Jan.31 「が止め文体一行掲示板」

■一月も終わるのだということに少し驚く。気がつかなかった。
■きょうは少し疲れた。
■池袋ツアーに参加するO君のメールをはじめ紹介したいメールがたくさんある。
■O君によれば、かつて「ピテカン」があった場所はいまメキシコレストランになっているとのこと。ピテカンのあと「CLUB D」になり、そこまでは知っているが、そのあとすぐメキシコレストランになったのだろうか。経営している方がO君の大学時代の友人らしい。しかも友人の実家はうちの大学のすぐ近くだそうだし、友人のお父さんは近くでポストカードなどのお店をやっているというが、それ、おそらくあの店だ。バス停が近くにありポストカードでも買おうと店に入ろうとしたときバスが来てしまったので寄ることのできなかった店。
■と、さらに詳しく本文を引用して紹介したいが疲れているのでやっぱりあしたにする。
■最近、僕がなにかすると演出助手などの手伝いに来てくれる太野垣のメールにも笑った。
■それもあした。
■ほかにもいろいろある。紹介しきれない。
■疲れているのだ。
■疲れていると、ろくでもないことを思いつく。
■「が止め文体一行掲示板」を作ろうとぼんやり考える。
■「○○なのですが。」とたった一行書いて、人をいやな気分にさせる掲示板。たとえば、「あなたの足がくさいのですが。」とか、「頭が少し足りないと思うのですが。」と、ほんとにいやな掲示板だ。やめよう。
■あしたはもっとちゃんと書く。きょうはだめである。

(22:27 Jan.31 2002)


Jan.30 「無理をしない主義でも、少しならしてみてもいいよ」

■いきなり「調査」という標題のメールが来た。
■なにごとかと思ったが、内容と「調査」がどう関係するのかわからなかった。やはり、図書館に勤務するという女性の方からのメールだ。僕の表現に対する姿勢が、「批評(ポストモダンとか)に対する解答を求めすぎているのではないか」という。この言葉の意味がちょっとよくわからないのだが、
 表現の第一歩には「楽しい」とか「好き」とかという要素が必ずあると思うのですが、表現をつづけているうちにその動機に純粋であろうとし、方法に純粋であろうとし、ついには表現が素材そのものだけになっていく、私が好きになる(興味を持つ)表現に携わる方々はみんなとは言い切れないと思いますが、そんな傾向を持つ方が多いような気がし、表現とは本来どういった形(じゃないとは思いますが。)が理想なのか・・・・、そんなことをつらつら考えているのです。
 結論からいえば、「なんでもあり」の世界に居続けることなのかなと思いました。今日の宮沢さんの市松日記をのぞき、いとうせいこうさん(どようくらぶの時が一番好きでした。)の「嫌いなものの中にしかない可能性」を眼にし、少し悲しい気持ちになりました。「しかない」の世界にいったら多分・・・、という思いです。

 いや、しかし、「しかない」という態度も「なんでもあり」という態度もまた、「態度」あるいは「思想」というレベルでは同じ位相にある。「なんでもあり」とはつまり「相対主義」のことだ。表現者がより表現を洗練させ、メールの人の言葉で言えば「しかないの世界」へとたどるのは、そのこと自体が「表現」だからで、現代のあらゆる芸術はそこを通り越してまたべつの段階に進みつつある。否定せざるえないものがきっとあったからで、宇佐見圭司(ちょっと名前の表記に自信がない)の美術論で読んだ、「現代美術」から「絵画」の魅力が失せてしまったのではないかといった意味の言葉はよくわかる。ただ、「なんでもあり」という態度もまた「悪しき相対主義」としてゆがみはあり、ゆがみがありつつ肯定すべきことが多いからこそ、「文学」をはじめとする「メインカルチャー」が衰退し「サブカルチャー」が隆盛をみたものの、いまではもう、「サブカルチャー」などどこにもない。すべて相対化された。「メイン」も「サブ」もない。そのことの意味を踏まえ、すべての表現は同じ地平にあると認めつつしかしある人の言葉を借りれば、「厳然たる序列は存在する」ことを確認しておかなければならない。簡単いうとジャンルがなんであれ、「いいものはいい、だめなものはだめ」ということだ。

 ただ、いとう君が喚起されたのだろう「きらいなことのなかにしか可能性はない」の、「しかない」はもっとニュアンスが異なると思う。あと図書館に勤める女性のメールで思い出したのが、ある歌の歌詞にあった、「無理をしない主義でも、少しならしてみてもいいよ」はなぜ「無理をしない」を「主義」にするのかということだった。「主義」という態度もまた、「しかない」へとつながる。無理するなよ。まあ、僕はまったく無理をしていない。いとう君もまたそうだ。

 結局、「前方の闇の中への跳躍」をするかどうか。
 そうやって「表現」に関わるのかどうか。
 引用したメールの中の、「表現の第一歩には『楽しい』とか『好き』とかという要素が必ずあると思うのです」は当然のことであり、「楽しい」「好き」をどうとらえるかの問題で、たとえば「笑い」をやっていれば「楽しい」「好き」だけでできるかといえばそんな生易しくないわけだし、死にものぐるいでやっていたのだし、いまも昔もちっとも変わらない。「前方の闇の中への跳躍」と、どうやって「表現」に関わるかという生き方みたいなものになってゆく。

■ただし、「批評(ポストモダンとか)に対する解答を求めすぎている」ということはない。これは自分の問題だ。自分がどうやって生きるか。表現することが生きることと同じことになっていくかどうか。だから、いとう君もそうだと思うし、多くの表現者たちは、もちろん自省的になるという意味ではなく、自分を深く見つめるところから世界と出会おうとしている。舞台にしろエッセイにしろ楽しくてはじめたとはいえ、そのときからすでにどうやって世界と、いかにして他者と出会ってゆくかを考えていた。出発点はそこにしかない。

■サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアーに参加してくれるコピーライターのO君からも、ツアーの掲示板に書いた「ピテカン」に関するすごく面白いメールをもらったが、ちょっと長くなったのであしたにする。

(22:53 Jan.30 2002)


Jan.29 「きらいなことのなかにしか可能性はない」

■ものすごい寒さ。夕方、雪がちらつく。
■数日前に書いた美大の映像科にいるというTさんから再びメール。リドリー・スコットが作った「初代Mac発売時のCM」をアップした場所が変わったとのこと。繰り返すが、私のいまの環境では無理だが、ADSLの人はADSLなんだから是非見るべきだし、あと、光ファイバとかケーブルテレビの人も。修行はなおもつづく。まだ見られない。

■サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアーにも参加を表明している図書館勤務のS君が、いま、いとうせいこう君の「小説のワークショップ」に参加しているとメールで教えてくれた。そのなかでいとう君が、「きらいなことのなかにしか可能性はない」と友人から言われたという話をしていたそうだ。

「きらいなことのなかにしか可能性はない」

■この言葉が含む真の意味がわかっているかは曖昧だが、僕なりに解釈しべつの言葉に置き換えれば、「他者に出会う」ということではないか。わかりあえる、よく理解しあえる誰かとばかりいるのは気持ちが楽だが、そこから生まれるものには限界がある。「きらいなこと」という圧倒的な他者と出会ってゆくこと。「他者」はここでは「人」のことばかりではなく、「きらいな音楽」「きらいな映画」「きらいな小説」たちももちろん含まれる。
■それに出会ってゆくのは勇気がいる。
■めんどくさいしね。
■不愉快なこともきっとあるし。
■だけど、「きらいなことのなかにしか可能性はない」という言葉に喚起された、いとう君の覚悟に似たものに僕も共感する。大学で教えはじめて感じているのは、すべてにおいて「他者」との出会いだということで、まず学生がそうだ。あんな「他者」はいない。彼らにしたら俺なんかなんでもないただの大学の人だ。そいつらと格闘する。そこに可能性はある。

■沖縄のMさんは朝日新聞で僕が月一で連載している「青空ノート」を読もうと図書館に行ったが、あいにく休館日だったという。今月とりあげたのはMさんのメールにあった「魂(マブイ)」の話。それでMさんはどこに朝日新聞を買いに行ったか。驚いた。

「本土新聞販売所」

 そうだったのか。あるのか沖縄にはそういった店が。沖縄では、沖縄以外の日本はいまだに「本土」なのか。歴史の複雑さ。沖縄ではじめて甲子園に出場したのは首里高校だった。まだ返還される以前の話で、沖縄に島外の土を持ち込んではいけないという規制があり、首里高校の野球部員らは船から海に、泣く泣く「甲子園の土」を捨てた話を思い出した。って、なんでそんなことに詳しいんだ俺は。

■沖縄のワークショップは名護市が主催して行われる予定だった。中止になった背景には政治がある。問題になっている「米軍普天間飛行場移設問題」だ。ちょうど名護市では市長選があり、争点は当然ながら「米軍普天間飛行場移設」の是非だ。そんなときのんきに芝居なんかやらせてもらえないだろう。しかし、だからこそ、名護で舞台を作りたかった。作品の内容が政治性をはらむという意味ではなく、そうした土地で舞台を作ることの体験はものすごく大きな意味があったはずだ。
■去年の9月11日の米国同時多発テロ以降、沖縄への観光客が減ったというニュースをずいぶん前に見た。去年の秋、新宿で沖縄観光のキャンペーンをしているのも見た。一方にある基地問題。沖縄の持つ複雑さ、政治性、そして土地の持つ豊かな神話性のなかで、作品を生み、舞台を作る作業を通じて、ゆっくりものを考えたかった。

(22:46 Jan.29 2002)


Jan.28 「世間とはなにか」

■新潮社のN君からのメール。
■『牛への道』『わからなくなってきました』の単行本が、「品切れ」という状態、つまり絶版になるとの報告。もちろん文庫本のほうはまだ発売されるが、単行本がほしい人はいますぐ新潮社に注文しよう。もうなくなるんだ、世の中にあの単行本が。『わからなくなってきました』の表紙の、しりあがり寿さんが描いた、わけのわからないあのイラストは名作だな。笑ったもの、はじめて見せられたとき。
■単行本の多くは、文庫が出た時点で絶版になるようだが、この二冊は文庫化されたあとでも増刷されたので、よく健闘し、そろそろおやくごめんというところだろう。
■ああ、増刷。何もしていないのに入ってくる印税。あの素晴らしい印税。増刷されて印税が振り込まれるとお小遣いをもらったような気分だ。『わからなくなってきました』に至っては発売後一週間で増刷され、わたしをずいぶん助けてくれた。絶版後も大事にしてやらなければ。『青空の方法』の増刷の話がいっこうにないのはどういうことだ。

■東京に戻ったら一緒に肉を食べにゆこうと思っているAからメール。

 今日、上野にMOMAニューヨーク近代美術展を観に行ってきました。全体としては大した事はありませんでした。期待外れ。でもマチスの「青い窓」と「金魚と彫刻」それとボナールの「朝食の部屋」、この三つはすばらしくて、これだけで充分です。そういえば以前ピカソ展に行った時に「ミノタウロス」という牛頭人身を描いた作品を観た主婦たちが、「肉、食べたいわね。」と話しているのを聞きました。

 寝屋川のYさんのお母さんがクールベ展を見にゆき「苦しがってはる人がおる」と言った話は笑ったが、ピカソの「ミノタウロス」を見て、「肉食べたいわね」もすごいな。京都で見た伊藤若沖展では、若沖の生家が八百屋だと知っている中年の女性たちが「やっぱり野菜の絵が多いわね、八百屋さんだっただけに」と言っていた。もうこういう方々にかかると美術にもいきなりな「リアリティ」が発生する。
■しかし、それが「世間」というやつだ。
■「世間」のリアリティの前では芸術も学問も脆弱である。
■地方の小さな町では、たいてい「先生」と呼ばれる人が一人はいた。「生産」に関わらず、たとえば純文学を書いているような者、なんらかの民間の研究者を、「先生」と呼んで、かげで嘲笑する。それが世間。いや東京でも同じことだ。昼間からぶらぶらしている僕のような人間を世間は冷ややかな目で見ている。「世間」を尊重し、「世間」をばかにするような気持ちはみじんもないが、けれど「世間」の俗情にからめとられぬ覚悟と勇気がなければ昼間から自転車にのってのんきに生きていられるものか。参考資料として阿部謹也さんの『世間とはなにか』(講談社新書)をおすすめする。

■そんなことを書いたら早く東京に帰りたくなった。
■春、京都。夏、北海道。秋、東京。それで冬に沖縄に住めたらいい。外国もいいけどね。
■それにしても、3月の沖縄のワーックショップと舞台作りがなくなったのは残念だ。東京から何人か役者たちを連れていったら楽しいだろうと思っていたし、関西ワークショップの連中も観光がわりに沖縄まで舞台を見にくると言っていた。なかでも京大のKなど、新しい水着も買い、沖縄だったらアフロがよけい似合うとその気になっていたのだ。うそだけど。まったく残念でならない。

(22:42 Jan.28 2002)


Jan.27 「転んでも」

■東京ではきのうの夜、雪がちらついたという。こちらも寒いが雪ではなかった。
■きょう、ノートを書いていると、どうも文章が重くなる。書いては消し、また書き、また消して書き直す。くりかえしているうちにいつもならもう眠る時間になってしまった。池袋ツアーの掲示板の削除といい、スポニチの記事を報告してくれた方へのレスがきつい書き方になって気を悪くされたのではないかと不安になり、そんなこんなで掲示板全体が重い雰囲気になっていないか。いろいろ考えていたらどうも書けない。
■面白いことを書きたいのだが。
■なんか、これ今年の名言ナンバーワンになるかもしれない言葉を聞いたのだが、それを忘れてしまった。なんだっけなあ。去年はあれだな、5日のこのノートに書いた、「いま、ちょっとがっかりしたでしょう」だ。あれ面白かった。ぜったいなにかに使う。転んでもただでは起きないという気分だ。こんどは誰かに、「いま、すごくがっかりしたでしょう」と言われてみたいものだ。

(23:10 Jan.27 2002)


Jan.26 「大丈夫、なんでもないさ〜。とユタは言った」

■またやってしまった。
■京都のガラス工房で働くKさんのサイト、『タンブリン・ノート』の掲示板に昨夜眠る前に書き込みをし、あとで読み返して驚いた。記憶にない。まったくない。眠るための薬を飲んだせいだ。しかも、「が止め」が多い文体。「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」の掲示板に、「が止め禁止」と書いておきながらこのていたらく。ただ僕の書いた「が止め文体」は文章の途中だからまだいい。いきなり、一行ぐらいしかないメールが、「○○ですが。」で終わっているとすごいよ。怖いなんてもんじゃないよ。
■変なことを書かなくてよかった。
■Kさんには申し訳ないことをしてしまった。

■あと、「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」の掲示板で発言をひとつ削除した。正確には元になった発言とそれに対する僕の発言のふたつ。アップした直後、掲示板を管理している寝屋川のYさんが「妙な発言があったら削除しましょうか」といった意味のメールをくれた。僕の感情的になった発言だけ削除してもよかったが、両方削除したのはまちがっていたかもしれない。削除した元発言の方にメールを書き「削除の理由」を伝えたところすぐに返事が来た。悪気のない軽い冗談のつもりかもしれないとあとで思ったが、メールを読むと、まさにその通りだ。
■悪いことをしてしまった。
■ただ、こうした掲示板は面識のない者同士が言葉だけでやりとりする。よほど気をつけなければいけない。慎重にならないと問題は起こる。言葉はむつかしい。感情的になった自分がいやになる。修行はちょっと後退した。東京に戻るのはもう少し先になりそうだ。

■さらに掲示板で、『JN(実業の日本)』が次号で休刊になるとスポーツニッポンに出ていたと教えてくれた人がいた。レスにも書いたが、連載している人間が休刊を知らないわけがない。もう一ヶ月前に知っていたし、だから24日分のノートで「それまで『JN(実業の日本)』という雑誌が存在しているかははなはだこころもとない。突然、次の号で休刊になるかもしれない」と、わざと書いたのだ。そう書いて、ほんとに休刊になったと知ったらみんなびっくりするぞと思っていたが、スポニチの記事を教えてくれた人はびっくりしてくれただろうか。
■びっくりしてくれたらうれしい。書いたかいがある。
■沖縄の人だったら、「マブヤー、マブヤー」と探しているかもしれない。

■「魂(マブイ)」と言えば、またべつの沖縄の方からメールをいただいた。いまは東京に住んでいるというMさんからだ。少し長い引用になる。

 私が小学校6年生のとき母親が、「私の様子がおかしい」と言い出して家に70才位のおばあちゃんを連れてきました。それが、なんと『ユタ』だったのです。話には聞いた事はあったのですが本物を見たのはその時が初めてで、少し驚きました。だって、あまりにも普通のおばあちゃんで……。その『ユタ』の人は脈をはかるようなかんじで私の腕をとりしばらくしてから、「大丈夫、なんでもないさ〜。」とだけ言って帰っていきました。
 そのあと母親に「なんで、あんなことでわかるの?」と聞くと母親は、「霊が憑いていたら、脈の動きが変わるから、それで憑いているかどうかわかるの!」とそんな事を本気で信じている母親をその時はバカみたいだと思っていましたが今では私の事を心配してのことだったのだと思えるようになりました。でも、脈の動きがおかしかったらただ単に「病気」だと思うのですが……。

 いや、べつに「が止め」の例文ではない。しかも一行じゃないし、メールの終わりじゃないし。「大丈夫、なんでもないさ〜。」はいいなあ。それで救われるかもしれない。民間信仰を「迷信」として否定するのはごく一般的だが、長い歴史が作った「人の知恵」だという考え方もできるのではないか。
■たとえば、「厄年」はばかばかしいと否定したくもなるが、ちょうどその年齢は、男にしても女にしても、「身体的・精神的な疲労」がたまる時期だと思う。実際、僕は「厄年」のとき、『ゴーゴーガーリー』と『.alt』という舞台を二本立て続けに公演し腰がだめになってずっと車椅子生活だった。経験が「厄年」という言葉を生み気をつけなさいよと警告する。なにか調子が悪いとき老婆がやってきて「大丈夫、なんでもないさ〜。」と言ってくれたらどうだ。なんだか脱力するじゃないか。気持ちが楽になるじゃないか。
■僕も、ユタに会えばよかった。
■「大丈夫、なんでもないさ〜。」

■また長いノートになってしまった。音楽や映画、読んだ本のことなど書きたいことはいろいろあるが、それは次の機会にする。

(22:35 Jan.26 2002)


Jan.25 「すべてのものを手に入れた女」

■世田谷の宮沢さん一家殺人事件の記事が載っているので「週刊文春」を買った。
■週刊誌を買うのは何年ぶりだろう。いっぺん取材を受けただけなのに、東京の家には毎週欠かさず文春が送られてくる。だけどめったに週刊誌を買うことはない。
■ナンシー関には頭がさがるね。文春に連載されている「テレビ消灯時間」を読むと彼女のテレビを見る情熱のすごさに驚かされるのだ。もちろん「仕事」という側面もあるだろうが、それにしたって見ている。綿密に見ている。ことこまかにチェックする。ただごとならないものを感じる。
■さらに小さなコラムを音楽評論家の萩原健太さんが書いており、ビーチボーイズとそのリーダー的存在のブライアン・ウィルソンの話がよかった。あと、ほかの記事についても書きたいことはいろいろあるが、また長くなるのでやめる。

■修行中でありながら、今月やるべき仕事はすべて片づいた。
■あとは修行と小説。ほかにも新作の戯曲とかいろいろ。
■そういえば、週刊誌を買いにいまいる場所から少し離れたところまでバスで行き、この周辺では大きめの書店に入った。あまり読みたい本がなかったのはともかく、コンピュータ雑誌の棚にはなぜかMac関連のものがほとんどない。というか、ない。Linuxに関する雑誌があってMacがないのはどういうことだ。このあたりではMacを使っている人間はいないとでもいうのか。
■あと、林真理子さんの本の帯に驚く。

「すべてのものを手に入れた女」

 ほんとうなのか。じゃあ、当然ながら、「ピンク色したアフロのかつら」も持っているのだろう。「薬局前のサトちゃん」「自転車牛」「天皇杯」「Mac関連の雑誌」「フランス製の月のカレンダー」「カーナビ」「TREK7500FX」「資本論・全八巻」「宮沢さん一家殺害事件の謎」「ナンシー関」「ユタ」「漱石の手紙」「ワールドカップサッカー決勝戦のチケット」などなどなど、なにもかも持っているにちがいない。まったくなんて幸福な人だ。

■わたしは修行中である。身の回りにあるものは少ない。読みたい十数冊の本とコンピュータ。そして毎日届くたくさんのメール。それだけでじゅうぶんやっていける。返事を書かなくてはと思いつつノートを書いて眠ってしまう毎日。そうした生活。

(22:18 Jan.25 2002)


Jan.24 「読む人」

■書こうとしていたのに忘れていたことを思い出した。
■リドリー・スコットの『ブレードランナー』について書いたら、ある美大の映像科にいるというTさんからメールをいただき、リドリー・スコットが作ったあの有名な「初代Mac発売時のCM」をアップしたページを教えてもらった。僕のいまの環境では見るのに死ぬほど時間がかかるのであきらめたが、ADSLの人はADSLなんだからどんな理由があろうと見るべきである。
■さらに、先日、沖縄のMさんや、Nさんのメールにあった、「ユタ」について詳しく書かれたページを見つけた。まだ準備中のところが多いが、「ユタについて」という解説は興味深い話が多くてとても面白かった。参考資料なども紹介されたいいページだが、「トップへ」といった場所をクリックしてどんどんさかのぼってゆくと、不思議なサイトだとわかる。それを読むのもまたべつの意味で面白い。

■『一冊の本』の『機械』を読む連載は、短い小説をいかに読み進めないか、一ヶ月に三行ずつぐらい読んでは原稿を書く。『JN(実業の日本)』の「資本論を読む」はそうもいかない。なにしろ『資本論』は全八巻である。
■連載を一年以上続けていたが、ようやく「第一章・商品」を読み終えた。
■このぶんでゆくと全部を読み終え連載が終わるのに25年かかる計算になる。それまで『JN(実業の日本)』という雑誌が存在しているかははなはだこころもとない。突然、次の号で休刊になるかもしれない。人生、一寸先は闇である。わたしは70歳だ。もうそのころには文庫本の「文字」が物理的に読めなくなっているのではないか。
■それでもとにかく『資本論』のなかでも最大の難所、おそろしいほど難解な「商品の概念」が書かれた「第一章・商品」を読み終えてほっとしている。「読み終えた=理解できた」ではけっしてない。たとえば次のような言葉がどこまでも続く。

「諸労働生産物を無差別な人間労働の単なる凝固として表わす一般的価値形態は、それ自身の構造によって、それが商品世界の社会的表現であることを示している。こうして、一般的価値形態は、この世界の中では労働の一般的な人間労働の独自な社会的性格となっているということを明らかに示しているのである」

「商品形態は人間にたいして人間自身の労働の社会的性格を労働生産物そのものの対称的性格として反映させ、これらの物の社会的な自然属性として反映させ、したがってまた、総労働にたいする生産者たちの社会的関係をも諸対象の彼らの外に存在する社会的関係として反映させるということである」

「一般的価値形態」「交換価値」「相対的価値形態」「等価形態」といった言葉の概念をあらかじめ理解しないでこれを読むと日本語かよこれという気もし、それにしたってなにを言っているのだおまえはと思うものの、こうして読んでいる途中でノートしているところをみると、どうやらここが印象に残った部分らしい。って、自分でノートしてそう書くのもなんだが。「読み終えた=理解できた」ではないものの、ぐっとくる一節、印象に残る言葉があるのだなきっと。

■「わからない」を「わからないとして味わう」である。
■そして読み続けること。ただ読み続けるだけだ。
■阿部謹也さんの、『教養とはなにか』だったか『世間とはなにか』か、どちらかに、ある老研究者について「○○さんは、本を読む人であった」という形容があり、もちろんふつうの人間が「本を読む」とは異なる意味、研究者として「ひたすら本を読む」という意味だが、その形容にあこがれた。あるいは、ある本にあった、外国のごくふつうの職業の男の話。彼は人生でたった一冊の本を読むことだけを信条にしていた。それを読んで死にたいと。毎日、少しずつ読む。その本とは、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』だ。
■わからないけれど読み続ける。ただただ「読む人」でありたい。そのうちなにかわかるかもしれないのだ。

■警察が野次馬の写真を隠しカメラで撮っている話を書いたあと、ふと思いついたが、あらゆる事件の現場に「ピンク色したアフロのかつら」をかぶって野次馬に混じっているのはどうだ。警察も困るだろう。なにがなんだかわからないだろう。なにしろ、「ピンク色したアフロのかつら」がいつも現場にいるのである。
■また長くなってしまった。「資本論を読む」は、「第一章・商品」を読み終えたがそれを原稿にしなければ「商品」にならない。こうして長いノートを無償で書いているのは「商品」ではないと外観上そう思えるが、「総労働にたいする生産者たちの社会的関係をも諸対象の彼らの外に存在する社会的関係として反映させる」というマルクスの言葉を読むと、これもまた「商品」ではないかと思えてくるのだ。

(22:15 Jan.24 2002)


Jan.23 「肉を食う必要」

■ある人の推理によると僕は「町田」にいるという。残念ながらここは東京近郊ではない。

■推理で思い出したが、なにかで読んだ話によると警察ってやつはすごいね。
■たとえば連続放火事件があったとする。現場の写真はもちろんだが、来ている野次馬全員の写真を秘密裏に隠しカメラで撮影しているらしい。犯人は現場に戻ってくる。異なる現場の野次馬の写真のなかに同一人物が見つかればそいつをマークする。新宿中央公園の爆弾事件のときもおそらく野次馬を撮ってたな、連中は。デモや集会といったなんらかの運動も公安がマークするだろうし、20数年前、俺も撮られてるな、公安にどこかで。

■ここにいて気分がおだやかになってくると、ものを作ることに対するモチベーションってやつがさがるのを感じる。静かな土地だからこそ執筆作業に向いている作家ももちろんいるだろうが、僕は都市にいて刺激を受けているほうがいい。
■どうだろう。わからないな。書けないことの言い訳かもしれない。
■新潮社のN君からメールをもらった。
■新潮社には、N君をはじめ、『新潮』のNさん、『新潮45』の編集長のNさんと、ちょっとNが多すぎてこのノートに書くとき頭文字だけじゃ混乱してくるが、N君はもうかなり古くからの知り合いで、早稲田でいとうせいこう君と友だちだった人だ。こんど新しい学芸系の季刊雑誌を企画しているとのこと。そこでもなにか書かせてもらえればうれしい。ただ、「学芸系」というのがよくわからないのだった。
■だからいよいよモチベーションだ。「モチベーション」という言葉もなんかあれだけど、とにかく「書く気力」をあげなければいけない。やはりこういうときは「肉」だな。焼き肉を食いにゆくべきだ。肉を食って食って食いまくることだ。それで「書く気力」をあげる。『おはようとその他の伝言』に出ていたAのメールに「肉を食べにゆきましょう」とあったから東京に戻ったらAを連れて肉を食べに行こう。
■あ、編集者のE君からも牛肉を食べましょうと誘いが以前あった。そのときはウツだったからだめだったが、いまこそ肉だ。たらふく食う。三日ぐらい肉を見るのもいやになるほど食べてやる。

■ニュースではアフガニスタン関連の報道。ある筋からの一方的な情報。もっと知りたいこと、知らなくてはいけないことがたくさんあるはずなのだ。あと、消費税10パーセントってふざけたことを言い出したやつらがいるが、ばかもやすみやすみいえ。消費欲が滞りいよいよ経済は麻痺するのではないか。まあ、それならそれでいいのだが。
■アフガニスタンへの支援が65億ドル。ほんとうにあの国の人々に届くのだろうか。俺がこまめにチェックしにゆきたいくらいで、懐に入れるやつ、着服するやつがきっといる。現金が目の前にあればまず俺がする。「経済支援」という言葉を聞くといやな気分になるのだ。制度をきちっとしてくれよ。あるいは公共事業の談合や利権の争い。いやだいやだと思いつつ腹を立て、それが「書く気力」、モチベーションにならないわけではない。八〇年代に出発したわれわれは、「書くべきこと、表現すべきことがない」というある種の覚悟の上で、「表現すべきことがない表現」をはじめたが、去年の9月11日のあの日以来、なにかが変化した。
■もちろんそれは、「政治的なこと」「旧来の政治的な言語では語れない政治」を書くというばかりではなく、いまある自分の存在に対する問いであり、人を見つめるまたべつの視線である。

■いまこそ「肉」だ。「書く気力」だ。そして牛。書くべきことがあふれている。

(22:34 Jan.23 2002)


Jan.22 「引くことの勇気」

■日のあたる場所でベンチに腰をおろしたばこを吸うのが気持ちのいい日だった。

■きのう書いた「手直しをし過ぎて最初のよさが消える」ことに補足するなら、それと同様に、「人は足しがち」になる。
■ここでやめておけばいいものを、まだ物足りない気がしてつい作品に手を加える。いかにがまんできるか。このノートもついつい長くなる。修行中、時間が必要以上にあるのが大きな理由だ。足すのではなく引くことができるかどうか。「やむにやまれぬ足す衝動」による「過剰」も、「過剰」に圧倒的な力があれば魅力的だが、「引くこと」でこれ以上なにもいらないと覚悟を決める勇気も必要だ。むしろ作品を半分まで削る勇気。それがむつかしい。つい足したくなるのだ。
■最後の一語、つい足してしまった。

■きょうは短めにしよう。
■早起きをする。本を読む。たばこを吸う。食事。薬を飲む。そして夜。
■なにかまだ書こうと思ったことがあったような気がするがそれはまたあしたにしよう。

(22:19 Jan.22 2002)


Jan.21 「思いつきで書いてゆく」

■川谷拓三さんの息子、俳優の仁科貴がマリファナで捕まったという報道。ばかだなあ。なんで捕まるんだ。もっとうまくやれよっていうか、オランダは合法化されてるんだからオランダでやれよっていうか、残念でならん。いい味してたし、父親に似たいい顔をしていた。好きな俳優だったのだ。

■締め切りを大幅に越えた『資本論を読む』の原稿を書こうとがんばったが書けなかった。担当のTさんに申し訳ないが、「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」掲示板を見たら、Tさんも参加表明している。もう一日くらい大丈夫だな。根拠はないが。
■しかし、正確に数えてないが参加者は70人を越えたのではないか。すごいことになってきた。怖いのは、数が多くて混乱することではなく、70人がだらだら歩いていると「ピースウォーク」と間違われやしないかということだ。のぼり、横断幕は禁止する。

■しりあがり寿さんとの絵本を企画してくださった岩崎書店のHさんが、19日分のノートに書いた『自転車牛』をたいそう気にいってくれたらしい。メールをもらった。
■『自転車牛』というタイトルとコンセプトはいいが、書いた話は、「ウサギとカメ」「銀河鉄道の夜」「ゴドーを待ちながら」を強引につなげただけだから、ま、なんと申しましょうか、もう少しじっくり考えるべきではなかろうか。ただものごとには勢いってやつもあり、じっくり考えるより、だっと作ってしまったほうが面白いこともある。むつかしい問題だ。
■考えすぎて失敗することもある。きれいに手直しをし過ぎて最初のよさが消えることもある。

■以前も書いたがもっと文章がうまくなりたい。漢語・漢文に弱いのだ。まじめに勉強すればよかった。いまからでも遅くないと岩波文庫の『唐詩選』を読む。なにがなんだかわからないじゃないか。
■昨年末、痛めていた腰が気がついたら直っていた。
■京都のガラス工房でステンドグラスを作っているKさんのサイトのURLがようやくわかった。表紙ページのイラストがきれい。
■そういえば、TREKの7500FXを送ってくれた関係でガルヴィ編集部のNさんだけが僕がいまいる場所を知っている。Nさんからフランス製の月のカレンダーを送ってもらった。各月、各日の、月の満ち欠けがグラフィカルに描かれている。黒地に白い月たち。すごくきれいだ。
■フランスで見る月と、日本で見る月は同じなのだろうか。わからない。

(22:43 Jan.21 2002)


Jan.20 「からだ、という言葉」

■場所柄、修行しているここでは携帯電話の電源を切ってある。
■携帯電話がどうしても必要だということもないので切ったままだ。連絡の方法にはメールがある。ただ、筑摩書房の打越さんから、「人は実際に会うべきだ」という意味の言葉をもらった。その通りだな。実際に会うことでしか伝わらない「からだの持つ力」はきっとある。「からだ」は言葉以上になにかを語っている。

■対談や座談会、あるいは講演でしゃべった話を原稿化するとき、掲載前にゲラのチェックをすると、文字で見るそれはたいてい会話になっていなかったり、よくわからない話になっている。それがどういうわけか、「からだ」を通じて理解しあい、理解される。「からだ」という言葉、言葉以上の言葉が「からだ」にはある。
■町に出てカセットテレコなど使い、こっそり人の会話を録音する課題をワークショップでしばしばやるが、あの会話も文字にするとなぜこれが会話として成立しているのか謎である。でたらめなことになっている。袋井で作った『月の教室』の戯曲にも使っているが、読んでもまるでわからない。相手の話を聞かない。自分の言いたいことだけを話す。それでも意思を疎通しあう二人。なにが起こっているのだ。「からだ」だ。やっぱり「からだ」。ふたつの「からだ」がそこにあり、そして目に見えないものがふたりのあいだを漂っている。言葉だけではないのだ。
■会って話すことだな。以前、僕の演出助手をしていた宮森から三月の初旬にある結婚式への招待状がメールで届く。なかに「ずいぶん長いあいだ会って話していないから最近の宮沢さんがなにを考えているかわからない」という意味の言葉があった。まったくその通りだ。ぜひ来てくださいとのこと。会って話をしなければいけない。だけど、神戸だよ。遠いよ、神戸。行ってやりたいのはやまやまだが、神戸はなあ。しかも笠木の披露パーティには行かなかったのに宮森の結婚式にだけ行くのは不公平だ。人間、差別と不公平、テロと報復はいけない。

■そういえばこのところ、コンピュータのことをあまり書いていない。
■修行しているこの場所ではMacしか使えないが、詳しいことは書けないので、あまり深く追求しないでいただきたい。原稿を書くのにキーボードとフォントに慣れずどうも調子が出なくて困っているのだ。だけどこの二月、とうとう、1ギガヘルツを越えるG4が出るらしいじゃないか。ちぇっ。買ったばかりなのにコンピュータはこれだからいやになる。っていうか、そういうもんだな、資本主義。「MAC LIFE」という雑誌は休刊になるそうだ。「Mac人生」だけになあ。さみしいもんだよ。だからって、僕はMacでなければだめという人間ではないので、「Mac人生」がどうなろうと知ったことではないし、まあ、それも資本主義。

■完全失業率は5・5パーセント。進行するデフレ。どんな企業が倒産してもいまでは誰も驚かない。とりあえず僕は修行。最近は早寝早起きだ。本を読み、ぼんやり考えごとをする。「サーチエンジン・システムクラッシュ」の参加者はさらに増加。牛である。牛にならなければいけない。われわれは、ただの牛である。

(22:21 Jan.20 2002)


Jan.19 「牛と自転車」

■新宿中央公園で爆発事件。東京の家からわりと近所なのでぶっそうだ。いま僕がいる土地は平和そのもの。天気がいい。7500FXを走らせると少し風が冷たいが気持ちがよかった。気分もだいぶ落ち着いてきている。柄谷行人さんの『トランスクリティーク』、小島信夫の短編小説を読む。

■うれしかったのは、トレック・ジャパンのマンシルさんからメールをいただいたことだ。

トレック・ジャパンは社員15人の、自転車好きが集まった、小さいけれどあったかい会社です。信頼してもらえる誇りを持てる製品を販売できているからでしょうか。みんな個性派ですが根がマジメでよく働く気のいいヤツらです。いつかご縁があれば遊びに来てやってください。

 春になってまた京都に住みはじめたらトレック・ジャパンのある神戸に行ってみようかと思った。ガルヴィのNさんのメールにマンシルさんに会ったときのことが書かれていて、上の言葉に付け加えるならトレック・ジャパンの自転車好きたちはレースに出るほど好きらしい。自分が売るもの、作るものが大好きな人たちの会社はいいところだろうと思った。

■編集者のE君からのメールは、手元に本がないので記憶で書いたとのことだが、とても興味深い「牛の話」だ。藤原新也の本にあったという。

 インドで街中に暮らしている牛は宗教上の理由のほかに、「街の清掃車&リサイクルマシン」という機能も果たしているんだそうです。人間が道路に落としていったゴミを食べる。人間が壁に貼り付けたポスターを端から食べる。人間の食べ残しを(勝手に)もらって食べる。そうやって街中のゴミを片付けて消化して、糞をする。その糞を人間が拾って乾かして、燃料や壁土としてリサイクルする。

 大学の宗教学(宗教と民俗)の授業で「宗教上のタブーはかならずその裏に社会維持のための合理的な機能を持つ」と教わりましたが、この牛の話なんかはまさにそのとおりです。

 いいな牛。「牛になる事はどうしても必要です」である。思えば、僕のエッセイ集『牛への道』は、E君が以前勤めていた会社にあったCD−ROMのタイトル『TAO OF COW』からつけたのだった。雑然とCD−ROMが積まれていてどれでも好きなものを持っていっていいというので、迷わず『TAO OF COW』をもらった。もう何年前の話になるだろうか。「牛」である。「道」である。そして、「我々はとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです」「牛は超然として押して行くのです」だ。牛への道は果てしなく遠い。

■福島のNさんから先に引用させてもらった、漱石が芥川龍之介らに送った手紙だが、さらに最後のひとことがすごいとまた教えていただいた。手紙はこう終わっている。

 これから湯に入ります。

 いきなりこれで終わりかよ。さらに、ロンドン時代の漱石がノイローゼになったのはわりと有名だが、下宿先の人に勧められ気分転換のために自転車に乗る練習をしたという。やはり自転車か。人間、なにより自転車だな。そして牛。『自転車牛』という題名の、戯曲か小説を書こうといま思いつく。いや、しりあがり寿さんとの絵本の題にいいかもしれない。牛と自転車が競争する。すごいスピードで走って独走する自転車は、途中、油断して眠ってしまう。ウサギとカメかよ。するとそこにゆったりあるいて来た牛が、うっかり眠っている自転車を踏みつぶすという話はどうだ。それで牛はそれをひどく後悔し、自ら死を選んで天上へ向かう列車に乗るのだが、見れば同じ列車に壊れた自転車がいる。到着した駅で、牛と壊れた自転車はある人を待つのだが、その人はいつまでたってもやってこない。ずっと待ち続ける牛と自転車。牛が言う。「ゆこうか」。壊れた自転車がこたえる。「どこへ?」。さみしい話である。

■読書とものを考える日々。そして修行。あ、そういえば、ベケットも自転車が好きなんだったな。チェーホフのことをきのう書いたけれどベケットもべつの理由でちょいと勉強したいのだった。

(22:44 Jan.19 2002)


Jan.18 「徒然なるままにだらだら書く」

■「サーチエンジン。システムクラッシュ・ツアー」の参加希望者はさらに増加。
■寝屋川のYさんが作ってくれた「ツアー参加者リスト」の、ひとりひとりのコメントが面白い。とくに現時点でリストの最後にある、「大倉はな 二歳」は笑った。ほんとうに二歳だからあきれる。

■そんななか、池袋通り魔殺人事件の造田博に死刑判決との報道。『サーチエンジン・システムクラッシュ』が「文學界」に発表された直後に事件は起こりそれが池袋だったので印象深いし、造田が中上健次の『十九歳の地図』を読んでいたと週刊誌にあり、中上健次論とからめて「トリッパー」に事件のことを書いた。
■刑務所で造田は頭が鈍らないように数学の教科書を読んでいるという。その姿を想像すると、『十九歳の地図』の主人公が予備校に通わず新聞配達所の寮で数学の問題を解いている姿とだぶって浮かぶ。「造田博の池袋通り魔殺人事件」と、世田谷の「宮沢さん一家殺人事件」から目が離せない。宮沢さんは僕と名前が一字違いでニュースで知ったとき俺が殺されたのかと思った。
■都市は怖い。申し訳ないと思いつつも、自分の住所を可能な限り人に知らせないようにしている。

■修行しているこの場所ではテレビは自由に見られない。
■朝は早起きだが、見れば、NHKの連続テレビ小説だ。出演している佐藤慶さんがすごくいい。すっかりお年を召してしまったが、なにしろなにもしない。なにもしないで深いものを表現する。まるでやる気がないかのようにそこにいる。佐藤慶といえばかつて大島渚映画に欠かせない存在で、たとえば『白昼の通り魔』では不気味な人物を演じていたが当時とは異なる演技にまたべつの魅力を感じる。ドラマでは佐藤慶だけを見ていた。というか、それだけが見るに耐えられる。

■あるいは、夜になれば時代劇だ。
■そもそもテレビドラマは見ないが、というのも出てくる俳優があまりに下手だからだし、脚本に説明的な台詞が多くて気分が悪くなる。それでも時代劇は俳優にうまい人が比較的多いのが救い。まあ、大げさな芝居だけど。話にも興味がない。くだらない時代劇だったらいいが、なんだか「いい話」や「勧善懲悪」。「いい話」をドラマで見るくらいなら、『プロジェクトX』だろう。田口トモロヲ君のナレーションがいい。淡々とした語りがいい。客観的に見て、あの企画は僕と同じ世代から上の者に人気が高いのがうなづける。高度成長時代を懐かしむかのような側面もあり、『プロジェクトX』の人気は、この国がいま経済的にどん詰まりに来ていることを象徴しているのではないか。
■あとやっぱり山田風太郎。あんな荒唐無稽な時代小説があるでしょうか。フィリップ・K・ディックかと思うような話がある。なぜ山田さんの小説は時代劇としてドラマにならないのか。なにしろ最晩年期に出したエッセイのタイトルが、『あと千回の晩飯』だ。なにを言っているのだこの人はと驚かされた。

■フィリップ・K・ディックに『高い城の男』というSF小説がある。ディックのなかでも好きな作品のひとつだが、話の重要な道具として「易経」が使われている。ディックの東洋趣味というか、ちょっと「ニューエイジ」の匂いがするものの、この使い方のうまさはただごとではない。いろいろに評される作家だが、「易経」を柱にした筋立てのうまさを見るとこの人はやっぱり「ストーリーテラー」としてすぐれているのではないかと思う。あるいは、「易経」を哲学へと昇華させる力技はどこかドラッグ文化との縁も感じ、というかディックはドラッグと関係が深くいかにも60年代的で、作品に漂う魅力はそこらあたりの匂いだな、きっと。
■と話が進めば当然、『ブレードランナー』。
■何回観たかわすれるほど観た。もちろんディックの原作、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか ?』 もいいが、映画化作品における映像にちりばめられたディテールの魅力はあの当時衝撃だったのではなかろうか。ちょっとした小道具のかっこよさ。未来都市の猥雑さを現前させるセットの細部、そこにほどこされた文字やデザイン、空に浮かぶワカモトの宣伝広告。あるいはエキストラたちのなにげない衣装。うそのリアリティ。「映画的」とはこういうことかと思った。
■SFばかり読んでいた時期もあったし、ミステリーばかり読んでいた時期もあったが、書こうと思ったのはトーマス・ピンチョンのようなわけのわからない現代小説だったのは、むろんピンチョンやマルケス、あるいは中上健次、坂口安吾らの小説が好きだったことも理由のひとつだが、小説を書かないかと依頼してきた媒体が文芸誌ばかりだったからで、エンターテーメント系の雑誌から依頼が来たらそれなりに書いたかもしれない。エッセイは笑いが主体なのになぜかエンターテーメント系からの依頼はない。べつに両者を隔てるといったくだらない文学主義はないので、いまは「現代小説」を書く。いまの小説。いまここにあるいまの小説を書きたい。

■漱石のことをいろいろ教えてくれる福島のNさん、編集者のE君の牛の話、ガルヴィのNさんがマンシルさんに会って知ったというTREK社に関するメールも紹介したいが、きょうはちょっと長くなりすぎた。あした書く。
■今年はチェーホフを勉強しようと思う。ユリイカの連載は「チェーホフを読む」になるだろう。修行である。いい舞台を作るための修行である。

(4:43 Jan.19 2002)


Jan.17 「変わりものとして出来得る限りを尽くす」

■いよいよせっぱつまった。『一冊の本』の原稿である。Oさんからメール。標題の「SOSです」からしていよいよという気がするものの、修行中だけに書く気力がぜんぜんわかないのだった。それでも書く。仕事だ。
■夏目漱石の引用を送ってくれた福島のNさんから、朝日新聞関連で、また漱石の文章を引用して送ってもらった。これがすごくいい。

変わりものの余を変わりものに適するような境遇に置いてくれた朝日新聞のために、変わりものとして出来得る限りを尽くすは余のうれしき義務である。

 なんて素晴らしい言葉だ。もちろん当時の朝日といまの朝日ではずいぶん性格が異なるにちがいないというものの、それにしたって東大教授の座をなげうって朝日の嘱託になり、「変わりものとして出来得る限りを尽くす」と決意する漱石とそれを許す朝日。いい関係だったんだろうと往時がしのばれる。いったい変わり者としてどんな「出来得る限り」を尽くしたか、それも興味のあるところだ。
 よくよく考えみると15日に引用した漱石の手紙の書き出しはすごいね。

牛になる事はどうしても必要です。

 なにを言い出すんだまったく。手紙が届きいきなりその冒頭に、「牛になる事はどうしても必要です」とあったら受け取った者はどうすればいいのだ。モーモー言うしかないじゃないか。
■福島のNさんは必要があって漱石を読み返しているところだそうだが、この夏、中学生のとき読んだ『吾輩は猫である』を再読したら中学生にはまだ理解できなかったり、古典だからというのでまじめに受け取っていた部分が、いま読むとほんとうに笑える。猫が餅を食べた場面などやたらくだらない。漱石から学ぶべきことはまだまだある。無限にある。そういえば、以前、早稲田大学に講演に行ったときキャンパスに特別講義が開催される告知がいくつも出されていて、そのひとつに笑った。
■「漱石、ロンドン時代の下宿探し」
■どういう研究なんだろう。どんな講義だったんだろう。聴講してみたかった。

■牛になり、変わりものとして出来得る限りを尽くしたい。

(23:33 Jan.17 2002)


Jan.16 「TREKである」

■謎がひとつ解けた。
■TREKを紹介してくれた『ガルヴィ』編集部のNさんの報告でわかったことだが、11日付けのノートに書いた、「フランソワ」という謎のメールを送ってくださったのは、神戸にあるTREK社のマンシルさんその人だった。
■もっとも謎だった「苦手はリンゴの『サシスセソ』音です」は、リンゴをかじったときそういう音がするのが苦手ということらしい。説明を聞いてもいよいよわからない。だが、Nさん経由の話によればマンシルさんは僕の本も読んでいらっしゃるそうで、「ぜひ、宮沢さんにお会いしなくては」とおっしゃってくださったとのこと。なんていい会社なんだ。なんていい自転車だ。TREKは素晴らしい自転車である。
■僕が貸していただいた7500FXは、マンシルさんのメールにあったように2002年の最新型だそうだ。ちょっと走っただけでスピードがものすごく出るし、足は疲れない、車体が軽いのにはほんとうに驚かされ、向きを変えるのにひょいと動かすだけ。しかもデザインがかっこいい。やっぱりTREKだな。ガルヴィのNさんに感謝しよう。で、マンシルさんに会ってなにを話したらいいかだが、終始、自転車のことばかりになるのだろうか。それで間が埋まるだろうか。でも、「ティッシュカバーもドアノブカバーも大嫌いで家にコタツを置かない」という点で意気投合できる。僕もそうだからだ。

■修行中なのに、朝日関連の原稿、「朝日新聞」「一冊の本」を書かねばならない。朝日のやつめ。うまい牛肉をおくってきやがって。すごくいい牛肉だった。極上じゃないか。美味しかったじゃないか。ほんとうにありがとうございました。
■きのう書いた漱石は朝日新聞の嘱託だった。僕は、朝日新聞学芸部の人気者である。
■知らないけど。っていうか、うそだけど。
■なぜあんなに『青空の方法』の連載が続いたか謎なばかりか、終わったと思ったら月に一度の連載がすぐに開始され、同じ欄を、筒井康隆、高村薫という、売れっ子中の売れっ子作家と交代で書いているので申し訳ない気分になるばかりか、お二人はまじめにものごとを論じていらっしゃる。わたしはいったいなにごとだ。「瓶代」について書いたのをはじめ、わけのわからないことばかり書いている。いいのかね、しかし。
■『資本論を読む』も継続中。
■そしてもうすぐ、『ガルヴィ』の自転車に関する連載がはじまる。『ユリイカ』の連載もはじまる。しりあがり寿さんと絵本も作る。四月からは大学でまた京都へ。早く精神状態を戻さなくてはいけない。とりあえず、「パニック障害」のときに発生したような突然の不安感から解放されないとな。得体のしれない気分だった。かつてない精神の状態だった。あれがまた来るんじゃないかと、それ自体が不安である。修行は続く。
■そしてもちろん、いい舞台を作り、小説を書く。

(22:58 Jan.16 2002)


Jan.15 「牛ではじまり、牛で終わる」

■Kさんという未知のかたからのメール。

電車の中で隣の男性のバッグにネームプレートがごていねいについておりまして、なにげなく見たわけです。その住所が「埼玉県 南埼玉郡 白岡町 野牛・・・・」これこそ「リアル野牛男」ではないでしょうか。自分の住所を書くのに勇気がいりますね。がんばれ!野牛に住む人!

「野牛」という地名があるのには驚いた。さらに、福島県のNさんが漱石が芥川龍之介らにあてた手紙を引用して送ってくれた。とても味わい深い文章だ。長い引用になる。

牛になる事はどうしても必要です。我々はとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。僕のやうな老獪な者でも、ただいま牛と馬とがつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。あせってはいけません。頭を悪くしてはいけません。根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えて呉れません。うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。決して相手を拵えてそれを押しちゃいけません。相手はいくらでも後から後からと出てきます。そうして吾々を悩ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。

 内容はもちろん含蓄があるし、「牛になる事はどうしても必要です」はいきなりなにを言い出すんだという気がするが、それより、漱石はこのときまだ四〇代ぐらいじゃないだろうか。四〇代の漱石が「僕のやうな老獪な者でも」と書いているのに驚いた。「老獪」である。僕もすでに「老獪」なのだなとしみじみする秋である。冬だけど。
 そして最後の一文。「人間を押すのです。文士を押すのではありません」は、保坂和志と小島信夫の往復書簡『小説修業』で、小島信夫が書いている次の一節に通じるものを感じた。

小説が小説家を動かして文章を書かせているので、小説家が小説を書いているふうではない、

 表現とはおしなべてそうなのだろうな。演劇も美術も。あらゆる表現の領域が。

■この数日、暖かかった。修行しているこの土地もやけに暖かい。あしたは雨という予報。そういえば、小浜と、それから『おはようとその他の伝言』に出ていた足立からメールが来ていた。小浜はニブロールの公演でニューデリーで踊るそうだ。いいな、インド。行きたいなインド。
■青山ブックセンターでサイン会をやったとき、足立が来たので少し話をしたが、痩せてしまった僕を見て「肉を食べてください」と言ったのだった。修行が終わったら肉を食べに行きましょうとのこと。肉か。肉だな、人間、やっぱり肉だよ。朝日新聞から去年のくれ届いたお歳暮は「肉」だった。松坂の極上の牛肉。やるな朝日め。
■きょうのノートは「牛」にはじまり、「牛」で終わる。

(0:18 Jan.16 2002)


Jan.14 「フェリーニになりたい」

■多摩美を卒業したグラフィックの連中はいまどうしているのだろうときのう書いて、ふと思い出したのは、大学を中退した23歳ごろのこと、ホンダだったか大手自動車メーカーの宣伝部にすでに就職していた多摩美の友だちからコピーライターとしてうちに就職しないかと誘われたことがあった。給料も示されなかなかの好条件。ボーナスも出たんだろうな。でもやりたいことがあったので躊躇なく断った。就職していたら人生ずいぶんちがっただろう。
■就職しなくてよかった。
■自由業は自由であった。やりたいことだけしていればよかった。好きなことだけしていればよかった。やりたくない仕事は逃げればよかった。人にこびはうらない。営業はしない。それだけに厳しかったが。でも、あせらなくていいのだ。あせる必要も、人がなにをしているかも気にする必要はない。修行していればそのうちなんとかなる。とりみきのコミックにキリストの話があった。信者を連れて行進してゆくキリスト。見開きいっぱい、キリストを先頭に並んで歩く者らの姿があり、空にあたる余白にクレージーキャッツの歌が引用されて記されていた。

銭のないやつあ、俺んとこへ来い
俺もないけど心配するな
見ろよ、青い空、白い雲
そのうちなんとか、なるだろう

 これには驚いた。やられたと思った。同時に勇気も与えられた。人生、そのうちなんとかなるものなのである。

■一方、ルイス・ブニュエルの『銀河』にはやはりキリストが信者を連れて歩いて進むシーンがあり、途中、溝がある。みんなそこを軽くジャンプして飛び越えてゆくが、足なえの者はそれを飛び越えられずばたばた倒れてゆく。キリストとその一行はどんどん先へ進む。衝撃だった。「救済」の意味が残酷に描かれている。ブニュエルは大好きな監督の一人。
■あと、フェリーニ。『8 1/2』のラストシーンは大好きだ。音楽も最高。あるいは『自転車泥棒』の切なさ。『道』のあの女優。僕はですねえ演劇におけるフェリーニになりたいのだった。なんせフェリーニの映画にはやたら巨体のものすごい女優が出てきたり、怪しい美人が出たり、不気味な魅力のあふれた映像の美しさにみちている。あるいは、あれ誰だっけ、ホドロフスキーだったかな、あの過剰さ。かと思えばロマン・ポランスキーの『水の中のナイフ』、アンジェイ・ワイダの『灰とダイヤモンド』。もちろんゴダール。
■そして大島渚。川村毅さんとは大島好き、なかでも『儀式』という作品が好きということでなぜか一致した。作っている舞台作品の質が異なっても共通項があるのは不思議である。

■修行中、また食欲が落ちている。まあ、食欲旺盛な修行者ってのもどうかしているが。

(3:59 Jan.15 2002)


Jan.13 「デザイナーたち」

■雑誌『広告批評』の年賀状は「日本一のぜいたく雑誌(当社比)」とあって、いろいろなデザイナー、アーティストがかつてデザインした表紙の「広告批評」のタイトルロゴが並んでいる。たしかにぜいたくだ。「横尾忠則」「奥村靫正」「大貫卓也」「羽良多平吉」「大槻あかね」「佐藤可士和」「中村至男」「服部一成」「玉野哲也」「秋山具義」の方々。「中村至男」のデザインしたロゴが僕は好きだ。
■ただ、『広告批評』という雑誌をよく読んでいたのは横尾忠則さんの時代だったと思う。1982〜1987年まで使われていた。そのころ「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」のことで長いインタビューをいま編集長をしている島森路子さんから受けた記憶がある。「笑い」についてメディアでまとめて話をしたのはあれだけかもしれない。当時は「笑い」についてかなりラジカルに考えていた。
■たとえば「差別の笑い」がある。「差別そのもの」「差別する人」「差別しているつもりじゃないけどなんとなく差別心が顔をだしてしまう人」「ぜったい差別していないと信じている良識者」と並べると、このなかで僕が「笑い」として選んだのは、最後の「ぜったい差別していないと信じている良識者」の笑いだ。前のみっつは古典的だ。古い、とすでに当時考えていた。それで生まれたのがラジカル・ガジベリビンバ・システムで作ったなかでもいちばん好きな「喫茶店」というスケッチだろう。喫茶店にからだの不自由な人が入ってくる。店の人たち、店員、客などみんな差別しないよう親切にする良識者だが、次々と失敗し、すべてのことが差別につながる。「差別の構造」とはそのようなものだ。いまでもあふれている「黒い笑い」のレベルの低さは構造的に考えていないからだろう。ただ「あぶない」てな程度で笑いだと思っている。素人である。

■玄人といえば、グラフィック・デザイナーの田中一光さんが亡くなられたのを新聞で知った。
■多摩美時代、竹中直人をはじめグラフィク・デザインを専攻していた人間はかなり多いはずだが、毎年、みんな卒業しその後どんなところで仕事をしているのだろう。ものすごい数のグラフィックデザイナーがいるはずではないか。しかも美術系の大学・学校は多摩美だけではない。莫大な数だ。CGの世界や、Webの世界に進んでいるのだろうか。そのなかで抜きんでてくるのは、才能やセンスだけではないな、きっと。もっと深いもの。技術的なことだけではない、もっともっと深いもの。説教くさくなるけど、ただただ修行だ。あるいは好きなことに夢中になる力。
■Macがうまく使えるだけじゃなく、美術展でも映画でも小説でももっと見るとか読むとかしたらどうだと、大学で教えていると学生を見ていて思う。

「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」の参加者はその後も増加。二ヶ月前なのに50人を突破。寝屋川のYさんが参加者リストのページを作ってくれた。当日が思いやられる。ぜったい迷子になるやつがいる。迷子はおいてゆこう。大きな道はまだしも、狭い住宅街を五十人以上でぞろぞろ歩くのはいかがなものか。迷惑になるかもしれない。あと、途中でなにか面白いものを見つけそっちが気になって当初の目的を忘れてしまうかもしれない。それはそれで愉快である。

(2:11 Jan.14 2002)


Jan.12 「六〇年代を遠く離れて」

■結婚する女性のことをしばしば「売れる」と言葉にするのは何だときのう書いたら、僕の舞台に出ていた小林令のメールに「売れる」もひどいけど「売れ残る」はもっとひどいとあった。まったくだ。ということはつまり、男は「買う」わけかね。閉店直前のスーパーみたいだ。結婚という制度はまだまだ前近代的。「近代」が全面的に正しいわけじゃないし、近代万歳ではけっしてないものの、「売れる」「売れ残る」はひどい。
■でも、おめでとう。きょう結婚したはずだ。笠木には直接、あしたの披露パーティで会えないのは残念だがとにかくおめでとう。泣くな、きっと笠木。それを見て、小浜も泣く。宋も泣く。小林も泣く。佐伯も、朴本さえ泣く。陰でこっそり見てやりたかった。
■ただ、泣かせるお祝いの言葉をうまく書けないのだ。そういう精神状態じゃないのが申し訳ない。

■このところよくメールをもらい、『心を鍛えるインド』を教えてくれた松本のFさんから巨大な添付ファイルが届いた。いまいる場所の環境には、ADSLもISDNもないのでダウンロードがたいへんだった。見ることが出来るまでになんだかんだで二時間。圧縮してくれればよかったのだが。でも、添付されていたのはダウンロードの苦労のかいのあるPDFファイルで、島の海の写真と文章で構成されていた。Fさんは、『心を鍛えるインド』を書いた伊藤さんとお知り合いのようだが、その本のあとがきで伊藤さんが書かれた文章を一部引いて、Fさんはこう記している。

一九九五年は彼にとって二つのショッキングな出来事があった年だと書かれていた。ひとつめの出来事はオウム真理教が引き起こした事件。インドで何年も修行をしていた人の言う人の言葉には説得力があった。そして、ふたつめの出来事は、ヒッピーカルチャーが様々な挫折のあとに行き着いたコンピュータのソフト制作者が彼の元をたずねたことなのだと書かれていた。日本での未消化の六〇年代がゲロのようになって吐き出されたのがオウムではないだろうかと。とも書かれていた。

 ああ、PDFファイルからの引用は疲れる。書き写すのは大変だ。プレーンテキストだったらよかったのに。それはともかく、たずねていったコンピュータソフト制作者というのがどうやらFさんらしい。引用した部分の後半に注目した。「日本での未消化の六〇年代がゲロのようになって吐き出されたのがオウムではないだろうか」というあたり。
■「小説ノート」の小説『空に浮かぶルシは青い石を手にしている』にはそのあたりのことも書きたいと思っている。つまり六〇年代のことだ。主人公である「ルシ」の父親は六八年の新宿騒乱事件に関わっていることは国会図書館の当時の新聞で調べてわかっているが、政治的な時代背景とはべつに、新しい文化や思想の動向が、すべて挫折したのちになにが生まれ、なにがゆがんで育ち、伊藤さんが書くように「未消化の六〇年代がゲロのようになって吐き出された」としたら、九五年のオウムとどんなふうにつながっているのか。そのとき、「ルシ」という主人公は父親たちの姿をはさんで象徴的に存在しているように思えてならない。そして、「ヒッピーカルチャーが様々な挫折のあとに行き着いたコンピュータ」。コンピュータとインターネット、それをとりまく文化状況。
■このことについてはまた「小説ノート」にきちんとまとめよう。
■そう考えてゆくと書くのがすごく楽しみになってきた。修行を終わらせ、小説を書ける精神状態に早く戻そう。誰かが待っていてくれる。

(0:09 Jan.13 2002)


Jan.11 「ぼくはまだまだ先が長い」

■坂口安吾に、「ぼくはもうなおっている」というすごいタイトルのエッセイがある。
■睡眠薬とアルコール、その他薬物類の乱用で当時の言葉で言えば「神経衰弱」になって病院に入れられたとき、病院で書いた原稿が読売新聞に掲載された。載せるかな、そんな文章を、新聞がふつう。ぼくも書きたい。「ぼくはまだまだ先が長い」というエッセイ。自分で読み返してもこのノートの一部はかなりおかしい。おかしい人が書いた文章だ。まず量がどうかしている。なぜ毎日こんなに書いてしまうんだ。かつてはなかったウツ。ふっと意味もなくウツになる。

■ただ、「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」の参加者募集ページにどんどん書き込みがあるのは心なごむよ。みんなに感謝している。
■参加表明だけではなく、同じ人でももっと書き込みいろいろ話ができるようになるといいと思う。質問があってもいいのじゃないだろうか。「当日はなにを用意すればいいですか? 服装は?」ってそれじゃ小学生の質問だが、あと、「池袋のことをブクロと呼ばないと東京ではばかにされますか?」「池袋に池はいくつありますか?」「通貨は円ですか、ユーロですか?」「三月の東京は野宿できますか?」「多摩川を渡るとき関西人は許可が必要ですか?」「関西弁を使ってもいいですか?」「お菓子はいくらまで買っていいですか?」とどんな質問でもOKだ。
■掲示板を作ってくれた寝屋川のYさんにも感謝しているが、Yさんのとこの掲示板によれば、小浜が関西の雑誌で取材を受けたとのことでだんだんダンサーとして売れている。あと僕の舞台に出たやつでは朴本がNHKの朝の連続テレビ小説に出るらしい。みんなが売れてゆくのは人ごとだがなぜかうれしい。小林令はもう結婚し、笠木とあと演出助手をやっていた宮森がこんど結婚するが、女が結婚するのも「売れる」と表現されがちだ。あれはなんだ。

■不思議なメールが来た。「フランソワ」というタイトルだ。

はじめまして。牛年生まれの牡牛座でティッシュカバーもドアノブカバーも大嫌いで家にコタツを置かないフランソワ・ボニートです。私は外国人と間違われることが非常に多いですが、日本人です。近所付き合いが好きで自治体の班長をしたりもします。苦手はリンゴの「サシスセソ」音です。ちなみに7500FXは最新の2002年モデルです。

これで全文。なんだか楽しい気分になったが、なにを伝えたいかわからない。「牛年生まれの牡牛座」のことだろうか。「ティッシュカバーもドアノブカバーも大嫌いで家にコタツを置かない」「近所付き合いが好きで自治体の班長をしたりもします」ということだろうか。なかでもわからないのは、「苦手はリンゴの『サシスセソ音』です」。なんだこれは。「7500FXは最新の2002年モデルです」と僕さえ知らないことを知っているところをみるとどうやら自転車好きだ。自転車好きだが、ティッシュカバーとドアノブカバーは大嫌い。謎は深まる。

(23:10 Jan.11 2002)


Jan.10 「きょうは短めにする」

■修行は周囲の人間たちとの関係がつらいのだった。
■それでも少しずつ前へ。
■ほっとくとこのノートはやたら長くなる。ちょっと控える。「小説ノート」もどんどん書いてしまいそうだ。「資料」を公開してしまおうかとさえ考えたが、それは鬼畜どころかきちがいである。
■いろいろなメールをもらう。サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアーの参加者もどんどん集まる。なかには僕にTREKを推薦してくれたNさんまでいる。桜井君も参加する。うれしい。
 
(23:03 Jan.10 2002)


Jan.9 「きのうのノートは削除だ」

■きのう(8日)書いたノートは「落ち込み気味」だったとはいえあまりにひどい。ひどい内容とひどい文章だ。削除する。

■それであらためて報告。「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」参加希望者からのメールが多く、返事を出す余裕がないので、そのための掲示板を寝屋川のYさんが作ってくれた。掲示板に参加表明をしていただきたい。可能な限り実名でお願いします。日にち、集合場所などはそこで報告されることになるでしょう。あと、参加表明に添えてなにか書いてくれるとうれしい。しかし、掲示板に参加表明をしないまま「日にち、集合場所」を知った人が現れたらどうするかだ。すごい人数になったらどうしたらいいかわからない。

■やはり沖縄に住んでいるというNさんからのメール。

私もまぶやーを落とすと、すぐに拾います。子供の頃に、母が拾ってくれたのをみて育ったから。沖縄なのに今日は寒いです。交差点の角っこで商売をしています。「儲からないのはそのせいだ」と、うちなーおばさんによく言われます。「ゆたに見てもらいなさい」とも。

 とてもこころなごむメールだった。
 
■そういえば、『非戦』を読み終えその感想も書こうとしていたのだった。いまはその余裕がない。原稿も書かなくちゃいけないんだった。考えることがいろいろ。修行も進めよう。『非戦』で思い出したが、『一冊の本』のOさんによれば、「トリッパー」という文芸誌に、坂本龍一と辺見庸の対談を掲載しようとしたら八時間にもおよんだため、急遽、単行本にすることになったという。二月の上旬に緊急出版。楽しみだ。
 
(23:13 Jan.9 2002)


Jan.7 「沖縄のマブイ」

■久しぶりに「小説ノート」更新。
■修行はなおも進行中である。修行の場所が場所なだけに、ここには奇妙な人物が多い。自分のことをひたすら話し続ける者がいる。壁際にそってしか動けない人がいる。大きな女がいる。うつむいてばかりで声を聞いたことのない者もいる。寝泊まりするために与えられているのは窓の小さな部屋。僕は毎日、薬を飲んでいる。

■沖縄のMさんが、沖縄についての話を送ってくれた。とても面白い。少し長い引用になる。

わたしは沖縄に住んで10年になります。那覇には2年前から住んでいます。那覇は、県内では「一応」、「都会」と呼ばれるところです。そして実際、本土とそうかわらない生活を送ることができます。物質的には(品物の種類など)少し足りないように感じることもありますがコンビニで売っているものなど、変わりません。「沖縄的なもの」を無視して生活してもぜんぜん平気です。「行ってみたら、ごくあたりまえの日常があるだけ」です。ここで生活する人達のくり返す、ごくふつうの「日常」があるだけです。

離島や、山原(ヤンバル)を選べば、事情は少し違うかもしれません。そこは本当に亜熱帯で、植物の形はもちろん、やたら巨大だし海を見ながら、自給自足で暮らしてゆけば、それは東京でいう「ごくあたりまえの日常」とは違う日常になってゆくのでしょう。でもそうはいいながら、「ごくあたりまえの日常」と言い切れない部分もあると思います。そうでなければ、わざわざ選んで、仕事もない沖縄で生活している自分のことがわかりません。

取り立てて突出することのない日常を送っていますが、ときに霊的なものが紛れ込んでくることがあります。 こういう感じです。沖縄の人はびっくりすると「魂(まぶい)」を落とします。すると「マブヤー、マブヤー」といいながら、落ちたマブイを胸に戻すおまじないをします。隣を歩いている友人などが、いきなりそういうことをします。

去年、知人に聞いた話はこうです。マブイをどこに落としたかわからないので、ユタ(沖縄のイタコ)に相談に行ったところ、ユタが言うには、「○○○の交差点(実際は地名が入りますが忘れました)の薬局の前のサトちゃんの中に、あなたのマブイが入っている」それでユタも含め、家族でその交差点に行って、マブイを取り戻してきた そうなのです。昔の話ではありません。去年のことです。霊的な場所、という立て看を見ることもあります。ここから先は霊的な場所なので、立ち入り禁止、責任もてません、と手書きで案内してあります。

 やっぱり沖縄に行きたくなった。それも短い滞在ではなく何年か住んでみたくなった。

■しかし、こうした神話的物語と、「ニューエイジ」はなにがどう異なるのだろう。なぜ「ニューエイジ」には、村上春樹の表現を借りれば「肌寒い思い」をさせるものがあるのか。「神秘主義」とひとつにまとめられないものを感じる。沖縄だけではなく、中上健次の「熊野」や「四国の森」にも、霊的なもの、神話世界を感じるが、それとはどうも異なる感触が「ニューエイジ」から受けるのだ。
■通過してきた道が異なるからだろうか。
■島田裕巳の『オウム』に、全共闘の時代が終わったあと宗教的な色彩の濃い「ヤマギシ」に左翼の元活動家たちが大量に入ってきたとあった。爆弾事件を起こした元赤軍かなにかの加藤某という活動家が逮捕されたとき彼は「ニューエイジ」的な宗教集団にいた。「左翼」から「宗教」へ。この変転はなにを意味するか。「マルクスはだめだったから、次はアラーかブッダかキリストにするか」とかってそんな軽薄な話じゃないだろうし、「流行思想」なんて安易な言葉で片づけられるわけでもない。彼らを動かした本質的な動機がきっとなにかある。オウムのある部分にもそれを感じる。
■そもそも、僕はなぜ、沖縄や熊野、あるいは四国など、「森」が生み出す神話世界にひかれるのだろう。「森」のなかからなにかがやってくるように感じる。「森」を歩けばなにかを与えられるような気がする。ハリーポッターは読んでないので何とも言えないがべつにファンタジーが好きなわけではないわけだし。うーん、これ以上「文学」の話になってしまうと、「周縁」のことなど書かなくちゃいけなくなって、長くなるわ、面倒だわで、これもここで中断。また考える。なにしろわたしは修行中だ。

■「池袋サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」は続々、参加者が集まっている。どうすればいいんだ。メールに返事を書くのもたいへんになってきた。

(22:47 Jan.7 2002)


Jan.6 「日付のある文章」

■ずっと書き続けている小説『28』についてきのう、「もっと神秘主義的な話を『28』では書きたい」と書いたがこれは「もっとマジックリアリズムな話を」と書いたほうが適切だった。つまりラテンアメリカ文学的なあれのことである。マルケス、ボルヘス、あるいはガテマラの魔術的な小説たち。
■沖縄にはなにかそんな風土を感じる。それは単なるロマンティシズムか。亜熱帯と神話的物語の眠る土地。どうなんだろう。行ってみたら、ごくあたりまえの日常があるだけかもしれない。「物語」は人の観念が作り出すに過ぎないのだろうか。

■「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」の応募が殺到してしまった。よく考えてみたらここに書けば当然ながら東京の人間が来たいといい出すのはあたりまえだ。あまりに多いと大変なことになる。またパニック障害になりそうな気がしてきた。どうしようか悩む。
■さて予告通り、参宮橋に住むT君のメールを紹介する。T君には「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」にぜひ来てもらいたい。僕が寝屋川のYさんの日記を読んでウツが晴れたように、T君もこのノートを読んでウツが晴れたり励まされると書いてくれた。

作家が日常をほぼリアルタイムで公開したり、作品の発表前に覚書を逐次公表するという行為は、あるいは従来の作家のあり方から外れているのかもしれません。けれども、宮沢さんが日々サイトに書かれている文章を読む者は、「時代感覚」というほど大げさなものではないにせよ、なにかしら同じ感覚を共有しているような気がします。おそらく宮沢さんの行ないは、作品での表現とインターネットでの表現を含む、新しい表現のひとつの形ではないかと思うのです。

 ほかの作家たちがWebを使ってどんなことをしているかほとんど知らない。村上龍が活発に活動しているのは知っているがこうした「日記形式」ではないだろう。よく考えて見ると、このノートも、「日付」がなければ「日記」とは誰も思わないのではないか。単なる「身辺雑記」だ。ネット上の「日記否定者」が問題にしているのはおそらく「日付」だ。「日付」があるのがどうも納得いかないらしい。
■ある人の「日付のある短い文章」がすごく好きだったのは、どんな人物が書いているかわからない、どんな生活をしているかわからない、「短い文章」に、「読む者に対する想像させる力」があってその「表現形式」がすごく面白かったからだ。「日記否定者」はそれもまた「日付」があるというだけで否定するかもしれない。
■そういえば、あれは誰だっけな、小島信夫だっただろうか。人から聞いたが、雑誌に「夏目漱石論」を連載したものの、どんどん横にずれてゆき、「夏目漱石論」のはずなのに自分の日常が入りこんで、いかに「論」を書くのが困難かという過程から、どうでもいい話がえんえん続いたのが面白かったそうだ。それも「日付」があったら「夏目漱石論日記」である。だがそのずれてゆく文章は面白いにちがいない。そしてインターネットというメディアの問題がここにからむ。さらに書くと長くなるので中断。
 
■修行は進行中。
■今月の12日、この日記にもよく登場する東京タンバリンの笠木が結婚する。修行中の僕はそのパーティに出席できないのだが、どうやらパーティでは全員がタンバリンを鳴らしまくるらしい。いやだよそんなパーティは。ただなにか言葉を送ってくれとのこと。よし、また泣かせてやろう。『おはようとその他の伝言』のときなど、楽日、役者たちがカーテンコールをしているあいだに制作の永井が、僕の書いた各俳優にあてた文章を、俳優たちの鏡前に置く。陰からこっそり見ていると、笠木はたいていその文書を読んで簡単に泣く。それが面白くてしょうがなくなってきて、しょっちゅうメールを書いたりし、いかにして笠木を泣かすか情熱を燃やしていたことがあった。
■数年前、僕のワークショップにやってきた女優たちが、このところどんどん結婚してゆく。ただ、ジャンキーなあの人にはその気配がない。記憶力がないので結婚するのを忘れてしまうのかもしれない。そう考えると、僕が「その人」に伝えてくれと言った話は、ほんとうに正しく相手に伝わったのだろうか。不安である。

(1:33 Jan.7 2002)


Jan.5 「月と拒否」

■気がついたら正月も終わっていた。修行者にそんなものは関係がない。
■劇団「iOJO!<オッホ>」を主催する黒川から、「師匠、三が日も終わってしまいました」というメールが来てはじめて気がついた。「修行ですか。どちらにいるのでしょう。安易に『滝』などをイメージします」とあるが、この寒いのに滝にうたれるものか。からだをこわしたらどうするつもりだ。どうやら、iOJO!<オッホ>は稽古で滝にうたれるらしい。黒川がやると言い出したら俳優たちはやるしかないんだろう。「東京にはいつもどられるんですか?」ともあり黒川と去年の夏からのことなどゆっくり話しがしたくなった。

■京都のガラス工房でステンドグラスなど作っているKさんのメールから。

市松生活に、月と人間の事が書いてありましたが私はハイテンションだったりいらいらしたり、訳もなく感情的な日がたまにあるのですがそういう日の帰り道に月をみるとほとんどの場合が満月がちょっとだけ欠けている状態なのです。昔は気にして、そういうときには新聞をチェックしていたのですが、どうも満月の一日前に感情的になってしまうらしいです。

「女性と月」は微妙な問題なので書きづらいが、ぜったい男より敏感なはずだ。しかし、それはどこがどういう仕組みになっているのだろう。「女体の神秘」と書くとKさんにも申し訳ないし、なんだかばかな気がするものの、そういったことはよくわからない。「わからない」からもっと考えるべきことだ。で、「ごめん、きょう生理なの」という誰もが知っているあの有名な台詞を思い出してしまう。あれは「ほんとうの場合」と「うその場合」がある。後者にドラマが存在する。いや、そんなことを俺は書こうと思っているんじゃないんだ。
■でもいま、『月と拒否』というタイトルを思いついた。
■恋愛関係にある男女の微妙なずれの話。小説か、戯曲か。去年の夏。京都。ある人から「あれになると乳首が張って痛いんですよ」と遠回しな台詞で拒否された。そして女は黙っている僕の顔を見、「いま、ちょっとがっかりしたでしょう」と言った。いやがっかりしていたのではない。がっかりしたけど。拒否されたことより作家的思考作用がはたらき、あ、これ面白いと思った。これ使えるなと。なにを書いているんだ俺は。だいたい僕は、岩松了さんとか松田正隆さんのような作家ではない。とはいうものの、現実はそれほど生々しく面白い。
■もっと神秘主義的な話を『28』では書きたい。「ニューエージ」なものになってしまいそうだが、そこから逃れつつ「月の力」を書く。
■また長くなるので、参宮橋のTさんのメールはまたあした。

■さて関係ないが、三月に、「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」をほんとうに開催することになった。参加者募集中である。参加条件は、

1)当然ながら、『サーチエンジン・システムクラッシュ』を読んでいること。
2)いくら歩いてもへこたれないこと。
3)僕が「パニック障害」を起こすような事件を起こさない人。
4)池袋が東京にあると知っている人。
5)もしアフロが似合うのなら「アフロにしない」と言い張らない人。

 希望者はメールで応募していただきたい。予定では三月の中旬である。
■そんなふうに書くと、おかしいと感じるこのノートをまめに読んでいる人がいるかもしれない。三月、僕は沖縄でワークショップと市民との舞台を作る予定ではなかったかと疑問に思う人だ。その話が諸般の事情、政治的なあれこれで頓挫したのだった。とても残念だ。
■だけどいつかきっと沖縄には行く。

(5:19 Jan.6 2002)


Jan.4 「月の癒し」

■小説の資料、仕事のための本など、書籍類を、京都から東京、そしていまいる場所へと、宅配便を使って送るのは大変である。箱が届いたので開封。しまった、あれを入れておけばよかったとたいていこういうときは後悔する。京都にいるとき急に必要になって買うこともあり、同じ本が二冊になることもしばしば。

■修行の合間を見て、Web作りの勉強をしようと思う。とりあえずFlashってやつについてまったく作り方を知らないのでその練習。かつて入っていたウェブデザインメーリングリスト(その後廃止になってしまった)でしばしば論議になっていた。Flashを尊重するヴィジュアルデザイナー系と、あんな重いものはよくないというプログラマー系の対立だが、ADSLをはじめとする高速ネットがあたりまえになってくればそんな議論も過去の話になってくるのではなかろうか。たしかに「無意味なFlash」も数多くあるが、見ていて気持ちのいいFlashはそれだけで作品になっている。
■京都造形芸術大学・舞台芸術センターのサイトも更新したいが、更新すべき情報と資料がないのが困っている。センターの事務長・橋口さんのページを作りたい。研究となんの関係があるかわからない「WEEKLY HASHIGUCHI」というページだ。そうした資料を東京に忘れてきてしまった。だいたい更新するのにFTPでサーバに入るユーザー名とパスワードも忘れてしまった。だめじゃないか。

■よくメールをいただく松本のFさんから『月の癒し』(飛鳥新社)という本を教えていただいた。「月」で検索をかけいろいろサイトを調べたが、その本からの引用で構成されたサイトも見つけた。「月」に関しては女性のほうがより「感じる力」がある。当然なんだろう。ただこのサイトはあれだな、村上春樹の表現を借りれば「ニューエージ系」のにおいがする。オウムとも、それから「小説ノート」に書いている小説とも関係するが、「ニューエージ系」に関してはもっとつっこんで考えなければと思う。
■橋本治の『わからないという方法』にならえば、「ニューエージ系」もわからないから考える。『わからないという方法』は面白いが南伸坊さんの文体にも感じた「もっとシャープに書いてもいいんじゃないの」という気がする。椎名誠とか、ああいった時代の、新言文一致ともいうべき文体は読んでいるとちょっとまどろっこしい。
■関西ワークショップのガラス工房で働くKさん、参宮橋に住んでるT君からもメールをもらったが長くなるのでその話はまたあした。関係ないけど、TREKの7500FXを少し走らせた。ものすごく快適である。寒かった。

(0:06 Jan.4 2002)


Jan.3 「雪が降り、そして月」

■それにしても今年の冬は寒い。
■修行の場としては「極寒」か「酷暑」がふさわく、「温暖な気候」はあまりよくないのではないか。寒いからこその修行だ。で、修行の現地に「ガルヴィ」編集部からわざわざTREKの自転車を送ってもらったものの寒くて走る気にならない。なんのための自転車だ。あとTREK7500FXにはスタンドというものがないのだった。立てておくことができない。どうしておけばいいのかと思う。壁に立てかけるとか、倒しておくとか、そういったことだろうか。

■「小説ノート」に記している小説とはべつに、『28』というもう10年ぐらい書いている小説を完成させる予定だ。そのために「月」を調べている。「月」の不思議のこと。「月」が人に与える影響。以前、「月」そのものについて調べた時期があったが、「月と人の関係」についてあまり深く考えていなかった。きっと不思議な力が存在しているにちがいない。そこがもっと書けたら、『28』は小説としてさらに完成度が高くなるはずだ。
■で、「小説ノート」も中途半端だし、「身体解放とはなにか」というノートも「アルバイトのからだ」の段階まで書いたところで中断している。よくよく考えてみたら「コンピュータで書くということ」も途中だ。だめだなあ。考えることが多すぎる。しかも修行。

■うちの大学の情報デザイン学科の学生、Sからメール。Sの弟がナマで、「室伏の首」を見たことがあるという。「首がゴジラみたいやった」と言ったそうだ。ものすごい形容である。
■何人かの希望者がいるので、三月あたり、池袋を歩く『サーチエンジン・システムクラッシュ』ツアーをやろうと思っている。久しぶりに池袋を歩こう。ただ、あれだな、コミュニティカレッジのとき発生した「パニック障害」のことを思い出さなければいいのだが。あれ以来、ちょっと池袋がつらいのである。それも修行かもしれない。

(4:41 Jan.4 2002)


Jan.2 「修行の日々と、ジャンキーな人、さらに室伏の首」

■雪が降っていた。
■筑摩書房の打越さんからメール。前回、「なぜ市松生活は再開されたのか」と質問されたのでそれに対する応えとしていくつか理由を書き送ったメールへの返事だった。まず、再開したいちばんの理由に寝屋川のYさんの日記で、「クールベ展を見に行ったときの母親の話」に大笑いしそれでウツが晴れたことがある。何通も「市松生活再開希望のメール」をもらっていたが、僕と同様に市松生活を読んでウツを晴らしている人がいるかもしれない、実際、そういうメールがあったので「書いてみよう」と思いたったのだった。
■同時に、「書く」ことで考えをまとめるという理由。これは「日記」ではない。「日記という形式」を使った表現であり、覚え書きだ。
■あるいは、野球における「素振り」。サッカーにおける「リフティング」だ。じつはこれに類する「日記形式のノート」はコンピュータを使う以前、学生時代からずっと書いていた。公開するのは「他者の視線」を意識することで異なる「文」になり、それを持続するのはまたべつの意味がある。

■しかし、打越さんのいちばんの疑問は、「中止した問題」は解決したのかどうかだ。
■なぜ中止したか。「ある一人の人に向けて書いている」と意識しはじめそれが苦しくなったからだった。そういうつもりはないと書いているつもりだが、気がつくと結果的にそうなっていることが苦しかった。まだ感情的になっていたのだと思う。

■いまもっとも怖いのは、その相手とどこかで偶然会ってしまうことだ。
■怖くて仕方がない。突然、感情的になりはしないか。なにかする恐れもある。そもそもどういう態度をとったらいいかわからない。それでもだいぶ冷静になった。つまり「どうでもよくなってきた」というあれだが、精神的におかしかった。精神科に通院してよかった。ただ「感情的になった事件」の直後、「小説ノート」と「米国同時多発テロ」との奇妙な符合などもあり、「小説」と「その人」について冷静に考えた。ある女優に僕が話しておきたい内容を相手に伝えてくれるよう頼んだが、女優はジャンキーだし記憶力が薄い人だったので三ヶ月後ぐらいに連絡したらしい。「どうでもよくなってきた」からこのまま終わればいいと思っていたのに話がややこしくなりまたウツになってしまった。まったく、「ニュー高田」のライターを持っていたり、ジャンキーだったり、記憶力が薄かったり、なんというか、面白くてしょうがない。インターネットを見る環境にないので何を書いても怒られないのは幸いである。
■救われたのはリーディング『アンヌ・マリ』の公演。
■冷静になったのが、「再開」のいちばんの理由ではないか。
■それにいまは修行の身だ。

■関係ないけど、テレビの「筋肉番付」に出ていたハンマー投げの室伏の「首」は異常である。頭より太い首。あの人がムチウチなんかになったら首に巻くコルセットはどうするのか気になって仕方がなかった。通常の人の三倍は必要なのではないか。室伏がしているネックレスは普通の人が首にかけると腹のあたりまできてなんだかよくわからないものになるだろう。
■今年の注目は「室伏の首」だ。
■そんなことより修行だ。
■本を読むこと。書くこと。映画も見よう。学生時代一ヶ月に50本見たあの情熱はどうなってしまったのだ。修行。いい小説を書く。ただただ修行。

(5:19 Jan.3 2002)


Jan.1 「元旦」

■あけましておめでとうございます。
■清水エスパルス、天皇杯優勝。おめでとう。長谷川、堀池は引退したのに、かつてふたりと高校時代から三羽がらすといわれた大榎がまだ現役でフル出場しているのはわけもなくうれしい。
■年賀のメールをたくさんいただいた。この場を借りてお礼を言いたい。返事を出さなければいけないが今後ともPAPERSをよろしくお願いします。TOPページを更新しようと思いつつそれもできない。
■驚いたのは、『非戦』を読んで知ったが、ミュージシャンのキャット・スティーブンスがイスラム教に改宗し名前も変えていると知ったことだ。ほかにもぱらぱらと本を読む。静かな元旦。べつに今年の目標を立てるわけではなく、いつもと同じように生きてゆこうと思う。ただ去年は小説を書けなかった。今年は書こう。戯曲も書こう。舞台の準備にも入る。また女優をはじめ、俳優たちとの格闘。このブランクのあいだに若い俳優たちは少しは成長しただろうか。油断していなければいいのだが。

(5:26 Jan.2 2002)