつもへらへらしている。へらへらしているから、祭でなにかあっても責任なんかとる必要もない。へらへらしていればいいのである。
■と、そこまで書いていてわたしは「人権」について考えた。「人権」を守っているのは誰だろう。驚くべきことに、警察である。人権を侵害されたとき警察に助けを求めるとしたら、それはつまり「人権」を養護しているのが国家権力であり、国家そのものだということになる。これはいわば、「人権」という戦後民主主義的に発せられたソフトな語り口にひそむ欺瞞性であり、いつなんどき国家の手によって人権が蹂躙されても誰も異議を申し立てられない論理が成立してしまう。「学生の自治権」はどうなのだろう。やはり同様の論理による欺瞞だろうか。考え出すと、長くなるのでまたにする。

■原稿を書いていたのだ。
■書きながら、まだ読んでおくべき資料、書物があると思え、午後、自転車で府立図書館に行った。平日は夜七時までの開館だが、日曜日は五時まで。のんびり本を探していたら時間が来てしまった。まずいと、あわてて資料請求。それからさらに河原町の本屋で何冊か資料になるだろう本、読んでおかなければいけない本を買う。べつに原稿に直接関係するわけではないが、読んでおかないと落ち着いて書けない。あと、勉強にもなった。いろいろなことを知った。明治の文学、坪内逍遥、二葉亭四迷、シェイクスピアと、その翻訳など多くのことを学んだが、これで締め切りを守ってさえいればさらによかった。守らなかったなあ。ぜんぜんだめだ。本当に申し訳ない話である。
■府立図書館の横にある公園でまたぼんやりした。公園には鳩がいる。少し風がふいて気持ちがいい。

(9:05 Aug.5 2002)


Aug.3 sat.  「100枚の気持ち」

■やけに早く眼が覚め原稿を書く。10枚まで書いて改行なし。びっしり文字がならぶ。全文改行なしで書きたいがそうもいかない。その先から逍遥の作品『京わらんべ』の会話部分を引用し、戯曲風に書くとどうなるか、現代文学ではどんな会話体になるかを書いたので改行しなきゃいけなかった。残念だ。このぶんでゆくと30枚くらいになってしまいそうだ。注文は20枚くらいという話だった。いいのかな。締め切りを守らずただ書き続ける。ただただ書き続ける人。それで100枚くらいになっていたらすごいな。狂人である。
■書いているうちにもっと資料がほしくなる。東京だったら家にあるがまた図書館に行こう。京都府立図書館はとてもいい。古い蔵書が無数にあるものの、いま借りている坪内逍遥の戯曲は今後、館内閲覧のみになるとのこと。古い書籍を保護するためだろう。しょうがない。きのう京都にいることの贅沢について書いたが近くにこれだけの蔵書を抱えた図書館があるのもまた贅沢だ。
■この町は適度に狭いところがいい。狭い範囲内にいろいろなものがある。つまり四畳半の部屋に住んでいて手を伸ばすと何でも取れるのに似ている。
■それはそれとして、ようやく調子が出てきた。原稿が進む。それでも午後からオープンキャンパスだ。家を出る。調子が出たところだがしょうがない。スポーツ選手は試合や競技前にアップをしてからだをあたためるが、どんなことでも同じなのだろう。原稿を書くのもそう。からだがあたたまってきたところで中断。学校へ向かう。

■ワークショップの参加者はやけに少なかった。土曜日なのでもっと人が多いかと思ったがきのうが多かっただけにさみしいほどだ。しかもきのうまでとやることを変え、テキストを読むという内容で、内容も地味で静かだった。なにせ、テキストに使ったのがシェークスピアで、坪内逍遥をはじめ、同じせりふを6種類の翻訳で読む。「テキストを読む」でもっと面白いことができそうな気がするが、まだ未消化だ。
■終わったとたんひどく眠くなった。204番のバスで家に帰る。府庁前で降りて西洞院通りを下る。暑かった。ひどく蒸し暑い。部屋に戻って眠ったがわりと早く眼が覚めてしまい、それから原稿の続きを書こうと思うがからだが冷えた。調子が出ない。だめである。
■気持ちとしては、100枚書こう。いや、書かないけどね、気持ちである。そのつもりで逍遥を読む。原稿を書く。キーを叩く。気持ちだ。100枚の気持ちだ。

(5:17 Aug.4 2002)


Aug.2 fri.  「京都でゆっくり考える」

■午後からオープンキャンパスでワークショップの仕事。三日間連続で実施されるその中日。参加してくれた高校生の数もきのうよりっずっと多い。きょうは簡単な劇の構造を使って稽古みたいなことをする。面白かったが、高校演劇出身の受講者が多くて、その演技の体系がうんざりする。生き生きとしたところがなくやけに型にはまった印象だ。中学、高校の教育の反映だろうか。「正解」があるのが中学・高校の教育システムなのだろう。だからって「ゆとりの教育」がいいとはけっして思わないけどね。一概に高校演劇がまちがっているとは言えないが、「正解」を目指すのが高校演劇のやり方だと思えてならず、ひどくからだが窮屈そうだ。そうではないからだの使い方もあることを少しずつ体感させてゆくのがきょうのねらい。少しずつ異なるやり方で短い劇をやってゆく。やがて「正解」から遠ざかる。
■演劇に正解なんてきっとない。
■いま持ってるからだを意識すること、自分のからだをもっと知ること、正解から遠ざかりからだを動かす悦楽を知ってもらうためのレッスン。このあいだの発表公演、『おはようとその他の伝言』に出演した何人かが見学に来てくれた。みんながいるとなんだか楽しい。

■終わってから後期の「舞台表現」を担当する松田正隆さんとの引継ぎのミーティングがある。
■帰りは204番のバス。府庁前というバス停で降りて近くの洋食屋で食事。夕方だが相変わらず外は暑い。小川通りを下って御池通りまで出る。ここはあまり歩いたことのない道だ。烏丸通りから二条城の方向に向かって、室町通り、衣棚通り、新町通り、釜座通り、西堂院通り、小川町通りと南北に走っており、東西に伸びる丸太町通りから御池通りまで細い路地を歩くのが好きだ。烏丸通りは大きな通りなのでそれほど面白みはないが細い路地を歩くといろいろ発見があり、歩きの速度が見つけるものはごく微細なこと。京都の市街を歩く醍醐味だと思う。
■八月の後半に京都の部屋を引き払うが、部屋を借りていた二年間、ずいぶんぜいたくをさせてもらった。二年目から学校が忙しくて観光ができなかったがただ京都の町にいるだけで豊かな気分になれる。いろいろなものを見ることができた。しかしこれはいかがなものか。

高山彦九郎の御所に向かって土下座する像

 京都の学生たちのあいだでは待ち合わせ場所に使われることが多い「御所に向かって土下座する高山彦九郎の像」である。だから待ち合わせのとき彼らは、「じゃああした、夕方6時に、土下座像前で」と言う。渋谷のハチ公前のように京都ではポピュラーな待ち合わせスポットだ。夜、たまたまTREKで近くを走ると怖くてしょうがない。写真でわかるだろうか。なにしろ巨大だ。しかも土下座している。あと、京都の夏らしいのは三条大橋から見る鴨川。

鴨川

 鴨川を見ながら「床」で美味しい料理を食べるなんてそんな贅沢があるでしょうか。一度だけ食べたけど極楽極楽。しかしもっと寺も回りたかった。古寺巡礼。奈良にも行きたかった。八月の末、引っ越しのときはクルマで東京から来ようと思うので時間があったら奈良にも行ってみたい。来年はこれまでのように部屋がないし休日も余裕をもって作れないけど、まあぼちぼち見るか。

 贅沢だった。この二年間は贅沢だった。それとあれです、京都に来てから日本画を見る機会が多くなり、「伊藤若冲展」は特別だったけど寺を歩けば国宝がありそれがまた贅沢。ずいぶん豊かな生活だったな。まだまだ行くべきところはあった。結局、兵庫県立美術館に行く暇がなかったのは残念だったけど。

■京都でゆっくりものを考える。京都で坪内逍遥を読む。京都で逍遥に苦しむ。これもきっとなにかになってゆくはずである。

(7:16 Aug.3 2002)


Aug.1 thurs.  「いろいろ仕事をする八月である」

■筑摩書房から出る単行本のタイトルが思い浮かばないとここに書いたら、編集者のE君からこういうのはどうでしょうとアドバイスのメールがあった。
『長くなるのでまたにする』
 いいなこれ。このあいだこのノートに僕が書いた言葉から取ったとのことで、言われてみればそうだった。というか、しばしば書いているような気がする。なにか論じようとして、「長くなるのでまた」と、ぷっつり中断。いつまでたっても「また」は来ないのだった。しかし、なんの本だろうこれ。それと語尾がぶっきらぼうで、もしこれが、『長くなるのでまたにしよう』にすると、とたんに植草甚一になるから不思議だ。『雨降りだからミステリーの勉強をしよう』という植草さんの本が晶文社から出ていた。さらに考えてみると、『青空の方法』に「動詞で終わる書名は堂々としている」というエッセイがある。安藤忠男さんの『建築を語る』とか、ピーター・ブルックの『殻を破る』。しかし、『長くなるのでまたにする』は動詞で終わっていながらあまり堂々としていないのもいい。
 堂々としているのは恥ずかしいが、かっこいいのも考えもので、ゲラをチェックしていたら文章の中に「ダンシング・キータッチ・エクリチュール」という言葉があった。これもいいかなと一瞬、思ったが、文章の中でちょろっと書いているぶんにはいい。これを書名にするとなんだか恥ずかしい。で、日本語でこれを表現すると、『踊りながらキーを叩いて書くこと』というか、いわば、『踊って書く』だ。どうなんでしょう。だめでしょう。
 このところ、いい書名、いい連載タイトルが思いつかないことが多い。むつかしいな。まだまだ検討中。なにか思いついたら遠慮なくメールで送っていただきたい。

■朝から学校へ。オープンキャンパスでワークショップを開講。ふだん「舞台基礎」の授業でやっていることを断片的にいくつかやってみる。こんなに短かったかと驚くほどすぐに終了の時間になった。中途半端だった。やることをひとつに集中すればよかった。
■終わってから、ドキュメンタリー映画作家で、うちの大学の教員でもある佐藤真さんの講演を聞いた。オープンキャンパスにあわせて大学で「ドキュメンタリー映画特集」をやっており、きょうは初日。僕がワークショップをやっているころ佐藤さんの作品『阿賀に生きる』が上映されていた。連日、観たいドキュメンタリー映画が目白押しだが、ワークショップと原稿があって観られない。4日までやっているので、4日は観られるのではないかと淡い期待。『A2』の森達也監督のいくつかの作品も上映され、さらに森監督も来て佐藤さんと対談をするようだ。観たいな。
■バスで帰る。バス停から家まで灼熱。コンビニでサントリーの「冷却水」を買う。このところこれにこっている。なにやら奇妙な味わいの飲み物だ。

■城田あひる君のサイトの日記がしばらく休止だという。残念だ。以前、頭に異常をきたしている兄(城田君)のことを心配し、しっかり者の弟が、「話を聞いてあげるように」と母親に話したというくだりは声をあげて笑った。城田君の文章はうまい。ただごとではないうまさ。あと、あれです、城田君といい、以前まで参宮橋に住んでいたT君もバンドをやっており、バンドをやっていることを知らないで親しくなった。もし最初からバンドをやっている人だと知っていたら近寄らなかったかもしれない。バンドをやっている人はなんだか怖くてしょうがないのだ。

(4:24 Aug.2 2002)