Mar.31  「VIEW POINT OF VIEW」

■結局、東京の家でもコーネリアスを聴いている。
■新宿まで散歩。ヴァージン・メガストアと紀伊国屋書店へ。それから少し歩いて家に戻ると急に外は雨。早く家に戻ってよかった。日曜日の新宿は人が多い。それにしても、新宿は変わったが、なかでも南口周辺の変化は驚かされる。高島屋などが出来、ちょっとした建物の変化、店の変化で人の流れがこんなにも変貌するかと不思議な気持ちですらある。かつて南口周辺は場外馬券場のある荒れた地域だった。いまでも木賃宿の名残はあるが過去がどんどん消されきれいになってゆく。70年代は遠い過去だ。あたりまえだけど。
■それで感傷にふけるわけではないが、パレスチナで繰り返される報復の応酬をニュースで見ると重い気分になるのは、どうしたってあの時代を思い出すからで、まだ高校生だったという18歳の少女の自爆テロはかなりこたえた。僕もまだ高校生だった。その件については「小説ノート」にあらためて詳しく書こうと思う。
■と言いながら、このところ「小説ノート」はまったく進まない。だめである。
■深夜、BSでウィリアム・ワイラーの『我等が生涯の最良の年』を観た。第二次世界大戦後、復員してきた元兵士たちを描いた話だが、そうか、アメリカはこれを繰り返してきたのだと思うのは、ベトナム戦争のあとに『ジョニーは戦場に行った』が作られたように、アメリカにも「戦後」があり、勝者が負った傷をいやすためには繰り返し戦争を起こす以外にないという国家的狂気をそこに感じるからだ。って、『我等が生涯の最良の年』を見てそうはふつう考えないか。リドリー・スコットの最新作、タイトルを失念した戦争映画を見に行かなければと思った。

(6:25 Apr.1 2002)


Mar.30  「サッカーである」

■今年はサッカーのワールドカップがあるからプロ野球が盛り上がらないのは当然にしても、もうプロ野球がどうなろうと知ったことではなくただヤクルトスワローズがいいチームであればいいと思った。なぜ前年の優勝チームが開幕戦を名古屋で迎えなくちゃならないんだ。
■俺はあやうく神宮に行くところだった。
■朝日の夕刊に、「プロ野球背水の開幕」の記事。ワールドカップの影響もあってかげりの見えてきたプロ野球人気を取り戻そうと、全国で開幕戦をやるというのが今年の趣旨らしい。だったら、「巨人−阪神戦」を甲子園でやれ。甲子園が高校野球で使われているのなら日程を変更すればいいだけのことだし、二位だったチームがどうしてそう優先されなくちゃならないのだ。
■こんなばかなことをするプロ野球などどうだっていい。従来からの、巨人だけよければいいという狭小な考え方が改まらない限り人気はもっと下がる。文化としての野球の問題だ。メジャーにくらべてそのレベルの低さはただごとならないし、ましてサッカーの規模の大きさ、構造の深さに比べたらほんとに狭小だ。目先の利益にしか興味がないのだろう。これは「野球」という特殊なスポーツである。やっぱりそうじゃないかと思っていたがベースボールではないのだ。アメリカについていろいろ書いてきたが、アメリカが作り出した良質な文化としての「ベースボール」という世界はたしかに存在し、この国における「野球」は文化でもなんでもない。

■おそらく、この国では「野球」は文化として育たないのだろう。
■読売の言いなりでなにもかもがきまってゆく。
■野球なんてもうどうでもいいのだ。悪あがきなどせず衰退してゆけばいい。サッカーを見よう。あとはメジャ−リーグ。ランディ・ジョンソのピッチングを楽しもう。日本のいい選手はどんどんメジャーリーグにゆくべきだ。結局、この国の狭小さ、せこさがこういうところにあらわれるということだな。「村」である。「村」のなかのせこい「野球」という非文化的なるもの。いやだいやだ。サッカーだ。ワールドカップまであと二ヶ月と少し。スカパーに加入しようかと本気で考えているのだった。

■また、オペラシティで『jam 東京−ロンドン』展を見た。土曜日のせいかやけに人が多い。このあいだゆっくり見なかった映像作品を腰を据えて見る。いや比喩じゃなく文字通り床に腰を据えて見たのだった。

(3:52 Mar.30 2002)


Mar.29  「そしてまた東京」

■掛川から東京へ。
■いま、からだがおかしい。右肩あたりにときどき劇痛があり、肩から背中にかけて筋肉が収縮するような感覚になって呼吸まで苦しくなる。原因を考えてみるとクルマの運転だとゆきあたった。
■ワープロ時代からキーボードを打ちはじめて20年近くなるが、最初、左手の小指を使うことからくる肩こりがひどかった。それまで日常生活で左手の小指を使うことはまずないし、こんなふうに手を動かすこともなかった。右肩の痛みはおそらくハンドル操作からくるものだ。いままでハンドルを操作するような動きをすることはなかった。運転以外であんな動きを人がすることはきっとない。右肩に無理をさせていたのだろう。その疲れがたまっているところへ、先日、関西の面々が来たとき古いMacを見せようと棚から一台運ぼうとして右肩がぐきっとなった。からだが運動についていけないのがかなしい。

■筑摩書房の打越さんからメールをいただく。評論ぽい文章をまとめた単行本が企画会議を通ったとのこと。うれしい。肩は痛いが仕事をしよう。
■あと、肩が痛くてもクルマには乗る。掛川にいるときまたワールドカップの試合もあるエコパというサッカー場に行った。広大な駐車場にクルマを停める。試合のない日はがらんとしている。がらんとした広大な駐車場でコーネリアスを聴く。すごく気持ちがいい。むかしRCサクセションの歌にあった。「市営球場の駐車場でスローバラードを聴きながら眠ってしまう」という歌だ。もう20年以上も前の曲。いまになってあの歌の感覚がわかった。追体験というやつだ。
■この年になってあの歌を追体験するとは思わなかった。

■やぎ隊長からまたメールをもらった。ところが、やぎ隊長の考える「究極の恋愛」は素朴だった。まじめな高校生のような恋愛だった。いや、いいんだけど。それでも。
■というわけで東京に一時的に帰ってきた。来週の後半から本格的な京都生活が夏までつづく。今年の夏もきっとまた暑いのだろうな。

(2:23 Mar.30 2002)


Mar.28  「やぎ隊長からのメール」

■「やぎ隊長」という方からメールをいただいた。先日、「恋愛をしなくちゃいけない時期」のことをこのノートのどこに書いたか質問していた方だ。ノートに書いたことについての感想が書かれている。
「女は恋愛を目指す」っていう言葉・・・10代の頃までの私なら「そういうもんだよね・・・」と思ったかもしれませんが・・・今は、恋愛って別に「目指す」もんじゃないと思ってるし、「面白い」だけじゃ終わらないとも思ってますし・・・
それで「やぎ隊長」は次のように言う。
究極の恋愛って「魂の出会い」だと思うんですよ。
やぎ隊長のくせになにを言いだすのだ。いや、たしかにそうなんだろうと思います。その「魂の出会い」をもっと深く知りたいのです。それと、あそこに書いた、
おそらく、恋愛という「関係の濃度がひどく高まる状態」が面白いからだ。
という節の最後の部分は、「面白いからだ」ではなく、「魅力的だからだ」にすべきだった。ま、いずれにしても「やぎ隊長」にとっては、「面白い」からでも、「魅力的だから」でもなく、「恋愛」はもっと深い観念のつながりとしてとらえたいし、そうであればこその「究極の恋愛」なのでしょう。よくわかります。「究極の恋愛」というものがあればの話です。あるのなら見てみたい。教えてほしい。たとえばかつてどんな「究極の恋愛」があったか。

■また長くなってしまう。言葉を使いすぎだ。

(1:05 Mar.29 2002)


Mar.27  「探偵」

■日本代表が強いので驚いた。
■この時期は野球の話はしない。なにしろある一つのチームのことばかり報道されて気分が悪いからだ。

■うちの大学の同じ学科に、映画監督の林海象さんがいる。
■門上先生の送別会に林さんも来ていたことを書くつもりでいたのに忘れていた。
■いきなり林さんは手帳を出した。見れば、許可証。許可しているのは「日本探偵協会」だ。つまり、林海象さんは映画監督ばかりではなくれっきとした「探偵」でもあった。探偵協会が開いている「探偵学校」に通っていたという話だが、あやしいあやしいと思っていたらやっぱりそうか。尾行の方法だの、歩きながら写真を撮る方法だのいろいろ教えてもらったが、面白かったのは、探偵学校の卒業式だ。卒業証書の授与のとき、校長から証書が手渡されるが名前は呼ばれない。ちらっと校長が視線を送る。それを見逃したり、視線の方向を間違え自分だと思いこんだ人間は卒業させてもらえないという。ほんとうなのか。
■林さんの話は面白いが、ほんとうかどうかよくわからない話ばかりだ。
■ほかにもいろいろ探偵について教えてもらった。たとえば生き別れた親を探してほしいという依頼があったとする。子供のときのかすかな記憶、「名前」と「どのあたりに住んでいるか」といったわずかな手がかりさえあれば、三ヶ月で見つけだすことができるという。たしかにそれもすごいが、なによりすごいのは、「優秀な探偵」の話だ。
優秀な探偵はいるのかいないのかわからない。
 つまり気配を消す。探偵協会が主催する「探偵たちの宴会」があった。優秀な探偵はいつのまにか宴会の輪のなかにいるという。いつ来たのかわからない。そして、いつ帰ったのかわからないうちに姿を消している。ほんとうなのか。そもそも「探偵たちの宴会」という話があやしい。くりかえすが、ほんとうなのだろうか。

■高田馬場方面にある、ある大学に通う花粉症の方から「出会い系伝言板」の話でメールをもらった。男性である。
そろそろ空中を舞う花粉の量も減ってきたのでまたバイトでもやろうかと、面接に行ったところが、「出会い系伝言板」のサクラに関係する会社でした。ボクの仕事は「出会い掲示板」の作成らしいのですが、人手が足りないときはサクラのバイトに応募してくる女性からの電話の応対もしなければいけないそうです。ぼくを面接した女の人は「出会い系掲示板での女性の投稿は100%サクラです」と言い切っていました。中学生の時は「100%」とか「絶対」とか言い切る人が嫌いでしたが、そのあやうさがたまらなくなってしまっています。ちなみにその会社の親会社は音楽事務所もやっているそうです。

そういえばほかにも面接の時「Hな会話とかが生理的に嫌なこととかありませんか?」と聞かれました。電話の応対でどんなHな会話が繰り広げられるのでしょう。風俗店の店主は新人の女の子に店主自ら相手になって裸の指導をするという噂を聞きますが、ボクも電話をかけてきたサクラ候補生とそういうような類の話をさせられることになるのでしょうか。非常に楽しみです。非常に楽しみです。
 楽しんでいる人がいる。楽しんでいる人がいる。困ったな。困ったな。さらにきのうの話を教えてくれた人からメールで、さらにきのうの話を教えてくれた人からメールで、若い女ばかりだったオペレーターのなかにシステムの管理者とはべつに新しく若い男が入ってきたという報告があった。新しい男の仕事がなにかわからない。こんど席が隣になったらうしろからこっそり仕事ぶりを見てたしかめるという。まさに探偵である。まさに探偵である。

 そう、いま世の中は探偵だ。誰もが探偵にならなければならないのだ。

■というわけで、いま京都をはなれ掛川にいる。ちょっとした用事で両親の家に来た。父親のクルマを借りワールドカップの試合もある隣町のサッカー場「エコパ」を見にいった。建物は見られたが中は見えない。広大な駐車場にクルマを停め、しばらくぼんやりしていた。こうして一人でぼんやりするのはとてもいい。静かな土地だ。広大な駐車場にぽつんといる。天気もいい。あたたかだ。それでふと、寝屋川のYさんのサイトにも書かれていた『jam 東京−ロンドン展』の映像作品のことを思い出した。『コヤニスカッティ』という映画の手法によく似た作品だが、流れているコーネリアスの音楽がすごくよかった。あのCDはないかと店を探してまた走る。

(2:42 Mar.28 2002)


Mar.26  「陰翳礼賛」

■朝の新幹線で京都へ。
■午後から在校生に向けてのガイダンスがある。まだ春休みのはずだが学生の集まりはかなりいい。終わってから映像・舞台芸術学科でいっしょの門上先生のお宅へ。この春で退任なさるので送別会。みんなよりずっと早く着いてしまい一人ぽつんと待っていた。門上先生の奥さんはフランスの方なので、日本語とフランス語が入り交じった会話が家中を走る。三人の子どもたちは日本語とフランス語をどうやって使いわけているのか不思議だった。なにをフランス語で話し、どんなことだったら日本語になるのか。一時間ほどして太田省吾さんをはじめ学科の人たちが集まった。楽しい夜だった。

■やはり「PCオペレーター募集」だったという。
■いや、例の「出会い系伝言板」のサクラの話。きちんと説明のできるバイトの人を見つけたのだった(本人の希望により名前は伏せる)。話を聞いた。部屋には30台以上のコンピュータ。システムエンジニアというかシステムを管理する男のほかは、若い女のバイトたち。ほとんど説明らしい説明も受けぬまま、ただ入ってきた伝言に対して返事を書き、キーを叩き続けるという。
■そもそも、自分が働いているのがなんという名前の会社かわからない。ためしにそこからメールを送ってもらった。独自にサーバをたてていればIPアドレスから会社の名前がわかるはずだ。調べてわかったのは、光ファイバの回線サービスを使っているらしいことだけだった。いや、待てよ、その回線事業者が裏でそんなことをしているのかもしれない。話を聞いた人によれば、昼間はWebを作っている会社だと説明されたそうだ。怪しい。
■いろいろなことがわかった。気になったのは、伝言を送ってくる相手に「趣味は?」と質問すると圧倒的に多いのが「ドライブ」だったということだ。かつてなら、「趣味、読書」と言っておけばさしさわりがないことになっていたが、いまは「ドライブ」がそれにあたるのだろうか。まあ、一般的に「ドライブ」が趣味という男は多いのだろう。演劇の世界はちがう。まず「趣味はドライブです」という人に会ったことがない。そのことをべつの演劇関係者に話しても、「いないですねえ」と言うが、むろん、舞台監督らはクルマが運転できなければ仕事にならない。装置や道具を劇場に運び込むこと、つまり搬入をしなければならないからだ。
■舞台監督らは言うだろう。
■「趣味、搬入」
■けっして、「ドライブ」が趣味という舞台監督はいない。そんななか私は免許を取ってしまった。だが搬入を手伝おうとしても邪魔になるだけだ。「じゃまだから、ちょっと向こうに」と言われるだろう。残念だ。なんのための免許だ。
■それにしてもいろいろな仕事があるのだな。私が気になったのはそのコンピュータを管理している者のことだ。話を聞くと、ときどきシステムを組み替えたりなどするところからして完全なシステムエンジニアではないか。闇の世界の奥は深い。

■わたしたちの「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」はなんて明るい場所にあるのだろう。実名で掲示板に集結しばかじゃないのかと思うほどの明るさだ。ただ、マスクにサングラスの佐伯は怪しい。なにものだおまは。
■しかし、デッサンは陰を描く。陰を描くことによってものを表現する。そのことが奥行きをあたえる。表現にはおしなべてそうした部分があるのではないだろうか。だから僕は、陰にひかれる。もっと多くの陰を見たいと思う。

(1:17 Mar.27 2002)


Mar.25  「まだ東京」

■原稿を書いている。あしたは朝早くから京都へ。で、寝屋川のYさんが、「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」の模様をサイトにアップしてくれた(直接ゆくならこちら)。とてもうれしい。いろいろ書きたいことがあるがそれはまたあした。原稿を書いているのである。

(1:27 Mar.26 2002)


Mar.24  「日曜日だったので」

■メールで質問を受けた。きのうのノートに記した商品化される以前の「恋愛しなくちゃいけない時期に、携帯電話がなくてよかったわ」はどこに書いてあるかとのことだが、少しは探す努力をしなければいけない。たとえば「恋愛」をキーワードにこのページを検索してみるとか。ここだけどね。

■京都で生活する日々が近づいてきた。
■夏まで京都。新しいことがまたはじまる。新しいことをまた見つける。来年の一月にある遊園地再生事業団の公演に向けて準備もはじめる。小説も書く。連載の締め切りも守る。フランスにも行く予定だ。パスポートが切れているのを忘れていた。
■不安なのは精神的疲労だ。去年は夏までに12キロ痩せた。それも心配だが、精神的疲労に気がつかないのがまずい。まったく問題ないと思っていたし、ストレスなどたまることがないつもりだったが去年はちがった。気がついていないだけでそれが蓄積され結果的に軽いパニック障害になった。大丈夫だろうか。一人で池袋を歩いているときはなんでもなかったが、じつはサーチエンジン・システムクラッシュ・ツアーのとき少し不安になった。直前まで平気だったが池袋に着いてからみんなをまとめねばならんと考えていると、去年の秋の池袋で起こった事件を思い出していやなものがよぎったのだ。
■大丈夫なのだろうか。

■うちの大学のAが作っているサイトにある日記を読んでいると、こういう文章が書きたいと思う。なんかいいよな。若いってすばらしいって感じがする。しかし、Windowsで確認してないのであろう。ぎっちりした文章はWindowsだと読みづらい。スタイルシートを使うべきだ。ってどうでもいいことだけどね。

■そういえばプロ野球が開幕する。マガジンハウスのNさんの知り合いが神宮球場の年間シートを持っているという。行きましょうと誘われたが三塁側の席だ。三塁側なんかに座れるものか。あと気がかりなのは清水エスパルスだ。静岡市と清水市が合併する。名称はどうなるのだろう。静岡エスパルスになってしまうのか。なんかねえ。さらに六月のワールドカップに名波は間に合うのか。中山は代表に復活するか。服部、森岡のけがはどうなのか。市川、戸田、アレックス、高原はポジションを取れるか。って、忙しいよ。いろいろ。
■日曜日だった。

(2:38 Mar.25 2002)


Mar.23  「付け毛」

■朝日新聞に連載していた「青空ノート」は今回で最終回。
■最後の原稿は、このノートにも書いた「恋愛しなくちゃいけない時期に、携帯電話がなくてよかったわ」の話だ。原稿を書き上げメールで送り、その一連のことを考えると、「ノートに書いた文章」と、「原稿料をもらう文章」のちがいが客観視でき、ああ、なるほどなあと自分で思うのも変だが、これはあきらかに異なる。
■文字数が限定されているとか、「朝日新聞」というメディアの莫大な数の読者をつい意識するなどノートと異なるのはもちろんだが、それ以上に、無意識のうちに「商品」として書いているのを自覚する。
■「市松生活」というノートは、やはり「ノート」だ。公開するのは「持続」のための方途である。書くことではなく、「緊張感」の持続。実のところ「青空ノート」はかなり市松日記に書いたことを「商品化」している。この「商品化」はなにかにたとえられるような気がするが、それがうまく思いつかない。なにかに似ている。なんだっけな。

■俳優の手塚とおる君に、手塚君も出ている「TRICK2」の最終回を見はぐったとメールを送ったら、すぐに返事があった。ビデオを貸してくれるとのこと。で、そのドラマのなか、ある霊的な森に入ってゆくと人々はからだのどこかの毛が伸びる。ヒゲが伸びる者、髪が伸びる者、もみあげが伸びる者もいるが、手塚君は鼻毛が伸びている。最終回、手塚君の鼻毛がどこまで伸びたかそれが見たかったとメールに書いたら、「宮沢さんの期待にはそえないと思います」とあって笑った。で、突然、「ただ誤解しないでください」というのでなにごとかと思って先を読むと、こうあった。
「あれは付け毛です」
 笑ったなあ。手塚君に会いたくなった。会ってまた、ゆっくり話しをしたい。

(4:23 Mar.24 2002)


Mar.22  「呼び捨て」

■ある人からもらったメールに、コンピュータ関係の職場で働く女性たちが出産すると、圧倒的に女の子が多い、いやさらに、身体に変調をきたして生まれてくる子供が多いというおそろしいことが書いてあった。
■ほんとうなのか。
■都市伝説のたぐいの話ではないかと思いつつ、わからんねしかし。タバコの害は、長い「喫煙の経験」という時間、歴史から検証されたものだが、コンピュータ、携帯電話の電磁波はまだせいぜい10数年の歴史しか人は体験していない。電磁波防止用のエプロンなんてばかばかしいと思っていたが、そんな話を聞くとばかにできないような気がしてくる。誰かほんとうのことを教えてくれないか。

■「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」掲示板に、次々と感想、報告の書き込みがある。
■『alt.』に出ていた根本の書き込みに、タクシーで移動するとき「西口公園」と行き先を告げると、運転手さんが「新宿の?」と言ったとあった。小説では「品川の?」だったが、小説と同様な状況が起こったという報告が面白かった。
■あるいは、タコシェの中山さんの書き込みにあった、
「小説の主人公の足どりを辿ったり、作家の描いた世界を見て歩くというのは、何か特別なファン心理かミーハーな行為のようにも思っていたが」
 それがこうした企画を実行するとき僕のもっとも危惧していた点だったので、そのことに関してさらに、
「他者の軌跡を追い、他者の視線に合わせて歩くというルールの多い行為が、パターン化された嗜好や行動や空想から自分を解放する心地よい方法となりうることも発見した」
 と書いてくれたのはうれしかった。ワークショップでもそうだが、しばしば「ファンの集い」みたいなことが発生し「奉られる」という小さな世界を作って、油断しているとそこに安穏とする可能性はぜったいにあり、常に自覚し、自戒していないとだめだろう。「曖昧な共感の共同体」のようなものにはぜったいしたくない。少し距離をおいて見ている他者を意識すること。大学の授業は、そういった意味では他者と出会うことだ。僕のことなどまったく知らない学生たちと出会いそれと格闘する。精神的なストレスはただごとならないが、「しなければならない」というわけではなく、悔しいから立ち向かう。また大学がはじまる。正直、不安だよ。いやだなあと思いつつそれでもまた新しい誰かと出会う。いやでも、出会わなければならないのだ。

■しかし関西ワークショップの面々がわざわざ東京に来てくれたことにすごく感謝している。
■で、その面々が初台の家に遊びに来る。それまでに朝日の原稿を書こうと決めていたが書けなかった。関西と一口で言っても、京都、大阪、奈良、和歌山、福井とそれぞれだ。京大のKはそもそも東京だし。で、みんな関西弁でも言葉が微妙に異なる。神戸の者がひとりもいなくて残念なのは、神戸あたりのだらーっとした話し方が好きだからだ。でもあれか、京都のステンドグラス工房で働くKさんは神戸出身だったな。でもだらーっとした言葉ではないから、神戸というか兵庫県の者でも人それぞれなのだろう。
■食事をし、またよくしゃべった。
■途中、NTTはだめだという話になった。NTTの商売のやり方はひどい。量販店なら2万円ぐらいで売っているFAXを何も知らない者、たとえば、田舎に住むうちの両親などに9万円ぐらいで売る。するとそれまでよくしゃべっていた寝屋川のYさんが沈黙する。おかしいと思ったら、お父さんがNTTにお勤めだという。まったくこんな娘を育てるとはいよいよNTTはいけない。
■楽しい夜だった。

■いけないで思い出したが、「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」に参加した男たちのかなり多くの者が、「無職」か「失業中」だったのはいったいなにごとだ。そんやつばかりかい。
■なかにはYahoo!のオークションに音楽CDを出品し月に20万稼いでいるという者もいた。たとえば地方にいればどうしても手に入らないCDはあり、Yahoo!オークションを舞台にした仲介者の役割はある意味、インターネットの良質な部分のように感じる。地方にいたら手に入らないもの、あるいは情報、それが距離を超えて手に入れることができる。この感覚は地方にいた経験がなければわからない。ほんとになんにもないよ地方は。この国ばかりではない。外国からだって手に入れることができる。
■いまはどうか知らないが、かつて原宿あたりの古着屋は外国で安く仕入れてきた服を、法外な値段で売っていた。オークション形式は、買う側にも主体の度合いが強く、あの古着屋に比べたらずっと健康的なのではなかろうか。ただムキになるとだめだ。負けずに値段をつり上げれば出品者の思うつぼだ。

■関係ないけど、小浜、佐伯、笠木など、名前を呼び捨てにするのは僕の舞台に出ていたということばかりではなく、関係の濃淡の問題だとふと考える。
■僕は親しくなり関係が濃くなれば年下なら呼び捨てにするが、考えてみると、関西ワークショップの者らのなか、なぜか、京大のKを「カシカワ」と呼び捨てなのが変だ。あとうちの大学のYとAも呼び捨てだ。学生は呼び捨てなのだろうか。すると、同志社のK君、立命館のH君はどうなのか。こういう日本語の特性は変だな。この国のなにかをあらわしているように思う。
■そうした人との関係の取り方は、僕もどっぷりこの国の人間である。

(17:40 Mar.23 2002)


Mar.21  「池袋を歩く」

■天気がよかった。風が強かった。
■四谷の土手の桜は満開。そして90人+αが集まってきた。白水社のW君、タコシェのNさん、家族で参加してくれた舞台芸術研究センターのHさん、実業之日本社の方々、そしてこの日のために関西からやってきた面々もいる。なにより印象に残ったのは、男女比が半々ぐらいだったことだろうか。
■ワークショップをやると集まってくるのは圧倒的に女の子だ。
■小説はまたべつなのだと思った。

■11班にグループ分けし時間差をつけて出発。僕は最後に四谷をあとにし、ポイントで参加者たちが姿を見せるのを待つことにした。先回りして豊島公会堂前の公園にいると、知らない男に声をかけられ話をした。スナックの調理場で働いているとのこと。なぜこの人と話しをしているのかよくわからないが知らない世界のことは興味深い。そこにやってくる参加者たち。こっちに気がつかないのでデジカメで撮影。この日撮影したデジカメ画像は「写真日記」にアップしよう。ちょっと先になる。作るのに時間がかかりそうだ。原稿を書かなければいけない。
■あるいは、必ず歩くはずの通りにある喫茶店の窓際で、こっそり参加者たちを観察。まだ半分の距離だがすでに疲れた顔をしている。
■ポイントを移動しているあいだ、池袋のどこかをいま数人の男女が地図を片手に歩いているのだなと想像すると面白かった。しかも、小説に書かれた虚構と、現実とのずれ、想像によって書かれた町とそこにある現実の町とのずれを参加者たちがどんなふうに受け取るかが楽しみだ。「面白い町はない。町の面白さはある」ということ。すべては観念が作り出す。こちらから働きかければ町は様々なことを語り出してくれる。歩くことでなにか発見できたらこの企画をやったかいがある。
■池袋の西口公園に3時半集合だが、少しおなかがすいたので、西口から少し歩いたそば屋にはいる。「ここのつ」という店。池袋に来るとよく入るそば屋だ。食べ終えて西口公園に行けばすでに戻っていた班がいくつか。べつにワークショップをやっているわけでもないが、最後、まとめの話しをしないとどうにも、まとまらない。
■で、笑ったのは、関西から駆けつけた者らが荷物を四谷のコインロッカーに入れたので取りに戻らなくちゃいけないという話。まあ、重かったんだろうけどなにも四谷で入れることはないじゃないか。

■いい日だった。天気がよく、あたたかく、桜も満開。こんなに条件がぴたっとはまることも珍しい。

(14:48 Mar.22 2002)


Mar.20  「7年」

■サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアーの仕込み。地図を書く。寝屋川のYさん、うちの大学のY、ワークショップに来ていたOさんが手伝いに来てくれ、助かった。YさんとYは、Oさんの家に泊まるというので三人を足立区まで送る。途中、市ヶ谷から靖国神社あたりまで桜が満開。歌舞伎の世界にいるようだった。あ、オウムのあの事件からきょうでちょうど7年だった。

(3:37 Mar.21 2002)


Mar.19  「忘れている」

■筑摩書房の『明治の文学・坪内逍遙』もそうだが、ガルヴィの連載があり、さらにおどろいたことに、「relux」という雑誌から原稿を依頼されていたのを忘れていた。俺、引き受けただろうか。もう完全に忘れている。さらに「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」のための地図を作らなくてはいけない。朝日新聞など迫り来る締め切り。
■そんなとき、ぶらっとオペラシティのなかにあるギャラリーに行き、『jam』という美術展を観てしまったのだった。けっこう面白かったし、そこで考えたことなど詳しく書きたいが、それはまた。最近、「それはまた」が多い。
■それにしても、「書く」のが仕事とはいえ、よくもまあこうも毎日このノートを書き続けている。文學界のOさんからも毎日読んでいるというメール。毎日読んでくれる人がいる。それで書く。これは「素振り」だ。日々のトレーニングだ。書きながら考える。書くことが考えることになる。だけど、それが続くというのはどうなっているのかと思うねしかし。

(1:09 Mar.20 2002)


Mar.18  「首都高を見上げながら」

■正直な話、クルマはとても「便利」だと思う。
■というわけで、きょうは自動車の話を書く。

■サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアーの地図をコピーするのに大量の紙が必要だ。ネットで検索したら墨田区にすごくコピー用紙の安い店を発見したのでクルマで買いにいった。とてもじゃないが電車で運べない量。配送してもらうとしたら時間がかかる。コピーやプリントアウト、FAXの用紙にしばらく困らないだけの紙を安く買うことができた。
■もちろんほかにも、クルマの社会的な役割は大きい。
■しかし、その「便利」や「役割」のことをあらためて考えてみると、つくづく、道は、というか都市そのもが自動車を運転する者の視線でしか作られていないと思った。日本で使われるコンクリートの量はアメリカの50倍だという。異常である。だがクルマを運転していれば、「いい道はいい」としか言いようがない。アスファルトできれいに舗装された道。巨大なコンクリート製の橋桁が支える高速道路。山手通りの地下にもうひとつ道路をつくる工事は進行中。なぜあれほど道路建設に情熱を燃やすのかと思っていたがクルマを運転する視線で見ればそれは理想的な社会だ。
■それがインフラというやつですか。大量の物流がこの国の経済を支えるのだろうか。そうやって突っ走って来たこの国はいまどんづまりのところに来ている。温暖化もするよな、これだけクルマが走っていれば。僕もそのうちの一台。そして、自転車専用の道はほとんどないこの国の、サイクリング・コースという自転車を生活と切り離す程度の認識しかない行政。
■役人は全員、自転車で通勤することにしたらどうだ。
■世田谷区の豪徳寺に住んでいたころ、住んでいるすぐそこが抜け道になっていた。ばかが猛スピードで狭い道路を走る。そこは、そこに住む人たちにとっての生活のための空間だ。それをクルマが蹂躙し、歩行者や自転車に乗る者はびくびくしながら道をゆかなくてはいけない。そんなばかなことがあるものか。そうかと思うと、渋谷の東急本店から先、松濤のちっぽけな家に住んでいたことがあるが、言わずと知れた高級住宅街。そういう町はうまい具合に抜け道にさせないよう作られている。一方通行を張りめぐらしクルマがあまり入ってこない仕組み。まったく世の中は不公平だ。平等なんて言葉は大うそだ。
■人が中心になるべき町の道路にはよほどのことがない限りクルマで入らないようにしよう。やむをえず入ったとしてもゆっくり走る。クルマを降りれば僕はただの歩く人だ。歩く人であり、自転車に乗る人だ。

■首都高もすごい。よくこんなものを作ったな。スピードを出したければ高速を走ればいいとはいうものの、首都高はモナコグランプリのような光景だ。こんなカーブをよく100キロで走るなと思いつつ、一緒になって走らなければそのほうが危ない。それで走る。目一杯スピードを上げる。けっこう楽しい。家の近くの大きな交差点から歩行者の目で上を見ると首都高が交錯したすごい風景だ。一台ぐらいクルマが落ちてきてもおかしくないと思いながら毎日それを見ている。

(3:06 Mar.19 2002)


Mar.17  「歩く」

■やたらあたたかい日曜日。
■「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」の下見をするため池袋を歩いた。
■小説に書かれたとおりに歩くとものすごい距離になることを知った。書いた当時、何度も池袋を歩いたが全部を一気に歩いたのはじめてだ。この主人公、ものすごく歩いてる。参加者たちがほんとに歩けるか心配になった。しかも途中、タクシーに乗らなくてはいけない。不合理なタクシーの乗り方。
■池袋はどこか中途半端な町だ。そこが面白い。
■町は変わってゆく。小説を書いたのがついこのあいだだと思っていたが、すでに変わってしまった場所もある。文芸座の跡地にはパチンコ屋ができていた。そして「新文芸座」。かつての面影はなにもない。書いていたころはまだ閉鎖されたとはいえ、文芸座の建物があった。またべつの風景になっている。なくならないのはストリップ劇場。だけど、「ここではありません」と貼り紙のあるビルがどこか自分でもわからない。喫茶店もパチンコ屋になっている。書きながら想像した道は思いのほか幅のある通りだ。休憩で入った喫茶店の隣の席には見るかにそうだとわかるヤクザ。豊島公会堂ではある左翼党派の政治集会。手前の公園には帽子を目深にかぶりサングラスをした者たち。どれが活動家でどれが公安か見分けがつかない。僕はのんきにデジカメで撮影。さらに歩く。和子と名乗る女が住むマンションを目指す。寺。寺の境内の桜はもう咲きはじめていた。細い路地。びっしり建ちならぶ住宅。荒川線のガードをくぐるが、ここらあたりで道に迷う。主人公と同様に迷う。どっちにいったらいいかわからなくなっている。

■ツアー用に、「池袋の地図+パンフレットのようなもの」を作っているが思いのほか手間がかかる。これになにかプラスして少し価格を引き上げることにしよう。そのプラスアルファをなんにするか。商品としてきちんとするため、ビニール袋に入れる。そこにいろいろ入っているというのは、きのう書いた、『インターメディウム・テキストブック』のカードの図版の面白さに似てはいないか。
■あとわかったのは、小説の誤りだ。何カ所かある。小説を読んで歩くとひどい目にあう。ほかにも想像だけで書いた部分。存在しないものが書かれている。存在するものが書かれていない。仕方がない。これは小説だ。
■家に帰るとさすがにぐったりした。腰がひどく痛い。歩いた。歩けばいろいろなものが見えてくる。

(2:35 Mar.18 2002)


Mar.16  「図版の魅力について」

■ふと本棚を見ていたら、『インターメディウム・テキストブック』という本があった。
■ずいぶん前に買った本だ。すごくいい。箱に入っており、中に本と、また箱がある。箱の中に小さなカードがぎっしり詰まっていて、カード一枚一枚に美術作品などの図版が印刷されている。で、気がつけば、寝屋川のYさんらが通っていた「I・M・I」とは、この『インターメディウム・テキストブック』を編集している「インターメディウム研究所」のことではないか。
■なぜいままで気がつかなかったのかと思う。Yさんがサイトの日記にも書いている「IMI」とこの本が結びつかなかった。
■それにしても、「図版」だ。この本の場合、とくにカードという形態がいい。おもちゃみたいな感触だ。あるいは、建築雑誌。初期の「都市住宅」の図版は魅力的で、図面など、建築を二次元上で表現したものというよりグラフィックデザインの作品のように見ていた。
■それらがなにかを刺激してくれる。べつに建築をやろうとか、Webのデザインの参考といったことではなく、たとえば「書くこと」の刺激として、からだのどこかをつつくのだ。

■「世田谷日記」「京都その観光と生活」、そして「市松生活」と、Mac上の「mi」、かつてなら「ミミキカエディット」と呼ばれたエディタを使ってずっと書いてきたが、エディタに表示されたソースに画像をドロップするとどうなるか、ふと気になってやってみた。驚くべきことに、ソースを書くよこいつ。ちゃんと<img>タグの一連の文字列を、画像のある場所まで指定して書いてくる。なんて賢いやつなんだ。Jeditでも試したがそうはならない。なにかJedit特有の方法があるだろうか。それほど手間じゃないから書けばいいんだけど。
■ずっと使っていたのに気がつかなかった。マニュアルを読めば書いてあるのだろうが、こうして発見するのはゲームをやっているような面白さだ。
■以前、『コンピュータで書くということ』をずっと続けていたころ、YooEditを使っていることを書いた。メールをたくさんいただき、大勢の人にJeditを推薦された。もちろん登録済みだったし、すぐれたエディタだと思うけれど起動が遅いのが気になっていた。miと比べると数秒おそい。YooEditは高速起動するが、HTMLソースを書くときの機能が乏しい。というか、そういうエディタではない。で、あいだをとってmiだ。いやむしろHTMLソースを書くときはmiのほうがいいのじゃないかと思うが、慣れだろうな、こういうのも。あとmiがいいのはフリーという点だ。すばらしい。
■よく書いているGoLiveだが、ルーティーンになっている頻繁な更新作業にはぜったい向かない。起動が遅くて話にならないからだ。

■夜、BSでサッカーを見ていて驚いた。横浜マリノスに、ジュビロにいるはずの奥がいた。
■最近、ジュビロの試合に出ないと思ったら移籍していたのか。よく見るとエスパルスの安永もいる。ヴェルディの中沢もいる。マリノスのやつっていうか、日産のやつ、金があるからって選手をこんなに補強していたのか。そうか日産め、労働組合に全額回答するわ、マリノスの補強はするわ、新型マーチは発売一週間で二万五千台の受注と新聞報道、調子出しやがって。そもそも、日産て、なんの略だ。「日本産業」が有力だが、「日々是生産」かもしれず、あるいは「日向市の産(うぶ)ちゃん」かもしれない。
■清水エスパルスを見てみろ。市民球団だ。市民がお金を出しあって運営している。立派な話じゃないか。少しは産(うぶ)も見習ったらどうなんだ。

■以前、僕のワークショップに来ていた人から電話。いまどうしているのか質問すると、「ドイツに行きました」との答えだが、べつに身辺に起こったあなたの事件を聞いているわけではない。「いまどういう生活をしているのか」という意味の質問だ。すると「出会い系サイト」のサクラのバイトをしているというので驚いた。バイト募集の告知は「PCオペレーター募集」だったという。そういう仕事をしている人たちがいるんだな。どんな人間がそういう仕事をやっているのか興味を持ちさらにつっこんで質問したが、電話をしてくれたその人は、「説明がものすごくだめな人」だった。「どういった」とか、「どんな」とか聞いてはいけない人だ。とても残念だ。的確にものごとの本質をつかみそれを見事に表現してくれる人を、「出会い系サイト」のサクラのバイトに送り込みたいと思った。

(3:13 Mar.17 2002)


Mar.15  「発見・再発見」

■ふと思ったのは、中心となるメンバーの名前を付けてしまったバンドのことだ。たとえば、「甲斐バンド」はどうなんだろう。いったいなにがあったのか。中心的存在としての甲斐さんという人が大きかったかもしれないが、そんな恥ずかしいことを人はできるだろうか。たとえば、「宮沢バンド」なんていうのをやるのは俺はいやだよ。「宗男バンド」はどうだ。

■連日マスコミは宗男宗男で大騒ぎである。ばかばかしい。この国の政治の構造が何十年も変わっていないというだけの話じゃないか。あるいは、宗男の面白さがマスメディア的だったのかもしれない。アフガニスタンからのニュースがぷっつり途絶えたような気がする。
■このあいだ引用した辺見庸さんの発言のことを考えると、いま「表現」はどうなっているだろうとそのことを検証したくなった。なにか変わっただろうか。表現する側に辺見さんが言うような変化は生まれているだろうか。それでとりあえず、小説を書く者としての私は、「9・11以後」の文芸四誌(文學界、新潮、群像、すばる)に掲載された小説を全部読もうと思った。こういうとき、笙野頼子さんはどんな小説を書いているか。阿部和重君はどうか。中上健次さんが生きていたらどうだったのかはいちばん気になる。
■それはけっして政治的になるということではない。
■小説という表現をどの位置に定め、書くことに向かっているのか。
■そもそも、いま誰が書いているのか。誰がそうした場所で書いているのか。検証することでいまの文学の位置がわかるのではないか。あるいは、文芸誌そのもの、この国の文学の世界そのもの。
■あるライターの方が、文芸四誌を毎月必ず読んでいるとずいぶん前に知った。自分の口からその話を高橋源一郎さんにしたら「身体に悪い」と言われたとのことだ。高橋さんが文芸誌を読んで、みんななにを書いているんだと否定的に驚くというのもわからないではないし、社会から閉ざされた「文学の世界」がそこにあるという一面もいなめない部分がある。だけど期待はある。なにか出てくるかもしれない。刺激を受けるかもしれないという期待。ていうか、俺も書かなきゃいけないし、刺激する側にいなければと思う。

■ところで、僕は小説のための取材に余念がないわけですけれども、SMについて調べようとその道のプロの女性にお会いして話を聞いたことがある。これまで小説を発表したのは「文學界」だと話したとき、やっぱり存在そのものを知らないのでわかりやすく説明するのに、「文学の世界の専門誌みたいなものです」と雑な言い方をした。するとその女性は言った。
「ああ、SMスナイパーみたいなものね」
 まあ、たしかにそういうことになるのかな。この説明をいろいろな人にすれば相手の答えでその人がなにに興味があるのかわかるかもしれない。「ああ、へらブナ通信みたいなものだ」という釣り好き。「ああ、腰痛広場みたいなものか、いたたたた」という腰痛のひどい人。そういえば、「文學界」の最新号で、河野多恵子さんと山田詠美さんが「マゾヒズムの心理と肉体」という対談をしている。まだ途中までしか読んでいないが谷崎潤一郎中心の話。「小説ノート」にそのあたりのことも近々書こうと思う。

■講談社文芸文庫で、短編小説のアンソロジーがシリーズで出ているのを新聞の広告で知った。新宿まで歩いて紀伊國屋書店に行きそのシリーズを探す。「戦後短編小説再発見」。九巻まで出ており、各巻のタイトルと表紙のロゴのレイアウトなど見ていると、よく似たべつのシリーズを連想した。學藝書林から六〇年代半ばに刊行されている『全集・現代文学の発見』。古本屋でごっそり買った。40年近い時間が、「発見」から、「再発見」に変わったのだと思う。どちらのシリーズも各巻ごとにテーマがあり、「発見」では「青春の挫折」となっている巻が、「再発見」では「青春の光と影」になって対応しているのではないか。もちろんスタイルはよく似ているが、収録された作品は異なる。選者がちがう。「発見」の責任編集として名を連ねているのは、「大岡昇平」「平野謙」「佐々木甚一」「埴谷雄高」「花田清輝」というそうそうたるメンバー。「再発見」は「講談社文芸文庫編」となっている。おそらく、「再発見」が「発見」をお手本にしたのだろうが、とてもいい企画だと思った。
■ただ値段がなあ、文庫で手軽にというには、学生などちょっと躊躇する値段ではないか。もっと安くなればと思うが講談社文芸文庫の現代文学を地道に出版してゆく企画を維持してゆくためにはこういう価格になってしまうのだろうな。
■「再発見」の第二巻『性の根源へ』と、第九巻『政治と革命』を買う。『政治と革命』に桐山襲の単行本未収録作品があった。韓国の光州事件を背景にした『リトゥル・ペク』。桐山作品は全部読んでいるつもりだったがこうして知らなかった作品もあり、「再発見」の首尾は上々である。

■テレビで『タモリ倶楽部』を見たがひどい企画で、構成しているのはわたしのかつての弟子、Tだった。ばかものと言いたい。それと、その直前にやっている『TRICK』というドラマに手塚とおる君が出ていた。生き生きとしている。なんてくだらないドラマなんだ。作っている側が楽しそうなのがなによりいい。来週、最終回だという。書く機会がなかったが、このドラマを見るのが週に一度のテレビの楽しみだった。
■あるWebマガジンから、今度は、「『論語』を読む連載」をしないかとの打診があった。引き受けようと思う。『資本論』、横光利一の『機械』、それからユリイカではじめる予定の「チェーホフを読む連載」、そして『論語』と、どんどん「読む人」になってゆく。

(9:22 Mar.16 2002)


Mar.14  「なりゆきで生きる」

■筑摩書房の打越さんと会って単行本の打ち合わせ。
■エッセイ集に入れることのできない評論っぽい文章を集めた単行本を作ろうと、コンピュータの中にある単行本未収録のテキストをかき集めた。出てくる出てくる。90本以上になり圧縮してメールで送った。450枚分くらいあったそうだ。半分くらいにしましょうと打越さん。さらにこれまで考えてきたこと以上につっこんだ部分がほしいとのことで、書き下ろしを足そうという話になる。
■いい本にしたい。

■新潮社から七月発売予定の、『考える人』という学芸雑誌のサイトをN君からメールで教えてもらった。まだ未公開の準備中みたいなのでリンクしないけれど、Flashを使ったきれいなサイトだった。でも、もっと使い道があると思うな、Flashは。もっと面白いことができるのではないか。文字がひゅーっと動くとかってそれだけじゃないのではなかろうか。
■実業之日本社からは、『資本論を読む』の新たな連載の場所となる雑誌「Jノベル」が送られてきた。この「J」は、実業之日本社の「J」。で、驚いた。エンターテーメントの王道である。表紙に並ぶ作家の名前がもう王道だ。浮くなあ、僕の連載「資本論を読む」。なんでこの場所で資本論を読んでいるのか申しわけない気分になる。

■夜、笠木に電話。以前僕の演出助手をしていた宮森の結婚式にインターネット上から電報を送ったが、笠木は神戸まで行き式に出席したので電報が届いたか確認。届いていたとのこと。
■ムーンライダーズの鈴木慶一さんも神戸に行ったそうだ。そんなことじゃないかと思ったが、人の結婚式なのにずっと笠木は泣きっぱなしだったという。なんだろうこの人はいったい。結婚式はごくオーソドックスなスタイルだが素敵だったという。以前、宮森から届いたメールに「ふつうに生きてゆくことを大切にする」という意味の言葉があった。その宮森が僕の演出助手をしていたのもいまとなると不思議だ。それで鈴木さんが、「やっぱりふつうがいいよ」と口にしたというが、あきらかにふつうではない鈴木さんがそう口にすると独特の味わいがあったと思う。
■でも「ふつう」も単純に区分けされるものではないだろう。なにをもって、「ふつう」と「ふつうではない」をわけるか。百人いれば、百人分の「ふつう」があるはずだ。あるいは、他者の視線から見た「ふつう」と、当人が考える「ふつう」のずれ。
■たとえば、自動車免許はふつう、高校を卒業するころとか、学生時代に取得するのだろうが、僕はそのころ自動車にまったく興味がなかった。となるとこれは「ふつう」ではないのだろうか。当人は変わったことをしている意識はないし、まして45歳になってからカーナビが面白いから免許を取ろうと考えたのもごく自然にそうなった。意外に簡単に取れたので拍子抜けしたが、するとクルマへの興味も自然に沸く。自然のなりゆきで生きてきたつもりで、なにも変わったことをしているつもりではない。
■すべてなりゆき。なりゆきでこうなった。
■それは「ふつう」ではないのか。ただ、「凡庸」とか「通俗」からは、「ものを作る人間」として遠ざかりたいと思うが、それは生活者とはまた異なる話だろう。以前ある批評家が、「作家はいくら批判されてもしょうがない。それがいやなら小説なんか書かずにふつうに生きればいい」という意味の発言をしていた。この場合の「ふつうに生きる」はなんだろう。
■鈴木さんはぽつりと、「向こう側に行っちゃったねえ」とつぶやいたそうだ。
■笠木の結婚した相手は俳優である。鈴木さんの言い方をまねれば、「こっち側」だ。鈴木さんの意識を想像するとドロップアウトした側という意味かもしれないし、ある種の覚悟のような気もする。ミュージシャンや女優は「職業」ではないのだな。ミュージシャンという生き方であり、女優という生き方だ。
■そんなことを考えていたら久しぶりに鈴木さんに会って話しをしたくなった。

■寝屋川のYさんのサイトと、京都のステンドグラス工房で働いているKさんのサイトの日記に、同時に京都のカフェ、「OPAL」の名前があったので、なにやら懐かしい気分になる。もうすぐまた京都生活。京都その観光と生活。大学は大学でまた不安だ。きちんとした授業ができるかどうか。精神的にどうもいけない。そもそも、この「不安」がいままで感じたことのない種類の感情なのでよけいに困る。なおさら不安だ。

(10:02 Mar.15 2002)


Mar.13  「自転車で20キロ走る」ver.2

■ガルヴィのNさんと一緒に多摩川沿いを自転車で走った。
■まずはガルヴィ編集部のキャンピングカー仕様という大きな車にTREKと、Nさんが用意した自転車を積んで二子玉川に移動する。

 でかいクルマはよかった。どっしりと安定している。気持ちよく運転できる。二子玉川の高島屋の地下駐車場にクルマを入れるといよいよ出発。「いざ」と自転車をクルマから出したのはいいが、エレベータが狭かったのでデパートの階段を自転車を抱えてあがる。

 当初のNさんの提案では多摩川を羽田までという計画だったが、サイクリングコースがないというので、逆に上流に向かうことにした。TREKはすごいよ。どんなに走っても疲れない。足が痛くなることもない。それにしても多摩川の気持ちよさだ。まるで昔の日本映画を見ているような世界だ。天気もよかった。のどかだった。空が広かった。サイクリングコースもものすごくいい。気持ちよく走っているうちに小田急線が近付く。向こうに見えるのは廃園になった向ヶ丘遊園の観覧車だ。となると川を越えれば登戸駅。小田急の踏切を渡ってさらに走る。しばらく多摩川の気持ちよさに感動しているうちにまた電車が見え、あれ京王線じゃないかと気がつけば、すでに10キロ近く走っている。

 それでNさんと二人、競輪を見たのだった。

 京王閣競輪場。京王多摩川駅のすぐそばにある。スタンドでレースを見ながらの昼食。この時点でなにをしにきたのかわからなくなっている。競輪場は面白い。人がすごい。このだめさかげんはなんだ。平日の昼間からこの人たちはなにをしているのかと思ったが、考えてみれば、われわれも、いったいなにをしているのだ。しかしガルヴィの連載は自転車のことを書くのだから、こうして競輪場にいるのもあながち無意味ではない。選手は当然だが、レースの関係者がみんな自転車で場内を移動するのが面白い。「3番には一銭もやらん、3番には一銭もやらん、3番には一銭もやらん」と言いながら歩いているよくわからない男。「いまので2万5千だ」と自慢げに話す初老の男。男。男。男ばかりのなか、金網にへばりついてレースを見るNさんはひときわ目立っていた。

 河原でアイスも食べた。川に向かって石も投げた。Nさんが学生時代にしていたバイトは『本の雑誌』の編集部だということも知った。それでまた走る。多摩川の土手。ほんとうにいい。この気持ちよさはいったいなんだ。それで二子玉川に戻ると、高島屋デパートの中にはカルチェの店。お行儀のよさそうな女たち。競輪場との落差にめまいがする。高島屋のなかのカフェで休憩。Nさんはぐったりしている。自転車に乗れたことで高揚している僕はまだ元気がいい。四時間の睡眠で朝まで原稿を書き、それで往復20キロを走ったかと思えぬ絶好調さ。帰りも僕が運転して初台へ。

■とてもいい日。こんなにいいこともめったにない。もう春。寒さが遠ざかればやはり自転車だ。
■だけどいいことばかりではない。関西の演劇の拠点ともいうべき「扇町ミュージアムスクエア(OMS)」が年内で閉鎖というニュース。OMSのYさんにすぐメール。「経済」はこういうところに形となって現れるのだな。なおさら9・11以後を意識せざるをえないのだった。

(6:25 Mar.14 2002)


Mar.12  「牛が踏む」

■とてもいい日だった。
■昼間、しりあがり寿さん、岩崎書店のH君と会って絵本の話。夜、新潮社のN君、M君と京王線・幡ヶ谷にあるチャイナハウスという店で会って食事。『28』という題名の小説や、七月に創刊される『考える人』という学芸雑誌の話などする。

■しりあがりさんと、絵本『牛が踏む』について、牛がなにを踏むかアイデアを出し合ったがこうやって人となにか相談しながら作るのも久しぶりで、しかも相手はしりああがりさん、こんなに面白いことはない。ものすごい数の「踏む状況」が出て笑った笑った。
■なかでも面白かったのは、野球場の話だ。九回の裏、一打サヨナラの場面。で、ページをめくると牛がホームを踏んでいる。サヨナラゲーム。胴上げされる牛。
■これだけアイデアが出ると『牛が踏む』というシリーズが出せるのじゃないかという話になったが、さらに、『牛仁王立ち』というタイトルの絵本も作りたくなった。牛が仁王立ちしている。いろいろな場面で牛が仁王立ちしているのだ。

■新潮社の二人と会った幡ヶ谷のチャイナハウスの料理は美味しかった。引越し以来、小田急線・経堂にある「はるばる亭」の香麺が食べられなくて残念な思いをしていたが、チャイナハウスのそばは香麺とよく似ていながらまた異なるおいしさ。いい店を教えてもらった。
■新雑誌『考える人』で連載させてもらえることになったが、自由に書いていいとのこと。なにかものを作るとき自由といわれると逆に困ることのほうが多い。枠があったほうが作りやすい。だが、エッセイはちがう。エッセイは自由がいい。テーマや、枠がなく、自由に思いついたことを書くほうがエッセイだけに限っては書きやすいが、なぜかわからない。またいろいろなことを話した。楽しい夜だった。

■あとあれだな、エッセイを書くメディアが、最近、朝日新聞をはじめ、硬いというか、大人が読むというか、要するに若い連中向けのメディアに連載がないのであまりくだらないことが書けないのだ。もっとくだらないことが書きたい。どこかないのか。くだらないことを書かせてくれるメディアは。
■ひさしぶりに日記らしい日記になった。
■筑摩書房の『明治の文学』の担当の方からは、「信じています」というメール。信じられてしまった。あと、予告した「いただいたメール」の紹介はこんどまた。

(23:31 Mar.12 2002)


Mar.11  「だめだった」

■新聞を読んでいて気がついたがマイクロソフトの広告がすごい。
■いったいなにごとだ。小さな広告が一面から社会面からテレビ欄まで37個くらいある。いったいなにをたくらんでいるんだ。マイクロソフトのやつ。そんなおりに知ったニュース。今年の大手企業の新規募集は減少しているもののシステムエンジニアだけは増加しているとのこと。どんどん増殖してゆくシステムエンジニア。
■編集者のE君は元々コンピュータ関連図書の出版社にいただけにコンピュータ業界に詳しい。彼によればシステムエンジニアは、優秀な者と、だめな者の差が大きく、優秀な人に仕事が集中してたいへん忙しいらしい。だからシステムエンジニアが大量に産出される。大量なシステムエンジニアがいればそのぶん、優秀なシステムエンジニアが増加するのも道理だが、そうなると、だめなシステムエンジニアも大量にあふれるということになって、彼らの行く先はいったいどこだ。

   「だめ世界」

 そこにはきっと各業界の「だめ」がよどんでいる。どこにでもいる、だめな人。「だめな仕事」をしていると、「だめ」しか集まらないのも不思議だが、実際そうだからしょうがない。観客や読者はきっと自分のしている仕事の反映だろう。自分を映す鏡だ。関西のワークショップには面白い人たちが集まってくれた。それで自分の仕事はまだ大丈夫だなと、少しほっとするのである。

■しかし、わたしはやっぱり「だめ」でした。筑摩書房から『明治の文学・坪内逍遙』の解説の締め切りがきょうだと知らされたのだ。
■だめだ。なにも書いてないというか、坪内逍遙をほとんど読んでいない。「9・11後」のことばかり考えていた。あと小説ノートに関する取材や資料探索。そういえばしばらく前に筑摩書房から大きな袋の郵便が届いていたので開けてみると、『明治の文学・坪内逍遙』のゲラだった。しまった。なぜ開封しなかったんだ。いいわけにはならないが個人的にもいろいろ忙しかった。サッカーを見に行ったけど。
■それにしても坪内逍遙だ。読もう。死んだ気になって読もう。人間、死んだ気になればなんでもできる。死ぬことさえできる。それで思い出したが、タバコをやめるためのガム「ニコレット」はガムのくせに高価である。こんなガムに三千円以上出すくらいだったらその金でタバコを買おうと思った。知人のある俳優は健康マニアだが、あるとき「健康のためなら死んでもいい」と言った。という種類のでたらめな論理はなぜ面白いのかと思うよ。原稿を書くこととはぜんぜん関係ないけど。

■このところノートに書きたいことがいろいろあって困る。
■で、いったんは書くのだが、きょうのノートはまた長くなったと思い、べつの場所に保存して後日あらためて掲載しようという文章がどんどんたまってゆく。まいにち書くことが生まれる。たとえば、弁護士の遠藤誠さんが亡くなられたことを新聞で知った日に書いて保存してあった文章がある。
■遠藤さんは最近ではオウム真理教の弁護をしたことで一般に知られた。事件があったころ、毎日のようにテレビでも取り上げられていたが、元々は、帝銀事件、反戦自衛官裁判、永山則夫などの弁護に立ち、反権力で知られた人だ。一方で仏教者としても知られている。あまり詳しくないが、『歎異抄』(たんにしょう)について知りたくて遠藤さんが書かれた入門書を読んだことがある。
■「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の『歎異抄』である。
■亡くなられたことをきっかけにそれを本棚から見つけ、またあらためて読んでみた。そのとき理解できなかったことが、時間をおいて読むことで新しい理解につながることはよくある。本ばかりではない。映画にしろ、芝居にしろ、音楽だってそうだ。もちろん入門書だけに、『歎異抄』の本質を理解できるわけではないと思うが、あらためて読んで感じるのは、解説者としての「遠藤誠」という人物が叙述のあいだから見えてくることだ。四十七歳のとき自殺未遂をしたという遠藤さんは激しいウツに苦しみ、それをきっかけに『歎異抄』に出会った。精神科の治療で治らなかった「ウツ」を、南無阿弥陀仏と唱えることによって克服したという。それは、ロゴス、あるいは論理をつかさどる左脳に働きかけるのではなく、ただ念仏を唱えることによって右脳に導かれる体験だという。つまり『歎異抄』の言葉を使えば、「無義」。「義」は「意味」の世界だから、「無義」とは意味を問わず流れに任せると解釈してもいいのだろう。
■そこに遠藤誠という人の「無義的」なる魅力があるのではないか。反権力の人でありながら硬直しない「無義」を持つ人。それはもしかしたら、「立派なだめな人」ではないか。そういう人にわたしもなりたい。『歎異抄』をしっかり読もう。とはいえ、『論語』も読みたい。もちろん『資本論』も読む。だが、硬直しない。硬直したニヒリズムはくどいようだがうんざりだ。
■そう、報復。報復の暗さ。

■ガルヴィのNさんからメール。車にTREKを乗せて自然を走る計画だが、二子玉川から羽田まで、海に出るサイクリングコースはどうかとのこと。80分かかるらしい。うーん、80分か。悩む。で、ほかにもフランス演劇などを研究しているY君、四条畷のYさんや、香川のNさんなどのメールも紹介したいがそれはまた。

(4:43 Mar.11 2002)


Mar.10  「濃度。目をそらさず見つめること」

■ああそうか、「恋愛という関係の濃度がひどく高まる状態」が、面白い、あるいは魅力的なのは、非日常だからだな。「ユニバーサル・スタジオ・イン・胸のうち」だ。「夢と魔法の王国的心性」だ。目を覚ませ。そんなものはまぼろしだ。
■だけど、だからこそ人は恋愛する。
■いま支配的な恋愛観はアメリカのグローバリズムに侵犯されているのだからと書けば、これはひどく民族主義的な言葉ですけれども、『反定義』のなかで坂本龍一さんが「こういうことは本来右翼が言うべきこと」といった意味の発言をしているように、「政治」ばかりではなく、「言葉」にしろ「からだ」のことにしろ「反」として、「9・11以後」の状況に対置させアプローチの仕方を変えようとすれば、いきおい、これ右翼が言うべきことなんじゃないかと感じることはしばしばだ。なぜ「9・11以後」これといった右翼の発言はないのか。
■半年になる。あれから半年。
■時間が経つのが速い。
■一瞬のように過ぎていったが、僕にとってはとても濃度が高かった。

■ネット上にはいきがって右翼みたいな発言をする者らをよく見かけそれは型通りの右翼的心性の表明に過ぎず理念も思想もないと思うのは、結局、朝日新聞を批判してりゃいい程度の右翼ぶりだからだ。あなたがたがしっかりしなくて誰がしっかりするんですか。全員、街宣車ごとアフガニスタンに行け。「反米・民族主義」という点でイスラムの人たちと共闘したらどうだ。東京も静かになるし。
■核査察をさせないイラク、北朝鮮は悪の枢軸だそうだが、アメリカはあれなのだろうか、ちょっと見せてよと言えば、核開発施設を簡単に見学させてくれるのか。右翼が行くべきだ。アメリカへ。核査察に。それで街宣車ごと爆発するというのはどうだ。
■右翼がやらなくて誰がやるんだ。この国の中でちまちま活動しないで世界的な規模で働いてほしい。いつまでも北の脅威じゃないだろうし。もっと世界を綿密に分析し自分たちが働くべき場所を見つけてほしい。「街宣車、ラスベガスを走る」とかいったわけのわからない映像を見たいと思う。

■『一冊の本』のOさんから原稿催促のメール。『反定義』のことをしばしばここに書いているが、それを坂本龍一さんにメールで知らせたそうだ。なんて余計なことをと思ったが、すると坂本さんからの返事に「読みました」とあったという。なんだって。読んでいたのか。読んじゃったわけですね。すると僕がここでリンクしたページも坂本さんは見ている可能性があり、「腰痛の広場」も見たかもしれないと考えると面白い。だからというわけではないが、『反定義』から印象に残った言葉を引用する。辺見庸さんの発言。
 坂本さんとお会いして気がつくのは、9・11とそれ以降の問題を内面化し、音楽表現そのものまで問い直していることです。そして、世界のいまの流れに対抗的であろうとしている。それは表現者としてとても正しいのではないでしょうか。ぼくも書きかけていた小説が9・11以来、まったく色褪せて見えて、根本的に修正せざるをえない状況です。ほんとにものを考えてる人だったら、画家や音楽家や、いろんなアーティストたちは、そう思ってるんじゃないか。それは、各分野の表現が政治的になれという意味ではまったくない。メッセージを持てということでは全然ない。そんなことは関係ない。そうじゃなくて、現実にある、このでたらめさに対してどれだけ自分たちの表現行為が対抗的でありうるのか、あるいは国家的なものに吸収されないでいられるか、ということです。そのことを真剣に考えなくてはならないんだと思う。

 それで辺見さんは、「反国家」というアプローチを言葉にするが、それに共感する。政治的なメッセージを発するのは簡単だ。簡単というかいまでは通俗ですらある。そうではない方法で、「9・11以後」を意識し、自分の表現の領域でそれとどう向かい合うか、いかに表現を高めてゆくかという問い直しだと思う。それが「反国家」にきっとつながる。きつい作業だな。だけどやらなくちゃだめなんだよな。問い直すこと。あらためて向かい合うこと。だから、「小説ノート」を9・11の直前に書きはじめた出来事はこれとぜったい無縁ではなく、なにかが発生し、なにかに書かされたのだと思う。とても大切な仕事だ。大切なものであり、ことであり、人である。

■Jリーグが誕生しておやっと思ったのは、外国人選手の名前ではないだろうか。「ピポー」という選手がたしかいた。名前なのかなんなのかわからなかったが、このことの意味は大きいとJリーグ開始当初、ある人が話していた。それまで目立ったプロスポーツの外国人選手はたいていアメリカから来た。野球がそうだ、というか野球とはほぼアメリカなのだから当然だが、Jリーグには世界中、様々な国、地域から選手が集まる。そこで耳にする名前は聞き慣れず、そこにサッカーというスポーツの巨大さを感じる。
■インド洋に浮かぶ小さな島へ行っても、島の子どもたちはサッカーをやっていた。一緒になって走った。ボールを蹴った。息が切れた。なんでこんな場所まで来て、息を切らしているのかわけがわからない。
■東京スタジアムは二万三千人以上の入場者。
■ジュビロ磐田対東京ヴェルディ戦。東京スタジアムはヴェルディのホームだが、二万三千人中、ジュビロの応援が二万、ヴェルディ三千、推測。スタンドを埋める水色が壮観だった。ジュビロの高原がシュートを決めたのがなによりの収穫。目の前でそれを見られたのがなによりの記念。
■記念といえば、元ヤクルトの石井がメジャリーグのオープン戦初登板でいいピッチングをしたらしい。石井がデビューしたのはやはりオープン戦。何年か前のこの時期だ。ロッテとの対戦でマリンスタジアムで投げたがそれを目の前で見たのはちょっと自慢していいんじゃないだろうか。やっぱりすごいピッチャーだったのだな。インタビューを受けてもでたらめだし。大物。だめなときは初回で五点ぐらい簡単に取られるが大事なところではあの猛牛打線さえぴしゃっと封じる。すごいよ、石井。

■イスラエルとイスラム原理主義者たちのあいだでくりかえされる報復のニュース。自爆テロ。ミサイル攻撃。報復。報復。報復。いやだなあ、ほんとうにいやだ。20数年前のことを思い出す。報復。報復。単純にいやな気持ちになる。そこでは笑いも起こっているかもしれないがきっと暗い笑いだ。こわばった笑顔だ。見たことがある、その笑いを、いつかの日。でも目をそらしちゃいけないのだろうな。いまは。
■BSテレビをつけたら、喜納昌吉さんが出ている。かなりなニューエイジぶりだった。首から石をさげている。からだを得体のしれないものがつつんでいる。暗い笑いともまた異なるふしぎにおだやかな笑顔。すごいなこのニューエイジぶりは。

(6:36 Mar.11 2002)


Mar.9  「仕事をする女」

■焼肉を食べているときマガジンハウスのNさんが口にした言葉が印象に残った。
「恋愛しなくちゃいけない時期に、携帯電話がなくてよかったわ」
 なるほど。つまり、携帯電話があると恋愛中の男女はつねに連絡をとりあいいま自分がどこにいるか、何をしているか伝えあわなくちゃいけないのが面倒という意味なのだろうが、面白いと思ったのは、「恋愛しなくちゃいけない時期」という言葉だ。恋愛していなくてはいけないと強迫するなにものかがあって、人は恋愛する。男もきっとそうなのだろうが、女性は特にその強迫が大きいかもしれないし、逆に考えると、「恋愛しなくてもいい」という時期がやがて訪れるということだ。恋愛っていったいなんだ。

■それで編集者のE君が、宮台真司さんが書いていた言葉を引いて「携帯電話で連絡取り合うのは、意味ではなく、関係を示している」と言った。どうでもいいことをメールで送る。「おはよう」とか、「いま起きた」とか、どうでもいいこと。だが、その回数、やりとりの頻度によって、相手との関係の濃度が計られる。それを壊すまいと携帯のあの小さなキーを必死になって、彼、彼女らはたたく。
■ここにはまたべつの「関係論」があると思った。ベケットの『行ったり来たり』という戯曲を詳細に分析した別役実さんの文章がある。近代以前の人の関係のありかた、コミュニケーションに、「言葉」の介在はそれほど必要ではなかったが、近代以降、「個」が出現することでいつか言葉を掛け合わなければ関係したことにならなくなった。その「個」が、いま関係としてもっと小さくなり、「孤」になっていると別役さんは書く。
■恋愛は、人と人とのあいだに出現する「エロス=欲望」の美しい呼び名だ。だから「恋愛」となめらかに口にされる言葉にはもっと多様な人の、深みや、ささくれだったものが存在しそれはちっとも美しくないかもしれない。まあ多分に恋愛は幻想かもしれないけど、それを言っちゃあおしまいよってやつになって人はしみじみ恋愛する。
■「孤」になってしまった現代の人のあいだに生まれるエロスの姿もまた変化し、道具=携帯電話を使ってより高速にその濃度を確認しないではいられないせっぱつまった場所に追いやられる。だからNさんは「恋愛しなくちゃいけない時期に、携帯電話がなくてよかったわ」と言葉を漏らしたが、またべつの角度から見れば、ここには「仕事をする女」としての率直な感慨がある。Nさんの言葉はNさんが考える以上に、「コミュニケーション論」として「エロス論」として、そして、「ジェンダー論」として見逃せない言葉になる。

■少し前の新聞に、社史を一万冊読んで、それをまとめた女性の話があった。
■本来の仕事以外の時間を使って、そのまとめを試み、この何年か、土日もほとんど休まなかったという。それで彼女は、「結婚してなかったからできたんですよ」と言った。まったくそうなんだと思う。「関係」は変化したが、女を取り巻く社会の仕組みにはさほどの変化はない。男中心に作られた社会。男としてそう思う。他人のことを非難できない。Nさんの「恋愛しなくちゃいけない時期に、携帯電話がなくてよかったわ」は、「仕事をする女」が携帯電話によって恋愛という「関係の濃度がひどく高まる状態にある」とき、仕事とのバランスに耐えられないだろうことを示すが、なぜ女だけそうなのかが問われる。
■しかし、それでも人は恋愛する。女は恋愛する。仕事をしていようと女は恋愛を目指す。
■おそらく、恋愛という「関係の濃度がひどく高まる状態」が面白いからだ。
■突然だが、『携帯を叩け女』という小説を書こうかといま思いついた。ラストの場面だけもうできた。男に向かって女が携帯を投げる。携帯が男の顔に見事命中し、歯が折れ、血がしたたる。それを見て女は笑う。血を流し茫然とする男は折れた歯を床に探す。女は投げた携帯電話を床から拾い上げると、壊れていないかたしかめ、そしてまたどこかにメールを送る。

■ほんとは『反定義』にあった辺見庸さんの言葉について書くつもりだったのだな。また長くなった。しかも僕の日常について触れるのを忘れた。「市松生活」なのに。というか、この二ヶ月ほどずっとそうだが、いまの日常を書くと恥ずかしいということが多分にあって、で、13日になるとそれが少し明らかになるはずである。っていうか、最近、恥ずかしいと思いつつ小出しにしている。あしたは、東京スタジアムにジュビロ磐田と東京ヴェルディの試合を観にゆこうと思う。電車で。

(2:52 Mar.10 2002)


Mar.8  「上野へ」

■映画『A2』について「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」にも参加表明してくれたNさんからメール。
 山形ドキュメンタリー映画祭で会場いっぱいのお客さんと観たのですが、みんな一緒になってドカンドカンと受けまくってました。知人が試写で観たときに「誰も笑ってなかった。」と言っていたのが意外だったほどです。映画祭上映時の舞台挨拶では森監督も「笑いがおこってホッとした。」とおっしゃってました。
 きのう書いたが、『A2』についてまとまった文章を書こうと思っていた矢先のメール。Nさんがおっしゃるように、『A2』はほんとに笑える。試写にあたってプログラムのようなものを渡されたが、そこに何人かの方が文章を寄せている。なぜこんなもっともらしいことを書くかわからないねこの連中が。オウムを前にすると人は思考する力がとたんに萎え、凡庸な言葉しか生み出せないのかもしれない。これから観る人のためにあまり内容を書くまいと思ったが、これは喜劇である。見事な喜劇。オウム信者も、オウムに反対する市民も、右翼も、マスコミも、みんな見事な喜劇を演じる。なかでも右翼がすごかった。爆笑。これを「面白い」と書くことの覚悟がなければオウムとその状況をきちんとした目で見ていることにはならないはずだ。だから、最後に森監督自身がオウムの信徒にする質問にはあまり意味を感じなかった。映像がすでに語っている。プログラムに「人生には近道がある」と口にしたという女性作家も寄稿しているが、中学生以下の文章である。それも喜劇。

■編集者のE君に誘われ、マガジンハウスのNさん、Fさんと四人で焼肉を食べに上野へ。
■うまかった。上野のその一帯はコリアンストリートになっているのか昭和通りから一歩その道に入るといきなり焼肉のいい香り。腹が減る。そして肉は美味かった。話も面白かった。いい夜だった。
■NさんとFさんと知り合ったのは、二人がかつて、休刊が決まった『鳩よ!』にいたからだ。あのころの『鳩よ!』はのんびりしていてよかったという話になる。あのころとは、八〇年代の半ば、バブルの直前だ。そもそも、まだ「雑誌」そのものにある意味で、「良質な物語」があった時代だったのではないか。『一冊の本』の高平哲朗さんの「ぼくたちの七〇年代」に次のような記述がある。日本語版『ローリングストーン』誌を晶文社から出す話が頓挫し、それに代わって、『宝島』の前身、『ワンダーランド』が創刊されるとき(一九七三年)のことを高平さんはこう書いている。()内はすべて引用者による。
 すでに『ストーン』誌を想定して立てられた構想と企画がそのまま『ワンダーランド』に移行したが、タブロイド判は日本では雑誌として扱われないことも分かった。書店が雑誌を返本する時、表紙だけを返す。タブロイド判には表紙がない。そこでタブロイド判に近いサイズということで、『アサヒグラフ』のサイズの本文八十ページ中綴じに決まった。平野さん(平野甲賀)の希望で本文は新聞活字を使用することになった。活版の新聞活字の清刷を取って、写植文字のタイトルと台紙に張り込むのは大変な作業だった。紙は新聞を思わせる質感のもの。印刷所は日刊スポーツ。創刊は七月十日。創刊の表紙は植草さん(植草甚一)のコラージュ。すでに平野さんの手でタイトル・ロゴも出来ていた。
 これをもし高校生のときに読んでいたら、僕は迷わず、雑誌の編集者になろうと思ったはずだ。この短い文章からでも熱気のようなものが伝わってくる。とくに「平野さんの希望で本文は新聞活字を使用することになった」という部分などたまらない。新聞活字の無機質な感触にデザインとしての美しさを見るということにちがいなく、「紙は新聞を思わせる質感のもの」とあいまって、当時の平野さんのデザイン感が現れている。源流をたどればバウハウスやロシアアヴァンギャルドにゆきつくかもしれないが、当時、それがどれだけ魅力的に見えたか。たとえば、平野さんがすべて手がけていた晶文社の書籍のなかでも、ヴァルター・ベンヤミン著作集のブックデザインがすごく好きなのは、ヴェンヤミンの肖像を薄く印刷しあとは文字だけで構成された単純さのなかに平野さんのデザイン理念がこめられていると感じるからだ。レイアウトと写植文字の美しさによるデザイン。あの文字が、コンピュータで言えばあの文字と同じフォントがWebでも使えればと思う。ついつい、ローマ字フォントを使えばかっこよくなると考えがちだが、「漢字」や「ひらがな」だけでも技術と理念がきちんとあれば、これだけきれいなデザインができるということを平野さんが教えてくれた。

 雑誌を作るのはそのように「良質な物語」の産物としてある時期まできっと存在したし、「物語」を共有する読者によって雑誌は支えられていたのではないか。「物語」はもうない。おそらく、「物語」の否定面だけがうっとおしくなったのが八〇年代であり、むしろそれを冷笑することで七〇年代は清算された。

■それで思い出した。いま書こうとしている小説、書いている途中の小説、構想だけがある小説のほかに、「一九七七年についての話」を書こうと思っていたのを忘れていた。七七年はとても重要な年だ。個人的にも、ほかにもいろいろ。だけどいまなにを、いま書くべきこととして、どう書けばいいか。「9.11以後」のことだ。「書く」ことばかりではない。表現者は誰もが自問するのではないか。それで、坂本龍一と辺見庸の対談『反定義』で辺見庸の言葉が印象に残ったが、また長くなる。その話はあしたにする。

(3:58 Mar.9 2002)


Mar.7  「A2」

■森達也監督の『A2』を試写で観た。
■現在のオウム真理教を追ったドキュメンタリー。とても面白かった。詳しくは「小説ノート」にまとめようと思うのは、書こうとしている小説にとっていくつかの手がかりを感じるからだ。近日中にアップする予定。書かなければいけない。「小説ノート」は大事な仕事だ。

■ガルヴィのNさんからメール。ガルビィは本来アウトドア雑誌なので、僕の連載も自転車で自然のなかを走って欲しいと以前から言われていた。町ばかり走っているわけにもいかない。東京の自然と言えば、秋川渓谷とかそういったあたりにゆかなくちゃいけないのだろうか。江戸川とか、多摩川といった自然もなくはない。大きな公園もあるかもしれない。参考にと、Nさんが見つけたサイトのURLを知らせてくれて()、つくづく、多様なサイトがあること、それを作っている人がいることに驚かされる。
■当日は、ガルヴィ編集部のクルマにTREKを乗せてゆく。
■こういうのもいいな。でかいクルマに自転車を乗せて遠くまでゆく。現地で自転車を走らせる。
■天気もよくなり、気温もあがったのでTREKを走らせるが、この気持ちよさはいったいなんでしょう。多少の坂でもまったく疲れない。なにしろ、7500FXは、フィットネスとエクササイズのための自転車だ。京都に行ったら大学までTREKで通い毎日がフィットネスとエクササイズだ。
■『A2』でオウムの信者たちを見ると「からだ」ということについてあらためて考えざるをえない。「フィットネスとエクササイズ」とははるか遠い位置にある彼らの「修行」は、「からだ」へのまたべつのアプローチだ。たとえばうちの近所にオリンピックセンターがあってプールもある。そこで泳ぐのもいいかなと思うがそうした「フィットネスとエクササイズ」の持つなにか「さわやかさ」と「肉体主義」には、オウムとは異なるいやな感触をいだく。アメリカ製の通販番組に出てくる「フィットネスとエクササイズ」のための器具を売るプロモーションビデオを見るときの印象に似ている。あるいは、米軍兵が肉体を誇示する気持ち悪さ。そして、またべつの感触を与えるオウムの修行。
■ふたつの「からだ」を並べながら、また「からだ」について考える。
■だけど自転車に乗るのは気持ちがいい。
■気持ちよさをはっきり意味付けなければ、結局、どちらかの世界に組み込まれてしまう。

■試写のあとぼんやり渋谷を歩いた。自転車に乗っているときは「乗っている」ことを強く意識するが、歩いているときは「歩く」ことは意識されず、むしろモノを見ていることの意識が強くなる。町を見る。通りを見る。電柱の張り紙を見る。
■そこで発見するものやことの意味はとても大きい。
■だから歩く。

■言葉にしようとして、けれど、うまく言葉にできないことを書いているような気がする。どうも調子が出ない。しかし、するする答えが出るようなことはここに記す意味がない。そんなことを考えつつ、以前も書いたことがある、保坂和志さんの『世界を肯定する哲学』を開いたら、ちょうど次のような文章にあたった。
 スプーン曲げや空中浮遊を否定するにせよ肯定するにせよ、激しい心理的な反応を引き起こすときにはたいて「目撃」つまり「視覚」が介在してる。これらが単なる「目撃談」のレベルにとどまっていたら、ブームになったり教団の「神話」になったりすることはなかった。知識それ自体は言語というシステムに属していて人間の肉体と無縁のものだけれど、「目撃」には自分自身の肉体が介在する。

 視覚つまり「目撃」が、「確かである」という感じを人間に与えるのは、そこに自分の肉体が介在しているからではないかと思う。言語というシステムに肉体は介在しない。それは言語をコンピュータに完璧に移入しうることでも証明されるだろう。しかし、人間が言語というシステムに参入するためには肉体を必要とする。それゆえ、太陽系や受精の瞬間の映像は人間にとって決して不必要な蛇足ではなくて、言語というシステムに肉体としての脳を参入させる機能を果たしている、ということなのかもしれない。
 これは、ほんとうは最終章で保坂さんが書いている「世界を肯定する」ことへ向け「肉体」と「言語」をすりあわせるために用意された伏線のような役割を持つ部分なのでこれだけ引用しても意味はないが、しかしこの部分だけでも考えることの手がかりになる。

 だけど、なにを? なにを考えようとしていたんだっけ。「答えようがない質問」を、答えられないからこそ考える意味があったように、考えようとするその当のものがあらかじめなにかわかっていたら考える作業にはそれほど意味がないだろう。出発点からしてわからない。前提が「わからない」ということだ。というか、ちょっと調子が出ないだけなのだが。

■いまふと思った。「Webデザイン批評」という分野は存在しているのだろか。「映画批評」「演劇批評」「ダンス批評」「美術批評」と同様の意味における「Webデザイン批評」。ごく一般的な「デザイン批評」とも異なる視点が必要になるだろう。もしないのだったらその分野を開拓しようかと思った。
■結局、なんでも仕事になってしまう。
■ある本に、「趣味はひとに見せるためのものではなく、自分が自分の心を満たすためのもの」とあった。作家なんて因果な商売だなあ。なんでも人に見せ、なにからなにまで仕事につながってゆく。この言葉に従えば趣味なんてものがわたしにはまったくない。だけど、作家だからそうだったわけではなく、これもまた、そういう人間だから作家にしかなれなかったとしか言いようがない。島崎藤村に、死に際にいる友人に「いまどんな気持ちだ」と質問した有名な逸話がある。あれもそうだ。作家だからそうしたのではないと思う。そういう人間だから藤村は作家にしかなれなかった。
■それで思い出した。なぜ作家は下の名前で呼ばれるかだ。「漱石」「鴎外」「藤村」「安吾」といろいろだが、ただ、太宰治のことを、「おさむ」と呼ぶ人はいない。なぜだ。なぜか、「太宰治」は「太宰」だ。過去ばかりではなく現代もそうで、もう亡くなられた松本清張は「清張」と呼ばれたし、ことによると村上春樹を「春樹」と読んでいる人もいるかもしれない。
■ちょっと、長くなった。

(7:38 Mar.8 2002)


Mar.6  「煮えたぎる物欲」ver.5ぐらい

■このところ東京を不在にしていたこともあり『一冊の本』を読んでいなかった。
■高平哲朗さんの「ぼくたちの70年代」をまとめて読んだ。二月号がすごい。七〇年代の有名な雑誌『ローリングストーン』の日本語版が出るまでの出来事。どういうことになっているのか謎だが、とりあえず高平さんを支持したいのは、この話が「書かれたもの」としてものすごく面白いからだ。
■いますぐ『一冊の本』二月号を読め。

■東京オペラシティの48階へ。
■FinalCutPro3のセミナーを受講。面白いほど簡単にビデオの編集ができる。で、タイトル文字を画面に入れようとすると、前回のセミナーで同じMacを使ったのだろう人が選んだフォントが噴飯ものである。枠付きの斜体。それを変える方法がわからず気持ちが悪い。
■セミナーで使われたのは、まだ未発売のPowerMacG4、1ギガヘルツのデュアルプロセッサー。速いよ。それでレンダリングが高速と言われても困る。アドビの同種類のソフト・Premiereと、FinalCutProとどっちがいいか。FinalCutProの優位としてMacとの整合性、安定性の高さを説明するのに、「ハード、OS、QuickTime、アプリケーション、すべてアップル純正」って、そりゃそうだろう。わざわざ言われなくてもわかってる。講師がまじめな顔でそう言ったとき笑い出しそうになった。
■で、好きな人はそれでいいだろうが、ことさら「純正」と言われると、だったらハイブリッドなことがしたくなるものだよ、人とは。俺だけか。考えてみれば、純正のコンピュータとOSは使っているが、ディスプレイ、キーボード、マウスは純正ではなかった。でかいよ、純正のキーボード。いやだなやっぱりなにからなにまで純正。優生学じゃあるまいし。

■ビデオの編集は面白そうだ。去年の七月、大学の2年生の発表公演のときD君の家で音の加工をした。音楽の編集だけでも面白かった。こういった作業はなぜ楽しいのか。つまりちまちました仕事。コンピュータがいいのはその「ちまちま」を一人でできることだ。
■Premiereか、FinalCutProか。その選択もたしかに問題だが、ほんとはなにをどう撮るか、そしてどんなふうに加工するか。「編集」という言葉、概念はすべてに通じる、と書けば、松岡正剛みたいな言いぐさだが、そもそも人は無意識のうちに編集をしている。この日記もそう。文章を書くということがそう。なにを書き、なにを捨てるか。生活も編集。生き方も編集。便利な言葉だな、編集。
■べつにビデオの編集をするのにMacじゃなきゃいけないわけではないが、するとどうしたってMatroxのビデオ編集用のカードが欲しくなる。そんなことを言い出したらきりがない。煮えたぎる物欲。デジカメもいいけど、一眼レフもほしい。オートマチックじゃなくて、マニュアルなカメラ。そう、少々面倒でもオートマはだめだ。なんでもそうだ。クルマもそう。マニュアル車を動かしたいんだ俺は。写真で思い出した。京都のガラス工房でステンドグラスを作っているKさんのサイトの写真はきれい。ロモカメラもほしい。

■東京オペラシティの48階にいながら、そのことをまったく意識できない高層建築の構造が奇妙でならない。めまいがする。たしかにエレベーターの数字は48を示している。エレベーターを出て廊下を歩いても、角を曲がってさらに歩いても、部屋に入っても、どこにも窓はなく、ほんとうに48階かたしかめる手段がない。うそなのかもしれない。どうしてそれが48階だとたしかめられるか。世界貿易センタービルで働いていた者らも自分たちがどんな場所にいるかわからないうちにテロに巻き込まれたのではないか。
■アフガニスタンでは世界でなにが起こっているか知る手だてすらない者らの上にある日突然アメリカの戦闘機が飛びクラスター爆弾を落とす。
■どこか遠いところで政治が動く。
■どこかでこっそり取引が交わされる。
■それが高層ビルのめまいに象徴されているかのようだ。
■もう半年になろうとしている。
■小説ノートにまとめるべきことだが、この六ヶ月の意味をいまゆっくり考えている。

■ほんとうは小説ノートに書こうと思うことがいくつもある。うまく形にならない。言葉にならない。
■「言葉にならない」で思い出したが、CMで小田和正が歌う詞はなんだ。「あなたに会えてほんとうによかった。うれしくて、うれしくて、言葉にならない」って、言いたいのはそれだけか。あとのほうは、「らーらーらー」で終わりだ。いくら言葉にならないからって、らーらーらーで終わりってことはないじゃないか。それでやけに感動的な歌とCMが生まれてしまう。なんていうんでしょう、「お見事」というしかないね、こうなるともう。

(3:52 Mar.7 2002)


Mar.5  「それが新しい自分であると」

■以前も書いた知人の猫のガンは進行している。「くつ」という変わった名前の猫。足取りがおかしいので、様子を見ているうちようやく気がついた。目が見えない。腫瘍が近くにある右側の目は腫瘍によって前に押し出されている。しゅん膜で覆われ白濁し、もう見えないだろうとは思っていたが、まさか左目まで見えないとは思わなかった。視神経がやられたのかもしれない。音と匂いだけで慎重に動く。不思議なのは、そのこと、目が見えなくなったことを嘆くでもなく、自然に受け止めているかのような猫の様子だ。においを追い、耳をそばだて、部屋を探るように徘徊する。自分のからだがそうなったことを素直に受け入れ、それが新しい自分であると自覚しているかのようだ。

(2:37 Mar.6 2002)


Mar.4  「走って、見て、書く」

■田口トモロヲ君が『プロジェクトX』のナレーションをやっている。僕と同じくらいか、上の年齢の会社員たちが火曜の夜になると急いで帰宅し『プロジェクトX』を見るというがあの人気を支えているのはトモロヲ君のナレーションに負うところが大きいと思う。
■淡々としたナレーションがすごくいいと以前も書いたが、聞くところによると、本番の録音で、どうしても泣いてしまうらしい。前日台本を家で読んでならしてから本番に挑むという。トモロヲ君も人の子だった。たとえ私が14年ほど前、『七人の侍』のサントラCDを貸したのにいまだに返してもらってないとしても人の子であり、くりかえすがあの「読み」は見事である。
■なかでも、僕が好きだったのは、ソニーのラジオのヨーロッパにおける販売を取り上げた回の最後の一言。「だって、ソニーはラジオでしょ」だが、それを聞いたとき、うまくなったなあとつくづく思った。俳優が内面に持っているものと技術の洗練がぴたっと一致した幸福な瞬間を見た気がする。

■NHKからFAXが届いた。このあいだ書いたFMラジオで僕の『青空の方法』を朗読する番組の朗読者に、トモロヲ君が決まったとの知らせ。ものすごくうれしかった。で、これはぜひ聞いてもらいたいので詳細を書けば、
ミッドナイト・ポップライブラリー
NHK-FM 火曜日〜土曜日 深夜0時20分〜1時放送(本放送)
  翌週 月曜日〜火曜日 朝 9時20分〜10時放送(再放送)
 放送日 4月2日〜6日 (本放送)
 FAX には『青空の方法』のどのエッセイを読むか一覧があったが、「元パンク」がない。トモロヲ君が読むんだったら「元パンク」を入れないでどうするんだ。このエッセイに出てくる「T君」がなぜトモロヲ君のことだとわからないんだ。いま確認しようと読み返したが、本人がこれを読むかと思うとかなり笑える。10日に録音だというので、それまでに一本、番組用のエッセイを書こう。無償である。趣味で書く。例の、「これは背に腹はかえられなかった傍若無人な男たちの物語である」を書かなければな。それで中島みゆきの歌が流れる。くだらない内容なのになぜか泣ける話を書こう。

■楽しくなってきた。楽しければ、いくら書いてもお金はいらない。
■というわけで、きょうは「ごきげん」というやつである。
■ごきげんついでに、また自動車雑誌を買ってしまった。ブルータスにクルマの特集があったのでそれも買う。なぜ。

■「だって、ソニーはラジオでしょ」に幸福な瞬間を見たと書いたが、いとうせいこう君がかつて一人芸とも呼ぶべきパフォーマンスをやっていたことを知る者もいまでは少ない。10数年前、明治大学の学園祭に、ラジカル・ガジベリビンバ・システムで呼ばれたことがあった。いろいろやったが、いとう君が一人でするパフォーマンスもあった。それまでも何度もいとう君の舞台を見ていたが、そのときのいとう君に、僕はやはり、「幸福な瞬間」を見た。僕が知っている限りではその舞台がもっともすごかった印象がある。それに立ち会えたことがやはりうれしかった。
■明治大学は、新宿から出ている京王線の沿線、「明大前」という駅から少し歩いた場所にある。もちろん明治大学があるから「明大前」だ。その日、シティーボーイズのきたろうさんは言った。
「明大前は、よくできている。明大の前にある」
 なにを言い出したのかと思ったが、すぐにはっとした顔をしてさらにきたろうさんは言った。
「あ、だから明大前か」
 自分で気がついてくれたんなら、もうそれ以上、つっこむ必要はなかった。

■ここんところ、10数年前のラジカルのことをつい書いてしまう。これ以上書くのはやめよう。この10何年か、「ラジカルの遺産で食ってくことだけはやめよう」と戒めてきた。だから遊園地再生事業団はラジカルの方法からいかに遠ざかるかがひとつの目標だった。
■ひとつのことを終えて、またべつのこと。
■で、遊園地再生事業団も一区切りがつき、来年の一月に久しぶりの公演がある。もうすぐ、あの「9・11」から半年になる。政治的なこと、個人的なことを含め、そこでなにかの転換があったとするなら、新しい舞台は「方法の変化」より、もしかしたら、「語られるべきことの変化」になるかもしれない。そして「語られるべきことの変化」に導かれるように方法も変わってゆく。この半年はかなり意味のある時間だった。

■またいろいろな方からメールをいただいた。万博公園にある「民族博物館」や「言語」についての四条畷のYさんの話。フランス演劇を研究するY君からまたメール。あした紹介する。あるいは、「反定義」で語られていたこと。アメリカの兵器開発の執拗さはすごいなと思ったのが、ニュースで報道されていた新型のミサイルのあきれるほどのすさまじさだ。軍事力などほとんど持たないタリバンという単なる宗教集団に対しここまでする執拗さは異常だ。アメリカは世界中に実験場を求めている。報復は口実ではないかと思うほど新型兵器の実験場としてのアフガニスタンがある。そこでどれだけの数の子どもたちが死んでいっただろう。イラクでは誤爆のさい、爆発音の大きさだけで幼児たちが次々とショック死したという。この国ではにやにやしながら裏取り引きする政治家や官僚たち。そして、「人生には近道がある」と口にするばかな女。いてもたってもいられない。走って、見て、立ち止まり、書き、書きながらものを考え、書いていることが考えにつながり、また走り出し、考えたことが書かかれたものへ、あらかじめ用意された答えはなく、書きはじめることでしか書こうとしていたものの意味はわからない。それが作品。

(1:14 Mar.5 2002)


Mar.3  「こたえのない質問」

■少し前に、ある女性作家の盗作が2チャンネルあたりで話題になっている話を書いた。ほっとけばいい、ほっとけばすぐ消えるとそのときは書いた。某所で、その女性作家のかつての口癖が、「人生には近道がある」だと知って、いますぐ行って、その女性作家をなぐりたくなった。

■京都で舞台をやっている立命館のH君がうちに遊びに来た。
■彼が芝居している集団をずっと「劇団ポンポン大将」と書いていたが、そうじゃないとH君は断固主張する。申し訳ないことをした。「ヨーロッパ企画」が正しい名前だ。で、今度名前を変えるらしい。「劇団ポンポン大将」である。なにもそんな名前にしなくても。E-1グランプリという演劇のフェスティバルがあって東京に来ていたとのこと。
■昼間、新宿の歌舞伎町を歩いているとき客引きの男に声をかけられたという。交差点でどっちに行こうか立ち止まって迷っているH君に、男はずばり言った。
「立ち止まったらヘルスだよ」
 たら、って、なんだかわからない。男の言葉に説得力があるのかないのかも、よくわからない。

■このあいだこのノートに、「笑いが好きなのにお笑いの世界にゆかず演劇にそれを求める人」に、「なぜお笑いの世界にゆかないのか」と質問をしたことを書いた。よくよく考えてみると、これは「答えのない質問」だ。答えろというほうがまちがっているかもしれない。
■おそらく「答えのない質問」は無数にあると想像され、むしろ、「答えがないもの」によって世界は埋めつくされている。質問することじたい意味をなさない疑問がきっとあり、そうした不可解さが人間の本質に近いと感じる。なぜ、そうしてしまったか、なぜそうなったか、考えれば考えるほどわからないことを人はする。呉智英さんが話していたのはそれに対する鮮やかな解答のひとつだと思った。自分の娘が「なぜ、売春しちゃいけないか」と質問したとする。これにはきっと答えがない。答えようがない。その質問にどう答えたらいいか呉智英さんは言った。それが鮮やかだ。
「いきなりなぐればいいんです」
 これしかない。
 これ以上の解答はない。
 ただ、「自分の娘」という限定された範囲での解答の方法だと思った。
 それでも、あきらめてはいけないのだろう。「なぜ人を殺してはいけないか」もまた厳密に考えてゆけば答えが出てこないが、「答えのない質問」を答えが出ないとあきらめず、わからないからこそ考え続ける。考え続け運動する状態そのものが、わかるということのはずだ。

■で、考える。
■考えるというのは、僕の場合、書くことだ。書きながら考えてゆく。書いていることが考えることにつながる。このノートはおそらくそのためにある。

■たくさんの人が、考えるための手がかりを教えてくれる。うれしい。「からだ」についてのノートを書いていたころから様々にアドバイスしてくれたフランス演劇などを研究しているY君や、うちの大学のS、アップルの有名なCM、「1984」を紹介してくれたT君などからメールをもらった。
■Y君からは、アルジェリア人の作家で、ベケットと同時期に戯曲を書きはじめたというカテブ・ヤシンについて教えられた。それから、リーディング公演『アンヌ・マリ』を書いた、ミンヤナの『目録』という戯曲は、都現代美術館で見たボルタンスキーに影響を受けた作品だという。こうなるとボルタンスキーをもっと見なくてはいけないし、Y君はいま、カテブ・ヤシンの作品を翻訳中らしいが、ぜひともミンヤナの『目録』も訳してほしい。それを読みたい。
■Sによれば、万博公園のなかにある民族学博物館では、世界の言語が聞けるという。そうか、博物館という手があったか。Sは、「世界の言語を聴く」という授業に興味を持ったというが、それだけの人を世界中から集めるのは大変だと、たしかにそうだけれど、そんな心配はしなくてもいいという心配をしてくれた。とりあえず録音されたものでと思っていたが、博物館にはたしかにそういったものがありそうだ。
■ワークショップでよく美術館に行くのはただ僕が好きだからだ。言われて気がついた。博物館も捨てがたい。
■T君はインターネットのどこかのサイトで読んだ話として、世界中に約3000種類の言語があり、その半数、1500の言語が現時点が衰退し消えてしまうかもしれない話を書いてくれた。「その主な原因はアフリカの国々に代表される発展途上国の少数民族の言語などが、英語・フランス語の圧倒的なグローバル化によって圧迫されているからだそうです」とあった。
■グローバリズムとインターネットとの関係で、べつにインターネットを丸ごと否定するほど私は原理主義的ではないが、考える作業が中途になっている「ネットにおける倫理」、あるいは、「W3Cが作り出すネット上の秩序と法のようなものへの懐疑」など、送られてきたMさんや、四条畷のYさんのメールなどを紹介しまたゆっくり考えたい。
■そういえば、倫理を語り、W3Cに忠実なソースを書きつつも、しかしアンダーグラウンドなサイトは活発だ。活発に無秩序が展開されている。あれは面白い現象だと思う。

■考えてみれば奇妙なのは、きのう書いた都現代美術館の天井が高いから気持ちがいいことについて。外に出れば、高いもなにもない、どこまでも高い。だが、戸外で感じる気持ちよさとは種類の異なる気持ちよさが「建築」にはある。そのあたりのことを考えようと、家にある建築の本をぱらぱらやり、「天井」について調べる。つまり「空間」について。
■演劇では、劇場の天井高のことを「たっぱ」と呼ぶ。しかし演劇用語ではなかった。「たっぱ」は「立端」、あるいは「建端」と表記し、建築・土木の専門用語で「高さのこと」だと広辞苑にある。それが転移し様々な場面で使われるようになった。
■と、ここまで書いたところでしばし、建築の本を読む。
■話の続きは後日だ。
■「建築」の読み直しである。

■ずいぶん前、ある女の子から、唐突に、「わたし売春しようと思うんですよ」と言われた。
■冗談だったのかもしれないが、僕はやけに倫理的な対応をし、売春について語ったことがいまでは恥ずかしい。「売春」は答えのない質問のひとつ。それでいま、ふと思った。自分の子どもでもない。いきなりなぐるもこともできない。だからってやれやれと勧めるのもどうか。だったら、こういう答えはどうか。
■「俺が、買う」
■相手はどう反応するか。なにを思うか。
■そう答えなかったことをいま気がついて後悔しているのである。

(5:11 Mar.4 2002)


Mar.2  「ことばをきくこと。耳をすますこと」

■ゆうべ遅い時間、久しぶりに笠木と電話で長話をした。
■それで教えてもらったが、「新潮45」の編集長のNさんはいま「オバはん」と呼ばれているらしい。それでNさんのメールで自分のことを「オバはん」と呼ぶのも合点がいった。「新潮45」に「福田和也さんからオバはんがものを教えられる」といった内容の連載がありそれが文庫になった。文庫の表紙がNさんの写真。世の中はたいへんなことになっている。

■笠木から、いま僕がしている計画の内容をずばりいいあてられた。
■わかるんじゃないかと思っていたがやっぱりか。
■あと、リーディングの公演、『アンヌ・マリ』に出演した宋とまた連絡が取れなくなったという。僕も京都の公演以降、まったく連絡していなかったが、宋はときどき、というか、かなりの頻度でこうなる。行方知れず。いまどこでどうやって生きているかわからない。
■幻の生物かあいつは。
■「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」に笠木も来ると言い、参加表明していない連中も当日来る気配があって、このぶんでゆくと120人くらいになるのではないか。これはこれでまた、たいへんなことを企画してしまったものですよ、わたしは。

■ぶらっと 東京都現代美術館にまたいった。
■このあいだいったときは常設展が休みだったのでそれを見る。この美術館の常設をこれまで何度見たか忘れたが、そのときどき、展示が変わっているのでいつも楽しめる。あとで知ったが常設展はきょう、模様替えした初日だった。
■入ってすぐの部屋に、先日亡くなられた舟越保武さんの息子、舟越桂の作品があった。
■印象に残ったのはボルタンスキーの『死んだスイス人の資料』。初めて見た。
■ほかにもキーファーやリキテンスタインら外国の作家たちの作品もいいが、絵画そのものというより、時代背景としての一九五〇年代に興味があり、つまり自分が生まれた時代の、映画で言えばヌーヴェルバーグが、あるいはベケットが『ゴドーを待ちながら』を書き、政治的には新しい左翼が出現したある種の転換期ともいうべき時代、それらを背景に生まれた「前衛」のあらわれとしての美術に魅力を感じるのは、表現の洗練より、時代を乗り越えようとする野心、表現への過剰な思いだけ吹き出したようなエネルギーの面白さ。なにしろ下手だ。きたない。雑だ。それが六〇年代後半のポップアートになると洗練されそれはそれでいいものの、荒々しい魅力とは異なる。つまり、六〇年代の予兆としての五〇年代の魅力。
■五〇年代については、美術以外にももっと書きたいことがあるが長くなるのでそれはまたいつか。つまり、五〇年代の再評価というやつをやりたい。
■都内の美術館のなかでも、ここが好きなのは、所蔵されている作品の点数が多いことや、企画展の面白さもあるが、なにより展示室が巨大で気持ちがいいことだ。天井が高い。贅沢に空間を使った展示。さらに、岡本太郎グッズが並び美術書がわりと豊富にある売店、すいている地下駐車場、レストランで食事をすると量が多い、入り口ロビーから帯状に続く開放された空間の気持ちよさ。
■とにかく、天井の高さだ。
■それだけで気分がよくなる。

■大学の授業でもいい、ワークショップでもいいが、世界中の言語を聴く試みをやってみようと思ったのは、そうした機会があまりに少ないからで、それをたとえば「非対称」という言葉で表してもいいが、この国にいて耳にできる言語がごく一部に限定されすぎていると思うからだ。
■ことばをきくこと。
■意味はわからなくていいから、言葉を音として聴くことで自分のなかにわいてくるものを見つける。

■『反定義』のなかで辺見庸が通信社の外信部にいたころのことを話している。世界中から入ってくるニュースを取捨選択しそれを何文字の記事として新聞社に配信するか決める作業をしていたという。すると、たとえば、次のようなニュースはごく短い記事として新聞の片隅に追いやられる。
インド洋の島国マダガスカルの首都アンタナナリボに2月28日、戒厳令が敷かれた。大統領選から2カ月以上をへて、同国には「大統領」が2人並び立っている。デモが続き、首都は機能不全に陥った。ここにきて暴力的な衝突も起きている。(……and click here.)
 米国同時多発テロとその後の世界情勢のなかでは、タリバン時代には禁じられていたアフガニスタンのメディア解禁は大きく取り上げられるが、僕にしてみれば、長期間滞在していたことのあるアンタナナリボに、「戒厳令が敷かれた」というニュースはかなり気になる。辺見庸が話している。アフリカの小国でフェリーが事故を起こし乗客40人が死んだとしても、アメリカでたとえば死者三人の事件が起こればそのほうが大きな記事になる。

 言葉もおなじこと。言葉はそのままその声の出し方になる。この国の演劇が、この国の言葉で上演されるとき、ロンドンで上演されるシェークスピア劇のような声の発し方をする意味はどこにもない。世界中に膨大な数の言語があり、それぞれの声の出し方、「声」そのものがある。ハリウッドばかりが映画じゃないし、世界中に無数の映画があること、あるいは映画すら作ることのできない国があることの現実を想像する力を、僕だって鍛えたい。いづれにしても、耳をすますこと。遠い声に注意深く耳を傾けること。そのためのことばをきく授業。
1)世界中の、国、あるいは地域、それぞれの言葉を無数に聞く。
2)言葉の音だけで、どれが好きかそれぞれ決める。
3)自分が好きだと思った音の言葉について調べる。その国、その言葉が語られる地域。
4)その言語の、「こんにちは」と、「さようなら」を調べる。
5)その言語の、「こんにちは」と、「さようなら」を盛り込んだ、短い劇を作る。
6)演じてみる。
 おそらくそれは演劇の授業ではないだろう。演劇という方法を通じてもっとべつのことを学ぶ。大学とはそのようなものじゃないだろうか。まして僕のワークショップはそうだ。俳優養成所とはけっしてちがう。そしていちばん肝心なのは、その授業を通じて、教える僕が面白いかどうかだ。教える者が面白がってなくて、受講する者が面白いわけがない。だから、僕がつまらなくなったら、大学はさっさとやめる。

■関係ないけど、今日ニュースを見て大笑いしたのは、アフガニスタンで新たな国軍を作るという訓練風景だ。行進がまずできない。軍隊式に足並をそろえることができない。『青空ノート』に書いた、明治政府が作った軍隊の話とまったく同じ光景だ。笑った笑った。
■笠木と話し、電話を切ってから思い出した。結婚祝いをなにか考えようと思っていたのだ。あるいは、「姓」はどうしたかとか、結婚に関する大事な話があったはずだが、どうでもいい話に終始してしまった。笠木の結婚パーティで、やはり僕の舞台によく出る佐藤がテルミンを演奏したとか、パーティでコントをやりたがるやつがいっぱいいて断るのに困ったとか、ほんとうにどうでもいい話だった。
■でも、どうでもいい話がときとして人を救う。

(1:23 Mar.3 2002)


Mar.1  「愚かさと傲慢と」

■精神的な状況の悪さからかなり脱したと自分では思っていたが、少しいやなことがあると、感情が劇的に変化する。これはまずい。自覚がなかったが、それが市松日記にべつの姿で出現し、こうなると、きちがいに刃物、きちがいにWeb日記である。
■不謹慎な言葉で申し訳ないがほかに表現が思いつかない。
■薬を飲むのをやめたのもよくないのだろうか。
■それにしても「偶然について」が、「かなりまずい」ことになぜ早く気がつかなかったのか自分でいやになる。そんなとき、以前、羽根木公園の梅のことを教えてくれた方からのメールを読んだ。あることに絡めて次のように書いていらっしゃる。
「自分の問題」と「他人の問題」と「自分が関係している問題」では、誰しも「問題」に対する解決のしかたが変わってきますよね。「問題」自体は変わらないのに。「偶然」という言葉も、私は普段会話であまり使いません。文章を書く人が複数のある現象(状態)の関連性をいうような言葉のような気がします。
 これを読んではっとさせられた。「愚かさ」を見透かされたような気がする。あるいは、「書くこと、書いたものに影響力があるとほんとは自覚している人間」の傲慢さを。

■三月になってしまった。
■なにも考えず、いまは、自分で納得のゆく作品を書くだけだ。

(11:00 Mar.1 2002)