Aug.31 sat. ver.2 「休日と、この二日間」 |
Aug.27 tue. 「美術館にゆく」 |
Aug.26 mon. 「ゴーフルと関西」 |
Aug.25 sun. 「ワークショップ」 |
Aug.24 sat. 「東京に戻る。話をする」 |
Aug.23 fri. 「休日」 |
Aug.22 thurs. 「清明神社に驚く」 |
Aug.21 wed. 「京都」 |
Aug.20 tue. 「鹿に足を踏まれる」 |
Aug.19 mon. 「片づけ」 |
Aug.18 sun. 「名古屋人を敵にまわす」 |
Aug.17 sat. 「ベッカムは……、と父親は言った」 |
Aug.16 fri. 「また坊主頭に」 |
Aug.15 thrus. 「鍼治療」 |
Aug.14 wed. 「エアコン」 |
Aug.13 tue. 「花火」 |
Aug.12 mon. 「伊地知からのメール」 |
宮沢くん、お元気ですか?あいつ、「氷川きよしの追っかけ熱狂ファン」だったのか。しかも家族で。他人の情熱はわからない。テレビに出てしまったのか。帰郷しても伊地知に連絡するのはぜったいやめよう。17日の朝に掛川に戻るなんてけっして伝えないようにしよう。
相変わらずお忙しそうな毎日ですね。僕の方は今日から夏休みに入りまして、とりあえずのんびりしたいなーと思っております。実は本当に大した話ではないんですが、8月17日(土)AM8:30〜10:00、フジテレビ系の番組で「いつでも笑みを」という番組でうちの家族が映ります。氷川きよしの追っかけ熱狂ファンということで、先日関西テレビのデェレクターが漫才師のアリトキリギリスといっしょに来ましてうちの家族と家の中を取材していきました。コンサート会場も写すという事で福島まで行きました。2日間の収録が終って、後はどのように編集されてるかとても楽しみです。もし、お暇でしたら、見てください。とても楽しい夏休みになりました。また、掛川に戻られる事がありましたら、ご一報ください。また、焼き肉たべに行きましょう! 以上、伊地知でした。
Aug.11 sun. 「BOOK TITLE WORKSHOP」 |
「見切り発車とその他の発車」最初、「見切り発車」とだけあり、それを発展させるように、「見切り発車とその他の発車」と加えてあった。こうなるといよいよなんだかわからない。とてもよかった。さらに、コンピュータ関係のライターをなさっているFさんも、「こういう祭りというのは、楽しくていけません。つい、なにか考えたくなる」とおっしゃって送ってくれた。
「突然くる」そう、たいていのものは突然、来るのだった。腰痛とかね。税金とか。あと、他の人の案のなかには、書名を考えるというより面白いことを書こうとしているのではないかという印象のものもあるし、尾崎放裁の句かと思うようなものもあって、それはそれで面白いものの、繰り返すようだが、「コンペティション」ではないのである。まだまだたくさん送ってもらったが紹介しきれない。かならず近日中に、『BOOK TITLE WORKSHOP』を作るのでお待ちいただきたい。
Aug.10 sat. 「声を聞きにゆく」 |
ヨーデルの発祥のアルプスあたりは高地だから酸素が薄い。だから呼吸が苦しくなる。するといきおい、ひっと、空気を急激に吸いたくなって、あの独特な発声法が、「ひっ」から生まれた。ほんとかよ。すごいことを言っていたものだ。ともあれ、もっと世界中の声を集めたいと思った。DEEP FORESTは世界中から様々な民族音楽の声をサンプリングして音楽を作るが、そういうことをしてみたいのだ。
Aug.9 fri. 「油断はしない」 |
「壁のない窓をあけてみる」さらにTさんは書いている。「コンペの〆切はいつでしょうか?」って、だからそういうことではないのですね。さらに採用者には記念品贈答とかそういったこともやっていないのである。さてしばしばこのノートにも登場してもらっている元参宮橋に住んでいて現在は江古田に住むT君からも案を送ってもらった。
あけられるものでしょうか?
「っぽい」
普段、周りの人がよく使う言葉です。何っぽいかは分かりません。ただ皮肉いっぱいな感じです。批評文には不適切な気もしつつ。
『彼読む、故に我在り』別役さんらしい「一見もっともらしいが、よく読むとでたらめな論理」だ。で、『彼読む、故に我在り』はちょっと硬い気がする。次に、札幌のTさん、と、本日は「Tさん」の日である。
別役実氏の『思いちがい辞典』収録の「蝙蝠傘」を読んでいましたら、「それをさし、もしくはそれを手に持つことによって、人間がそれまでとはほんの少し違う人間であるかのような、不思議な感触を与えてくれる道具だからである。その意味で私は、むしろ雨の方が、我々に蝙蝠傘を楽しませるために降ってくるのだとすら、考えている。」という文章にぶつかり、この逆説めいた物言いが面白いなと思い、上記のタイトルに行き着いたのでした。本当はもちろん宮沢さんが存在しておられて、文章をお書きになるので、読者が読むわけですが、それを逆にしたらこんな感じだろうか、というアイディアです。
「THE THE」ちなみに、前出の江古田のT君はバンドをやっており、バンド名が「ヨミヒトシラズ」だ。「THE THE」がいい感じだが、文法的にはいかがなものなのでしょうか。
THEをつけるのが結構好きです。じゃ、そのTHEをTHEの前につけるとどうなのだろうと思いまして。
「読む人知らず」
短歌などの詠み人知らずをもじったものです。だって誰が読むかなんて知らないじゃないですか。
「これなのか?」
何がだ?
「埋めますか?それとも燃やしますか?」
人は自分が死んだ時「火葬」か「土葬かを選べるのだろうか。このせりふは誰に向かって言われるのだろう。
「単行本の書名をみんなで考える」スレッド、なんだか順調に育ってますね。ぼくは根が「立ち上げ屋」なもので、こういう「祭り」(2ちゃんねる風)状態も、ネットワーク上で成立しうるひとつのワークショップかもしれない、と思いながら拝見しています。とはいえ、そのうち「タイトルが決まった」という見出しのもとにいつかは「正解」が決まってしまうんですよね。決まるまでのプロセスの中で、アクセスした人たちがその人たちなりの発見をしてくれればいいですね。ネットワークとコミュニティとの関係まで突っ込んでいくととても面白いのですが、長くなるのでまたにします。やっぱり人は話が長くなりそうになると、「またに」したくなるのだな。でも、「ネットワーク上で成立しうるひとつのワークショップ」という意見はまったくその通り。ただ、ワークショップは「正解」を出さず「ヒント」となることからきっかけを見つけ、その後、各自が「正解」を探せばいいが、書名は差し迫っているのだった。「正解」を出さなくてはいけない。
四迷、鴎外などの文学を後ろから引っぱっていたもの、彼らが渾身の力をこめてたたかっていたものは、春水を今なおベストセラーにする江戸文学の巨大な伝統、つまり西洋近代文学とはまったく異質な、日本の文学全体だったのです。そのことをはっきり認識しない限り、逍遥、四迷、鴎外、紅葉、露伴、透谷らの近代文学の先駆者たちが何とたたかい、苦しんだか、あるいは何を基盤として西洋文学と対決し、摂取したか理解できないことになります。太宰治について猪瀬直樹が著した『ピカレスク』で書いているのも、太宰治のたたかいのことだ。井伏鱒二を代表する文学が持つある種の保守性に太宰がいかにたたかっていたか。そしてその死もたたかいのためにあったとする猪瀬の推論はスリリングだった。演劇でも、小説でも、エッセイでも、あるいは「笑い」でも、たたかわねばな。その先へ。油断しているひまはない。ちょっとした成果が生まれてもほっとしているひまはない。相手は巨大だ。
Aug.8 thurs. 「単行本のタイトル特集」 |
「手前味噌」そうか、『手前味噌』は誰かのエッセイ、かなり古い人のエッセイ集にタイトルがあったような気がする。『愉快指数』はなかなかよいですね。これ、どこかでなにかに使わせてもらおう。エッセイ連載のタイトルとか。しかし、『風音(かざね)』はいかがなものでしょう。どうなんでしょう。
僕は文学部の文芸専修というところに所属しているのですが、創作の授業で自分たちの作品を掲載するためのホームページを作ることになった時、そのホームページの名前として僕はこの名前を提出しました。しかし担当の先生の「ふざけた名前は排除する」という一言で見事にこの名前は黙殺されてしまいました。個人的に言葉の響きも、文字からくるワケの分からないイメージも好きなのですが、どうでしょうか。ちなみにそのホームページの名前はコンペの結果「風音(かざね)」に決まりました。小学生の文集みたいで素敵です、そのセンスを見習いたい。
「愉快指数」
前々から「不愉快指数」があって「愉快指数」がないのは何故なのだろうと気になっているのですが、宮沢さんはどう思われます。意味は全然ないです。
「読みすぎて立ち眩み」ほんとに「なんだそりゃ」という気がしないでもないが、それで思い出したのは「立ちくらみ」をもう長いこと経験したことがなかったことだ。あれは急に立ち上がるとそうなるものだが、考えてみると老人はきっと立ちくらみしないだろう。急に立ち上がることがないからだ。のそーっと立ち上がる。立ちくらみのつけいるすきがない。
何だそりゃ。『書く事が好きでしょうがない』 以上に 『読むことも好きでしょうがない』 みたいな気がしたので。立ち眩みなのはただ単に私が不健康で立ち眩みばかりしてるからです。
「ゆめゆめいうべからず」こうなるともう、どう反応していいかわからなくなった。「お父さんには内緒」は、なんだか向田邦子にありそうな感じがする。なかったかな、そういった書名。
「吉野家ダンス」
「お父さんには内緒」、あるいは「お父さんのは内緒」
「嚥下困難」そうか。やっぱり向藤原さんでは、『アルペンスキー大全』だったな。あれはすごかった。神戸のTさんも大量だったが、そのうちの二つ。
どうでしょう。ぴったりではないでしょうか? 飲み難い=ちょっとそれは受け入れ難い。みたいなー私自身が嚥下困難なもので。というのは変な意味じゃなく、純粋にお薬のことですけれども。
「アウト オブ エッセイ」……そのままです。なるほど、『アウト オブ エッセイ』がよいのではないだろうか。たしかにそのままだが、ちょっとエッセイを書くことに新鮮みを失っている気分と重なっていい感じだ。
「お猿が戦車に」……映画「アンダーグラウンド」にでてきたセリフから。
「何をいっているのだこれは。」もう端的にこれひとつ。「何をいっているのだこれは」は僕がよく使うフレーズだな。で、Hさんのメールには、僕の書いたエッセイに出てきたという「加除」という言葉について調べてくれた旨の話があり、「加除」とは「バインダー方式」のことだという。「新日本法規出版のページによれば、-----加除(さしかえ)式とは、●加除(さしかえ)式書籍は、通常の書籍とは異なり、ファイルやバインダーのような形で製本されております。● 法令の改正等により、書籍の内容に変更があった場合、その部分のみを差し替えれば“常に最新内容”の書籍に更新していくことができます。 ●したがって、ご購入いただいた書籍をいつまでもご利用いただくことができます」とあったとのこと。「加除」と書いて、「さしかえ」とは思わなかった。
「正しい枕」そして、「ここまで書いてなんだか非常に訳がわからなくなってきているのですが、どうでしょう?」というが、それはこっちの台詞だ。「3月の池袋歩け歩け大会に参加した高波」さんからもメール、って、そんな大会はやっていないのだが。
「飲まれないグラス」
「立ち上がり漢」
「風吹き抜ける、壁」
『起きてはいけない事態が発生した場合にすべきこと』原文では、「事態が」と「発生」のあいだに半角スペースがあったがWindowsだと、漢字の前に半角スペースがあると文字化けするので便宜上、省略。すまぬ。しかしこれもいい。「起きてはいけない事態」がすでにスリリングだ。なにごとかと思わせる力がこの言葉にはある。「すべきこと」が人の心をくすぐる。買わずにいられなくなるのではないだろうか。
ある言葉をGoogleで検索していたところ、ぜんぜんちがうものがひっかかりました。そのタイトルがとても印象的だったのでご参考までにお送りします。これが検索一覧に出てきた時はビックリしました。コンピュータシステム復旧に関するファイルみたいですけどね。いきなりこんな言葉を目の前に出されると頭の中でスクランブルかかっちゃいます。「事態が」と「発生」のあいだに半角でスペースが入ってるのも興味深いですね…。
本の題名は、主人と相談の結果『優先座席』に決定しました。結果がすべてです。これもかなりいい。だけど、「結果がすべてです」という言葉が謎だ。あと相談の過程が知りたいものだ。なにが「優先座席」にさせたのか。夫婦のあいだでなにがあったのか。しかも京都だし。
Aug.7 wed. 「東京へ。そして渋谷を歩く」 |
「ビビデバビデブー」・・・とても気になります。誰かに口に出して言わせたいです。誰かが友達にこの本を勧めるところを想像すると少し愉快です。俺がお前にビビデバビデブーとか言わせたいです。多分誰かが1冊買います。僕も買います。さらにたしか大阪の方だと思うFさん、この人の名前は本名を出したいのだが、というのも「向藤原さん」だからだ。「向藤原」がすごい。それだけでももうすごいと思う。
「口実」・・・立ち読みしてから考えます。
「ドーナッツ」・・・あいだのツが気になります。なんだかフワフワしたところ・・・とてもフワフワしています。
「アルペンスキー大全」なんてどうかしら? ダメだろうな。うーん、「アルペンスキー大全」は少しひかれるものがある。内容とまったく関係ないのがすごい。で、考えてみたら、どんな内容の本になるか説明しないでタイトルだけ募集していたではないか。今回の本は、エッセイ集にいれづらい、書評、映画評、演劇に関する文章、文学の話など、どちらかというと批評めいたものを集めている。その書名に「アルペンスキー大全」はすごすぎる。だって意味ないよ。引き続き募集中。
「とりわけ妻が笑う話」なんか語感だけなんだけど、妙にこの言葉が頭から離れないんですけど、これは宮沢さんの言葉でしたか?
「0(ゼロ)になる期待に胸を膨らませて」ふと、何となく。
「クリティカル・マス〜臨界質量〜」自転車絡みで。
「涅槃」シンプル イズ ベストで。