Aug.31 sat. ver.2  「休日と、この二日間」

■ワークショップ最終日を迎えたが、毎日、なんだか疲れて珍しく更新が滞ってしまった。あと、メールチェックするのが怖くて二日ほどメールを読むこともなかった。というのも、原稿催促がきっとあるにちがいないと読めなかったのだ。

■ワークショップ最終日(30日)は、新宿をフィールドワークしてそこから「簡単な作品」を作る作業。最終的には、「作品」と「新宿」という町がどう関係するかよく分からない発表が多かったものの、それはそれで面白かった。六班あってそれぞれの発表と、発表に対する合評形式で進行。観ている者らに感想を述べさせ、発表した本人たちがからだを使って表現することをどう感じたか。「新宿をフィールドワークすること」、それを元に作ったエチュード、室内を使い公演スタイルで発表といった条件などつまり枠組みのなかで一度発表したことと、きょうの発表におけるほとんど枠組みのない状態で発表することをからだがどう受け止めたかなど感想を話してもらう。それで今回のワークショップを締めくくる。
■それぞれの表現形式があって面白かった。
■まだまだからだがかたい者もいるが、枠組みがあるときよりずっとよくなった。終わって新宿で打ち上げ。二次会は初台の僕の家だ。28人居間に入ってもまだ余裕があった。何人まで広い居間に人が入るかという実験だ。まだ大丈夫だ。50人はいけるかもしれない。
■しかし人数が多いと一人一人に目が届かないのはワークショップ期間中ばかりではなく、家に来てもそうで、知らぬ間にシャワーを浴びいていたバカ者が二人いた。入るのはかまわないが、風呂場をきちんときれにして出ればいいのに、そのままほったらかしだったらしくあとで見たら抜けた髪の毛が散乱していた。片づけろよ。最低のマナーじゃないか。こいつら出入り禁止である。

■朝の5時過ぎになってみな帰り、睡眠。朝9時に起床し用事があってクルマで甲州街道を北進。用事をすましUターンして戻ってこようと思ったが甲州街道は渋滞。渋滞でひどく疲れる。寝不足だったので家に戻って寝る。そのあいだに、エアコンの修理に来てくれた。仕事部屋のエアコンだけ故障していて仕事が進まなかったのだ。その後快調。
■BSでJりーグの第2ステージ初戦、ジュビロの試合を観る。ジュビロかろうじて勝つ。そのあと黒澤明の『天国と地獄』をやっていたのでつい見てしまったが、何度見ても面白い。俳優がみんないい。映画産業がまだ豊かだった時代の贅沢さ。深夜は同じBSでスティングの特集。インタビューとイタリアに買ったという別荘でのライブをやっていたので見る。スティングの声はなぜいいのだろう。演奏をするジャズ系のミュージシャンの音にも聞きほれる。しかし、このライブは去年の9月11日、ニューヨークテロのあった日のできごと。スティングの言葉も力なかった。あれからもう一年になる。小説のことを思った。

■原稿を書かなくてはいけなかったが、ワークショップ終了直後でひどく疲れ、仕事をする気力が出ない。なんだかすっかり疲れた。六日間の疲れがどっと出た。きのう(28、29、30日)までの日記はあしたまとめて書く。まあ、ワークショップの日々の記録である。 きょうはとにかく何もする気がしなかった。ぼんやりサッカーを見、黒沢を見、スティングを楽しんだ。そういう日があってもきっといいはずである。

(12:57 sep.1 2002)


Aug.27 tue.  「美術館にゆく」

■ワークショップの一環として恒例の美術館での授業。午後一時、美術館集合。
■東京現代美術館で『横尾忠則展』を見た。六〇年代のポスターから、最新の作品までの大規模な展示に圧倒されるというか、見るのにエネルギーがいる。時間を二時間に設定したが、ちょっと足りない。常設展も見るようにと受講者には伝えてあったが、常設展を見る余裕はほとんどなかった。
■面白かったのは、最近の作品の「Y字路」のシリーズ。つまり三叉路を二またに分かれている方向に視線をやって生まれる構図の作品だが、なにより、その角っこの建物の状態と、左右にわかれてゆく道の先の暗さ。解釈するのはあまり意味がないかもしれないが、「岐路」に立つことの意味と、左右どちらに進もうとそれは「暗闇への跳躍」なのだという作家の姿勢、作家の生き方がある印象を受けるが、それはともかく、なにより「角っこの三角形をした建物」だ。「角っこの三角形をした建物」のわけのわからない形態への興味、Y字路の形態の面白さは格別で、それを見つめる作家の視線に興味を持つ。
■あと、滝。滝のポストカードを集めているという話はどこかで読んだことがあったが、まさかこんなにものすごい数だとは想像していなかった。膨大である。莫大である。手伝いに来ている岸が、その枚数を数えたという。そのこともどうかと思うが、一万枚以上あったという話。あきれてしまった。

■終わってから、班分けをし、この体験をもとに表現方法自由による「作品づくり」の相談を二時間させる。その後、僕と各班で話し合いをする。ひとりひとりから感想を聞き、それにまた、コメントをくわえ、さらに話し合いの結果、作品への作業過程の報告を聞きまたアドバイス。終わって気がついたら、もう七時ちかくになっていた。疲れた。
■美術館の美術書、美術グッズの売店で、美術展のパンフレットと、横尾忠則による現代美術入門書的な新書版の本を買う。家に戻って読んだが生の言葉によって語られる、現代美術と横尾忠則の関わりが興味深く、同時にアートの世界とグラフィックの世界を横断しつつ、「制度としての現代美術」に横尾忠則という存在そのものによって批評してゆく姿がかっこよかった。
■ワークショップのたびに、美術館に足を運び、なんといいますか、ワークショップの「仕事」としては時間外の労働でわりにあわないわけだが、こういう機会がないとついおっくうになりなかなか木場にまで行くことはないのだった。そのためにこの授業は僕にとっては重要だ。以前は千葉の川村美術館に二時間近くかけて「これがアートなの?」展を見に行った。へとへとになりつつ、とても貴重な体験をした。

■帰り、クルマで道をまちがえた。ものすごく遠回りをして家に戻る。家に戻ってほっとするまもなく原稿かよ。いまいちばん焦っているのは、筑摩書房から出す予定の単行本のゲラチェックだ。今月中に戻さないと10月刊行も危ういとの話。まずいぜ。

(3:59 Aug.28 2002)


Aug.26 mon.  「ゴーフルと関西」

■ワークショップ二日目。
■きのう欠席した受講者が新たに加わり、けれどきのう来ていながら休んだ者もいるが、それでも36人ほどになって一人ずつの発表は時間がかかる。グループ単位でやったほうが進行は早いし、僕自身、一人一人の発表に対してコメントしてゆくのに疲れる。ちがうことを言ってあげなくちゃならないし、途中で疲れたからと後半に発表した者らへのコメントが短くなるのもなんだし、へとへとになりつつ、とにかくしゃべる。しかし4時間はすぐに過ぎてゆく。
■また寝屋川のYさんが東京に来ており、ワークショップを見学していった。
■差し入れにいただいたのは、神戸風月堂のゴーフルだった。美味しかった。だけど、入れ物が缶で、缶のふたに大阪城と道頓堀の絵があって、これがなにかよくわからない奇妙さをもっている。関西である。
■で、家に戻るとまた原稿である。原稿ばかり書いている。あと、京都からの大量の荷物が届く。京都の部屋にあったものが東京の部屋にあるのはどこかゆがんだ感覚を生む。それが面白い。『牛への道』というエッセイ集を出して以来、僕は「牛好き」ということになっているのでよく人から「牛グッズ」をもらう。京都にあったものを合わせたら大量の「牛」が仕事部屋に並んでしまった。
■なかでも僕が好きなのは、『牛への道』単行本版の表紙に使われたしりあがり寿さんの振り返る牛の原画だ。額装して飾ってある。いつまでも大事にしたい貴重な一品だ。そういえば新潮社から『牛への道』文庫版が六刷になったと連絡があった。いつのまにそんなになっていたか知らなかった。うそなんじゃないかと思った。
■まだまだ、残暑はつづく。

(3:26 Aug.28 2002)


Aug.25 sun.  「ワークショップ」

■またワークショップがはじまってしまった。
■今回はどうしたわけか、人数がいつもよりずっと多い。39人参加で、4人欠席。それでも35人。歩く練習をやったが稽古場が狭い。あと人数が多いと部屋が暑い。歩くことからはじめる。6日という短い期間だが、一日4時間あるので、考えてみれば大学の一年生の舞台基礎より時間的には多い。いろいろやりたいことがあるが、散漫になるのもなんだし、じっくり腰をすえ、なおかつ新しい試みもしたいがなかなか面白いことが思いつかない。
■かつて僕のワークショップに参加した、岸と伊勢が手伝いに来てくれた。二人に助けられる。岸は肉体労働系のバイトばかりしているまじめな男だし、伊勢は相変わらず人をなごませる。ワークショップに来ていたころやたらものを食べるので驚かされたが、高校の修学旅行で京都に行き食べ過ぎで病院に運ばれた経験があるという。笑うなあ。
■終了後、近くのデニーズに行き、あしたやることをあらかじめ整理しておこうと名簿を見ながら発表の順番をノートに書いてゆくが、岸と伊勢の仕事がのんびりしているので笑える。以前も書いたように、ああそうですかと言われるのを覚悟して言えば、僕は表を作るのが好きで、表を作るときのまとめ方を考えるのが好きだが、二人のやり方を見ていると不器用なので面白くなってくる。で、こうすればいいのにと思うことがあっても黙っていると、ふたり、あ、そうかこうすればいんだ、と突然、その方法に気がつく。それがまた面白い。
■こうしてゆけば、だいたいこうなってゆくと、わかってしまうワークショップはだめだな。システム化されたカリキュラムと、経験だけで仕事をしはじめたらつまらない。新しいことがなにかないだろうか。僕自身が楽しめる新しいこと。

(11:34 Aug.26 2002)


Aug.24 sat.  「東京に戻る。話をする」

■掛川を出るとき雨が降っていた。雨の中を走る東名。それも静岡を過ぎたあたりでやんだ。
■午前10時過ぎに東京到着。早起きしたので眠い。午後、眠る。
■留守電に学生のK君からメッセージが入っていた。僕が京都に行っているあいだ東京に来ていたので、まったく入れ替わりになっていたのだ。夜、携帯に電話すると新宿にいるとのこと。迎えに行って家であれこれ話す。以前からゆっくり話したかったが余裕がなかった。K君は大学でパーフォーマンスの集団を作って活動している。映像を多用し、ダンスを取り入れ、演劇から意図的にずらしたところで表現するK君の舞台は新鮮だし、刺激も受ける。舞台のこと大学のことなど話して面白かった。来年、僕は舞台を再開するが、なにをしようかきっかけがつかめない。こうして人と話をすることがたいせつだと痛感。時間がないのだ。
■舞台に直結するきっかけが話の中で生まれるというより、話をすることで、舞台への気持ちが高まるし、刺激される。そういえば俳優の手塚とおる君とも会おう会おうと、6月ぐらいからメールで連絡を取り合っていたが近々会って話をしたいと思った。もっといろいろな人に会おう。なんというか、どうも最近、人と会うことがおっくうになるのだ。大学やワークショップでものすごい数の人を相手にしているので、仕事がないときぐらい誰とも会わないでいたい気分が強くなっていた。会うべき人には会おう。話を聞かなければと思う。
■気がつくと午前二時だ。K君とその彼女を、宿泊しているという新宿まで送る。
■いい夜だった。

(8:05 Aug.26 2002)


Aug.23 fri.  「休日」

■掛川。両親の住む家で一日なにをするわけでもなくのんびりする。犬の散歩はしたな。クルマを走らせた。夜、静岡だけでしかやっていないスポーツ番組を見た。サッカーの話ばかりだ。長谷川健太がレギュラーで出ている。ワールドカップの解説をやっていたときとはちがってやたらのびのびしているのが変だ。ジュビロの優勝と、エスパルスの第一ステージの戦いぶりを分析する特集。なんていい番組なんだ。静岡県に住む誰かに頼んで毎週、録画して東京に送ってもらおうかとすら思った。
■静岡だけといえば、いま、道路公団民営化は全国的な話題だが、なかでも静岡では第2東名の建設はどうなるかが問題になっているのを静岡新聞で知った。話によると計画では第2東名は制限速度が200キロだという。アウトバーンである。建設が中断し橋桁だけが残された写真が新聞にある。奇妙な風景だ。言ってみれば、確信を持って作られた巨大なトマソン。無自覚に作られた巨大彫刻のようでもある。
■橋桁だけの風景にいまを感じた。いや、もっと複雑なもの。世界のなかでのこの風景。

(11:48 Aug.25 2002)


Aug.22 thurs.  「清明神社に驚く」

■ホテルをチェックアウトし、午前中、電気やガス料金の清算、不動産への引き渡しを済ませる。
■すべて終わるとなんだかさみしくなるのも変な話で、たった二年間だが住んでいた部屋にはそれなりの愛着があるものだ。去年の夏、二年生の発表公演の打ち上げ後、学生たちが部屋に来たのを思い出す。それほど広くはない部屋に20人近くいた。暑かった。あれも楽しかった。
■交通安全のお守りを買おうと陰陽師、安倍清明ゆかりの清明神社に行った。驚いた。「陰陽師」がブームになったせいだろう、以前、行ったときはひなびた小さな神社だったものが、新築して大きな社務所や駐車場ができていた。占いをやっている。一回五千円ぐらい取るらしい。突然の通俗化だ。それでも星形をした交通安全のお守りを買ってしまった。なんというか、御利益というより、デザインである。
■面白かったのは、占いや生まれた子供の命名などの儀式をやる集会所みたいな建物の入り口にあった貼り紙だ。注意がいくつか書いてある。幼児は連れてこないようにとある。理由がすごい。「霊感がはたらかなくなる」らしい。

■その後、河原町まで行っていなかの両親のために土産物を買う。
■三条河原町あたりもよく歩いたのですっかり道を覚えた。京都自体、いろいろな場所に行ったのだな。二年目からは学校が忙しくなってあまり寺を回れなかったし、進々堂やほんやら洞に行く回数もめっきり減ってしまった。今年は時間があれば原稿を書いていた気がする。もっと歩くべきだった。寺を回るべきだった。まだ見るべきものがきっとあるはずだ。

■午後、京都を出発する。高速で掛川へ。夜、U-21日本代表の中国との試合をテレビ観戦。キレがない印象。

(11:21 Aug.25 2002)


Aug.21 wed.  「京都」

■いよいよ引越しも最後の片づけ。午後に引越屋が来るとの連絡があった。予想以上に早いのであわてる。

■朝、二年生のS君とTさんが、洗濯機、冷蔵庫、テレビを引き取りに来る。テレビがほしいと言っていたS君だが実物を見てでかいことに驚き、自分の部屋に入らないと言い出した。仕方がないので、洗濯機らとともにTさんが寮長を勤める学生寮に運ぶことにした。大学の寮は遠い。大学自体が、北白河といって京都でも北に位置するが、さらに北上、岩倉という場所にある。結局、S君は運搬にだけ来たことになって乗っているクルマに洗濯機と冷蔵庫を積み、僕のクルマにテレビを積んだ。
■S君は狂言の家の子どもであり、19歳にしてすでに狂言師だ。なにしろS君の家は室町時代から狂言師として続いているとんでもない家だ。京都はそういうところが面白い。引き払うマンションの近くに御釜師の家がある。茶釜を作っている家だが、現在の釜師は16代目だそうでやはり数えてゆくと室町期までさかのぼることになるのだろう。以前、御釜師の家にある美術館のような空間の展示で「釜師の家に生まれて」というビデオを見た。現在の16代目釜師は先代が早くに亡くなったので若くして家を継がなくてはいけなかった。先代のころからいる職人さんから釜を作る技術を学んで釜師として成長してゆく姿を表現していたが、「職人」はあくまで職人であり、釜師ではない。その家に生まれた子供だけが釜師になる。こうしたヒエラルキーの構造がはっきりしているのが京都なのだろう。
■そうした風土、あるいは歴史は「差別」の構造も生む。
■町がどこかごつごつしている。「差別」はどこにでもあるはずなのだが、たとえば東京では、さもないかのように振る舞い、表面的にはつるつるとした姿をとりつくろうが、「差別」がないわけはないし、むしろ新しい姿をした「階級社会」はよりはっきりした姿で現実として存在する。ないかのようにふるまう。世界は不平等だ。不均衡だ。きれいごとのうそがまかりとおるのが東京のような都市だ。表面をつるつるにみがいたうそくささを感じる。
■京都のヒエラルキーのはっきりした構造を肯定するわけではないが、ごつごつした町とその深部には興味がある。二年間、京都に住んでいろいろ見たが、まだ見えてこないものがある。強い意志で見ようとしなければ見えてこないものだろう。

■引越し完了。あした不動産に立ち会ってもらい部屋の引き渡し。ふとんも運んでしまったので一晩だけホテルを取った。

(10:03 Aug.25 2002)


Aug.20 tue.  「鹿に足を踏まれる」

■朝、わりと早い時間、堀川五条にあるファミレスでごはんを食べる。
■で、なにを思ったか奈良に行くことにした。念願の奈良である。思いつきでクルマを走らせる。国道24号線を南下。途中で高速に入り、地図も持っていないのでよくわからないまま進み、気がつくと奈良市内。奈良公園だった。東大寺へ。中学生の修学旅行で来た記憶があるがほとんど覚えていない。南大門をくぐる。正面に大仏殿。よくもまあこんな巨大な建築を木造で建てたものだ。パリのルーブルも巨大なんてもんじゃなかったが、木造であることのすごさだ。そして、でかいよ大仏。面白いのは、大仏殿に入ってくる人がきまって「でかいな」と口にすることだ。大仏を見るとついそう口にする。で、つくづく見ていると、やっぱりでかいよ大仏。なにからなにまででかい。
■鹿に、「鹿せんべい」をあげたのだが、せんべいを持っている人をいち早く見つけうようよ集まってくる。鹿は人の足を踏む。鼻をこすりつける。頭突きもする。
■正倉院を見た。二月堂、三月堂にも行こうと思ったが、暑いし、山の上だし、疲れたのであきらめた。歩いた。かなり歩いた。東大寺は広い。奈良公園は広大。緑が多い。春日山がきれいだ。ものすごく気持ちがいい。思いつきで来たのでデジカメを持って来なかったことを後悔する。

■それで思いだしたが、きのう京都で、陰陽師、安陪晴明ゆかりの晴明神社のお札をデザインしたステッカーをつけているクルマを見た。ああいったお札ってやつにまったく興味がなかったものの晴明神社の札は星形でなかなかいい。あれだったら貼ってもいいかな。ただ想像するに、高幡不動でも、成田山でもいいが、守ってくれることになっている神仏もクルマが登場したときは困ったのではないか。「これを御祓いするのかよ」と新しいテクノロジーに戸惑ったにちがいない。
■奈良公園をあとにする。またあてもなく走る。途中、コンビニに寄って奈良の地図を買った。奈良市が奈良県の北端にあることをそれでようやく知る。明日香村はまだずっと先だ。
■わりと近くにある唐招提寺に行くことにした。金堂は解体工事中で、鉄骨で組んだ仮の建物が囲んでいる。仏像も見られなかった。京都の有名な寺はかなり観光化され周囲に土産物屋だの食堂だのがだーっと並んでいる印象があるが、奈良は地味だ。唐招提寺に向かう途中で見た平城京跡などただのだだっぴろい草原だった。なにもない。唐招提寺のあたりもひっそりしている。

■近くにある薬師寺にも行こうと思ったが唐招提寺で力つきた。奈良はよかった。京都とはまた異なるよさだ。帰りまた高速に乗り、その後、来たときとは異なる国道一号線のルートで京都に戻る。ちょうど夕方になる時間だったが、京都の道はすいている。東京の渋滞は異常だ。都心部はどうかしている。
■家に戻って奈良の地図を調べる。地図は面白い。
■奈良と三重、あるいは和歌山との県境あたりは地図で見てもものすごい土地だ。一度は新宮に行ってみたいが山をいくつも越えなければいけない。熊野も遠い。霊山は人がたやすく出入りできる場所ではないのだな。奈良、和歌山、三重はなにやらおそろしい。だけどいつかは行ってみよう。行ってみなければと思った。

(1:03 Aug.21 2002)


Aug.19 mon.  「片づけ」

■京都の引越しの片づけはほぼ終わる。コンピュータ周辺だけは、メールのチェックと、このノートを書くために残してある。京都においてある本をぜんぶ箱に詰めてしまったので読むものがない。かといってなにか読みたいとまた買いにゆけば荷物が増える。
■二台ある自転車のうち一台は学生に預かってもらい、来年の四月からの移動手段として活用することにした。TREKは東京へ。冷蔵庫と洗濯機は学生寮に運ぶ。学生に活用してもらうことにした。テレビも学生にあげる。無印良品で買ったベッドはもらい手がなかった。でかいよベッド。
■この部屋ともお別れだ。祇園祭になるとすぐ近くで祭りがあってとてもよかったし、夜になれば静かだが、市内の中心部にあってどこに行くにも便利な場所だった。河原町まで歩いてゆける。新風館もごく近い。自転車を飛ばせば府立図書館もすぐだ。便利だった。ぜいたくをさせてもらった。京都にいること自体がぜいたくだったけれど。
■来年からは新幹線で通うことになる。
■それはそれでまた楽しい。

(23:47 Aug.20 2002)


Aug.18 sun.  「名古屋人を敵にまわす」

■朝、四時に眼を覚ますつもりが寝過ごした。気がついたらもう六時過ぎである。
■あわてて準備。コーヒーだけ飲んで七時前に出発。東名袋井のインターから京都を目指す。問題は京都に着いてからクルマをどこに駐車しておくかだ。駐車場に入れておけばもちろんいいが、駐車場料金がばかにならないというより、莫大な金額になってしまう。そんなことを考えつつ、東名を走る。途中、トイレに行きたくなったので名古屋の手前のパーキングエリアで休憩。ここらあたりからあきらかに言葉が多少ことなり「どえりゃあ」と口にする家族がいた。愛知県だ。
■また走る。名神に入る。途中、追い越し車線を走っているとスカイラインが背後に迫り、どけよとばかりに右のウインカーを点滅させる。何様のつもりだ。腹がたつ。ばかやろう名古屋ナンバーのスカイラインめが。こっちは品川ナンバーだ。走行車線に入って抜かせてやるかに見せておき逆にスピードをあげる。追い越し車線を走るスカイラインとならんで走り、少し加速しスカイラインより前に出ると車線変更してスカイラインを追い抜く。スカイラインがパッシングする。怒っている。ざまあみろばかやろう。日産のくせに。優勝目前でジュビロ磐田に逆転優勝されたメーカーのクルマがなにを言ってやがる。しかも名古屋ナンバーだ。そのまま走る。スカイラインかんかんである。まあ、怒ってもしょうがない。僕の運転も意味不明だ。

■京都に着いたのは10時少し前。
■ファミレスで休憩。いきなり隣の席は京都の言葉だ。来たなあ、関西に、としみじみ思う朝ごはん。それから烏丸御池を目指したが道に迷う。気がついたら伏見稲荷の近くにいた。でも京都の道はわかりやすい。とにかく北へ行けばいいのだと走ると、鴨川が見え、七条を西へ。京都駅の前に出ると烏丸通りを北上。三条で左折。無事到着。
■少し眠る。さすがに疲れたな。寝不足だし。
■夕方、千本今出川近くのホームセンターに行きガムテープなど引越し用の買い物。それから段ボール箱を10箱ぐらいもらう。家に帰って片づけ。掃除。引越しは面倒だ。で、引越しがすんで東京に帰るとすぐにワークショップ。原稿もあるな。きっとある。「ユリイカ」があるな。ぜったいある。

■この夏は「坪内逍遥」で終わってしまった。小説を書くはずだったのだ。筑摩書房から出る単行本のタイトルを決め、ゲラのチェックもしなくてはいけない。戯曲も書くんだった。まあ、なんとかなる。人生はスカイラインを走行車線で追い抜くようなものである。

(5:29 Aug.19 2002)


Aug.17 sat.  「ベッカムは……、と父親は言った」

■朝五時過ぎに東京を出発。首都高を池尻で入ってそのまま東名に入る。渋滞もなく気持ちよく走る。七時半ごろ掛川到着。昼寝。お盆の帰省というより京都に行く途中での休憩だ。あしたにはまた、早朝、京都に向かう。夕方、ワールドカップでブラジル対イングランドの試合があったエコパスタジアムに行くことにした。

エコパの駐車場

 試合のない日のエコパには人の気配がない。ただこの日はなにかあるのか駐車場にクルマがいつもより多く停まっていた。それでも広大な駐車場はがらんとしている。この空虚さはなんだろう。

■夜、ジュビロ磐田の試合を見る。ジュビロ優勝。
■早く眠らなくてはいけないと思いつつ、ついサッカー番組を見てしまった。で、驚いたのはワールドカップ効果だが、うちの父親まで「ベッカムは調子悪いみたいだな」と言い出した。父親の口からベッカムの名前が出るとは思わなかった。ブラジルとイングランドの試合があった日、掛川の町はブラジル人で大騒ぎだったらしい。
■なにかこの国は変わるのだろうか。いや、変わらないかもしれない。変わるとしたら、ただ悪い方向へと進むだけだ。批判する意志。批評する目を鍛えておかなければ。

(19:15 Aug.18 2002)


Aug.16 fri.  「また坊主頭に」

■三月に髪を坊主にしに行って以来、五ヶ月ぶりぐらいで髪を切りにゆく。
■いつもの髪を切る店だ。以前も書いたと記憶するが、ふつうの理髪店なら坊主頭と言えばバリカンだが、はさみで坊主にしてゆくのがすごい。しかも頭の形に合わせて切ってくれる。へこんでいるところは少し長め。全体がきれいな坊主頭になるのには感心させられる。
■予約していた時間より少し早く着いてしまったのであたりをぶらぶらする。
■青山ブックセンター青山本店。買いたい本が山のようにあって困る。きりがないので早々に店を出る。あたりをぶらぶら。途中、ギャラリーを見つけた。若い美術作家たちの作品が展示された企画展をやっていた。いいものもあれば、だめなものもある。どういった趣旨なのかわからないが、ほぼ30センチ四方の作品ばかり壁に大量に展示されている。映像作品もあった。見たのはあまりよくない作品だった。がっかり。
■あまり刺激される作品に出会わぬまま、また湿度の高い外へ。
■久しぶりの都心。青山。いろいろな人が歩いている。見ているだけで興味深い。
■坊主頭にしてさっぱりする。快適である。夜、コンビニで「ブルータス」の最新号を買った。面白かった。早めに眠る。あしたは掛川へ早朝に出発予定だ。

(16:24 Aug.18 2002)


Aug.15 thrus.  「鍼治療」

■またクルマの話で申し訳ないが、あらかた東京を走ってしまいさらに遠くへ行きたくなるものの、走っているとなぜか吸い寄せられるように靖国神社の前に出てしまうのだった。まあ、靖国通りをつい走ってしまうことに問題があるわけだが、できるだけ避けよう避けようと走っているのに、いつのまにか靖国神社の前にいる。いったいなにがあるというのだ。そんな8月15日だ。
■久し振りに、からだのメンテナンスに行った。
■鍼治療である。予約の時間よりかなり早く到着してしまったが、時間まで待っていようと思ったら「どうぞどうぞ」というので、二時間近く鍼を打つ。きょうは腰ではなく、肩を中心に治療してもらった。がちがちになっていた。念入りの治療でだいぶ楽になる。まめに治療を受けるようになってから腰はだいぶよくなり、以前あった、歩けないほどの腰痛から解放された。しかし、痛いよ、鍼は痛い。

■ところできのうのこのノートはiBookで書いた。キーボードに慣れなくて文章がたどたどしい感じがする。元々、テキストペースのもの、原稿やメールはほとんどWindowsで書いているが、このノートに関してはMacで書き、しかしキーボードは共通して、Happy Hacking Keyboardだ。アップル純正のキーボードがだめなのである。慣れだと思う。たいていのことは「慣れ」である。原稿類はどうしてもWindowsじゃなくちゃだめで、これも「慣れ」の問題だ。
■iBookは形がきれいだからいいとしても、とにかく重い。なにが小型で軽いだ。これが、PowerBookだったら重いのも許そう。PowerBookは重いと決まっている。iBookの売りのひとつが「小型・軽量」じゃないのか。重いじゃないか。つまり、「PowerBookよりは軽い」ということなのだろう。形がきれいだから許そう。
■関係ないが、笠木からメールがきた。なぜか笠木は僕が乗っているクルマの名前を知っていた。どこからどう漏れたかわからない。まったく世の中、油断がならん。そんな8月15日である。

(13:14 Aug.16 2002)


Aug.14 wed.  「エアコン」

■ようやくエアコンが新しくなったのだった。冷えるね、エアコンは。快適である。

■朝、「一冊の本」の原稿を書きあげる。その後、エアコン工事の人たちがやってきた。黙々と作業をする工事の人たち。僕は黙って見ているしかない。あたりまえだけど。しかも暑い。全員、汗だくである。工事の人たちが腰から下げている道具を仕込んだベルトのようなものがうらやましい。そもそもドライバーやスパナをはじめとする工具は魅力的で、工具がほしくなる。
■工具というか、あらゆる種類の「道具」のデザインはなぜそそられるものがあるかだ。「デザイン」とはなんであるか。デザインが人に与える影響。デザインが働きかけてくるもの。ただ、デザインと、ファインアートをわかつものはきっと存在し、けれどどちらが「上」ということなどなく、ただ「いいデザイン」、「いいファインアート」は確実にあるし、逆に「だめ」もある。ああ、そうですかと言われるのを覚悟して書けば、僕は「デザイン」しがちだ。文章もそうだし、舞台もそう。そうではないものがきっとあるはずなのだが、体質的にそれはあり、大学で太田省吾さんが二年生を中心にした7月の発表公演の反省会で、「宮沢君は気になるんだな」と僕の演出についておっしゃり、それがずっと、それこそ「気になっている」のだ。それはデザインしがちな体質ということではないか。演出について考える。いや、演出ばかりか、文章もなにも。
■大学にいると、太田さんに限らず、ほかの教員や、あるいは学生たちから様々な刺激を受ける。刺激を受ける場所だ。

■で、「道具」の話だが、コンピュータの自作や改造も面白かったが、いろいろ読んでいるうち、クルマも自分でなにかしたくなったのだった。するとそのための道具がほしくなる。工事の人たちが使っていた工具がうらやましい理由のひとつにそれがある。ただコンピュータは部屋で改造ができるが、クルマはそうはいかない。でかいよクルマは。
■簡単にできるところで、とりあえず、オーディオを交換したのだった。Yahoo!のオークションで安く買ったクルマ用のオーディオに交換した。大変だったのは、元々ついていたやつを取り外すことであとは簡単にできた。ただ、元々のオーディオからケーブルがのびておりそれがあると取り外せないからとなにも考えずにハサミで切った。コネクタを差し込んで大丈夫だろうとスイッチをいれると無事、音が出る。だとしたらあの切ってしまったケーブルはなんだったのか。で、こういうとき人は、専門的なマニュアルがほしくなりがちなもので、amazonで、洋書のマニュアルを買った。届いたのはぶあつい専門的なマニュアルだ。これはどう考えても整備工場などで使うものではないだろうか。電気系統など素人にはどうしたってわからない配線図である。
■結局、わからないまま、まあエンジンは動くしオーディオは問題ないと使っていたが、ようやく気がついた。スイッチを入れてもアンテナが自動的に上がり下がりしない。そうか、ここから電源を取っていたのか。するとべつの場所から電源を取ればいいのかもしれないが、一度、押し込んでしまった新しいオーディオが取り外せない。まあ、アンテナがなくてもべつにいいかとあきらめ、そのままだ。

■仕事をしよう。夏である。夏は修行の季節だった。

(12:23 Aug.15 2002)


Aug.13 tue.  「花火」

■朝からどこかで花火を上げる音がする。なにかの催しものでもあるのかと思ったが、夕方、遠くのビルの窓に花火が映っているのが見え、神宮外苑の花火大会だと知った。マンションの屋上に出ると、遠くにあるビルの上に花火が見える。さぞかしオペラシティあたりはながめがいいだろう。見えることは見えるが、やはり遠い。もうひとつ楽しめない。隔靴掻痒。このもどかしさ。
■神宮の花火はやけに色鮮やかだ。派手である。神宮ということだろうか。
■「一冊の本」の原稿を書こうと思うが書けなかった。エアコンはまだ壊れたままだ。

(10:14 Aug.15 2002)


Aug.12 mon.  「伊地知からのメール」

■「東京人」の原稿も書き終え、やれやれと思っているところに、「考える人」のN君と、「一冊の本」のOさんからメール。もう締め切りだ。あと「ユリイカ」もそろそろ書かなければいけない時期になってきているはずで、しかもこのノートは一日遅れになっている。
■さらに袋井の伊地知からメールが来た。(伊地知については、『月の教室通信』参照)
 宮沢くん、お元気ですか?
 相変わらずお忙しそうな毎日ですね。僕の方は今日から夏休みに入りまして、とりあえずのんびりしたいなーと思っております。実は本当に大した話ではないんですが、8月17日(土)AM8:30〜10:00、フジテレビ系の番組で「いつでも笑みを」という番組でうちの家族が映ります。氷川きよしの追っかけ熱狂ファンということで、先日関西テレビのデェレクターが漫才師のアリトキリギリスといっしょに来ましてうちの家族と家の中を取材していきました。コンサート会場も写すという事で福島まで行きました。2日間の収録が終って、後はどのように編集されてるかとても楽しみです。もし、お暇でしたら、見てください。とても楽しい夏休みになりました。また、掛川に戻られる事がありましたら、ご一報ください。また、焼き肉たべに行きましょう! 以上、伊地知でした。
 あいつ、「氷川きよしの追っかけ熱狂ファン」だったのか。しかも家族で。他人の情熱はわからない。テレビに出てしまったのか。帰郷しても伊地知に連絡するのはぜったいやめよう。17日の朝に掛川に戻るなんてけっして伝えないようにしよう。

■夕方、外に出ると気持ちがいい。ねっとりとした湿度の高い風が吹く。湿度の高い空気がからだをつつむようだ。それを心地よいと感じることもある。この国なのだと感じる。この国にいるのを感じる。

(10:42 Aug.14 2002)


Aug.11 sun.  「BOOK TITLE WORKSHOP」

■その後も、単行本の「書名案」は次々と届く。別ページを作ると言ったが、どういう形にしようか悩む。掲示板スタイルがいちばんいいのだろうか。
■『BOOK TITLE WORKSHOP』という掲示板はどうだ。
■で、数多く届いた書名の中で、いいと思ったものをとりあえずいくつか紹介。福岡県のNさんの案。
「見切り発車とその他の発車」
 最初、「見切り発車」とだけあり、それを発展させるように、「見切り発車とその他の発車」と加えてあった。こうなるといよいよなんだかわからない。とてもよかった。さらに、コンピュータ関係のライターをなさっているFさんも、「こういう祭りというのは、楽しくていけません。つい、なにか考えたくなる」とおっしゃって送ってくれた。
「突然くる」
 そう、たいていのものは突然、来るのだった。腰痛とかね。税金とか。あと、他の人の案のなかには、書名を考えるというより面白いことを書こうとしているのではないかという印象のものもあるし、尾崎放裁の句かと思うようなものもあって、それはそれで面白いものの、繰り返すようだが、「コンペティション」ではないのである。まだまだたくさん送ってもらったが紹介しきれない。かならず近日中に、『BOOK TITLE WORKSHOP』を作るのでお待ちいただきたい。

■50枚書いてしまった筑摩書房の『明治の文学』、「坪内逍遙」の解説だが、死んだ気になって25枚にした。多少の削除をしてもちっとも減らない。四章あるうちの一章をばっさり切った。だから『当世書生気質』についてはまったくふれていないかのようだ。それにしても、作品より『小説神髄』のほうが圧倒的に面白い。いまとなっては笑える箇所も随所にあり、引用したいが、旧かな、旧字が、ここを見ている人の環境で読めるか、機種依存文字じゃないかと不安なのでやめることにした。
■まずMacはだめだな。きっとだめだ。
■ここは「漢字の国」だ。漢和辞典に入っている漢字はすべて表示できるような環境にこの国のコンピュータはならなければいけないのではないか。今回の原稿で、なにが苦労したって、「引用」である。旧かな、旧字を探す手間が大変だった。「漢和辞典」で思い出すのは、ある本を読んで知った「漢字」のすごさで、大笑いしたのだが、長くなるのでまたにする。

(7:59 Aug.13 2002)


Aug.10 sat.  「声を聞きにゆく」

■大変なことになってしまった。また10数通のメールが来てしまったのだ。例の、「単行本の書名案」だけで10数通。とてもうれしいものの、すべて紹介しているとこのノートが大変な長さになってしまう。これまで紹介した「案」も収録し、べつのページを作ることにした。近日公開。少々、お待ちいただきたい。いやあ、面白いなあ。ただ、メールの標題にいまだ「タイトルコンペティション応募」と書いてくる人がいて、だから、言っているじゃないですか、コンペではないんだって。

■お盆の帰省ラッシュ、海外へ遊びに行く人で、東京も少しは人の数が減るのだろうか。
■正月とお盆、この時期の東京はとてもいい。空気も少しきれいになるような気がする。ただそれで道がすくからといって暴走族のやつらが深夜の町を爆音をあげながら走るのはどうしたらいいものか。
■坪内逍遙の原稿が書けたあと少し気が抜けてしまった。本を読むペースががたっと落ちた。ついテレビを見てしまうのですね。で、深夜のNHKで、奄美大島出身の女性シンガーについて特集しており、DEEP FORESTのメンバーの一人が楽曲を提供していることを知った。彼女の歌声は世界的に通用するという。奄美大島に特有の島歌の声の出し方を、DEEP FORESTのメンバーの一人は、「ヨーデル」とも、「コブシ」とも表現しているのが興味深かった。
■ときどきワークショップで「声の講義」をする。世界中の声をサンプルして流し、「いい声」について考える講義だ。絶対的な「いい声」なんてこの世に存在しない。「ヨーデル」も「コブシ」もある。以前、桜井圭介君がその講義に顔を出してくれたときのことだ。なぜヨーデルはあんな声なのか桜井君に質問した。
 ヨーデルの発祥のアルプスあたりは高地だから酸素が薄い。だから呼吸が苦しくなる。するといきおい、ひっと、空気を急激に吸いたくなって、あの独特な発声法が、「ひっ」から生まれた。
 ほんとかよ。すごいことを言っていたものだ。ともあれ、もっと世界中の声を集めたいと思った。DEEP FORESTは世界中から様々な民族音楽の声をサンプリングして音楽を作るが、そういうことをしてみたいのだ。

 それで思い出すのが、マダガスカルに行ったとき、町で耳にした民族音楽の人たちの声だ。女性の声が独特でそれに聞き入った。レコード屋を町で見つけ、マダガスカルの民族音楽のレコードを買おうとしたら店の人たちはすごく親切だった。「これは、マラガシー(マダガスカルの現地の言葉)で歌われているが、それでもいいのか。それでも買うのか」と何度も念を押す。いい人たちだったな、マダガスカルの人たち。そこへゆくとフランス人は気位が高い。しょうがないか。かつてパリは世界の文化の中心だった。それがいつのまにかニューヨークに移ってゆくのは、高度な資本主義への世界経済の変化と無縁ではあるまい。

 なんの話だっけ。よくわからなくなってきた。そうそう、「声」である。「声」はいい。様々な「声」。それを聞きたくて僕はワークショップをやっているような気がする。

■奄美大島出身の女性シンガーを見つけだしたプロデューサはえらいと思うが、僕がワークショップを数多くやっているのは、結局、とんでもない誰かを発見できるのではないかという期待があるからだ。あるいは「出会う」といってもいい。
■大学で、竹中直人に出会ったことはその後の僕にどれだけの影響を与えたかしれない。あるいは、いとうせいこう。二人から受けた刺激は大きかった。ワークショップや、オーディションで、これまで刺激される人に出会ったのはごくわずか。一人か二人。だけどそれが重要だ。その数少ない誰かに会いたくてワークショップをやっている。どこかにいるはずなんだ。きっといる。とんでもない人が。
■だから、その声を聞きにゆく。

(10:15 Aug.11 2002)


Aug.9 fri.  「油断はしない」

■筑摩書房から出す単行本のタイトル案は次々と届く。ほんとうにありがとう。東京は中野に住むTさんからのメール。「現在、題名コンペティションを開催中とのことで」って、やってませんよべつに「コンペティション」は。だけどこの盛り上がりは楽しい。
「壁のない窓をあけてみる」
 あけられるものでしょうか?
「っぽい」
 普段、周りの人がよく使う言葉です。何っぽいかは分かりません。ただ皮肉いっぱいな感じです。批評文には不適切な気もしつつ。
 さらにTさんは書いている。「コンペの〆切はいつでしょうか?」って、だからそういうことではないのですね。さらに採用者には記念品贈答とかそういったこともやっていないのである。さてしばしばこのノートにも登場してもらっている元参宮橋に住んでいて現在は江古田に住むT君からも案を送ってもらった。
『彼読む、故に我在り』
 別役実氏の『思いちがい辞典』収録の「蝙蝠傘」を読んでいましたら、「それをさし、もしくはそれを手に持つことによって、人間がそれまでとはほんの少し違う人間であるかのような、不思議な感触を与えてくれる道具だからである。その意味で私は、むしろ雨の方が、我々に蝙蝠傘を楽しませるために降ってくるのだとすら、考えている。」という文章にぶつかり、この逆説めいた物言いが面白いなと思い、上記のタイトルに行き着いたのでした。本当はもちろん宮沢さんが存在しておられて、文章をお書きになるので、読者が読むわけですが、それを逆にしたらこんな感じだろうか、というアイディアです。
 別役さんらしい「一見もっともらしいが、よく読むとでたらめな論理」だ。で、『彼読む、故に我在り』はちょっと硬い気がする。次に、札幌のTさん、と、本日は「Tさん」の日である。
「THE THE」
 THEをつけるのが結構好きです。じゃ、そのTHEをTHEの前につけるとどうなのだろうと思いまして。
「読む人知らず」
 短歌などの詠み人知らずをもじったものです。だって誰が読むかなんて知らないじゃないですか。
「これなのか?」
 何がだ?
「埋めますか?それとも燃やしますか?」
 人は自分が死んだ時「火葬」か「土葬かを選べるのだろうか。このせりふは誰に向かって言われるのだろう。
 ちなみに、前出の江古田のT君はバンドをやっており、バンド名が「ヨミヒトシラズ」だ。「THE THE」がいい感じだが、文法的にはいかがなものなのでしょうか。

 それで、ことの発端とも言うべき、『長くなるのでまたにする』を考えてくれた編集者のE君からもメールがあった。
「単行本の書名をみんなで考える」スレッド、なんだか順調に育ってますね。ぼくは根が「立ち上げ屋」なもので、こういう「祭り」(2ちゃんねる風)状態も、ネットワーク上で成立しうるひとつのワークショップかもしれない、と思いながら拝見しています。とはいえ、そのうち「タイトルが決まった」という見出しのもとにいつかは「正解」が決まってしまうんですよね。決まるまでのプロセスの中で、アクセスした人たちがその人たちなりの発見をしてくれればいいですね。ネットワークとコミュニティとの関係まで突っ込んでいくととても面白いのですが、長くなるのでまたにします。
 やっぱり人は話が長くなりそうになると、「またに」したくなるのだな。でも、「ネットワーク上で成立しうるひとつのワークショップ」という意見はまったくその通り。ただ、ワークショップは「正解」を出さず「ヒント」となることからきっかけを見つけ、その後、各自が「正解」を探せばいいが、書名は差し迫っているのだった。「正解」を出さなくてはいけない。

 ちなみに単行本を担当する打越さんは、僕から送ったメールを読んで、『東京の身体』と書いてくれた。打越さんは本文を読んでいるし、文章の多くに「からだ」が出てくることを知っている。僕は『トーキョー・ボディ』はどうかともちらっと書いていたのだった。じゃあ、みんなからの「案」はなんだよってことになって申し訳ないのだが、でも参考になります。断じて参考になっているのです。なにか連載をはじめるとき、どれかを使いたい。『アルペンスキー大全』なんて連載があったら笑うでしょう。内容はまったく関係ないのに。あと『愉快指数』。それよりこうして各地から届くメールがとてもうれしい。今後も遠慮なくメールしていただきたい。

■夕方、自転車で新宿に行く。風が気持ちよかった。アップルが出しているビデオ編集ソフト、「Final Cut Pro 3」のアカデミックパック版を買おうと思ったのだが、「Final Cut Pro 3」のアカデミックパック版は店頭には置かれず、審査を受けてそれに通らないと買えないという話である。どういうことだ? 僕はそうは見えないかもしれませんがれっきとした映像舞台芸術学科の教員だ。面倒だなしかし。
■で、「PhotoShop」のアップグレード版を買ってしまおうかと思ったが、来年の公演に向けてビデオ編集ソフトがほしかったのだ。べつにソフトがあればいい映像を作れるわけではけっしてない。もっと映像について学ぶべきことがあるはずだ。このさいだから買っておこうと思ったがつくづく面倒である。
■しかたがないので、青山ブックセンターに行く。川村湊の『日本の異端文学』、荒俣宏の『プロレタリア文学はものすごい』ほかいくつか買う。坪内逍遙と明治の文学を調べているうち、日本の文学史を広い視野であらためて勉強するのも面白いと思った。荒俣宏さんが「プロレタリア文学」について書いているのがそもそも興味をそそられる。ところで、『日本文学史』(中公新書)で奥野健男はこう書いている。
 四迷、鴎外などの文学を後ろから引っぱっていたもの、彼らが渾身の力をこめてたたかっていたものは、春水を今なおベストセラーにする江戸文学の巨大な伝統、つまり西洋近代文学とはまったく異質な、日本の文学全体だったのです。そのことをはっきり認識しない限り、逍遥、四迷、鴎外、紅葉、露伴、透谷らの近代文学の先駆者たちが何とたたかい、苦しんだか、あるいは何を基盤として西洋文学と対決し、摂取したか理解できないことになります。
 太宰治について猪瀬直樹が著した『ピカレスク』で書いているのも、太宰治のたたかいのことだ。井伏鱒二を代表する文学が持つある種の保守性に太宰がいかにたたかっていたか。そしてその死もたたかいのためにあったとする猪瀬の推論はスリリングだった。演劇でも、小説でも、エッセイでも、あるいは「笑い」でも、たたかわねばな。その先へ。油断しているひまはない。ちょっとした成果が生まれてもほっとしているひまはない。相手は巨大だ。

■こんどの単行本に北野武監督の『キッズ・リターン』について書いた文章を入れる。
■あの映画の中、主人公のボクサーに減量を助ける利尿剤を渡す人物(モロ諸岡)について、「たたかうべき相手は、あんなふうに親切そうに向こうからやってくる者ではないか」と、ある人が僕に話してくれた。そのことに刺激されて書いた。そうなのだ。敵はわかりやすい姿をしてこちらに向かってはこないのだ。「やあやあやあ」と親切そうに手を差し出しながらやってくる。油断してはいけない。そんなふうに書いていたのは、たけしさんのことを考えているからだ。たけしさんはきっと油断しないし、タイトに仕事を続ける。水を張った洗面器に顔をつけ呼吸の苦しさに耐えている。顔をあげたら負けだというように。だから僕はいまも変わらず20数年来、たけしさんのファンだ。生ではじめて見たのはいまはもうない渋谷のジアン・ジアンの舞台だった。同じジアン・ジアンの柄本明さんをはじめて見たのも20数年前。二人が、僕にとってはずっと変わらぬアイドルだ。

(6:35 Aug.10 2002)


Aug.8 thurs.  「単行本のタイトル特集」

■坪内逍遙に関する原稿は50枚ちょっとで書き終える。これを25枚にしなければならない。あと『東京人』の原稿を忘れていた。ほんとはいくつか依頼されて返事すら忘れている仕事がある。夏だからしょうがない。なにしろエアコンが壊れているのだ。

■そんななか、たくさんの人から単行本のタイトルをメールで送ってもらって救われる。ありがたい。いろいろあって楽しんだ。まず、「高田馬場方面にある大学に通っている学生で、転び公方リバースといいます」という方からの案。いくつかあったがそのうち二つを紹介したい。
「手前味噌」
 僕は文学部の文芸専修というところに所属しているのですが、創作の授業で自分たちの作品を掲載するためのホームページを作ることになった時、そのホームページの名前として僕はこの名前を提出しました。しかし担当の先生の「ふざけた名前は排除する」という一言で見事にこの名前は黙殺されてしまいました。個人的に言葉の響きも、文字からくるワケの分からないイメージも好きなのですが、どうでしょうか。ちなみにそのホームページの名前はコンペの結果「風音(かざね)」に決まりました。小学生の文集みたいで素敵です、そのセンスを見習いたい。

「愉快指数」
 前々から「不愉快指数」があって「愉快指数」がないのは何故なのだろうと気になっているのですが、宮沢さんはどう思われます。意味は全然ないです。
 そうか、『手前味噌』は誰かのエッセイ、かなり古い人のエッセイ集にタイトルがあったような気がする。『愉快指数』はなかなかよいですね。これ、どこかでなにかに使わせてもらおう。エッセイ連載のタイトルとか。しかし、『風音(かざね)』はいかがなものでしょう。どうなんでしょう。

 次は、かんぱちさんからの案。
「読みすぎて立ち眩み」
 何だそりゃ。『書く事が好きでしょうがない』 以上に 『読むことも好きでしょうがない』 みたいな気がしたので。立ち眩みなのはただ単に私が不健康で立ち眩みばかりしてるからです。
 ほんとに「なんだそりゃ」という気がしないでもないが、それで思い出したのは「立ちくらみ」をもう長いこと経験したことがなかったことだ。あれは急に立ち上がるとそうなるものだが、考えてみると老人はきっと立ちくらみしないだろう。急に立ち上がることがないからだ。のそーっと立ち上がる。立ちくらみのつけいるすきがない。

 次は、Oさんという方から。
「ゆめゆめいうべからず」
「吉野家ダンス」
「お父さんには内緒」、あるいは「お父さんのは内緒」
 こうなるともう、どう反応していいかわからなくなった。「お父さんには内緒」は、なんだか向田邦子にありそうな感じがする。なかったかな、そういった書名。

 向藤原さんからまた届いた。
「嚥下困難」
 どうでしょう。ぴったりではないでしょうか? 飲み難い=ちょっとそれは受け入れ難い。みたいなー私自身が嚥下困難なもので。というのは変な意味じゃなく、純粋にお薬のことですけれども。
 そうか。やっぱり向藤原さんでは、『アルペンスキー大全』だったな。あれはすごかった。神戸のTさんも大量だったが、そのうちの二つ。
「アウト オブ エッセイ」……そのままです。
「お猿が戦車に」……映画「アンダーグラウンド」にでてきたセリフから。
 なるほど、『アウト オブ エッセイ』がよいのではないだろうか。たしかにそのままだが、ちょっとエッセイを書くことに新鮮みを失っている気分と重なっていい感じだ。

 Hさんというはじめてメールをもらう方はこうだ。
「何をいっているのだこれは。」
 もう端的にこれひとつ。「何をいっているのだこれは」は僕がよく使うフレーズだな。で、Hさんのメールには、僕の書いたエッセイに出てきたという「加除」という言葉について調べてくれた旨の話があり、「加除」とは「バインダー方式」のことだという。「新日本法規出版のページによれば、-----加除(さしかえ)式とは、●加除(さしかえ)式書籍は、通常の書籍とは異なり、ファイルやバインダーのような形で製本されております。● 法令の改正等により、書籍の内容に変更があった場合、その部分のみを差し替えれば“常に最新内容”の書籍に更新していくことができます。 ●したがって、ご購入いただいた書籍をいつまでもご利用いただくことができます」とあったとのこと。「加除」と書いて、「さしかえ」とは思わなかった。

 さらに「難読奇姓」な方からもメールが来た。「釼先」さんだ。これで、「ケンザキ」と読むとのこと。言われてみれば納得できるが、「釼先」という字面がすごい。
「正しい枕」
「飲まれないグラス」
「立ち上がり漢」
「風吹き抜ける、壁」
 そして、「ここまで書いてなんだか非常に訳がわからなくなってきているのですが、どうでしょう?」というが、それはこっちの台詞だ。「3月の池袋歩け歩け大会に参加した高波」さんからもメール、って、そんな大会はやっていないのだが。
『起きてはいけない事態が発生した場合にすべきこと』
 ある言葉をGoogleで検索していたところ、ぜんぜんちがうものがひっかかりました。そのタイトルがとても印象的だったのでご参考までにお送りします。これが検索一覧に出てきた時はビックリしました。コンピュータシステム復旧に関するファイルみたいですけどね。いきなりこんな言葉を目の前に出されると頭の中でスクランブルかかっちゃいます。「事態が」と「発生」のあいだに半角でスペースが入ってるのも興味深いですね…。
 原文では、「事態が」と「発生」のあいだに半角スペースがあったがWindowsだと、漢字の前に半角スペースがあると文字化けするので便宜上、省略。すまぬ。しかしこれもいい。「起きてはいけない事態」がすでにスリリングだ。なにごとかと思わせる力がこの言葉にはある。「すべきこと」が人の心をくすぐる。買わずにいられなくなるのではないだろうか。

 最後に、京都の橋本夫妻からの案。
 本の題名は、主人と相談の結果『優先座席』に決定しました。結果がすべてです。
 これもかなりいい。だけど、「結果がすべてです」という言葉が謎だ。あと相談の過程が知りたいものだ。なにが「優先座席」にさせたのか。夫婦のあいだでなにがあったのか。しかも京都だし。

■たくさんのメールで楽しませてもらった。しかし引用するのは大変だった。どうしてこういう作業をまめにやってしまうのだろう。自分でもわからない。単行本のタイトルはまだ決まらない。そして夏は終わらない。さすがにエアコンのない生活にこたえている。

(11:47 Aug.9 2002)


Aug.7 wed.  「東京へ。そして渋谷を歩く」

■6日の深夜というか、7日の未明、原稿を書いていたが、東京に戻る準備をしなければならないと不意に思いたち作業をはじめる。巨大な段ボール箱に小説のために必要な資料となる大量の書籍、CD、秋物の着るものなど入れたら異常な重さになった。キャリーに乗せて近くのコンビニまで行き宅配便で送ろうと思うが、コンビニまでたいした距離でもないのにあまりの重さに汗だくだ。
■さらに手で運べる荷物の整理。iBookを持って行かなければいけない。デジタルビデオ。坪内逍遙の資料。とりあえず読みたい本。キャリーに積む。それからさらにこの夏に読むべき本をべつの箱に詰め、これは出かけるときコンビニに寄って送ることにした。
■筑摩書房のHさんに書けたところまで原稿をメールで送る。50枚になるはずだが、読んでもらっても差し支えない43枚分。それで午前4時過ぎに睡眠。疲れた。あせだく。目が覚めたのは九時過ぎ。ぼんやりする。コーヒーを飲む。タバコを吸う。少し部屋を片づけているうち、もう出かけなければいけない時間だ。12時43分ののぞみで東京に向かう。

■それはそうと、筑摩書房から出る単行本のタイトルに困っていると書いたら何人かの方からメールをもらった。京都の病院で働いているというYさんから提案されたタイトルからいくつかを。
「ビビデバビデブー」・・・とても気になります。誰かに口に出して言わせたいです。誰かが友達にこの本を勧めるところを想像すると少し愉快です。俺がお前にビビデバビデブーとか言わせたいです。多分誰かが1冊買います。僕も買います。
「口実」・・・立ち読みしてから考えます。
「ドーナッツ」・・・あいだのツが気になります。なんだかフワフワしたところ・・・とてもフワフワしています。
 さらにたしか大阪の方だと思うFさん、この人の名前は本名を出したいのだが、というのも「向藤原さん」だからだ。「向藤原」がすごい。それだけでももうすごいと思う。
「アルペンスキー大全」なんてどうかしら? ダメだろうな。
「とりわけ妻が笑う話」なんか語感だけなんだけど、妙にこの言葉が頭から離れないんですけど、これは宮沢さんの言葉でしたか?
「0(ゼロ)になる期待に胸を膨らませて」ふと、何となく。
「クリティカル・マス〜臨界質量〜」自転車絡みで。
「涅槃」シンプル イズ ベストで。
 うーん、「アルペンスキー大全」は少しひかれるものがある。内容とまったく関係ないのがすごい。で、考えてみたら、どんな内容の本になるか説明しないでタイトルだけ募集していたではないか。今回の本は、エッセイ集にいれづらい、書評、映画評、演劇に関する文章、文学の話など、どちらかというと批評めいたものを集めている。その書名に「アルペンスキー大全」はすごすぎる。だって意味ないよ。引き続き募集中

■午後三時半にNHKに到着。五時から生放送。まだ大学生の歌人、加藤千恵さんと話す。携帯やコンピュータのメールで募集したという短歌を紹介しつつの話だが時間が短かった。話すべきことが中途半端なのが気になった。まあそういうものだ放送ってやつはね。終わってから渋谷を歩く。ほんとうに久し振りだ。NHKの仕事につきあってくれた永井と今後の舞台の活動について打ち合わせ。スケジュール表を作ってくれたがやたらワークショップがあるのに驚く。来年の本公演まであまり余裕なく時間が過ぎてゆく。小説を書く時間を作りたいが、作るのは自分だ。そんな条件のなかで書いてこその小説だ。書く。こんどこそはきっと書く。だけどエアコンのない家は暑いのである。

(6:10 Aug.8 2002)