■午後からオープンキャンパスでワークショップの仕事。三日間連続で実施されるその中日。参加してくれた高校生の数もきのうよりっずっと多い。きょうは簡単な劇の構造を使って稽古みたいなことをする。面白かったが、高校演劇出身の受講者が多くて、その演技の体系がうんざりする。生き生きとしたところがなくやけに型にはまった印象だ。中学、高校の教育の反映だろうか。「正解」があるのが中学・高校の教育システムなのだろう。だからって「ゆとりの教育」がいいとはけっして思わないけどね。一概に高校演劇がまちがっているとは言えないが、「正解」を目指すのが高校演劇のやり方だと思えてならず、ひどくからだが窮屈そうだ。そうではないからだの使い方もあることを少しずつ体感させてゆくのがきょうのねらい。少しずつ異なるやり方で短い劇をやってゆく。やがて「正解」から遠ざかる。
■演劇に正解なんてきっとない。
■いま持ってるからだを意識すること、自分のからだをもっと知ること、正解から遠ざかりからだを動かす悦楽を知ってもらうためのレッスン。このあいだの発表公演、『おはようとその他の伝言』に出演した何人かが見学に来てくれた。みんながいるとなんだか楽しい。
■終わってから後期の「舞台表現」を担当する松田正隆さんとの引継ぎのミーティングがある。
■帰りは204番のバス。府庁前というバス停で降りて近くの洋食屋で食事。夕方だが相変わらず外は暑い。小川通りを下って御池通りまで出る。ここはあまり歩いたことのない道だ。烏丸通りから二条城の方向に向かって、室町通り、衣棚通り、新町通り、釜座通り、西堂院通り、小川町通りと南北に走っており、東西に伸びる丸太町通りから御池通りまで細い路地を歩くのが好きだ。烏丸通りは大きな通りなのでそれほど面白みはないが細い路地を歩くといろいろ発見があり、歩きの速度が見つけるものはごく微細なこと。京都の市街を歩く醍醐味だと思う。
■八月の後半に京都の部屋を引き払うが、部屋を借りていた二年間、ずいぶんぜいたくをさせてもらった。二年目から学校が忙しくて観光ができなかったがただ京都の町にいるだけで豊かな気分になれる。いろいろなものを見ることができた。しかしこれはいかがなものか。
京都の学生たちのあいだでは待ち合わせ場所に使われることが多い「御所に向かって土下座する高山彦九郎の像」である。だから待ち合わせのとき彼らは、「じゃああした、夕方6時に、土下座像前で」と言う。渋谷のハチ公前のように京都ではポピュラーな待ち合わせスポットだ。夜、たまたまTREKで近くを走ると怖くてしょうがない。写真でわかるだろうか。なにしろ巨大だ。しかも土下座している。あと、京都の夏らしいのは三条大橋から見る鴨川。
鴨川を見ながら「床」で美味しい料理を食べるなんてそんな贅沢があるでしょうか。一度だけ食べたけど極楽極楽。しかしもっと寺も回りたかった。古寺巡礼。奈良にも行きたかった。八月の末、引っ越しのときはクルマで東京から来ようと思うので時間があったら奈良にも行ってみたい。来年はこれまでのように部屋がないし休日も余裕をもって作れないけど、まあぼちぼち見るか。
贅沢だった。この二年間は贅沢だった。それとあれです、京都に来てから日本画を見る機会が多くなり、「伊藤若冲展」は特別だったけど寺を歩けば国宝がありそれがまた贅沢。ずいぶん豊かな生活だったな。まだまだ行くべきところはあった。結局、兵庫県立美術館に行く暇がなかったのは残念だったけど。
■京都でゆっくりものを考える。京都で坪内逍遥を読む。京都で逍遥に苦しむ。これもきっとなにかになってゆくはずである。
(7:16 Aug.3 2002)
Aug.1 thurs. 「いろいろ仕事をする八月である」 |