また京都に来ました。夏までまたこちらでの生活が続きます。地獄のような仕事の日々。観光三昧の日常。無事にわたしは東京に戻ることができるでしょうか。「市松生活」はしばらくお休みです。東京に無事帰還できるかわからない日々の記録は、「京都その観光と生活」でお読みください。




Apr.5  「大丈夫ですかと会社員は言う」

■パスポートの申請をしに都庁にゆく。
■むかし申請に行ったときよりずっと窓口はスムーズに手続きが出来るようになっているように思えたのは、気のせいか。申請には期限切れの古いパスポートが必要で久し振りに見た。そこにある写真をアップしたいくらいいまとちがうのがかなり笑える。80年代風の髪型。そもそも若いし。
■都庁にゆく途中、またからだが痛くなる。右の肩から背中、胸のあたりの筋が硬直する感じ。呼吸が苦しくて道の端でうずくまっていたら、自転車に乗った若い会社員に「大丈夫ですか?」と声をかけられた。いい人だなあ。うれしかった。
■京都にゆく準備。そう、あしたの朝、京都。着いてすぐ一年生のためのガイダンス。東京、最後の日。

(6:35 Apr.6 2002)


Apr.4  「府中へ」ver.2

■三ヶ月ぶりに、「小説ノート」更新。
■あと、また青山の美容院で坊主頭に磨きをかけた。美容師の人はすごいね。バリカンを使わずハサミだけで坊主頭にしてゆく。感動的ですらある。さっぱりしました。

■ダイヤモンド社のTさんにお会いしてWEBマガジンでの連載について話す。
■今度は『論語を読む』である。どんなことをすればWEBにおける連載が面白くなるか検討。そのページだけ僕が作り、思いつきで更新してゆくというのはどうかと提案した。原稿料をどう計算したものかわからない。

■午前中、京王線沿線にある府中に行く。パスポートを取る必要があって戸籍抄本が必要だからだ。本籍を府中にしたままなのは失敗だ。こんな遠くまで来なくちゃならない。学生時代にずっと住んでいた町。妙な感傷にふけってしまうのがいけない。府中の町は変わった。駅もすっかりきれいになっている。古本屋に寄った。大学のころもよく足を運んだ店だ。ニューエイジ関連、あるいは、精神世界関連の書籍につい目がゆく。
■だいたい「戸籍」ってなんだ。戸籍なんてものが存在するのはこの国とあといくつか。住民票だけでいいはずではないか。「個人」を、「血縁」や「地縁」にしばりつけようとする制度が、「戸籍」なのではなかろうか。こんどしっかり調べとく。
■京都にゆく準備で忙しい。
■予告していたニューヨークの大学に通っている人のメールはあしたこそは紹介しよう。というか、いろいろ紹介したいメールがどんどんたまってゆく。すまぬ。でもメールはほんとうにうれしい。

■深夜、眠っているところを「ワンギリ」ってやつに起こされた。最初、寝ぼけて携帯の呼び出し音を夢で聴いたのかと思っていたが履歴を見たらちゃんと記録されている。ワンギリだ。知らない電話番号だ。しかも「06」だよ。大阪だよ。大阪のやつめ。プロ野球なんてどうでもいいと書いてしまったがあしたからの「ヤクルト−阪神」戦はきっと面白いだろう。よし、あしたの夜は神宮だ。

(3:22 Apr.5 2002)


Apr.3  「収集と整理」

■参宮橋のT君もサイトを開いていた。サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアーのページなどあって楽しめる。それにしても、寝屋川のYさんの日記も「■」を使い、京都のKさんのサイト、T君のサイトでも使っているので、「■リング」というものをはじめたいような気分になった。ただ城田あひる君のサイトは「■」ではなく、「●」を使っており、「■派」と「●派」の派閥抗争が激化している。うそ。
■さらにこんなページを作ってくれた方もいる。ありがとう。そのページにある「迷うための地図」という表現が面白かった。「迷うための地図」がほしい方は、遊園地再生事業団・永井あてにメールでご注文ください。しかし、Yさん、Kさん、T君、城田君と、それぞれの「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー体験」があって興味深い。

■正直に話そう。最近の私はクルマのことばかり考えている。
■なにが私をクルマに向かわせたか。自動車教習所でなにがあったか。その後の自動車生活はどんなことになっているか。書こうと思えばいくらでも書けたが、よく抑えた。なにしろ恥ずかしかったからだ。しかし自動車教習の日々に救われたような気がする。去年の秋のウツから少しずつ解放された。秋から冬にかけて、いろいろあったよ、うんざりするほど劇的な出来事がいろいろ。
■それは書けないわけです。せいぜい書けたのは「パニック障害」の話くらい。

■でもって春。ニューヨークで大学に通っている方から「9・11」についての生々しい報告のメールをもらった。それも紹介しようと思うがまたあした。小説を書き進めよう。「小説ノート」に書こうと思うことをメモした「小説ノートのためのノート」ばかりがどんどんたまってゆく。
■「小説ノート」に書きたいことは山のようにあるし、それはつまり、その小説に書きたいことが満載ということでもある。「9・11」「オウム真理教」「SM」「ニューエイジ」「いまのからだ」「60年代」「政治闘争」「ラジカリズムからニヒリズムへ」「人格改造セミナー」など、それらがひとつの軸を中心に動き出すように思えてならず、いまは莫大な資料を収集・整理しているところだ。どういうふうに整理していいやらもうわからないくらいの量だ。ニューエイジ関連の収集でこんなにgoogleを使うとは思ってもみなかった。

■そういえば、『茫然とする技術』(筑摩書房)が増刷になると打越さんから連絡があった。うれしかった。そうだ、筑摩書房の仕事をしなければならないのだ。

(0:43 Apr.4 2002)


Apr.2  「文字は動く」

■まだ時間があると思っていたが、来年一月にある遊園地再生事業団の二年ぶりの公演について考える時期になってしまった。あわただしい。活動を休止していたあいだになにかを学び、新しい舞台への手がかりを見つけることができただろうか。心もとない。新しいことをやらなければ二年間休んでいたことの意味がない。
■まず俳優たちのことを考える。誰に出てもらうか。今回は、戯曲を先に書き、11月にリーディングを上演する。そのためのオーディションがあり、仮の配役を決める。リーディングの成果を見て本公演の準備へ。11月の後半から稽古。俳優たちとの共同作業。明けて、2003年の1月にシアタートラムで本公演。夏からはずっと舞台のことばかり考えることになりそうだ。そして稽古。公演は二週間弱。稽古はたいへんだが公演は楽しもう。関西でも公演できたらいいのだが。
■たいへんだけどすごく楽しみだ。

■新潮社のN君と会って、七月に創刊される学芸誌、『考える人』の話をする。結局、僕は「考えない」というタイトルの連載をすることになった。いかにして考えないかを書く。あるいは、考えている途中でやめる。なにかについて考えるのだが、途中で放り出すというのはどうか。
■『考える人』のタイトルページのフラッシュのことを以前このノートに書いたが、サイトをデザインした人ははじめてフラッシュを作ったという。フラッシュを初めて作る人がやっぱりやってしまうのが「文字がびよーんと動く」というやつだ。なぜかやってしまう。なぜか文字はびよーんと動くのだった。
■N君といろいろ話しをして面白かった。たとえば、政治でも宗教でもそうだが、ある意味での「ラジカリズム」が、はじめ理想を持って出発したはずなのにそれがどこかでニヒリズムに転化することについてN君は、最初に抱く「理想」における「明るさ」をまず疑うべきではないかという意味のことを話してくれた。そうか。それは考えてもみなかった。「高邁な理想を掲げた運動の出発点にある明るさを疑う態度」だ。そうした態度によって生まれる新しい運動のスタイルとはどのようなものになるだろう。あるいは、人は「暴力」をそもそも可能性として内に持っていることを自明として考えるべきであるということ。「暴力的なるもの」があってはじめて、人は人であり、「生産」もまた出現する。そのことをはっきり自覚した上で「人」をもっと深く見つめる。渋谷駅前のスクランブル交差点を高いビルから見れば、どうしてぶつからずに人が交差してゆくか不思議だが、それと同様、社会は様々なタブーを制度として築き、「暴力性」を押さえこむ。
■「性」と「暴力」を根源とした「人」の存在をどんなふうに見つめたらいいだろう。それをどんなふうに語ることがいま必要なのか。いや、もちろんそれは「スクランブル交差点を高いビルから見る」というような視点ではないはずだ。まず自分そのものをどう見つめるか。

■たくさんの人からメールをもらう。とてもうれしい。紹介しきれないのが残念だ。きょうこそはと、「小説ノート」に手をつけたが挫折した。そろそろ京都にゆく準備もしなければならない。やっておくべきことがいくつもある。

(3:05 Apr.3 2002)


Apr.1  「よくわからないエネルギー」

■わざわざ書くようなことでもないが、4月になってしまった。
■寝屋川のYさんのサイトのトップページがきれいだ。「桜と太郎」。このあいだ僕の舞台の制作をしている永井が打ち合わせをしに家に来たので自慢の「万博Tシャツ」(ここだけの話)を見せたが、永井は万博といったら生まれる前の話。博Tを見てもあまり感動していなかった。「なんですかこれ?」と首を傾げタグを見ている。いや、あくまでここだけの話だが。というのもそのTは、世の中に出回ってはいけない種類のTだからだ。

■寝屋川のYさんのサイトを読みはじめたのはいつからだったろう。
■もうずいぶんになる。一年以上ではなかったか。面白い文章を書く人だなあと思ったが、人から言われてはじめて、僕の文体に似ていることに気がついた。たしかにはじめはそうだったが、最近のYさんの文章は変わった。なにか自分のものを見つけた印象を受ける。そうやって人は文体をみつけるのだなと思うが、たいがいの表現はそうなのではないか。ひとつには、僕のこのノートからリンクをたどりYさんの日記を読む人が増えたことがあるだろう。見ず知らずの人間たちに読まれることになった。つまり他者に出会ったことが書くことにべつの意識をあたえる。
■いやなもんだよ、他者に出会ってゆくのは。よくわかりあえる仲間うちで楽しんでいるぶんにはこれほど気楽なことはない。アクセスログを解析するとどこから僕のページにやってきたかわかる。横尾忠則さんや、糸井重里さんのページから来たらしい痕跡があって、え、来たのかい、そこからここへと、ちょっとたじろぐことがあるが、それでも立ち向かってゆく。「こんな個人的なことを書いたページを」と思いつつもそれを「見ず知らずの遠い場所にいる誰か」に向けた言葉にする。それが表現。
■それで、思い出したが、わからないページからのアクセスがあった。競輪に関する掲示板らしい。すごく熱心に競輪について語られ頭がさがる。多摩川のサイクリングコースを自転車で走ったとき競輪のことを書いたとはいうものの、競輪のページと僕のページがつながるのが奇妙でどういう脈絡か掲示板にざっと目を通したがリンクしている形跡も見あたらずよくわからない。謎だ。ほかにもエロサイトから飛んできている場合もあってこれもわからんよ。
■競輪のページは面白かった。読んでいたらつい夢中になってしまった。競輪でもやってみようかとすら思ったのだ。

■鍼の治療を受けた。からだがほぐれ右肩も楽になったが、すると妙な意欲がわいてくるのを感じた。なにかよくわからないエネルギーである。そして四月。四月はやっぱりエネルギーの噴出する時期なのだろう。そういえば関西ワークショップに来ていた京大のKは卒業してテレビ制作会社に就職したはずだがどうしていることか。四月だな。また四月。自転車で町を走ろうと思った。

(1:18 Apr.2 2002)